🎬「イニシェリン島の精霊」は★★★

 最近、ダムが決壊したかのよに、映画づいてしまいました。予告編を観て、いつか観ようか、観まいか迷っていたところ、新聞の広告で、「本年度アカデミー賞 最有力!」「主要8部門ノミネート」「ゴールデングローブ賞 最多3部門受賞」といった惹句に惹かれて、つい観てしまいました。

 「スリー・ビルボード」の監督マーティン・マグドナーの最新作で、コリン・ファレル主演の「イニシェリン島の精霊」です。予告編で、ファレル演じる主人公の気の弱そうで生真面目なパードリックに対して、その親友で、いかつい顔をしたコルム(ブレンダン・グリーソン)が急に、「お前とは友達をやめる」と言い出し、その理由について、「ただ嫌いになっただけだ」と言い放ちます。二人の間に一体、何があったのか?

 こりゃあ、本編を観たくなりますよね。

 でも、「予測不可能にして衝撃の結末とは?」と宣伝文句にある通り、サスペンスかミステリーの映画のようですので、結末は言えません。とはいえ、万人向きの映画ではないと思います。かなりグロテスクなので、私ならお薦めしないなあ…。怖いもの見たさに飢えている方なら丁度良いかもしれませんけど…。何で日本人的なわびさびの精神が分からないのかなあ?別に過激じゃなくていいし、あそこまでしなくてもいいじゃないか、と私なんか思ってしまいます…。

 と書きながら、この映画、フィクションとして割り切れば、かなり、練りに練られた考えられた作品になっています。奥が深いと言いますか、しばらく、この映画から頭が離れなくなり、色々と考えさせられます。友情という普遍的な問題についてだけではなく、人生とは何か、そもそも生きるとは何なのかと…。

 最初、観ている者は、いつの話なのか、何が何だか分からない世界に引きずり込まれていきますが、だんだんと、それは1924年4月1日に起きたことで、本土から少し離れたアイルランドの離島イニシェリン(架空の地らしい)で、住民同士がほとんど顔見知りの非常に狭い世界で物語が展開されることが分かります。樹木がほとんどなく、産業もほとんどないようで、あるとしたら、漁業か牧畜ぐらいです。この時代、テレビもラジオもなく、娯楽があるとしたら、辛うじて蓄音機のSPレコードとフィドルぐらい。男たちの愉しみは、村でたった1軒しかないようなパブで、昼となく、夜となく飲み明かすぐらいです。本土では内戦が続いているらしく、時折、砲弾の音が聞こえてきます。

 そんな狭い世界で人間関係がよじれると厄介なことになります。何しろ、道ですれ違わないことがないくらい狭い村社会で、隠れる所などほとんどありませんから…。

 この映画で応援したくなるのは、主人公パードリックの妹シボーンを演じているケリー・ゴードンです。彼女がいなければ、単なる怪奇映画になってしまいそうですが、シボーンを設定することで、映画に深みを増すことが出来、なるほどアカデミー賞候補になるのも頷けます。字幕なしで英語だけ聴いていると、どうも聴き取りにくい知らない単語が多く出てきましたが、恐らくアイルランド人がよく使う単語なのでしょう。調べたところ、コリン・ファレルは勿論、ブレンダン・グリーソンもケリー・ゴードンも、主役の俳優さんほぼ全員、アイルランド出身でした。凝り性のマグドナー監督のキャスティングだと思われます。

🎬「モリコーネ 映画が恋した音楽家」は★★★★

 一人の老人が、机の上で一心不乱に五線譜上に音符を書き連ねています。時々、何かに取りつかれたように、何かを口ずさみながら、書き続けています。もしかしたら、作曲中なの? えっ!? ピアノもギターも何も楽器がないのに、頭の中で浮かんだメロディを机の上でそのまま五線譜に書き記すことが出来るなんて、絶対音感の持ち主で。大天才ではないか!

 この場面を「モリコーネ 映画が恋した音楽家」を映画館の予告編で観て、是非とも観たいと思い、先日、劇場で観てきました。

 主人公は、映画音楽の巨匠エンニオ・モリコーネ(1928~2020年、行年91歳)。私がこの人の名前を初めて意識して知ったのは、「ニュー・シネマ・パラダイス」(1988年)=仏カンヌ映画祭審査員グランプリ、米アカデミー賞外国映画賞受賞=を観た時で、その映画音楽も世界的に大ヒットしたからです。

 この映画「モリコーネ」は、その「ニュー・シネマ・パラダイス」のジュゼッペ・トルナトーレ監督が、モリコーネの生涯と作品を巡って多くの映画関係者らにインタビューしたドキュメンタリーです。何しろ、インタビューで登場するのは70人以上と言いますから、映画通を自称する私でさえ、ほとんど知らない人ばかりなので、混乱してしまいました。これから御覧になる方は、事前に公式HPのサイトで「登場人物」の横顔を参照した上で御覧になれば、かなり整理されて理解できると思います。

 何しろ、映画の上映が倍速のような速さなので(笑)、登場人物の名前と肩書や作品名の説明字幕が読み終わる前にすぐ消えてしまいます。まさに、高度な鑑賞力が必要とされます。皮肉で言っておりますが(笑)。

 モリコーネが作曲した映画音楽は1961年以来500本以上だったといいます。この映画でもかなり多くの作品が出て来ましたが、日本未公開作品も多く含まれ、いくら映画通の私でも、観たのはその3割ぐらいじゃないかと思いました。ただ、かつて夢中になって観たクリント・イーストウッド主演の「荒野の用心棒」(1964年)やジャン・ギャバン、リノ・ヴァンチェラ、アラン・ドロンの三大スターが共演した「シシリアン」(1969年)、それにロバート・デニーロ主演の「ミッション」(1986年)、「海の上のピアニスト」(1998年)まで音楽がモリコーネの作品だったとは、知りませんでしたね。

 そんなモリコーネですが、映画音楽を作曲するのは「屈辱的だった」と告白しています。もともとローマの音楽院でゴッフレド・ペトラッシから正式に作曲技法を習ったクラシック音楽の正統派だったせいかもしれません。ただ、1950年代から台頭したジョン・ケージらによる「実験音楽」の流行もあり、その現代音楽の影響からか、かなり自由に映画音楽に実験音楽を取り入れております。「荒野の用心棒」などでは、何の楽器か知りませんが、アイヌの人たちが使うような「ボヨヨ~ン」と鳴る楽器や、口笛や雑音まで取り入れて時代の最先端の現代音楽を採用していました。

 私が学生だった1970年代初めの頃は、映画音楽が一ジャンルとして確立しており、かなりヒットしておりました。ラジオで映画音楽だけのリクエスト番組やベスト10があったほどです。大抵、1位になるのは「エデンの東」か「禁じられた遊び」か「ティファニーで朝食を」の「ムーン・リバー」あたり。このほか、上位には「シェルブールの雨傘」やフランシス・レイの「ある愛の詩」「男と女」「白い恋人たち」、パーシー・フェイスの「夏の日の恋」あたりが入り、とにかく名曲揃いでした。そうそう、忘れてならないのは、私も大好きなニーノ・ロータです。「太陽がいっぱい」「甘い生活」「ゴッドファーザー愛のテーマ」など今でも心に響く名曲ばかりです。

 この映画では、モリコーネが作曲した「死刑台のメロディ」(1971年)の主題歌「勝利への讃歌」を唄ったジョーン・バエズも登場し、私自身、非常に懐かしいなあ、と感じました。でも、やはり個人的好みから言えば、モリコーネは、ニーノ・ロータやフランシス・レイの次になってしまいます。ごめんなさい。それでも、勿論、彼の天賦の才は認められずにはいられません。

 しかし、私の世代でさえ、通好みで、私自身、公開作品の3割程度しか知らないとすれば、私より若い世代となると、ますます「エンニオ・モリコーネって誰?」となるかもしれないと思ってしまいました。

 でも、今の時代はユーチューブやDVDがあるので、時空を乗り越えて鑑賞できるはず。モリコーネが担当した音楽の映画を中心にこれから観る愉しみがありますよ。

【追記】ネタバレ(これから映画を御覧になる方は読まないで)

 「荒野の用心棒」などのセルジオ・レオーネ監督は、モリコーネとは小学校時代のクラスメートだったことや、スンタリー・キューブリック監督の「時計じかけのオレンジ」は、もともとモリコーネが音楽を担当するはずだったのに、行き違いで他の作曲家に回ってしまったことを、モリコーネが人生唯一後悔したことに挙げていたことは、大変興味深い逸話でした。

 

映画🎬「SHE SAID シー・セッド その名を暴け」は★★★★★

 久し振りに映画を劇場に足を運んで観て来ました。2年半ぶりぐらいかなあ? ちょっとよく覚えておりません(苦笑)。

 勿論、コロナ禍の影響ですが、何が何でも、石にかじりついてでも,観たい映画がなかったからかもしれません。所詮、映画はつくりものですし、現実生活やノンフィクションには劣るといいますか、二の次になってしまいました(失礼!)。そうなると、かつては、これまで1カ月に2~3本、映画館で観ていたのに、観ない習慣が出来てしまいました。また、怒られてしまいますが、映画を観る暇があったら、人類学や歴史関連の本を読んでいた方が遥かに有意義な時間が過ごせると思ってしまったわけです。

 ですから、この「SHE SAID シー・セッド その名を暴け」も殆ど期待しないで映画館に行きました。テレビで派手に宣伝しており、内容についても、あのハリウッドの帝王とも呼ばれた敏腕プロデューサー、ワインスタインによる性的暴行事件と、その後、勇気を出してカミングアウトするようになった女性被害者たちの「#Me Too」運動の話だということも、分かりきってしまっていたので、新鮮味がないだろうなあ、と高を括ってしまっておりました(これまた、失礼!)

 そしたら、我も忘れて映画の世界にどっぷり引き込まれてしまいました。正直言いますと、最初は、何が何なのか、さっぱり分かりませんでした。出演する俳優さんもほとんど知らず、顔と名前が一致しません。しかも、ですよ。20年前の若い時と、その20年後の2017年の現在の姿が交互に出てきて(勿論、全く別の、似ている女優さんが演じています)、本当に何が何だか、顔の区別ができないために、さっぱり付いていけなかったのです。

 それが、次第にジグソーパズルのピースがハマっていき、全体像がうっすら見えて来ると、「そういうことだったのかあ」と分かり、何とも言えない爽快感が出てきたのです。

 まあ、これ以上、内容について触れませんけど、舞台は米ニューヨークタイムズ紙の本社になっています。二人の、…いちいち断る必要はないかもしれませんけど、ママさん記者による調査報道のスクープ記事を巡る実話が描かれています。

 私も長年、マスコミ業界で働いておりますので、新聞社の内幕やら、取材方法やら、取材相手との交渉といったことは熟知しておりますので、その描き方は、本当に真に迫っております(当たり前かあ=笑)。ですので、感心どころか、感激してしまいました。

 最初にお断りしたように、出演している俳優さんの顔も名前も知らなかったのですが、新聞社内の役割ならよく分かりました。勿論、日本と米国ではシステムは違うかもしれませんが、まず女性記者2人がいて、デスクらしき年配の女性がいて、その上に白髭を生やした部長らしき年配の男性がいて、そのまた上に編集局長らしい黒人の統括責任者がいて、告発記事なので裁判にもなりかねないということで、記事化するに当たって最終ゴーサインする社主か社長らしき壮年男性がいるような感じを私自身は観ていて受けました。あまり観たことがない俳優さんたちだったので、名前を知らなかったのは申し訳なかったのですが、役割だけは手に取るように分かり、自分自身も現場にいるような錯覚をしてしまったぐらいです。

 特に、オフレコで取材に応じた被害を受けた女優さん(御本人が出演!)が、意を決して最後に「自分の名前を出してもらってもいいですよ」という電話をし、それを受けた記者が、感激して涙を流すシーンが出てきましたが、思わず私ももらい泣きしてしまいました。まだ、青いですねえ(笑)。その女性記者ジョディー・カンター役は誰なのか、後で調べたら、ゾーイ・カザン(1983~)という女優さんで、「波止場」や「エデンの東」の監督として知られるあの巨匠エリア・カザンの孫娘さんだったんですね。知らなかったなあ。

 あまり褒めてばかりいると私らしくないので(笑)、あら探ししますと、この映画では、やたらとiPhoneとMacパソコンが登場します。勿論、原作に登場するからしょうがないかもしれませんけど、GAFAの一角、アップル社と宣伝契約しているんじゃないかと勘繰りたくなりましたよ。

先週末は悪夢でした=触らぬ神に祟りなし

先週末は、ロクなことがなかった、と書けば、そうなってしまいますが、「永遠の相の下」で見れば、貴重な体験をしたということになるのかもしれません。

 週末は疲れて、結構、昼寝をしてしまいます。それも、30分とか1時間といった「うたた寝」ではなく、2時間とか3時間とかしっかり熟睡します。それでいて夜は、また9時間ぐらい眠られますから、まるで眠狂四郎です(笑)。

 そして、最近はよく夢を見ます。大抵は、起きた時、内容は忘れてしまうのですが、時には、酷い悪夢の場合は、内容までしっかり覚えています。

五島列島 Copyright par Tamano Y  ※写真と本文は関係ありません

 先週末の悪夢は最悪でした。理路整然としているようで、夢ですから、現実離れした飛んでもないことが起こるのです。それでも有りそうなことです。内容はざっとこんな感じです。

 ある75歳の老人が、私のブログの愛読者だということで、メールでアプローチして来ました。どうやら、ある有名作家の秘書の評伝をゴーストライターとして書いてほしいらしいのです。有名作家は、秘書にデータ集めから、関係者の調査まで任せていますが、実は、執筆しているのも秘書だったというのです。老人は、その秘書に会って、取材してほしいので、今度、芦屋の豪邸に来てくれ、というのです。

 その老人は、幕末に、尾張藩、会津藩、桑名藩などの藩主を生んだ「高須四兄弟」で有名な高須藩の末裔を称し、祖父が神戸の貿易商で巨万の富を得て、六甲や八ヶ岳にも別荘があるというのです。まず、秘書に会わせる前に「品定め」したいので、神戸のコーヒーチェーン店に来てほしいというのです。お会いすると、その老人は3時間も一方的にしゃべくりまくり、しかも、お金に不自由したことはなく、悪い人間に巡り合ったこともなく、このチェーン店の創業者はマブダチなどと自慢話ばかりです。三浦和義さん御愛用のハンティングワールドをチラつかせ、流石に辟易しましたが、表情で表すことも出来ず、トイレに行くことを口実にやっと解放してもらいました。

 老人はその場で、「では、今週末に芦屋の自宅に来てください」と口約束してくれましたので、品定めは合格したのかと思っていたら、翌日になって、急に「貴方の視野が狭いことが分かりました。私は高須藩の末裔です。私の自宅には選ばれた人間しか入れることはできません」と丁重な「お断り」のメールが届いて、そこで目が覚めたのでした。

五島列島 Copyright par Tamano Y ※写真と本文は関係ありません

 嫌な悪夢を見てしまったので、「お口直し」に久しぶりに映画を見に行くことにしました。そしたら、これが最悪だったのです。かなり手厳しく批判するので、この映画の名誉のためにタイトルは秘匿しますが、ハリウッド映画で、主演は往年の美男俳優で今年59歳になりながら、若さを保って頑張っています。しかも、日本人の作家が原作ということで、「これは応援しなければ」ということで、本当に久しぶりに映画館に足を運んだのでした。

 日本の新幹線の列車内を舞台に、主役の「運び屋」と、ヤクザに雇われた殺し屋との壮絶な抗争で、やたらと殺し合いが続き、日本国内なのにマシンガンがぶっ飛ばされ、あり得ない展開です。日本語の看板がやたらと出て来ますが、駅構内に「自動柵」もないし、これらは明らかに日本で撮影されたわけではなく、莫大な製作費を掛けて、大掛かりなセットを作って米国内か何処かで撮影されたものであることがすぐ分かりました。

 笑えないし、怒れない。こんな映画を見て喜ぶ人間がいるんだと思うと呆れてしまいました。全く、お金と時間を無駄にしてしまいました。59歳の初老俳優と日本人作家を応援したいがために見た行為が仇でした。

 いやはや、これからもう少し生き続けるには、嫌なことは忘れてしまうことが肝心です。そして、何よりも、触らぬ神に祟りなし。

ザ・ビートルズBlu-ray「ゲットバック」セッション感想

 1週間の病気療養生活で、本は読めないし、寝てばかりいられなかったので、ちょうど購入したばかりのBlu-ray3枚組「ザ・ビートルズ:Get Back」(ウォルト・ディズニー・ジャパン、7月13日発売、1万6500円)を時間を分散して見ていました。

 1969年1月2日から31日にかけて収録された「ゲットバック」セッションで、約60時間の映像と約150時間の音声を、新たに7時間47分間のDVD3枚組に編集したものです。既に昨年、ネットで配信されて話題になりました。

 私はネットの有料会員ではないので、DVD化されればいつか買うつもりでしたが、私のようなビートルズ・フリークから言わせてもらえれば、やはり、Blu-ray3枚組1万6500円は高過ぎるし、長過ぎる。普通の人なら、映画「レット・イット・ビー」で有名になったルーフトップ・コンサートが入った3枚目(2時間18分)だけで十分だと思います(バラ売りしないでしょうが)。

 会社の同僚の勧めで、DVDセット(1万3200円)ではなく、より画質が鮮明なBlu-rayセットを選んだので、53年以上昔の映像なのに昨日撮影したばかりのような驚くべき鮮やさです。デジタル・リマスター技術の進歩のおかげでしょうが、驚嘆するしかありません。

 今更説明するまでもありませんが、「ゲットバック」セッションは当初、レコーディングの様子やライブ演奏を収録してテレビ番組のために撮影されたものでした。ライブ演奏会場は当初、古代劇場だったり、テレビスタジオだったりしましたが、中止になり、結局、ロンドンのアップル社の屋上になりました。4人は激しく意見をぶつけ合い「空中分解」となり、ジョージが途中で「脱退宣言」してスタジオに顔を出さなくなったりします。

 当初は、「ゲットバック」アルバムとして、春にも発売する予定でしたが(私は、当時中学生で、「ミュージックライフ」誌に、ニューアルバム「ゲットバック」の広告が掲載されていた事を覚えています)、「お蔵入り」となり、夏に、ビートルズとしては最期のレコーディングとなった「アビイ・ロード」の方が先に秋に発売され、お蔵入りになっていた「ゲットバック」は翌70年に映画「レット・イット・ビー」のサントラ盤(フィル・スペクターによるアレンジ)として発売され、同年4月にビートルズ解散(ポール脱退)も発表されます。

 話が前後した、随分マニアックな話でした。

 ということで、このセッションではビートルズの初期のカバー曲や新曲が完成する前のラフな状態や試行錯誤が伺えるわけです。アルバム「レット・イット・ビー」収録曲は勿論、「アビイ・ロード」に収録される「オー!ダーリン」や「マックスウェルズ・シルバー・ハンマー」のほか、後に各自ソロになってアルバムに収めることになる「テディ・ボーイ」「バック・シート」(ポール)、「ギミー・サムシング・トゥルース」(ジョン)、「オールシングズ・マスト・パス」(ジョージ)までありました。これらは大体、3年後の1971年に発表される曲でしたから、随分早い段階で試作品が出来ていたことを初めて知りました。

 もう一つ驚いたことは、この作品を撮ったマイケル・リンゼイ=ホッグ監督が大御所かと思っていたら、メチャクチャ若いのです。BBCのポップス番組「レディ・ステディ・ゴー」のディレクターだったことから抜擢されたらしいのですが、1942年生まれということでポールと同い年。当時、まだ26歳です。(髭を生やしたポールは、40歳過ぎに見えます。)

 もっとも、有名なプロデューサー、ジョージ・マーチンも1926年生まれですから、この時、まだ42歳です。実に若かったんですね。

 また、空中分解しかけたところで、辛うじて「繋ぎ役」となったオルガン奏者のビリー・プレストンは1946年生まれですから、当時まだ22歳です!(リトル・リチャードのバックで弾いていたビリーがビートルズと初めて会ったのが16歳だったとは!2006年、59歳で病死されたことは返す返すも残念です)

 扨て、やっと感想文です(笑)。これは、病身で見るべきではありませんね。気分が落ち込みます。映画「レット・イット・ビー」が公開された時、中学生だった私は、東京・新宿の武蔵野館で朝から晩まで4回も見続けた覚えがあります。当時は入れ替え制度がなく、席も「指定席」以外自由だったからです。その後も何十回もこの映画は観ているので、内容は知り過ぎてはいるのですが、ここまで酷いとは思いませんでした。

 特に、今の時代では考えられないくらい彼らもスタッフも四六時中、煙草を吸いっぱなし!神聖な職場だというのに女(とはいっても恋人や配偶者)を連れ込み、特にジョンは遅刻魔で前半はほとんどやる気なし。ポールの独裁的な態度は強引で、ジョージがついにキレて行方をくらます始末です。呆れた事に、ワインやアルコールを飲みながらのレコーディング。会話も実に下品で野卑なのです。「ゲットバック」の歌詞に出て来る「カリフォルニア・グラス」が「カリフォルニアの大麻」のことだったとは!

 あの大天才モーツァルトに嫉妬したと言われるサリエリだったら、こんな感想を述べるかもしれません。

 「奴らは何て、下品で野卑なのでしょう。それなのに、奴らが生み出すメロディといったら天使から遣わされたような天衣無縫の旋律。あんな下ネタ好きで、酒や煙草はのみ放題。隠れてラリッているに違いない。不良少年がそのまま大人になったようで、社会の常識に染まろうとはしない。そんな野卑で下品な人間が天上の音楽を紡ぎ出すとは、神は如何にも不公平に人間を作りたもうたことか」

 それでも最後の「ルーフトップ・コンサート」は圧巻で、全ての悪や災いを帳消しにしてくれる感じです。ビートルズの音楽は鮮明な映像とともに、これから100年後も1000年後も人類の歴史が続く限り、繰り返し聴かれることでしょう。

🎬「ドライブ・マイ・カー」は★★★

 カンヌ国際映画賞(脚本賞ほか4冠)、ゴールデングローブ賞(非英語映画賞)、そして何よりもアカデミー賞4部門(作品、監督、脚本、国際映画)ノミネートということで、巷で騒然たる話題になっている濱口竜介監督作品「ドライブ・マイ・カー」が再上映されるというので昨日、映画館に足を運んで観に行って来ました。

 偉そうですが、私の採点は星三つでした。どちらかと言えば、昨年12月に観た同監督作品「偶然と想像」の方が遥かに面白かったです。

 勿論、私は文化国粋主義者ですから、この作品は、是非ともアカデミー賞を取ってもらいたいと思っていますが、私が審査委員なら、正直、国際映画賞なら他の作品との兼ね合いから票を入れてもいいですが、同賞最大最高の「作品賞」ともなると、入れませんね。もし、作品賞を取ったら、「渓流斎の目は節穴。観る目が全くない」と批判されると思いますが、それでも構いません。

 何しろ、不思議なのは、過去に、巨匠黒澤明も溝口健二も「作品賞」にはノミネートすらされたことがないといいますからね。

 この濱口作品はあまりにも私的小さな世界に縮こまっていると思います。黒澤明は、「我が青春に悔なし」で京大の滝川事件を題材にしたり、「生きものの記録」で第五福竜丸の被爆事件から翻案したりして、時事的、社会的話題に常に目を配らせていました。溝口健二は、「西鶴一代女」や「雨月物語」など歴史物を題材に現代の矛盾を照射したりして社会性がありました。

 村上春樹原作の「ドライブ・マイ・カー」に社会性も時事性もないとは断言しませんが、やはり、黒澤明や溝口健二には遥かに及びません。溝口健二から「成瀬君のシャシンには〇〇〇〇がない」と批判された成瀬巳喜男(「浮雲」「流れる」)にも及びません。この作品がアカデミー賞作品賞を受賞したら私は失望して、余生は、黒澤や溝口や成瀬や小津安二郎らの作品を観て過ごすと思いますよ。(ポン・ジュノ監督「パラサイト」が作品賞を受賞した時も大いに疑問でしたが)

銀座「le vin」ハンバーグ・ランチ1000円(飲み物付)

 「ドライブ・マイ・カー」は昨年の夏に公開された時も、かなり話題になっていましたが、観に行きませんでした。3時間近い長い映画であるということと、「妻を失った舞台俳優の喪失感」云々といった梗概を読んで、気が引けてしまったからでした。ちょうど、昨年は春に高校時代の親友を病気で亡くしたため、「喪失感」が計り知れなく、現実でこんなに苛まれているのに、またそんな「喪失感」の映画なんか観たくない、と思ったからでした。

 で、実際に観て、やはり、私は「近い」ので途中でトイレに駆け込んでしまいました(笑)。そして、映画の前半は、正直、ポルノ映画チックか、覗き見趣味的な場面が多くて、辟易してしまいました。

 チェーホフの「ワーニャ伯父さん」を広島で上演する話なので、俳優が俳優を演じるというマトリョシカの入れ子のような話なのですが、何と言っても、濱口竜介監督お決まりの「長セリフ!」。東京芸大大学院修了のせいか、ちょっとインテリ過ぎの嫌いがあるのでは、と思ってしまいました。

 そう言えば、黒澤明も溝口健二も成瀬巳喜男も昔の映画監督は、大学は出ていません。それでも脚本は簡潔で明瞭で、間合いが素晴らしく、台詞がなくても、人間関係の機微を見事に描いていました。

 またもや老人の懐古趣味的な話になってしまいましたね。

人間、14歳が勝負の分かれ目?=イタリア映画讃

  本日、ランチで行った東銀座のイタリアンレストランで、稀に見る飛びっきりの美人さんとほぼほぼ同席となり、何か得した気分になり、食後のコーヒーまで改めて注文してしまいました(笑)。

 誤解しないでくださいね。ただ、たまに、チラッと見ていただけーですからね(笑)。

 その美人さんはお仲間さんと3人で食事をしていたので、よく素敵な笑顔がこぼれておりました。まだ20代半ばか後半といった感じでしょうか。いやはや、これ以上書くと炎上するので、やめておきます(笑)。

 後で、誰に似ているかなあ、と思ったら、先日(2月2日)亡くなったイタリアの女優モニカ・ヴィッティさんでした。ちょっときつめのアイラインで、少しワイルドな感じでしたが、知的そうで、なかなか、滅多にお目にかかることはできない美人さんでした。

 とにかく、モニカ・ヴィッティさんにそっくりだったので、(90歳で)亡くなった彼女が再来して降臨してきたのではないかとさえ思いました。でも、今では彼女のことを知る人はもう少ないかもしれません。私は、彼女がアラン・ドロンと共演した「太陽はひとりぼっち」(ミケランジェロ・アントニオーニ監督)で強烈な印象に残っています。1962年公開作品(カンヌ映画祭審査員特別賞受章)ですから、映画館ではなく、何年か経ってテレビか、池袋の文芸座(洋画二本立て100円)で見たと思います。ニーナの主題曲もヒットしたと思います。

 1962年はビートルズがデビューした年ですから、少なくともこの年まで世界的な流行音楽は(映画音楽も)ジャズだったのではないかと思います。私は最近、1950年代から60年代にかけて流行したジャズ・ギターにハマってしまい、昨年から今年かけてもう10枚以上ものCDを買ってしまいました。タル・ファロー、ハーブ・エリス、バーニー・ケッセル、ケニー・バレルといった面々です。彼らの超人的早弾き演奏には圧倒されます。これまで、エリック・クラプトンかジミ・ヘンドリックス、もしくは、ジミー・ペイジかジェフ・ベックかリッチー・ブラックモア辺りが人類最高のギタリストだと思っていたのですが、ちょっと、考え方が変わってきました。ジャズ・ギタリストの早弾きは、ロック以上で、とても真似できませんね。

東銀座・イタリア料理店「エッセンス」ランチB(カサレッチェ)1100円+珈琲100円=1200円

 1960年~70年代はハリウッド映画一本やりではなく、映画館(私がよく行ったのは池袋「文芸座」のほか、大塚駅前の「大塚映画」?、高田馬場「パール座」「松竹座」、飯田橋「佳作座」などの廉価な弐番館です)では、結構、欧州映画が掛かっていました。アロン・ドロンやジャンポール・ベルモンド主演のフランス映画が多かったですが、イタリア映画も負けてはいません。先のアントニオーニ監督の他、何と言っても巨匠ルキノ・ヴィスコンティ(「地獄に堕ちた勇者ども」「山猫」「ルートヴィヒ」など)、それにフェデリコ・フェリーニ(「道」「甘い生活」など)は若輩には難解でしたが、何日も頭の中でグルグルと場面が浮かぶほど印象深かったでした。ピエロ・パオロ・パゾリーニ監督の「デカメロン」や「カンターベリー物語」には衝撃を受けましたが、その前に、ヤコペッティ監督の「世界残酷物語」(1962年)は日本でもヒットしました。DVDがあればもう一度見てみたいですが、所有したくないので、レンタルであればの話ですけど(笑)。

 ああ、そう言えば、「ロミオとジュリエット」「ブラザーサン・シスタームーン」のフランコ・ゼフィレッリも大好きな監督です。それに何と言っても、ビットリオ・デ・シーカ監督の「ひまわり」(マルチェロ・マストロヤンニ、ソフィア・ローレン主演)は名作中の名作です。

 懐古趣味的な話になってしまいましたが、人間、多感な若い時(恐らく14歳)に聴いた音楽や観た映画が、一生を左右する、ということを言いたかったのです。今の若者たちに流行のラップやヒップホップは、私自身、個人的には、もう手遅れでついていけないので勘弁してほしいですし、映画も勧善懲悪がはっきりした単純なハリウッド映画よりも、難解なヨーロッパ映画の方が趣味的には合ってしまうのです。

 何か、問題ありますかねえ?

🎬「フレンチ・ディスパッチ  ザ・リバティ、カンザス・イヴニング・サン別冊」は★★

 今、巷で話題になっているウェス・アンダーソン監督作品「フレンチ・ディスパッチ ザ・リバティ、カンザス・イヴニング・サン別冊」を、コロナ禍の中、観に行ってきましたが、正直、つまらなかったなあ…。

 オミクロンの感染拡大のせいなのか、真冬だというのに、映画館内は冷房が効いていて(まさか!)、脚が寒くて寒くてしょうがなく、映画もつまらないので、映画の世界に集中できず、珍しく途中退場しようかと思ったぐらいです。

 同監督のアカデミー賞4部門受賞作「グランド・ブダペスト・ホテル」(主演レイフ・ファインズ、2014年)は大変面白かったんですけどねえ。今回は、ちょっと、観念的過ぎたといいますか、突拍子もないといいますか、破天荒な映画でした。「これこそが芸術だ」と言いたい人もいるでしょうが、もし、これが「偉大なる芸術」だとしたら、国会議員でもないのに、辞めます、と私は国会で宣言しますよ。

 それでも、「ゴーストバスターズ」などのベテランのビル・マーレイ、「スリー・ビルボード」「ノマドランド」などでアカデミー主演女優のフランシス・マクドーマンド、「戦場のピアニスト」のエイドリアン・ブロディ、「トラフィック」のベニチオ・デル・トロ、そしてボンドガールのレア・セドゥら、超が付く大物俳優が出演しています。

銀座・とんかつ「不二」ミックス定食600円(20分以上待たされましたけど)

 フランス・パリ郊外の架空の街にある米国の雑誌「フレンチ・ディスパッチ」の編集記者たちの活躍を描いた作品で、アート、ファッション、若者文化、グルメなどテーマごとに話が全く違う3本のオムニバス形式になっていたことが後になって分かりました(苦笑)。映画なのに、演劇的手法で撮影されています。登場人物全員が固まったように静止し、それが、回転舞台のようにして場面が変わっていくという手法です。実に奇を衒っています。

 アクションペインティングや、1968年の学生たちのパリ蜂起などがモデルになっているようで、車からファッション、食事に至るまで60年代カルチャーを忠実に再現している感じです。アンダーソン監督は1969年生まれなので、ビートルズの現役時代も知らないはずなのに、60年代が好きなのでしょう。時折、カラーを白黒に変換したりして映像芸術の極致を目指している感じがします。

 第1話の「確固たる名作」では、ボンドガールのレア・セドゥが惜しげもなく見事な裸体を披露しています。でも、何か彫刻のようで、猥褻観も卑猥観もないのですが、必然性がないといいますか、不自然で違和感ばかり募りました。「看守役なのだから、別に脱ぐ必要もないのに」「監督に強制されたのかな?」「随分、安売りしてしまったなあ」「昔の大女優だったら考えられないのになあ…」と同情してしまったほどです。

 ※これは、あくまでも有料で観た個人の感想です(笑)。

🎬濱口竜介監督作品「偶然と想像」は★★★★☆

 今年の第71回ベルリン国際映画祭で銀熊賞(審査員グランプリ)を受賞した「偶然と想像」を東京・渋谷のBunkamuraル・シネマまで遠路はるばる出掛けて観に行って来ました。

 第一話「魔法 (よりもっと不確か) 」、第二話「扉は開けたままで」、第三話「もう一度」という独立した3本の短編作品で、メガホンを取ったのが今世界で最も注目されている濱口竜介監督です。何しろ、彼は、2020年ベネチア国際映画祭で共同脚本を手掛けた「スパイの妻」が銀獅子賞(監督賞)、21年カンヌ映画祭では「ドライブ・マイ・カー」が脚本賞など4冠、そして、今回の「偶然と想像」と国際的な映画賞を総なめしています。

 「偶然と想像」がベルリンで賞を獲ったニュースは知っていましたが、日本で上映される日を知ったのは全国公開日の2日前でした。ル・シネマの会員登録をしているので、ネットで数少ない席をやっと確保しました。18日(土)にしたのですが、その日は、俳優さんたちの「舞台挨拶」付きでした。

 こう見えても、(どう見えるか分かりませんが=笑)私はもう半世紀以上も映画館で映画を観ておりますが、俳優さんが登壇する舞台挨拶を見るのは生まれて初めてでした(笑)。かつて芸能担当記者として多くの俳優さんにはインタビューさせて頂きましたが、「素人」として見るのもなかなかオツなものでした(笑)。

 映画は、一言で言えば、キテレツでした(笑)。総合タイトルの「偶然と想像」の通りに、偶然からアッと思わせるどんでん返しが起こるので、内容については茲でバラさない方が良いと思います。

 キテレツというのは、濱口監督の脚本と映画の撮り方がまさにキテレツだったからです。脚本で言えば、台詞がやたらと長い!(俳優泣かせ)しかも非常に観念的で、悪く言えば頭でっかち。映画の台詞というより舞台の台詞に近い、と思わせました。見たことがない人に言ってもしょうがないのですが、平田オリザの「青年団」の演劇を見ているような感じでした。大きな事件も事故も起きない何気ない日常の中から生まれる会話の中で、皮肉と諧謔とパンチ効いた台詞がポンポン飛び出します。

 濱口監督の台詞は異様に長い上に、それに比例するようにカメラの回しも異様に長く、ほとんどカット割り撮りしていないのではないか、とさえ思わされました。こりゃあ、役者さんたちは大変ですよ(後で、監督の俳優に対する配慮が分かりました)。

 各作品とも台詞がある登場人物が2人とか3人とか異様に少なく、ということは、群像劇ではないので、会話だけで最後まで見させてしまう濱口監督の力量は相当なものでした。ハリウッド映画のような大掛かりなCGは使わないし、飛行機が墜落したり、車が破損したり、拳銃がぶっ放されたりしない、全くごくあり得そうな日常生活が描かれているだけです。そんな映画を日本人ならともかく、よく海外の人まで理解して熱狂してくれたかと思うと不思議な感じがしました。

 人間の心因性は世界各国、どこでも変わらないということなのでしょう。

2021年ベルリン国際映画祭銀熊賞(審査員グランプリ)の銀熊トロフィー。洋画専門の渋谷のル・シネマで邦画がかかるのは初めてらしいですよ

 映画が終わった後の舞台挨拶では、第一話の「魔法(よりもっと不確か)」に主演した古川琴音(奈良美智の絵に登場する少女にそっくり!)、中島歩(イケメンさん)、玄理(ひょんり)の3人の俳優が登壇しました。(濱口監督は、コロナ隔離のため、音声だけで出演しました)

 大変申し訳ないのですが、この3人を含めてこの映画に主演した俳優さんたちは、これだけ映画を観ているというのに、全員、「顔と名前が一致しない」という意味で知りませんでした。申し訳ない序にまた言わせてもらいますと、スクリーンの中ではこれまで見たこともないぐらいハンサムで恰好良かった男優さんや、本当に目が眩むほど美しい女優さんも、実物で見ると、驚愕するほどでもなかったことでした。勿論、俳優さんですから、普通の人より遥かにハンサムで美人さんなのですが、照明さんと撮影監督の巧みさが際立ったということでしょう。

 この舞台挨拶で、ある女優さんが、濱口監督の独特で驚きの撮影手法を公表してくれました。3本で約2時間の映画ですから、1本の短編は40分ということになります。しかし、撮影時間は全部で何時間か分かりませんが、それ以上ありました。映画館で公開される作品(本編)の前に起こったことまで、台詞と芝居があって撮影していたというのです。つまり、この非公開部分によって、役者さんたちは、本編に入る前の人間関係や、その後に起きるであろうことがよく分かるので、長い台詞でも演技がしやすくなる、というわけです。

 この話を聞いて、やはり、この東京芸大出身の濱口監督(43)は只者ではない、と確信致しました。世界から注目されるはずです。

🎬「燃えよ剣」は★★★

 いつの間にか、日経新聞金曜日夕刊の映画評で、★のマークが消えてしまいました。会員向けのネット記事には★があるようですが、読者というより、圧力団体、業界から相当な反感があったので取りやめたのではないかと想像してしまいます。

 私は日経の★の数で、観る映画を選んだりしていたのですが、単なる評論家の個人的感想で、その★の数ほど感動するかと言えば、必ずしもそうでもないので、新聞紙面でも洒落として続ければいいと思うんですけれど…。

 私にとって現実生活は重過ぎる面が少しあるので、映画はやっぱり気休めであり、気分転換でもあります。

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 「燃えよ剣」は、司馬遼太郎の原作を読んでいるので内容も知っているし、原作にはない、あっと驚く物語展開があるわけないと思われたので、最初は正直、気乗りしませんでしたが、この映画にはウチの会社も出資して協力しているようでしたので、観ることにしました。

 主役の土方歳三役の岡田准一は、ハンサムな土方と相通じるところもあり、最期はどうなるのか分かっていながら、やはり、少し映画の世界に引き込まれました。

 私も、歴史上の人物としての土方歳三のファンでしたから、函館の最期の地を訪れて、お参りしたこともあります。新選組局長近藤勇(鈴木亮平も顔が似ていてハマり役でした)が斬首された板橋宿も何回か行ったことがありますが、近藤と土方の最後の別れとなった、新選組の最後の本陣となった千葉県流山市にはまだ行ったことがありません。いつか行ってみたいと思っています。

 あら探しをしたらキリがないので控えますが、国内ではもう江戸時代の情緒が残る景色はほとんど残っていないというのに、ロケハンさんたちの努力で、見応えのあるロケシーンが出てきたと思います。京都の池田屋はオープンセットで完全に再現したらしいですし、合戦シーンは3000人のエキストラを動員したといいますから、結構、製作費が掛かったことでしょう。

 あら探しを控えると言っておきながら、近藤勇と別れた土方歳三は、なおも転戦し、宇都宮城と北海道の松前城の二つも城を攻略して落としたというのに、映画では宇都宮城の話すら出てきませんでした。城好きの私としては残念でしたね。

 土方歳三は、単なる剣豪だったわけではなく、西洋軍法を知り、逸早く取り入れて近代戦で城を落とした指揮官として見直されるべきですが、映画では、フランス人の軍事顧問ジュール・ブリュネを登場させるなどしてその活躍ぶりを少し垣間見せてくれました。

 新選組はこれまで何度も映像化され、土方歳三役も渡哲也、長塚京三、山本耕史ら多くの俳優が演じてきましたが、この岡田准一さんが一番のハマり役のような気がしました。