今の日本人は教養がない!講談と浪曲の違いも分からないとは!

六義園
 演劇評論家の安東亀男です。東京・四谷の「わかば」の「鯛焼き」を世間に広めた方は、安藤鶴夫先生です。お間違いのないように。
 何か、渓流斎とかいう青二才が「最近、神田松之丞という講談師がえらい評判で、最近上梓した『絶滅危惧職』という本もよく売れていて、何と言っても、彼の講演切符はいつも完売で、前売り券もなかなか手に入らないと評判じゃないですか」と騒ぎまくってます。駄目ですねえ。「恐れ入り屋の鬼子母神」ですよ(大笑)。松之丞は、まだ三十そこそこの二ツ目ですよ。
 そんなんで、驚いていたら、株が下がるというもんです。
 毎日、立ち食いの回転寿司ばかり食っていて、「うまい、うまい」と言ってては、人間の品格が落ちるというもの。たまには、「すきゃばし次郎」や「久兵衛」にでも行って大枚をはたくのが、江戸っ子の粋ってもんですよ。
 松之丞なんぞは、まだまだレベルの酷い講談のチンピラです。最近は、「講釈師の名人」を知らない、違いの分からない若者、いや似非老人が実に増えていて、本当に困ったものです。
築地・中村家弁当ランチ 850円

 何はともあれ、渓流斎とやらも、まずは「服部伸」の講談を聞いてみたらどうですかねえ。

 彼は、浪曲師だったのが、「瞼の母」の作者長谷川伸の一字をもらって、昭和11年に講談師に転向した人です。明快な語り口で引き込まれますよ。「は組小町」「忠臣蔵」などを聞いてみてください。
 今は、「ゆふちうぶ」とかいう活動写真で見られますよ。
 最近の日本人は教養がないので、浪曲と講談の区別もつきやしない。まあ、諸説ありますが、講談は、室町時代の「太平記読み」が嚆矢という学者もいれば、江戸時代という学者もいる。浪曲は、800年の歴史を誇ると協会の方々は胸を張りますが、浪曲が成立したのは明治期という説が有力で、意外と新しい芸能なのです。
 講談は、読み(語り)専門ですが、浪曲は、「曲師」と呼ばれる三味線の伴奏者が付きます。
 明治時代の芸人は、「遊芸人」の免許状がないと語れなかった史実をご存知でしょうか。だから、自由民権運動とも繋がりが出てくるのですね。講談師、浪曲師はジャーナリストでもあったわけです。「政治講談」の伊藤痴遊なども講釈師の先駆けというか、講談社(講談の速記録を出版したのが始まり)、平凡社の礎をつくったようなものです。
 当時の浪曲人気は絶大で、大正時代になって日本放送協会(NHK)のラヂオ受信機が普及したのは「浪曲を聴きたい」人が多かったからで、貧しい庶民でもなけなしの金をはたいて買っていたのです。だから、NHKは、今でも浪曲には足を向けて寝られないのです。
 昭和初期は、広沢虎造の興行を巡って、神戸の山口組と下関の籠寅組が対立し、結局、山口組二代目が、浅草で刺された(後に死亡)事件は語り草になっておりますね。
六義園
 今は、浪曲協会は東西二つに分かれていて、「浪曲親友協会」は関西の浪曲師の団体組織です。二代目京山幸枝若が会長ですね。
 東京は「日本浪曲協会」です。こちらの現在の会長は富士路子です。別に対立というより、その浪曲自体が消滅の危機を迎えているのが実情です。
 渓流斎とやらも一度、浅草の「木馬亭」に足を運んでみてください。玉川奈々福という上智大学出身で若手の浪曲師がいます。彼女は浪曲界の期待、成長株です。沢村豊子という80歳の「浪曲三味線の名人」とコンビを組む時があるので、その日時を事前に調べて聞きにいくと良いでしょう。
 浪曲、興行の世界は、渓流斎とやらの専門分野である「永田貞雄」先生が牛耳っていました。永田先生は、浪曲、講談、寄席、演歌など、戦前、戦後の興行界の顔役でした。渓流斎とやらが「不愉快だった」と書いていた「東洋文庫」の石田幹之助先生みたいなものですよ。東洋文庫に行っても、案内に三菱岩崎の功績は書かれていても、石田先生の「い」の字も出てこないらしいですけどね。
 芥川龍之介の親友の石田幹之助と興行師永田貞雄を、同じ土俵で論じられるのは、迂生安東亀男くらいでしょうね。(大笑)。
六義園
 それに、今では何でもネット社会とか言っておりますが、服部伸にしろ、伊藤痴遊にしろ、アナログの知識がないと、そんな人の名前すら知らないので、検索すらできないのですよ。
 これは、新聞や本を読まず、ひたすらネットでしか二次情報を得ることしかしない若者や似非老人が陥る過ちですね。
 はっきし言って、講談、浪曲を知らずに日本文化を語ること勿れですよ。

高麗屋三代襲名歌舞伎を鑑賞して来ました

昨日は、東京・歌舞伎座での「白鸚、幸四郎、染五郎」の高麗屋三代襲名披露興行を観劇に行ってきました。

幸四郎が前衛芸術家草間彌生に依頼した幕

通訳の研修会として参加したので、午後1時半から興行会社松竹の先生からの講義もありましたが、僭越ながら、小生にとっては内容が基本的過ぎてあまり参考にならない。観劇も3階B席という「一幕見席」とほぼ変わらない席でしたので、「これなら、同じ金額を出すのなら、直接自分でもっといい席を買った方が良かったなあ」とケチ臭いことを考えてしまいました(笑)。

夜の部の演し物は、(1)一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき)から熊谷陣屋(2)今回の襲名のためだけに書かれた新作の壽三代歌舞伎賑(ことほぐさんだいかぶきのにぎわい)木挽町芝居前(3)仮名手本忠臣蔵から祇園一力茶屋の場の三本立て。

(1)の熊谷陣屋の熊谷次郎直実役が、染五郎改め十代目松本幸四郎。やっぱり、実父白鸚に似てきたというか、叔父の吉右衛門の旨さを選び取ったのか、安心して十代目の重責を担えそうです。熊谷妻相模役は中村魁春丈。女方では今や玉三郎に次ぐ地位を固めたようです。

(2)の壽三代は、文化勲章・文化功労者(350万円)から芸術院会員(250万円)、人間国宝(200万円)まで、梨園オールスター勢揃いです。これだけの今の大幹部を同じ檜舞台に揃えることは不可能に近い奇跡的なことです。作者の今井豊茂氏は台詞書きに相当苦労したことでしょう。

マスコミを賑わす海老蔵丈は、大幹部が出演するヒエラルキーの世界では小僧扱いで、三階席からは花道が見えず、全く存在感すらなし。しかし、出られるだけでもマシで、テレビによく出るような人気者の愛之助や獅童辺りは出してもらえなかったようです。

あと、仁左衛門の長兄我當丈が病を押して出演したらしく、台詞も通らず、座ったままでいて痛々しい感じでした。

歌舞伎座地下は高いので、松屋の地下まで行って買った30品目バランス弁当(900円)

(3)の七段目の大星由良之助役は、幸四郎改め二代目白鴎。金太郎改め八代目染五郎は、大星力弥役でしたが、12歳の中学1年生で、まだ未知数といった感じでした。

高麗屋が三代同時襲名するのは1981年(昭和56年)以来37年ぶりなんだそうですが、私は、白鴎丈が、幸四郎の前の染五郎時代から見ておりますから、年を取るはずです。

先日、古典芸能に最近目覚めた赤坂さんが、「二月大歌舞伎は、奇数日に限る」と大騒ぎしていたので、何のことかと思ってましたら、奇数日に限り、寺岡平右衛門=仁左衛門、遊女お軽=玉三郎だったんですね。七段目はこの平右衛門とお軽の兄妹が主役ですから、偶数日の配役と比べると格違いだということが分かります。

歌舞伎座の1等席は、今や2万円です。私なんかとても行けませんね(笑)。

松竹の講師は、能と歌舞伎を比較して、その栄枯盛衰ぶりを比較して「能は大名が庇護したから、一方の歌舞伎は庶民の娯楽だったから」と解説されておりましたが、間違いですね(笑)。実は江戸時代でも、芝居茶屋に切符を手配してもらったり、飲食したりして、茶屋を行き来して丸一日観覧したりする大掛かりな娯楽だったので、庶民にとっては高嶺の花。やはり、今の価格で、2万円、3万円、いやそれ以上かかったのです。

つまり、歌舞伎は、貧乏人の娯楽では決してなかったのです。元禄時代に女方の芳村あやめや市川団十郎が「千両役者」と呼ばれましたが、今の価値で年収1億8000万円という高給取りだったのですから、贔屓筋の豪商がどれだけの資産があったのか想像できます。

今と大して変わらないのです。

明治以降になって廃業した歌舞伎興行(新富座など)もあったわけで、また、戦後も歌舞伎座では半年、つまり年に6回しか興行を開催できなかった時期もあり(三波春夫ショーとか歌舞伎座でやってましたね)、今の歌舞伎の人気隆盛は、明治から興行に参加した「松竹芸能」の地道の努力と言ってもいいのです。

国立文楽劇場「初春文楽公演」を堪能。「にらみ鯛」と東大寺の狭川普文別当(華厳宗管長)の絵馬も見ものです

「にらみ鯛」と東大寺の狭川普文別当(華厳宗管長)の絵馬(国立文楽劇場)

国立文楽劇場 

 皆様ご存知の「浪華先生」です。

 正月からの《渓流斎日乗》を見ていますと、「宮中参賀」と「東都七福神巡り」のほかには、あまり身体を動かしていませんね。

(うわ~ズバリご正解!)

本ばかり読んでいてはダメですよ(笑)。 

 

「書を捨てよ!街に出よう!」は若者だけの話ではありません。中年、特に、高齢者、老人ほど、身体を動かさないとダメです。寺山修司が生きていたら、同じことを言ったと思います。

 恐らく、渓流斎さんは「瘋癲老人、不良老人になるには、お金がかかりますよ」と反問するでしょが、やはり、芝居見物、活動写真、旅行、スポーツなどなど、気分転換と、アタマを癒すための外出が大切です。

 私も浪華に住んでいるので、本日は、七草かゆが終わったとはいえ、正月気分に浸るために、3日(水)から千日前の国立文楽劇場で始まった「初春文楽公演」を見てきました。
 8代目竹本綱太夫50回忌追善、6代目竹本織大夫(豊竹咲甫太夫改め)襲名披露だけに、その「口上」や、追善、襲名披露狂言の「摂州合邦辻」のかかる「昼の部」は満員盛況で、正月の華やいだ雰囲気が溢れていました。

 上記写真の通り、舞台正面の真上には、日頃、滅多にお目にかからない、張りぼてながら、大きな「にらみ鯛」(全長2・5メートル、重さ15キロ)二匹が飾られ、正月気分を盛り上げ、「初春の芝居小屋とは、こういうものだったのだ」とその雰囲気を少し味わえましたね。
 戦前は、関西の芝居小屋では、新年には「にらみ鯛」を舞台の上に飾る習わしがあったそうで、国立文楽劇場は、1985年から、その一端を復活させたわけです。舞台には、にらみ鯛とともに、新年の干支を祝って「戊戌(つちのえいぬ)」と、東大寺の狭川普文別当(華厳宗管長)が揮毫された大きな絵馬も、このようにかけられていました。見事なものでしょう。
 肝心の舞台は、渓流斎さんが昨秋、NHKホールの「古典芸能鑑賞会」で感激された文楽三味線の第一人者、鶴澤清治の甥で、今回、6代目竹本織大夫襲名したその祝いのために、三味線、人形遣いの人間国宝はじめ、文楽の幹部、若手が熱演して、見応え、聞き応えのある舞台でした。
 来月2月は、東京の「国立劇場」で、同様の追善、襲名公演がありますが、まあ、「にらみ鯛」や奈良の高僧の「絵馬」は掲げられないと思いますので、じっくり、この写真でご覧ください(笑)。

NHK古典芸能鑑賞会〜鶴澤清治から歌舞伎梨園の世界へ

東京・渋谷 NHKホール

昨晩は、台風22号の影響による雨の中、東京・渋谷のNHKホールで開催された「NHK古典芸能鑑賞会」の観劇に行ってきました。能、文楽から歌舞伎に至るまで観ることができて、この御時世で、2階のD席ながらたったの1000円で鑑賞できるのですから、六本木ヒルズ族ではない私のような民族にとっては大変有難い(笑)、毎年楽しみにしている観劇です。(12月16日午後2時〜Eテレ放送)

NHKホールには、人混みを避けて、渋谷ではなく、原宿から行くことにしました。

表参道・ラフォーレ

そう言えば、ここしばらく、表参道に行っていなかったので、NHKホールに行く前にちょっと散策しようと早めに家を出ました。

それが吃驚。原宿駅に着くと、雨が降る中、雲霞の如く、人混みが殺到していたのです。道路が塞がり、歩けたもんじゃありません。何があったんだろう???

あとで分かったのですが、ハローウインとかいう今時の西洋被れの若者が、天下の公道で、しかも、公衆の面前で仮装パーティーをしてもよくなったらしく、千葉や埼玉や茨城や栃木、群馬から集まってきていたのでした。

這々の態で、表参道を抜け出してNHKホールに向かいました。途中、岸記念体育会館が見えました。思い起こせば、今から40年近くも大昔、この会館の3階に日本体育協会(体協)運動記者クラブがあり、毎日のように通ったものでした。

ここから、昼休み抜け出して、表参道から青山方面まで足を伸ばして、当時の最新のファッションに触れたり、当時流行っていたイタリアンではなくフレンチ・レストランでランチを取ったものでした。今は全く様変わりして当時の面影すら残っていません。

表参道

話がズレてしまいました(笑)。

古典芸能鑑賞会でした。

演目は、第1部「月に舞う〜人間国宝至芸競演〜」▼舞囃子「融(とおる)」(源氏物語の光源氏のモデル源融)▼琉球舞踊「諸屯(しゅどぅん)」▼文楽「関寺小町」(小野小町百歳伝説)▼長唄「二人椀九」(大坂の豪商椀屋久右衛門と傾城松山の恋物語)

第2部が歌舞伎「俊寛」(俊寛=芝翫、瀬尾=弥十郎、丹左衛門=東蔵)

一週間程前に京都の京洛先生から指令が来まして、「私は今回行けませんが、三味線の人間国宝の鶴澤清治を聴きたかった」と非常に残念がっていましたので、私も今回初めて、彼に注目してみました。

鶴澤清治は、 文楽「関寺小町」に出演していました。文楽ですから本来なら人形に注目しなければならないのに、彼の三味線ばかり聴いてしまいました。ホレボレしました。テクニックがずば抜けていて、もう他の三味線は聴けないという感じです。私はロック少年でしたから、比較するのも変ですが、ヴェンチャーズも顔負けのテケテケを披露するのです。義太夫は500年以上の歴史がありますから、やはり格が違いますねえ。痺れてしまいました。

芝居がはねて赤羽「まるよし」へ 浦霞580円、ポテトサラダ210円

歌舞伎「俊寛」は、御説明するまでもないでしょう。私も吉右衛門の俊寛など何回か拝見したことがあります。プログラムを見たら、解説が、今や歌舞伎評論界の大御所になられた毎日新聞の小玉祥子編集委員じゃありませんか。御活躍されてますね。お元気ですか?

これでも、小生、20年程前に文化記者もやっていたことがあり、小玉先生とは文藝と演劇記者会で御一緒したことがありました。

小生、若い頃は、スポーツ記者をやったり、芸能記者をやったり、忙しかったですね(笑)。

ここで、一つ講釈をたれてみます。古典芸能鑑賞会では人間国宝にスポットが当てられていたので、それについて。

梨園には現在、片岡仁左衛門、坂東玉三郎ら7人の人間国宝がいます。その中で今回の俊寛で丹左衛門役の中村東蔵もその一人です。この方は、大相撲のようにピラミッド社会である歌舞伎の世界で、頂点の幹部と言われる名門家出身ではないのに、異例の出世をしたとやっかむ関係者もいるようです。

東蔵丈は父親が医者で、芝居好きから当時最大の実力者の一人中村歌右衛門の芸養子となります。しかし、これだけでは「化外の民」ですから、大きな役はもらえず、幹部に昇進することはまず無理です。それが…ということになります。

父親は単なる医者でありません。野口英世らを排出した日本最古の私立医科大学として知られる日本医科大学の学長を務めたことがある河野勝斎でした。後は御想像にお任せしますが、東蔵丈の実姉は、女優藤間紫で、彼女は市川猿翁の妻でもありました。

ここからは下衆い話になります。人間国宝というと、世間の方々は圧倒されますが、日本経済新聞社史観で言えば、文化人として最高峰ではないのです。

つまり、年金で比較すると、人間国宝は200万円、芸術院会員が250万円、文化功労者が350万円となっているわけです。(文化勲章は、文化功労者の中から選ばれ、「最高名誉」ですから、勲章だけで、年金はありません)

梨園で言えば、芸術院会員は中村梅玉、松本幸四郎ら6人、文化功労者は先日なったばかりの中村吉右衛門、尾上菊五郎ら5人です。そして、文化勲章は坂田藤十郎の1人です。

ちなみに、藤十郎の奥方様は皆様御存知の通り、参院議長も務めた「政治家」の扇千景です。

別に、これ以上言いたいことはありませんよ(笑)。