青柳いづみこ著「パリの音楽サロンーペルエポックから狂乱の時代まで」を読んで興奮しています

 個人的なお話ながら、私の大学の卒論のテーマが「印象派」だったため、どうしても19世紀から20世紀にかけてのフランス文化からの桎梏から抜けきれません。

 卒論は「二人のクロード」というタイトルで、美術界の印象派を代表するクロード・モネと音楽界を代表するクロード・ドビュッシーの二人にスポットライトを当てて、何故、印象派なるものが当時席捲したのか、その時代的背景や思想等も含めて分析したつもりなのですが、今から読み返せば、まるで小学生以下の作文です。

 今、青柳いづみこ著「パリの音楽サロンーペルエポックから狂乱の時代まで」(岩波新書、2023年7月20日初版)を読んでいますが、この本を読むと、改めてその思いを強くしました。著者は、ドビュッシー演奏では第一人者の世界的なピアニストですが、講談社エッセイ賞を受賞するなど文にも秀でたいわゆる両刀使いの才人です。実に本当によく文献を調べ尽くしておられます。

 時代は、ナポレオン三世の第二帝政から普仏戦争での敗北~パリ・コミューンを経て、第三共和政に移行した激動期です。この時代なら、フランス語を少しは齧ったことがある人なら誰でも、画家のモネと音楽家のドビュッシー以外なら、ヴェルレーヌやランボー、ボードレール、マラルメといった詩人を挙げることでしょう。もしくは、フロベールやゾラといった小説家か。そんな時代でもいわゆるブルジョワ階級の貴族が健在で、特に暇を持て余した?公爵夫人、伯爵夫人たちが自宅を開放して、芸術家(の卵も)を招いて夜な夜な怪しげなパーティーを開き、そんなサロンから巣立って世界的にも有名になった詩人、音楽家、画家、小説家は数多に及ぶといった史実は、さすがに私でも知っておりましたが、誰が具体的にどんなサロンに参加して、参加した人たち同士はどんなつながりがあったのか?ーつまり複雑な人物相関図までは知りませんでした、と告白しておきます。

 著者は、数多いるサロンの主宰者の中で、まずニナ・ド・ヴィヤール夫人(1843~84年)を取り上げております。勿論、恥ずかしながら、私自身すっかり忘れておりましたが、この方、「フィガロ」紙の記者エクトール・ド・カイヤス伯爵と結婚し、夫の金利と父親の資産で何不自由のない生活を送っていましたが、ほどなく別居してサロンを開きました。彼女を慕って集まったのが、反体制ジャーナリストや詩人、画家、音楽家らの芸術家です。彼女自身も詩人で、バッハ、ベートーヴェンらを得意とするピアニストでもありました。

 彼女の男性遍歴は「公然の秘密」で、ステファヌ・マラルメが夢中になり、ヴィリエ・ド・リラダンは生涯の友、アナトール・フランスは愛人でした。この3人は、特に有名ですが、他に親しい関係があった人物に医師で画家で科学者のシャルル・クロ、シャンソン作曲家のシャルル・ド・シヴリー、画家のフラン・ラミ、ジャーナリストで作家のエドモン・バジールらがいます。この他、サロンに参加した人の名前が多く出て来ますが、私が知っているのは、詩人のポール・ヴェルレーヌとヴェルレーヌとランボーの共通の友人だった知る人ぞ知る詩人のジェルマン・ヌーヴォーと、小説家のギイ・ド・モーパッサンぐらいでした。また、エドワール・マネが彼女をモデルに「団扇と婦人」という絵を描いています。(ヴィヤール夫人は1884年、41歳の若さで精神科病院で死去します。)

 さて、この中で、長年、名前は知っていても「人物相関図」がなかなか分からなった人物がこの本を手掛かりにやっと分かりました。鍵を握っていたのが、サロンに頻繁に通って、ヴィヤール夫人とも昵懇だったシャンソン作曲家のシャルル・ド・シヴリーでした。このシヴリーとサロンで知り合ったのか、その前からの友人だったのか分かりませんが、有名な詩人ポール・ヴェルレーヌがいます。ヴェルレーヌは、このシヴリーの妹マチルドと結婚します。そして、新婚早々の二人の家庭生活をめちゃくちゃにして破壊したのが、シャルルヴィルの田舎からパリに出て来たばかりの17歳の少年アルチュール・ランボーだというのは、皆さん、御案内の通りです。

Asoukayama

 ここまではよく知られていることですが、何とドビュッシーが登場します。9歳のドビュッシーにピアノを教えてパリ音楽院に合格するほどまで手ほどきをしたのがモーテ夫人で、彼女は一説にはショパンの門下生と言われていますが、シャルル・ド・シヴリーの母親だったのです。経緯はこうなります。

 普仏戦争の末期、ドビュッシーの父親は志願して国民軍に入隊しますが、国民軍は敗北して、サトリ―の監獄に収監されます。同時にシャルル・ド・シヴリーもパリ・コミューンに巻き込まれて同じサトリー監獄に送り込まれます。ここで二人は知り合い、ドビュッシーの父親は音感の良い自分の息子の音楽の教育について、シヴリーに相談します。それなら自分の母親はピアノ教師だから、どうか、と提案したようです。こうして、9歳のドビュッシーが、モーテ夫人の下を訪れたのは1871年秋のことでした。詩人ランボーがパリに上京し、ヴェルレーヌ宅、つまりは、モーテ夫人宅に居候したのが1871年9月中旬で、乱暴狼藉を働いたかどで追い出されたのが1カ月後の10月中旬か下旬だったといいます。となると、ドビュッシーがランボーに会ったか見た可能性は微妙ですが、ゼロではない気がします。ランボーは1891年に37歳の若さで亡くなり、ドビュッシーは20世紀初頭に活躍した印象があったので、2人が同時代人で、パリ市内の何処かですれ違っていたかもしれない、と思うとちょっと興奮しますね。

Asoukayama

 もう一人だけ、取り上げたいのは、サロン主宰者のヴィヤール夫人の愛人だったシャルル・クロです。この忘れられた天才、もしくは歴史から抹殺された天才の偉業は、この本では「第2章 シャルル・クロ」と章立てされて詳細されています。サロンには医者であるアンリとともに、パリ大学の医学部学生時代から参加し、詩人であり、画家であり、科学者でもあった人です。ヴェルレーヌとは親友で、ランボーが上京した際、最初に面倒を見たのがシャルル・クロだったというのに、ヴェルレーヌは「呪われた詩人」のラインアップの中にクロの名前を無視して入れませんでした。いわゆるヴェルレーヌ=ランボー事件でのわだかまりが、ヴェルレーヌにはあったようでした。

 他に、科学者としてのクロの不幸はまだあります。1867年末、フランスの科学アカデミーに「色彩、形体、運動の記録と再生の修法」という論文を送り、カラー写真に関する「三色写真法」に発展しましたが、わずが2日の差で他人に先を越されてしまいます。

 また、1877年4月、現在のレコードとほぼ変わらないディスク式の「パレオフォン」と名付けた蓄音機の原理の論文を科学アカデミーに送付し、この時点で米国のエジソンに半年先んじていましたが、特許を取るのはエジソンの「フォノグラム」の方が先でした。

 実についていない人、と言わざるを得ませんね。

好きな上野で「京都・南山城の仏像」展

 本日は木曜日でしたが、会社を休んで上野に行って来ました。上野は東京で2番目に好きな所です。1番目は? それは勿論、神田神保町です。古書店の街ですが、三省堂、東京堂など新刊書店も多くあり、何よりも安くて美味しい隠れたグルメの街でもあります。

 3番目に好きな東京は、神宮外苑の銀杏並木道ですが、どうやら、この「外苑の森」が伐採されるという話が進んでいるようですね。亡くなった坂本龍一教授も、再開発に大反対で、小池都知事に中止するよう手紙まで送付したらしいというのに。大都会東京のど真ん中で、あそこほど心休まる所は他にありません。銀杏並木だけは残す計画もあるようですが、もしこのまま強行されれば、小池百合子さんは「神宮外苑の森の伐採を認可した都知事」として歴史に名を残すことでしょう。

東京・上野東博「京都/南山城の仏像」展

 さて、上野に行ったのは、目下、東京国立博物館で開催中の「京都・南山城の仏像」展を拝観するためでした。自他ともに「仏像好き」を自称する私ですが、さすがに南山城(なんざんじょう、ではなく、みなみやましろ)の寺院にまで足を延ばしたことはありませんでしたからね。南山城とは京都府の南端で奈良県に近い地域で、住所で言えば、木津川市とか宇治田原町などがあります。

東京・上野東博「京都/南山城の仏像」展

 会場は、本館の「特別5室」が当てがわれ、いずれも京都・浄瑠璃寺(木津川市)蔵の「阿弥陀如来坐像」「多聞天立像」「広目天立像」の3点の国宝を含む18体の仏像(うち12体もが重要文化財)が展示されていました。

 しかし、「えっ?これだけ??」というのが正直な感想でした。「国宝3体、重文12体もあれば十分でしょ!」と主催者の日経新聞社には言われてしまいそうですが、もし、これが仏像ではなく、そして、有難みもなく、ただの彫刻として眺めただけでしたら、長くても5分で「見学」を終えてしまいます(笑)。こ、こ、これで、入場料は1500円もするんですからねえ。高いでしょう? 奥さま~、そう思いませんこと? 

 あっという間に「出口」になってしまったので、私なんか、慌てて5秒間で入り口方面に戻って、再度、拝観したほどでした。それほど狭い「特別5室」でした。

上野・東京国立博物館

 今回、「十一面観音菩薩像」が3体展示(京都・禅定寺など)されておりましたが、いずれも後頭部の真後ろにあしらわれた「面」が「大笑い」の観音菩薩であることが、パネルでも解説されていました。十一面もありますから、大衆を教化するため忿怒の表情の観音菩薩もありますが、この「大笑い」の面だけ突出していて、改めて仏像の魅力に染まってしまいました。

 会場を何気なく見回すと、平日だからかもしれませんが、どうも日本人が少ない気がしました。7割近くは、どう見ても外国人観光客でした。コーカサス系だけでなく、東南アジアやインド系、勿論、中国、韓国系の人もです。そう言えば、私も海外に行けば、必ず、博物館や美術館に足を運びますからね。ガイドブック等で上野の博物館・美術館が紹介されているということなのでしょう。まさに、「世界に誇れる上野」です。

 でも、私は歴史好きなので、「この博物館はねえ、江戸時代は、東叡山寛永寺の本堂があった所だったんですよ。今の上野公園と言われている敷地は全て、寛永寺の敷地で、幕末には彰義隊が最後まで新政府軍に抵抗してここで戦ったんですよ」と外国人観光客に蘊蓄を垂れたくなりました(笑)。

上野・東博・常設展

 私はせっかちな性格で、「京都・南山城の仏像」展はわずか20分程で鑑賞し終えてしまいましたので、同じ本館の常設展も駆け足で見て回りました。

 やはり、ここでも、絵画ではなく、彫刻、特に仏像彫刻ばかり注目して観てしまいました。

 やはり、(ともう一度書きますが)仏像を拝観すると心が落ち着き、心が洗われる思いがします。仕事や人間関係で疲れた皆様にもお薦めですよ。出来れば、その前に、仏像の基礎知識を頭に入れて行かれれば鑑賞の醍醐味も倍増します。例えば、四天王の北の一角「多聞天」は、独尊としてまつられると「毘沙門天」と呼ばれます。この毘沙門天とは、インドの財宝神クベーラの前身で、「ヴァイシュラヴァナ」という別名を持っていました。この「ヴァイシュラヴァナ」はサンスクリット語で「よく聞く」と意味することから、中国語で「多聞天」と訳されたといいます。 

生蕎麦「吉祥」クルミせいろソバ1170円

 また、五大明王の中心となる不動明王立像(京都・神童寺蔵)が展示されていましたが、この不動明王とは、密教の大日如来の化身と言われています。煩悩多き救い難い衆生をも力ずくで救うために、忿怒の姿をし、光背は怒りの炎がメラメラと燃え上がっているわけです。

 えっ?それぐらい御存知でしたか? 失敬、失敬。

「ジャニーズ問題」について、ワシも考へた

 私は某マスコミで、もう20年以上昔の話ですが、10年近く芸能担当記者をしたことがありますので、今年一番のスキャンダルになっている「ジャニーズ問題」について、何か、一家言を持たないと言えばウソになります。ただ、あまりにも正直なことを書いて、このブログが炎上したくはないし、端(はな)からガーシー元議員のように目立ちたくもありません。あくまでも、低姿勢 keep low profile で、このブログも長く続けられたら、と思っているからです。

 最初にお断りしなければならないことは、事件の核心部分である故ジャニ―喜多川氏による10代の少年に対する性虐待の現場を見たわけではないのですが、当時、記者の間でも噂として広まっていたという事実があります。しかも、誰も糾弾しようと、取材しようとした芸能記者は皆無で、「芸能界とはそういうもの」という暗黙の了解が蔓延っていました。

 「芸能界とはそういうもの」とは、端的に言いますと、芸能プロダクションの「社長」さんの中には小指がなかったり、裏社会とのつながりを暗示するような「空気」もありました。日本の芸能史は、白拍子や角兵衛獅子や瞽女など差別された人たちによる伝統芸能から始まり、歌や踊りや芝居興行は、既に江戸時代には「地回りの顔役」がいて全国興行のシステムも確立していたという説もあります。これ以上書くと何かと差し障りがありますので、やめておきます(苦笑)。

 兎に角、芸能界は、その華やかさで目を奪われるため、その裏か内部で関わったか、取材したことがある人でないとなかなか実体が分からないと思います。ジャニーズ問題が大きくなって、「見て見ぬふりをしてきた」テレビ局のプロデューサーらがつるしあげになっている風潮に今はなっていますが、彼らは特別なことをしたわけではなく、同じ地位に就いた人なら誰でも、恐らく100人中100人、見て見ぬふりをしてジャニーズ事務所のタレントを使っていたはずです。経済団体のお偉方さんたちは、自分たちが火の粉を浴びたくないものだから、眼をむいて、「児童虐待」をアピールしながら、スポンサーからの撤退を次々と表明していますが、私から言わせれば同じ穴のムジナです。財界人のお偉方の人なら、ジャニー喜多川氏の噂を知らなかった、と言える人はいないんじゃないでしょうか。それぐらい噂は広まっていましたから。

 何しろ、私がジャニ―喜多川氏の「噂」を知ったのは、1970年代で、まだ私が中学生か高校生の頃でした。当時、人気絶頂だったフォーリーブスの北公次さんが週刊誌などで盛んに「暴露」していたのです。経団連の十倉雅和会長(73)も経済同友会の新浪剛史代表理事(64)も私と同世代ですから、知らなかったはずはないと思っています。

 そこで、一家言を持ちたいのですが、確かにジャニ―喜多川氏の蛮行は、事務所の新社長に就いた東山紀之氏が言うように「鬼畜の所業」であることは間違いありません。そういう意味で被害に遭われた方には一刻も早く救済の手を差し伸べてあげてもらいたいものです。ジャニ―喜多川氏は、人間の功罪で言えば、「罪」の方が遥かに大きかった人でした。

 しかし、「功」がゼロかと言えばそうではありません。彼しか持ちえない独特の美意識と観念が、「売れる」タレントを発掘する才能として開花したことは間違いないからです。彼がスターに育て上げたタレントは、5人や10人ではなく、何十人、何百人です。これと比例するかのように、性被害に遭った少年たちの数も5人や10人ではなく、何百人にも及びました。確かにおぞましい事件ではありますが、独特の美意識を持った彼だからこそ犯した罪であり、タレント発掘の能力とは表裏一体です。

 別に、ジャニ―喜多川氏の肩を持って肯定するわけではありませんが、彼だからこそ発掘できたタレント集団でした。彼のお蔭で世に出て、たっぷり恩恵を受けた人もいました。彼亡き後は、これまでのスターと比べると格が落ちるのではないかと思っています。

 何と言っても、日本の芸能界は「事務所」が力を持ちます。やれ、人気が出たということで「独立」したりすると、テレビ出演をほされたり、邪魔されたりすることは多くの人の耳に入っていると思います。だから、大スターになっても多くのスターは事務所を辞めないのです。「平成の小早川秀秋」と言われた木村拓哉さんもジャニーズ事務所を辞めなかったし、日本で一番売れていると言われる明石家さんまも吉本興業を辞めることなど一度も考えたことはないんじゃないでしょうか。

 逆に言うと、「何でこんなつまらないタレントが売れてるのか?」と思って、調べてみたら、必ずと言っていいぐらいそのタレントは、芸能界を牛耳っている大手事務所に所属しているのです。テレビ局というものは、長屋の大家さんみたいなもんで、空いた時間帯を番組制作会社や大手の芸能事務所に丸投げして売っているようなものなのです。だから、まさに媒体であり、権限も、思われているほどないのです。

 でも、芸能界について、あまり知り過ぎると、つまらなくなりますよ。むしろ、何も知らないで、キャーキャー言って騒いでいた方が幸せですよ。

青い歯とは何ぞや?

 CDプレーヤーを買い替えた話をこのブログに書きました。最新機種なので、まだ使い方がよく分かりません。何しろ、それまでは中古の(恐らく、15年ぐらい前に作られた)MD付CDプレーヤーを使っていたので、最新技術についていけません(苦笑)。

 まず、電気業界の勝手な方針でMDプレーヤーは生産中止に追い込まれたのですが、その代わりにSDカードかUSBで録音できるようになりました。SDカードはあんまり好きではないので、32GBのUSBを購入し、試してみたところ、一応、CDの録音はうまくいきました。私としましては、語学(フランス語)のラジオ放送の予約録音をしたいので、いつか挑戦してみたいと思っております。

 もう一つ、Bluetooth 機能が付いていることを知りました。Bluetooth? 「青い歯」って何じゃい? 遅れて来たおじさんは、最新技術についていけません。説明書(旧いおじさんはマニュアルなんて言いません)を読むと、スマホと無線で接続できる機能らしい、ということで、早速試してみました。

 そしたら、簡単。直ぐにつながり、スマホのスポッティファイの音楽を掛けたら、CDプレーヤーのスピーカーから重低音の迫力のある音が流れて来たのです。

 こりゃあ、いい!

 何でも、食わず嫌いではいけませんね。

 

名倉有一氏の「恒石重嗣年譜」とモーツァルトの曲、何だっけ?

 在野の近現代史研究家で、NPO法人インテリジェンス研究所特別研究員の名倉有一氏から「恒石重嗣年譜」の資料が、メール添付で小生にも送られて来ました。579ページという膨大な資料で、おっ魂消ました。

 恒石重嗣(つねいし・しげつぐ、1909~96年)という人は、太平洋戦争中、陸軍参謀本部参謀(宣伝主任)兼報道部員として敵の戦意喪失を目的としてラジオの宣伝放送「ゼロ・アワー」「日の丸アワー」等を担当した元陸軍中佐です。謀略放送ということで、戦後、戦犯容疑でGHQに2年間で23回も出頭したといいます。東京ローズ裁判のからみや、捕虜を強制的に謀略放送に使った容疑だったようです。その後、出身地の高知市に戻り、不動産業などで生計を立てていたようです。陸士44期ということで、あの瀬島龍三と同期ですね。

 もし、御興味が御座いましたら、インテリジェンス研究所のホームページにも掲載されておりますので、そちらをご参照ください。

 恒石重嗣と同じ1909年生まれの文学者には大岡昇平、中島敦、花田清輝、長谷川四郎、太宰治、松本清張、まど・みちお、飯沢匡らがおり、多士済々です。

 さて、先日、CDプレーヤーを買い換えた話をこのブログに書きました。しばらく聴けなかったCDがやっと聴けるということで、喜び勇んでかけようとしましたが、曲名が分かりません。

 モーツァルトの曲です。「ジャガジャガジャガ ジャガジャガジャガジャ ジャッジャ チャラララッチャチャ」というメロディだけは鮮明に思い浮かぶのに、何の曲かさっぱり出てきません。でも、最初は高を括っておりました。ディヴェルティメントの何番かではないか、という薄っすらとした確信があったからでした。そこで、持っているCDの中の全てのディヴェルティメントを聴いてみました。が、どれも違う? ディヴェルティメント15番変ロ長調でもありませんでした。

 おっかしいなあ?それなら「管楽器のための協奏曲」かな?ということで、フルート協奏曲やホルン協奏曲やオーボエ協奏曲など手当たり次第に聴いてみましたが、どれも違います。モーツァルトはわずか35年の生涯でしたが、作品は厖大です。K626と言われていますが、ジャンルも交響曲、室内楽から宗教曲、オペラまで作曲しています。まさに大天才です。

 そっかあ、もしかして、私の頭の中でグルグルと回っている「ジャガジャガジャガ ジャガジャガジャガジャ ジャッジャ チャラララッチャチャ」という旋律は交響曲39番だったかなあ?ということで聴いてみましたが、これも違いました。ああ、もう分からん、ということで奥歯に物が挟まった感覚でしたが、この日は諦めました。

 それが、一日経った本日、「もしかして、ヴァイオリン協奏曲かもしれない」と急に思い当たり、これまた持っているCDを手当たり次第に聴いてみましたら、やっと見つかりました。「ヴァイオリン協奏曲第4番ニ長調」の第1楽章アレグロでした。

 私が文字で示した「ジャガジャガジャガ ジャガジャガジャガジャ ジャッジャ チャラララッチャチャ」というメロディが出てきますよ(笑)。

 この曲を聴くと凄く元気が出ます。

【追記】2023年9月10日(日)

 渓流斎ブログの愛読者であるYさんから連絡があり、思い出せない曲があったら、グーグルの「鼻歌検索」があるので、試してみては如何ですか?と教えてもらいました。早速、チャレンジしてみましたが、あまりにも鼻歌が下手くそで音痴なのか、うまく行きませんでした。

 でも、iPhoneを使って、CDで曲をかけながら「この曲何?」と聞いたところ、曲名だけでなく、交響楽団名からヴァイオリン奏者まで提示し、そのCDが買えるサイトまで辿り着けるようになっていたのです。これには吃驚。

CDプレーヤー、また買いました

 昨日は、個人的にあまりにも色んなことがあり過ぎて、ブログの更新も出来ませんでした。またまた、個人的なことを書きますので、ご興味のない方は、この先は、無理してお読みにならなくて結構です(苦笑)。

 まず、昨日は木曜日でしたが、家族の御見舞い面会の予約が取れましたので、会社を休みました。そしたら、一緒に面会に行く予定だった親族がコロナの陽性になってしまったということで、ドタキャンです。結局、一人で行くことになりました。

 面会は午後3時でしたので、午前中空いていました。どうしようか、と思っていたところ、結局、近く、とは言っても、自転車で15分掛かるアウトレットまで、CDプレーヤーを買いに行くことにしました。

 とうとうCDプレーヤーまで壊れてしまったのです。この機器はMDプレーヤーも付いていて、もうMDプレーヤーは生産中止されて市場には出回っていないので、苦労してネットで探して前に使っていたものと同じ機種を中古で購入したものでした。2021年4月のことです。2万5980円もしました。それが、わずか8カ月後の同年12月にMDが使えなくなりました。そのまま我慢して使っていましたが、今度は、CDプレーヤーが使い物にならなくなりました。4~5日前のことですから、2023年9月のことです。修理に出してもいいのですが、中古品で保証書もないし、結局、修理代がまた高くつくことでしょう。中古とはいえ、購入してわずか2年5カ月しか持たなかったことになります。(ちなみに前のMD付CDプレーヤーは12年ぐらい持ちました)

 今回の機種は、ソニー製で結構売れている機種のようでした。残念ながらMDプレーヤーは付いていませんが、USBかSDカードでCDとラジオを録音できるようです。何と言っても、値段が2万2240円だったのです。中古のCD/MDプレーヤーより安いじゃありませんか。しかも滅法、軽いし、小型化され、音質は以前の機種より上回っておりました。

 何で急に、思い立ってCDプレーヤーを買うことにしたのかと言いますと、ローリング・ストーンズが18年ぶりにニューアルバム「ハックニー・ダイアモンズ」を10月にリリースするという記事を読んだからでした。私は旧い世代ですから、ストリーミングとかネット配信より、やはりCDでライナーノーツを読みながら聴く派です。プレーヤーが壊れていては、聴けませんからね。ストーンズのCDは、もう18年も前になる2005年の「ア・ビガー・バン」を含め、1963年のデビュー以来のアルバム殆ど全部私は持ってます。それに、アウトレットのポイントが2860円も溜まっていたので、期限切れになる前に使おうと思ったのでした。

 今回、ちょっと懲りたので、1112円をポイントで支払って、CDプレーヤーの修理保証期間を1年間から5年間に延長しました。

レモンタルト1200円

 午後3時の家族のお見舞い面会の後、自宅近くにかき氷専門店があるというので初めて行ってみました。週末はかなり人が並んで入れないという人気店ですが、さすがに平日の夕方は空いていました。人気一番の「レモンタルト」を注文しましたが、量の多さには圧倒されました。氷がまろやかで、ふわふわ、今まで食べて来た歯にジャリジャリと絡むかき氷は、何だったのか? と思わされるほどでした。でも、個人的には量が多過ぎで、夜はちょっと苦しみました(笑)。

北八ヶ岳

 最初に、個人的に昨日は色んなことがあり過ぎた、と書きましたが、それはメールが殺到していたということでした。まずは、本日金曜日、何年かぶりに飲み会を銀座の「ライオン」で計画していたのですが、台風13号が関東地方にも上陸するということで、「帰りの電車が止まったら困るんじゃないか」という反対意見で、結局延期になりました。そんなメールのやり取りが何通も続きました。

 そんなんで気を取られていて、しかも、会社を休んでいたので、会社の共通メールをチェックしていなかったら、夕方になってとんでもないメールが殺到しておりました。一つは、パソコンのプリンタを変更することになったので、明日10時にパソコンの設定も変更します、といった連絡でしたが、もう一つは、会社の同僚が、もういい年なのに、地方支局に転勤するという不可解な人事でした。そして、もう一通は、違う同僚が来月にも長期治療入院するという話でした。

 「衆人監視」のブログなので、詳細は書けませんが、「えっ?どゆこと?」という話ばかりで、頭が混乱してしまいました。

 以上、昨日、ブログを更新できなかった言い訳でした(笑)。

🎬「福田村事件」は★★★★★

 昨日書いた渓流斎ブログ「100年前の関東大震災直後に起きた不都合な真実」の最後の方で、映画「福田村事件」(森達也監督)のことを書いたので、本日早速、観に行って参りました。言い出しっぺが、観なければ話になりませんからね。この映画は色んなことが複雑に絡んでいて、後からボディーブローのように効いてくる作品でした。今年一番の名作と言っておきます。

 その前に、実は、当初は、観るつもりはなかったのです。生意気ですが、最優先事項ではなかったのでした。特に、今年はつまらないハリウッド映画に遭遇して、劇場に足を運ぶのが億劫になっておりました。それが昨日、たまたまブログを書いた後、友人のY君からメールが来て、「僕は明日『福田村事件』を観に行くつもり」とあったのです。私もブログで朝鮮人虐殺事件のことを書いたばかりだったので、「これも何かの啓示かな」と思ったのでした。

 そして、何よりも、昨日書いたことは、小池都知事を始め、国粋主義者の皆さんの逆鱗に触れる話かもしれませんが、大手マスコミである読売、産経、日経が、大震災後の不穏な空気の中で、朝鮮人虐殺がまるでなかったかのように「報道しなかった事実」には愕然としてしまいました。そこで、この事実を多くの人に読んでもらいたいと思い、やめていたFacebookに昨日の記事だけを何年かぶりに投稿したのでした。そしたら、即、反応がありまして、色んな副産物を得ることが出来ました。それは後で書きます。

映画がはねて、今話題沸騰の池袋「フォー・ティエン」へ。店前は長い行列で22分待ちました。

 映画は、関東大震災が起きて5日後の1923年9月6日、千葉県東葛飾郡福田村(現野田市)で実際に起きた自警団による、朝鮮人だと誤認した日本人虐殺事件を題材にしています。殺害されたのは、讃岐(香川県)から来た薬売りの行商団15人のうち、幼児や妊婦を含む9人です。行商団の人たちは、被差別部落出身で、二重に差別されているような感じでした。この史実は、100年近くも闇に葬られていましたが、1979年から遺族らによる現地調査が始まり、1980年代から徐々に新聞等で報道されるようになったといいます。

 それでも、多くの人には知られず、そういう私もこの映画を観るまで、この事件について全く知りませんでした。

池袋「フォー・ティエン」牛肉のフォー950円 非常に期待していたのですが、小生の馴染みの銀座のフォーの方が美味しいかな?

 先述した「副産物」というのは、Facebookで投稿したところ、色々な方からコメントまで頂いたことでした。その中で、読売新聞出身のSさん(著名な方なので敢えて名前は秘します)から驚きべき内容のコメントを頂いたのです。以下、御本人に事前承諾の上、掲載しますとー。

 映画は、封印されてきた事実をベースにしています。福田村は今の千葉県野田市で、私が住んでいる柏市を含めた東葛地域に当たります。映画が依拠した「福田村事件 関東大震災・知られざる悲劇」の著書である辻野弥生さん(82)は、私も参加している「東葛出版懇話会」の仲間です。懇話会は6月、森達也監督を定例会の講師に招き、映画『福田村事件』の話をしてもらいました。もちろん辻野さんもスピーチしました。

 福田村事件の加害者として検挙されたのは、福田村の自警団員4人と、隣村の田中村の自警団員4人で、その後、恩赦で全員釈放されたといいます。この田中村は現在の柏市ですから、同市にお住まいになっているSさんとは大いに関りがあったわけです。

 Sさんは、読売新聞文化部の放送担当記者出身で、現在放送評論家です。昨日のブログで私が読売新聞の悪口めいたことを書いたので、低姿勢でお詫びしたところー。

 「悪口」ではなく、事実を指摘されたわけですよね。 Y紙についていえば、きのうの夕刊の映画評欄で女性記者が絶賛していました。新聞記者時代も今もそうですが、私は「文化(部)は政治(部)の風下に立たない」と自分に言い聞かせています。

 との返事を頂きました。同じ読売社内でも、違う考え方をする「抵抗勢力」がいらっしゃるということで安心しました。

 あれっ? 映画の話でしたよね? まあ、とにかく御覧になってください。ドキュメンタリー作家の森達也がメガホンを採りましたが、フィクションも取り入れてます。荒井晴彦、佐伯俊道、井上淳一の3人ものベテラン脚本家が恐らく侃侃諤諤と協議して練り上げた台詞と、正確な衣装考証で色鮮やかな大正時代のファッションまで蘇らせ、100年前にタイムスリップしたようです。

 主演は井浦新、田中麗奈、永山瑛太の3人ですが、過去のスキャンダルで謹慎処分が続いていたピエール瀧や東出昌大、昨年、参院選に当選しながら病気で辞職した水道橋博士も出演していて、いい味を出しておりました。特に、ピエール瀧は、地元紙「千葉日日」の編集部長の役で、若い女性記者(木竜麻生)が真実を書くことを主張しても、「不逞鮮人の仕業だと書き直せ」などと当局の意向に沿った発言しかしないので、まさに「はまり役」でした(苦笑)。

 そう、当時は、ネットどころか、テレビもラジオもなく、メディアと言えば新聞だけ。その報道が大衆に与えた影響はかなり大きかったはずです。その新聞が、内務省の発表通り「朝鮮人が暴動を起こそうとしているので、自警団をつくって守るように」との通達をそのまま掲載すれば、民衆はその通り、実行するはずです。加害者も、むしろ正義感に駆られて自分たちの村を守るべきだと立ち上がったのかもしれません。

 これらは100年前の大昔に起きたことなので、現代に起きるわけがない、と考えるのは間違いです。今は、むしろ、SNSなどでフェイクニュースや偽情報が横行しています。

 私も映画の帰り、某駅前で、某政党の政治家が、外国人排斥のアジ演説をしているのに遭遇しました。不安と恐怖に駆られると何をしでかすか分からない群集心理に洗脳される日本人のエートス(心因性)は、100年前とちっとも変っていないのです。

【追記】

 差別用語は当時のまま表記しました。

 

老兵は死なず、ただ消えゆくのみ=または余生の過ごし方

 これでも、小生、20年以上昔はマスコミの文化部の記者をやっておりましたから、最先端の文化芸術に触れ、多くの芸能人や作家、画家、文化人の皆様にインタビューもさせてもらいました。ですから、文化関係の分野でしたら、一応、何でも知っているつもりでした。某有名女優さんとは手紙のやり取りまでしておりました。いえいえ、別に自慢話をするつもりではありません。

 それが、急に文化部を離れ、テレビもほとんど見なくなってからは、全く何もかもワケが分からなくなりました。正直、情報過多もあるでしょうが、最新流行にはついていけなくなったのです。最も人気が高かったAKB48も、ジャニーズの嵐も、グループ名はかろうじで知っていても、そのメンバーとなるとさっぱり分からなくなりました。ま、覚えようとしなかったのでしょう(苦笑)。

 今でもそれに近い状態が続いています。テレビに出るような女優、俳優、歌手なら、昔は大抵ほとんど知っていたのに、最近では「この人、誰?」ばっかりです。文芸作家は、毎年2回の芥川賞と直木賞で量産されるので、やはり、「えっ? こんな作家さんいたの!?」です。漫画となると、何百万部、何千万部と売れているという噂は聞きますが、私は読まないので門外漢です。かろうじてタイトルだけ知っている程度です。

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 しかし、悲観すること勿れ。人間の頭の構造がそうなっているんでしょう。特に流行音楽なら、誰でも、10代から20代の多感な時に聴いた音楽がその人の一生の音楽になるのでは?小生が子供の頃、テレビで「懐かしのメロディー」といった番組があり、東海林太郎や三浦洸一(現在95歳!)、渡辺はま子といった往年の歌手がよく登場していました。両親は涙を流して熱心に聴き入っていましたが、少年の私はさっぱりついていけず、世代間ギャップを感じたものでした。歳をとると、今度は我々が世代間ギャップを若者たちから糾弾される番になってしまいました。

 私は洋楽派だったので、多感な時代は、ビートルズやローリング・ストーンズやレッド・ツェッペリンばかり聴いていましたが、フォークソングのブームだったので、吉田拓郎やかぐや姫なども結構聴いていました。でも、今の若者は、「四畳半フォーク」なんて、辛気臭くて絶対聴かないでしょうね(笑)。逆に言わせてもらえば、今のラップやらDJやら、我々は、とてもついていけませんが。

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 先日、久しぶりに東京・国立劇場で中村京蔵丈の舞台「フェードル」を観て、遅く帰宅したら、たまたま、天下のNHKがMISAMO(ミサモ)という三人組のガールズグループのライブショーをやっていました。勿論、見るのも聴くのも初めてです。名前から、そして顔立ちから、韓国人か中国人かと思いましたら、どうやら、韓国の9人組の多国籍グループ、TWICEの中の日本人サブユニットだということが後で分かりました。ビールを片手に少し酔って見ていましたが、「アラビアンナイト」に出て来るような、かなり性的刺激の強いダンスグループで、天下の国営放送によく出演できたなあと思ってしまいました。若い人は平気かもしれませんが、正常な性的羞恥心を害される(猥褻の定義)と言ってもいいかもしれません。それに、出演しているのが民放ではなく、NHKですからね。時代は変わったなあ、と思いました。(否定はしませんよ。皆さんと同じように、嫌いじゃありませんから=笑)

 老兵は死なず、ただ消えゆくのみ Old soldiers never die, They just fade away

 6年8カ月間、日本を占領したGHQのダグラス・マッカーサー司令官(元帥)が退任に当たって、米議会で演説した有名なフレーズです。流行について行けなくなった今、私の頭の中で、このフレーズが再三、響き渡ります。

 でも、まあ、ええじゃないか、ええじゃないか、です。今は動画サイトがありますから、無理して背伸びして若者たちに媚を売ったりせず、1960~70年代の好きなロックやボサノヴァを見たり、1950年代の黄金時代と言われた日本の全盛期の黒澤明や溝口健二や小津安二郎や成瀬巳喜男の映画を見て余生を過ごせば、それでいいじゃん。

かなりの知的労働作業?=中村京蔵 爽涼の會「フェードル」

 土曜日、久しぶりに、恐らく4年ぶりに舞台芸術を鑑賞しました。勿論、コロナのせいです。久しぶりだったせいか、その世界に没入するのが最初は大変でしたが、最後は終了するのが惜しいぐらいに感じました。

 舞台は、私の数少ない歌舞伎役者の友人である中村京蔵丈(京屋)の自主公演である爽涼の會です。今年の演目は、フランスのラシーヌの古典劇「フェードル」を翻案した同名作品(岩切正一郎訳)です。ラシーヌの原作は、ギリシャ悲劇を題材につくられていますが、京屋さんの舞台も、登場人物がアテネ王テゼ(池田努)もその妻で王妃のフェードル(中村京蔵)も、フェードルの義理の息子の禁断の恋の相手であるイポリット(須賀貴匡)も、そのまま、その名前で舞台に現れます。しかも、舞台衣装は、男性は、恐らく、日本の戦国時代と思われる甲冑姿で、女性は艶やかな和服姿ですから、和洋折衷といいますか、うーん、何と言いますか、日本人の武将が「フェードル!」などと叫ぶと、どう理解したらいいのか、正直、最初は頭の中が混乱してしまいました。

 まさに、歌舞伎でもない、新劇でもない、ギリシャ劇でもフランス古典劇でもない、21世紀の革新劇でした。

 それにしても、翻訳台本通りでしょうが、あまりにも長い台詞に驚きつつ、役者さんには少し同情してしまいました。演じる方も観る方もかなりの知的労働作業ではないかと思いました(笑)。私の左隣席の高齢の御婦人と中年の令夫人は、暗い客席で船を漕いでおられました。

 何で京屋さんが、「フェードル」を取り上げたのか、会場内で配布されたプログラムを読んでやっと理解できました。京屋さんがラシーヌの「フェードル」を知ったきっかけは三島由紀夫で、三島は、この作品を翻案して、「芙蓉露大内実記(ふようのつゆ おおうちじっき)という歌舞伎の義太夫狂言に仕立てていたというのです(三島は29歳か30歳ぐらいですから、やはり天才ですね)。これは、1955年11月に歌舞伎座で、六世中村歌右衛門と二世實川延二郎の主演で一度だけ上演されたといいます。三島は、舞台を戦国時代の大内氏による尼子攻めに設定し、フェードルを芙蓉の前、イポリットを大内晴時などとしました。京屋さんは、その舞台は観ていませんが、学生時代から三島の演劇台本を熟読していて、三島とは違うフェードルをつくりたいという構想を抱いていたといいます。

 今回、舞台に登場する人名も地名もそのまま翻訳台本のままにして、扮装を和様式にしたのは、京屋さんが1980年に日生劇場で観た蜷川幸雄演出の「NINAGAWA・マクベス」の影響だということもプログラムの中で明かしておられました。

 よく知られていますように、中村京蔵さんは国立劇場歌舞伎俳優養成所の御出身です。歌舞伎は江戸時代に始まった伝統芸能ですから、身分社会の残影から家筋が重視されております。幹部俳優とそれ以外では長くて深い溝があります。割り当てられた役に対して不満を抱く「役不足」は、歌舞伎から来た用語だという説もあります。それだけ、役は重要なのですが、歌舞伎の場合、主役は幹部俳優しか演じられない伝統があります。

 それだけに、中村京蔵さんは、毎年、自分のプロデュースと主演で自主公演を開催されているわけですから、大変な資本が掛かります(今回はクラウドファンディングを実施されました)。本当に頭が下がるといいますか、尊敬しております。

 1966年に開場された国立劇場は、今年10月で閉館して建て直しされるそうですね。私はあの校倉造り風の建物が大変好きで、まだまだ持つんじゃないかと思っていましたが、日本人はスクラップアンドビルドが大好きですからね。

 2029年秋に再開場されるという話ですが、6年後ですか!生きているかなあ?

 ちなみに、この国立劇場の辺り、江戸時代はあの渡辺崋山の田原藩の上屋敷があった所でした。渡辺崋山は蛮社の獄で蟄居を命じられ、自害した蘭学者であり、画家でもあり、私も偉人としてとても尊敬しています。特に、ドナルド・キーン著「渡辺崋山」を読んで、その人となりを知りました。画家としては、谷文晁に師事しただけあって、「鷹見泉石像」は国宝に指定されています。鷹見泉石は古河藩(現茨城県)の家老で、優れた蘭学者であり、大塩平八郎の乱を平定した人としても知られています。

🎬宮崎駿監督作品「君たちはどう生きるか」は★★★☆

 ブログを書く話題が欠乏してしまったので、命に関わる危険な暑さの中、有休を取って、久しぶりに映画館に行って来ました。

 今年3月に観た「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」が、米アカデミー賞で主要部門の作品賞を含む7部門も受賞したというのに、あまりにもつまらなくて、生涯初めて途中で席を立って退場したことをこのブログに書いたことがありました。あれ以来、トラウマになってしまい、わざわざお金を出して、映画館に行くのが怖くなってしまったこともあります。

 ですから、事前に色々と調べたり、ネットで予告編も観て、この映画なら、時間とお金を掛けて観る価値があるな、と納得してから観るようにしたら、大して観るに値する映画がなかなか現れず、その機会が一段と減少してしまったわけです(失礼!)。

 それなのに、嗚呼、それなのに。今回は、ほとんど調べたりせず、ただ話題先行だけで、観ることにしました。第一、製作者側もこの映画の宣伝を全くと言っていいぐらいしないのです。内容公開どころか、予告編もありません。辛うじて、公表されたのは(上の写真の)ポスター一枚と、全国で公開されている映画館の案内ぐらいです。

 以前、映画関係者に聞いたことがあるのですが、映画は、製作費の半分は「宣伝費」につぎ込むんだそうです。全部の公開映画がそうではないかもしれませんが、それがほぼ常識になっているようです。しかし、この映画は、宣伝費がほぼなし、ですから、かなり画期的です。

新富町

 映画は、宮崎駿監督作品、スタジオジブリ製作の「君たちはどう生きるか」です。宮崎駿監督は、2013年公開の「風立ちぬ」を最後に長編アニメ映画の製作から引退を発表しておりましたが、それを撤回して、10年ぶりに新作を手掛けたというのですから、話題にならないはずがありません。つまり、「10年ぶりの新作」「宮崎駿」「スタジオジブリ」だけで、それ以外何の告知をしなくても、十分に何十万、何百万人もの観客を呼べるわけです。

 なんて、偉そうに書いている私ですが、私は宮崎駿作品は「となりのトトロ」や「もののけ姫」など数本、ビデオかテレビで観ただけで、明らかに不勉強です(苦笑)。お子様用だと思っていたからです。宮崎作品を映画館で観たのは、10年前の「風立ちぬ」で、それが生まれて初めてでした。

 今回の新作も「風立ちぬ」と同じ、先の大戦の時代を扱っているということで、文句なしに観ることにしたのです。

 それで、内容ですが、緘口令が敷かれているわけではないと思うので、ほんの少しだけ書きます。(内容を知りたくない方は、この先は読まないでください)。時代は日中戦争が始まった昭和12年から戦後にかけての話で、ポスターになっているアオサギが、物語の重要な役割を演じたりします。東京に住む主人公の眞人少年は、母親を亡くし、父親と一緒に田舎に疎開しますが、そこで、父親が再婚する母親の妹が住む大きな屋敷に住むことになります。父親は軍需企業の経営者のような感じで、飛行機の部品などが出てくるので、疎開した舞台の田舎というのは、どうも、戦闘機を製造していた中島飛行機の工場があった群馬県太田市をモデルにしているのではないか、と思ってしまいました。

 内容は、成長する少年の亡くなった母親と、行方不明になった新しい母親探しと同時に自分探しの物語になっていますが、十分、大人の鑑賞に耐えます。ただ、個人的にはちょっと長過ぎるかなあ、と思いました。荒唐無稽過ぎる場面も多々ありました。宮崎駿監督は1941年生まれで、今年82歳ですから、映画の主人公の眞人少年より14~15歳ぐらい若いですが、当時の時代の空気を「同時代人」として吸って、自分の戦争観や人生観を主人公に投影しているような感じでした。それらは、確かにアニメでしか表現できない世界観でもありました。