「知ってはいけない」と言われても・・・

 またまた遅ればせながら、2017年8月20日に初版が出た矢部宏治著「知ってはいけない 隠された日本支配の構造」(講談社現代新書)を読みましたが、内容に関しては嫌になってしまいましたね。勿論、著者を中傷しているわけではなく、よくぞここまで調べ上げたものだと感服しています。恐らく各方面からの抑圧や脅迫もあったでしょうから、彼の勇気には頭が下がります。

 「はじめに」に書いてありましたが、著者の矢部氏には「また陰謀論か」「妄想もいいかげんにしろ」「どうしてそんな偏った物の見方しかできないんだ」などと批判が寄せられるそうです。彼はあまりいい気持ちはしないとはいうものの、腹が立たないというのです。むしろ、「これが自分の妄想ならどんなに幸せだろう」といいます。

 確かに、この本にはどんな教科書にも参考書にも書かれていない戦後史の中の裏面史といいますか、日本人の誰も知らないような米軍との密約が懇切丁寧に描かれています。(多少、「言葉遣い」が扇情的ですが…)

Akihabara

 これでも私自身はゾルゲ事件などに関心があったため、ここ15年ぐらいは、戦後史に関する書物も色々と目を通してきましたから、ここに書かれた密約については、全く知らなかったわけではなく、椅子から転げ落ちるほど衝撃があったわけでもありませんが、どうしてそんな密約ができたのかといったその経緯や背景について細かく説明してくれるので、大いに勉強になりました。

 特記したいのは、沖縄だけでなく、首都東京も含めて、日本全土の制空権は米軍にあり、戦後70年以上経った21世紀になっても、今でも日本は「占領状態」が続いているという事実です。 東京のど真ん中である六本木と南麻布にも非常に重要な米軍基地があり、勿論、そこは治外法権で、日本の法律が及ばない警察捜査権も裁判権もありません。六本木の六本木ヘリポート (またの名を麻布米軍ヘリ基地、赤坂プレスセンターとも) は、一昨年、トランプ大統領が来日した際、安倍首相とゴルフをした埼玉県の霞ヶ関カンツリー倶楽部から専用ヘリでここまで降り立ったことから注目されましたね。

南麻布には、日本の将来が決定される憲法より上に存在する「日米合同委員会」が開催される ニューサンノー米軍センターがあります。

都内の米軍基地は、東京都の公式ホームページでも公開されておりました。

Akihabara

 「本当は憲法より大切な『日米地位協定入門』」「日本はなぜ、『戦争ができる国』になったのか」などの著書もある矢部氏は、どうも「反米極左主義者」のレッテルを貼られているようですが、左翼の理論的主柱である丸山真男さえ批判しております。

 日本国憲法について矢部氏は、「その草案を書いたのは、百パーセント、占領軍(GHQ)であり、日本人の書いた条文はない」として上で、特に、憲法9条のルーツを辿ります。

それによると、まず、まだ太平洋戦争が始まっていない1941年8月14日の時点で、ルーズベルト米大統領とチャーチル英首相が会談して、まもなく米国が対日戦に参戦することを前提に二カ国協定を結びます。(これが(1)大西洋憲章です。)

 翌42年1月1日、米英はこの大西洋憲章に基づき、ソ連と中国を含めた26カ国の巨大軍事協定を成立させ、第2次大戦を戦う体制を整えます。その参加国が「連合国」(United Nation)と呼ばれ、その協定が(2)連合国共同宣言です。

連合国の勝利が確実となった44年10月、米、英、ソ、中の4カ国で、国連憲章の原案となる(3)ダンバートン・オークス提案をつくります。

 最後に、欧州戦線がほぼ終わりに近づいた45年4月から6月にかけて、(3)の条文をもとに、米サンフランシスコで50カ国で会議を開き、(4)国連憲章をつくります。これが戦後の国際連合(United Nations)になるわけですから、私はいつも思うのですが、国連というのは誤訳で、「連合国」、もしくは「第2次世界大戦勝者連合」が正しいですね。

Akihabara

 さて、憲法9条のルーツである大西洋憲章第8項には、「戦争放棄」と「武装解除」が書かれています。つまり、平和を希求する日本人が戦争放棄したわけでも、武装解除したわけでもなく、勝者の連合国軍が、二度と歯向かうことがないように敵の武装を解除して、戦争を放棄させたというのが事実なのです。そんな重要なルーツを丸山真男は分かっていない、と矢部氏は批判するわけです。

 ただし、この「戦争放棄」も「武装解除」も1950年に勃発した朝鮮戦争で方向転換されます。米軍は日本に自衛隊を創設させ、再軍備させます。しかも、今でも密約で取り決められているのですが、いざ、有事の際は、日本の自衛隊も米軍司令官の指揮下に入るというのです。私も知らなかったのですが、これが「指揮権密約」と呼ばれるもので、当時の吉田茂首相が1952年7月23日(クラーク大将)と54年2月8日(ハル大将)の2回、米軍司令官と会い、この密約を結んでいたというのです。

まあ、この本にはこのように、対米従属主義と治外法権と米国の植民地状態のことばかり書かれているわけですから、よほどのマゾヒストでない限り、日本人として面白いわけがないですね。右翼も左翼も関係がないのです。

 それにしても、世界史的に見ても、例を見ない奇妙な占領状態です。しかし、「日本は米軍の『核の傘』で守られているから、『思いやり予算』で米軍の駐留費用を負担するのは当然」だと思っている人も多いことでしょう。ということは、このような占領状態に甘んじているのも、そして、その状態を選んでいるのも、結局、日本国民ということになりますね。

遅ればせながらの「プライベートバンカー」

 斯界ではかなりの評判と話題に上った清武英利著「プライベートバンカー カネ守りと新富裕層」(講談社・2016年7月12日初版)を遅ればせながら、今さらになってやっと読了しました。初版が出た3年前は私的な事情がありまして、読書できる状態じゃなかったので、読む機会を逃しておりました、と言い訳しておきます(笑)。

 いやあ、実に面白かった。某経済評論家が「僕が今まで読んだ経済小説の中でベスト3に入る」というので、何となく読み始めたのですが、途中でやめられなくなり、一気に読んでしまいました。

Copyright par Matsuoqua-sousai

 最近はほとんどフィクションは読むことはないので、よほどのことがない限り、小説は読まないのですが、途中で分かったことは、この本の主人公であるプライベートバンカー杉山智一氏は実名で、今では東京の外資系金融機関で勤務し、富裕層向けの「マネー執事」に従事しているようです。昨年3月には「ペライベートバンカー 驚異の資産運用砲」(講談社現代新書)を出版しています。(いつか読んでみようかと思ってます)

 そして、バンコク在住の元病院長の日本人資産家の100万米ドルを横領して殺人未遂事件まで起こした元シンガポール銀行(BOS)ジャパンデスク(日本人富裕層向け運用担当)の梅田専太郎受刑者も実名だったとは・・・。さすがにBOS時代の杉山氏の上司で、きついノルマを課して、杉山氏の顧客や手柄を分捕って、悪の権化のような描き方をされている桜井剛という人は実名ではなく、仮名のようですが、あの村上ファンドの村上世彰氏まで実名で出てきます。

 それに、私はこの本を読んで初めて知った方々ですが、シンガポールで成功し、ほとんどの人にはよく知られている若き実業家佐藤俊介氏や投資・経営アドバイザーの木島洋嗣氏らも実名で登場し、このほか、「税金逃れ」のために約30億円の資産を持ってシンガポールにやって来た元パチンコ業者や元不動産業者らも多く登場します。

 この本に登場する日本人は、何十億も何百億円も稼いでしまって、所得税や相続税対策のために、シンガポールに渡って、ペーパー会社を作ったり、不動産投資をしたりして、またまた年間、何千万円もの利益を得ながら、退屈を持て余して、生き甲斐もなく不幸そうに見えます。でも、ご安心ください。プライベートバンカーは皆様のことは相手にしてませんから(笑)。彼らにとって、5億円、10億円でさえ大した資産に見えないでしょう。50億円か100億円以上なら「マネー執事・指南役」として忠実に仕えてくれることでしょう。

 ということで、私にも、皆さんにも全く関係がない話でしたね(笑)。

 著者の清武氏は、ナベツネさんとの確執からと言われて読売巨人軍代表の座を解任されて一躍時の人になったのが、2011年11月のことでした。もう7年半も前なんですね。敏腕社会部記者だったという噂は聞いたことがありましたが、その後多くの名ノンフィクション作品を発表し、その底知れぬ猛烈な取材力には恐れ入りましたね。恐らく、大変大変失礼ながら、国際金融に関しては素人だったはずで、相当な数の専門書を読破したことでしょう。清武氏は、「おつな会」の仲間である鈴木嘉一氏とは読売新聞の同期入社で、仲が良いと聞いたことがあるので、いつか機会があれば、またお話を聞いてみたいと思ってます。

フランス「地図」旅行を楽しみ、雑学王に(続編)

 今年1月9日付の渓流斎ブログ「フランス地図上旅行 マドレーヌとは?」でも書きましたが、「地球の歩き方」フランス版(ダイヤモンド社)を通勤電車の行き帰りに少しずつ読み、至福の時間を過ごしております。

同時に、かなりの「フランス通」と言いますか、雑学の泰斗にさえなりました(笑)。例えば、アルミニウムの原料となる鉱石ボーキサイト bauxite。これは、中世に南フランスのアルル郊外を支配したボー家 Les Bauxから名付けられたんですってね。御存知でしたか? ボー家は、全盛期には80の町を支配していましたが、15世紀にボー家の血筋が絶え、1631年にはルイ13世の宰相リシュリューによって町はことごとく破壊されます。現在、アルル北東のレ・ボー・ド・プロバンス村 Les Baux-de-Provence(人口470人)に廃墟の城が残っていますが、この辺りでも鉱物ボーキサイトが採取されていたようです。

バルセロナ・カタールニャ広場

 フランスには日本人の名前が付いた「通り」もありました。

パリに近いイル・ド・フランスIle-de-France地方グレ・シュル・ロワン村 Grez-sur-Loing (フォンテーヌブローの森の南外れ)にある「黒田清輝通り」です。日本の近代洋画を切り開いた黒田は、1890年から約2年半、この村に滞在しました。ここは他に浅井忠ら多くの日本人画家が滞在して写生作品も残しています。

フランスで最も有名な日本人は、エコール・ド・パリの藤田嗣治でしょう。(戦後、フランスに帰化)彼が、シャンパンで有名なマム社 G.H.Mummの資金援助を受けて手掛けたフジタ礼拝堂 Chapelle-Foujitaが 北東部シャンパーニュChampagne地方のランス Reinsにあります。ランスは、ノートルダム大聖堂 Cathédrale Notre-Dame (藤田はここで洗礼を受けます)があることで有名です。13世紀着工のゴシック様式。20世紀初頭の大修復の際にシャガールがステンドグラスを寄進します。フジタ礼拝堂には藤田と君代夫人が眠っているそうです。

もう一人、フランスで有名な日本人は高島北海(1850~1931)です。何?知らない? 日本画家ですが、絵は独学。もともとは明治新政府の技術官僚で、北東部ロレーヌLorraine地方のナンシーNancyにある森林高等学校に留学します。この街で、後にアール・ヌーヴォーの代表的な芸術家となるエミール・ガレらと知り合い、ガレは高島から日本の美意識を学び、そのジャポニスムの影響が強い工芸品を次々と生み出します(ナンシー派とも)。

バルセロナ・カタールニャ広場

美術の話になったので、その線で話を進めますと、フランスは「芸術大国」と言われますが、しっかりと、過去の芸術家の所縁の地を観光資源として残してます。美術館を建てたり、画家が写生した現場に看板を立てたりしています。計算高い国ですねえ、行きたくなるじゃありませんか(笑)。クロード・モネ(「睡蓮」連作で知られる北西ノルマンディーNormandie地方ジヴェルニーGiverny、「印象:日の出」を描いた同地方ル・アーヴル Le Havre)、ポール・セザンヌ(生まれ故郷の南仏プロヴァンスProvence地方エクス・アン・プロヴァンスAix-en-Provenceとサント・ヴィクトワール山)ら自国民は当然のことながら、オランダのフィンセント・ファン・ゴッホ(終焉の地であるパリ郊外イル・ド・フランスIle de France地方オヴェール・シュル・オワーズAuvers-sur-Oise、南仏プロヴァンスProvence地方アルルArles)、スペインのパブロ・ピカソ(65歳で陶芸を始めた南仏コートダジュールCôte d’Azur地方ヴァロリスVallauris、絵画製作のため滞在した同地方アンティーブAntibesのグリマルディ城Chateaux Grimaldi=現ピカソ美術館など)らは、各地に足跡を残しています。

 そう言えば、ルネサンスの巨匠レオナルド・ダヴィンチなんかイタリア出身ながら、フランソワ1世に招かれて豪邸(北中西部ロワールLoire地方アンボワーズAmboiseのクロ・リュセ城Châteaux du Clos Lucé )を与えられ、同地のフランスで生涯を終えてましたね(同地の聖ユベール礼拝堂Chapelle de St. Hubertにお墓があります)

バルセロナ

嗚呼、ワインやグルメの話、古城の話、ロマネスク様式、ゴシック様式建築、 歴史的に重要な宗教都市(法王庁があったアビニョンAvignon、アンリ4世によって勅令が発せられたナントNantesなど)と伝説都市(ルルドLourdesなど)聖堂、修道院、物語(「眠れる森の美女」「岩窟王」「星の王子さま」など)の聖地などについても、色々と書き残しておきたいのですが、長くなるので、これからまた分割して書いていきます。

【追記】

 地名や聖堂には聖人の名前が多く使われています。サンテティエンヌ(聖エティエンヌ)の語源が気になって調べたら、エティエンヌとは新約聖書の「使徒行伝」に出てくるステパノ(またはステファノ=ギリシャ語で冠の意味)のことで、キリスト教徒最初の殉教者でした。ステパノは英語でStephen、スティーヴン(女性名はstephanie、ステファニー)。スティーヴン・スピルバーグ(映画監督)、スティーヴン・ホーキング(物理学者)、スティーヴン・キング(作家)、フランス象徴派詩人ステファヌ・マラルメら多くいますね。

丹羽宇一郎著「死ぬほど読書」を読む

 丹羽宇一郎著「死ぬほど読書」(幻冬舎新書・2017・7・30初版)を読みました。著者は、大手商社伊藤忠の社長、会長を務め、民間ながら中国大使まで務めた有名財界人ですが、意地の悪い私は、実際にお会いしたことがないので、何故彼がこれほど人望が厚い方なのか分かりませんでした。

 でも、この本を読んで少しだけ分かったような気がしました。「文は人となり」かもしれません。まずは、財界人とはいえ、文章がうまい。読ませる力を持っています。文章家と言ってもいいでしょう。それは、実家が本屋さんだったため、子どもの頃から、身近に本があったため、学校の図書館の本をあらかた読んでしまうほどの読書家だったことで裏付けられているかもしれません。

バルセロナ

 仕事で必要な経済書だけでなく、直接仕事に役立たない日本や世界の文学全集まで読破しているのですから、教養だけでなく、人間観察の面で役立ったのではないかと思われます。

 彼が何故これほどまで人望があるのかという一つに、いつまでも庶民目線で、社長になっても黒塗りハイヤーを断って、電車通勤を続けていたことなどが周囲で共感されたのではないでしょうか。

 著者は別に読書を強制しているわけではありません。最初に「何で本なんか読まなくて問題視されなければいけないのか」という大学生による新聞の投書に対して、「別に読まなくても構いません。でも、こんな人生の楽しみをみすみす逃すのはもったいない」と謙虚に意見を述べています。

 この本で、失礼ながら一番面白かった箇所は、丹羽氏の米国駐在時代の失敗談でした。大豆を担当していた若き丹羽氏は、穀物相場の読みを外して、500万ドル(当時のレートで約15億円)の大損失を出してしまったという話です。大失敗の原因は、ニューヨークタイムズの一面に載っていた「今年は深刻な干ばつになる」という予測記事を鵜呑みにしてしまったからでした。干ばつなら大豆の収穫が減り、相場は高騰する。それなら、今のうちにどんどん買えということで、買い付けていたら、日照り続きだったのが、慈雨に恵まれ、今度は一転して農務省が「今年は大豊作になるでしょう」と発表。おかげで、大豆相場は暴落して、大損害を蒙ってしまったというのです。

 この大失敗で、丹羽氏は教訓を得ます。どんなに権威のある新聞でもその情報が正しいとは限らない。何よりも新聞を通した二次情報ではなく、できる限り一次情報を得るべきだということでした。そこで、民間の天気予報会社と契約したり、自分でレンタカーを借りて穀物地帯を視察したりしたそうです。おかげで、翌年、またNYタイムズが「小麦地帯が干ばつなる」という予測記事が出たときに、「今度は騙されないぞ」と意気込んで、カンザス州に向かい、干ばつになる気配がないことをつかんで、買わずに損失を免れたというのです。著者は「情報のクオリティを見抜け」と言います。

バルセロナ

 私はこのブログで何度も告白している通り、これまで社会科学の勉強を疎かにして、古典的名著と言われる有名な経済書などはほとんど読んでいませんでした。この本を読んで、今さらながら、アダム・スミス「国富論」、マックス・ウェーバー「 プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」 、マルクス「資本論」、高橋亀吉「昭和金融恐慌史」などは必読書だという認識を新たにしました。

 いい刺激になり、この本を読んでよかったと思いました。

市川裕著「ユダヤ人とユダヤ教」を読んで

 長年、「ユダヤ問題」については関心を持っていましたが、不勉強でなかなかその核心については、よく分かっておりませんでした。

 ユダヤ民族は、ローマ帝国や新バビロニア王国による支配と捕囚によって、世界中に離散してからは差別と迫害と虐殺(19世紀末のロシアにおけるポグロム=破壊とナチスによるホロコーストなど)の歴史が続き、第2次大戦後になって今度はシオニズムによってパレスチナに国家を建設して、核兵器を装備していることが公然の秘密の軍事大国となり、かつてそこに居た人々が難民になるという歴史的事実もあります。

バルセロナ・グエル邸

それにしても、ユダヤ人は神に選ばれた「選民」として、作家、思想家、哲学者、物理学者、音楽家、演奏家、俳優、金融資本家…と何と多くの優秀な「人類」を輩出しているのかという疑問が長年あり、ますます関心が深まっていました。いわゆる「ユダヤの陰謀」めいた本も読みましたが、眉唾ものもあり、どこか本質をついていないと感じておりました。

 そこで、出版されたばかりの市川裕著「ユダヤ人とユダヤ教」(岩波新書・2019年1月22日初版)を購入して読んでみました。

新書なので、入門書かと思っていたら、著者は東京大学の定年をあと2年後に控えた「ユダヤ学」のオーソリティーでした。最初の歴史的アプローチこそ、ついて行けたのですが、中盤からのユダヤの信仰や思想・哲学になると、初めて聞く専門用語ばかりで、読み進むのに難渋してしまいました。

バルセロナ・グエル邸

まず最初に、一番驚いたのは、「ユダヤ教は『宗教』ではない。人々の精神と生活、そして人生を根本から支える神の教えに従った生き方だ」といった著者の記述です。えっ? ユダヤ教は宗教じゃなかったの?という素朴な疑問です。読み進めていくと、私がユダヤ教の司祭か牧師に当たるものと誤解していた「ラビ」とは、聖職者ではなく、神の教えに関して専門知識を持つ律法学者だというのです。

つまり、ユダヤ教とは、厳密な意味で宗教ではなく、戒律を重んじ、それを厳格に実践する精神と生活様式だったのです。6日目の安息日は、必ず休み、普段はシナゴーグでの礼拝や律法の朗読とタルムード(聖典)の学習など毎日決まりきった行動を厳格に実行しなければならないのです。とても骨の折れる信仰実践です。

 戒律といえば、私自身は、「モーセの十戒」ぐらいしか知りませんでしたが、とにかく、色んな種類の独自の律法があるのです。その代表的なものが、「モーセの五書」(旧約聖書の「創世記」「出エジプト記」「レビ記」「民数記」「申命記」)とも呼ばれる文字によって伝えられた「成文トーラー」と、西暦200年頃に編纂された口伝律法集「ミシュナ」(ヘブライ語で「繰り返し語られた法規範」全6巻63篇)と呼ばれる「口伝トーラー」です。

口伝トーラーは、 ヘブライ語で「道」「歩み」を意味するユダヤ啓示法の法規範である「ハラハー」と、法規範以外の神学や倫理、人物伝や聖書註解を扱う「アガダー」に分類されます。ラビたちは、ヘブライ語を民族の言葉として選び、神の言葉の学習を中心に据えます。ラビ・ユダヤ教に従うユダヤ人は、主なる神である唯一神を信じ、神の教えに従った行動をすることが求められます。具体的に何をすべきかに関しては、ラビたちの教えに従うことが義務付けられます。従って、ナザレのイエスをメシアと信じて従うのは異端だといいます(65ページ)。

バルセロナ・グエル邸バルセロナ・グエル邸

 このほか、神秘主義のカバラー思想などもありますが、難しい話はこの辺にして、この本で、勉強になったことは、イスラム教が支配する中世になって、ユダヤ人の9割が、当時欧州などより先進国だったイスラム世界に住み、法学をはじめ、哲学、科学、医学、言語学、数学、天文学などを吸収し、旺盛な商業活動も行っていたということです。それが、1492年のいわゆるレコンキスタで、イスラム世界が欧州から駆逐されると、ユダヤ人も追放、放浪が始まったということです。中世ヘブライ語で、スペインを「スファラド」、その出身者を「スファラディ」と呼び、スペインで長くイスラム文化の影響を受けたスファラディ系ユダヤ人の社会では、哲学的合理主義と中庸の徳が推奨され、生き延びることを優先して、キリスト教への改宗も行われたといいます。(スペインからオランダに移住したスピノザ一族など)

 もう一つ、ライン地方を中心とする中欧を「アシュケナズ」、その出身者を「アシュケナジ」と呼び、アシュケナジ系ユダヤ人社会では、敬虔さを重視する宗教思想が尊ばれ、迫害に対して、果敢に殉教する道が選ばれたといいます。

 ユダヤ人というのは、ハラハーに基づき、「ユダヤ人の母親から生まれた子、もしくはユダヤ教への改宗者」と定義されていますが、内実は、複雑で、エチオピア系ユダヤ人などいろんな民族が含まれ、色んな考えの人がいて、イスラエルを国家と認めないユダヤ人や、厳格な原理主義のユダヤ教に反対するユダヤ人さえもいるというので、聊か驚きました。


 ヴィルナ(現在のヴィリニュス)が「リトアニアのエルサレム」と呼ばれた街で、18世紀には正統派ユダヤ教の拠点だったことも初めて知りました。 とにかく、ユダヤ民族は教育と学習に熱心で「書物の民」と呼ばれ、成人の結婚が奨励されることから、歴史に残る多くの優秀な人材を輩出してきたことが分かりました。

 この本の不満を言えば、ユダヤ教の思想・哲学を伝えた偉人は出てきましたが、一般の人でもよく知るユダヤ人として出てくるのは、スピノザとマルクスとハイネ、それに、フロイトとアインシュタインぐらいだったので、もっと多く登場してもよかったのではないかと思いました。そして、何故、あそこまでユダヤ人だけが差別され、迫害されてきたのか、ご存知だと思われるので、もう少し詳しく説明されてもよかったのではないかと思いました。でも、大変勉強になりました。

森永卓郎著「なぜ日本だけが成長できないのか」続・完

森永卓郎著「なぜ日本だけが成長できないのか」(角川新書)を1月23日に続いて、今回も取り上げます。彼が務めるラジオ番組で、「この本を書いたら殺されるかもしれない、という覚悟で書きました」と話していたからです。

 23日に取り上げた時は、まだ半分くらいの途中でしたが、昨日、全部読み終わりました。その感想ですが、「少し全体的なまとまりがなく、ちょっと推測も大胆という印象」がありましたが、彼には頑張って欲しいので、原稿料代として(笑)、ネットではなく、有楽町の三省堂書店にまで行ってこの本を購入しました。

 書けば長くなってしまうので簡潔に済ませたいのですが、日本の経済低迷というか転落の原因として、森永氏が槍玉に挙げていたのは、日銀と財務省の金融政策と外資のハゲタカ・ファンドでしたね。

 前回も書きましたが、私は経済に関して非常に不勉強でした。いや忌避してました(笑)。そのおかげで、1990年代のバブル崩壊から不良債権問題が起こり、証券会社や損保生命保険や銀行が事実上倒産して再編成されたとき、面倒臭くて、名称が変わっても、その経緯に、とてもついていけませんでした。まして、その経営陣が外資だったことさえ意識してませんでした。

 この本を読むと、どうも金融庁による誤った不良債権処理で、外資のハゲタカに二束三文で買い叩かれ、値が上がると高額で売り抜けるという手口が明らかにされてます。再生機構が不良債権処理で導入した資金は、国民の税金ですからね。こんな酷いことを納税者が知らないでどうする?という話ですよ。

Mt Fhuji par la fenetre de Tokio Copyright par Duc de Matsuoqua

 例えば、日本長期信用銀行は1998年に破綻し、その処理に3兆7035億円の税金が使われましたが、結局、長銀はハゲタカ・ファンドの一つであるリップルウッド社にわずか10億円の「のれん代」で売却。社名変更で新生銀行になりますが、長銀をメインバンクにしていた百貨店のそごう、スーパーのライフ、第一ホテルなどが「瑕疵担保条項」を「活用」されて破綻します。(2007年に、リップルウッド<RHJインターナショナルに社名変更>の大変著名なティモシー・コリンズCEOは、米投資ファンドに売却し経営撤退しましたが、同社がどれくらいの差額利益を得たのか、この本には書かれていませんでした。まあ、簡単に想像つきますが)

 森永氏はかつて、UFJ総研に在籍したことがあるので、思い入れがあるのか、UFJ銀行の赤字による東京三菱銀行への吸収合併の過程について、「竹中平蔵金融担当大臣がターゲットをUFJ銀行に絞ったのだ、と私は見てる」と書いております。UFJ銀行が抱えていた「不良債権」になったスーパーのダイエーやミサワホームなどは、世間から厳しい目を向けられ、結局、倒産に追い込まれます。マンションの大京グループも赤字に追い込まれ、結局、資本支援して子会社化したのはオリックス。宮内義彦会長(当時)が「政商」と批判されたのは、確か、この頃だったと思います。竹中大臣らのインナーサークルにいたのではないかという批判でしたね。

バルセロナ・グエル邸

 キリがないので、この辺でやめておきますが、森永氏は、ハゲタカ・ファンドの最大手としてサーベラスを挙げております。1992年に設立された米国投資ファンドで、ブッシュ(息子)政権時代の財務長官ジョン・スノー氏が会長に務めたことがあります。

 このサーベラス、田中角栄元首相の盟友として名を馳せた小佐野賢治氏が創業した国際興業を「乗っ取った」と著者を書いております。UFJ銀行とりそな銀行が持っていた国際興業グループの貸出債権約5000億円をサーベラスが半値で一括購入し、その後、小佐野氏が苦労して手に入れていた帝国ホテルを三井不動産へ、八重洲富士ホテルを住友不動産へ売却。サーベラスは、他に売るものがなくなると、バスとハイヤー事業を創業家に売り戻したといいます。その売却価格は1400億円。

 また、西武鉄道乗っ取り計画に失敗したサーベラスは、2017年8月までに保有する同社株を全て売却します。その額は公表されませんでしたが、著者は約2400億円と見て、「11年半で1400億円のボロ儲けだった」と明記します。

 さらに、サーベラスは、あおぞら銀行(前身は日本債権信用銀行)への投資でも、わずか1000億円の投資で3000億円以上の資金を回収するという荒技を演じている、と書いております。

 ま、詳細については本書をお読みください。私も再読することにします。

森永卓郎著「なぜ日本だけが成長できないのか」

正直に告白しますと、現役時代はお金に困ったことはありませんでした。毎月、決まって給与が入り、半年に一度、多額の(まさか=笑)ボーナスまで振り込まれましたからね。会社は赤字でも、京洛先生の会社のように給料遅配の憂き目に遭ったこともありませんでした。

でも、今は遠い昔。現役を引退しますと、実入りが大幅に減額し、あ、はあ、さて、は困った、困った。大変なことになってしまった…。そこで、やり繰りするために、死に物狂いで経済と金融を勉強せざるを得なくなりました。

100冊ぐらい関連書を読みましたかねえ…(笑)。その結果は「さっぱり分からん」です。投げやりな、悪い意味ではないのです。これから景気が悪くなるのか、株が暴落するのか、今は多くの人がそう予想していますが、それはあくまでも予想であって、可能性は高くても、当たるかもしれないし、当たらないかも知らない。要するに未来のことなど誰も分からないという当然の結論でした。(誰にも分からないことを、さも分かった顔をして御託宣してお金を稼いでいる人もいますが)

 一方、過去については、解釈の違いこそあれ、覆せないので、安心して学ぶことができ将来に向けて参考にできます。「歴史に学べ」です。

その点、今読んでいる森永卓郎著「なぜ日本だけが成長できないのか」(角川新書、2018・12・10初版)は、特にバブル経済崩壊から日本経済の転落までを扱ったもので、まさに蒙が啓かれたといいますか、目から鱗が落ちたといいますか、大いに勉強になりました。「プラザ合意」も「バブル崩壊」も、同時代人として体験しながら、その当時はほとんど経済の勉強をしていなかったので、何が原因で起きていたのか分かりませんでしたが、「あれは、そういうことだったのか」「今の状況はそういう繋がりがあったのか」と、今さらながら、やっとクイズかパズルが解けたような爽快感があります。

 この本は面白い。興奮するほど面白いです。日本が不景気になり、経済大国から転落した原因として、人口減や労働人口の低下にあるとされてきましたが、著者は「それは違う」と具体的な数字をあげて反論します。(日本の就業者数は1995年6414万人だったのが、2016年は6465万人で、減っているどころか微増している)

バルセロナ・グエル邸

 それでは、日本経済の低迷の原因は何だったのかと言うと、森永氏は、ハゲタカ・ファンドを含む外資の日本進出にあった、と喝破します。同氏は「世界のGDPに占める日本の比率は、1995年に17.5%だったのが、2016年に6.5%と3分の1も落ち込んだ。これは、2001年からの構造改革により、日本の大切な資本が外資に二束三文で食われてしまったからだ。資本が外国のものになれば、当然、儲けは海外に持っていかれてしまう」と説明します。少し引用します。

 …日本の空洞化は、3段階で進んだことが分かる。

 第1段階は、1986年以降に日本企業が海外生産比率を上げていく『海外移転』。

 第2段階は、1990年のバブル崩壊以降、外国資本が日本の企業の株式を買い漁り、外国資本による株式保有の増加。

 第3段階は、日本企業そのものが二束三文で外国資本に叩き売られた不良債権処理。

 この三つはそれぞれ単独の現象のようにみられるかもしれないが、実は、この順序も含めて大きなシナリオで結びついている。グローバル資本とその先棒をかつぐ構造改革派の日本人は、実に30年がかりで日本経済を転落させていったのだ。…

バルセロナ

 うーん、実に明解ですね。この後、筆者は、この「グローバル資本」と「構造改革派の日本人」として、対日貿易赤字に苦しみ、その打開策を図った米国政府とその圧力に負けた日銀と財務省、構造改革を主導した小泉純一郎首相とそのブレーンになった1962年生まれの元日銀行員だった木村剛氏らを槍玉に挙げます。(当時の最大責任者だった竹中平蔵経済財政政策担当大臣を、森永氏は、時たま擁護するような表現を使うので不信感はありますが)

 特に、不良債権処理の旗振り役だった木村剛氏( 日本振興銀行会長になった同氏は2010年、銀行法違反容疑で逮捕=懲役1年執行猶予3年の有罪刑が確定= )がリストアップした「問題企業30社」は、流通、建設、不動産などに偏ったものばかりで、それは、外国のハゲタカ・ファンドが涎が出るほど欲しがっていたものと一致していたことは絶対に偶然ではないという著者の指摘は、背筋が凍るほどでした。森永氏は「木村氏は問題企業をハゲタカの餌食に差し出す手先だ」と批判しましたが、日本一のスーパーだったダイエーや日本長期信用銀行などの例を見ても、 結果的にそうなってしまいました。

 渓流斎ブログは、多くの経済専門の方々が熱心に読んでくださってますが、私自身は、この本は大変参考になったことを強調しておきます。(まだ、途中なので、この本については、またいつか触れるかもしれませんが)

弘兼憲史著「60歳からの手ぶら人生」

 弘兼憲史著「60歳からの手ぶら人生」(海竜社・2016年11月25日初版)を読了しました。この本は買ったわけではなく、地方税を支払っている(笑)地元図書館で借りたものです。予約したのは、初版が出た頃でしたが、借りたい人が異様に多くて、私の順番は675番目でした。

 ということで、私の借りる順番が回ってくるのに、2年2カ月もかかったわけです。でも、2時間ぐらいですぐ読んでしまいました。

バルセロナ・サグラダファミリア教会

 実は私は、著者が有名な「課長 島耕作」を書いた漫画家だということはよく知ってますが、彼の漫画は1ページも読んだことはありません。失礼! でも、小学生から中学生にかけてはよく漫画は読んでましたが、高校性になってから漫画は卒業してあまり読まなくなっただけなのです。

 さて、この本を予約して、私も2歳も年を取ってしまったので、「60歳からの」では、もう手遅れになってしまいました(笑)。著者は、どうも、58歳か59歳の男性読者を想定して書いているふしがあるからです。それは、読めばすぐ分かります。

 全編を通して、簡単に要約すると、60歳になれば、少しずつ「身辺整理」して、身軽になるべきだ、ということになるかもしれません。弘兼氏は「持ち物を半分にしよう」運動を提唱しているらしいのですが、そんなモノだけでなく、付き合う友人など人間関係も徐々に減らしていったらどうか、と提案するのです。

 平易な文章なので、彼の言いたいことはよく分かります。この本を書いていた時の著者の年齢は69歳でしたから、少し人生の先輩として後輩にアドバイスする感じです。

 弘兼さんといえば、功成り名を遂げた人で、日本人なら知らない人はいないぐらい有名人ですが、「延命治療はしたくない」とか「子孫に財産は残さず使い切りたい」などと、結構、日々冷静に物事を考え抜いている人だと分かります。有名人だろうが、お金を沢山持っていようが、人は皆、必ず死ぬわけで、時間はどんな人にも平等に与えられているので、生きているうちに、思いっきり自分のやりたいことをやるべきだと主張します。著者自身は、自分でも「典型的なB型人間」で、楽観的でマイペースだというので、これらの主張は非常に前向きな感じがします。

バルセロナ・サグラダファミリア教会

 この本の中で著者が提唱する全てをやるつもりはありませんが、参考になりました。例えば、私も仕事などでかなりの人の名刺が溜まっていて、なかなか捨てられなかったのですが、「顔を思い出せないような人の名刺は捨てるべきだ」という彼のアドバイスは納得しました。

 また、男は、現役時代は「給料を運んでくる」役割がありましたが、「定年後の男の価値はゼロになる」ことを自覚して、男も積極的に家事や料理をするべきだと提案しております。村民2号、いや、奥さんともなるべく一緒にいないようにして、お互いに距離を置くことも夫婦円満の秘訣なんだそうですよ。

 奥さんからみても、子どもが独立して、やっと鬱陶しい旦那から解放されれば万々歳です。あとは楽しい綾小路きみまろのライブショーにでも行って、大笑いすることができます。めでたし、めでたしです。

 私も、まずは、体力、気力があるうちに、身辺整理から始めて、今年はすっきりしてみようかなと思っています。

百田尚樹著「日本国紀」に賞賛の嵐

名古屋の篠田先生です。本年も宜しく御願い申し上げます。

さて、文壇や出版界の裏に精通している骨太のネットサイト「文徒アーカイブス」に下記の記事が出ていました。よくこれだけ、色んな電脳空間の情報をまとめられるものだと敬服していますが、この中で、作家の中沢けいさんが「活版と写植の違い」を指摘しています。その通り的確な指摘です。活版印刷はそれほど手間と時間、お金がかかっていたことは、“坊主頭”の若い軽薄作家は知らないのでしょう。

それにしても、増刷するたびに内容が大幅に変わるという本というのは凄いの一言です(笑)。

バルセロナ・サグラダファミリア教会

再版するときは、初版の誤植とか最低限の間違いを修正するというのは過去の話ですね。これではほとんど新刊本と同じです(笑)。

こういう人の言説はその都度、次から次に変わるというわけで、信用できない、責任を取らないと言えます(笑)。底が浅い社会に日本がなっているということです。

底の浅い総理大臣、底の浅い御用学者、御用作家、御用記者、御用コメンテーター、さらに「三権分立」が空文化して、行政=首相官邸・独裁国家の日本であり、それと同じ仕組みの北朝鮮を批判する漫画的光景。それをマスコミも気が付かない、指摘しない、というのも漫画というより末期的です。

文徒アーカイブス

2019-01-11

バルセロナ・サグラダファミリア教会

【記事】増刷するごとに内容が変わる百田尚樹「日本国紀」

百田尚樹のベストセラー「日本国紀」について、作家の中沢けいが次のようにツイートしている。
百田尚樹『日本国紀』は増刷のたびに内容に改変を加えているそうだけど。昔の活版印刷だったら、とっくに経費で会社がおかしくなっている。40年前、写植印刷の文芸誌なんて信用できないって言われた。その頃、写植を使っていた文芸誌は『群像』だけ。あとは活版印刷。本物の活字だと版そのものを作りなお(さ)なければならない事態が生じる場合もある。経費増大。電算写植からDTPへ。それだけ印刷にかかる費用も手間も安価になった。今頃になって『写植の印刷なんて信用できない』って言われた理由が分かった気がして苦笑。こんな事態を考えていたわけではないだろうけど」
https://twitter.com/kei_nakazawa/status/1069794217180848128
https://twitter.com/kei_nakazawa/status/1069795270810947584
▼例えば「ろだん」なる人物が主宰するブログ「論壇net」は「日本国紀」について言及したエントリを次々に公開している。
「【朗報】『日本国紀』、こっそり「男系」の誤りを認め修正」によれば初版では「日本には過去八人(十代)の女性天皇がいたが、全員が男系である。つまり父親が天皇である」とっていた表記が第4版では「日本には過去八人(十代)の女性天皇がいたが、すべて男系である。つまり父親を辿ると必ず天皇に行き着く」と改められていたわけだが、「ろだん」によれば、この変更は百田が「公式に『男系』の定義が間違っていたことを認めたということ」になる。
https://rondan.net/5090
▼「論壇net」の「【速報】『日本国紀』、無断転載箇所を第5刷にて大幅改竄」は、次のように指摘している。
「まず、『日本国紀』(p. 53)にある仁徳天皇の逸話が、大阪新聞に掲載された真木嘉裕氏の意訳からの無断転載・改変であると報告されていました。本箇所について第5刷では、真木嘉裕氏の意訳を参照した旨が追記されました」
「またフランシスコ・ザビエルと、ルイス・フロイスを混同している箇所があり、加えて、その箇所も先行する日本語訳から無断転載している状態でした(pp. 149-150)。この箇所に至っては2ページにわたり大幅に書き改められました」
▼「ろだん」は版元たる幻冬舎の責任にも言及している。
「しかし幻冬舎の対応は極めて不誠実です。発売後わずか二週間(第1刷:2018.11.10、第5刷:2018.11.28)ほどで内容が改竄され、しかも現在書店では改竄前の第1刷から、改竄後の第5刷まで並んでいる状態です。通常ならば第1刷から第4刷までは回収・交換・返金するのが筋ではないでしょうか? 以上の件について幻冬舎は未だ沈黙を守っており、倫理的に問題があると考えます」
https://rondan.net/5459
▼「ろだん」は「【続報】『日本国紀』、第5刷で次々と改竄【ゴールデンブック、コミソテルソ】」では、こう指摘している。
「『日本国紀』第1刷(p. 379)の「ゴールデンブック」に関する記述が第5刷でごっそり改変されています。
この第1刷にある『ユダヤ人脱出に尽力した、樋口季一郎・安江仙弘・杉原千畝三者の名前がゴールデンブックなる記念碑に刻まれている』という記述が、これがWikipediaを中心に保守ブログなどで喧騒されてるだけのデマ情報であることは、刊行後かなり早い段階で指摘されていました。この指摘を受けての修正だと考えられますが、第一発見者であるHiroshi Matsuura氏への謝辞は『日本国紀』のどこを見ても確認されません」
https://rondan.net/5529
▼「ろだん」は追及の手を緩めない。「【悲報】『日本国紀』、第5刷でこっそり改竄するも、かえって重大なミスを犯してしまう」では、こう書いている。
百田尚樹『日本国紀』は、内容の錯誤のみならず、Wikipediaなどからの無断転載箇所が多数見つかり『日本コピペ紀』『日本ウィ紀』と揶揄されたり、こっそり重刷時に「改版」の指示なく内容まで書き換えてしまったりとお騒がせが続いています。
今回紹介したいのは、第5刷の時に書き替えられた『ゴールデンブック』の箇所が、かえって重大なミスを犯しているという指摘です」
https://rondan.net/5628
▼更に「ろだん」は「【日本コピペ紀】長岡京Wikipediaコピペ疑惑」や「『日本国紀』、第5刷で慌てて改竄するも資料を熟読しなかったため再修正が必要に。第6刷以降で再び改竄か?【フランシスコ・ザビエル】」をエントリしている。
https://rondan.net/5657
https://rondan.net/5672
▼編集者兼ライターの「Yukinobu Muromachi」も版元の責任が問われていると考えているのだろう。
「これはヒドイ…。機械翻訳と批判されたアインシュタインの伝記本だって、出版社は自主回収して、訂正本を送ってきたぞ。幻冬舎がいかにダメな出版社か、よくわかる」
https://twitter.com/y_muromachi/status/1069216567534075905
▼能川元一のツイート。
「ちなみに『日本国紀』のような本に欠けているのも、歴史を構造的に把握するという姿勢。右派の歴史本が往々にして(特に人物に焦点を当てた)トリビア集みたいになるのはそのためだと思う」
https://twitter.com/nogawam/status/1069511634828189697
▼早川タダノリもツイートしていた。
「増刷で誤植の訂正にとどまらず内容を変えてしまうとは、『日本国紀』の『ウィ紀』化は本当だったとしか。今後同書から引用する際には、論文中の出典URLを表記するときの『最終アクセス*年*月*日』みたいに、『最終アクセス第*刷』って入れるしかないじゃん」
https://twitter.com/hayakawa2600/status/1069164957567053825
▼当然、編集者にも責任があるはずだ。「日本国紀」の編集を担当としたのは有本香である。こんツイートも投稿されていた。
「有本さん、朝日新聞の”誤報・訂正ページの検索回避タグに関するお詫び記事”に対しては『この記事で納得しますか?』だの『単なる誤報の後処理と軽く見ないでください』だの啖呵切っといて、ご自分が関わった日本国紀の間違いに関しては、購入者に知らせもせず”こっそり”修正してても平気なんですねぇ」
https://twitter.com/ryuryukyu/status/1068361086204698624
▼作家の津原泰水も呟く。
「謝らずにこっそり直し続けるって業界初かも」
https://twitter.com/tsuharayasumi/status/1068466396277858304
▼五月書房新社の編集委員会委員長にして元朝日新聞記者の佐藤章のツイートである。
「価格をつけて出版市場に流れる『書籍』ー幻冬舎の『日本国紀』の帯に『私たちは何者なのか』とある。答えを与えよう。剽窃者、盗作者あるいは恥知らずである。無知なネトウヨならいざ知らず出版界にいる限り最低限やってはいけないことは知っていよう。最低線の責任は果たせ」

以上

バルセロナ

渓流斎です。本日は、百田さんのように(笑)、殆どネットからの盗作でしたが、リツイートですし、出典を明確にしているので、勘弁して頂きましょう。引用させて頂きました関係各位の皆様方には厚く御礼申し上げます。

「新聞王伝説 パリと世界を征服した男ジラルダン」その2・完

 今日は大晦日だというのに、少し掃除しましたが、本を読んだり、外国語を勉強したり、このようにブログを書いたりして仕事をしております。ありえない(笑)。 

 今日は、12月28日付に書いた鹿島茂著「新聞王伝説 パリと世界を征服した男ジラルダン」(筑摩書房・1991年9月20日初版)の続編ですが、これでお終いにします。

 著者は終章「結論に代えて」で、ジャーナリズムの本質を見事に突いています。27年前に、41歳の若さでここまで洞察できるとは、お見事というほかありません。

…ジャーナリズムの中で書かれたものは、それがどれほど鋭い洞察を含んだものであろうと、読者の目に触れた途端、紙屑となる。これは、ジャーナリズムに生きる者の宿命である。たとえ十分の一の値段であっても前日の新聞を買おうとする者はいない。ジャーナリストは誰でもこの虚しさを知っている。だが、ジャーナリストには、今という時間を掠め取っているという充実感がある。この充実感が虚しさに耐える力を与える。それどころか、時代とともにあるという感覚は、麻薬のように、あらゆる反省的な意識を痺れさせ、何物にも代えがたい快楽となる。この快楽があるからこそ、一度ジャーナリストになったら最後なかなか足を洗うことができないのだ。…

 どうです。これほど適格にジャーナリズムを説いた文章にお目にかかったことはありませんでしたね。


バルセロナ・サグラダファミリア教会

 本書の主人公である新聞王ジラルダンも、まさに、麻薬のような快楽の中で、次々と新機軸を打ち出して、新聞を創刊したり、買収したりしたに違いありません。ジラルダンは政界にも進出したりしますが、結局は、とても、自分自身の理想を実現したとは言えず、逆に批判や誹謗中傷を多く受けたようです。亡命も余儀なくされたりしました。そして、最後は自分が創刊したり買収したりした新聞(「プレス」、「リベルテ」、仏初の大衆新聞「プチ・ジュルナル」、高級紙「フランス」など)はすべて1929年の大恐慌までに廃刊となって消え、妻に先立たれ、親子ほど年の差があった後妻も他の男に走り、子孫も早く亡くなり、伝説だけが残ることになります。

バルセロナ・サグラダファミリア教会

 エミール・ド・ジラルダン(1806~81)が生きた時代は、まさに、激動の時代でした。1830年の7月革命、1848年の2月革命、1870年の普仏戦争とそれに続くパリ・コミューンが起き、その間、第二共和政、王政復古、第二帝政、第三共和政とコロコロと変わります。


バルセロナ・サグラダファミリア教会

 フランスの新聞の第一号は1631年創刊の「ガゼット」紙と言われていますが、基本的には、フランスの新聞は政治新聞で、昔も今も変わらないといいます。そんな中で、ジラルダンは、党派やイデオロギーには拘らず、ある時は体制派として擁護したり、ある時は、反体制派として、政権討伐のキャンペーンを張ったりします。

 そのため、ジラルダンは「日和見主義」だの、「新聞に商業主義を持ち込んだ」などと批判されますが、彼には政治を超えた社会改革という思想の一貫性がありました。それは、下層階級と言われた大衆の教養を高めて、生活水準を下から高めていくことで、国も豊かになるといったものでした。その実践の一つが、労働条件の改善で、新聞印刷工らの労働時間を8時間にしたり、(当時の労働者は10時間以上がざらで、ジラルダンは100年先を見込んでいた)いざという時に困らないように、給料遅配は一度もなく(当時の経営者としては珍しかった)、部数が伸びれば、利益還元の思想に基づき、昇給という形で社員に分配したといいます。

 ただ、それらは労働者に対する同情ではなく、人間は欲望の塊で、それが活動の動機なり、向上心による会社の発展(彼にとっては部数の拡大)が国の発展にも寄与すると信じていたからでした。


バルセロナ・サグラダファミリア教会

 最後に少しだけ、ジラルダンの「功績」を列挙してみます。

・1836年に創刊した「プレス」では、新聞小説の先駆けとなったバルザックの長編小説「老嬢」を連載。また、一般紙として初めて株式市況を掲載した。さらに、広告を重視して、これまで予約購読料だけに頼っていた新聞経営を安定させることに成功した。他紙は商業主義と批判したが、後世の新聞はほとんどこのようなスタイルとなった。(一般紙にスポーツ欄を設けたのは、ジラルダンの発想でした。当時のスポーツは、競馬でしたが)

・「プレス」紙の木曜日に連載された「パリ便り」は、まさに最先端の流行発信となり、部数拡張に貢献する。例えば、香水ゲルラン(日本ではゲランと発音)は、この欄のおかげで有名になった。このコラムの筆者は、ド・ローネ子爵となっていたが、実際の執筆者は、ジラルダン夫人である閨秀作家デルフィーヌだった。

嗚呼、2018年。今年ももうすぐ終わってしまいます。読者の皆様には本年も大変お世話になりました。

何せ、仕込みから取材執筆校正まで家内制手工業でやっておりますので、ジラルダン風に言いますと、このブログの広告にクリックして頂くと、大変助かります(笑)。

来年もどうぞ御愛顧の程、宜しく御願い申し上げます。

渓流斎高田朋之介