ジョン・レノンの靴が有名なテニス・シューズだったとは!

 皆様、御案内の通り、小生はビートルズ・フリーク、特にジョン・レノンのファンなのですが、先日の読売新聞夕刊に出ていたジョン・レノンの靴の話は、知らなかったので、とても興奮して読んでしまいました。

 ビートルズ最後の録音アルバム「アビイ・ロード」は、世界で最も有名なジャケットの一つです。英ロンドンのアビイ・ロード・EMIスタジオの前の横断歩道をビートルズの4人が歩いているカットです。あたしも若い頃、わざわざ現場に行って横断歩道を歩きました(笑)。先頭のジョンは、純白の上下スーツに白いスニーカー(運動靴)。2番目のリンゴは、黒いスーツに黒い革靴。3番目のポールは、濃紺の上下スーツに裸足。4番目のジョージは、上下紺のデニムにクリーム色の靴というイデタチです。

 「アビイ・ロード」は、日本では1969年10月21日に発売されました。確か2500円。父親に買ってもらいました。あれから50年ですか…。もう半世紀も大昔になるとは!レコードですから、針で擦り切れるほど、ソニーのインテグラという当時発売されたばかりのコンポーネント・ステレオで何度も何度も飽きずに聴いたものです。

当時、「ポール死亡説」が流れ、このアルバムのジャケットでポールが裸足で、後ろに写っている車(VWビートル)のナンバーに「26IF」とあったことから、「もしポールが生きていたら26歳だった」とこじつけられたり、先頭のジョンは牧師、リンゴは会葬者、ジョージは墓堀人の象徴と言われたりしました。

今回は、その話ではなく、ジョンの白いスニーカーの話でした。この運動靴、ただの運動靴ではなく、フランス・パリで1936年に創業されたスプリング・コートというブランドの「G2クラシック・キャンバス」というテニス・シューズだったのです。宣伝文句によると、「シンプルなデザインで、バネのように跳ねる履き心地と機能」を持つそうな。

 テニスの四大トーナメントの一つ、全仏オープン(1891年スタート)はクレイコート(赤土)ですから、そのコートに合うように開発された靴でした。

 もちろん、ジョンはその履き心地の良さと機能性を知って買ったことでしょう。何となく嬉しくなってしまいました。

 インナーに特殊クッションがあり、靴底はラバー(ゴム)。1965年に発売されたビートルズの6枚目のアルバム「ラバー・ソウル」(「ミッシェル」「ガール」など収録)は、「ゴムのようなソウル・ミュージック」rubber soulと、「ゴム底靴」rubber soleを掛けたタイトルでしたから、ジョンはもうその頃からこの靴を愛用していたかもしれない、というのは考え過ぎなんでしょうね(笑)。

 1969年1月30日のいわゆる「ルーフ・バルコニー・セッション」(映画「レット・イット・ビー」で公開)でも、ジョンは白っぽいスニーカーを履いておりますが、これもスプリング・コートだったのかどうかは不明です。

ちなみに、日本では2015年からカメイ・プロアクトが総代理店契約を結んでいるそうで、価格は1万800円ぐらいで販売されているようです。いや、別に宣伝するために書いたわけではなく、この会社をよく知っていたので驚いてしまったからです。私の親族が一昨年、この会社に入社しましたが、理由があって、1年も経たないうちに辞めてしまったのです。銀座にも直営店舗があるので見に行ったりしました。どんな会社なのか調べたりもしました。

 何か、色んな繋がりがあったので、ついつい興奮して書いてしまいました。

「奇想の系譜展」と「国風盆栽展」を見て来ました

 昨日の建国記念日の祝日は、ほんの少し小雪がちらつく寒い中、東京・上野の東京都美術館で開催中の「奇想の系譜展」(日経・NHK主催)を観に行ってきました。(当日券1600円、前売り券1400円)

 目玉は、空前のブームが続いている伊藤若冲ですから、寒い戸外に延々と行列が出来て待たされるんじゃないかと覚悟して行ったのですが、寒さのお蔭で人が少なく、逆に並ばずにスッと入ることができました。ただ、絵画の前は三重ぐらいの人だかりでしたけど、私は背が高いので十分に見られました。

 美術史家の辻惟雄氏が1970年に出版した「奇想の系譜」で紹介した岩佐又兵衛、狩野山雪、伊藤若冲、曽我蕭白、長沢芦雪、歌川国芳の6人のほか、白隠慧鶴と鈴木其一を加えた8人の画家の展覧会でした。恐らく、1970年の時点で、琳派の鈴木其一を除いて、全員の画家を知っていた人は、専門家以外はほとんどいなかったのではないでしょうか。

 私も、空前のブームに則って、伊藤若冲は結構、拝見したのですが、今回展示されていた作品は、お初にお目にかかるものが多かったでした。(初公開もあり)若冲といえば、雄鶏ですが、「旭日鳳凰図」なんかも見事と言いようがないほど素晴らしかったですね。

 白隠、芦雪、蕭白らはかつての展覧会で結構見たことがあったのですが、岩佐又兵衛(1578~1650)は、私の記憶では、生まれて初めてかもしれません。又兵衛は、織田信長に謀反を起こして滅ぼされた有名な戦国武将荒木村重の子息だったとは知りませんでしたね。どんな絵具を使っていたのか、詳細は知りませんが、とても350年も昔に描かれたとは思えないほど色鮮やかで、描写も非常にリアルです。「山中常盤物語絵巻」(重文=MOA美術館蔵)では、かなり残酷な場面も淡々と描かれています。特に気に入ったのは六曲一双の「豊国祭礼図屏風」(重文=徳川美術館蔵)で、武士から僧侶、町人、農民に至るまで何百人も登場し、一人一人の表情も豊かで、その細かさには圧倒されました。

 著作権の関係で、この屏風絵の画像のリンクも貼れないので、ご興味を持たれた方は、展覧会に足を運ぶか、画像検索して見てみてください。腰を抜かしますよ(笑)。

 さて、これで帰るつもりだったのですが、前夜、京洛先生から電話があり、「もし、東京都美術館に行かれるのでしたら、そこでやっている盆栽展も観に行かなければいけませんよ。画竜点睛を欠くといいますからね」との極秘情報が齎されました(笑)。

 盆栽なら、以前、さいたま市大宮の盆栽博物館にも行って、さんざん見てきたことでしたので、敢えて見たいとは思わなかったのですが、京洛先生は「今回は、一般庶民が滅多に見られない盆栽が展示されていますから、この機会を逃してはいけませんよ」と例のニヤニヤ笑いを浮かべて仄めかすのです。(電話で顔は見えませんが、テレパシーで見えました)そこで、「奇想の系譜展」の隣りの会場で開催されていた「第93回国風盆栽展」にも1000円の入場料を支払って、覗いてきましたよ。

 世の中、熱心な盆栽ファンがいるもので、結構、人で混んでいました。

 大宮の盆栽は、黒松や五葉松など、松が多かったのですが、この展覧会は、今が旬の梅や桜までありました。全国から「入選」を懸けて150点以上が出品されていました。

 「奇想の系譜展」では、ほとんど日本人か、あとは中国、台湾、韓国人ぐらいでしたが、「盆栽展」の方は欧米人が多いので驚きました。特に、スペイン語を多く聞きました。

 さて、京洛先生が仰っていた「庶民が滅多に見られない盆栽」とは何かと思ったら、宮内庁所有の盆栽でした。樹齢180年の黒松だとか。天皇・皇后両陛下が毎日のように御覧になっている盆栽でした。平成最後ということで、特別出品でした。 

平成最後の年に宮内庁から出品

 国風展は、戦前の 昭和9年(1934)3月に東京府美術館(現在の東京都美術館)で、第1回盆栽展が開かれたということで、今年で93回目。結構歴史がある展覧会だったのですね。

 今では日本人より、海外の人の方がよく知るようになり、こうして、はるばると「奇想の系譜展」は見向きもせずに、ただ只管、盆栽を目指してやって来ることが分かりました。背がスラリとした北欧系と見られる亜麻色の髪の乙女が父親と見られる人と一緒に来場していて、熱心に盆栽を見ているのを見て、ちょっと感動してしまいました。

 狭い通路ですれ違ったので、彼女に一礼したら、ニコッと挨拶を返してくれたので、年甲斐もなくドキッとしてしまいました(笑)。せめて、「何処のお国からいらしたのですか」ぐらい聞いておけばよかったと思いました。

「私は、マリア・カラス」は★★★★

 映画「私は、マリア・カラス」(トム・ヴォルフ監督)を観てきました。彼女が出演した過去の公演フィルムや本人のテレビ・インタビューなどを繋げて編集したドキュメンタリー映画でしたが、見終わって、哀しい気持ちになりました。

 マリア・カラス(1923~77)は、説明するまでもなくオペラ歌手で、「世紀のディーバ」「20世紀最高のソプラノ歌手」などと称賛される一方、「気位が高い」「気分屋ですぐ公演をキャンセルする」などの悪評もあり、毀誉褒貶の多い人だった気がします。

 私の親の世代なので、彼女の現役時代は、ちょうど私が子どもの頃から大学生の頃だったので、海運王オナシスとのスキャンダルなども極東に住む異国の子どもの耳に入っておりました。でも、まだ53歳の若さでパリで急死したことは、私は大学生だったのに、フォローしていなくて、あまり覚えていないんですよね。

莫大な富と揺るぎのない名声を獲得しても、あっけないものです。いずれにせよ、若い頃はオペラ鑑賞など高くて観に行けるわけがなく、レコードも高くて手に届きませんでした。つまり、マリア・カラスの名声だけは聞こえてきても、私にとっては雲の上のそのまた上の存在で、たまに、NHK-FMラジオで、彼女のアリアを聴くぐらいでした。

 でも、この映画を観て、初めて彼女の苦悩が分かりました。ドタキャンも、心因性にせよ、身体性にしろ、体調不良でまともに声が出なくなったことが原因だったらしく、事情を知らない音楽記者や評論家らの非難や激しいバッシングに彼女はどんなに心に傷を負って、耐えてきただろうかと同情してしまいました。

 人間ですから当然かもしれませんが、若い頃から中年、壮年になるにつれて、まるで別人のように彼女の人相がどんどん変わっていくのには驚かされました。晩年になり、高音域がだんだん出にくくなって、発声練習に時間を掛けなくてはならなくなった焦りみたいなものまで顔に表れていました。

 彼女は確かに天才でしたが、この映画を観ると、芸術家というものは何と不幸なんだろう、と思ってしまいました。こうして、彼女の暗い面ばかり見てしまいましたが、「トスカ」の「歌に生き、恋に生き」にせよ、「ジャンニ・スキッキ」の「私のお父さん」にせよ、映像を見ただけでも彼女の最盛期の歌声はまさに比類なきもので、その巧さは空前絶後という感じがしました。それだけが唯一の救いといえば、救いでした。

文楽初春公演と初戎

明けましておめでとう御座います。大阪の難波先生です。昨日は「10日えび(戎)」でした。関東よりも関西、京阪神の方が賑やかですね。もしかして、関西以外の日本人は知らないかもしれません。

ところで、不肖は新年1月7日(月)に国立文楽劇場に初春公演を見てきましたが、今年は文楽の人形芝居もさることながら、「10日戎」の前触れを味わうこともできました。

 10日付の、関西の各紙夕刊は全国の恵比寿神社の総本社で、西宮市内にある「西宮神社」での、参拝の一番乗りを競う「福男」の神事を写真入りで大きく報じています。

 早朝6時の開門と同時に、全力疾走して一番乗りを競う神事で、今年の「一番福」は広島県福山市から来た22歳の消防士だったそうです。5000人が参加したということですが、昔から商いが盛んな京阪神は、七福神で商売繁盛の「恵比寿さん」信仰が盛んです。皆さん、福笹を買いに神社に出かけますね。

 ちなみに、七福神の中で、恵比寿さんだけが日本の神さまで、残りの六福神は、インドか中国の神さまです。

Copyright par Namva-sensei

 上の写真は「国立文楽劇場」のロビーに飾られた今宮神社の宝恵籠行列に参加する蓮台とその案内です。この蓮台に人形遣いの豊松清十郎と文楽人形が乗って、この行列に参加するわけで、その前触れの宣伝です。賑やかに宝恵籠行列が繰り広げられたと思います。

また、恵比寿さんと言えば「鯛」ですが、やはりロビーに近所の「黒門市場」から贈られた大きな、立派な睨み鯛がデーンとおかれていました。凄いでしょう(笑)。


Copyright par Namva-sensei

「初戎」は各神社とも1月8日から始まり12日まで5日間、賑やかに開かれます。

何処も「宝恵籠行列」やいろいろな行事が繰り広げられます。

ちなみに、関西では「三大恵比寿神社」とは、兵庫県の西宮神社、大阪の今宮神社、京都の恵比寿神社のことを指します。

大阪の今宮神社は、船乗り込みや、ミナミの繁華街を歌舞伎役者、落語家、芸能人が加わった宝恵籠行列が繰り出したりします。

京都の恵比寿神社は祇園にあるので、舞妓さんの福笹授与などがあり、其々その土地柄が滲み出ます。

以上 本年も宜しく御願い申し上げます。

10年ぶりに旧友と再会できました

 今年のお正月の初詣は、自宅近くと実家近くなど3社もお参りしてきました。そのうち、自宅近くで引いたおみくじは「小吉」。吉だから良かったと思って、読んでみたら、「過信禁物」だの、「慎重に行動せよ」だの、「謙虚になれ」だのと、まるで「凶」に近いようなお達しを受けてしまいました(苦笑)。

 さて、1月5日の土曜日のことでしたが、都内某所で、実に10年ぶりに旧友の上森君と再会することができました。

 何でそれまで会わなかったのかについては、すべて向こうの都合でした。こちらが一生懸命に会う機会をつくっても、当日の朝になって急に、電話が掛かってきたり、メールが来たりして、色々な理由でドタキャンになってしまうのでした。その理由とは、自分自身の体調不良やインフルエンザ、親戚の病気見舞い、家族の急病、その他諸々です。

バルセロナ・サグラダファミリア教会

 10年間会わなかったということは、その驚異のドタキャンが5回や10回どころか、50回ぐらいはあったということです(笑)。これだけドタキャンが続けば、普通なら呆れて諦めますね。「何か、自分は悪いことでもしたのだろうか」などと猜疑心も起こります。でも、私は辛抱強く連絡を取り続けました。が、とうとう限界が来ました。昨年になってもうすっかり冷めてしまったのです。「もういいや。やめにしよう。いくら約束してもドタキャンされる。彼とはもうこのまま一生会うことはないだろう」と心の中で決めました。他の友人たちの中には、彼のことを「引き籠り」だの「対人恐怖症になった」と言う者もおりました。

 一番気の置けない友人なのに、しかも、仕事でもなく、ただ遊びで会うだけなのに、理由がさっぱり分かりませんでした。彼に余程の事情があるのだったら、もう無理強いする必要はないのではないか、と諦めたのでした。

バルセロナ市街

 それが、昨年末から急に潮目が変わってきました。ようやく、彼の口からプライベートな悩みについてほんの少しずつだけ打ち明けてくれるようになったのです。その中でも最大の肝になっている家族が抱えている借金問題の核心についてまで告白してくれたのです。

そのことについて話したせいか、彼は、今度、彼の自宅近くの居酒屋兼レストランで会ってもいいという話になったのです。勿論、もう50回もドタキャンされ続けてきたので、どうせ今回も直前になって連絡してきてドタキャンするのだろう、と覚悟していました。

 そしたら、珍しく、当日朝になっても電話もメールもないのです。彼の自宅近くまで、電車とバスを乗り継ぎましたが、車内でも半信半疑でした。

このブログの1月3日にも「今年は個人的にも色々ありそうで、旧友との交際が復活しそうだ」といったようなことを書きましたが、長らく音信不通だった根岸君と連絡が取れるようになったことに続いて、やっと上森君とも再会することができたのです。

バルセロナ・サグラダファミリア教会

10年ぶりに再会した彼はすっかり、顔の筋肉が弛み、色白で、やつれてしまっておりました。自身が病気を抱えているせいもありますが、ほとんど運動どころか歩いたりもしていないので、脚力は衰え、お婆さんのように、小さな簡易乳母車のようなものを曳いてやって来ました。

居酒屋兼レストランで、ビールやワインを飲みながら3時間ぐらい話をしたでしょうか。上森君は、自身の病気と親の介護、そして莫大な借金という三重苦を抱えて地獄の苦しみだという話を告白してくれました。特に、莫大な借金については、親御さんが認知症になる寸前に契約してしまった甘い投資話で、養護施設に投資すれば、社会貢献にもなり、1年で最低10%の還元もでき、一石二鳥だという神奈川県藤沢市の詐欺師に騙されたというのです。

冷静に考えれば、今時、マイナスの低金利時代、10%のリターンなど、ほとんどありえる話ではなく、本当に冷静に考えれば、そんな詐欺話に引っかかることはないのですが、親御さんは認知症気味で判断力も落ち、口八丁手八丁の男に騙されてしまったというのです。当然ながら、民事裁判にもなったらしいのですが、結局、昨年、彼の親御さんの方が敗北してしまったようでした。

バルセロナ市街

まあ、こういうイザコザを抱えていたので、彼も水臭いですが、友人と会う気がしなかったのかもしれません。こちらも、カルロス・ゴーンではないので、彼の親御さんの借金の肩代わりをすることを出来るわけでもなく、黙って話を聞いてあげるしかありませんでした。

上森君とは高校時代のバンド仲間で、一緒にビートルズの曲などを演奏したり、酒を飲んだりして楽しんでいた仲でした。そのビートルズですが、彼らがロンドン・アップル本社の屋上で、バンドとして最期のライブ演奏した「ゲットバック・セッション」(この模様は、翌1970年公開の映画「レット・イット・ビー」で披露されました)が行われたのが、1969年1月30日のことでした。ということは、あれから、ちょうど50年、半世紀もの歳月が流れたわけですね。

えーーー、本当かあ???です。半世紀なんてあっという間だったんですね。同時代を生きてきて、その時間の流れの速さに圧倒されるとともに、全く信じられない気持ちです。「10年ひと昔」と言い、上森君とも10年ぶりに再会しましたが、この10年も一瞬前の出来事のように速かった気がします。

 私自身もこの10年の間、大病したりして色んな事がありましたが、時の流れの速さには今さらながら、驚愕せざるを得ませんでした。

「ボヘミアン・ラプソディ」は★★★★★

 久し振りに映画を観てきました。伝説のバンド、クイーンの「ボヘミアン・ラプソディ」(ブライアン・シンガー監督作品)です。

当初は全く観るつもりはなかったのですが、あまりにも話題が先行したため、つい、観ざるを得なくなってしまったのです。それに、やっと昨日、仕事納めで解放され、気晴らしに映画でも観ようかと思ったら、ほとんどお子ちゃま向けで、他に観るのがなかったからでした(苦笑)。

 なぜ、クイーンの映画を最初観るつもりはなかったのかと言いますと、その理由の第一が、クイーンは、1970年代、私が学生の頃に全盛期だったため、新譜が出る度にLPレコード(CDさえなかった)を買い集めて熱中したからでした。1974年頃に、ラジオで「キラー・クイーン」を初めて聴いて、「何て、洗練された面白い曲なんだ」と感動してすっかりファンになってしまいました。この曲は、彼らの3枚目のアルバム「シアー・ハート・アタック」に入ってましたから、それ以降の新譜を発売の度に買っていたのですが、その前の彼らの2枚目のアルバム「クイーンⅡ」は、大学の同級生の熱烈なファンの女の子から借りたことを思い出しました。(その後、CDを買い揃えましたが)

 さすがに、バンドでコピーするのはとてもレベルが高すぎて、あのフレディ・マーキュリーの美声は誰にも真似できるものではなかったでしたね。

だから、ドキュメンタリーならともかく、どんなそっくりさんが演じようが、作り物の映画は観る気がしなかったのです。フレディがバイセクシュアルで、最期にエイズで45歳の若さで亡くなってしまう「物語」は、同時代人として共有してきましたし、当時の私は、クイーンに関しては音楽誌や評伝なども読んでましたから、自分の知らない物珍しい話などないと思ったからでした。それは、ブライアン・メイのギターは手作りのカスタムメイドだといった類の話ですが、随分傲岸不遜でしたね(苦笑)。

富士山 Copyright par Duc de Matsuoqua

 しかし、観た途端、すっかり40数年前の昔の若い頃に戻ってしまい、鳥肌が立って、年甲斐もなく感涙してしまいました。映画では、フレディ・マーキュリーを中心に回ってましたが、フレディ役のエジプト系米国人俳優ラミ・マレックがなかなか健闘し、魂が入ってましたね。もう、そっくりさんとは言わせないとばかりの迫真の演技で、フレディ本人にさえ見えてきてしまいました。

スペイン・バルセロナ・サグラダファミリア教会

大変失礼致しました。クイーンを全く知らない若い世代が競って観ているというのは、やはり、時代を超えた共通の何かがあり、映画作品としても完成度が高かったということなんでしょうね。

でも、最後まで見てて、辛くなってしまいましたね。フレディは、若い頃から容姿で「パキスタン野郎」と差別され、何と孤独で不幸だったんだ、と単純に思ってしまいました。それが、スーパースターになってしまった代償だとすれば、あまりにも厳しくて切ない話です。

家に帰って、手元にあったクイーンのアルバムを久しぶりに聴きまくりました。最近は、落ち着いたベートーベンの弦楽四重奏曲ばかり聴いていたので、ロックはもう重くて聴けなくなっていたのですが、映画を観たせいで、激しいリズムとビートが心の奥深くに染み渡ってしまいました。

来年1月から東博で開催される「顔真卿展」は見ものです

スペイン・コルドバ

 こんにちは、奈良の西大寺先生です。今発売中の「芸術新潮」誌12月号を読まれましたか?

来年2019年に開催される美術展を同誌が推薦しています。このうち、新年、第一の見ものは、1月16日から上野の東京国立博物館で開催される「顔真卿展」だ、としています。

台湾の「国立故宮博物」に出かけても見られない、という秘宝が、東博に「出開帳」されるわけですね(笑)。

東博の展覧会の案内は、以下の通りになっております。

「中国の歴史上、東晋時代(317–420)と唐時代(618–907)は書法が最高潮に到達しました。書聖・王羲之(おうぎし303–361)が活躍した東晋時代に続いて、唐時代には虞世南(ぐせいなん)、欧陽詢(おうようじゅん)、褚遂良(ちょすいりょう)ら初唐の三大家が楷書の典型を完成させました。そして顔真卿(がんしんけい、709–785)は三大家の伝統を継承しながら、顔法と称される特異な筆法を創出します。王羲之や初唐の三大家とは異なる美意識のもとにつちかわれた顔真卿の書は、後世にきわめて大きな影響を与えました。


本展は、書の普遍的な美しさを法則化した唐時代に焦点をあて、顔真卿の人物や書の本質に迫ります。また、後世や日本に与えた影響にも目を向け、唐時代の書の果たした役割を検証します。」(以上、東博のホームページより)

どうですか。新年、必見の展覧会ですね。貴人も覗かれるとよいでしょう。

また、「芸術新潮」12月号には、2017年10月から今年10月の一年間の展覧会の入場者の多かった「美術展」も載せています。

一位は、貴人も行かれた京都国立博物館で開催された「国宝」展で62万4493人だそうです。これに次いで60万人を超えた美術展は、森美術館での「アンドロ・エルリッヒ」展の61万4411人。続いて東京国立博物館の「運慶展」の60万439人です。詳しくは、同誌をご覧になるとよいでしょう。

「藝術新潮」は毎号、目を通さないと駄目だめですよ。

スペイン・コルドバ

えっ?何? 私が新潮社の回し者ですって?

いやいや、最近、極左老人向けの「新潮65」が廃刊したばかりですから、少しぐらい新潮社を応援してあげたっていいじゃないですか。

許してたもれ。

奈良国博の「正倉院展」と興福寺は大賑わい

お久しぶりです、大和先生です。

先月10月27日から始まった奈良国立博物館の第70回「正倉院展」は、例年通り大変な賑わいです。

会期は今月12日までですが、おそらく今週末は、紅葉見物も重なりえらい混雑をすると思い、今日(7日)午後、会場を覗いてきましたが、10分程度並んでスイスイ入場できました。

それでもやはり館内はえらい混雑でしたね。

いつもながら、館内の写真撮影は出来ませんので、肝心の展示物は、NHKテレビの美術番組や「読売新聞」(特別協力)紙上でご覧になるとよいでしょう。いつもながら、陳列品で人気のあるのは色艶やかな宝物です。色のついた宝物の前は人だかりで、案内人が「後の方もご覧になるので、スムースに前に進んでください!」といくら言っても、じっと動かず、どうにもなりませんね。

逆に、地味な、文書類の展示品の前は人だかりは少なく、空いていて割とゆっくり見られました。大衆は「色物」に弱いことがよく分かります(笑)。

いくつか、注目されている宝物の中で、緑色に白い斑点、黄色の十字の文様の陶製の「磁鼓(じこ)」の前は、やはり人だかりが多かったですね。奈良時代に奈良で作られた「奈良三彩」と呼ばれる「鼓(つつみ)」です。当時、両側に革を張って使っていたと言われていますが、どんな音なのか聞きたくなりました。

また、朝鮮半島の民族楽器「新羅琴(しらぎこと)」も出ていました。こちらは、伽耶の国で作られた琴ですが、弦は12本、これまた、当時の貴族で、歌舞音曲の腕達者が優雅に奏でていたのだと思います。

平成最後の「正倉院展」ですが、今年は南倉(東大寺の儀式関係品)、中倉(役所の書類、武器など)、北倉(聖武天皇、光明皇后皇后の遺品)の三倉から、宝物56件が出展されています。

同じ奈良公園のそばの「興福寺」は10月7日から11日まで「中金堂落慶法要」が終わったところですが、こちらも特別公開されていて、平日ながら、拝観者で賑わっています。

藤原不比等が710年(和銅3年)に建立、その後7回も焼失、再建を繰り返してきましたが、江戸時代の文政2年(1819年)からは仮堂でしのいできて、今年10月、301年ぶりに再建されたわけです。

以上 大和先生でした。

映画「華氏119」は★★

一昨日11月3日(祝日)に鎌倉に行ったら、川崎駅の工事で東海道線の東京~横浜間が不通でしたが、今度は4日(日)に自宅近くの映画館に自転車で行ったら、私に何ら断りもなく(笑)、国際的なロードレース開催とやらで、道が塞がれ、迂回せざるを得なくなり、普段なら20分ぐらいのところが40分も掛かり、危うく上演時間に遅れるところでした。

マイケル・ムーア監督作品「華氏119」をどうしても見たかったのです。事前にただで見た新聞社の論説委員や編集委員さんらが書く文章を読んでも評判が良く、何しろ、11月6日の米中間選挙の投票前に影響を与えようという野心がいっぱいの映画らしかったのです。でも、観終わって、いや、途中から、何か、気持ちが荒むような、いやあな印象を受けてしまいました。

気になった一つは、ムーア監督が描く、そして最後まで強調するヒラリー候補の民主党=リベラル、自由主義、善で、トランプ大統領の共和党=保守、銃規制反対、大企業優先による多額の寄付、悪、という単純な図式です。

そんなに、共和党のトランプ氏がとんでもない独裁者の悪党で(ヒトラーになぞらえて、そういう描き方をしてましたが)、ムーア監督が応援する民主党が善でバラ色の社会を築いてくれる政党だというのでしょうか。

確かに、トランプ氏にはスキャンダルが多く、自分の実の娘同伴でテレビに出演して性的な話題をしたりして、不快を超えた嘔吐感しか残らないような唾棄すべき人物かもしれませんが、民主党のヒラリー候補だって、講演会で65万ドルもの超大金を提示されたりする特権階級で、貧困層の痛みも悩みも分からないのです。

民主党大統領候補として「社会主義者」のサンダース氏が、投票数ではヒラリー候補を上回ったというのに、最終的にはどういうわけか、民主党はヒラリー氏を候補に選ぶような不可解な政党でした。

第一、民主党というのは、リベラルでも善でも、平和主義者でも何でもなく、日本人としては、市民を無差別大虐殺したカーティス・ルメイ将軍による東京など日本の各都市大空襲にゴーサインをしたのは民主党のルーズベルト大統領であり、何と言っても、広島と長崎への原爆投下を最終承認したのも民主党のトルーマン大統領だったことをよく覚えているのです。

このドキュメンタリー映画で、かなりの時間を割いて「報道」しているのは、ムーア監督の出身地元であるミシガン州フリントで起きた水質汚染問題でした。

ここで、2010年にミシガン州知事に当選した、トランプ氏とは古くからの友人であるスナイダー氏を槍玉に挙げています。ムーア監督の描き方によると、スナイダー知事は、自己の金儲けのために、民営の水道水を開設したところ、その水に鉛が含まれており、多くの子どもや住民に被害が及んだというのです。被害者の多くは、黒人が多くすむ貧困層の住宅街です。日本の水俣病かイタイイタイ病みたいなものです。それなのに、スナイダー知事は大企業のGMに対しては、汚染されていない綺麗な水を配給したりするのです。

大問題となり、当時の民主党のオバマ大統領が「慰問」にフリントまでやって来ますが、水道水の安全宣言をするために、コップの水を飲むふりをして、ただ口を付けただけのパフォーマンスをしただけだったので、逆に地元民の反感と失望をかってしまいます。

途中で観ていて嫌になってしまったのは、このようなレベルの米国の政治システムが、世界中に、特に日本にも多大な影響を与えながら、投票権のない部外者は、黙って見ているしかないという歯がゆさだったかもしれません。

加藤画伯と鎌倉でスペイン談義

3日(土)は文化の日。前夜、東銀座の大伽藍での懇親会に参加しました。

全部で22人も参加し、本当に久し振り、10年ぶりぐらいの方とも再会したため、しこたま呑んでしまい、翌日は大誤算の二日酔い。もう1週間は、酒の顔を見たくないほどです(笑)。

何を話したのか、細かいことはすっかり忘れましたが(笑)、スマホのアプリの「スマートニュース」は必携だとか、テレビの番組を見逃したら、「TVer」(民放公式テレビポータル)とかいうアプリがいい、といった話を聞いたと思います。

湘南海岸

大手新聞記者から大学教授に華麗なる転身を遂げたK氏は、髪の毛がすっかり白くなり、「もうアルツハイマーになっても、若年性と言われなくなってしまった」と、嬉しそうに話してました。

それだけ長生きできた、というわけで、マスコミ業界人は、ストレスと激務のため早死にする人が多く、おめでたい話なわけです。

二次会にも参加したら、全く前後不覚と相成り、どうやって帰ったか、覚えてません。

江ノ電

以上が11月2日(金)夜の話で、翌3日は、二日酔いながら、鎌倉に行って来ました。

運悪く、その日は、川崎駅の拡張工事とかで東海道線の東京〜横浜間が一日中不通だというのです。どうしたもんか、小田急線で行こうか迷っていたら、湘南ライナーなるものがあり、それで藤沢まで行き、そこから江ノ電で、鎌倉高校前に行きました。

加藤力之輔展

目指すは画廊ジタン。加藤力之輔画伯の個展を訪問するのが目的でした。加藤画伯の御令室朝子様には、9月のスペイン旅行の際、マドリードで、ピカソの「ゲルニカ」に連れて行ってもらうなど、大変お世話になってしまったのです。

画廊ジタンは、入り組んだ所にあり、結局、分からなくて電話して、近くまで、画廊の女性オーナーに迎えに来てもらいました。

何か、非常に変わった洋館で、昭和初期に建てられたような古い感じ。鈴木清順監督の映画「チゴイネルワイゼン」に出てきそうな、ロケをしても大丈夫なような立派な建物でした。

スペイン・コルドバ メスキータ

すぐお暇する予定でしたが、加藤画伯とはスペイン談義に花が咲いてしまいました。

スペイン・バスク地方は、今では、三ツ星レストランの宝庫としてサンセバスチャンが世界中で有名になりましたが、かつてはフランス王室の避暑地で、フランコ将軍の別荘もあったこと、1960〜70年代に一世を風靡したマカロニ・ウエスタン(ジュリアーノ・ジェンマらが主演)の荒野はスペインで撮影されていたことなど薀蓄あるお話を伺いました。