森口豁著「紙ハブと呼ばれた男 沖縄言論人 池宮城秀意の反骨」を読む

WST National Gallery Copyright par Duc de Matsuoqua

 最近の週末は台風(予報)のせいで、城めぐりができず、家で本ばっかり読んでいました。ガリ勉ですね。というのは、このブログの愛読者の皆様方には御承知の通り(笑)。

 でも、読書量は1カ月に8冊程度ではないでしょうか。

 かつて、もう30年ぐらい昔ですが、1カ月に40冊ぐらい読んでいました。1日1冊以上です。有り得ないでしょう。でも本当です。仕事(文藝担当記者)だったからです(笑)。通勤電車の中は当然、会社の勤務中も、信号待ちの立ったままでも、食事と睡眠時間を削り、暇さえあれば何処でもかしこでも読んでいました。まあ、それぐらいやらないと1日1冊以上は読めません。しかし、1年も続かなかったと思います。7カ月ぐらいで眼精と頭脳疲労でダウンして、1カ月25冊ぐらいにペースダウンしました。

 今はもうそんな体力も気力もありません。でも、この年齢で1カ月10冊弱は、相当な量だと思っています。

 というわけで、相変わらずの修行僧のような苦しい読書三昧です。今、もうすぐ読み終わりそうな本が、例の沖縄の上里さんから送って頂いた森口豁著「紙ハブと呼ばれた男 沖縄言論人 池宮城秀意の反骨」(彩流社、2019年6月23日初版)です。

 「琉球新報」社長などを歴任した反骨のジャーナリスト池宮城秀意(いけみやぐしく・しゅうい)の生涯を追ったノンフィクションの評伝です。

 よく「学者は易しいことを難しく書き、新聞記者は難しいことを易しく書く」と言われますが、その通りですね。著者の森口氏は、フリージャーナリストですが、かつて琉球新報の社会部記者を務めていたようで、この本は大変読みやすいです。筆が立つ、と言いますか、実に文章がうまい人です。お蔭で、沖縄独特の難読語の人名や地名が多く出てきても、すんなりと脳髄に入って来ました。

 池宮城秀意(1907~89)は、戦中戦後派のジャーナリストです。早大を卒業し、社会主義運動家として活動していたところ、治安維持法で逮捕され、3年もの牢獄生活を経て、「沖縄日報」の記者になります。しかし、新聞社の在り方に嫌気がさして退職し、沖縄県立図書館の司書になります。沖縄戦となり、38歳で徴兵(正確には防衛召集)され、死屍累々の戦場で「銃を持たない二等兵」として生き抜きます。戦後は請われて再びジャーナリズムの世界に戻り、「ウルマ新報(後に琉球新報)」編集長、一旦、退職してから再び返り咲いて、同社社長を務めますが、経営悪化の責任を取って辞任します。その後も沖縄の米軍基地問題や、自然破壊などについて発言を続けます。

 と、書きながら、私自身はこの本を読むまでは、池宮城秀意のことは全く知りませんでした。時代のせいなのか、波乱万丈の生涯です。子ども7人の一家の大黒柱なのに、自分の信念のために、あっさりと新聞社を退職してしまうところは、とても常人とは思えません。まさに反骨のジャーナリストです。

 上里さんが何故、私にこの本を送ってくださったのか、深い理由は分かりませんが、「もっと勉強してください」ということだったのかもしれません。

◇沖縄の悲劇

 沖縄の学童を本土に疎開させるため運航された「対馬丸」 (6754トン) は昭和19年8月22日、米潜水艦の魚雷攻撃を受けて沈没します。犠牲者は引率教師を含めて1484人。この「対馬丸」の話は有名で私も知っておりましたが、これ以前にも「湖南丸」(2627トン)「嘉義丸」(2509トン)など4隻もの疎開船が撃沈されて、合わせて1490人の学童らが亡くなっていたことは知りませんでした。戦争とはいえ、無辜の疎開学童を殺害するとは酷いことをするものです。

 この本の88ページに出てきますが、あの沖縄戦での戦死没者の総数は、国がまとめたものによるとー。

 日本軍側(沖縄県以外の出身者)6万5908人

     (沖縄県出身者)2万8228人

 沖縄県民 9万4000人

 米軍側(含む行方不明者=米陸軍省まとめ)1万2520人

 昭和15年の沖縄県の人口は57万4579人だったことから(昭和20年は国勢調査が実施できず)、およそ沖縄県民の5人1人が先の戦争で亡くなったことになります。

 つまり、戦後の日本の平和は沖縄県民の犠牲の上で成り立ったと言っても過言ではありません。

 しかも、今でも 国土面積の0.6%しかない沖縄県に、 全国の米軍専用施設面積の70%が集中しているという事実があるというのに、本土の多くの人は無関心か他人事のように思っています。

 私のような凡俗が何を言っても始まりませんが、もう少し沖縄問題に関心を持つべきではないでしょうか。「沖縄の県紙2紙はつぶさなあかん」と暴言を吐く人間が、この世に存在しますが、江戸幕府初期に島津薩摩藩による「琉球征伐」を受けて以来、ヤマトンチューに苦しめられ続けてきた沖縄の人たちが可哀想じゃないか。

ハイエク著「隷属への道」を読む

WST National Gallery Copyright par Duc de Matsuoqua

 今や古典的名著と言われているフリードリヒ・ハイエク(1899~1992)著、西山千明訳「隷属への道」(春秋社)をやっと読了しました。超難解。読破するのに10日間掛かりました。

 この本は発売と同時に売り切れ店が続出したらしいのですが、世界のインテリの皆様の頭の良さとその構造には参りました。訳文だけがそうなのかもしれませんが、私にはスッと腑に落ちてくれないのです。例えばー。

 経済活動に対する統制を完全に中央集権化してしまうという考えは、今でも多くの人々をぞっとさせる。単にそれが途方もなく困難だからということではなく、ただ一つの中央機関によってすべてのことが統制されるという考えそのものが、強い恐怖を抱かせるのである。しかし、なお、われわれがそれへ向かって急速に歩んでいるのは、実はいまだに大半の人々が「原子論的」な競争体制と中央集権的統制の間に「中庸の道」があると信じていることが大きな原因となっているのである。(48ページ)

 本文の中でも比較的分かりやすい部分を抽出してみましたが、分かりやすいといっても、これぐらいなのです。(しかし、お経のような文章も次第に慣れていって、頭に反芻するようになります)

 この本の訳者でハイエクの弟子に当たる西山教授の長い序文によると、「隷属への道」は、ハイエクが、第2次大戦真っ只中の1942年から44年にかけて継続的に書かれた論文をまとめたもので、米国ではどの出版社も出版を拒否されたものの、やっとシカゴ大学出版部が引き受けてくれることになり、1944年5月に刊行されるや否や店頭から飛ぶように売れ、たちまち世界的ベストセラーとなり、同年中に独語、スウェーデン語、仏語、西語、葡語…等々に翻訳されていったといいます。

 西山教授の解説にある通り、同書は、戦前の欧米で、なぜ自由主義や自由経済体制を放棄して、社会主義や共産主義やナチズムやファシズムといった国家社会主義や巨大な政府主義が台頭するようになったかを深遠な洞察力で詳細に分析したものです。

 私がこの本について初めて知ったのは、1993年9月に出版された大須賀瑞夫インタヴュー「田中清玄自伝」(文藝春秋)でした。ところが、また訳者の西山教授によると、彼がハイエク先生から同書の日本語訳を頼まれたのは1954年でしたが、自分自身の著書と論文に忙殺され、1992年3月にハイエク先生が逝去するまで翻訳出版できなかったといいます。やっと出版できたのが92年10月で、それまで日本ではほとんど読まれない「幻のベストセラー」だったといいます。

 いずれにせよ、この本が1942年から44年にかけての第2次世界大戦真っ只中に執筆されたことは驚くべき事実です。この時点で、まだヒトラーは健在であり、ナチズムの勢いはあったにも関わらず、著者は、既にナチスの敗北を予想し戦後処理問題にさえ言及しています。

 この本で最も注目すべきことは、全体主義は社会主義から生まれたことを喝破したことです。理想的な社会主義を追求することによって、多くの国民の自由が奪われ、独裁的なファシズムに移行することを見抜きました。ハイエクはこう書きます。

 国家社会主義を単に理性に対する反乱とみなし、したがってどんな知的論拠も持っていない非合理的な運動であるとするのは、人々の間に後半に広まっている誤りである。もしも国家社会主義がこのようなものであれば、この運動は実際よりもはるかに危険性が少ないだろう。だが、これほど真実からかけ離れていて、人々を誤らせる見方もない。国家社会主義の教義は、人類の思想の長期にわたるひとつの発展が、その最高潮に達した結果として出現したものであり、ドイツの国境を越えて他の国々にも大きな影響を与えた思想家たちが出発点とした最初の前提が真に評価できるものかどうかはともあれ、この新しい教義を生み出した人々の考え方が、欧州の思想全体に対してきわめて大きな刻印を残したという事実は否定することができない。そして彼らの思想体系は冷酷と言えるほどの徹底的な首尾一貫性をもって発展させられてきたのであり、出発点となった前提はいったん受け入れてしまえば、そこから導き出される論理のからくりから逃がれることはまったく不可能となる。こうして発生してきた体系こそ集産主義なのであるが、それが個人主義の伝統から集産主義の実現を妨げるかもしれないあらゆる痕跡を取り去ることによって生まれてきたのである。(222ページ)

WST National Gallery Copyright par Duc de Matsuoqua

 随分長い文章を引用させて頂きましたが、ハイエクの入門書やネット情報だけで、ハイエクの思想を知ったつもりになってはいけないと思ったため、わざわざ長く引用してみました。

 この本の段階では、まだあまり書かれていませんが、このほかハイエクは、収容所や粛清で恐怖独裁政治を敷いたソ連共産党のスターリズムを批判するだけでなく、社会主義が採用する「計画経済」に倣って公共事業を起こすケインズのやり方もいずれ立ちいかなくなるということで批判し、左派からも右派からも批判されたことはよく知られています。

 ハイエクが最後まで主張した自由経済主義も、フリードマンのような極端な新自由主義を生んで、世界的な格差拡大社会になったことを指摘する識者もいますが、私自身はまだそこまで語る資格はありません。

 ただ、世界的にも極めて優秀で真面目なドイツ人が、あまりにも純粋に理想を追求して国家社会主義を民主的に選んだことが、逆説的に極めて不自由な独裁政権を生むことにつながったというハイエクの分析には共鳴します。

 ハイエクは、1974年にノーベル経済学賞を受賞。

「ZAITEN」は最後の反権力雑誌?

WST National Gallery Copyright par Duc de Matsuoqua

「今のメディアは駄目ですね。すっかり大政翼賛会化してしまい、権力者のご機嫌ばかり伺って批判さえしない。実に嘆かわしい」と憤慨しているのが、名古屋にお住まいの篠田先生です。

 「どこのテレビも新聞も週刊誌も安倍首相を全く批判しないで、外国ばかり批判している。まるで大本営発表ですね。せめて『反権力』を貫いているのは、『ZAITEN(ザイテン)』ぐらいですよ。今月発売の9月号では学者政商『竹中平蔵』を批判する記事を掲載しています。書かれた本人は屁とも思わないでしょうけどね」

 「『ザイテン』って何ですか?」と私。

「昔は『財界展望』と言ってましたがね。2006年10月号からリニューアルしたようです。1956年創刊の老舗経済誌です。まあ、最初は総会屋的な雑誌でしたが、『噂の真相』がなくなった今では唯一といっていいくらい、大手企業の経営者や政治家、官僚らを批判しているメディアですよ」

 「いやあ、ビジネス誌なら、『東洋経済』や『ダイヤモンド』などの週刊誌はたまに買いますが、月刊誌は、どうも経営者のヨイショ・インタビュー記事ばかり載っているイメージがあるんですよね。買ったことはないし、昔、ゴルフ場のラウンジでザッと見たぐらいですよ」

「月刊経済誌の老舗中の老舗は、三鬼陽之助が1953年に創刊した『財界』(隔週発行)でしょうなあ。三鬼陽之助(1907~2002年)はもともと、ダイヤモンドと東洋経済で記者、編集長などを歴任した人です。『財界四天王』の造語をつくるなど経営評論家として名を成しました。もう一つは、『経済界』(同)です。佐藤正忠(1928~2013)が1964年に創刊しました。佐藤正忠は、リコーの市村清社長の私設秘書を務め、あの銀座4丁目の三愛ビルの用地確保のために、最後の酒屋の敷地を買収することに成功した人です。こんなことブログに書いちゃ駄目ですよ」

「へー」(と曖昧な返事)

 ということで、初めて「ZAITEN」なる経済誌を買ってみました。1080円。

 確かに、「まだいた!学者政商 『竹中平蔵』の新世界」を読むとよく取材されています。感想は「酷い人だなあ」の一言です。

 小泉政権の下で、経済財政政策担当大臣などを歴任し、非正規雇用をドカスカ増やして格差社会をつくった元凶としてますね。しかも御本人は、江戸時代に「人買い人足」と呼ばれた派遣業界の会長に就任して、雇用の規制緩和をしているわけですから、胴元が賭場で、自分が作ったルールで好きなように儲けているようなものです。

 こういう人を国民は国会議員として選出し、今でも、安倍政権の「民間議員」として森林ビジネスに暗躍し、大手マスコミは「識者」として採用しているわけですかぁ…。(肩書は東洋大学教授ながら、「本職」のビジネス稼業が忙しいので、ほとんどキャンパスに現れず、学生らから「いかがなものか」とツイッターや立看板などで抗議が出ているそうな)

 他に「三菱重工が辿る『東芝の来た道』」「ヤマト運輸 休みは増えたが減らない仕事、現場は昼飯を食う暇もなし」といった硬派記事もあれば、経営者の私生活や近況などを暴き、「あの人の自宅」というタイトルで写真付きで紹介するちょっと趣味の悪い連載記事などもあります。

 一体どういう人がこの雑誌を定期購読されているんでしょうか?少しだけ興味があります。

今さらながらの石川達三「生きている兵隊」

WST national Gallery Copyright par Duc de Matsuoqua

 ここ数日、どうも気分が落ち込んで、不安定だったのは、この本でのせいでした。

 石川達三著「生きている兵隊」伏字復刻版(中央公論新社)という本です。

 この本は、確か辺見庸著「1937(イクミナ)」(金曜日、2015年10月22日初版)でも引用されていたと思いますが、他の本にも引用されていて、いつか読んでみたいと思っていました。

 この本を貸してくれたのは、遠藤君でした。彼は「貧困層」に入るほど稼ぎが少ない階級なのに、月に2万円も払って「トランクルーム」を借りています。自宅に収まりきれない蔵書を収容するためです。2万冊はあるといいます。死んでも天国に持って行くつもりなのでしょう。

私はその全く逆で、自分の蔵書は売ったか、なくしたかで、ほとんどないので、有難いことに、よく彼から借りています。

 「生きている兵隊」は、1937年から38年にかけての中国大陸戦線で、皇軍と言われた日本軍による中国の民間人殺害や姑娘(クーニヤ)と呼ばれた若い女性狩りなどがあからさまに描かれています。

 1937年12月、32歳の石川達三が、中央公論社の特派員として上海から南京までの中国戦線に派遣されて、自分の目で見て体験し、取材したことを小説仕立てにしたものですが、ほぼ事実に近いようです。人と人が殺しあう戦争という狂気の世界、そして自分もいつ殺されるのか分からない極限状態の中です。ろくに取り調べもせず、裁判にかけることなく、怪しいという容疑で、簡単に捕虜や民間人の首を切って処刑したりします。「従軍僧」と呼ばれた僧侶も、シャベルを武器に敵兵の頭を割ったりして殺害したりします。僧侶がそんなことを?!

激しい戦闘の中で次々と戦友を失い、感覚が麻痺して人間性を失っていく兵士たち。読んでいて、自分自身も弾丸や手榴弾が飛び交う最前線に送り込まれたような気分で、読み進めるのが嫌になってきます。

巻末解説の半藤一利氏によると、この作品は、1938年2月発売の「中央公論」3月号で発表されましたが、書店に並ぶ暇もなく内務省通達で発売禁止。一般読者の目に触れるようになったのは戦後になってからだといいます。

 この作品で、石川達三は新聞紙法違反で起訴され、1939年4月の第二回公判で、禁錮4月、執行猶予3年の有罪判決を受けます。その理由は「皇軍兵士の非戦闘員殺戮、略奪、軍規弛緩の状況を記述したる安寧秩序を紊乱する事項を執筆したため」でした。

この本を電車の中で読んでいると、車内の周囲では若い勤労者が男女ともスマホ・ゲームに興じています。かといえば、中国人の2人が周囲を支配するような異様に大きな声でがなり合っています。彼らが何を話しているのか分かりませんが、この本を読んでいると、あまりにものギャップに頭が錯乱しそうになりました。

ハイエクと親交を結んだ田中清玄

WST National Gallery Copyright par Duc de Matsuoqua

 8月のお盆の頃は、マスコミ業界では「夏枯れ」と言って、あまり大きなニュースがないので、「暇ネタ」ばかりを探します。

 今年の場合は、あおり運転をして真面目な市民を殴ったチンピラ(失礼!彼は天王寺高~関学~キーエンスの元エリートでした)の捕り物帖ばかりやっていて、いい加減、嫌になりましたね。普段なら三面記事の片隅にベタで載るような事案でも、テレビはニュースからワイドショーまで繰り返し垂れ流していました。文化人類学者の山口真男(1931~2013)は「マスコミは、存在自体が悪だ」と喝破したそうですが、長年マスコミ業界で飯を喰ってきた私自身も耳が痛いですね。

 マスコミはもっと信頼を回復して頑張らなければいけませんよ。今はマスコミより、ネットの方が怖い時代になりましたからね。 あおり運転のチンピラに同乗していた女容疑者を、変な正義感を持った若者が、間違って関係のない善良な市民をネットに拡散したため、被害者は、業務上でも精神的にも大変な目に遭われました。

 私も変なことは書かないよう気をつけます。

 さて、先週読了した大須賀瑞夫編著「田中清玄自伝」(文藝春秋)の余波がいまだに続いています。

 「26年ぶりの再読」と書きましたが、当時(1993年)は今ほどインターネットも発達しておらず、情報も不足していて「憶測」ばかり氾濫していました。

 今では検索すれば、簡単に「田中清玄」は出てきます。でも、ウィキペディアには「CIA協力者」と書かれていて驚いてしまいました。「自伝」を読む限り、田中清玄ほど反米主義者はいないと思ったからです。(戦前は共産主義者だったものの、スターリンに対する不信は筋金入りでしたので、反ソ主義者でもありました)日本政府の対米追随政策を絶えず批判したり、「ジャップの野郎が」と威張りくさる米国人と高級バーで喧嘩しそうになったり…。何と、彼は「そのうち、『アメリカ・イズ・ナンバーワン』と言う大統領が出てくる」と予言までしてますからね。

 「自伝」によると、田中清玄は、戦後まもなく昭和天皇に謁見したり、先の天皇陛下の訪中を実現させたり、まさに黒幕として活躍しました。外務省や右翼団体からの抗議などを乗り越えて、 戦前から親交のあった鄧小平が中国の最高実力者となったため、 個人で外交を成し遂げたのは大したものです。

 また、韓国やインドネシア、フィリピンでの利権を独占しようとする岸信介=河野一郎=児玉誉士夫=矢次一夫ラインとは最後まで敵対しました。

 自伝の最後の方では、ノーベル経済学賞を受賞したフリードリヒ・ハイエク教授との交流にも触れています。ハプスブルク家の家長オットー大公から紹介されたらしいのですが、ハイエクはハプスブルク家の家臣の家系だったそうです。

 ハイエクは、戦前からマルクス経済もケインズ経済も否定して、新自由主義経済を提唱した人です。彼が設立したモンペルラン・ソサイエティー(共産主義や計画経済に反対し、自由主義経済を推進する目的に仏南部のモンペルランに設立)に田中清玄も1961年から参加しましたが、間もなくして、フリードマンらシカゴ学派が大挙加入し、田中清玄は「彼らはユダヤ優先主義ばかり唱えるのでやめてしまった」といいます。

 それでも、ハイエク教授との個人的交流を生涯続け、京都大学の今西錦司教授と対談会を開催したりします。

WST National Gallery Copyright par Duc de Matsuoqua

 私は、哲学者でもあるハイエクについては名前だけしか知らなかったので、彼の代表作である「隷属への道」をいつか読んでみようかと思っています。マル経も、そしてケインジアンまでも否定したため、両派から集中砲火を浴びながら一切怯まず、学説を曲げなかったところが凄い。田中清玄とは意気投合するところがあったのでしょう。

「西洋の自死」=日本も手遅れなのか?

WST National Gallery Copyright par Duc de Matsuoqua

 ダグラス・マレー著、町田敦夫訳「西洋の自死」(東洋経済新報社、2018年12月27日)が世界的なベストセラーになっているということで、手に取って読んでみました。

 著者は若手、とは言っても、今年40歳になる気鋭の英国人ジャーナリストです。

 内容については、この本の「脇見出し」を引用させて戴くと、「欧州各国が、どのように外国人労働者や移民を受け入れ始め、そこから抜け出せなくなったのか」「マスコミや評論家、政治家などのエリートの世界で、移民受け入れ懸念表明が、どうしてタブー視されるようになったのか」「エリートたちは、どのような論法で、一般庶民からの移民政策の疑問や懸念を脇にそらしてきたのか」といったことが書かれています。

 ちょっと、まどろこしく書かれていますが、移民問題は結局、文化や言語、宗教の問題にまで行き着き、もともといた地元の人たちは、移民の人口増により、少数派に追いやられることが書かれていて、それを言うと「人種差別者」だのと糾弾されると、著者は言いたかったと思えます。

日本語訳版だけでも500ページ以上あり、全て読み通すのには難儀します。この10年近くで欧州で起きたさまざまなテロ事件や移民問題などを具体的に事実として取り上げている書き方で、著者の感慨はあまり挟もうとしません。 でも、斟酌はできます。

 例えば、2017年11月に「ビュー・リサーチ・センター」が公表したところによると、スウェーデン(2016年のイスラム教徒人口は8%)では、今後全く移民を受け入れなかったとしても、2050年にはイスラム教徒人口が11%になり、「通常の」流入があった場合は21%、近年の大量移民が維持されれば31%になるといいます。

 この後で、著者は「1950年のスウェーデンはほとんど移民がいない、民族的に同質の社会だった。それが1世紀後の2050年には、見た目が一変しているだろう。…もしかしたら、それでも構わないかもしれない」といった、思わせぶりな書き方です。

 この本に関しては、日本ではあまり報道されませんでしたが、かなり賛否両論の渦が欧米で巻いたようです。それは、他人事ではなく、その波は、近いうちに、日本にも押し寄せてきます。

 もう、マスコミが言うような「移民排斥=極右、非寛容な人種差別主義者」「移民受け入れ=リベラリスト、寛容な人道主義者」といった単純な図式ではないのです。

 最近、このブログも随分アクセス数が増えました。どなたがお読みになっているのか想像もつきません。襲撃されたくないので、私はか弱い人間ですから、卑怯者と言われようが、自分の意見は茲には書きません(苦笑)。扇動者にはなりたくないというのが本音です。悪しからず。

移民問題は、自分たち個人の問題だと考えるべきだと思っています。

日本でいちばん面白い人生を送った男=大須賀瑞夫編著「田中清玄自伝」

WST National Gallery Copyright Par Duc de Matsuoqua

いやあ、面白いのって何の。すっかり嵌って寝食を忘れてしまいました。

大須賀瑞夫編著「田中清玄自伝」(文藝春秋、1993年9月10日初版)です。

私は、数年前に「疾風怒涛」時代に襲われ、茲では書けない色んなことを体験しているうちに、自宅書斎には、ほとんどの蔵書がなくなってしまいました。売却したり、処分したり、紛失したりしまったわけですが、その中でもわずかに残っていた蔵書の一つがこの本だったのです。26年ぶりの再読です。

 何で、この本を手に取ったかと言いますと、このブログの8月15日に「物足りない『黒幕』特集」を書いた通り、週刊現代 別冊「ビジュアル版 昭和の怪物 日本の『裏支配者』たち その人と歴史」(講談社) の内容があまりにも薄っぺらで、物足りなさを感じたからでした。

 田中清玄(1906〜93年)は、言わずと知れた政界のフィクサーと言われた「黒幕」です。戦前に、三・一五事件(1928年)と四・一六事件(29年)を経て壊滅状態だった日本共産党を再建して書記長となり、検挙されて、11年間も入獄し、昭和16年の釈放後は180度転向して天皇主義者になった人です。鈴木貫太郎首相に無条件降伏を説得した臨済宗の山本玄峰老師の下で3年間修行し、戦後は建設会社を興して、日本の政財界だけでなく、欧州、東南アジアやアラブ諸国とも太いパイプを持って事業を拡大した人でもあります。

 山口組三代目の田岡一雄組長らとも深い関係があり(田中清玄に田岡組長を紹介したのは横浜の荷役企業のドン藤木幸太郎会長だったとは!)、対立した児玉誉士夫(1911~84)の差し金で暴力団東声会の組員に狙撃されたり、何かと黒い噂も絶えなかった人でしたが、その生き方のスケールの大きさと抜群の記憶力には本当に圧倒されました。◆参考文献=藤木幸夫著「ミナトのせがれ」(神奈川新聞社)、城内康伸著「猛牛と呼ばれた男 『東声会』町井久之の戦後史」(新潮社)、有馬哲夫著「児玉誉士夫 巨魁の昭和史 」(文春新書) 

 26年ぶりの再読でしたので、内容はすっかり忘れておりましたが、この26年間で、あらゆる本を相当乱読していたため、この1冊を読むと、何の関連もないようなバラバラだった事象や事件が見事に繋がり、ジグソーパズルが完成したような気分になりました。

 勿論、田中清玄が自分の人生の中で見聞したことを「遺言」のつもりで毎日新聞編集委員に一方的に語ったことなので、120%信用できないかもしれないし、信用してはいけないのかもしれませんが、歴史的価値の高い「証言」であることは紛れもない事実です。

 以前にも少し書きましたが、田中清玄は、会津藩の筆頭家老の末裔でしたから、非常に潔癖で一本筋の通った人でした。(清玄の次男は、現在早稲田大学総長の田中愛治氏です)旧制函館中学~弘前高校~東京帝国大学というエリートコースで学んでいますから、そこで知り合った友人、知人は後世に政財官界や文学界などで名を成す人ばかりです。

 26年前に読んだ時は、知識が少なかったので、読んでもほとんどピンと来ませんでしたが、今読むと、昭和史に欠かせない重要人物ばかり登場し、関わりがなかったのはスパイ・ゾルゲぐらいです(笑)。意外な人物との関係には「そんな繋がりがあったのか」と感心することばかりです。

 例えば、函館中学時代は、久生十蘭、亀井勝一郎や今東光・日出海兄弟、それに長谷川四兄弟(長男海太郎=林不忘の筆名で「丹下左膳」も、 次男潾二郎=画家、三男濬=ロシア文学者、四男四郎=「シベリア物語」など )らと親しくなり、「特に長谷川濬とは仲が良かった」というので吃驚。長谷川濬は、満洲に渡り、甘粕正彦満映理事長の最期に立ち会った人ではありませんか。26年前はよく知らなかったので、素通りして読んでました(笑)。◆参考文献= 大島幹雄著「満洲浪漫 長谷川濬が見た夢」 (藤原書店)

 マルクス主義にのめり込んで地下組織活動を始めた弘前高校時代の三期後輩である太宰治については、「作家としては太宰と同期の石上玄一郎の方がはるかに上。太宰は思想性もなく、性格破綻者みたいなもんじゃないか。地下運動時代に俺を怖がってついに会いに来なかった。『そんな奴、いたかい』てなもんだ」とボロクソです(笑)。

 東京帝大に入学すると新人会に入ります。そこで、大宅壮一、林房雄、石堂清倫、藤沢恒夫(たけお)らと知り合い、藤沢からは、川端康成、横光利一、菊池寛、小林秀雄ら文壇の大御所を紹介されます。◆参考文献=松岡將著「松岡二十世とその時代」(日本経済評論社)

(戦前の)共産党関係者として、福本和夫、徳田球一、渡辺政之輔、佐野学、鍋山貞親、志賀義雄、それに、モスクワで無実の山本縣蔵を密告して殺させた野坂参三ら錚々たる人物が登場します。「…日本の軍人といってもこの程度なんですよ。こんな者どもが対ソ政策をやるから間違うんだ。…自分が助かるためには何でもやる。野坂参三も軍人も一緒です。陰険で小ずるくて冷酷無情な、どちらも同じ日本人です」と語ってますが、野坂参三をモスクワに送り込んだのは田中清玄自身だったことを告白し、大いに後悔していました。◆参考文献=立花隆著「日本共産党研究」上下(講談社)

面白かったのは、11年間の牢獄生活から出所して、三島の龍沢寺の山本玄峰老師の下で修行していた頃の逸話です。ちょうど真珠湾攻撃が始まり、反軍・反侵略の思想の持ち主だった田中清玄は、血気盛んで、反戦行動を起こそうとしますが、玄峰老師から「軍は気違いじゃ。…今、歯向かっていったらお前は殺されるぞ。…お前は時局に関して何も言っちゃいかん。今は修行専門だぞ」と諭されたそうです。彼は「あの時、下手をやって、なまじ軍に反対していたら、こっちが命を落としていたでしょう。老師の喝破のお蔭です」と振り返って感謝しています。

 龍沢寺には、吉田茂、米内光政、岡田啓介、鈴木貫太郎、岩波茂雄、安倍能成ら政治家から文化人に至る重鎮が頻繁に訪れていて、田中清玄は、玄峰老師のボディーガードになったり、東京まで代理の使者として政界の大物に会ったりしたということですから、修行の身でフィクサーになったようなものでした。

WST National Gallery Copyright Par Duc de Matsuoqua

 戦後は、復興のために建設業を営み(後に四元義隆に会社を譲ってしまう!)、アジアだけでなく、ハプスブルク家のオットー大公やアブダビの首長ら国際的スケールで交際しビジネスに結びつけた話も圧巻でした。

 その人脈の広さと多さには本当に驚かされますが、「私が本当に尊敬している右翼というのは二人しかおりません。橘孝三郎さんと三上卓君です」と発言しています。26年前は、すぐ分かりませんでしたが、2人とも五・一五事件に関与した人でしたね。評論家立花隆(本名橘隆志)は、橘孝三郎の従兄弟の子に当たる縁戚です。三上卓は、犬養毅首相を暗殺した海軍中尉で、国家主義者。◆参考文献=中島岳志著「血盟団事件」(文藝春秋)、寺内大吉著「化城の昭和史」上下(毎日新聞社)

 私は、一回読んだ本はほとんど読み返すことはないのですが、この本は再読してよかったです。年を取るのも悪くないですね。乱読のお蔭で、知識も経験も増え、知らないうちに理解力も深まっていました。

 26年前には読み流していましたが、田中清玄が「人類というものは、自己の保身と出世のために人を裏切る冷酷な存在でもあるということです」と発言する箇所があります。当時は苦労知らずのお坊ちゃんで、実感できなかったのですが、今は痛切な気持ちで同感できます。

 絶望感はではありません。清清しい達観です。

物足りない「黒幕」特集

WGT National Gallery Copyright par Duc de Matsuoqua

 やはり、私のライフワークといいますか、興味のある専門分野ですからね(笑)。つい、買ってしまいました。週刊現代 別冊「ビジュアル版 昭和の怪物 日本の『裏支配者』たち その人と歴史」(講談社、980円) です。

 その前に、私の住む自宅から歩いて7、8分ほどにあった本屋さんが、とうとう潰れてしまいました。アマゾンのせいでしょうか。駅近くにあった書店2店舗は既に数年前に閉店したので、ここは「最後の砦」でした。呆然自失。この本屋だけは失いたくなかったので、なるべく、ここで買うようにしてましたが、ついに消滅してしまいました。悲しいというほかありません。

 仕方ないので、この「週刊現代 別冊」を会社の近くのコンビニで買おうかと思ったら、週刊誌は置いていても、別冊は置いてないんですよね。そもそも本屋じゃないので、種類も少ない!帰宅時に遠回りして、駅近くの大型書店で買うことができました。

 この上の写真の表紙をご覧になって頂くだけで、内容は分かると思います。

 日本の「裏支配者」たちーとありますが、吉田茂、正力松太郎、五島慶太、後藤田正晴…みんな、「表社会」の人たちじゃありませんか。フィクサー、黒幕として登場する児玉誉士夫、山口組三代目の田岡一雄組長にしても、超々有名人で、日本人ならまず知らない人はいないぐらいです。失礼ながら、初心者向きで、野間ジャーナリズムの限界を感じました。続編を期待しましょう。

 私自身、これまでいろいろな本を読んできましたから、この別冊の中で、馴染みがなかったのは矢次一夫(1899~1983年)ぐらいでした。この人については、顔写真と略歴だけ載っていましたが、岸信介との関係などもう少し掘り下げて頂きたかったですね。

 このほか、章立てして、もっと掘り下げて、取り上げてほしかった人物として、まず、玄洋社の頭山満が筆頭でしょう。次いで、黒龍会の内田良平。この別冊で取り上げられた軍人の石原莞爾は、まあ妥当だとしても、もっと土肥原賢二や影佐禎昭ら諜報活動に従事した人も取り上げてほしかったですね。そうそう、甘粕正彦は欠かせない人物です。牟田口廉也や辻政信は少し食傷気味なので、桜会の橋本欣五郎や東京裁判で寝返った田中隆吉あたりが面白いかもしれません。

 写真がちょっと出ていただけだった大物右翼の三浦義一(1898~1971年)は「室町将軍」と言われたぐらいですから、最低、略歴ぐらい必要でしょう。以前、私は、ちょっと怖い人に引き連れられて、たまたま大津市の義仲寺にある彼のお墓参りをしたこともあります。また、三浦義一の後継者である西山広喜(1923~2005年)の内幸町・富国生命内の事務所を確認したことがあります(笑)。

共産党幹部から獄中で国粋主義に転向した田中清玄(1906~93年)は章立てして大きく取り上げるべき人物でしょう。(田中家は会津藩の筆頭家老だった名門家系。早稲田大学第17代総長の田中愛治氏は、田中清玄の子息)田中清玄=田岡組長VS児玉誉士夫=東声会=岸信介との壮絶な闘いは語り継がれるべき逸話です。

 となると、11年間の獄中生活から出所後、田中清玄が師事した静岡県三島市の龍沢寺の山本玄峰禅師もマストでしょう。山本禅師は、臨済宗妙心寺派管長も歴任し、終戦の際に、鈴木貫太郎首相に「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び」の文言を進言して、終戦を受け入れるよう説得した功労者ですから、まず欠かせませんね。(鈴木貫太郎は関宿藩士でしたね。二.二六事件の際には侍従長で、蹶起隊に襲撃されながら、奇跡的に一命を取り留めました)

WGT National Gallery Copyright par Duc de Matsuoqua

 平成から令和の時代となり、人間が小粒になったのか、ますます、黒幕やらフィクサーといった豪快な人物が出にくくなった感があります。

でも、一般大衆には分からないように、暗躍しているのかもしれませんよ。

「サピエンス異変」=座りっぱなしが死を招く

WGT National Gallery Copyright par Duc de Matsuoqua

 この本を読むと、腰の辺りがムズムズして痛くなり、腰痛解消のために、何処でもいいから、そこらへんを駆け巡りたくなります。

 ヴァイバー・クリガン=リード著、水谷淳、鍛原多恵子訳「サピエンス異変 新たな時代『人新世』の衝撃」(飛鳥新社、2018年12月31日初版)は、まさにタイトルそのものと同じで、衝撃的な本です。

 人類学、環境科学、動体力学、動物生理学…等あらゆるサイエンスを動員したノンフィクションです。結論を先に言ってしまえば、「人類は、快適さと便利さを追求したおかげで、身体を動かさなくなり、糖尿病や肥満による心臓疾患、腰痛、近視、骨粗しょう症、精神疾患などさまざまな病気や障害を自ら引き起こしている」といったことになるでしょうか。

 「座りっぱなしが死を招く」といった衝撃的な章もあります。現代の先進国のサラリーマンと官僚のほとんどが、冷房の効いたオフィスで、何時間も何時間も座ったまま、パソコンの画面に向かっていることでしょう。著者の最終的な結論は、「人類は1日1万歩歩くのが一番良い」(1日8~14.5キロ、1週間で10万歩)といった今まで多くの専門家が指摘していたことと同じでした。

 そもそも、人類は、800万年前に直立二本足歩行する生物から、30万年前に現在のヒトとなるホモ・サピエンスに進化して、1万年前に農耕定住生活が始まるまで、毎日、平均6時間も歩いて食料を確保してきたといいます。

 つまり、ヒトは動く生物として生活に適応してきた歴史があるわけです。それが、わずか100年か200年前の産業革命で機械化、モータライゼイション、そして20世紀末のIT革命で、ますますヒトは身体を動かさなくなりました。最近は、スマホなどのやり過ぎで、RSI(反復運動過多損傷)と呼ばれる病気を患って、生産性が低下したり、仕事を辞めたりする人もいるといいます。

WGT National Gallery Copyright par Duc de Matsuoqua

 私の周囲にも、ほとんど身体を動かさず、近距離でも車ばかり使っていたお蔭で、まだ若いのにほとんど歩けなくなった友人もいます。

 かつての人類は、歩けなくなれば食料を確保することができず、即、死を意味していました。ということは、人類の滅亡が始まっているということなのでしょうか。本当に衝撃的な本でした。

ケインズ「雇用・利子および貨幣の一般理論」をついに読破=漫画ですが…

WGT National Gallery Copyright par Duc de Matsuoqua

1929年の大恐慌や、ナチスの台頭につながる第1次大戦後のドイツの賠償問題などを勉強していると、どうしても外せないのが、ジョン・メイナード・ケインズの経済理論です。

 いつぞやの話、国際金融アナリストの元山氏に、ケインズの代表作「一般理論」は難しい?と聞いたところ、彼は「君には無理だね。アインシュタインの『一般相対性理論』と同じぐらい難しいんじゃないかい」と断定するので、さすがに、心の中で「ムッ」としましたが、彼の忠告には従っておりました。

 あれから半年。彼から「君にふさわしい本があったから貸してあげるよ」と貸してくれたのが、漫画でした。

 ケインズの原作を漫画化した「雇用・利子および貨幣の一般理論」(イースト・プレス)でした。

 私は、漫画は中学生の頃までは熱中しましたが、それ以降はご無沙汰です。「えっ?漫画かい?」と思いましたが、これがなかなかよく出来ていて、原作を読む前の「取っ掛かり」というか、予備知識になることは確かでした。

 私自身、経済を専門的に学んだわけではなく、大学の教養課程の単位として「経済原論」を取った程度の知識しかありませんが、この原作の漫画化の中には、「有効需要」だの「限界消費性向」「流動性選好理論」だの、昔学んだ懐かしい用語がたくさん出てきて、易しく解説してくれます。ばかにできませんね(苦笑)。大変失礼致しました。

例えば、「債券の利率が購入時より下がれば、実質価格は上がり(この時この債権を売れば得)、逆に、利率が上がれば、債券の価値が下がる」といったややこしい文章も、数式と漫画で描いてくれるので、すっと頭に入りやすい。

 また、私なんかよく間違える「ブル(牛)とベア(熊)」理論も、漫画に出てくるということは、ケインズの「一般理論」の中に出てくる話だったんですね。牛と熊を闘わせたら、熊の方が強いから、ベアが強気、ブルが弱気と私なんか勘違いしてしまうのですが、ブル(牛)は下から上に攻撃することから、債券価格が上昇するということで「強気」。ベア(熊)は、上から下に攻撃することから、債券価格が下落するということで「弱気」と命名されたことが漫画で描かれ、この箇所を読んで分かり、これからは間違えることはないだろうな、と思った次第です(笑)。

 確かに、最初から無謀にも原作に挑戦して、途中で白旗をあげるよりも、無理をしないで漫画から入ったことは大成功でした。漫画とはいっても、内容は難しいことは難しいですからね。この漫画を貸してくれた元山氏には感謝申し上げます。