こう毎日のように気温35度、36度の日が続き、天気ニュースで「命に関わる危険な暑さです」「不要不急の外出は避けてください」などと叫ばれたりすると、さすがに、今年の夏休みの旅行計画は諦めました。泊り掛けだけでなく、片道数時間の小旅行も含めてです。「野ざらし」紀行になりたくありませんからね。
熱中症が危険なのは、高齢者だけではありません。先程も、山形県の女子中学生が部活帰りに熱中症の疑いで倒れ、亡くなったというニュースをやっていました。若くて元気溌剌なはずなのに、部活で無理をし過ぎたのでしょうか。大変お気の毒で、ご冥福をお祈りいたします。
この異様な猛暑はどうしたもんでしょうかねえ? 気温40度などという現象は、日本だけでなくイタリア、ギリシャ、米国など世界各国(今は北半球)で起きています。昨日も国連のグテーレス事務総長が「地球温暖化の時代は終わった。地球沸騰化の時代が到来した」などと発言しておりました。
思うに、人類滅亡につながりかねない原因は、人為的な環境破壊による気候変動に尽きるかもしれませんね。
この確信に突き当たるまでに、私自身は、ずっと、ずっと、トマス・ホッブズ(1588~1679年、清教徒革命期から王政復古期にかけての英国の政治思想家。91歳という当時としてはかなりの長命だったので、日本で言えば、家康から五代綱吉の時代まで生きたことになります)の「リヴァイアサン」が気になっておりました。
リヴァイアサンといえば、「万人の万人に対する戦い」the war of all against all というフレーズが有名です。個人の能力差が明白にないような人間同士が自然権を行使し合うと、結果的に各人が闘争し合うことになるという説です。苛烈な生存競争です。会社や役所内での出世競争もそれに入るでしょうが、道端を歩いていて、こちらが右側の隅を歩いていても、左側を歩いてきた暴漢が「どけ!」とばかりにぶつかってくるような些細なことも入ります。
自己保存の権利が衝突するわけですから、そこには善悪はありません。お互いに自分が、自分たちこそが正義であると主張します。ホッブズは、この混乱状況を阻止するために、「人間が天賦の権利として持ちうる自然権を国家に対して全て譲渡するべきだ」という社会契約説を主張します。この思想はジョン・ロックやジャン・ジャック・ルソーらにある意味で引き継がれ止揚されていくわけです。
「生存競争」は、ダーウィンの言葉ですし、「自己保存の権利の衝突」は、人類学的にも生物学的にも簡単に証明されます。法や秩序もない弱肉強食のジャングル状態です。しかし、何が言いたいのかと言いますと、今は、人間同士が争っている暇はないんじゃないですか、ということなのです。
5億4000万年前以来、これまで「ビッグ・ファイブ」と呼ばれる生物の大量絶滅期がありましたが、一部の科学者は、今は、既に6度目の大量絶滅の危機を迎えている、と訴えております。2億5000万年前には、地球上の生物の種の95%も絶滅した最大危機もありましたが、6度目は一体どれくらいの種の割合が絶滅するのでしょうか?
今から6600万年前に、1億6000万年間も栄華を誇った恐竜が絶滅しましたが、その原因は隕石と激突と大規模な火山噴火による気候変動だと言われています。でも、今回の「6度目の大量絶滅の危機」の要因は、乱獲や伐採、化学汚染などよる環境破壊など人為的なものという説が有力です。となると、人類滅亡も視野に入れなくてはいけませんね。地球温暖化による熱中症で、若い元気なヒトが亡くなることも何か関係ありそうです。(ちなみに、現生人類のホモサピエンスは20万年前に出現し、文字や話言葉も創造し、農業革命で文明を築いたのもわずか1万年前です。恐竜は凄い!)
私自身は、別に危機感を煽り立てるつもりは毛頭ありませんよ。それに、人間というものは、おめでたく出来ているようで、いまだにコロナ患者が増え続けていると報道されても、マスクもつけずに、クラスターが起きかねない、人間が密集するお祭りや花火大会を「4年ぶりだあ~」とか何とか言って、楽しんでいるではありませんか!
結局、地球温暖化も他人事ですし、マルセル・デュシャンの墓碑にあるように「D’ailleures, C’est toujours les autres qui meurent.(何はともあれ、死ぬのはいつも他人)」だと思っているのです。