SNSの恐怖と嫌悪感=Facebookやめましたが…

 Facebookはやめたつもりでしたが、メッセンジャーに全く知らない若い女性から、急に「FBの知り合いかもにお名前があったので何か繋がりがあるかと思い、メッセージを送っています。人との交流からインスピレーションを受けて交流の幅を広げたいと思います。友達になれたらいいですね」とのメッセージが送られてきました。

 若くて綺麗な女性ではありますが、私はやはりぞっとしてしまいました。私のFacebookの顔写真が大昔の若い時の写真なので、先方さまは何か勘違いされていたかもしれません(苦笑)。でも、彼女だけではなく、他にも複数の若い美しい女性からメッセージがありました。中にはこれ見よがしに、ビキニ姿の姿態を披露されている方もいらっしゃいました。ここまで来ると、本当は毛むくじゃらの男なのに若い美しい女性を騙った「国際結婚詐欺」かもしれないと疑いたくたります。

 こうなれば、Facebookのアカウントを削除すればいいのですが、そうすると、メッセンジャーが全く使えなくなります。辛うじてメッセンジャーだけで繋がっている学生時代の友人もおりますので、結局、メッセンジャーだけは残せるFacebookの「アカウント停止」にしました。これだと、もう私のFacebookは(更新していませんが)誰も見ることが出来ないと思います。

 この話に関連しますが、先日見たNHKの海外ドキュメンタリー「SNSが作った“世論”#ジョニー・デップ裁判」(フランス、2023年)にはかなり衝撃を受けました。恐怖と嫌悪感でいっぱいになりましたよ。

 内容は、有名なハリウッド俳優ジョニー・デップと元妻で女優のアンバー・ハードとの離婚裁判をを巡る騒動です。最初はデップによる家庭内暴力(DV)が認められたものの、全面的にデップを擁護する男性優位主義者たちが被害者のハードを中傷する動画などを拡散し、世論はハードに対して批判的になっていく経緯を追ったものでした。ユーチューブやティックトックなどSNSによる印象操作が世論を変える恐ろしさを伝えていました。

 特に驚愕したのは、デップの辣腕弁護士が、デップとハードとの私的会話録音を、男性優位主義のユーチューバーに渡し、それをユーチューバーたちは使って、ねじ曲げた「編集」でハードが悪意を持ってデップを攻撃しているようにみえかねない録音に改竄して流していたことでした。また、ハードが法廷で証言した際、泣いたりすると、それを茶化して、ティックトックで物真似したりする輩が出現し、まさにハードさんの社会的信用を貶める誹謗中傷を行っていました。

 ユーチューブもティックトックも視聴回数か何かで「収益」が得られるシステムになっていますから、とにかくアクセスしてもらえれば、内容は嘘でも何でもいいのです。日本でもユーチューバーだったガーシーこと東谷義和被告が暴力行為等処罰法違反(常習的脅迫)などで裁判になったりしておりますが、欧米ですと、ガーシーとは比べものがならないくらい過激で虚偽に満ちています。そして唖然とするほどその量の多さです。

 SNSの閲覧数が収益につながるビジネスモデルとなっているのなら、その過激度は際限ないことでしょう。視聴者=世論も真実よりも陰謀論に飛びつく傾向があります。私は、改めて、SNSに恐怖と嫌悪を感じました。

最新映画より小津安二郎など旧い作品の方が観たくなりました

 2024年(令和6年)、新年明けましておめでとう御座います。本年も宜しくお願い賜わります。

 扨て、「一年の計は元旦にあり」とよく言いますけど、あまり、しゃちこばらずに今年はどんな一年にしようか、考えてみました。

 一言でいいますと、アナクロニズム(時代錯誤)と批判されようが、もうあまり流行は追わずに、アナログ人間でもいいから、ゆったりとシンプルに過ごしていこうという心構えです。

 昨年末に観たヴィム・ヴェンダース監督の「パーフェクト・デイズ」の影響かもしれません。役所広司演じる主人公の平山のように、あそこまで、カセットテープやネガフィルムカメラに戻る気持ちはないのですが、便利さや効率ばかりを追及するデジタル人間にならなくても、アナログ人間的生き方でも許してもらえるのではないか、と思うようになったのです。

 昨年は、スマートフォンのiPhoneⅩから5年ぶりに20万円以上もするiPhone15Proに買い換えました。4Gから5Gにもなったので、データ送受信速度も目を見張るほど速くなるものと期待したら、楽天モバイルのせいか、殆ど変わりません。アプリもそのまま移行したので、内容も変わらず、変わったのは少しだけバッテリーの持ちが良くなったぐらいです。たったそれだけですよ! スマホの進化は、終わったといいますか、頭打ちになったということなのでしょう。

 昨今、AI(人工知能)やロボットばかり注目されていますが、普段の生活にそれほど必要なのか、私は懐疑的です。本当の人間らしさとは何かを考えた時、そして、心の豊かさを求めようとした時、やはり、AIやデジタルより、アナログ的思考ではないかと思っています。

 私には、人生の全てをアルゴリズムで決められてたまるか!といった感情があります。

さいたま新都心

 昨年末の大晦日に、NHKの紅白歌合戦を何十年ぶりか見たところ、出演者のほとんど知りませんし、怒られますが、歌って踊っている若い歌手は、皆同じ顔に見えて区別がつきませんでした。名前だけは知っている乃木坂だったか、欅坂とかいう若い女性グループは、4~5人なのかと思ったら、40~50人もいるではありませんか。あれじゃ、宝塚です(もっとも、昨年事件を起こした宝塚ですから、出演出来なかったことでしょうが)。私と同世代の郷ひろみさんは、流石に高齢となり、高音の伸びがなくなり、ブレイクダンスまで挑戦しようとしましたが、やっと周囲に支えられてポーズを取るのがやっと、です。何か、痛々しいなあ、と思い、テレビを消してしまいました。性加害事件で旧ジャニーズ事務所所属のタレントが44年ぶりに不出場ということでしたが、似たような、と言っては顰蹙を買うかもしれませんが、他に若い男性グループが沢山出演していたので、「ジャニーズ不在」と言われても分かりませんでした。

 何か、「終わった人」の老人のつぶやきを聞かされているようで申し訳ないですねえ(笑)。

 最初にヴィム・ヴェンダース監督の「パーフェクト・デイズ」の話をしましたが、最新の映画はFXやCGを使った暴力やアクションものが多くなり、年配者にはとても付いていけなくなりました。今は色々と便利になりましたから、私は、今年は最新封切映画より、旧い映画を観なおしたりすると思います。

 この年末年始は、ビデオ録画していた小津安二郎監督の「お早う」(1959年)と「秋刀魚の味」(1962年)を観ました。昨年は没後60年、生誕120年の節目の年で大いに注目された小津安二郎ですが、やはり、いいですね。ヴィム・ヴェンダース監督が影響受けただけあります。

 「お早う」は、東京郊外の新興住宅街を舞台に、テレビを買って、とねだる子どもたちとそれに振り回される家族の日常が描かれた何でもない内容なのですが、何とも滋味深いものがありました。佐田啓二と久我美子主演。公開された1959年は、テレビの普及率は24%、価格は7万円でした。当時のサラリーマンの月給は1万7000円程度でしたから、4カ月以上分と高価でした。騒動になるのは当たり前で、当時最新の話題を盛り込んだホームドラマだったわけです。東京郊外は何処なのかと思ったら、佐田啓二と久我美子が駅のプラットフォームで一緒になる場面があり、その駅は「八丁畷」でした。川崎市にある京浜急行の駅でした。

 「秋刀魚の味」はもう観るのは3回目ぐらいですが、細かい場面は忘れているので何度観てもいい(笑)小津監督の遺作です。笠智衆演じる初老のサラリーマン平山と、岩下志麻演じるその娘路子(みちこ)の縁談話を軸に展開されるこれまたホームドラマです。秋刀魚の味といいながら、秋刀魚が出て来ない不思議な映画で、つまりは秋刀魚の味は初老の平山の感慨のメタファーになっているという説もあるようです。岩下志麻は「極道の妻」のせいで、怖いイメージが強過ぎてしまいましたが、役柄とはいえ、若い時は純朴、おしとやかで、天下一の別嬪さんだったことが分かります。

 とにかく、小津監督が好んで使った女優さんは、他に杉村春子、三宅邦子、原節子、岡田茉莉子ら、大変失礼ながら、今の女優さんにはない品格と内面的美貌がありました。男優も笠智衆、佐田啓二を始め、中村伸郎、東野英治郎、山村聡、加東大介ら重厚で、一度見たら忘れられないアクの強そうな脇役も揃え、脳裏に焼き付いてしまいます。台詞がなくても、背中で演技が出来る名役者ばかりです。(小津組ではなかった高峰秀子や京マチ子、若尾文子らも、今の役者と比べて存在感が全く違います。)

 アナクロながら、最新映画よりも旧作映画の方にどうしても関心が向かってしまうのもそんな理由からでした。

 

🎬「Perfect Days」は★★★★★

 今年の仏カンヌ国際映画祭で最優秀男優賞(役所広司)を獲得した名匠ヴィム・ヴェンダース監督作品「Perfect Days」には1本やられました。

 (内容に触れますので、まだ御覧になっていない方は、この先、お読みにならない方が良いかもしれません。)

 何でもない、東京の公共トイレ掃除人の単調な日常を描いただけなのに、妙に泣けてしまいました。主役の役所広司が私と同い年のせいか、今やアナクロニズムとなったカセットテープやガラケーなど、世代的感覚がフィットしてしまったせいかもしれません。

 そこで、最初に悪口を書いておきたい(笑)。役所広司はこの映画で、主役だけでなく、エグゼクティブプロデューサーにまで名を連ねておりました。ですから、この映画は、ヴィム・ヴェンダース監督作品というより、役所広司による、役所広司のための、役所広司の作品と言っても過言ではないでしょう。最後に、役所広司のアップが延々と、5分ぐらい続きます。もうアイドルじゃあるまいし、老人のおっさんの顔を見て喜ぶ観客はそういないでしょう(失礼!)。1分でも長い。私なんか、心の中で「もう勘弁してくれ!」と叫んでしまいました。

 そして、何気ない日常とは言っても、映画ですから、まず、あり得ないことが起きます。役所広司演じる平山が住む汚いアパートに、十数年ぶりに可愛い姪が急に家出して来るとか、最後に、浅草の小料理屋のママ(石川さゆり)の元夫・友山役の三浦友和が、隅田川岸で、やけ酒の缶酎ハイを呑んでいた平山を見つけたりすることです。あまりにも偶然過ぎます。

 ま、そこが映画なんでしょう。

東銀座

 何よりも、こんな日本的な、日本人好みの作品がフランス人を始め、欧州人に受け入れられたことが驚きです。ヴィム・ヴェンダースはドイツ人ですから、幾ら小津安二郎に影響を受けたからと言っても、(主人公の平山は、小津安二郎の「東京物語」で笠智衆が演じた平山周吉から取ったと思われます。)、日本人の心因性をここまで理解しているとは思えません。脚本を共同執筆した日本人の高崎卓馬さんにかなりの面で負ったことでしょう。

 その台詞ですが、極端に少ないところがとても良いのです。映画が始まって、ずっと役所広司が出てきて、早朝から起き出す平山の日常が映し出されますが、最初の10分近くも映像だけで、台詞がないのです。あとで、「平山さんは無口ですからね」という平山の同僚の若いタカシ(柄本時生)の台詞で、平山が殆ど喋らない理由が初めて観客に分かります。

 キューバの古老ミュージシャンにスポットライトを浴びせた私も大好きな映画「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」(1999年)を監督したヴィム・ヴェンダースですから、この映画でも音楽が実に効果的に使われています。役所広司演じる平山は、今はトイレ掃除人ですが、過去に何をしていたのかすら最後まで明かされません。独り住まいのアパートにはテレビもお風呂もなく、あるのは文庫の古本と古いカセットデッキぐらいです。仕事で使う車を運転している間、カセットテープで音楽を聴きますが、ブルーカラーらしい日本の演歌ではなく、何と洋楽なんですよね。アニマニルズの「朝日の当たる家」とか、オーティス・レディングの「ドック・オブ・ベイ」など、私もよく聴いていた1960~70年代のポップスです。夜寝る前は必ず、文庫本を読む。これで、平山はもともとはインテリで、過去に何かあったのではないかと、観客に思わせます。

 物語はフィクションですが、映画ロケで使われた渋谷区の「東京トイレ」は本物です。しかも、安藤忠雄、隈研吾、伊藤豊雄、坂茂、槇文彦といった錚々たる建築家がデザインした「超高級公共トイレ」です。これは、過日、テレビ東京の「新・美の巨人たち」でも取り上げられていました。また、平山行きつけの浅草駅地下の居酒屋などは昭和のレトロが残る商店街の中にあります。あまりにも日本的な下町の場所が国際的に通用するなんて、笑いたくなりました。

 そして、この映画で、ヴィム・ヴェンダースは何を表現したかったのか、考えたくなります。いわば社会の底辺で、東京の片隅につましく住む昭和の生き残りのような老人と、カセットテープの存在さえ知らない平成生まれの若者。どちらが幸福で充実した人生を送っているのか? 雑草のような観葉植物を育て、早朝から仕事場の公共トイレに向かい、お昼はコンビニのサンドイッチを神社のベンチで食べ、そこで、フィルムカメラで木洩れ陽の写真を撮り、仕事が終われば銭湯に行って、その後、一杯引っ掛けて帰るという判で押したような規則正しい毎日を送るアナログ人間の平山の方が、将来に明るい展望が見いだせずに閉塞した状態で悩んで、スマホを片時も放せないデジタル人間の若者たちより、まだまし、というか幸せそうに見えてしまいます。

 何よりも、便利さや効率ばかり優先して、大切な心を忘れてきた日本人へのアンチテーゼのような作品にも見えます。米アカデミー賞を始め、名のある映画祭で賞を取った作品は、タダで観ている審査員のせいか、最近、本当につまらないものが多いのですが、この作品は名作です。年末になって、やっと良い映画が観られました。日本人の一人として、ドイツ人監督に感謝したいと思いました。

【追記】

 今年2023年に観た映画で、私が選んだナンバーワンは、9月に上映された「福田村事件」(森達也監督)です。関東大震災直後に起きた朝鮮人虐殺の史実を題材にした意欲作です。見逃した方は、DVDでもいいですから、是非ご覧になってください。

🎬「ナポレオン」は★★★

 最近、どうも映画づいてしまい、毎週のように観に行っておりますが、今週は、今、派手に宣伝しているリドリー・スコット監督作品「ナポレオン」(ソニー・コロムビア)を観て来ました。

 私は、自称「フランス語屋」ですので、大いに期待したのですが、仏皇帝ナポレオンなのに「英語」でガッカリです。これは、ユダヤ資本の米ハリウッド映画なので最初から分かっている話ですけど、世界的に一番「売れる」作品としてのマーケット戦略が見え隠れします。それに、一大戦争スペクタクル映画なので、巨額の製作費が掛かっているはずです。今、調べたところ、2億ドルらしいので、約300億円です。これでは、恐らく、今のフランス映画界では製作できないことでしょう。仏語での興行収入を回収できるかどうか見込めないという意味でも。

 「ブレードランナー」「グラディエーター」で知られる名のある巨匠リドリー・スコット(86)だからこそ、投資できる映画だと言えます。ですから、フランス人から見たナポレオンではなく、英国人リドリー・スコットから見たナポレオンが描かれています。そして、監督は、肝心要のナポレオン役に、「ジョーカー」で米アカデミー主演男優賞を受賞したホアキン・フェニックスを起用しましたが、どう見てもナポレオンに見えない!今、旬のフランス人の世界的映画俳優が見当たらないせいかもしれませんけど、もし、アラン・ドロン(88)がもう少し若くてナポレオンを演じたら、ギトギトした野心家の面を彼なら自然に出せたんじゃないかと思いました。

 映画の宣伝コピーにあるように、「英雄と呼ばれる一方で、悪魔と恐れられた男」の話にはなっておりますが、実に人間臭く描かれています。英雄ナポレオンは、天下国家を論じたり、領土拡大の野心を語るのでもなく、不逞を働く妻ジョゼフィーヌとの関係に悩む「弱い男」丸出しです。

 勿論、史実に基づいて描かれていますが、映画ですから脚色されています。ナポレオンの弱さを強調する辺りは、歴史上の人物というより、「リドリー・スコットのナポレオン」と言っても間違いないでしょう。

 ナポレオン・ボナパルト(1769~1821年、51歳没)の時代は、日本で言えば十代将軍徳川家斉(1773~1841年)の時代に当たります。日本は一応安定した江戸時代ですが、フランスは、仏革命後の粛清の嵐と戦争に明け暮れた時代でした。残酷なギロチンの場面も出て来ます。

 映画のエンドロールで、ナポレオン戦争での戦死者が450万人にも上ったことを数字で明らかにしていました。これだけの犠牲者を出したわけですから、ナポレオンは英雄視される一方、今でも、「コルシカ人」の彼のことを憎悪する欧州人がいるのは納得せざるを得ません。映画では、有名なアウステルリッツの戦いや最後のワーテルローの戦いなど数々の戦争シーンが出て来ますが、恐らくCGも使ったことでしょうが、実に圧巻で、観客も、まるで戦場に立たされているような感じでした。

 この映画では、モスクワの「冬将軍」に遭遇する場面や「百日天下」などが再現されますから、世界史を齧った人なら、「うまく描いているなあ」と納得しますが、ハイライトは、ダヴィッドが描いた有名な「ナポレオン一世の戴冠式と皇妃ジョゼフィーヌの戴冠」(パリ・ルーヴル美術館)を再現した場面かもしれません。まさに、あの絵画を参照して映像化したことが読み取れます。まるで、歴史ドキュメンタリーのような感じですが、やはり、ドラマは、まるでその場を見てきたような「リドリー・スコットのナポレオン」になっています。

🎬北野武監督作品「首」は★★★

 今年5月の仏カンヌ国際映画祭のプレミア部門で上映され、熱狂的な歓迎を受けた北野武監督の6年ぶりの新作「首」を、日本の田舎の映画館で観て来ました。

 「本能寺の変」前後の織田信長とその家臣団との間の血と血で洗う、マフィアの跡目争いのような抗争です。まさに「首」が飛び交うグロテスクな場面も描かれ、「15歳未満お断り」に指定されていました。

 個人的な感想としましては、部分、部分でとても迫力が良い場面が多かったのですが、全体的、特に、「物語」の面では、腑に落ちない面が多々ありました。ご案内の通り、この辺りの歴史には精通していますからね(笑)。

 まず、良かった場面は、合戦場面です。特に長篠・設楽原の戦いで、武田軍の騎馬隊と信長・家康連合軍の鉄砲隊とが戦う場面や何百本の弓矢が空中で飛び交うシーンは迫力満点で、黒澤明監督を思わせました。

 羽柴秀吉をビートたけし、黒田官兵衛を浅野忠信、明智光秀を西島秀俊、徳川家康を小林薫が演じていましたが、何と言っても秀逸だったのが、織田信長役の加瀬亮でした。狂気じみた独裁者信長が名古屋弁で理不尽なことばかり命令しながら、多くの面前で家臣を殴り倒したりしますが、恐らく、実際の信長もああいう感じだったのではないか、と思わせました。とにかく、台詞を尾張言葉と言いますか、名古屋弁にしたことは大成功でした。

 北野監督の30年の構想ということで、かなりの自信作なのでしょうが、光秀と荒木村重(遠藤憲一)との関係が本能寺の変につながったという説はどうも違和感がありました。勿論、壮大なるフィクションなので、エンターテインメントとして楽しめば良いかもしれませんが。

 秀吉の参謀で弟の秀長役を大森南朋が演じておりましたが、彼は大河ドラマ「どうする家康」で、家康の四天王の筆頭、酒井忠次役を演じ、その印象が強過ぎて、何か変な感じがしました(苦笑)。ついでに言えば、大河ドラマでさえ、多くの家臣が登場するのに、例えば、光秀の家臣として登場するのは斎藤利三ぐらい、秀吉の家臣も目立つ家臣は蜂須賀小六と宇喜多直家ぐらいで、加藤清正も福島正則も石田三成も登場しません。合戦前の軍評定に家臣が二人ぐらいしか登場しないのはあり得ない(笑)。

 でも、北野監督がスポットライトを浴びせたかったのは、木村祐一演じる曾呂利新左衛門だったかもしれません。元甲賀忍者で密偵として働く「芸人」という役柄で、ビートたけし自身を反映させたかったのかもしれません。

 エンドロールで大竹まことが出ていたので、「あれっ?いたっけ?」と思い、家に帰って調べてみたら、千利休(岸部一徳)に使える間宮無聊役でした。分からなかったなあ~。

映画「翔んで埼玉 ~琵琶湖より愛をこめて~」は★★★

 映画「翔んで埼玉 ~琵琶湖より愛をこめて~」をロードショウ公開初日の11月23日(木・祝日)に観に行って来ました。

 別に埼玉県に対して思い入れはありませんけど、人生の終焉地が埼玉県の所沢聖地霊園ですので、少しは関心を持たざるを得ません。。。てゆうか、前作の「翔んで埼玉 」(2019年)があまりにも面白かったので、大いに期待して観に行ったのでした。

 しかし、残念ながら期待外れでした。前回のように「埼玉県人にはそこら辺の草でも喰わせておけ!」といった超過激な印象に残る台詞もなかったし、ストーリーを関西に展開したのはいいものの、ちょっと物語の焦点が散漫になり、役者たちが真剣に演技すればするほど、観ている方は白けてしまいました。

 面白かったのは、神戸市長役として出ていた藤原紀香が、「戦闘」場面で、女優の藤原紀香として登場した時、兵庫県西宮出身と言われながら、実は、映画の中では差別されている和歌山県出身だった、というオチぐらいでした(どうでもいいですけど、彼女の両親は和歌山県出身らしい)。観客は、藤原紀香と大阪府知事役の片岡愛之助とは実生活では夫婦であることを知っているので、冷や冷やする場面もありました。コメディーなのに笑える箇所が前回と比べて少なかったのが低評価につながりました。

東銀座「わのわ」日替定食 950円

 映画は「壮大な茶番劇」と銘打っているので、別に目くじらを立てて批評する必要は全くないのですが、第1作の大成功に気を良くしてか、かなりの宣伝費を注ぎ込んでいるように見受けられます。直接の番宣だけでなく、主演のGACKTが滅多に出ないバラエティー番組に出演したりしておりました(笑)。

 GACKTさんは、これまで年齢非公表だったのに、「50歳です」と明らかにしたり、「20歳で悩むことをやめた。だから悩んでいる人を見るとイライラしてしまう」などと話したりしていました。話し方も考え方も、映画のキャラクターと実人物とはそれほど乖離していなかったので、驚いてしまいました。

 映画の最後のエンドロールでは、ミルクボーイの漫才が観られます。こっちの方が面白かったと言ったりしたら、映画関係者に怒られるだろうなあ。。。

🎬「福田村事件」は★★★★★

 昨日書いた渓流斎ブログ「100年前の関東大震災直後に起きた不都合な真実」の最後の方で、映画「福田村事件」(森達也監督)のことを書いたので、本日早速、観に行って参りました。言い出しっぺが、観なければ話になりませんからね。この映画は色んなことが複雑に絡んでいて、後からボディーブローのように効いてくる作品でした。今年一番の名作と言っておきます。

 その前に、実は、当初は、観るつもりはなかったのです。生意気ですが、最優先事項ではなかったのでした。特に、今年はつまらないハリウッド映画に遭遇して、劇場に足を運ぶのが億劫になっておりました。それが昨日、たまたまブログを書いた後、友人のY君からメールが来て、「僕は明日『福田村事件』を観に行くつもり」とあったのです。私もブログで朝鮮人虐殺事件のことを書いたばかりだったので、「これも何かの啓示かな」と思ったのでした。

 そして、何よりも、昨日書いたことは、小池都知事を始め、国粋主義者の皆さんの逆鱗に触れる話かもしれませんが、大手マスコミである読売、産経、日経が、大震災後の不穏な空気の中で、朝鮮人虐殺がまるでなかったかのように「報道しなかった事実」には愕然としてしまいました。そこで、この事実を多くの人に読んでもらいたいと思い、やめていたFacebookに昨日の記事だけを何年かぶりに投稿したのでした。そしたら、即、反応がありまして、色んな副産物を得ることが出来ました。それは後で書きます。

映画がはねて、今話題沸騰の池袋「フォー・ティエン」へ。店前は長い行列で22分待ちました。

 映画は、関東大震災が起きて5日後の1923年9月6日、千葉県東葛飾郡福田村(現野田市)で実際に起きた自警団による、朝鮮人だと誤認した日本人虐殺事件を題材にしています。殺害されたのは、讃岐(香川県)から来た薬売りの行商団15人のうち、幼児や妊婦を含む9人です。行商団の人たちは、被差別部落出身で、二重に差別されているような感じでした。この史実は、100年近くも闇に葬られていましたが、1979年から遺族らによる現地調査が始まり、1980年代から徐々に新聞等で報道されるようになったといいます。

 それでも、多くの人には知られず、そういう私もこの映画を観るまで、この事件について全く知りませんでした。

池袋「フォー・ティエン」牛肉のフォー950円 非常に期待していたのですが、小生の馴染みの銀座のフォーの方が美味しいかな?

 先述した「副産物」というのは、Facebookで投稿したところ、色々な方からコメントまで頂いたことでした。その中で、読売新聞出身のSさん(著名な方なので敢えて名前は秘します)から驚きべき内容のコメントを頂いたのです。以下、御本人に事前承諾の上、掲載しますとー。

 映画は、封印されてきた事実をベースにしています。福田村は今の千葉県野田市で、私が住んでいる柏市を含めた東葛地域に当たります。映画が依拠した「福田村事件 関東大震災・知られざる悲劇」の著書である辻野弥生さん(82)は、私も参加している「東葛出版懇話会」の仲間です。懇話会は6月、森達也監督を定例会の講師に招き、映画『福田村事件』の話をしてもらいました。もちろん辻野さんもスピーチしました。

 福田村事件の加害者として検挙されたのは、福田村の自警団員4人と、隣村の田中村の自警団員4人で、その後、恩赦で全員釈放されたといいます。この田中村は現在の柏市ですから、同市にお住まいになっているSさんとは大いに関りがあったわけです。

 Sさんは、読売新聞文化部の放送担当記者出身で、現在放送評論家です。昨日のブログで私が読売新聞の悪口めいたことを書いたので、低姿勢でお詫びしたところー。

 「悪口」ではなく、事実を指摘されたわけですよね。 Y紙についていえば、きのうの夕刊の映画評欄で女性記者が絶賛していました。新聞記者時代も今もそうですが、私は「文化(部)は政治(部)の風下に立たない」と自分に言い聞かせています。

 との返事を頂きました。同じ読売社内でも、違う考え方をする「抵抗勢力」がいらっしゃるということで安心しました。

 あれっ? 映画の話でしたよね? まあ、とにかく御覧になってください。ドキュメンタリー作家の森達也がメガホンを採りましたが、フィクションも取り入れてます。荒井晴彦、佐伯俊道、井上淳一の3人ものベテラン脚本家が恐らく侃侃諤諤と協議して練り上げた台詞と、正確な衣装考証で色鮮やかな大正時代のファッションまで蘇らせ、100年前にタイムスリップしたようです。

 主演は井浦新、田中麗奈、永山瑛太の3人ですが、過去のスキャンダルで謹慎処分が続いていたピエール瀧や東出昌大、昨年、参院選に当選しながら病気で辞職した水道橋博士も出演していて、いい味を出しておりました。特に、ピエール瀧は、地元紙「千葉日日」の編集部長の役で、若い女性記者(木竜麻生)が真実を書くことを主張しても、「不逞鮮人の仕業だと書き直せ」などと当局の意向に沿った発言しかしないので、まさに「はまり役」でした(苦笑)。

 そう、当時は、ネットどころか、テレビもラジオもなく、メディアと言えば新聞だけ。その報道が大衆に与えた影響はかなり大きかったはずです。その新聞が、内務省の発表通り「朝鮮人が暴動を起こそうとしているので、自警団をつくって守るように」との通達をそのまま掲載すれば、民衆はその通り、実行するはずです。加害者も、むしろ正義感に駆られて自分たちの村を守るべきだと立ち上がったのかもしれません。

 これらは100年前の大昔に起きたことなので、現代に起きるわけがない、と考えるのは間違いです。今は、むしろ、SNSなどでフェイクニュースや偽情報が横行しています。

 私も映画の帰り、某駅前で、某政党の政治家が、外国人排斥のアジ演説をしているのに遭遇しました。不安と恐怖に駆られると何をしでかすか分からない群集心理に洗脳される日本人のエートス(心因性)は、100年前とちっとも変っていないのです。

【追記】

 差別用語は当時のまま表記しました。

 

老兵は死なず、ただ消えゆくのみ=または余生の過ごし方

 これでも、小生、20年以上昔はマスコミの文化部の記者をやっておりましたから、最先端の文化芸術に触れ、多くの芸能人や作家、画家、文化人の皆様にインタビューもさせてもらいました。ですから、文化関係の分野でしたら、一応、何でも知っているつもりでした。某有名女優さんとは手紙のやり取りまでしておりました。いえいえ、別に自慢話をするつもりではありません。

 それが、急に文化部を離れ、テレビもほとんど見なくなってからは、全く何もかもワケが分からなくなりました。正直、情報過多もあるでしょうが、最新流行にはついていけなくなったのです。最も人気が高かったAKB48も、ジャニーズの嵐も、グループ名はかろうじで知っていても、そのメンバーとなるとさっぱり分からなくなりました。ま、覚えようとしなかったのでしょう(苦笑)。

 今でもそれに近い状態が続いています。テレビに出るような女優、俳優、歌手なら、昔は大抵ほとんど知っていたのに、最近では「この人、誰?」ばっかりです。文芸作家は、毎年2回の芥川賞と直木賞で量産されるので、やはり、「えっ? こんな作家さんいたの!?」です。漫画となると、何百万部、何千万部と売れているという噂は聞きますが、私は読まないので門外漢です。かろうじてタイトルだけ知っている程度です。

銀座「ひろ」1000円ランチ 前菜 「赤字覚悟でやってます」と店主。

 しかし、悲観すること勿れ。人間の頭の構造がそうなっているんでしょう。特に流行音楽なら、誰でも、10代から20代の多感な時に聴いた音楽がその人の一生の音楽になるのでは?小生が子供の頃、テレビで「懐かしのメロディー」といった番組があり、東海林太郎や三浦洸一(現在95歳!)、渡辺はま子といった往年の歌手がよく登場していました。両親は涙を流して熱心に聴き入っていましたが、少年の私はさっぱりついていけず、世代間ギャップを感じたものでした。歳をとると、今度は我々が世代間ギャップを若者たちから糾弾される番になってしまいました。

 私は洋楽派だったので、多感な時代は、ビートルズやローリング・ストーンズやレッド・ツェッペリンばかり聴いていましたが、フォークソングのブームだったので、吉田拓郎やかぐや姫なども結構聴いていました。でも、今の若者は、「四畳半フォーク」なんて、辛気臭くて絶対聴かないでしょうね(笑)。逆に言わせてもらえば、今のラップやらDJやら、我々は、とてもついていけませんが。

銀座「ひろ」1000円ランチ 銀座で一番安いのでは?

 先日、久しぶりに東京・国立劇場で中村京蔵丈の舞台「フェードル」を観て、遅く帰宅したら、たまたま、天下のNHKがMISAMO(ミサモ)という三人組のガールズグループのライブショーをやっていました。勿論、見るのも聴くのも初めてです。名前から、そして顔立ちから、韓国人か中国人かと思いましたら、どうやら、韓国の9人組の多国籍グループ、TWICEの中の日本人サブユニットだということが後で分かりました。ビールを片手に少し酔って見ていましたが、「アラビアンナイト」に出て来るような、かなり性的刺激の強いダンスグループで、天下の国営放送によく出演できたなあと思ってしまいました。若い人は平気かもしれませんが、正常な性的羞恥心を害される(猥褻の定義)と言ってもいいかもしれません。それに、出演しているのが民放ではなく、NHKですからね。時代は変わったなあ、と思いました。(否定はしませんよ。皆さんと同じように、嫌いじゃありませんから=笑)

 老兵は死なず、ただ消えゆくのみ Old soldiers never die, They just fade away

 6年8カ月間、日本を占領したGHQのダグラス・マッカーサー司令官(元帥)が退任に当たって、米議会で演説した有名なフレーズです。流行について行けなくなった今、私の頭の中で、このフレーズが再三、響き渡ります。

 でも、まあ、ええじゃないか、ええじゃないか、です。今は動画サイトがありますから、無理して背伸びして若者たちに媚を売ったりせず、1960~70年代の好きなロックやボサノヴァを見たり、1950年代の黄金時代と言われた日本の全盛期の黒澤明や溝口健二や小津安二郎や成瀬巳喜男の映画を見て余生を過ごせば、それでいいじゃん。

🎬宮崎駿監督作品「君たちはどう生きるか」は★★★☆

 ブログを書く話題が欠乏してしまったので、命に関わる危険な暑さの中、有休を取って、久しぶりに映画館に行って来ました。

 今年3月に観た「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」が、米アカデミー賞で主要部門の作品賞を含む7部門も受賞したというのに、あまりにもつまらなくて、生涯初めて途中で席を立って退場したことをこのブログに書いたことがありました。あれ以来、トラウマになってしまい、わざわざお金を出して、映画館に行くのが怖くなってしまったこともあります。

 ですから、事前に色々と調べたり、ネットで予告編も観て、この映画なら、時間とお金を掛けて観る価値があるな、と納得してから観るようにしたら、大して観るに値する映画がなかなか現れず、その機会が一段と減少してしまったわけです(失礼!)。

 それなのに、嗚呼、それなのに。今回は、ほとんど調べたりせず、ただ話題先行だけで、観ることにしました。第一、製作者側もこの映画の宣伝を全くと言っていいぐらいしないのです。内容公開どころか、予告編もありません。辛うじて、公表されたのは(上の写真の)ポスター一枚と、全国で公開されている映画館の案内ぐらいです。

 以前、映画関係者に聞いたことがあるのですが、映画は、製作費の半分は「宣伝費」につぎ込むんだそうです。全部の公開映画がそうではないかもしれませんが、それがほぼ常識になっているようです。しかし、この映画は、宣伝費がほぼなし、ですから、かなり画期的です。

新富町

 映画は、宮崎駿監督作品、スタジオジブリ製作の「君たちはどう生きるか」です。宮崎駿監督は、2013年公開の「風立ちぬ」を最後に長編アニメ映画の製作から引退を発表しておりましたが、それを撤回して、10年ぶりに新作を手掛けたというのですから、話題にならないはずがありません。つまり、「10年ぶりの新作」「宮崎駿」「スタジオジブリ」だけで、それ以外何の告知をしなくても、十分に何十万、何百万人もの観客を呼べるわけです。

 なんて、偉そうに書いている私ですが、私は宮崎駿作品は「となりのトトロ」や「もののけ姫」など数本、ビデオかテレビで観ただけで、明らかに不勉強です(苦笑)。お子様用だと思っていたからです。宮崎作品を映画館で観たのは、10年前の「風立ちぬ」で、それが生まれて初めてでした。

 今回の新作も「風立ちぬ」と同じ、先の大戦の時代を扱っているということで、文句なしに観ることにしたのです。

 それで、内容ですが、緘口令が敷かれているわけではないと思うので、ほんの少しだけ書きます。(内容を知りたくない方は、この先は読まないでください)。時代は日中戦争が始まった昭和12年から戦後にかけての話で、ポスターになっているアオサギが、物語の重要な役割を演じたりします。東京に住む主人公の眞人少年は、母親を亡くし、父親と一緒に田舎に疎開しますが、そこで、父親が再婚する母親の妹が住む大きな屋敷に住むことになります。父親は軍需企業の経営者のような感じで、飛行機の部品などが出てくるので、疎開した舞台の田舎というのは、どうも、戦闘機を製造していた中島飛行機の工場があった群馬県太田市をモデルにしているのではないか、と思ってしまいました。

 内容は、成長する少年の亡くなった母親と、行方不明になった新しい母親探しと同時に自分探しの物語になっていますが、十分、大人の鑑賞に耐えます。ただ、個人的にはちょっと長過ぎるかなあ、と思いました。荒唐無稽過ぎる場面も多々ありました。宮崎駿監督は1941年生まれで、今年82歳ですから、映画の主人公の眞人少年より14~15歳ぐらい若いですが、当時の時代の空気を「同時代人」として吸って、自分の戦争観や人生観を主人公に投影しているような感じでした。それらは、確かにアニメでしか表現できない世界観でもありました。

人物相関図がよく分かりました=平山周吉著「小津安二郎」

 平山周吉著「小津安二郎」(新潮社)を何とか読了致しました。まるで難解な哲学書を読んでいる感じでした。基本的にはエンターテインメントなので、もっと楽しみながら読めばいいのに、苦行僧を演じてしまいました(苦笑)。でも、色んな収穫もありました。

 最大のハンディは、私自身、小津作品をほとんど観ていなかったことでした。代表作「東京物語」(1953年)は流石に何度も観ておりましたが、原節子「紀子」三部作(「晩春」=1949年、「麦秋」=1951年、「東京物語」)でまだ観ていなかった「晩春」は慌てて観ました。そうしないと、「『晩春』の壺」と書かれていても何のことなのかさっぱり分からなかったからです。そして、「麦秋」は15年ぐらい昔に安いDVDを買って観たのですが、細かい内容は忘れていました。

 この397ページに及ぶ大作の中で、何度も何度も、大陸戦線に徴兵された小津安二郎監督と、「弟分」として慕っていながら28歳の若さで戦病死した山中貞雄監督との親密な関係と暗喩がしばしば語られています。フィルムが残っている山中貞雄監督の作品は、わずか三作しかないといいます。「丹下左膳余話 百万両の壺」(1935年)、「河内山宗俊」(1936年)、「人情紙風船」(1937年)です。私は、山中監督の名前と代表作名だけしか知らず、まだ作品は観ていなかったので、原節子(16歳)が出演した「河内山宗俊」だけ慌てて観ました。

 著者の平山氏によると、戦後、小津監督は、山中監督へのオマージュとして、自分の作品の中に、山中作品を暗喩するものを登場させたというのです。「風の中の牝鶏」(1948年)の中に「紙風船」を、「晩春」の中に「壺」を、「麦秋」の中で歌舞伎の「河内山」を挿入したりしたことがそれに当たります。

新富町「中むら」アジフライ定食1100円

 「東京物語」にしばしば「書き割り」として登場する葉鶏頭の花も、どうやら山中貞雄監督を隠喩しているらしいのです。昭和12年8月25日、召集令状が来た山中監督らが東京・高輪の小津監督の自宅に挨拶に来たので「壮行会」のようなものを開いた際、山中監督が庭に咲いている沢山の葉鶏頭を見て、小津監督に「おっちゃん、ええ花植ゑたのう」と呟いたといいます。そして、程なく小津監督も召集され、最前線の中国大陸でも葉鶏頭の花が沢山咲いていたといいます。

 個人的に「東京物語」は10回ぐらいは観ましたが、葉鶏頭の花は全く覚えていませんねえ。これでは、映画鑑賞の巧者ではない、という証明になってしまいました。

 小津監督の「秋日和」(1960年)、「小早川家の秋」(1961年)、「秋刀魚の味」(1962年)が「秋三部作」だったことも知らず、また、この本で詳細な解説をしてくれる「早春」(1956年)、「東京暮色」(1957年)、「彼岸花」(1958年)まで観ていないか、観ても内容をすっかり忘れておりました。これでは、話になりませんねえ(苦笑)。そこで、慌てて、最後の作品、つまり遺作となった「秋刀魚の味」をもう一度観ました。それで、この本で出てくる「鱧」と「軍歌」の話はよく理解できました。小津作品の大半を(再)鑑賞してから、この本を読むべきでした。これから小津作品を観るように心掛けて、この本を再読すれば面白さが倍増するに違いありません。

 小津監督は昭和2年の「懺悔の刃」(松竹キネマ蒲田撮影所)で監督デビュー(24歳)しているので、戦前には30本以上の無声(サイレント)映画も撮っております。そこで、たまたま、この本で何度も取り上げられていた「非常線の女」(1933年)が、ユーチューブでアップされていたので、観てみることにしました。失礼ながら、内容はつまらないB級のギャングアクション映画でしたが、主演の時子は、若き頃の田中絹代でした。私の世代では、田中絹代と言えば、老婆役が多かったので、「こんな若かったとは!」と驚いてしまいました。調べてみたら、田中絹代は1909年生まれ(太宰治と同い年!)ですから、この時、23~24歳。そして、老女かと思ったら、1977年に亡くなった時は67歳でした。今ではまだまだ若い年代なので、二重に驚いてしまいました。

 そうなんです。華やかな芸能界と言われても、すぐに忘れ去られてしまい、世代が違うとまるで何も知らないのです。例えば、「非常線の女」で、ぐれた与太者・宏の姉・和子役で出演した水久保澄子(1916年生まれ)という女優も、本書にも登場していて初めて知りましたが、大変清楚な美人さんで、原節子より綺麗じゃないかと思いました。この水久保澄子は、かなり波乱万丈の人生だったようで、医学留学生を自称するフィリピン人と電撃結婚したものの、騙されたことが分かり、一児を残して帰国。しかし、それまで自殺未遂を起こして降板したり、他の映画会社に電撃移籍したりしてトラブルを起こしていたことから、映画界からはお呼びが掛からず、1941年に神戸でダンサーとして舞台に出ていたことを最後に消息不明になったといいます。戦後は「東京・目黒でひっそり暮らしている」と週刊誌に掲載されたりしましたが、その後の消息は不明のようです。水久保澄子は「日本のアイドル第1号」と言われたこともあるらしく、何か、人生の無情を感じてしまいました。

 この本を読んで初めて知る「人物相関図」が多かったでした。小津安二郎は最後まで独身を貫き通しましたが、小津の親友の清水宏監督は、田中絹代と「試験結婚」。後輩の成瀬巳喜男は東宝に移籍してから主演女優の千葉早智子と結婚(後に離婚)。先輩監督の池田義信は大スター栗島すみ子と添い遂げ、戦前の小津組のキャメラマン茂原英雄の姉さん女房が飯田蝶子、大部屋俳優だった笠智衆は、無名の頃に蒲田撮影所脚本部勤務の椎野花観と早々に結婚したといいます。(152ページ)

 このほか、山中貞雄の「丹下左膳余話」で、やる気のない若殿役を演じた沢村国太郎(歌舞伎役者から映画界に転身。長門裕之と津川雅彦の父)は、沢村貞子と加東大介(山中の「河内山宗俊」や小津の「秋刀魚の味」や黒澤明の「七人の侍」などに出演)の実兄でした。無声映画「その夜の妻」に主演した岡田時彦は、女優岡田茉莉子の父、「東京物語」で笠智衆の旧友服部を演じた十朱久雄は、女優十朱幸代の父だということも教えられました。

 さらには、「早春」「彼岸花」「秋日和」「秋刀魚の味」で皮肉な重役を演じた中村伸郎の養父は小松製作所の社長で、自身も役者をやりながら、小松製作所の子会社・大孫商会の代表取締役を兼任していたといいます。小松製作所は戦時中、爆弾の信管やトラクターのキャタピラの国内生産の8割を占める軍需産業でしたが、中村伸郎は、自ら代表を務める会社・大孫商会が扱っている漆を敵陣に投下して戦意喪失させる案を某大学教授から提案されましたが、養父に相談することなくこの仕事を断ったといいます。

 もう一人、蒲田撮影所の所長から松竹の社長・会長まで務めた城戸四郎は、あの精養軒の創業者北村家で生まれ育ち、旧制一中~一高~東京帝大法学部という絵に描いたようなエリートコースを歩み、松竹入社後、創業者の大谷竹次郎の愛人と言われた城戸ツルと養子縁組し、その娘と結婚し(彼女は病没したが)、松竹内での地位を揺るぎなく確立したといいます。(329ページ)これも、「へ~」でした。

 最後に、273ぺージには「支那事変従軍で小津のいた部隊が毒瓦斯部隊だったことは、余りにも周知となっている。」と書かれていましたが、私自身は初めて知るところでした。やはり、小津安二郎は絵になり、字になる人で、今後も語り継がれることでしょう。