継体天皇は新王朝なのか?

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「今、東博で『出雲と大和』展をやってますね。『芸術新潮』の今月2月号が、日本書紀を特集していますから、それを読んで展覧会に行かれたら分かりやすいんじゃないですか」との京洛先生からのお薦めがあったものですから、万難を排して本屋さんに行って買い求めて来ました。

 何しろ、今年2020年は「日本書紀」が編纂されてちょうど1300年という記念の年ですからね。

 で、読み始めたのですが、「嗚呼、こりゃあ駄目だあ~」となりました。特集「ラノベ日本書紀」のラノベの意味も分からず買ってしまったのですが、これは、どうやらライトノベルの略らしく、恐れ多くも畏くも天皇陛下の歴代記録をライトノベルにアレンジしてしまっていたのです。ライトとは若者向きの「軽い」読み物ということになるんでしょうけど、「軽妙」ならまだしも、「軽薄」気味で、2~3行読んですぐ嫌になりました。推測に過ぎませんけど、戦前なら不敬罪になりかねない、かもしれませんよ。とにかく、買って損しました(苦笑)。

 新潮社の編集者のレベルとまでは言いませんけど、センスが落ちた気がしました。いや、真相は、現代人である読者のレベルが落ちたのでしょう。岩のように堅くて難解な教養主義では、雑誌は売れないんですからね。

 これらはあくまでも個人的な見解ですが、もう一つ、この特集で波長が合わなかったのが編集者の質問に答える形で、「ここが知りたい!日本書紀」で「解説」を担当している遠藤慶太皇學館大学教授(1974~)です。 例えば、第26代継体天皇について。後継ぎのなかった武烈天皇が崩御したため、 大連(おおむらじ)の大伴金村と物部麁鹿火(もののべのあらかび)らによって、近江生まれで(母親の実家の)越前育ちの男大迹(おおど)王 が推挙されて即位したことから、学問研究が自由に解放された戦後になって、「それまでの王朝とは血縁関係のない新王朝」とか「越前王朝」といった新説が出ました。

 侃々諤々の論争が続いているのに(いまだ決着せず)、 遠藤教授は「(日本書記では継体天皇の)出自は応神天皇から5世の孫、彦主人王(ひこうしのおおきみ)の子とあるだけ。…それ以前の王朝とは血縁関係を否定する意見が多数派ですが、裏付けに乏しく、 私などは、あえて主張するほどの近さでもないのに、わざわざそう書くのだから、素直に5世の孫と受け止めていいのではと思っています」と、アッサリとまとめてしまっています。

 それなら、「5世の孫」とはいっても、系図が失われているので裏付けがなく、この論争は史料がみつからない限り、決着がつかないでしょう。でも、そこが古代史の面白さとも言えます。

 他にもありますが、長くなると、文句が百出して、読まれませんのでこの辺で(笑)。

 【後記】

 三浦佑之・千葉大名誉教授による「神話でくらべる古事記と日本書記」は大変勉強になる論考でした。この論文を読めるだけでこの雑誌の価値はありました。簡単に要約すると、古事記は、出雲の神々の滅びに対する哀悼や鎮魂を語ろうとしている印象を受けるのに対して、日本書記は、国家の正史として、王権の側の視点で出来事を叙述しようとする意図を強く感じるといいます。日本書記では、古事記で大きな分量を占めていた地上の王オオクニヌシの物語を意図的に削除したのが丸見えで、いびつな流れになっている、とまで指摘するのです。なるほど、そういうことだったのですか。「国譲りの物語」とは、やはり、大和朝廷が最後の強大な豪族「出雲」を征服する物語だったということなのでしょうね。

みすず書房を創った人、小尾俊人

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 岩波書店の岩波茂雄、筑摩書房の古田晃、三笠書房の押鐘富士雄、青春出版社の小澤和一、大和書房の大和岩雄…と、どういうわけか、出版社の創業者には長野県人が多いのです。長野県は、熱心な教育県で、真面目で忍耐強い人が多く、悪く言えば(笑)頭でっかちの教条主義者を多く輩出し、「日本のドイツ」の異名を取るぐらいですからね。

 忘れてはならない長野県出版人には、他にみずず書房を創業した小尾俊人がいました。私も学生時代から大変お世話になりました。当時の学生の間でよく読まれたバートランド・ラッセル、レヴィ=ストロース、メルロー=ポンティ、ロラン・バルトなど高くて買えず、背表紙を眺める怠惰な学生ではありましたが、図書館で借りて読んだものでした。

 また、長じでからは、ゾルゲ事件にはまり、みすず書房から出ている「現代史資料」は必需品でした。その編集・解説者として小尾俊人(1922~2011)の名前は自然と覚えましたが、この方の経歴にまで興味が及ぶことはありませんでした。

 それが、最近、この方の評伝が出て、「渓流斎はんや、この本、読まなきゃいかんぜよ」という土佐方面からのお薦めがあったものですから、早速手に取ることにしました。

 宮田昇著「小尾俊人の戦後 みすず書房出発の頃」(みすず書房、2016年4月25日初版)という本です。著者の宮田氏(1928〜2019)は早川書房などを経て、版権などを扱う日本ユニ・エージェンシーを創立し、翻訳関係の本を多く出版している方でした。生前から小尾俊人と長期に渡って接点があった人です。

 それでも、小尾俊人の人となりについてはわずかしか知らず、彼の生涯はどういうものだったのか、小尾俊人の生地である長野県諏訪郡豊平村上古田(かみふった)などを何度も訪れて、辿っていくのがこの本です。

 正直、大変失礼ながら、個人的に、著者の宮田氏の文章は、読みにくくて、すっと頭の中に入って来ず、難儀しています。悪文ではなく、私との相性が悪いというべきか(笑)、こちらの理解力が足りず、スラスラ読めないというのが真相でしょう。というわけで、まだ400超ページ中200ページぐらいしか読んでいないのに、拙速にも、この本を取り上げることをお許し頂きたい。何しろ、意外と知られていない「真実」が、この本では掘り起こされているからです。

 まず、取り上げなければならないことは、小尾俊人は、昭和15年に岡谷工業高校卒業後、18歳で上京し、同郷の岩波書店入社を希望したものの叶わず、創業者の岩波茂雄から紹介された羽田書店に入社したことです。

 この羽田書店とは、元首相の羽田孜(1935~2017)の父親の羽田武嗣郎(はた・ぶしろう、1903~79)が岩波茂雄の薦めで起こした出版社でした。この羽田武嗣郎という人は面白い人で、師範学校の校長を定年で辞めた後、バス会社「和田嶺自動車」を創業した貞義を父に長野県和田村で生まれ、東北帝大では漱石門下の阿部次郎に師事し、卒業後は東京朝日新聞の政治記者になり、その後、政治家に転身した人でした。

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小尾俊人の父栄は、島木赤彦に師事した歌人で、南信日日新聞や信陽新聞の歌壇の選者でした。

 こんな感じで、色んな著名人や関係者が出てきます。

 ロマン・ロラン全集などを世に出した創業当初は、みすず書房ではなく、信濃にかかる枕詞「美篶(みすず)刈る」から取った美篶書房だったことも初めて知りました。

 小尾俊人は、経営者というより、根っからの編集者で、日々の勉強を怠らず、あの丸山眞男からも一目置かれていたようです。小尾の目利きで、ロングセラーになったフランクルの「夜と霧」を出したことは知ってましたが、芥川賞を受賞した小島信夫「アメリカ・スクール」と庄野潤三「プールサイド小景」まで、みすず書房だったことをこの本で知りました。

 先に書いた通り、みすず書房=小尾俊人が海外から日本に紹介した学者、作家は、ロマン・ロラン、バートランド・ラッセル、レヴィ=ストロース、メルロー=ポンティ、ロラン・バルト、ミシェル・フーコー、ユング…と数知れず。今や死語になった教養主義の金字塔を打ち立てた人だったことは間違いありません。

 しかも、お金も学閥もない、長野県の田舎から出てきた一介の無名の青年が、「志」一つで、ここまで大きな仕事を成し遂げたことは、まさに奇跡に近い感じがしました。

今や、学生でさえ本を読まなくなり、金融工学が世界を支配してカネだけが全てになり、教養主義が蔑ろにされる時代になったことから、今後、採算を度外視し、志だけを信念に仕事をする小尾俊人のような人間が出ることはないでしょう。

日本の闇を牛耳った昭和の怪物120人=児玉誉士夫、笹川良一、小佐野賢治、田中角栄ら

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東京の調布先生に久しぶりにお会いしたら、「貴方も好きですねえ。真面目に仏教思想を勉強していたかと思ったら、最近またアンダーグラウンド関係に熱中していますね」と言われてしまいました。調布先生もしっかりと渓流斎ブログをお読みになっているんですね(笑)。

 アンダーグラウンド関係にのめり込むきっかけの一つが、何を隠そう、調布先生の影響でした。もう時効ですから明かしますが、もう四半世紀以上も昔のこと。当時会社があった東京・内幸町界隈にどでかい東武財閥系の富国生命ビルがあり、その地下は飲食街になっていて、よくランチに行っておりました。ある日、調布先生が、わざわざ弊社にお見えになり、昼時なので、その富国生命ビルにランチに行くことになりました。

 そこの1階には、入居しているテナントの会社のプレートがあり、調布先生は「この方を御存知ですか?」とニヤニヤしながら御下問するではありませんか。そこには「日本政治文化研究所 西山広喜」と書かれていました。当時の私はまだ紅顔の美青年ですから、世間のことは何も知りません。後で、その方は、その筋では知らない人はいない右翼活動家で総会屋の大物だということを知りました。

 その後、調布先生から、いきなり「滋賀県の大津に行きましょう」と言われ、連れて行かれたのが、義仲寺です。名前から分かる通り、源平時代の武将・木曽義仲の墓所でした。しかし、昭和初期には荒廃して壊滅寸前だったといいます。戦後、この寺の復興整備に尽力した著名人の墓もありました。一人は、「日本浪漫派」の文芸評論家保田与重郎(1910~81)。この人は私も知っています。しかし、調布先生が私に教えたかったのがもう一人の方でした。三浦義一(1898~1971)。大分県出身。戦前は虎屋事件、益田男爵事件などを起こし、戦後直後は、政財界の最大の黒幕と恐れられ、日本橋室町の三井ビルに事務所を構え、大物政治家や財界人が足繁く通ったことから、「室町将軍」の異名を取った人だというのです。

 私もナイーブでしたから、知るわけありませんよね。当時は、インターネット情報も充実していませんし、「知る人ぞ知る」人物に関する人名事典すら書籍として発行されていなかったので、その筋の情報は、一部の関係者の間で口コミで広がるぐらいでした。

 しかし、今は違います。ガセネタも多いですが、ネット情報があふれ、本もいっぱい出ています。前置きが随分長くなりましたが、21世紀の令和時代となり、昭和時代も歴史となった今、いい本が出ました。これもまた、調布先生が教えてくれた、というおまけ付きです(笑)。

 別冊宝島編集部編「昭和の怪物 日本の闇を牛耳った120人の生きざま」(宝島社、2019年12月25日初版)です。恐らく、色んなライターが別々に書いているようで、それぞれに出来不出来があり、明らかな間違いや校正ミスもありますが、全体的によくまとまっています。見開きページに一人、顔写真と経歴付きですから、小事典としても使えます。

 裏世界を何も知らなかった頃から30年近く経ち、あれから、普通の人よりもかなり多くのその筋の本を読み(笑)、重要人物からもお話を聴くなどかなりの情報を獲得しましたから、私もさすがにその方面には異様に詳しくなり、情報の目利きができるようになりました。

  この本の「日本の闇を牛耳った昭和の怪物120人 」をどういう基準で編集部が選んだのか、よく分かりませんが、欠かせない人物なのに落ちている人がいることが散見されます。例えば、フィクサー田中清玄(1906~93)、北星会会長岡村吾一(1907~2000)、 情報誌「現代産業情報」発行人石原俊介(1942~2013) はマストでしょう。山段芳春(1930~99)を取り上げるなら、「京都三山」の高山登久太郎(1928~2003)らも取り上げなければいけませんね。バブル期のリゾート王・高橋治則(1945~2005)や末野謙一氏、北浜の天才相場師・尾上縫(1930~2014)らも欲しいですが、彼らは別に黒幕でも何でもないですけどね(苦笑)。

 この本には、先程の三浦義一と西山広喜(1923~2005)はもちろんのこと、児玉誉士夫(1911~84)、笹川良一(1899~1995)、小佐野賢治(1917~86)、岸信介(1896~1987)、田中角栄(1918~93)ら、この手の本では必ず出てくる人物は漏れなく登場しますが、番外編として、玄洋社の頭山満(1855~1944)と杉山茂丸(1864~1935)や黒龍会の内田良平(1874~1937)らも取り上げているのが良い点です。また、私自身が取材経験のない弱点でである(笑)総会屋系の木島力也(1926~93)、芳賀龍臥(1929~2004)、小川薫(1937~2009)、正木龍樹(1941~2016)、小池隆一氏(1943~)らの略歴で、彼らの師弟関係も分かり勉強になりました。

 【後記】

 「昭和の120人」のせいなのか、1926年(大正15年、昭和元年)生まれが異様に多かったですね。安藤昇、渡辺恒雄、氏家斎一郎、木島力也、五味武、根本陸夫といった面々です。ちなみに、同年生まれには、梶山静六、森英恵、多胡輝、菅井きん、山岡久乃、佐田啓二、マリリン・モンロー、仏のジスカールデスタン、キューバのカストロ、中国の江沢民、米コルトレーン、チャック・ベリーら多彩な人を輩出しております。

大手メディア報道は政府情報と政府情報を足した情報?=「教養としてのヤクザ」

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 溝口敦/鈴木智彦「教養としてのヤクザ」(小学館新書、2019年10月8日初版)という大学の講義のような本を書店で見つけ購入しました。

 溝口氏は、日本の組織犯罪問題の第一人者と言われる著名なノンフィクション作家ですが、若い頃、あの「アサヒ芸能」(徳間書店)の記者だったことは自身のプロフィルには書かれていませんね。 私も「食肉の帝王」「暴力団」など多くの著書でお世話になっております。鈴木氏は「ヤクザと原発」「サカナとヤクザ」(安倍首相夫人がこの本に感動し、著者は『ご進講』をお願いされたことを本人が語っています)などで話題になったジャーナリストで、若い頃、その筋の「実話時代」などで腕を磨いた人です。

 この巨匠ともいうべき筋金入りの2人の対談集ですが、2人の記憶力には恐れ入るばかりです。「ヤクザと食品」「ヤクザと五輪」「ヤクザと選挙」など実に多岐にわたって発言されておりますが、私が一番興味深く読んだのは「ヤクザとメディア」です。鈴木氏は「新聞やテレビの暴力団担当記者は、実際には暴力団を取り締まる警察の担当で、その警察から暴力団の情報をもらって書いている。記者の大半は、警察発表と検察発表を整合させて、これを『裏を取る』と言っているわけです。当該暴力団にアテるわけじゃないんです。彼らの裏取りは政府情報と政府情報を足して、それで合わせるから暴力団に接触なんかしない。そもそも『接触するな』って言われているから」と発言しています。

 その通りでしょうね。大手メディアは、戦場の最前線にしろ、危ない所には行きませんからね。世間では暴力団存在そのものに対する疑義があり、それは当然です。しかし、何でもそうですが、メディアが政府情報のみの一方的な報道だけでは、官報と変わりがなく、情報の受け手である市民の方もバイアスをかけて見る必要がありますね。

 鈴木氏は、こんな逸話も紹介していました。抗争事件があって、テレビ局が現場取材にいくと、組員が掃除をしていたので、「撮らせてください」と頼むと、組員は「オッケー」と言いながらも、「ただし、こっちも体面があるから、俺が怒っているところを撮れ」と言って、「オリャア、コリャア」という場面を撮ったらしいのです(笑)。漫画の世界ですね。

  何しろ、「教養本」ですから、この本を読めば社会の仕組みから、政治の裏世界までよく分かります。原発の汚染水処理も、東京オリンピックも、かなり暴力団が関わっていることも明かしています。

 このほか、今、タピオカがブームになって、かなり儲かっていますが、暴力団がこれに目を付けてかなり進出していることもこの本で初めて知りました。何しろ、原価は30~40円なのに、売値は500円ぐらい。都心の超一等地でも5坪ぐらいあれば簡単に開業でき、1店舗に付き月80万~100万円の利益が出るそうです。

 ほかにも、たくさんありますが、「裏社会を知らずにジャーナリズムを語ること勿れ」ですね。

「諸悪莫作、諸善奉行」「世間虚仮、唯仏是真」=聖徳太子

 このブログは、ほぼ毎日更新しているため、恐らく、付いていけず脱落された方も多いと思います。私も脱落する自信があります(笑)。ただ、日々の知的好奇心が読書量に追い付いていない気がします。いや、その逆かもしれません。日々の読書量が知的好奇心に追い付いていない気がします。知りたいことがまだ沢山あります。

 今も2冊を平行して読んでいます。読み終わると1カ月も経てば忘れてしまうので、備忘録としてこのブログに書いているだけなのかもしれません。

 先週は、松濤弘道著「日本の仏様を知る事典」を読了したので、羅列したいと思います。

如意輪観音の「如意」とは、如意宝珠のことで、どんな願いでも叶えてくれる珠のこと。「輪」とは、法輪のことで、仏の教えを指し、この仏に祈るとすべての願いが叶う。右手の第1手は頬につけて思惟をしている姿で、地獄道の人々を救う。右手の第2手は如意宝珠を持ち、餓鬼道から人々を救う。右手の第3手は、立膝の上で数珠を持ち、畜生道から人々を救う。また、左手の第1手は蓮弁に触れて修羅道から人々を救い、第2手は脇の下から蓮華を持ち、人道から人々を救い、第3手は、肩の上に法輪を持ち上げて、天道から人々を救うという。

・観音菩薩は、仏弟子の舎利弗、勢至菩薩は、目連のそれぞれ神話化されたものという。

・華厳経によると、善財童子(菩薩)は、仏の教えてを求めて、文殊菩薩の薦めで、53人のあらゆる職業の師に教えを乞う旅に出て、最後に勢至菩薩と巡り会って、所期の目的を果たす。この故事から、東海道五十三次などが生まれた。

・「明王」は、インドの原住民ドラヴィダ族の神の化身で、外来のアーリア人からの支配を受けた関係で、奴婢や奴隷の姿をしている。不動明王大日如来が変身し、降三世(ごうさんぜ)明王は、阿閦如来が変身したものといわれる。また、軍荼利明王は、宝生如来の変身、大威徳明王は阿弥陀如来の変身と言われる。さらに、金剛夜叉明王は不空成就如来(釈迦)の変身、愛染明王は、金剛愛菩薩の化身といわれる。

・世界の中心に須弥山(しゅみせん)がそびえ、その周囲に九重の山脈と八つの海がめぐらされている。その海の東西南北に四つの島が浮かび、南のしまの閻浮提(えんぶだい)が我々の住む世界。

・須弥山世界の下から十層目にある天界(有頂天)に梵天(ヒンズー教の最高神ブラフマンが仏教化)が住み、須弥山の頂上の忉利天(とうりてん)の喜見城(きけんじょう)には、帝釈天(原名インドラ)が住む。梵天と帝釈天を釈迦の脇侍とする三尊像が、ガンダーラでつくられた。帝釈天は、音楽神の乾闥婆(けんだつば)の娘をめぐって、阿修羅(八部衆)と争い、その闘いは熾烈を極めたことから、修羅場という言葉が生まれた。

・東の持国天、南の増長天、西の広目天(シヴァ神の化身)、北の多聞天(ヴィシュヌ神の化身⇒単独では毘沙門天)は「四天王」と呼ばれ、帝釈天の家来に当たる。

吉祥天は、鬼子母神(訶梨帝母=日蓮宗に多くまつられている)の娘で、毘沙門天の妻。弁財天は、梵天の妃。

大黒天は、シヴァ神の化身で、梵天の子。また、毘盧遮那仏の化身。

荼吉尼(だきに)天は、インドの魔女ダーキニーの音訳。平安時代の頃に、稲荷と習合する。稲荷は、イネナリから稲の実りを意味する農耕の神。宇迦之御霊(うかのみたま)、保食神(うけもちのかみ)といわれる。伏見の稲荷大社は、真言宗東寺の鎮守神として崇められ、荼吉尼天を本地とする神仏混淆の神。

・七福神=毘沙門天は、災いから身を守る神、大黒天は食欲を、弁財天は性欲を、寿老人は長生きを、福禄寿は権力欲を、布袋は笑いを、恵比寿は金欲を満たす神。

聖徳太子は死に臨み、周囲には「諸悪莫作(しょあくまくさ)、諸善奉行」(もろもろの悪しきことはなさず、もろもろの善きことを行え)と告げ、妻には「世間虚仮(せけんこけ)、唯仏是真(ゆいぶつぜしん)」(世の中のものは全てむなし、ただ仏の真実なり)と語ったという。

真理に目覚めた仏陀=仏像の世界は大変奥が深い話

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一昨日から松濤弘道著「日本の仏様を知る事典」(日本文芸社、1988年4月30日初版)を読んでおりますが、教えられることが多く、大変勉強になります。

 ちょっと古い本ですが、会社の資料室にあったのを見つけ、自分用として読みたかったので、ネットで購入したのでした。「自分用」というのは、著者には大変申し訳ないのですが、本文に赤線を引いたり、書き込みしたりしてしまうことです。それほど格闘しながら読ませて頂いている、ということでお許し願いたいところです。

 著者の松濤弘道(まつなみ・こうどう)氏は1933年、栃木県生まれで、大正大学から米ハーバード大学大学院で修士号を取得され、栃木市の浄土宗近龍寺の住職などを務めておられましたが、2010年に77歳でお浄土へ往生されたようです。

近龍寺のHPによると、松濤氏には、日本語で55冊、英語で30冊、他にも中国語、フランス語、ポルトガル語等、多数の著作があったそうです。また、近龍寺には、栃木出身の作家山本有三のお墓があるらしく、私も昔、「路傍の石」や「真実一路」など愛読させて頂きましたので、いつか、この寺を訪れたいと思います。

  「日本の仏様を知る事典」は、特に、「如来」「菩薩」「明王」「天」など階級別に仏像について詳しく書かれていますが、仏教とは何か、といった基本的なことにも折に触れて解説してくれます。

 多くの人が誤解しているようですが、仏教とは、キリスト教などと違って、絶対的な神を信仰する宗教ではなく、修行によって自分自身も、真理に目覚める仏陀(覚者)になることを目指すことでした。松濤氏によると、仏陀とは、宇宙を創造した神でもなく、人間を裁く審判神でもなく、超越的な権力や力を備えた至上神ではない、といいます。

 仏教とは、釈迦という一人の人間が、説いた教えです。(王子の身分でありながら、妻子も捨てて29歳で出家し、6年間の修行の末、仏陀となり、80歳で入滅)釈迦が悟ったことは、すべての生物は自己の存在や自我意識に執着し、無明(執着の根源)から他者を差別し、他者の犠牲のもとに生き延びている、ということでした。そこで、釈迦は、他人を害することなしに生存するには、各自の特異性を認め、生命の同一存在(一如=いちにょ)を追体験することだと考えたといいます。もし、一如の生活に則れば、他者と喜びを分かち合い、他者の苦しみはわが苦しみとして受け入れ、人の幸せも自分の幸せとして感じ、気づくことができるだろう、といいます。

 このように、釈迦が悟ったことを簡略して、大きく二つだとすると、「智慧」と「慈悲」がそれに当たります。それゆえに、仏像にこの二者の概念が付きまといます。例えば、釈迦三尊像の場合、真ん中に釈迦如来を据え、脇侍(わきじ)として文殊菩薩と普賢菩薩を配し、それぞれ、智慧と慈悲を象徴しています。阿弥陀三尊の場合、中央の阿弥陀如来の脇侍には観音菩薩(慈悲)と勢至菩薩(智慧)を配します。密教の大日如来の場合、金剛界が智慧、胎蔵界が慈悲を表します。

 仏を分かりやすく整理すると、世界の真実そのものを人格化した毘盧遮那如来(奈良の大仏など)や大日如来を「宇宙仏」、釈迦如来のように世の真実を体得したものを「人間仏」、仏の徳性の働きを象徴する阿弥陀如来や弥勒如来を「理想仏」と分ける考え方もあるそうです。また、鎌倉時代には「過去仏」として釈迦、「現代仏」として阿弥陀、「未来仏」として弥勒の三世仏が盛んにつくられたといいます。弥勒如来は、釈迦の死後、56億7000万年後の未来に現れて、衆生を救済してくれる仏で、天理教や大本教に影響を与えました。(その弥勒如来が現れるまでに、地獄に堕ちた人でも救済してくれるのが地蔵菩薩です)

自宅の御本尊である36年前に鎌倉の仏具店で購入した仏様。当時20万円ぐらい。てっきり釈迦如来像かと思ったら、阿弥陀如来像でした。(本文参照)

 この本では色々と教えられましたが、釈迦如来像と阿弥陀如来像の区別の仕方が初めて分かりました(苦笑)。右手を上げて、中指を曲げているのが釈迦で、両手で印を結んでいるのが阿弥陀だといいます。東南アジアに広がった小乗仏教は仏像といえば、ほとんど釈迦如来像ですが、大乗仏教となると、さまざまになります。特に日本では、本地垂迹説で、色々な仏像がつくられ、釈迦如来像は天平期の頃がピークで、それ以降は、浄土教の影響からか阿弥陀如来像が主に占めたそうです。

 この本については、またいつか取り上げたいと思いますが、今日最後に特記したいのが阿閦如来です。「あしゅくにょらい」と読みます。 阿閦とは無瞋恚(むしんい)と同じ意味で、すべての誘惑に打ち勝ち、永遠に怒りや恨みを抱かないと誓って、東方世界に妙喜浄土をたてた仏だといいます。以前、このブログでも書きましたが、瞋恚とは、仏教用語の十悪(殺生・偸盗・邪婬・妄語・綺語・両舌・悪口・貪欲・瞋恚・邪見)の一つでしたね。私自身、最近、この瞋恚(自分の心に逆らうものを怒り恨むこと)に取りつかれていたので、この阿閦如来さまに縋るしかありません。奈良の西大寺にも鎮座されているそうなので、西大寺先生に写真を送ってもらいたいものです。

「警察用語の基礎知識」は役に立つ

 嫌な映画を観たせいか、馬鹿らしくなり、我ながら読書量が衰えません。先ほど、古野まほろ著「警察用語の基礎知識」(幻冬舎新書、2019年3月30日初版)を読了しました。

 皆さまご案内の通り、私はメディアの仕事に従事していますが、経歴としてほとんど「サツ回り」(県警や所轄担当の事件記者)はしたことはありません。例外として北海道に赴任したときに、道警の警察署に顔を出して何十本かの事件、事故記事を書いたぐらいでした。社会部に配属されたこともないし、正直、警察の組織にも興味はなく、普段でも、警察モノのテレビドラマや映画は見ませんし、いわゆる警察小説も読みません。

それでは、何で、このような本を読んだかといいますと、今たまたま、仕事で、警察関係の人事情報処理もやっているもので、そのための参考書を読まないといけないと以前から思っていたらからでした。

※自分で撮った本の表紙も著作権侵害に当たるのなら、この写真は削除します。コメントで連絡ください。

 この本も、会社近くの本屋さんで、たまたま見つけたものでした。

 著者の古野まほろ氏は、今はミステリー作家ですが、東大法学部を卒業して警察官僚のキャリアとなり、警察大学校主任教授を最後に退官しているということで、60代ぐらいの人かと思ったら、年齢は公開しておらず、定年退官でなければ、まだ40代後半の方なのかもしれません。ま、それはともかく。

 私はメディアの人間ですから、それが当たり前かと思っていたら、単なるメディア用語で、警察内では正式に(法令として)使わないという用語をこの本で取り上げていたので、少し驚いてしまいました。

 例えば、「容疑者」です。これがメディア用語だとは恥ずかしながら知りませんでした。業界(著者の言うところの警察業界)では、「被疑者」と言うんだそうですね。また、「重要参考人」も「現場検証」もメディア用語で、業界ではあまり聞かない、とのこと。

 このほか、「送検」や「書類送検」もメディア用語で、業界では絶対に使わず、「送致」(事件を法務省の検察官の手に移す手続き)しか警察官の脳内辞書には登録されていない、と書いてありました。「県警」「道警」などもメディア用語で、正式には「北海道警察」「静岡県警察」などと最後の「察」は省略しません。でも、世間では「県警」などが浸透してしまっているので、業界内でも非公式な口頭などでは使っているようです。

◇「星の数」とは階級のこと

 この本には、色んな事が書かれていますが、最初に書いた通り、私が仕事で使う人事、つまり、警察の階級を特記したいと思います。以下の9階級あります。

(1)警視総監 星四つ  警察庁長官と警視総監(紛らわしいが、こちらは東京都警察本部のトップ)の2人だけ

(2)警視監 「大規模県の警察本部長」役員クラス 40人ほど

(3)警視長(業界での通称はケイシナガ、警視庁と混同されるため)ノンキャリアの最高位。「警察本部長」「警察本部の総務部長」

(4)警視正(通称マサ)「警察本部の部長」「大規模県の警察本部の課長」

(5)警視(通称シ)「署長」「警察本部の課長」。ここまでの警視以上の階級は全体の3%

(6)警部(通称ブ)最初の管理職。「署の課長」「警察本部の課長補佐」全体の7%

(7)警部補(通称ホ)現場の実働部隊のトップ。「係長」。キャリア組のスタートはここから。

(8)巡査部長(通称ブチョウ)「主任」

(9)’ 巡査長巡査(通称サチョウ、非正式な名誉称号で階級は巡査と同じ)

(9)巡査(通称サ)企業でいえば「係員」

(1)の警視総監は別格。(2)~(4)が将官、(5)~(7)が士官、(8)~(9)が下士官に当たる。

 警察庁は国家公務員で、全国の47都道府県の警察本部は、独立した組織。警視庁(東京都警察本部)は5万人で最大。他の県警は2000人~3000人程度。

・仕事をしない、できない、それなのに態度がでかい(笑)不良警察官のことを「ゴンゾウ」という。ゴンゾウでもクビにできないから、中には、あらゆる人事措置に耐え抜いてしまうゴンゾウ警察官はサバイバーと呼ばれ、ある種の敬意の対象にすらなるそうです。

・警察用語の「ニンチャク」とは人相着衣のこと。被疑者は「マルヒ」、被害者は「マルガイ」という。警察小説やドラマなどで使われて社会常識になってしまった「ホシ」や「ガイシャ」は業界では使わない。

・警察官の一人称として「本官」はあり得ない。「本職」か、少し卑下する場合は「小職」を使う。

他にもありますが、ここまで。

「天才と発達障害」との関係

WST National Gallery Copyright par Duc de Matsuoqua

 たまたま本屋さんで見つけた岩波明著「天才と発達障害」(文春新書)を読了しました。最近、自宅近くの本屋さんがつぶれまくって、このようなセレンディピティ(素晴らしい偶然の発見)に出会う機会も少なくなってきているのが残念です。

 著者は、東大医学部を卒業した発達障害が専門の精神科医です。本書では、古今東西、世に天才と呼ばれた人たちを取り上げ、「彼らは、実はADHD(注意欠如多動性障害)やASD(自閉症スペクトラム障害)の特徴を示していた」などと、書かれた作品や周囲が残した証言などから、何でも天才と発達障害を結び付けている感がありましたが、実際に、臨床実験などでも証明されているようです。

例えば、作家には、うつ病や躁うつ病など精神疾患に罹っている人が多いという記述があり、そう言えば夏目漱石も芥川龍之介も太宰治も北杜夫らもそうでしたね。

 作家や芸術家や天才には精神疾患が多いとはいえ、その逆も然り、とはいきませんが、ASDと呼ばれた人の中には、全国の鉄道路線と駅名を全て暗記してしまう人もいます。普通の人とは集中力と根気力が違うのでしょう。

引退した野球のイチローも天才と言われましたが、彼は常人ではとてもできない単調な素振りを毎日何百回も続け、毎日、同じカレーを食べ続けたりする「努力の天才」とも言えます。超人的能力は、やはりASDのような毎日反復しても飽きない格別な能力の賜物のような気がして来ます。

岡山城

 本書で取り上げられている古今東西の有名な天才として、賭博依存症だったモーツァルトやドストエフスキーのほか、今で言う発達障害の傾向があったダーウィンやアインシュタイン、ゴッホやウイットゲンシュタイン、野口英世、南方熊楠らの逸話を取り上げています。

 私は知らなかったのですが、作家のジェームズ・ジョイスやコナン・ドイル、英首相だったチャーチル、劇作家のテネシー・ウイリアムズ、女優のヴィヴィアン・リーまで発達障害や精神疾患を抱えていたんですね。

 類まれな文学的才能に恵まれ、ノーベル賞を受賞したアーネスト・ヘミングウエイは、若い頃は傲慢で周囲の人間は付き合いづらかったらしいですが、晩年はうつ病に悩まされ、創作力も落ちて、税金が支払えなくなるという不安に陥り、最期は猟銃自殺しています。精神疾患は家族性なもので、父親のクラレンスも、うつ病から拳銃自殺し、妹のアーシェラと弟のレスターも自殺したといます。しかも、ヘミングウエイの最初の妻ハドリーとの間の息子ジャックの娘、つまり孫に当たるマーゴも、モデル、女優として活躍しながら、発症して自殺し、ヘミングウエイの三男グレゴリーも精神疾患から変死したことなどもよく知られています。

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 東大医学部には天才の研究のための資料として、傑出した人の脳標本が保存されています。夏目漱石は聞いたことがありましたが、このほかに、中江兆民、内村鑑三、桂太郎、浜口雄幸らもあるそうです。

 天才とは全般的に学業成績が秀でているというのではなく、つまり、勉強ができるから天才だというわけではなく、一つのことでも根気よく集中することができて、普通の人ではとてもできないことを成し遂げる才能だと言えます。そして、周囲との協調性がなく、被害妄想から薬物依存症になるなど、凡人から見ると、どうも不幸な生涯を送ったようにも見えます。

 著者は「天才と呼ばれる人たちは扱いにくい人たちである。彼らは発達障害の特性を持つことが多く、人の話は聞かず、独断で物事を進めてしまう傾向が大きく、自分勝手で衝動的なことも多い」としながらも、「天才や異能を排除する社会は何よりも面白みのないものになってしまうに違いない」「天才を使いこなせない日本社会の現状を変えて行かなければいけない」などと主張しています。

 確かに同感ではありますが、正直、実生活では天才とはあまりお付き合いしたくないですね。でも、どういうわけか、私の友人の多くは、世間的に有名ではないかもしれませんが、天才肌が多いんです。私が言いたいこと分かりますよね?(笑)

煩悩に取りつかれたカルロス・ゴーン被告

 日本時間の8日午後10時のカルロス・ゴーン被告の記者会見は予想通りでしたね。自分の言いたい放題で、肝心なことは秘匿して、自己正当化と自己保身と自己主張に終始しました。弁護士でもある日本政府の森雅子法相が夜中の1時近くに臨時記者会見して「(ゴーン被告の)出国は犯罪行為に該当し得る。それを正当化するために、国内外に向けてわが国の法制度について誤った事実を喧伝するのは到底看過できない」と批判したことは大いに賛同します。日頃、日本政府に対して、厳しい批判を書き連ねている渓流斎も、諸手を挙げて賛同致します。

 記者会見場には、ゴーン被告の「お気に入り」のメディアしか入場できず、日本のマスコミはほとんどシャットアウト。唯一許されたのが、朝日新聞と小学館とテレビ東京だったらしいですが、その選別の仕方には思わず笑ってしまいました。選ばれなかった読売新聞は、「米CNNの中継映像などによると」といった報道の仕方で、聊か格好悪かったですねえ。

 それにしても、ゴーン被告が、映画まがいの犯罪的逃避行をしながら、全く悪びれることなく、世界中が注目する公の席に登場できた自信の根拠は焉んぞあらんや、と感嘆してしまいました。

 たまたまですが、先程、阿満利麿・現代語訳の法然「選択本願念仏集」(角川ソフィア文庫、平成19年5月25日初版)をやっと読破することができました。途中で難解な仏教用語を調べながら読んでいたので、1カ月以上掛かりました。最初は、無謀にも、法然房源空上人の原文をそのまま読んでみましたが、理解できずに挫折。現代語訳に辿り着き、やっと少しは理解できました。

色んな専門家が現代語訳を出版されていますが、最初にこの阿満氏の訳文にしてよかったでした。初心者でも大変分かりやすかったからです。阿満氏は巻末に他の雑誌に寄稿したエッセイ「なぜ他力なのか」も収録しています。その中で、煩悩について書かれた箇所があり、法然と親鸞は、煩悩を以下の3種類として捉えていたといいます。

(1)欲が深いこと(従って怒りやすく、妬み、嫉むこともしばしば)

(2)生への執着心(生きたい、死にたくないという拘り)

(3)自己正当化に熱心な精神(自己と他人を区別し、自己の優越を誇る)

 もちろん、これら3者を全否定してしまっては、生への原動力もなくなり、資本主義社会は成り立っていかなくなります。とはいえ、煩悩にとらわれた存在が凡夫であるということを自覚し、そんな凡夫でも、精励刻苦、修行し、智慧と慈悲の心を身に着け、菩提心を起こせば、煩悩から解脱した浄土の世界に行くことができるという宗教が浄土教思想であり、仏教だというのです。

 ゴーン被告は、(3)の自己正当化の煩悩に取りつかれていますが、仏教徒ではないので、聞く耳を持たず、逃亡を続けることでしょう。まさに、資本主義社会の権化ですからね。しかし、彼はまだ65歳。果たして、このまま、心の平穏(peace of mind)を得て往生できるのでしょうか。老婆心ながら御同情申し上げます。

大正期に東京主要5大紙の首位だった報知新聞=「近代日本のメディア議員」

佐藤卓己、河崎吉紀編著「近代日本のメディア議員」(創元社)を読了しました。ちょっと無味乾燥な部分もあり、「大学紀要」を読んでいる感じでしたが(失礼!)、大変よく調べ上げられており、メディアに 興味がない人でも、面白く読めるかもしれません。データ資料がしっかりしているので、恐らく、今後出版されるメディア関係の書籍も、この本から引用されていくことでしょう。

 例によって、自分が興味を持った箇所を、逸早く引用させて戴くことにしましょう。

・関東大震災が起こる前の1923年5月の東京主要5大紙の発行部数は、「報知新聞」が36万部でトップ。続いて「東京日日新聞」が30.5万部、「東京朝日新聞」が29万部、「国民新聞」が23万部、「時事新報」が20万部だった。新聞社の企業化の先頭を走った大阪系の朝日新聞・毎日新聞と比べれば、報知新聞はなおも「政治の論理」にとらわれた町田忠治社長(1919年、憲政会総務から社長に就任)派が影響力を保持していた。(35ページなどを改編)※ しかし、震災後、商業化路線の朝日、毎日によって部数は逆転することになります。 当時、いまだ健在だった黒岩涙香の「萬朝報」や「二六新報」などの部数は如何ほどだったんでしょうか?

早稲田大学出身者は1912年の第11回総選挙で、8人から16人へと議席を倍増させ、さらに政友会、憲政会、革新倶楽部の3党が護憲三派を形成した1924年の第15回総選挙で30人を超え、1942年、戦前最後の第21回総選挙まで30人以上維持し続けている。…このように、議会開設当初、メディア関連議員には早稲田出身者が多く、彼らが改進党系に連なったのというのは早稲田の政治的立場を考えれば当然かもしれない。明治14年の政変で政府から追放された大隈重信が改進党を創立し、郵便報知新聞を買収して実質的な社主になったことが理由の一端に挙げられる。(94~95ページを改編)

・駄馬裕司「大新聞社 その人脈・金脈の研究」によると、朝日新聞社が三井財閥と近しい関係にあり、毎日新聞社長の本山彦一は三菱財閥や改進党に関与していた。その結果、「朝日の方が権力中枢に食い込む上で有利だったに違いない」というのは、明治14年の政変で、改進党の大隈重信が失脚し、三井財閥に関連の深い伊藤博文井上馨が、権力の中枢に残ったからである。(99ページを改編)

WST National Gallery Copyright par Duc de Matsuoqua

・1855年生まれの田口卯吉は、1879年に経済雑誌社を創業し、日本初の本格的な経済雑誌と言われる「東京経済雑誌」を創刊した。…田口はジャーナリストというよりも経済学者であることが分かる。1872年に大蔵省の上等生徒となり、経済学の研究を進め、そこで、お抱え外国人のシャンドと出会い、英「エコノミスト」誌を範とする経済誌を日本でも発行したいという願いが、東京経済雑誌創刊の動機の一つとなった。(181ページ改編)

・同じ1855年生まれの犬養毅は、郵便報知新聞記者を経て、1880年に豊川良平と「東海経済新報」を創刊した。田口卯吉の「東京経済雑誌」が自由貿易を主張していたのに対し、犬養の「東海経済新報」は保護貿易を主張した。

・前述した1919年に報知新聞の社長になった町田忠治は、「朝野新聞」「郵便報知新聞」記者を経て、外遊後の1895年に東洋経済新報社を創立し「東洋経済新報」(現「週刊東洋経済」)を創刊した。同社出身の議員に、天野為之石橋湛山苅田アサノがいる。同誌は創刊以来、会社経営などの私経済よりも、経済界の大勢あるいは国家財政など公経済を得意としてきた。同誌の主張は、日露戦争まで経済的自由主義の域にとどまっていたが、大正期以降、帝国主義の放棄や民本主義などを主張し、石橋湛山編集長の頃は、「小日本主義」を唱えて日本の帝国主義的侵略を批判するなど政治的な言論活動を展開した。(183ページ改編)

・1897年に創刊された「実業之日本」(1964年から「実業の日本」、2002年休刊)は、1900年から、読売新聞経済部主任記者だった増田義一に、東京専門学校の同窓生の光岡威一郎が健康悪化により、「発行編輯に関する一切」を譲渡された。

野依秀市の「実業之世界」で編集を行っていた石山賢吉は1911年、実業之世界社を退社し、1913年にダイヤモンド社を設立し、「ダイヤモンド」誌(1968年から「週刊ダイヤモンド」)を創刊した。同誌には、財界の概況や時報が掲載され、会社の経営分析を連載し、併せて経済統計や調査資料が示されたが、政論は含まれていなかった。(187ページを改編)

・翼賛選挙を象徴するメディア議員である三木武吉(香川出身、早稲田法卒)は、1928年の京成電車疑獄事件で失脚し、34年に実刑が確定。36年の第19回総選挙に立候補できなかった。「浪人生活」を送っていた1939年5月に「報知新聞」社長に就任した。しかし、1941年7月、三木は報知新聞の株式を読売新聞の正力松太郎に譲渡してしまう。これについて、報知新聞で主筆を務めた武藤貞一は、「武藤貞一評論集 戦後篇」(動向社、1962年)の中で、三木は、翼賛選挙の政治資金を獲得するために、報知新聞を手離した、と厳しく批判した。(313~315ページ改編)

 キリがないのでこの辺でやめておきます。