明智光秀は謀反人か?忠義の人か?

倉敷

 今年の HKの大河ドラマは「麒麟がくる」 。1月19日の初回の視聴率は、19.1%(関東地区、ビデオリサーチ調べ)とかで、「テレビ離れ」が声高に叫ばれる昨今にしては、まあまあの出だしではないでしょうか。

 主人公は、あの本能寺で主君織田信長を討った謀反人(裏切者)の明智光秀ですからね。 以前の大河ドラマでは、戦前に「逆賊」と呼ばれた足利尊氏を主人公にした「太平記」はありましたが、裏切者を主役にすることなどとても考えられませんでした。

 とはいえ、裏切者といっても、信長側から見てのことで、人間の性(さが)などそんな単純なものではありません。まして、戦国時代ですから、親子兄弟でも謀反やら裏切りが公然とあったわけですから、後世の人間が、安全地帯から断罪するのも如何なものか、というべきです。ドラマは、これから明智光秀から見た戦国時代が展開されることでしょうが、楽しみです。

 特に、明智光秀の資料は極端に少なく、40歳以降しか分からないそうですね。私もよく知りませんでしたが、この明智光秀のおかげで、歴史ドキュメントの番組や光秀を特集した雑誌が増え、色々と勉強になります。今から500年近くもの昔の人間なのに、当時の手紙や資料が発見され、歴史が塗り替えられたりする様は、確かに見ていてワクワクします。明智光秀は若き頃、越前朝倉家に仕えていて、医者か薬師ではなかったか、という説には大いに驚かされました。

 先ほどの「裏切者」の話ですが、1600年の関ヶ原の戦いで、東軍に寝返った小早川秀秋があまりにも有名ですが、歴史ドキュメント番組を見ていたら、結構たくさんいることを知りました。

 例えば、細川藤孝・忠興親子です。本能寺の変後、 備中高松城の攻城戦から急きょ引き返してきた(中国大返し)羽柴秀吉軍と、信長を討った明智光秀の軍勢が激突して天下分け目の戦いとなります(山崎の戦い)が、光秀の親戚に当たる細川親子は「喪に服す」と称して、明智軍に加勢しなかったのです。細川忠興の正室は、有名な光秀の三女細川ガラシャですからね。 まあ、この行動は、明智軍に勝ち目はないと見て、機を見て敏な細川一族が、その後、生き残り、平成の世になって子孫に総理大臣を輩出することになりますから、「裏切り」ではなく、「大功績」と言えるかもしれませんがね。

 もう一人は前田利家です。信長の最後の跡目争いとも言うべき賤ヶ岳の戦いで、利家は、最初は信長軍団最強と言われた柴田勝家軍に付きますが、合戦の途中で戦線を離脱して、羽柴秀吉を勝利に導いてしまうんですね。これを「裏切り」と見るか、後に「加賀百万石」の礎となる「功績」と見るべきか、見方を変えると180度違ってしまいます。これだから、歴史は面白いのです。

姫路城

【後記】

 今、山本祐司著「東京地検特捜部」(角川文庫)を読んでいますが、この中に出てくる平沼騏一郎には俄然と興味が湧きました。司法畑のトップである検事総長、大審院長などを歴任し、司法大臣、枢密院議長、総理大臣まで務めた近現代史の最重要人物の一人です。国粋主義団体「国本社」を創設し、戦後はA級戦犯となり、終身刑で獄死した人ですが、もともとは、津山藩士としてこの世に生を受けます。この津山藩は、関ヶ原の戦いで「功績」があった小早川秀秋が移封された藩(宇喜多秀家領の岡山55万石)だったんですね。

 また、津山は、昭和13年に30人もの大量の村人が殺害された「津山事件」が起きたところで、後に横溝正史がこの事件をモデルに「八つ墓村」を書き、何度もドラマ化、映画化されています。

 さらに、津山は美作(みまさか)国です。この美作国宮本村は、剣豪宮本武蔵の出身地だという説があり、地元では生誕地として碑を立てているそうです。

 まあ、色々と話に繋がりが出てきて、書いていても楽しいです(笑)。

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