値上げラッシュでランチも上がる?

 最近、何でもかんでも値上げです。小麦、ビール、お菓子、冷凍食品、缶詰…きゃあ、勘弁してくれい、といった感じです。

 お蔭で、4月の消費者物価指数は昨年同月比を2.1%を上回り、消費税率引き上げの影響を除くと、13年7か月ぶりの上昇率になったとか。さぞかし、日銀の黒田総裁も喜んでいると思いきや、今の物価上昇は、エネルギーや原材料の価格高騰が主要因で、日銀が目指す賃金上昇や需要増加といった経済の好循環を伴った安定的な物価上昇ではない、と否定的です。

 よく分かりませんが、原材料が値上がりしたら、製品の価格に跳ね返ってくるのは当たり前じゃないんでしょうか? 儲けが増えれば、社内留保はほどほどにして、社員に還元するのが真っ当ではないでしょうか? 食材やサラダ油等が値上がっているから、ランチも値上がったと思っていたのですが、それとも便乗値上げなんでしょうかねえ?

東京・新橋「香川・愛媛かおりひめ」海老天おろし全粒粉うどん(冷)1200円

 というのも、最近、東京・銀座界隈(日比谷、築地も含む)で1000円以下のランチを探すのが至難の業になってきたからです。昨年までは結構あったのですが、今春になって、ちょくちょく行くイタリアンのランチは、1100円から1300円に値上げ。会社の近くのお寿司屋さんなんか、一昨年までランチ握り980円で食べられましたが、昨年は1300円になり、今年は1600円になってしまいました。えーー!「ふるさとは遠きにありて思うもの…」?

 最近、小生のブログに関しても、「長い」「余計な、いらない情報」と不評をかこっているため、本日はこの辺で、あっけなく、打ち止めにします。

 でも、世の中、「情報過多」とは言っても、本当に、余計な、いらない情報ばかりです。そう思いませんか?

 

Facebookは怖い、国際ロマンス事件はもっと怖い

 昨日の私のFacebookに見知らぬ外国籍の若い女性から「いいね!」を頂きましたが、常軌を逸している感じで、無暗やたらに10連発の「いいね!」です。写真を見ると、スタイル抜群で大変魅力的な女性です。でも、どうも私のブログを読んでいるとは思えず、一体、何が目的なんでしょうかねえ、と思ってしまい、半ば、ゾッとして来ました。Facebookは怖い!もうFacebookはこれを最後にしたい。

 というのも、新聞で、「国際ロマンス事件」の話を読んだばかりだったからでした。噂では聞いたことがありますが、実際に引っかかる人がいるとは信じられませんでした。被害者は著名な(とはいえ私は知りませんでしたが)女流漫画家で、犯人は、ハリウッド俳優を名乗るマーク某。女流漫画家は彼に何と7500万円も送金してしまい、後で詐欺だったと分かっても後悔先に立たず。最初、750万円かと思ったら、7500万円もですよ!山口県阿武町で起きた4630万円の誤送金事件より遥かに大きい。(んな、話か?!!)

 その女流漫画家は古希を過ぎておられますが、結婚した相手から大変なDV被害を受けた上、浮気されて他に子供まで作られ、漫画で稼いだお金はほとんど使われ、やっと離婚はできましたが、散々な目に遭った経験があったようです。(今年1月に「週刊女性」誌で初めて公表)

 女流漫画家さんは、人生の酸いも甘いも知り、分別もあるはずなのですが、人の弱みや良心に付け込まれるとコロッと騙されてしまうんですね。いやあ、国際的に活動する詐欺師の手口は、凄まじい。マインドコントロールしてしまうのですから。

 私も最近、詐欺師からではありませんが、信頼していた人から間接的に金銭を要求されたことがありました。(銀行口座振り込みや現金書留ではなく、茶封筒にそのまま現金を入れるように具体的な指示まで)考えてしまいますよね? 相談の当事者は私自身ではなく、病を患っている私の友人だったので、その友人にこの話をしたところ、金銭は支払わず、相談は断念することに決めました。

 このことを、その信頼していた人に折り返し伝えると、それまで毎日のようにLINEやメールで連絡があったというのに、こちからメールしても、一切、無視か黙殺されるようになりました。何かあったのでしょうか?不思議ですねえ。

東京・銀座「ムンバイ」ダブルカレー1100円

 英語で詐欺師のことを、con man とか con artist とか言ったりします。 conとは、 confidence(信用)の略です。つまり、人の信用や信頼を利用して騙す「信用ビジネス」ということなのでしょう。そう言えば、ホームレスなどに生活保護を受けさせて搾取する「生活保護ビジネス」もあれば、人の不幸に付け込んで、高額な壺やお守りを買わさせたりする「不幸ビジネス」もあります。

 人の悩みは尽きません。国際ロマンス事件で騙された女流漫画家も孤独や不安に付け込まれたということなのでしょうか。

 しかし、孤独や不安でもいいじゃないですか。孤独や不安解消のために、アルゴリズムやAIや占い師や霊媒師や透視家や預言者や宗教家や国際ロマンサーに付け込まれて、莫大な金銭を詐取されるよりマシです。

 信頼する人から「君は程度が低い!とても付き合えないと言って、次々と貴兄の傍から去っていくのがよく分かります。」と蔑まされようが、大いに七転八倒して、孤独や不安は耐えるしかないのです。

 一番良いのは、努力して、悟りを開いて悩まないことです。苦しまないことです。心配しないことです。「サピエンス全史」のハラリ氏に言わせれば、人生には目的も意義も生き甲斐すらありませんが、そんな世迷言は捨てて、「人生とは幸せになることだ」という目標を心に決めて、せっかくこの世に生を受けたからには、自分の人生を大いに楽しむことです。

 それしかない。

 人間、悩んで迷うのは当たり前。それを他人やAIに丸投げしてしまっては、自分の人生ではなくなってしまいます。

 

世知がらい世の中になったものだ=デジタル・ネイティブ世代に告ぐ

  最近、新聞を読んでいて面白かったのは、コロナが収束の方向に向かったことから、大学では、オンライン授業から対面授業に切り替わり、学生さんから「教授の講義が遅すぎてイライラする」といった声が出た、というコラムです。

 今どきの学生さんは、オンライで講義を受ける際、1.5倍とか倍速で聴講するそうなのです。そりゃあ、生の普通の速さで聴けば、遅く感じるのは当たり前ですよ(笑)。

 何でそんなことをしているのかと言いますと、今の若い人は、「コスパ」より「タムパ」を重視しているからなんだそうです。コスパとは「コスト・パフォーマンス(費用対効果)」のことで、私でも知っています。でも、タムパは、私も初めて聞く言葉でしたが、「タイム・パフォーマンス(時間対効果)」のことなんだそうです。コスパを重視したのは、主に「ゆとり世代」と言わるれる世代(1987年~2004年生まれ)です。その一方で、2年程前から「タムパ、タムパ」と言い出しのが、ゆとり世代の一つ下の「Z世代」(1990年半ば~2010年代生まれ)だといいます。これも、トレンド評論家たちが勝手に言っているだけですが。

銀座・日本料理「すが家」広島鯛茶漬け1600円

 確かに、Z世代ともなると、「デジタル・ネイティブ」と言いますか、物心ついた時には、既にネットやデジタル機器に囲まれていた世代です。思うに、情報量が半端じゃないのでしょう。特に、動画ともなると、ラジオのように何かしながら見ることができるわけがなく、多くの情報を消化するには、ほぼ必然的に「飛ばして」ていくということになるのでしょう。

 私のような絶滅危惧種の化石世代では、ドアーズとかクリームとかCCRとか流行っていましたが、海外のロックスターの動く姿を見ることが出来るのは稀の稀でした。たまに、NHKが「ヤング・ミュージック・ショー」などで放送してくれましたが、大抵は、ラジオかレコードでの「音声」のみです。あとは、「ミュージックライフ」などの雑誌の写真を見て、演奏を想像するだけです。情報がない分、想像するしかないのです。

銀座・日本料理「すが家」広島鯛茶漬けの抹茶1600円

 でも、私は、今の若い人たちを羨ましい、なんて全く思いませんね。我々の世代は、それなりに牧歌的時代でしたが、今の若い人の方が追い立てられていて、むしろ、可哀想に思えてきます。

 特に若い頃は流行に敏感ですから、流行に遅れれば、疎外感を味わったり、「置いてきぼり」感を味わったりします。そんな時代背景があるのか、今、話題になっているのが「ファスト映画」です。長編映画を10分ほどに短縮して、動画サイトにアップされた編集映画のことですが、勿論、著作権法違反ですから、昨日は、東宝や日活など13社が、投稿者を相手取り、損害賠償5億円を求める訴訟を東京地裁に起こしたことがニュースになりました。

 「ファスト映画」は犯罪ですが、それだけ、「結末を早く、もっと多く知りたい」という需要があるということなのでしょう。映画だけでなく、結末が肝心の推理小説まで、早く「最後」を知りたがり、「あらすじ」がよく読まれているらしいのですが、そこまでいけば本末転倒ですね。

1930年創業・銀座・洋食「つばめグリル」つばめ風ハンブルグステーキとトマトサラダ1925円

 旅だって、目的地だけが全てではなく、途中で遭遇する景観や人々も興趣の一つのはずです。

 私もどちらかと言えば、人生の時間が限られていますから、「コスト・パフォーマンス(費用対効果)」より「タイム・パフォーマンス(時間対効果)」の方を重視するタイプです。いつも「時間が勿体ない」と思い、起きている間は、本を読んだり、ピアノを弾いたり、ジャズギターを聴いたり、何かしていないと気が済みません。

 それにしても、今のデジタル・ネイティブ世代は異様です。随分と、せわしない、世知がらい世の中になったものです。

熱田神宮と「自宅高級料亭化」計画=名古屋珍道中(下)

(昨日のつづき)

 5月15日(日)~16日(月)の名古屋珍道中の続きです。二日目、16日のお話です。ホテルでは一応よく眠れたのですが、疲れが全く取れていません。それにまだ風邪が治りきっていないので、元気もありません。チェックアウトの11時まで、そのまま寝ていようかなあ、と思ったぐらいです。

 でも意を決して出掛けました。朝のバイキング、ちょっと欲に駆られて食べ過ぎて、少し腹ごなししなければいかんかなあ、と思ったからでした。目指すは、熱田神宮です。昨晩は、旧友のK君から、乗るべき名鉄線の在り処などを丁寧に教わっていたのですが、それでも、名古屋は複雑で、右往左往状態でした。駅員さんに聞いたのですが、「4番線や」というだけで、何行きに乗ったらいいのか、さっぱり分かりません。それに、特急やら準急やらあって、止まるかどうか分からないので、各駅の普通列車が来るまで暫く待ちました。

名鉄・神宮前駅 「チカンやめますか」「仕事やめますか」…そんなにいるのかなあ

 スマホで「名古屋~熱田神宮」と検索したら、何と東京から熱田神宮へのルートが出てきました。何で? しかも、降りる駅名は「神宮前」です。熱田神宮の「あ」の字も出てきません。もう破れかぶれになって、電車に乗り込み、その「神宮前」で降り、案内看板に「熱田神宮」と初めて「熱田」を見つけたので、その方向に降りて、ようやく辿り着きました。

 案外広い神宮でした。「日本の三大神宮」かと思ったら、日本書記によると、三大神宮とは「伊勢神宮」「出雲大神宮」「石上神宮」(奈良県天理市)を指すようですね。三種の神器の一つ「草薙神剣(くさなぎのみつるぎ)」を所蔵するこの熱田神宮は三大神宮の中に入っていません。延喜式神名帳には記された日本三大神宮でも、「伊勢神宮」「鹿島神宮」「香取神宮」となり、熱田神宮は入っていません。ただ、「伊勢神宮」「熱田神宮」「明治神宮」を日本三大神宮とする説もあるようです。

熱田神宮 本宮

 とにかく、本宮にお参りし、本宮横の売店、なんて言っちゃ怒られますね。調べたら、「本宮授与所」というらしいのですが、そこで「お守り」を購入致しました。これでも私は、強欲な人間ですから、買うものは決まってます。お金も地位も名誉も、そんなもんは吹けば飛ぶような将棋の駒みたいなもんです。何と言っても、この世で一番欲しいものは…?そう、私は「健康長寿」のお守りを迷わず購入しました(笑)。一千円也。

熱田神宮 樹齢1000年以上の大楠(空海上人、御手植えと伝わる御神木(直径7.7メートル、高さ20メートル)

 帰りの途中に、「剣の宝庫 草薙館」と「宝物館」(共通券800円)にも立ち寄りました。でも、そこの入口の受付の女性とはちょっとした言い合いになりました。NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、壇ノ浦の戦いで、「三種の神器」は安徳天皇とともに海中に沈んでしまった、とやっていたので、「こちらの草薙神剣は本物ですか? 本物は壇ノ浦に沈んでしまったのではないですか?」と受付の人に聞いたら、「いえ、あちらは形代(複製?)でしたから、本物の神剣は非公開ですけど、ちゃんとこちらで所蔵しております。何なら、神職を呼びますかあぁぁーー!?」と反駁されてしまいました。

 別に口論しに来たわけではないので、「じゃあ、NHKは間違ってたんですね。別に神職さんをお呼びしなくて結構ですよ」と言ってそそくさと退散しました。女性は、実に怖い形相でしたからあー。

名古屋「御器所亭」 八海酒造のライディーンビール「ピルスナー」と串焼き・名古屋コーチンのキモとハツ

  ちょっとお参りしただけで、もう(少し)フラフラでしたので、そのまま旧友K君が住む1Kの「大豪邸」に行くことにしました。学生時代は、ちょくちょく酔っ払ったまま、彼の下宿(上板橋、千石、田園調布、雪が谷大塚)に泊まらせてもらったものでしたが、今回の彼の塒(ねぐら)では、狭くてとてもお爺さん二人で泊まれないということで、ホテルを取ったわけです。

 彼の「豪邸」は、名古屋から市営地下鉄桜通線の「御器所」駅から歩いたところにありました。「御器所」と書いて、「ごきそ」と読みます。まず、読めませんね(他にこの路線には高岳=たかおか=とか徳重=とくしげ=とか難読駅があります)。でも、ここは熱田神宮に奉納する器をつくっていた工房があった所だったことから付けられた由緒ある地名でした。今回、熱田神宮とは御縁がありました。

名古屋「御器所亭」 伊賀の銘酒「瀧自慢」 こりゃうめえ

 K君からは、「遅くても13時まで来てください」という話でしたが、もうクタクタで、織田信秀が北野天満宮から菅原道真像か何かを勧進した「桜天神社」にお参りすることも薦められましたが、気力がないので、早めに着いてしまいました。時計を見ると午前11時前でした。何しろ初めて行く所です。今は、Googleマップという便利なものがあるので、住所とスマホを頼りにやっと、彼のアジトを発見することができました。が、表札がない! しかも、彼はスマホを紛失しているので、連絡の取りようがない! 恐る恐るピンポンすると、反応がない! どないなっとるんねん???

名古屋「御器所亭」 愛知県設楽町の関谷醸造「一念不動」 これは格別、こんな旨い酒が世の中にあったとは!

 彼の自宅に押し掛けたのは、彼はちょっとしたセミプロの板前さんで、「自宅高級料亭化」計画を実施してくれたからです。何しろ懐石料理なんて大得意。そんじょそこらの料亭が吃驚するぐらいの料理を出してくれるのです。もしかして、今頃、食材の買い出しに出掛けたんだろうなあ、と予測が付きました。そこで、近くに喫茶店でもあれば時間を潰せるので、探したのですが、見つかりません。再び、彼のアジトに戻って、敷石の上に座って休んでいたら、15分ほどで、やはり、大きな荷物を下げて彼は戻って来てくれました。

 最初は「何か、手伝ってくれ」という話でしたが、すぐに「邪魔だからあっちに行ってくれ」ということになり、私も目の前に用意してくれたお酒を手酌で昼間からグイグイいくことにしました。

名古屋「御器所亭」 関谷醸造「一念不動」と活き車海老刺身 その前に伊勢湾産の栄螺壺焼き 実に合う!

 そのお酒は、何日も前から事前に用意していてくれたらしく、「八海山」で有名な八海酒造のライディーンビール「ピルスナー」、伊賀の銘酒「瀧自慢」、そして、愛知県設楽町の関谷醸造「一念不動」と生まれて初めて呑む酒ばかりでした。東京の田舎なんかじゃとても呑めない最高級のお酒ばかりでした。癖がなく「浄水」のようにグイグイ呑めてしまうのです。

名古屋「御器所亭」 伊賀の銘酒「瀧自慢」と、本場中の本場、その手は桑名のハマグリのしゃぶしゃぶ

 料理も、最高級、名古屋コーチンのキモとハツの串焼き、まだピョンピョン生きていた車海老の刺身、その手は桑名のハマグリのしゃぶしゃぶ、鰹とカンパチの刺身とその握り寿司、そして、締めは蚕豆、車海老入り卵雑炊と至れり尽くせり。ただ、病身の彼もついに力尽きて、予定していた自家製イチゴ添えアイスクリームと天麩羅はお預けとなりました。

 K君とは14年ぶりの再会で、積もる話がたくさんあったはずでした。でも、いったん、顔を合わせると、心で語ることが多く、また「美味い、旨い」と、呑んだり食べたりすることが忙しくなり、そんな煩わしい話をするのも馬鹿らしくなりました。

名古屋「御器所亭」 鰹とカンパチ刺身 キュウリの塩麹浅漬け。鰹とカンパチは後で握り寿司の御提供

 昔、名探偵ホームズの英語の副読本の中で、ホームズと友人のワトソンが顔を合せた時、お互いほとんどしゃべることがなく、確か、Old friends do not talk.(旧友というものは、お互いあまり喋らないものだ。)といった言葉が出てきたと思います。まあ、それに近いです。

 そのため、二人の共通の友人で、昨年亡くなったY君の思い出話とか、それに纏わる酷い不条理な話とか、野暮な話はやめることにしました。

 その代わり、萬古焼とか川喜田半泥子とか北大路魯山人の話をしました。萬古焼は、今の三重県四日市市と菰野町に窯元があるそうです。半泥子は、百五銀行の頭取も務めた実業家ながら、50歳過ぎて陶芸を始め、「東の魯山人、西の半泥子」と呼ばれた人です。半泥子は、今の三重県立津高校出身で、K君の同郷の先輩に当たりますが、「魯山人となんか比べものにならん」と一刀両断でした。

 確かに、魯山人は陶芸家、料理家、書家、美食家として超一流というか、怪物でしたからね。人間的にお付き合いはしたくないですが、一度、彼の作った陶器(約百万円)で酒を呑んだり、食事したりしたいもんです。

名古屋「御器所亭」 ハマグリの出し汁に北海道産高級米と車海老と蚕豆と卵入り雑炊 

 実は、K君は4月に倒れて救急車で運ばれ、1週間入院し、5月も救急車を呼ぶなど健康問題を抱えていました。「俺はいつも人と会うとき、これが最期ですね、と言って会ってる」というので、私も「変なこと言うんじゃないよ。俺はまだ、オヌシの天麩羅とアイスクリームを喰ってないんだからな。次は絶対、天麩羅とアイスクリームを喰わせてくれよ。大枚払うから。もうここの場所も覚えたから大丈夫」と檄を飛ばしておきました。

 これは勿論、冗談ではなく、本心でした。

【追記】2022年5月19日

 K君のスマホ、やはり、中村公園で見つかったそうです。よかった、よかった。届けてくださった名古屋市民の皆様、有難う御座いました。

 

旧友を訪ねて 43年ぶり再会も=名古屋珍道中(上)

 5月15日(日)~16日(月)、一泊二日で、名古屋に住む大学時代の旧友K君のお見舞いも兼ねて、小旅行を敢行しました。1日目だけは、大学時代の後輩で、今や有名私立大学の教授にあらせらる山上君もお住まいの浜松から飛び入り参加してくださり、実に充実した日々を過ごすことができました。

 とはいえ、最初からかなりのトラブル続きで、まるで我々の人生を象徴しているかのようでした(苦笑)。何しろ、山上君とは大学卒業以来一度も会ったことがなく、42年か43年ぶりの再会。K君とも、彼は記憶力抜群で、最後に二人で会ったのが、東京・銀座で、2008年12月31日以来だといいいますから、14年ぶりぐらいです。

 三人の共通点は、同じ大学の音楽倶楽部仲間ということです。それでも、43年ぶりともなると、昔の面影も何もなく、浦島太郎さんが玉手箱を開けて、「あっと言う間に、お爺さん~」ですから、果たしてうまく再会できるのやら…。

 待ち合わせ場所は、新幹線出口(太閤通口)を降りた「銀の時計」前ということでしたが、「いない!」。K君に電話しても出ない。それじゃあということで、山上君に電話しても出ない!どないなっとるんねん???もしかして、反対側の出口(桜通口)かな?と思って、右往左往して銀の時計に戻ったら、いたいた。「あれっ?電話したのに」と二人を責めると、「あれ?え?」と悪びれた様子もない。お爺さんは耳が遠いので電話が鳴っても気が付かないことが判明しました。これがトラブルの第一弾、先が思いやられます。

名古屋・豊国神社

 この後、私の宿泊するホテルに荷物を預けて、タクシーで向かったところは中村公園です。ここは天下の豊臣秀吉の生誕地であり、豊国神社が建立されていました。

名古屋・豊臣秀吉生誕地

 豊臣秀吉は、名古屋生まれだったのです。看板にある通り、「秀吉は1536年、木下弥右衛門の子として生まれた」とあります。この木下弥右衛門がどんな人物だったのか、諸説ありますが、単なるドン百姓(差別用語)ではなく、中村の長(おさ)だったという説があります。つまり、村長さん、恐らく大地主か庄屋クラスでしょう。秀吉は、最底辺のどん底から這いあがって立身出世した歴史上最大の人物とされますが、もともとある程度裕福な特権階級だったんじゃないかと思います。哀しいかな、無産階級では教育も受けられませんし、ゼロだと何も生まれませんから。

太閤秀吉功路 最終地点の碑除幕式(名古屋・中村公園)

 たまたま、公園内で、「太閤秀吉功路 最終地点の碑」の除幕式を地元の名士を集めてやっておりました。

 何の碑かと思ったら、秀吉の馬印「せんなり瓢箪」でした。

名古屋・秀吉清正公園

 中村公園内に他に何かあるか探してみました。

名古屋・中村公園内「初代中村勘三郎(1598~1658年)生誕地記念碑」

 ありました、ありました。「初代中村勘三郎(1598~1658年)生誕地記念碑」です。えっ?歌舞伎役者で、中村座の座頭だった勘三郎はここで生まれたんですか。

 看板などの情報によると、中村勘三郎は、豊臣秀吉の三大老中の一人、中村一氏の末弟・中村右近の孫だと言われてます。兄の狂言師・中村勘次郎らと大蔵流狂言を学び、舞踊「猿若」を創作したといいます。 元和8年(1622年)江戸に行き、寛永元年(1624年)、猿若勘三郎を名乗り、同年江戸の中橋南地(現東京・京橋)に「猿若座」(のちの「中村座」)を建てて、その座元(支配人)となった人です。

 秀吉と勘三郎が同郷人だったとは。

 公園内には「秀吉清正記念館」もあったのでちょっと覗いてきました(無料)。清正とは、後に肥後52万石の大大名になる加藤清正のことで、清正もここ中村生まれです(1562年)。父親は、刀鍛冶・加藤清忠だったようです。

 尾張出身の戦国武将は、ほかに、織田信長、森蘭丸、前田利家、柴田勝家、池田輝政、福島正則、蜂須賀小六、山内一豊…と錚々たる武将を輩出してます。

 名古屋の人は、今回の小旅行で、あまり親切な人がいませんでしたが、著名な戦国武将が生まれるくらい生存競争が激しい土地柄なのかしら?

 ただし、地元の人の話では、中村公園がある中村区は土地が低く、名古屋駅の西側は、亀島や津島といった地名があるように古代中世は陸続きではなかったようです。

 逆に名古屋駅の東側の東山などは、地名の通り、「山の手」で現代も高級住宅街が多いということでした。

名古屋城

 次に向かったのが、名古屋城です。中村公園から「メ―グル」と呼ばれる「なごや観光ルートバス」に乗りました。

名古屋城

 メ―グルは1乗車210円ですが、一日乗車券(500円)を買うととても便利です。名古屋城に入城するには普通は一般500円ですが、メ―グルカードを見せると、割引で400円。この後、入った徳川美術館と庭園徳川園も通常は一般1550円ですが、やはり、メ―グルを提示すると1350円で済みました。メ―グルは2回(420円分)しか乗りませんでしたが、入場券で300円分割引を受けたので、十分に元が取れたのです(笑)。

 タクシーの運転手さんは「名古屋には観光するところがない」とぼやいてましたが、名古屋観光するなら、メ―グルはお勧めです。ただし、本数が少ないのでご注意。

名古屋城 石垣ファンにはたまらない
名古屋城 石垣フェチにはたまらない

 名古屋城の天守は現在、工事中で中に入れないことは知っていたので、お目当ては「本丸御殿」でした。3期にわたる工事で、2018年から全面的に公開されるようになりました。

名古屋城 本丸御殿
名古屋城 本丸御殿
名古屋城 本丸御殿

  期待通り、見応え十分でした。バチカンのシスティーナ礼拝堂に匹敵するぐらいです。日本美術の粋が集まっています。

 本当に圧倒されました。

名古屋城 本丸御殿
名古屋城 本丸御殿・上洛殿(三代将軍家光をお迎えするために増築)
名古屋城 本丸御殿
名古屋城 本丸御殿

 残念ながら、「本物」は、昭和20年の米軍による空襲で焼失してしまいました。名古屋城は、昭和11年に指定された「国宝第1号」ですからね。米軍は、それを知って、爆撃したに違いありません。米国人は野蛮な文化破壊者ですよ。ロシア人を批判する資格があるのかしら?と、つい興奮してしまいます。

 本丸御殿は、復元ですが、世界に誇れます。感嘆感服致しました。今回、これを見るだけで名古屋に来た甲斐がありました。

元祖てんむす千寿と愛知の地酒「関谷酒造」の「蓬莱泉」ワンカップ こりゃうめえ

 あ、その前にランチは、K君が3人分用意してくれました。天むすの元祖「千寿」と愛知の地酒「関谷酒造」の「蓬莱泉」ワンカップです。これが旨いの何の…。これまた、名古屋に足を運んだ甲斐がありました(笑)。

名古屋・徳川美術館と庭園「徳川園」

 次に向かったのが徳川美術館と庭園「徳川園」です。大変、大変失礼ながら、口から泡を吹いて驚くような見たことがないようなお宝は展示されていませんでした。(尾張)徳川家代々の本当の秘宝は、蔵にあるんでしょうね(笑)。

名古屋・庭園「徳川園」大曽根の瀧

  徳川美術館では、どういうわけか、春季特別展が開催されていて、安藤広重の「東海道五十三次」と「木曽海道六拾九次」の全作品が展示されていました。山上君は静岡県出身で、「東海道五十三次」で描かれた蒲原(本当は雪は降らない)や三島や見附や舞浜などは馴染みの深い地元の名所なので、食い入るように見つめておりました。

名古屋のシンボル・テレビ塔

 次に向かったのが、現代の一番、名古屋らしい所ということで、久屋大通り公園にあるテレビ塔です。

 久屋大通り公園は、何となく、札幌の大通公園に似たイメージがありましたが、すっかり変わってしまい、公園の両脇は、超高級ブティックやレストランが並び、随分、敷居が高くなりました。

名古屋「御園座」懐かしい!

 そうそう大変なことが起きました。今回起きたトラブルの究極の極致です。K君が、スマホを無くしたことに気が付いたのです。恐らく、午前中に出掛けた秀吉生誕地の中村公園内で置き忘れたのではないか、ということで、公園事務所や近くの交番に電話しましたが、まだ届け出はありませんでした(いまだ探索中)。

 普通だったら、パニックになるのに、K君は肚が座っているというか、あまり動揺しません。仏教的諦念に近いんです。でも、早く見つかることを願っています。

 今回一緒に合流してくれた山上君は、夕方の新幹線で帰るというので、地下鉄の「栄」駅で別れました。一緒にお酒でも飲もうと思っていたのに本当に残念でした。

名古屋の居酒屋「大甚本店」閉まってたあ

 今回の小旅行は「トラブル続き」だった、と書いた通り、最悪だったのは、本日のハイライトだった「夜のお楽しみ」が日曜日だったせいなのか、予定していたお店が全て閉まっていたことでした。まず、K君が学生時代から通っていた、名古屋一の老舗居酒屋「大甚本店」(創業明治40年、伏見)が閉まっていました。そして、御園座近くの「大甚中店」も閉まっていました。

名古屋・伏見 バー「バーンズ」

 しかも、K君が1カ月も前から考え抜いてくれていた「二次会」用の老舗著名バー「バーンズ」までこの日は「貸し切り」で中に入れませんでした。

 どないなっとるんねん??? 

名古屋・串カツ屋

 仕方がないので、伏見駅の近くにあった串カツ屋さん「串かつでんがな」に飛び込みで入り、この後、名古屋駅にタクシーで向かいました。

名古屋ミッドランドスクエア42階「スカイプロムナード」800円のはずが

 K君が「どうしても見てもらいたい」ということで、駅前に聳え立つ超高層ビル「ミッドランドスクエア」の42階「スカイプロムナード」に連れて行ってくれました。(名古屋には超高層ビルは、駅前にある3棟ぐらいしかありません)

名古屋ミッドランドスクエア「スカイプロムナード」360度の視界で、名古屋城も見えます

  ここは入場料が800円ですが、K君の「身体障害者手帳」を提示すると、その付き添いまでロハで入場できたのです。

 周囲は若いカップルばかりで、お爺さんの二人連れは、何となく異様な雰囲気でした。

 でも、今回、山上君と再会したのは43年ぶりのこと。ということは、43年前は彼ら若いカップルはまだこの世に生まれてもいなかったに違いありません。感慨深いものがあります。

 2日目の16日(月)の話は次回に続きます。

細部に宿る意外な人脈相関図=平山周吉著「満洲国グランドホテル」

(つづき) 

 やはり、予想通り、平山周吉著「満洲国グランドホテル」(芸術新聞社)にハマって、寝食を忘れるほど読んでおります。昭和時代の初めに中国東北部に13年半存在した今や幻の満洲国を舞台にした大河ドラマです。索引に登場する人物だけでも、953人に上ります。この中で、一番登場回数が多いのが、「満洲国をつくった」石原莞爾で56回、続いて、元大蔵官僚で、満洲国の行政トップである総務長官を務めた星野直樹(「ニキサンスケ」の一人、A級戦犯で終身刑となるも、1953年に釈放)の46回、そして昭和天皇の32回が続いています。

 私は、この本の初版を購入したのですが、発行は「2022年4月20日」になっておりました。それなのに、もう4月30日付の毎日新聞朝刊の書評で、この本が取り上げられています。前例のない異様な速さです。評者は、立花隆氏亡き後、今や天下無敵の「読書人」鹿島茂氏です。結構、辛口な方かと思いきや、この本に関してはかなりのべた褒めなのです。特に、「『ニキサンスケ』といった大物の下で、あるいは後継者として働いた実務官僚たちに焦点を当て、彼らの残した私的資料を解読することで満洲国の別のイメージを鮮明に蘇らせたこと」などを、この本の「功績」とし特筆しています。

 鹿島氏の書評をお読みになれば、誰でもこの本を読みたくなると思います。

 とにかく、約80年前の話が中心ですが、「人間的な、あまりにも人間的な」話のオンパレードです。「ずる賢い」という人間の本質など今と全く同じで変わりません。明があれば闇はあるし、多くの悪党がいれば、ほんの少しの善人もいます。ただ、今まで、満洲に関して、食わず嫌いで、毛嫌いして、植民地の先兵で、中国人を搾取した傀儡政権に過ぎなかったという負のイメージだけで凝り固まった人でも、この本を読めば、随分、印象が変わるのではないかと思います。

 私自身の「歴史観」は、この本の第33回に登場する哈爾濱学院出身で、シベリアに11年間も抑留されたロシア文学者の内村剛介氏の考え方に近いです。彼は昭和58年の雑誌「文藝春秋」誌上で激論を交わします。例えば、満鉄調査部事件で逮捕されたことがある評論家の石堂清倫氏の「満洲は日本の強権的な帝国主義だった」という意見に対して、内村氏は「日本人がすべて悪いという満洲史観には同意できません。昨日は勝者満鉄・関東軍に寄食し、今日は勝者連合軍にとりついて敗者日本を叩くというお利口さんぶりを私は見飽きました。そして心からそれを軽蔑する」と、日本人の変わり身の早さに呆れ果てています。

 そして、「明治11年(1878年)まで満洲におったのは清朝が認めない逃亡者の集団だった。満鉄が南満で治安を回復維持した後に、山東省と直隷省から中国人がどっと入って来る。それで中国人が増えるんであって、それ以前の段階でいうならあそこはノーマンズ・ランド(無主の地)。…あえて言うなら、満洲人と蒙古人と朝鮮人だけが満洲ネーティブとしてナショナルな権利を持っていると思います。(昭和以降はノーマンズ・ランドとは言えなくなったが)、ロシア人も漢民族も日本人も満洲への侵入者であるという点では同位に立つ」と持論を展開します。

銀座「大海」ミックスフライ定食950円

 また、同じ雑誌の同じ激論会で、14歳で吉林で敗戦を迎えた作家の澤地久枝氏が、満洲は「歴史の歪みの原点」で、「日本がよその国に行ってそこに傀儡国家を作ったということだけは否定できない」と糾弾すると、内村氏は「否定できますよ。第一、ソ連も満洲国に領事館を置いて事実上承認してるから、満洲国はソ連にとって傀儡国家ではない」とあっさりと反駁してみせます。そして、「それじゃ、澤地さんに聞きたいけど、歴史というものに決まった道があるのですか? 日本敗戦の事実から逆算して歴史はこうあるべきだという考え、それがあなたの中に初めからあるんじゃないですか?」と根本的な疑問を呈してみせます。

 長い孫引きになってしまいましたが、石堂氏や澤地氏の言っていることは、非の打ち所がないほどの正論です。でも、当時は、そして今でも少数派である内村剛介の反骨精神は、その洞察力の深さで彼らに上回り、実に痛快です。東京裁判で「事後法」による罰則が問題視されたように、人間というものは、後から何でも「後付け」して正当化しようとする動物だからです。内村氏は、その本質を見抜いてみせたのです。

 この本では、鹿島氏が指摘されているように、有名な大物の下で支えた多くの「無名」実務官僚らが登場します。「甘粕の義弟」星子敏雄や型破りの「大蔵官僚」の難波経一、満洲国教育司長などを務め、戦後、池田勇人首相のブレーンになり、世間で忘れられた頃に沢木耕太郎によって発掘された田村敏雄らです。私もよく知らなかったので、「嗚呼、この人とあの人は、そういうつながりがあったのか」と人物相関図が初めて分かりました。 

 難点を言えば、著者独特のクセのある書き方で、引用かっこの後に、初めてそれらしき人物の名前がやっと出てくることがあるので、途中で主語が誰なのか、この人は誰のことなのか分からなくなってくることがあります。が、それは多分私の読解力不足のせいなのかもしれません。

 著者は、マニアックなほど細部に拘って、百科事典のような満洲人脈図を描いております。細かいですが、女優原節子(本名会田昌江)の長兄会田武雄は、東京外語でフランス語を専攻し、弁護士になって満洲の奉天(現瀋陽市)に住んでいましたが、シベリアで戦病死されていたこともこの本で初めて知りました。こういった細部情報は、ネットで検索しても出てきません。ほとんど著者の平山氏が、国会図書館や神保町の古書店で集めた資料を基に書いているからです。そういう意味でも、この本は確かに足で書いた労作です。

「お互いさま」と首相御用達の銀座高級マッサージ店

 今朝の通勤電車で、隣りに座っていた中年女性が、極端な神経過敏症で、電車が揺れて、ほんの少し、肩が触れただけでも飛び上がるようにして、こちらを避けておりました。

 私だけでなく、向こうの隣りの男性とも少しでも触れると、小さな声を出して飛び上がるので、こっちも気が気でありませんでした。

 不可抗力なので仕方がないのですが、こちらも、なるべく、なるべく、中年女に近づかないように一睡もしないで、弁慶のように目をかッと見開いて、立ち往生じゃなかった、座り往生して踏ん張っていたら、すっかり疲れてしまいました。

 やっと、最寄りの駅に着いたので、降りようとすると、代わって私の席に座ろうとしたのが、目の前に立っていた、私の体重の3倍以上はありそうな太った30代の男性でした。

 降りる直前に後ろを振り返ったら、中年女は、また、ぎゃあ~と声にはならない声をあげて、他の席に移動していました。初めて、顔を見ましたが、眉毛と皺の区別が分からないくらいに、バッテンの形でくっついて、目が異様に細く、線引きできる感じでした。長い髪の毛には白いものが目立ち、中年というより、もう初老でした。

 「御苦労さま」としか言いようがありません。それとも「ご愁傷さまでした」と言うべきだったか。いや、正確には「お互いさま」だと思うんですけどねえ。

東京・銀座「吟漁亭」イワシ定食ランチ1050円

 さて、岸田文雄さんが昨年10月に内閣総理大臣に就任して、半年以上過ぎました。「可もなく不可もなく」といった感じでしょうか。正直、前政権と違って、あまり批判できるところが少ない気がします。

 安倍政権は、モリカケ問題や、近畿財務局元職員赤木さんの自殺、桜を見る会や黒川東京高検検事長の定年延長問題(結局、黒川センセイは賭け麻雀で失脚)等々、休む間もないほどスキャンダルのオンパレードでしたが、岸田政権は、その轍を踏まないように慎重な姿勢を貫いている感じです。

 で、岸田政権に関して「何か面白い記事がないかな」と探したところ、やはりありませんでしたが、首相の一日が一覧になっている「首相動静」を見ると、5月8日(日)にこんな日程が載っていました。

 午後1時52分、公邸発。
 午後2時7分、東京・銀座のリラクセーションサロン「クイーンズウェイ銀座並木通り店」着。マッサージ。
 午後4時4分、同所発。
 午後4時15分、東京・鍛冶町の「ヘア モード キクチ神田日銀通り店」着。散髪。
 午後6時6分、同所発。
 午後6時16分、公邸着。


 この後、「9日午前0時2分、先進7カ国(G7)首脳テレビ会議開始。」がありますから、岸田首相は、日曜日ですが、G7を控えて、マッサージに行ったり、床屋さんに行ったりして、力が入っていたことが分かります。真面目な人なんでしょうね。

東京・銀座のリラクセーションサロン「クイーンズウェイ銀座並木通り店」

 そこで、私も会社から近いので、昼休みに、銀座3丁目にあるリラクセーションサロン「クイーンズウェイ銀座並木通り店」なる店舗に行ってみました。時間がないので、前を通っただけで、中には入りませんでしたが、さぞかし、当日は、目付きが鋭いおじさんたちが、数人、見張っていて物々しい雰囲気に包まれていたのではないかと想像されます。

 値段を見ると、色んなコースがありましたが、ベッドでのボディケア・マッサージは、1時間で、9900円(税込)とのことでした。「銀座料金」を考えれば、相場かなといった感じです。

 時の最高権力者が通うお店なので、混雑しているのかな、と思ったら、店の前で若い女性が呼び込みをしていたので意外な感じでした。

東京・銀座「みゆき館」モンブランセット 1650円

 ランチは取ったのですが、まだお腹が空いていて(笑)、何か甘いデザートが食べたくなったので、「クイーンズウェイ銀座並木通り店」の向かいにあった喫茶店「みゆき館」に入り、モンブランとコーヒーを注文しました。

 昼休み残り15分間でしたので、少しゆっくりしたかったのですが、慌てて食べて、完食しました(笑)。

 ここのモンブランはとても美味しいのですが、「銀座料金」なのでそうしょっちゅう味わえません。必然的に客層も高いはずなのに、近くのお姉さまたちは、大きな声で元カレがどうした、だの聞きたくもない下品な会話に終始していていたので、這う這うの体で退散しました。

 世の中、いらない情報が多過ぎると思いませんか? えっ!?何?このブログも!?

意外にも残虐だった天智天皇

 週末はゆっくり休んだというのに、未だに風邪が抜け切れていません。えっ?もしかして???と言われそうなので、今朝、健康診断の際に、熱を測って頂いたら、35.4度しかありませんでしたよ。食欲も味覚も嗅覚もあり、こんな冷血人間がコロナでもないですよね?

 まだ本調子といかないので、読書が進まず、購入した本や書籍が机の上に山積しております。特に雑誌が読めません。いつも定期購読している「歴史人」は、4月号「最新研究で、ここまでわかった!古代史の謎」特集号と、5月号の「決定!最強の城ランキング」と、6月号の「沖縄戦とソ連侵攻の真実」の3冊と「歴史道」Vol.20「古代天皇の謎と秘史」特集号とVol.21「伊能忠敬と江戸を往く」特集号の2冊、計5冊も未読です。

 この中で、やっと「歴史人」4月号「最新研究で、ここまでわかった!古代史の謎」特集号を読み終えるところです。いつもの通り、「歴史人」は情報量が満載というか、満杯で、とても全てを頭の中で整理できません。よく言えば、「玉石混交」ですが、悪く言えば節操がない(笑)。ただ、嬉しいことに、最新の学術研究の成果が出て来るので、感心します。逆に言えば、いまや歴史解釈がどんどん変化しているので、単行本や教科書では間に合わないのです。雑誌を刊行しなければならないほど、それだけ学説が更新されているということなのです。

 玉石混交の節操なし、というのは「邪馬台国論争」です。最初に、高島忠平・佐賀女短大元学長の「邪馬台国の真実」を読むと、「女王・卑弥呼が統治した3世紀の倭国は九州にあったとするしかない」「ヤマト王権は5世紀になっても、女王国のように一元的に統率・支配する独自の個人官僚機構を成立していなかった」「纏向(まきむく)遺跡の被葬者が卑弥呼のはずがない」と断定されているので、これで「邪馬台国=北九州説」決定、と私なんか思ってしまいました。

 ところが、次の武光誠・元明治学院大学教授の「女王卑弥呼の謎と実像」を読むと、「現在、考古学者の半数以上が邪馬台国大和説を支持。大和説と九州説の勢力比は、7対3程度になって来た」「邪馬台国=大和説なら卑弥呼に比定し得る女性は3人いる。一人は、仲哀天皇の妃の神功皇后。二人目は崇神天皇を支えた巫女の倭迹々日百襲姫命、三人目が垂仁天皇と景行天皇の時代の倭姫命であある」と断定するのです。

 ええい、どっちなんじゃあい!?

 いくら、3対7と不利だろうが、私は3世紀という時代を鑑みて、何と言っても九州説を取ります。

 もう一つ、7~8年前だったか、「聖徳太子が教科書から消える?」と新聞などで話題になりましたが、最近ではやはり、謚(おくりな)である「聖徳太子」単独で登場することは少なくなり、せめて「聖徳太子(厩戸皇子=うまやとのみこ)」か、「厩戸皇子(聖徳太子)」の形で多く登場するようです。何故ならかつて言われていた「聖徳太子超人説」(生後4か月で話をすることができた。5歳で推古天皇の即位を予言した。11歳で30人以上の子どもが言うことを漏らさずに記憶した…)は、現代科学と照らし合わせて否定されつつあるというからです。

 最後に、私の世代では「大化の改新」としか習いませんでしたが、今では「乙巳の変」と呼ばれる645年の政権クーデターの話は考えさせられました。私の世代では、「蘇我入鹿=悪党権化の塊」「中大兄皇子(天智天皇)=善人・名君」のイメージで固まって、それで終わりでしたが、遠山美都男学習院大等非常勤講師の「蘇我氏は希代の悪人か、変革者か?」を読むと、蘇我入鹿が可哀想に思えてきました。

 入鹿が、厩戸皇子の後継者・山背大兄王(やましろおおえのみこ)を襲って一族を滅ぼしたのは、山背大兄王が用明天皇の系統だったためで、入鹿は、敏達天皇系統のリーダー的存在だった皇極天皇(女帝)の命令に従ったに過ぎなかったといいます。

 乙巳の変では、今度は入鹿が皇極天皇の目の前で、中大兄皇子によって殺害されますが、敏達天皇系統(敏達統)内での政権抗争に巻き込まれた結果でした。蘇我入鹿らは敏達統の古人大兄皇子を次期天皇に押していたのに対し、中大兄皇子らは、敏達統の軽皇子(かるのみこ=孝徳天皇)を押していたからです。となると、黒幕はこれまた皇極天皇で、入鹿なんぞは将棋の駒のように利用していたに過ぎなかったかもしれません。

 入鹿は殺される前に「私は無実です」と皇極天皇に訴えたといいますから、可哀想になったのです。

 中大兄皇子は天智天皇として即位しますが、これまた恐ろしい。まず、古人大兄皇子を謀反の疑いで処刑し、自陣に取り組んでいた蘇我倉(そがのくら)山田石川麻呂を自害に追い込み、傀儡に打ち立てた孝徳天皇を難波宮の置き去りし、孝徳天皇の皇子である有間皇子まで謀反の疑いで処刑してしまうのです。

 いやはや、熾烈な権力闘争とはいえ、天智天皇は、ここまで残虐な御方だったとは…、改めて、感慨に耽ってしまいました。

【追記】

 卑弥呼と対立した狗奴国の男王の名前は卑弥己呼(ひみここ)だったといいます。えっ!?です。誰が付けたのでしょう? 邪馬台国の「や」には、よこしまな「邪」の字が充てられているし、卑弥呼だって、「卑しい」という侮蔑言葉が盛り込まれています。これらは、中国大陸の歴史書「魏志倭人伝」などに登場することから、中国人がそう呼んだか、名付けたような気がしてなりません。いわゆる中華思想ですから、日本なんぞは「東夷」という遅れた蛮族に過ぎないという思想です。

「NHKスペシャル 見えた 何が 永遠が~立花隆 最後の旅~」は隔靴搔痒でした

 「やっちまったなあ」ーGWの後半は、風邪で丸々3日間、寝込んでしまいました。熱は1日で下がり、味覚や臭覚や聴覚や第六感や嗅覚まであり、今はかなり回復に向かっていますから、例の、あの、そのお、世界中で知れ渡っている流行り病ではないと思います。が、罹った5月3日はフラフラで、朝起きて、軽くパンとサラダを食べた後、直ぐに就寝。なかなか起き上がられず、13時半になってやっと、ズルズルと布団から這いだし、ヤクルト1本飲んでまた就寝。夕方は17時過ぎに起きて、御素麺を頂いてから、もう18時にはおやすみなさいでした。こんなことは数年ぶりだと思います。

 考えられる原因は、GW前半に、自分が老人だということを忘れて、連日のように1万5000歩近く歩き回って疲れが溜まり、免疫抵抗力が落ちてしまったこと。それでもまだGW後半が残っていて、何かあっても誰にも気兼ねなく休めるので、身体が油断していたことが挙げられます。

 結局、本も1ページも読むことが出来ず、本当に何もできませんでしたが、良い休養が取れたと思い込めば、貴重な時間を有効に使えたことになります。モノは考えようです。この間、酒も煙草ものまず、髭も剃らず、博打もせず、誠に品行方正でした。

東京・新富町「448 リベルマン」ポークジンジャー1500円 「448」は「洋食屋」と読むらしい。それなら、渓流斎は「4871」と書いて、「心配ない」と呼んでもらいます。登録商標申請中(笑)。

 さて、寝込んでしまったお蔭で、先週の話になってしまいます。4月30日に放送された「NHKスペシャル 見えた 何が 永遠が~立花隆 最後の旅~」は大いに期待したのですが、どなたかの意向が反映したのか?、一番肝心なことが分からず、隔靴掻痒の感のままで終わってしまいました。

 私が口癖のように言っている「何が報道されたのかというよりも、何が報道されなかったのかの方が重要」ということの典型でした。

 昨年4月30日に80歳で亡くなったジャーナリストの立花隆さんは、死の間近になって、秘書を務めていた実妹菊入直代さんに対して、「墓も戒名もいらない。遺体はごみとして捨ててほしい。集めた膨大な書籍は一冊残らず古本屋で売ってほしい」と言い残していたそうです。

 この番組では、「立花隆番」として17年間、一緒に教養番組をつくって来たNHKの某ディレクターが、立花氏と出会ってから亡くなるまでを回想する形で進行します。「猫ビル」の愛称があった東京都文京区にある立花氏の書斎兼書庫には5万冊を超える膨大な書籍が棚に埋まっていたのに、最新映像となると、その棚には一冊の本もなく、棚だけが寂しそうにしていました。

 その映像を見てショックにならなかったのは、その2週間以上前に新聞で、立花氏が「自身の名前を冠した文庫や記念館などの設立は絶対にしてほしくない」「立花隆が持っていた本ということではなく、本の内容に興味を持った人の手に渡ってほしい」などと言い残していたという記事を読んでいたからです。さすが、ですね。母校に自分の名前を冠した記念文庫を設立した人気作家さんとは違うなあと思ってしまいました。

 ただ、古本屋さんが何処なのか、その記事には書かれていなかったので、NHKに期待したのですが、番組でも明かされませんでした。恐らく、「古本屋が特定されれば、殺到されて困る」と、誰かの意向が働いたのでしょう。私だって、正直、立花隆の蔵書なら欲しいぐらいですから(笑)。でも、多分、神保町の古本屋に違いないでしょう。彼は毎週のように通っていたといますから。…暇を見つけていつかまた「神保町巡り」をしたいと思ってます。

 もう一つ、この番組でフラストレーションになったのは、彼の墓所が明かされなかったことでした。結局、「樹木葬」となったようで、その場所も特定されて、映像として映し出されましたが、最後まで場所までは明かされませんでした。私は掃苔趣味があるので、場所が分かれば一度はお参りしたいと思っていたのに…。

 あと一つだけ。この番組のタイトルに使われている「見えた 何が 永遠が」は、私も何度かこのブログで取り上げたことがあるフランスの象徴派詩人アルチュール・ランボーの作のはずなのに、ランボーの「ラ」の字を出て来ないのはどうしてだったのかな?

 まあ、テレビという超マスメディアの影響力は大きいので、個人情報保護に細心の注意を払うことを最優先したのでしょう。

「448 リベルマン」から歩いて5,6分にある「新富座跡」の看板=現京橋税務署

 番組内では、色々な「立花隆語録」が出てきましたが、印象に残ったものだけ引用させて頂きます。(ただし、換骨奪胎です)

 ・霊魂はない。人間死んだら無に帰る。

 ・人間は死すべき動物である。どこかで死を受け入れるスイッチを切り替えるしかない。(以上は立花隆の死生観です。でも、死後、天国に行くか煉獄に行くか、西方の極楽浄土か東方の浄瑠璃世界に行くか、それとも地獄に行くのか、といったことを信じている人はその信仰を続けていいと私は思っています。)

 ・知的営みは地下で繋がっている。人間の知識の体系も繋がっている。しかし、知識が細分化し過ぎて、専門家は断片化した知識しか知らない。専門家は総合的なことを知らない。(メディアに頻繁に出演されるコメンテーターと呼ばれる専門家の皆さんにも当てはまるかもしれません。)

 ・記録された歴史などというのは、記録されなかった現実の総体と比べたら、宇宙の総体と比較した針先ほどに微小なものだろう。宇宙の大部分が虚無の中に吞み込まれてあるように、歴史の大部分もまた虚無の中に呑み込まれてある。(「エーゲ 永遠回帰の海」)

・「すべてを進化の相の下に見よ」

六本木で葛飾北斎展を見て、神谷町で想い出に浸る

 連休の合間、5月2日は月曜日で、本来ならお仕事なのですが、有休を取得して東京・六本木のサントリー美術館まで足を運び、「大英博物館 北斎 ―国内の肉筆画の名品とともに―」展(1700円也)を観に行って来ました。

東京ミッドタウン(六本木)ガレリア

 平日だから空いているんだろう、という考えは甘かった。結構、暇人が多く、入るのだけでも長い行列で15分ぐらい待たされ、会場では展示物をそんなに間近に観たいのか、これまた、整然と一列になっての大行列です。私は公称180センチと背が高いし、後ろからでも十分観られるので、そんな律儀な日本人の列の後ろから、自分のペースで気に入ったものだけゆっくり眺めることにしたので、少しだけストレスが緩和されました。

東京ミッドタウン(六本木)

 当初は、出掛けるつもりは全くなかったのですが、テレビの歴史番組で葛飾北斎(1760~1849年)特集を見たら、急に、目下開催中の展覧会に行きたくなってしまったのです。

 番組では、勝川春朗をはじめ、北斎、宗理、為一(いいつ)、画狂老人、卍など30数回も画号を変え(弟子に売ったり、タダであげたりしたとか)、90年の生涯で何と93回も引っ越しした、といった逸話をやってました。引っ越しが多かったのは、掃除が嫌いで、今で言う「ゴミ屋敷」状態になってしまったので逃げるように引っ越ししたようです。

為朝図 葛飾北斎 一幅 江戸時代 文化8年(1811) 大英博物館 1881,1210,0.1747 © The Trustees of the British Museum(撮影:渓流斎)

 絵手本を3900点以上掲載した「北斎漫画」を出版したのは55歳の時。代表作の「冨嶽三十六景」のシリーズを書き始めたのが72歳というのですから驚きです。(数え年)

 晩年は、信州・小布施の豪商高井鴻山の招きで、江戸から240キロの道程を4度も通い、「男浪図」「女浪図」や「八方睨み鳳凰図」(岩松院蔵)などを完成しています。1849年、浅草の遍照院の仮住まいで、数えで90歳で亡くなりますが(墓所は元浅草の誓教寺)、直前に「あと5年長生き出来たら本物の画工になれただろう」と叫んだという、飽くことがない探求心は有名です。

 番組ではやっていませんでしたが、これだけの大天才なのに北斎の出自ははっきりしていません。江戸・本所割下水で川村某(職業不詳)の子として生まれたと言われ、幼名を時太郎、後年鉄蔵と改め。4、5歳の頃、一時、幕府御用鏡師中島伊勢の養子となったといわれます。詳細は不明ですが、本名は中島鉄蔵さんということでしょうか。天賦の才能があったとはいえ、かなりの稀に見る努力家だったのでしょう。

 実は、これでも、私自身は、「太田浮世絵美術館」や「すみだ北斎美術館」の常設展をはじめ、各地で開催された「北斎展」にはかなり足を運び、北斎の作品はかなり観ている方だと思っていました。今回のサントリー美術館での北斎展は大英博物館所蔵品ということでしたので、それほど期待していなかったのですが、開けてみたら吃驚ですよ。日本国内所蔵の作品より、量質とも遥かに充実していて、海外が日本を凌駕しているのです。これは、北斎作品の膨大なコレクターだった外科医ウィリアム・アンダーソン(William Anderson、1842~1900年)や小説家アーサー・モリソン(Arthur Morrison、1863~1945年)らとジャポニスムの流行のお蔭です。

冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏 葛飾北斎 横大判錦絵 江戸時代 天保元~4年(1830~33)頃 大英博物館 2008,3008.1.JA © The Trustees of the British Museum 肉眼で見えるはずがない5000分の1秒の速さでシャッターを切った時に見える画像だそうです。やはり、北斎は天才だ!(撮影:渓流斎)

 さすが、ゴッホやマネ、モネらフランスの印象派の画家たちに多大な影響を与えたジャポニスムを代表する「世界の北斎」だけあります。少し大袈裟かもしれませんが、北斎は、ダビンチやミケランジェロらと肩を並べるのではないでしょうか。

 この北斎展は、確かに一見の価値があります。特に、北斎は風景画で有名ですが、「花鳥」作品には目を見張るものがありました。何故なら、花と鳥に限って、北斎は、伊藤若冲のように「細密画」のように描いているからです。

 人物画となると、役者絵ではなくて風景画の中に登場する人物は、細密画ではなく、目と鼻と口だけで省略したようにあっさり描いています。「どうしてなのかなあ?」と思いながら私は観察していました。この花鳥画と人物画の違いー。人物はいい加減に描くのに、花鳥は綿密に描くのは何故か?ーもしかしたら、これは、北斎の研究家でさえ今まで気が付かなかった私の新説かもしれない、とニヤニヤしながら観ておりました(笑)。

東京・六本木 brassrie “Va-tout”  魚ランチ1200円

 さて、広い東京ミッドタウン内のサントリー美術館(そう言えば、初訪問かな?赤坂のサントリー美術館は何度も行きましたが)を出て、目指すはランチです。既に、六本木駅近くの「シシリア」に決めておりました。あの森まゆみ著「昭和・東京・食べある記」(朝日新書)に出ていた「四角いピザ」と「きゅうりのグリーンサラダ」を食べるためです。

 そしたら、アッジャパー、本日は青天なりではなく、本日は閉店なりでした。

 仕方がないので、当てもなく、東京タワーが前方に見える道(319号線)を真っすぐ10分近く歩いたら、ブラッスリーが見つかり、そこでランチすることにしました。仕方ない、なんて言っちゃ駄目でしたね。白身魚のソテーでしたが、写真の通り、銀座並みの価格で、量が少なくて参りました(苦笑)。店員さんは凄く感じ良かったですけど。

今最も日本で注目されている東京・狸穴の在日ロシア大使館

 店を出て、そのまま、真っ直ぐ、東京タワー方面を歩いて行ったら、警察官の数が多くなり、何事かと思ったら、今現在、日本では最も注目されている狸穴の在日ロシア大使館がありました。ここに出たんですね。

在日ロシア大使館前は、数人のデモと物々しい警戒

 ロシア大使館や、その向かいの外務省外交史料館には何度か取材で来たことがあるので、場所は知ってました。六本木駅からだと20分ぐらいでしょうか。私は、この辺りまでは、いつも神谷町駅から歩いてきたので、飯坂交差点を左折して神谷町に向かいました。

 そう、神谷町は私にとって、とても感慨深い場所なのです。もう半世紀近い昔、学生時代に付き合っていた彼女が住んでいたので、よく遊びに行き、お金がないので、この近くの東京タワーの芝公園でよくデートしたものでした。

 神谷町は、彼女の祖母の家で、千葉県に両親ら家族と住んでいた彼女は、都内の大学に通うため、おばあちゃんの家に下宿していたのでした。おばあちゃんの趣味は詩吟でよくうなっていました。

実に懐かしい東京・日比谷線「神谷町駅」

 もう時効の話なので、神谷町に来たついでに、その彼女のおばあちゃんの家を探してみました。この辺りはもう昔の面影はなく、すっかり変わってしまいました。再開発されて高層マンションやビルが立ち並ぶようになりました。駅から5、6分だったので忘れるわけないのですが、いくら探しても見当たりませんでした。恐らく、現在、高層ビルを建築中のあの辺りがそうだったかもしれません。

 半世紀近く年月が経てば仕方ないでしょう。淡い青春時代の思い出が蘇ってきました。でも、あまり後ろ向きだと駄目ですね。北斎先生を見習って、もう少し頑張りますか。何しろ、「富嶽三十六景」は、70歳代初めの傑作なんですから!