映画「ミッドウェイ」は★★☆

 「インデペンデンス・デイ」などのスペクタクル映画で知られるローランド・エメリッヒ監督の「ミッドウェイ 日本の運命を変えた3日間」を観て来ました。

 エメリッヒ監督は1955年生まれのドイツ人ということですが、何でこの時期に、太平洋戦争の「勝負の分かれ目」となった「ミッドウェイ海戦」を作品化しようとしたのか、よく分かりませんでしたが、パンフレットによると、20年間もリサーチの時間をかけて、この戦争を映像化したかったようでした。「多くの命が失われる戦争には勝者はなく敗者しかいない。だからこそ二度と起きてはならない戦いを描いたこの映画を日米の海兵たちに捧げる内容にしたかった」

 とはいえ、米ハリウッド映画という勝者側から描いた作品にしか観えないのは、私が敗者側の日本人だからかもしれません。ウェス・トゥークの脚本、つまり、ストーリーが、お涙頂戴の「家族愛に基づくアメリカ人の愛国心」対傲慢な「領土拡張の野心に燃える日本の軍人」という構図になっているからです。

製作プロダクションとフィルム・プロダクションに米国だけでなく、中国、香港、カナダが入っているのも何となく違和感がありました。これらの国側から、脚本について何らかの「意見」を具申したと思われるからです。

 しかしながら、エメリッヒ監督が歴史を捻じ曲げたわけではなく、監督得意のスペクタクルは、まさに戦争に打ってつけ(?)で、戦闘シーンは非常にリアリティがあり、まさに戦場にいるような感覚にさせられました。

 真珠湾を奇襲攻撃した卑怯で悪いジャップをやっつけるのですから、若い米国人が観れば感動ものでしょう。よくぞ「再現」したものです。

 山本五十六・連合艦隊司令長官(戦艦大和)に豊川悦司、南雲忠一・第一航空艦隊司令官(空母赤城)に國村隼、山口多聞・第二航空戦隊司令官(空母飛龍)に浅野忠信を配し、それぞれ立派な演技でしたが、海兵隊員役の若い日系人か日本人のエキストラ俳優に全く緊張感が見られなかったのは残念でした。

 映画の最後の方では、この戦場で功績を挙げた戦士たちが、何とか十字章をもらったとか、山本五十六大将の乗った飛行機が撃墜されたとかいった、よくある「説明調」の場面が続きました。もちろん、命を懸けて大前線で戦った兵士の功績の賜物でしょうが、やはり、ミッドウェイ海戦の影の主役は、太平洋艦隊情報主任参謀のレイトン大佐(パトリック・ウイルソン)だったことがこの映画でよく分かりました。レイトンは駐在武官として日本に滞在し、日本語もできる日本通であり、この映画では、日中戦争が始まった1937年に、レイトンと山本五十六が会って話をする場面から始まることも印象的でした。

 山本五十六はハーバード大学留学、米駐在武官経験もある米国通で、アメリカの国力については知り過ぎていたはずだったのに…。

 結局、勝負の分かれ目は、日本の暗号を解析して読み取った米軍の情報収集能力にあったとも言えます。恐らく、大日本帝国軍は、ここまで敵に暗号情報が漏れていたことを知らなかったと思われます。いや、恐らくではありませんね。全く知らなかったのですね。そうでなければ、山本五十六大将の搭乗機が撃墜されるわけがありませんから。

 日本は国力や物資だけでなく、情報戦争で負けていたことが否が応でも見せつけられました。

成瀬巳喜男監督の手腕に脱帽=1930年代の「まごころ」と「鶴八鶴次郎」

 私生活で色々と心配事が続いて悩みが尽きません。こういう状況だと何をやってもつまらないものですね。物欲がなく、悪所に行かず、賭け事はせず、宝くじも買わず、煙草も吸わず、最近、あまり酒も呑まず、好きな音楽も聴かず、只管、四角四面、謹厳実直に振舞っているので、ますます生きているのが苦しいのです(笑)。本を読んだり、映画を観たりしてますが、実は心底から楽しめません。-まあ、こんな繰り言を書いてしまいましたが、こうして、つまらないブログを書いても旧知の人や見知らぬ人からコメント等を頂いたりすると嬉しくなり、「ま、書き続けていきますか…」という気持ちにさせてくれます。

 今日も書くことは、またまた成瀬巳喜男監督の戦前の1930年代の作品です。前回、成瀬巳喜男監督のファンクラブの方々が立ち上げた精巧なサイトをご紹介しましたが、その中で、1930年代作品のベストワンに挙げていた「まごころ」を初めて観てみました。1939年(昭和14年)、東宝東京の作品です。1939年はノモンハン事件が起きた年です。ゾルゲ事件の国際諜報団の一人、ブーケリッチがアヴァス通信(現AFP通信)記者としてこのノモンハンを取材しています。また、1939年は第2次世界大戦が始まった年でもあり、世界中で軍部が台頭し、きな臭い時代です。撮影当時は、そんな時代背景がありました。

 原作は、「青い山脈」で知られる石坂洋次郎で、同名の小説は同じ1939年に発表されていますから、凄い速さです。石坂は当時からベストセラー作家だったのでしょう。それにしても同じ年に映画化するなんて、映画監督も原作に飢えていたんですね(笑)。成瀬作品の中で、「まごころ」はあまり知られていませんが、1930年代のベストワンになるぐらいですから、確かに本当に良い作品でした。

 日本では既に、1937年から支那事変(日中戦争)が始まっており、映画は、何処か地方の駅舎の前の広場で(甲府駅らしい)、「大日本愛国婦人会」の白いタスキを掛けた主婦たちが大勢集まって、何か打ち合わせをしている場面から始まります。「大日本愛国婦人会」といっても、今では誰一人も関心を持つ人はいませんが、かつて、この団体に異様に興味を持っていた方がおり、色々と教えてもらったことがあったので、私なんか注視してしまいました。

 「銃後の守り」とも言うべき婦人会は、ざっくり言って3団体あり、第1がこの「愛国婦人会」(1901年設立)で内務省・厚生省系で、最盛期は約312万人。華族の参加も多かったようです。第2が「大日本連合婦人会」(1931年設立)で文部省の音頭取り。第3の「大日本国防婦人会」(1932年発足)は、陸軍省、海軍省の肝いりで、最盛期は905万人以上も参加しました。この3団体は1942年に国家総力戦体制ということで、「大日本婦人会」の一つに統合され、終戦まで続きます。

 映画の話から少し外れた感じですが、とにかく、この大日本愛国婦人会のリーダーが浅田夫人(村瀬幸子)で、その娘の小学校高学年らしき信子(悦ちゃん)が学期が終わり、成績が10番に落ち、代わって、信子の親友の長谷山富子(加藤照子)が1番になったという話から物語は展開します。

 子どもが主役なので、子供映画のようですが、なかなか奥が深い(二人とも演技がうまい)。浅田夫人の夫は銀行役員の敬吉(高田稔)ですが、どうやら、将来、婿養子になる条件で、学生時代に学費を払ってもらっていたらしい。夫婦関係は醒めています。

 ところが、敬吉には若い頃に好きな相手がいて、それが今は富子の母親の蔦子(入江たか子)。二人は当然、結婚できず、蔦子はある男に嫁ぎましたが、飲んだくれの甲斐性なしで、早くに亡くなり、蔦子は針仕事で家計を支え、富子を育てています。

 富子と信子は親友なので、夏休みに、川で遊んでいるうちに、信子が足を怪我してしまいます。そんな偶然の機会に蔦子と敬吉が久しぶりに再会し、噂を聞いた浅田夫人は嫉妬で怒り狂います。しかし、すぐ誤解は解け、ちょうど召集令状が敬吉のもとにも来ていて、最後は、敬吉の出征場面で終わります(恐らく中国大陸へ)…と大体の荒筋を書いてしまいましたが、80年以上昔の映画だからいいでしょう、と勝手な解釈で、悪びれた様子は見せません(笑)。ご興味のある方は御覧になってください。

 蔦子役の入江たか子(1911~95)は、前回も書きましたが華族出身の美人女優で当時の大スター。敬吉役の高田稔(1899~1977)も、当時の二枚目スターだったらしく、確かに凛々しくて、惚れ惚れするぐらい格好良い俳優です。この人、戦後になっても長らく俳優生活を続けていて、テレビの「ウルトラQ」や「ウルトラマン」まで出ていたんですね。全く知りませんでした。

 もう一つ、第3位の「鶴八鶴次郎」(東宝東京、1938年)も観ましたが、これも大傑作。長谷川一夫と山田五十鈴の二大スターの共演ですが、二人とも実に若いこと。長谷川一夫は、勝新太郎にそっくりですし、山田五十鈴は年配になってしか知らなかったので、こんな品のある美人さんだったとは…(失敬)。原作は川口松太郎の同名小説(1934年)で、第1回直木賞受賞作品なので、私も原作は読んでいましたが、こんな話だったけ?と自分の記憶力のなさにがっかりしてしまいました(笑)。

 番頭の佐平役の藤原釜足もいい味出してましたが、やはり、二大スターの魅力を存分に引き出した成瀬監督の手腕には感服しました。

映画「パヴァロッティ 太陽のテノール」は★★★★★

Arossa Ginza lunch1300 yen

 ロン・ハワード監督作品「パヴァロッティ 太陽のテノール」を観て来ました。「ダ・ヴィンチコード」や「インフェルノ」などでメガホンを取ったロン・ハワード監督には「外れ」がないですからね。音楽映画は、4年前にビートルズのツアー・ドキュメンタリーも編集してますし、何と言っても、彼が監督になる前、俳優として「アメリカン・グラフィティ」(1973年、ジョージ・ルーカス監督)に出演している時から私は観てるので親しみを感じます。この作品は、タイトルを聞いただけで、予告編も観ないでいきなり観て来ました。

 「世界三大テナー」の一人、ルチアーノ・パヴァロッティ(1935~2007)ほど世界中に知られたオペラ歌手はいないでしょう。「パスタを3人前ペロリと平らげた」といったような舞台外の日々の行動まで報道され、私生活もパパラッチに追い掛け回されていましたが、意外と彼の生い立ちやどういう教育を受けて歌手になったのか、家庭生活はどうだったのか、知られていませんでした。

 熱狂的なファンなら知っていたでしょうが、それほど興味がない私は、この映画を観るまで、彼は少し体格の良いイタリア人(笑)だということだけは知っていましたが、それ以外はこの映画で初めて知りました。彼の父親はパン焼き職人ながらアマチュアのテノール歌手で、ルチアーノは、小学校の教師になりながら、夢を諦めず、プロのテノール歌手(1961年)になった人でした。「キング・オブ・ハイC」と呼ばれる類まれなる天性の才能がありましたが、それらも人知れぬ隠れた努力の賜物だったようです。映画の中で、あるテノール歌手も言ってましたが、テノールの音域は普通に話す声とは違った不自然な声で、それを如何に自然に聴こえるようにするかが、プロの手腕で、彼の天才も相当な努力の上に花開いたものに違いないというのです。

 映画は彼の舞台映像とインタビューのドキュメンタリー形式で、最初の妻アドゥア・ベローニと3人の娘、36歳も離れた二番目の妻ニコレッタ・マントヴァーニらも登場し、プライベートな家庭生活を語っていましたが、やはり、色々と大変だったんだなあと同情するばかり。

 「悪名高い」評判の悪いプロモーターが彼を取り巻き、「異業種」のU2のボノらロックスターとの共演や、何十万人も集める野外コンサート、そして、プラシド・ドミンゴ、ホセ・カレーラスとともに「三大テノール」としての世界的「売り込み」が、悉く成功していきます。失礼ながら、プロモーターたちはあまりにも貪欲そうで、人相が悪いので笑ってしまいました。それに、「ジョニー・カールソン・ショー」などの米人気テレビ番組や「TIME」誌の表紙を飾るなど、彼の人気も商業主義の権化であるマスコミの後押しが大きかったことでしょう。

 この映画では出てきませんでしたが、パヴァロッティは、完璧を求めるばかりに、何度も公演をキャンセルして、「キャンセルの王様」とまで言われ、シカゴのあるオペラ座では支配人から終身出入り禁止になったこともあったそうです。外見とは違い、かなり神経質で、傷つきやすい性格だったようです。

 悲しい時でもいつも笑顔を絶やさなかったパヴァロッティでしたが、それはエンタテインナーとして表向きにつくられたプロ魂に過ぎなかったこともこの映画で観て取れました。英ダイアナ妃らとともに慈善活動に精力を費やしたりしたのは、子どもの頃の戦争体験が大きかったから、というナレーションには少し納得しましたが、彼自身、大成功を遂げたとはいえ、幸福だったのか、不幸だったのか、観ていて分からなくなってしまいました。

 映像を通してでしたが、確かに鳥肌が立つほど、彼の歌声は心と腹の底に響き、素晴らし過ぎて、また、DVDを取り寄せてでも彼が出演したオペラが観たくなりました。私自身、1999年1月9日、東京ドームで行われたズービン・メーター指揮「三大テノール  ニューイヤー・コンサート」を観ているはずなのですが、その時、人の多さばかりが印象に残り、主役たちは豆粒にしか見えず、案外すぐ終わってしまい、その内容はほとんど覚えていないのです。

 1999年は特に忙しい年で、音楽担当記者として数多くの公演を観ていたのですが、変わり者の私ですから、「三大テノール」のあまりにもつくられた商業主義にうんざりしていたのかもしれません。(それほど凄かったのです)

 でも、こうして、13年前に71歳で亡くなったパヴァロッティという歴史的人物を映像を通して観ると、類まれな天才と同時代を生き、同じ空気を吸っていたんだという実感を味わうことができ、生きる勇気をもらった気がしました。

成瀬巳喜男で観る日本の戦前1930年代

 どういうわけか、最近、成瀬巳喜男にハマってます。溝口健二(1898~1956)、小津安二郎(1903~63)、黒澤明(1910~98)と並ぶ日本の名匠成瀬巳喜男監督(1905~69)のことです。

 とは言っても、それほど多くの彼の作品を観たわけではありません。世代が違うので、劇場でもテレビでも1本も観たことはありません。随分昔にレンタルビデオで、名作と言われる「浮雲」(1955年、林芙美子原作、高峰秀子、森雅之主演)を見て感動し、大傑作だなあと思いつつも、あまりビデオ屋に行くことはなくなり、成瀬作品に接する機会も減っていました。

それが、今ではユーチューブで簡単に観られるので、少しハマってしまったのです。特に、私自身、近現代史、昭和史、戦前に興味があるので、作品そのものよりも、ロケで使われた当時の様子が映し出されるとちょっと興奮してしまいます。1930年代の作品などは、こうして90年経っても見られるなんて本当に奇跡だと思っています。

 戦後生まれの私は、戦前は全く異次元の世界だと思っていました。戦前は大政翼賛会の超国家主義で、軍国主義と暗殺テロが蔓延り、隣組の窮屈な監視社会だと思っていましたから、これらの作品を観ると映画というフィクションの世界だとはいえ、普通の庶民が恋愛をしたり三角関係に悩んだり、仕事で失敗したり、家庭内でいざこざがあったりして、今と何ら変わらない共通点を見つけて驚いたりしています。

 成瀬監督は、当時の時代の最先端を切り取って観衆に提示したことで後世でも鑑賞に堪える作品になったのではないでしょうか。例えば、出世作となった、まだサイレント映画の「腰弁頑張れ」(1931年)では、主人公である保険外交員岡部(山口勇)がサラリーマンの悲哀を見事に演じています。満州事変の起きた昭和6年にあんな猛烈な保険セールスマンがいたとは驚きでしたが、時代は変わっていなかったんですね。当時はサラリーマンという言葉がなかったのか、「腰弁」という最先端の流行語を使っているところがいいですね。

 また、1930年代はまだ「敵性音楽」にはなっていなかったでしょうが、米国のジャズが最新流行として盛んに使われていました。昭和初期の永井荷風や太宰治らの小説に登場する銀座のミルクホールとかダンスホールなども出てきて感激してしまいます。

 成瀬監督の最初のトーキー映画は、1935年(昭和10年)の「乙女ごころ三人姉妹」(川端康成原作)です。浅草が舞台で、浅草寺や六区の繁華街(エノケン一座の興行の幟も)、隅田川などが出てきますが、米軍の空襲による破壊される前の原風景がフィルムに収められ感慨深いものがあります。モボやモガ以外の人は、和服が多く、この時代の女性はまだ日本髪を結っていて、江戸情緒が残っていたことが分かります。

 居酒屋で三味線を弾き語る「門付け」で生計を立てている次女お染(堤真佐子)と三女でレビューダンサーでモダンガールの千枝子(梅園龍子)と、男(滝沢修)と駆け落ちをした長女おれん(細川ちか子)の三人姉妹の人生模様が描かれています。日本の新劇界(築地小劇場~劇団民藝)の「神様」滝沢修(1906~2000)は、私自身、彼の初老になってからの姿しか知りませんでしたが、「こんな若かったのかあ」と吃驚仰天しました。ちなみに、滝沢の妻文子は、外交官古谷重綱の娘で、文芸評論家の古谷綱武、ジャーナリストの古谷綱正の妹だということで、これまた吃驚。ジャーナリストの古谷剛正(1912~89)は、TBSの「ニュースコープ」のキャスターを務めていたので、40代以降の人なら覚えているかもしれません。

 成瀬監督のトーキー作品第2弾が「女優と詩人」(1935年)です。人気舞台女優千絵子役が、成瀬監督の最初の妻になった千葉早智子、「髪結いの亭主」のような風采の上がらない詩人月風(げっぷう)役が宇留木浩。この人、本名が横田豊秋(1903~36)で、監督から映画スターになった稀有な人なんだそうです。この映画出演の翌年に狭心症のため33歳の若さで亡くなってしまいます。また、先に挙げた「乙女ごころ三人姉妹」の長女おれん役の細川ちか子が横田豊秋の実の妹だといいますから、驚き。「皆つながってるんだなあ」と思いました。(でも、華やかな芸能界でもこうしてほとんど忘れ去られてしまいます)

 1937年公開の「女人哀愁」は、当時の大スター女優入江たか子(華族である子爵東坊城家出身でしたね!)主演。嫁ぎ先での冷たい仕打ちに苦悩し、ついに「女の自立」を宣言する広子役ですが、当時の家長主義、封建主義、しかも女性の参政権のない時代で、随分先進的で画期的な映画だったことだと思わせます。

 同年の「雪崩」は大佛次郎原作ですが、随分暗い、そしてつまらない映画だこと(失礼!)。主人公日下五郎(佐伯秀男)は新婚の妻路子(霧立のぼる)がありながら、元の恋人弥生(江戸川蘭子)が忘れず、優柔不断な態度を取り、最後は心中まで図ろうとするストーリー。日中戦争に突入しようとする時代でも、上流階級は別荘を持ち、裕福で優雅な生活を送っていた様子も描かれます。個人的には、この映画で、日本の国宝第1号に指定されながら米軍の空爆で破壊消滅した在りし日の名古屋城や、戦災に遭う前の戦前の東京・銀座の繁華街も映っていて感激してしまいました。

 1930年代の映画を観ていて、出演していたエキストラを含め、飲んだり唄ったり、笑ったり泣いたりしていたこの時代の大人たちが、この後の支那事変(日中戦争)や大東亜戦争(太平洋戦争)を戦って死んでいったのかと思うと、後世の人間として胸が詰まる思いがしました。

 これ以外の作品も観ましたし、これからも観て行こうと思いますがこの辺で。。。なお、このブログを書くに当たり、「日本映画の名匠成瀬巳喜男のファンページ」を大いに参照させて頂き、引用もさせて頂きました。御礼申し上げます。

「赤い闇 スターリンの冷たい大地で」は★★★★★

 久しぶりに映画館で映画を観て来ました。

 調べてみたら、2月11日に東京・恵比寿の日仏会館で観たアルノー・デプレシャン監督作品「あの頃エッフェル塔の下で」以来でしたが、封切映画なら2月8日に有楽町で観た第1次大戦のAIカラー映像化した「彼らは生きていた」以来で、いずれにせよ半年ぶりでした。

 小生、皆さまご案内の通り映画好きですが、こんなにブランクが開いたのは初めてぐらいです。コロナ禍の影響で、映画館の席は間隔が開けられ普段の半分しか入れない状況でした。

 観たのは「赤い闇 スターリンの冷たい大地で」(ポーランドのアグニェシカ・ホランド監督作品)です。先週、たまたま新聞の広告でその存在を知り、私の”興味津々”範疇の「スパイもの」だというので飛びついたわけです。子どもの頃から、「007」シリーズ(特にショーン・コネリー)を観て育ちましたからね。

 でも、この作品は全くのフィクションではなく、主人公ガレス・ジョーンズ(1905~35)は英国ウエールズ出身の実在の人物で、スターリン政権のソ連に潜り込んでその実体をスクープしたフリーのジャーナリストでした。彼は、ロイド・ジョージ首相の外交顧問も務めたことがあり、日本にも取材で6週間滞在したことがあるらしく、最期は満洲でソ連の秘密警察の手によって暗殺されたようでした。30歳の誕生日を迎える1日前のことでした。ジョーンズ記者が、潜入したウクライナ地方の凄惨な飢餓状況を初めて西側に発表したことから、ソ連側から「要注意人物」として恨みを買っていたためでした。

 この作品には、「動物農場」などでスターリンの恐怖政治を痛烈に批判した、私も大好きな作家のジョージ・オーウェル(1903~50)が準主役として登場する一方、スターリニズムを称賛するニューヨーク・タイムズのモスクワ支局長ウォルター・デュランティ(1884~1957)が、ジョーンズのスクープはデマだと否定したりして「悪役」として活躍します。何しろ、デュランテイは1922年から36年まで14年間も支局長としてモスクワに滞在し、その間にピュリッツァー賞も受賞した大物ジャーナリストでした。

 そのデュランテイは、モスクワから一歩も出ず、地方の飢餓や窮乏を見て見ぬふりをし、夜ごと裸になって変な麻薬パーティーを開いたりします。麻薬パーティーが事実だったかどうか知りませんが、ホランド監督の彼に対する痛烈な皮肉と批判の現れでしょう。フェイクニュースが跋扈する現代と状況はほとんど変わっていないことを再認識させられます。

 若きジョーンズ記者は無鉄砲で、ソ連の官憲から逃れて、凍てつく吹雪が荒む凍土のウクライナを彷徨います。そこでは、あちらこちらで餓死した遺体が無造作に転がり、…いやあ、これ以上書けませんが、大変衝撃的な場面も出てきます。

 今ではすっかり忘れられたジョーンズ記者を掘り起こしたホランド監督は、ポーランド出身ということもあり、征服されたソ連の無情と残忍さは骨身に染みるように親から伝えられたことでしょう。1930年代の「ウクライナ大飢饉」(実に300万人の人が餓死したと言われる)は史実として知っておりましたが、この作品で、スターリン粛清主義の恐ろしさをまざまざと見せつけられました。

日仏会館でデプレシャン監督作品「あの頃エッフェル塔の下で」を観る

日仏会館

 昨年12月に見事厳しい審査を経て(?)、東京・恵比寿にある日仏会館の会員になることができました。そこで開催されるフランスに関する色んな講演会やセミナーやイベントに参加できます(非会員の方もbienvenu)。1月に「ジャポニスム」に関するセミナーがありましたが、仕事が遅くなり、キャンセルせざるを得なくなりました。

 昨晩は会員として初めて参加しました。(そう言えば、2015年1月に日仏会館で開催された「21世紀の資本」のトマ・ピケティの講演を取材したものです。ということは5年ぶりでしたか…早い、早すぎる)

ヘアーサロン・ヤマギシ 月曜休みでした

 その前日に、京洛先生から電話があり、明日、日仏会館に行く予定だと話したところ、「恵比寿ですか…そうですか…懐かしいですね。中華のちょろりに行ったらいいじゃないですか」と仰るではありませんか。

 えっ?何ですか?ちょろり?

「中華屋さんですよ。あたしはよく行きましたよ。恵比寿ビアガーデンの近くでもあります。そこで、よく炒飯と餃子にビールを注文したものですよ」

 いい話を聞きました。京都の京洛如来様は、まだ東京で調布菩薩だった頃、職場が恵比寿にあったことから、恵比寿は自分の庭みたいなものでした。

 「恵比寿駅近くにヤマギシという床屋がありましてね。社長はあの大野で修行した人で、あたしはよく行ったものです。今でも東京に行った時に予約して行きますよ。貴方も行ってみたらどうですか?『京都の京洛から話を聞いて来ました』と言ったら、喜びますよ」

 あれ?それ、もしかしたら、恵比寿商店会から宣伝料のマージンでももらっているんじゃないですかねえ(笑)。

 でも、私も、当日の夕飯はどうしようかと思っていたので、良い店を紹介してもらいました。

 中華「ちょろり」は、日仏会館の目と鼻の先にありました。夕方5時頃入ったら、お客さんはまだ誰もいなく、しばらく一人でした。大衆中華料理屋さんというか、大きなテーブルが7個ぐらいあって、30~40人で満杯になる感じでした。(帰りの夜9時過ぎに店の前を通ったら、超満員でした。夜中の3時までやっているようです)

 京洛先生のお薦め通り、炒飯と餃子とビールを注文。炒飯は、何か、和風で、昔懐かしい味。餃子は野菜がいっぱい入ってました。

 さて、肝心の日仏会館の催しは、「映画と文学」の6回目でした。アルノー・デプレシャン監督作品「あの頃エッフェル塔の下で」(2015年、123分)が上映された後、目白大学の杉原先生による、特に、映画のフラッシュバック技法とマルセル・プルーストとの関係について解説がありました。

アルノー・デプレシャン監督作品「あの頃エッフェル塔の下で」 左は、 ポール役のカンタン・ドルメール、右は エステル役のリー・ロワ・ルコリネ

5年前に日本でも公開されたこの映画は見逃していましたが、なかなか良かったですね。よほどの映画通じゃなきゃデプレシャン監督作品は知らないでしょうが、私も初めて観ました。1960年生まれのデプレシャン監督の青春時代を色濃く反映した作品で、私もほぼ同世代なので、心に染み入りました。満点です。

 デプレシャン監督は、ベルギー国境に近いフランス北東部の田舎町ノール県ルーベ出身で、パリに上京して仏国立高等映画学院で学んだようです。映画の原題はTrois souvenirs de ma jeunesse で、直訳すると「我が青春の三つの物語」となります。主人公のポール・デダリュスは人類学者で外交官ですが、タジキスタンかどこかの旧東側国の税関で捕まり、スパイ容疑で取り調べられるところから物語は始まります。その時、主人公が青春時代の三つの物語をフラッシュバックで思い出すという展開です。

 後で聞いた杉原先生の解説によると、主人公のポール・デダリュスとは、ジェイムス・ジョイスの「ユリシーズ」に登場する作家志望の青年スティーヴン・ディーダラスから拝借したもので、ユリシーズもこの映画も「帰還」がテーマになっているとか。

 主人公のポール(青年時代はカンタン・ドルメール、現在の壮年時代はマチュー・アマルリック)とエステル(リー・ロワ・ルコリネ)との淡い悲恋の物語といえば、それまでですが、恋する若い二人の心の揺れや不安が見事に描かれ、私も身に覚えがあるので懐かしくなりました(笑)。ポール役のドルメールも清々しく格好良かったですが、エステル役のルコリネは、男なら誰でも夢中になるほど魅力的で、強さと弱さを巧みに表現できて、なかなかの演技達者でした。

 そして、何と言ってもプルースト。これでも、学生時代は岩崎力先生の講義に参加して少し齧りました。今でも「失われた時を求めて」 À la recherche du temps perdu の第1章「スワン家の方へ」(1913年) Du côté de chez Swann の最初に出てくる「長い間、私はまだ早い時間から床に就いた」の《 Longtemps, je me suis couché de bonne heure 》は今でも諳んじることができます。岩崎先生には、マルグレット・ユルスナールやヴァレリー・ラルボーらも教えてもらいましたが、名前を聞いただけで異様に懐かしい。何の役にも立ちませんが(笑)。

 デプレシャン監督には、「魂を救え!」(1992年)や「そして僕は恋をする」(1996年)、「クリスマス・ストーリー」(2008年)などがありますが、登場人物に関連性があり、一種のシリーズ物語になっているようです。バルザックに「人間喜劇」、エミール・ゾラには「ルーゴン・マッカール叢書」などがありますが、フランス人は作品は違っても、続きものになる、こういう関連シリーズ物語が好きなんですね。

 映画では、主人公は人類学者になる人ですから本をよく読み、レヴィ=ストロースの「悲しき熱帯」などを読んでいる場面も出てきました。私は、青春時代にフランスに首をつっこんでしまったので、この先、死ぬまで関わることでしょうから、日仏会館のイベントにはなるべく参加していくつもりです。お会いしたら声を掛けてください(笑)。

🎬「彼らは生きていた」は★★★★★

WST National Gallery Copyright par Duc de Matsuoqua

 100年以上昔の第一次世界大戦(1914~18)のドキュメンタリー映画「彼らは生きていた」(ピーター・ジャクソン監督)を土曜日に観てきました。

 東京・有楽町の映画館で午前9時45分からの上映。63席しかないので、チケットは25分前に完売してしまいました。その様子をその場で見た私は、チケットはネットで購入していたのでセーフ。次の上映時間は夜の9時10分からですから、遠方から来られた方は絶望的な表情を浮かべていました。でも、こういう良心的な映画をご覧になる方がたくさんいるとは、世の中、捨てたもんじゃありませんね。私も含めて遠方の方は、良質な映画鑑賞の場合、次回はネット購入をお薦めします。

 この作品は、ジャクソン監督が、大英帝国戦争博物館に所蔵されていたモノクロの未公開フィルムを最新技術でカラー化し、当時従軍した兵士のインタビューの肉声をバックに重ねたものですが、信じられないほど画像が鮮明になり、つい最近に起きた戦争にさえ錯覚してしまいます。1961年生まれのジャクソン監督は、この映画を同大戦に従軍した自分の祖父に捧げていました。

第一次大戦では、戦場での兵士の移動は、トラックやジープがまだなく、徒歩か馬で、映画では、爆撃機は登場しませんでしたが、既に新兵器である戦車(タンク)が開発され、重機関銃、毒ガスまで使用されていました。

  第一次大戦では、7000万人以上の軍人が動員され、戦闘員900万人以上、非戦闘員は700万人以上死亡したといわれます。映画では、フランス国内の戦線で対峙した英国とドイツが、互いに迷路のような塹壕を掘り合って、陣取り合戦のような肉弾戦が中心でしたから、両軍ともに甚大の戦死者を生みます。

 おぞましい戦闘シーンや、腐乱した戦死者の遺体など出てきますが、よくぞこんなフィルムが残っていたと感心します。

 多くの日本人は、第1次世界大戦については、太平洋戦争ほど関心がないというのが本音かもしれません。私自身も、レマルクの「西部戦線異状なし」を読んだぐらいで、どちらかと言うと第2次世界大戦の方がもっと詳しく知りたい派です。

 しかし、欧州人にとっては、欧州大陸そのものが戦場となり、勝者も敗者も、いずれも甚大な損害を蒙ったことから、第1次世界大戦への関心度は、日本人と比較にならないでしょう。

 この映画の原題は、They shall not grow old で、敢えて逸脱して意訳すれば、「彼らの生きざまは並大抵ではなかった」辺りでしょうが、「彼らは生きていた」という映画タイトルは、実に巧いなと思いました。1914年のサラエボ事件を発端に、戦意が高揚し、マスコミが煽り立て、英国では、19歳から志願兵を受け入れるというのに、18歳、17歳、いや中には15歳や16歳まで年齢を偽って従軍していた様子から、この映画は始まります。

 100年前とはいえ、我々の父親、祖父、曾祖父の世代ですから、日々の喜怒哀楽は万国共通で、時代は変わっても本質は何も変わっていないことが分かります。

 兵士たちの食事は非常に粗末で、トイレがなく、穴を掘ったところに板を張って集団で用を足し、中には板が折れて、肥溜めに落ちる兵士もいました(尾籠な話で失礼)。

 塹壕は雨が降るとぬかるみになって、ネズミや病気が発生し、泥沼に落ちて亡くなる兵士もあり、苦心惨憺する有様も出てきます。このほか、英国軍のドイツ兵の捕虜に対する扱い方が、ちょっと紳士的に描きする嫌いがあり、本当かな、と思ってしまいました。

 1918年11月11日午前11時に休戦条約が調印され、大戦は終結しますが、帰還した兵士たちは、白い目で見られ、求職を断られるなど、市民生活とのギャップが描かれていました。帰還兵たちは「戦場に行った者しか分からない」と嘆いていましたが、この映画を観た観客は、塹壕での悲惨な戦闘を疑似体験しているので、非常に気持ちが分かります。こういうことは、時代を現代に置き換えても同じことでしょうね。

🎬「リチャード・ジュエル」は★★★★★

WST Natinal Gallery Copyright Par Duc de Matsuoqua 

名古屋にお住まいの篠田先生から電話があり、「ああたが、ブログで批判していた韓国映画『パラサイト』、観に行きましたが、よかったじゃありませんか。今度のアカデミー賞も獲るかもしれませんよ」と仰るので、気は確かなのかと思いましたよ。

 週刊文春でも、映画評論家と称する人たちが全員、「満点」を付けていたのを発見して唖然、呆然としましたが、あんな残酷で後味が悪い、血みどろの不愉快な映画、ないじゃありませんか。今年のアカデミー賞候補には、殺害場面の多すぎるあのハリウッド映画「ジョーカー」までなっているというのですから、映画産業界に対する不信感さえ抱きました。そしたら、篠田先生は「それは、ああたの限界ですね。映画なんて作り物だと割り切って観なければならないんですよ。『パラサイト』の後半のとんでもない展開なんて、日本人なんかとても作れませんよ。『万引家族』の是枝監督なんて、とても及びもつきません。今の時代を反映しているわけだし、『パラサイト』のようなとんでもない世界の方が、現実世界を如実に反映しているわけですよ」と悪びれた様子もなく、かつ丼をペロリと平らげる有様です。

 まあ、好みや趣味は人それぞれですから、とやかく言えませんけど、私は、嫌ですね。断固としてあんな映画は二度と見たくない。限界を指摘されようが、批判されようが、 日本人ですから、箱庭的な墨絵のような映画の方を好みますよ。勿論、是枝監督に軍配をあげます。

 かくして、映画産業に関して、かなりの不信感を抱いてしまったので、「これではいけない」ということで、お口直しの意味で、小雪のちらつく中、またまた映画館に足を運びましたよ。1996年のアトランタ五輪の最中に起きた爆破テロ事件で、第1発見者の英雄から、一転して容疑者になった警備員の実話を扱った「リチャード・ジュエル」です。クリント・イーストウッド監督なら、大丈夫だろうという安心感と期待感で観たのでしたが、正解でした。私の採点は満点です。この映画こそ、アカデミー賞候補になってもいいのに、カスリもしません。きっと、米FBIやメディアを痛烈に批判している映画だからなのでしょうね。

アトランタ爆破テロ事件とは、五輪大会7日目の 7月27日午前 1時20分頃、市内センテニアル公園の屋外コンサート会場で、パイプ爆弾による爆破事件が発生し、死者2人、負傷者111人を出した事件です。日本人はほとんど忘れているし、第1発見者の警備員が、国民的ヒーローから一転して犯人扱いされる悲劇など、覚えている人は少ないでしょう。

 この事件の裏、というか表でどんなことが起きたのか、といったことをノンフィクション・スタイルで再現したのがこの映画です。この手のスタイルは、イーストウッド監督は、2016年の「ハドソン川の奇跡」と18年の「15時17分、パリ行き」で成功させていますから、同監督のお手の物といった感じかもしれません。

 実に良い映画でした。俳優全員が本物のように見え、全く演じているように見えなかったところが凄い映画でした。

 私は一番面白かったのは、野心に燃えるアトランタ・ジャーナル紙の女性記者キャッシー(オリビア・ワイルド)が、かなり露骨な色仕掛けでFBIのトム・ショウ捜査官(ジョン・ハム)からトップシークレットの情報を取って、スクープする場面でした。バーのカウンターでのやり取りなどは、事実かどうか分かりませんが、美男と美女なので、キツネとタヌキの化かし合いは、実にサマになっていて、いかにもあり得そうな場面で、イーストウッド監督しか描けませんね。身に覚えがあるメディアの人間が観たらたまらないと思います。私もずっと、ニヤニヤして観ていました(笑)。

 結局、警備員のリチャード・ジュエル(ポール・ウォルター・ハウザー)は無実で、キャッシー記者が書いた記事はフェイクニュースになりますが、それまでは、メディアスクラムによってリチャードとその母親ボビ(キャシー・ベイツ)の2人は、天国から地獄に突き落とされ、私生活が台無しにされてしまいます。

 FBIという強大な国家権力とメディアに対抗するために、この2人を助けたのが、弁護士のワトソン・ブライアント(サム・ロックウェル)でした。この映画は、リチャードと弁護士ワトソンとの出会いの場面から始まるので、何で、そこまでして、ワトソンが、リチャードのために親身になれるのかよく分かります。ワトソン役の俳優は、何処かで観たことある、と思ったら、2018年の「バイス」(チェイニー米副大統領の映画)のブッシュ大統領役でしたね。

 とにかく、この映画のおかげで、映画産業界に対する不信感が、ほんの少し和らぎました。(ということは、なくなったわけではない!)

🎥「パラサイト 半地下の家族」は★

 WST National Gallery Copyright par Duc de Matsuoqua

あまり、観るつもりはなかったのですが、新聞各紙の映画評で、いずれも高得点を獲得していたので、今話題の映画「パラサイト 半地下の家族」(ポン・ジュノ監督)を観て来ました。何しろ、第72回カンヌ国際映画祭で、韓国映画としては初めて最高賞であるパルムドールに輝いた作品ですからね。

 大いに期待して観たのですが、前半はよかったんですけど、後半はグロテスクで観ていられなくなりました。席を立って帰りたくなりましたが、最後まで見届けようと覚悟して、 我慢して観ましたよ。

 格差社会を静かに糾弾する社会派映画かと思ったら、サスペンス映画だということで、最後の結末がどうなるか、茲でタネ明かししてしまうのはフェアではないのでやめておきます。

 ま、上の写真の映画ポスターで御判断できるかもしれませんが、最初に書いた通り、個人的にはグロテスク過ぎて、目をそむけたくなりました。

 韓国では知らない人はいない、「シュリ」や「JSA」などに出演して日本でも馴染みのある名優ソン・ガンホ主演作ですが、やっぱり個人的には戴けませんね。「半地下家族」の副題が付いているので、同じくカンヌで2018年に最高賞を受賞した日本の是枝裕和監督の「万引き家族」を連想しましたが、民族性の違いが如実に表れているのか、全然違いましたね。

 この作品は、「万引き家族」というより、昨年日本でも大ヒットしたハリウッド映画の「ジョーカー」に近いですね。やたらと殺人場面が出てくる辺りです。私は、この「ジョーカー」を観て、ハリウッド映画が大嫌いになり、何で、日本でも大ヒットしたのか、さっぱり分かりませんでした。

 「パラサイト」は、本当に前半はよかったのです。大金持ちのパク社長の娘である女子高生の家庭教師の職を得た「半地下家族」キム一家の長男が、練りに練った計画で、家族4人がこの豪邸一家と関わることになるまで、観ていて痛快でした。しかし、この後がいけない。後半のああいう惨たらしい場面を観て喜ぶ観客がいるんでしょうか?信じられません。この分だと、韓国映画まで嫌いになりそうです。

 脚本も担当したポン・ジュノ監督は、もうちょっと、大事件なんぞ起こさなくても、もっと穏やかに描けなかったんでしょうかねえ。コメディーで終わってもいいじゃありませんか。これでは、いくら、カンヌ映画祭で最高賞を取ったといっても、日本では文部科学省推薦映画にはならないでしょう。(韓国映画ですが、映像から、朝日新聞とサッポロビールなどが出資していることが読み取れました。マスコミが出資した映画はほとんど批判されることがありません)

 映画の世界のフィクションの話とはいえ、現代人は、それほどまでに血に飢えているんでしょうか?もしくは、人生経験の少ない血気盛んな若者向きの映画なんでしょうか?それなら、私は個人的には、こんな映画はたくさんです。正直、もう観たくないですね。

 単なる個人的な感想で、遠吠えに過ぎませんが。

🎬「男はつらいよ お帰り寅さん」は★★★★★

WST National Gallery Copyright par Duc de Matsuoqua

喜劇だと思ったら、悲劇でした。見事やられてしまいました。途中から泣き笑いで、いい歳をして、感情を抑えることができませんでした。

 22年ぶりの新作シリーズ第50作目「男はつらいよ お帰り寅さん」は、製作費と同じくらい宣伝費をかけているようにみえるので、新聞でもテレビでも週刊誌でも、ラジオでも、どこでもこの映画のことで話題持ち切り。

 今では簡単に予告編も見られ、あらすじまで分かってしまいますから、知った気になって、観た気になってしまいますが、それでは、勿体ない。劇場に足を運んで大きなスクリーンで御覧になることをお薦めします。

 私のような1969年の第1作から1997年の第49作まで、大体見ているロートル世代でしたら、涙なしには見られません。(もしかして、初めて見る若い世代でも楽しめるかも)

 若い頃は、寅さんシリーズは当たり前のように上映され、いつもお決まりのパターンのマンネリズムだと思ってましたが、それが見事浄化して、様式美に昇格していたことが、今になって分かりました。

 寅さんこと渥美清(1928~96)さんも本当に亡くなり、(68歳の若さだったは!当時は、彼の訃報原稿を書いたりして大忙しだったので、そこまで若かったことは実感できませんでした)この映画でも、既に寅さんは亡くなって、甥っ子の満男(吉岡秀隆)が小説家になり、偶然初恋のイズミちゃん(後藤久美子)と再会する話で、喜劇ではなく、次回もまた続くような気の持たせ方で映画が終わります。

 まあ、そこがいい所です。

 寅さんは、回想シーンでしか登場しませんが、4Kか何か知りませんが、デジタル処理した昔の映像が、今の映画と同期して、違和感がないのが、この映画の凄いところです。

 この映画は、満男役の吉岡秀隆(49)主演作ですが、彼は、「三丁目の夕日」などで、売れない作家役をやっているので、今回の小説家役も適役でした。また、ゴクミと言っても、30年前の美少女ブームの頃の後藤久美子(45)のことを知らない人も多いでしょうが、私生活では、フランス人F1レーサーと結婚して、スイスなどに住み、半ば引退した格好でしたが、山田洋次監督から手紙による熱烈な説得により、イズミ役として復帰したことが、週刊誌に書かれていました。

 イズミは、ゴクミの私生活通り、英語とフランス語が堪能で国連難民高等弁務官事務所の職員になって世界中を飛び回っている役でしたから、本人と重なってしまいました。流石に英語もフランス語も発音が良かった。山田監督の「アテ書き」ですね。

 映画の舞台も、葛飾区柴又のほか、銀座と神保町と八重洲ブックセンターで、個人的に、私が最も縁と馴染みの深い東京だったので、それだけで胸が熱くなってしまいました。

 この映画で、寅さんが関わったマドンナが、最後の回想シーンで、ほぼ勢ぞろいしました。最初に私は「寅さんのシリーズをほとんど観ている」と豪語しましたが、「あれ?彼女誰だっけ?」という女優さんが2人ぐらいいました。後で調べたら思い出しましたが、女優さんに失礼に当たるので、その人の名前を書いた公文書は、現政権のように、シュレッダーにかけて、隠蔽しておきます(笑)。

 でも、22年ぶりに「男をつらいよ」を観ると、すっかり忘れていた意外な女優さんまでもが、マドンナ役で出ていたことが確認できました。サクラ役の倍賞千恵子さんは、若い頃は本当に正統派の美人だったことも、改めてこの歳になって気が付きました。そして、ヒトは残酷にも年を取り、タコ社長もおいちゃん役の俳優さんも既に亡くなって、この世にいないのにスクリーンで復活していました。これもまた、ロートル世代にとっては感慨深いものでした。

 恐るべき映画でした。