「世界はラテン語でできている」とは驚くばかり

 今、巷で話題になっている「世界はラテン語でできている」(SB新書、2024年2月26日第5刷、990円)を読んでおります。著者は「ラテン語さん」という人を食ったような命名ぶりですが、ラテン語を高校2年から学び始め、大学は語学専門の東京外国語大学(英語)を卒業されているということで、そして、何よりも「売れている」ということで、書店で山積みになっていたので購入したのでした。

 ラテン語は古代ローマ帝国の公用語でしたが、それが後に英語やドイツ語やフランス語やスペイン語などに借用され、現代の世界の言語の「語源」になっている、というのがこの本の趣旨、もしくは肝になっています。

 私も学生時代、名著と大変評判だった村松正俊著「ラテン語四週間」(大学書林、初版が1961年!)を購入して独学しましたが、あまりにも難しくて途中で何度も挫折してしまいました。勿論、その本はもう家にありませんが(苦笑)。私も同じ語学専門の大学だったので、ラテン語の選択科目がありましたが、浅はかだったので、敬遠してしまいました。

 でも、大学時代は、俗ラテン語を起源に持つロマンス語系と言われるフランス語を学んだお蔭で、間接的にラテン語も勉強した格好になりました。英語だけ学んでいただけでは、駄目ですね。ラテン語は英語よりもイタリア語やスペイン語、仏語の方が「残滓」が残っています。

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 ラテン語を勉強すれば得するのか?ーいや、別にラテン語を習得すれば商売がうまくいったり、出世したりするわけではありませんので、(例外を除いて)得するわけではありませんけど、知っていても困るわけでもないですし、むしろ、世界が広がるかもしれません。日本語は漢語が語源になっているので、中国語を勉強した方が良いでしょうが、学術用語などで日本語に取り入れられている例がこの本には沢山出てきます。(植物名やホモ・サピエンスなど)

 私もラテン語が語源の言葉はある程度知っているつもりでしたが、この本を読むと知らないことばかりでした。

 沢山あり過ぎるので、2~3例を挙げますと、money(お金)の語源は、警告者を意味するMoneta(モネータ)が語源です。これは、ローマのカピトリーヌスの丘にあった神殿に女神ユーノー・モネータ(警告者ユーノー)が祀られ、この神殿に貨幣の鋳造所があったため、ということですが、分かるわけありませんよね(苦笑)。

 また、ファシズムの語源になったのは、ラテン語のfasces(ファスケース)で「束」を意味します。これが古代ローマでは特別な意味を持つ「束桿(そっかん)」になります。束桿というのは、斧の周りに木の枝を束ねて革紐で縛ったもので、執政官に仕えた警士が携帯し、権威のシンボルになったといいます。(この本ではこのように書かれていませんが、説明が分かりにくかったので、自分で調べて書きました。)

 ちなみに、斧はラテン語でsecuris といい、語源はseco(切る)になります。これが、英語のsect(分派)、sector (分野)、section(部門)などの語源になったといいます(本文75ページ)。

 キリがないのでこの辺でやめときますが、ラテン語は近世まで欧州各地で使われていたことを特筆しておきます。宗教改革の基になったドイツのマルティン・ルターの「95箇条の論題」(1517年)=私が学生時代は「95箇条の御誓文」と言ってました。また、ルターが糾弾したものは「免罪符」と呼んでおりましたが、最近は「贖宥状」と言うんですか!全然、違うじゃないか!=も、地動説を唱えたポーランドのコペルニクスの「天球回転論」(1543年)も、重力を「発見」した英国のアイザック・ニュートンの「プリンキピア」(自然哲学の数学的諸原理 Philosophiæ Naturalis Principia Mathematica、1687年)もラテン語で書かれていたのです。

元乃隅神社(山口県長門市)Copyright par TY

 いずれにしても、「世界はラテン語でできている」というのは大袈裟ではなく、幾つも例があるので、驚くばかりです。

 ラテン語は日本人にとって、文法がかなり難しいので途中で挫折してしまいますが、文字はローマ字読み出来るので、意外と近しく感じるかもしれません。

インド、そのあまりにも複雑な歴史、民族、言語、宗教

 進境著しいインドは、2027年にはGDP(国内総生産)でドイツ、日本を追い抜いて、米国、中国に続く世界第3位になると予想されています。

 人口は昨年、14億2860万人と推計され、中国(14億2570万人)を抜いて世界一になったというニュースは記憶に新しいです(国連人口基金)。

 まさに、飛ぶ鳥を落とす勢いですが、考えてみれば、インドの発展は今に始まったわけではありません。19世紀から20世紀にかけて、100年近くも英国の植民地になったため、「遅れた地域」の印象が焼き付けられましたが、もともと人類の世界4大文明の一つ、インダス文明(紀元前2600年頃)の発祥地だったんですからね。建国250年そこそこの米国など当時は影も形もありません。何しろ、「零」を発見した民族で、特別に数学に強く、世界中の大手IT会社から引っ張りだこで、グーグルやマイクロソフトなどでインド系の人がCEOも務めていたりしています。

 インドの歴史を一言で語ることは私には出来ません。アショカ王のマウリヤ朝、カニシカ王のクシャン朝など学生時代に一生懸命に覚えましたけど、大方忘れてしまいました(苦笑)。

 それより、インドといえば、何よりも宗教と哲学(ウパニシャッド)の国だという印象が私には強いです。宗教に関しては、日本の外務省の基礎データによると、インドでは「ヒンドゥー教徒79.8%、イスラム教徒14.2%、キリスト教徒2.3%、シク教徒1.7%、仏教徒0.7%、ジャイナ教徒0.4%(2011年国勢調査)」になっています。

 日本を始め、チベットや中国、朝鮮、東南アジアに普及して多大な影響を与えている仏教徒が、本国インドではわずか0.7%しかいないとは意外でした。イスラム教は、パキスタンやバングラデシュがインドから独立してイスラム国家をつくったのですが、インド本国にもイスラム教徒が14.2%占めていたんですね。でも、ほとんどのインド人は約8割を占めるヒンドゥー教徒だということが分かります。

 ですから、インドではヒンディー語が使われているものと思っていたのですが、多言語国家だと知って吃驚しました。ヒンディー語は「公用語」ではありますが、他に州単位で21の言語が公認されているというのです。知りませんでした。本日、この記事を書くきっかけとなりました。

 例えば、インド北東部では「ボージュプリ語」、南インドでは「タミル語」、インド西部では「マラーティー語」、北インドとパキスタンでは「ウルドゥー語」、インド南東部では「テルグ語」、インド東部では「オリャー語」が話されているというのです。タミル語とウルドゥー語はかろうじて知っていましたが、その他は初めて聞く言語ばかりです。

 インドの歴史を一言で語れないのもそのせいかもしれません。あまりにも複雑で、色んな民族が入り乱れているからです。今のアフガニスタン系の人が一時ですが、インドの一部に王朝を築いたこともあります。

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 インド文明の転換点は、紀元前1500年頃のアーリア人の侵入だと言えます。これまで、印欧語族のアーリア人は、インド北西部から今のイラン、アフガニスタンを経てインド大陸に侵攻し、ついに南部のドラヴィダ人のインダス文明を滅ぼしたという説が有力でしたが、最近では、インダス文明の滅亡は、インダス川の氾濫などが要因で、アーリア人侵攻とは無関係という説が有力になっているようです。

 それでも、アーリア人がインドを征服したことには変わりはありません。彼らが信仰していたバラモン教は、現在のヒンドゥー教に発展し、バラモンを頂点とするカースト制度がこの時に社会形成されたと言われています。征服者のアーリア人が被征服者のドラヴィダ人などの上に君臨するといった構図です。

 そうです。やはり、インドといえば、カースト制度の国で、「バラモン」(司祭)、「クシャトリア」(王侯・士族)、「ヴァイシャ」(庶民)、「シュードラ」(隷属民)の四つの身分制度があり、その制度の最下層に「ダリット」と呼ばれる不可蝕民がいます。仏教の開祖ゴータマ・シッダールタ(釈迦)は出家する前は王子でクシャトリア階級でしたから、お釈迦さまでさえバラモン階級から差別されました。そこで、身分の隔たりなく、煩悩凡夫でも誰でも覚りを開くことを導く宗教を打ち立てのでした。その関係なのか、現在のインド仏教は、最下層のダリット階級の人々に多く信仰されていると聞いたことがあります。

 この身分制度は、3500年間、ガチガチで揺るぎないものだと私は思っておりましたが、最近では、「反バラモン運動」なるものが盛んで、これまで高額所得が得られる公務員や大企業の社員などになれるのはバラモン階級ぐらいだったのが、だんだん、その他の階級にも門戸が開かれるようになったといいます。現代インドは共和政であり、為政者も国民による選挙で選ばれるようになっていますからね。

 いずれにせよ、インドの歴史、文明、宗教、哲学はあまりにも複雑過ぎて、とても一言では表現できません。というのも、現在、日本で報道されるインド関係のニュースといえば、モディ首相の動向ぐらいです。あとは、世界最大と言われるインド映画の話題ぐらいですか。「反バラモン運動」が盛んになっていることなど、私は全く知りませんでした。

 今、聴き逃しサービスで聴いている水島司東大名誉教授によるNHKカルチャーラジオ「歴史再発見 走り出すインド」(全13回)で色々と教えてもらっています。

英国人とは何者なのか?

 昨日は、清水健二著「英語は『語源×世界史』を知ると面白い」(青春出版社)を取り上げ、内容については、「かなり知っているつもりだった」と放言してしまいました。

 これからは、正直に、この本に書かれていた語源で、知らなかったことを告白していきます。(順不同)

 ◇ lady (女性、貴婦人)は「パン生地をこねる人」だったとは!

 「領主」や「地主」「管理者」などを意味するlord は、「パンを管理する者」が語源で、ここからloaf (パン一斤)が派生し、「パン生地をこねる人」のlady も派生した。ちなみに、女性の地主は、landlady 。

東銀座

 ◇フランス人はフランク人か

  481年、ライン川東岸にいたゲルマン系のフランク人が北ガリア(北仏)に侵入してフランク王国を建国します(第一次ゲルマン人の大移動)。フランク Franks は、彼らが好んで使用していた武器「投げ槍」に由来します。フランク人は自由民であったことから、frank は「率直な」という意味になり、これから、「自由に販売・営業する権利」などを意味するfranchise (フランチャイズ)に派生します。名前のFrancis は「自由で高貴な」、Franklinは「槍を持つ人」「自由民」を意味します。ドイツの都市フランクフルトFrankfurt は「フランク人が渡る浅瀬furt 」だったとは知りませんでしたね。

 フランク人に征服される前のフランスは、ケルト系のガリア人が住んでいました。古代ローマ帝国のカエサルが遠征した「ガリア戦記」で有名です。フランス人は、自分たちのことをゴウロワ(ガリア)と自称していますから、大まかに言えば、ケルト人とゲルマン人の混血が今のフランス人になったということになるでしょう。

 ◇英国人はノルマン人なのか

 5世紀中頃、アングロ・サクソン人がブリテン島に侵入して、先住民のケルト系ブリトン人を征服します。(ブリトン人は、4~6世紀にフランスのブルターニュ地方に移住し、ブルトン人と呼ばれます。)アングロ・サクソン人とは、ユトランド半島とドイツ北岸のエルベ川流域に居住していたゲルマン系のアングル人とサクソン人とジュート人の3部族の総称のことです(第一次ゲルマン人の大移動)。

 アングル人は、ユトランド半島の海岸線の地形が釣り針(古英語でangel)に似ていたことからそう呼ばれたといいますが、このアングル人が住む土地からイングランドEngland 、アングル人が話す言葉からイングリッシュEnglish が生まれました。また、アングル angle は「角」とか「角度」を意味したことから、triangle(三つの角⇒三角形) quadrangle(四つの角⇒四角形、) rectangle( rect真っ直ぐな角⇒長方形)が派生しました。さらに、ankle 「曲がったもの」から「足首」、anchor「曲がったもの」から「錨」が生まれました。

 サクソン人the Saxonは「ナイフを持った兵士」、ジュート人 the Jutes は「ユトランド Jutlandの住人」に由来します。

 そっかあ、英国人とはゲルマン系のアングル人の子孫かあ、と思ったら、9世紀頃からノルマン人(スカンジナビア半島やユトランド半島など北欧に留まっていたゲルマン人。いわゆるヴァイキング)の一派であるデーン人(デンマーク人)がブリテン島を征服します。デーン人は11世紀にも再び、侵攻して、クヌート1世は、デンマークとノルウェーだけでなく、イングランド王まで兼ねます(第二次ゲルマン人の大移動)。

heaven

 そっかあ、英国人はデンマーク人なのか、と思ったら、1066年、ノルマンディー公ギョーム2世が王位継承を主張してイングランド王国を征服して、ウイリアム1世として即位します。世に言う「ノルマン・コンクエスト Norman Conquest」です。(ノルマンディーは、西フランク王のシャルル3世が、ヴァイキングの侵入を防ぐためにノルマン人にフランス北西部の土地を与えて公爵に任命したもの)このノルマン王朝が現在の英国王室に繋がっています。先に亡くなったエリザベス女王も生前、「あれ(ノルマン・コンクエスト)は私どもがやったことです」とインタビューに平然と答えたといいます。

 となると、英国人はノルマン人(ヴァイキング)ということになりますね。しかし、先住民が絶滅したわけではないので、英国人とは、ケルト人(アイルランド)とゲルマン系のアングロ・サクソン人とデーン人の末裔でもあるわけです。ブリテンに王朝を建てたノルマンディー公ギョーム2世はフランス育ちなので、英語が出来ず、ノルマン・コンクエストからその後300年間も英国の公用語はフランス語で、公文書はラテン語を使っていたといいます。えっ?英語はどうしちゃったの? 辛うじて庶民が使っていたようです。

 道理で、日本人は、英国人とフランス人とドイツ人とデンマーク人とノルウェー人との区別がつかないのかよく分かりましたよ。

 でも、英国人だの、フランス人だのと言っていては、ちいせえ、ちいせえ。元々、欧州にはネアンデルタール人(43万~4万年前)が住んでいたのですから。ネアンデルタール人は4万年前に絶滅しましたが、はっきりした原因は分かっていません。現生人類ホモ・サピエンスよりも、脳の容積量が多く、腕力も強かったのに、です。はっきりしているのは、少子化による子孫絶滅ということですから、ホモ・サピエンスも少子高齢化社会ですから、ネアンデルタール人と同じ運命を辿るかもしれません。

ミトラ神を巡る攻防=弥勒菩薩が貶められあんまりだあ

 清水健二著「英語は『語源×世界史』を知ると面白い」(青春出版社)を相変わらず読んでいます。

 前回(7月31日)、この本を渓流斎ブログで取り上げた際、ちょっとケチを付けてしまいましたが、訂正します。なかなかよく出来たためになる本です。英語の語源と世界史を同時に学ぶことが出来るので、一石二鳥、一石三鳥です。

 「言葉は世につれ、世は言葉につれ」なんて私しか言ってませんけど、言葉は歴史的出来事の影響に事欠きません。この本を読むと、英語が特に影響を受けたものは、順不同で挙げてみますと、古代ギリシャ神話、ローマ神話、古典哲学、医学、天文学、キリスト教、イスラム教、人種と民族、十字軍、ルネサンス辺りで、この本でも章に分けて解説しております。

Toda Fireworks

 私自身、かなり知っているつもりでしたが、この本で初めて知ることも多く、勉強になります。その中の一つが「ミトラ教」です。キリスト教が入る前の古代ローマは多神教で、ミトラ教もその一つでした。これは、古代インドや古代イランの太陽神ミスラ信仰やアケメネス朝ペルシャのゾロアスター教の流れを汲む密教宗教がローマの神々と融合されたもので、歴代ローマ皇帝も信奉者だったといいます。自らを太陽神ミトラになぞらえて皇帝崇拝の思想を強める狙いがあったといいます。

 このミトラmitra は、サンスクリット語で「軽量者」の意味で、歳月を測ることから「太陽神」となります。また、人間関係を量ることから「友情の神」「契約の神」などとされるといいます。このミトラの語源から阿弥陀(アミターバ amitabha とアミターユス amitayus)が出来て、阿弥陀仏とは、「測り知れない命や光の仏陀=覚りを開いた人=」を意味することになります。

 ミトラ mitra は、インド・ヨーロッパ語に入ると「量る、測る」という意味のme となり、この派生語から、metronome(メトロノーム)、 diameter(直径)、 thermometer(温度計)、 symmetry(左右対称)、 asymmetry(左右非対称)、 pedometer(歩数計)などが生まれました。

銀座

 ここまでがこの本に書かれていることですが、ミトラと言えば、以前読んだ植木雅俊氏がサンスクリット語から現代語に翻訳した「法華経」(角川文庫)を思い出します。ミトラ神は仏教にも取り入れられ、マイトレーヤ菩薩になったというのです。マイトレーヤ菩薩とは、釈迦入滅後、56億7000万年後に仏陀として現れる弥勒菩薩のことです。でも、「法華経」では、文殊菩薩が語るところによれば、この弥勒菩薩は名声ばかり追い求める怠け者だったとしているのです。何ともまあ手厳しい。弥勒菩薩は京都・太秦の広隆寺の半跏思惟像が大変有名で、あの有難い弥勒菩薩が、そこまで貶められてしまうとは! この部分について、翻訳者の植木氏は「イランのミトラ神を仏教に取り入れて考え出されたマイトラーヤ菩薩を待望する当時の風潮に対する皮肉と言えよう」と解説しています。

 こうして見ていくと、インド・ヨーロッパ語族というくらいですから、古代の世界は現代人が想像する以上に、欧州とペルシャとインドとの交流が盛んだったということが分かります。ただし、宗教に関しては、お互いにかなり影響を受けながらも、欧州人とイラン人とインド人とで反目し合っていたということなのでしょう。

(つづく)

語源を学ぶと楽しくなる

 先日、映画を観に行った際、同じビルの5階に大型書店があるので覗いてみました。犬も歩けば棒に当たる、です。

 そしたら、偶然にも面白い本が見つかりました。「語源」の本です。以前から手頃な本がないかなあと思っていたところでした。この本は向こうから飛び込んで来ました。清水健二著「英語は『語源×世界史』を知ると面白い」(青春新書、1100円)という本です。初版が7月15日と出たばかりなので、目立つ所で平積みになっていました。著者は、進学校で知られる埼玉県立浦和高校などで長年、英語教師を務め、「英単語の語源図鑑」シリーズ累計90万部突破を誇るなどかなりのベストセラー作家でした。だから平積みになっていたんでしょう。

 でも、偉そうに言いますけど、ちょっと読みにくい編集の仕方です。著者は頭が良い人だということはよく分かりますが、次々と話が飛んで、色んな単語が出てきて、正直、学習しにくい面があります。それに、出来れば巻末に参考文献か引用文献のリストが欲しい。本の内容の信憑性を高めるためにも…。なーんて、悪口を書いてはいけませんね。少しは頭を低くして拝読させて頂かなければいけません。ただし、私自身は世界史が得意だったので、何も困ることはありませんが、不得意な方は大変でしょうね(笑)。

東銀座

 語源の本が欲しかったのは、この歳になっても、いまだに英語の勉強をしているからです。主に杉田敏先生の「現代ビジネス英語」をテキストに使っていますが、この中で、asteroid という単語が出てきて、「小惑星」という意味だと知りました。これは、aster-oid と分解され、asterは「星」、oidは「のようなもの」になるそうです。そっかあー、これは分かりやすい。ちょうど、星座の勉強もしていたので偶然の一致です。asterisk は「星印(*)」という意味ですし、asterism は「三ッ星」「星座、星群」の意味になります。高級中国料理店の「銀座アスター」は、「銀座の星」という意味なのかなあ?

 この本で初めて知ったのは、disaster です。「災害」とか「大惨事」という意味で中学生でも知っていますが、この単語は、dis-aster が語源だったんですね。 disは「否定」とか「~から離れて」といった意味です。asterは勿論、「星」です。つまり、「地球が幸運の星から離れた時に災害が起こるという中世の占星術から生まれた言葉」(47ページ)だというのです。

 oid「のようなもの」も色々あります。今、日本人が一番身近にあるのは、グーグルが開発したAndroidのスマートフォンでしょう。Andr-oid の Andrはギリシャ語の接頭辞で「男性」「人間」を意味しますから、「人間のようなもの」、つまり「人造人間」という意味になります。

東銀座・宝珠稲荷神社

 世界の人種は、Caucasoid (コーカソイド)、Mongoloid (モンゴロイド)、Negroid(ネグロイド)などに分けられます。 Caucasoid (コーカソイド)は「コーカサス」(「旧約聖書」の「ノアの箱舟」に出て来る神によって選ばれた場所)のような、という意味から「白色人種」ということになり、Mongoloid (モンゴロイド)は「モンゴル人のような」、Negroid(ネグロイド)は「黒人のような」という意味になります。

 日本人はモンゴロイドですから、新大関豊昇龍は「日本人のような」は間違いです。我々日本人の方が、モンゴル人の豊昇龍のようなものになるんでしょうね。

 いずれにせよ、語源を知れば、外国語の勉強が楽しく捗ります。

浅草物語=Aさんと10年ぶりの再会

 25日(日)は、久しぶりに浅草に行って来ました。友人のAさんと10年ぶりぐらいに会うためでした。

 Aさんは日本人ですが、もう長らくフランスに住んでおり、何年に1度か帰国する程度で、今回、久しぶりにタイミングが合ったので、渡仏する前日にお会いすることにしたのです。

浅草寺 雷門

 Aさんとは老舗蕎麦屋で待ち合わせしましたが、時間があったので、一人で観音様にお参りすることにしました。

浅草寺

 日曜日なので、凄い人出でした。でも、ほとんどが外国人観光客という感じでした。コロナの第9波が始まったという報道もありましたが、彼らは、もうほとんどマスクもせずに満喫しておられました。

浅草寺

 でも、考えてみれば、外国人観光客が東京見物するとすれば、浅草ぐらいしかないんですよね。奈良や京都のように広大な敷地を持つ寺社仏閣が東京にはほとんどありませんからね。

 私も以前、外国人観光客のツアーガイドをしたことがありますが、やはり、浅草と秋葉原と銀座ぐらいでした。あとは原宿の明治神宮ぐらいでしょうか。

 だから、浅草に人が殺到するのでしょう。本堂の参拝所の前は、ほとんどが外国人観光客で、かなりの行列でしたので、参拝は諦めて、目的地に向かいました。

浅草 そば処「弁天」天せいろ 1980円

 目的地のそば処「弁天」は昭和25年創業で、江戸時代から続く店もある浅草の中では、それほど老舗ではありませんが、もう70年以上続いています。グルメ雑誌「dancyu」で紹介されていたので、3週間も前に予約を取っておきました。

 天せいろに板わさ、それにビールと日本酒を注文しました。さすがdancyuお勧めとあって、蕎麦の旨味、カラット揚がった天婦羅との相性が抜群で、その美味に舌鼓を打ちました。

 久し振りの再会で、積もる話もあり、調子に乗って呑んでいたら、店の主人が不機嫌そうな顔をして「ここは2時間で制限してます」と言うではありませんか。こちらもそのつもりでしたが、まだ!1時間半しか経っていません。我々も気分を悪くして、勘定を済ませる時に、私が「まだ1時間半でしたよ」と嫌味を言ったら、向こうは「本当は日曜日の予約を取っていないんですよ」と反発するではありませんか! それなら最初から、電話で予約を受けた際に「日曜日は予約受け付けていない」と言えばいいじゃないか! 味は「日本一」で、最高だけど、もう二度とこの店の暖簾をくぐるものか、と思いましたね。(※あくまでも個人の感想です。鬼平ファンのAさんのために、せっかく日本酒と蕎麦の組み合わせで蕎麦屋さんにしたのに残念でした。)

浅草「神谷バー」デンキブラン 350円

 このまま別れるつもりでしたが、気分直しに有名な「神谷バー」に行こうと提案したら、Aさんも「私も行きたかった店です」と言うではありませんか。凄い偶然。その前に、通りすがりにビジネスホテルがあったので、私が当てずっぽうに「(前泊するのは)ここのホテルでしょ?」と聞いたら、ズバリでした。偶然の一致が続きました(やはり、人生とは偶然の産物でした=笑)。

 Aさんは大変慎み深い人で、あまりネットに書かれることは好まれないので、細かい事は省略させて頂きますが、パリ郊外の某大学で、日本語と日本文化の教鞭を執っておられる方です。久しぶりにお会いして、話は脈絡がないほど多岐に渡りましたが、超エリート教育を進めるフランスのグランゼコールの話などを伺いました。

 神谷バー名物のデンキブランは2杯で打ち止めにして帰宅しました。昨年は40度の焼酎で泥酔して帰りは傷だらけとなり、今でもその傷跡が残るぐらいですから、さすがに自重しました(笑)。

杉田敏著「英語の極意」から連想したこと

 あれから、杉田敏著「英語の極意」(集英社インターナショナル新書)を読んでいます。2023年4月12日初版ですから出たばかりです。私は、杉田先生のNHKラジオ「ビジネス英語」で勉強させて頂いたお蔭で、かなり英語が上達したと思っておりますので、お会いしたことはありませんが、勝手に師として仰いでおります。

 そんな杉田先生が、どのようにして英語を獲得されたかと言えば、毎日、必ず、ニューヨーク・タイムズを始め、英字紙3紙以上に目を通されたりしている不断の努力の賜物なのですが、それ以外に、ただ闇雲に単語や文法を覚えるのではなく、英語という言語の裏に隠された「文化」を知るべきだ、とこの著書で「極意」を明かしているのです。

 その文化として杉田氏が挙げているのは、順不同で、聖書、シェークスピアの作品、ギリシャ神話、イソップ寓話、ことわざ、スポーツ用語、広告コピーなどです。欧米人ならお子ちゃまでも知っている格言、成句、聖句の数々です。

 まあ、日本人も「鬼に金棒」とか「早起きは三文の得」とか普段の会話などにも使ったりしてますからね。

 となると、英語上達の早道は、聖書やシェークスピアなどを英語で読むことかもしれません。特に聖書は、言語だけでなく、泰西美術(西洋絵画)を鑑賞したり、バッハを始めクラッシックを聴く際は必須で、聖書を知らないと話になりません。

 残念ながら、と言う必要はありませんが、英語には、当然のことながら、仏教用語やイスラム教用語は格言としてあまり取り入れていません。ただ、The nail that sticks out gets hammered down. は、日本のことわざ「出る杭は打たれる」を翻訳して取り入れたものだと杉田氏は言います。

 聖書やシェークスピア以外で、「イソップ寓話」が結構、英語に取り入れられていたとは、少し意外でした。「アリとキリギリス」や「オオカミ少年」などは日本人でも知っていますが、「キツネとブドウ」から取られたsour grapes(酸っぱい葡萄)などは格言にもなっています。

 そしたら、この「イソップ寓話」は、定説ではありませんが、紀元前6世紀頃の古代ギリシャのアイソーポスという名前の奴隷がつくったという説があるというのです。たまたま、私自身は、3月から4月にかけて、植木雅俊訳・解説の「法華経」をずっと読んでいたのですが、この法を説いたお釈迦さまは、紀元前565年に誕生して紀元前486年に入滅されたという説があるので、イソップ(アイソーポス)とほぼ同時代の人ではありませんか! 仏教のお経が何百年にも渡ってお経が書き続けられたように、イソップ寓話も何百年にも渡って、物語が書き続けられたという点も似ています。

 お釈迦さまは6年間の厳しい厳しい苦行の末、覚りを開かれましたが、イソップさんも、奴隷だったとすれば、厳しい苛酷な肉体労働を強制されて、つかの間の休憩時間に物語を生み出したのかもしれません。

 お経は宗教書ですが、イソップ寓話は子どもでも分かる教訓書になっていて何千年も読み継がれ、語り継がれました。となると、イソップ寓話も人類の文化遺産であり、仏教書に負けずとも劣らず人類に影響を与え続けて来たと言っても過言ではないでしょう。

 さて、ここで話はガラリと変わりますが、先日、テレビで古代エジプトの悲劇の少年王ツタンカーメンの特集番組を見ました。このツタンカーメンは、父アクエンアテン王が宗教改革を断行して、多神教から太陽神だけを祀る一神教にしたため、大混乱に陥った最中の紀元前1341年に誕生したと言われます。父王の死後、9歳で即位し、戦闘中での膝の傷から感染症が悪化して20歳前後で亡くなったという波乱の生涯をやっておりました。(ツタンカーメンの死後、クーデターで実権を握って王になった最高司令官ホルエムヘブが、ツタンカーメンを歴史上から抹殺したため、長年、その存在が忘れ去られ、奇跡的にほぼ無傷で20世紀になって墳墓が発掘されました。)

 私はテレビを見ていても、法華経を説いた仏陀=お釈迦さまのことが頭から離れずにいたので、「あっ!」と小さく叫んでしまいました。

 当たり前の話ですが、紀元前1341年生まれの古代エジプト王のツタンカーメンにとって、釈迦は、自分より約800年も先に生まれる「未来人」に当たるわけです。逆に人間お釈迦さまにとっては、ツタンカーメンは800年も前の昔の人で、恐らく、その存在すら知らなかったことでしょう。

  つまり、何が言いたいのかと言いますと、古代エジプト文明から見れば、お釈迦さまは、意外にも「最近」の人で、仏教も新しいと言えば、新しい。キリスト教はまだ2000年しか経っていないからもっと新しい、といった感慨に陥ったのでした。

 Art is long, life is short.  芸術は長く、人生は短し。(紀元前5~4世紀 ギリシャの医者ヒポクラテス)

 

人間とはいったい何という怪物だろう=パスカル「パンセ」を読む

 ブレーズ・パスカル(1623~62年)の「パンセ」を再読しています。とは言っても、学生時代以来ですから、何十年かぶりです。

 哲学書ですから、難解です。年を取ったので、学生時代と比べ、読解力は上達したのではないかという妄想は誤解でした。今でも理解しづらい文章に多々、突き当たります。もっとも、パスカルは、ジャンセニウス(オランダの神学者ヤンセン)の教えを奉じる厳格なポール・ロワイヤル派の擁護に熱心だったキリスト教徒でした。そのポール・ロワイヤル派を弾圧し、教権と王権を笠に着ていたイエズス会(ジェズイット)に対する反駁の意味を込めて書き留めたのが「パンセ」でした。ということは、「パンセ」は哲学書というより、キリスト教弁証論であり、神学論争の最たるものです。極東に住む異教徒にとっては、道理で難解でした。

 パスカルは、39歳の若さで亡くなっているので、「パンセ」は、生前に出版されたわけではなく、バラバラの遺稿集でした。パスカルの死後、何種類もの版が発行されましたが、現在は、ユダヤ系フランス人哲学者のレオン・ブランシュヴィック(1869~1944年)がテーマごとに14章に編集した断章924から成る「ブランシュヴィック版」が最も読まれているというので、その翻訳書(前田陽一、由木康訳、中公文庫)を東京・神保町の東京堂で購入して来ました。

 1623年生まれのパスカルは、来年でちょうど生誕400年です。デカルトやガリレオらと同時代人で、日本で言えば江戸初期の人に当たります。同年に、後に老中になる小田原藩主の稲葉正則らが生まれています。また、この年に戦国武将の上杉景勝(米沢藩主)と黒田長政(福岡藩主)が亡くなっています。こう書くと、パスカルさんも身近な人に思えなくもないのですが、仏中部クレルモン(現クレルモン=フェラン市)の租税院副院長だった父エティエンヌらから直接英才教育を受けて、学校にも行かずに、「円錐曲線論」や「確率論」などの数学理論や、流体や圧力に関する物理学の「パスカルの原理」などを発表し、その超天才ぶりは、凡人からかけ離れた雲の上の人です。

 とはいえ、「パンセ」の中には凡人の胸にも突き刺さるような鋭い警句が散りばめられています。

 人間とはいったい何という怪物だろう。何という新奇なもの、何という妖怪、何という混沌、何という矛盾の主体、何という驚異であろう。あらゆるものの審判者であり、愚かなみみず。真理の保管者であり、不確実と誤謬との掃きだめ。宇宙の栄光であり、屑。誰がこのもつれを解いてくれるのだろう。(断章434)

 まさに、最近、私は個人的に、このような怪物のような常軌を逸した人間に会い、大変不愉快な思いをさせられたので、この警句は、私の経験を代弁してくれるような感覚になりました。嬉しい限りです。

 人間は、もし気が違っていないとしたら、別の違い方で気が違っていることになりかねないほどに、必然的に気が違っているものである。(断章414)

 パスカルの鋭い洞察力は、人間をここまで見極めてしまっています。

 400年も昔の人間でもこのような感慨に耽ってしまうんですね。

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 「パンセ」と言えば、「人間は考える葦である」や「クレオパトラの鼻がもう少し低かったら世界の歴史は変わっていただろう」といった文言があまりにも有名ですが、私が再読して、最も度肝を抜かれたのは以下の警句でした。

 好奇心は、虚栄に過ぎない。大抵の場合、人が知ろうとするのは、それを話すためでしかない。(断章152)

 かつてこの渓流斎ブログについて、友人から「衒学的だ」と批判されたことがあります。私自身は無知蒙昧を自覚し、単に知らなったことをブログに書き続けてきたつもりでしたが、パスカル氏からは「知的好奇心というものは虚栄心に過ぎず、他人に話したいだけなのだ」と喝破されてしまったようです。ブログなんかやらなければ良いということです。

 もう一つ、感服した警句は次の文章です。

 時は、苦しみや争いを癒す。何故なら人は変わるからである。もはや同じ人間ではない。侮辱した人も、侮辱された人も、もはや彼ら自身ではないのである。(断章122)

 これも個人的体験ですが、最近、長年親しくしていた友人から侮辱され、袂を分かたざるを得なくなってしまいました。パスカル先生に言わせれば、「彼は昔の彼ならず」ですか…。太宰治に同名タイトルの小説がありましたね。「人は変わり、もはや同じ人間ではない」という数学のような定理を発見した400年前の偉人は本当に凄いですね。まるで預言者です!

 いずれにせよ、「パンセ」には、「この世で生きる時間は一瞬に過ぎず、死の状態は永遠である(断章195)」、「我々の惨めなことを慰めてくれるただ一つのものは、気を紛らわすことである(断章171)」という思想が通奏低音のように鳴り響き、私も学生時代から随分影響を受けてきました。

A four of fish に新たな解釈!=ビートルズ「ペニー・レイン」の歌詞

 時間が経つのがあまりにも速すぎます。60歳の1年は、20歳の頃の1年の3倍速く幾何学級数的に過ぎ去っていくと聞いてはいましたが、3倍どころか、30倍速く経過する気がします。

 昨日は2月26日。「キング・カズ」の誕生日かもしれませんが、やはり「2・26事件」の日でしょう。昭和11年(1936年)の事件ですから、もうあれから86年も経ったのです。先日、過去に放送された「NHK特集」の「2・26事件」を再放送していましたが、これが、何と1979年に放送されたものでした。今から43年前に放送されたものです。1979年の43年前は1936年ですから、ちょうど中間点になるのです。

 私からすれば、1979年は結構最近ですが、1936年は生まれていないので遠い歴史の彼方の出来事だと思っていましたが、なあんだ、つい最近と言えば最近だったのです。その通り、1979年の時点では、事件当時の生き残りの方が多くいらして証言されていました。反乱青年将校を説得した上官の奥さんとかでしたが、一番驚いたのは、東京裁判でA級戦犯となった鈴木貞一(陸軍中将・企画院総裁、1888~1989年)が当時健在で、山下奉文らと一緒に反乱軍鎮圧のための策を練ったり、説得したりしたことを証言していました。彼は100歳の長寿を全うしたので、当時91歳。千葉県成田市に隠遁していましたが、とても矍鑠していて肉声まで聴けたことで大いに感動してしまいました。

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 さて、渓流斎ブログ2022年2月25日付「『ペニー・レイン』のA four of fishの意味が分かった!=ポール・マッカートニー『The Lyrics : 1956 to the Present』」で書いた通り、一件落着かと思っていたら、「英語博士」の刀根先生から、新たな解釈のご提案がありました。

 「ペニー・レイン」の a four of は、4人のグループのことでしょう。fish は『新入り』とか『その場に不馴れな者』『餌食』。そういう女の子たちが頻繁にやって来る。『4人』は無論ビートルズの面々に対応しての4人。fishがfish and chips を表しているというより、chipsの代わりにpies を置いている言葉遊び。言うまでもなくジョン・レノンのひらめきでしょう。in summer はどうなんでしょう。開放的で放埒だった女の子(4人が一組の)や自分等4人のその頃の姿、振る舞い…そこに力点があるような…自分はそんなふうに受けとめています。

 fish and chips がどこまでも安直な食べ物であったように、その頃の自分たち4人と女の子たち(の交渉)=fish and finger pies が一種安直であったように思えます。

 ひょっええー、全く想像もしなかった解釈でした。finger pies がリヴァプールのスラングで、「女の子とのペッティング」を意味するとしたら、十分にあり得ます。

 ただ一つ、難点があるのは、この曲がポールの子ども時代の回想だったとすると、まだ4人のグループは出来ていなかったことです。ジョンとジョージは幼馴染ですが、リンゴとはセミプロになった1960年ぐらいからの知り合いですから。

 恐らく、fish and finger pies は食べ物であることは確かでしょうが、歌詞ですから、二重の意味が込められていることでしょう。となると、four が「4人」なのか、それとも「4ペンス分」なのか解釈が別れます。前回書きましたが、4ペンス=17円ではあまりにも安過ぎるので、「4人分」と解釈する可能性も否定できません。

 ポールさん、どっちが本当か教えてください。

山道を歩きながら考えた。兎角、英語は難しい=袖川裕美著「放送通訳の現場からー難語はこうして突破する」

 渓流斎ブログの今年1月10日付「『失敗談』から生まれた英語の指南書=袖川裕美著『放送通訳の現場からー難語はこうして突破する』」の続きです。

 昨晩、やっと読破することが出来ました。読破とはいっても、寄る年波によって、前半に書かれたことをもう忘れています(苦笑)。最低、3回は読まないと身に着かないと思いました。かなり難易度が高い上級英語です。英語塾を経営されている中村治氏には是非お勧めしたいです。

 何しろ、同時通訳英語ですから、市販の辞書にまだ掲載されていない最新用語が出てきます。後で調べて、例文も探してやっと分かったというフレーズも沢山出てきます。著者の袖川さんがその場で自身で考えた「本邦初訳」があったことも書いております。

 前回にも書きましたが、この本では、袖川さんが訳に詰まったり、聞き違いして誤訳したりしたことも正直に書かれています。勿論、うまくいった話も沢山ありますが、私なんか読んでいて「とても出来ない仕事だなあ」と正直思いました。私は、米国人でも、南部のテキサスやフロリダの英語は聴き取れなかったし、本場英国のコックニ―はさらにチンプンカンプン。セミナーを取材した際、マレーシア人らの英語はお手上げでしたからね。同時通訳者全員、尊敬します。

 これまた、前回にも少し書きましたが、英語は中学生レベルの単語を並べただけでも、全く複雑な意味になり、英語ほど難しい外国語はないと私は思っています。今回も具体例を御紹介しましょう。

 Hindsight is twenty-twenty,

答えを先に言ってしまいますが、これで「後知恵は完璧」「後からなら何とでも言える」となります。ことわざですが、急に言われたら分かるわけありませんよね?袖川さんも正直に書いてますが、最初 twenty-twenty は2020年のこと?それとも、catch-22(板挟み)のことか?と一瞬頭によぎったそうです。でも、それでは意味が通じなくなるので、「沈黙」した(尺=時間制限=があるので飛ばした)ことも正直に告白しています。

  でも、catch-22が出てくる当たり、さすが袖川さんです。これは、1961年にジョセフ・ヘラーが発表した小説のタイトルで、第2次世界大戦の米兵の「板挟み」が描かれています。1970年にマイク・ニコルズ監督によって映画化されましたが、私も池袋の文芸座でこの映画を観て、中学生ながら、この単語の意味を覚えました。

 肝心の twenty-twentyというのは、20フィート離れた所から、サイズ20の文字が識別できる正常な視力のことで、「正しい判断」という意味でも使うとのこと。 Hindsight は「後知恵」「後から考えたこと」ですから、「後から考えれば正しい判断ができる」といったような意味になるわけです。

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 この本では、in the room「部屋の中で」を使ったイディオムが二つ出てきました。elephant in the room とthe last person in the room です。 elephant in the room は「部屋にいる象」と私なんか聞こえてしまいます。これで、「見て見ぬふりをする」「触れてはいけない問題」となるそうです。象が部屋の中にいれば見えないわけがない。だから、見て見ぬふりをする?…うーん、分かるわけがない。本文に出てくる例文も、英国とEUとの通商交渉の話(BBC)で、Elephant is not in the room, but in the service, financial service.ですから、難易度が高過ぎる。

  the last person in the room は、「部屋にいる最後の人」ではなく、「その部屋で最も~しそうもない人」という否定的な意味だと高校時代から刷り込まれていた、と著者の袖川さんは言います。そしたら、バイデン米大統領が就任100日目を迎えるに当たって、ハリス副大統領がCNNのインタビューに応じた際に、同時通訳のブースに入った袖川さんは以下の発言を耳にします。

 I was the last person in the room when Biden made the decision to pull all the US troops out of Afghanistan.

えっ?もしかして、ハリス副大統領は、バイデン大統領の米軍アフガン撤退の決定に否定的だった?などと、私も思ってしまうところですが、袖川さんは、この発言で何を否定するのかよく分からなかったので、「最後まで大統領を支持しました」とお茶を濁したそうです。ただ、この場合、他の皆が反対したのに、自分は最後まで支えたことになり、これでは、他の人が反対したことが前提となり、実際はどうだったのか分かりません。政権内が一枚岩ではないことを暴露してしまうことにもなり、ハリス副大統領がそんな意図で発言したわけがないことを袖川さんは後で落ち着いて考えました。

 結局、他の例文なども確かめ、調べに調べた結果、 the last person in the room とは「最後に部屋に残って、意見を求められる、最も信頼される立場の人」のことで、一言で言うなら「重要な相談相手」ということが分かったといいます。

 うーん、これだから英語は難しい。同時通訳は「瞬間芸」ですから、聞き逃したり、聞き間違えたり、勘違いしたりすれば、全て後の祭りです。まさに、神業(かみわざ)と言っていいでしょうが、この本を読むと、ミスをしないため、常に事前準備と自己鍛錬と不断の努力と毎日、毎時、毎秒の勉強が欠かせないことがよく分かりました。

 最後に、私が全く分からなかったフレーズに、money note (見せ場、山場)=市販辞書にもネット辞書にも載っていなかった=やhot potato(熱々のポテト、というより、難問、難局、手に余る問題)などがありました。

 どうして、そんな意味に「豹変」するのか、皆さんもこの本を是非、手に取ってみてください。