「個人の判断」も忖度優先なのか?=コロナのマスク着用に関する哲学的考察

 3月13日(月)から、政府方針により、マスク着用は「個人の判断」に委ねるということになりましたので、私も俄か文化人類学者になってフィールドワークを試みました(笑)。

 まず、自宅から最寄り駅までバスを使いますが、車内のマスク着用率は100%。全員マスクをしていたので拍子抜けしました。そして、最寄り駅からの通勤電車。超までいきませんが、車内は満員で、やはり、私が見える範囲で全員マスクをしておりました。

 職場は、東京・銀座なのですが、街を歩く人で、外国人観光客の3人に2人はマスクを着用せず、日本人らしき人はほぼマスク着用でした。私がすれ違った数十人の中で、3人だけがマスクをしていませんでした。マスク着用率98%といった感じです。

 昼休みに、雨の中、ランチがてら、私の縄張りである(笑)銀座、築地、新富町辺りを散策しましたが、やはり、ほとんどの人がマスク着用でした。

 厚労省の発表では、3月12日は全国で7013人がコロナに感染し、43人が死亡したといいます。ということは、コロナは終息も、収束もしたわけではないということです。専門家の中には、日本人全員がマスクを外せば、5月には感染者が倍増するといった予想をした人もおりました。

 岸田首相や小池都知事といった権力者たちが「マスクなし」で出勤したとはいっても、まさか、満員の通勤電車に揺られて来たわけでなく、運転手付きの黒塗り高級車に乗って来られたわけでしょ?

 つまりは、為政者が声高に叫んでも、一般庶民は、権力者のことを誰も信用していないということになりますかね? 庶民がコロナに罹ったとしても、「経済を回す」ことの方が優先なのでしょう。それとも、日本人は横並びで、斟酌、忖度が得意な民族なので、周囲の皆と一緒に合わせているのでしょうか?

 私自身は花粉症でもあるので、しばらくの間は、今まで通りマスクを着用するつもりです。勿論、コロナ感染者の被害者にも加害者にもなりたくありませんからね。

 明治維新になって、ちょん髷からザンギリ頭になっても、大正の頃までちょん髷を結っていた人がいたぐらいですから、ずっとマスクをし続ける人もいるかもしれません。そう言えば、昭和の40年代ぐらいまで女性で日本髪で和服の人が結構いたような記憶があります(明治生まれの祖母の洋服姿は見たことなかったなあ)。京都の舞妓さんは、今でもそうですし、お相撲さんは現代でもちょん髷じゃありませんか!(笑)

日本人は縄文人と渡来人と南方人の混血か=速水融著「歴史人口学で見た日本 増補版」を読了しました

 有楽町「大正軒」ロースかつ定食」1100円 久しぶりに行ったら少し値上がってた?

 8日(水)夜は、高校時代の友人の田中君の通夜に参列して来ました。会場は、浜松町からモノレールに乗り「流通センター駅」で降り、歩いて10分ぐらいの所にありました。

  彼の交友関係の広さから多くの方が参列しましたが、高校時代の友人は小生を含めて7人だったので、帰り、浜松町の何処かで飲みに行くことにしました。以前はJRの浜松町駅に隣接して世界貿易センターがあり、その地下にあった「いろはにほへと」という居酒屋によく行ったことがあったのですが、貿易センターは目下、解体工事中でした。

 仕方がないので「大門」駅の繁華街に歩いて行き、適当な店を探していたら、怪しげな客引きに捕まってしまいました。「普通の居酒屋だから大丈夫です」と言いながら、連れて行かれたのは、路地の奥で、しかも、綺麗なお姐さんの写真が並んだその筋の店が何軒も同居する雑居ビル。客引きのオジサンに「変な店なら帰るよ」と忠告してビルの3階にまで昇り、最初にメニューを見せてもらい、この値段なら、ま、いっかということで、入ることにしました。

 お店の人に色々と話を聞くと、最初は「隠れ家」的コンセプトでやってたそうですが、目立たない路地裏なので、さっぱり客が来ない。そこで、客引きを始めたらしいのですが、本当にお客が全く来ない(笑)。でも、ある程度呑んで、食べて、一人当たり4000円で済んだので、結果的に「普通の店」で安堵しました。

 しばし、田中君の思い出話で盛り上がり、8人掛けのテーブル席だったので、一人分席が空いていましたが、まるでそこに田中君が座っているような錯覚に襲われました。

 さて、話は全く変わって、速水融著「歴史人口学で見た日本 増補版」(文春新書)を読了してしまいました。

 この本では、色んなことを教えてもらい、渓流斎ブログ2023年3月7日付の「本当の日本人の姿が分かる=速水融著「歴史人口学で見た日本 増補版」」でも取り上げましたが、最後に特筆したい一つだけ書いておきます。

 それは速水氏の歴史人口学の研究成果(江戸時代の「宗門改帳」で家族や人口の在り方を調査)として、日本人は大きく三つのパターンがあることが分かったというのです。(1)東北日本型(2)中央日本型(3)西南日本型です。それによるとー。

(1)東北日本型=早く結婚するが子供の数が少ない。母親は子供を4~5人産んで、その後、家の労働力につく。親子三代以上が同居する直系家族。⇚狩猟・採集が中心のアイヌ・縄文時代人型。

(2)中央日本型=結婚年齢は遅いが子供は沢山産む。江戸など大都市に移住する。2代~3代が住む直系家族か核家族。⇚農耕、鉄器など弥生文化を伝えた渡来人型。

(3)西南日本型=結婚年齢は遅いが結婚前に子供を産むことがある。離婚も多く、次の結婚の間に子供を産むこともある。性行動に関しては比較的自由。家族の形態は、傍系の夫婦まで住む合同家族と直系家族。⇚東シナ海沿岸地域で、東南アジアと風習が一致するものが多い。

 速水氏は「日本には極論にいえば文化的独自なものはなく、外来のものを模倣し、融合させたのである。逆に、こういった模倣・融合能力こそ、日本を特徴づけるものだった、といえないだろうか」とほぼ結論付けております。

有名な銀座「AOI」のハンバーグ定食1000円。すこし辛かったかなあ…

 この辺りを読んで、私も以前読んだ篠田謙一氏著「人類の起源」を思い出しました。その読書感想文として、私は「この3000年前に到達した渡来系弥生人というのは、中国東北部(旧満洲辺り)の西遼河にいた『雑穀農耕民』(青銅器文化を持つ)が6000年前以降に朝鮮半島に進出し、遼東半島と山東半島にいた『稲作農耕民』が3300年前に朝鮮半島に流入し、在地の縄文系の遺伝子を持つ集団と混合して新たに出来た地域集団だといいます。」(2022年12月27日付渓流斎日乗「現代日本人のルーツは3000年前の渡来系弥生人にあり」)と書きました。

 これらを敷衍すると、人類学的に、日本人とは、最初に日本列島に定住したアイヌや琉球系を含む縄文人と中国、朝鮮からの渡来人と東南アジア系と恐らくポリネシア系の南方人の混血と言ってよいのではないでしょうか。

 

《渓流斎日乗》は俳句なのか!?=ChatGPTはいまいちです…

 例の先日、初挑戦した「チャットGPT」に本日、再度挑戦してみました。

私:「渓流斎日乗」とは何ですか?

ChatGPT(以下C):「渓流斎日乗」とは、江戸時代中期の俳人・与謝蕪村が著した俳諧の随筆集の一つです。蕪村が生涯をかけて書き溜めたとされる約1,500の俳諧と、その解説や評論が収録されています。

「渓流斎」は蕪村の号であり、「日乗」とは「日々の修行を積み重ねること」という意味があります。蕪村が俳諧を通じて求めたのは、日々のありふれた風景や出来事の中にある美しさや哀愁などの情感を表現することであり、その思想やスタイルがこの書物に反映されています。

「渓流斎日乗」は、俳諧の教科書としてだけでなく、日本の文化や風俗、美意識を知るうえでも貴重な書物として、現代でも多くの人々に読まれ続けています。

私:渓流斎は蕪村の雅号ではありません。間違っていませんか?

C:おっしゃる通りで、私の回答に誤りがありました。訂正してお詫び申し上げます。

「渓流斎日乗」とは、与謝蕪村が生涯を通じて愛用した別荘の名前であり、蕪村がその別荘で執筆した随筆集に「渓流斎日乗」という題名をつけたことから、このように呼ばれるようになりました。蕪村の号は、実は「蕪村」以外にも「舎人」や「松陰」といくつかありますが、「渓流斎」は、蕪村が晩年に用いた号の一つです。

訂正していただき、ありがとうございました。

私:渓流斎日乗は、蕪村の別荘の名前でもありません。現代人が書いているブログです。貴方は何も知らないんですね?

C:申し訳ありませんが、私の前回の回答にも誤りがありました。ご指摘いただき、心よりお詫び申し上げます。

「渓流斎日乗」は、与謝蕪村の随筆集の名称であり、蕪村が生涯を通じて愛用した別荘の名称ではありません。また、現代人が書いたブログとしても知られていません。私が勘違いしていたことをお詫びいたします。

与謝蕪村は、江戸時代中期に活躍した俳人であり、俳諧の分野で多大な功績を残しました。蕪村は、日本の俳諧の歴史に大きな影響を与えた人物の一人であり、現在でも多くの人々に愛されています。

私:もういいです。それも間違いです。それなら、渓流斎日乗の主宰者の高田信之介とは何者ですか?

C:申し訳ありませんでした。私の回答が正確でなかったことを再度お詫び申し上げます。

高田信之介は、現代において「渓流斎日乗」という名前で活動している方の一人で、俳句や随筆を中心に執筆活動を行っています。高田信之介は、「渓流斎日乗」の主宰者として、同名のウェブサイトを運営しており、そこで自身の作品を発表しています。

ただし、与謝蕪村の著作である「渓流斎日乗」とは、全く別のものであることにご注意ください。

私:あのですね。渓流斎日乗は俳句はやってません。短詩型の創作は苦手だと主宰者は申しております。貴方はよく間違えますね?

C:おっしゃる通りで、私の前回の回答に誤りがありました。再度、訂正してお詫び申し上げます。

「渓流斎日乗」の主宰者である高田信之介氏は、俳句を中心とした文芸活動を行っており、「渓流斎日乗」においても俳句を発表されているわけではありません。また、高田信之介氏は自身のウェブサイトにおいて、短詩型は苦手とされていることを明言されています。

再度、ご指摘いただき、ありがとうございます。今後はより正確な情報を提供できるように努めてまいります。

私:こりゃ駄目だ。間違いだらけなので、もう結構です。

C:申し訳ありませんでした。私の回答が不正確であったことでご迷惑をおかけし、心よりお詫び申し上げます。今後はより正確な情報を提供できるように努めますので、何か質問がございましたら、いつでもお知らせください。

 いやいや、もう質問しないでしょう。

職業で人相が表れるというお話=4年ぶりの高校同窓会に参加しました

 4日(土)は、4年ぶりに高校の同窓会が高田馬場の「梵天」で開かれ、私も参加して来ました。御年79歳になられる目良先生を始め、参加者は全部で14人。クラスは48人おりましたから、3分の1にも満たなかったのですが、全員、高校時代の悪ガキに戻って楽しく歓談することが出来ました。

 コロナの影響で、4年ぶり開催ということで、まず初めに、その間に亡くなってしまった神林君と田中君の冥福をお祈りして、皆で黙祷を捧げました。同窓会というと、どうも参加者の顔ぶれが決まってしまっておりますが、今回初めて参加する人もいました。卒業してもう半世紀近く経ち、その間一度も会ったことがなかったので、「あんた誰?」という感じでした。街ですれ違っても、全く分からないことでしょう(笑)。

 初参加は水口君で、永年、小学校の教師を務めていたようです。校長先生になれたようですが、最終的にはなりたくなくて、登用試験を受けなかったそうです。一方、某有名学園の校長先生になった金澤君は、大変な苦労をしてしまったようで、任期途中で辞任したそうです。「生徒相手の授業は楽しかったのに、校長になると大人の教師の管理が仕事。ストレスだらけで血圧が190にも上がってしまったよ」と溜息をついておりました。

何だろう?気球かなあ?

 もう一人、教師になったのは美大を出て母校の美術・技術教師になった細川君。彼も大変苦労したようですが、母校は半世紀前とはすっかり様変わりしたことを話していました。我々の頃は、東大に1人入れるかどうかの「滑り止め校」でしたが、今では東大に50人以上入学する全国でも有数の超進学校になったことで色々と問題課題も増えていったということでした。昔の母校は、都立の滑り止めだったのが、今では逆に日比谷や戸山などかつての都立名門高校を蹴って入学する時代になったといいますから隔世の感があります。(もっとも、中高一貫校になってしまい、高校入試はなくなりましたが)

 思うに、人間とは職業でその人相が表れてしまうものです。教師になった彼らは、まさに「教師面」になってしまっておりました。

 京都の禅寺に有名な格言?がありますよね。ー「妙心寺の算盤面」「建仁時の学問面」「南禅寺の武家面」「東福寺の伽藍面」「相国寺の声明面」です。解説は不要でしょう。とにかく、人間は職業でそれに似た面構えになってしまうということです。

 経済評論家の岡本君は、怪しげな相場師の人相。高校時代に「タコ」と綽名された小島君は、医療関係の仕事をしてますが、今でも普通の人の発言とは超越していて宇宙人の風貌。(小島君は、このブログを読んでくれているようで、「ランチの写真、いつも載せて、値段まで書いているけど、たまにはもっと高いやつ喰えよ」と言われてしまいました!)薬局店を経営する薬剤師の平田君は、商人(あきんど)の面構え。今回、幹事長を務めてくれた加藤君は、修行僧。そういう私はブンヤなので、さぞかしスパイ面といったところでしょうか(笑)。

 二次会にも参加しましたが、座った隣席に近い人しか話が出来なかったので、全員には取材?できませんでしたけど、皆、辛うじて人生の荒波を乗り越えて生き延びていて、嬉しく思いました。皆、歳も歳なので、あと何回、同窓会を開催出来るか分かりませんが、今後もなるべく参加したいと思っています。

 あ、忘れるところでしたが、帰りは、またまた飲み過ぎで前後不覚になってしまい、危ないところでした。我ながら懲りないなあ~。

な、何と、東スポ餃子とは!=ぐあんばれ、東京スポーツ新聞!

 前から書こうと思って忘れていたことを本日書かさせて頂きます。質量とも、つまり、売上部数も内容も、エンターテインメント紙ナンバーワンだったあの東京スポーツ新聞が、ネット社会の弊害を受けて、部数が低迷してしまい、ついに数年前から社員の大幅リストラに踏み切りました。

 日本新聞協会によると、スポーツ紙の発行部数は、2000年の時点で、630万7162部もあったのですが、2022年は215万1716部と3分の1近くも落ち込んでしまいましたからね。

 若い人は紙の新聞を買わなくなってしまいましたし、もう「企業努力」ではこの流れを食い止めることは出来ません。朝日新聞や読売新聞など大手一般紙は、もはや都心の超一等地にある旧社屋の跡地にビルを建てて、本業よりも不動産業の方が収益があるという噂があるほどです。

 東京スポーツは残念ながら、不動産業で副業出来るほどの土地持ちではないようなので、そこで、思い切って始めた副業が、何と餃子販売だったというのです。この経緯については、昨年11月に出版された岡田五知信著「起死回生 東スポ餃子の奇跡」(MdNコーポレーション)に詳しい。宣伝文句に曰く…

 スポーツ紙が危機的状況に晒される中、大手一般紙傘下とは無縁の東スポが生き残りを賭けて起死回生の大勝負に打って出た。これまでの新聞業態とは縁もゆかりもなかった食品業界に、餃子、唐揚げ、ポテトチップスで事業参入を図ったのだ。その裏にあったのは、大リストラを経て学んだ血まみれの教訓だった。これ以上、社員を犠牲にしたくない。社員を守るため、会社を存続させるために一人の幹部社員が腹を括って動き出した…。

 東スポブランドの食品の売上は、今や年間1億円に拡大しているといいます。

銀座

 私も東スポの記者とは何人もお付き合いしたことがあります。東京スポーツは、明治に創刊された大衆紙「やまと新聞」の流れを汲み、あの児玉誉士夫氏がオーナーとして戦後の1960年に創刊され、プロレスや芸能スポーツ、スキャンダル、はたまた河童から人面魚に至るまで「飛ばしの東スポ」の異名を持ったことは皆さん御案内の通りです。

 本来、新聞記事は最終的に本人に確認し、そのことを業界用語で「ウラを取る」と言いますが、東スポの場合、社是として?「ウラは取らない」と聞いたこともあります(笑)。

 しかし、私の経験では、東スポ(と系列の大阪スポーツ新聞)の記者ほど真面目で大人しい人間が多く、記事とのギャップに驚いたほどです。それに、記者会見など公式な場での発言は紙面では書けないので、記者会見では出なかった「本音」を聴くために、さらに、夜討ち朝駆けで取材しなければならず、要するに他社と比べて2倍も3倍も働いていました。

 もう一つ、東スポは夕刊紙なので、時差を利用して早くから日本人が活躍するゴルフなど海外でのスポーツ報道に力を入れていました。ゴルフの全米オープンやマスターズなど格式がある大会でも、「東京スポーツ新聞社様」とネームプレートと入りの豪華な記者席が用意されているという話も聞いたことがあります。それは、米国の主催者が、Tokyo Sports News なら日本を代表するクオリティーペーパーだと誤解したためだ、というオチがありますが(笑)。

 でも、時代の趨勢ですね。ネット上では、東スポとは比べ物にならないもっと過激で、ウラを取らないフェイクニュースや関係者しか知らないスキャンダルに溢れていますから、太刀打ちできません。それに輪をかけて、駅やプラットフォームでのキオスクがほとんど消えてしまい、サラリーマンの「通勤の行き帰りに新聞」という習慣も絶滅してしまいました。

トマホークは誰がつくってるのかな?=米国の政・官・産・軍・学の一蓮托生を見た

 反撃能力(敵基地攻撃能力)に使う米国製巡航ミサイル「トマホーク」の購入数が400発になることが昨日27日の衆院予算委員会で明らかになりました。政府は、トマホーク取得費用として新年度予算に2113億円を計上していたので、これで1発が幾らなのか想像出来ます。

 いや、そんなことより、こうして防衛費増大が具現化されていきますと、「はじめのはじめ」のような、「おわりのはじまり」のような、「おわりのおわり」のような予感がしてきます。何が? まあ、御説明するまでもないでしょう。2021年10月の時点で、日本の戦後生まれは86.2%。ほとんどの人が先の大戦の体験がないわけですから、周辺国からの危機をやたらと煽り立てる為政者の口車に乗ってしまったということです。特に、ロシアによるウクライナ侵攻があってからは尚更です。正論にまでなってしまいました。

 しかし、管見ながら、軍拡競争はキリがありません。ですから、結局、どちらか(もしくは両者)の破滅で終わることを歴史と人類学が教えてくれています。

銀座「ジンホア」担々麺 シンガポール仕込みらしくこれは美味い😋

 私はこのトマホークというミサイルの性能よりも、一体、誰がつくっているのか気になりました。今は簡単に調べられます。米ヴァージニア州フォールズチャーチに本社を置く軍需産業ジェネラル・ダイナミクス社です。従業員9万人の大企業です。1952年設立と意外と新しい会社かと思ったら、米海軍御用達で1899年創立のエレクトリック・ボード社の流れを汲むらしいのです。この会社、明治37年(1904年)に日本海軍の依頼を受けて水雷艇を建造したといいますから歴史があります。1904年といえば、この年の2月に日露戦争が勃発しています。(翌年9月まで)

 ジェネラル・ダイナミクス社の会長兼CEOがフィービー・ノヴァコヴィッチさん(1957年11月生まれの65歳)というセルビア系米国人女性です。ファーブス誌から世界で最も影響力のある女性経営者の25位に選ばれています。ペンシルベニア大学でMBAを取得し、CIAと国防省に勤務した経歴があります。ジェネラル・ダイナミクス社に移ったのは2001年で、12年には社長に就任し、会長兼CEOは13年1月から務めています。米国のエリート社会は、政・官・産・軍・学が一体になっていて、よく「revolving door(回転ドア)」と言われます。政治家が落選して大手軍需企業の役員になったり、経済学者が財務長官やFRBの議長になったり、クルクルと回転ドアのようにポストが回されるという意味です。元CIAから軍需産業のトップに就いたノヴァコヴィッチ氏もその典型だったことが、これではっきりと分かります。

 そして、何よりも、永久敗戦国が、半強制的に宗主国の軍需産業を支え、宗主国の経済と景気浮上に大きく貢献する構図も見て取れます。

彼or 彼女は「人間関係リセット症候群」なのかも?=世の中は不条理に出来ています

  医学関係の記事を読んでいたら、「人間関係リセット症候群」なる病気が最近増えていることを知りました。若者だけでなく、いわゆる老若男女問わず、です。

 正式な病名ではありませんが、これは、FacebookやツイッターやLINEなどのSNSから突然、アカウントを削除したり、連絡先も削除したりする行為を指します。原因は、失恋や離婚や裏切りなど人間関係でトラブルがあって、疲れてしまったり、人との付き合いにうんざりしてしまったりしたことなどが挙げられます。

 そういう私も、Facebookを突然やめてしまった「前歴」があります。いや、突然、ではありませんね。ちゃんと、ブログで事前に、Facebookの弊害などを列挙して、「やめます」と通告させて頂きました。それに、削除まではしておりません。Facebookは、退会のやり方が実に、実に煩雑なためで、そのまま放置しているだけです。同じようにツイッターも、ほとんどチェックせず、削除もしないでそのまま放置している、といった具合です。

 ですから、自分自身は、「人間関係リセット症候群」ではない、と思っているのですが、Facebookなどをやめたのは、確かに「毎日、毎日、何回もチェックして、一喜一憂するのに疲れてしまった」ことが理由です。そんなもんに時間が取られてしまっては、人生が勿体ないと悟ったわけです。

銀座

 その逆に、「人間関係リセット症候群」らしき病気に罹った人?から、突然、何の通告もなく、私も切られた経験があります。メールを送っても返信がない、といった程度です。でも、そりゃあ、気になりますよね? 自分が何か悪いことをしたのか? 相手に気に障ることをしたのか? 何か変なことをブログに書いてしまったのか? 色々なことが、頭の中を駆け巡り、結局、自分ばかり責めてしまう羽目に陥ってしまいました。

 でも、それが、相手がいくら親友だろうと、相手の御都合であり、結局は自分自身の力が及ばないことを早く悟るべきでした。相手は、それこそ、「人間関係リセット症候群」で、人付き合いに疲れてしまったのかもしれないからです。

 この「人間関係リセット症候群」の存在を知る前は、自分自身を責めたり、その反対に、「相手を大切にしない人には、自らその人を大切にする必要はない」という本の宣伝文句に気を紛らわせていたりしてました(笑)。本当は、「お前なんか、どうでもいい。興味なんかないし、どうなろうと俺の知ったことではない」というのが真相かもしれませんが、今回、「人間関係リセット症候群」の存在を知って、ほんの少し気が楽になりました。

銀座「ジンホア」小籠包と焼売

 話は全く変わりますが、本日は、どうもタイミングが悪い日でした。

 朝の混んだ通勤電車で、私は最寄り駅から10駅目で、やっと座ることが出来たのですが、後から右隣りに割り込んで入って来た男は、何と、私よりも先に、自分が乗ったその次の駅で座ることが出来たのです。何という不条理(笑)。

 そして、本日、ランチに行ったお店で、「すぐお席を御用意します」と言われたので待っていたら、私自身は15分ほど待たされたのですが、後から来たお姐さんは、1分も待たずに直ぐ着席出来て、料理も私とほぼ同時に運ばれてきたのです。何という不条理(笑)。

 これも、世の中、不条理に出来ていると悟れば、何の問題もありません。ロシアから侵略されて殺されたウクライナの人々のことを思えば、この程度のことは不条理でも何でもないですね。

 

オラも「チャットGPT」やってみた=悩むのが人間ですよ

 自分自身、信じられませんが、いつの間にか、私も世間では高齢者と呼ばれる部類になってしまいましたが、有難いことに、好奇心だけは衰えていません。

 このブログをお読み頂いてくださる皆様にはお分かりですが、歴史から、古生人類学、文化人類学、進化論、地球46億年、宇宙論まで本を読み漁り、興味がさまざまな分野に発展して留まることを知りません。

 そしたら、それに対してチャチャを入れる奇特な紳士がおりまして、「貴方は、あっちこっちフラフラし過ぎですよ。何が宇宙ですか!宇宙なんか生きている上で何の関係ありませんよ。そんな分野に入って来てもらっては専門家の人たちが迷惑なんですよ。どうせ、さっといなくなるんでしょうから、遊び心で来てもらっても困るんですよ。本当にいつも貴方は自分勝手で、周囲ははた迷惑なんですよ」と言い放つのです。いいえ、脚色なんかしておりません。

 あまりにも頭にきたので、その紳士に「そんなこと言えば自分に返ってきますよ。地獄に堕ちますよ」と忠告したところ、紳士は「いいえ、あたしは死んだら宇宙にいくからいいんです」と涼しい顔です。こりゃ何を言っても駄目ですねえ(苦笑)。

新富町「ウオゼン」3種フライと刺身定食950円

 さて、好奇心が衰えていない、ということを最初に書いた通り、ここ4、5日、急に、各新聞紙上で「チャットGPT」なるものの話題が頻発するようになったので、私もチャレンジしてみることにしたのです。

 サインアップは簡単で1分ぐらいで出来たと思います。でも、よく分からず、誤解していて、このAI(人工知能)に話しかければ、何か応えてくれるのかと思ったら、ビクともしません(笑)。当然ですよね? チャットですから、文字を書かなきゃいけなかったわけです(笑)。

 英語版でしたが、ネットのマニュアルで日本語でも大丈夫だったので、「京都の有名な観光地を教えてください」と聞いたところ、しっかり、1,清水寺、2金閣寺、3、祇園…7,伏見稲荷大社と7カ所列挙してくれて、その名所の簡単な案内まで添えられていました。

 チャットGPTの話題の中で、このように、便利だというポジティブな半面、答えがフェイクだったり、飛んでもない間違いだったりする場合もあるというのです。もっとダークな面は、最近話題になっている、ルフィなる強盗殺人集団によるネットを使った犯罪がまかり通っているように、何かのきっかで、このチャットGPTに自分の住所や資産や銀行口座等を書き込んだりした個人情報が、ネットで拡散されて、それら犯罪集団にキャッチされ、とんでもないことになる、といった心配でした。

 チャットGPTは、AIがあらゆる分野からの情報や学説などを引用して答えてくれるというので、入学試験のカンニングや学術論文の「盗作」、さらには、本来クリエイティブなはずの作家の作品にも盗用される可能性もあります。

 既に、囲碁や将棋の世界では、人間はAIに完敗して太刀打ちできないと言われてますが、芸術作品までAIがつくってしまっては、つまらんなあ、と私なんかは思ってしまいます。

 以前もこのブログに書いたことがありますが、服選びにしても、今日のランチは何にしようか、にしてもAI任せにしてしまう人も昨今増えてきたようですが、これについても私は悲観的です。選択権なんて、人間の権利の最後の砦みたいなもんで、それを放棄して他人、じゃなかったAIに任せてしまってはお終いですよ。確かに選ぶことは少し苦労して悩みます。

 でも、悩むのが人間じゃありませんか。悩むことを放棄してはもう人間じゃないんじゃないですか?

セラピーとケアについて Therapy and mental health care

 別に隠す必要はないのですが、ここ2~3年もずっと気が重い状態が続いております。

 いえいえ、病気ではありません。しかも、心が風邪を引いたといったような、自覚できる軽症でもありません。何となく、スッキリしない、張り合いがないという状態が続いている、といった程度です。

 そんな折、いつぞやこのブログでもご紹介したことがあるスマホのアプリで過去のラジオ放送が聴けるNHKの「らじる・らじる」の「聴き逃し」サービスの「日曜カルチャー」という番組で大変興味深いお話に巡り会うことができました。臨床心理士の東畑開人氏の「心と向き合う?」という講演でした。

 実はこの放送を聴くのは先週に続いて二度目です。(実は、私は、聴き逃しサービスは毎週日曜日にアイロンを掛けながら聴いております=笑)先週、聴いていて、講師の方は39歳というまだお若い方なのですが、誰が聴いているのか分からないのに、自分より年下の学生に向かってため口のような感じで喋っていたので、どうもなあと思いながら、メモも取らずに聞き流していたのでした。そしたら、後半で実に素晴らしい眼から鱗が落ちるようなことを仰っていたので、もう一度確かめたくて、今度はしっかりメモを取りながら聴くことにしたのでした。アイロンを掛けながらの離れ業でしたが(笑)。

「つきじ文化人」大山鶏南蛮蕎麦1100円

 私が一番感心したのは、セラピーとケアの違いについてでした。私は今まで、セラピーとは治療のことですから、てっきりセラピーの方がケア(世話)より優ると思い込んでおりましたが、東畑先生は「ケアが先で、セラピーはその後だ」と強調されるのです。

 簡単に端折って言いますと、まずケアとは「相手を傷つけないこと」です。「相手のニーズを満たしてあげる」ということです。それには具体的な行動が伴います。例えば、お皿を洗うとか、雨が降っていたら駅まで傘を届けてあげるとかです。大震災で被災した方々にいくら臨床心理士がカウンセリングしてセラピー(治療)しても限界がありました。その前に、食事や毛布などの暖房や敷居をつくってプライバシーを保護してあげるとか、物質的な環境を整えることが先決だったというのです。

 その一方で、セラピーとは「傷つきと向き合うこと」だと言います。心が傷ついて痛いけど、乗り越えていこう、というのがセラピーの治療です。ということは、その半面、自己責任論となり、しんどい面もあります。

 例えば、学業成績悪い時、子どもたちに「もっと勉強しなさい」というのがセラピーの考え方です。一方、ケアは、問題は本人ではなく周囲にあるのではないかという発想なので、教え方が悪いという捉え方が出来ます。そこで、勉強が出来る環境を整えることがケアになります。例えば、参考書を買うとか、塾を探すとか、30分でもいいから親が勉強に付き合うとかいったようなことです。

 竹中平蔵さんが大好きな「新自由主義」は、市場に任せておけば正しい方向にいくというので、自己責任論と言いますか、セラピー的自立心を促す考え方です。しかし、その前にケアがなく、いきなり最初から競争社会に放り込まれてしまうと、大抵の人はつぶれてしまうか、負けてしまいます。もしくは燃え尽きてしまいます。

 つまり、ケアが出来て、初めてセラピーが考えられる、と東畑氏は力説するのです。

 ヒトは心と向き合う時、大抵は自分が悪いと思います。自分が一番攻めやすいからです。しかし、案外、周囲の方が悪い場合があります。例えば、就職活動がうまく行かず、落ちてばかりいれば、大抵の人は自分の態度や成績が悪いといった考えに陥りますが、実は、本当は景気が悪いという理由だったりするのです。

 このほか、もっともっと興味深いことを東畑氏は話されていましたので、スマホをお持ちなら是非お聴きになったら如何でしょうか?今なら間に合うと思います。

 私も気の重さの原因が、これまで自分ばかり攻めていた私自身にではなく、周りにあったことを気づかさせてもらいました。

日本レスリング史上初の五輪メダリスト内藤克俊の伝記出版へ=93歳の現役記者宮澤正幸さん

 いつも拙ブログをお読み頂き、洵に有難う御座います。ま、色々とありますけど、一番嬉しいのは、お読み頂いた皆様から反応があることです。このブログをきっかけに、小学生時代の友人と再会したり、著名作家と知り合ったり、友達のまたその友達とお会いしたり、数えきれないほどの幸運に恵まれました。続けて良かったと思える瞬間です。

 先日もありました。

 昨年2022年12月11日に「陸軍中野学校のいちばん長い日とインドネシア独立の礎をつくった柳川宗成=第48回諜報研究会」というタイトルで記事を書いたのですが、澤田次郎拓殖大学教授の講演の中で、私自身が40年以上も昔にお世話になったことがある元日刊スポーツ新聞記者の宮澤正幸さんのことに少し触れました。演題となった柳川宗成は、戦中に拓大を出て陸軍中野学校で訓練を受け、ジャワ防衛義勇軍などを創設して、オランダからインドネシア独立の礎を作ったという人物でした。宮澤さんは、拓大OBだったこともあり、その柳川と親交を持ち、柳川が出版した回顧録の元原稿を委託され、母校拓大に寄贈したということを書いたわけです。

 そしたら、たまたまこの記事が、検索していたら見つかったという宮澤正幸さんの御家族の方からコメントがあり、宮澤さんの近況などを教えて頂いたのです。宮澤さんは、1930年生まれで先日93歳を迎えたばかりですが、いまだにスポーツジャーナリストとして現役で御活躍されているというのです。ただ、最近体調を崩されて、入院されているらしいのですが、日本レスリング界で初の五輪メダルを獲得した内藤克俊という人の伝記執筆に目下、精魂を傾けているというのです。

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 内藤克俊(1895~1969年)は、1923年のパリ五輪レスリング・フェザー級で銅メダルを獲得し、日本レスリング史上初の五輪メダリストになった人です。ちょうど来年2023年にパリで100年ぶりに五輪が開催されるということで、来年までに出版にこぎつけたい、というのが宮澤さんの信念のようです。

 どうしてそこまで宮澤さんがレスリング界初のメダリストに拘るのかと思いましたら、宮澤さん自身が母校拓大のレスリング部出身でした。日刊スポーツを定年退職後は日本レスリング協会の機関誌編集長や顧問まで務めておられました。記者時代は、主に相撲やレスリングなど格闘技を担当し、1962年のジャカルタでのアジア大会では、スカルノ大統領に単独インタビュー(拓大時代はインドネシア語専攻)、そして1964年の東京五輪からオリンピック取材を始め、91歳で2021年の東京五輪まで取材しておられました。まさに記者の鑑です。

 先ほどの日本レスリング史上初の五輪メダリスト内藤克俊は、鹿児島農林学校(現鹿児島大)卒業後、米ペンシルベニア州立大学に留学し、そこで初めてレスリングと出合います。当時、日本ではまだレスリングの競技はなかったのでした。内藤は柔道三段の腕前を発揮して、全米大学選手権を制します。排日運動が激しい中、同大学の主将にまで起用されたそうです。そして、23年のパリ五輪で銅メダルを獲得するのです。

 その後、結婚した内藤は、夫妻でブラジルに移住します。そこで生まれた娘ヨランダさんは、日系人と結婚し、蘭の株を見つけて、それに「ヨランダ・ナカゾネ」と命名し、1991年、東京で開催された第1回世界らん展に出品します。そしたら、それが、1322点の中から、何と最高賞の日本大賞に選ばれたのでした。

 宮澤さんは、その前にブラジルに渡って内藤克俊に会って取材し、ヨランダさんのことも聞いていたので、91年の世界らん展に足を運び、ヨランダ・ナカゾネの日本大賞受賞受賞を目の当たりにしたといいます。(2022年4月12日付読売新聞夕刊)

 奇遇と言えば奇遇ですね。

 宮澤さんの一刻も早いご回復と内藤克俊の伝記出版を祈念しております。