新型コロナウイルスの影響で例年になく少ない=京都・醍醐寺で「五大力尊仁王会」

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こんにちは、京洛先生です。

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 新型肺炎が広がり、この調子では2020年は「東京五輪」ではなく、「新型コロナウイルス」の年として後世に伝えられますね。「まだ、東京五輪は先の話だ」と思っている人が多いでしょうが、開催の最終決定権は国際オリンピック委員会(IOC)ですから、土壇場で何が起こるか分かりませんね。

 またその時は日本のマスコミは右往左往、後付け「講釈」をして、あれこれ誤魔化すのは目に見えます(笑)。

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トランプ大統領ではないですが、誰でも先の見通しは、はっきり分らないのですから、「マスコミは嘘ばかりだ!」と言うのは確かにそうです。米国民が、それを感じて同大統領を誕生させたのです(笑)。

 また、そう思っている人が米国だけでなく世界中で多く存在していて、それを追跡、検証する既存マスコミが皆無なのが現実です。

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 それはさておき、昨日23日(日)は世界遺産「醍醐寺」(京都市伏見区)で、庶民から「五大力さん」と親しまれている「五大力尊仁王会」が開催されたので、行って来ました。そのスナップをお送りします。

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 最近、熱心に仏教の歴史を勉強されている渓流斎さんなら詳しいと思いますが、平安初期、真言宗の僧侶、聖宝(しょうぼう)が開祖した醍醐寺ですが、この「五大力尊仁王会」は不動明王など五大明王(ほかに降三世明王、軍荼利明王、大威徳明王、金剛夜叉明王)の力によって、無病息災、国家、家庭の平和、幸せを祈願する、醍醐寺の最大の行事です。

Copyright par Kyoraque-sensei  迫力ある写真ですね!

 毎年、10万人を超える参拝者が訪れますが、新型肺炎の影響と、中国人など外国人の観光客激減もあって、去年に比べて参拝者は少なかったですね。

そのせいで、混雑せず参拝はスムース、境内もゆっくり歩けて快適でした。

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本堂前の特設舞台での大きな紅白の二段重ねの鏡餅を持ち上げる「持ち上げ力奉納」もやっていましたが、新型肺炎の影響もあり、参加者が例年より少なく鏡餅の持ち上げの最長時間は男性(重さ150キロ)は5分58秒、女性(重さ90キロ)6分40秒でした。

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それにしても、京都でも、どこもかしこも「新型肺炎」の影響が出ていました。

以上 おしまい。

民俗学から藝能へのつながり転移=大阪・難波の国立文楽劇場で「みやざき神楽」を開催

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今晩は、浪速先生です。

今日は全国的に雨模様で気温はかなり上がって、もう春の陽気でしたね。

新型肺炎騒ぎは日本列島全体に益々広がり、畿内は和歌山で済生会有田病院の50代の男性医師が感染、同病院及びその周辺は大騒ぎです

日ごろ、どんなことがあっても能天気な日本人も、伝染病となるとマスクや消毒液を買い溜めしたりして、昔のオイルショック時のトイレットペーパー買い占め騒ぎの反省、教訓は全く生かされていません。

そんな日本の国内事情をいち早く察知した米国政府は「こんな危ない日本に米国人を任せられない!」と、米国民救出のため急遽チャ-ター機を日本に派遣しますが、つまり、これは「シンゾウ、アベは信頼できない!」の証拠です。

ところが”安倍親衛隊”の日本のマスコミは、その内実は報じません。こちら大阪も一時に比べ中国人観光客がガタ減りです。道頓堀周辺も一時は中国人で占拠されていましたが、今は人通りが少なく歩きやすくなり、商売人は大変でしょうが、遊びに来る日本人は気持ちが良いと思いますね。

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そんな中、ワタシは2月15日(土)の昼下がり。「無料」ということもあって神話の故郷、宮崎の「みやざき神楽」を大阪・難波の国立文楽劇場の舞台で開催されるというので見てきました。

去年10月、東京の国立能楽堂でも開催されたそうですが、ご存知でしたか?恐らく、知らないままで過ごされたと思いますが、国立能楽堂HPを日頃からチェックしていないとダメですね(笑)。

国の「重要無形民俗文化財」に指定されている日本三大秘境の一つ宮崎県椎葉村で毎年11月~12月に夜通し行われる「椎葉神楽」です。

宮崎から国立文楽劇場に河野俊嗣県知事も駆けつけ、天孫降臨神話の高千穂周辺の神楽のPRの挨拶をしましたが、確かに宮崎県の県央、県南は神楽が盛んだそうです。

この日、同劇場の舞台では「不土野神楽」で椎葉村に太鼓と鈴に合わせて、刀を振って火の神への祈祷、唱教をあげたり、鬼神面(きじんめん)や山の神面をかぶって力強く舞う「神楽」が舞台につくられた神域の中で行われました。

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河野知事は、昨年10月に国立能楽堂での同じ「神楽」公演では、鈴木健二氏(元NHKアナウンサー)から「神楽は舞台でするものではありません。やはり現地で闇夜の中で繰り広げられるのを、直かに接しないと神楽の持つ神秘性や神とのつながりは分かりません」と厳しい指摘があったそうです。しかし、現地に行く機会が容易でない都会人には、罰当たりかもしれませんが、希少な機会です。

貴人も「神楽」の謂れ、歴史、その系統を調べると民俗学から藝能へのつながり転移の視点から、屹度、ご興味を持たれると思います。この日は無料であることもあってか劇場は満員で特に青い目の外国人が目立ちました。

以上

京都・相国寺の承天閣美術館で「茶の湯・禅と数寄」展が開催中=宗旦狐の逸話も面白い

京都・相国寺 Copyright par Kyoraque-sensei  

おはようございます。京洛先生です。

 ワタシが勧めた「藝術新潮」2月号を購入され一読されて、「軽薄だ!」と厳しいご指摘ですが(笑)、世の中、すべてが軽佻浮薄です。貴人のように物事をナンデモ真正面から真面目に受け止める人は、生きにくいご時世です。もっと、生半可にいい加減にならないとノイローゼ、不眠症に陥りますよ(笑)。

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 ところで、中国・武漢の「急性肺炎」で、中国をあてにしている業界、企業は大慌てですね。株価も下降線に入りました。恐らくすぐ解決できることではなく、今夏の東京オリンピックも影響を受けると思いますね。特にその対応が「人の集まる場所に行かない方がいい!」ということでは、「景気」の落ち込みは半端じゃないですよ。「東京五輪後に不況がやって来る」と予測するエコノミスト、評論家はいましたが、これでは「東京五輪前に不況がやって来る」と言うことになりますね。

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 消費増税で消費が減速し、デパート、コンビニなどの業界では既に売り上げが大きく落ち込み始めているのですから、尋常じゃありません。

 1月28日(火)には、武漢に行ったこともない奈良在住の運転手が、武漢から来たツアー観光客を乗せて運転し、新型肺炎に感染したという事が分かり大騒ぎになっています。

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 京都、大阪、東京と中国人観光客が多いところは、日本国内での感染にこれまで以上に神経をとがらせことになります。

 洛中も新年になり、中国人観光客がめっきり減りました。その分、静かになり、煩くない分、地元住民は、ほっと一息つきますが、これから、新型肺炎の感染騒ぎを考えると憂鬱になりますね。

京都・相国寺 Copyright par Kyoraque-sensei  

 そんな世間の動きとは別に、以前、南青山の東京別院に渓流斎さんが参禅に行かれた京都五山の一つ「相国寺」に1月29日(水)の昼下がりぶらっと出かけてきました。
 同寺の境内にある承天閣美術館で「茶の湯・禅と数寄」展が開催中(3月29日まで)で、それを覗いてきたわけです。

 この展覧会は、昨年10月~12月は「Ⅰ期」、新年1月11日から「Ⅱ期」と、二回に分けての長期の開催です。Ⅱ期は、無学祖元の国宝「墨跡」(鎌倉時代、相国寺蔵)、明の永楽帝が足利義満におくった国宝「明永楽帝勅書」(室町時代、相国寺蔵)など、展示数は少ないですが、“禅と茶”、“権力者と茶”、“数寄者と茶”の関係がよく分かる品々が並び、充実した展覧会でした。

京都・相国寺 Copyright par Kyoraque-sensei  

しかも、平日なので来館者も、少なくゆったり見られるのは好いですね。

 展示品の写真撮影は不可ですが、相国寺の境内は御覧の通り、静寂で南天が咲いていたり、梅の枝には早くも梅の蕾が膨らみはじめ季節感を味わいました。

相国寺 宗旦稲荷 Copyright par Kyoraque-sensei  

 同寺の専門道場そばの“宗旦狐”を祀る「宗旦稲荷社」にも参って来ました。ここで伝承されている「宗旦狐」の謂れについてはリンクを貼っておきます。

 逸話は面白いでしょう。

 以上

鳥取砂丘~姫路城~倉敷・大原美術館=山陰・山陽の旅最終日

姫路城

 12月3日(火)は「山陰・山陽の旅」の3日目、最終日でした。待ちに待った姫路城です。

 その前に、この日の朝は、前日暗くて行けなかった鳥取砂丘へ。

鳥取砂丘

 前日夕食を取った丘の上の土産物屋さん付近から二人乗りのリフトで下って砂丘へ。往復300円のリフト代はツアー代に含まれていました(笑)。5~6分で砂漠へ。

朝の9時前で、シーズンオフだったせいか、我々ツアー参加者以外誰もおらず、日本海から吹きすさぶ風が冷たくて、寒くて早く帰りたくなりました(笑)。

ラクダさんもおらず、「ラクダの写真を撮ったら料金頂きます」との看板だけが空しく、突風に耐えていました。

1993年 世界文化遺産の日本第一号として記載された姫路城

 鳥取市から無料高速道路の鳥取自動車道と有料の中国自動車道などを通って、約2時間ぐらい掛けて南下して一路、姫路城へ。

 バスの中で、御一緒した「一人旅の達人」で74歳ぐらいにみえるK氏と話が弾み、彼は「鳥取自動車を有料にしたら、通る人がいなくなっちゃうからだよ」とか、「このツアーは安いよ。東京~岡山の新幹線グリーン車券だけで、元が取れちゃうから。ホテル代もバス代もタダみたいなもんだよ」と仰るではありませんか。

姫路城 籠城に備えて城内には11カ所の井戸があった

 なるほど、鳥取県の人口はわずか57万人。10月末に、栗原先生のお導きで宇都宮城に行きましたが、宇都宮市の人口だけで51万人ですからね。鳥取市の駅前商店街もシャッターで閉まっている店が多く、何と言っても、街灯が少なくて薄暗い。物価も他府県と比べて安いのでしょう。だから、「おまけ」の宿泊ホテルは鳥取県になったと思われます。K氏は「瀬戸内海側の岡山や姫路に泊まったら採算が合わないわけですよ」と言うのです。

 もう一つ。東京~岡山の新幹線グリーン車往復料金は、4万7460円。それなのに、ツアー旅行代金は、シーズンオフのため4万9900円。差し引き2440円で、ホテル代、バス代、入場料代、ガイド代等を賄っていたわけか…んな、そんなことできるわけない!

 2泊3日で、夕食は1回だけしか付いていなかったり、一日何カ所も土産物店を回ったりしていることから、提携、連携、共済、共存等色んなバックマージンで、業務を維持しているのでしょうね。

姫路城 地上6階、地下1階の7階構造 大天守の高さは31.5メートル 

 あ、旅行記のはずが、とんだ話になってしまいましたね。とにかく、姫路城です。ツアーに参加していなければ、入場料は1000円でした。

 姫路城の歴史は元弘3年(1333年)、護良親王の命により挙兵した赤松則村が京に上る途中、姫山に砦を築いたのが始まりだと入り口で入手したパンフレットに書かれていました。

 歴代の姫路城主の中で重要人物を挙げると、まずは羽柴秀吉(1583年から3年間)。長州毛利攻めの際、黒田官兵衛の勧めで入城しました。今の姫路城を整えたのは、関ヶ原の戦い後の慶長5年(1600年)に城主になった池田輝政。徳川家康の次女督姫と結婚し、播磨52万石を与えられました。薩摩、長州など西国列強に睨みを利かせる役割を担わされたわけです。

 元和3年(1617年)には、徳川四天王の本多忠勝の嫡男忠政が、伊勢国桑名から移封され、一緒に同行した忠政の嫡男忠刻に、二代将軍秀忠の長女千姫が再嫁します。千姫は7歳で豊臣秀頼と政略結婚させられますが、大坂夏の陣で大坂城から脱出しました。西の丸には今でも「千姫の部屋」があります。

 本多家のほかに、徳川の親戚と思われる松平家や、やはり徳川四天王の榊原康正や酒井忠次の末裔と思われる榊原家や酒井家などが城主となっていることから、相当な重要拠点だったことが分かります。

 姫路城がなぜ、国宝になったかと言えば、何と言っても、明治政府の愚かな廃城令から幸運にも免れ、太平洋戦争での米軍による2度の姫路空襲で奇跡的に生き残ったことが大きいですね。

 明治、昭和の大修理を経て、平成21年(2009年)には6年かけて「平成の修理」が行われ、「白鷺城」の異名通り、輝くばかりの白さが復活しました。

好古園 入園料300円(姫路城との共通券なら1050円だとか)

 そして、現在は、この城はどなたが所有しているのかと思ったら、な、何と文部科学省なんだそうです。「なあんだ、日本国民の共有の財産か」と安心していては駄目ですね。何しろ、今の官僚は、人事権を握られた安倍最長期政権に忖度して生きています。姫路城も、偽造されたり、改ざんされたり、廃棄されたり、シュレッダーで「なかったこと」にしたりしかねませんよお。

 いや、ブログが炎上してはいけないので、この辺で。2時間の自由時間が少し余ったので、姫路城西御屋敷跡に日本庭園として平成4年に開園した「好古園」を散策しました。結構広くて、途中で迷子になって、駆け足でバスにまで戻りましたが、紅葉がとても綺麗でした。

倉敷

 念願だった姫路城を後にして、バスは倉敷へ。当初は、色々と散策しようかと思いましたが、昨日書きましたが、急きょ、1時間15分の自由時間を大原美術館一本に絞ることにしました。

大原美術館 本館/ 分館と工芸・東洋館を合わせて1300円

大原美術館といえば、代表作は、エル・グレコの「受胎告知」でしょうけど、あたしは、グレコはスペインのトレドやマドリードでかなり観てきましたからね。お目当ては日本美術でした。

 「工芸・東洋館」では、河井寛次郎、浜田庄司、バーナード・リーチなどの陶芸作品が充実していました。

 創立者の大原孫三郎が支援し、美術館の収集品の元になった買い付けもした画家の児島虎次郎の作品も初めて見ましたが、なかなか良かったですね。岡山出身の虎次郎は東京美術学校は2年飛び級で卒業し、欧州に留学してベルギーのゲント美術アカデミーを首席で卒業します。帰国後、「朝顔」など印象派の影響がみられる大作など旺盛な創作活動を続けましたが、病に倒れ、47歳の若さで亡くなっています。

 この後、倉敷から岡山に戻り、新幹線のグリーン車で帰京した次第。3日間、小生の旅行記にお付き合いくださり、誠に有難う御座いました。私もこれで、やっと、一息つくことができました。

 業界団体の幹部職員から「渓流斎さん、ブログは何時間もかけて執筆されているとのことですが、やめたらきっと楽になりますよ」と甘い誘惑の声を囁かれましたが、頑張ってその誘惑を断ち切って完走することができました。これも皆様のお蔭です。感謝!

足立美術館と念願の出雲大社へ=山陰・山陽旅行の2日目

足立美術館

12月2日(月)。「山陰・山陽旅行」の2日目です。初日は、移動日だけということで、米子駅前の床屋のおじさんの枕話だけで終わってしまいました。

 この日は、集合時間前の早朝に、米子城址に行く予定でしたが、早朝から雨。すっかり意気消沈して行くのをやめてしまいました。

足立美術館

この日のハイライトは、出雲大社の参拝です。

何で、出雲大社は島根県なのに、鳥取県の米子市に宿泊したんだろう?それは、後から理由が分かりました。

 団体ツアーの総勢は46人。貸し切りバスに乗ると超満員です。私自身、色んなツアーに個人で参加しましたが、こんな多いのは初めてでした。ほとんど人生を達観された方々ばかりでしたが、何でこんなに多いんだろう?その理由も後から分かりました。

足立美術館

 出雲大社の前に、日本庭園と120点の横山大観のコレクションを誇る「足立美術館」に立ち寄りました。入館料は、な、何と2300円。でも、ツアー料金の中に含まれていました(笑)。

 足立美術館を訪れるのは30年ぶりぐらいで、2回目です。でも、それだけ、歳を取ったせいか、深い感動が心に染み入りましたね。

日本庭園は、米国の専門誌で、2003年から連続16年も「日本一」に輝いているそうで、苔庭あり、枯山水あり、白砂青松庭あり…。5万坪もの敷地があるそうですから、見ていて飽きない。できれば、一日ボーと過ごしたいぐらいです。チコちゃんに叱られてもかまいません。

足立美術館

 展示されている絵画は、もちろん、撮影禁止でしたが、横山大観はじめ、竹内栖鳳、橋本関雪、川合玉堂ら日本画を中心に1500点(所蔵分も含む)。私は、若い頃は印象派を中心に西洋の油絵ばかり見続けてきましたが、歳を取ると日本に回帰するといいますか、断然、日本画の方が鑑賞するのが五臓六腑に染み込んで楽しくなりました。かなりの欧米にある美術館巡りをしましたし、もう、泰西名画はお腹いっぱい、といった感じです。

足立美術館

 足立美術館を開館した足立全康(1899~1990)は、地元安来市出身の実業家で、「庭園も一幅の絵画である」という信念のもとで、このような庭園を充実したらしいですが、本当に素晴らしい。

 下世話な話ですが、横山大観の富士山の絵画が、7億円はくだらないと言われていますから、120点ともなると、大観さんだけで、840億円はくだらない、わけですね。

 その財力はどこから来たのか?館内の年譜によると、足立全康は、尋常小学校を卒業後、家業の手伝いから、炭団(たどん)の販売を始め、それが当たって、商売を広げ、地元の安来鋼(はがね)や繊維卸業を軌道に乗せ、戦後は不動産投資で富を築いたようです。

後日談ですが、たまたま、その日の夜に、京洛先生から電話があり、足立美術館の素晴らしさを話したところ、「いやいや、倉敷の大原美術館の収蔵品の方が量・質とも上ですよ。是非、倉敷に行って比べてみてください」というので、最終日の3日目に倉敷に立ち寄った際、自由時間はすべて大原美術館に費やしました。

 大原美術館は1930年に、大原孫三郎によって開館されましたが、孫三郎は倉敷紡績(クラボウ)、倉敷絹織(クラレ)、それに今の中国銀行や中国電力などの社長を務め、大財閥を築いた人ですから、やはり、こちらの方が、桁違いの財力でした。

二の鳥居である勢溜(せいだまり)

さて、個人的には念願だった出雲大社にバスは向かいました。

 その途中で、団体ツアー旅行には付き物として、「トイレ休憩」の建前で必ず立ち寄る土産物店にバスは横づけされました。そこは「島根ワイナリー」といって、地元産のワインが9種類ほど試飲ができるのです。甘口から辛口までバラエティーに富んで用意されて、まさに飲み放題。途中で分からなくなってしまいましたが、8杯ぐらい飲んでしまいました。意外にも甘口ワインが旨かったでした。

 ただ酒を呑んでしまったので、「悪いなあ」と思い、買いたくもないお土産を2点買いましたよ。いけない、敵の罠にまんまとハマってしまった。

奥に一の鳥居が見えます

 出雲大社本殿近くの土産物店の2階で昼食を取った後、30分ほど自由時間になったので、一の鳥居(高さ23メートル)に行ってみようかと思ったら、外はどしゃぶりでした。途中まで行ったのですが、靴下まで濡れてきて、集合時間に間に合わなくなるといけないので、あえなくギブアップして引き返し、二の鳥居(高さ8.8メートル)がある勢溜(せいだまり)で我慢しました。

神楽殿

 集合時間に戻ったところ、どういうわけか雨はやんでくれました。

 ガイドさんの案内で、最初に連れて行ってくださった所は、神楽殿。大注連縄が特徴的で、私も写真で何度か拝見したことがありました。

 素人の方は、ここが本殿だと勘違いして、ここだけお参りして帰ってしまう人もいるんだとか。

オオクニヌシノミコト

 御存知、大国主大神、オオクニヌシノミコトです。出雲大社の祭神です。

 「因幡の白うさぎ」の話や国譲りの物語に登場します。

拝殿

はい、ここが拝殿。1963年に新築され、高さ12.9メートルあるそうです。

 右側に少し見えるのが、国宝の御本殿です。

神楽殿の大注連縄

 その前に、先ほどの神楽殿の大注連縄のアップ。以前は、この大注連縄に向かって、お賽銭を投げつける輩が多く、たくさんのコインが藁の間に挟まっていたそうです。今はない、ということは禁止されたのでしょう。

 長さ13.6メートル。重さが5.2トンもあるといいますから、下敷きになったら大変ですね。

八足門

 御本殿に向かいました。建物は、将軍徳川吉宗の頃の延享元年(1744年)に完成されたもので、国宝。

 ただし、上の写真は御本殿の手前にある八足門で、お正月以外、普段は御本殿に入れませんのでここで参拝します。

 神社での参拝は、普通は、2礼2拍手1礼ですが、出雲大社だけ特別で、2礼4拍手1礼となっていました。

御本殿

 上の写真が、国宝の御本殿です。屋根の上にバッテンのようにクロスしたものがありますが千木(ちぎ)と呼ばれ、穴も開いていますが、その穴の大きさはヒトの頭が入るくらいの大きさなんだそうです。

江戸時代につくられた御本殿の高さは24メートル。平安時代はこの倍の48メートルもあったそうです。それどころか、日本古代文明の発祥地とでも言うべき出雲国なので、当時は96メートルという全国一の巨大な建造物だったことが、2000年に発見された遺跡で明らかになっています。

 祭神のオオクニヌシノミコトは、西に向かってお座りになっているので、写真ではこちらに向かってお座りになっていることになっています。目と目が合いましたか?

 そうそう、出雲大社は60年に1度、「遷宮」という行事があります。ただ、出雲大社の場合、伊勢神宮のように場所は移動せず、瓦葺を新調するんだそうです。使われるのはヒノキの檜皮。これが不足して将来的に心配されるそうです。あわてて植林しましたが、檜皮が取れるヒノキが成長するのに120年もかかるんだそうです。

 遷宮の直近は平成25年(2013年)、その前は昭和28年(1953年)。次回は2073年ですが、ガイドさんは「60年後も皆さん、お参りに来てくださいね」と呼び掛けていました。これに対して、皆、力なく苦笑するだけでしたが。

お菓子の壽城

 さて、この後向かったのが、米子城です。

いや違った、「お菓子の壽城」というお菓子屋さんです。島根県出雲市から、また鳥取県米子市に舞い戻ってきました。「また、土産物屋かあ」と思いましたが、ここは許します。見事なお城の建物です。米子城を復元したらしいのですが、随分お金をかけているなあ、と思いました。

 早朝、行けなかった本物の米子城址の仇を取った感じでした(笑)。

12種海鮮御膳

 この米子市からバスでまた1時間半もかけて東へ走行し、 鳥取市へ。夕食は、鳥取砂丘のお土産屋さんを兼ねた食堂へ。午後5時半近かったので、外は真っ暗。街灯がほとんどないですからね。砂丘も見えないので、予定が変更され翌日回しとなりました。

 夕食は12種類の海の幸、海鮮御膳。中ビール650円は少し高め。

 2日目の宿泊先は、鳥取駅近くのシティホテルでしたが、駅前通りは寂れてシャッター商店街。街灯も少なくて、薄暗かった。むしろ、東京の夜の明るさの方が異常なのかもしれませんけどね。

 それにしても、2日目の宿泊先もまた鳥取県。どうしちゃったんでしょうかね?これまた、後で分かることになります。

 3日目は、ついに念願の姫路城と倉敷の大原美術館に行くことができました。(つづく)

初めての米子で面白い床屋のご主人と会う=山陰・山陽の旅

 「城好き」を自称しておきながら、日本一のお城「国宝 姫路城」にまだ行ったことはありません。「ライフワークは、寺社仏閣巡り」と宣言しておきながら、八百万の神が集まる出雲大社にも行ったことありませんでした。

 それじゃあ、駄目でしょう。ということで、この二つがセットになっていた団体旅行ツアーがあることを10月某日の新聞広告で見つけて、一人参加も同じ料金ということもあって、申し込んでみました。

その旅行の出発が昨日12月1日のことでした。東京から岡山までの「新幹線グリーン車」というのが、このツアーの「売り」でしたが、豪華さはそこまで。残念!初日は移動だけで、6時間半も掛かり、どういうわけか宿泊先が、何も関係がない鳥取県の米子市の駅近くのシティホテルで、大浴場がなし。

しかも、その日は、夕食もつかないということで、グリーン車代の影響がここまで波及するとは、申し込んだ参加者の中で想像出来る者は一人もありませんでした。

早速、ホテルを出て散策したところ、米子城跡があることが分かりました。看板では駅前辺りから800メートル。でも、雨が少し降ってました。少し走ったりして、15分ぐらいで、城址公園の入口みたいな所に着きましたが、辺りは真っ暗。これじゃ無理なので、明日、早朝にでも行くか、ということで、再び、駅に戻りました。

そしたら、床屋のネオンサインが目に入り、頭をカットしてもらうついでに、色々と米子市の情報を「床屋談義」で、取材しちまおうという魂胆で入ってみました。

米子市の特産物は何か?観光名所は何か?地元の有名人は誰か?ー色々とご主人に聞いてみましたが、あまりよく知らない、とどうも話が噛み合わない。おかしいな、と思ったら、このご主人はもともと松江市出身で、どうも、電車で40分ぐらいかけて米子にまで来ているみたいでした。

米子市は鳥取県とはいえ、西端で島根県に近く、県は違えども、松江市文化圏に入ることが初めて分かった次第。

 ご主人に、地元の人がお勧めの居酒屋を紹介してもらおうか、と聞いたところ、この床屋から歩いて1分ほどの「太平記」という店を教えてもらいました。

あとは、こっちが質問もしていないのに、ご主人自身が旅行した北海道の話になり、函館でのナオンは酷かった、札幌のススキノのサロンの横の店では隠れてやっていたとか、その筋の話のオンパレードになり、とにかく、興に乗って、変態的なレラシオンとか、ホワイトは凄いとか、一日に三回はしなきゃ、みたいな話を滔々とまくし立てて止まらないのです。

あまりにも、そういう数奇ものの話が多いので、「ご主人は、さっき自分で43歳って言ってましたけど、ご結婚されてないんですか?」と、つい、プライバシーを侵害してしまいました。

そしたら、「ええ、自分は独身ですよ。結婚するつもりないし、別に寂しくないですよ。老後のお金を貯めているんです。趣味としてクラシック音楽を聴いたり、サスペンスが好きなので本を読んだり、映画を観たりしてますから」と言うではありませんか。

 「あら、独身でしたか。そしたら、あっちの方はまだまだ頑張りたくてしょうがないでしょうね」と、私はもう達観してますから、彼を励ましておきました。

ご主人の独演会が終わった頃、本職も無事に済み、カットと軽いシャンプーで、料金はわずか1700円でした。安い!

この後、ご主人に教えられた通り、「太平記」で一人で呑んでいたら、何と、その床屋のご主人が店に来るんじゃありませんか。吃驚です。彼も飲みに来たと思ったら、詳細は分かりませんが、どうやら、一日の売り上げ金をこの店に銀行代わりに毎日預かってもらっているようでした。真相は分かりませんが。

 なーんだ。「安くて、美味しい、手頃な店」と聞かされていましたが、何かグルみたいですね(笑)。もっとも、添乗員さんが配ったお勧めの店のナンバーワンの店がこの店でしたから、グルというのは言い過ぎだったでしょう。

地元、いや、恐らく隣りの島根県の地酒のヤマタノオロチは、結構、口に合って美味しかったです。この日は予約客でいっぱいで、何人かの人が断られていました。私が入店できたのもラッキーでした。また、米子市に来るようなことがあれば、またこの店に来ますよ。そう言えば、鳥取県は、故片岡みい子さんの親友の米澤画伯の出身地でした。鳥取県を悪く言ったわけじゃありませんからね(笑)。

今日は、何か酒場放浪記みたいな話になってしまいました。次回は、ちゃんとした出雲大社や姫路城のお話になります。

「新善光寺展」が開催中=京都・泉涌寺

おはようございます、京洛先生です。

 昨年も渓流斎ブログで紹介、掲載してくださった「新善光寺展」が、今年も11月30日(土)まで、京都・泉涌寺山内にある「新善光寺」で開かれています。

今年は今週27日(水)に、天皇皇后両陛下が“皇室の御寺”である、泉涌寺に行幸啓されたので、同日は、新善光寺の界隈や狭い参道は、小旗を持った人が押しかけ、いつもは閑静な同寺一帯は大賑わいでした。

ワタシは、渓流斎さんも旧知の加藤力之輔画伯が新善光寺のご住職と入魂でもあるということで、彼のアトリエにお邪魔して、同展を覗いてきました。

 今年は、770年余にわたり同寺に伝わる「寺宝」や皇室ゆかりの遺品も展観、公開され、庭の紅葉とともにじっくり鑑賞してきました。 (残念ながら、寺宝等は、写真撮影禁止でした)

後嵯峨天皇が1243年(寛元元年)の勅願で創立、開山された「新善光寺」ですが、その謂れは、はるばる、信濃の「善光寺」に行かずとも、京の都で信州善光寺に祀られている阿弥陀如来と同仏同体を鋳造して、そのまま拝めるようにということで「新善光寺」の名前で建立されたわけです。

新年令和2年1月1日から始まるお馴染み、JRグループが大キャンペーンを張る「京の冬の旅」に新善光寺が初公開されることになったので、 今年は、そのポスターに使われた狩野周信筆の襖絵「鞨鼓楼図」も公開されました。

その前に、取り敢えず、新善光寺の境内の紅葉などをご覧ください。

恐らく、都心の東京駅をはじめ、銀座や新宿、渋谷などで、この襖絵をバックに座る片山九郎右衛門(能楽師)の、“京の冬の旅”の一大キャンペーンのポスターや映像が頻繁に大写しで流されることでしょう。

廊下の奥の絵は加藤力之輔画伯の作品です。

こちらもそうです。

皆さん、京の都がお待ちしております。

拝復

 確か、泉涌寺は真言宗だったはずですが、浄土教の阿弥陀如来の信仰も強いんですね。

 先週、後輩が京都に紅葉狩りに行ったら、大混雑で、歩くのも大変だったという話を聞きましたよ。

 あまり観光客が来ない、知られていない名所を狙うしかありませんね。

京都・光明寺(西山浄土宗総本山)は今、紅葉の見ごろです

京都の京洛先生です。

「東西タイムズ」の渓流斎編集主幹から「京の都の紅葉の写真を送ってもらえませんかね。東京の紅葉は深みがありませんから」とのご依頼もあり、本日、午後から、洛外、長岡京市にある西山浄土宗総本山「光明寺」に出向き、パチパチ写真を撮ってきました。

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紅葉のこの時季は「光明寺さんの紅葉は、綺麗やし、見に行きまひょか」と、近畿各地から見物人が大挙押し掛けるので、阪急「長岡京市」駅から、阪急バスが臨時増便されて、大賑わいでしたね。

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編集主幹とは、今夏、同じ西山浄土宗で、山科にある青龍山「安養寺」を訪れた際、村上純一御住職から「総本山光明寺は、宗祖法然様の御廟もあり、一度ご覧になるといいですよ。今の時季は閑静で人もほとんどいませんから落ち着くでしょう」と勧められましたね。

 確かに、暑さの頂点を極めたあの日、人影が全くない同寺を訪ねることができましたが、今日は、打って変わって大変な賑わいで、見物客目当ての様々な露店も出ていて、「これが同じあの光明寺か」と吃驚仰天です(笑)。

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あの夏の日、渓流斎主幹は、青葉を見ながら「紅葉の時季になると、恐らく、此処は一面、紅葉参道になるのでしょうね」と言っておられましたが、全くその通りでした。これから12月半ばまでは、紅葉見物が出来るくらいまだ青葉も残っていました。

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総門から御影堂までの石畳も、紅葉見物の人出が絶えず、阿弥陀堂、御影堂の堂内も、老若男女、子供連れ、アベック等々でごった返していました。

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光明寺は京都の西南の西山連峰を背景に、今から800年前、法然上人の教えを伝えるべく建立されましたが、総門の前には「浄土門根元地」と大きな石標が建てられています。

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広い境内は、楓の木が多く、「薬院門」から「閻魔堂」にかけての緩やかな下り坂は、まるで紅葉のトンネルのようで壮観でした。

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「御影堂」の裏には「国光大師の御廟」があります。この夏は、御影堂の中に入り、誰もいないお堂で、年老いた管理人の方の詳しい光明寺の謂れを教えてもらいましたが、裏手は拝観しませんでしたね。石庭もありました。…

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この時季だけは入山料500円を徴収されますが、それだけの値打ちはある境内の紅葉探訪、散策でした。

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御影堂の中から、外の紅葉の色合いも綺麗でしょう。

機会がありましたら、また紅葉狩りに京都にお越しください。

以上

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京洛先生江

そうですか。またまた、光明寺まで足を運ばれたのですか。少し、懐かしいですね(笑)。

 確か、光明寺から長岡京市駅までのバスが1時間に1本か2本しかなく、「大変な所に来てしまった」と思いましたが、紅葉のシーズンは臨時バスが出るんですね。

 たくさんの人出の中、「アベック」なんて、1960年代風で、今では死語になってしまいましたが、京洛先生の時間は停まっているのでしょうね(笑)。

 あれから、私自身は、日本浄土教に関して、ほんの少し勉強しましたので、西山浄土宗も、鎮西派も、法然上人も、弁長上人も、証空上人も、そして、阿弥陀如来の思想も知識として増えました。お蔭で、これからも寺院や仏像を参拝するのが、ますます楽しみになりました。

 また、いつか京都に行って寺社仏閣巡りをしたいと思っています。ご指導ご鞭撻の程、宜しくお願い申し上げます。

渓流斎

宇都宮探訪は満点でした=大谷観音、大谷石地下採掘場、二荒山神社、松が峰教会、宇都宮城址

10月26日(土)に、宇都宮大旅行を挙行致しましたので、今日はそのお話です。

皆様ご案内の通り、小生の趣味は、全国、いや全世界の城巡りと、寺社仏閣参りでしたね。

 どういうわけか、遠いようで近い宇都宮は一度も行ったことがなく、ということは親藩の宇都宮城址にも行ったことはありませんでした。同じ栃木県でも、那須や日光は仕事や遊びで何十回も行ったことがあったのに、宇都宮は御縁がありませんでした。

 そんな話を宇都宮出身の栗原氏に話したところ、今回、案内役を快諾してくれたのです。それがこの夏のことで、さすがに、真夏の猛暑はとても大変なので、9月に延期したら、雨やら台風やら伸び伸びとなり、10月26日にやっと実現したわけです。

平和観音 昭和23年から29年にかけて彫刻され、昭和31年に開眼供養が行われました

 ということで、城址見物ということでしたが、「どうせ宇都宮まで足を運ばれるのでしたら、お任せください。名所観光地巡りもしませう」ということで、栗原氏のお薦めで、まず宇都宮駅に着いて買ったのが、「大谷(おおや)観光一日(バス)乗車券」、1750円でした。バス代金(往復900円)と大谷観音の拝観料(400円)と大谷資料館の入場券(800円)付きで、途中下車もできますから「350円以上もお得」という触れ込み付きです。

 確かに、これは便利で安い。皆様にもお薦めです。

 宇都宮駅からバスで30分ほどで、大谷観音前に着き、まずは平和観音を参拝。高さ 27メートル。東京芸大の飛田朝次郎教授の下で、昭和23年から29年にかけて6年間、地元の大谷石(おおやいし)で彫られ、昭和31年に、日光輪王寺門跡・菅原大僧正により開眼供養が行われたという有難い観音様です。

 栗原氏は小学校の頃に遠足で来たことがあり、それ以来行ってないので、「半世紀以上ぶりだなあ」と一人で感慨に耽っておりました。

大谷観音(大谷寺)

この平和観音からほど近いところにあるのが、大谷観音(大谷寺)です。平安時代の810年ごろに空海が開基したと伝えられ、院内の石壁に彫られた千手観音像は、日本最古の石仏と言われ、空海の手によるものと言い伝えられています。

大谷観音 この驚くべき自然の彫刻

 寺院内は写真撮影禁止でしたが、このほか、釈迦三尊、薬師三尊、阿弥陀三尊の石仏も彫られています(重文)。大分県の臼杵麿崖仏と並び、「東の麿崖仏」と言われるそうです。これは一見の価値、いやご参拝する価値がありました。

大谷寺の弁財天

大谷寺は空海の開基ということでしたら、当然、真言宗なのですが、現在は天台宗の寺院ということになっていました。栗原氏も「知らなかった…」と頭をかいておりました。

大谷石採掘跡

大谷寺から歩いて、5~6分で、大谷石の採掘現場です。

NHKの「ブラタモリ」でもやっていましたが、そのドデカサは現地に行かなくては分かりませんね。テレビでは分かりません。その巨大さに圧倒されました。

大谷石は凝灰岩で、主に全国の家屋の「石垣」として使われましたが、確かにいくら採掘してもなくならない感じでした。

大谷資料館にある地下採掘場

 大谷資料館の地下採掘場に潜りました。

地下採掘場は、戦時中、戦闘機「疾風」が組み立てられていたとは

戦争中は、軍需工場としても利用されたようです。

地下採掘場は高さ60メートルだとか。まるで「地下神殿」でした

 とにかく、その規模の大きさには唖然としました。薄暗い地下採掘場は、この日の気温10度。まるで「地下神殿」のようでした。雨水が溜まった池みたいな所(立ち入り禁止)もありましたが、深さは30メートルといいますから、驚きです。日本じゃなくて異国にいる気分でした。

 ここは、十分、「世界遺産」にしてもいいと思います。

 これだけ、広くて神秘的だと、映画やテレビやプロモーションビデオなどのロケ撮影として使われているようです。このほか、コンサートや結婚式まで挙行されています。

 私の世代ですと、映画は薬師丸ひろ子主演の「セーラー服と機関銃」がここで撮影されたんだとか。私は見てませんけど(笑)。

二荒山神社では「菊水祭」が行われていました

バスで市内中心部(馬場町)にまで戻り、二荒山(ふたらさん)神社に参拝しました。この二荒(ふたら)を音読みすると「にっこう」、つまり日光になるわけですね。

この日は、神社の菊水祭が始まったばかりでした。このお祭りの写真を撮って安心してしまい、家に帰ったら、二荒山神社の本殿を撮影することを忘れていました(笑)。しっかり、お参りしたんですけど。

 駄目ですね。でも、この全国的に有名な神社も、足を運んでみると、意外に敷地が狭いような感じを受けました。

 そうそう、ここには、与謝蕪村の句碑もありました。蕪村は大坂生まれで京都を拠点に活動したので、わざわざ、京都から宇都宮在住の知人の俳人を訪ねに来たみたいでした。

二荒山神社近くのビル地下にある餃子専門店が並ぶ「来らっせ」

 時計の針はもう2時を過ぎており、お腹ペコペコです。

 栗原氏は、宇都宮名物の餃子を食べさせてくれました。

 ビルの地下1階にある「来らっせ」には、常設店舗と日替わり店舗と合わせて10軒ぐらいの餃子店がありました。

これが噂の名物「宇都宮餃子」

 何となく、屋台の雰囲気で、色んな店舗の餃子を楽しむことができるのです。

 中に柚子が入った餃子もあり、どれを食べても美味かったです。入場前は短い行列を並び、テーブル席が満員で、カウンター席でした。観光客も多い感じでした。

 宇都宮餃子は評判通りの味でした。

1932年竣工。「全身」大谷石の松が峰教会

 腹ごしらえもできたので、店舗から15分ほど市役所の方向に歩くと宇都宮城址があるということで、「いざ出陣」。

 その前に、その途中にある松が峰カトリック教会を訪れました。地元の大谷石を使って1932年に竣工されたということで、中にはパイプオルガンもあり、音響効果も抜群だという話です。

 宇都宮市は昭和20年7月に米軍による空爆を受けて、市の半分以上が焼失したそうです。この教会も戦災に遭い、戦後復興されました。

 米軍による空爆で、市民の620人以上が亡くなり、1128人以上が負傷したという記録が残っています。

ついに来ました。宇都宮城!

 教会から歩いて10分ほどで、やっと宇都宮城址に到着しました。

 打ち震える感動です。大袈裟ですが、(復元された)櫓を見ただけで感激しました。

櫓=清明台

この宇都宮城にこうして櫓が復元されたのは、平成元年から本丸城跡発掘調査が行われた以降のことで、栗原氏も「子どもの頃は、なーにもなかったので、宇都宮が城下町だったとあまり意識しなかった」と仰るではありませんか。

 現に宇都宮市観光交流課が企画するパンフレットには、「宇都宮城址」の「城」のかけらも案内していないんですからね。

 小生のような城巡りファンとしては、「勘弁してくれよ」と言いたくなりました。

幕末の慶應年間の宇都宮城、この後、戊辰戦争で、土方歳三軍などによって大半が焼失

 それでいて、宇都宮城址公園には立派な資料館もあり、宇都宮城の立派なパンフレットは、宇都宮市教育委員会文化課が製作発行していました。教育委員会文化課と観光交流課は、同じ市役所でも接点がないのかもしれませんけど、もっと連携しなければいけませんよね。

 宇都宮城は、平安時代後期の11世紀に築かれたといいますから、歴史があります。

 鎌倉時代から宇都宮氏の居城になりましたが、同氏の名前を取って、地名になったということでしょうか。宇都宮は、一宮(いちのみや)=二荒山神社がなまったという説もあるので、鶏が先か、卵が先か、みたいな話ですね。

宇都宮城本丸跡の城址公園で、翌日行われる流鏑馬の予行演習をやってました

宇都宮が城下町として大きく発展したのは、元和5年(1619年)、本多正純が城主になってからですが、正純は謀反の嫌疑をかけられて改易され、出羽に流罪となります。これが「釣天井事件」などと呼ばれて講談にもなりました。正純は幕府の老中にまで出世し、権勢をふるい、家康亡き後、二代将軍秀忠や側近の土井利勝(佐倉藩主~初代古河藩主、老中・大老)らの怒りや反感を買ったと言われます。

 とにかく、宇都宮城は、徳川将軍が江戸から、家康・東照大権現を祀った日光に参拝する際の最後の宿泊地で、本丸は将軍の居住地となり、宇都宮城主は二の丸で居住していたという話ですね。

 そんな親藩の宇都宮藩も幕末の戊辰戦争では、寝返って新政府側に立ったため、幕臣の大鳥圭介や新撰組の土方歳三ら率いる軍が攻め込み、この戦で城内の建築物は焼失したといいます。つまり、明治以降から平成までなーんにもなかったことになりますね。

最後の締めは、宇都宮アーケード「オリオン商店街」にある「かんちゃん」で

宇都宮探訪の最大の目的だった城巡りも終わって、夕方から、市内の古いアーケード商店街にある「かんちゃん」で反省会。

 栗原氏は、実は、宇都宮出身ながら、生活したのは高校卒業までで、この後、東京の難関大学に進学して就職したため、「地元の友人とはバラバラになってしまった」と言います。それでも「宇都宮の人口は30万人、北関東一の都市ですよ」「雪はあまり降りませんが、女性の肌が白くて綺麗です」と郷土愛を忘れていませんでした。

 宇都宮出身の有名人として、ジャズの渡辺貞夫、歌手の森昌子、女優の山口智子(栃木市でした)、作家の落合恵子、漫談家の東京ぼん太、政治家で作新学院の創立者の船田一族、(元巨人投手の江川卓は、作新学院出ですが、出身は福島県いわき市のようでした)陸軍大将だった小磯国昭らがいますね。

 実は、栗原氏は、歩き過ぎたのか、途中でアキレス腱を痛めて、歩きづらくなってしまいました。途中で少し休んでもらいましたが、事前準備と合わせて、最後までガイド役として最善を尽くして頂きました。責任感の強い方です。栗原氏とは不思議な御縁で、こうしてお世話になってしまいましたが、「ここは私の地元ですから、私に花をもたせて戴く喜びを味わわせてください」と変な日本語を使われて、結局、すっかり御馳走になってしまいました。

 栗原氏のおかげで、宇都宮探訪はもちろん、百点満点でした。本当に有難う御座いました。

常林寺で萩見を=京都

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 9月になって少しは暑さが和らぎましたが、渓流斎先生の暮らし向きは如何でしょうか? 京洛先生です。

 貴人のブログを見ると相変わらず、難しそうな本ばかり読んでおられますが、もっと頭を柔らかくしないと息苦しくなりませんか?(笑)。

 年齢が行けば行くほど、持って生まれた気性、性格は治らないものですが(笑)、読む本も、もっと柔らかいものも読まないとね。それに「読書」は足腰の鍛錬をおろそかにします。二宮尊徳みたいに薪を担いで、歩いて読書すれば別ですが(笑)、本は、大体が、座って読むわけですからね。

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 小生は「一日、一万歩」目標で散歩を心掛けています。

 昨日も晴天だったので、今の時季、綺麗に咲き始めた「萩」を愛でに出掛けました。

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 出掛けた場所は、叡山電車「出町柳」駅そばの「常林寺」です。浄土宗のお寺ですが、京都市民には「萩のお寺」として知られています。ちょうどこれから10月初めにかけてが見頃です。

 此処は幕末に勝海舟が上洛した時に宿坊にしていて、中岡慎太郎らと密議をしていたということです。

ちょうど、連休明けで、人けもなく、静かで萩の見物にはよかったですね。

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「常林寺」の前は賀茂川と高野川が合流して「鴨川」になる葵橋界隈です。

 「下鴨神社」も近くですが、常林寺は、それほど大きなお寺ではなく、観光寺院でもないので、日頃は、お寺の前を通っても、目立たないので誰もが通り過ぎます。でも、この時季は、萩が咲き誇っているので、門の外からもその光景が見えます。

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それに気づいて、可憐な萩の花を愛でると、何か得した気分にもなるものです。

以上

 常林寺ですか。。。知りませんでしたね。勝海舟の京都の宿坊で、坂本龍馬も訪れていたということですから、幕末ファンにはたまらないでしょうね。

  調べたところ、毎年9月の敬老の日に「萩供養(はぎくよう)」が催されるそうですね。今でも 四季折々の花々や年中行事を大切にする京都の人にはいつも感服致します。