ジェームス・ディーン似のジーンズと仏友会と北原安奈さんが議員当選したお話

 本日は二日酔いでしたので、例のLee 101zのジーンズを履いて会社に出勤しました。別に深い意味はありませんが…。「例のLee 101zのジーンズ」というのは、4月20日付の渓流斎ブログに書きましたが、「有言実行」で、ジェームス・ディーンが愛用したモデルジーンズを買っちゃったわけです(笑)。結構高かった。

 二日酔いになったのは、ちょっとワインを飲み過ぎてしまったからです。昨日は、東京・大手町のサンケイプラザで開催された大学の同窓会「仏友会」に参加し、講演後の懇親会で美味しいワインを頂いたら、すっかり調子に乗ってしまい、帰宅してから家にあったワインまで開けて呑んでしまったのでした。そりゃあ、二日酔いになります。

 仏友会の同窓会は、ちょうど1年前に不肖、この私が講師として、「仕方なく始まった僕のジャーナリスト生活」の題で講演させて頂きました。あれからもう1年経ってしまったとは!

東京・大手町サンケイプラザ

 今回の講師は、川口裕司東京外国語大学名誉教授で演題は「外語での27年間」でした。川口氏は言語学者で、「中世フランス語における方言研究の現状」などの著作や、「フランス中間言語音韻論における母音研究」「第2言語としてのフランス語教育における話し言葉のフランス語研究」などの論文がありますが、あまりにも専門的過ぎて、内容はよく分かりません(笑)。ただ、驚いたことには、川口氏は1981年に東外大フランス語科を卒業しながら、最初の留学先がトルコのイスタンブール大学でトルコ語をマスターしてしまうのです。その後、パリ大学などにも留学しますが、その後に台湾の淡江大学などとも接点が出来て、学究生活は日本とフランスだけでなく、トルコと台湾まで行き来して講義されたりしていたのです。川口氏の研究は「日本語とフランス語の否定辞比較研究」など非常にマニアックなので、「希少価値」として世界中から引っ張りだこだったのでしょう。

 懇親会では、主に、世界的な金融業界で大変な苦労をされた鈴木さんの体験談を聞きました。涙なしには聞けない話でした。

東京駅

 ワインを呑み過ぎたのは、もう一つ要因がありまして、帰宅後、朗報に接したからでした。4月21日付の渓流斎ブログに書きましたが、旧友Kさんの御令嬢Aさんが福島県の裏磐梯にある北塩原村議会議員選挙に出馬し、昨日が投開票日だったのですが、最年少の新人候補ながら、見事、当選したというのです。私以上に「有言実行」の人です。

 当選したので、もうイニシャルはいいでしょう。北原安奈さんです。

 今朝、やっと選挙結果が公表された北塩原村のホームページによると、投票率が何と85.34%。議員定員数10人のところ、16人が立候補しましたが、彼女はギリギリ10番目で当選したのです。まだ実績のない、知名度も低い新人候補ですから、当然ながら、大苦戦でしたが、天の神さまも見てくれていたんですね。奇跡の風を吹かせてくれました。

 でも、当選してから、これからが本番です。村では過疎化や産業発展など色々と問題が山積していると思われますが、是非とも、2697人の村民のためになるよう尽力してほしいものです。

上野・東博の特別展「東福寺」と小津監督贔屓の「蓬莱屋」=村議会議員選挙も宜しく御願い申し上げます

 旧い友人のKさんの御令嬢Aさんが今回、福島県の裏磐梯にある北塩原村議会議員選挙に出馬されたことが分かり、吃驚してしまいました。投開票は4月23日(日)です。

 Aさんにとって、北塩原村は、幼少時から小学生まで育ち、その後、同じ福島県の会津若松市に引っ越しましたが、第二の故郷のようなものです。長じてから、北塩原村にある観光温泉ホテルで働いておりましたが、選挙に出るともなると、両立することは会社で禁じられ、仕方がないので、退職して「背水の陣」で今回の選挙活動に臨んでいます。

 2年ほど前、私もその観光ホテルに泊まって、Aさんに会った時、将来大きな夢がある話も聞いておりました。ですから、別に驚くこともないのですが、こんなに早く、実行に移すなんて、まさに「有言実行」の人だなあ、と感心してしまいました。

 政治というと、どうも私なんか、魑魅魍魎が住む伏魔殿の感じがして敬遠してしまいますが、Aさんの場合は全くその正反対で、彼女は、裏表がない真っ直ぐなクリーンな人なので、安心して公職を任せられます。とても社交的な性格なので、友人知人が多く、周囲で支えてくれる人も沢山いるように見えました。最年少の新人候補なので苦戦が予想されますが、是非とも夢を着実に実現してほしいものです。Aさんは、SNSで情報発信してますので、御興味のある方は是非ご覧ください。

上野・東博「東福寺」展

 さて、昨日は所用があったので会社を休み、午前中は時間があったので、上野の東京国立博物館で開催中の特別展「東福寺」を見に行きました(2100円)。当初は、予定に入れていなかったのですが、テレビの「新・美の巨人たち」で、室町時代の絵仏師で東福寺の専属画家として活躍した吉山明兆(きつさん・みんちょう)の傑作「五百羅漢図」(重要文化財、1383~86年)が14年ぶりに修復を終えて公開されると知ったので、「これは是非とも」と勇んで足を運んだわけです。平日なのに結構混んでいました。

上野・東博「東福寺」展

 「五百羅漢図」は明兆が50幅本として製作しましたが、日本に現存するのは東福寺に45幅、根津美術館に2幅のみです。それが、近年、第47号の1幅がロシアのエルミタージュ美術館で見つかったそうです。この絵は、ある羅漢が天空の龍に向かってビーム光線のようなものを当てているのが印象的です。明兆の下絵図(会場で展示)が残っていたお陰で、江戸時代になって狩野孝信が復元し、この作品も現在、重要文化財になって会場で展示されています。何で、この本物がエルミタージュ美術館にあるのかと言いますと、どういう経緯か分かりませんが、もともとベルリンの博物館に収蔵されていたものをドイツ敗戦のどさくさで、ソ連軍が接取したといいます。接取と言えば綺麗ですが、実体は戦利品として分捕ったということでしょう。ウクライナに侵略した今のロシアを見てもやりかねない民族です。

上野・東博「東福寺」展 釈迦如来坐像

 この東福寺展で、私が一番感動したものは、東福寺三門に安置されていた高さ3メートルを超える「二天王立像」(鎌倉時代、重要文化財)でした。作者不詳ながら、慶派かその影響を受けた仏師によるもので、異様な迫力がありました。撮影禁止だったので、このブログには載せられず、撮影オッケーの釈迦如来像を掲載してしまいましたが、「二天王立像」は、運慶を思わせる写実的な荒々しさが如実に表現され、畏敬の念を起こさせます。

 東福寺は、嘉禎2年 (1236年)から建長7年(1255年)にかけて19年を費やして完成した臨済宗の禅寺です。開祖は「聖一(しょういち)国師」円爾弁円(えんに・べんえん)です。34歳で中国・南宋に留学し、無準師範に師事して帰朝し、関白、左大臣を歴任した九条道家の「東大寺と興福寺に匹敵する寺院を」という命で東福寺を創建します。鎌倉幕府の執権北条時頼の時代です。特別展では、円爾、無準、道家らの肖像画や遺偈、古文書等を多く展示していました。

現在の上野公園は、全部、寛永寺の境内だった!

 ミュージアムショップを含めて、80分ほど館内におりましたが、お腹が空いてきたのでランチを取ろうと外に出ました。上野は久しぶりです。当初は、森鴎外もよく通ったという「蓮玉庵」にしようかと思いましたが、結局、東博からちょっと遠いですが、小津安二郎がこよなく愛したトンカツ店「蓬莱屋」に行くことにしました。

上野

 司馬遼太郎賞を受賞した「満洲国グランドホテル」で知られる作家の平山周吉さんの筆名が、小津安二郎監督の「東京物語」に主演した笠智衆の配役名だったことをつい最近知り(東京物語は何十回も見ているので、そう言えば、そうじゃった!)、その作家の方の平山周吉さんが、最近「小津安二郎」というタイトルの本を出版したということで、頭の隅に引っかかっていたのでした。上野に行って、小津と言えば「蓬莱屋」ですからね。

上野「蓬莱屋」「東京物語」定食2900円

 「蓬莱屋」に行くのは7~8年ぶりでしたが、迷わず、行けました。でも、外には何も「メニュー」もありません。「ま、いっか」ということで入ったのですが、前回行った時より、値段が2倍ぐらいになっていたので吃驚です。結局、せっかくなので、ランチの「東京物語」にしました。「商魂逞しいなあ」と思いつつ、流石に美味で、舌鼓を打ちました。上野の「三大とんかつ店」の中で、私自身は蓬莱屋が一番好きです。

 隣りの客が、昼間からビールを注文しておりましたが、私は、ぐっと我慢しました。だって、展覧会を見て、ランチしただけで、併せて5000円也ですからね。昔は5000円もあれば、もっともっと色んなものが買えたのに、お金の価値も下がったもんですよ。

謎の100部隊と満洲国の「真の姿」=「満洲における日本帝国の軌跡の新発掘」ー第49回諜報研究会

 4月15日(土)、東京・高田馬場の早稲田大学で開催された第49回諜報研究会(インテリジェンス研究所主催、早大20世紀メディア研究所共催)の末席に連なって来ました。同研究会にはここ数年、コロナの影響でZOOM会議では参加しておりましたが、実際に会場に足を運んだのは4年ぶりぐらいでしょうか。久しぶりにお会いする旧知の方とも再会し、まるで同窓会のような雰囲気でした。

 何と言っても、今回登壇されたお二人の報告者が、もう20年近く昔に謦咳を接して頂いた私淑する人生の大先輩ですので、雨が降ろうが嵐が吹こうが、万難を排して参加しなければなりませんでした。実際、この日は雨が降っておりましたが(笑)。

 今回の諜報研究会の大きなテーマは「満洲における日本帝国の軌跡の新発掘」でしたが、最初の報告者は、加藤哲郎一橋大学名誉教授で、タイトルは「人獣共通感染症とワクチン村 731部隊・100部隊の影」でした。事前にメール添付で各人に資料が送られて来ましたが、加藤先生の場合、簡単なレジュメどころか何と70ページにもなる浩瀚なる資料だったので絶句してしまいました。

 こんな長尺な資料から醸し出される講演について、このブログで一言でまとめることは私の能力では無理なので、「概要」から特に印象に残ったことだけ記させて頂きます。講演は、政治学者である加藤哲郎氏と獣医疫学者である小河孝氏がコラボレーションして共著された「731部隊と100部隊ー知られざる人獣共通感染症研究部隊」(花伝社、2022年)の話が中心でした。私自身は石井四郎の731部隊に関しては存じ上げておりましたが、100部隊については、全く知りませんでした。この部隊は、細菌戦研究・生体実験実行部隊として活動した「関東軍軍馬防疫廠100部隊」が正式名称で、歴史の闇の中に隠れておりましたが、小河孝氏による「新発掘」のようです。

 ズルして、概要について、少し改編して引用させて頂きますと、「中国大陸や東南アジアで細菌戦や人体実験を行ったのは、医学者、医師中心の関東軍防疫給水部『731部隊』(哈爾浜) だけではなく、 馬を『生きた兵器』とした軍馬防疫廠『100部隊』(新京)も重要な役割を果たしていた。 戦後、731部隊関係者は米軍に細菌戦データを提供して戦犯訴追を免れるが、軍歴を問われなかった獣医たちはGHQと厚生省、農林省に協力して伝染病撲滅のワクチン開発に職を得た。 そこに人獣共通感染症を研究してきた旧731部隊医師が加わり、彼らは1948年にジフテリア予防接種事件(84人死亡、1000人被害)を起こしながらも、感染症が蔓延した占領期の『防疫』に従事し、その後も日本のワクチン産業を支えた。 2020年年以来の新型コロナに対する日本の医療にも、731部隊・100部隊出身者の系譜を引く「防疫」の影がみられた。」

 これだけの概要だけでも、「えーー、本当ですか?」と胸騒ぎがしますが、加藤氏は、一つ一つ、実証例と関係者の実名を明らかにして解説してくれました。特に、驚かされたことは、究極的に、言論思想統制の「防諜・検閲」と、感染症対策の「防疫・検疫」は相似形で、明治の山縣有朋以来、同時進行で行われ、戦前の最大官僚だった内務省の対外インテリジェンスの二本柱であったという事実です。それだけではなく、現在の新型コロナの感染対策も明治以来の施策が色濃く残り、旧731部隊、100部隊出身者が設立した病院や彼らが開発したワクチンや医薬品、それに彼らが旧職を隠して潜り込んだ大学や製薬会社などがあったという史実でした。

 加藤氏は、医師の上昌広氏がコロナ・パンデミックに際して発表した「この国(日本)は患者を治すための医療ではなく、日本社会を感染症から守る国家防疫体制でコロナに対応している。(中略)明治以来の旧内務省・衛生警察の基本思想がそのまま生きる、通常医療とは別の枠組みからなっている。先進国では日本以外ない」(「サンデー毎日」2021年9月5日)といった記事も「裏付け」として紹介されていました。

 また、「新型コロナウイルス感染症対策専門家会議」のメンバーの出身を検証すると、(1)国立感染症研究所(感染研)は、国立予防衛生研究所(予研)と陸軍軍医学校防疫部の流れを汲み、この軍医学校防疫部から731部隊が結成されます。(2)東京大学医科学研究所は、伝染病研究所の流れを汲み、(3)国立国際医療センターは、陸軍病院の流れを汲み、(4)東京慈恵医科大学は、海軍生徒として英国に留学した高木兼寛らが創立し、海軍との関係が深かった、ということになります。まさに、人材的に、戦前と戦後は途切れたわけではなく、その歴史と系統と系譜は脈々と続いていたわけです。

 100部隊の獣医師らについては、農林省の管轄であったこともあり、戦後はほとんど公職追放されることなく無傷で、ワクチン業界に入ったり、学会に戻ったりした人も多かったといいます。後に岩手大学長になった加藤久弥や新潟大農学部長になった山口本治らの実名が挙げられていました。

 このほか、ワクチン製造会社で有名なデンカ生研は、電気化学工業(現デンカ)の子会社ですが、その前は東芝の子会社として1950年に設立され、戦前は東芝生物理化学研究所新潟支部で、もっと辿れば、1944年に設立された陸軍軍医学校新潟出張所が母体になっていたといいます。陸軍軍医学校とは、勿論、石井四郎の731細菌部隊を輩出した母体でもあります。

 次に登壇されたのが、ジャーナリストの牧久氏でした。タイトルになった「転生」ですが、私はこの本について、このブログでも昨夏、二度にわたって紹介させて頂きました。(2022年8月9日付「8月9日はソ連侵攻の日=牧久著「転生 満州国皇帝・愛新覚羅家と天皇家の昭和」」と同年8月12日付「周恩来と日本=牧久著「転生 満州国皇帝・愛新覚羅家と天皇家の昭和」」です。)牧氏らしく、多くの資料を渉猟して、満洲国皇帝、愛新覚羅溥儀とその実弟溥傑と日本人妻嵯峨浩を中心にした波乱万丈の生涯と満洲帝国の「真の姿」を描き切った労作です。

 今回の諜報研究会の大きなテーマになっている「新発掘」というのは、これまで散々流布されてきた「傀儡国家・偽満洲」ではなく、残された資料から、皇帝溥儀と満洲帝国の「真の姿」を炙り出したことが「新発掘」に繋がると思います。

 つまり、自己批判の回顧録として書かされた溥儀の自伝「我が半生」には、自分の都合の悪いことは書かれず、また、東京裁判で証言に立った溥儀が、自分は関東軍にピストルを突き付けられ、脅迫されて即位した皇帝で、満洲は傀儡国家だったいった趣旨の発言も虚言だったことを暴いたのです。歴史の資料というものは、100%真実が書かれているわけではないのです。

 私も、自分自身の思い込みなのか、教育でそう教え込まれたのか分かりませんが、溥儀の言う通り、満洲は傀儡国家で、皇帝溥儀には何ら自由も決定権もなく、関東軍に操られた人形に過ぎなかった、と信じておりましたが、牧氏の「転生」(小学館、2022年)を読むと、そうではなかったことが分かります。溥儀は、清朝最後の「ラスエンペラー」で、辛亥革命で退位させられたものの、実は、清朝復辟(復活)を夢見て、日本(軍)を利用しようと目論んでいたというのです。そのためにも、実弟溥傑を日本の陸軍士官学校に留学させたりします。

 また、溥儀は、満洲国皇帝に即位して、昭和10年に初来日した際、大歓迎を受け、特に貞明皇太后(昭和天皇の母)から、我が子のように手厚いもてなしを受けたことから、「自分は天皇の兄弟ではないだろうか」と大錯覚してしまうのです。満洲に帰国すると、溥儀は自ら率先して、天照大神をまつる建国神廟を建立するなど、各地に神社をたてます。これも、以前は、「日本人が強制的に満洲に無理やりに神社を建立させた」と、私自身も思い込み、「可哀想な満洲の人たち」と思っていたのですが、溥儀自らが決断したことだったことが分かりました。

 私も、牧氏が仰るように、同じように「歴史修正主義者」ではありませんが、やはり、少なくとも歴史教科書には真実を書くべきであると思っています。諸説ある場合は、違う説も並列して記述するべきです。そうすれば、学徒も間違った思い込みをしたまま、老いて一生を終えたりしないと思います。

 

おっとろしい未来地獄絵=「農業は国家なり」なのでは?

 大変ショッキングな番組を見てしまいました。昨年11月に放送されたものですが、見逃していて、たまたま見た再放送番組です。NHKスペシャル「混迷の世紀 第4回 世界フードショック 〜揺らぐ『食』の秩序〜」という番組です。

 ウクライナ戦争はもうすぐ24日で1年となりますが、その影響で世界中の穀物が高騰し、食糧危機に陥っているというドキュメンタリーです。世界第3位の経済大国日本だって、その蚊帳の外にいられるわけがありません。何しろ、日本の食料自給率はわずか38%(2019年、カロリーベース)で、食料の6割以上を輸入に頼っている現実があるからです。昨夏以来、パンやお菓子や冷凍食品など日本の物価が急激に高騰したのも、輸入に全面的に依存している小麦やトウモロコシや油脂などが高騰した影響なのです。

 それが、これまでのやり方のように、札束を積めば輸入できるならまだましな方で、これからは、トランプ流の「自国民ファースト」の時代になり、まず自国民に十分行き届かせた上で、その余った分をやっと輸出に回す。しかも、最も高額の金額を提示した外国だけに輸出する、といった現実を如実に活写していたのです。(昨年5月末から、インドは小麦、インドネシアはパーム油の輸出を禁止し、世界で取引される食料と飼料の17%が影響を受けたといいます=2023年2月23日付朝日新聞朝刊)

 番組では、日本の全農系の穀物会社の副社長が、世界中を回って穀物確保に苦悩するさまが描かれていました。当初は、全農系の穀物商社を米国に設置しておりましたが、米国の農家は、もっと高い売り手先を見込んで、なかなか日本に売りたがらなくなりました。ちなみに、穀物には、人間様が食べる大豆、小麦などだけでなく、家畜が食べる飼料や肥料なども含まれます。

 仕方がないので、副社長はカナダのアルバータ州の穀物会社に飛んでいきますが、そこで見せられたのは、空っぽの穀物倉庫です。その年は干ばつ等で生産量が少なかったせいもありますが、自国で消費されたか、もっと高額の売り手先に既に輸出してしまっていたのです。

 これでは仕方がない。北米が駄目なら、南米に行くしかない。ということで、副社長さんは、今度はブラジルに飛びます。そしたら、何んともまあ、中国最大の穀物・食品企業であるコフコ(中糧集団)という国有企業が既に全ブラジルの農家と大豆やトウモロコシなどの穀物を抑えていて、目下、1500万トンを輸出できる穀物コンビナートを港に建設中だったのです。中国は、ブラジルの穀物企業も買収してコフコの子会社化しておりました。「遅かりし由良助」です。(中国は、既にブラジルに8000億円も投資しているそうです。)

 驚いたことに、コフコは、ブラジルの農家に穀物の種子だけでなく、肥料まで提供し、荒野で作物が育たなかったアマゾンの奥地のマットグロッソ州の土地までも農地に変えていたという場面(地図だけですが)がチラッと出てきたのです。マットグロッソと聞いて、私は飛び上がるほど驚いてしまいました。何という偶然の一致! 目下、レヴィ=ストロース著「悲しき熱帯Ⅱ」(中公クラシックス)を読んでいたからです。この本では、著者が1930年代後半にマットグロッソ州の先住未開人ナンビクワラ族のもとを訪れ、その生態を事細かく描いていたのです。ナンビクワラ族は先住民の中でも最も極貧に近い生活を強いられています。裸で地面の上で寝起きして、作物があまり育たない荒野を移動しながら狩猟採集生活を細々と続けているのです。

 この本で描かれたナンビクワラ族の生態は今から80年以上昔の話ですから、現在、どうなったのか? まさか、絶滅したかもしれないなあ、と私は思いながら、マットグロッソ州とともに記憶の奥に留めていたのです。そして、現地に行かなければ確かめようがありませんが、ナンビクワラ族は今では数十人だけが生存して狩猟採集生活を続けているようで、この番組を見て、もしかしたら、彼らの一部が農家に転じていたかもしれないと勝手に思ったわけです。

 いずれにせよ、13億人の人口を抱える中国共産党の食料戦略は、感服するほど見事ですね。中国の食料自給率は約98%もあるというのに、です。番組では、このような戦略のことを「食料安全保障」という言葉を使っていました。安全保障は、何も軍事や防衛の話だけではなかったのです。人類の最終的、究極的問題は、最後は食料問題に行きつくことになります。過去4000年間、人類の戦争は食料問題がきっかけに起こったという学者もいました。(18世紀の仏革命も、マリー・アントワネットが「パンがなければケーキを食べればいい」という発言に民衆の革命精神に火が付いたという俗説を思い出しましたが、後世の作り話だという説もあります。)

 番組では、飼料が高騰して、日本の酪農家や養鶏農家の皆さんが「これ以上やっていけません」と絶望していて、私も危機が身近に迫っていることを感じました。これで話が終わってしまえば、身も蓋もないことになってしまいますが、番組のキャスターがフランスの経済学者ジャック・アタリ氏に処方箋を聞いていました。アタリ氏は、食料自給率を上げるためにも、日本はもっと農業を社会的にも報酬的にも魅力的にすべきだ、といった趣旨の発言をしておりました。

 ビスマルクは「鉄は国家なり」と言いましたが、今は「農業は国家なり」と言った方が正しいかもしれません。

【追記】

 2023年2月23日付朝日新聞朝刊1面では「餌が消え鶏が消えた 輸入頼るエジプト」という記事を掲載していました。新聞も負けていませんね(笑)。それによると、エジプトでは昨年10月、トウモロコシや大豆の配合飼料の価格が1.8倍も急騰し、多くの養鶏業者が廃業に追い込まれたといいます。エジプトは、世界最大の小麦輸入国で、昨年までその8割をロシアとウクライナから輸入してきたといいます。石油などエネルギー価格も高騰したことから、エジプトの外貨準備高は急減し、まさかですが、デフォルトの危機になりかねません。

 それなのに、日本のテレビは、相変わらず「大食い競争」だの「行列が出来る飲食店」などグルメ番組ばかりやっています。特別に危機感を煽る必要はありませんけど、大丈夫かなあ、と思ってしまいます。

防衛費増額で社会保障費も減額になるのか?

丸亀製麺(本社が丸亀市ではなく、神戸だとは!)天麩羅きつね饂飩1000円

 1月下旬の毎日新聞による世論調査で、岸田内閣の支持率が27%と「危険水域」になっている中、1月23日に第211回通常国会が召集されました。

 比較的穏健な平和主義でハト派と言われる宏池会の岸田首相は、施政方針演説で防衛費増額や原発再稼働を示唆しましたから、もうハト派なんちゅう看板は降ろして、ゴリゴリの保守主流のタカ派で安部派(清和会)の遺髪を継ぐことをはっきり表明すべきだと思いました。

 防衛費増額の財源をどうするかについて、はっきり言わなかったので、「増税か!?」と野次が飛んでいました。そんだけでは足りないので、社会保険料の引き上げまで模索している(毎日新聞、1月24日付朝刊一面)といいますから、私も頭に血が上って、筆を執ることに致しました。

warm

 サラリーマン生活を長く続けると、税金や社会保険料は給料から毎月天引きされるので、その内容や額にほとんど関心を持たない人も多いと思います。私もその一人。税金と社会保険料の区別さえ付いておりませんでした(苦笑)。まさに、ステルス戦略に引っかかっていました。

 財務省によると、税金には、「国税」と「地方税」の2種類があり、国税の代表的なものが、「所得税」「法人税」「消費税」「酒税」「たばこ税」など。地方税は、「住民税」「固定資産税」などです。一方、社会保険とは、「厚生年金保険」「健康保険」「介護保険」「雇用保険」「労災保険」の五つのことで、年金などにも充てられます。

 ということは、ざっくり言えば、増税とは、もう今のところ、もう上げたばかりの消費税は上げられないから、天引きで隠された所得税や住民税辺りから侵攻し、社会保険料引き上げというのは、厚生年金保険料などを露骨に正々堂々と引き上げるということなのでしょう。民間ではなく、お上が決めたこととなると、論駁も反対も出来ず、黙って支払わなければならないことになります。いや、知らずに天引きされていて、いつの間にか随分と多めに引かれていたなあ、と後から気が付くだけなのかもしれません。手遅れですけど。

duck vs dog

 先述の毎日新聞の世論調査では、防衛費増額の財源として増税には反対している国民が68%も占めたといいます(賛成22%、分からない10%)。しかし、それは、矛盾といいますか、無責任でしょう。もし、防衛費増額に賛成するなら増税を甘んじるしかないでしょう。そうでなくても、国債の発行残高が増え続けており、今年度末に初めて1000兆円を突破する見通しと言われてますから、これ以上、国債に頼るのは狂気の沙汰です。子孫にツケを残すという意味でも無責任です。

 防衛費増額とは、電気代、ガス代などの公共料金や物価が目の玉が飛び出るほど値上がりする昨今、増税と同時に、生活保護や障碍者手当などの社会保障費や年金の減額まで甘んじて受け入れることに直結することを肌身に感じて、もう一度考え直すべきだと私は思っております。マスコミが周辺国の脅威を煽り立てているので、少数意見かもしれませんが。

 最近の日本人はあまり歴史の勉強をしないので、分からないかもしれませんが、軍拡競争に明け暮れた末、破滅した戦前の日本を思い起こすべきです。

日本はスパイ天国? =小谷賢著「日本インテリジェンス史」

 ちょっと必要に迫られて、小谷賢著「日本インテリジェンス史」(中公新書)を読了しました。正直、あまりスラスラ読める本ではなく、2週間ぐらい掛かりました。今年8月25日初版発行となっていますので、今年7月に暗殺された安倍元首相は、「安倍晋三(1954~2022)」と早くも歴史上の人物となっています。

 ちょっと偏狭な見方をしますと、この本は、長年の縦割り行政の弊害から各省庁(警察庁、外務省、防衛省、内閣府など)で共有して来なかった機密情報の一括収集機関として、2013年からその翌年にかけて国家安全保障会議(NSC)とその事務局の国家安全保障局(NSS)を設置させ、特定秘密保護法を成立させたそれまでの道のりと功績を讃えるような趣旨になっていると思います。紆余曲折の末、最後にまとめたその最大の功労者は安倍元首相であり、外事警察官僚出身で2011年から8年近く内閣情報官を務めた北村滋氏(1956~)となるようです。

 私は、タイトルの「日本インテリジェンス史」から、もっと戦前の、陸軍と海軍との対立や軍部と外務省との覇権争いなどの歴史が事細かく描かれているかと思いましたら、内容は戦後が中心でした。もっとも、著者によると、戦前は情報や機密や諜報、防諜などと言われていたことが、広い意味を含めて「インテリジェンス」という言葉に置き換えられて市民権を得たのは、2006年に「インテリジェンス 武器なき戦争」(佐藤優と手嶋龍一との初の対談本)が23万部のベストセラーになってから、ということですから、「インテリジェンス史」が21世紀の話が中心になるのは当然かもしれませんが。

 現在、日本は秘密保護法やスパイ防止法等が整備されましたが、それまでの日本は「スパイ天国」と揶揄されていたといいます。特に、1954年、駐日ソ連二等書記官を表向き装いながら、内実はソ連内務人民委員部(NKVD、後のKGB)所属の諜報員だったラストボロフ事件が有名ですが、それ以降も、やりたい放題で、日本の機密情報がソ連側に筒抜けだったのでした。

 ラストボロフ事件は、戦後間もないこともあり、シベリア抑留から日本帰国を引き換えにソ連に協力を強制された「誓約引揚者」を多く使って16人の工作員が仕立てられました。彼らは外務省職員や元軍人や大手新聞社のモスクワ支局長だったりした人です。(50ページで、警視庁が同事件で逮捕した庄司宏の肩書が「通産省通産局市場第一課課員」となってますが、「外務省国際協力局第一課課員」の間違いではないかと思われます)

 ラストボロフ事件以降にも、ソ連がらみに限っただけでも、1969年のセドフ事件、71年のコノノフ事件、74年のクブリッキー事件、76年のマチューヒン事件、同年のゴットリーブ事件、それに80年のコズロフ・宮永事件などあったようです。個人的には全く同時代で起きた事件だったというのに、寡聞にもよく知りませんでした。不明を恥じます。

 しかし、これだけ多発するとスパイ防止法や特定秘密保護法の制定を多くの市民が待ち望み、成立すれば、諸手を挙げて大賛成するのが当然と思いきや、何度も世論の反対等があって、法の成立まで戦後70年以上も掛かったのは、やはり、一部で警戒心が強かったからではないでしょうか。その原因の一つは、戦前の治安維持法を思い起こさせ、為政者の恣意的判断で、ナンボでも冤罪を生み出せそうだからです。

 この本では、筆者はあくまでも推進派であり、ゼロではありませんが、あまり批判的見解は見当たりません。それは、恐らく、筆者が、御自分の体験として本文とあとがきに書いてある通り、2005年に、PHP総研の提言書「日本のインテリジェンス体制―変革へのロードマップ」作成者の一人に選ばれたインナーサークルの人だったせいかもしれません。

 蛇足ながら、92ページに「実際に本法(軍機保護法)が適用されたのは41年のゾルゲ事件ぐらいであり」と書かれていますが、軍機保護法といえば、42年の「宮沢レーン事件」を少し取り上げてほしかったです。当時、北海道帝国大学工学部の学生だった宮沢弘幸が大学の英語教師で親しくしていたレーン夫妻に軍事機密を漏らし、夫妻もその機密を在日米大使館に伝えたとされる事件で、実際は、宮沢の道東旅行の土産話程度で、軍機とされた根室第一飛行場の存在も、市販の地図に掲載されていたという冤罪でした。(夫妻は、北海道で服役した後、米国へ強制送還。宮沢氏は拷問を受け、戦後釈放されたものの、27歳で病死。)

 こういう例を知っているせいなのか、秘密保護法やスパイ防止法等が制定され、NSCが設置されても、ジョージ・オーウェルの「1984」のビッグブラザーによる監視社会が強化されそうで、個人的には諸手を挙げて賛成できず、素直に喜べないのです。

 勿論、今の国際関係の危機、身近な例で言えば、ミサイルを飛ばし続ける北朝鮮や台湾の問題がある以上、法律制定は必要不可欠かもしれません。が、日本人は異様に真面目な民族なので、極端に走りがちになってしまうことを危惧してしまうわけです。

細部に宿る意外な人脈相関図=平山周吉著「満洲国グランドホテル」

(つづき) 

 やはり、予想通り、平山周吉著「満洲国グランドホテル」(芸術新聞社)にハマって、寝食を忘れるほど読んでおります。昭和時代の初めに中国東北部に13年半存在した今や幻の満洲国を舞台にした大河ドラマです。索引に登場する人物だけでも、953人に上ります。この中で、一番登場回数が多いのが、「満洲国をつくった」石原莞爾で56回、続いて、元大蔵官僚で、満洲国の行政トップである総務長官を務めた星野直樹(「ニキサンスケ」の一人、A級戦犯で終身刑となるも、1953年に釈放)の46回、そして昭和天皇の32回が続いています。

 私は、この本の初版を購入したのですが、発行は「2022年4月20日」になっておりました。それなのに、もう4月30日付の毎日新聞朝刊の書評で、この本が取り上げられています。前例のない異様な速さです。評者は、立花隆氏亡き後、今や天下無敵の「読書人」鹿島茂氏です。結構、辛口な方かと思いきや、この本に関してはかなりのべた褒めなのです。特に、「『ニキサンスケ』といった大物の下で、あるいは後継者として働いた実務官僚たちに焦点を当て、彼らの残した私的資料を解読することで満洲国の別のイメージを鮮明に蘇らせたこと」などを、この本の「功績」とし特筆しています。

 鹿島氏の書評をお読みになれば、誰でもこの本を読みたくなると思います。

 とにかく、約80年前の話が中心ですが、「人間的な、あまりにも人間的な」話のオンパレードです。「ずる賢い」という人間の本質など今と全く同じで変わりません。明があれば闇はあるし、多くの悪党がいれば、ほんの少しの善人もいます。ただ、今まで、満洲に関して、食わず嫌いで、毛嫌いして、植民地の先兵で、中国人を搾取した傀儡政権に過ぎなかったという負のイメージだけで凝り固まった人でも、この本を読めば、随分、印象が変わるのではないかと思います。

 私自身の「歴史観」は、この本の第33回に登場する哈爾濱学院出身で、シベリアに11年間も抑留されたロシア文学者の内村剛介氏の考え方に近いです。彼は昭和58年の雑誌「文藝春秋」誌上で激論を交わします。例えば、満鉄調査部事件で逮捕されたことがある評論家の石堂清倫氏の「満洲は日本の強権的な帝国主義だった」という意見に対して、内村氏は「日本人がすべて悪いという満洲史観には同意できません。昨日は勝者満鉄・関東軍に寄食し、今日は勝者連合軍にとりついて敗者日本を叩くというお利口さんぶりを私は見飽きました。そして心からそれを軽蔑する」と、日本人の変わり身の早さに呆れ果てています。

 そして、「明治11年(1878年)まで満洲におったのは清朝が認めない逃亡者の集団だった。満鉄が南満で治安を回復維持した後に、山東省と直隷省から中国人がどっと入って来る。それで中国人が増えるんであって、それ以前の段階でいうならあそこはノーマンズ・ランド(無主の地)。…あえて言うなら、満洲人と蒙古人と朝鮮人だけが満洲ネーティブとしてナショナルな権利を持っていると思います。(昭和以降はノーマンズ・ランドとは言えなくなったが)、ロシア人も漢民族も日本人も満洲への侵入者であるという点では同位に立つ」と持論を展開します。

銀座「大海」ミックスフライ定食950円

 また、同じ雑誌の同じ激論会で、14歳で吉林で敗戦を迎えた作家の澤地久枝氏が、満洲は「歴史の歪みの原点」で、「日本がよその国に行ってそこに傀儡国家を作ったということだけは否定できない」と糾弾すると、内村氏は「否定できますよ。第一、ソ連も満洲国に領事館を置いて事実上承認してるから、満洲国はソ連にとって傀儡国家ではない」とあっさりと反駁してみせます。そして、「それじゃ、澤地さんに聞きたいけど、歴史というものに決まった道があるのですか? 日本敗戦の事実から逆算して歴史はこうあるべきだという考え、それがあなたの中に初めからあるんじゃないですか?」と根本的な疑問を呈してみせます。

 長い孫引きになってしまいましたが、石堂氏や澤地氏の言っていることは、非の打ち所がないほどの正論です。でも、当時は、そして今でも少数派である内村剛介の反骨精神は、その洞察力の深さで彼らに上回り、実に痛快です。東京裁判で「事後法」による罰則が問題視されたように、人間というものは、後から何でも「後付け」して正当化しようとする動物だからです。内村氏は、その本質を見抜いてみせたのです。

 この本では、鹿島氏が指摘されているように、有名な大物の下で支えた多くの「無名」実務官僚らが登場します。「甘粕の義弟」星子敏雄や型破りの「大蔵官僚」の難波経一、満洲国教育司長などを務め、戦後、池田勇人首相のブレーンになり、世間で忘れられた頃に沢木耕太郎によって発掘された田村敏雄らです。私もよく知らなかったので、「嗚呼、この人とあの人は、そういうつながりがあったのか」と人物相関図が初めて分かりました。 

 難点を言えば、著者独特のクセのある書き方で、引用かっこの後に、初めてそれらしき人物の名前がやっと出てくることがあるので、途中で主語が誰なのか、この人は誰のことなのか分からなくなってくることがあります。が、それは多分私の読解力不足のせいなのかもしれません。

 著者は、マニアックなほど細部に拘って、百科事典のような満洲人脈図を描いております。細かいですが、女優原節子(本名会田昌江)の長兄会田武雄は、東京外語でフランス語を専攻し、弁護士になって満洲の奉天(現瀋陽市)に住んでいましたが、シベリアで戦病死されていたこともこの本で初めて知りました。こういった細部情報は、ネットで検索しても出てきません。ほとんど著者の平山氏が、国会図書館や神保町の古書店で集めた資料を基に書いているからです。そういう意味でも、この本は確かに足で書いた労作です。

「お互いさま」と首相御用達の銀座高級マッサージ店

 今朝の通勤電車で、隣りに座っていた中年女性が、極端な神経過敏症で、電車が揺れて、ほんの少し、肩が触れただけでも飛び上がるようにして、こちらを避けておりました。

 私だけでなく、向こうの隣りの男性とも少しでも触れると、小さな声を出して飛び上がるので、こっちも気が気でありませんでした。

 不可抗力なので仕方がないのですが、こちらも、なるべく、なるべく、中年女に近づかないように一睡もしないで、弁慶のように目をかッと見開いて、立ち往生じゃなかった、座り往生して踏ん張っていたら、すっかり疲れてしまいました。

 やっと、最寄りの駅に着いたので、降りようとすると、代わって私の席に座ろうとしたのが、目の前に立っていた、私の体重の3倍以上はありそうな太った30代の男性でした。

 降りる直前に後ろを振り返ったら、中年女は、また、ぎゃあ~と声にはならない声をあげて、他の席に移動していました。初めて、顔を見ましたが、眉毛と皺の区別が分からないくらいに、バッテンの形でくっついて、目が異様に細く、線引きできる感じでした。長い髪の毛には白いものが目立ち、中年というより、もう初老でした。

 「御苦労さま」としか言いようがありません。それとも「ご愁傷さまでした」と言うべきだったか。いや、正確には「お互いさま」だと思うんですけどねえ。

東京・銀座「吟漁亭」イワシ定食ランチ1050円

 さて、岸田文雄さんが昨年10月に内閣総理大臣に就任して、半年以上過ぎました。「可もなく不可もなく」といった感じでしょうか。正直、前政権と違って、あまり批判できるところが少ない気がします。

 安倍政権は、モリカケ問題や、近畿財務局元職員赤木さんの自殺、桜を見る会や黒川東京高検検事長の定年延長問題(結局、黒川センセイは賭け麻雀で失脚)等々、休む間もないほどスキャンダルのオンパレードでしたが、岸田政権は、その轍を踏まないように慎重な姿勢を貫いている感じです。

 で、岸田政権に関して「何か面白い記事がないかな」と探したところ、やはりありませんでしたが、首相の一日が一覧になっている「首相動静」を見ると、5月8日(日)にこんな日程が載っていました。

 午後1時52分、公邸発。
 午後2時7分、東京・銀座のリラクセーションサロン「クイーンズウェイ銀座並木通り店」着。マッサージ。
 午後4時4分、同所発。
 午後4時15分、東京・鍛冶町の「ヘア モード キクチ神田日銀通り店」着。散髪。
 午後6時6分、同所発。
 午後6時16分、公邸着。


 この後、「9日午前0時2分、先進7カ国(G7)首脳テレビ会議開始。」がありますから、岸田首相は、日曜日ですが、G7を控えて、マッサージに行ったり、床屋さんに行ったりして、力が入っていたことが分かります。真面目な人なんでしょうね。

東京・銀座のリラクセーションサロン「クイーンズウェイ銀座並木通り店」

 そこで、私も会社から近いので、昼休みに、銀座3丁目にあるリラクセーションサロン「クイーンズウェイ銀座並木通り店」なる店舗に行ってみました。時間がないので、前を通っただけで、中には入りませんでしたが、さぞかし、当日は、目付きが鋭いおじさんたちが、数人、見張っていて物々しい雰囲気に包まれていたのではないかと想像されます。

 値段を見ると、色んなコースがありましたが、ベッドでのボディケア・マッサージは、1時間で、9900円(税込)とのことでした。「銀座料金」を考えれば、相場かなといった感じです。

 時の最高権力者が通うお店なので、混雑しているのかな、と思ったら、店の前で若い女性が呼び込みをしていたので意外な感じでした。

東京・銀座「みゆき館」モンブランセット 1650円

 ランチは取ったのですが、まだお腹が空いていて(笑)、何か甘いデザートが食べたくなったので、「クイーンズウェイ銀座並木通り店」の向かいにあった喫茶店「みゆき館」に入り、モンブランとコーヒーを注文しました。

 昼休み残り15分間でしたので、少しゆっくりしたかったのですが、慌てて食べて、完食しました(笑)。

 ここのモンブランはとても美味しいのですが、「銀座料金」なのでそうしょっちゅう味わえません。必然的に客層も高いはずなのに、近くのお姉さまたちは、大きな声で元カレがどうした、だの聞きたくもない下品な会話に終始していていたので、這う這うの体で退散しました。

 世の中、いらない情報が多過ぎると思いませんか? えっ!?何?このブログも!?

誰かウクライナ戦争を止める人はいないのか?

 私が子どもの頃、「サイゴン」だの「ダナン」だの「トンキン湾」だの、そして「ソンミ」といった、見たことも行ったことも聞いたこともない異国の地名を耳から自然と覚えてしまったものでした。

 ラジオやテレビで盛んにヴェトナム戦争を報道していたからでした。特に1968年3月16日、米軍兵により虐殺事件があったソンミ村は脳の奥深くに刻まれました。

 同じように、今の子どもたちは、「マリウポリ」や「ブチャ」「ボロジャンカ」というウクライナの地名が脳裏に刻まれることでしょう。

 そこでは民間人への非人道的な鬼畜が犯す大量殺戮と虐殺がロシア軍によって意図的に行われました。プーチン大統領は「下品でシニカルな挑発行為だ」などと頬かむりしていますが、生存者の証言や米国の衛星放送の写真などから、明らかに残虐行為が行われたことは事実です。

築地「肉と酒 はじめ」ハンバーグ定食980円

 テレビでは、無残にも殺害されたウクライナの一般市民の遺体が、分からないように「加工」されて放送されていますが、1960年代、70年代のヴェトナム戦争では、かなり衝撃的な残酷な写真や映像が子どもでも見られたものでした。当時はプレスコードが甘かったからかもしれません。

 南ヴェトナム政府軍の男が、若い男性を「スパイ」と決めつけて、群衆の前でピストルで「処刑」したり、地雷を踏んだと思われる「ベトコン」のバラバラになった遺体を米軍兵が持ち上げて見せたり、殺害したベトコン兵士を脚に紐を付けて戦車で引きずっていたり、とても正視に耐えないものばかりでしたが、それによって戦争のおぞましさと悲惨さが伝わってきました。

築地「和み」ランチ寿司1300円

 勿論、ウクライナの残虐写真を公開するべきだなどと言うつもりは全くありません。今はネット社会ですから、その気になれば見ることができます。下半身だけが裸にされた不自然な女性の遺体もありました。ロシア兵による、そのあまりにも残虐な行為が想像できます。殺害された彼女たちは、さぞかし、辛く、酷く屈辱的な地獄の苦しみを強いられたことでしょう。

 何よりも、悲しみより憎悪が沸き起こってきます。しかし、憎悪の連鎖は避けなければなりませんが。

 平和な国々では、高価な寿司やステーキをたらふく食べ、ビールを飲みながら、プロ野球やサッカー、ゴルフなどを観戦して楽しんでいるというのに、ウクライナの惨状と悲劇はあまりにも不公正で不条理です。

 たった一匹の誇大妄想の霊長類のせいなのに、国際社会は何故止められないのでしょうか?

 戦争犯罪が認められれば、独裁者は裁判で絞首刑か毒殺刑が待っています。となると、自分だけは安全地帯に隠れて、自己保存意識だけは肥大した独裁者は「勝つ」まで戦争を続けることでしょう。「長期戦になるのではないか」という実に嫌な観測さえ流れています。

 もう、これ以上の犠牲者はこりごりです。

失望しても絶望はしない!=86年ぶりに新関脇優勝した若隆景と毛利元就3兄弟

 3月末は毎年忙しいです。

 3月末といえば年度末です。そう、大量の人事異動の季節でもあります。となると、私は、これでも、まだ仕事をしているので、霞ヶ関の人事異動情報が殺到して、とても忙しくなり、ブログなんか書いている暇がありません(笑)。

 おまけにお花見の季節です。ウイル・スミスに平手打ちされても、桜見だけは欠かせません。

 とはいえ、このブログは私の「安否確認」サイトにもなっているので、暫く間が空くと皆様に御心配をお掛けすることになりますので、本日はお茶を濁すことに致します。

 何と言っても、2月24日のロシア軍によるウクライナ侵攻で、すっかり人生観、世界観が変わってしまいました。皆さんも同じでしょう。プーチンの戦争は、19世紀的、帝国主義的、領土拡大主義です。人間なんて、誇大妄想だらけで、これっぽちも進歩していません。

 並行してユヴァル・ノア・ハラリ著「サピエンス全史」と「ホモ・デウス」の両書を読んでいましたから、余計にその思いを強くしました。自由も平等も人権も平和も神も宗教も、現生人類が考えた妄想か虚構、もしくは共同主観的ということになります。(ハラリ氏は「ホモ・デウス」の中で、「聖書」でさえ、「多くの虚構と神話と誤りに満ちた書物」=上巻215ページ=とまで言って糾弾しています。)

MInuma-tanbo 2022

 ところで、日曜日、大相撲の千秋楽で三つ巴になった優勝争いは、新関脇の若隆景が、大激戦を制して初優勝を遂げました。新関脇の優勝は、1場所11日制だった1936年5月場所のあの双葉山以来86年ぶりだということで、歴史的瞬間に立ち合ったような気分になりました。大袈裟ですけど、1936年といえば、「2.26事件」があった年ですからね。

 福島県出身の若隆景(27)は、祖父が元小結・若葉山。双葉山に弟子入り入門を許されて角界入りした力士でしたから何か縁を感じます。父が元幕下の若信夫。その息子たち、兄弟3人が、そろって角界入りを果たしました。長兄は幕下の若隆元(30)、次兄は前頭9枚目の若元春(28)、若隆景は三男になります。三世代かけて、そのDNAが受け継がれて、やっと幕内優勝を遂げたということになります。

 この3兄弟の四股名は、毛利元就の3兄弟から取ったといいます。つまり、あの「三本の矢」で有名な毛利隆元、吉川元春、小早川隆景です。戦国時代ファンとしてはたまらない、と言いますか、覚えやすいですね(笑)。

 ただ、小早川隆景の養子になった小早川秀秋(豊臣秀吉の正室ねねの甥)は、1600年の関ヶ原の戦いで、東軍の徳川家康方に寝返って、「裏切者」の汚名を歴史に残してしまいました。でも、大相撲とは全く関係ない話ですから、せめて若隆景はこれから大関、横綱と昇進して大活躍してもらいたいものです。

MInuma-tanbo 2022

 以上のことは相撲ファンにとっては常識の話でしたが、敢えて書くことにしました。知らない人は知らないでしょうから(笑)。

MInuma-tanbo2022

◇ブログを書くという恥ずべき行為

 実は、私は、ここ数日、ブログを書いて、世間の皆様に公にするような行為が浅ましいと、思うようになっておりました。

 しかし、侵略主義というパンドラの箱を開けてしまったプーチンの蛮行のおかげで、北の若大将がミサイルを狂ったように撃ち始め、大陸の皇帝は、数年以内に南の小さな島を侵略しようと目論んでいるようです。いずれも、「ロシアがやったんだから、我々がやってもいいじゃないか」といった論理で。

 そんな「プーチン後の世界」となり、刹那的でも人生を謳歌するしかない、と思い直しするようになりました。いつ何時、何が起きるか、これから先、分かったためしがありません。相撲でも観戦して、沢山の本を読んで、ブログでも書いて、ピアノでも弾いて、大いに人生を楽しむしかないじゃありませんか。

 人間に対して失望しても、絶望してはいけないというのが私のスタンスです。たとえ、人間は妄想の中で生きている動物だとしても、生きている限り、希望はあるはずですから。