若者と老人との間で階級闘争が始まるのか?

五木寛之著「孤独のすすめ」(中公新書ラクレ・2017年7月10日初版)は、タイトルから、てっきり、孤独になることをすすめている話かと思ったら、何と、今は「嫌老時代」で、働かないで、高級外車を乗り回したり、海外旅行に行ったりして遊んで暮らしている老人と、彼らの年金を支え、しかも将来自分たちの年金が確実に保証されていない若者との間の「階級闘争」の時代になるといった予言の書でした。

分からないでもありませんが、「階級闘争」なんて、19世紀的な、日本で言えば1920~30年代か、せめて1960~70年代の全共闘世代風の古さで、何となく違和感を覚えつつ、一気に読んでしまいました。

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上記の「階級闘争」は、何も私が言っているわけではありませんからね。少し引用しますとー。

・私もたまに感じるのだけど、若者が集まるコーヒー店などに高齢者が足を踏み入れると、すーっと空気が冷める気配になる。(100ページ)

・結論を言えば、「嫌老感」はやがて、一種の「ヘイトスピーチ」にエスカレートしていく危険性がないではない、と私は見ています。…「働かない人間たちが、優雅に生活を楽しんでいるじゃないか」「なぜ、生活の苦しい自分たちが、高齢者たちのために身銭を切らなければならないのか」「あいつらは社会の敵だ、排除しろ!」(110ページ)

まあ、こういった調子です。

五木さんは、最後の「おわりに」で、人間不信や自己嫌悪から逃れるいい手段として、「回想の力」を挙げ、これによって乗り越えることができると力説しておられます。

これがなければ、身もふたもない話で終わってしまいますので、唯一の救いです。

本文の中で、五木さんが昔、パリで買った高級靴を買ってそのままにしておいたのを引っ張り出してきたら、当時の60年代に起きたことを色々と思い出しり、昔の流行歌を聴いて、青春時代の思い出に浸ったりする話などにも触れてます。

「懐古趣味でもいいじゃないか。人間だもん」という声が聞こえてきそうですが、相田みつをさんの言葉じゃなかったでしたね(笑)。

パソコンのトラブルで疲労困憊 チョムスキーの「誰が世界を支配しているのか?」も問題山積で重すぎる話

ここ2,3日、先日買い換えたばかりのDell パソコンでちょっとトラブってます。

Wi-Fiの接続で、通信速度が極端に遅くて、うまく繋がらないと思ったら、原因はルーターが「節約モード」になっていたためで、「節約モード」をオフにしてやっとスムーズに繋がり、解決しました。

そしたら、今度は、Windows10のエクプローラーEdgeとかいうのが、うまく起動しません。どうやら買ったばかりなので、うまく初期化されていない感じで、すぐ「IMEが無効です」とバッテンが表示されて、フリーズしてしまいます。

相手は機械ですから、こっちがイライラしても始まりませんが、時間ばかり無駄に流れて疲れてしまいます。

今日は会社の富士通のパソコンまでご機嫌斜めで、社内無線LANで繋がってますから、アップデートを指令され、再起動をかけたら、今度は、ワードもブラウザーもフリーズ(もしくは応答なし)ばかりするようになり、仕事が何度も中断されて余計疲れました。

幸い会社には技術担当の青年がいるので、診てくれますし、個人用パソコンの方は、この機種を勧めてくれたITに詳しい石田先生がいるので、何度もメールで問い合わせて、救って頂きました。感謝深謝多謝です。

先達はあらまほしけれ、ですね。

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そんな中、今、寸暇を惜しむようにして、ノーム・チョムスキー著、大地瞬、榊原美奈子訳「誰が世界を支配しているのか?」(双葉社、2018年2月25日初版)を読んでますが、内容が深刻過ぎて、心苦しいといいますか、読み進めるのが辛いです。

チョムスキーは、「生成文法理論」を提唱して現代の言語学に革命を起こした言語学者で、私の学生時代から既に著名で、雲の上の存在のようなオーソリティーでした。今はどうしているのか、学生時代の友人の安田君という奇才が熱烈に信奉していたことを思い出します。

チョムスキーは1928年、米ペンシルベニア州生まれですから、今年90歳です。マサチューセッツ工科大学(MIT)名誉教授。1960年代のベトナム反戦運動から筋金入りの反政府主義者で、何度も投獄された経験の持ち主です。

ですから、この本も反体制=反米、政府批判の書と言ってもいいでしょう。何しろ、アメリカという国の成り立ちである先住民の大虐殺にも触れ、裏庭である中南米には親米政権になってもらわないと困るので、CIAによる反米国家の転覆(チリのアジェンデ政権など)や、「世界制覇」を維持するためのイラク、イランに対する封じ込め、親イスラエル寄り政策によるパレスチナ人の虐殺への直接的、間接的加担、そしてゴールドマン・サックスなどによる金融支配など、これでもか、これでもかと抽出し、白日の下に晒し出します。

比較的進歩的で、穏健派と言われた民主党のケネディやクリントンやオバマ大統領についても、「共和党のブッシュよりひどい」とコテンパンに批判します。

パレスチナ問題にせよ、地球環境問題にせよ、本書でこれだけ多く問題提起されると、とても、とても、安穏には暮らせず、まともな神経では立ち向かえないと思いました。

正直、逃げ出したくなりました。

さて、一体、誰が世界を支配しているのか?ーチョムスキーによると、「世界」とは、ワシントンとロンドンの政治支配層のことで、彼らの意にそぐわない輩のことを「テロリスト」とか「過激派」とかレッテルを貼り付けて、最後は殲滅するというのです。

個人的に以前から「正義」というのは胡散臭いと思ってきましたが、正義というものは、そういう脈絡で主張されていくものなのですね。

細川護熙元首相まで藤原氏の末裔だった

倉本一宏著「藤原氏」(中公新書)をやっと読了できましたので、書評ではなく、備忘録として書いてみたいと思います。

登場人物を一人一人、家系図で追いながら、いちいち人物相関図を確かめていたので、通読するのに2週間以上掛かりました。 前回書いた時は「大学院の修士課程レベル」と書きましたが、訂正します。「大学院の博士号課程レベル」でした。ここに登場する天皇、藤原氏、皇后、中宮、家系図、分家図を全て諳んじて言うことができれば、博士号取得は間違いないことでしょう。

それでは行きます。

・藤原鎌足を継いで中心に立った二男の史(ふひと)は、鎌足が亡くなった時、まだ14歳だった。幼少期は、百済系渡来人田辺氏の許で、養育された。権力取得した後は、史を「等しく比べる者がいない最高名」として不比等と改名した。

・藤原氏の礎を作った不比等の四兄弟が、その後の藤原氏の繁栄の祖を作る。(1)南家の武智麻呂(2)北家の房前(3)式家の宇合(4)京家の麻呂ーの4人だ。あいにく、この4人とも同じ疫病で亡くなった。何の疫病だったのか、この本には書かれていなかったが、洋泉社ムックの「藤原氏」には、天然痘と書いてあった。

・「御堂関白記」を残した藤原道長は、関白には就ていなかった。内覧と太政官一上(だいじょうかんいちのかみ)と左大臣のみ。天皇の外戚を利用して、摂関政治の頂点に立った。

・道長のピークはちょうど今から1000年前の寛仁2年(1018年)10月、三女威子を後一条天皇の中宮に立て、二次会の宴席で、「この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたる事も 無しと思へば」という有名な句を詠んだ。道長の21年間に及ぶ絶対的な権力政権により、政治が安定し、女房文学の繁栄がもたらされた。(道長の末子長家の子孫が和歌を司る冷泉家)

・道長は1028年に62歳で死去。道長を継いだ頼通は、4人の妃を後宮に入れたが、皇子を儲けることが出来ず、外戚の地位を得られなかった。これが摂関政治の衰退に繋がり、院政の道を開く。道長の死後は、頼通より4歳年長の姉彰子(一条天皇の皇后で、後一条天皇と後朱雀天皇の母。紫式部、和泉式部らが仕えた)が権力を握ったが、頼通は51年間もの超長期政権を築いた。

・北家冬嗣の兄である参議真夏を祖とする日野家からは、親鸞や、室町八代将軍義政の室となった日野富子らがいる。

・北家魚名の五代目に当たる秀郷は、承平・天慶の乱を鎮圧したとして有名だが、その後、「武将の祖」と仰ぎみられ、奥州藤原氏、足利氏、北面の武士佐藤義清(西行)らを輩出する。戦国武将の大友氏、立花氏なども秀郷の子孫を自称するも確かな証拠はないらしい。

・現代の細川護熙元首相は、熊本藩主の子孫としてよく知られているが、母親温子(よしこ)は、近衛文麿の娘で、実は藤原氏の末裔でもあった!

藤原氏を知らなければ何も始まらない

ここ2週間も日本の歴史を語るときに欠かせない「藤原氏」にはまっています。

倉本一宏著「藤原氏 権力者の一族」(中公新書・2017年12月25日初版)を読み続けていますが、なかなか読了できません(苦笑)。登場する人物を一人一人、「系図」で確かめて、人間関係を確認しながら読んでいるためです。

ですから、新書と言いながら、内容は濃密過ぎるほど深く、恐らく大学院の修士課程レベルではないかと勝手に思っています。この本だけで、理解することが難しいので、洋泉社ムック「藤原氏 至上の一族の正体」まで買ってしまったほどです。これを読むと、官位制や藤原氏から分かれる「近衛」「九条」「一条」などの公家一族の流れなどが一目で分かり、とても参考になります。

この本は、本人も「はじめに」に書かれておりますが、そして、以前私もこのブログで取り上げた「蘇我氏 古代豪族の興亡」(中公新書)の続編に当たります。藤原氏は、天皇の外戚となって権力を握った蘇我氏のやり方をそのまま踏襲したことになります。倉本氏といえば、先に「戦争の日本古代史」(講談社現代新書)も読んでいましたので、その博学ぶり、碩学ぶりには感服を通り越しておりました。

倉本氏は、「古事記」はもちろん、藤原不比等が撰修に深く関わった「日本書紀」、「続日本紀」(仲麻呂)、「日本後記」(冬嗣)、「続日本後記」(良房)、「日本文徳天皇実録」(基経)、「日本三代実録」(時平)の「六国史」、「藤氏家伝」「日本紀略」…とほぼ全ての原本に当たり、想像もできないほどの文献を読破しておられるようで、まあ、とても生半可な気持ちで読んでいてはとてもついていけません。

この本の内容を一言でまとめるのはまず困難です。少なくとも言えるのは、中臣鎌子=藤原鎌足を祖とする藤原氏は、この後、1300年間も日本の支配層の中枢の中枢を占めて、歴史を動かしてきたことは事実であり、奇跡的です。途中で藤原氏が天皇に成り代わろうと乱を起こしたり、摂関政治時代は特に、藤原氏が、数多いる親王の中から次の皇太子、天皇まで決めており、何だか、「万世一系」の天皇制といわれても、実は「藤原制」ではなかったのか、と勘繰りたくなってしまったほどです。

藤原氏といえば、平安時代の藤原道長は誰でも知っているでしょうが、幕末の三条実美も、近現代の西園寺公望も近衛文麿も藤原氏の末裔と聞くと少なからずの人は驚くことでしょう。1300年間、ずっと日本を動かし続けてきたのです。

それだけではありません。平泉で栄華を誇った奥州藤原三代も藤原氏。今も名前が続いている佐藤は、左衛門尉の藤原から、加藤は、加賀の藤原から、伊藤は伊勢の藤原、後藤は備後の藤原から来ていると言われていますからね。

武将の源氏も平氏も藤原の血が流れているので、まさに藤原氏抜きに日本の歴史を語れないわけです。

本日は、ちょっと官位制についてだけ、触れます。21世紀の現代になっても、叙位叙勲の制度があることは御存知かと思います。公立の小中学校の校長や大学教授も、亡くなった後や、88歳の米寿を迎えた場合、叙位叙勲されます。

このうち、例えば、大体ですが、小中学校の校長は、「正六位」か「従六位」、高校の校長は「正五位」か「従五位」か「正六位」、大学教授は「正四位」か「従四位」辺りで叙位されます。

古代から貴族の叙位は21歳以上になると行われ、大宝律令で定められた蔭位制(高位の親のお蔭で位を引き継ぐ)によりますと、皇族の親王は従四位下からスタート。藤原氏のような超有力臣族ともなると、従五位下からスタートするのです。(親が正一位や従一位の場合)

現代の校長先生や大学名誉教授が亡くなったりした時の最高の叙位が、21歳の若者のスタート地点だったことが分かります。

簡単にこの叙位と職掌の関係で言いますとー。

正一位・従一位=太政大臣

正二位・従二位=左右大臣・内大臣

正三位=大納言

従三位=中納言

正四位下=参議

従四位上=左右大弁

正五位上=左右中弁

正五位下=左右小弁

従五位下=少納言

といった具合です。

これは、何も、江戸時代や古代、中世の話ではないのです。現代も脈々と続いているということが言いたかったのです。

だから、偽証の佐川元国税庁長官やセクハラの福田元財務事務次官らがどれくらいの位階なのか、ちょっと興味ありますねえ(笑)。

ダン・ブラウン最新作「オリジン」はなかなかの力作

「我々は何処から来たのか   我々は何者か   我々は何処へ行くのか」(ゴーギャン)、進化論か神による創造か、無神論か原理宗教主義か…といった根本的な人類の問題に挑むダン・ブラウンの最新作「オリジン」上下(角川書店、2018年2月28日初版)を読破して、「やられたなあ」と少し感服してます。

お馴染みのハーバード大学宗教象徴学者のロバート・ラングドンが活躍するシリーズ第5作です。前作の「インフェルノ」(2013年)以来4年ぶりです。私自身は、それほど熱心な愛読者ではありませんが、2004年に帯広時代に読んだ彼のシリーズ第2作「ダ・ヴィンチ・コード」以来久し振りの感動を味わえました。

恐らく、本作もまた、トム・ハンクス主演で映画化されることでしょう。ですから、何となく、最初からハリウッド映画の脚本を読んでいる感じです。息もつかせぬ急激な場面とストーリー展開は相変わらずです。文章のうまさは、読者をグイグイ引きつけます。

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スペインはビルバオにあるグッゲンハイム美術館で、ラングトンの教え子で今や40歳の世界的権威の未来学者になったエドモンド・カーシュが、宗教界を揺るがす前代未聞の衝撃的な謎を解き明かす映像を発表するというところで、暗殺されます。その謎とは一体何か。カーシュは何を発表しようとしたのか。謎が謎を呼び、カトリック教会やスペイン王室まで巻き込む大騒動になり、謎を追跡するラングドン教授とスペイン王子と婚約した美術館の美人館長アンブラ・ビダル、そして、人工知能のウィンストンの活躍もあり、次第にその謎が明らかになっていくというお話です。

既に、これだけスマホが世界中に行き渡って、瞬時に情報が取れ、SNSで世界中が繋がってしまっている時代に、どういう目新しい物語が提供できるか、それは作家の腕の見せどころですが、本作では半分、成功し、半分は肩透かしのような感じもしました。

前半から散々、気を持たせた未来学者カーシュが明かしたかった驚きべき衝撃的な事実は、椅子から転げ落ちるほどそれほど衝撃的でもなく、極めて有り得る話で真っ当ですらあったからです。こんなんで殺人まで起きるとは…。

宗教か科学(無神論)か、で人類はかつてさんざん戦争まで起こして争い、いわば「炎上」を起こしかねない論争も、最後は、小説とはいえ、無難にまとめており、拍子抜けしました。

それでも、最後の巻末の「謝辞」では、著者がこの本を書くに当たってお世話になった編集者や科学者や宗教学者や歴史家らの名前を100人近く挙げていることから、かなり綿密に取材していたことが分かります。

著者のダン・ブラウンは、内村鑑三や新島襄らも留学した米アマースト大学出身で、英語教師から作家に転身。父は数学者、母は宗教音楽家、弟は作曲家、妻は美術史家というインテリ一家だったんですね。

いずれにせよ、この本を読んで、舞台になったスペイン・バルセロナにあるガウディのサグラダファミリア教会やビルバオのグッゲンハイム美術館に行きたくなりました。スペインだけは、これまで縁がなくて一度も行ったことがないからです。

カツカレーの起源に異説あり 「歴史の余白」から

浅見雅男著「歴史の余白」(文春新書)を読んでいたら、先日4月29日付の《渓流斎日乗》で御紹介した和田芳恵著「ひとつの文壇史」(新潮社)の中のエピソードが登場していたので、吃驚してしまいました。

著者の浅見氏は、手広く色んな古今東西の書籍を逍遥しているんだなあ、と感心してしまった次第。このエピソードとは、和田芳恵が新潮社の大衆文芸誌「日の出」の編集部にいて、かかってきた電話に「北条です」というので、てっきり、北条秀司の奥さんかと思ったら、何と「東条」の聞き違いで、東条英機の勝子夫人。用件は、北原白秋に揮毫してほしい、というものだったが、当時、東条は陸軍大臣で、夫人も少し上から目線だった、といったこぼれ話です。

著者の浅見氏は文章がうまいし、かなり調べ尽くしている感じです。「ある」ことは、文献を引用すればいいのですが、「ない」ことを証明するには、あらゆる文献を読み尽くさなければ、「なかった」と断定できません。ただし、「ある」と本人が日記の中で断定していても、それは実は「嘘」も多い。このように、歴史的事実を事実として認定する作業は、かなり難しいと告白しております。

繰り返しになりますが、「歴史の余白」では、面白い逸話で満載です。井伏鱒二が若い頃、森鴎外の「渋江抽斎」で、匿名でいちゃもんを付けていたとは知りませんでしたね。「十六代将軍」徳川家達(いえさと)は、長らく貴族院議長を務め、70年以上も家督を嗣子家定に譲らなかったことも、不勉強で知りませんでした。西郷隆盛の実弟西郷従道の逸話も読み応え十分。

築地「スイス」の千葉さんのカツカレー 880円

きりがないので、最後に「カツカレー」の起源を。一説では、プロ野球読売巨人軍の名選手だった千葉茂が戦後、東京・銀座の「グリル スイス」で考案したものだと言われ、私も信じてきました。銀座の「スイス」では今でも「千葉さんのカツカレー」という名前で売り出してます。

今日、昼休みに行ったら、ゴールデンウイークだというのに、銀座店は閉まっていたので、この日乗を書くためだけに、わざわざ、築地の「スイス」にまで行って、「千葉さんのカツカレー」を食べてきました。(スイス築地店は、かつては、銀座店のカレーをつくる作業場だったそうです。そう、女将さんが教えてくれました)

でも、千葉茂といっても、今のナウいヤングは誰も知らないでしょうね。あのミスター長嶋が付けていた背番号「3」をその前に付けていた名二塁手です。長嶋茂雄の現役時代を知るのはもう50歳以上ですからね。千葉茂を知るわけがありません。1950年代初めに川上哲治、青田昇らとともに、巨人軍の第2期黄金時代を築いた人ですので、実は私も彼の現役時代は知りませんけど。(野球評論家時代は知ってます)

いずれにせよ、まだまだ、食糧事情が十分ではなかった時代に、スポーツ選手のためにカレーの上にとんかつを載せた栄養満点のカツカレーを、千葉茂が考案したというのが定説だったのです。

それがこの浅見氏の本によると、既に戦前に平沼亮三という人が、自宅(とはいってもテニスコートや宿泊所などもあり、敷地3000坪)で、今のカツカレーと全く同じ料理が「スポーツライス」という名前で振る舞われていたというのです。

平沼は明治12年(1879年)生まれで、生家は横浜の大地主。幼稚舎から慶応で学び、大学では野球部のサードで4番。卒業後も柔道、剣道など26種類のスポーツをこなし、神奈川県議会議員、横浜市会議員、貴族院多額納税者議員などを歴任。このほか、日本陸上競技連盟などの会長も務め、1932年のロサンゼルス五輪、36年のあのヒットラーのベルリン五輪の日本選手団長を務めた華麗なる経歴の持ち主なのです。

この平沼の孫の一人が俳優の石坂浩二だというので少し驚いてしまいました。

やはり、カツカレーは平沼が、戦前に「考案」したということなんでしょうね。

和田芳恵著「ひとつの文壇史」を読んで

石川県にお住まいの小松先生のお勧めで、和田芳恵著「ひとつの文壇史」(新潮社、1967年7月25日初版)を読了しました。もう半世紀以上昔の本なので、図書館で借りましたが、私の大好きな昭和初期の風俗が手に取るように分かりました。

和田芳恵(1906〜77年)は、樋口一葉研究者で直木賞作家としても著名ですが、知らない方は名前から女性ではないかと思うことでしょう。そういう私も、彼が戦前に、新潮社の編集者として活躍していたとは知りませんでした。

本書は、その新潮社編集者時代の思い出を綴ったノンフィクションです。昭和6年から16年までのちょうど10年間の話です。昭和6年=1931年は、満洲事変の年、16年=1941年は真珠湾攻撃の年ですから、まさに我国は、軍部が台頭して戦争に真っしぐらに進んだ時代でした。

でも、文学の世界、それも、大衆文学の世界ですから、戦況や戦時体制に影響されるとはいえ、締め切りを守らないで雲隠れする作家や、原稿料を前借りする作家らの逸話が中心です。

昭和6年は就職難で、小津安二郎監督作品「大学は出たけれど」(1929年公開)の時代が続いておりました。和田芳恵は、同年3月に中央大学法学部を卒業しますが、その壁にぶち当たり、あらゆる手を尽くして就職先を探します。卒業生27人のうち、司法試験に合格して弁護士を目指す者が一人。この他、何とか就職できたのは和田を含めてわずか3人だったというのですから、就職氷河期どころではなかったわけです。

和田の場合、伯父が府立一中出で、その中で秋田県出身の同窓会の幹事が東京朝日新聞の学芸部長だった石川六郎(作家石川達三の叔父)だったので、その伝で朝日新聞に入社するか、和田の父親が、秋田師範の予備校のような学校だった積善学舎で、新潮社の創業者の佐藤義亮と同窓だったことから、そのコネで新潮社に入社する希望を持っていましたが、断り続けれられた末、漸く、新潮社に入ることができた話からこの本は始まっています。

入社して3年ほどは辞典編集部に配属されますが、昭和9年6月から「日の出」という大衆雑誌の編集部に移ります。この雑誌は、ライバル講談社の「キング」に対抗して創刊されたらしいですが、私自身は聞いたことがありませんでした。

和田芳恵が最初に担当したのが、鎌倉に住む長谷川四兄弟の長兄長谷川海太郎でした。一人で牧逸馬、林不忘、谷譲次と三つのペンネームを持つ流行作家です。「日の出」に谷譲次の筆名で「新巌窟王」を連載中だったのです。ちなみに、林不忘としての代表作は「丹下左膳」など時代小説、牧逸馬では「この太陽」や「めりけんじゃっぷ」物などがあります。しかし、それだけ無理したことで過労のため35歳の若さで亡くなります。(ちなみに、長谷川四兄弟の二男潾二郎は画家、作家、三男濬は、満洲で甘粕正彦満映理事長の最期を見届けたロシア文学者、四男四郎も作家)

この他、和田芳恵が編集者として会った作家はかなりの数に上ります、大佛次郎、武田麟太郎、吉川英治、山岡荘八、丹羽文雄、川口松太郎ら今でも読まれている作家が多く登場しますが、今ではすっかり忘れ去られた作家もかなりおりました。

昭和初期は、今のように娯楽が何でもあり、趣味が多岐に渡る時代ではありませんから、文学が大衆の楽しみの柱の一つだったことでしょう。そういった意味では本書は貴重な歴史の証言です。

新聞社崩壊は歴史の流れなのか!?

これでも、私は、いわゆるマスコミ業界に40年近く棲息して、禄まで食んで来ましたので、業界の動向は気になります。特に新聞業界は。

そしたら、自分が悲観的に想像した以上に、今はとんでもない事態に陥っていたんですね。畑尾一知著「新聞社崩壊」(新潮新書、2018年2月28日初版)を読んで深い、深い溜息をつきました。

著者は長年、朝日新聞社の販売部門を勤め上げた人で、2015年に60歳の定年で退職されたようです。「花形」と言われる記者職ではないため、傲岸不遜と産経出身の高山正之さんが週刊新潮で批判するような朝日タイプではなく、細かい数字を列挙して冷静に分析し、経済学者のような説得力があります。

冒頭で、いきなり、新聞読者はこの10年間で25%減少した事実を明らかにします。

2005年=5000万人だった読者が

2015年=3700万人と1300万人減少。つまり、25%も減少。

さらに、10年後は最低でも30%減少すると予想されることから、

2025年=2600万人。実に、20年間でほぼ半減、いやそれ以上大幅減少する可能性があると指摘するのです。

このほか、2015年は、若い人はともかく、最も新聞を読むべきはずの50代が40%未満に落ち、半分以上が新聞を読まないという衝撃的な事実が明らかになりました。道理で電車の中で、スマホゲームに熱中する50代を見かけるはずです。

新聞協会のデータによると、2005年(96社)の売上高2兆4000億円から、2015年(91社)は、1兆8000億円と25%減少。

2000年に読売1020万部、朝日830万部だったのが、2017年は、読売880万部、朝日620万部と激減です。

まさに「新聞社崩壊」という衝撃的事実です。

畑尾氏はズバリ、全国紙の中で朝日、読売、日経の「勝ち組」は生き残れるかもしれないが、毎日、産経の「負け組」は危ないと予測しています。つまり、倒産するということでしょうが、新聞メディアがなくなったら、社会的にどんな弊害が起きるか後で列挙することにして、著者は新聞衰退の根本的原因を三つ列挙してます。それは、

(1)値段の高さ

(2)記事の劣化

(3)新聞社への反感

です。

この中で、最も注目したいのが、(2)の記事の劣化。かつて、新聞社の入社試験は狭き門で、優秀な人材しか集まりませんでしたが、今では、業界の将来を悲観してか、優秀な人材は他の業種に移行し、新聞記者になるのは、出来損ないのコネ入社か、昔と比べて二流、三流の人材しか集まらなくなったようです。そうなれば、当然、記事も劣化するはずですなあ。。。

(3)の反感は、勿論、誤報問題が影響しているでしょうが、特に朝日新聞の記者は傲慢で、マンションの理事会に出ないで自己主張するとか、周辺住民の受けが悪く、その反発から購読をやめてしまう人がいるということで、私もそういう話は耳にしたことがあります。当然、その記者にはCS(顧客満足度)感覚などなく、危機意識は全くゼロです。

新聞衰退の危機に対して、畑尾氏は、色々と対策や打開策を提案していますが、果たして功を奏するか疑問ですね。

事情を知らない若い人は、別にネットニュースを見れば十分という人が多いですが、信頼できるネットニュースは、元をただせば、新聞社や通信社のニュース。「源流」のここが崩壊すると、時の権力者に都合のいいニュースか、ニュースに見せかけた企業のコマーシャルか、素人が噂を発信した裏付けのないフェイクニュースばかりになってしまうでしょう。

新聞社の本来が持つ権力を監視する機関が減れば、不都合な真実は隠され、まわりまわって、庶民に不利益が蒙ることになるわけです。

まあ、そういう世界を危機意識のない無学の市民が望めば、確実にそうなるはずです。

最近のクオリティーペイパーと自負する新聞も、広告の品質がかなり落ちてきました。昔なら絶対にオミットしていたサラ金まがいの広告や、福田財務事務次官(58)が泣いて大喜びしそうな恥ずかしい精力剤の広告が堂々と載るような末期症状です。

新聞社崩壊は、著者の予想より早く来てしまうのかもしれません。

デジタルネイティブからトークンネイティブの時代へパラダイムシフト

佐藤航陽著「お金2.0     新しい経済のルールと生き方」(幻冬社、2017年11月30日初版)を読了しました。

うーん。難しい。最初スーと読めはしましたが、もう一度読み返して、朧げな輪郭を掴んだ程度です。

もちろん、本書に出てくるハイエクの経済理論だのシェアリングエコノミーなどといったことは頭では理解できますよ。しかし、身体がついていけないといった感じなのです。

それもそのはず。著者は、1986年の福島県生まれで、まだ30歳代前半。物心ついた頃から周囲にデジタル機器があり、小学校での授業もパソコンで受けた世代。所謂、デジタル・ネイティブ世代。

片や私は、御幼少の砌は、冷蔵庫も電気洗濯機もテレビもなかったアナログ世代。生まれて初めてワープロを買ったのが29歳。パソコンは39歳という「遅咲き」ですからね。

著者の佐藤氏は、学生時代から起業し、今や年商100億円以上の決済サービスアプリ等のIT企業を経営するいわゆる青年実業家です。

ただ、子どもの頃はお金に相当苦労したようです。兄弟3人と片親の4人世帯の年収が100万円も届かなかったこともあったようです。

その話は、ともかく、彼はデジタルネイティブ世代ですから、我々のような旧世代とは根本的に発想が違います。

スバリ言いますと、パラダイム(認識の枠組み)が全く違うのです。

本書のキーワードを三つ挙げるとしたら、「仮想通貨」「ブロックチェーン」「トークンエコノミー」でしょうか。

まず、仮想通貨というのは、中央銀行など中央に管理者がいなくても成り立って発行される仮想の通貨のことで、ビットコインなどがその代表例として挙げられます。旧世代は、胡散臭い目でみてますが。

ビットコインなどは、ブロックチェーンという技術が活用されています。これは、一定期間のデータを一つのブロック(塊)として記録し、それをチェーン(鎖)のように繋げていくことで、ネットワーク全体に取引の履歴を保存し、第三者が容易に改ざんできないようになってます。

…と、言われても、旧世代は理解不能ですね(笑)。

そして、最後のトークンとは、仮想通貨の根っこで使われているブロックチェーン上で流通する文字列のことを指す場合が多く、トークンエコノミーとは、このような仮想通貨やブロックチェーン上で機能する独自の経済圏のことを指し、正確な定義があるわけではないといいます。

… あら、そう来ましたか。

とにかく、仮想通貨は自分でやって、つまりは、買って大損するか、大富豪になってみなければ、それを支えている「塊鎖」とやら、「文字列」とやらも、その実態は分からないことでしょうね。

この本で感心することは、著者は究極的には、お金とは、単なる「道具」であると割り切っていることです。大賛成ですね。そして、デジタルネイティブ第一世代と呼んでもいい彼らは、旧世代を馬鹿にしているわけではなく、単なる歴史の流れで、自分たちはスマホが当たり前の世代で、次の第二世代は、仮想通貨が当たり前のトークンネイティブ世代で、自分たち第一世代はその架け橋になっているに過ぎないことを自覚しているのです。

恐らく、単に私自身が読み違えているのかもしれませんが、いずれにせよ、2020年代も間近に迫り、パラダイムも完璧にシフトしている現実が、この本から読み取ることができます。

華族の家族の物語

恐らく、現在、華族の研究家としては第一人者の浅見雅男氏が、軽いエッセイ風の読み物「歴史の余白」(文春新書2018年3月20日初版)を出版し、今、私も面白く拝読しております。

例によって、この本は、博多にお住いの吉田先生からのお勧めですが、浅見氏とは、一度だけ渋谷のおつな寿司でお会いしたことがあります。もう20年ぐらい昔でしょうけど、当時、浅見氏はまだ、文藝春秋の編集者をされておりました。

著者は、学者以上にあらゆる文献に目を通しておられますので、説得力があります。例えば、天皇の生前退位についても「神話時代や古代はともかく、中世以降は天皇が生前に皇位を退くことは珍しくなかった。江戸時代に限っても。107代の後陽成から121代の孝明まで15人の天皇のうち9人が生前に譲位している。その理由はさまざまだが、天皇は即位した以上、終身、皇位にとどまるという定めや慣行はなかったのだ」とはっきり書いております。

つまり、生前退位を否定する考え方は、明治薩長政権が皇室典範で決めた比較的新しいものに過ぎないと歴史的に証明しているのです。

この本を読んで、初めて教えられたことは多くありますが、明治維新をやり遂げた公家代表の一人で、御札の肖像画にもなった岩倉具視がおります。彼は公家の中でも低い身分で碌高も少なかっただけに、維新後の出世には周囲からの妬みややっかみが多かったそうです。それはともかく、その曽孫に当たる靖子が日本女子大附属高校時代に共産党のシンパとなり、あの有名な昭和8年の一斉検挙で逮捕され、市ヶ谷刑務所に収監。治安維持法違反の裁判が始まる前に保釈された渋谷の自宅で自裁してしまうんですね。

実に波乱万丈なのは、靖子だけではなく、その父親の具張(ともはる)です。岩倉具視の直系の孫に当たり公爵岩倉家を継ぎますが、新橋の芸者に大金を注ぎ込んで破産してしまうのです。具張の父具定(ともさだ=岩倉具視の子息で岩倉家を継ぎ、宮内大臣などを歴任)、明治34年8月22日付「時事新報」で、全国で50万円以上資産を持つ411人の一人として掲載されるほどの大富豪でしたが、具張はこれらを全て散財しただけでなく、100万円以上の借財を抱えてしまったといいます。

同じ元公家として、東坊城家があります。江戸時代の禄高は、岩倉家の倍の301石もあり、明治になって子爵となりますが、家督を継いだ徳長(よしなが)が、赤坂あたりの芸者に大枚を注ぎ込んで没落し、大正時代は「貧乏公家」との定評が立ってしまいます。この徳長の三女英子が、後の大女優入江たか子だと知り、吃驚してしまいました。

英子は、 最近、閉校するということで話題になった文化学院(与謝野晶子らも教壇に立った)を卒業して、新劇の舞台に代役で出演したのがきっかけで、スターの切符を手にし、家族の生活を支えたという話です。

入江たか子については、2016年12月27日付の《渓流斎日乗》で、成瀬巳喜男の「まごころ」の中でも取り上げましたが、驚くほど美しい戦前の無声映画の大スターだったとはいえ、本物の華族の娘だったとは。。。

最後におまけ。

「平民宰相」と呼ばれた原敬首相。歴代首相を務める人は、これまで全員、公侯伯子男の爵位を受けるのに、この人は断り続けて、爵位なしで宰相になったからなんだそうですね。

原敬の家系は、南部藩の重臣で、明治薩長からみると逆賊です。原敬には「薩長の田舎侍から爵位をもらってたまるか」という反骨精神があったんでしょうね。