生物は意味もなくただ生き延びるのが目的か?=ダーウィンの「種の起源」余話(続)

 昨日は、ダーウィンの「種の起源」の余話として、「人生は偶然か、必然か?」を書きましたが、まだ書き足りないことがありました(笑)。

 恐らく、この《渓流斎日乗》ブログを長年、欠かさずお読み頂いている方は、それほど多くはないと思いますが、何で、この人(主宰者=執筆者)は、脈絡もなく、乱読しているのか、と思われているのではないかと思っております。

 勿論、年を取っても、辛うじて知的好奇心を保っている、ということもありますが、私自身、これまでの人生経験からどうしても知りたい、分析したいと思ったことがあったからなのです。それは、どうして、ヒトはこうも厄介な人間が多くて、無神経で図々しく、簡単に人を裏切ったり、黙殺したり、誠意がなかったり、自己主張が強かったり、自己保守に走ったり、他人を蹴落としてでも成り上がろうとするのか? 放送禁止用語を敢て使えば、奇人、変人、狂人のオンパレード。偽善者と詐欺師ばかりではないか、といった素朴な疑問でした。

 歴史を勉強して偉人から平民に至るまで研究してみてもよく分からない。法華経や密教などの宗教書を読んでもよく分からない。そこで、自然科学からアプローチしてみたらどうか、ということで、古生人類学から生物学、はたまた宇宙論から進化論に至るまで関連書籍を乱読してみました。

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 それで、何となく分かったことは、自然科学からのアプローチでは、人生には意味も目的もない、ということでした。生物は、ただ「生き延びる」ことだけが目的で、その間に、壮絶な生存闘争が行われ、自然淘汰で絶滅する生物は、二度と復活しない。だから尚更、生物は、種の生き残りに全生命、全生涯を懸けるわけです。

 生き延びるためには手段を選びません。戦争や紛争などの大掛かりなものから、個人的な他者排斥、裏切り、寝返りまであります。ということは、現在生き残っている生物=人間は、それらの闘争に勝ち残った子孫であることは間違いありません。つまり、裏切ったり、寝返ったりした子孫でもあるわけです。となると、DNAの中に、闘争本能と寝返りと日和見と虚言僻が引き継がれているわけです。

 残念ながら、現代人の中で、生存闘争本能と裏切り精神と虚言癖がない人間はいません。ない人間は子孫を残せず、裏切られた人間は自然淘汰され、絶滅しているからです。絶滅した人種は二度と復活しません。

 となると、人間と付き合う際は、相手が大ウソつきで、隙を見せれば高飛車に出てきて、飽きたら、つまり利用価値がなくなれば関係を絶つ、というのが自然だと思えばいいのかもしれません。それが、人間の自然な姿だと思えなければ、その人は淘汰されますね。絶滅街道まっしぐらです。

 でも、その一方で、ひょんなことで、突然変異した人類も少なからずいるのかもしれません。その人は、正直で、自己犠牲を厭わず、誠心誠意、他者に尽くす人です。利他主義者です。ただし、そういったDNAは一代限りでしょうね。少なくとも、ダーウィン理論に従えば。

 ただし、ダーウィン理論も含めて、これらは実験によって実証されたわけではありません。ですから、もともと、人間は、汚れのない善人として生まれてきて、悪に染まっただけという「性善説」も考えられます。自己犠牲を厭わない利他主義が本来の人間の姿だというのが正しい、という考え方です。

 でもねえ、と私なんか思います。実際、手痛いしっぺ返しに遭ったりすると、人間は生まれながら悪党、というのが言い過ぎだとしたら、他者を排斥してでも生き残りを図る「性悪説」の方を信じたくなります。私の個人的な人生体験から、その方が合点がいきます。

 老若男女関係なく、ややこしい人間がいれば、「そっかー、そいつは手練手管を使って生き延びた悪党の子孫なのか」「そんな悪に染まったDNAの乗り物なのかあ」と思えば気が楽です。ですから、彼や彼女だけが悪いわけではありません。悪いのは遺伝子です。悪党の遺伝子を受け継いで、たまたま現代人という姿形として現れているだけです。彼や彼女は、生物学的に複雑に絡み合ったDNAが表出しているに過ぎない。そのうち消え失せ、また同じようなヒトが再生される。そう思えば、どんなに救われることか。。。。

 えっ? あまりにも悲観的過ぎますか?

 それなら、どなたか、強烈な理論とエビデンス(具体例)で、「人間=性善説」を解き伏せてほしいものです。

オメガとスウォッチとの共同制作スイス製「ムーンスウオッチ」、赤の「火星」を購入

  むふふふ、ついに買ってしまいました。

 (嗚呼、このブログ、そんなのばっかしですねえ! しかし、Man shall not live by bread alone. 人はパンのみにて生きるにあらず)

  スイスの高級時計「オメガ」と「スウォッチ」がコラボレーションした「ムーンスウオッチ・コレクション」です。太陽から冥王星まで、11種類販売されましたが、かなり格安なので、生産が追い付かないほど世界的にも人気商品となり、何処の販売店でも品薄状態が続いているというのです。

 それが先週6日の朝日新聞の東京夕刊に載ってしまい、「人が殺到して、まあ、手に入らないだろうなあ」と覚悟しつつ、東京・銀座のスウォッチ正規販売店に行ってみたのです。

 昼休みなので、それほど時間がありません。が、係りの人が「予約販売はしておりません。平日は空いております。10分くらいお並びになれば、大丈夫かもしれませんよ」とアドバイスしてくれたので、「まあ、10分ならいいか」ということで並ぶことにしたのです。

 これでも、実は、かなり下調べしておきました。何しろ、ムーンスウオッチは11種類もありますから、何にしたら良いのか迷います。第一候補は、ブラックの「月」でした。しかし、11種類の中で「一番人気」ということで、多分、売り切れている可能性があります。そこで、自分の「守護惑星」を調べてみました。今は簡単に調べられます。

 でも、よく分からないのです。私の生まれた月日の星座は、かに座なのですが、そのかに座の守護惑星は「月」だというのです。それなのに、私の生年月日を入れて検索できる守護惑星のサイトで調べてみたら、私の守護惑星は「火星」だったのです。

 どっちなんじゃい? と言いたくなりました。(生年を入力するので、火星の方が正確のような気がしましたが…)

 「ま、いっか、どっちかあれば買おう」と勇んでショップに向かったわけでした。「月」の方は、オメガ純正の「スピードマスター ムーンウォッチ」を参考にして作られ、黒光りして重厚感があります。オメガなら100万円ぐらいしますが、こちらの「ムーンスウオッチ」の方は、わずか3万円台で買えるのです。それで、私のようなそれほど裕福ではない人間でも、喜び勇んで買えるわけです(笑)。「ムーンスウオッチ・コレクション」が、世界のどこのショップでも売り切れてしまう理由が、これでお分かりになったことでしょう。中には、ネットで転売され、20万円以上の値が付いているムーンスウオッチもあるようです。

 ただし、「火星」ウオッチの方は、赤が主体で、重厚感は全くありません。どちらかと言えば、夜店のバッタ屋で二束三文で売っていそうな代物にも見えます(あくまでも個人的感想です)

 それでも、私の守護惑星は、火星でした。しかも、今年のラッキーカラーは、赤でした。何を躊躇するのだ!

「ムーンスウオッチ・火星」3万6300円

 で、結局どうなったのか、と言いますと、やはり、人気一番の「月」は売り切れ。不人気の?「火星」は残っておりました。思い切って買いましたよ(笑)。ショップで私の前に並んでいた外国人観光客らしき親子連れ(父と娘さん)がフランス語を喋っていたので、「旅行ですか?どちらから来られたのですか?」と聞いてみたら、スイスのジュネーブと答えたので吃驚。なんだあ、家に買って地元で買えるじゃん!と思いました。結局、彼らは、お目当てのものが売り切れだったらしく、何も買わずに帰ってしまいましたが。

 さて、無理して「火星」を買ってしまった私。嵌めてみると、「え?何? 軽い~」が第一声です。プラスチック製なのか、重厚感も高級感もなく、やはり、夜店で買ったまがい物にも見えなくもない。

 何を言う! 控えおろう~

 いや、すんまへん。曲がりなりにも、「OMEGA」なるブランドが刻印された高級腕時計なんて、生まれて初めて見に着けるので、気が動転していたのかもしれません。

 はい、はい。撤回します。この腕時計を装着すると、幸運が舞い込んでくる気がします。何しろ、私の守護惑星である「火星」であり、ラッキーカラーの「赤」じゃありませんか!

 あまりにも軽いので、腕時計を嵌めていることさえ忘れます。「ははあ~、有難き幸せ~」ということにしておきます。

 You can’t take it with you. (あの世にお金は持っていけない。)

セラピーとケアについて Therapy and mental health care

 別に隠す必要はないのですが、ここ2~3年もずっと気が重い状態が続いております。

 いえいえ、病気ではありません。しかも、心が風邪を引いたといったような、自覚できる軽症でもありません。何となく、スッキリしない、張り合いがないという状態が続いている、といった程度です。

 そんな折、いつぞやこのブログでもご紹介したことがあるスマホのアプリで過去のラジオ放送が聴けるNHKの「らじる・らじる」の「聴き逃し」サービスの「日曜カルチャー」という番組で大変興味深いお話に巡り会うことができました。臨床心理士の東畑開人氏の「心と向き合う?」という講演でした。

 実はこの放送を聴くのは先週に続いて二度目です。(実は、私は、聴き逃しサービスは毎週日曜日にアイロンを掛けながら聴いております=笑)先週、聴いていて、講師の方は39歳というまだお若い方なのですが、誰が聴いているのか分からないのに、自分より年下の学生に向かってため口のような感じで喋っていたので、どうもなあと思いながら、メモも取らずに聞き流していたのでした。そしたら、後半で実に素晴らしい眼から鱗が落ちるようなことを仰っていたので、もう一度確かめたくて、今度はしっかりメモを取りながら聴くことにしたのでした。アイロンを掛けながらの離れ業でしたが(笑)。

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 私が一番感心したのは、セラピーとケアの違いについてでした。私は今まで、セラピーとは治療のことですから、てっきりセラピーの方がケア(世話)より優ると思い込んでおりましたが、東畑先生は「ケアが先で、セラピーはその後だ」と強調されるのです。

 簡単に端折って言いますと、まずケアとは「相手を傷つけないこと」です。「相手のニーズを満たしてあげる」ということです。それには具体的な行動が伴います。例えば、お皿を洗うとか、雨が降っていたら駅まで傘を届けてあげるとかです。大震災で被災した方々にいくら臨床心理士がカウンセリングしてセラピー(治療)しても限界がありました。その前に、食事や毛布などの暖房や敷居をつくってプライバシーを保護してあげるとか、物質的な環境を整えることが先決だったというのです。

 その一方で、セラピーとは「傷つきと向き合うこと」だと言います。心が傷ついて痛いけど、乗り越えていこう、というのがセラピーの治療です。ということは、その半面、自己責任論となり、しんどい面もあります。

 例えば、学業成績悪い時、子どもたちに「もっと勉強しなさい」というのがセラピーの考え方です。一方、ケアは、問題は本人ではなく周囲にあるのではないかという発想なので、教え方が悪いという捉え方が出来ます。そこで、勉強が出来る環境を整えることがケアになります。例えば、参考書を買うとか、塾を探すとか、30分でもいいから親が勉強に付き合うとかいったようなことです。

 竹中平蔵さんが大好きな「新自由主義」は、市場に任せておけば正しい方向にいくというので、自己責任論と言いますか、セラピー的自立心を促す考え方です。しかし、その前にケアがなく、いきなり最初から競争社会に放り込まれてしまうと、大抵の人はつぶれてしまうか、負けてしまいます。もしくは燃え尽きてしまいます。

 つまり、ケアが出来て、初めてセラピーが考えられる、と東畑氏は力説するのです。

 ヒトは心と向き合う時、大抵は自分が悪いと思います。自分が一番攻めやすいからです。しかし、案外、周囲の方が悪い場合があります。例えば、就職活動がうまく行かず、落ちてばかりいれば、大抵の人は自分の態度や成績が悪いといった考えに陥りますが、実は、本当は景気が悪いという理由だったりするのです。

 このほか、もっともっと興味深いことを東畑氏は話されていましたので、スマホをお持ちなら是非お聴きになったら如何でしょうか?今なら間に合うと思います。

 私も気の重さの原因が、これまで自分ばかり攻めていた私自身にではなく、周りにあったことを気づかさせてもらいました。

まだ続く「デスパレートな妻たち」のこと

公開日時: 2008年5月7日 @ 19:30

「デスパレートな妻たち」は、女性の視点で描かれています。我々、男性から見ると、ドキッとしたり、「なるほど」と感心したりします。

この番組を見ていると、急に、北海道の佐橋さんのことを思い出してしまいました。もう、全く音信不通になってしまい、今、どうしているのか、さっぱり分かりませんが、彼女の言っていたことが、寸鉄釘を刺すが如く、今でも「警句」として、私の頭の片隅に残っています。

佐橋さんは、市井の「軍事問題研究家」で、もう著者もタイトルも忘れてしまいましたが、古本屋で、「こんな本を見つけました」と言って、見せてくれた本がありました。その本は、世界史に残る、例えば、アレキサンダー大王とペルシャ軍とのイッソスの戦いとか、ローマ軍とカルタゴ軍との戦いとか、ナポレオン戦争などにおける戦陣や戦略が詳述された本でした。非常に頭の回転が速い人で、教養の幅が広く、私が何を言っても、「それはこういうことでしょう?」と即座に答える一家言の持ち主でした。怒られるかもしれませんが、男勝りの人でした。

彼女はこんなことを言ってました…

●実は、女は男より強いから、小さい頃から「女の子らしくしないさい」って、牙をむきださないように育てられているんですよ。

ふーん、そういうことだったんですか。納得。

●女には二つのタイプがあります。一つは、子供を産んで、社会的役割を果たしたら、さっさと旦那に見切りをつけて、子供だけにかかりっきりになるタイプ。もう一つは、それでも、旦那にかかわる人。でも、後者に限って、他の男性にも優しい浮気性のタイプなんですよ。

ふーん、なるほどねえ…。

●女の人は、その場で癒やされない限り、いつまでもその恨みを覚えています。「大変だったねえ」とか「僕が悪かったよ」と、一言でもあれば、救われるのです。

そうですか…。

●男の人って、誰でもいいから、褒められたいんでしょう?だから、水商売の女の人がいるバーに行ったりするんでしょ?

言葉がありません…。

こういった感じです。

今こうして振り返ってみると、人と人との出会いは「一期一会」です。これまで、一体、何人の人と出会って、別れたのか、数えていませんが、私の場合、普通の人とは違って、恐らく何万人という桁外れの数になるかもしれません。

佐橋さんとは、もう二度と会うことはないでしょう。半永久的とかいうのは、ないんだなあ、と思いました。なぜ、彼女のことを思い出したかと言えば、当時、一人も知っている人も友人もいなく、縁も所縁もない所に放り出されて、不慣れな仕事をしなればならなかった孤独の魂を癒やしてくれたからです。

●今、あなたは大変な環境におかれているのかもしれませんが、人生は、結局、プラスマイナスゼロなんですよ。

どんなに辛くて悲しいことがあっても、一日のうちに数時間でも、一年のうち、数ヶ月でも楽しいことがあるはずなのです。

人生は、たとえどんな職業に就こうが、どんな立場にいようが、どんな逆境にいようが、結局、プラスマイナスゼロなんですよ。

人間の悩みについて

 

 

昨日、このブログを休んだのは、社内の人間関係で、あまり愉快でないことがあったからクヨクヨ悩んでいたためでした。

人間の悩みの80%は、「人間関係」なんじゃないかと私は睨んでいます。最近、家庭内で殺人事件が多いのも、その一種です。家庭は人間生活を営む最低の単位であるし、会社や組織も、人間生活を支える最低限の単位なので、どんな人間でもそれから逃れて生きていくことはできません。霞を食べて生きていける仙人なら別ですが…。

 

よく「話せば分かる」と言います。しかし、その相手は、全く、話が通じないのです。自分が正しいと確信しているので、聴く耳を持たないのです!全く根拠のない自信で満ち溢れ、こちらを見下し、非常に失礼な態度をとるのです。

 

そんなことがあったものですから、言葉が通じなければ、それ以外の手段を選んでもいいのではないか、とか、だから、世の中、諍いや戦争がなくならないんだ、とか、突拍子もないことばかり考えてしまい、悶々としてしまいました。

 

本当に嫌な奴で、殴ってやろうかと思いましたが、暴力沙汰にならなくてよかったと思っています。そういう詰まらない人間と同じレベルに堕ちなくてよかったと思っています。関わらないのが一番です。生活のために接触しなければならなければ、悠久の宇宙の時間からみれば、瞬きするほど一瞬です。我慢すればいいのです。

 

そんな時、こんな言葉に出会いました。英国の哲学者バートランド・ラッセル(1872-1970)の言葉です。

 

「人は、自分以外の人間や国家や信条を嫌悪しなければ、幸福を感じることが少ない」

 

彼がいつ発言したのか分かりませんが、1970年に亡くなっているので、それ以前であることは確実です。

 

まるで、予言だとは思いませんか?「9・11」以来、キリスト教とイスラム教の「文明の衝突」が叫ばれたり、拉致問題があったり、この私のように、ゴミ粒のような低次元のレベルで、他の人間を嫌悪することによって精神の安定を図ったり…。何か、心を見透かされたような感じで、ドキッとしてしまいました!

だから、皆さんも毎日、どんな嫌なことがあっても、じっと耐えて我慢してください。決して、言葉も含めて暴力に訴えてはいけません。たとえ相手が理不尽であってもです。負けるが勝ちです。

シンクロニシティ

 函館でした!

新年明けましておめでとうございます!

え?こんなお正月に私のブログにアクセスして頂いているんですか?

いや、いや、、俺は5日に見ているよー。あ、そうですか。そういうことでしたか…。でも、正月に態々アクセスしてご覧なってくださっている方もいらっしゃるんですよね。感謝申し上げます。

今日は、お正月らしく(?)不思議な体験を…。

ユングの言ういわゆるシンクロニシティです。

昨日、ラジオを聴きながら新聞を読んでいたら、ラジオで「上野のアメ横では、お正月の買い物客でごったがえしています…」というニュースを放送するほぼ同時に、私は新聞でそのニュースを読んでいたのです。

え?という感じでした。

なぜなら、その直前に、「明治神宮では310万人の初詣客が予想されます」という記事を読んでいるのと同時に、ラジオでも同じニュースをやっていたのです。

2回続くと驚きますよね。何か偶然じゃないような気がしませんか?

まさに、シンクロニシティという奴ですよ。

もう、すっかり足を洗いましたが、パチスロにはまっていた頃、「777」のラッキーナンバーが並ぶ直前に、その出目が出る数字が出てきて、もうすぐラッキーナンバーが揃うぞという予感めいた「空気」になります。

最近、理由も証拠もないのですが、そんな「空気」が流れてきているような感じがしているのです。

つまり、何か、自分の思ったことがそのまま実現するような…もちろん錯覚かもしれません。

思ったことが実現するといっても、そんな大それたことではないのです。散歩していて、アイスクリームを食べたいなあと思ったら、目の前に偶然、ハーゲンダッツのお店があったりするようなことです。あと、30分後に自分は携帯で某所に電話しているイメージが思い浮かびます。すると、やはり、30分後に携帯で電話していたりするのです。

これは、笑い話ですよね。これからやることは自分で決めて、自分でやることなのですから。

でも、私の場合は、自分がそういう行為をしていることが第三者の目で見えてくるのです。

正月早々、ちょっと脱線した話で失礼しました。

今年も宜しくお願いします!

霊感商法は詐欺だ

 

 

 

霊感商法で、現職の神奈川県警の警視宅が家宅捜査されましたね。取り締まるべき警察官が、グルだったとは驚きです。

 

この種の事件、つまり、人の不安につけこむ事件は、なくなりませんね。手を換え品を換え、消えては現れ、消えては現れます。マルチ商法も、自分は騙されないぞと思っても、なくなりません。今は、和牛商法ですが、以前は健康食品、養殖エビ、山林なんてのもありました。

 

霊感商法の話でした。

「これが効く」と言われても、証明できないところがミソです。「鰯の頭も信心から」という諺があるように、昔からこの手の「職業」はあったのでしょう。実際、それで、不安が軽減されて、運をつかんだ人も偶然にもいたことでしょう。

 

今回の「詐欺」の主役とされているのが有限会社「神世界」(しんせかい)と呼ばれているヒーリングサロンなのですが、「魂を昇らせるのに70万円」「特別祈願料で50万円」「御礼祈願料で40万円」…なるものが請求されるようです。サロンでは「警察の人がいるから安心」とセールストークに使っていたらしいのですが、こればかりは、嘘ではなく、本当だったので、笑えないほど悪質です。

 

神世界被害対策弁護団が昨日、記者会見してその実態を明らかにしたのですが、へったくそな字で「楽」とか何とか書かれた書などもありましたが、これも何十万円とかで売りつけられたのでしょう。そんなもん効き目があるわけないのに、不安に駆られて切羽詰った人が「警察のお墨付き」とか言われれば、コロリと騙されてしまうのかもしれません。

ワイドショーのキャスターが、「ある神社が御札を100万円で売ったら、これも霊感商法になるんでしょうかね」とコメンテイターに聞いたら、そのコメンテイターは「それはなりません」と答えていましたが、私なんか「そうかなあ。大して『神世界』と変わりがないじゃないか」と思ってしまいました。

 

よく、霊が見えるとか言う人がいますが、私の知っている範囲では、その人は決して、金銭を請求したりしませんでした。ですから、多額な金品を請求する人がいたら、その人が有名無名問わず、既成宗教だろうが、新興宗教だろうが、サロンだろうが、霊媒師だろうが、「商売」だと考えて間違いない、と断言します。

結婚とは…

 

 

 

結婚とは、一組の男女が、一時の熱情にかりたてられて一緒になり、ともに狭い部屋に棲むことである。

と作家の渡辺淳一氏は言います。(出典は省略します)

狭い部屋に一緒に棲むからさまざまなトラブルが生じるのだと言います。

恋人時代や婚約時代にはお互いに見えなかった欠点が一緒に棲むようになると見え、お互いに嫌になるというのです。

「結婚は7年制にして、その都度更新したらいい」と発言したドイツの女性政治家もいました。

私は、コメントを避けます。福田首相みたいでしょう?

誇りと恥

 

 

 

今、日本で最も有名な脳生理学者の一人が、あるインタビューで以下のような趣旨の発言をしておりました。

 

「人間は、困難を乗り越えると、そのご褒美としてドーパミンの快楽が発散され、次の障害や困難を乗り越える力や知恵になる。だから、人間には困難や障害があればあるほど成長するのです」

 

うーん、そうですかねえ?私は、ここ十年近く、困難と障害だらけでしたけど、あまりドーパミンさんにお目にかかることはできませんでした。何か大きな目に見えない力が天の配剤として裁いてくれたのか、時間が解決してくれたのかわかりませんけど、黙ってじっと嵐が去ってくれるのを願っているだけでした。逆風が吹けば耐えるしかないではありませんか。我慢、辛抱、忍耐のみでした。

 

ということで、人は証明できなくても、万人に当て嵌らなくても、人は何を言ってもいいのだと悟りました。

「何を言ってもいい」ーということで、転びまろびつつ、このブログを書き続けています。

ある人が、このブログを読んで、私は「国家転覆を図る左翼主義者で、在○で、某宗教団体会員だ」と思ったそうです。

別に、「何を書いても自由」なら、「どう判断されても自由」だと思いますが、残念ながら、いずれも私には当て嵌まりません。

私は、いつも通勤で同じ車両に乗らないと気がすまない性質ですし、お風呂に入って最初に体を洗うのは左腕からで、バスタブに入るのは右足から、毎日必ず新聞を読み、偶にはお酒を飲み、煙草はきっぱり止め、麻薬は吸わない(当たり前ですか)極めて保守的な信条で生活を送っています。伝統芸能は好きですし、年始は必ず神社にお参りし、いわゆる神社仏閣巡りに無上の喜びと心の平安を感じる典型的な日本人の一人だと思っています。

ある高名な評論家が「人間は、宗教的信条や思想的信条より、自分自身の誇りと恥を最優先して生きていくものだ」と書いておりましたが、妙に納得してしまいました。

あなたは何を誇りとして生きていますか?

あなたは何を恥として生きていますか?

そう、聞かれれば、私自身もその気持ちで生きています。電車の中でお化粧したり、大声で携帯電話でしゃべったりすることは「恥」だと思っているので、絶対にしません。

車内でお化粧したり、携帯で話したりする人はそれが恥だと思っていないからできるのでしょう。

昨晩も、仕事の帰りの車内で大声で携帯で話す若作りのおばあさんがおりました。孫らしき5歳くらいの小児が、靴を履いたまま座席に座り、ぶつかってきても保護者は平気な顔でした。それでいて、「アイン、ツヴァイ」だのと、ドイツ語で二人で会話して「おまえらとは身分が違うんだぞ」といった雰囲気を周囲にばらまいておりました。

私はたまりかねて注意をしました。

しかし、おばあさんは聞こえないふりをして無視しました。

その時、私は「人間は教条主義的な信条で生きているのではないのだ」ということを確信しました。

「あなたは絶対!運がいい」

友人から「おまえは、裏のない人間だ」と言われたことがあります。包み隠さず、己をさらけ出す性分だからでしょう。

親友からは「彼は、裏の裏もない人間だ」と言われたことがあります。裏の裏は表なので、表も裏もない人間という意味なのかもしれません。

そんな人間である私が正直に告白すると、友人関係でまた滅入ってます。身から出た錆なのですが、本当に自分自身が嫌になります。

そういう時、浅見帆帆子さんが24歳の時に書いた「あなたは絶対!運がいい」(グラフ社)は本当に、砂漠で出会ったオアシスのように身に染みます。

そこには、こんなことが書かれています。

精神のレベルを上げるには、自分の本音に基づいた行動することに限ります。例えば…

●考えても解決しそうにない時は、考えなくてもよい。

●「いやだなあ」と思う人とは無理して会う必要はない。

●自分が不安になるようなことは考えない。

●「なんだかこうしたい」と思うことは行動に移す。

●人間の「心」はプラスのパワーでいっぱいにしておくと、嫌なことは排除して、嬉しいことだけを引き寄せてくれる。

●自分の好きなことをやらなければ成功しない。

●自分の人生の中で起こることは、どんなことでも全部自分が作り出しているか、招き寄せていること。偶然というものはない。

●「絶対にうまくいく」と信じること!

この伝でいくと、友人は、私のことをひどく嫌っているので、「無理して会うことはない」。こういうことが起きたのは、彼のせいではなく、「全部自分が作り出したこと」なので、「自分の好きなことをやる」しかないということが分かったのです。

この本を読むように薦めてくれたのは、帯広の平田さんですが、24歳に救われました。

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