物足りない「黒幕」特集

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 やはり、私のライフワークといいますか、興味のある専門分野ですからね(笑)。つい、買ってしまいました。週刊現代 別冊「ビジュアル版 昭和の怪物 日本の『裏支配者』たち その人と歴史」(講談社、980円) です。

 その前に、私の住む自宅から歩いて7、8分ほどにあった本屋さんが、とうとう潰れてしまいました。アマゾンのせいでしょうか。駅近くにあった書店2店舗は既に数年前に閉店したので、ここは「最後の砦」でした。呆然自失。この本屋だけは失いたくなかったので、なるべく、ここで買うようにしてましたが、ついに消滅してしまいました。悲しいというほかありません。

 仕方ないので、この「週刊現代 別冊」を会社の近くのコンビニで買おうかと思ったら、週刊誌は置いていても、別冊は置いてないんですよね。そもそも本屋じゃないので、種類も少ない!帰宅時に遠回りして、駅近くの大型書店で買うことができました。

 この上の写真の表紙をご覧になって頂くだけで、内容は分かると思います。

 日本の「裏支配者」たちーとありますが、吉田茂、正力松太郎、五島慶太、後藤田正晴…みんな、「表社会」の人たちじゃありませんか。フィクサー、黒幕として登場する児玉誉士夫、山口組三代目の田岡一雄組長にしても、超々有名人で、日本人ならまず知らない人はいないぐらいです。失礼ながら、初心者向きで、野間ジャーナリズムの限界を感じました。続編を期待しましょう。

 私自身、これまでいろいろな本を読んできましたから、この別冊の中で、馴染みがなかったのは矢次一夫(1899~1983年)ぐらいでした。この人については、顔写真と略歴だけ載っていましたが、岸信介との関係などもう少し掘り下げて頂きたかったですね。

 このほか、章立てして、もっと掘り下げて、取り上げてほしかった人物として、まず、玄洋社の頭山満が筆頭でしょう。次いで、黒龍会の内田良平。この別冊で取り上げられた軍人の石原莞爾は、まあ妥当だとしても、もっと土肥原賢二や影佐禎昭ら諜報活動に従事した人も取り上げてほしかったですね。そうそう、甘粕正彦は欠かせない人物です。牟田口廉也や辻政信は少し食傷気味なので、桜会の橋本欣五郎や東京裁判で寝返った田中隆吉あたりが面白いかもしれません。

 写真がちょっと出ていただけだった大物右翼の三浦義一(1898~1971年)は「室町将軍」と言われたぐらいですから、最低、略歴ぐらい必要でしょう。以前、私は、ちょっと怖い人に引き連れられて、たまたま大津市の義仲寺にある彼のお墓参りをしたこともあります。また、三浦義一の後継者である西山広喜(1923~2005年)の内幸町・富国生命内の事務所を確認したことがあります(笑)。

共産党幹部から獄中で国粋主義に転向した田中清玄(1906~93年)は章立てして大きく取り上げるべき人物でしょう。(田中家は会津藩の筆頭家老だった名門家系。早稲田大学第17代総長の田中愛治氏は、田中清玄の子息)田中清玄=田岡組長VS児玉誉士夫=東声会=岸信介との壮絶な闘いは語り継がれるべき逸話です。

 となると、11年間の獄中生活から出所後、田中清玄が師事した静岡県三島市の龍沢寺の山本玄峰禅師もマストでしょう。山本禅師は、臨済宗妙心寺派管長も歴任し、終戦の際に、鈴木貫太郎首相に「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び」の文言を進言して、終戦を受け入れるよう説得した功労者ですから、まず欠かせませんね。(鈴木貫太郎は関宿藩士でしたね。二.二六事件の際には侍従長で、蹶起隊に襲撃されながら、奇跡的に一命を取り留めました)

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 平成から令和の時代となり、人間が小粒になったのか、ますます、黒幕やらフィクサーといった豪快な人物が出にくくなった感があります。

でも、一般大衆には分からないように、暗躍しているのかもしれませんよ。

「サピエンス異変」=座りっぱなしが死を招く

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 この本を読むと、腰の辺りがムズムズして痛くなり、腰痛解消のために、何処でもいいから、そこらへんを駆け巡りたくなります。

 ヴァイバー・クリガン=リード著、水谷淳、鍛原多恵子訳「サピエンス異変 新たな時代『人新世』の衝撃」(飛鳥新社、2018年12月31日初版)は、まさにタイトルそのものと同じで、衝撃的な本です。

 人類学、環境科学、動体力学、動物生理学…等あらゆるサイエンスを動員したノンフィクションです。結論を先に言ってしまえば、「人類は、快適さと便利さを追求したおかげで、身体を動かさなくなり、糖尿病や肥満による心臓疾患、腰痛、近視、骨粗しょう症、精神疾患などさまざまな病気や障害を自ら引き起こしている」といったことになるでしょうか。

 「座りっぱなしが死を招く」といった衝撃的な章もあります。現代の先進国のサラリーマンと官僚のほとんどが、冷房の効いたオフィスで、何時間も何時間も座ったまま、パソコンの画面に向かっていることでしょう。著者の最終的な結論は、「人類は1日1万歩歩くのが一番良い」(1日8~14.5キロ、1週間で10万歩)といった今まで多くの専門家が指摘していたことと同じでした。

 そもそも、人類は、800万年前に直立二本足歩行する生物から、30万年前に現在のヒトとなるホモ・サピエンスに進化して、1万年前に農耕定住生活が始まるまで、毎日、平均6時間も歩いて食料を確保してきたといいます。

 つまり、ヒトは動く生物として生活に適応してきた歴史があるわけです。それが、わずか100年か200年前の産業革命で機械化、モータライゼイション、そして20世紀末のIT革命で、ますますヒトは身体を動かさなくなりました。最近は、スマホなどのやり過ぎで、RSI(反復運動過多損傷)と呼ばれる病気を患って、生産性が低下したり、仕事を辞めたりする人もいるといいます。

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 私の周囲にも、ほとんど身体を動かさず、近距離でも車ばかり使っていたお蔭で、まだ若いのにほとんど歩けなくなった友人もいます。

 かつての人類は、歩けなくなれば食料を確保することができず、即、死を意味していました。ということは、人類の滅亡が始まっているということなのでしょうか。本当に衝撃的な本でした。

ケインズ「雇用・利子および貨幣の一般理論」をついに読破=漫画ですが…

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1929年の大恐慌や、ナチスの台頭につながる第1次大戦後のドイツの賠償問題などを勉強していると、どうしても外せないのが、ジョン・メイナード・ケインズの経済理論です。

 いつぞやの話、国際金融アナリストの元山氏に、ケインズの代表作「一般理論」は難しい?と聞いたところ、彼は「君には無理だね。アインシュタインの『一般相対性理論』と同じぐらい難しいんじゃないかい」と断定するので、さすがに、心の中で「ムッ」としましたが、彼の忠告には従っておりました。

 あれから半年。彼から「君にふさわしい本があったから貸してあげるよ」と貸してくれたのが、漫画でした。

 ケインズの原作を漫画化した「雇用・利子および貨幣の一般理論」(イースト・プレス)でした。

 私は、漫画は中学生の頃までは熱中しましたが、それ以降はご無沙汰です。「えっ?漫画かい?」と思いましたが、これがなかなかよく出来ていて、原作を読む前の「取っ掛かり」というか、予備知識になることは確かでした。

 私自身、経済を専門的に学んだわけではなく、大学の教養課程の単位として「経済原論」を取った程度の知識しかありませんが、この原作の漫画化の中には、「有効需要」だの「限界消費性向」「流動性選好理論」だの、昔学んだ懐かしい用語がたくさん出てきて、易しく解説してくれます。ばかにできませんね(苦笑)。大変失礼致しました。

例えば、「債券の利率が購入時より下がれば、実質価格は上がり(この時この債権を売れば得)、逆に、利率が上がれば、債券の価値が下がる」といったややこしい文章も、数式と漫画で描いてくれるので、すっと頭に入りやすい。

 また、私なんかよく間違える「ブル(牛)とベア(熊)」理論も、漫画に出てくるということは、ケインズの「一般理論」の中に出てくる話だったんですね。牛と熊を闘わせたら、熊の方が強いから、ベアが強気、ブルが弱気と私なんか勘違いしてしまうのですが、ブル(牛)は下から上に攻撃することから、債券価格が上昇するということで「強気」。ベア(熊)は、上から下に攻撃することから、債券価格が下落するということで「弱気」と命名されたことが漫画で描かれ、この箇所を読んで分かり、これからは間違えることはないだろうな、と思った次第です(笑)。

 確かに、最初から無謀にも原作に挑戦して、途中で白旗をあげるよりも、無理をしないで漫画から入ったことは大成功でした。漫画とはいっても、内容は難しいことは難しいですからね。この漫画を貸してくれた元山氏には感謝申し上げます。

「図案対象」と戦没画学生・久保克彦の青春

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8月は哀しい。

昨日6日は広島原爆忌、9日は長崎原爆と日ソ中立条約を一方的に破棄したソ連軍による満洲侵攻(その後のシベリア抑留)。そして15日の終戦(敗戦記念日は、ミズーリ号で降伏文書を調印した9月2日)。

 あれから74年も経ち、戦争を直接体験した語り部が減り、テレビでは特集番組さえ消えつつあります。

 嗚呼、それではいけません。

 最近、ほんのちょっとしたきっかけで知り、感動し、興味を持った藝術作品として、東京美術学校(現東京芸大)を卒業し、徴兵されて中国湖北省で戦死した久保克彦が遺した 「図案対象」 という7メートルを超す大作があります。

美術作品は、何百万語言葉を費やして説明しても実物を見なければ無理なので、ちょうど2年前の2017年8月にNHKの「日曜美術館」で放送された「遺(のこ)された青春の大作~戦没画学生・久保克彦の挑戦」をまとめたブログ(?)がありましたので、勝手ながら引用させて頂きます。

 これをお読み頂ければ、付け足すことはありません。

 私は、このテレビ番組は見ていません。「図案対象」を描いた久保克彦の甥に当たる木村亨著「輓馬の歌 《図案対象》と戦没画学生・久保克彦の青春 」(図書刊行会、2019年6月20日初版)の存在を最近知り、興味を持ったわけです。

この「図案対象」はとてつもない前衛作品です。全部で5画面あり、抽象的な模様もあれば、戦闘機や大型船が描かれた具象画もあります。

久保克彦は23歳の時、東京美術学校の卒業制作としてこの作品を完成させましたが、2年後の25歳で中国大陸で戦死しており、作品についての解説は残しませんでした。

 しかし、その後、あらゆる角度から分析、解釈、照合、比較研究などの考察を重ねた結果、驚くべきことに、一見バラバラに見える事物の配置は、全て「黄金比」の法則に従って、整然と並べられていたことが分かったのです。

 黄金比というのは、人間が最も美しいと感じる比率のことで、それは、1:1.618…だというのです。

 この黄金比に沿って建築されたのが、古代ギリシャのパルテノン神殿や古代エジプトのピラミッド、パリの凱旋門、ガウディのサグラダファミリア大聖堂などがあり、美術作品としては、ミロのビーナスやレオナルド・ダビンチの「モナリザ」などがあります。

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 私は、黄金比については、映画化もされたダン・ブラウン著「ダ・ヴィンチ・コード」を2004年に読んで初めて知りましたが、結構、身近に使われていて、クレジットカードや名刺などの縦横比も「1:1.16」と黄金比になっているようです。

 それに、今何かとお騒がせのGAFAのグーグルやアップルのロゴもしっかり黄金比を使ってデザインされております。ご興味がある方は、そういうサイトが出てきますのでご参照してみてください。

 久保克彦が、黄金比を使って「図案対象」を制作したのは昭和17年(1942年)のこと。戦死しないで旺盛な創作活動を続けていたら、「ダビンチの再来」という評価を得ていたかもしれないと思うと、実に哀しい。

 

孔子を心もとない人物として描く「老子・列子」を読む

高野山 親王院 

中国古典シリーズ「中国の思想」の中の「老子・列子」(徳間書店)を読んでいます。

「老子」は老聃(ろうたん)の説を記した書物ですが、この老聃という人物については不明なことが多いようです。楚の国の出身で、本名は李耳、字は伯陽、おくり名が聃。周の守蔵室の役人を務め、道と徳の説を5000余言の文章に残して、周の国を去り、その最期は誰にも分らず、160歳まで生きたとも200歳まで生きたとも言われています。(司馬遷「史記」)

 老聃は孔子に教えを授けたことでも有名であることから、道家が儒家に対して優越性を示すために、老子とは、「荘子」を書いた荘周による創作人物ではないかという説もあるそうです。

 後から弟子たちが付け足したという説もありますが、色々差し引いても、後世の人間としては学ぶべきことが多いのは確かです。

 老子の思想を一言で言えば、物事に対して、意気込むことなく「無為自然」に任せよ、ということになるでしょう。これは、隠遁者的思想ではなく、常に内省し、冷徹な批判精神を持てということです。

 ざっと読んでみますと、人の道や道徳を説く言葉が多く、ほとんどエピソードがなく、どちらかと言えば堅苦しい書物でした。驚いたことには、日本では神様のように崇められている孔子を、学に秀でているわけでもなく、心もとない人物として描いていることでした。(「列子」にも「物を知らない孔子」の話がある)

 文化大革命の際に、「批林批孔」のスローガンがあったように、中国では儒教や孔子が日本ほど(例えば、渋沢栄一のように)神格化されていないのではないかと思いました。

 解説によると、老子の孫弟子に当たると言われる列子は、文化大革命を発動した毛沢東が大変評価した思想家らしいので、それで、毛沢東が孔子を批判する理由が少し分かった気がしました。

 「列子」は「老子」と比べて堅苦しいところはなく、逸話が満載されて読みやすいです。「杞憂」の語源になった話もこの「列子」に出てきます。

謹慎中の武士が町人と僧侶と一緒にどんちゃん騒ぎ=かつての身分史観は間違っていた?

 (昨日からの続き)和歌山県 丹生都比売神社

 座禅に相当する 真言宗の瞑想は「阿字観」といいまして、梵字の「阿」の字に向かって、雑念を振り払って、心を空にして瞑想します。

 梵字は古代インドで誕生し、仏教とともにアジアに広まります。空海が日本に伝えたともいわれています。お墓の卒塔婆などでも使われていますが、現代は、インドや中国では廃れてしまい、主に日本だけしか使われていないというのです。これは知りませんでしたね。仏教自体が本家インドで、そして中国でも衰退してしまいましたから、梵字も同じ運命を辿ったのでしょう。

 「空海」(新潮社)を書いた高村薫さんによると、高野山は内紛で、空海入定後、わずか80年で無人になって荒廃してしまったというんですね。真言宗がその後、日本全土に普及するのは、難解な真言密教を通してではなく、空海を「弘法大師」としていわゆる偶像化して平易な現世利益を広めた多くの無名の「高野聖」の活躍があったといいます。

  空海に、弘法大師の諡号(しごう)がおくられたのは、天台宗の開祖最澄や円仁らと比べてもかなり遅く、実に死後87年目のことで、著者の高村さんは「意外なことに、空海の名声は比較的早い時期に一時下火になってしまったと考える」とまで書いていることを改めて追記しておきます。

 さて、今、大岡敏昭著「新訂 幕末下級武士の絵日記 その暮らしの風景を読む」(水曜社、2019年4月25日初版)を読んでいます。なかなか面白い。「江戸時代は士農工商のガチガチの身分制度だった」というこれまでの歴史観が引っくり返ります(笑)。

 絵日記の作者は、幕末の忍(おし)藩(今の埼玉県行田市)の下級武士だった尾崎石城(本名隼之助、他に襄山、華頂などの号も)。熊本県立大学の大岡名誉教授が分かりやすく解説してくれています。

 忍藩は江戸から北に15里(約60キロ)離れた人口約1万5000人の城下町です。忍城には、いつぞや私も栗原さんと一緒に行ったことがありますが、石田三成の水攻めにも屈しなかった堅城です。忍藩は、江戸時代になって、松平信綱や阿倍忠秋ら多くの老中を輩出したことから、「老中の藩」とも言われ、幕政の要になった親藩でもありました。

 尾崎石城は、天保12年(1841年)、庄内藩の江戸詰め武士だった浅井勝右衛門の子として生まれ、18歳の弘化3年(1846年)に忍藩の尾崎家の養子に入っています。庄内藩と忍藩とは縁もゆかりもなさそうですが、江戸時代はこういう「養子縁組」は当たり前のように行われていたんでしょうね。

 この石城さん、理由は詳らかではありませんが、度々、藩から咎めを受けて「蟄居」処分を受けます。最初は、23歳の嘉永4年(1851年)です。

 あれっ?大岡敏昭名誉教授の解説では、生まれた年が合いませんね。1846年の時点で18歳、1851年の時点で23歳が満年齢だとしたら、石城は1828年生まれ、つまり、 天保12年(1841年)ではなく、文政11年生まれでなければおかしいのですが。。。

 ま、堅いことは抜きにして、とにかく、石城さんは、何度も蟄居処分を受けますが、その度に自邸から抜け出して友人の家に行ったり、料亭「大利楼」などに行ったり、馴染みの和尚さんがいる寺院に行って酒を飲んだりしているのです。

 しかも、身分の差を越えて、武士と町人と僧侶が一緒になってどんちゃん騒ぎしているんですからね。その様子を、江戸の絵師福田永斎の門人として修行し絵ごころがある石城さんが、見事に挿絵として活写しているのです。本の表紙にもあるようにほのぼのとした雰囲気の絵です。

 絵日記は、二度目の咎めによる強制隠居の時の文久元年(1861年)6月から翌年4月まで書かれています。石城さんの生まれが文政11年(1828年)だとすると、33歳頃となります。蟄居ながら、独身という自由な身であることから、頻繁に寺院や友人宅を訪ねて、酒盛りする姿が描かれています。

◇大酒呑みの僧侶

 驚くほどのことではないでしょうが、ここに登場する僧侶は大酒呑みばかりで、料亭にも足繁く通ってます。大岡名誉教授の解説でも、「大蔵寺の宣孝和尚=酒好き、女好きで愉快な人物」「龍源寺の猷道和尚=この和尚も酒好き、女好き」と解説するほどです。(酒のことを「般若湯」、馬肉を「桜」、イノシシ肉を「牡丹」、シカ肉「紅葉」と誤魔化して、僧侶たちは、今で言うジビエ料理を楽しみ、しっかり肉食妻帯していたわけですから、「聖職者」とは程遠い感じです。人間的な、あまりにも人間的なです。)

 忍藩は、海のない藩なのに、蜆や鰯や鮪、鯔など石城さんはしっかり海産物を食べています。恐らく、お江戸日本橋の魚河岸から川による水上交通で運ばれて来たのでしょうね。

 石城さんの生活費はどう工面していたかと言いますと、妹邦子夫婦と同居し、邦子の夫である進は、石城の養子になり、石城さん蟄居中は、進が忍城に登城していました。また、石城は絵を描くので、掛け軸や行灯などの絵を頼まれ、近所の子どもたちには「手習い」を教えていたようです。呑み代が足りないと、帯を質に入れたりします。

 ◇武士の身分とは

 長くなるのでこの辺にして、この本の中に出てくる「武士の身分」についてだけは書いておきます。

【知行(土地)取り】家中(かちゅう)、侍、士分

・上級武士(300石~数千石)=家老、奉行、御勘定頭

・中級武士(50石~200石台)=番頭、寄合衆、御目付、御用人、御馬廻

【扶持取り】徒(かち)、給人(きゅうにん)、足軽、中間 / 小人、同心

・下級武士(二人扶持~二十人扶持)=元方改役、御鉄砲、御小姓、表坊主

※十人扶持の場合、1年に食べる10人分の米が支給される。一人一日五合として、年に一石八斗、10人分で十八石。また、切米(きりまい)という現米を年俸として支給されることもある。例えば、五石二人扶持とは、年に切米五石と、二人扶持(三石六斗)の計八石六斗の米が支給される。

 時は幕末。尾崎石城は、どうやら水戸の過激思想にかぶれて藩政批判したことから蟄居の身となったのではないか、と大岡名誉教授は推測しています。忍藩は幕政の要の親藩ですから、重罪です。尾崎家は当初、200石の御馬廻役でしたが、蟄居で知行を取り上げられ、石城は中級武士から下級武士に降格されたようです。それでも、絵日記には全くと言っていいくらい悲壮感がありません。

 それに、三度目の咎めの理由だけは分かっており、「謹慎中の隠居の身でありながら、勝手に出歩き、しかも町人町に家を借りたりして実にけしからん。寺への出入りも禁止する」というもの。大いに笑ってしまいました。

稲川会石井会長の素顔

 裏情報に精通した名古屋にお住まいの篠田先生から電話があり、「渓流斎さんに相応しい本がありましたよ。いつも、かたーい本ばかり読んでおられるようですから、たまには息抜きして、気分を変えてみたらどうですか」と仰るのです。

 「何の本ですか?」と尋ねると、石井悠子さんが書いた「巨影」(サイゾー)という本でお父さんの思い出を書いた本だというのです。「ただし…」と篠田先生は一呼吸置いた後、「この手の本は、図書館に置いていないですよ。ご自分で買うしかありませんよ」とまで仰るではありませんか。そして、こちらの質問を遮るようにして、「著者の悠子さんのお父さんというのは、広域暴力団稲川会の二代目石井隆匡会長ですからね。今、吉本興業のお笑い芸人が闇営業したとか騒いでますが、そんな芸能人と暴力団との関係は昔からあったこと。大物政治家と石井会長との関係とか、この本を読めば出てきますよ」

 そこまで言われてしまえば、買うしかありません。ということで、昨晩から少しずつ読み始めました。

 娘から見た父親像ですから、拍子抜けするほど、何処にでもいそうな子煩悩で、娘思いの優しい優しい家庭人なのです。しかも奥さんには全く頭が上がらない恐妻家ときてますから、ずっこけてしまいます。

 勿論、娘は、父親の外での血と血で争う抗争や、激烈なしのぎの世界を直接見ていたわけではないので、石井会長のほんの一部分しか描かれていないことになりますし、娘から見た単なる「贔屓目」かもしれません。讃美してはいけないし、血なまぐさい話も出てこないので、勘違いしてしまいますが、少なくとも世間知の低い人には、この本を読めば「世の中はこのようにして出来ているのか」と分かります。

 特筆すべきは、竹下登首相と金丸信副首相が実名で登場することです。当時の石井会長は「裏総理」と呼ばれ、赤坂の東急ホテルのラウンジで会って、2人に助言し、采配を振るっていたことが書かれていました。2人の付き添いに小沢一郎氏もいたことが間接的に書かれています。間接的というのは伝聞ということで、証言したのは当時、石井家と懇意にしていた女子高生だったYさん。彼女は、霊感が強く、未来を言い当てることが得意だっため、山梨から上京して、ホテルで同席して見聞したことが描かれています。

 一国の政策を決めるのに最高権力者の宰相が、女子高生の話も参考にしていたとは驚きでした。

 また、石井会長の横須賀の自宅に、会長のいない隙に昼間から入り浸って、高級酒を呑んで引き上げていく怪しいおじさんが、何と、県警のマル暴担当の刑事さん。著者の悠子さんは、車でスピード違反を犯した時に、この刑事さんからもみ消してもらったことをあっけらかんと書いてました。警察と暴力団との関係が分かります。

 組織関係ですから、結束のために、納会やら新年会やら誕生会やらの宴席が欠かせません。そこに招待されるのが、芸能人です。著者の悠子さんは、あまりテレビを見なかったので、芸能人をあまり知らなかったのですが、ある大物フォークシンガーM・Cから「悠子は俺のこと知らないのか」と呼び捨てされたことを暴いていました。

 実名の芸能人も出てきます。石井会長はマヒナスターズがお気に入りだったようです。ほかに、おネエ言葉を話す歌手のM・Kとその物真似をするK。女性物真似のS・Mは、本物を目の前にして緊張して笑いが取れず、拍手もないまま、青ざめた顔で舞台から下がったことも書かれています。

 裏事情に詳しい篠田先生に、このイニシャルの芸能人は誰なのか聞いてみたら、スラスラと答えてくれました。そして、「今はユーチューブで検索すれば、何でも出てきますよ」と仰るので、見てみたら、昔の超人気アイドルや、お笑いの人、国際的な映画俳優まで組織の宴会に招待されて祝辞を述べていました。

 私も30年ほど前に芸能記者をしていたので、そういう話は聞いていましたが、ネット時代になり、「証拠映像」を見ると、さすがにショックでしたね。あの人も、えっ?あの人もかあ・・・という感じです。

 ちなみに、「経済ヤクザ」と言われた石井会長は、海軍兵学校を出たインテリで、堅気の人に対しては物腰が柔らかく、声を荒げることなく紳士的だったらしいです。私も昔行ったことがある銀座ナインの地下の「麦とろ飯」屋さん(今はない)が石井会長のお気に入りで、よく顔を出していましたが、会社の重役か大学教授にしか見えず、店主は何年も経ってから初めて、石井会長だったことを知ったといいます。これも篠田先生から聞いた話です。

 マフィアとの交流の話も面白かったですが、長くなるのでこの辺で(笑)。

「政友会の三井、民政党の三菱」-財閥の政党支配

やっと、筒井清忠著「戦前日本のポピュリズム」(中公新書、2018年3月10日再版)を読了しました。

 先日、「昭和恐慌と経済政策」(中村隆英著)などに出てきた「帝人事件」などを話を友人の木本君に話したら、「この本にも『帝人事件』のことが出てきたよ。読んでみたら」と、貸してくれたのでした。

 中村教授の本が経済の側面から昭和初期をアプローチしているのに対して、筒井教授の本は、日露戦争終結直後の「日比谷焼き打ち事件」に始まり、昭和初期の「統帥権干犯問題」「天皇機関説事件」など、政治的、社会的事件を扱ったものです。

 筒井教授の著書は、タイトルの「ポピュリズム」にある通り、大衆の群集心理とそれを煽るマスメディアとの関係を描いていますが、ちょっと大衆デモと新聞報道との因果関係を強調し過ぎている嫌いがあります。

 大衆は、インテリ階級が考えているほど無知蒙昧でもなく、案外したたかに計算しており、新聞は、学者が思っているほど堅忍不抜ではなく、また、確固とした主張もなく時流に流され、自分たちの影響力を認識していないケースが多いからです。

 前半では、1905年の日比谷焼き打ち事件、1914年のシーメンス事件にからむ山本内閣倒閣運動、1918年の普選要求と米騒動など、今から100年ぐらい前の事件が登場しますが、100年経っても、世相はあまり変わらないなあと思ってしまいました。

 米国ではトランプ大統領が当選して、移民国家なのに、早速、本人は移民排撃政策を掲げましたが、移民排斥は今に始まったわけではなく、1924年5月15日には、「排日移民法案」が上下両院で可決されています。よく働く日系人たちは、「移民先では脅威と感じられた」からだそうです。この歴史的事実は、今の現代日本人はほとんど知りませんが、当時の反日運動の中で、プールでは「日本人泳ぐべからず」との看板が掛けられたのでした。(日本はその後、1930年代の上海租界で、同じような看板を立てました)

 カリフォルニア州の日系移民排斥の立て看板には「JAPS DONT LEAVE THE SUN SHINE ON YOU HERE   KEEP MOVING」と書かれました。「鬼畜日本人よ ここではお前たちに太陽の恵みを与えてやるものか とっとと出ていけ」とでも訳されることでしょう。つい最近、わずか95年前の出来事です。

 これに対して、日本では同年5月に米大使館前で抗議の切腹自殺が行われたり、東京と大阪の主要新聞社19社が米国に反省を求める共同宣言を発表したり、翌6月には帝国ホテルに60人が乱入して、「米国製品のボイコット」「米人入国の禁止」などを要求したビラを散布したりしました。これも、そのわずか95年後の現在、どこかの国で日本製品のボイコットが叫ばれたりして、何となく、既視感を味わってしまいました。

 さて、1931年9月18日、柳条湖事件をきっかけに満洲事変が勃発します。それまで、一貫して「反軍部」と「軍縮」を主張していた朝日新聞が、大旋回して社論を180度変更します。これまで陸軍批判の急先鋒だった(大阪朝日新聞主筆の)高原操は、10月1日の大阪朝日新聞紙上で「満洲に独立国の生まれ出ることについては歓迎こそすれ、反対すべき理由はない」とすっかり「転向」します。

 この背景には、著者は、朝日の不買運動があったことを挙げています。「満洲事変後、『朝日』に対する不買運動は奈良、神奈川県、香川県善通寺などで拡大、『3万、5万と減っていった』という。これに対して、『大阪毎日』は拡張していった。朝日の下村海南副社長は『新聞経営の立場を考えてほしい』と発言し、10月中旬の重役会で『満洲事変支持』が決定した」といいます。会社ですから、ビジネスを重視したわけです。

 こうして、大新聞は「軍神物語」を書きたてて、1945年8月15日の終戦まで、イケイケドンドンと大衆を煽り立てたわけですね。

◇反対党の家の消火はしません

 この本では、昭和初期の二大政党だった政友会のバックには三井が、民政党のバックには三菱がついており、財閥が政党を支配していたことが書かれています。こんな調子です。

 大分県では、警察の駐在所が政友会系と民政党系の二つがあり、政権が変わるたびに片方を閉じ、もう片方を開けて使用するという。結婚、医者、旅館、料亭なども政友会系と民政党系と二つに分かれていた。例えば、遠くても自党に近い医者に行くのである。…土木工事、道路などの公共事業も知事が変わるたびにそれぞれ二つに分かれていた。消防も系列化されていた。反対党の家の消火活動はしないというのである。(176ページ)

 なるほど、こんな極端のことが起きていたんですね。これを読んで、クーデターを起こした青年将校や右翼団体員たちが、財閥とともに、政党政治を批判していたことがやっと分かりました。

あと、細かいことですが、この本では、満洲事変の前に起きた1931年8月に公表された有名な中村大尉事件のことにも触れていますが、最後まで中村大尉で押し通して、名前が書かれていません。(実際は、中村震太郎大尉)この他にも、何カ所か、名前の姓だけしか表記されていないところがありました。

また、高原操のように、氏名だけしか書かれておらず、相当の知識人や研究者ならすぐ大阪朝日新聞社の主筆と分かるかもしれませんが、大抵の読者はピンと来ません。せっかく一般向けの教養書として書かれたのなら、もう少し簡単な説明や一言が欲しい気がしました。

童話「オズの魔法使い」は経済書だった?

 最近、いろんな本を読んでいると、これまで長く生きていながら、知らなかったことばかり見つけます。

 例えば、万有引力の発見で知られる英国のアイザック・ニュートン。彼は、科学者だとばかり思っていたら、実は経済とも関係があり、英国造幣局の長官を務め、1717年に金と銀の価値比率 を1:15.21とする「ニュートン比価」を定めた人だったんですね。(ただし、ニュートンは市場の銀の金に対する相対価値を見誤ったようで、その後、英国を金本位制に移行する要因にもなったとも言われています)

 もう一つは、世界中の子どもたちが一度は読んだことがある童話「オズの魔法使い」です。1939年に、ジュディー・ガーランド主演で映画化され、知らない人がいないほどの作品です。

 それが、実は、子ども向けの童話ではなく、様々なことが隠喩、暗喩された経済書として読めるというお話なのです。何しろ、オズOZとは、金の重量の単位オンスと同じですからね。知らなかった人はビックリ。御存知の方にとっては「何で今さら?」というお話です。

  著者は、米国人児童文学作家ライマン・フランク・ボーム(1856~1919年、享年62)。この本は、1900年秋の大統領選挙前の5月に出版されました。大統領選は、共和党マッキンレーと民主党ブライアンとの闘いで、1896年に次ぎ、二度目です。 ボームが支持していたブライアンは、金銀複本位制の復活を主張しますが、またも敗れて、マッキンレーが再選します。

 この大統領選挙戦の最中に執筆された「オズの魔法使い」は、19世紀の米国経済が如実に反映されているというのです。

  経済史家らによると、カンザス州の自宅が竜巻でオズの王国に吹き飛ばれた主人公の少女ドロシーは、米国の伝統的価値観を代表し、子犬のトトは、米国禁酒党(Teetotalers)を象徴しているといいます。

 旅の途中でドロシーが出会ったカカシは、黄色のレンガの道で何度も転ぶことから、カカシは、金本位制(黄色のレンガ道)によってデフレに苦しんだ農民の象徴。ハートがないブリキの木こりは、工業労働者を意味し、臆病なライオンは、民主党大統領候補のブライアンのことだといいます。

 このほか、東の悪い魔女は、農民を圧迫するウォール街の金融や工業界を象徴し、第25、27代クリーブランド大統領を示唆し、 西の悪い魔女は、西部の鉄道王、石油王を象徴し、第28、29代マッキンリー大統領を示唆しているそうです。

 さらに、オズ王国には東西南北の4カ国があり、米国に類似しているといいます。それぞれ色によって分類され、東部は工業地帯のブルーカラーから青、南部は赤土から赤、西部はカリフォルニア州で金鉱が発見されたことから黄色。エメラルドの都となる北部ワシントンD.C.はドル紙幣の色から緑で表現されるといいます。

 最後に、ドロシーは、銀の靴の魔力でカンザスへ帰ることができますが、途中で靴をなくして「二度と見つからなかった」。これは、ボームが支持していた金銀複本位制が次第に衰えていく様子を暗示したといいます。

 誠にうまくできた話ですが、児童文学研究者のほとんどは、「ボーム自身はそこまで言っていたわけではない」と否定的な意見も多いようです。

 1973年に大ヒットしたエルトン・ジョンの「 グッドバイ・イエロー・ブリック・ロード」は、「オズの魔法使い」に出てくるあの「黄色のレンガ道」から採られたといわれてます。…もう一度、聴いてみますか。

「昭和恐慌と経済政策」

 ここ半年ほど、1929年のニューヨーク株式大暴落に端を発する大恐慌について、興味を持ち、その関連本としては名著と言われる秋元英一(当時千葉大学教授)著「世界大恐慌」(講談社メチエ、初版1999年3月10日)を読破したのですが、今一つ、理解不足でした。ケインズやニューディール政策などが登場し、字面を読むことはできるのですが、知識としてストンと腑に落ちることができなかったのでした。

 そこで、同書に参考文献として挙げられていた(当然ながら名著の)中村隆英(当時)東洋英和女学院教授の「昭和恐慌と経済政策」(講談社学術文庫、初版1994年6月10日初版、底本は、1967年、日本経済新聞社刊「経済政策の運命」)を読んだところ、日本に特化した大正から昭和初期の話でしたが、すっきりと「経済史」として整理されていて、歴史的流れをつかむことができました。

 この本の主人公は、「金解禁」を実行した民政党の浜口雄幸内閣の井上準之助蔵相です。私のような金融政策音痴の人間が言うのは大変烏滸がましいのですが、何で、世界恐慌最中の昭和5(1930)年1月に、井上蔵相は金解禁を実施したのか、という疑問でした。結局、この金本位制復帰のお蔭で、緊縮財政から銀行倒産など昭和恐慌が激しさを増し、同年11月に浜口首相の狙撃事件(翌年8月死去)が起こり、昭和6(1931)年12月に、政変によって政権についた政友会の犬養毅内閣の高橋是清蔵相によって、金輸出再禁止されたものの、井上準之助は翌7年9月に血盟団の団員によって暗殺されてしまいます。(19世紀以来、金本位制を牽引してきた本場英国は1931年9月21日に金本位制を停止。ポンド大英帝国の没落が始まります)

 考えてみれば、今、上述した浜口雄幸首相、井上準之助蔵相、犬養毅首相(5・15事件で)、高橋是清蔵相(2・26事件で)は全員、テロ襲撃に遭って暗殺されているんですよね。当時の政治家は生命を懸けていたことが分かります。

 しかし、果たして、暗殺した側の右翼国家主義の宗教団体にしろ、軍部の青年将校たちにしろ、知識人ではあっても、当時の国際経済や金本位制などの金融問題、複雑な為替管理操作や公債の発行などといった財政政策などを少しでも勉強したことがあったのだろうか、と疑問に思いました。

 恐らく、彼らは、不況や東北地方の冷害で、娘を身売りしなければならなかった惨状を見聞したり、三井などの財閥が、金輸出再禁止によって円の暴落になるのではないかという思惑でドル買いに走り、大儲けしたことを新聞で読んで義憤に駆られたりしただけで、複雑な経済問題を熱心に勉強していなかったのではないか、と思いました。

 つまり、表面的な政治問題や社会事件だけ見ていただけでは歴史は分からないのです。人間の下部構造である経済をしっかり押さえていなければ、深く理解できないと思ったのです。

 そういう意味で、こういった「経済史」関連本を読むことに大変な意義深さと価値を見いだしました。

 以下は、重複することが多々ありますが、備忘録としてメモ書きします。

・為替レートの維持が困難になった大正13(1923)年3月、東洋経済新報は、新平価解禁を主張した。…円の金価値を1割程度切り下げて解禁を行うべきだというのである。新平価によれば国内経済に打撃を与えないで金解禁を行うことができるというのである。…東洋経済の石橋湛山、高橋亀吉に小汀利得(おばま・としえ、中外商業新報記者)、山崎靖純(時事新報で金解禁反対を唱えたが追い出されて、読売新聞に移籍)を加えたいわゆる新平価解禁四人組の経済ジャーナリストだけが終始新平価解禁を唱えるのである。(50~51ページ)

・大正15(1926)年、大蔵大臣に就任した片岡直温は、金解禁を決意したが、銀行の内容の悪さを知って驚いた。…2億7000万円余の震災手形のうち、実に9200万円余が鈴木商店関係の手形であり、それに次ぐものが久原房之介関係の手形であった。また、震災手形を所有する銀行は、台湾銀行が1億円、朝鮮銀行1500万円をはじめ特殊銀行が1億2200万円、その他普通銀行が約8500万円だった。(56~57ページ)

・日本が立ち遅れていた金本位復帰(金輸出解禁)を決意したのは、昭和4(1929年)7月、浜口民政党内閣が成立し、井上準之助が蔵相に迎えれたときからである。井上蔵相は、旧平価による金解禁後の国際競争の激化に備えて、財政支出を削減し、金利を引き上げ、国民に消費節約を訴えるなど、強烈な引き締め政策を実行した。このため、日本経済は29年秋から急激な景気後退に見舞われた。米国に始まる不況の波及はその直後のことである。昭和恐慌は、金本位復帰のための引き締め政策と、海外の恐慌という二重の原因によってもたらされたのであった。(219ページ)

・井上の悲劇は、…古典的な経済理論が現実から乖離しようとしているのにも関わらず、教科書通りの経済政策を強行しようとした点にあった。…井上の政策が破綻した何よりの原因は、全世界的な金本位制度が行き詰まりに直面している事実を正しく認識しなかったことである。…これに対して、高橋是清は、金本位制の意味をそれほど重くみていなかった。むしろ高橋にとっては産業の発展の重要性あるいは国民の所得水準の維持、向上という目標が強く意識され、金融や財政はそのために協力するべきだという強い考えを持っていた。…高橋は、ケインズの投資乗数理論を思わせるような波及効果をある程度実践したといってもいい。(201~205ページ)

 こうして、健全財政の守り神とされていた蔵相高橋是清は、軍事予算を削減するなどして軍部から反感と恨みを買い、結局、2・26事件で暗殺されるわけです。 

 嗚呼、何か、小難しいことばかり書いてしまいました。これでまた読者も離れてしまうなあ…(苦笑)。