インド、そのあまりにも複雑な歴史、民族、言語、宗教

 進境著しいインドは、2027年にはGDP(国内総生産)でドイツ、日本を追い抜いて、米国、中国に続く世界第3位になると予想されています。

 人口は昨年、14億2860万人と推計され、中国(14億2570万人)を抜いて世界一になったというニュースは記憶に新しいです(国連人口基金)。

 まさに、飛ぶ鳥を落とす勢いですが、考えてみれば、インドの発展は今に始まったわけではありません。19世紀から20世紀にかけて、100年近くも英国の植民地になったため、「遅れた地域」の印象が焼き付けられましたが、もともと人類の世界4大文明の一つ、インダス文明(紀元前2600年頃)の発祥地だったんですからね。建国250年そこそこの米国など当時は影も形もありません。何しろ、「零」を発見した民族で、特別に数学に強く、世界中の大手IT会社から引っ張りだこで、グーグルやマイクロソフトなどでインド系の人がCEOも務めていたりしています。

 インドの歴史を一言で語ることは私には出来ません。アショカ王のマウリヤ朝、カニシカ王のクシャン朝など学生時代に一生懸命に覚えましたけど、大方忘れてしまいました(苦笑)。

 それより、インドといえば、何よりも宗教と哲学(ウパニシャッド)の国だという印象が私には強いです。宗教に関しては、日本の外務省の基礎データによると、インドでは「ヒンドゥー教徒79.8%、イスラム教徒14.2%、キリスト教徒2.3%、シク教徒1.7%、仏教徒0.7%、ジャイナ教徒0.4%(2011年国勢調査)」になっています。

 日本を始め、チベットや中国、朝鮮、東南アジアに普及して多大な影響を与えている仏教徒が、本国インドではわずか0.7%しかいないとは意外でした。イスラム教は、パキスタンやバングラデシュがインドから独立してイスラム国家をつくったのですが、インド本国にもイスラム教徒が14.2%占めていたんですね。でも、ほとんどのインド人は約8割を占めるヒンドゥー教徒だということが分かります。

 ですから、インドではヒンディー語が使われているものと思っていたのですが、多言語国家だと知って吃驚しました。ヒンディー語は「公用語」ではありますが、他に州単位で21の言語が公認されているというのです。知りませんでした。本日、この記事を書くきっかけとなりました。

 例えば、インド北東部では「ボージュプリ語」、南インドでは「タミル語」、インド西部では「マラーティー語」、北インドとパキスタンでは「ウルドゥー語」、インド南東部では「テルグ語」、インド東部では「オリャー語」が話されているというのです。タミル語とウルドゥー語はかろうじて知っていましたが、その他は初めて聞く言語ばかりです。

 インドの歴史を一言で語れないのもそのせいかもしれません。あまりにも複雑で、色んな民族が入り乱れているからです。今のアフガニスタン系の人が一時ですが、インドの一部に王朝を築いたこともあります。

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 インド文明の転換点は、紀元前1500年頃のアーリア人の侵入だと言えます。これまで、印欧語族のアーリア人は、インド北西部から今のイラン、アフガニスタンを経てインド大陸に侵攻し、ついに南部のドラヴィダ人のインダス文明を滅ぼしたという説が有力でしたが、最近では、インダス文明の滅亡は、インダス川の氾濫などが要因で、アーリア人侵攻とは無関係という説が有力になっているようです。

 それでも、アーリア人がインドを征服したことには変わりはありません。彼らが信仰していたバラモン教は、現在のヒンドゥー教に発展し、バラモンを頂点とするカースト制度がこの時に社会形成されたと言われています。征服者のアーリア人が被征服者のドラヴィダ人などの上に君臨するといった構図です。

 そうです。やはり、インドといえば、カースト制度の国で、「バラモン」(司祭)、「クシャトリア」(王侯・士族)、「ヴァイシャ」(庶民)、「シュードラ」(隷属民)の四つの身分制度があり、その制度の最下層に「ダリット」と呼ばれる不可蝕民がいます。仏教の開祖ゴータマ・シッダールタ(釈迦)は出家する前は王子でクシャトリア階級でしたから、お釈迦さまでさえバラモン階級から差別されました。そこで、身分の隔たりなく、煩悩凡夫でも誰でも覚りを開くことを導く宗教を打ち立てのでした。その関係なのか、現在のインド仏教は、最下層のダリット階級の人々に多く信仰されていると聞いたことがあります。

 この身分制度は、3500年間、ガチガチで揺るぎないものだと私は思っておりましたが、最近では、「反バラモン運動」なるものが盛んで、これまで高額所得が得られる公務員や大企業の社員などになれるのはバラモン階級ぐらいだったのが、だんだん、その他の階級にも門戸が開かれるようになったといいます。現代インドは共和政であり、為政者も国民による選挙で選ばれるようになっていますからね。

 いずれにせよ、インドの歴史、文明、宗教、哲学はあまりにも複雑過ぎて、とても一言では表現できません。というのも、現在、日本で報道されるインド関係のニュースといえば、モディ首相の動向ぐらいです。あとは、世界最大と言われるインド映画の話題ぐらいですか。「反バラモン運動」が盛んになっていることなど、私は全く知りませんでした。

 今、聴き逃しサービスで聴いている水島司東大名誉教授によるNHKカルチャーラジオ「歴史再発見 走り出すインド」(全13回)で色々と教えてもらっています。

自然界は生存闘争だけの世界なのか?=真の自己に目覚め生き延びる

  相変わらず、ダーウィンの「種の起源」を読んでおります。先日は「自然淘汰」が頭にこびりついて離れない、とこのブログに書きましたが、まだまだありました。「生存闘争」もそうでした。struggle for existence の訳ですが、私の世代は「生存競争」と習い、そう覚えていました。かつての「競争」より新訳の「闘争」の方がどこか熾烈な争いの印象があります。

 生存闘争とは、自然界で、動物も植物も、弱肉強食のジャングルの中で、生き残りを懸けて、熾烈な闘いを繰り広げるということです。それによって、弱者は自然淘汰され、絶滅していくのです。勝ち残った強い者だけが生き残るのです。そこには、ダーウィンの造語ではありませんが、「適者生存」という法則で絶滅を免れたものだけが子孫を残すことが出来て、生き延びていくわけです。

 同じ種や仲間同士でも、雌(もしくは雄)を巡っての闘争があります。勝ち抜いた強者しか自分の子孫が残せないのです。

 このように、自然界は、動物も植物も、絶滅せずに、生存闘争に勝ち抜いて生き延びることが、唯一の目的であり、意味のように見えてきます。それは、動物界霊長目ヒト科ヒト属の人間にも同じことが言えるのかもしれません。つまり、人生には目的も意味もない、ということです。もし、唯一、人生に意味と目的があるとしたら、それは、「生き延びる」ということになります。

 人生に意味も目的もない、と言われれば、誰でも戸惑い、ニヒリズムに陥りますね。しかし、それは現実です。一生には限りがありますから、何をやっても一緒です(個人的にはひたすら善行を積みたいと思っていますが)。人間はニヒリズムに陥って絶望したくはないからこそ、芸術や制度をつくったり、宗教や神を創造したりしているのではないでしょうか。

 個人的にそういう思想といいますか、考えに到達しましたので、「迷える子羊」の友人から悩み事の相談メールがあったので、以下のような話に転化してお応えしておきました。

築地本願寺

 ところで、小生は最近、宗教書を乱読しておりましたが、宗教とは「壮大なフィクション」だということを確信しました。

 キリスト教の場合、イエス・キリストが人間として存在したことは歴史上の事実ですが、イエスが神の子であり、磔刑されて死んだのに復活し、最後の審判が下されるということは、壮大なフィクションです。それらを信じることが出来る人だけが、信者です。

 つまり、信仰とは壮大なフィクションを信じることなのです。そして、「信じれば救われる」という教えです。(確かに法悦の中で救済を得た人もいます)

 仏教も同じことが言えます。

  紀元前5世紀のインド(今のネパール)に釈迦という王子がいて、出家して覚りを開いたことは歴史的事実です。ただし、釈尊は「真の自己に目覚めよ」と覚りを開くことを説いただけで、それ以上の話は壮大なフィクションです。「阿弥陀様を拝めば救済され、極楽に行ける」というのも壮大なフィクションです。特に日本では法然を中心に西方浄土に住む阿弥陀如来を(「選択本願念仏集」などの著作で)「選択」しました。となると、東方妙喜世界にいる阿閦(あしゅく)如来や薬師如来を切り捨てたわけです。同時に北の不空成就如来と南の宝生如来も切り捨てたのです。だから日本人は、阿弥陀如来以外の切り捨てられた仏様についてはほとんど何も知らないのです。しかし、その一方で、阿弥陀如来の脇侍に過ぎなかった観音菩薩も独立して、日本では多くの像が作られるようになりました。広大無辺の慈悲を持つ「観音様」は、「救いの神」として広く信仰されるようになったのです。観音信仰がこれほど篤いのは世界でも日本ぐらいではないでしょうか。

 ただし、阿弥陀如来も観音菩薩も、それに加えて、釈迦入滅後、56億7000万年後に現れるという弥勒菩薩も、もともとペルシャ(イラン)の神様だったと言われます。ゾロアスター教の神ともいわれます。

 仏教は、うわばみのように、あらゆる宗教を取り入れて変容していきます。ジャイナ教、バラモン教、ヒンズー教…等です。挙句の果てには、後期密教では人間の煩悩まで肯定します。性欲も肉食妻帯もライバル同士の仲違いも殺人までも呪術として容認します。とてもついていけません。(後期密教は、日本には伝わらず、チベットに残っているだけです)

 インドは複雑で、とても、一言で言えませんが、根っ子には、インダス文明を築いた南インドのドラヴィタ人を征服したアーリア人がバラモン教を創始し、現在、カースト制度を含めヒンズー教に引き継がれていることがあります。このアーリア人というのは、諸説ありますが、イラン系という説が有力です。嗚呼、それでインドなのにイラン神の影響があったのか、と小生は納得しました。

築地本願寺

 話が長くなるので、一つだけ補足します。

 釈迦は、衆生を救済する神を創造したわけではありません。釈尊はただ「真の自己に目覚めよ」と説いたのです。それは、究極的に、「他者に依存せず、独立して生きよ」ということなのです。釈迦入滅間際に、不安になった弟子のアーナンダが、「師がいなくなったら、我々はどうやって生きていったら良いのですか?」と尋ねた時に、釈尊がそう答えたといいます。

 「他者に依存せず、隷属せず」ということは法華経の思想ですが、小生はそれに「他者を支配せず」を付け加えたいと思います。

 後期密教は、とても信仰出来ませんが、この「他者に依存せず、隷属せず、他者を支配せず、独立独歩で生き延びる」という仏教から派生した思想だけは、私自身、信仰したいと思っています。

 不安や悩みは、六波羅蜜の忍辱(にんにく)や諦念などのメンタルヘルス・ケアで克服出来ます。性悪説に近いかもしれませんが、他者に隷属せず、他者を支配せず、「真の自己」を目指して、小生は残りの人生を生き延びていくつもりです。

現世利益を否定しない仏教=松長有慶著「密教」を読んで

 ここ何日もブログ更新出来ず、週末も、天気が良いのに、家に閉じこもって本ばかり読んでおりました。若者でなくても、「書を捨て街に出よ」ですから、あまり、健康的ではありませんよね…。

 松長有慶著「密教」(岩波新書)を読んでおりました。どうしても密教のことが知りたくなったからです。著者は有名な大家であり、入門書として手頃なのかなと思って、この本を選んだのですが、結構難解でした。密教そのものが、「秘密の教え」ということですから、修行するわけでもなく、灌頂を受けるわけでもなく、本を読んだだけで理解しようとするその心構えがまず間違っておりました。密教は「実践」を重視するからです。密教では、人はそれぞれ皆、仏性という宝を自らの内に秘めているのに、平常は煩悩という雲に覆われて自覚することは少ない。そのため「即身成仏」(行者が肉身を持ったまま現世において悟りを得て仏となる)するための最も有効な方法として瑜伽(ヨーガ)の観法を実践することなどを説いております。

 このほか、本書では「月輪観」や「阿字観」、「五字厳身観」や「五相成身観」、さらには護摩業や陀羅尼真言などの実践が紹介されていますが、素人が自分勝手にやっても効き目がないと思われますので、「師資相承」で正式に師匠から秘伝を授けられることが一番だと思います。

 さて、著名な著者の松長有慶氏は、高野山真言宗総本山金剛峯寺第412世座主で、高野山大学の学長まで務めましたが、先月4月に93歳で亡くなられました。(それなのに、5月の叙位叙勲で、中学、高校長レベルの「正五位」だったことは聊か意外でした。)日本の仏教には色々な宗派があり、空海が開いた同じ真言宗でも弟子が分派して古義真言宗系や真義真言宗系などがあり大変複雑ですが、この本は、その中でも「高野山真言宗」の教えが説かれているということは間違いないでしょう。ということで他宗派に対する批判や優越感? が本書では垣間見えたりします。例えば、60~61ページにはこんな記述が見られます。

 それは「華厳経」とか「法華経」という経典が、釈尊の生涯の中で最晩年のもので、内容がもっともすぐれているというひとりよがりの見解でもあった。

 「ひとりよがり」なんて、書かれたりすれば、サンスクリット語の「サッダルマ・プンダリーカ・スートラ(妙法蓮華経)」を「白蓮華のように最も優れた正しい教えのお経」と大変苦労して翻訳された植木雅俊氏なんか怒るんじゃないかなあ、と思ったりしました。

 法華経だけかと思ったら、他力本願を主旨とする浄土真宗や親鸞に対する揶揄も117ページにあります。

 即身成仏は、行者の力だけによって達成できるものではない。といっても他力を説く仏教のように、如来の救済力だけに頼るわけではない。

 如来とは、阿弥陀如来のことだと思われます。素直に読めば、浄土真宗の念仏よりも真言密教の方が効果ありそうに見えます。

 また、禅宗に対する批判も120~121ページにあります。

 密教の観法は、…行者が仏と一体化するように組織されている。この点、禅宗系の禅定が、…具体性を持たぬ空間とか壁に向かって、一切の現象界の事物を否定し、捨離することによってなりたつのとは対照的である。

 うーん、これを読むと禅では駄目ですよ、と読めなくはありませんね。そう言えば、本書には空海や攪拌、最澄ら密教に関係した人の具体名は当然出てきますが、比較として、道元も栄西も、いや法然も親鸞も日蓮も一切出てきませんでした。なきが如くに。

 それでは、何よりも「一番良いのは密教だ」という話になるかと思ったら、128ページで少し密教批判も出て来たので驚きました。

 日本密教の修法の方法は、密教観法を形式化し、密教的な生命を弱体化させる方向に進まざるをえなかった。

 ここでは、金剛峯寺の座主としてではなく、学者としての中立的立場を通していたので安心しました。この本の初版は、1991年7月19日で、私が購入したこの本は2022年1月17日発行の第33刷なので、実に30年以上もの年月が経過していたことになります。つまり、1991年の記述ですから、その4年後に起きたオウム真理教事件などは一切触れていないので、ジャーナリスティックという意味で、内容が古びていますが、密教の根本思想は変わっていないということでロングセラーになっているのでしょう。

 密教は大乗仏教から5~6世紀頃に派生し(初期密教=雑密)、7~9世紀に隆盛期(中期密教)を迎え、9世紀以降は、特殊な後期密教が起こり、本国インドではイスラム教徒の侵入により13世紀初めに滅亡します。その間、中国にも密教が伝えられますが、9世紀中ごろ唐の18代皇帝武宗による廃仏政策で衰退し、10世紀後半に消滅します。日本には、最新研究では、密教は既に飛鳥時代には入り、平安時代に留学した空海が長安で恵果から直々両界曼荼羅の伝授と灌頂を受けて本格的に入り(東密)、その後、最澄の弟子の円仁(第3代天台座主)や園城寺の別当になった円珍(最近、彼が唐から持ち帰ったパスポート「過所」などが「世界の記憶」遺産に指定されました!)らも入唐し、密教(台密)を伝授され、現在に至ります。後期密教は中国や日本には伝わらず、チベット仏教として受け継がれ現在に至っています。

 ということは、密教は本国のインドと中国では消滅したのに、日本とチベットだけに残っているわけです。

 ただし、後期密教(左道密教という蔑称も)のタントラ(行者の思想、儀礼、生活習慣など)には、わびさびを愛好し、心の平安と清潔感を求める日本人にはそぐわないものがあります。行者たちは、人々が避ける墓場に集まり、禁断の人肉を食らい、人間の排泄物や〇〇(伏字)まで飲食し、女性の行者と交わることを修法と称して実践したりするのです。ここまでいくと、宗教か?という疑問が生まれ、まるでタチの悪い新興宗教のようにも見えます。これも仏教の一派だとしたら、仏教とは何と恐ろしい宗教だと私なんか思ってしまいます。

 著者は、このような非倫理的、反道徳的タントラ主義=タントリズムには、徹底して自己の本源に帰ろうとする、言い換えれば、有限の人間の中に無限の絶対を見つけ出そうとする神秘主義的な宗教の一つの極端な姿を示している(26ページ)とまで言います。インドの後期密教(チベット密教)には、呪術などを使って、人を殺す「呪殺法」や仲間割れを起こさせる「離間法(りげんほう)」も行われ、経典には6種以上の護摩法が記されているといいます。人を救済するのが宗教だとすれば、後期密教は本当に宗教なのか?という疑問も生まれます。

 呪殺なんて、オウム真理教の連中が使っていた「ポア」じゃありませんか。

 以上は、あくまでも極端な例なので、これで密教の習得から遠ざかってしまっては勿体ない気がします。驚くべきことに、密教は、欲望(煩悩)を否定しないといいます。密教では人間的な欲望もまた宇宙生命と繋がっているものなので、これらを全面的に否認せねばならぬと考えません。欲望を肯定することと、断ち切ることは矛盾しないとまでいうのです。つまり、我々の弱点を含んだこの現実世界を全面的に肯定し、その中に理想形態を見出し、現実世界の中に絶対の世界を実現することが密教の理想だというのです。(曼荼羅はまさに宇宙論です。曼荼羅では大日如来が中心で、仏教開祖の釈迦如来は、端っこに追いやられているか、多くの如来の中の一つとして影が薄くなっています。)

 ということで、密教は、現世利益の追求も否定しません。現世利益とは、資本主義的金儲けという意味だけでなく、病気治癒や健康長寿、受験合格、出世、名声、尊敬(「いいね!」ボタン)獲得、除災招福、家内安全といった実に日本人的願望も多く含まれています。

 もともと、密教に異様な興味と関心を抱くようになったのは、東京・新橋の奈良県物産館で、運慶作の「国宝 大日如来坐像」のモデルを購入し、色々と大日如来の意味や意義などを知りたいと思ったからでした。お蔭で金剛界の大日如来には「オン・バサラダト・バン」、胎蔵界の大日如来には「ノウマクサンマンダ・ボタナン・アビラウンケン」と唱えることも知り、毎日のように礼拝していたら、驚きべきことに、ある程度「霊験あらたかなり」の現象が起きたのでした。(この本には陀羅尼の呪文の例が出てきませんでしたが)

 仏教は、開祖の釈迦が真の自己に目覚める悟りを開くという修行の教えから始まり、釈尊を神格化して、出家した声聞、独覚の男性しか成仏できないという小乗仏教となり、そのアンチテーゼで出家在家問わず、そして男女の区別なくあらゆる衆生が覚りを開くことができるという大乗仏教が起こり、さらには、宇宙生命と繋がる自己の仏性に目覚める密教にまで行きついたことになります。その間、インドのバラモン教やヒンドゥー教や、ペルシャ(イラン)のゾロアスター教まで取り入れて、仏教が七色変化していった過程も少し分かりました。

 仏前で、供花したり香をたいたりする行為は、仏教の儀式ではなく、バラモン教から取り入れたものだったことは、この本で知りました。また、この本には書かれていませんでしたが、弥勒菩薩も阿弥陀如来も観音菩薩も、もともとはイランの神で、梵天や帝釈天や不動明王などは、ヒンドゥー教の神々を参考にして取り入れられたものだというので、仏教はうわばみのように周囲の宗教を飲み込んで、発展したいったことも分かります。

 そして、ついに反道徳的な後期密教となり、本国インドでは滅亡したことも何となくですが、薄っすらと分かる気がしました。

他者に依存せず、他者を支配せず=植木雅俊著「思想としての法華経」

 植木雅俊著「思想としての法華経」(岩波書店、2012年9月26日初版)を少しずつ読んでおります。個人的に必要に迫られて読んでいるだけですから、特に、他の皆様にお勧めするつもりはありません。宗教(書)となりますと、最近ではどうも⇒教団勧誘 ⇒多額の布施、寄付 ⇒家庭崩壊 ⇒宗教二世といった、人の弱みにつけ込む悪いイメージばかり、拡散されていますからね。

 でも、この本はどちらかと言いますと、宗教書ではありますが、哲学書、思想書に近いです。(だから、書名が「思想としての」となっています!)植木雅俊氏のはサンスクリット語と漢訳を参照して「法華経」や「維摩経」を平易な現代日本語に翻訳された仏教思想研究家で、「法華経」の翻訳本「サンスクリット版縮訳 法華経」(角川ソフィア文庫)に関しては、この《渓流斎ブログ》でも何度か取り上げさせて頂きました。(「老若男女、身分の差別なく覚りを啓くことが出来る思想」「心の安寧を求めて法華経に学ぶ」「観音さまは古代ペルシャの神様だったのか?」など)

 この本は、植木氏御本人が、悩める若き頃、九州大学で物理学を専攻しながら、何故、全く畑違いの法華経に惹かれていったのかといった経緯や、翻訳に際しての苦労話、そもそも釈迦が説法した仏教とは何なのか、そして仏教はどのように変遷していったのか、時系列に解説してくれているので入門書として丁度いいかもしれません。特に、植木氏は自然科学者ですから、良い意味で枝葉末節に非常に拘り、原本であるサンスクリット語を丹念に参照しないで、「推定」で論を進める東京大学出身などの権威者による先行研究に対する批判が度を超すほど妥協がなく、その舌鋒の鋭さは常軌を逸するほどです。サンスクリット語の複雑な文法や用例も例証して論破しているので、植木氏の方に軍配が上がると私も思います。

有楽町「バンゲラズ キッチン」

 特に、「法華経」というタイトルです。サンスクリット語で「サッダルマ・プンダリーカ・スートラ」と言います。「サッダルマ」は、「サット」(正しい)と「ダルマ」(法、教え)の複合語で「正しい教え」、「プンダリーカ」は「白蓮華」、「スートラ」は「経」を意味します。これを、月支系帰化人の末裔として敦煌に生まれた竺法護(じく・ほうご=239~316年)は「正法華経」と漢訳し、西域の亀茲(きじ)出身の鳩摩羅什(くま・らじゅう=350~409年)は「妙法蓮華経」(略して「法華経」)と漢訳しました。

 日本では、岩本裕博士によって「正しい教えの白蓮」と現代語訳され、長年、この訳が大半で採用されましたが、植木氏は異議を唱え、サンスクリット語の文法からも「白蓮華のように最も勝れた正しい教え」と訳すのが正しいと主張されたのでした。詳細はこの本に譲りますが、確かに説得力があり、植木氏翻訳の方が良いと私も思います。ただし、新聞協会の用語では、「勝れた」は「常用漢字表にない音訓」ということで使えず、「優れた」を使います。ということで、法華経とは、「白蓮華のように最も優れた正しい教えのお経」ということになります。

 何故、数多あるお経の中で、法華経なのかに関しては、日本の歴史上の人物がかなり多く影響を受けていることを本書で取り上げています。例えば、「源氏物語」の紫式部、「更級日記」の菅原孝標の女、「梁塵秘抄」を編纂した後白河法皇、歌人藤原俊成、俳人松尾芭蕉、文楽の近松門左衛門、それに私も大好きな長谷川等伯や本阿弥光悦らもです。近代になると宮沢賢治や石原莞爾辺りになるでしょうか。また、法華経に影響を受けた宗教家として天台宗の最澄と日蓮宗の日蓮(それに「国柱会」の田中智学や血盟団事件の井上日召も入れますか?)はあまりにも有名ですが、曹洞宗の道元もそうだということで自らの不勉強を恥じました。主著「正法眼蔵」に引用された経典は「法華経」が最も多いというのです。

 このように、法華経は経典だとはいえ、特定の教団や宗教家の専有物ではなく、人類の知的遺産として誰のものでもある、というのが私の考えです。人間というものは、か弱く、生きているだけで、苦しみや悩みが尽きません。稀にみる平等思想を説いた法華経には、必要とする誰もが簡単にアクセスする権利があると思っております。

牧野富太郎先生に何の花か聞きたい

 物理学を専攻する学生だった植木氏は、中村元著「ブッダ最後の旅」の中で目を見開かされる文章に出合います。それは原始仏典の「自帰依」「法帰依」に書かれたもので、

 「この世で自らを島とし、自らを頼りとして、他人を頼りとせず、法を島とし、法を拠り所として、他のものを拠り所とせずにあれ」というフレーズです。植木氏はこれを読んで「虚栄心の塊で毀誉褒貶にとらわれ、他人の視線ばかり気にしていた自分が恥ずかしくなった」といいます。

 この「自帰依」「法帰依」は、釈尊亡き後に、誰を頼って生きていったらよいのか不安を抱く弟子のアーナンダ(阿難)に対して、釈迦が遺言のように説いたものだといいます。

 植木氏はこう言います。「これは、他者に依存しようとすることを戒めた言葉である。…一人の人間としての自立した生き方は、他者に迎合したり、隷属したり、依存したりするところから生まれてこない。自らの法(ダルマ、理法)に目覚め、それを拠り所とするところに一個の人間としての自立と尊厳が自覚される。それが仏法の目指したものである。」

 この本の中で、この箇所を私も大変感動して読みました。人はか弱いので、どうしても他者とつるんでしまいがちです。それが人間ですから。しかし、他者に迎合したり、隷属したり、依存したりせず、自らの法に目覚めること。それが覚りだとしたら、断食やら千日回峰やらの苦行をせずとも、在家でもできそうです。

 私がもう一つ付け加えるとしたら、「他者を支配しない」ことですね。国家を名分として他国を侵略することも含まれます。他者に依存しないということは、同時に他者を支配しないことであり、孤立無援を恐れないということにつながると思います。

 ということで、この本は必要に迫られた人が読む本であり、思想書としてよく考えさせられ、良書だと思います。

【追記】2023年5月18日

 やっと読了できました。正直、かなり難解な本でしたが、個人的には、大変信頼できる、これから仏教を学ぶ上での羅針盤のような本だと思いました。筆者の植木氏によると、法華経とは釈尊が多くの衆生に分け隔てなく分かってもらえるように比喩を多用して平易に述べた言葉(お経)だというのですから、斜に構えたりせず、そのまま純真に受け止めたいと存じます。

 補足したいことは釈迦(紀元前463~383年)入滅後の流れです。まず、原始仏教では、在家や女性も排除されていなかったのに、紀元前3世紀末頃、「部派仏教(小乗仏教)」が起き、釈尊が神格化されます。そして、苦しい修行を経た出家した男子だけしか覚りを開けないという思想となり、在家や女性を軽視するようになります。代表的なのが「声聞」と「独覚(縁覚)(辟支仏=びゃくしぶつ)」です。声聞は、声聞乗(シャラーヴァカ・ヤーナ)に乗り、目的地「阿羅漢果」を目指しますが、「仏陀」にまでは到達しません。独覚は、独覚乗(プラティエーカ・ブッダ・ヤーナ)に乗り、「独覚果」を目指しますが、やはり仏陀にまで到達しません。声聞と独覚を二乗と言います。紀元前2世紀頃、小乗の有力教団だった「説一切有部」などが菩薩という言葉を使い始めます。

 この後、紀元前後に「釈尊の原点に帰れ」という復興運動が始まり、「大乗仏教」が起こります。大乗は、菩薩の立場から、在家と出家の男女が覚りを開くことができますが、小乗仏教の声聞と独覚の二乗は除きました。菩薩は、菩薩乗(ボーディサトヴァ・ヤーナ)の乗って、仏陀を目指します。つまり、出家しようがしまいが、男だろうが女だろうがいずれも覚りを開くことができるという思想です。

 しかし、これでもまだ足りない。そこで、紀元1~3世紀初めに生まれたのが法華経です。植木氏が翻訳した「白蓮華のように最も優れた正しい教えのお経」です。大乗仏教が排除した声聞、独覚の二乗も含む一切衆生(出家、在家の男女)を「一仏乗」(ブッダ・ヤーナ)に乗せて覚りを開くことに止揚した、誰一人差別のない究極の思想(皆成仏道=かいじょうぶつどう)が法華経だったのでした。

 

密教が少し分かったような…=「縁」と「運」を大事に

 またまたちょっとした偶然に巡り合いました。かつて流行(はや)った言葉を使わせて頂ければ、セレンディピティということになるのでしょうか。

  まず一連の流れからご説明致します。今年3月にランチで新橋の「奈良まほろば館」(奈良県の物産店)に行ったところ、偶然、運慶作の国宝「大日如来坐像」のミニチュアがあり、迷わず購入したことをこのブログで書いたことがあります。

 何故、購入したのかと言いますと、私の「守護仏」が誕生の干支(未・申)で大日如来だということを知り、「いつかお守りとして欲しいなあ」と思っていたのでした。奈良まほろば館で展示されていた坐像には、ただ「大日如来像」と書かれていただけでしたが、御顔立ちが気品に満ち溢れて素晴らしく、価格も手頃でしたので躊躇せず購入しました。後で調べたら、それは、奈良県の円成寺の運慶の20代のデビュー作と言われる大日如来像がモデルだったことを知り、二重の喜びでした。

 さて、毎日拝むことにしましたが、何と唱えたらいいのでしょうか? 浄土系の「南無阿弥陀仏」や法華経の「南無妙法蓮華経」は使えません。大日如来は密教の根本神です。後からまた詳しく書きますが、私は密教に関してはそれほど知識がない、と言いますか、大日如来は阿弥陀仏どころか、仏教を説いた釈迦如来まで「手下」として従えてしまっています(両界曼荼羅)。「密教って、仏教じゃないんじゃないのか?」といういわゆる偏見があったのです(後で少し訂正致します)。

 そこで、密教の勉強を始めることにしました。ちょうど、表紙写真の「密教でひも解く禁断の日本史」(宝島社、2023年5月10日発行となってます)を新聞の広告で見つけたので(最新知識が欲しいので)、早速購入してみました。なるほど、色々と初心者でも分かりやすく基本的なことが書かれています。ただし、文字だけでは分かりづらい点も多々ありました。

 そしたら、偶然にも、会社の同僚が「今、ラジオの聞き逃しサービスで、空海さんの特集をやってますよ」と教えてくれたのです。その番組は、奈良国立博物館の西山厚名誉館員による「NHKカルチャーラジオ 歴史再発見 生誕1250年 空海と日本の密教」というシリーズでした。全13回放送される予定で、5月1日現在、4回分がネット上でアップされています。(スマホのアプリでも聴くことが出来ます)

 講師の西山氏の語り口が絶妙で分かりやすいので実に面白い。あまりにも面白いので、昨晩は、4回分(1回30分間)を一気に聴いてしまいました(笑)。一番驚いたのは、密教というのは、平安時代初期に遣唐使として長安に渡って、恵果から灌頂を受けた空海から日本に初めて齎されたと思っていたのですが、何と、その前の飛鳥時代に既に密教が日本に入っていたというのです。十一面観音像や葛井寺の千手観音像などは密教(の具現化)だというのです。

 仏教は紀元前5世紀、カースト制を是認するバラモン教に対するアンチテーゼとして、釈迦によって教義が開かれ、その500年後に出家者だけでなく広く衆生救済を主眼とした大乗仏教が生まれ、そのまた500年後、つまり釈迦から見て1000年後の紀元5~6世紀に密教が生まれます。細かく言うと、飛鳥時代の密教は初期密教、九世紀の空海が唐から持ち帰ったのは中期密教で、後期密教はチベット仏教になり、後期は日本には入って来なかったといいます。でも、空海の師に当たる恵果(けいか、746~805年)は、そのまた師匠に当たる「金剛頂経」の不空(ふくう、705~774年)から金剛界を、「大日経」の一行(いちぎょう、683~727年)からは胎蔵界の密教をそれぞれ伝授されて、両界を統一させて中期密教を完成させた高僧でした。この金剛界と胎蔵界の両界が二つそろって初めて効能があるというのです。その後、中国では密教は衰退してしまうので、日本人の空海(774~835年)が継承出来たことはまさに奇跡的です。

 先ほど、大日如来を拝む際に、何と唱えたらいいのか? と自問自答しましたが、以下の通りになるわけです。つまり、

 金剛界大日如来(忍者のように胸の前で智拳印を結んでいます)は、梵語(サンスクリット)で「オン バザラ ダト バン」と言います。これがなかなか覚えられないので、意味を調べましたら、「オン」とは帰依するという意味で、「南無」と同じような使い方なのでしょう。「バザラ」は金剛で、ダイヤモンドのこと。ダイヤモンドのように硬くて傷付かない智慧のことです。「ダト」は界のこと。「バン」は大日如来の種子字です。種子字とは、尊称的な梵字の表記です。種子とは、仏教用語で、阿頼耶識(無意識)の中に蓄えられている膨大な記憶や業を指しますが、物事を引き起こす要因とも言われます。金剛界大日如来は智慧の象徴です。

 もう一つ、胎蔵界大日如来(座禅を組むように両掌を重ね合わせています)は「ノウマク サンマンダ ボダナン アビラウンケン」です。これも覚えにくい(笑)。「ノウマク サンマンダ ボダナン バク」は釈迦如来になるので、大日如来はアビラウンケンだけでも良いかもしれません。アビラウンケンは、宇宙の生成要素の地、水、火、風、空を表していると言います。胎蔵界大日如来は慈悲を象徴します。

 宗派によって、両界の大日如来の唱名の仕方はこれとは違う場合もありますが、いずれにせよ、密教とはまるで宇宙論に近いですね。

 以前、私自身「密教は仏教ではないのではないか」と疑問に思っていたのは、両者があまりにも違うからです。仏教と言えば、覚りを啓くために厳しい修行を重ねて、煩悩を否定し、肉食妻帯せず、飲まず食わず、夜も寝ないで、只管お経を唱えて自分自身を追い込んで苛め抜くイメージがありました。まさに、千日回峰行です。それが密教となると真逆になるのです。

 密教修法の一つに護摩焚きがありますが、その目的とは「息災」「増益(ぞうやく)」「敬愛」「調伏(ちょうぶく)」の4種類があると「密教でひも解く禁断の日本史」(宝島社)に書かれていました。これだけ読んだだけでは私はよく分からなかったのですが、ラジオの「空海と日本の密教」を担当している西山厚氏は、見事に分かりやすく解説してくださいました。こんな感じです。

 「息災」とは、マイナスをなくそうとすることです。「増益(ぞうやく)」とはプラスを増やすこと。「敬愛」は人から好かれたいと思う心。「調伏(ちょうぶく)」は、嫌な奴を何とかしてやりたいという気持ち。これらは全部、欲望です。でも、密教ではそれらを否定しないのです。それどころか、空海は、食欲も性欲も否定せず、「罰はない」とまで言ってます。

 そっかあー。私は目から鱗が落ちるように密教の根本を理解することが出来たような気がしました。当然のことながら、密教も仏教(の宗派)だったのです。

 先日お墓参りした親友の菩提寺は真言宗豊山派であることをこのブログにも書きました。となると、何か,みんな繋がっているような気がして来たのです。「ご縁」です。以前、京都の東寺や和歌山県の高野山金剛峰寺にお参りして空海の世界にどっぷりつかったことがありましたが、密教の奥義を理解するまではなかなか至りませんでした。もっと密教を深く知りたいと思うきっかけになったことが親友の菩提寺もその一つでした。これを縁だったんですね。

 最近、自分自身のこれまでの人生体験から、常々思っていることは、人生とは、60%が両親や御先祖様から受け継いだDNAによって決定されますが、残りの20%は「縁」、最後の20%は「運」で決まると思っています。偶然はご縁の一つだと考えています。

 このことに目覚めてから、毎日、「縁」と「運」を大事にしながら、一生懸命に生きております。

心の安寧を求めて法華経に学ぶ

 相変わらず、植木雅俊訳・解説のサンスクリット版縮訳「法華経」(角川ソフィア文庫)を少しずつ読み続けております。

 「はじめに」によると、「法華経」が編纂されたのは、紀元1世紀末から3世紀初めのガンダーラを含むインド西北だと考えられ、釈尊が入滅して500年も経過していたといいます。となりますと、21世紀に生きる人文科学者たちには、当然のことながら、このお経は、歴史上の実在人物である人間ゴータマ・シッダールタ(釈迦)が一人で直接、本当に説法したものではなく、後世の弟子たちによって創作されたものも含まれているのではないかという疑念が生じることでしょう。

 私は、仏教を信仰する信者、信徒、門徒の人たちや僧侶に怒られるかもしれませんが、それでも構わないと思っております。いくら超天才のお釈迦様でも、万巻のお経を全て自ら独りで著すことは物理的にも無理でしょうから。お経に関しては、最初にまとめられたとされるお経は「阿含経」と言われ、小乗仏教の経典になりますが、次第に厳しい苦行を経て修行した一部の者しか成仏できず、女性が成仏できるわけがないという差別的、特権階級的宗教になってしまいました。それが、西暦紀元前後から大乗仏教運動が起こり、「般若経」を始め、「法華経」「維摩経」「阿弥陀経」など多くの経典がつくられます。それは、一言で言えば、特別な人ではなく、老若男女のあらゆる衆生が身分や階級の差別がなく成仏できるという本来釈迦が唱えた「原始仏教」に帰れといった運動でした。

 よく誤解されますが、成仏というのは、死んだ後にあの世に行って仏になるという意味ではなく、全ての人には仏になれる性質、つまり「仏性」を持っているので、本来自分自身に備わっている仏性に目覚めて、現実世界で悩みや苦しみを乗り越えて生を充実させる生き方を覚ることが成仏と言われています。特に、この「法華経」には、成仏のための方便が描かれています。訳者の植木氏によると、この方便とは、ウパーヤの漢訳で、ウパは「近くに」、アヤは「行くこと」で「接近」を意味し、英語のアクセスに当たるといいます。仏典では、衆生を覚りへと近づけるための最善の方策、という意味で使われます。

 法華経は、特に日本の仏教にも影響を与え、天台宗と日蓮宗が所依経典としています。(真言宗は紀元6世紀頃につくられた密教の「大日経」などを所依経典とし、浄土宗、浄土真宗などは、「阿弥陀経」など浄土三部経を所依経典とし、臨済宗、曹洞宗の禅宗には所依経典がないといいます。)

 実は、私は、この法華経を、ひとかけらの批判精神もなく、ただただ盲目的に信じて一言一句を読みながら、脳裏に焼き付けているわけではなく、取り敢えず、初めて遭遇する専門的な仏教用語に悪戦苦闘しながら、読み続けております。それでも、植木氏の翻訳と解説が大変分かりやすいので、本当に読み易くて助かっております。(私が購入した本は、2022年11月25日発行で、何と16刷です。かなり多くの人が「法華経」を求めていることが分かります)

 さて、やっと本文に入ります。第7章の「化城喩品(けじょうゆぼん)」には、16人の王子たちが、この上もなく正しい覚りを得て仏陀(如来)になった様が描かれています(140~141ページ)。何処に、どなた様がいらっしゃるかと言いますとー。

【東】歓喜の世界

(1)阿閦(あしゅく)如来

(2)須弥頂如来

【東南】

(3)獅子音如来

(4)獅子相如来

【南】

(5)虚空住如来

(6)常滅如来

【西南】

(7)帝相(たいそう)如来=インドラ神の旗を持つ

(8)梵相如来=ブラフマー神の旗を持つ

【西】

(9)阿弥陀如来

(10)度一切世間苦悩如来

【西北】

(11)多摩羅跋栴檀香神通(たまらばつせんだんこうじんつう)如来

(12)須弥相如来

【北】

(13)雲自在如来

(14)雲自在王如来

【東北】

(15)壊一切世間怖畏(えいっさいせけんふい)如来

【中央】娑婆(しゃば)世界

(16)釈迦牟尼如来

 やはり、法華経でも、西方の極楽浄土にいらっしゃるのは阿弥陀如来だったことが説かれています。そして、お釈迦さまがいらっしゃるのは、中央の娑婆世界だったとは! 娑婆とは、刑務所用語かと思っていました。いや、訂正して撤回致します。これは、これは、罰当たりなことを申して大変失礼致しました!

 この如来様の配置図で、法華経が分かったつもりになって安心していたら、第15章の如来寿量品(第十六)の植木氏の解説(273ページ)を読むと「あっ」と驚くことが書かれていました。

  歴史的に実在した人物は釈尊のみであった。「神が人間を作ったのではなく、人間が神を作ったのだ」という西洋の言葉と同様に、釈尊以外の仏・菩薩は人間が考え出した架空の人物である。 

 えっ!? 本当なのでしょうか? もし、そうなら、釈迦如来の脇侍である文殊菩薩も普賢菩薩も架空だということなのでしょうか? 特に、「智慧第一」の文殊菩薩は、釈迦の弟子マンジュシリーの名で、この法華経にも何度も登場しますが…。

 その一方、弥勒菩薩は、釈尊入滅後の56億7000年後に現れる未来仏と言われていますが、こちらは、どうも、実在するとは思えません。何故なら、地球が誕生して46億年しか経っていないこと、そして、太陽の寿命から、地球の寿命もあと50億年しかもたないことを現代人は知ってしまっているからです。

 それに、法華経序品で描かれるマイトレーヤ(弥勒)菩薩は、意外にも、心もとない菩薩として描かれていて驚いてしまいました。つまり、弥勒菩薩の過去は、名声ばかりを追い求めて、怠け者だったというのです。植木氏の解説では、「これは、歴史上の人物である釈尊を差し置いて、イランのミトラ神を仏教に取り入れて考え出されたマイトレーヤ菩薩を待望する当時の風潮に対する痛烈な皮肉と言えよう」と書かれています。古代ペルシャ(イラン)の宗教の中にはゾロアスター教も含まれています。ゾロアスターとは、ニーチェの言う「ツァラトゥストラ」です。

 なるほど、そういうことでしたか。仏教は、今から2500年前に、ジャイナ教やバラモン教などの影響を受けながらお釈迦さまによって創始されましたが、その後、ゾロアスター教やヒンズー教(密教)を取り入れて変容していきました。色んな経典が出来たのも、そのためなのではないかと思われます。

 法華経は、日本人が最も影響を受けた経典の一つであることは間違いなく、私自身は、先人に倣って、謙虚に学んでいきたいと思っております。

 それなのに、仏教が生まれた本国インドでは、仏教は下火となり、厳しいカースト制度のあるヒンズー教が現在、優勢になっているのはどうしてなのか? 人間とは差別、身分社会こそが本来の姿なのか? 格差がないと、観光資源になるような文化は生まれて来ないのか? 仏教はあまりにも平等思想を吹き込み過ぎたのか? 仏教の説く覚りは、やはり、煩悩凡夫では無理で、次第に人々の心から離れて行ってしまったのか? そもそも、人類にとって、救済とは何か?ーまあ、色々と考えさせられながら、今、法華経を読んでおります。

仏教に救いはない? 一神教と多神教の違いは?

 何か、誰かから追い立てられているような感じがしますが、パスカルの「パンセ」(中公文庫)を読破し、橋爪大三郎+大澤真幸「ゆかいな仏教」(三笠書房)を読了し、今、同じ二人による対談「ふしぎなキリスト教」(講談社現代新書)を読んでいるところです。

 乾いた土が勢いよく水を吸収するように、私の乾いた脳に知識のシャワーを浴びせられているような気分で、お蔭さまで平常心を取り戻しつつあります。

 それでは、これまで平常心ではなかったのか、と聞かれますと、その通りです。ここ数カ月、生きている畏れと不安と虚無感に襲われていて落ち着けませんでした。ただし、軽症で、夜も眠れないほど、といった重症ではありませんが、毎日、張り合いがないといいますか、砂を噛むような味気ないといった感傷と言えば当たらずとも遠からずです。

 仏教の基本思想である「因果応報」を持ち出して、原因について考えてみると何個か複数思い当たるフシがありました。その一つに、友人知人にメールを出しても返信が来ない、といった子供染みたものがありました。「何か悪いことでもしたのか?」「向こうは自分など何とも思わず、メール自体が迷惑だと思っているのかしら?」などと余計な勘繰りばかり先立ってしまい、心を不安定にさせていたのです。

 でも、時間が経てば少しずつ解決されていきます。例えば、昨日の渓流斎ブログで書きましたが、このブログのサイトの技術面で大変お世話になっていた松長哲聖氏に何度も連絡を取っても繋がらず、反応もなく、落ち込んでいたら、何と、彼は既に7月に亡くなっていたことを知ることになったわけです。語弊を恐れずに言えば、これで何か区切りが付いた気がしたのでした。

 悲しくも若くして亡くなった松長氏ですが、逆に、生き残った我々に勇気を与えてくれました。例えば、「メメン・トモリ(いつか死ぬことを忘れるな)」、そして、明石家さんまさんが口癖のように言う「生きているだけで丸儲け」…。「せっかく生命があるのだから、もっと一生懸命に生きてください」と叱咤激励されている感じがしたのです。

 不安と畏れに駆られていた時に手に取ったのが、先述したパスカルの「パンセ」と橋爪大三郎+大澤真幸の対談「ゆかいな仏教」と「ふしぎなキリスト教」でしたが、心の癒しになったことは確かです。こんな精神的なお薬はありませんでした。特に、後者の「ゆかいな仏教」と「ふしぎなキリスト教」の二冊から学び取ったことは、結局、「人生とは心の持ちよう次第」だということです。

ロンドンではなく東銀座

 「ゆかいな仏教」の中で、「仏教に『救い』という考え方がない」という橋爪氏の発言には本当に吃驚しました。そもそも、仏教という宗教は、釈迦が覚りを開いたということを(言葉で言い表せないが)信じ、衆生も努力次第で、本人がいつか仏陀になれる、ということを信じること。だから、仏陀になった釈迦も、他者を覚らせる(救済)ことは出来ない、と説明されれば、少し分かった気がします。(原始仏教では、出家者はビジネスをしてはいけない。お金を触ってもいけないので在家の布施によってしか生き延びるしかない。また、本来、仏教は葬式を営まなかった。仏教は、アンチ・カースト制から始まったというのは納得。)

 そもそも、人生とは自分の思い通りにはいかない⇒人生は苦である⇒しかし、人生はなるようにしかならないだけ⇒甘い期待や幻想を抱かずにあるがままに受け入れる⇒全てがプラスになる⇒苦は実体がないので、苦は苦だと思わなければよい、といった「思考法」=「心の持ちよう」が、たとえ「仏教に救いはない」と言われても、私自身には救いになりました。

◇◇◇

 「ふしぎなキリスト教」では、「ユダヤ教とキリスト教はほとんど同じで、イエス・キリストがいるかいないかの違い」とか「ユダヤ教には原罪という考え方はない」「罪とは『唯一神ヤハウェに背く』こと」「原罪とは、しょっちゅう罪を犯すしかない人間は、その存在そのもが間違っているという考え方⇒キリストによる贖罪」「サタンとは本来、『反対者』『妨害者』という意味で、中世キリスト教でおどろおどろしく描かれた悪魔ではない」といった私自身が認識不足だったことが、明解に説明されて、妙に心に残りました。

 また、一神教(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教)と多神教の宗教の違いで、こうも考え方が違うのか、といった好例がありました。

 人生には理不尽なことが起きる。何故、自分の家族だけが重い病や障害や事故に襲われるのか?何故、自分の努力が報われないのだろうか? 世の中、悪がはびこり、裏切り、寝返り、詐欺、迫害が続く…。仏教や神道のような多神教だったら、それは運が悪かったとか、悪い神様のせいだと考えれば済むことがある。しかし、一神教の場合、そういうわけにはいかない。全ての出来事は神の意思によって起こるからだ。そこで、「祈り」という神との不断の対話が繰り返されることになる。

 嗚呼、そういうことだったんですか。…これで少し、違いが分かったような気になりました。

 そこで、究極的には、宗教の信者や信徒や門徒になるということは開祖の奇跡を信じることができるかどうかの違いだと思いました。キリスト教なら、イエスの復活や最後の審判などです。仏教なら、陰徳を積めば極楽に行けるといったような因果律を信じることができるかどうか、といった問題です。私の場合、いずれも懐疑的ですから、キリスト教徒にも仏教徒にもなれないでしょう(苦笑)。ですから、宗教に救いを求めようとしたこと自体が間違っていたのかもしれません。

 それでも、私は寺社仏閣や教会にはお参りします。人生とは心の持ちよう次第です。私自身、「メメント・モリ」「生きているだけで丸儲け」だけでも信じられるからです。

仏陀の教えの本質が分かる本=「ゆかいな仏教」(三笠書房)

 実家に行く途中にある西武池袋線「秋津」駅近くにある本屋さんに立ち寄ったら、偶然、ある本を見つけて、すっかりハマってしまいました。こんなこと、ネットでは味わえないことです。

 だから、私は、出来るだけ本屋さんがアマゾンの影響でつぶれないように、暇さえあれば、何処でも本屋さんに行くことにしています。

 偶然見つけた本は「ゆかいな仏教」(三笠書房)という文庫本です。2022年10月5日が「第一刷」となっているので、随分さばを読んでいます(購入したのは9月17日=笑)。10年程前に出た単行本の文庫化らしいので、既にお読みになった方も多いかもしれません。

 でも、これが、めっちゃ面白い。社会学者の橋爪大三郎さんと大澤真幸さんとの対談をまとめたものなので、とても分かりやすい。お二人とも、仏教徒でもキリスト教徒でもない第三者のような感じで、宗教学が専門でもないので、社会学者として純粋に学問的、哲学思想的にアプローチしているように見受けられます。特に橋爪氏はほぼ断定的に語っているので、関連書籍は数百冊どころか数千冊、いや数万冊は読破している感じです。

 とにかく、私自身が何十年も疑問に思っていた「仏教とヒンドゥー教との関係」「仏教とキリスト教とユダヤ教との違い」「何故、仏教はインドで下火になったのか?」「カーストとは何か?」「そもそも仏教は何を目指しているのか?」といったことを明解に答えてくれるので、まさに目から鱗が落ちるといいますが、目が見開かされます。

 まず、仏教とは何か? 紀元前5世紀ごろ、実在したゴータマ・シッダールタ(釈尊)という王子が29歳で出家し、艱難辛苦の修行を経て、6年後の35歳で覚りを開いたことを端に発する運動のことで、釈迦が何を覚って仏陀になったのか、お釈迦様にしか分からない。言葉では言い表せない。でも、誰でも覚りを開いて涅槃(ニルヴァーナ)の境地に入ることが出来る(一切衆生悉有仏性=いっさいしゅじょうしつうぶっしょう=生きとし生けるものはすべて生まれながらにして仏となりうる素質を持つ)。たとえ覚りを開くことができる人は、何十億年に一人の確率であっても、それを信じるというのが、大雑把に言って仏教という宗教だといいます。

 橋爪氏は言います。

 「仏陀というのは人間なんです。あくまでも。人間が、人間のまま、仏になる。これを成仏という。…このことに集中している仏教は、神に関心がない。神なんかなくてもいいと思っている。人間は、神の力を借りず、自分の力で完璧になれると思っている。こういう信念なんです。」(47ページ)

 へー、そうでしたか。…橋爪氏はこんなことも言います。

 「仏教の場合、…覚るのは自己努力(世界をどう認識するかという問題)だから、覚っていない人間に第三者が覚らせることはできない。原理的にできない。」(205ページ)「仏教にもよく探せば、『阿弥陀仏が来迎して救ってくれる』という考え方がありますけれど、これは浄土系のかなり特別な考え方で、仏教には、仏が主体的に人間を救うという考え方は、もともとないのです」(207ページ)「仏教には救済という考え方はないが、(キリスト教など)一神教には、救いというものがある。一神教では、神が救済する主体。人間が救済される存在。救うか救わないかは、神の一存で決まる。」(209ページ)

 あらまあ、仏教に救済という考え方がもともとなかったというのはショックですね。浄土系が特殊というのも衝撃的です。日本(の仏教)では、浄土系の観音様信仰が根強く、救い求めるから仏教が宗教だと思っておりましたから。

 私自身、仏教について、嫌だなあ、と言いますか、とても付いていけないなあと思ったことは、仏教が「人生とは苦なり」ということを見つけたことです。生老病死、愛別離苦、怨憎会苦といった四苦八苦のことです。身も蓋もないではありませんか。しかし、橋爪氏の手にかかるとこうなります。

 「仏教にいう苦は、自分の人生が思い通りにならない、ということに等しい」(88ページ)「自分の人生が思い通りにならないのは何故なのか。一つの結論は、人生についてあらかじめこうであると考えているから、そうなるわけです。むしろ、人生は、客観的な法則によって、なるようになっているだけ。だとすれば、あらかじめこうであるべきだというふうな甘い期待というか、幻想というか、そんなものを端的に持たないようにすれば、百%掛け値なしに、人生をあるがままに享受できる。全てをプラスと受け取ることができる。こういうことを言っているだけ。だからむしろ、ポジティブな考えだと思うんです。」(89ページ)

 橋爪氏はこの考えをさらに進め、仏教の言う「苦」についても一刀両断です。

「苦の場合、人間はそれを自分で取り除くことがきる。取り除くというか、問題はものの見方なのです。苦には実体がない。苦を苦と思わなければいい。ともかく、苦を自分で取り除くことが出来る。苦から自由になれる、と認識しているのが正しい」(94ページ)

 どうですか?この本を読むと勇気が湧くのは私だけではないと思います。

 登場する橋爪氏は1948年生まれ、大澤氏は1958年生まれ。10歳年下の大澤氏が橋爪氏に質問する形で対談は進みますが、大澤氏は、プラトンやカントやマックス・ウエーバーまで導入して比較し、先輩の橋爪氏よりさらに深い教養があるように見え、橋爪氏が一言しか答えないのに、何十倍もの量で質問するところが面白いです。いずれにせよ、当然のことながら、学者さまの学識の深さには圧倒されるばかりです。

【追記】

 二人が2012年に対談して出版した「ふしぎなキリスト教」(講談社現代新書)も昨日、慌てて、家の近くの本屋さん(とは言ってもバスで15分)に走って買いに行きました。

 

十一面観音ではなく、九面観音様では?

 昨日8月15日は、終戦記念日ということで、戦没者の皆様方の慰霊と追悼の意味も込めまして、東京・上野の東博で開催中の「国宝 聖林寺十一面観音」特別展(9月12日まで)にお参りに行って来ました。

 コロナ感染拡大で、「過去最多」を更新し、全国的な大雨前線の影響で、都心もかなりの大雨でしたが、釈正道老師のお薦めもありまして、馳せ参じました。

 せっかくですので、しっかり予習をしていきました。まず、十一面観音とは?

 観音とは観世音菩薩のことで、菩薩とは最高の如来になるために修行している人のことでしたね。俗に観音様といわれ、日本人の信仰が篤いので、最も知られているのではないでしょうか。阿弥陀如来の脇侍でもあり、観音経によると、聖観音、千手観音、如意輪観音など三十三身が示現するといいます。十一面観音もそのお一人となります。

 そのものズバリ、お顔(面)が十一あるのが十一面観音です。本体の他に、頭上に10の面があるのです。まず、正面に3面ありますが、お顔は慈悲相(仏の教えに従う人に慈悲)を表します。左の3面は忿怒相で、仏の教えに従わないで好き勝手なことをしている人(貴方かも?)に怒りを表しています。そして、右3面が、善行の人を褒め称える白い牙相となっています。最後に、後ろの1面は、笑面といい、ゆとりを表しています。正面3+左3+右3+後ろ1=10となりますが、これは仏様の「十の誓願」を表しています。それはー。

(1)諸病の苦をとる

(2)如来の愛護を得る

(3)財宝を得る

(4)敵の危害から守る

(5)上司の庇護を受ける

(6)毒蛇、寒熱の苦を免れる

(7)刀杖の害を受けない

(8)水に溺れない

(9)火に焼かれることがない

(10)天命を全うすることができる

奈良・聖林寺「十一面観音像」特別展

ーということで、この観音様を拝むと災害から免れると信じて、平安時代は特に盛んに崇拝されたといいます。作例が多いので、国宝に指定されている像は全8体ともあります(滋賀・向源寺、奈良・法華寺、京都・観音寺、大阪・道明寺、岐阜・美江寺など)

 これだけ、予習したのでバッチリです(笑)。

 ところが、いざ、実際、実物に相対して、お顔の数を数えてみると本体の他に頭上には8面しかないのです!あれっ?これでは、十一面観音ではなく、九面観音ではないでしょうか?

 間違いないと思います。私はこの観音様の周りを20回ぐらい巡回して数えましたから…。こんな怪しい行動を取るのは、世界広しといえども、私一人ぐらいだと思います。周囲の人は私を白い眼で見ていました(笑)。正面3面、左3面、右2面、後ろ0面=8面でした。(恐らく聖林寺では後ろまで拝観できないことでしょう)

 まさに、子どものように「王様は裸だ!」「これは九面観音様だ!」と叫びたくなりました。

 実は、この特別展の会場は狭く、わずか一室だけで、展示品も少ない。予習もしないで、パッと見に来ただけでは、5~6分で済んでしまうと思います。これで入場料が当日1500円とは、なかなかだと思いましたが、そんなケチ臭いことを言うと、罰が当たりますね(苦笑)。

 時間が余ったので、本館の他の展示品も少し拝観しました。そしたら、奈良・秋篠寺の十一面観音立像(重要文化財)もあり、早速、数えてみましたら、しっかり十一面ありました。

 しかしながら、「聖林寺十一面観音」(8世紀、天平彫刻)は、その静謐さといい、威厳さといい、その慈悲深いお顔立ちといい、全く他に比類がなく、本当に心が洗われました。

【参考文献】

松濤弘道著「日本の仏様を知る事典」(日本文芸社)

かみゆ歴史編集部編「仏像をめぐる日本のお寺名鑑」(廣済堂出版)

お経を手元に、石仏散策を

 鈴木永城著「お経の意味がやさしくわかる本」(KAWADE夢新書)を読了しましたが、身近に置いて読み返したり、文字通り、読経したりするつもりです。

 お釈迦様は、煩悩業である三毒を避けることを説いています。三毒とは、貪瞋痴(とんじんち)のこと。つまり、「貪欲(どんよく)」「瞋恚(しんい)」「愚痴(ぐち)」のことです。これらが生きる上で苦しみの原因になっているといいます。

 貪欲は、執着する心。瞋恚とは、怒ること。愚痴は無明とも訳され、無知で真理に暗いことをいいます。いずれにせよ、人生で、何事も、捉われてはいけない、ということなのでしょう。

 この本の最後の方に出ていた「正信偈(しょうしんげ)」と「修証義(しゅしょうぎ)」は初めて知った「お経」なので敢て付記しておきます。

 「正信偈」とは、門徒の皆さんにとっては当たり前過ぎる話でしょうが、親鸞の「教行信証」の「行巻」の末尾に書かれた浄土真宗の要義大綱を七言60行120句を偈文にまとめたものです。ちょうど、私は現在、「教行信証」の現代語訳をウンウン唸りながら読み進めていたので、この「正信偈」だけでも、シカと脳髄に刻み込まなければいけない、と思いました。

 「修証義」は、明治半ばに日本曹洞宗の開祖道元禅師の「正法眼蔵」の中から、そのエッセンスとなる文言を抜き出して編集されたものです。「正法眼蔵」は、87巻にも及ぶ大著で、難解中の難解で、専門の僧侶でさえ全巻読破できた人は少ないと言われ、私も読んだことはありません。このエッセンスの「修証義」だけで勘弁してください、と言えば、怒られるか罰が当たることでしょうけど、入門編として、取り組みさせて戴きたいと存じまする。

 最近どうも仏教思想に洗脳されています(笑)。一番は、何と言っても「諸行無常」です。ギリシャ哲学のように「万物は流転する」でもいいのですが、時の移り変わりととともに、人の心も変わり、恋慕も友情も信頼も敬意もいつかは壊れるものだと実感しています。

 亡くなった父が口癖のように言っていた言葉は「形あるものは壊れる」でした。一国一城も買える曜変天目茶碗でも、落としたら壊れて使い物にならなくなります。仏教哲学で言えば、「形ないものでも壊れる」ということになるのかもしれません。

足利市 鑁阿寺(ばんなじ)本堂(国宝)

 「仏教思想に洗脳されている」と言えば、私の生きていく上での生活信条が「ご縁」なのです。この世に生まれてきたことも何かの不可思議な「縁」でしょうし、誰かに出会って影響を受けるのも「ご縁」です。万巻の書物の中で一冊の本に巡り合うことも「縁」だと思っています。縁が切れたり、なくなったりすれば、どれだけ仲が良かった友人知人でも離れ離れになることでしょう。それも「縁」の一つだと諦念するしかありません。しかし、「縁」だけは大事にして、これからも生きていきたいのです。

 ご縁と言えば、昨年このブログを通してお近づきになった京都方面の著名な御住職と、有難いことにメールで交友させて頂いております。私が、仏教思想の神髄というより、主に宗派の違いや醜聞などの愚問を大僧正にぶつけておりますが、それでも真面目に返答が返って来ますので心苦しい限りです。私信なので公開できないのが残念ですが、たまたまやり取りしたメールの中で、御住職から「私家版 さいたまの石仏」というブログのサイトをご紹介いただきました。

 このサイトの主宰者はどういう方なのか全く分かりませんが、埼玉県南部と東京の北区、練馬区、目黒区辺りの寺院や路傍を隈なく歩いて、そこに安置されている石仏の写真と像に刻印された由来や施主、設立日などを掲載されております。半端じゃない徹底した調査ぶりです。(勝手にリンクを貼らさせて頂きました)

 有名な寺院の石仏だけでなく、村の有力者による庚申塔や路傍のお地蔵様のほか、恐らく当時の庶民が頼母子講でなけなしのお金を集めて建立したらしい不動明王や阿弥陀如来や地蔵菩薩なども取り上げているのです。

 私の住む自宅近所の庚申塔も取り上げていましたが、ボーと生きている私なんかほとんど気が付きませんでした。設立日が、享保4(1719)年や延享3(1746)年だったりして、200年も300年も大昔に、同じ土地に住んでいたことが分かり、庚申塔は、当時の人たちの生きた証のようにも見えます。サイトでは、主宰者が足を棒にして苔むした石仏を探し当て、その文字も見えなくて読めなくなった碑文までも現代に蘇らせています。

 いかにも当時の無名の庶民の信仰の深さが伺えます。こうして蘇ったのも、あれもこれも、このサイトの主宰者の功績です。世の中にはこういう立派な方もいらっしゃるものだと感心致しました。