国史跡 八王子城跡、踏破記

大袈裟なタイトルですが、昨日の勤労感謝の日の祝日は、「山城歩き同好会」に参加させて頂きまして、「国史跡 八王子城跡」を踏破してきました。

かなりきつい「登山」でした。まず、一人だったら、ギブアップして帰ったことでしょう。確信を持って言えます(笑)。

けもの道のような狭い崖プチも歩きましたから、険しくて、「人間が行く所じゃない」(笑)と顎が出ましたが、昔の人は偉いですね。こんな高い所に山城を作ったのですから。

お仲間の皆様がいたおかげで、踏破できました。

集合のJR高尾駅。高尾山には何度か登ったことがありますが、最寄駅は、京王線の高尾山入口でしたから、このJRの駅で降りたのは初めてでした。ここも、東京都です。

八王子城は、小田原に本拠を置いた後北条氏の三代目氏康の三男北条氏照(うじてる=?~1590)が築いた山城でしたが、豊臣秀吉のいわゆる天正18年(1590年)の「小田原攻め」の一環として、この八王子城も前田利家・上杉景勝連合軍によって攻められ、落城します。

城主北条氏照は、小田原城で切腹しますが、その100年後に、奮闘死した家臣の中山勘解由の孫である水戸藩家老中山信治が、追善供養のために、この八王子に、上の写真のような「北条氏照及び家臣墓」を建てたのでした。

八王子城跡は「国史跡」ですから、いわゆる国有地として管理され、かなり発掘も進み、整備されておりました。

上の写真のように、400年以上昔の石垣がそのまま残っていました。城好きにはたまりませんね(笑)。

上の写真は「御主殿跡」といって、城主の北条氏照の居館があった所でした。(「ガイダンス施設」では、居館の想像図のCGも公開されておりました)ここから、陶器のほか、何と、イタリア・ベネチア産のガラス器も出土したそうで、どういう経緯なのか詳しくは分かりませんが、後北条氏は、あの時代で、既に広域な貿易をしていたことになりますね。

この写真は「御主殿の滝」と言われてますが、探すのに大変苦労しました。

落城の際に、武将やその婦女子らが自害してこの滝に身を投じたらしく、その血で城山川が三日三晩赤く染まったと言われてます。

現在は、城山川も干上がって、滝もこのような調子でした。

八王子城本丸に行くには、八王子神社を経由して、このような急こう配の山道を登って行かなければなりませんでした。

ぼやぼや登っていたら、八王子神社の天狗さまが現れて「しっかりしろ」と怒られてしまいました。

やっと本丸跡に着きましたが、「猫の額」ほどの狭さには吃驚。標高は約446メートルでしたが、登りが大変きつくて、そんな低さには感じられませんでした。

敷地が狭いので、天守はなかったようですが、平屋の城ぐらいはあったかもしれません。

ここでお昼休憩。同好会の女性陣と男性陣から「おやつ」の差し入れがありまして、頂きました。やはり、甘いものが食べたくなります。どうも有難う御座いました。

本丸で、「山城歩き同好会」の男性陣と女性陣は分かれて、男性陣4人のみで、標高約547メートルの富士見台を目指しました。

女性陣はそのまま下山して、「ガイダンス施設」で待機することになりましたが、その方が正解でしたね。

富士見台まで本丸からわずか1.2キロ、100メートル登るだけでしたが、何と、山道のきついこと。登っても、登っても、なかなか、着きません。

ほとんど「けもの道」のような狭い道で、「ありえない」感じでした。

しかも、「富士見台」ということで、快晴に恵まれたので、富士山の展望を期待したのですが、山林に囲まれて、全く見えませんでした。

がっくりでした。

でも、昔の人は健脚で、本当に偉かったんですね。

行く前は、二次元の地図を見ていただけでしたので、「楽勝」なんて思っていたんですが、なかなかの難所急こう配で、帰り道も難儀しました。

でも、山城好きにはとてもたまらない充実した日を過ごすことができました。

天候に恵まれ、森林浴ができたことが何よりです。

万全の準備をして頂いた幹事長さまを始め、同行の皆様、有難う御座いました。

嗚呼、あの森林浴は本当に気持ち良かった。こんな風に、喫茶店に籠って、パソコンでブログを打っているなんて、最悪ですよ…(苦笑)。

京都に善光寺? 秋の新善光寺展が開催中

おはようございます。お久しぶりです。京洛先生です。

えっ?お久しぶり、じゃない? 昨日も登場した?

おかしいですねえ。

あ、分かりました。昨日の「永観堂と南禅寺」の原稿は、もう2週間も前に渓流斎さんのGメールに送ったのですが、どうやら届いておらず、その後、何度もGメールに送付したのですが、届いていなかったというのです。

おかしいですね。一体、何処の電脳空間に消えてしまったんでしょう?

やはり、ただのメールは駄目ですねえ。仕方がないので、渓流斎さんに他のメールアドレスを教えてもらって再々送したのでした。

以下の原稿も改めて送稿したものですが、是非ともお付き合いください。

さてさて、紅葉の時季になり、洛中は観光客が押しかけ有名寺社は正月三が日のような賑わいです。

ところで、皆さんは京都にも「善光寺」があるのはご存知でしょうか。「え!善光寺は信州、長野じゃないですか」と目をぱちくりされるでしょう´艸`)

 実は、あるのですよ、京都にも「善光寺」が。鎌倉時代、時の天皇が「遠い信州に行かなくて、近くでお参りできるように」と建てられたのです。ですから、お寺の名前は「新善光寺」です。

京都に住んでいても知る人ぞ知るお寺です。渓流斎さんが先日、鎌倉での個展に出向かれた加藤力之輔画伯の、京都でのアトリエのそばに「新善光寺」があるのです。

偶々、この「新善光寺」が大方丈の瓦の葺き替えが終わったのを記念して、「新善光寺展」(午前10時〜午後4時、入場料500円)が一昨日(11月17日)から来月1日まで開かれているのです。

 天下のNHKをはじめ、地元の新聞や各紙が地域版その紹介のニュースも流しています。

この新善光寺は772年前の、寛元元年(1243年)に、後嵯峨天皇の勅願で創立されました。

御本尊は信州の「善光寺」と同じ阿弥陀如来で、同仏同体に作られた鎌倉時代の仏像です。後嵯峨天皇は、京都から信州までは、すぐには行けないので、新たに、一条通り大宮に「新善光寺」を開山されたわけです。

その後、「応仁の乱」で、新善光寺も焼失となり、新たに文明5年(1473年)、土御門天皇の勅願で、皇室の御寺「泉涌寺」内の現在の地に移されました。

写真の通り、“皇室の御寺”と呼ばれる「泉涌寺」の境内ににあるだけに、周囲は静寂で、此処では、変な外国人の姿があまり見えませんね´艸`)

境内の周りも紅葉が目立ち、お寺の庭を見ながら、お薄をいただきましたが、気持ちがゆったりしました。

「新善光寺展」では、日ごろは非公開の本堂、庭園や、寺宝の狩野探幽の「鯉の図」、狩野周信の襖絵はじめ、皇室の遺品などが公開されていて、一昨日は、泉涌寺の歴史資料館の学芸員の方が、新善光寺の歴史由来をお話しされておりました。

加藤画伯はアトリエがすぐそばにあり、会期中は同展の受付でお手伝いされておられました。

玄関先での加藤画伯の写真もお送りしますが、これは「肖像権」の問題もあり、《渓流斎日乗》で使っちゃあいけませんよ(笑)。

おしまい。

※写真は全て「新善光寺」 Copyright by Kyoraque-sensei

【追記】

小生のGメールにメールされた方で、もしかして、届いていないものもあったかもしれません。小生、几帳面ですから、必ず返信しております。返信がないのは、こちらにメールが届いていない可能性があります。

Gメールのアルファベット社に代わってお詫び申し上げ奉ります。

京都は今、永観堂と南禅寺の紅葉が見ごろです

南禅寺

だいぶ寒くなってきましたね、渓流斎さん。京洛先生です。

毎日、北関東の集合住宅から「新橋演舞場」にご出仕、ご出勤ご苦労様です。貴方が演舞場の舞台裏で、黒子として大活躍されているのは知る人ぞ知るです(笑)。

永観堂

舞台表で、汗をかく人もいれば、裏舞台でそれをスムーズに進行させるため汗をかく人がいればこそです。「籠に乗る人、担ぐ人、そのまた草履を作る人」と古来から言われておりますが、世の中、表もあれば裏もあるのです(笑)。

そういう渓流斎さんに比べ、当方は最近、めっきり汗をかく機会が減り、運動不足です。それを解消するため、一日「1万歩」を目標に洛中、洛外を歩き回ることにしています。日々、朝晩の出勤は、そういう意味で、気分転換とメリハリをつけて、健康管理にもなっていると思いますね。

永観堂

そんな京都はそろそろ、紅葉の季節を迎えました。洛外は既に「見ごろ」になっていますが、京都市内の洛中はこれからです。あと1週間くらいすると何処も「見ごろ」になることでしょう。

そんな中、比較的、早くも見ごろになってきた「永観堂」と、色づきはじめた「南禅寺」をまわってきました。

永観堂

永観堂は、古今和歌集でも「秋は紅葉の永観堂」と言われる古くからの紅葉の名所です。

東山の山腹の傾斜地にあり、紅葉の色づきに最適な土地なのでしょう。平安貴族で歌人の藤原関雄が別荘にした場所に、西暦853年(仁寿3年)に、弘法大師の弟子の真紹僧都が、真言密教の道場に永観堂を建立したということです。

その後、鎌倉時代初期に当時の静遍僧都という人が、法然に帰依したため、お寺は真言宗から浄土宗になったわけです。

永観堂

永観堂で、有名なのが「見返り阿弥陀」(重文)で、紅葉の時季には本堂を拝観する見どころになっています。

しかし、写真のように境内の紅葉は、いつ見ても色鮮やかで、観光客が押しかけて、「凄い!見て見て、綺麗ね!」、「超!綺麗」と感激するのはよーく分かります。

永観堂

次に、永観堂から10分ほど、ぶらぶら歩きして着いたのが「南禅寺」です。

南禅寺

こちらは、まだ「色づく」程度で、本堂の紅葉もこれから「見ごろ」を迎えると思いますが、週末でしたので、紅葉見物の観光客でごった返していました。

南禅寺

以上、ご報告まで。

南禅寺

あ、序に、もう一つ、南禅寺らしい景色をお楽しみください。

南禅寺

おしまい。

沿道広告禁止のスペインとスタンプなしの帰国審査

アルハンブラ宮殿

日本で報道されている最近のニュースや話題が、どうもつまらないので、また、先月のスペイン旅行の話を取り上げます。毎日書かなければならないので、話題を見つけるのが大変です(笑)。

スペイン国内の移動は大型バスで、高速道路を利用しましたが、沿道はほとんど全く広告看板がありませんでした。

確かに、人家も見当たらない荒野を駆け抜けることが多かったのですが、それにしても、見当たらない。ケバケバしい広告だらけの日本とは大違いです。スペインはよほどの不景気なのか? 理由を添乗員さんに聞いたところ、「法律で禁止されているんですよ」という答えが返ってきました。

そうなのか。さすが、年間7000万人も観光客が訪れる世界第2位の観光国。美観を大切にするんだろうなあ、と納得しました。

ただし、例外がありました。巨大な牡牛の看板です。目鼻口は描かれず、シルクスクリーンのような真っ黒な看板です。どこかの牧場の印なのか、闘牛場のコマーシャルなのか、と思ったら、オズボーンというスペイン人なら知らない人がいないウイスキー会社の広告看板だというのです。極甘口のシェリー酒「オズボーン・ペドロヒメネス・1827」が有名なんだそうです。

ボトルラベルには、その真っ黒い牡牛がブランドマークとして載っています。

添乗員さんの話では、このウイスキー会社は目下、広告看板設置をめぐって、政府と裁判闘争中なんだそうです。まだ、判決が出ていないようなので、看板は撤去されていないといいいます。

◇◇

もう一つ。スペインの話ではないのですが、2年ぶりに海外旅行して出入国審査が変わっていたことには驚きました。随分簡素化されていたのです。

出入国の際、自分でパスポートをスキャンして、自分でカメラの前に立って、「人相認証」をやってもらうのです。そして、帰国した際に、以前パスポートに押してもらっていた入国スタンプが省略されてしまったのです。

スタンプなし!「バン」と係員にスタンプを押してもらった時、「あ、日本に帰ってきた」と安堵感が広がったものですが、何か拍子抜けしてしまいました。

【追記】

今日はあっさりしているので、少し追加します(笑)。

●昨年買った高級腕時計が、もう電池切れで今朝止まってしまいました。そこで、銀座の和光に行って電池交換してもらったら、何と3240円も取られてしまいました。以前の安い時計は、1000円ぐらいで済んだんですけどね(笑)。

で、思ったことは、時計屋さんにとって、電池交換がビジネスモデルになっているんじゃないかということです。先日、10年近く使っていたドイツ製電気シェーバーの切れ味が悪くなったので、最高機種9シリーズに買い換えたところ、何と18カ月で「替え刃」を交換するようにとのメッセージが入っておりました。

前の機種5シリーズは10年ぐらい使いましたが、替え刃を交換したのは1回だけ。つまり5年間ぐらい持たせていましたからね。何か、プリンタのインクリボン交換のような気がしました。電気シェーバーなんかなかなか壊れませんから、替え刃で儲けるシステムになっているんでしょう。

●安部第4次政権は、「全員野球内閣」なんだそうです。

早速、「政治をスポーツに例えるな!」と非難轟々です。

「全員野球じゃなくて、ライト(右翼)とキャッチャー(捕手⇒保守)しかいない」という人もいます。

「まだ3年か。とはいえ、終わりの始まり。ショート内閣になるかも」という人もいます。

 10月3日付日経の緊急世論調査によりますと、内閣支持率は、9月の調査から5ポイント減の50%、内閣改造を「評価しない」が44% に上りました。

 

日本は偏向報道国家なのかなあ?

ラ・マンチャ地方

ほんの1週間ですが、スペイン旅行に行ってよかったと思っています。

「スマホ中毒」から少し解放されたからです。行く前は異常でした。電車に乗っても、バスに乗っても、歩いていても、気になって、すぐ液晶画面を見ていましたから。

実際、大した情報に接していたわけでもないことも分かりました。単に習慣になっていたんですね。悪習慣は断ち切ることです。

グラナダ・アルハンブラ宮殿

帰国して痛感したことは、新聞でもテレビでも、日本の海外ニュースは、アメリカと中国と韓国の話題ばっかりだということです。スペインやフランスなどで起きたことは、ほとんど報じてくれません。

BSの海外テレビ放送を見れば、十分事足れるでしょうが、地上波は、米中韓ばかりに集中して、まさに「偏向報道」と断定してもいいでしょう。

もちろん、基軸通貨ドルと世界最大の軍事力を持つ米国と、日本も大いに依存している世界第2位の経済大国である中国を中心に世界は回っていることは確かですが、それにしても、見たくもない為政者の顔ばかり見せ付けられたり、見たくも聴きたくもない芸能が世界基準(スタンダード)で最先端の潮流だとばかり押し付けられては、さすがに、うんざりしてしまいます。

まさに、日本の常識は、海外の非常識でもあるわけです。

コルドバ大聖堂

思うにスペイン旅行は、普段の喧騒から離れた歴史散歩だったかもしれません。

少年の頃、歴史学者を夢見たぐらいの歴史好きだったせいか、日本史と世界史の基礎知識はかなり時間をかけてみっちり頭に叩き込みましたから、今でも重大事件の起きた年号や背景ぐらいソラで言えます(笑)。「レコンキスタ」「スペイン継承戦争」「スペイン内戦」など起伏に富む複雑なイベリア半島の歴史は、ある意味で魅力的で、何と言っても800年間もイスラムに支配されていた風土と文化に直接肌を感じることができたのが今回の旅行の大いなる収穫でした。

特に、私は美術建築好きでもありますから、ベラスケス、エル・グレコ、ゴヤの三大巨匠とピカソの「ゲルニカ」といった傑作画やガウディのサグラダファミリア教会などを間近に見られたことは、何よりも得難い至福の時間だったと言えます。

逆に歴史にも芸術にも興味がない人が旅行しても、つまらないんじゃないかなあ、と思ってしまいました。

現在、見えないもの、見えていないものを見るために、想像力を働かせなければならないからです。それにはある程度の知識が必要なのは否めません。

いやはや、またまた、堅い話になってしまい、失礼仕りました(笑)。

バルセロナ サグラダファミリア教会

先日会った友人の田所君なんかは「俺、最近、プラスチックゴミが気になってしょうがないんだよなあ」という始末です。確か、10年ぐらい前、日本で割り箸が使い捨てされるという「事件」で話題になった際も、「割り箸のお蔭で、熱帯雨林が破壊されている」と、彼は叫んでいたものでした。

何はともあれ、このように、メディアの影響力は強いのですから、現役のマスコミ従事者にはもっと自覚してほしいものです。

独裁主義国家じゃあるまいし、偏向報道はやめてほしいなあ。。。

写真は撮らない~ヘミングウエイ~数字は人格

アルハンブラ宮殿

スペイン旅行(2018.9.11~18)では、プロカメラマンさながら、500枚近くもの写真を撮りまくってきました。

そんなに写してどうすんの、てな感じです。

そんな中、ツアーで一緒になった静岡県から参加された女性が、ただ一人だけ、一枚も写真を写していないことに気が付きました。デジカメすら持参していないようでした。

彼女は、あの秘境マチュピチュにまで行かれたことがあるらしく、大の旅行好きのようでした。それがどうしたことか。その理由について、恐る恐る聞いてみました。

アルハンブラ宮殿全景

「以前はよく撮っていたんですけどね。家に帰って、娘たちに見せても、自分が行ってないものだから、あまり興味なくて…。それより、あまりにも沢山、写真が増えてしまって、『お母さん、(写真を)どうにかしてよ』とまで言われてしまって…」

なるほど、そういうことでしたか。

確かに、身内の人とはいえ、勝手に好きに遊んできた(笑)写真を見せつけられては、はた迷惑かもしれませんね。

SNSの流行で、世間の人たちはやたらと自分たちの撮った写真をアップしてますが、確かに、興味や関心がない人の撮ったものなどどうでもいいのかもしれません。

親戚や親しい友人でも、年賀状に赤ちゃんの写真や家族の写真を送ってもらっても、待望の赤ちゃんにまだ恵まれていない夫婦や、独身の人間にとっては、あまり愉快なものではない、のと同じです。

アルハンブラ宮殿前庭

さて、スペイン=闘牛ということで、久しぶりに若い頃に熱中して読んだヘミングエイのことに思いを馳せました。

彼は晩年になって、悲劇的にも猟銃自殺しましたが、若い頃は、彼の晩年の白い髭をはやした老人姿の写真から、彼が70歳か、80歳に近い頃だったと思っておりました。

そしたら、ちょっと調べてみたら、まだ61歳(62歳になる直前)だったんですね。今のような「人生100年時代」ではとても若いです。

どうやら、ヘミングウェイ一族は自殺の多い家系のようでした。彼の父親クラレンス、妹アーシュラ、弟レスターもそうで、姉マーセリンも自殺が疑われているそうです。また、最近、といっても1996年のことですが、孫娘で女優のマーゴも自殺しています。原因は精神疾患の遺伝のせいではないかとも言われています。

私は、ヘミングウエイ好きが高じてキューバにまで行ったぐらいですが、彼のマッチョ的イメージとは違う内面の繊細さは意外でした。

ただ、若い頃のヘミングウエイはかなりの自信家で、同時代人で彼を知る人たちの中には、彼がかなり度を越した傲岸不遜で、付き合い切れなかったと証言する人もいたようです。彼は、生涯で4度も結婚しました。

アルハンブラ宮殿

話が飛んでしまいましたが、旅行中に暇つぶしに持って行った本の一つに、小山昇著「数字は人格」(ダイヤモンド社、2017・12・13初版)がありました。

数学関係の本と思いきや、中小企業経営者のための指南書でした。法律で作成が義務付けられている「損益計算書(P/L)」よりも「貸借対照表(B/S)=バランスシート」を優先して経営者を読め、と薦めております。

そのバランスシートの中でも、一番最初の「流動資産」の中の「現金預金」を重視するべきだと何度も強調しております。

何故なら、いくら黒字経営でもキャッシュ(現金預金)がなければ、倒産してしまうからです。2008年のリーマン・ショックでは、約2分の1が「黒字倒産」だったそうです。

だから、著者は、銀行から借金してでも、イザというとき、いつでも手元にキャッシュが用意できるようにしろ、と力説するのです。銀行からの借金には金利が付きますが、それは「時間」を買っているようなものだ、というのです。

私自身は、最初から最後までサラリーマンの「使用人」として終わり、経営には全く縁がなかったので、損益計算書もバランスシートも関わることがありませんでしたから、この本は、自分にとってはかなり新鮮でした。

アルハンブラ宮殿内部

この本の内容については、目次からピックアップすれば大方のことが予想できます。

その前に、バランスシートの中の「売掛金」とか「買掛金」とかいう項目の意味を知らなかったですが(笑)、「掛け」とは「ツケ」のことで、売掛金とは、既に商品は売っているものの、代金が後払いで、まだ回収していないお金のことでした。買掛金とはその逆で、すでに商品は仕入れているのに、まだその代金を支払っていないお金のことです。

世の中には、売掛金がゼロの商売もたくさんあり、その一つが飲食業で、飲食店は現金かクレジットカードがメインで、お客さんがその場で払ってくれるからです。

ただ、飲食業は安泰かといえばそうでもなく、全く知りませんでしたが、飲食店の80%が開業して5年以内に倒産するというから驚きです。食材などを仕入れて、後払いする「買掛金」があるのに、無謀な経営をするのが理由の一つだそうです。メニューを変えたり、インテリアを変えたりして、「事前投資」しなければ、お客さんにすぐ飽きられてしまいますからね。道理で、街中ではちょくちょく商店が変わるはずでした。

そう考えると、何百年も続く老舗飲食店は凄いんですね。

以下、目次を拾ってみますとー。

・現金があれば、会社は倒産しないカラクリ

・在庫は「資産」ではなく「死産」

・売上を増やすには「客単価」をアップするより、「客数」を増やす

・人件費を減らすには無駄な仕事を減らすのが一番

・社員にいつでも自由に会社の数字を見られる環境を整える(役員報酬1億円まで公開)

以上、これから起業しようとする皆さんなら大いに参考になるでしょうが、残念ながら、私自身は遅すぎて、「へー」と世の中の仕組みが分かり、勉強になりました。

お財布携帯アプリは見ず知らずの他人に財布を預けるようなもの

アルハンブラ宮殿

清里の油小路先生です。

何か、渓流斎さんは、スペインにご旅行され、無事帰国されたようで何よりです。最近の欧州は、テロが多く物騒ですからね。

ブログに長々と旅行記を書いていらっしゃいましたが、あれは、長過ぎますね。追河探訪記者は「流し読み」したらしいですが、あんな長ければ誰も読みません(笑)。最後まで読んでくださった方には感謝しなければなりませんよ。

フィンランド航空には大変お世話になりました(行きは7時間もヘルシンキ空港で待機させてもらいました)

あ、さて、先週木曜日でしたか、久しぶりに上京した折、歌舞伎見物にでも行こうかと、ついでに、渓流斎さんの銀座のオフィスに立ち寄ったところ、貴方は随分、吃驚した表情でしたね。「えっ!? 清里におられていたんじゃなかったんですか」と。

まあ、何も事前に連絡なく、突然訪問したこちらも悪かったかもしれませんが、何か、貴方は当日、先約があったらしく、久しぶりに再会して一献を傾けようとした機会を逃してしまいました。残念でしたね。

ヘルシンキ空港のトイレは日本語の説明。多くの日本人が来訪するということでしょうね

久しぶりの東京でしたが、ネクタイを締めている男性がめっきり減りましたね。例の女性議員による「クールビズ」とかいう洗脳で、紳士たるもの、その本分を忘れて、皆、だらしなく胸元を開けて、労務者風情に貶められておりました。

エリート官僚さん、青年実業家といっても、あんなだらしない恰好では、まるで、雲助が登城しているようなものですよ。

あ、少々、差別的感情を煽るような表現でしたら、御寛恕願いたいものです。

きょうび、人権意識の高まりを受けて、表現に関して、世間では大変神経質になっておりますからね。

グラナダのレストラン

しかしながら、ある程度、辛辣な表現を使わないと、真意が伝わらないのです。

東京の電車や地下鉄に乗ると、誰もがみんな、スマホの画面に熱中している人ばかりです。ニュースを読んでいるのか、ゲームをしているのか…。でも、あんな受け身のことばかりしていては、人間の魂は何処に行ってしまったんですかねえ?

はっきり言って、現代人は魂がない、生きているようで死んでいる人間ばかりです。

魂がない、というのは、騙されやすい、どうか、私を騙してください、と言っているようなものなのです。

例えば、ネット広告です。パソコンなどで検索すると、化粧品にしろ、時計にしろ、いつまでたっても、他のサイトを開いても、同じ広告が追っかけてくることでしょう。ネット広告は、地の果てまで追いかけてきます。

あまりにものしつこさに根負けして、ついつい、また、同じ化粧品を買ってしまう。そんな繰り返しです。

ネット広告は「ポン引き」だ、とはっきり言ってやらないと分からないのです(笑)。ポン引きは、客が入店するまでいつまでも追いかけて、地の果てまで付いてきます。

客も魂がないから、ポン引きなのに、親切心でやってもらっていると誤解して、騙されるのです。

アルハンブラ宮殿にようこそ(個人名が記載された入場ペーパーにQRコードが添付され、3カ所もゲートがありました)

「ネットは危ないもの」という認識を念頭に置かなければならないのです。

特に、今、盛んに日経新聞などが取り上げている「お財布携帯アプリ」なんか、最たるものです。記事では利便性のメリットばかり取り上げておりますが、いざ、盗難にあったり、サイバー攻撃で盗み取られたりしたりするデメリットなんか一行も書いたりしません。

そもそも、お財布携帯アプリなんて、見ず知らずの他人に財布を渡すようなものですよ。現代人は魂がなくなっているから、そんなことも分からないので、迂生も、はっきり言ってやらなければならないのです。

進化や進歩は言葉の綾です。現代人は便利さばかりを追求するあまり、確実に退化しています。

スマホを捨てろ、とまでは言いませんが、せめて、ホドホドに、ですよ。

電脳空間は富士山の「樹海」です。入口も、出口も分からず、深入りすればするほど出口が分からず、白骨になって御終いです(笑)。

今回、突然の訪問のため、貴方と懇親できませんでしたので、書簡で失礼申し上げました。

スペイン堪能記ー余話

ピカソ「ゲルニカ」

まだスペインから帰って早々ですので、いまだに「スペイン病」を引きずっております(笑)。

今日なんかは、東京・銀座の有名スペイン料理店「エスペロ」にランチしに行ってしまいました。

ランチ1200円と、小生としては、ほんの少し割高でしたが(10ユーロと考えると断然安い!スペインでは、ランチでも17~30ユーロが相場で結構高い)、上写真右のガスパッチョ(冷製野菜スープ)なんかは美味で、本場とさほど変わらない味でした。

この店は、パエリアの国際大会で優勝したことがあるらしく、店頭に誇らしげに表彰状を飾っておりました。

店内を見渡すと、闘牛のポスターばかりでした。

今回のスペイン旅行で残念ながら、闘牛を見ることができませんでしたが、本場スペインではどうやら「下火」になっているようです。2日目のミハスでランチしたレストランは、元闘牛場で、食堂に改装したものでした。

バルセロナでは、ガイドさんが「ここの闘牛場は先週、閉鎖されました」と仰るではありませんか!

色々、聴いてみると、どうやら、入場料がかなり割高で、地元の人があまり行かなくなり、主に観光客相手になってしまったとのこと。「残虐」ということで、動物愛護団体などから闘牛を中止するよう様々な形で要望があったらしい、ということでした。

私自身は20代の若き頃、ヘミングウエイの「日はまた昇る」を読んで、感動して、「いつか、闘牛を見てみたい」と思っておりましたが、恐らく、もう見ることはできないでしょうね。

今回のスペイン旅行の一つが、ピカソの「ゲルニカ」を見ることでしたから、実現したときは、「かぶりつきの席」で、10分間ぐらいジーと見詰めていました。そして、見れば見るほど、よく分からなくなる不思議な絵でした。

私の記憶が確かなら、1937年のスペイン内戦の際、バスク地方ゲルニカが、ナチスドイツ軍による無差別都市爆撃を受けたことから、当時パリにいたピカソは、新聞報道や写真などを参考に一気に描き上げたものでした。ヒトラーは、フランコによる要請で他国のスペインを爆撃しましたが、その2年後に開始される第2次世界大戦を見据えて、空爆の演習を兼ねていたとも言われます。(フランコは、これを取引に、スペインは第2次大戦に参戦しないことをヒトラーに約束させたという説もあります)

「ゲルニカ」は、一気に描き上げたといっても、縦3.49メートル、横7.77メートルというかなりの大きさですから、ピカソはその前に45枚の習作デッサンを描きました。それら習作も会場の国立ソフィア王妃芸術センター(マドリード)で展示されておりました。

ピカソが何故、この絵を白と黒だけで描いたのか、色んな説がありますが、白黒でも凝視すると、真っ赤な太陽や血の色などの色彩が網膜に浮かぶようでした。ついでに阿鼻叫喚の悲鳴や泣き声まで聞こえるようでした。

天下の「ゲルニカ」ですから、写真撮影は禁止でした。左右に屈強のガードマン2人が配置されておりましたが、かなりの至近距離まで近づいて見ることができ、感激しました。

バルセロナ ガウディ作「グエル公園」

今回のスペイン旅行で、「スペイン語不足」を痛感しました。

トイレに行くと「caballero(カバジェーロ)」と書かれた入り口は、「紳士」用だということが後になってようやく分かりました(苦笑)。(senora=セニョーラ、淑女は、すぐ分かりました)

ビールは、Cerveza(セルベッサ)、赤ワインは Vino tinto(ビーノ・ティント)、グラスで注文するならCopa(コパ)、ボトルなら、Bottella(ボテージャ)。

うーん、フランス語とも単語がじぇんじぇん違いますね。ポルトガル語とはほとんど似ているでしょうが。。。

何しろ、taberna(タベルナ=居酒屋)は、「食べるな」と言われてるようで、吃驚しますよね。

昨日書いたスペイン語のバカ=牛は、正確にはVaca(バカ)=雌牛でしたね。アホ=ニンニクは、ajoで、アッホとも発音するらしいですね。

加藤画伯の御令室によると、首都マドリードの Madrid は、本当は「マドリー」と言うのが正確なんだそうですね。最後の「d」は発音しないとか。

あと、スペイン語の疑問文は、最初に「?」の真っ逆さまを書きますよね?書き言葉は、読者に最初から、次に書かれているのは疑問文ですよ、と注意喚起するためなんでしょうか?

スペイン語に詳しい方は、どうか、コメントで御教授願います。

スペイン堪能記

ついにガウディのサグラダファミリア教会と御対面

グラナダ・アルハンブラ宮殿(高校時代の世界史の教科書で見たことがある景色を撮ってみました)宮殿は、イスラム教徒がイベリア半島から追われ、標高700メートルの高台につくりました。▽名門グラナダ大学は学生6万人、教職員700人。

2018年9月11日(火)から18日(火)まで、初めてスペインに旅行に行って参りました。

機内泊を含めて7泊8日の旅でしたが、移動日が2日で実質6日間の旅でした。特に、行きは、経由先のヘルシンキ空港で7時間もトランジットで待たされ、結局、成田空港からスペインのマラガ空港まで21時間も掛かり、ヘトヘト。時差ボケと睡眠不足で前半は絶不調で、4日目からやっと馴化して旅行を楽しむことができました。

ミハス(ホテルの部屋からの眺め)

回った都市は、ピカソの生誕地である南部マラガから北上して宿泊先の白い建物で有名なミハス(アンダルシア)、イスラム統治最後のアルハンブラ宮殿があるグラナダ(柘榴という意味=アンダルシア)、イスラム支配最盛期のコルドバ(アンダルシア)、風車のあるラ・マンチャ地方のコンスエグラ、エル・グレコの傑作「オルガス伯爵の埋葬」が残るサント・トメ教会のある中世からの都市トレド(カスティーリャ・ラ・マンチャ)、首都マドリード、近郊にゴヤの出身地があるサラゴサ(旧アラゴン王国の首都)、そしてスペイン第2の都市バルセロナ(カタルーニャ)の9都市でした。

世界遺産 コルドバ

メニューが盛りだくさんでした。1492年にカトリック教国スペインとして独立(レコンキスタ=再征服)するまで800年間もイスラム教国の統治下にあったため、アラブの文化遺産が色濃く残り、まず、一口では語られません。

写真も400枚以上撮影してきましたが、さすがに、一度に全部掲載できませんね(笑)。でも、アルハンブラ宮殿にしろ、サグラダファミリア教会にしろ、プラダ美術館のベラスケスにしろ、今まで歴史や美術の教科書や写真集などでしか見たことがなかったものを直接、間近に見ることができ、とても至福な時間を過ごすことができました。現地に行かなくては見られませんからね。(3万点以上収蔵するプラダ美術館にあるベラスケスの傑作「ラス・メニーナス」は、この1点だけは門外不出のため、ここに来なければ本物に会えません!)思い切って、無理して(笑)行ってよかったと思いました。

日頃の心掛けがいいのか(笑)、全日、好天に恵まれ、治安の悪い大都市でも盗難の被害に遭わず、何と言っても添乗員Nさんと現地ガイド(多くが日本人女性)さんがとても優秀で、こちらも多くの知識と情報を得ることができました。それに、「人様とのつながり」のお蔭で、マドリードでは、京洛先生の京都の友人の加藤画伯の御令室と初めてお会いすることができ、わずか3時間でしたが、色んなお話を伺うことができました。加藤御令室には、ツアーのコースに入っていなかったピカソの名作「ゲルニカ」のあるソフア王妃芸術センターにまで連れて行ってもらった上、マドリードの御自宅マンションで、サラダとイカスミ・ライスまで御馳走になってしまい、本当に「人様とのつながり」の有難みを感じました。

コルドバ・メスキータ(大聖堂)▽古代はフェニキアやローマ帝国の神殿があった後に、6世紀ごろから西ゴート時代のキリスト教教会が建てられ、8世紀からイスラム支配の下、モスクに。聖堂内で2万人、戸外を入れると4万人以上が礼拝したとか。1236年からカトリック教会となりましたので、複層した色んな宗教が混在した不思議な空間でした。

実は、正直のところ、今回旅行するまで、スペインは、あまり好きではありませんでした。むしろ、嫌いでした。なぜなら、スペインは大航海時代の16世紀、インカ帝国やアステカ帝国を滅ぼして、中南米を植民地にした国だからです。(おかげで、スペイン語は世界22カ国、4億人が使っているそうです)

しかし、現地スペインに行って、少し考え方が変わりました。

スペインは年間750万トンもオリーブを生産し、世界最大のオリーブ油の輸出国だったんですね。ですから、バスで通過する道路わきの畑は、オリーブばかり植えられていました。ところが、南部アンダルシア地方からラ・マンチャ地方、そしてマドリード辺りまでの一部というか、ほとんどの地域で、植物が生えない、荒れ地というか、赤土の荒野が広がっていて人家も緑も一切なく、「大丈夫なのかなあ」と心配してしまいました。

何で、こんな荒野になってしまったのかというと、イスラム教徒がキリスト教徒に追われて逃げる際に、人家や畑を焼き払ってしまったからという説があります。でも、それは一部にせよ、あまりにも広大なので、ありえないでしょう。

もう一つの説は、イベリア半島は大森林で覆われていましたが、木材を燃料や船舶などの用途で多くの樹木を伐採したからというものです。(特に、レパント沖の海戦で、フェリペ2世が軍艦を建造する際に大量の森林を伐採した)これも、再植林すれば森林は復活するでしょうが、一度伐採してしまったら、もう緑は復活しないということなんでしょうか。これもよく分かりません。

先程、スペイン人は中南米を征服したので、個人的にスペインは嫌いだったと書きましたが、1521年に今のメキシコを征服したコルテスも、1533年に今のペルー辺りを征服したピサロも、二人とも、そんな作物がならない荒れ地が多い、ポルトガル国境に近いイクストレマドゥーラ地方出身だったというのです。

ここで、誤解を恐れずに言えば、私なんか「コルテスもピサロもまるで満蒙開拓団みたいだったんだなあ」と思ってしまったわけです。これも語弊があるかもしれませんが、戦時中に、大陸の満洲などに植民した人たちは日本国内に自分の土地を持たない小作人か、作物があまり実らない貧しい農民でした。どこの国でも、裕福な農民、つまり肥沃な(スペイン語でベガ。ラスベカスは肥沃な土地という意味)大地を持つ地主は国外に出る必要がありませんからね。

ということは、原住民を虐殺して征服したコルテスもピサロに同情の余地はありませんが、生まれ故郷が荒れ地だったことが、子どもの時から海外に出たいと思うようになったきっかけになったのではないか、と想像しました。

しかも、自分たちが生まれる前に、自分たちの領土が800年間も異教徒によって支配、征服されていたという歴史的事実を代々、親たちから聞かされて育てば、現代人が非難するような「征服」や「弱肉強食」の世界に、彼らは矛盾を感じなかったのかもしれません。

そう思うと、スペイン人も同じ人間で、何となく、共感はできなくても、偉そうにも(笑)、「分からないわけではない」という考え方に変わったわけです。

ラ・マンチャ コンスエグラ(ドン・キホーテの恰好をしたバイトさんもいました)

となると、旅行に行く前に避けていたスペイン文化を再認識しなければなりません。

私はジレッタントですから、今まで読んでいなかったセルバンテスの古典的名作「ドン・キホーテ」を読まなければなりませんね。「ドン・キホーテ」は、読んでいない私ですら荒すじを知っているぐらいの世界的な大ベストセラーなのですが、セルバンテス自身は、牢獄につながれたり、家族を亡くしたり、おまけに本が売れても著作権登録していなかったため、一銭も印税が入らず、極貧で亡くなった、という波乱万丈の生涯を送ったそうですから。

小説の中のドン・キホーテは、最後は気が触れたように、風車に向かって立ち向かっていくという話で終わりますが、この風車は、オランダの象徴として捉え、当時、スペイン支配下にあったオランダが近いうちに独立することを示唆したものだ、という説があるそうです。

トレド(世界遺産)1972年に奈良と姉妹都市を締結

とにかく、スペインは世界遺産だらけです。昨年は世界から約8000万人の観光客が訪れ、スペインは、フランスに次ぎ世界第2位の観光立国です。

当然、観光が主要産業になっていますが、現在のスペインが抱える最大の問題は、失業問題だと言われます。

2008年、リーマン・ショックを引き金に、不動産と株バブルがはじけて、多くの失業者を産み、2017年になっても失業率は18.1%と欧州2位。ただし、25歳以下の若者に限定すると40%にも上るそうです。そのため、優秀な人材は、ドイツやフランスなど国外にどんどん「頭脳流出」してしまうとか。

ガイドさんの説明では、職が見つからないため、30歳未満の8割もが両親と同居しているそうです。

当然、結婚もできない。そして、驚くべきことに、スペイン人の離婚率は50%だというのです。これは、正式に婚姻届を提出したカップルの数字で、それ以外を含めるとかなりの数字になるそうですから、異様です。

確か、カトリックの国はそう易々と離婚できなかったはずですけど…。

マドリード スペイン広場 ドン・キホーテ像

一方、マドリードに1971年以来半世紀近く在住している加藤画伯の御令室によると、この1~2年は、スペインは景気が良くなったのか、不動産は2倍近くも上昇したというのです。ただし、富裕層が投資のために購入しているようですが。

今回の旅行で、荒れ地ばかり見てきたのですが、南部の地中海沿いのムルシア地方は一大農業地帯で、諸外国に輸出するほどオレンジやトマトなど野菜を多く栽培しているそうです。アンダルシア地方にはまだ貴族がいて、大地主でもあるそうです。独裁政権を敷いてきたフランコ死去後、スペインは王政復古しましたからね。

加藤画伯の御令室も「スペインは、日本より裕福じゃないでしょうか」と独り言のように呟きました。

ただ、政治面では6月に、汚職が蔓延する右派政権が倒れて、左派連合のサンチェス氏が首相に任命されましたが、連立政権のため、独立機運が高まっているカタルーニャやバスク選出の議員の要求も聞き入れなくてはならず、また、彼らに大臣ポストも用意しなければならなかったので、サンチェス政権も多難な船出なんだそうです。

スペインには、大きく四つの言語と「民族」(顔つきや背格好が少し違う)があるそうで、特に、カタルーニャ地方のバルセロナは、日本のニュースでもよく登場しますが、独立運動デモが頻繁に行われているようです。勿論、首都マドリードの住民は、彼らの勝手な行動には眉をひそめているわけです。

こういった話は現地に行かなければ分かりませんね。

マドリード プラド美術館前にあるゴヤ像(この像の前で、加藤画伯の御令室と待ち合わせをしました)

ちょっと、堅い話になったので、少し外れて、閑話休題。

スペイン到着して始めの頃に訪問したミハスを散策していたら、「Taberna」と書かれたお店を何軒か見かけました。何?食べるな???

実は「タベルナ」は、「バル」と呼ばれる大衆居酒屋と、ほんの少し高級な「レストラン」の中間に当たる食堂で、アンティークな調度品でバルより少し高級感があるそうです。あ、そうか、英語のtavern(居酒屋)なんですね。フランスはでは、ビストロに当たることでしょう。

ちなみに「バカ」はスペイン語で「牛」のこと。「アホ」は「ニンニク」のことなんだそうです。

となると、「バカ・タベルナ」は「牛肉食堂」、「アホ・タベルナ」は「ニンニク食堂」のことですか…(笑)。

あと、面白かったのは、鶏の鳴き声。日本では「コケコッコー」ですが、スペインでは「キッキリキー」ですって。笑っちゃいました。

サラゴサ(近郊のフエンデトドスがゴヤの出身地)

ここで、スペイン人の一般的な生活をー。

スペインは日本の国土の1.3倍ありますが、人口はその3分の1程度の4600万人で、首都マドリードにはその10分の1の460万人が居住しています。

緯度は青森県ぐらいで、日の出が午前7時半ぐらいと遅いのでいつまでも薄暗く、日没は午後8時半ごろなので、夜はいつまでも明るい。当然、食事の時間が日本とはズレて、ランチは14時から16時まで、夜食は20時から22時が普通だとか。

熱心なカトリック国なので、日曜日は安息日で、商店のほとんどが休業。とはいえ、インド系や華僑の店舗は開店し、以前はケーキ屋さんだけが安息日の開店を許可されていましたが、ケーキ屋さんでもパンが売られていたことから、パン協同組合からの抗議もあり、パン屋さんも午前中だけなら、ここ3年ぐらい前から、安息日でも営業できるようになったそうです。

バルセロナ ガウディ作 サグラダファミリア教会 1882年に着工し、130年以上経過しても、まだ未完成(教会はいつ完成するか正式発表せず)。福岡市出身の彫刻家外尾悦郎氏の作品が、上記写真の下部に見えます。

あと、バルセロナの優秀なガイドTさんから聞いた話によると、信号を無視して歩行者が横断歩道を渡ったりして、警察に見つかると、事情を知らない外国人でも、即、100ユーロ(1万3000円)ぐらいの罰金を取られるそうです。

警察を至近距離から撮影したりしても、罰金。ほかに、可愛いからといって、子どもや赤ちゃんを親の許可なく撮影すると、裁判沙汰か、罰金になるそうです。これは、今のネット社会で、親が知らないうちに、自分の子どもの写真が掲載される危険を防ぐためなんだそうです。

そう言えば、スペイン人といえば、ラテン系なので、時間にルーズで、結構いい加減だという悪いイメージがあったのですが、かなり厳格でした。

全行程バス移動だったため、鉄道に乗ったわけではないのですが、アルハンブラ宮殿もプラダ美術館もサグラダファミリア教会なども、事前予約の時間制限があり、例えば、「午後2時入場」でしたら、その時間が来るまで、決して、ゲートを開けてくれないのです。

アルハンブラ宮殿の事前予約「入場券」なんか、QRコード付きのペーパーで、何と私の名前まで明記されておりました。

また、宣伝広告も厳しい規制があり、高速道路沿線は広告掲示板が禁止されていました。どこもかしこもコマーシャルだらけの日本とは大違いです。

バルセロナでフラメンコ鑑賞(本場は全く違いましたね。迫力満点。後ろに義太夫のような歌い手二人と、ギター二人、打楽器1人とバイオリン一人で、ダンサーが躍る。人形浄瑠璃ではなく、人間浄瑠璃のようでしたねえ)

随分、長く書きましたが、これでも、全体にあったことの10分の1も書いてません(笑)。

これまで書き忘れたことで、どうしても、書き残したい話は、またまたバルセロナのガイドのTさんから聞いた話です。何と、スペインでは、医療費(歯医者は除く)は無料なんだそうです。ただし、待ち時間が長く、インフルエンザで、待合室で亡くなった人もいたそうです。

病室は2人部屋が一般的ですが、盲腸など簡単な手術は、入院は1泊で追い出され、白内障の手術を受けるのに3年も待たされるとか。

もちろん、緊急の救急患者は優先されますが、どうしても早めに治療、手術したい場合は、個人的に保険に入る必要があるそうです。

レストランでは、水(Agua=アグア)が、ビール(cerveza=セルベッサ)と同じ値段(2.50~3.00ユーロ)か、少し高かった時は驚きでした。

スペイン料理は、パエリア(Paella=パエージャ)ぐらいしか知りませんでしたが、冷製野菜スープのガスパッチョ、小さく切ったパンの上に色んな食材を載せたタパスやピチョンも美味しかったです。

プラド美術館ではゴヤの作品にはかなり感動しましたので、これから時間を見つけて、未読の名作、堀田善衛著「ゴヤ」全4巻と、スペイン内戦を描いたジョージ・オーウエルの「カタロニア賛歌」にいつか挑戦してみようかと思っています。

ここまで読んで頂き、グラシアス

いざ、西班牙へ=単なる個人的なお知らせ

単なる個人的なお知らせですが、明後日11日(火)から18日(火)まで、西班牙に旅行に行って参ります。その間、向こうのWi-Fi事情にもよりますが、恐らく、この《渓流斎日乗》も休載させて頂くかもしれません。

宜しくお願い奉ります。日頃、「スマホ中毒」でしたから、これを機会に少しは中毒症状が治まるのではないかと期待しております。

西班牙は、スリや強盗が多い(友人知人に被害に遭った人を多く聞きます)ので、「おひとりさま」で団体ツアーに申し込みました。日本の地元みたいにチンピラに絡まれないよう、なるべく目立たないよう、大人しく、カメレオンのようにその土地の風景に溶け込むつもりです(笑)。

以前にもこのブログに、チラっと書きましたが、そもそも西班牙旅行を思い立ったのは、今春読んだダン・ブラウンの小説「オリジン」を読み、舞台になったバルセロナのガウディ作サグラダファミリア教会を、死ぬ前に一度見てみたいと思ったからでした。1882年に建設を開始し、130年経った現在でもまだ未完成だというんですからね。卒倒しそうです。今回、中にも少し入れそうなので大いに期待しております。

美術・芸術鑑賞も玄人はだし(笑)の趣味ですから、マドリードのプラダ美術館も楽しみです。ベラスケスの「ラス・メニーナス」、ゴヤの「着衣のマハ」ともう一つ(笑)などスペイン黄金時代の秀作や、プラダ美術館近くにある国立ソフィア王妃芸術センター内にあるピカソの歴史的意欲作「ゲルニカ」などの「ほんまもん」を間近に見ることを特に楽しみにしております。

西班牙は1492年のレコンキスタ完成まで、800年間もイスラム教国だったため、アルハンブラ宮殿なども大いに見る価値があることでしょう。

大航海時代、スペインは中南米のインカ帝国やアステカ帝国を滅亡させるなど権勢をふるっていたのですが、1588年の無敵艦隊アルマダが新興国英国に敗れて制海権を失い、急速に国力も衰退します。

近現代に入って、バスク地方やカタルーニャ地方の独立運動や、現在ではトルコリラ急落に伴い、トルコに貸し付けていたスペインの銀行不安など諸問題が山積しているようです。

単なる美術・建築鑑賞の旅行者には、何もスペイン国内の複雑な諸問題に触れる機会はないでしょうが、同時代人として同じ空気を吸ってきたいと思っております。

以上、北海道での震度7の大地震や台風21号などによる天災被害などがありながら、個人的なことを長々と書いてしまった不届き者の独り言でした。