「反動ナショナリスト」の批判にお応えして

こういうことを書くと、必ず「差別主義者」だの「反動ナショナリスト」だのと大反発を喰らって、「炎上」するのが関の山なのかもしれませんが、もう黙ってられません。

最近、公共交通機関、というか電車やバスとはっきり書けばいいんですが、そんな密室やオープンな公道で、とても不愉快な思いをしてます。

外国人の傍若無人な振る舞いに対してです。

列に割り込んだり、車中で大声で携帯で何分も話し込んだり、タブレットで、イアホンをせずに本国語の番組を見てたり、とにかくうるさい。

職場が銀座なのですが、観光客が1年中たむろするようになり、中には公道の縁石で集団で座り込んだりして通行の邪魔になります。また、韓国人の若者4人が横になって歩道を塞ぐように歩いてくるので、日本人の私の方が遠慮して、路肩に身を寄せます。

多分、この1年でこのような不愉快な場面が増えたと思います。先日は、中国語で、我が物顔で右翼の街宣車のような車が銀座の目抜き通りを走ってました。中国語ですよ。一体誰に聞かせようとしてるんでしょう?

日本人は言葉が分からないから同国人に対してでしょう。街宣車で聞かせるほど、銀座は中国人が多いということなんでしょうけど、ここは日本か?しかも、東京を、世界を代表する超一等地なのにと腹が立ってきました。

いくら日本人だって、北京の中心部に街宣車を走らせたりしないでしょう。

銀座「鬼太郎」ランチにぎり 972円

13億人の人口を誇る中国人は、以前は、長い休暇の2月の春節や10月の国慶節になると多く見かけたのに、今では1年中です。365日です。

先日は、中国語をしゃべる若い母親から混んだ通勤電車内で乳母車ごと突進され、こちらにぶつかっているのに平気のへいでした。中国人の友人らしき女と話に夢中になっていましたが、赤ん坊がいるということは、日本に永住していることか?

中国の人は、大抵は声がでか過ぎるので目立ちます。普段は13億人にもみくちゃにされ、生存競争が厳しいせいか、傍若無人というより、はっきり言って図々しい。

日本人同士でもこれだけ憎みあって、理解し合えないのに、まして言葉が通じない連中となるとまさにお手上げです。自分が現役のビジネスマンだったら苦労するだろうなあと思いました。批判されるでしょうが、旧世代として生まれてよかった。今自分が若者で、これから彼らと勝負しなければならないと思うとうんざりします。

何しろ、電車内を眺めると、将来を担うほとんどの日本人の若者は、車内で、スマホのゲームをしています。片や、中国人、ベトナム人、韓国人、フィリピン人、ネパール人、マレーシア人、インドネシア人…は生きるのに必死です。労働時間以外は、寸暇を惜しんで勉強しています。

これじゃ、若い日本人は負けます。これは、確信を持って言えます。それなのに、日本人に全く危機感はありません。

夕刊を見ていたら、五木寛之氏の新刊の広告が掲載されてました。タイトルは「マサカの時代」(新潮新書)。宣伝文句は「常識もルールも通用しない時代を生き抜くヒント!」と書かれてます。

読んでみようかしら?(笑)

加藤廣さん逝く

残念なことに、歴史小説家の加藤廣さんが4月7日に都内の病院でお亡くなりになっていたことが分かりました。今朝(16日)早く、京都にお住まいの京洛先生がメールで知らせてくれました。

享年87ですが、加藤さんが、デビューしたのは2005年の75歳の時。「本能寺の変」を独自の解釈で描いた「信長の棺」(日経出版)が、時の小泉純一郎首相の「愛読書」として注目され、瞬く間に大ベストセラーに。その後、松本幸四郎(現白鸚)主演でテレビドラマ化されました。

このあと、「秀吉の枷」「明智左馬助の恋」を完成させ、「本能寺三部作」と呼ばれました。この他、代表作に、週刊新潮に連載されて単行本化された「謎手本忠臣蔵」などがありますが、厚労省が言うところの、後期高齢者になってからこれだけの量と質を伴った作品を書き続けた作家は、日本文学史上、初めてではないでしょうか。

加藤さんは、少年の頃からの作家志望でしたが、大学卒業後、銀行員(中小企業金融公庫)になります。しかし、「作家になる夢」を諦めきれず、経済関係の本を現役時代から出版しておりました。

その才能に目を付けたのが、新聞社に勤務していた頃の京洛先生でした。エッセイやインタビューや連載企画物の執筆をお願いし、彼が主宰する勉強会「おつな寿司セミナー」にもゲスト講師として参加してもらったりしました。

小生渓流斎も加藤さんと謦咳を接したのも、この渋谷のおつな寿司の席でした。もう四半世紀以上昔のことで、当時はまだ加藤さんは無名で、エリートではありましたが、幼少の時から大変苦労されてきたようで、筋の通った古武士の雰囲気を醸し出してました。

加藤さんとしても、おつな寿司セミナーは、自分のメジャー・デビュー作を発表することになる日経文藝記者の浦田さんと知り合う場でもあったし、京洛先生には作品のテレビドラマ化に当たってコーディネーターになってもらったりしたので、相当思い入れがあった会合だったようで、ほとんど毎回出席されてました。

そういう小生も、加藤さんにはインタビューなどで大変お世話になりました。特に、銀座の超高級おでん屋さん「やす幸」のご主人が加藤さんの御学友とかで、すっかりご馳走になったりしました。

「やす幸」のおでんを食してしまうと、もう他のおでんは絶対口にできないほどの絶品で、今まで食べてきたおでんは一体何だったのか、と思うほどかけ離れた美味しさでした。

もう消滅してしまった《渓流斎日乗》には、かなり加藤さんが登場していたと思います。

加藤さんが中小企業金融公庫の京都支店長時代、当時、ベンチャー企業で、海のものとも山のものともつかぬ変な会社がありました。他の銀行は相手にしなかった変わったその経営者の素質を加藤さんは見抜いて、積極的に融資し、今や誰もが知る世界的な企業に成長した会社があります。

それは、今では飛ぶ鳥を落とす勢いの日本電産です。一風変わった経営者とは、お正月の午前中以外、1年365日働きまくる、あの永守重信氏です。

【追記】

どういうわけか、加藤さんの訃報記事は16日付日経、毎日、産経、東京の朝刊に載ってますが、朝日と読売は、朝夕刊ともに載らないのです。不思議です。

 

久しぶりの満洲懇話会

Copyright par Duc de Matsouoqua

先日十数年ぶりに再会した畏友隈元さんが、学生時代の卒論が満洲問題で、ライフワークもそうだというので、それなら、「松岡二十世とその時代」(日本経済評論社)などの著作がある満洲育ちの松岡氏をご紹介したら、面白いんじゃないかと思って、面談する機会を作ったのですが、この人、学生講義指導でハワイに行ったり、韓国に行ったり、「金持ち暇なし」生活でなかなか捕まらない。メールしてもなかなか返事もくれない(苦笑)。

昨日はやっと実現して、都内にある松岡氏の邸宅にお邪魔して、有意義な時を過ごすことができました。

私も2年ほど前に一度拝見したことがある「満洲の昔と今 四都物語」を写真と地図等で辿ったスライドショー大会がメーンイベントでした。(2年前と比べ数段進歩してました)

 

この会にはもう一人、私は初対面でしたが、隈元さんは以前、取材でお世話になったことがあるという古海氏も参加されました。古海氏は、「満洲国の副総理」と称された古海忠之総務庁次長の御子息で、敗戦時12歳。学年は松岡氏の1級上の満洲育ちでした。エリート一家というか一族で、米寿を近くしても頭脳明晰で、記憶力も抜群で、驚くほど全く気力が衰えておられませんでした。

1945年8月9日、ソ連軍が当時の日ソ中立条約を、ヤルタ会談密約により一方的に破棄して、満洲に進軍して占領し、60万人とも70万人ともいわれる日本人をシベリアに抑留し、鉄道敷設など重労働を科しました。その1割の6~7万人が異国の凍土で死亡しました。残留孤児という悲劇も産み、今でも詳細については歴史的に解明されておりません。

ソ連侵攻の噂を知っていち早く逃げ帰ったのが、関東軍幹部や満鉄など幹部家族ら情報が入りやすい特権階級でした。

古海「副総理」も、事前に日本敗戦濃厚の情報はキャッチしていたことでしょうが、国都新京(現長春)に居残り、当然、シベリアに抑留され、長くてもあの有名な大本営作戦参謀の瀬島龍三らほとんどが昭和31年に帰国することができましたが、古海「副総理」ら40人ほどは、ソ連から解放された後から、今度は中国共産党から拘束され、結局、懲役18年の満期を終えて日本に帰国できたのは昭和38年、1963年だったというのです。既に63歳になっていました。

古海は、軍人ではなく文官です。大蔵省出身で、後の東京裁判でA級戦犯となる「ニキサンスケ」の一人、大蔵官僚の先輩星野直樹の引きがあって、満洲に渡りました。恐らく、満洲国官僚のトップだった彼は、「見せしめ」として軍人より重い罪を与えられたのでしょう。

Copyright par Duc de Matsouoqua

子息の古海さんは、元銀行マンで、経営者の顔を持ちますが、全く偉ぶらない人格者でした。そして、「あの(満映理事長だった)甘粕さんは、歴史上では大杉栄らを惨殺した悪者になってますが、直接、甘粕さんを知っている人で、悪く言う人は一人もいなかったそうですよ。本人は『自分はやってない』と、ごく親しい人だけに極秘に打ち明けていたそうです」と自信を持って話してました。

私も一時期、甘粕正彦と大杉栄については、異様なほど熱中して、かなり関連書籍を読み漁り、この《渓流斎日乗》でも数回に分けて書いたことがありましたが、それらのWeb記事は残念ながら消滅してしまいました。

そのせいか、甘粕が服毒自殺した現場に居合わせた人物として、映画監督の内田吐夢まではかろうじて思い出せましたが、あとはすっかり記憶喪失(苦笑)。後で、調べたら、長谷川4兄弟(長兄海太郎は、林不忘の筆名で「丹下左膳」を発表し、流行作家に)の一人で、作家、翻訳家、ロシア文学者、戦後、ボリショイサーカスのプロモーターになった長谷川濬、作家赤川次郎の実父赤川孝一らがおりました。

もう一人、昨日はどうしても思い出すことができなかった、甘粕と親しかった重要人物に和田日出吉がおりました。昭和11年、中外商業新報(現日経)記者時代に「2.26事件」をスクープしたジャーナリストで、満洲に渡って、満洲新京日報社の社長を務めたりします。

この方、往年の大女優木暮実千代の旦那さんでした。この話は、黒川鐘信著「木暮実千代 知られざるその素顔」(日本放送出版協会、2007年5月初版、もう11年も昔か!)に詳細に描かれ、この本もブログに取り上げましたが、記事は、やはり消滅しています。また、残念ながら、個人的な入退院のどさくさの中で、この本を含め数百冊の個人蔵書は売ってしまったか、紛失したかで、今は手元にありません。

あ、忘れるところでしたが、昨晩は、松岡氏には大人気の銘酒で、今ではとても手に入らない「獺祭(だっさい)」などを遠慮も気兼ねもなく、バカスカとご馳走になってしまいました。さぞかしご迷惑だったことでしょう。お詫びするとともに、御礼申し上げます。

海城高校の同窓会を決行しました

浜松城

昨晩は、少年識別所時代の同窓会を、当時の担任看守長も交えて、江戸時代に仇討ちがあった高田馬場の居酒屋の二階を借り切って行いました。

都立や国立附属高に落ちて性格が捻くれた者や飲酒や喫煙が見つかって補導された悪童ら、当時同じクラスの少年収容者は50人ぐらいおりましたが、出席したのは15人。行方不明者は15人、住所だけが分かっていて、葉書で連絡しても返事がない不届者が15人といった感じです。

当時の目良看守長は、我々と13歳しか違わなくて、まだ帝大大学院を出て数年しか経っていない31歳だったとか。あれから40年以上も経つのにまだ若々しく、若い奥さんをもらったとかいう専らのフェイクニュースの噂で、すっかり逆転して、事情を知らない人からすれば、我々の方が年寄りに見えてしまいました。

昨年も同じような同窓会をやってるので、そんなに久し振りでもない輩が多かったのですが、土屋君と岸君と加藤名人は出所以来半世紀近い年月ぶりの再会でした。

加藤名人は、将棋が強くて、当時から老成していたので、そう呼ばれてました。

皆んな老境に入り、自分の病気や親御さんの介護など大変な思いをしている人もおりましたが、すっかり少年院時代に帰って、名前呼び捨ては当然のことながら、今にも枕投げでもしそうな勢いでした。

当時の渾名がタコだった小島君は、急に、何の脈絡もなく「大隈重信って知ってるか?」と真顔で皆んなに質問を投げ掛けてくるので、気が触れたのではないかと一堂心配しました。タコは弘前からの参加です。

大隈重信と聞いた学識者の目良先生が我々の出た海城高校との関係を淀みなく説明して下さいました。

海城は、明治24年に海軍予備校という名前で、海軍兵学校の受験校みたいな形で古賀喜三郎が創立しました。

古賀は大隈と同じ肥前佐賀出身。古賀が何故、海軍予備校を創立したかというと、「明治14年の政変」で大隈ら肥前や土佐の連中が政界から失脚し、当初の「薩長土肥」から土肥が脱落して、薩長二強の独占になったからでした。

これをきっかけに、海軍少佐だった肥前の古賀は、人材育成のため教育界に残りの半生を捧げる決心をしたわけです。

知らなかったですね。凄い話でした。

医療機関を経営し、高級外車を3台保有する林君は北海道の旭川からベントレーに乗って駆けつけました。あ、そういう噂だけでした。

老境とはいえ、まだ独身者が何人かおり、これから青春を楽しみたいという輩もおりました。

幹事長役の惣田君からは「おめえの挨拶は長いんだよ。誰も聞いてねえんだから早く終われ」と、叩かれだけでなく、「来年、お前が幹事長やれ」と指名されてしまいました。

何はともあれ、利害関係もなく、少年時代に2年間同じクラスだったというだけで、これだけ楽しめるのは、奇跡に近いという思いで、すっかりボトルを空けて、翌日は酷い二日酔いでした。

フェイスブックの功罪

岡崎城

私自身、覚悟を決めて、昨年からフェイスブックをやってるので、偉そうなことは言えませんけど、今回、5000万人もの個人情報が漏出して、2016年の米大統領選で、トランプ陣営がそのデータを利用したという事件が発覚し、創業者のザッカーバーグCEOが謝罪に追い込まれ、米議会でも証言を求められたようです。

米議会の証言というのは、日本の国会の証人喚問みたいなもんでしょうかね。それなら、ザッカーバーグ氏も「刑事訴追の恐れがありますので…」と、核心部分は語らないかもしれませんね(笑)。

何しろ、フェイスブックは、世界的には「素晴らしい無料のソーシャル・メディア」なんて言われてますが、実情は、つまり本業は、広告代理店業者なんですからね。

世の中、タダほど怖いものはない。タダで利用できて便利だと思っていたら、自分の個人情報がダダ漏れで、広告主に直結していたなんて、誰一人、想像すらできませんからね。

名古屋城

3月23日付日経は、「フェイスブック問題でリスクあらわ いつ・どこで・何買った…知らぬ間に広告主へ」といったタイトルで、「惨状」を報告しています。

ここに出てくる49歳の男性は、チェコに出張して、プラハを訪れ、そこの地場ビールの写真をフェイスブックに載せただけで、ビールや欧州旅行の広告が無造作に入ってくるようになったというのです。

写真をアップしただけで、ですよ!

要するに、フェイスブックの実態は、「名簿屋」商売といいますか、それ以上に、住所、氏名、年齢、職業から学歴、経歴、それに、趣味趣向まで登録されていますから、手っ取り早く広告主に個人情報を売るパブ(広告)屋だというのが正解なのです。

しかも、いったん登録してしまうと、やくざの世界のように、なかなか、抜けられない。まずは、どうやって退会したらいいかさっぱり分からない。頑張って、色々検索して、調べて、やっと、退会しようとすると、「写真やデータが永久に消滅します。それでも退会しますか?」「退会すると困る友人がおります。それでも退会しますか?」といったような文句が5回も6回も10回も出てきて、途中で退会を諦めさせるような趣向と工作に満ち溢れているのです。

「タダで利用してるんだから、それぐらいいいじゃないか」と言う人もいます。それに、何と言っても、サービスを利用することで、利用者は「情報を収集し、使用することに同意」したものとみなされることが明記されているというのです。

え?そうなの?と多くの人は初めて知って驚くことでしょうね。要するに、「おまえの個人情報は、全て吸い取って、広告主に売って金に換えるからな、分かってるな」と言ってるようなもんですからね。

このような毒牙から逃れるには、即座に退会して、アプリを削除するしか他に方法はありません。

しかし、便利さの前に、現代人はなかなか足を洗うことはできません。

銀行口座や暗証番号やパスワードなどが盗み取られてから初めて、その「不都合な真実」に気づかされるのです。

これだけ警告されているのに、オレオレ詐欺がなくならないのと一緒です。

私の場合は、フェイスブックは、単にアクセスを増やそうという魂胆でやっているだけなので、被害や損害に遭えば脱会するつもりです。

いや、こんな批判を書けば、本家本元が「除名」してくれるかもしれませんけどね(笑)。

しーちゃんの割烹着店でランチ、そして落合陽一さんのこと

今日のお昼は、例の東京・銀座の割烹着居酒屋のランチに行ってきました。あの「しーちゃん」のお店です。(と書いても以前の記事を読んでいない方は分からないと思いますが。。。。このブログ内で「しーちゃん」と検索すると出てきます=笑)

接遇係の女性の割烹着姿は、夜だけかと思ったら、お昼もそうだったんですね。

とっても狭いお店でした。

詰めれば12人ほどが座れるカウンターと4人掛けの椅子とテーブル1組といった感じで、接遇係の割烹着の女性が2人。それでも、「主任」さんクラスの女性は、どういうわけか本日は(も?)てんぱっていて、その緊張感がこちらにも伝わってきました。

サバ塩定食910円を注文しましたが、残念ながら、魚はそれほど新鮮という感じじゃなかったですね。

それより、目の前に張ってあった夜の居酒屋のお酒ー1合か2合か知りませんが、1200円とか、2000円とか、3000円とかあって、ちょっと驚き。私のような大貧民では夜は無理だなあということが分かりました(笑)。

で、話は変わりますが、今、若者のカリスマ的存在と言われている学者落合陽一さん。30歳という若さながら、筑波大の学長補佐を務められております。

デジタルメディアがご専門のようで、最近、陸続と本を出版され、結構、ベストセラーの上位になってます。

この方、あの国際ジャーナリストで作家で、知る人ぞ知る落合信彦さんのご子息だったんですね。これには本当に、椅子から落ちるほど魂消てしまいました。

色んな噂がある方のようで、私にとっては専門外で、それほど興味が沸かない分野なので、まだ彼の本を読もうとは思いませんが、将来の日本をたって、しょうような大物なのかもしれません。

落合信彦さんに関しても色んな毀誉褒貶がありましたから、そのご子息となると当然注目され、今はメディアで引っ張りだこです。

もし、彼の本を読んだり、彼について詳しい方がいらっしゃいましたら、コメントしていただくと嬉しいですねえ。

しーちゃんは流石でした

昨晩は、京都方面からホット指令が飛びまして、東京・銀座の「一枚の絵 画廊」で開催中の加藤力之輔個展を鑑賞して参りました。

何と言っても、銀座の画廊ですからね。

加藤画伯は、京洛先生の御友人で、スペインに長らくアトリエを構えて生活しておりましたが、数年前か、10年前か、京都に拠点を移されて芸術活動を続けておられます。

加藤画伯の作品

何しろ、あのフランコ時代にスペインにいらしていたそうですから、まるで歴史的人物のようでした。

この後、一緒に鑑賞に来ていたおつな寿司セミナー仲間5人で、近くの銀座バー「伽藍」に向かいました。

吾人は最近は、検非違使のように規則正しく、謹厳実直、質実剛健。髭もそらず、くしゃみもせず、酒も呑まず、博打もせず、不純行為も致さぬ誠に姿勢を糺した清く正しい生活を送っておりました。

夜の街を彷徨するなんて、もってのほかでしたので、久しぶりのネオンの灯りには頭がクラクラするほどでした。

「伽藍」特注ビール

地下2階にある「伽藍」に入ると、最近、同人誌に濃厚な「官能小説」を発表されたという噂の、あの美人ママさんが優しく迎え入れてくれましたが、ガルーダ博士の指令でお客さんとして、しーちゃんという若い美人の女性もカウンターで待ってました。ご関係はよく分かりませんが、京都でママさんと一緒に、彼女も京洛先生とお会いしたそうです(笑)。

見るからに、利発そうと言いますか、活発そうな女性ですが、個人情報保護法の関係で、世界中に読者の皆様がおられるこの《渓流斎日乗》に彼女の写真も掲載できなければ、詳しくプロフィールを書けないことが残念です。が、彼女は色んなお仕事を掛け持ちされていて、銀座にある今はやりの「割烹着居酒屋」に夜はバイトをやっているということは書けるでしょう。

割烹着?昔は、スチュワーデス(今は、舌をかみますが、フライトアテンダントとか言うんすかねえ?)の格好をした女性が注文を聞いてくれるパブとかあったようですが(あたしは知りませんけど)、今は、割烹着ですか…。

あっ、例のあの「スタップ細胞はあります!」のオボカタさんから来てるんですかねえ?

「家庭料理をお客様の目の前で作ってお出ししたりもするんですよ。知らないんですか? 割烹着は、はやってますよ。今晩も予約で満杯なんです。広尾にもう一軒あるんですよ。お客さんは、『お袋の味』を求めているんじゃないですかねえ」と、しーちゃん。

この後、会津の元祖「喜多方ラーメン」を食べに行きましたけれど、俄然興味を持ったチョイ悪、実は素敵なおじさまたちは、途中で、しーちゃんのお店を覗いてみることにしました。

そしたら、しーちゃんは、本当に割烹着を着て、忙しそうに立ち働いているのが外からもよく見えました。そしたら、我々に気付いた彼女はわざわざ外に出てきて、「あらまあ、お客様、きょうは、予約で満杯なもので、すみません…」と、分かっているのに、白々しく言うじゃありませんか。さっき、伽藍で会っていたばかりなのにねえ(笑)。

さすがだなあ、と思いました。何が流石なのか、分かりませんが、いたく感心してしまいましたよ(笑)。

コメント投稿は、そんなにむつかしいすんか?

古い友人のMさんから連絡がありまして、「《渓流斎日乗》にコメントしようとしたら、英語の画面が出てきて分かりにくい。どうしたらいいんだ?」とご立腹でした。

あたし、本人は、もう既に、この「ワードプレス」に登録しておりますので、改めて登録する必要がないので、コメントなんかは簡単にできます。ですから、何でうまくいかないのかよく分からないのです(笑)。

そんなにコメント投稿って、むつかしいんすか?

もっとも、あたし自身が登録したわけではなく、すべてIT青年実業家にやってもらったので、実はよく分かっていないのですが(笑)。

せっかく、読者の皆さんと双方向で交流したいのに、コメント投稿が難しいのなら、ヤバイっすねえ。

そう言えば、この《渓流斎日乗》の読者の方と思われるAさんから、どういうわけか、私のメール宛てに「ご用件」との投稿がありました。

あれっ?何でコメントが、直接、あたしのメールに来るんでしょうか?そのカラクリが、まだいまいち分かりません(苦笑)。

ということで、改めて、Aさんからの「ご用件」をアップさせて頂くことにしました。

【ご用件の主旨】
歴史探偵の気分になれるウェブ小説「北円堂の秘密」を知ってますか。北円堂は古都奈良・興福寺の八角円堂です。グーグルやスマホで「北円堂の秘密」とネット検索すればヒットし、小一時間で読めます。その1からラストまで無料です。順に読めば歴史の扉が開き感動に包まれます。重複、既読ならご免なさい。お仕事のリフレッシュや脳トレに最適です。物語が観光地に絡むと興味が倍増します。
夢殿と同じ八角形の北円堂を知らない人が多いですね。
岡潔が後半生を暮らした奈良が舞台の小説です。気が向いたらお読み下さいませ。
(日本史の好きな方には面白いと思います。)

ついにパソコンよ、さらば?

JR浦和駅

不動産情報サイトが実施した「住みたい街ランキング 2018関東版」で、あの吉祥寺が首位から陥落して、横浜がトップになったそうで、おめでとう御座います。

しかし、私が注目したのは、埼玉県の大宮(9位)と浦和(10位)がトップ10にランクインしたことです。

へーと思ってしまいました。

でも、昨年辺りから、東海道線などと乗り換えなしで運行されるようになり、大宮、浦和から直接、横浜や熱海、小田原、伊豆まで、直行できるようになったので、便利と言えば便利です。

以前は、埼玉と言えば「ダサいたま」と言われ、住むのが恥ずかしいイメージがありましたが、そんな偏見も無くなったようです。

これから読もうかと思っている谷川彰英著「埼玉 地名の由来を歩く」(ベスト新書)によると、古代、埼玉は、武蔵国の中心どころか、東日本の中心だったようです。そして、何と言っても、埼玉(さきたま)の由来は、幸御魂(さきみたま)から来ているらしいですね。「人に幸せを与える心」という意味らしい。武蔵国には、古代には、出雲の人たちが渡ってきて、氷川神社などを建てたり、高句麗や新羅からの渡来人が移住したり、古代からなかなかのロマンと歴史があったようです。

この本を読むのも楽しみです。

 

さて、長年使っていたパソコンを処分することに決めました。メーカーが無料で引き取ってくれるという記事を新聞で読んだからです。

私の個人パソコンは、ウインドウズ7で、どうやら昨秋あたりから、マイクロソフトさんの戦略でサポートをやめたらしく、潮時となりました。

保証書と一緒に保管していた領収書を見たら、購入は2011年3月6日でした。東日本大震災の直前だったんですね。ちょうど、7年経ちますが、途中、入院したりして1年間殆ど全く使わない時もありました。

まだ、使えそうですが、バッテリーが劣化して、途中で電源が落ちたりして困ったことがありました。それに、動作が遅くてイライラしたりします。

もうパソコンも文房具みたいなもんですね。これが何台目だったのか、もうすっかり忘れてしまいました。

それに、今は、iPhoneとiPadがあるので、自宅でパソコンを使わなくても済んでしまいます。何しろ、iPhoneの最新機種のiPhoneⅩなんか、10万円以上するのに、パソコンは7万円ぐらいでも新品が買えるんですからね。パソコンもどうせ、5、6年持てばいいでしょうから、そして、ソフトもハードもそのように作られているのですから、それで十分です。

ただ、今のところ、この《渓流斎日乗》を執筆するにしろ、自宅ではパソコンを使わなくても用が済んでしまいますので、また新たに買い換えるかどうか迷ってしまってます。

ハムレットの心境です。

ペイフォワードの精神

あらあら、「ウマズイいめんくい村」の赤羽彦作村長さんから「盗作の疑いあり」と抗議のコメントが入ってきましたね(笑)。

いやいや、あたしは「うまいめんこい村」の白羽村長ですから、全く似ても似つきません(笑)。どーか、どーか、ひとつ、ながーい目で見てやってください。

さいたま市岩槻区諏訪神社

さて、通訳案内士の国家試験を受験をした人で、恐らく「300選」を知らない人はいないかもしれません。

通訳案内士受験のための専門予備校「ハロー通訳アカデミー」(観光庁が事実上、無資格者でも業務ができるよう法律を改悪したため、資格が紙切れとなり、そのトバッチリを受けて廃校してしまったようです)が発行している「日本的事象英文説明300選」というのが正式タイトルで、文字通り、300件の日本の文化や宗教、政治・経済などを外国人に説明するために簡単に英語で列記されたものです。

例えば、●おでん=Oden is a dish in which a variety of ingredients such as tofu, eggs, white radish, fried fish paste, and potatoes are boiled together in a large pot of seasoned fish broth. Hot mustard is served as a condiment.
(おでんは、豆腐、卵、大根、さつま揚げ、じゃがいもなどの様々な材料を、味をつけた魚のだしが入った大鍋で一緒に煮込んだ料理である。からしが薬味として出される。)

といった感じです。

私もかつて、アカデミーの通信教育を受け、「300選」にはお世話になりました。でも、3年前に引越し、入院という人生最大の落ち込みを体験した際に紛失してしまったので、今回改めて購入を申し込んだのです。

そしたら、驚き、桃の木!この本以外に「粗品」が、斯界では有名なあの植山学院長が送ってくださったのです。

これは、恐悦至極どころか、恐縮、恐縮です。

本来ですと、植山学院長に直接恩返ししなければならないのですが、ふと「ペイフォワード」という言葉が思い浮かびました。2000年に「ペイ・フォワード」(ケヴィン・スペイシー主演)というタイトルの映画が公開された時に、私も初めてこの言葉の意味を知りましたが、あえて翻訳すれば「恩送り」ということになります。

日本語では「小さな親切運動」に近いかもしれませんが、そこまで大袈裟ではなく、もっと他に、何か、日本人らしい言葉があるんじゃないかなあ、と朝から考えていたら、先ほど、「おすそ分け」という素晴らしい言葉が見つかりました。

日本人は昔から、奥さん方のレベルでお隣同士で醤油や砂糖の貸し借りをしたり、お歳暮をもらったら、「おすそ分け」したりしたではありませんか。

そっかあ。

最近は近所付き合いもなくなり、西日本のどっかの市長のように、私腹を肥やすようなつまらない輩が増えている感じです。しかし、人様から恩義を受けて、自分のところで止めてしまっては、私腹を肥やすことになります。それではいけない。いくらお金を貯めても死んで墓場に持っていけないでしょう?

景気循環にもよくありません。確かに誰にも老後の不安はありますが、ほどほどの生活ができればいいでしょう。

私もこの御恩のおすそ分けとして、今、年老いたお袋さんの介護で大変な古い友人に何か美味しいものでも送ってあげようかなと思いました。

ペイフォワードの精神です。