細部に宿る意外な人脈相関図=平山周吉著「満洲国グランドホテル」

(つづき) 

 やはり、予想通り、平山周吉著「満洲国グランドホテル」(芸術新聞社)にハマって、寝食を忘れるほど読んでおります。昭和時代の初めに中国東北部に13年半存在した今や幻の満洲国を舞台にした大河ドラマです。索引に登場する人物だけでも、953人に上ります。この中で、一番登場回数が多いのが、「満洲国をつくった」石原莞爾で56回、続いて、元大蔵官僚で、満洲国の行政トップである総務長官を務めた星野直樹(「ニキサンスケ」の一人、A級戦犯で終身刑となるも、1953年に釈放)の46回、そして昭和天皇の32回が続いています。

 私は、この本の初版を購入したのですが、発行は「2022年4月20日」になっておりました。それなのに、もう4月30日付の毎日新聞朝刊の書評で、この本が取り上げられています。前例のない異様な速さです。評者は、立花隆氏亡き後、今や天下無敵の「読書人」鹿島茂氏です。結構、辛口な方かと思いきや、この本に関してはかなりのべた褒めなのです。特に、「『ニキサンスケ』といった大物の下で、あるいは後継者として働いた実務官僚たちに焦点を当て、彼らの残した私的資料を解読することで満洲国の別のイメージを鮮明に蘇らせたこと」などを、この本の「功績」とし特筆しています。

 鹿島氏の書評をお読みになれば、誰でもこの本を読みたくなると思います。

 とにかく、約80年前の話が中心ですが、「人間的な、あまりにも人間的な」話のオンパレードです。「ずる賢い」という人間の本質など今と全く同じで変わりません。明があれば闇はあるし、多くの悪党がいれば、ほんの少しの善人もいます。ただ、今まで、満洲に関して、食わず嫌いで、毛嫌いして、植民地の先兵で、中国人を搾取した傀儡政権に過ぎなかったという負のイメージだけで凝り固まった人でも、この本を読めば、随分、印象が変わるのではないかと思います。

 私自身の「歴史観」は、この本の第33回に登場する哈爾濱学院出身で、シベリアに11年間も抑留されたロシア文学者の内村剛介氏の考え方に近いです。彼は昭和58年の雑誌「文藝春秋」誌上で激論を交わします。例えば、満鉄調査部事件で逮捕されたことがある評論家の石堂清倫氏の「満洲は日本の強権的な帝国主義だった」という意見に対して、内村氏は「日本人がすべて悪いという満洲史観には同意できません。昨日は勝者満鉄・関東軍に寄食し、今日は勝者連合軍にとりついて敗者日本を叩くというお利口さんぶりを私は見飽きました。そして心からそれを軽蔑する」と、日本人の変わり身の早さに呆れ果てています。

 そして、「明治11年(1878年)まで満洲におったのは清朝が認めない逃亡者の集団だった。満鉄が南満で治安を回復維持した後に、山東省と直隷省から中国人がどっと入って来る。それで中国人が増えるんであって、それ以前の段階でいうならあそこはノーマンズ・ランド(無主の地)。…あえて言うなら、満洲人と蒙古人と朝鮮人だけが満洲ネーティブとしてナショナルな権利を持っていると思います。(昭和以降はノーマンズ・ランドとは言えなくなったが)、ロシア人も漢民族も日本人も満洲への侵入者であるという点では同位に立つ」と持論を展開します。

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 また、同じ雑誌の同じ激論会で、14歳で吉林で敗戦を迎えた作家の澤地久枝氏が、満洲は「歴史の歪みの原点」で、「日本がよその国に行ってそこに傀儡国家を作ったということだけは否定できない」と糾弾すると、内村氏は「否定できますよ。第一、ソ連も満洲国に領事館を置いて事実上承認してるから、満洲国はソ連にとって傀儡国家ではない」とあっさりと反駁してみせます。そして、「それじゃ、澤地さんに聞きたいけど、歴史というものに決まった道があるのですか? 日本敗戦の事実から逆算して歴史はこうあるべきだという考え、それがあなたの中に初めからあるんじゃないですか?」と根本的な疑問を呈してみせます。

 長い孫引きになってしまいましたが、石堂氏や澤地氏の言っていることは、非の打ち所がないほどの正論です。でも、当時は、そして今でも少数派である内村剛介の反骨精神は、その洞察力の深さで彼らに上回り、実に痛快です。東京裁判で「事後法」による罰則が問題視されたように、人間というものは、後から何でも「後付け」して正当化しようとする動物だからです。内村氏は、その本質を見抜いてみせたのです。

 この本では、鹿島氏が指摘されているように、有名な大物の下で支えた多くの「無名」実務官僚らが登場します。「甘粕の義弟」星子敏雄や型破りの「大蔵官僚」の難波経一、満洲国教育司長などを務め、戦後、池田勇人首相のブレーンになり、世間で忘れられた頃に沢木耕太郎によって発掘された田村敏雄らです。私もよく知らなかったので、「嗚呼、この人とあの人は、そういうつながりがあったのか」と人物相関図が初めて分かりました。 

 難点を言えば、著者独特のクセのある書き方で、引用かっこの後に、初めてそれらしき人物の名前がやっと出てくることがあるので、途中で主語が誰なのか、この人は誰のことなのか分からなくなってくることがあります。が、それは多分私の読解力不足のせいなのかもしれません。

 著者は、マニアックなほど細部に拘って、百科事典のような満洲人脈図を描いております。細かいですが、女優原節子(本名会田昌江)の長兄会田武雄は、東京外語でフランス語を専攻し、弁護士になって満洲の奉天(現瀋陽市)に住んでいましたが、シベリアで戦病死されていたこともこの本で初めて知りました。こういった細部情報は、ネットで検索しても出てきません。ほとんど著者の平山氏が、国会図書館や神保町の古書店で集めた資料を基に書いているからです。そういう意味でも、この本は確かに足で書いた労作です。

傀儡国家の有象無象の複雑な人物相関図=平山周吉著「満洲国グランドホテル」

 ついに、ようやく平山周吉著「満洲国グランドホテル」(芸術新聞社、2022年4月30日初版、3850円)を読み始めております。索引を入れて565ページの超大作。百科事典に見紛うばかりのボリュームです。

 この本の存在を知らしめて頂いたのは、満洲研究家の松岡將氏です。実は、本として出版される前に、ネット上で全編公開されていることを松岡氏から御教授を受けました(現在、閉鎖)。そこで、私も画面では読みにくいので、印刷して机に積読していたのですが、他に読む本が沢山あって、そちらになかなか手が回りませんでした。ついに書籍として発売されるということでしたので、コピーで読んでいたんではブログには書けない気がして購入することにしたのです。

 最初に「あとがき」から読んだら、松岡將さんが登場されていたので吃驚。ウェブ連載中にたびたび間違いを指摘されたそうで(笑)、著者からの感謝の言葉がありました。松岡氏は索引にも登場し、彼の著書「王道楽土・満洲国の『罪と罰』」等も引用されています。

 「あとがき」にも書かれていましたが、著者の平山周吉氏の高校時代(麻布学園)の恩師だった栗坪良樹氏(文芸評論家、元青山女子短大学長)が、松岡將氏の母方の従弟に当たるという御縁もあります。著者プロフィールで、平山氏は、「雑文家」と称し、本名も職歴も詳しく明かしていないので、「世界的に影響力のある」このブログでも詳しくは書けませんが(笑)、某一流出版社の文芸誌の編集長などを歴任されたそうで、「週刊ポスト」で書評も担当されています。

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 振り返ってみれば、私の「満洲」についての関心は、松岡氏からの影響もありますが、知れば知るほど、関係者や有名人がボロボロ出てくる驚きがあり、大きな森か沼にはまってしまったような感じなのです。

 「ニキサンスケ」の東条英機、星野直樹、岸信介、松岡洋右、鮎川義介を筆頭に、吉田茂、大平正芳、椎名悦三郎、何と言っても「主義者殺し」から満映理事長に転身した甘粕正彦と張作霖爆殺事件の河本大作の「一ヒコ一サク」、731細菌部隊の石井四郎、満洲国通信社の阿片王・里見甫、「新幹線の父」十河信二、作家の長谷川濬、檀一雄、澤地久枝、評論家の石堂清倫、漫画家の赤塚不二夫やちばてつや、俳優の森繁久彌や宝田明、李香蘭、小暮美千代、歌手の加藤登紀子、指揮者の小澤征爾、岩波ホールの支配人だった高野悦子…と本当にキリがないほど出て来るわ、出て来るわ。

 もう出尽くしたんじゃないか、思っていた頃に、この「満洲国グランドホテル」に出合い、吃驚したと同時に感服しました。これでも、私もかなり満洲関係の本を読んできましたが、知らなかったことが多く、著者は本当に、よく調べ尽くしております。目次から拾ってみますと、「小林秀雄を満洲に呼んだ男・岡田益吉」「『満洲国のゲッベルス』武藤富男」「『満洲の廊下トンビ』小坂正則」「ダイヤモンド社の石山賢吉社長」「関東軍の岩畔豪雄参謀、陸軍大尉の分際で会社を65を設立す」「誇り高き『少年大陸浪人』内村剛介」…、このほか、笠智衆や原節子らも章が改められています。

躑躅

 キリがないので、最小限のご紹介に留めますが、小林秀雄を満洲に呼んだ岡田益吉とは、読売新聞~東京日日新聞の陸軍担当記者から、満洲国官吏に転じ、協和会弘報科長などを務めた人。東日記者時代は、永田鉄山参謀本部第二部長から、国際連盟脱退の決意を聞き、大スクープ。満洲時代は、「張作霖事件」の首謀者河本大作と昵懇となり、「張作霖の場合民間浪人を使ったので、機密が民政党の中野正剛らに漏れ、議会の問題になったので、今度(柳条湖事件)は現役軍人だけでやった。本庄繁軍司令官は翌年の3月、河本が本庄に告白するまで知らなかった」ことまで引き出します。

 「満洲の廊下トンビ」小坂正則とは、岡山県立第一商業を出た後、渡満し、満洲では、秘密警察的存在だった警務司偵輯室員と報知新聞記者などの二足の草鞋を履き、同郷の土肥原賢二大佐(奉天特務機関長)や星野直樹・総務庁長(間もなく総務長官と改称)ら実力者の懐に飛び込み、その「廊下トンビ」の情報収集力が買われ、諜報員と記者の職を辞しても、複数の嘱託として「月収3000円」を得ていたという人物です。

 まあ、人間的な、あまりにも人間的な話です。とにかく、この本を読みさえすれば、複雑な満洲人脈の相関図がよく分かります。(この話は多分、つづく)

意外にも残虐だった天智天皇

 週末はゆっくり休んだというのに、未だに風邪が抜け切れていません。えっ?もしかして???と言われそうなので、今朝、健康診断の際に、熱を測って頂いたら、35.4度しかありませんでしたよ。食欲も味覚も嗅覚もあり、こんな冷血人間がコロナでもないですよね?

 まだ本調子といかないので、読書が進まず、購入した本や書籍が机の上に山積しております。特に雑誌が読めません。いつも定期購読している「歴史人」は、4月号「最新研究で、ここまでわかった!古代史の謎」特集号と、5月号の「決定!最強の城ランキング」と、6月号の「沖縄戦とソ連侵攻の真実」の3冊と「歴史道」Vol.20「古代天皇の謎と秘史」特集号とVol.21「伊能忠敬と江戸を往く」特集号の2冊、計5冊も未読です。

 この中で、やっと「歴史人」4月号「最新研究で、ここまでわかった!古代史の謎」特集号を読み終えるところです。いつもの通り、「歴史人」は情報量が満載というか、満杯で、とても全てを頭の中で整理できません。よく言えば、「玉石混交」ですが、悪く言えば節操がない(笑)。ただ、嬉しいことに、最新の学術研究の成果が出て来るので、感心します。逆に言えば、いまや歴史解釈がどんどん変化しているので、単行本や教科書では間に合わないのです。雑誌を刊行しなければならないほど、それだけ学説が更新されているということなのです。

 玉石混交の節操なし、というのは「邪馬台国論争」です。最初に、高島忠平・佐賀女短大元学長の「邪馬台国の真実」を読むと、「女王・卑弥呼が統治した3世紀の倭国は九州にあったとするしかない」「ヤマト王権は5世紀になっても、女王国のように一元的に統率・支配する独自の個人官僚機構を成立していなかった」「纏向(まきむく)遺跡の被葬者が卑弥呼のはずがない」と断定されているので、これで「邪馬台国=北九州説」決定、と私なんか思ってしまいました。

 ところが、次の武光誠・元明治学院大学教授の「女王卑弥呼の謎と実像」を読むと、「現在、考古学者の半数以上が邪馬台国大和説を支持。大和説と九州説の勢力比は、7対3程度になって来た」「邪馬台国=大和説なら卑弥呼に比定し得る女性は3人いる。一人は、仲哀天皇の妃の神功皇后。二人目は崇神天皇を支えた巫女の倭迹々日百襲姫命、三人目が垂仁天皇と景行天皇の時代の倭姫命であある」と断定するのです。

 ええい、どっちなんじゃあい!?

 いくら、3対7と不利だろうが、私は3世紀という時代を鑑みて、何と言っても九州説を取ります。

 もう一つ、7~8年前だったか、「聖徳太子が教科書から消える?」と新聞などで話題になりましたが、最近ではやはり、謚(おくりな)である「聖徳太子」単独で登場することは少なくなり、せめて「聖徳太子(厩戸皇子=うまやとのみこ)」か、「厩戸皇子(聖徳太子)」の形で多く登場するようです。何故ならかつて言われていた「聖徳太子超人説」(生後4か月で話をすることができた。5歳で推古天皇の即位を予言した。11歳で30人以上の子どもが言うことを漏らさずに記憶した…)は、現代科学と照らし合わせて否定されつつあるというからです。

 最後に、私の世代では「大化の改新」としか習いませんでしたが、今では「乙巳の変」と呼ばれる645年の政権クーデターの話は考えさせられました。私の世代では、「蘇我入鹿=悪党権化の塊」「中大兄皇子(天智天皇)=善人・名君」のイメージで固まって、それで終わりでしたが、遠山美都男学習院大等非常勤講師の「蘇我氏は希代の悪人か、変革者か?」を読むと、蘇我入鹿が可哀想に思えてきました。

 入鹿が、厩戸皇子の後継者・山背大兄王(やましろおおえのみこ)を襲って一族を滅ぼしたのは、山背大兄王が用明天皇の系統だったためで、入鹿は、敏達天皇系統のリーダー的存在だった皇極天皇(女帝)の命令に従ったに過ぎなかったといいます。

 乙巳の変では、今度は入鹿が皇極天皇の目の前で、中大兄皇子によって殺害されますが、敏達天皇系統(敏達統)内での政権抗争に巻き込まれた結果でした。蘇我入鹿らは敏達統の古人大兄皇子を次期天皇に押していたのに対し、中大兄皇子らは、敏達統の軽皇子(かるのみこ=孝徳天皇)を押していたからです。となると、黒幕はこれまた皇極天皇で、入鹿なんぞは将棋の駒のように利用していたに過ぎなかったかもしれません。

 入鹿は殺される前に「私は無実です」と皇極天皇に訴えたといいますから、可哀想になったのです。

 中大兄皇子は天智天皇として即位しますが、これまた恐ろしい。まず、古人大兄皇子を謀反の疑いで処刑し、自陣に取り組んでいた蘇我倉(そがのくら)山田石川麻呂を自害に追い込み、傀儡に打ち立てた孝徳天皇を難波宮の置き去りし、孝徳天皇の皇子である有間皇子まで謀反の疑いで処刑してしまうのです。

 いやはや、熾烈な権力闘争とはいえ、天智天皇は、ここまで残虐な御方だったとは…、改めて、感慨に耽ってしまいました。

【追記】

 卑弥呼と対立した狗奴国の男王の名前は卑弥己呼(ひみここ)だったといいます。えっ!?です。誰が付けたのでしょう? 邪馬台国の「や」には、よこしまな「邪」の字が充てられているし、卑弥呼だって、「卑しい」という侮蔑言葉が盛り込まれています。これらは、中国大陸の歴史書「魏志倭人伝」などに登場することから、中国人がそう呼んだか、名付けたような気がしてなりません。いわゆる中華思想ですから、日本なんぞは「東夷」という遅れた蛮族に過ぎないという思想です。

「NHKスペシャル 見えた 何が 永遠が~立花隆 最後の旅~」は隔靴搔痒でした

 「やっちまったなあ」ーGWの後半は、風邪で丸々3日間、寝込んでしまいました。熱は1日で下がり、味覚や臭覚や聴覚や第六感や嗅覚まであり、今はかなり回復に向かっていますから、例の、あの、そのお、世界中で知れ渡っている流行り病ではないと思います。が、罹った5月3日はフラフラで、朝起きて、軽くパンとサラダを食べた後、直ぐに就寝。なかなか起き上がられず、13時半になってやっと、ズルズルと布団から這いだし、ヤクルト1本飲んでまた就寝。夕方は17時過ぎに起きて、御素麺を頂いてから、もう18時にはおやすみなさいでした。こんなことは数年ぶりだと思います。

 考えられる原因は、GW前半に、自分が老人だということを忘れて、連日のように1万5000歩近く歩き回って疲れが溜まり、免疫抵抗力が落ちてしまったこと。それでもまだGW後半が残っていて、何かあっても誰にも気兼ねなく休めるので、身体が油断していたことが挙げられます。

 結局、本も1ページも読むことが出来ず、本当に何もできませんでしたが、良い休養が取れたと思い込めば、貴重な時間を有効に使えたことになります。モノは考えようです。この間、酒も煙草ものまず、髭も剃らず、博打もせず、誠に品行方正でした。

東京・新富町「448 リベルマン」ポークジンジャー1500円 「448」は「洋食屋」と読むらしい。それなら、渓流斎は「4871」と書いて、「心配ない」と呼んでもらいます。登録商標申請中(笑)。

 さて、寝込んでしまったお蔭で、先週の話になってしまいます。4月30日に放送された「NHKスペシャル 見えた 何が 永遠が~立花隆 最後の旅~」は大いに期待したのですが、どなたかの意向が反映したのか?、一番肝心なことが分からず、隔靴掻痒の感のままで終わってしまいました。

 私が口癖のように言っている「何が報道されたのかというよりも、何が報道されなかったのかの方が重要」ということの典型でした。

 昨年4月30日に80歳で亡くなったジャーナリストの立花隆さんは、死の間近になって、秘書を務めていた実妹菊入直代さんに対して、「墓も戒名もいらない。遺体はごみとして捨ててほしい。集めた膨大な書籍は一冊残らず古本屋で売ってほしい」と言い残していたそうです。

 この番組では、「立花隆番」として17年間、一緒に教養番組をつくって来たNHKの某ディレクターが、立花氏と出会ってから亡くなるまでを回想する形で進行します。「猫ビル」の愛称があった東京都文京区にある立花氏の書斎兼書庫には5万冊を超える膨大な書籍が棚に埋まっていたのに、最新映像となると、その棚には一冊の本もなく、棚だけが寂しそうにしていました。

 その映像を見てショックにならなかったのは、その2週間以上前に新聞で、立花氏が「自身の名前を冠した文庫や記念館などの設立は絶対にしてほしくない」「立花隆が持っていた本ということではなく、本の内容に興味を持った人の手に渡ってほしい」などと言い残していたという記事を読んでいたからです。さすが、ですね。母校に自分の名前を冠した記念文庫を設立した人気作家さんとは違うなあと思ってしまいました。

 ただ、古本屋さんが何処なのか、その記事には書かれていなかったので、NHKに期待したのですが、番組でも明かされませんでした。恐らく、「古本屋が特定されれば、殺到されて困る」と、誰かの意向が働いたのでしょう。私だって、正直、立花隆の蔵書なら欲しいぐらいですから(笑)。でも、多分、神保町の古本屋に違いないでしょう。彼は毎週のように通っていたといますから。…暇を見つけていつかまた「神保町巡り」をしたいと思ってます。

 もう一つ、この番組でフラストレーションになったのは、彼の墓所が明かされなかったことでした。結局、「樹木葬」となったようで、その場所も特定されて、映像として映し出されましたが、最後まで場所までは明かされませんでした。私は掃苔趣味があるので、場所が分かれば一度はお参りしたいと思っていたのに…。

 あと一つだけ。この番組のタイトルに使われている「見えた 何が 永遠が」は、私も何度かこのブログで取り上げたことがあるフランスの象徴派詩人アルチュール・ランボーの作のはずなのに、ランボーの「ラ」の字を出て来ないのはどうしてだったのかな?

 まあ、テレビという超マスメディアの影響力は大きいので、個人情報保護に細心の注意を払うことを最優先したのでしょう。

「448 リベルマン」から歩いて5,6分にある「新富座跡」の看板=現京橋税務署

 番組内では、色々な「立花隆語録」が出てきましたが、印象に残ったものだけ引用させて頂きます。(ただし、換骨奪胎です)

 ・霊魂はない。人間死んだら無に帰る。

 ・人間は死すべき動物である。どこかで死を受け入れるスイッチを切り替えるしかない。(以上は立花隆の死生観です。でも、死後、天国に行くか煉獄に行くか、西方の極楽浄土か東方の浄瑠璃世界に行くか、それとも地獄に行くのか、といったことを信じている人はその信仰を続けていいと私は思っています。)

 ・知的営みは地下で繋がっている。人間の知識の体系も繋がっている。しかし、知識が細分化し過ぎて、専門家は断片化した知識しか知らない。専門家は総合的なことを知らない。(メディアに頻繁に出演されるコメンテーターと呼ばれる専門家の皆さんにも当てはまるかもしれません。)

 ・記録された歴史などというのは、記録されなかった現実の総体と比べたら、宇宙の総体と比較した針先ほどに微小なものだろう。宇宙の大部分が虚無の中に吞み込まれてあるように、歴史の大部分もまた虚無の中に呑み込まれてある。(「エーゲ 永遠回帰の海」)

・「すべてを進化の相の下に見よ」

宇宙論はアインシュタインの「相対性理論」が基礎だった

 渡部潤一・国立天文台副台長監修「図解 眠れなくなるほど面白い宇宙の話」(日本文芸社、2022年4月10日第14刷)を読了しました。確かに、眠れなくなるほど面白い! この本は薄くて(128ページ)、初心者向けに分かりやすく書いてくださっているところが良いです。

 今まで私は、誰が天下国家を取っただの、戦争で虐殺があっただの、人間どもの歴史ばかり気に掛けて勉強してきましたが、今年2月24日、ロシア軍によるウクライナ侵攻で少し醒めてきてしまいました。「歴史に学べ」と言われても、「どうせ人間どもの所業なんて、所詮…」といった気持ちなのです。

ムスカリ

 それより、小学生の頃に憧れていた宇宙や天文学の勉強をした方が遥かに健康的なような気がしてきました。何しろ、宇宙論の学問の進化は、私の子どもの頃(1960年代)とは別次元のようで、幾何学級数的に大飛躍、発展して、まるで様変わりです。天体望遠鏡も電磁波や赤外線等が使われるなど技術革新が進み、かつて分からなかったことや仮説が、次々と「証明」されたりしているのです。

 現代の宇宙論は、あのアインシュタインの相対性理論が基礎になっていることをこの本で知りました。相対性理論とは、物理学で原子爆弾等の製作の理論的支柱になったとばかり思っていたのですが、もっと、もっと壮大な理論で、宇宙生成の解明に役立ち、ブラックホールの存在の予言までしていたというのです。

 私は、「世紀の大天才」といえば、モーツァルトやベートーヴェン、もしくはレオナルド・ダビンチあたりだと思っていたのですが、人類でたった一人選べと言われれば、今はアインシュタインを選びますね。全く理解不能ではありますが(笑)。(正直、好き嫌いで言えば、モーツァルトの音楽の方が好きですが)

 この本によるとー。

 ①138億年前に「無」からビッグバンとインフレーション(「相転移」現象により莫大なエネルギーが放出)によって宇宙が誕生した。(何故、「無」からそんなことが起きたのか、さっぱり分からないようです)

②宇宙はダークエネルギーによって膨張し、60億年前から膨張は加速している(ビッグリップ説)。

③マルチバース(多重宇宙)理論によると、インフレーションによって最初に出来た宇宙(母宇宙)の中に、アインシュタインの「相対性理論」から導き出されるワームホールwormhole(異次元空間)が出来て、その中に子宇宙が出来、またその中に孫宇宙が出来…と宇宙の多重発生が起き、宇宙は無限に存在していく。(キリがないじゃない!これなら何処かに地球外生物が生息していそうなものですが)

④全宇宙に1000億個以上の銀河がある。地球がある太陽系は、距離10万光年の天の川銀河のほんの片隅にある。天の川銀河とは、太陽のような恒星が約2000億以上個集まって出来ている。(ほらね。銀河なるものが1000億個以上もあるんですよ!)

⑤銀河が数十個集まると「銀河群」、さらに100個から1000個の銀河が密集すると「銀河団」と呼ばれ、天の川銀河も含まれる「おとめ座超銀河団」は重力によって、毎秒300キロの速さで動いている。結果的に、太陽系も秒速200キロで移動している。(地球が自転、公転していても、人間は分からないのに)

⑥天の川銀河とアンドロメダ銀河は「ご近所さん」で、同じ局部銀河群を構成しているが、40億年後に両銀河は衝突して20億年かけて合体する。(そう言われても、もう地球の生物は絶滅しているのでは?)

⑦約46憶年前に太陽系と地球が出来たが、太陽の寿命は100億歳と考えられ、あと50億年で終末期に入る。太陽は「赤色巨星化」して膨れて表面積が広くなり、光熱量も増大。25億年後には地球の気温は100度以上に達し、地球上の全生物は絶滅してしまうと考えられる。(ほらほら、人類の歴史も消滅か?)

⑧太陽の30倍以上という超新星が、寿命が尽きて爆発した後に残った星の芯のようなものがブラックホール。自分自身の重力でどんどん収縮して、大きさが無限小の「点」になったもので、そこでは全ての物理法則が成り立たず、光も外に逃げ出すことができない。(アインシュタインが相対性理論で予言)

⑨宇宙は、銀河が長い糸状につながった骨組みのような「銀河フィラメント」とボイドvoidと呼ばれる「超空洞」が入り組んだ大規模な構造になっている。このような構造をつくったものがダークマター(暗黒物質)と言われる。これは質量を持ち、周囲に重力を及ぼすが目に見えない謎の物質。ダークマターは、重力で動き回っている銀河を引っ張って、飛び出さないような働きもしている。(そう言われても、見当がつかない。)

⑩宇宙全体の謎を解く方程式が、「アインシュタイン方程式」で、それは以下の式で表されます。

 G μν+ Λg μν=kT μν      ※ Λg μνとは斥力を表す宇宙項

 以上、 E=m c² に比べると少し手こずる方程式かもしれませんが、皆さんとってはお茶の子さいさいですね。 

思考停止の私と鈴木商店の話=武田晴人著「財閥の時代」

 すぐ、本や社会的事件に影響を受けてしまうのが私の職業病であり、悪い癖です(笑)。

 ロシア軍による非人道的なウクライナ戦争のおかげで、確かに悲観的になってはおりますが、長年の菩薩さまのような修行のおかげで、どういうわけか、精神的には安定しています。最大の秘訣は、若い時のように悩まないようにしたことです。考えないことにしたのです。

 「思考停止じゃん」と批判されようが、それでいいのです。かつては「内なる声を聞け」と自分に言い聞かせていたことがありました。しかし、人間は判断を間違えたり、記憶違いしたりします。それよりか、「ホモ・デウス」のハラリ氏の言う通り、人工知能やアルゴリズムに任せた方が正確で間違いないかもしれません。

 AIを使えば、もう「ランチは何しようか?」「服は何を着ようか?」なんて迷うことはありません。とは言っても、人間の自由とは、何を選ぶか、といった選択権の自由が大半を占めているので、AIに任せてしまえば、自由の放棄であり、人間性の放棄になります。そんなんで良いのか? そもそも、その人間性とは一体何なのかー?

 答えはすぐ出て来ないので、只管、勉強して知識を更新していくしかありませんね。

 ということで、今は読みかけて中断していた本を再開しています。武田晴人著「財閥の時代」(角川ソフィア文庫、2020年3月25日初版)です。この本は国際経済ジャーナリストの友人から薦められたのですが、面白いですね。

 幕末明治の財閥の歴史から筆を起こし、今は昭和初期に入ってきました。財閥といえば、「天下無敵」でプーチンのように向かう所、敵なし、といった感じかと思っていたら、結構、経営者の判断ミスで倒産した財閥もかなり多かったんですね。我々は勝ち残ったものしか見ていませんからね。

 かつては三井物産、三菱商事と並ぶ勢いのあった鈴木商店の倒産はあまりにも有名ですが、豆粕相場に手を出して失敗した古河商事や、三井、大倉組と並ぶ三大商社とも言われた機械関係の商社・高田商会、このほか、久原商事や藤田銀行、そして東京渡辺銀行、中井銀行、左右田銀行といった大手が関東大震災や金融恐慌などの煽りを受けて休業・倒産したことをこの本で知りました。

ムスカリ

 この中で、特に取り上げたいのは、やはり鈴木商店です。御存知ない方もいらっしゃるかもしませんが、この鈴木商店の流れを汲む直系、傍系の大企業が現在でも大活躍しています。安倍元首相も勤務した神戸製鋼、帝人(帝国人造絹糸)、双日(日本商業会社⇒日商岩井)、J-オイルミルズ(豊年製油)、ニップン(日本製粉)、富士フイルム(大日本セルロイド)、IHI(播磨造船所、鳥羽造船所)、サッポロビール(帝国麦酒)、出光興産(帝国石油、旭石油)、太平洋セメント(日本セメント)、東京電力(信越電力)等々です。(カッコ内は鈴木商店時代)

 鈴木商店は、明治初めに鈴木岩治郎・よね夫妻が神戸で開業した輸入砂糖を扱う小さな商店でした。岩治郎が早い時期に亡くなったため、経営は、金子直吉、柳田富士松ら番頭に任されました。日清戦争後に割譲された台湾との取引で、鈴木商店は大飛躍します。目を付けたのは台湾産の樟脳でした。樟脳といえば、私自身は防虫剤ぐらいしか思いつかなかったのですが、調べてみたら、カンフルとも呼ばれ、興奮剤にも使われます。カンフル剤とは樟脳剤のことだったんですね。ほかに、香料や防臭剤、それに火薬やセルロイドの原料にも使われます。用途抜群なので、これで鈴木商店は売上を伸ばしていたのです。

 鈴木商店はその後、製鋼、人絹、電力、オイル等業種を拡大して三井、三菱と肩を並べるほど大成長しました。それが倒産に追い込まれた原因は債務超過でした。番頭の柳田富士松も亡くなり、金子直吉に全ての権限が集中する独裁体制になり、財務管理が行き届かなくなりました。過剰な融資は、台湾銀行から受けていました。台湾銀行は政府系の植民地中央銀行です。関東大震災後、鈴木商店は、台湾銀行を経由した震災手形の割引で大量に政府資金を受けていたことから、「鈴木商店は、政府からの救援で延命している」と批判されるようになりました。

 結局、台湾銀行による新規貸し出しが停止された鈴木商店は、昭和2年4月上旬に閉店に追い込まれました。昭和2年は、片岡直温蔵相の不穏当な発言により、東京渡辺銀行の取り付け騒ぎが起こるなど、昭和金融恐慌が勃発した年でした。

 うーん、またまた衒学的(ペダンチック)な話になってしまいましたね。誰かさんからまた怒られそうです。

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・2022年3月10日付「政商の正体を知りたくなって=武田晴人著「財閥の時代」を読んでます」

弥勒如来はやって来ない=「眠れなくなるほど面白い宇宙の話」

 いつも渓流斎ブログをお読み頂きまして誠に有難う御座います。感謝申し上げます。

 ただし、本日は、相当暗い話になると思いますので、心臓の悪い方はこの先、お読みにならない方が良いかもしれません。

 ユヴァル・ノア・ハラリ著「サピエンス全史」「ホモ・デウス」の影響に加え、2月24日に勃発したウクライナ戦争に感化されて、私もすっかりミザントロープ(人間嫌い)に陥ってしまいました。人間は残虐で、私利私欲の塊で、傍若無人で、自己保存のためには裏切りや策略や謀略や詐欺などやりたい放題。だから、偉人がどうした、政治家が何をした、革命だ、戦争だ、などといった人間の歴史(書記された伝承)や思想を学ぶことさえ馬鹿らしくなってきたのです。

 どうせ、人間の所業だろ? その人間って、サルの一種でとりわけ残虐で獰猛なんだろ? ズル賢さだけが異様に肥大した生物じゃないか、てな感じです。

 人間の歴史や思想なんか学ぶよりも、花崗岩や安山岩など石の種類や植物の名前をもっと覚えた方が健康的でいいのではないか?

 そこで気分を換えて読み始めたのが宇宙の本です。とはいえ、私自身は根っからの文科系人間ですから、難解な本は駄目です。何か手頃な初心者向けで最先端の学術成果が書かれた本がないか探したところ、渡部潤一国立天文台副台長監修の「眠れなくなるほど面白い宇宙の話」(日本文芸社、2018年3月30日初版、2022年4月14日第14刷、748円)という本が見つかりました。

 図解で分かりやすく書かれていますが、おっとろしいことも書かれています。今から25億年後、太陽が赤色巨星化して光量、熱量が増大して地球の気温は100度以上となり、「地球上の生物は全て絶滅してしまうと考えられる」と書かれているのです。勿論、人類も生物です。

 要するに、あと25億年で人類滅亡となるわけです。(ハラリ氏は、現生人類は、あと1000年持つかどうか、と書いてましたが)「永遠」とか「永久」といった言葉はありますが、実際、永遠とは無限ではなく、25億年という有限の時間しか残されていないということです。

シバザクラ

  19世紀のフランスの詩人アルチュール・ランボーが17歳の時に書いた「永遠」という詩があります。(この詩は、後に改編されて「地獄の季節」の「錯乱Ⅱ」に収録)

 Elle est retrouvée!  Quoi ? – L’Éternité.  C’est la mer allée Avec le soleil.

  見つかった! 何が?ー永遠が 太陽といざなった海さ (拙訳)

 永遠というものは、太陽と一緒に行ってしまう、というのはまさに天才ランボーの慧眼です。ただ、その永遠の期間が25億年とまでは、いくら天才でも知らなかったことでしょう。

 25億年なんてまだまだ先の話で、俺たちはとっくに死んでいるので関係ない、という考え方もあるでしょう。でも、138億年前にビッグバンで宇宙が誕生した後、天の川銀河の片隅に太陽系ができて(銀河は全宇宙に1000億個以上あるというので吃驚です。何しろ、冥王星は惑星だと習った古い世代なもので)、地球が生成されたのは、今から46億年前と言われています。つまり、残された時間は、地球が出来て今に至るまでの時間より半分近く短いのです。

東京・新橋「奈良県物産館」柿の葉寿司定食1100円

 私は仏像が好きで、といっては語弊がありますが、仏像を前にすると心が洗われます。特に好きな仏像は、京都・広隆寺の弥勒菩薩半跏思惟像です。この弥勒菩薩(如来)は、釈迦が亡くなって56億7000万年後に兜率天から降りて、衆生を救済してくださると言われる大変有難い仏様です。しかし、25億年後に人類が滅亡してしまえば、弥勒菩薩の出番がない、というか、間に合わないということになりますね。

 「56億7000万年」という数字は、仏陀自身がお考えになったのかどうか分かりませんが、全く出鱈目な数字ではないとしたら、結局、人間は救済されない、ということなのでしょうか。となると、全く身も蓋もない話ですね。

 これは仏教の話なので、キリスト教徒やイスラム教徒なら救われる…といった話でもなさそうです。とにかく、人類滅亡が確実なら、何をしても無駄です。何も残らず、勿論、歴史書も文化財も教会も寺社仏閣も核ミサイルも溶けてなくなるわけですから。このブログも(笑)。

 それでも、人間は生き続けます。泣いたり、笑ったり、怒ったり、嘆いたりしながらも…。救済を求めて妄想ともいえる新しい宗教を生み出したり縋ったりします。

 「それでも、私はリンゴの木を植える」といった物語も生まれます。人間は物語と神話を信じて、共同幻想の中でしか生きていけないからです。

 人類滅亡となれば、権力者も有名人も富裕層も大将も会長も既得権益者も貴族も大地主も、楽をして働かないで給料を貰っている連中も同じようにいなくなります。いくら努力しても、運にもツキにも見放され、この世で奴隷状態の労働に強いられ、安賃金で、雨漏りのする風呂もない木賃宿で生活している庶民にとっては、それは「平等思想」であり、朗報なのかもしれません。

 ま、いずれにせよ、これらは人智を超えた自然科学の世界の話なので、変えようがありません。泣こうが、喚こうが、虚無主義に走ろうが、事態は全く変わらないということです。

 それでも我々は、自裁するわけにもいかず、お迎えが来るまで、毎日、泣いたり、笑ったり、怒ったり、嘆いたりしながら、生きるしかありません。

 はい、ここまで。次回は思い切りポジティブ思考の希望の物語でも書きますか?

SFが現実を追い越した?=ハラリ著「サピエンス全史」と「ホモ・デウス」

 遅ればせながら、ユヴァル・ノア・ハラリ著で、2016年初版の「サピエンス全史」上下巻と2018年初版の「ホモ・デウス」上下巻(ともに柴田裕之訳、河出書房新社)全4巻をやっと読破できました。1カ月ぐらい掛かったでしょうか。目下、10冊ぐらい並行して本を読んでいましたので、ハラリ本4冊を集中して読みましたが、それでも、これだけ時間が掛かりました。

 まずは圧倒されました。現生人類の必読書であることは確かです。私も、これまでの半世紀以上の読書遍歴の中で、5000冊以上の本は読んだと思いますが、その中のベスト10以内に入る書物でした。

 歴史書であるでしょうが、科学書としても、遺伝子工学書としても、経済学書としても、宗教書としても、哲学書としても、心理学書としても読めます。昔流行った言葉で言えば、多くの専門分野にまたがったinterdisciplinary(学際的)な本です。

 思考視野が広いので、他の書物が些末過ぎて、幼く見えてしまうほどです。

 「サピエンス全史」上下巻だけでなく、「ホモ・デウス」上下巻も併せて通読しなければ意味がない、といいますか、勿体ない、と言っておきます。この4冊で1100ページを超えますから、まず、私自身が一言で要約することは不可能です。「是非、読んでください」と薦めておきながら、中には「つまらなかった」と言う人もいるかもしれませんし、「人間は猿から進化したわけではない。神がつくりたもうたものだ」と怒り出す人もいるかもしれません。

 米国のピュー研究所が2019年10月から20年3月にかけて世界20カ国の18歳以上の成人を対象に実施した調査によると、進化論を支持する割合は、日本が88%、ドイツが81%、英国が73%なのに対して、約30%の宗教的原理主義者が占める米国では64%に留まっています(しかも、過半数を超えたのは最近のこと)。そのうち、リベラルな民主党支持者は、進化論支持派が83%だった一方、保守的な共和党支持者は34%だったといいます。つまり、共和党支持者の大半は、いまだにダーウィンの進化論を信じていないということになります。

MImoza

 今から約600万年前にチンパンジーから分かれ、サルの一種である取るに足りない、か弱い霊長類だったホモ・サピエンス(何と、「賢いヒト」という意味)が、今から7万年前に、長い進化の末の突然変異で認知革命を起こして、東アフリカのサバンナ地帯から舟をつくったりして、世界中に飛び散ります。日本列島にホモ・サピエンスである現生人類が到達したのは今から3万5000年前に過ぎません。恐竜時代は、今から約2億3000万年前~6600万年前に繁栄しました。日本列島が地殻変動でユーラシア大陸から離れて独立したのは2000万年前のことですから、つい最近のことです(笑)。

 今から約1万1000年前に中東で農業革命が起き、約5000年前には書字と貨幣が生まれ、エジプトや中国などで巨大な権力が集中した王国や皇帝国が出来ます。そして、1492年ごろから科学革命が起き、18世紀からの産業革命を経て、神中心の世界から、人間至上主義に移行していきますが、その近代社会は現在まで続いているというのが「サピエンス全史」までの話。「ホモ・デウス(神の意味)」では、不死と至福と神のような力の獲得を目指して、ホモ・サピエンスである現生人類は明らかに「超人」を目指していきます。その一方、その流れに出遅れた者たちは「無用者階級」として取り残され、搾取されるか、滅亡していくのではないか、といった趣旨の話が展開されていきます。

王子・飛鳥山

 超人誕生というのは、そうなることが確実ではなく、また、予言でもなく、歴史から学んだ「可能性」の一つだとハラリ氏は言うので、私としては余計に信用したくなります。何故、そういうことが起き得るのか? 著者は「ホモ・デウス」の中で事細かく説明しています。

 例えば、第一次世界大戦で手足を失ったり負傷した元兵士のために始まった整形外科が、今では健康で五体満足なのに、見た目を良くするための施術として進歩している。ベートーヴェンの交響曲、リストの超技巧ピアノ演奏…人類のほんの一部の大天才しかなし得なかった作曲や演奏が、今やいとも安易に出来て、人を感動させ、涙を流させるような名曲をコンピューターが作曲してしまう。(涙を流した聴衆は、それがコンピューターが作ったものだと種明かしされると、猛烈に怒り出す!)

 今や、チェスの世界チャンピオンも、将棋も囲碁もコンピューターの「知性」に敵わない。それどころか、AI(人工知能)は、運転手なしでバスやタクシーを自動運転したり、好みの服や書籍まで、過去のアルゴリズム(問題を解く処理手順)と照り合わせて、ネット通販のアマゾンなどは私たちに「こんなのいかがですか?」と選んだりしてくれる。

 生物学者たちは、人間とはアルゴリズムに過ぎないとまで言い出して来たのです。(そうそう、クローンや遺伝子組み換え食品は、今後どこまで突き進んでいってしまうのでしょうか?)

 著者は、現代は、人間至上主義からデータ至上主義に移行した時代ではないかといいます。「データ主義者たちは言う。もはや人間は厖大なデータの流れに対処できず、そのためデータを洗練して情報にすることができない。ましてや知識や知恵にすることなど望むべくもない。従って、データ処理という作業は電子工学的なアルゴリズムに任せるべきだ。このアルゴリズムの処理能力は、人間の脳の処理能力より遥かに優れているのだから。」(下巻210ページ)

 つまり、現代という世界は、グーグル、アマゾン、フェイスブック、アップルといった、データ処理が得意な巨大IT企業GAFAなどが仕切って、支配しているというわけです。そう言われてみれば、我々は、タダで自分たちの個人情報と位置情報をGAFAにせっせと提供して、その代わりに、政党選びや、意思決定権や、趣味趣向の選択権まで彼らに委ねられ(ということは奪われ)、AIやアルゴリズムの奴隷と化してしまっているわけです。

 その事実を本人たちが全く気が付いていないというところが、背筋が凍るほど恐ろしい現実です。

築地「新喜楽」、かつての大隈重信邸

 「最後の砦」として人間に残されたものは、コンピューターやAIなどが持ち得ようがない意識や情動や感情になりますが、それらも、疑ってみれば、アルゴリズムに支配されかねません。

 そう言えば、私の会社の社内では、若い人を見ても、中年、壮年を見ても、ロクに挨拶も出来ず、他人との接触を極力避け、無感動で無表情な人間が確かにかなり増えてきたことを感じます。以前、「草食系男子」だの「恋愛で傷つきたくない」などといった若者の現象が流行語になったりしましたが、それらの次元を遥かに超えています。最初から話をしようとせず、関わろうとしないのです。それでいて、仕事をしていますから、彼らは人間ではなく、まるで情動のないコンピューターのように見えます。(実際、定型パターンが決まっている新聞の株式記事や運動記事などはAIが書き始めました。)

 富裕層たちは超人を目指して、今や最大の関心事の一つが不老不死のアンチエイジングです。それらに効果的といわれる、10日分で約3万円もする大変高価なNMN(ニコチンアミド・モノ・ヌクレオチド)の錠剤が、日本でも飛ぶように売れているといいます。

 こうなっては、今から6年前の2016年に「ホモ・デウス」の中で唱えたハラリ氏のデータ至上主義説は、もはや夢物語でもSFでもなく、現実に進行していると思わざるを得なくなります。

 

恵雅堂出版の中古本に100万円超の値が=「悲しみの収穫 ウクライナ大飢饉」

 3月17日付の渓流斎ブログ「チャイコフスキーはもともとチャイカさんだったとは」を書いたところ、この記事にも登場する恵雅堂出版のM氏から早速、ではなくて、1週間近く経った忘れた頃にメールを頂きました(笑)。

 同出版社が運営する東京・高田馬場のロシア料理店「チャイカ」は、ロシアによるウクライナ侵攻にも関わらず、嫌がらせを受けることなく、頑張って順調に営業成績を伸ばしている、とのことでした。これで一安心しました。

ハルビン学院 Copyright par Keigado-syuppan

 3月17日と同じことを書きますが、このお店は、恵雅堂出版を創業した麻田平蔵氏が、満洲(現中国東北部)ハルビンにあったロシア語専門の大学校「哈爾濱学院」出身ということで、学生時代に現地で食べたロシア料理が忘れられず、日本でもその味を再現しようと、1972年に開店したと聞いています。

この恵雅堂出版というのは、知る人ぞ知る出版社で、私も御縁のある出版社でした。ーということは何度もこのブログに書いたことがあるのですが、恐らく、私自身の手違いでそれらの記事は消滅してしまったと思われますので、くどいようですが、同じようなことをもう一度書きます。

 私と恵雅堂出版との御縁は、同社から上梓された陶山幾朗編著「内村剛介ロングインタビュー ―生き急ぎ、感じせくー 私の二十世紀 」(2008年7月1日初版)の感想文をこの渓流斎ブログに書いたことがきっかけでした。

 と思ったら、実はそれを遡る遥か昔から御縁があったのです。同社は1950年に恵雅堂として創業されました(確か、社名は創業者の麻田平蔵氏の奥さんとお嬢さんのお名前から取った)。今でこそ、多くのロシア関係の書籍を出版しておりますが、最初は写真家淵上白陽(1889~1960年)の写真集の出版と東京都内の学校の卒業アルバムを手掛けることから始められたようです(現在も)。というので、その話を聞いて、自宅の奥に眠っていた、もう40年近い昔の私の東京郊外の小学校と中学校の卒業アルバムを見てみたら、何と恵雅堂出版の製作だったのです(クレジットあり)。しかも、中学卒業アルバムの巻末には当時に起きた「世界の出来事」が付いており、そのニュース写真は時事通信社のものを使っていたのです。

 他にもこの出版社と私は色々なつながりがありましたが、長くなるので割愛します(笑)。でも、その度に、私は「不思議な御縁で繋がっているものだなあ」と思ったものです。

 昔話を割愛したのは、今回書きたかったことがあったからです。この恵雅堂出版から出版された「悲しみの収穫」という本が、何と、今や、ネット通販の中古市場で85万円以上の値が付いているというのです。検索してみたら、151万5151円の高額の値を付けた出品者もいました(3月23日現在)。

 この本は、副題に「ウクライナ大飢饉」とあるように、1932~33年、人工的にウクライナで発生させた飢饉によって400万人以上が死亡したといわれる「ホロドモール」のことが書かれているようです。

 この本の編集にも携わった恵雅堂出版のM氏によると、この本は2007年4月に、本体価格5000円で発行されたといいます。しかし、2013年には品切れとなり、重版も未定ということから、「希少価値」となり、今の「ウクライナ戦争」のご時世になって価格が急騰したとみられます。

 日本人の知的好奇心の旺盛さには称賛されるべきものがありますが、ちょっと価格が異常ですね。それに、版元の恵雅堂出版は既に手元から離れたわけですから、いくら中古市場で値が上がろうと、同社には一銭も入りませんからね。

 売上の一部がウクライナ支援の義援金に回ることを願うばかりです。

我々は飢餓と疫病と戦争を首尾よく抑え込めなかった=ユヴァル・ノア・ハラリ著「サピエンス全史」と「ホモ・デウス」

 ユヴァル・ノア・ハラリ著「サピエンス全史」上下巻(河出書房新社)をやっと読了しましたが、すぐさま、同じ著者の「ホモ・デウス」上巻(河出書房新社)を読み始めています。この本は未読でしたので、あまりにも「サピエンス全史」が面白かったので、途中で、本屋さんに駆け足で買いに行ったのでした。

 何しろ、ハラリ氏は若くして、歴史書から哲学書、経済学書、宗教書、最新科学書に至るまで浩瀚の古今東西の書籍を読破し、それら全てが頭にインプットされていますから、歴史的法則まで導き出し、予知能力まであるのではないかと思わされたのです。となると、彼の著作は全て読まなければいけないじゃないですか…。

 しかし、慌ててこの「ホモ・デウス」を読み始めると、「あれっ?」と思ってしまいました。この本の初版は2018年9月30日です。(そして、私が先日買った本は2018年10月10日発行での第10刷でした。)となると、著者が執筆した時点で、まだ全世界で新型コロナ(COVID‑19)のパンデミックが始まっていませんし、ロシア・プーチン大統領によるウクライナ戦争(2022年2月24日)も開始されていません。

 それらを割り引いて考えなければならないのですが、(そして、何よりも「事後法」で裁いた東京裁判の判事のような真似はしたくないのですが)、この本の数ページ読むと、こんな文章が出てきます。

 この数十年というもの、私たちは飢餓と疫病と戦争を首尾よく抑え込んできた。もちろん、この三つの問題がすっかり解決されたわけではないものの、理解も制御も不可能な自然な脅威ではなくなり、対処可能な課題に変わった。私たちはもう、これら三つから救ってくるように神や聖人に祈る必要はなくなった。飢饉や疫病や戦争を防ぐにはどうするべきかを、私たちは十分承知しており、たいていうまく防ぐことができる。(10ページ)

 あららら、これでは駄目ですね。著者に予知能力はなかった、と言わざるを得なくなります。まさに、今、ウクライナ南東部のマリウポリでは既に3000人以上が亡くなり、30万人以上といわれる避難市民が、食物も水もない薄暗い地下で飢餓に苦しみ、しかも、いまだにオミクロンのコロナは猛威を振るっています。早く戦争が終わるように、神に祈るしかありません。

 つまり、飢餓と疫病と戦争がハラリ氏が主張するほど、「理解も制御も不可能な自然な脅威ではない」ということを、もはや言えなくなってしまったのです。プーチン大統領の個人的な誇大妄想によるものだ、と説明してくれない限り、まずこの戦争は理解不可能です。21世紀になっても人類は相も変わらず同じ過ちを繰り返すとしか言うしかありません。

 とはいえ、私は、この本を閉じて読むのをやめたわけではありません。本文中で列挙されている「歴史的事実」が現代を生きる我々の教訓になるからです。著者のハラリ氏はこんな数字を列挙します。

・フランスでは、1692年から94年にかけて、全人口の15%に当たる約280万人が餓死した。それを尻目に、太陽王ルイ14世はベルサイユ宮殿で愛妾たちと戯れていた。

・1918年のスペイン風邪の世界的大流行で5000万人から1億人が亡くなったが、14~18年の第一次世界大戦での死者、負傷者、行方不明者の合計は4000万人だった。

・1967年にはまだ天然痘に1500万人が感染し、200万人が亡くなっていたが、2014年には、天然痘に感染した人も亡くなった人も皆無になった。

・2010年に肥満とその関連病で約300万人が亡くなったのに対して、テロリストによって殺害された人は世界で7697人で、そのほとんどが開発途上国の人だった。欧米人にとってアルカイダより、コカ・コーラの方がはるかに深刻な脅威なのだ。

・2012年、世界で約5600万人が亡くなり、そのうち人間の暴力が原因の死者は62万人だった(戦争による死者が12万人、犯罪の犠牲者が50万人)。一方、自殺者は80万人、糖尿病で亡くなった人は150万を数えた。今や砂糖の方が火薬より危険というわけだ。

 この最後の「今や」とは、著者のハラリ氏がこの本を執筆していた2017年か18年現在ということです。ウクライナ戦争を目撃している2022年3月の我々現代人は、いくら数字や統計を見せつけられても、「砂糖の方が火薬より危険だ」と言われてもピンとこないでしょう。

 「ホモ・デウス」の話はこれぐらいにして、最後に「サピエンス全史」を読了した感想文を追加しておきます。この本では、「いやに日本のことが出てくるなあ」と思ったら、「訳者あとがき」を読むと、訳者の柴田裕之氏がわざわざ、著者のハラリ氏に問い合わせて、日本関連のことを付け足してもらっていたんですね。

 だから、今から7万年前にアフリカ大陸を旅立った現生人類(ホモ・サピエンス)が日本列島に到達したのは、今から(わずか!)3万5000年前だったとか、インドや中国などアジアの大半は欧米の植民地になったというのに、日本がそうならなかったのは、日本が欧米列強のテクノロジーを積極的に取り入れて、産業革命を成し遂げたことを特記したりしていたんですね。

 この本は非常に面白い本でしたが、最後は結局、哲学的な幸福論になっている感じでした。

 ハラリ氏は「純粋に科学的視点から言えば、人生にはまったく何の意味がない。…現代人が人生に見出す人間至上主義的意義や国民主義的意義、資本主義的意義も、それに人権も自由も平等思想もまた妄想だ」と身も蓋もない絶望的な事実を突きつけておきながら、「苦しみの真の根源は、束の間の感情を果てしなく、空しく求め続けることだ。…真の幸福とは私たちの内なる感情とは無関係なので、内なる感情の追求をやめることだ」とブッダの教えまで引用して、読者を解脱の方向に導いてくれているかのようにも読めます。

 再読したくなる本でした。