ついに特殊詐欺師からの電話

 ついに、というか、とうとう、東京の片田舎に住む老母のところに、特殊詐欺師から電話が掛かってきました。

 母はもう齢、卒寿を超えていますから、誰を名乗った男か「覚えていない」ということでしたが、内容については、「医療保険の還付金が3万5000円も出たのにまだ取りに来ていません。キャッシュカードは持っていますか」といった丁寧な口調だったそうです。

 幸い金銭的なことは子どもたちに任せていて、本当にキャッシュカードが手元になかったので、「今はない」と答えたところ、「そんなことはないはず。それでは明日朝9時にもう一回電話します」と言って、電話が切れたそうです。

 そこで、子どもたちが、翌朝は、絶対電話に出ないように母親に伝え、それを聞いた母親は、電話が掛かってきても、約束を守って出なかったため、事なきを得ました。しかし、「リスト」に入っていたわけですから、また、手を変え品を変え、犯人たちは電話を掛けてくることでしょう。

 嫌な世の中ですね。でも、どうして詐欺師から母親に電話が掛かってきたのでしょうか?

Eapagne

 昨晩は、高校の後輩のM君と久しぶりに湯島の純酒肴「吟」で飲んだので、彼にこの話をして、「何で母親の電話番号が分かったのだろうか」と聞いてみたところ、彼は、名簿が闇取引されて個人情報が漏れているのではないかと推測していました。

 中でも、かつての携帯電話ブームで、街中あちこちで「携帯ショップ」が乱立しましたが、次第に淘汰されて次々と潰れてしまいました。倒産する際、社員に給料を払わなければならない社長が、名簿を闇で転売する事案が多くあったというのです。そこには、生年月日、性別、住所氏名、電話番号など個人情報が網羅されてますから、詐欺師にとってはバイブルになるのでしょう。 

 ほかにも、商店街の買い物、カード、懸賞応募など、どこでどういった形で情報が漏れるのか分かったもんじゃありません。

 今の時代、覇権大国同士の「戦争」は、爆撃機やミサイルなどが飛ぶ「実弾戦」ではなく、サイバー攻撃や諜報活動などの「情報戦」になったような気がします。

 詐欺師の世界も「情報を制する者は世界を制する」といった、手段を選ばない阿漕な手口を使っているということでしょう。

 許せない。いつまでたっても特殊詐欺がなくならないのは、ウマミがあり過ぎるわりには、罪が軽すぎるからじゃないでしょうか。刑法では、懲役10年以下で、初犯の場合、執行猶予が付くということですからねえ。

 本当に許せない。

騎西城と古河城に行くのが楽しみ

 4月27日(土)からの10連休はどう過ごそうか、楽しみながら予定を練っております。人混みが嫌いなので、あまり出掛けたくないのですが、色んな事情がありますから、そうもいきませんね(笑)。

 まず、大型連休を「ゴールデンウイーク(GW )」と命名した映画業界に敬意を表して映画は1本ぐらいは観るつもりです。有力候補は、先週金曜日の日経夕刊の映画評で、五つ星に輝いていたイタリア映画「幸福なラザロ」です。

 次は、自分の部屋の片付け。生前整理のつもりで、断捨離をやってみようかと思ってます。

 あとは、「城歩き」を予定しています。「城歩き同好会」の皆さんと一緒に5月4日、赤羽村長に関係が深い埼玉県加須市にある騎西城跡に行くことは決定しています。騎西城は、康正元年(1455年)、古河公方の足利成氏(しげうじ)が、関東管領の上杉勢を攻略した地として最初に文献に登場し、江戸初期の寛永9年(1632年)に廃城され、姿を消します。

関宿城

 4月7日に千葉県野田市にある関宿(せきやど)城跡を訪れ、このブログにも書きましたが、関宿城を開城したのは梁田氏で、古河公方からの命令でしたね。

 そこで、どうしても、古河公方~古河城は外せないということで、10連休の中のどこかで、一人で古河に行ってみようかと思っています。

 古河市は茨城県です。40年近く前、運動部記者だった頃に、取材で古河サッカー場を訪れたことがあります。当時は古河第一高校が、全国制覇するなど強豪校として名を馳せていたのです。でも、当時は今のようにお城にそれほど興味がなかったので、古河城跡は訪れませんでした。

 この古河市の歴史を調べてみると驚くほど面白いですね。まず、古河公方とは何かと言いますと、京都に室町幕府を開いた足利尊氏が、関東勢力の「目付け」として「鎌倉府」を置きます。そのトップの鎌倉公方に任命 (1349年) されたのが尊氏の四男基氏(もとうじ)でした。しかし、足利基氏はまだこの時、9歳でしたので、政務の補佐役として関東管領が実務を行いました。当初は、斯波氏、上杉氏、畠山氏、宇都宮氏が関東管領でしたが、次第に上杉氏の勢力が強大となり、他氏を排除して独占します。

 やがて、鎌倉公方の足利氏と関東管領の上杉氏は対立し、1439年に永享の乱が起こり、関東管領の上杉憲実(のりざね)が第4代鎌倉公方の足利持氏(あしかが・もちうじ)を自害に追い込み、鎌倉府を滅ぼします。(この上杉憲実は、「日本最古の総合大学」と言われる足利学校を再興した人物として歴史に名を残しています)

 その後、30年に及ぶ享徳の乱の末、持氏の遺児足利成氏(しげうじ=第5代鎌倉公方)が、鎌倉府を逃れて、古河御所に本拠を置いたため、初代の古河公方と呼ばれるようになったわけです。


渡辺崋山筆 「鷹見泉石像」(国宝) 所蔵する東京国立博物館のHPから

  話は飛んで江戸時代。渡辺崋山描く「鷹見泉石像」は、国宝ですし、美術の教科書にも掲載されているので、御存知のことでしょう。でも、この鷹見泉石なる人物が何者なのか、案外知られていない。

 控えい。この方は、蘭学者ですが、古河藩の家老を務めた人でした。また、藩主土井利位(どい・としつら)が大坂城代を務めていた時に、大塩平八郎の乱が起き、鷹見自身も乱の鎮圧に当たったというのです。(土井家は代々、幕府の要である老中も務める名門大名)えーー、知らなかったですね。どうも、日本史の教科書では、乱を起こした人は取り上げますが、鎮圧した人は教えてくれません。例えば、島原の乱天草四郎時貞は誰でも知っていても、鎮圧した松平伊豆守信綱(老中、川越藩主、埼玉県新座市の平林寺に墓所あり)となると、知らないでしょうねえ。

 古河城は、日光街道の要所にあり、将軍が日光東照宮に参社する際、滞在する重要な拠点でもありました。江戸城を出たお殿様は、岩槻城、古河城、宇都宮城の順で宿泊しました。

ショーケンの死、NHK岩田解説委員、コンビニ営業時間、モノに執着しない生活

 今日は、種々雑多の心に浮かぶよしなしごとをー。

 ■ショーケンこと萩原健一さんが3月26日に亡くなっていたそうで、ご冥福をお祈り申し上げます。難病に掛かり、2011年から闘病されていたそうですが、まだ、68歳という若さですから御本人も無念だったことでしょう。

 テンプターズのヴォーカルとして「神さまお願い」や「エメラルドの伝説」などのヒットを飛ばした頃(古い!)、私の世代のアイドル的存在でしたから、ある時代が終わった感じがします。破天荒な人に見えましたが、私生活でも、女性遍歴やら薬物使用やら、破天荒だったようです。

 先日観た映画「翔んで埼玉」のことを書きましたが、ショーケンも埼玉県出身。旧与野市の鮮魚店の子息だと聞いたことがありましたが、今のようなネット時代は色んなことが書かれていますね。大スターというのは、色んなものを背負っていて、生まれ持った重い影が「暗ければ暗いほど、輝く」というのが鉄則だというのは、芸能担当記者だった頃に業界関係者から聴いた話でした。ショーケンは17歳でデビューして大スターになりましたが、その理由が分かった気がしました。

alhumbra, Espagne

 ■一昨日、このブログで「新元号」のことを書きましたので、少し責任感を感じて(笑)、「NHK熟年の美人記者が元号スクープという舞台裏」という見出しで、新元号のことを取り上げていた「週刊新潮」を買ってしまいました。私は、「新元号をスクープするメディアはどこになるか気になる」と書きましたが、「週刊新潮」は「首相官邸周辺は、NHK解説委員の岩田明子氏にスクープさせる動きがある」といった趣旨のことを書いてました。

 えっ?あの、世間では「安倍首相のお気に入り」と評判の岩田女史ですか。どうやら、安倍首相の自宅に近い所にあるマンションを購入して、安倍首相の母親の洋子さんとも親密になっている、とも書かれていました。

 なるほど。岩田さんが、4月1日の臨時閣議後の正式発表前に、恐らく5分ぐらい前に「新元号は○○です」とテレビカメラに向かってスクープするのでしょうか?

 岩田さんは、最高学府を出られたという噂は聞いてましたが、気になって調べたら、高校は名門県立千葉だったそうですね。いやあ、この高校、どうでもいいですけど、個人的に、心の傷が疼くほど、思い入れがある高校です。そうでしたかあ…。

Alhumbra, Espagne

■最近、と言っても、半年ぐらい前ですが、私が利用する最寄り駅の駅前の一等地にあったパチンコ屋さんが、コンビニになっていました。駅至近距離には既に4軒もコンビニがあるのですが、やはり、コンビニは、パチンコ店を席捲するほど勢いがまだまだあるんですね。

 最近、コンビニの「深夜営業」を巡って喧しいですが、私自身は、ほとんどコンビニを利用しないので、真夜中、未明までオープンすることはないと思ってます。少数意見かもしれませんが。

Espagne

■3年ほど前、病気になり車の運転ができなくなり、そのまま自家用車を売却してしまいました。

 生活的に不便にはなりましたが、でも、そのお蔭で、自動車保険や駐車場代などが一切掛からなくなり、家計的には大いに助かるようになりました。いざという時は、タクシーに乗ればいいと思いましたが、結構、健康のために歩くようにしたら、徐々に健康を取り戻すことができました。

 さて、何でこんなことを書いたかと言いますと、会社の同僚が、自宅に保管している蔵書が増えすぎたため、自宅近くにロッカールームを借りたという話を聞いたからです。畳二畳ほどの広さで、月額8000円。「わー高(たか)!、田舎の駐車場代並みだなあ」と思ってしまったのです。

 蔵書については、またまた個人的ながら、病気で読めなくなってしまった際、かなりの数、1000冊ぐらいの本を処分してしまったので、今や私の書斎にはほとんど残っておりません。

 やっぱ、モノに固執しなければ、お金も掛からないってところですかねえ?

3月のふぐ料理 東久留米に温泉が出た

 春分の日の前日の20日に、シーズン最後のふぐ料理を食してきました。

 ふぐの「旬」は、「秋の彼岸から春の彼岸まで」と言われてますから、2018年度の旬は、9月23日から3月21日までだったというわけです。

 ふぐ料理は、庶民にとっては高嶺の花ですが、観念よりも「食いしん坊」が優ってしまい、中学時代(世間では無名の東久留米市立東中学校)の同級生の誘いに乗って、参加してきました。何よりもブログのネタになると思ったからでした(笑)。

 それでも、目の玉が飛び出るほど高いせいか、参加者はわずか3人でした。場所は、黒田さんが勤めていた石油会社の福利厚生施設で、何と都心の六本木にあります。

 六本木に足を踏み入れるのは10年ぶりに近いくらい久しぶりで、街の様子がすっかり変わってしまっていたのには驚きました。昔通ったディスコはなくなってました。大使館が近いせいか、昔から外国人が多い街で、以前は欧米人が多かったのですが、最近は、インド、パキスタン系、アフリカ系、イスラム系が格段に増えてました。警察官がアフリカ系の若者に職務質問しているのを見掛けました。

 騒音と雑踏は駅から徒歩圏で10分ぐらいですが、それを過ぎて、神谷町方面に向かって大通りを左折すると、閑静な高級マンション街となり、その一角に福利施設がありました。

 集合時間より30分も早く着いてしまい、何となく、「勘」で場違いな所に来てしまったような気がしましたが、それは少し当たってしまいました。

 何よりも、飲み物の持ち込みは自由だという話を聞いていたのですが、缶ビールをテーブルに置いた途端、それを見た接待してくれた和服を着た係りの女性が「瓶ビールはいいですが、缶ビールは駄目ですよ」とイチャモンを付けてくるんですからね。

 ふぐ刺しも、何か量が少ない気がしました(笑)。

 思えば、本格的なふぐ料理を食したのは、1985年3月、本場の下関でした。当時、プロ野球大洋ホエールズの担当記者をやっていて、オープン戦取材で下関球場に行った際、球団から「夜の接待」を受けて、フルコースをご馳走になったのです。癒着記者ですね(笑)。牧歌的時代でした。刺身から唐揚げから鍋しゃぶから、あらゆる料理で、それこそ、高級料亭で、目の玉が飛び出るほど高かったことでしょう。まあ、あの時を超えるふぐ料理はもう味わえないということでした。

 参加者は中学時代の同級生ですから、当然、半世紀も昔の話になりました。黒田さんは記憶力が良くて、授業中に高畠先生が話してくれた「輪廻転生」の話をまだ覚えていて、「あのお蔭で死が怖くなくなった」などと述懐していました。私の中学時代は、非行に走った不良でしたから、先生の話なんか聞かず、ほとんど覚えていません(苦笑)。

 大学卒業後、ノンキャリアで警察庁の警視にまでなり、今は某会社に天下り(?)している岡本君は、城先生によく殴られた話をしていました。(ちなみに、警視以上に出世できる警察官は全体約23万人の3%しかいません)我々の先生の世代は大正生まれで、鉄拳制裁を食らった軍隊経験の方が多く、暴力は日常茶飯事でしたね。

 中学校の隣にあった私が卒業した東久留米市立第四小学校は、児童数が減少して2012年3月に廃校になってしまいました。近くの公団や公務員住宅団地も建て替えやらで、廃墟となり、ゴーストタウンになりかかっていましたが、黒田さんの話では、何と、その近くで天然温泉が発見され、3月9日に「関東最大級」と銘打つスパがオープンして、凄い活況を呈しているというのです。彼女はもう7回も行った、と自慢していました。

 個人的ながら、東久留米市上の原周辺は、小学校1年生(当時は東京都北多摩郡久留米町)から中学、高校、大学、社会人まで21年間も住んだ私の故郷みたいな街です。子ども時代に駆け回っていた所に温泉が出たとは、驚くやら、嬉しいやら。皆さんも「話のタネ」に東京郊外に足を延ばしてみたら如何でしょうか。(上の「スパ」をクリックすると場所が出てきます)

 

「スマホなしの日」、または「断スマ」

 2017年9月に独立して、新しくこの《渓流斎日乗》ブログの専門サイトをIT専門家の松長氏の尽力によって立ち上げた時は、まだ元気いっぱいで、朝の通勤電車の中で、スマホを使ってブログ更新をしておりましたが、今ではそれが夢のようです。

 日々、仕事でパソコンを使っているため、最近は、酷い眼精疲労で、寝ても醒めても眼痛がひどくて、活字がぼやけて、更新するのも大変です。肉体的に限界になり、「スマホ休養日」を取ることにしました。先日の投稿記事「スマホを使うとバカになる」で書きましたが、川島隆太東北大学加齢医学研究所長の「LINEを止めると偏差値が10上がった スマホと学力『小中七万人調査』大公開」という論文にもモロ影響されました(笑)。

 川島氏によると、言葉も、ネット検索して調べていては、脳の器官が使われていないということでしたね。ということは、記憶として定着しないということです。私はこの10年近く、英単語も仏単語も電子辞書を使っていたのですが、これからは、なるべく紙の辞書を使うように戻しました(笑)。

 我ながら、人間が実に単純に出来ております(笑)。ということで、このブログも「毎日更新」から、眼が疲れている時は「お休み」に方針転換致します。ご理解の程、賜ります。

Alhambra, Espagne

 さて、英単語の話が出たことで、語学のお話をー。小生、老境の域に入りながら、いまだにこの年で、語学の勉強しています。哀しいかな、今や、覚えてもすぐ忘れてしまいます。もし、このブログをお読みの若い方がいらっしゃれば、語学は若いうちですよ、と御助言申し上げます。遅くても40代まででしょうね。50代になると急激に低下し、それ以降は言わずもがなです。

 先日、ラジオの「ビジネス英語」を聴いていたら、こんなフレーズが出てきました。

 Diplomacy is definitely the order of the day in a situation like that.

 単語はいずれも中学生レベルで、難しくありません。

 「外交は、そのような状況では、その日の決まった秩序になる。」という意味かと思ったら、な、な、何と「確かに、そういう状況でしたら相手にずばずば言い過ぎないことが重要です。」と訳されていました。

 Diplomacyは、外交のほかに、「婉曲にものを言う」という意味があるそうで、全く知りませんでしたね。the order of the day はイディオムで、「時代の風潮」とか「ふさわしい」「重要だ」という意味があるらしいのですが、かなりレベルが高いフレーズだと思います。

 このように、何歳になっても語学を習得するなんて夢のまた夢ですよ。

 若い頃からの「乗りかかった船」で、フランス語の勉強も続けておりますが、英語の常識とはかけ離れているので、面白い点が多々あります。

 例えば、

 ・smoking

 ・four

 ・email

 これが英語なら、上から下に「喫煙」「4」「電子メール」と答えるのが、「常識」ですが、もし、これが仏語なら、「洋服のタキシード」「かまど、オーブン」「エナメル」という意味になってしまうのです。

 つまり、何を言いたいかと言いますと、「常識を疑え」ってことですかね(笑)。

 

中学生だった頃の自分へ

 ヒエール瀧です。

 ブログって便利ですね。世界情勢、政治批判から個人的な雑記まで、ルポでもフィクションでも何でも書くことができるんですからね。そこで、今日はあくまでもタイトル通り、些細な個人的なことを書きますので、ご興味のない方は飛ばしてください(笑)。

 渓流斎ブログで、何回か書いたことがありますが、小生、中学生の頃、グレてしまい、学業成績も学年トップから最下位とまではいきませんが、下位に急降下してしまいました。

 グレたとは言っても、かわいいもんで、親の財布からお金をくすねたり、タバコを吸ったり(やっぱり駄目ですね。しっかり、警察に補導されましたからお許しを)、本屋で立ち読みしたり、ビリヤードに入り浸ったりした程度ですが、とにかく、学業はすべてホッポリ出して遊び呆けてしまいました。

 何がきっかけかと言いますと、中学1年生の最初の家庭訪問で、担任の先生から「あなたの息子さんは学年のトップですから、このまま頑張ってください」という話を横で聞いて、すっかり、慢心してしまったのです。その日のうちに、自分の「人生計画ノート」を作ります。良い高校、良い大学に入って、ということは東京大学に入って、大蔵省に入り、作家に転身し、(この辺りは、三島由紀夫の影響でしょう=笑)、総理大臣になって、最高の立身出世をします。

 でも、その時、「一体、そんなエスカレートに乗るような人生の何処が面白いんだろう」と空しくなってしまったのです。人生計画ノートには「20○○年 総理大臣になる」の後は、「20××年 ヒヒヒーンになる」と書いてありました。「ヒヒヒーン」って何でしょうかねえ?自分でもさっぱり分かりません。馬になってどうするつもりだったのでしょうか。

 どうやら、中学生の幼い知性では言葉が見つかりませんでしたが、当時はニヒリズムに取り付かれてしまっていたようです。「どうせ、いつか死んでしまうのに、何をやっても無駄だ」という暗黒の海に突き飛ばされた感覚に陥ってしまったのです。そんなニヒリズムから逃れたいがために、もがき苦しんでいたような気がします。全く無意識でしたが。

Espagne

 このニヒリズムは大人になっても消え去ることも解決することもありませんね。人生、楽しもうが苦しもうが、何の意味もないし、何の価値もない。頭の片隅でどこか冷めています。どうせ人類も地球も太陽系もいつか必ず滅亡するのだから、人類の歴史も宗教も文化遺産も何もあったもんじゃない。人間は人を裏切るし、「自分さえ良ければよい」という自分勝手な考えの持ち主ばかりで、すぐ人を貶したり、足を引っ張ったりする。何で周囲の皆はそんな実態に気付かないフリをして、安穏として暮らしているのだろうか、と不思議でしょうがありませんでした。

 パスカルもこのようなことを言ってます。

 「人間は、本質的に、はなはだ不幸なので、何ら退屈の原因がなくても、その本来の気質によって退屈に陥ってしまう。また、人間は虚無的なので、退屈になってしまう多くの原因がありながら、玉突きや球打ちのような至ってつまらないことで気をまぎらわそうとするのだ」(「パンセ」から少し改変)

 玉突きとは、ビリヤードじゃありませんか!17世紀の仏クレルモンフェランやパリには既に玉突きがあったんでしょうね。この文章を読んだ時に、中学生だった自分に読み聞かせたくなってしまいました(笑)。

Alhambra,Espagne

 ピエール瀧さんが、コカインか何かの薬物に手を付けたのも、ニヒリズムに取り付かれたのかもしれません。とはいえ、人間は虚無に取り付かれても、大人になれば、何とか歯を食いしばって、真っ当に生きなければなりません。違法なことをするのはもってのほかです。

 私も、大した人間にはなれませんでしたが、今の自分があるのは「グレた中学生があったお蔭」として、当時の自分を許してやろうかと思っています。

高校の同窓会でビッグニュースが

 昨晩は、東京・新大久保の居酒屋で海城高校の目良先生のクラスの同窓会を開催し、私は幹事長を仰せつかっていたので司会進行もやって来ました。

 新大久保も随分変わりましたね。驚いてしまいました。駅の改札口は一つしかありませんが、出て右側に行くと、母校の海城学園があり、もう20年近く前の韓流ブームで、韓国系の店がいっぱいできました。

 昨日は、久しぶりに改札口を出て、正面の横断歩道を渡り、「グローブ座」方面の脇道を久しぶりに行ったら、立ちすくむほど驚いてしまいました。

 トルコ系のケバブなどの飲食店や外国人向けのスマホ・ショップなどが林立し、その辺りに、イスラム系かアラブ系かインド系か、アフリカ系か、これまで見たことがない多くの異人さんたちがタムロしていて、とても、ここは日本なのか?と思わざるを得なくなってしまったのです。

安倍首相や山下法務大臣らには是非とも視察に訪れてほしいものです。

 さて、同窓会ですが、48人のクラスメートのうち16人が参加してくれました。本当は20人ぐらい集まる予定でしたが、直前になってキャンセルする人も出ました。来年は大台を突破してほしいなあ、と思いました。

 今回の同窓会のビッグニュースは、石川君が関東地方にある中高一貫の名門学園の校長に4月から就任するという話です。

 でも、責任が異常に重い重職なので、本人は浮かない表情でした。何しろ、校長というのは、生徒だけでなく、その家族、また、教職員などの人事管理が主な仕事ですから、現職の校長から引き継ぎがあった際、とても校外、いや口外できない機密情報を受け継いだというのです。

 そこには、週刊誌記者や学園もののシナリオライターや漫画家が随喜の涙を流して、涎も流して喜びそうな、パワハラやセクハラ、不純交際、お金の使い込みなどのスキャンダルがあったようです。勿論、詳しいことは、ここでは書けませんけど、日本全国のどこの学園にもある話です。

 母校の教師になった細田君も「モンスターペアレンツが色々と言ってくるから、担任になると大変だよ」と溜息をついてました。

 でも、校長ともなると、学園外の人とのつきあいが生じるので、「機密費」があるそうです。領収書もいらないので、「おい、今回の同窓会費、全部出してくれよ」と冗談で言ったら、石川君は「そんなの出来るわけないじゃん」とあっさりと断ります。まあ、超真面目で、一切不正が嫌いな石川君だからこそ校長にまでなれたのですから、当然の話でした。

 高校卒業以来44年ぶりに参加した人も二人いて、高校時代に体重40キロ台とガリガリに痩せていた佐橋君は、今や70キロを超え、30キロも増量。姿、顔形もすっかり変わって、全く誰なのか分かりませんでした(笑)。

 彼は、誰もが知っている某コーヒー・メーカー兼チェーン店の取締役に出世していて、これも、皆があっと驚きました。

 もう一人、44年ぶりに参加した鈴木君は、横浜の果実卸売り会社の社長になっていました。高校時代は不良でしたが(笑)、親分肌は全く変わらず、どうやら、皆が酔っ払っている間に、彼は二次会の酒代を全部出してくれたようです。

 私も久しぶりに少年時代の友人に会って、前後不覚になるほど酔っ払って、どういう風に帰ったのか、覚えていません。鈴木君、今度会ったら、お返ししますから、覚えておいてください。

(このブログは、驚くほど多くの不特定多数の皆様が御覧になっているため、名前の一部は仮名にしております)

エッセイ「嗚呼、やんなっちゃった」

▽先週辺りから、この渓流斎ブログで、本文の中でも、いやに「宣伝」が目に付くようになりました。そこで、このサイトのサーバー・オーナーのM氏に問い合わせたところ、詳細は分かりませんが、「自動広告」なので、アクセス数が増えるとそれだけ、貼られる広告量も増えるというのです。アクセス数が少ないと、1ページ当たり3個ぐらいが平均なんだそうですよ。

 このブログ、3個どころじゃありませんよね?ということは「注目ブログ」として認知されたということでしょうか?(爆笑)広告は、利用者の履歴によって各人それぞれ違うでしょうが(私の場合、どういうわけか、コンピューターソフト関係が多いです)、目障りで、うるさいようでしたら、すみません。一応、この渓流斎ブログは、2017年9月に独立してから、広告収入で運営しているもので。。。(広告をクリックして頂けると嬉しいです)

東久留米・竹林公園

▽2月9日に久しぶりに会った中学時代の同期生。今度は、春に「花見大会」をやろうと、大いに盛り上がったらしく、元警察官の岡本君に、桜の名所の「千鳥ケ淵」で「場所取り」をしてもらうことになりました。勿論、本人がするのではなく、昔の後輩を顎で使ってです(笑)。

 そしたら、その後輩たちから「岡本先輩、年配になると、おしっこが近くなり、トイレを探すのが大変ですよ。それに、昼間から戸外の寒空で呑んでいたら、脳卒中で倒れてしまうとも限らない。お身体に毒です。もうお年ですから、やめといた方がいいですよ」と、逆に諭されてしまったそうです。「年寄りの冷や水」扱いです(苦笑)。

 仕方がないので、その代替案として、3月20日に六本木で、フグの豪華フグコース、いや、フルコースを食す会が催されることになりました。フグですから、目の玉が飛び出るほどの高額ですが、場所は元大手石油会社勤務の黒田さんのお導きで、都心にある彼女の元会社の豪華静養施設で行うことになりました。飲み物の持ち込みは自由ということで、私も参加することにしました。フグ解禁は3月いっぱいらしいですからね。ケチケチ生きないで、人生、楽しまなければいけません(笑)。

 この「フグコースの会」の参加を、幹事役の黒田さんが中学同期会の皆にも募ったのですが、ほとんど反応がないのでぼやいてました。2月9日の同期会には、たったの4人しか参加しなかったことを、この渓流斎ブログで書いたことがありましたね。この会も最悪、参加者はまた4人ぐらいになりそうです(笑)。

 「私だから皆、参加してくれないのかなあ」と黒田さんが嘆くので、私は彼女にアドバイスしてあげました。まず、いくら同期に対するメールだとしても、「ビジネス・レター」になっていない。最初の「各位」だけだと、他人事に思え、自分に関係ないと思ってしまう。できたら、個人名を書いた方がいい。最後の差出人も、書いていない。これじゃ、怪文書だよ。ちゃんと○○中学校同期会会長 黒田○子 と書かなきゃ駄目だよ、といった具合です。

 そしたら、彼女からは、宛名を何十人も書くのは大変。私は、会長でも何でもない、云々・・・ 「私だから皆、参加してくれない」 というのは冗談です、などとあれこれと御託を並べるものだから、「それなら好きにしたらいい。肩書きは下働きでも世話役でも下足番でも何でもいい、云々・・・」と返信したら、一言「うるさいよ」ですって!

 何たることでしょうかねえ!こっちが、夜中の疲れている中、スマホで一つ一つ文字を打って、親切にアドバイスしたのに逆恨みするとは!電話音声時代でしたら、ニュアンスが伝わったでしょうが、メールの文章時代になると、真意を誤解されたり、曲解されたりしがちです。

文章は伝わらない。そもそも、文章は、コミュニケーションのツールではないのかもしれません。特に親切心を丸出しにして、宣伝になるかと思って、このブログに実名で書くと、猛烈な抗議と訂正削除要請が遠まわしで来たりします。

 まるで、おためごかし扱いです。

 嫌になっちゃいますよ。

小説「惜別会」

京王線新宿駅から10分ほどで「下高井戸」という駅前商店街のある閑静な住宅街があります。この沿線の世田谷区はスポーツ選手や作曲家、芸能人ら有名人が多く住む高級住宅街としても知られています。

この駅から3分ほど歩いた所に、居酒屋「たつみ」があります。黒い土塀のような扉に小さな文字でその名を記しているだけなので、ほとんどの人はそこに居酒屋があることなど気がつかずに通り過ごしています。むしろ「たつみ」を有名にしているのは、居酒屋より、たい焼きでしょう。唐突ながら、東都のたい焼き屋「御三家」として、若葉町の「わかば」、麻布十番「浪花家」、人形町「柳屋」を「これは美味い」とマスコミは囃し立てておりますが、この「たつみ」こそ天下一品。その証拠に、開店と同時にその長蛇の列が途切れることはありません。

土曜の昼下がり。その秘密結社のような居酒屋に「終わった人」「大して出世できなかった人」らが陸続と階段を上って3階の広間に集結しました。大手出版社に勤める成田さんが、突如、やくざなマスコミ業界から足を洗って、故郷の観光協会に奉職されるということで、その新しい門出を祝福して送別会が開かれたのです。

言いだしっぺは京都にお住まいの京洛先生です。わざわざ京都から坂東下りまでして主宰するのですから、成田さんによっぽどお世話になったのか、借りがあったのか、という噂ですが、真相は不明。とにかく彼の鶴の一声で、30人近くの人が参集するのですから、大したものです。

広告代理店電報堂出身の長老長良氏は昭和30年代から40年代にかけて、この大手出版社を担当したという伝説の持ち主で、名物月刊誌は、当時は(今もですが)、飛ぶ鳥を落とす勢いで100万部も売れ、広告収入も3億円。月に2回も特別手当と呼ばれるボーナスが出たそうでした。当時の本社が銀座にあった頃の話でした。今、その近くにバー「ルパン」があり、太宰治、坂口安吾、織田作之助ら無頼派作家がたむろして一躍有名になりましたが、恐らく、雑誌で討論会などをやった帰りに顔を出したのがきっかけでしょう。

成田さんの送別会の話でした。彼はその日、急用ができて、主賓なのに参加できない可能性があり、主宰者の京洛先生に電話したところ、「それなら、主賓抜きで酒盛りやってますから」とあっさり言われてしまい、逆に意固地となって、無理して都合を付けて参加したことを暴露しておりました。

成田さんは、雑誌の編集長を務めたことがあり、森羅万象、あらゆる世界の裏の裏の裏まで知り尽くした方ですから、それはそれは真剣のような斬れ味の鋭い恐ろしい人でした。と過去形にしておきますが、その威力は誰も読まないようなマイナーなブログにまで及び、お茶の子さいさいです。

 無類の日本酒好きである成田さんには記念に「ぐい呑み」が贈られました。高級備前焼きです。その陶芸家の実兄である曾我さんも参加されていて、「最近、若い人が日本酒を呑まなくなったため、徳利の売り上げが大幅に落ち込んでしまいました」と打ち明けておられました。焼き物と言えば、備前。「備前に始まり、備前に終わる」とまで言われてます。その備前焼でさえ、売れていないとは…。それを聞いた私は、ちょっと奮発して備前の徳利を買おうと思いました。

中学同窓会に参加してよかった

  昨晩は、東京・池袋で開催された中学校の同窓会に参加して来ました。参加者は私を入れてたったの4人(笑)。同学年には200人以上いたのですが、ほとんど行方不明で、幹事が声掛けできたのは30人ぐらいだったようです。それでも、4人は少ないと思いつつ、出掛けたのですが、話が沢山できて面白かった。参加してよかったと思いました。

 中学校は東京都内ながら埼玉県境にある田舎の無名の公立学校でしたが、どういうわけか優秀な生徒が多く、名門高校に進学して、後に学者や弁護士や医者などになった者が多いのでした。

 某有名私立大学の教授になった平田さん(女性)なんか、とっても頭が良くて、東京都内全体の模擬試験で2番を取ったことがありました。記憶力抜群でした。

 何故なのか、中学時代は分からなかったのですが、生徒は国家公務員の官舎から通ってくる者が多く、父親が大蔵省とか外務省とかに通っていたエリートだったので、子どもに遺伝していたわけですね。

 さて、4人の同窓会は話が盛り上がりました。石油会社に勤めていた黒田さん、元警察官の岡本君、某国立大学准教授の須田君。黒田さんは、占いに凝って、ほとんどの占いをマスターしたそうなんですが、血液型占いするということで、皆の血液型を当てっこしようということになりました。私がO型、岡本君がA型、黒田さんがB型、須田君がAB型で、全部出そろったので、皆で大笑いしてしまいました。

 色んな取材で多くの有名人と会ってきた私の話も面白かったと思いますけど、何と言っても面白かったのは、警視庁に勤務していた岡本君の話でした。警視庁だけで、4万9000人もいるそうですね。警察庁の超エリートで「キャリア」と言われる国家公務員上級試験に受かった人はわずか30人しかいないそうです。そう言えば、同級生の宮下君は、そのうちの30人の1人でした。もちろん、彼は東大に進学しました。

 岡本君は、ノンキャリアでしたが、配属された主な部署が公安で、いわゆる一つのそっち方面のエキスパートですから、推理小説が一冊書けそうな話のオンパレードでした。彼は、既に警察官を引退しており、中学の同級生のよしみでペラペラと喋っていましたが、茲ではとても書けないことばかりでした。マスコミ出身の私を誰だと思っているんでしょうかねえ。今や10万アクセスを誇るブロガーですよ(笑)。

 まあ、書けるとしたら、彼は生命を落とすほど危険な体験をしていたということぐらいです。地元の人をオルグする際の経費は、自前だという話も驚きました。数カ月経って、その相手に、実は…と自分の身分を明かした時の相手の顔!本当に推理小説を地で行くような話でした。

 仕事ではありませんが、岡本君は、人一倍「霊感」が強いそうで、何度もお化けを見たという話もいくつかしていました。

 他の同級生の話となり、ポール・マッカートニーにそっくりの顔をした田築君が亡くなったという話を聞きました。私の知る限り、名古屋君、丸山君、峯岸君、松浦君に続いて5人目でした。他に知らない同級生の話になったので、家に帰って、卒業アルバムを見てみたら、顔を見ても名前が分からない、一度も話もしたことがない同級生が半分以上もいました。岡本君とは一緒のクラスになったことはありませんが、剣道部で一緒だったことがありました。でも、すっかり顔かたちが変わっていて、街ですれ違っても分からないでしょう。

 中学時代の私は、今でも思い出したくないほど愚か者で、頭の中にクモの巣が張ったような感じで集中力がなく、タバコを吸ったり、ビリヤードに出入りしたり、悪さばかりして、ボーと生きていました。中学入学時、トップだった成績も坂道を転げ落ちるようにして下落して、第1志望の高校受験も失敗。大したことはないと思っていた級友たちが、次々と自分を追い抜いて良い高校に入っているのを見て、大いなる挫折感と失望とやっかみに駆られたものでした。

 でも、半世紀も経てば、心の痛みも薄れ、今では、ただただ浅はかで愚かだった自分を笑うしかありません。ただし、あのような中学生時代があったからこそ、今の自分があるような気がしています。