英語翻訳は難しい=深い悩みに苛まれて生き抜くしかない

 昨日、携帯のiPhoneのソフトウェア・アップデートを行ったところ、普段なら30分ぐらいで終わるのに今回は、iOS14.01にバージョンアップしたせいか、1時間半も掛かってしまいました。

 バージョンアップしたら、最初の画面まで変わり、これまで見かけないアプリも勝手にインストールされていました。それは、「翻訳」アプリで、英語、フランス語、ドイツ語、スペイン語、中国語、韓国語など10カ国語の翻訳ができます。

 ちょっと、試してみたら、まあまあ、なかなかの出来でした。人工知能(AI)か、ビッグデータか知りませんが、昔と比べてかなり精度が上がっていました。でも、英語和訳は、私はかなり難しいと思っています。中学生でも分かる簡単な英語でも、真逆な意味になることがあるからです。

 例えば、No kidding.  普通なら、「まさか」とか「冗談でしょ?」という意味なのですが、最近では「全くその通りです」と肯定の意味で使われているのです。

 もう一つ、Tell me about it.  普通なら「それについて私に教えてください」という意味なのですが、「もう分かったからいい加減にしてくれ」という使い方もあるのです。真逆ですね。

 You’re so beautiful. も素直に取ってもいいのですが、会話の中で、発音や身振りを交えれば、かなりの正反対の真逆のニュアンスを皮肉を込めて意味することすらできます。これはAIではまだできないでしょうね。

 何と言っても、英語の難しさは、単語の少なさにあると思います。日本語の「私」は、僕、俺、乃公、吾人、あっし、てまえ、おいどん、わし、あたい、自分…まあ、いっぽいありますが、英語なら「I」だけです。ということは、Iには、僕から自分までさまざまな「私」を含んでいることになります。AI翻訳機はそのうち、そこまで微妙なニュアンスを翻訳できるようになるかもしれませんが、もう少し時間が掛かると思います。

 さて、話は変わりますが、最近、ボケーと生きていたら、このブログのサイトから広告が消えていたことに昨日、気が付きました。IT技師長のM氏に調べてもらったら、8月9日あたりに「テーマ」をアップデートした際、PHPが書き換えられて広告がなくなってしまったというのです。昨日すぐ復活してもらいましたが、1か月半無駄にしてしまいました。

 この渓流斎ブログは2017年9月15日、gooブログから独立して、新しく自分のサイトを開設して以来、皆さまにとって目障りな広告をリンクすることにしました。これは、サーバー代とドメイン代の足しにするもので、皆さまのご理解とご協力を賜りたいと存じます(笑)。宜しくお願い申し上げます(広告をクリックして頂くと0.1円から0.5円ぐらいの収入が入ってくるようです。自分でクリックしたら違反となり、チャラになってしまうようです)。

 また話が変わりますが、このブログに、個人的ながら「最近心配事が絶えない」と書いてしまいましたが、どなた様からも御下問がないので正直に打ち明けたいと思います。まず、先月から高齢の母親が入院したこと、その前に高校時代の旧い友人が軽微ではない病気で、週に3回通院するようになってしまったことでした。まだありまして、小学校時代の旧い旧い友人が脚を骨折し、3カ月の入院を余儀なくされており、大学時代の旧い友人もホームヘルパーなしでは普通の生活をするのに困難を来すようになっていることでした。周囲の親しい人たちが次々と不自由な生活を強いられているのに、私は、持病以外は至って健康で(変な表現)、いまだに田舎から都心まで電車通勤して仕事を続けることができ、たまーには夜の街でお酒を呑んだりして、少し後ろめたい気分にもなっているのです。

 さらに、最近、三浦春馬さん、竹内結子さんといった端から見れば売れっ子で経済的には何ら不自由のないと思われる私より若い有名俳優が自殺してしまうので、衝撃を受けてしまいます。コロナ禍で仕事がなくなって生活に困っている無名の舞台俳優がそれこそ何千、何万人もいるというのに、です。もしかして、売れているとか経済的に恵まれいるとはいっても、本人の悩みは深く、そんなものでは満たされないのかもしれませんが。

 「生老病死」というのは、仏教思想から人間の理(ことわり)だということは頭では分かってはいますが、どうも心配事は軽減することなくまとわりつき、思想も哲学も宗教も「救い」にはならないのではないか、と私は詰ったりしたくなります。「お前には修行が足りないからだ」と言われそうですが、勉強すればするほど悩みは深くなります。

 電車に乗れば、老若男女、スマホの画面に熱中していて、何をやっているかと思えば、ゲームをやっています。ゲームが悪いという意味ではないのですが、車内で私のように仏教書や哲学書を読んでいる人間はこの何十年もお目にかかったことがありません。

 私も書物を棄てて、ゲームに熱中すれば救われるのでしょうか?ーいや、そうは思いませんね。やはり、心配事や深い悩みに苛まれながら、重い十字架を背負うようにして、毎日、歩み続けていくしかないことでしょう。仏教的な諦念かもしれませんが、与えられた生命を全うして生き抜くしかないでしょう。やはり、自殺は御法度です。

 

35年ぶりのランボー詩集

 最近、文学しています。残った夏休みの宿題を慌てて仕上げようとしている感じもします。

 文学ですから、儲かりません。はっきり言って、なくても困りません。といいますか、なくても生活に支障はきたしません。そういうものに、学生時代の一時期、命を懸けるほど熱中したことがありました。

 今でこそ堕落して、他人のこしらえたフィクションには目もくれずに、ビジネス書やブロックチェーンやMMT関連の書物にまで首を突っ込んで、不安な将来に備えていますが、かつては、経済に左右されない人生こそが美徳であると信じていた時期がありました。

 文学には社会を変革する力があると信じていたこともありました。

 それは新聞広告で目にした一冊の文庫本でした。

  中地義和編「対訳 ランボー詩集」(岩波文庫、2020年7月14日初版)です。何か見てはいけない広告を見てしまった感じでしたが、ずっと心の奥底に引っかかっていました。フランス象徴派詩人アルチュール・ランボー(1854~91)は、学生時代にかなりはまったことがありましたから尚更です。フランス語の原書は、文庫版では飽き足らず、高いプレイヤード版の全集も買いました。日本語は、小林秀雄訳、中原中也訳、鈴村和成訳などを経て、平井啓之ら共訳の「ランボー全集」(青土社)まで買い揃えました。それでも、難解過ぎて途中で挫折してしまいました。

 わざわざ、この本を買ったのは「対訳」としてフランス語の原文と和訳が並列していたからでした。

 しかし、正直に告白すると、途中で挫折したように、20代の頭ではさっぱり分かりませんでした。意味はどうにか取れても、作者の意図する本意や時代的背景などを熟知していなかったせいもありました。ランボーは15歳頃から詩作をはじめ、20歳で早くも筆を折りました。ということは作品の大半は、10代の少年が書いたものです。歴史に残る大天才を前にして、異国の軽輩が何か言うのも烏滸がましいのですが、極東に住む凡夫の若者はランボーの作品を理解することを諦めました。そして、邪道ながら、彼にまつわる逸話(ファンタン・ラトゥールの絵画など)を追いかけました。

 詩作をやめたランボーは、オランダ軍傭兵としてジャカルタに行ったり(後に脱走)、キプロスの採石場の現場監督をしたりしましたが、地元シャルルヴィル高等中学校時代の級友エルネスト・ドラエー(1853~1930)から文学への関心を問われると「あんなもの、もう考えもしないさ!」と答えたといいます(1879年)。

 その後、ランボーはイエメンのアデンにあるバルデー商会に雇われ、アビシニア(現エチオピア)のハラールの代理店に勤め、交易商人になります。主に象牙やコーヒーの取引やフランスからの工業製品や武器まで扱ったようです。しかし、アデンで膝の腫瘍が悪化します。風土病だったとも性病だったとも色んな説がありますが、フランスのマルセイユに戻り、コンセプション病院で右脚を切断し、1891年11月10日に同病院で死去します。まだ37歳という若さでした。

 若い頃のランボーと言えば、詩人ポール・ヴェルレーヌ(1844~96)との不適切な関係を始め、ふしだらで酔いどれの破天荒な私生活が有名ですが、詩作を断ち切り、武器商人になった晩年の孤独で悲惨な生活とその早すぎる死が、彼の書いた難解な作品(「地獄の一季節」など)と見事に、結果的に「言行一致」してしまったことが、何百年経っても彼に惹き付けられる魅力になっていると言えるでしょう。

比類なき超天才児とその後の「没落人生」(本人は認めないでしょうが)とのギャップがあまりにも大き過ぎるので、謎が謎を呼ぶことになったのです。

プレイヤード版の「ランボー全集」。40年近い昔に買った本だが、当時7760円もした

 ということで、35年ぶりに改めて「ランボー詩集」の文庫本(1122円)を読み始めています。

 原文と対訳を熟読すると、何と1篇の詩を読むのに2~3日も掛かります。本当です。読書は主に通勤電車の中でしているので、48時間~72時間掛かるという意味ではありません。電車の中で、1篇の詩作品を読むと1日で読み切れず、2~3日掛かるという意味です。

 15~16歳の時に書かれた初期韻文詩は、見事な12音綴のアレクサンドランの定型詩になっていて、しっかり脚韻が踏まれています。アレクサンドランは、日本の短歌や俳句と同じようなものかもしれません。脚韻は、aabbだったり、 ababだったり色々ですが、韻を踏むために、主語と述語が倒置されたり、名詞と形容詞が入れ替わったり、形式を優先するために、意味は後回しで、かなりこじつけになったりして、外国人にとって理解するのに難儀することがあります。

 何と言ってもフランス語の語彙力には全く歯が立ちません。相手は15歳の少年でも、記憶力抜群の比類なき超天才ですから、異邦人の凡夫が勝てるわけがありません。

 ただ、年を取って、人生経験も豊富になり、既に世界各地を旅行し、分別も付き、大きな病気も体験し、他人からの裏切りや嘲笑も味わい、辛酸を舐めてきたお蔭で、人生経験の少ない少年には負けませんね(笑)。それに、自分で言うのも何なんですが、不断の努力による膨大な読書量で、ランボーには負けない教養なるものも身に着きましたから、怖れることはありません。

 そんな中で興味深かったことは、15歳の少年だというのに世の中の動きや時事問題にかなり関心があって、当時、普仏戦争(1870年)の最中で、スダンでプロシャ軍に降伏したナポレオン三世を揶揄、批判する詩まで書いていたことです。(15歳の自分はビリヤード場で遊び惚けていましたからえらい違いです。)この詩は、私も学生の頃に読んでいたはずですが、すっかり忘れています(苦笑)。当時のフランスは、世の中の動きや情報を知る手段として新聞ぐらいしかなかったでしょうが、15歳のランボーは「皇帝の憤激」という詩の中で、ナポレオン三世のことを「遊蕩に明け暮れた20年に酔いしれている」といった反帝政派のキャンペーンを文字ったり、「彼(ナポレオン三世)は、眼鏡をかけた協力者を思い出している」と書き、共和派から帝政派に鞍替えして首相になったエミール・オリビエのことを示唆したりしています。

 ランボーの10代は、普仏戦争とパリ・コミューンが起きた歴史的な激動期でした。当時のフランス人たちは、「遊蕩に明け暮れた」(遊蕩orgieには乱交パーティーという意味もある)だけでナポレオン三世のことを思い浮かび、「眼鏡をかけた協力者」だけで、オリビエ首相のことが何ら説明もなく分かったことでしょう。これでは、詩人というより、ジャーナリストですね。(そう言えば、19世紀のバルザックやフロベールらの小説は、例えば二月革命など当時の時代背景を忠実に再現したもので、フィクションというより、ジャーナリスティックでした)

学生時代の畏友と横浜でランボー詩集の「読書会」を開いて勉強していた20代後半の頃。1ページ読むのに1週間掛かった

 私が20代の頃に読んでさっぱり分からなかったことは、今ではネットのお蔭で、簡単に分かります。オリビエ首相だって検索すれは略歴とともに、眼鏡をかけた彼自身の肖像写真まで出てきますからね。今の若い人は羨ましい。

 文学していると、コロナ禍の現代を忘れて19世紀に逃避行できます。何と言っても、ヴェルレーヌはともかく(二人の直接の交際はわずか4年だったとは!ランボー17歳から21歳まで。ランボーの死後、無名だった彼を蘇らせたのはヴェルレーヌの尽力によるものだった)、学生時代に親しんだジョルジュ・イザンバール(ランボーの高等中学校の教師)とかポール・デメニー(イザンバールの友人で詩人)やジェルマン・ヌーヴォー(「イルミナシオン」の清書も手伝った詩人)らの名前がこの本にも出てきて、あまりにもの懐かしさに心が動揺し、涙が出てくるほどでした。

 恐らく分かってもらえないでしょうけど、私は、彼らのことを現代人より近しく感じてしまうのです。

 20代の私は純真無垢で、純粋芸術である(と思い込んでいた)文学に憧れを抱いていたことも思い出しました。

 でも、文学の実体は、なくても支障がない絵空事です。一人の人生を変えるほどの文学に出合えた人には「おめでとう御座います」と言うしかありません。

 文学だけでなく、生活も哲学も宗教も経済学も政治学も無意味かもしれません。パスカルがいみじくも言ったように、結局、「人生は大いなる暇つぶし」だと最近とみに感じています。

英語は普遍的、中国語は宇宙的、日本語は言霊的

WST National Gallery Copyright par Duc de Matsuoqua

 昨晩は、中部北陸地方にお住まいのT氏と久しぶりに長電話しました。T氏は、学生時代の畏友ですが、十数年か、数十年か、音信不通になった時期があり、小生があらゆる手段を講じて捜索して数年前にやっとメールでの交際が再開した人です。

 彼は、突然、一方的に電話番号もアドレスも変えてしまったので、連絡の取りようがありませんでした。そのような仕打ちに対しての失望感と、自分が悪事を働いたのではないかという加害妄想と自己嫌悪と人間不信などについて、今日は書くつもりはありません。今日は、「空白期間」に彼がどんな生活を送って何を考えていたのか、長電話でほんの少し垣間見ることができたことを綴ってみたいと思います。

 T氏は、数年前まで、何年間か、恐らく10年近く、中国大陸に渡って、大学の日本語講師(教授待遇)をやっていたようです。日本で知り合った中国人の教授からスカウトされたといいます。彼は、私と同じ大学でフランス語を勉強していて、中国語はズブの素人でしたが、私生活で色々とあり、心機一転、ゼロからのやり直しのスタートということで決意したそうです。

 彼の中国語は、今でこそ中国人から「貴方は中国人かと思っていた」と言われるほど、完璧にマスターしましたが、最初は全くチンプンカンプンで、意味が分かってもさっぱり真意がつかめなかったといいます。それが、中国に渡って1年ぐらいして、街の商店街を一人で歩いていると、店の人から、日本語に直訳すると「おまえは何が欲しいんだ」と声を掛けられたそうです。その時、彼は「サービス業に従事する人間が客に対して、何という物の言い方をするんだ」とムッとしたそうです。「日本なら、いらっしゃいませ、が普通だろう」。

 しかし、中国語という言語そのものがそういう特質を持っていることに、後で、ハッと気が付き、それがきっかけで中国語の表現や語用が霧が晴れるようにすっかり分かったというのです。もちろん、中国語にも「いらっしゃいませ」に相当する表現法はありますが、客に対して「お前さんには何が必要だ」などと店員が普通に言うのは、日本では考えられません。しかし、そういう表現の仕方は、中国ではぶっきらぼうでも尊大でもなく、普通の言い回しで、「お前は何が欲しいんだ」という中国語が、日本語の「いらっしゃいませ」と同じ意味だということに彼は気づいたわけです。

 考えてみれば、日本語ほど、上下関係に厳しく、丁寧語、敬語などは外国人には習得が最も困難でしょう。しかも、ストレートな表現が少なく、言外の象徴的なニュアンスが含まれたりします。外国人には「惻隠の情」とか「情状酌量」とか「忖度」などという言葉はさっぱり分からないでしょう。

 例えば、彼は先生ですが、学生から「先生の授業には実に感心した」といった文面を送って来る者がいたそうです。それに対して、彼は「日本語では、先生に対して、『感心した』という表現は使わないし、使ってはいけない」と丁寧に説明するそうです。また、食事の席で、学生から、直訳すると「先生、この食事はうまいだろ」などとストレートに聞いてくるそうです。日本なら、先生に対して、そんな即物的なものの言い方はしない、せめて「いかがですか?」と遠回しに表現する、と彼は言います。

 そこで、彼が悟ったのは、中国語とはコスミック、つまり「宇宙的な言語」だということでした。これには多少説明がいりますが、とにかく、人間を超えた、寛容性すら超えた言語、何でも飲み込んでしまう蟒蛇(うわばみ)のような言語なのだ、という程度でご理解して頂き、次に進みます。

WST National Gallery Copyright par Duc de Matsuoqua

 一方、英語にしろフランス語やドイツ語にしろ、欧米の言語はユニバーサル(普遍)だと彼は言います。英語は記号に過ぎないというのです。もっと言えば、方便に過ぎないのです。これに対して、日本語は「言霊」であり、言語に生命が込められているといいます。軽く説明しましょう。

 福沢諭吉が幕末に文久遣欧使節の一員として英国の議会を視察した時、昼間は取っ組み合いの喧嘩をしかねいほどの勢いで議論をしていた議員たちが、夜になって使節団との懇親会に参加すると、昼間の敵同士が、まるで旧友のように心の底から和気藹々となって会話を楽しんでいる様子を見て衝撃を受けたことが、「福翁自伝」に書かれています。

 それで、T氏が悟ったのが、英語は記号に過ぎないということでした。英語圏ではディベートが盛んですが、とにかく、相手を言い負かすことが言語の本質となります。となると、ディベートでは、AとBの相手が代わってもいいのです。英語という言語が方便に過ぎないのなら、いつでも I love you.などと軽く、簡単に言えるのです。日本語では、そういつも簡単に「愛しています」などと軽く言えませんよね。日本語ではそれを言ってしまったら、命をかけてでもあなたを守り、財産の全てを引き渡す覚悟でもなければ言えないわけです(笑)。

 欧州語が「記号」に過ぎず、相手を言い負かす言語なのは何故かというと、T氏の考えでは、古代ギリシャに遡り、ギリシャでは土地が少なかったので、土地に関する訴訟が異様に多かったからだそうです。そのお蔭で、訴訟相手に勝つために色んなレトリックなども使って、表現法や語用が発達したため、そのようになったのではないか、というのです。

 なるほど、一理ありますね。フランスには「明晰ではないものはフランス語ではない」という有名な格言があります。つまり、相手に付け入るスキを与えてはいけない、ということになりますね。だから接続法半過去のような日本人には到底理解できない文法を生み出すのです。日本語のような曖昧性がないのです。言語が相手をやり込める手段だとしたら。

WST National Gallery Copyright par Duc de Matsuoqua

 一方、日本語で曖昧な、遠回しな表現が多いということは、もし、直接的な言辞を使うと、「それを言っちゃあ、おしめえよ」と寅さんのようになってしまうことになるからです。

 ところで、幕末には、尊王攘夷派と開国派と分かれて、激しい殺し合いがありました。その中でも、西洋の文化を逸早く学んだ開明的な洋学者だった佐久間象山や大村益次郎らは次々と暗殺されます。洋学者の直接的な言葉が攘夷派を刺激したのでしょう。適塾などで学び欧米文明を吸収していた福沢諭吉も、自分の生命が狙われていることを察知して、騒動が収まるまで地元の中津藩に密かに隠れ住んだりします。

 それだけ、日本語は、実存的で、肉体的な言語で、魂が込められており、「武士に二言はなし」ではありませんが、それだけ言葉には命を懸けた重みがあるというわけです。そのため、中国語や欧米語のように軽く言えない言葉が日本語には実に多い、とT氏は言うのです。

 繰り返しますと、英語は、何でも軽く言える記号のような言語で普遍的、中国語は、寛容性を超えあらゆるものを飲み込む宇宙的、そして、日本語は命を張った言語で言霊的、ということになります。その流れで、現在の言語学は、文法論より、語用論の方が盛んなんだそうです。

 以上、T氏の説ですが、それを聞いて私も非常に感銘し、昨晩は久しぶりに味わった知的興奮であまり眠れませんでした。

新型コロナの影響で、カミュの「ペスト」が売れているそうな

WST National Gallery Copyright par Duc de Matsuoqua

 新型コロナの世界的な感染拡大の影響で、24日になってやっと東京五輪が来年に延期されることになりました。表では報道されませんが、最終的にゴーサインを出したのは、独占放送権を持つ米NBCでした。勧進元のIOCじゃなかったんですね。もちろん、日本の内閣総理大臣や東京都知事や米大統領にも最初から決定権はなかったわけです。

 NBCといっても、単なる放送局ですから、最大の最終的意向はスポンサーということになります。(テレビ局と代理店が慌てふためいてスポンサーさんの意向を伺っている姿が目に浮かぶようです)そのスポンサーである米大手企業も、新型コロナの影響をもろかぶって株価が大暴落して、青息吐息です。オリンピックどころじゃない、今年の開催はとても無理ということになりました。そもそも五輪は慈善事業でも何でもないし、経済波及効果を狙った営利活動ですからね。

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  さて、新型コロナの蔓延で、今、日本ではフランスのノーベル文学賞作家、アルベール・カミュ(1913~60年)が1947年に発表した「ペスト」(新潮文庫、宮崎嶺雄訳) が爆発的に売れているようです。文庫は、1969年10月30日初版ということですから、もう半世紀以上昔の本です。が、「都市封鎖」など今の状況と酷似しているということで、真面目な日本人のことですから、急速に話題になったわけです。版元も2月中旬から1万4000部の増刷を決定しました。

 カミュが「ペスト」を出版したとき、まだ34歳の若さです。この作品は世界的なベストセラーとなり、10年後に史上最年少の44歳でノーベル賞を受賞する大きな弾みになったとも言われてます。(ペストは、第2次世界大戦の戦争の惨禍を比喩したとも言われ、改めてカミュの想像力と創造力には感服します)

 私は学生時代にフランス語を専攻していましたから、もちろん、読みました。1970年代の学生の間では、サルトルとカミュが人気を二分していました。ということで、結構、カミュの作品は読みました。代表作「異邦人」は、原書で読みましたが、「ペスト」は翻訳だけでした。そこで、今回、話題になっているということで、原文に挑戦してみることにしました。

 そしたら、いきなり、出だしで躓いて、ニッチもサッチもいかなくなってしまいました。それは、ダニエル・デフォー(1660~1731)の言葉を引用したエピグラフです。

Il est aussi raisonnable de représenter une espèce d’emprisonnement par une autre que de représenter n’importe quelle chose qui existe réellement par quelque chose qui n’existe pas.

DANIEL DE FOE.

 デフォーと言えば、「ロビンソン・クルーソー」で有名な作家です。カミュは何故、デフォーを引用したのか?

 デフォーは、色んな職業を遍歴しましたが、政治的プロパガンダも発信するジャーナリストでもあり、諜報員でもありました。そして、1665年のペストの大流行(当時のロンドンで約10万人が死亡したという)を題材にした「ペストの記憶」という作品(原題は「疫病年誌」)を還暦を過ぎた1722年に発表しています。フィクションですが、かなり事実に基づいているようです。英国でペストが大流行した時、デフォーは5歳でしたが、周囲から色んな話を聞いて育ったと言われています。

 恐らく、カミュはこの作品を読んでいたので、エピグラフとしてデフォーの言葉を引用したと思われます。

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で、先程引用したそのデフォーの文章ですが、正直、一読してさっぱり意味が取れませんでした。丸一日格闘して、何十年かぶりに仏訳をやってみました。

 これ以下は、フランス語に興味がない方は飛ばして頂いて結構なんですが、この文は、まずaussi~que 構文で、que以下と同じくらい aussi以下だ、という意味になります。私が躓いたのは、 par une autreの部分で、何でune(女性名詞) なのか?と思ってしまったのです。emprisonnement(監禁、拘束)男性名詞なので、これを受けたわけではない。それなら、une espèce de(一種の)となると、どうも違うような気がします。une autre chose(別のもの) なのかなあ、と思ってしまいました。カミュの「ペスト」はオラン市の都市封鎖が描かれているので、監禁状態を、都市封鎖という「別のもの」で比喩しているのかなと思ったわけです。

 そこで、こう訳してみました。

現実に存在するあらゆるものを、この世に存在しないものによって表現することが理にかなっているのと同じように、一種の監禁状態を別のものによって表現することは、意味のあることだ。 ーダニエル・デフォー

 うーん、哲学的考察で、日本語にしても意味が分かりにくい…。(ちなみに、かつて読んだ翻訳本はとうの昔に紛失してます)

 そこで、語学の天才の刀根先生にメールで問い合わせてみました。そしたら、私が躓いていた par une autre の une(女性名詞) は、 une espèce( ということは、 une espèce d’emprisonnement ) でいいのではないか、と言うのです。そして彼の翻訳を提示してもらいました。

 ある監禁の状態を、それとは異なる監禁のあり方というものをもって描き出してみせる。それは、何でもいいのだが、本当にあるものを、ありもしない何ものかでもって表すことになぞらえることができる。―― つまり十分に正当なことなのだ

 私のように、直訳調ではなく、こちらはしっかり文学的に翻訳していますね。

 それにしても翻訳は難しい。でも、面白い。それに思ったのですが、日本語はすぐ古びてしまいますね。半世紀以上昔に出版された宮崎嶺雄訳の「ペスト」では、「細君」とか、「看護婦」とか、「イスパニア人」とか今ではあまり使われなくなった古い日本語が出てきます。

 新訳が望まれます…なんて書こうとしましたが、最近の日本人の翻訳力は数段、落ちているんじゃないでしょうか。洋楽ポップスや洋画のタイトルなんぞは、もう意味も通らないのに構いもせず、原文をカタカナのまんま表記して、翻訳作業そのものを放棄しています。

 最近の新型コロナ騒動では、クラスターとか、オーバーシュートとか、ロックダウンとか、カタカナ用語のオンパレード。

 何ですかあ~?

【追記】

Il est aussi raisonnable de représenter une espèce d’emprisonnement par une autre que de représenter n’importe quelle chose qui existe réellement par quelque chose qui n’existe pas.

 のこと。フランスにお住まいのガランス先生にお伺いしたところ、以下のように翻訳して頂きました。

一種の監獄状態を、なにか別の状況に置き換えて表現するというのは、なんであれ現実に存在するものを、存在しないものによって表現するのと同じくらい、破天荒なことだ。

この注釈として「 raisonableはもちろん、道理にかなったという意味ですが、もしかして逆説的に使っているのかと。文脈からすると、できそうもないことをやってのける、と言っているような気がします」といったことも書かれていました。

 なるほど、すっきりしました。

 

「スマホなしの日」、または「断スマ」

 2017年9月に独立して、新しくこの《渓流斎日乗》ブログの専門サイトをIT専門家の松長氏の尽力によって立ち上げた時は、まだ元気いっぱいで、朝の通勤電車の中で、スマホを使ってブログ更新をしておりましたが、今ではそれが夢のようです。

 日々、仕事でパソコンを使っているため、最近は、酷い眼精疲労で、寝ても醒めても眼痛がひどくて、活字がぼやけて、更新するのも大変です。肉体的に限界になり、「スマホ休養日」を取ることにしました。先日の投稿記事「スマホを使うとバカになる」で書きましたが、川島隆太東北大学加齢医学研究所長の「LINEを止めると偏差値が10上がった スマホと学力『小中七万人調査』大公開」という論文にもモロ影響されました(笑)。

 川島氏によると、言葉も、ネット検索して調べていては、脳の器官が使われていないということでしたね。ということは、記憶として定着しないということです。私はこの10年近く、英単語も仏単語も電子辞書を使っていたのですが、これからは、なるべく紙の辞書を使うように戻しました(笑)。

 我ながら、人間が実に単純に出来ております(笑)。ということで、このブログも「毎日更新」から、眼が疲れている時は「お休み」に方針転換致します。ご理解の程、賜ります。

Alhambra, Espagne

 さて、英単語の話が出たことで、語学のお話をー。小生、老境の域に入りながら、いまだにこの年で、語学の勉強しています。哀しいかな、今や、覚えてもすぐ忘れてしまいます。もし、このブログをお読みの若い方がいらっしゃれば、語学は若いうちですよ、と御助言申し上げます。遅くても40代まででしょうね。50代になると急激に低下し、それ以降は言わずもがなです。

 先日、ラジオの「ビジネス英語」を聴いていたら、こんなフレーズが出てきました。

 Diplomacy is definitely the order of the day in a situation like that.

 単語はいずれも中学生レベルで、難しくありません。

 「外交は、そのような状況では、その日の決まった秩序になる。」という意味かと思ったら、な、な、何と「確かに、そういう状況でしたら相手にずばずば言い過ぎないことが重要です。」と訳されていました。

 Diplomacyは、外交のほかに、「婉曲にものを言う」という意味があるそうで、全く知りませんでしたね。the order of the day はイディオムで、「時代の風潮」とか「ふさわしい」「重要だ」という意味があるらしいのですが、かなりレベルが高いフレーズだと思います。

 このように、何歳になっても語学を習得するなんて夢のまた夢ですよ。

 若い頃からの「乗りかかった船」で、フランス語の勉強も続けておりますが、英語の常識とはかけ離れているので、面白い点が多々あります。

 例えば、

 ・smoking

 ・four

 ・email

 これが英語なら、上から下に「喫煙」「4」「電子メール」と答えるのが、「常識」ですが、もし、これが仏語なら、「洋服のタキシード」「かまど、オーブン」「エナメル」という意味になってしまうのです。

 つまり、何を言いたいかと言いますと、「常識を疑え」ってことですかね(笑)。

 

フランス地図旅行 Fin

 「地球の歩き方』フランス版(ダイヤモンド社)は、本当に勉強になりました。私自身、知っていたこともあり、全く知らなかったことも沢山ありました。せっかく知識として得たのですから、備忘録として書いておきます。

【生誕地】

●アンリ4世(ブルボン王朝創始)=ポーPau(大西洋岸Côte d’Atlantique地方)

●ブレーズ・パスカル(哲学者)=クレルモン・フェラン Clermont-Ferrand(中南部オーヴェルニュ Auvergne地方、ノートルダム・ド・ラソンプシオン大聖堂 Cathedrale Notre-Dame l’Assomption、ノートルダム・デュ・バジリカ聖堂 Basilique Notre-Dame du Port、ミシュラン発祥地)

●スタンダール(作家)=グルノーブルGrenoble(中南東ローヌ・アルプ Rhône-Alpes地方)

●ヴィクトル・ユゴー(作家)=ブザンソンBesançon(中東部フランシュ・コンテFranche-Comté地方、指揮者コンクールで小澤征爾、沼尻竜典ら多くの日本人が優勝 )

●リュミエール兄弟(映画発明者)=ブザンソン Besançon 生まれ、映画の誕生地はリヨン Lyon (中南東ローヌ・アルプ Rhône-Alpes地方)

●ノストラダムス(星占学者)=サン・レミ・ド・プロヴァンス(南部プロヴァンス Provence 地方アヴィニョン近郊、画家ゴッホが同地の精神病院に入院)

●ルイ14世(国王)=サンジェルマン・アン・レーSt-Germain-en-Laye(パリ近郊イル・ド・フランス Ile de France地方)

●クロード・ドビュッシー(作曲家)=サンジェルマン・アン・レーSt-Germain-en-Laye (生家が記念館に)

●ジャン・フランソワ・シャンポリオン(ロゼッタストーン解読)=フィジャックFigeac(南西部Sud-Ouest地方 )

●トゥールーズ・ロートレック(画家)=アルビ Albi(南西部Sud-Ouest地方、少年時代は祖父の家ボスク城で過ごす )

●ギュスターヴ・フロベール(作家)=ルーアンRouen(北東ノルマンディーNormandie地方、父は外科医師。ジャンヌ・ダルクはこの地で火刑)

【物語の舞台・執筆地】

●シャルル・ペロー作の童話「眠れる森の美女」の舞台=ユッセ城 Château d’Ussé(中西部ロワール Loire地方アゼー・ル・リドーAzay-le-Rideau郊外)

●バルザック「谷間の百合」「ゴリオ爺さん」執筆=サシェ城 Château de Saché (中西部ロワール Loire地方アゼー・ル・リドーAzay-le-Rideau郊外)

●アレクサンドル・デュマ「モンテ・クリスト伯」の舞台=イフ城 Château d’If(南部プロヴァンス Provence地方マルセイユ Marseille、主人公ダンテスがイフ島のイフ城に監禁される)

●マルキ・ド・サド侯爵が領主を務めた村=ラコストLacoste(南部プロヴァンス Provence リュベロン地方、この近くのルールマランLourmarinはアルベール・カミュが晩年に過ごした村で、墓もある)

●アルフォンス・ドーデ「風車小屋だより」=フォンヴィエイユFontvieille (南部プロヴァンス Provence地方 アルル Arles郊外)の風車小屋で執筆。ドーデの生誕地は南西部Sud-Ouest地方ニームNîmes=仏最古のローマ都市。

秋葉原研修ツアーで不愉快事が三つも

昨日の月曜日は、有休を取って、某通訳団体の研修会に参加してきました。場所は、秋葉原です。昨年、久しぶりにオランダ人家族の東京旅行をガイドした際、下調べに大変苦労したので、最新情報を仕入れようと思ったからでした。参加費は6000円。でも、不愉快なことが三つもありました。

ということは、愚痴めいた話になるので、「そんなもん、聞きたかねえだあ~」という紳士淑女諸兄姉の皆様は、この先、お読みにならなくて結構です。さようなら。

秋葉原

秋葉原の現地集合が午前8時45分と早く、いつもとは違って早めに家を出ました。そしたら、運悪く、乗った電車の前の座席に座っている変な男が、私が彼の前に立った途端、持っていたA4判下敷きサイズのプラカードを左右に激しく振り始めるのです。そこには「歩きタバコ禁止」と書かれていたのです。

えっ?何? 私はタバコは吸いませんし、まして、ここは電車内ですよ!頭がおかしいに違いありません。男は、70歳ぐらいか。深く帽子を被り、マスクをして眼鏡をかけ、素顔は分かりません。こういう輩は何をしても時間の無駄なので、次の駅で空いた反対側に移動したところ、その狂人は、聞こえよがしに「やっと行ったか」ですよ。えっ?私が一体、何をしたというのですか。たまたま、空いていた空間に立っただけで、何の関わりもなく、初対面のすれ違いにしか過ぎないのに、何で、恨まれる筋合いがあるというのでしょうか。不愉快でしょうがありませんでした。

上階にある店舗のロボットは定評があるとか

これが不愉快の一つ目(笑)。二つ目は、通訳研修会の講義で、主宰者が「メモ厳禁」と宣言したことでした。理由は、資料に全て書いてあるからということでしたが、ありえない!秋葉原の現地ウオーキングツアー中に、メモを取ることは、他の一般客の通行に邪魔になるので、理解でき、私も「メモ禁止」とは戸外の話かと思ってたら、部屋の中での誰にも迷惑を掛けない講義でも駄目と言うんですからねえ。知らずにメモを取っていたら、鬼面のような怖い顔をした女講師が「メモは厳禁です。ここからもメモしていることは見えますよ」ですって!

秋葉原

私は、資料に書いていなかったことをメモしていたところでした。意味が分かりません。頭おかしいじゃないでしょうか。記者からペンとメモ帳を取り上げることは、大工からノミやカンナを奪うのと同じですよ。今度また、メモ禁止なんて言うのなら、そんな研修会やらセミナーなんかには参加しませんよ。

戦後、GHQが露天商を「ラジオセンター」に一堂に集めたといいます

でも、ウォーキングツアーは、主宰者が凄い下調べをしていて、大変役に立ちました。これでも、私もかなり下調べしましたが、知らないところも案内してくれました。秋葉原の戦前は、御案内の通り、駅前に青物市場がありました。戦後すぐに闇市が立ち、1950年代はラジオや部品販売の商店、60年代は電気冷蔵庫やテレビなど家電製品、70年代、80年代は オーディオ・ブーム、90年代からパソコン、今では、アニメやフィギュアなどの萌えオタク文化の世界的発信基地として海外でも知られています。

メイドカフェ


 これだけ秋葉原は変遷が激しいのです。確か、6~7年前にも私は、同じような秋葉原の研修会に参加しましたが、店が変わったりしていて、もう古い情報は通用しませんからね。

今回も秋葉原名物のメイドカフェに行き、「永遠の17歳」のメイドから給仕を受けたりしましたが、加齢のせいで、何が面白いのかさっぱり分かりませんでした。いわゆる「オタク文化」なるフィギュアやコスプレなど全く興味なし。自分が正常だと強調したいわけではありませんが、第一、還暦過ぎたお爺さんが、セーラー服や10代の若い女の子に興味津々なんて、気持ち悪い。変態扱いされますよ!

カフェ入場料700円、絵を描いてくれる抹茶ティー680円、オムライス1100円でしたが、ショータイムあり、ゲームあり、人件費を考えるとサービスは価格に見合ってました

正直、こんな通訳の仕事は、自分には向いていないと思ってしまいました。

ただし、弁護しておきますが、メイドカフェは、皆さんが想像するような(笑)いかがわしい店ではなく、若い女性が一人で入店しているのさえ目撃しました。「ご主人様」「お嬢様」という約束事を楽しむ空想遊びだということです。正直、個人的には行きたいとは思いませんけど(笑)。

ウオーキングツアーを案内してくださったNさんからは、イチゴの糖度の計測器まで何でも売っている「東洋計測器」近くにある穴場の隠れ家レストランを紹介してもらいました。今度利用してみようかと思っております。これが今回の一番の収穫かなあ(笑)。

写真右下の「イヤホン」店は、某著名スポーツ選手が買った30万円のイヤホンも売っているそうな

あと、秋葉原には神田明神近くに「名酒センター」というのがあって、全国の銘酒が1杯150円から試飲できるという話を聞いたものですから、ツアーが終わった後、一人で一生懸命に探してみました。やっと見つけたら、月曜日は定休日で閉店でした!こちらが下調べせず、無謀に行ったのが悪かったにせよ、これが、不愉快の三つ目でした(笑)。

「おでん缶」の自販機は秋葉原発祥という説も。は外国人観光客にも評判だとか

 あれっ?まだお読みになってたんですか?最後まで読んでくださり、誠に有難う御座いました。

 

ある同時通訳者の悲喜こもごも

昨日の日曜日は、明治時代から続いていると言われる「仏友会」に2年ぶりに参加してきました。(東京・本郷)

仏友会とは、宗教とは関係なく、東京外国語大学でフランス語を専攻で学んだ同窓会のことです。何と、最高齢は、1956年卒業の中村さん。最年少は現役の大学4年生でしたから、年齢差は62歳もありました。

毎回、卒業生の中で活躍されている方を講師としてお呼びして、お話を伺い、その後は、この時季に相応しいお楽しみのボージョレヌーボーを味わうという、とっても粋な会です。

今回の講師は、同時通訳者の袖川裕美さんという同期の女性ですから、是が非でも参加するつもりでした。私の学生時代の複数の友人にも参加を呼びかけたのですが、残念ながらいずれも欠席の通知。流石に「冷たいなあ」と思いましたが、もうこの歳になると各々諸般の事情がありますからね。一人で参加しました。

そしたら、総勢67人も参加しました。同期のYさんが初参加で、卒業以来数十年ぶりの再会でした。

私はこの会には15年ぐらい前から参加しており、その経験の中での判断ですが、これだけの人数が参加したのは最大でしたし、講師の話の面白さも最高でした。

袖川さんは、2年前に「同時通訳はやめられない」(平凡社新書)を出版し、朝日新聞の「天声人語」にまで取り上げられました。

私も仕事の関係で多くの同時通訳の皆さんにはお世話になったので、その仕事の重圧と準備の大変さはよく知っています。また、私自身も時たま、通訳の仕事をしているので、よく分かりますが、逐次通訳と同時通訳のレベルは、まるで月とスッポンです。同時通訳が大学院レベルだとしたら、逐次通訳は小学生レベルです(笑)。

そのリスニング能力と、即時・瞬時に日本語に置き換える能力は、まさに神業です。先ほどご紹介した本の表紙帯に「もう…逃げ出したい!」とありますが、よーく分かります。

とにかく、話し言葉ですから、相手は何を言うのか分からないのです。政治や経済の話をしていて、急に、今流行りのアイドルや漫画の話をするかもしれません。日本人が誰も知らない細かい地名や人名や風習、歴史用語、もしかしたら、専門家しか分からない医学用語や科学用語が出てくるかもしれません。突拍子もないことや、矛盾したこと、勘違い、言い間違いも、それは、それは頻出します。

発音のナマリが激し過ぎて、聴き取れない場合もあるでしょう。逐語訳しても、さっぱり意味が通じない場合もあるでしょう。

恐らく、人工知能でもできないのではないでしょうか。

同時通訳の方も人間ですから集中力はそれほど続きません。テレビを見ていても、5分か10分ぐらいの頻度で通訳が交代している感じです。袖川さんによると、15分が限界だそうです。

◇45分間の「拷問」

それが、な、な、何と、彼女は45分間もたった一人で同時通訳をする羽目になったことがあったというのです。しかも、あの歴史に残る今年6月にシンガポールで行われた初の米朝首脳会談です。トランプ米大統領と金正恩朝鮮労働党委員長のあの歴史的会談です。

それを、某テレビ局でたった一人で45分間も同時通訳する羽目になったというのです。まず、15分で限界を感じて意思表示し、30分でやめようとブースから出て行こうとしたら、ディレクターに必死に懇願されて止められ、とうとう最後までやり遂げたらしいのですが、頭の中が空になるほどシンドイ思いをしたそうです。

そりゃそうでしょうねえ。労働基準法違反じゃないでしょうか。

でも、本人は、局の方からもエージェントからも大変感謝されると、極度の疲労が喜びに変わったそうです。

◇至福のマクロン氏のウインク

このほか、フランスのマクロン氏が大統領になる前の2014年に、オランド大統領の経済相として来日した際、テレビ番組で通訳をしたのが彼女だったそうで、下準備に大変苦労したこぼれ話を披露してました。

インタビューが終わって、一堂が帰る際に、マクロン氏が振り返って、黒子であるはずの彼女に向かって、「お疲れさま」という意味でウインクしてくれた時は、それまでの疲れがいっぺんに吹き飛んだそうです。彼女は「一生の宝にしたい」と大袈裟な感想を漏らしてました。

とにかく、同時通訳という仕事は半端じゃない能力と百科事典のような豊富な知識、日々の研鑽が必要とされます。まさに、ジャーナリストです。外国語だけでなく、それ以上に日本語力も試されます。

それに、情報はすぐ古びてしまうので、毎日、いや毎分、毎秒、常に更新していかなければなりません。ですから、過去のキャリアが役立つというわけでもないのです。同時にスポーツ選手のような瞬発力も必要とされます。とにかく、何が起きるか分からないから、下準備が大変なのです。彼女は「準備は、5日間でも足りない」と言ってましたからね。

◇ロングマン辞書を制覇

その前提として、語彙力がありますが、彼女は、あのロングマンの辞書を、最初から最後まで辞書編纂を兼ねて全て読んだそうですから、まあ、それぐらいのことをしなければ、基礎体力はつかないことでしょう。(もちろん、彼女には留学や海外勤務経験、それに同時通訳で有名なアカデミーでの修行経験など積み重ねておりました)

感心したり、感服したり、大笑いしたりしながら、彼女の話を聴きました。参加して本当によかったでした。(幹事の皆様、大変ご苦労さまでした)

スペイン堪能記ー余話

ピカソ「ゲルニカ」

まだスペインから帰って早々ですので、いまだに「スペイン病」を引きずっております(笑)。

今日なんかは、東京・銀座の有名スペイン料理店「エスペロ」にランチしに行ってしまいました。

ランチ1200円と、小生としては、ほんの少し割高でしたが(10ユーロと考えると断然安い!スペインでは、ランチでも17~30ユーロが相場で結構高い)、上写真右のガスパッチョ(冷製野菜スープ)なんかは美味で、本場とさほど変わらない味でした。

この店は、パエリアの国際大会で優勝したことがあるらしく、店頭に誇らしげに表彰状を飾っておりました。

店内を見渡すと、闘牛のポスターばかりでした。

今回のスペイン旅行で残念ながら、闘牛を見ることができませんでしたが、本場スペインではどうやら「下火」になっているようです。2日目のミハスでランチしたレストランは、元闘牛場で、食堂に改装したものでした。

バルセロナでは、ガイドさんが「ここの闘牛場は先週、閉鎖されました」と仰るではありませんか!

色々、聴いてみると、どうやら、入場料がかなり割高で、地元の人があまり行かなくなり、主に観光客相手になってしまったとのこと。「残虐」ということで、動物愛護団体などから闘牛を中止するよう様々な形で要望があったらしい、ということでした。

私自身は20代の若き頃、ヘミングウエイの「日はまた昇る」を読んで、感動して、「いつか、闘牛を見てみたい」と思っておりましたが、恐らく、もう見ることはできないでしょうね。

今回のスペイン旅行の一つが、ピカソの「ゲルニカ」を見ることでしたから、実現したときは、「かぶりつきの席」で、10分間ぐらいジーと見詰めていました。そして、見れば見るほど、よく分からなくなる不思議な絵でした。

私の記憶が確かなら、1937年のスペイン内戦の際、バスク地方ゲルニカが、ナチスドイツ軍による無差別都市爆撃を受けたことから、当時パリにいたピカソは、新聞報道や写真などを参考に一気に描き上げたものでした。ヒトラーは、フランコによる要請で他国のスペインを爆撃しましたが、その2年後に開始される第2次世界大戦を見据えて、空爆の演習を兼ねていたとも言われます。(フランコは、これを取引に、スペインは第2次大戦に参戦しないことをヒトラーに約束させたという説もあります)

「ゲルニカ」は、一気に描き上げたといっても、縦3.49メートル、横7.77メートルというかなりの大きさですから、ピカソはその前に45枚の習作デッサンを描きました。それら習作も会場の国立ソフィア王妃芸術センター(マドリード)で展示されておりました。

ピカソが何故、この絵を白と黒だけで描いたのか、色んな説がありますが、白黒でも凝視すると、真っ赤な太陽や血の色などの色彩が網膜に浮かぶようでした。ついでに阿鼻叫喚の悲鳴や泣き声まで聞こえるようでした。

天下の「ゲルニカ」ですから、写真撮影は禁止でした。左右に屈強のガードマン2人が配置されておりましたが、かなりの至近距離まで近づいて見ることができ、感激しました。

バルセロナ ガウディ作「グエル公園」

今回のスペイン旅行で、「スペイン語不足」を痛感しました。

トイレに行くと「caballero(カバジェーロ)」と書かれた入り口は、「紳士」用だということが後になってようやく分かりました(苦笑)。(senora=セニョーラ、淑女は、すぐ分かりました)

ビールは、Cerveza(セルベッサ)、赤ワインは Vino tinto(ビーノ・ティント)、グラスで注文するならCopa(コパ)、ボトルなら、Bottella(ボテージャ)。

うーん、フランス語とも単語がじぇんじぇん違いますね。ポルトガル語とはほとんど似ているでしょうが。。。

何しろ、taberna(タベルナ=居酒屋)は、「食べるな」と言われてるようで、吃驚しますよね。

昨日書いたスペイン語のバカ=牛は、正確にはVaca(バカ)=雌牛でしたね。アホ=ニンニクは、ajoで、アッホとも発音するらしいですね。

加藤画伯の御令室によると、首都マドリードの Madrid は、本当は「マドリー」と言うのが正確なんだそうですね。最後の「d」は発音しないとか。

あと、スペイン語の疑問文は、最初に「?」の真っ逆さまを書きますよね?書き言葉は、読者に最初から、次に書かれているのは疑問文ですよ、と注意喚起するためなんでしょうか?

スペイン語に詳しい方は、どうか、コメントで御教授願います。

還暦留学のすすめ

ここ両日、少し涼しくなりました。

とは言っても都心の気温30度ですから、ここ10日間近く続いた35度、36度、37度の猛暑があまりにも暑かったということでしょう。気象庁も「生命に関わるほど危険」と警戒警報を出すほどで、今月だけで全国で100人以上の人が熱中症で亡くなっております。

築地蜂の子 A定食 880円

貧乏暇なしで、昨晩は、S君の送別会を同僚のY君と一緒に銀座の焼き鳥屋さんNで挙行しました。(イニシャルばかりで暗号みたいですね=笑)

会社の定年は60歳ですが、65歳まで定年延長で居残れます。しかし、現役時代の4割程度という労基違反もんの給金ではやってられない、ということで、彼は60歳でスパッと辞めることにしたというのです。

でも、ロシア人と違って、日本人の平均寿命は伸び、あと20年、30年は生きている可能性が高いです。年金だけでは生活は苦しいです。そこで、これからどうすんの?とS君を参考人招致したところ、「訴追される恐れがありますので」と口を閉ざすばかり。仕方ないので、証人喚問、留置所喚問、尋問、反問、御下問…ありとあらゆる手段を使って口を割らせたところ、どうやら英国のエセックス州にある大学院に留学するというのです。

専攻は、International Developmentとかいう分野で、ズバリ植民地政策なんだそうです。この分野は、米国などより、植民地支配の長い歴史のある英国が世界で一番進んでいるらしいのです。

彼は、修士号か何か取得できたら、何処かの国際機関か、NGOかNPOかに就職できればというのです。還暦過ぎた第二の人生はかなり充実したものになりそうで、正直、私も羨ましくなりました。

◇◇◇◇◇

最近の日本の若者は保守的で、内に篭って外国に留学したがらないという記事をよく目にします。

私は無理に外国語を勉強する必要もないし、わざわざ留学する必要もないと思っており、地方で慎ましく生きている若者は立派だなあと思ってますから、マスコミの論調には違和感を覚えます。

誰しもが国際人になる必要もなく、むしろ、歌舞伎や伝統芸能の方が国際的に脚光を浴びるものです。つまり、ドメスティックであればあるほと、国際的に通用するということです。

中年でも熟年でも、やる気のある人が、大きな夢と目標を掲げて、S君のように留学するのが一番相応しいと改めて思いました。

【追記】

「学歴ロンダリング」なるものがあるそうで、最近になって初めて知りました。「留学」で箔を付けて帰国しても、コミュティカレッジ程度では、日本の専門学校と大して変わらないので、いい就職口がなし。頑張って、州立大学にでも進学しようとしても、途中で挫折して日本人同士でつるんで、挙句の果てには同棲したりして日本語しか使わず、英語能力の進歩なし。帰国しても多額の借金だけが残るという惨憺たる状況なんだそうです。

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