「アンダー・ザ・シルバーレイク」は★★

久しぶりに劇場に足を運んで映画を見てきました。最近、ほんの少し嫌なことがありまして、現実逃避したかったからです(笑)。

それにしても、最近は、一食抜いてでも、是が非でも観てみたいという映画がない!ない、と断定すれば、製作者にあまりにも失礼なので、少ない!と言っておきます。

第一、ただで観ている映画評論家はグルですからね。つまらない映画でも「最高!」だの「面白い!」だのといった陳腐な言葉を並べて、見事、宣伝マンの役割を果たします。あまり、貶せば次に仕事が来なくなるからでしょう。

でも私は騙されました。「今年ベストの声続々」「カンヌも騒然となった”新感覚サスペンス”」の宣伝文句に惹かれて「アンダー・ザ・シルバーレイク」(デヴィット・ロバート・ミッチェル監督最新作)を観てきましたが、支離滅裂。最初に、とっても懐かしアソシエイションズの「ネバー・マイ・ラブ」(1967年)が掛かって、大いに期待されたのですが、はっきり言いますが、駄作でした。

まさに、ロサンゼルス郊外のハリウッドが舞台のハリウッド映画。天下のハリウッド映画も随分劣化したものです。

ミッチェル監督は、何を表現したかったのか。ヒッチコックや無声映画女優ジャネット・ゲイナーらの墓が出てきたり、マリリン・モンローの主演映画「女房は生きていた」を模したシーンが出てきたり、往年の黄金時代のハリウッド映画に対するオマージュが随所に盛り込まれ、それは分かりますがね。ホラーサスペンスと称しても、日本人の感覚からすれば、ちょっと頂けない残虐な暴力や殺人場面が多過ぎです。それに、暗号解読と言っても、子ども騙しのパズルのようなダサいからくりなので呆れてしまいました。

登場する若い男も女も、気ままに本能のまんま生きている感じで、退廃的。ハリウッド・セレブたちのパーティー場面が多く出てきて、「現代風俗を活写した」とでも言いたいのでしょうが、まさに、エログロナンセンスのオンパレードでした。

主人公のサムは、映画か音楽業界での成功を夢見て田舎から出てきた青年で、家賃が払えないという設定ながら、高級車を持っているというのも変。マザコンの母親がしょっちゅう電話を掛けてくるので、家賃代を借りればいいのに、払えず追い出される寸前と話が進んでいきます。住んでいるアパートもプール付きですからね。

暗号解読の末、新興宗教のカルト集団のアジトに行き着きますが、その教祖らしい男が「生きているだけで、心配事が多過ぎる」と言いながら、3人の若い女と一緒に集団自殺するのも、作り物の映画と知りつつ、何か、最後まで歯がゆくなるほど、イライラしてしまいました。

これは、あくまでも個人の感想ですが、この映画を観た後、小津安二郎監督の「東京物語」をまた観たくなってしまいました。もう何十回も観てますが、あんな「時代風俗」を活写した名作はないからです。原節子は、戦死した次男の妻紀子役でした。尾道から出てきた年老いた両親を親身になって世話をするのは、実の息子や娘ではなくて、この血の繋がっていない戦争未亡人でした。

戦死した次男は出てきません。この映画は1953年公開ですが、まだまだ、戦争の傷跡が残っている時代で、どこの家庭でも、親戚や親、兄弟の中で、一人か二人は戦死しているという共通の体験がありました。だから、説明しなくても、笠智衆と東山千栄子が演じた年老いた両親の気持ちが分かったのでしょう。

「アンダー・ザ・シルバーレイク」は確かに現代という風俗を活写してましたが、駄作に終わったのは、時代そのものが劣化したせいのような気もしてきました。

「青年の樹」のモデルの藤木氏

これでも私は昔、映画に出演したことがあります。長身痩躯で美男子でしたからねえ(笑)。

でも、出演と言っても端役、いや、これも言い過ぎで、台詞もない単なるエキストラを学生時代にアルバイトで何本かやっただけでした。

その中に「青年の樹」という作品がありました。1977年公開の東宝映画(西村潔監督)で、主演は、三浦友和と檀ふみ。後から知ったのですが、原作は石原慎太郎の同名の小説(1959~60年、「週刊明星」連載)で、既に60年に石原裕次郎と北原三枝のコンビで日活で映画化されており、これが二度目でした。

横浜の港を舞台にした作品で、ヤクザ和久組の跡取りとして生まれた主人公が東京の大学に入学し、「苦闘の末、二代目となる青春怒号篇」ということですが、もう40年以上も昔なので、内容はすっかり忘れてしまっております(笑)。学生役でしたから、衣装も私服で、そのまんまでした。

撮影現場は、立教大学だったかなあという程度の記憶ですが、主役の三浦友和さんが学食で食事する場面で、彼が箸を口元に持って行くと「カット」。食べようとすると「カット」。それをアップで撮ったり、少し離れて撮ったり、右から撮ったり、左から撮ったり、そのたんびに、「カット」の連続。「えっ?これで演技できるの?」という感じでした。

溝口健二監督らが映画のことをよく「シャシン」と言ってましたが、本当に映像ではなく、写真を撮っている感じでした。そう言えば、昔は映画のことを活動写真と言ってましたからね。「あー、こうして映画が撮影されているのかあ」と思うのと同時に、「俳優って、あまり面白くないなあ」と生意気に思ってしまい、それ以来、俳優志望をやめてしまいました(笑)。

檀ふみさんは、憧れの女優で、私も大ファンの檀一雄先生のお嬢様ですからね。サインをもらいたかったのですが、彼女は勉強家でいつもロケバスの中で本ばかり読んでいて近づけない雰囲気でした。

気張った私は、単なる主役の背景になる学生なので、目立ってはいけないのに、カメラを見てしまったりして、「おい!そこの! エキストラなんだから、目立っちゃ駄目なんだよ。何やってんだよ!」と助監督に大声で怒られたことを覚えています。それで、エキストラも嫌になって、アルバイトもやめた気がします。

さて、この石原慎太郎著「青年の樹」にはモデルがいました。横浜港運協会会長で、藤木企業会長・横浜エフエム社長の藤木幸夫氏です。少し、毀誉褒貶のある方で、陰では全国的に有名な「横浜のドン」と呼ばれ、地元政財界を仕切っているという噂の持ち主です。これもまた、噂の領域を出ませんが、菅官房長官のパトロンとも言われ、横浜市がカジノを誘致した場合、一番の顔役になる人とも言われています。

その彼の半自叙伝「ミナトのせがれ」(神奈川新聞社、2004年8月18日初版)を読むように、と名古屋にお住まいの篠田先生が貸してくれました。その本の帯に石原慎太郎氏が「私はかつて、若き日の著者をモデルに『青年の樹』を書いたことがある…」と推薦文を書いていたので、自分も上述したことを思い出したわけです。

藤木氏は、早稲田大学政経学部卒のインテリながら、父親の藤木幸太郎が一代で築き上げた港湾荷役業会社を継いだ二代目です。腕力だけが頼りのかつての荷役業者には「酒と女とバクチ」にはまるヤクザな荒くれ者が多かったのです。それを父親は、自分の腕力と交渉力と良き先輩に恵まれ、カタギだけを育てたことで、全国船内荷役協会の会長まで昇り詰めます。同協会副会長が神戸の田岡一雄甲陽運輸社長だったことから、「田岡のおじさん」とは公私にわたる家族ぐるみの付き合いで、そこから世間の誤解も招いたります。

藤木氏は、中国に何度も何度も渡り、大連港の荷役業務を整備して中国政府から表彰されたり、横浜オランダの名誉領事に選ばれたりする逸話は読み応えがありました。

「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ★アディオス」は★★★★

気温37度、体感温度45度。これでは何もする気が起きませんねえ。本を読んでも頭に入らず。外に出かけるなんぞはもってもの他。

ところが、急に、映画を見たくなってしまい、猛暑の中、自転車で近くの映画館に走ってました(笑)。

「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ★アディオス」(ルーシー・ウォーカー監督、ヴィム・ヴェンダーズ製作総指揮)です。

18年前に日本でも公開されて大ヒットした映画「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」のいわば続編です。1940~50年代に活躍しながら、当時はすっかり忘れ去られた70~90歳代の老ミュージシャンにスポットライトを当てた作品でしたから、今では、ほとんど他界してしまいました。

「第一弾」の日本公開は2000年1月15日になっていますが、私も恐らくその年の1月に劇場で観たと思います。心の奥底から感動してしまい、CDは勿論買い求め、すっかりはまってしまい、その年の夏休みにキューバに旅行に行ってしまったほどです。キューバ大使館までビザを申請に行ったことを覚えています。当時は、ヘミングウエイにもはまていましたから、音楽と文学散歩でした。

でも、行ってみたら、街中は、物乞いの少年と売春婦が溢れ、アフリカ系の市民に対する差別は相変わらずで、キューバという社会主義体制に失望した覚えがありますが、今日は映画の話なのでこれ以上触れません。。。

CDジャケット写真は、スタジオに入るイブライム・フェレールでした

コンパイ・セグンド(G,Vo、1907~2003、95歳)、イブライム・フェレール(Vo、1927~2005、78歳)、ルベーン・ゴンサーレス(P、1919~2003、84歳)、オマーラ・ポルトゥオンド(Vo、1930~)、マヌエル・”グアヒーロ”・ミラバール(Tr 1933~)、エリアーデス・オチョーア(G・Vo、1946~)ら懐かしい名前がたくさん出てきて、目頭をあつくしてしまいました。

あの葉巻をいつもくわえて、90歳を超えても旺盛だったコンパイ・セグンドはもう亡くなって15年も経つんですね。「黄金の声の持ち主」と言われたイブライム・フェレールは、1990年代には既に引退していて、靴磨きで生計の足しにしていたことが語られていました。

古いキューバ音楽に魅せられた米ミュージシャンのライ・クーダーが「失われた音楽を求めて」キューバを旅する物語が、発端でした。キューバ側で、コーディネーター役だったのが、バンドマスターだったファン・デ・マルコス・ゴンザレス(1954~)で、彼が当時を回想する形で、この映画は進行します。

この映画は「アディオス」ですから、老ミュージシャンが次々と亡くなり埋葬されるシーンも出てきます。

けど、若い頃のフィルムも残っていて、オマーラ・ポルトゥオンドが女性4人グループの一人として溌剌と歌って踊り、若きイブライム・フェレールとも共演していたので、感慨深かったですね。

音楽は素晴らしい。夏は特にキューバ音楽を聴きたくなります。

「万引き家族」は★★★★★

今日はついにネットで買ったパソコン(米デル製 6万6980円の15%引きで5万5233円+税4418円=5万9651円)が自宅に届き、色々と設定してみましたが、NTTコミュニケーションズのWIFIが良くなかったのか、うまく繫がらず、結局失敗。半日も無駄にしてしまいました。

凄いフラストレーション。時間がもったいなくてイライラしてしまいました。

それはともかく、午前中、是枝裕和監督の映画「万引き家族」を観に行ってきました。この作品がカンヌ映画祭のパルムドールを受賞していなければ、わざわざ観に行くことはなかったと思います。けど、観てよかった。うまく騙されました。(この先、少し内容に触れますから、これからご覧になる方は、ここでやめておいた方がいいと思います。さようなら)

映画は大抵、美男美女が出てきて、色んな災難やイジメや嫌がらせなどに遭いながら、それらを努力やら周囲からの助けやら超能力やらで克服して、あとはめでたし、めでたしのパターンが多く、観る者もそんなお約束事を安心して観るのがお決まりでした。

しかし、この映画に関しては、真逆です。美男美女が出て来ないどころか(失礼!)、主役は「犯罪者」なんですからね。

罪状は、万引き、誘拐容疑、年金詐欺などですが、舞台が、グローバリズムやフィンテックなどの世界の最前線から取り残された東京下町で、題材も極めて日本的な話。こういう作品が国際映画祭で最高賞を受賞するということは、話がドメスティックであれば、ドメスティックなほど、人種や国籍や性別を超えた実に人間的な共感と普遍的な感動を得るものだと思いました。

主役の治役のリリー・フランキーは、素顔はインテリの作家・芸術家なのですが、風采は失礼ながら、パチンコや競輪競馬三昧で、いかにもコップ酒が似合う日雇い労働者風。演技をしなくても、見事に役をこなしてました。

その妻信代役の安藤サクラは、初めて主役作品を観ましたが、決して美人ではないのに、実に魅力的で、親(俳優の奥田瑛二と安藤和津)の血を受け継いでいるのか、抜群に演技がうまい。つまり、ドキュメンタリーを撮っていると観る者を錯覚させるほど、自然で、演技をしているように思わせないのです。

特に、警察署の取り調べで、「貴女は、(誘拐してきた)じゅり(佐々木みゆ)ちゃんに何と呼ばせていたの?」と婦警(池脇千鶴)に聴かれて、「何と言ってましたかねえ…」と言いつつ、自然と涙が何度も何度も溢れる場面は秀逸でした。そこの近辺だけでももう一度観たいぐらいでした。

人物構造図がちょっと複雑で、最後に種明かしされます。おばあちゃん初枝役の樹木希林は、まあ別格ですが、信代の妹の亜紀役の松岡茉優、そして、息子の祥太役の城桧吏もカンヌで大喝采されたぐらいですから、やはり、演技が上手く、違和感なく映画の世界に溶け込んでおりました。

原案、脚本なども手掛けた是枝監督は、台詞を極端に切り詰めて、役者に背中で演技をさせるような過酷な演技指導をしたのではないかと思わせました。

また、小津安二郎に影響を受けたのか、彼のどの作品でもそうですが、食べるシーンが異様に多い。所詮、人間なんて、食べて、交わって、寝て、家族が支え合って、笑っていられればこれ以上の幸せはないと言いたげでした。

久し振りにイイ映画を観させてもらいました。

【追記】

昨晩、ふと、是枝監督がこの映画で一番言いたかったことはこんなんではないかと想像しました。

主人公の「万引き家族」は、確かに社会から抹殺されるべき悪人ですが、それなりに、それぞれが小さな幸せを感じながら健気に生きています。一方、女児が誘拐された夫婦は、実は自分の子どもを虐待し、「こんな子を産まなければよかった」と子どもの前では邪見にしていたのに、マスコミの前では、しっかりとスーツを着込んで可哀そうな実直な被害者を演じていました。こんな「偽善家族」と「万引き家族」を対比して、是枝監督は、人間の本当の幸福とは何かを訴えたかったのではないか、と思ったわけです。

「狐狼の血 」は★★★★★

本来なら、岩波ホールでかかっている真面目な「マルクスとエンゲルス」を観るつもりでしたが、金曜日の各紙夕刊(ご存知、金曜日夕刊は、映画批評を各紙特集しております)を読んでいたら、東映のヤクザ映画「狐狼の血」が全面広告までして、かなりお金(製作、宣伝費)を掛けていることが分かり、意外にも私の信頼する著作家も推薦し、そう言えば、銀座の地下街でも、かなり大きなポスターを貼って広告しているなあ、と目立ち、どういうわけか催眠術にでもかかったかのようになり、気が付いたらネットで予約していました(苦笑)。

翌日になって「何で、『仁義なき戦い』のオマージュみたいな映画を予約してしまったんだろう」と後悔してしまいましたが、仕方なく観ることにしたわけです。

そしたら、最初から最後まで、騙されっぱなし。つまり、映画という虚構の世界にドップリ浸かってしまい、最後は、ポロリと涙まで出てくるではありませんか。作り物と分かっていながら、最後までうまく乗せられ、騙されました。

何しろ、原作は柚月裕子さんの同名作で、日本推理作家協会賞を受賞しているらしいですね。この美人作家さんは、心底「任義なき戦い」の大ファンなんだそうで、本当に、この作品へのオマージュとして書かれたようです。舞台は広島の呉市(映画では架空の呉原市)で、暴対法が施行する前の昭和63年(1988年)の話になっているようです。ちょうど30年前です。

30年前ともなると、もう一世代前の昔の話で、こうして映画になると、歴史になってしまった感じでした。黒電話や、当時の「最新型」の自動車も登場して懐かしい限り。(今の若い人は黒電話など知りませんから、受話器も番号の回し方も分からないそうですね)

内容を書くとネタバレになるので、あまり触れないようにしますが、予告編でちらっと見た役所広司が、服装といい、物言いといい、てっきりヤクザの親分役かと思ったら、マル暴担当の刑事大上(おおがみ)役。役所は、善人役より悪役がハマる俳優ですが、最後にどんでん返しがあります。

この役所広司の「相棒」として付き添う新米の若い刑事日岡役が、松坂桃李。何で、こんなヤワな俳優を採用したのか、観る前は、違和感を覚えてましたが、まさに、彼の「成長物語」であり、適役、ハマり役。白石和彌監督の手腕には感服しました。

意外な人も出ていて、後で確かめてみたら驚きもありました。倶利伽羅モンモンのいかにも悪そうな加古村組の「真珠男」は誰かと思ったら、お笑いに近い北海道の演劇集団で大泉洋の仲間である音尾琢真、失踪した金融業の男の妹で、大上刑事と昵懇になる潤子役は、MEGUMI、薬局のアルバイト薬剤師桃子役は、阿部純子だったんですね。

私は、悪い癖で、主役よりも脇役の演技に注目してしまいます(笑)。

考えてみれば、主役の松坂桃李は、1988年生まれですから、この時代を知らないわけです。全くのフィクションの世界を、ゼロから実に多くの人間が関わって共同作業で作る映像芸術の醍醐味を味わった感じでした。

ただし、グロテスクな場面が多いので、よゐこの皆さんにはお薦めしません。ストレスの溜まってる人なら解消になるかもしれませんが、私は観てよかったので、相当ストレスが溜まってるんですね(笑)。

「ペンタゴン・ペーパーズ」は★★★★★

実は、あまり触手が動かなかったのですが、統合幕僚参謀本部からの指令で、映画「ペンタゴン・ペーパーズ」を先ほど観てきました。

だって、監督がスピルバーグ、主演はメリル・ストリープとトム・ハンクス。あまりにも役者が揃いすぎて、手垢がつき過ぎている。そりゃ、ハリウッド映画ファンなら大喜びでしょうけど、極東の映画巧者にとってはむしろマイナス要因ですからね(笑)。

それに、私の世代にとっては、この事件は、教科書に載るような歴史物語ではなく、生々しい過去の出来事。「感動してたまるか」と上から目線で見始めたら、いきなり、ベトナム戦争の前線の場面から始まり、多くの若い米国人兵士が次々と生命を奪われていく。。。「あれ、もしかしたら凄い映画なのかもしれない」と思ったら、気が付いたら、すっかり映画の中の住人になっていました。最後まで観客を飽きさせなかったリズ・ハンナの脚本の力が大きかったのかもしれませんが。

くどいようですが、私の世代まで、ギリギリ、ワシントン・ポストの女性社主キャサリン・グラハムの名前や、最高機密文書を暴露したエルズバーグという名前、それに、メディアとニクソン政権との確執などを同時進行で見てきた世代でしたので、「ストーリー」は分かってました。

個人的ながら、「ペンタゴン・ペーパーズ」を大スクープしたニューヨーク・タイムズのニール・シーハン記者とは、後年、彼が「輝ける嘘」(集英社)上下2巻を1992年9月に日本で翻訳出版した時、その発売前の8月に来日した際、インタビューしたことがありました。この映画の中で、何度も何度もニール・シーハンの名前が出る度に(意図したことなのか、名前だけで本人役は登場しませんでしたが)あの時の感動を思い出したほどです。

映画では、時の政府権力者と新聞社の社主との癒着に近い親密な関係を事細かく描いてます。ワシントン・ポストのグラハム女史と国防長官のマクナマラが、ホームパーティーに呼び合うなどあそこまで親密な仲だったとは知りませんでしたね。

デイビッド・ハルバースタムの名著「ベスト・アンド・ブライテスト」の中では、当時、フォードの社長だったマクナマラが、ケネディ大統領によって「最も優秀で賢い人間」の1人として国防長官に抜擢された有様が描かれていました。

それが、先日読んだ宇沢弘文氏の著作で、マクナマラは、太平洋戦争で日本空襲爆撃の際、どうやったら最も効率良く死者を産み出すことができるかという「キル・レシオ(殺戮比率)」を考案した人間で、ベトナム戦争でも応用した人物だったと知って、彼に対する見方も大分変わりました。

あ、映画の話でした。とにかく、1970年代の米国の新聞社の内部が非常によく描かれていました。当時は鉛活字ですから、今はなき植字工さんも健在です。原稿を包の中に入れて、ダストシュートのように社内を飛ばすやり方も、見ていて懐かしかったですね。私が勤めていた会社にも昔、ありましたからね(笑)。

1971年、つまり今から47年前の出来事ですから、脚本執筆に当たり、当時を知っている存命中の関係者に可能な限り取材して反映させた、といった趣旨の話がプロダクションノートに書かれていました。

映画に出てくる車やファッションは、70年代を再現していて、それらしく見せておりますが、当時を知っている私から言わせれば、外見は70年代でも、中身はやはり21世紀の若者、もしくは俳優にしか見えない。こういうのが作りもの映画の限界なんだろうなあと、理屈っぽく考えてしまいましたよ(笑)。

「修道士は沈黙する」は★★★

久しぶりに、若者の街渋谷に行って、映画を見てきました。都内に一体いくつの映画館があるか知りませんけど、単館上映のため、首都圏ではここでしかやっていなかったからでした。

週末のせいか、相変わらず、ウンザリするほど混沌とした人混みで、渋谷は好きになれませんね。序でに、池袋も新宿も嫌いです。やはり、東京なら銀座か神保町、もしくは大塚、王子、三ノ輪、千住辺りの城北が好きです。

映画は、ロベルト・アンドー監督・原案・脚本の「修道士は沈黙する」です。アンドー監督は、フェデリコ・フェリーニ監督らの下で助監督を務めたイタリア映画界の王道を行く人らしいですが、安藤さん、いや、アンドーさんの作品を観るのはこれが初めてです。

ドイツの高級リゾートホテルで開催されたG8財務相会議の内幕の話で、社会派ミステリーと称してますから、内容に深く立ち入ることはやめておきますが、正直言って、原案、脚本まで務めたアンドー監督の限界を見てしまった感じです。

つまり、アガサ・クリスティーほど緻密に構築された社会派ミステリーになりえなかったし、アンドーさん自身が国際金融市場の知識がさほど豊富ではないせいか、フィクションにしても玄人に「もしかしたらあり得るかもしれない」という錯覚に陥りさせてくれる「夢心地」さえ味わせてくれない、というのが正直な感想でしょうか。

つまり、 謎めいた陰謀が、陰謀らしく見えないし、マイケル・ムーア監督の作品のように、国際社会の不正が暴かれる爽快感が少ないのです。それに、観客サービスのためのアダルトなお愉しみも中途半端かな?(笑)

G8財務相会議ですから、日本人も出てきますが、この俳優が日本人に(もしくはそれらしく)見えないし、出てくる各国財務相役の俳優さんも、とても財務大臣にも銀行家にも見えない。

唯一、「沈黙する」修道士サルス役の俳優だけが、それらしく見えないことはないのに、何か最後まで怪しくて、没入できない感じでした。

ありゃ、全くいい所がない映画になってしまいましたね(笑)。そんな意図がなく書き始めたのに、いつのまにかそうなってしまったのは、見る前に、陰謀の奥深さとそれらが暴かれる爽快感をかなり期待していたからでしょう。

でも、かなりの映画賞を獲得している作品ですし、試写会を見た日本人の俳優さん、経済アナリストさんらもかなり高い評価でしたよ。タダで見させてもらった代わりのべんちゃらか、宣撫活動かもしれませんけど。

しかし、こういう映画はボディーブローのように効いて後から深い感銘が押し寄せて来るかもしれません。着眼点は素晴らしいのですから。

映画がはねて、せっかく渋谷に来たのですから、行きつけの「麗郷」に久し振りに行ってきました。もう20年以上昔かもしれませんが、この店で、今は亡き大島渚監督ら著名人を結構お見掛けしたことがあります。

この店自慢の腸詰や蜆、空芯菜炒めは美味しかったですが、店主が無愛想で感じ悪いところは昔と変わっていませんでしたね(笑)。

「15時17分、パリ行き」は★★★★★

クリント・イーストウッド監督作品「15時17分、パリ行き」をロードショーで観てきました。

実は、この映画、某新聞の映画評で「途中で中だるみする」と書かれていたため、今年のアカデミー賞で最多部門でノミネートされている「シェイプ・オブ・ウォーター」にしようかな、と迷いましたが、「作り物の半魚人よりも実話の方がいいか」と思い、こちらにしたわけです。

正解でした。

2015年8月21日にアムステルダムからパリへ向かう高速列車の中で、銃で武装したイスラム過激派の男による無差別殺傷未遂事件を材に取った映画です。実は、この頃、私自身は入院中で、ほとんど黄泉の国に行っている状態でしたので、この事件については、実話と言っても、全く知りませんでした。未遂に終わったので、日本のマスコミも大きく取り扱わなかったのかもしれません。

事件の遭った列車にたまたま乗り合わせていたのが、米空軍兵のスペンサー・ストーンとオレゴン州兵のアレク・スカラトスとその友人である青年アンソニー・サドラー3人で、男を取り押さえて、忽ちヒーローになるのです。

驚くことに、イーストウッド監督は、この3人の俳優にご本人を起用したというのです。しかも、この3人は、俳優でもないのに、プロの役者以上の自然の演技なのです。本人たちが体験したことをまた繰り返し演じているわけですから、自然になるのは当たり前かもしれませんが、男優賞をあげたいくらいの演技なのです。

彼らは、ローマやベニスやベルリンなどを旅行しますが、そこに登場する無数の観光客も、恐らく、エキストラでしょう。1本の映画を作るのに、本当に多くの人間が関わり、大変だなあ、と思いました。

映画では、彼ら3人が、仲良くなった小学生の時の場面が差し挟まれます。それが、2005年なんですからね。私から見れば、2005年はつい昨日のように思えますが、当時、小学生だった子どもが、成長して軍隊に入り、欧州旅行中に事件に遭遇して大手柄を立てるんですから、まるで映画の出来事のようです。

最後は、本物のオランド仏大統領(当時)も出演していて、これは、恐らく、テレビ報道のフィルムとうまく画像調整してコンピュータではめ込んだようです。フランスからレジョン・ドヌール章を叙勲されるのも、「出演者」である彼ら自身ですから、なんか、映画なのか、合成フィルムなのか、区別がつかなくなってしまいました。

オランド大統領は、かなりゆっくりとした発音だったので、字幕を見なくても、フランス語が理解しやすかったですねえ。

3人のアメリカ人はどうもフランス嫌いで、いかにもハリウッドらしいハッピーエンドとアメリカ万歳的な鼻に付く覇権主義も感じましたけど、オランド大統領による叙勲シーンには思わず感極まってしまいました。

それに、登場する女優さんは、名前は知りませんけど(笑)、映画だからでしょう、みーんな、洗練された聡明そうな美女ばかり!

なので、満点!

「スリー・ビルボード」★★★★

日本人はどうもアカデミー賞に弱い。そこに付け込まれて、映画「スリー・ビルボード」を観てきました。この映画は、作品賞始め、主要部門の候補になっていたからです。

場所は初めて行くTOHOシネマズ上野。昨秋出来たばかりらしい映画館で、JR山手線・京浜東北線の御徒町駅南口から数分。駅から降りて目の前の「パンダ公園」の裏手にありましたが、公園の左から迂回して回って行ったら、大通りの表通りに来ても出入り口がないので吃驚。「なんちゅう建物なんじゃい」と思いましたが、隣り松坂屋百貨店側にだけ、出入り口が付いていました。右から行けばよかったのです。

後から分かったのですが、この変なビルは、松坂屋のアネックスみたいで、PARCOが入っていて、2階より上階は空中廊下のように接続されておりました。7階がシネコンでした。

そういえば、最近、東宝はえらい頑張ってますね。伝統と歴史のある有楽町の日劇PLEXを閉鎖すると思ったら、3月には、日比谷の三信ビル跡などにどでかくおっ建てた高層ビルに、TOHOシネマズ日比谷をオープンするらしいですからね。

「スリー・ビルボード」は、英国人の監督・脚本なので、薄っぺらい他のハリウッド映画と違って、単純な勧善懲悪物語でもないし、ヒーローものでもありません。

米ミズーリ州の田舎町が舞台になってますが、何処にでもいそうな人間で、極端な善人でも悪人でもない。思い入れできる登場人物は一人もいませんが、台詞がよく練られていて、自然で、人物像がよく描かれておりました。

主人公の娘を殺害されたミルドレッド役のフランシス・マクドーマンド(60)は、他の映画であまり見たことはありませんが、一癖ありそうな、頑固オバさん役で、なかなかはまってました。

推理サスペンス映画のようなので、意外な展開で、内容にはあまり触れられませんが、ちょっとありえない暴力沙汰や火災場面など映画的演出の態とらしさが妙に鼻についてしまい、そのせいで、全面的な賛辞を送れない要因になってます。

他の候補作の映画を見てないので、分かりませんが、マクドーマンドがアカデミー賞主演女優賞を獲るかもしれませんが、最大の栄誉である作品賞は難しいと思いました。

新聞社が不動産屋に~スマホからの解脱~わが青春に悔なし~京大事件~恒藤恭~東洋文庫

東京・銀座並木通りの旧朝日新聞社跡に建つ高級ホテル

夏目漱石二葉亭四迷石川啄木らも働いた東京・銀座の(昔は滝山町といっていた)旧朝日新聞社跡に何か新しいビルが建ったというので、見に行ってきました。

そしたら吃驚。異国の超高級ブランの衣服と時計とホテルが横並びで、思わず通り過ぎてしまいました。とても中に入る勇気がありませんでした(笑)。以前はプロ野球のセ・リーグとパ・リーグの事務所があったりして入りやすかったのですが、とても足を踏み入れる気さえ起きませんでした。

家主は、朝日新聞社です。若者の新聞離れやら少子高齢化、日本人の教養劣化と記者の質の低下(笑)、そして今は流行のフェイクニュースとやらで、新聞の売れ行きがガタ落ちで、歴史のある大手新聞社のドル箱が、今や、紙から不動産に移っている様を如実に反映しておりました。

 

Italie

今年2018年の抱負のナンバーワンは、以前にも書きました通り、「スマホ中毒」からの解毒(デトックス)です。(笑)

ということで、電車内でスマホでこの《渓流斎日乗》を執筆することを控えることに致しました。更新もalmost毎日ということになります。

昔はメールなんかありませんでしたから、実に牧歌的な時代でした。メールも当初は、パソコン中心で、1週間に2~3回チェックする程度で、それから返信していても許されましたから、本当にいい時代でした。

今やスマホの時代ですから、いつもメールなんかを気にしていなければなりません。

今年は、スマホからの解脱を目標に掲げましたから、メール・チェック等もほどほどにすることにしましたので、返信が遅れてもお許しくだされ。

Italie

お正月休みにテレビで黒澤明監督の「わが青春に悔なし」を初めて観ました。黒澤作品全30作のうち9割は観ておりますが、この作品はどういうわけか、見逃しておりました。

何しろ、私の専門分野(笑)のゾルゲ事件と京大・滝川事件をモチーフに作られた(久板栄二郎脚本)というので、観るのが楽しみでした。

確かに京都大学・八木原教授(大河内伝次郎)の娘幸枝(原節子)をめぐる野毛(藤田進)と糸川(河野秋武)の三角関係のような青春物語でもありますが、究極的には昭和初期の軍国主義の中での言論弾圧とそれに反発する教授や学生、その中での保身や裏切り行為なども描かれています。

大学を卒業して10年、恋のライバル二人の運命は真っ二つに分かれ、糸川はエリート検事になり、野毛は、東京・銀座にある東洋政経研究所の所長として支那問題の権威として雑誌などに長い論文を寄稿したりしています。これが、ゾルゲ事件の尾崎秀実を思わせ、結局「国際諜報事件」の首魁として逮捕されるのです。

何といってもこの映画が凄いのは、敗戦間もない昭和21年の公開作品だということです。まだ占領下ですし、戦前タブーだった京大事件とゾルゲ事件を題材にした映画がよくぞ公開されたものです。

◇京大事件とは

京大事件とは、昭和8年(1933年)鳩山一郎文相が、京都帝国大学法学部の滝川幸辰教授の著書「刑法読本」や講演内容が赤化思想であるとして罷免した事件です。

法学部教授全員が辞表を提出しますが、結局、滝川教授のほか佐々木惣一(戦後、立命館大学総長)末川博(同),恒藤恭(戦後、大阪市立大学長)ら7教授が免官になりました。

この中で、私は法学関係に疎いので恒藤恭教授の名前を近しく感じてしまいます。彼は、旧制一高時代、芥川龍之介の親友で、確か、成績は恒藤が首席、芥川が2席という大秀才だったと記憶しております。

◇石田幹之助と東洋文庫

「京都学派」に詳しい京都にお住まいの京洛先生にお伺いしたら、「芥川の一高時代の友人の中に有名な菊池寛や久米正雄のほかに、石田幹之助という東洋学者がいて、私も学生時代に習ったことがあるんですよ」と仰るではありませんか。これには吃驚。京洛先生は一体、何時代の人なんでしょうか?(笑)

「石田先生は授業中によく、芥川や恒藤らの思い出話をしてましたよ。石田先生は、三菱の岩崎財閥からの支援と要請で今の東洋文庫の基礎をつくった人です。小説の世界と学者の世界は違うんです。芥川の『杜子春』なんかも石田先生が提供した資料を使ったんですよ。何?石田幹之助も東洋文庫も知らない?」

「石田教授の師は、『邪馬台国北九州説』を主張した東京帝大の白鳥蔵吉です。『邪馬台国畿内説』を唱えた京都帝大の内藤湖南と大論争になりました。えっ?それも知らない?嗚呼…嗚呼…」