コピーライターから歌人・俳人に

 一昨日24日(日)は、都内で大学の同窓会。昭和37年卒業生から令和元年院卒生まで55人も集まりました。この時季、ボージョレ・ヌーヴォー解禁に当たり、懇親会ではこれを目当てに参加される方も。

 毎回、卒業生の中で、功成り名を遂げた人の講演がありますが、今回のゲストは昭和47年卒業の吉竹純氏。講演名は「天皇陛下にお会いするまでーあるコピーライターの軌跡」でした。異様に面白いお話でしたので、私も後で大先輩の著作を購入してしまいました。

「こんな時代もあったのだ」。マイナス金利時代では信じられない。

 講演名にある通り、吉竹氏は、泣く子も黙る大手広告代理店電通の御出身でした。同氏が手掛けたカメラ会社や電気会社や石油会社や自動車会社などのコピーも紹介してもらいましたが、51歳の若さで天下の電通を退職されてしまうのです。勿体ないですね。その理由について、吉竹氏ははっきり述べませんでしたが、どうやら、独立して、作家として1本立ちする考えがあったようです。

 1989年度日本推理サスペンス大賞(新潮社主催)の最終候補作の4作の中に吉竹氏の作品「もう一度、戦争」が残ったのです。この大賞がいかに凄いかと言いますと、最終的に大賞を受賞したのが、宮部みゆきの「魔術はささやく」。 もう一人、最終候補作に残ったのが、幸田精「リヴィエラを撃て」と現在、大御所として大活躍している大作家ばかりだったのです。えっ? 幸田精を知らない?高村薫の前の筆名だったのです。 高村さんは、その翌年、「黄金を抱いて翔べ」(高村薫名義)で見事、大賞を受賞しています。

 そんな凄い賞の最終候補作に残ったのですから、吉竹氏が筆一本で人生を懸けようとしたことはよく分かります。でも、結局、サスペンス作家ではなく、短歌や俳句の短詩形の専門家になるんですんね。恐らく、広告のコピーと相似形があり、仕事の延長に近かったのかもしれません。

 そんなこんなで、吉竹氏は朝日、日経など多くの新聞に短歌や俳句を投稿しまくり、2002年に毎日歌壇賞、06年に与謝野晶子短歌文学賞、08年に読売俳壇年間賞などを受賞し、11年にはついに歌会始に入選し、天皇陛下にまで拝謁する栄誉まで得たというのです。頂点を極めたわけです。ちなみに、歌会始の入選作は、

  背丈より百葉箱の高きころ四季は静かに人と巡りき

 お題は「葉」でしたが、多くの人が、「落ち葉」や、「葉桜」などといった葉に関係する無難な言葉を選ぶだろうし、選者は読み疲れるだろう。それなら、誰も思いつかない「百葉箱」ならどうだろか、と奇をてらったところが大成功に結び付いたようです。

 先月10月30日には、「出版界の東大」(本人談)岩波新書に企画書を売り込んで、「日曜俳句入門」を刊行するという大技を成し遂げました。何にでもエビデンスを要求する岩波書店の校正の厳格さで鍛え上げられた労作だそうです。小生も感動して、1冊購入させて頂きました。帯に「こんな近くに投句のたのしさ」とあるように、吉竹氏は、ダジャレ精神に満ち溢れています。タイトルの「日曜俳句」も「日曜大工」にちなんだものだといいます。 私も片意地を張らない、そういうところが好きですね。

 コピーライターとして練り上げられた文章力です。この本が好評を博せば、続編「日曜短歌入門」も出版されるかもしれません。吉竹氏が凄いところは、彼自身がどこの結社や同人誌にも属さないで独立独歩でやっていることです。さて、読み始めますか。

🎬「決算! 忠臣蔵」は★★

 宣伝につられて、映画「決算! 忠臣蔵」を観てきました。宣伝のチラシでは、監督の中村義洋の名前が少し小さいことから、この作品は監督で売り出しているんじゃなくて、俳優で売ろうという趣旨が見え隠れします。(映画の宣伝費は、製作費と同じぐらい掛ける、と著名な映画プロデューサーから聞いたことがあります。)

 主演の大石内蔵助役が、堤真一。準主役の勘定方・矢頭長助役が岡村隆史。内蔵助の妻りく役は竹内結子、浅野内匠頭の妻瑶泉院役は石原さとみ。堤は真田広之の元付き人でアクションスター出身の俳優。岡村は、お笑いコンビ、ナインティナインのボケ役で、吉本興業所属。吉本は製作協力に名を連ねていることから、吉本のタレントが総出演という感じ。元参院議員西川きよし、桂文珍の大物までも…。

 仇討ち劇に、お笑いの人たちとは、何か違和感。

もっとも、仇討ちの剣劇場面はほとんどなく、吉良さんも登場せず、お話のほとんどが、銭カネの話。当時の1文=30円、1両=12万円と換算し、蕎麦の相場が16文だったことから、今の480円。討ち入りのためには、宿代、飯代、武具、槍、刀代などで、合計1億円近くかかる詳細内訳は、大変面白かったのですが、やはり、演ってる人たちがお笑いさんだと、違和感が…。

まるで、昭和時代の文士劇か、学芸会のようだった、と書くとこのブログも炎上するでしょうね。映画館までわざわざ足を運んで、きちんとお金を払って観た単なる一個人の感想ということで、勘弁してください。今、ブログに批判的なことを書くと殺される時代ですから、こちらも命懸けです。

 ただし、この映画の原作になった山本博文著「『忠臣蔵』の決算書」(新潮新書)は、しっかりしているようです。武士の中でも、番方(武官)と役方(文官)との間の反目が映画でもよく描かれていました。

東博「正倉院の世界」展は満杯だった

 東京・上野の東京国立博物館で開催中の「正倉院の世界 皇室がまもり伝えた美」展(読売新聞社など主催)(当日1700円)に行って来ました。

 読売新聞を読んでいないと、こんな展覧会が開催されているなんて、さっぱり分かりませんが、つまり、朝日や毎日や日経や東京や産経を読んでいてはその存在自体も知りにくいのですが、さすが、天下の読売です。その「力」で、平成館の入り口前には長蛇の列が出来ていたので、吃驚しました。

スカイツリーが見えました

20分近く並んでやっと入れました。

説明するまでもなく、正倉院とは、奈良にある聖武天皇の御遺愛品を収蔵した倉庫でしたね。今回、新天皇陛下の御即位ということで、特別に公開されることになったのです。

正倉院の原寸大(?)の模擬建造物

 恐らく廃仏毀釈のせいか、明治になって、法隆寺から皇室に献納された宝物も今回展示されていました。

 とにかく、読売新聞の力で、会場内は超満員で、展示物を飾ったガラスケースの前は、二重三重のとぐろが巻かれていました。

 宝物を見に来たのか、人間を見に来たのか、区別がつかなくなるほどです。

上の写真は、「螺鈿紫檀五弦琵琶」です。模造なので、館内で数少ない写真撮影オッケーの宝物でした。パンフレットには、11月4日までの「前期展示」と書かれているので、前期には模造ではなく、本物が展示されていたのかもしれません。(私が訪れたのは11月16日でした)

今回の展示で、私が注目した1点だけ挙げるとしたら、「蘭奢待(らんじゃたい)」(黄熟香=おうじゅくこう)です。写真はありませんが、「天下人が切望した香り」とあるように、「門外不出」どころか、本来なら触ることも厳禁だった香木ですが、3カ所だけ、くっきりと切断されて持って行かれているのです。その3カ所にはわざわざ名前が書かれていて、それは「足利義政」「織田信長」「明治天皇」だったことが分かっています。一体どんな香りだったのか、興味が湧きますね。切断された空洞は、権力の象徴に見えます。

        ◇◇◇◇◇

 人混みが大嫌いなので、本館で開催中の「文化財よ、永遠に」展に移動しました。正院院展のチケットを持っていたので、そのまま入れますが、ここだけ入るには620円の観覧料が必要です。でも、それだけの価値はありました。

 同展は、住友財団が修復した仏像が展示されていました。中には、昭和18年に日本から仏領インドシナのフランス極東学院に送られた鎌倉時代の阿弥陀如来立像(ベトナム国立歴史博物館蔵)が、75年ぶりに里帰りし、修復された姿が展示されていました。

 変な言い方ですが、私は仏像が大好きです。対面すると心が落ち着きます。大変信仰深い仏教徒とは言えないかもしれませんが、自然と手を合わせてお祈りしたくなります。やはり、自分は日本人なんだなあ、と思います。

 今さらながらですが、観音様と一言で言っても、観音様には「千手観音菩薩」「十一面観音菩薩」、それに「聖観音菩薩」「如意輪観音菩薩」など本当に色々とあります。正直、その違いと意味合いについて深く分かっていないことに気づき、ミュージアムショップで、手頃な本を探しました。

 そしたら、ありました、ありました。「仏像でめぐる日本のお寺名鑑」(廣済堂出版、1650円)です。仏像の種類について何でも書いてあり、特に国宝や重文の仏像が御本尊になっている代表的なお寺まで紹介されています。これを参考に、小生の寺社仏閣巡りに拍車をかけたいと思っています。正直、ウキウキ、ワクワクです。

?「i新聞記者 ドキュメント」は★★★★★

 やたらと無意味な殺人場面が多発するハリウッド映画「ジョーカー」を観て、ひどくウンザリし、しばらくお金と時間を費やしてまで映画館に足を運ぶ気力も失せてしまったのですが、ちょっと見逃せない映画がかかったので、山手線の新駅工事の影響でダイヤが乱れる中でも、都心まで行って来ましたよ。

 オウム真理教や佐村河内守らを題材にしたドキュメンタリーを撮った監督として知られる森達也作品「i新聞記者」です。「あなたの質問には応える必要はありません」と啖呵を切った菅官房長官との対立で一躍「時の人」となった東京新聞社会部の望月衣塑子記者の取材活動を追ったドキュメンタリーです。

 面白かった。実に面白かった、大いに笑い(特に森友の籠池夫妻との会見場面)、大いに泣いた、と先程観たばかりなので、新鮮な感覚を記録として残しておきます。恐らく、2017年辺りから2019年までに起きた同時進行的事件ー例えば、沖縄・辺野古米軍基地移転問題、森友・加計学園問題、それらに伴う安倍政権に対する忖度や前川喜平元文科省事務次官の「あったことをなかったことにするわけにはいかない」発言、表現の自由問題-などが出てきて、50年後、100年後に、未来の人はこの映画をどう観るのかなあ、と思ってしまいました。

 我々現代人にとっては、つい昨日に起きた事案で、同時代で生きてきたので、皮膚感覚で分かりますが、未来の人は、この2010年代の終わりに起きた歴史になったドタバタ劇(失礼)をどう解釈するのかなあ、とフト思ってしまったわけです。

 それにしても、主人公の望月記者は、自らのプライバシーを全開にオープンしていますねえ(屋上屋を架していますが)。フォトジェニックで、ファッションセンスも良く、まだ若いのでスクリーンのアップに耐えられますが、幼い娘さんが出てきたり、森監督の趣向なのか、旦那さんが作ったお弁当などレディなのにやたらとモノを食べる場面が多く出てきたりして、何というか身内感覚的気分になると、少々恥ずかしくなりました。

 身内感覚的恥ずかしさというのは、私自身も望月記者と同じマスコミ業界で長年禄を食んできたため、新聞記者の世界というか、記者クラブや取材現場というものを熟知しているからです。(それが、単なる錯覚にすぎないのかもしれませんが…。)私は古い人間なので、今の若い記者たちが会見場で、取材相手の顔も見ないで、一言一句漏らさぬよう、やたらとパソコンに向かって文字を打っている姿を見るにつけ、「随分時代が違うんだなあ」と感じでいます(日本だけでなくどこの国も一緒)。が、それ以上に、特に日本は、国家権力に対する忖度やら同調圧力とやらで、表現の自由が失われ、ジャーナリズムが官報と同じ御用新聞に成り下がって、危機的状況になってしまったことは、自戒も込めてヒシヒシと感じました。

 望月記者自身が「恥ずかしい」などとは思っていないのでしょうが、あそこまでプライバシーを全開してまで、森監督の要望に応えたのは、ジャーナリズムの危機を救うためには自ら犠牲になっても構わない、と開き直ったようにもみえます(本人は否定するかもしれませんが)

 恐ろしかったのは、望月記者が記者会見で菅官房長官に食ってかかって、いや、失礼、真偽を糾して、有名になってから、東京新聞編集局に匿名の男が電話で「殺してやる」と脅迫する場面(音声と字幕だけですが)が出てきたことでした。望月記者を日本を貶める北朝鮮(人)と決めつけているのです。こういった言辞は、今でも、ネットに書き込まれて、残っているようですが、私は読みません。

 これを見て、望月記者の勇気には本当に感心しました。もう、恥ずかしいなどと言ってはられないでしょう。でも、非常に気丈な人で、脅迫に怯まず、森監督は、望月記者が泣く場面を撮りたかったそうですが、見事に失敗したそうです。

 「一匹狼」で「方向音痴」の望月記者の行動力には脱帽しますね。パソコンと資料いっぱい詰め込んだガラガラの付いたボストンバッグを引きずって沖縄でもどこでも行きます。宮古島の住民の話をじっくり聞いて、建設中の自衛隊駐屯地の中にある「保管庫」が、実は「弾薬庫」だったという鮮やかなスクープは見事でした。

 繰り返しになりますが、私も長年、望月記者と同じ業界に棲んできたので、映画の中で誰か知っている人は出てこないかな、と探しました。東京新聞ですから、当然、X編集局次長が出てきてもいいはずなのに、映っていませんでしたね(笑)。そしたら、日本外国特派員協会での記者会見場で、望月記者の隣りに、皆さん御存知の朝日新聞OBのAさんがちゃっかり映っていたのです。嬉しかったですね。

 森監督はジャーナリズムの世界の人ではないので、付け加えておきますと、同じ新聞社でも政治部と社会部との内部対立や足の引っ張り合いなどエゲツない部分が昔から多かったということです。特に、マスコミ業界人は嫉妬心の塊ですから、記者が有名になると叩こうとします。「敵は本能寺にあり」てなとこでしょうか。

 

マリー・ラフォレさん追悼

WST National Gallery Copyright par Duc de Matsuoqua

フランスの女優・歌手マリー・ラフォレさんが11月3日(日)、スイスで亡くなってしまいました。享年80ですから、平均的かもしれませんが、私なんかはもう少し長生きしてもらいたかったな、というのが正直な気持ちです。

 まだ少し早いですが、私が生涯で見た数多くの映画の中で、たった1本だけ挙げろと命令されれば、私は迷わず、ルネ・クレマン監督の仏伊合作映画、アラン・ドロン主演の「太陽がいっぱい」(1960年)に決めています。マリー・ラフォレはその相手役でしたね。撮影当時20歳。お金持ちのボンボン、フィリップ(モーリス・ロネ)の恋人マルジュ役(恐らく、美術史専攻の女子大生)でした。この映画は、映画館で何十回、テレビやビデオで何十回観たか分かりません。

 人間の野心、怠惰、嫉妬、欲望のほか、貧富の格差や人生の矛盾と不条理など、ありとあらゆるものが詰まっていました。

 マリー・ラフォレの訃報は日本でも伝えられましたが、わずか数行のベタ記事で物足りなかったので、AFP(フランス通信)などの外電を読んでみました。

 知らなかったのですが、彼女の本名は Maïtena Douménach だったんですね。 芸名のマリー・ラフォレのマリーはキリスト教のマリアさまのことで、ラフォレは、森という意味です。まあ、普通の名前でしょう。でも、本名のMaïtena Douménach は、フランス人でも極めて珍しい名前です。マイテナ・ドゥーメナックと読むのでしょうか。ドゥーメナックはバスク系の名前らしいですね。

 彼女は1939年10月5日、南西部ジロンド県スラック・シュル・メール生まれ。3歳の時に近所の男に悪戯され、それがトラウマとなって、小心で引っ込み思案になってしまったということです。それを克服したいがために、わざと逆に、はけ口となるような仕事を選んだといいます。悪戯と、差し控えて訳しましたが、フランス語の原文はviol、これは強姦という意味もあります。そのことを告白したのが35年も経った38歳の時でした。それほど心の傷が重かったということです。でも、本人は「あの事件がなければ人前に出るような仕事はしなかった」と告白しています。

 アメリカナイズされた日本では、1960~70年代に輸入される音楽は英米中心でしたから、フランスの最新ポップスは、日本のメディアではそれほど多く取り上げられませんでした。(シルビー・バルタンとミシェル・ポロナレフぐらいか)彼女は35本の映画に出演していましたが、女優というより、フランス国内ではシャンソン・ポップス歌手としての方が有名だったようです。”Les Vendanges de l’amour”(「愛の収穫」)”Vien,vien” (「来て、来て」)などの大ヒット曲に恵まれましたが、一部の好事家を除き、残念ながら日本にまでは伝わって来ませんでしたね。彼女は、歌手として3500万枚のアルバムを売り上げたそうです。

 1972年には一時、歌手活動から遠ざかりましたが、作詞やエッセイなどの執筆活動を優先にし、その後、スイスのジュネーブに腰を落ち着け、画廊を経営していたというのです。スイスの国籍も取得(二重)しました。それでも、芸能活動をやめたわけではなく、舞台に復帰して、マリア・カラス役の演劇に出演したり、リサイタルを開催していました。

 驚くことに、彼女は5回も結婚し、3人の子どもに恵まれたとか。そのうちの一人が、1965年生まれの映画監督リサ・アズエロスです。「ソフィー・マルソーの秘められた出会い」(2015)「ダリダ~あまい囁き」(2017)などの監督作品があります。父親はモロッコ・ユダヤ系の実業家ジューダス・アズエロスさん。当然のことながら母と娘の関係はうまくいってなかったようです。

 私が学生時代にフランス語を専攻した理由として、映画「太陽がいっぱい」のほか、音楽はビートルズの「ミッシェル」とフランス・ギャルの「夢見るシャンソン人形」(ゲンズブール作曲)、哲学のサルトルとカミュ、印象派絵画、バルザック、フロベール、モーパッサン、ボードレール、ヴェルレーヌ、ランボーなどの影響が挙げられます。

 マリー・ラフォレを知らなかったら、あれほどフランス語の勉強に熱が入っていたかどうか分かりません。そういう意味で、彼女は私をフランスに導いてくれた恩人です。ご冥福をお祈りするとともに、感謝の意を捧げます。

 Merci Beaucoup

近代三大茶人と「佐竹本三十六歌仙絵」

 京洛先生です。

 ああたねえ、お城なんかに行って喜んでおられるようですけど、日本人の究極の趣味は、歴史的に見ても、茶ですよ、茶。そんじょそこらの100円ショップで買ってきた安物茶碗で飲む出涸らしの茶のことではなくて、茶道の茶のことです。

 道具も超々一流のものを揃えなければなりません。そもそも、茶碗は、ああたが好きな城一つが、かるーく買える曜変天目でなければいけませんなあ。茶は、せめて宇治抹茶の「天の原」。お供は上菓子屋「松寿軒」の薯蕷饅頭(笑)。お香は、中村宗匠も嗜まれる志野流。志野焼茶碗じゃありませんよ(笑)。生け花は「表」から調達してもらい、掛け軸は「佐竹本三十六歌仙絵」に決まってます。

 えっ?何?「佐竹本」を知らないとな? 旧秋田藩主佐竹侯爵家に代々伝わってきた鎌倉時代の三十六歌仙の肖像画です。えっ? 三十六歌仙も知らない? 藤原公任(きんとう)が、飛鳥時代から平安時代にかけて活躍した歌人たちの中から選んだ柿本人麻呂、小野小町、在原業平ら三十六人の歌詠みのことです。

 今、京都国立博物館で「佐竹本三十六歌仙絵と王朝の美」が開催されていることを知らないでしょう(11月24日まで)。近代三大茶人の一人、益田鈍翁(どんおう)が大正8年(1919年)12月、東京・品川の自邸「応挙館」に当代一流の茶人と財界人と古物商らを集めて、絵巻を切断してバラバラにして、籤引きで、買い手を差配したのでした。

 佐竹本は大正6年にある実業家に売却されましたが、その実業家も経営に失敗して、再び売却せざるを得なくなり、海外流出を恐れた数寄者(すきしゃ)たちが、まとめて買うには高額過ぎるため、分割購入することにしたという背景があります。

 主催者鈍翁こと益田孝は、三井物産初代社長、物産の社内誌だった「中外物価新報」が今の日本経済新聞になったことは知る人ぞ知る話。その趣味、茶の腕前は「千利休以来の大茶人」と言われるほどですよ。

 近代三茶人とは、他に、「電力の鬼」松永耳庵と横浜の生糸商、原三渓でしたね。

 著作権の関係で「佐竹本」などの写真を渓流斎ブログに掲載できないのが残念です。せめても、ということで、京都国立博物館のサイト 「佐竹本三十六歌仙絵と王朝の美」のリンクを貼っておきます。

そうそう、今、思い出しました。三十六歌仙の一人に平安時代後期に活躍した坂上是則(さかのうえのこれのり)がおります。あの坂上田村麻呂の子孫とも言われてます。

 この坂上是則を題材にして、江戸時代の浮世絵師鈴木春信が「坂上是則 障子切張」を描いているんですよね。これも知る人ぞ知る話。

 そして残念ながら、これも著作権の関係で、渓流斎ブログに写真を掲載できませんので、貼ってあるリンクをご覧ください。

中村京蔵独演会「舞踊の夕べ」=「現在道成寺」と「京鹿子娘道成寺」を鑑賞してきました

 昨晩は久しぶりに舞台を鑑賞してきました。

 歌舞伎役者では今や唯一の友人とも言える中村京蔵丈の独演会「舞踊の夕べ」です。かつて、演劇記者の頃は月に数回は訪れていた東京・半蔵門の国立劇場(小劇場)にも久しぶりに足を運びました。

 半蔵門駅からこの国立劇場に行く途中に、2メートルは超す高い塀に囲まれた広大な敷地の超豪邸がありましたが、どなたのお住まいなのでしょうか?今まで気にも留めていませんでした(笑)。近くに警察官が常時待機する駐屯所があるので、民間人ではないような、ある程度想像はつきますが…。

おっと、中村京蔵丈の舞台の話でした。演目は「現在道成寺」と「京鹿子娘道成寺」の道成寺もの二題。解説によると、「現在道成寺」は、寛延2年(1749年) 正月、江戸・中村座で中村粂太郎が長唄曲として初演されたそうです。後に、長唄から派生した荻江に移されたということで、今回も唄は、荻江。私の拙い記憶では初めてでしたが、長唄との違いが分りませんでした。

 おっと、主役は傾城清瀧役の京蔵さんでした。花道に近い私の席のすぐ近くで「京屋!」と大向こうさんが叫ぶので、一瞬びくっとしました。舞踊の振り付け、所作について知ったかぶりをしたくないのですが、一瞬、江戸時代に戻ったような風合いを感じました。

 25分間の休憩をはさんで始まったのが、歌舞伎の演目ではしばしば取り上げられる有名な「京鹿子娘道成寺」。またまた解説によると、宝暦3年(1753年)3月、江戸・中村座で初世中村富十郎が初演したといいます。「女形舞踊の最高峰」ということで、まずは、歴代幹部の血統しか主役は張れません。

 それを、師中村雀右衛門を崇拝する京蔵さんは「道行」から烏帽子を付けた「白拍子の舞」、赤の衣裳から浅葱の衣裳に代わる「町娘の踊り」、三つの笠を使った「花娘」など、最後は「鐘入り」まで、67分間、見事に白拍子花子を演じ切りました。特に、最後は、鐘の上に登って、見えを切る美しさにはぞくっときました。京蔵さんの実年齢は知ってますが、若い20歳代に見えましたよ。

 六代目(と言えば分かりますね)の曾孫の尾上右近が能力(のうりき=寺男)白雲を演じる豪華さ。観客席は満員でした。舞台が成功裡に終わって、京蔵丈も一安心でしょう。私も久しぶりに舞台を堪能しました。

?「ジョーカー」は☆

WST National Gallery Copyright par Duc de Matsuoqua 

週末の休日。「『バットマン』の最強悪役の誕生秘話」「ヴェネツィア国際映画祭最高賞(金獅子賞)受賞)」という理由だけで、何の予備知識なく、予告篇も見ないで、今話題の映画「ジョーカー」(トッド・フィリップス監督作品)を観て来ましたが、いただけませんでしたね。

 一人で観に来ていた一つ隣の席に座っていた若い女性も、後半でしたが、途中で抜け出して、戻って来ませんでした。122分も長過ぎました。私も、何度も退席したくなる誘惑に駆られました。

 コミックのフィクションの世界で、脚本は書き下ろしとはいえ、ジョーカーこと道化師アーサー・フレック(ホアンキン・フェニックス)は、地下鉄で3人を射殺し、病院で1人を殺害し、自宅アパートで1人殺して、テレビ局で1人射殺します。誰を、どんなシチュエーションで、どういう理由で?ということに関しては内容に触れるので、茲では書きませんけど、それにしても常軌を逸してます。

 製作者(プロデューサーやディレクター)と、この作品を金獅子賞に選んだヴェネツィア映画祭の審査員の気が知れませんし、この作品を観て拍手喝采を送る観客にも空恐ろしさを感じます。

 虐げられた人間に対する同情と、人の命を軽々しく扱う非道さに対するアンチテーゼがあるのかもしれませんけど、心ある人には薦められませんね。見終わっても、しばらくの間ずっと後味が悪く、「注目度ナンバーワン」とコマーシャリズムで煽る業界には暗澹たる思いで一杯になりました。

 ま、映画ですから、ここまで目くじら立てる必要はないのかもしれませんけど…。

「アビイ・ロード」50周年記念盤に関する私的考察

 僕が生まれて初めて買ったLPレコードは、ビートルズの「アビイ・ロード」です。今からちょうど50年前の1969年10月21日。今はなき、東京郊外のひばりが丘の「ひばり堂」というレコード店でした。価格は2500円、だったと思います。

 今の価格では5000円ぐらいの感覚です。まだティーンエージャーだった僕にとって、2500円はかなり高額。お小遣いを貯めていたか、父親に買ってもらったか忘れましたが、後者の可能性が高い。当時、我が家では、初めてのセパレート・ステレオ、ソニーのインテグラを買ったばかりで、レコード収集に勤しんでおりました。当時、庶民にとって高嶺の花だったこのステレオ機器は、安月給の父親が、近くの「十一屋」という漬物屋工場で、重い樽運びをするアルバイトして買ったもので、過労で倒れて救急車で運ばれたことを覚えています。

 まあ、そんな個人的な思い出は置いといて、その「アビイ・ロード」の「50周年記念エディッション」CD(2枚組=3960円)が発売されたということで、やっと昨日、東京・銀座の山野楽器で買って来ました。LPレコードは、何万、何十万回も擦り切れるほど聴いて、針が飛んでしまうほどになったので、とうの昔に処分してしまいました。1987年に発売されたCDは当然持っていましたが、2枚組の50周年記念盤にはマニア向けのトラックが収録されているので、フリークとしては買わないわけにはいきません(笑)。

 今さらの話ではありますが、アルバムのタイトルになった「アビイ・ロード」は、ロンドンにあるビートルズがレコーディングする「 EMIスタジオ 」の建物入り口前を走る道路で、4人が歩く横断歩道は世界的な観光名所になりました。私も若き頃、1979年8月にここを訪れ、写真を撮って来ました。写真が残っていたら、貼り付けましょう(笑)。(このアルバム・ジャケットから「ポール死亡説」が生まれましたが、長くなるので茲では触れません。)

ビートルズ「アビイ・ロード」

 LPレコードはA面とB面があり、A面には「カム・トゥゲザー」や「サムシング」(両方ともポールのベースラインが秀逸で、「サムシング」のリードはエリック・クラプトンが弾いているのではないか、と当初噂された)などシングルカットされた名曲ぞろい。B面は、クラシックのように、後半に前半のモチーフが再現されたり、カデンツァみたいな曲もあり、一日に何回聴いても飽きませんでした。高校時代からバンドを組み、この難しい「B面(コピー)をやろう」ということで、コピーのために、また何万回聴き直したか分かりません。

 それでいて、歌詞は何度聴いても理解できませんでした(苦笑)。特に「カム・トゥゲザー」は、ジョンが韻を踏むための単語を並べたせいか、今でもさっぱり分かりません。「ユー・ネヴァー・ギヴ・ミー・ユア・マネー」の中に出てくるstep on the gas が「ガスの上に乗る」ではなく、「アクセルを踏む」ということ、「ミーン・ミスター・マスタード」に出てくるgo-getter が「やり手」という意味だと分かったのは、聴き始めてから30年以上経ってからでした。

  「ユー・ネヴァー・ギヴ・ミー・ユア・マネー」 が終わって、「サン・キング」に入る直前に鈴虫が鳴く声のような音が聴こえます。アルバムを買ったばかりの時はちょうど秋だったので、外で本当に虫が鳴いていると錯覚した覚えがあります。

 「アビイ・ロード」にまつわる話となると、一晩かかってしまいますが、最後に付け加えておかなければならないのは、この「50周年エディッション」が49年252日ぶりに全英アルバムチャートで1位に復帰したというニュースです。(英国では1969年9月26日にリリースされ、アルバム・チャートでは17週連続で1位、米ビルボードのアルバム・チャートでは11週連続で1位を獲得)今では、音楽の聴き方がネット配信時代になり、レコードが売れなくなったとはいえ、信じられませんね。

 このCDのリーフレットによると、ビートルズの4人が勢ぞろいするのは、「アビイ・ロード」のマスター・テープ編集をするために行われた1969年8月20日夜のセッションが最後だったといいます。ビートルズは、翌1970年に解散し、アルバム「レット・イット・ビー」が発売されますが、このレコーディングは1969年1月に行われたものでした。事実上、「アビイ・ロード」がビートルズ最期のアルバムとなり、この時、ジョン・レノン28歳、ポール・マッカートニー27歳、ジョージ・ハリスン26歳、リンゴ・スター29歳という若さでした。髭を生やして随分お爺さんに見えましたが、まだ全員20代だったんですね。

 20代にして既に歴史の残る偉業を成し遂げた彼らは、まさに天才でした。

【後記】

 50周年記念盤をじっくり聴いてみましたが、駄目ですね。がっかりしました。

 ジョージ・マーチンの息子のジャイルズらがリミックスしてますが、昔のオリジナルを台無しにしています。特に、「ユー・ネヴァ・ギヴ・ミー・ユア・マネー」は、1969年発売のオリジナル盤では、ポールのヴォーカルが、右から中央、左へと移って行き、「ステレオ」としての醍醐味を感じたものでした。これは、何も手を入れていない1987年発売のCD盤でも踏襲されましたが、50周年記念盤では、ポールのヴォーカルを中央で固定してしまって、本当に興醒めです。また、無駄なリードとして音源を落としていたギターのフレーズを大きく復活して、余計な音に感じます。

 いやあ、もうこの50周年記念盤は、愛聴しないでしょう。ポールはともかく、ジョン・レノンがこんなリミックスを聴いたら、絶対怒るでしょう。

映画「真実」は★★★

WST National Gallery Copyright par Duc de Matsuoqua

台風19号の影響で東日本で甚大な被害を受けているので、この3連休は、城歩きなどは自粛しましたが、映画を観に行ってしまいました。

  カンヌ映画祭で「万引き家族」がパルムドールを受賞した是枝裕和監督の最新作「真実」です。フランスの大女優カトリーヌ・ドヌーブ主演という話題作なので、観に行ったわけです。

 大変期待して行ったので、ちょっと厳しい採点になっています。ドヌーブ演じる大女優ファビエンヌが自伝を出版し、ニューヨークに住む脚本家の娘リュミエール( ジュリエット・ビノシュ )が、テレビ俳優の夫ハンク(イーサン・ホークス)と娘と一緒にお祝いに駆けつけますが、自伝に書かれていることは嘘だらけで、娘が憤慨する…といった内容は、結構明かされているので、私も書いちゃいました(笑)。

 この映画自体の主人公が映画俳優で、映画を撮影する場面が何回も出てきて、その出演映画作品がきっかけで、母と娘が和解するような方向になっていく、といったちょっとした仕掛けがマトリョーシカの「入れ子」のようになっていて、大女優ファビエンヌがドヌーブに重なって、何が何だかよく分からなくなってしまいます。名匠フランソワ・トリュフォー監督の「アメリカの夜」(1974年日本公開)という作品も、舞台が映画スタジオで、俳優が俳優役を演じるわけの分からない作品でしたから、この映画を思い出しました。

 「真実」は、日本人が撮った作品で、言葉はフランス語と英語(ビノシュは見事な英語使いでした)という今の時代ならではの作品ですが、全く違和感がなかった、と同時に、日本人ならでは、といった特徴もあまり見受けられませんでしたね。つまり、「万引き家族」のようなエグさやアクの強さ、良い意味でのいやらしさがないんですね、「真実」には。

 グローバリズムの悪影響でしょうか(笑)。ベネチア映画祭でグランプリを逃したのも、しょうがないなあ、と思いました。

 つまり、是枝監督は「万引き家族」では、年金詐欺、擬似家族といった極めて日本的(ドメスティック)な問題を普遍的な問題に昇華して、世界から共感を得たのに対して、「真実」は最初から普遍的な問題が露わになってしまった感があり、それが逆に共感にまで昇華しなかったのではないか。そう思ったわけです。