忘れていました…「能登輪島」があったじゃないか!

 今年はお正月早々、マグニチュード7.6の能登半島地震が起き、先月末現在で死者241人、負傷者1299人という人的被害、それに8万件近い住家被害がありました。

 毎日ニュースで取り上げられていますが、いまだ再開できない漁業や、伝統工芸の輪島塗や酒蔵の復興など色々と問題を抱えていて、見聞きすることがつらいです。個人的には義援金を送る程度しか出来ず、忸怩たる思いをしていましたが、そうだ、復興の一助になるかもしれないので、ランチは石川県(他に、新潟、富山、福井)の郷土料理店にするべきだった、と今更ながら思いつきました。

 幸い、私がシマにしている銀座界隈は、全国の各府県の物産館が出店されており、そこで地元料理が食べられたりします。

東京都中央区銀座7-2-8 東建ビル 3F「能登輪島」 焼き魚定食1000円

 「そっか~、忘れていた!」ということで、昨日は銀座にある海鮮料理店「能登輪島」に行って来ました。以前は、よく通っていた店でしたが、最近のランチは、新富町ばかりに足を伸ばしていたので、行くのは数年ぶりでした。輪島市は特に、今回「震度7」と、志賀町と並び能登半島地震の中では最大の震度を経験しました。

 ランチでは焼き魚定食を選びましたが、1000円と銀座界隈にしては安いのです(今時、安くても1100円。1300~1500円が相場です)。上の写真の通り、焼き魚だけでなく、お刺身と鶏の唐揚げまで「おまけ」に付いてきますから、まさに「お買い得」で味も良いので、お勧めです。

 食事が終わって、会計の際に「地震は大変でしたね」とお店の人に声を掛けたところ、「ええ、大変でした」と本心で返って来ました。たった一言だけでしたが、如何に大変だったのか分かりました。

 皆さんも、東京・銀座界隈にお出でになったら、ちょっと能登半島地震のことを思い出して、昼でも夜でも、北陸・中部の郷土料理店や物産店(アンテナショップ)に立ち寄ってみたら如何でしょうか。

【ご参考】

・石川県アンテナショップ「いしかわ百万石物語・江戸本店」は、2024年3月に銀座から八重洲へ移転開業する予定。

「銀座・新潟情報館 THE NIIGATA(ザ・ニイガタ)」2024年5月末に銀座5丁目に移転開業する予定。

・富山県のアンテナショップ「いきいき富山館」は、有楽町駅前の東京交通会館地下1階

・福井県のアンテナショップ「ふくい食の國291」は、イートインもあり、銀座1丁目にあります。

SNSは疎外感を増大する

 ちょっと前にこの渓流斎ブログに書きましたけど、私はFacebookをやめました。Facebookがヒトの個人情報をただで収集して、小賢しく再利用する「広告メディア」だという正体を見破ったことと、性的羞恥心をくすぐるような動画投稿が増えてきたことと、友達の友達のそのまた友達らしき女性からメッセージが送られたりして気持ち悪く感じたりしたのがその主な理由です。

 そう、何よりも「SNSは疎外感を増大する」と確信したからでした。友達が増えて「いいね!」してくれるから万々歳どころの話ではありません。本人は全く意識もなくその気も何もないのですが、高級装飾品を身に付けた写真をアップしたり、京都の豪華・会席料理の写真だったり、高級外国のスポーツ車の写真をアップしたりしていて、そういう写真や動画を見たりすると自分の惨めさが倍増してしまうのです。

 別に、高級車に乗りたいとは思いませんが、大変失礼ながら、今挙げた写真は、「友達」とはいっても特別に緊急に必要とする情報でもありません。私はミヒャエル・エンデの「モモ」が大好きなのですが、SNSとは「時間どろぼう」だと確信したのです。

 今の子どもたちは不幸です。SNSで中傷されて自殺するような子どもたちが世界中に多くいると聞きます。先日(1月31日)FacebookのザッカーバーグCEOも米議会上院の公聴会に呼びつけられて、「SNS上の有害なコンテンツから子どもを守る対策が不十分だ」として謝罪に追い込まれました。

 老人の繰り言に聞こえるかもしれませんけど、「昔は良かった。SNSがなかったからねえ」と低い声でつぶやきたくなります。

 今の世の中で、生きづらさを感じるのはSNSのせいではないでしょうか?

 そしたら、先日、高校時代からの友人のH君(同い年)からメールがあり、「僕はガラケーだし、LINEも旧ツイッターもインスタグラムもフェイスブックもティックトックもやらない。SNSには縁がない。気楽な人生で幸せ者です」と時宜を得たような返信があったのです。別に用件は、SNSの話では全くなかったのに、いつの間にかSNS不要論の話になっていました。

 彼は、今どき、スマホを持たず、ガラケーだとは、アンモナイトの化石のような人生ですけど、彼一流の美学というか、人生観なのでしょう。

 「SNSに縁がないと気楽で幸せ」ーというH君の言葉は、この渓流斎ブログの愛読者の皆さまには是非ともお伝えしたいと思いました。

奥が深い陰陽五行説=「カルチャーラジオ 和食・日本人の伝統的食文化」

  NHKラジオ第2で放送中の「カルチャーラジオ 日曜カルチャー 和食・日本人の伝統的食文化」(お話は日本食普及の親善大使、長島博さん)をスマホの「聴き逃しサービス」で聴いております。これがなかなか勉強になって非常に面白いのです。

 特に、第2回の「日本の食文化と陰陽五行」は、知らなかったことばかりでしたので、「へ~」と思ってしまいました。

 古代、中国大陸から日本に陰陽五行説が入って来ます。これらは主に政治を司る際に利用されていたと思っていましたが、日本の食文化、つまり和食にも多大な影響を与えているというのです。

銀座のポルトガル料理「ヴィラモウラ」 如雨露がポルトガル語だと聞いて吃驚し久し振りにランチ。

 物事には、「軽い」と「重い」、「柔らかい」と「硬い」、「明るい」と「暗い」など「陰」と「陽」がありますが、そのどちらかに偏るのではなく、「陰陽和合」が理想の境地だといわれます。(ちなみに、この場合、陰と陽に優劣や巧拙などの差があるというわけではありません)

 例えば、和食に関して言えば、丸い器は「陽」で、四角や三角の器を「陰」と捉えます。そんな容器に食べ物を盛り付ける際、陽の丸い容器には、「陰」の角ばった食べ物を盛り付けます。陰の四角い容器には、「陽」の丸く食べ物を盛り付けします。そうすることによって、陰陽和合のバランスが取れるというのです。

 もう一つ。浅い器はですが、深い器はになります。そこで、陽の浅い容器には、の冷たい料理を盛り付けます。陰の深い容器には、の温かい料理を入れます。これで陰陽和合を完成することが出来ます。

 陰陽和合ー。そんな理想の境地で和食が盛り付けられていたとは知りませんでしたよね。

 講師の長島博さんは「病気になったり、体を悪くしたりする原因の99%は食べ物によります」と断言するので、私も目から鱗が落ちる思いでした。やはり、ジャンクフードばかり食べていてはダメだということなんでしょう。

新富町

 長島さんは、良い食べ物をバランス良く食べることが理想だといいます。先ほどの陰陽和合の例で言いますと、魚介類は陽で、野菜が陰だといいます。だから、肉ばかり食べていないで、ちゃんと野菜も摂って、バランス良く食べるというのが一番良いわけです。

 陰陽和合は他にもありまして、左が陽で、右が陰に当たるといいます。だから、食卓では、一番大切なご飯は左に置き、付随する汁は右に置くのだといいます。

 先ほど、「陰と陽に優劣や巧拙などの差があるというわけではありません」と書きましたが、綿密に言えば、陽の左の方が陰の右よりも優ることがありました。例えば、古代律令制では、右大臣よりも左大臣の方が位は高いのです。

 とにかく、陰陽五行説は奥が深いのです。

念願の「銀座ライオン」で歓談=ゾルゲやマッカーサーまで利用した

 10月13日(金)、やっと念願の「銀座ライオン」に行くことが出来ました。当初は9月に行く予定でしたが、台風接近を理由に延期になっておりました。参加したのは小生のほか、会社の同僚のY君とM君でした。一人でビアホールに行ってもしょうがないですからね(笑)。

 当初は、この銀座ライオンが、戦前の昭和9年(1934年)、大日本麦酒(現サッポロビール)本社ビルとして菅原栄蔵の設計で創建され、戦災を逃れて、歴史的建造物(現存する日本最古のビアホール)として現在も残っている姿を見たかったことと、内部に装飾された大塚喜蔵製作のステンドグラスを是非とも観たいというのが目的でした。

1934年創業、菅原栄蔵設計「銀座ライオン」 大塚喜蔵製作のステンドグラス「豊穣と収穫」

 そしたら、その後、色々と調べていったら、あのスパイ・ゾルゲもこの銀座ライオンを利用していたことが分かり、急に身近に感じてしまいました。ゾルゲは、こじんまりとしたバーの方を好んで、広いビアホールはあまり自分の趣味ではなかったようでしたが、ゾルゲが来日したのは1933年9月13日のことです(その後、8年間、東京で諜報活動)。銀座ライオンはその翌年の34年4月8日に開業しますから、ゾルゲは出来立てホヤホヤのビアホールを楽しんだことになります。

 また、GHQのマッカーサー元帥も好んで、銀座ライオンに通っていたようです。これまた、よく調べてみると、米軍は、もともと、戦後占領政策を見込んで空爆をしていたらしく、銀座7丁目のライオンは戦後、米兵の慰安施設として使うためにわざと爆撃を避けたという説があり、「なあんだ」と思ってしまいました。

 爆撃を避けたのは、他に、銀座では三越や松屋百貨店、和光などですが、これらは軍隊内の食料や日用品を購入する「PX」として使うためでした。また、銀座の隣りの明石町の聖路加病院は、占領期にに米軍の病院として使うために残しました。さらには、GHQの本部として使うために、日比谷の第一生命本社ビルも爆撃せずに残したことは、皆さんも御存知の通りです。

 大日本帝国の帝都に関する情報は、米軍によって丸裸にされていて、「日本の家屋は紙と木で出来ているので焼夷弾もあれば焼き尽くせる」とのカーティス・ルメイ将軍の指揮の下、赤子の手をひねるように、10万人もの無辜の民が火の海で殺戮されたことを学校の教科書で習うことはない日本人はほとんど知りません。

 また、このルメイに対して、日本政府(佐藤栄作内閣)が1964年に、勲一等旭日大綬章を授与しています。航空自衛隊の育成に功があったという理由らしいですが、本来なら、被害者が加害者の戦争犯罪人に勲章を授与することなどあり得ないはずです。「永久敗戦国」の哀しみがあります。

新富町「松し満」エビフライ定食1000円 本文と関係ないやんけ

 ということで、ビアホールでの3人の話題は、米軍占領政策から鎌倉時代の御家人の話、芸能界や差別の話、米軍による暗号解読で山本五十六長官が撃墜された話など多岐に及び、久しぶりに大いに歓談することが出来ました。

【追記】2023年10月16日

 聖路加病院は、1938年5月14日、ゾルゲが東京・米大使館近くで過度の飲酒によるバイク事故を起こして重傷を負った時に、運び込まれた病院でもありました。「スパイ・ゾルゲ 東京」で本が書けそうですねえ(笑)。

ゾルゲが愛した銀座のバー、レストラン=情報提供求めます

 相変わらず、オーウェン・マシューズ著、鈴木規夫・加藤哲郎訳「ゾルゲ伝 スターリンのマスター・エージェント」(みすず書房)を読んでおります。

 昭和8年(1933年)9月13日、ソ連赤軍第4部の諜報工作員、リヒアルト・ゾルゲは、前任地の上海での任務を終え、モスクワからベルリン、米国、カナダを経由して横浜港に上陸します。この時、「2年間の任務」の約束だったはずの諜報活動が、逮捕されるまで8年もの長期に渡ること(プラス3年間の巣鴨刑務所拘置)をゾルゲは知りません。

銀座電通ビル 1936年、日本電報通信社(電通)は聯合通信社と合併させられ、同盟通信社となった。戦前は、同盟通信の一部(本体は日比谷の市政会館)と外国の通信社・新聞社が入居 ドイツ紙特派員ゾルゲと、諜報団の一員アヴァス通信社(現AFP通信)のブーケリッチもこのビル内で働いていた

 独新聞社特派員を隠れ蓑にした東京でのおどろおどろしいスパイ活動は、既に何百冊もの本に書かれていますので、何か、変わった趣向はないかなあ、と思いながらこの本を読んでいました。そしたら、尾崎秀実を含めたゾルゲ諜報団は、バーやレストランに関して、かなり高級店を利用していることが分かりました。特に、ゾルゲに関しては、「酒」と「女」で情報収集に励んでいたことがモスクワ当局にでさえ知れ渡っていました。まさに、007ジェームズ・ボンドです。

 私は以前、この渓流斎ブログで「スパイ・ゾルゲも歩いていた銀座=ドイツ料理店『ケテル』と『ローマイヤ』」(2021年3月19日)を書いたことがあり、大変好評で、コメントまで頂いたことがありました。

銀座並木通りの対鶴ビルにあった「ローマイヤレストラン」の店頭に立つローマイヤさん(「ローマイヤレストラン」の公式ホームページから)※安心してください。お店の店長さんからブログ転載を許諾してもらいました!

 こんな感じで、マシューズ著「ゾルゲ伝」に出てくる東京・銀座の飲食店を探索しようかと思いましたら、残念ながら、90年もの歳月が経てば、もう跡形も痕跡すら残っていません。著者によると、1934年当時、銀座界隈には2000軒以上のバーがあったといいますが、ゾルゲの行きつけの飲食店等として、例えば、こんな店が出てきます。

 1、銀座のドイツ料理店「ローマイヤ」、ヘルムート・カイテル(ケテル?)が経営するドイツビアホール兼バー「ラインゴールド」

 2、銀座のバー「こうもり」

 3、1934年創業の「銀座ライオン」(今も当時の建物のままあります!ゾルゲはもっとこじんまりとした本格的なバーの方を好んだとか)

 4、有楽町の「ジャーマン・ベーカリー」

 5、ゾルゲとヴーケリッチが定期的に会うことになった銀座のレストラン「フロリダ・キッチン」

 6、最新のタンゴが演奏された「フロリダ・ダンスホール」「シルバー・スリッパー」

 7、無線技師マックス・クラウゼンと待ち合わせをした数寄屋橋のバー「ブルーリボン」

 最初の1番の「ローマイヤ」と「ケテル」については、先述した「スパイ・ゾルゲも歩いていた銀座=ドイツ料理店『ケテル』と『ローマイヤ』」(2021年3月19日)で取り上げていますので、御面倒でもこちらをご参照ください。「ラインゴールド」は、ゾルゲの最愛の日本人伴侶、石井(三宅)花子が、「アグネス」の名前でバイエルン風の衣装を着てホステスとして働いていたドイツビアホールで、マシューズ著「ゾルゲ伝」によると、経営者はドイツ人のヘルムート・「パパ」・カイテル(中国のドイツ植民地青島出身で、第一次大戦で日本軍の捕虜となり、日本人女性と結婚し、1924年に「ラインゴールド」を開業)です。カイテルとは恐らく、ケテルと同一人物で、彼はドイツ料理店「ケテル」とドイツバー「ラインゴールド」の2軒を経営していたと思われます。「ラインゴールド」の場所は西銀座5丁目となっているので、銀座5丁目5の「ケテル」とは少しだけ離れています。「ケテル」は、駐日ドイツ大使オットーと食事、「ローマイヤ」は、独大使館海軍アタッシェ、ヴェネッカーらと食事に、「ラインゴールド」は石井花子らを目当てに個人的に通ったと思われます。

 2番目のバー「こうもり」に関しては、そこでウエイトレスとして働いていたケイコがゾルゲに恋をし、それを知らないゾルゲは美しい欧州人女性を店に連れて来たことから、ケイコは絶望して自殺を決意をするも、ドイツ人の経営者に止められた逸話も残っています。

かつて「ケテル」があった所(銀座並木通り) 今は、高級ブラント「カルチェ」の店になっています

 もっと詳しい情報がないものか、とネットで検索していたら、世の中にはマニアの方がいるもので、「スパイ・ゾルゲが愛したカクテル」というタイトルで、洋酒評論家の石倉一雄さんという方が2011年11月から翌月にかけて、8回に渡って連載されている記事を発見しました。ゾルゲがどんな酒を呑んでいたのか「推測」する話が中心ですが、当然ながら通ったバーについての記述もあります。

 「こうもり」については、ドイツ語で「フレーデルマウス」と呼ばれ、隠れ家的バーで、無線技士クラウゼンと毎週落ち合う店を、7番の「ブルーリボン」からこの「フレーデルマウス」に変更したといいます。石倉一雄氏はとてつもない人で、この「フレーデルマウス」(ふくろう)に関しては、織田一麿のリトグラフ作品に「画集銀座第一輯/酒場フレーデルマウス」(1928年)という作品があり、東京国立近代美術館で見られると紹介しています。あのホステスのケイコさんの命を救った経営者はドイツ人のボルクと書いています。凄い人ですね。

 7番の数寄屋橋の「ブルーリボン」については、石倉氏は、日本バーテンダー協会の会誌「ドリンクス」の落合芳明編集次長の「『ブルーリボン』には一瓶30銭のビールを頼めば無料で食べられるサンドイッチがあった」という証言から「当時の一流バーの一軒だったと推すことができる」と書いております。

 また、6番の「シルバー・スリッパー」は、「外国特派員が頻繁に訪れていた」と書いていましたが、何処にあったかについては書かれていませんでした。

銀座8丁目に現在もある舶来品専門店「オサダ」。この辺りにゾルゲが利用した「フロリダ・キッチン」があったと思われます。銀座の同盟通信社の目と鼻の先です

 話は前後しますが、ゾルゲとヴーケリッチが会っていた5番のレストラン「フロリダ・キッチン」は、これまたネット検索すると、銀座8丁目5の輸入洋品店「オサダ」(今もあります!)の隣りにあったようです。

 調査研究に長けた石倉氏は、モスクワからゾルゲに送られて来た諜報活動費は、今のお金に換算すると月額300万円だったことを明らかにしています。まあ、それだけあれば、銀座の高級バーを豪遊できるわけですね。

 いずれにせよ、1~7番に挙げたゾルゲが愛した銀座の飲食店の場所は、一部を除き、はっきり確定できません。もし御存知の方がいらっしゃれば情報提供して頂くと大変有難いです。小生が早速、現地(跡地)に足を運んで写真を撮って来ます。

銀座8丁目にある輸入品専門店「オサダ」

このように(笑)。

獨協大初のプロ、ヤクルト並木選手と荒木大輔さんの話=新富町「煉瓦亭」御主人との初会話

 これだけ銀座、築地、新富町とランチで色んな店を徘徊しているというのに、店の御主人と顔馴染みになって話をするようなお店はそれほど多くはありません。5~6軒、いや3~4軒ぐらいではないでしょうか。

 昔の歌謡曲に「東京砂漠」といった曲があったように、大都会では、なるべくソッとしておいて、他人のプライバシーに立ち入らず、良い意味で見て見ぬふりをしてあげる、というのが習わしになっているからだと思います。

 1895年創業で、カツレツなどの発祥地として知られる銀座の洋食屋「煉瓦亭」から暖簾分けした新富町の「煉瓦亭」(創業1963年)には月に2回ぐらいは通う馴染みの店ですが、カウンター席の目の前で配膳する御主人と話を交わすことはほとんどありませんでした(注文しますからねえ。それぐらい言葉は交わします=笑)。

 それがひょんな拍子で本日はおしゃべりすることになったのです。カウンター席から目の上にある壁には日ハム時代の大谷翔平ら沢山の野球選手やラグビー選手のパネル写真が飾られています。それらを食事が来る前に見るとはなしに見ていたら、御主人の篠原さんが、「その右端の写真のヤクルトの並木って選手、獨協大学の後輩なんですよ。独協から初めてプロになったんですよ」と、嬉しそうに私に話しかけてきたのです。

銀座「シシリア」(京都新聞東京支社地下)

 最近のプロ野球には私は疎くなってしまいましたが、確かに、並木秀尊選手(24)は、2020年のドラフト会議でヤクルトから5巡目で指名された外野手でした。背番号は「0」。俊足でならし、大学3年秋に参加した日本代表候補合宿の50メートル走計測で、「サニブラウンに勝った男」と呼ばれた中央大学の五十幡亮汰の5秒42を上回る5秒32を記録したことから、「『サニブラウンに勝った男』に勝った男」の綽名が付き、並木選手は、写真の色紙にも「『サニブラウンに勝った男』に勝った男」とサインしていました(笑)。

 3年目の今年は、82試合に出場し、打率2割7分4厘、本塁打1を記録しています。とにかく、「煉瓦亭」の御主人としては「獨協大からの初めてのプロ野球選手」ということで嬉しくてたまらないのです。本人は「我々の時は、草野球程度でしたよ」と大いに謙遜してましたが、実際は、首都大学リーグの獨協大学野球部のショートの巧打者として頑張っていたようなので、後輩の活躍に目を細めるばかりでした。

銀座「シシリア」ハンバーグ定食980円 安くて美味しい老舗店です

 獨協大学と言えば、2年前に亡くなった私の親友の神林康君の出身大学で、一度、埼玉県草加市にある獨協大の文化祭に行ったことがありました。当時、(今も)人気女優のかたせ梨乃も同大学出身で、もしかして大学祭に来るかもしれないということで行ったのですが、結局会えず仕舞いでした(苦笑)。「煉瓦亭」の御主人は「昔は、獨協大の駅は東武伊勢崎線の『松原団地駅』でしたが、団地が老朽化して取り壊されたりしたので、今は『獨協大学前駅』に変わったんですよ」と教えてくれました。私が獨協大の文化祭に行ったのも半世紀近い昔ですから変わるはずです。

 そうそう、御主人は成城高校時代も野球部で、甲子園大会予選の東東京大会の準決勝か準々決勝で、当時、大人気スターの荒木大輔擁する早稲田実業高校に惜敗したそうです。そのパネル写真も飾っていました。

 新富町「煉瓦亭」の御主人は、テレビ東京の「アド街ック天国」にも出演していたので、「テレビに出てましたねえ」と冷やかすと、「もう60歳なのに、いやはや」と照れたような表情を浮かべていました。いやいや、私より年長に見えていたので、意外な若さに吃驚です。後で、荒木大輔(ヤクルトなど~野球解説者)さんの年齢を調べてみたら、1964年5月生まれの59歳。確かに、甲子園大会東京予選で、御主人が激突した同世代でした。

 あの荒木大輔が来年、還暦になるとは、私も年を取るはずです。

必ず貴方も行く店「フーターズ」

 先日、私は、銀座ランチが楽しみで会社に行っているようなものだ、といったことをこのブログに書いてしまいました。そう、銀座ランチとは私にとって、金科玉条のようなものなのです。んっ? ちょっと違うか。まあ、大袈裟に言えば、銀座ランチは私の人生の愉しみであることは確かなのです。

 それが、最近、夏バテ気味なのか食欲がめっきり落ちてしまい、「これが食べたい!」というものがなかなか見つかりません。食べても、少し無理している感じで、正直、それほど美味しくないのです。贅沢ですね。腹ペコだと何を食べても美味しいですからね(笑)。

 本日も、それほどお腹が空いていなかったので、どうしようかと思いつつ、こういう時こそ、アメリカの国民食ハンバーガーにすることにしました。ハンバーガーと言っても、皆さんが行かれるような「M」ではありませんよ。あそこは、ビッグマックでも(あ、言っちゃったあ!)数百円で食べられますけど、目指すは本格派のハンバーガー店です。中には、ハンバーガーが一つ2000円ぐらいしますんですよ、はい。私も以前、新富町の「ブラザーズ」という専門店に行きましたが、やはり、1500円ぐらいして目の玉が飛び出ました。

 さて、本日行った所は、銀座ナインにある「フーターズ」というハンバーガー専門店です。人から教えてもらったわけではなく、ネットで「評判のお店」ということで初めて行ってみたのでした。恐らく、本場アメリカが本社の店だという認識ぐらいしかありませんでした。

 店内に入ると、結構広く、テレビがあちこちに設置され、スポーツバーといった感じでした(事実そうでした)。評判の店だというのに、見たところ、お客さんは、日本人が少なく、米国人の観光客ばかりでした。日本人がニューヨークに行けば、「スシロー」か何かに入るような気分なのでしょう(笑)。それこそ、フーターズを知らない米国人はいないんじゃないでしょうか。

 そして、もしかして、知らぬのは私だけだったのかもしれません。最初に、ウエイトレスさんの格好に度肝を抜かれつつ、わざと冷静さを装いました。真昼間なのに、露出度が半端じゃないのですよ。公序良俗にギリギリ反しない、といったところでしょうか。しかも、一人は若いハーフのモデルさんのような超美人さんで、抜群のプロポーションです。自然と突出部分が目に入ってしまいます。

 これを読んだ貴方は、今度、絶対、フーターズに行きますよね! 私が保証します(笑)。

「HOOTERS GINZA」フーターズ・バーガー1100円、ランチドリンクのジンジャーエール150円=1250円 ケチャップとマスタードを付けて召し上がれ!

 私も、もう一回ぐらい行くと思うので(爆笑)、初回は、当たり障りなく、ハンバーガーとジンジャーエールを注文しました。1250円也。ジンジャーエールは米国仕込みで特大でした(笑)。

 待っている間、店内を見回すと、店名の「HOOTERS」の下に「Best breasts and wings in town」と書かれていました。中学生程度の英単語なのですが、どうも意味が分からないのです。breasts は胸ですが、胸肉という意味もあります。wingsは、翼や羽根という意味ですが、政党の派という意味もあります。

 うーん、分からん。意味を取るのは諦めて、会社に戻りました。そして、腹いせにパソコンで検索してみました。そしたら、HOOTERSとは、俗語で胸(おっぱい)という意味だったんですね。看板のフクロウの目に当たるところが、その胸に当たり、露出度が高い「制服」を着たフーターズガール(ウエイトレス)を客が目をキョロキョロさせて見ることから、店名に付けられたようです。

 なあんだ、最初から「下心」のお店だったんですね。やっぱり、銀座は広いし凄い。未だにランチに行ったこともない、聞いたこともない店ばかりです。

 でも、これで貴方も、絶対に「フーターズ」には行きますよね。人類の愛と平和のために(笑)。

【追記】

「Best breasts and wings in town」の意味は微かに分かりましたが、Facebookは、東京外国語大学卒の優秀な友人が多いので、またまた敢えてfacebookに投稿しました。

 どなたかご教授を!

《渓流斎日乗》は無料です=有料にはしません

 9月5日付の朝日新聞朝刊で、X(旧ツイッター)のフォロワーが60万人を突破し、投稿サイトでは有料会員2万人を誇り、日経の敏腕記者から華麗なるフリージャーナリストに転身された人(43歳)の話が載っておりました。有料サイトは月額500円と言いますから、単純計算しても月1000万円の収入です。このほか、掲示板やオフ会などに参加できるコア会員3000人は、月額980円らしいので、年収1億数千万円ですか。。。???

 いやはや、下衆の勘繰りをしてしまいました。大変失礼致しました。

 私のブログは無料で、広告費から収入を得ておりますが、年間でも、差し引き2万円程度ですよ(笑)。多額の時間とお金を費やして(主に書籍代)、散々苦労して書いてこの程度です。本当に、本当に、本当に笑ってしまいます。

 でも、ブログを有料会員制にするつもりはありません。理由は決まってます。有料会員になってくださるのは、思い当たるところでも、2人か3人しかいないからです(笑)。こりゃ、無理です。

東銀座「トレオン16区」海老と小柱のトマトクリームソースの前菜

 また、下衆の勘繰りに戻って、思考回路を巡らしてみるとー。

 所詮、世の中、女(男)と金

 なんですよ。有料会員になる皆様は、女(男)と金の情報が欲しいのでしょう。マッチングアプリだとか経済情報だとか投資だとか、綺麗な言葉で洗浄されてはいますが、人間がナケナシのお金を出してでも欲しい情報というものは、所詮、博打も含む儲け話かエロ情報なのです。そうでなければ、蜜の味と言われる「他人の不幸」情報です。人間は皆、楽をして優雅な生活を送り、「嗚呼、自分はまだマシな方なんだ」と安心したいのです。

 (最初に書いた日経からフリージャーナリストに転身した人の有料「経済情報」は見たことはありませんので、小生の持論は彼に当てはまらないかもしれないことは、念を押しておきます。)

 翻って、小生のブログ《渓流斎日乗》は、残念ながら、毒にも薬にもならない、と言いますか、儲け話やリビドーには全く欠けています。そんなサイトが有料として成り立つわけがないのです!

 だから、好き勝手に個人的なことでも書けるのです(笑)。

東銀座「トレオン16区」海老と小柱のトマトクリームソース1300円 初めて入店しましたが、意外にも結構美味かった

 早速、個人的な話ですが、新型コロナに関して、5類に移行してから、妙に私の周囲で感染者が増えているのです。だから、外や電車やバスの中でマスクをしていない人を見るとゾッとしてしまいます。そもそも、私は統計やおカミの言うことは信じていませんからね(苦笑)。実体験は信じます。

 私の場合、会社の同じ部署の人で2人も感染者になりましたから、昨年の5類に移行する前だったら、堂々の「濃厚接触者」になるはずです。だからこそ、暑苦しくても、我慢してマスクをしているのです。その半面、マスクをしない人が私の身近に目に付いたりすると、「俺は実は、濃厚接触者なんだぜい」と告白したくなります。見知らぬ他人なので、実際にそんな子どもじみたことしませんけど(苦笑)。

 以上、好き勝手に書いておりますので、有料サイトにしようなどとは、滅相も御座いません。

 ただ、お読みになった皆さんが、知らない情報を得て、少し得した気分になったり、「渓流斎よりマシな人生送っているな」と思って頂いたり、その逆で、「この本、面白そうなので、読んでみようかしら」と思ってくださったり、「また、今日も、一生懸命に生きて頑張ろう」と少しでも思ってくださったりすれば、主宰者としてはこの上もない喜びで御座います。

【追記】

 何で、「所詮、世の中、色と金」なんぞと汚い言葉を使うのかと言いますと、迷惑メールがそうだからです。大抵の私のところに来るスパム(迷惑)メールは、「高額金が当選しました」とか「私はアフリカ・ガボンの銀行役員です。貴方様だけにお教えする投資話があります」とか、見知らぬおネエちゃんからの「お誘い」だったりするからです。

 皆さんも同じようなものじゃありませんか? 隠しても駄目ですよ。

「神田みますや」は「東京で最古の居酒屋」なのか?

 ちょっと先の話になりますが、来月9月下旬に、「東京で最古の居酒屋」といわれる「神田みますや」に行くことになりました。旧い友人のA君に声を掛けたら、有難いことに応じてくれたのです。すっごい楽しみです。そのワケは後で縷々述べることにします(笑)。

 コロナのパンデミック以来、個人的にほとんど外で飲み歩かなくなりました。「家呑み」になりましたが、随分酒量も減って、缶ビールの小(350ミリリットル)で満足してしまう今日この頃です(笑)。

 昔は、飲み友達が20人も30人もおりましたが、亡くなった親友もおり、1人減り、2人減りで、気が付いたら、A君の他に2人ぐらいしかいなくなってしまいました。中にはメールをしても返事がなく、電話すると、留守電にしてしまう飲み友達もいました。何か悪いことでもしたのかなあ? と、一瞬、人間不信に陥ってしまいました。でも、もしかして、長期入院しているのかもしれません。最近、名古屋にお住まいの親友も長期入院からめでたく退院したばかりでしたし。

 ま、それはともかく、A君がみますやに付き合ってくれることは嬉しい限りです。彼は、既に、みますやには何度が行ったことがあるらしく、「お酒も料理も美味しいよ」と言うではありませんか。彼は日本酒の品評会の審査員もやったことがあるほどの「通」ですから、間違いありません。余計に楽しみが増し、今からワクワクしてしまったのです。

 「東京で最古の居酒屋」といわれる「神田みますや」は明治38年(1905年)創業です。あれっ? 私も以前、よく通い詰めた根岸の「鍵屋」は、安政3年(1856年)創業ですから、「最古」とは違うんじゃないかな、と思いましたら、同じ場所でずっとやり続けて来た居酒屋は「みますや」が一番古いようです。「鍵屋」は、もともと酒問屋で、その一角で呑み屋を始め、創業場所は現在地の根岸からちょっと離れた所だったらしいですしね。

 みますや創業の明治38年は、色んなことがありました。まず、前年から始まった日露戦争で、日本海大戦もあり、終結した年です。この年に製造された鉄砲が「三八式歩兵銃」です。何と、40年後の第2次世界大戦でも使われたといいますから、驚き以外何でもありません。お金と技術がふんだんにある米軍は自動小銃を開発してバリバリ撃ちまくっていたのですから、日本は負けるはずですよ。

 そして、今たまたま「相対性理論」の本を読んでいるので、熟知したのですが、1905年は、26歳のアインシュタインが特殊相対性理論を発表した年でした。さらには、私が最も尊敬する夏目漱石が「吾輩は猫である」を発表した年でもありました。もしかしたら、漱石先生も「みますや」に行ったことがあるのかしら?(漱石が通った神田の洋食店「松栄亭」は、私もよく行ったことがあります。勿論、漱石のために考案したという「洋風かきあげ」を食べに)

 1905年生まれの著名人には、哲学者サルトル、画家片岡球子、三岸節子、作家石川達三、伊藤整、俳優志村喬、女優グレタ・ガルボ、映画監督成瀬巳喜男、元首相福田赳夫らがおります。

 これだけ書き連ねると、みますやに行く楽しみがいや増します。多くの人は、飲食とは舌で味わうものだと誤解していますが、実際は脳で味わっているのです。脳で味わうということは、情報や蘊蓄が多ければ多いほどいいのです。「えっ?夏目漱石が通った店だったの!?」ー。それだけで、お味の評価も倍増するはずです。何も知らないで、ただパクパク食べるだけならピテカントロプスでもできます(笑)。

「カフェーパウリスタ」のアメリカンクラブサンド・セットに驚き

 ブログのネタに困った時は、ランチの話題に限ります(苦笑)。そんな、無理して書かなくてもいいのに。。。常軌を逸していますねえ。ま、病気だから仕方ないかあ(笑)。

 本日は、銀座のれん会(正式には協同組合銀座百店会)が発行している「銀座百点」に載っていた銀座8丁目の「カフェーパウリスタ」のアメリカンクラブサンド・セットを食しに行きました。「コーヒーのお代わりがOKなので、とてもお得に感じます」。なーんて書いてあったので、値段も確かめずにホイホイ行ってみました。

銀座8丁目「カフェーパウリスタ」クラブサンドウイッチセット

 そしたら、ガビーンです。セットの珈琲にアイスコーヒーを注文したら、「アイスはお代わりはありませんけど、宜しいですか?」と念を押されてしまいました。恐らく、ホットコーヒーならお代わり出来たのでしょう。サンドが運ばれてきて、一緒に置かれた「請求書」を見たら、びっくり仰天です。何と、1980円もするのです。き、聞いてないよお。珈琲とサンドで2000円近くもするなんて。。。あんりまー、です。

 小誌「銀座百点」は富裕層階級向けの雑誌だったですね。

 「カフェーパウリスタ」自体は、何度か訪れたことがあります。今より少し若い頃に、おあ姐さんと一緒に、コーヒーを飲みながら雑談しました。その時、私は、「カフェーパウリスタは明治44年創業で、昔は、銀座の交詢社前にあったんですよ。交詢社には福沢諭吉が創刊した時事新報社があり、ここで菊池寛が社会部記者をやり、友人の芥川龍之介や谷崎潤一郎らも出入りしていた関係で、カフェーは大正文士の溜まり場になったんですよ。『銀ブラ』という言葉も、銀座をブラブラする、という説と、この銀座のパウリスタでブラジル珈琲を飲むという説もあるんですよ」なーんて、蘊蓄を傾けたりしたものです。気障な奴でしたね(笑)。

銀座8丁目「カフェーパウリスタ」クラブサンドウイッチセット

 でも、「カフェーパウリスタ」で食事をすることは初めてでした。値段を見て、びっくりしましたが、このアメリカンサンドとやら、実に美味い。私が今まで食べたサンドウィッチの中で、一番旨いと言ってもいいかもしれません。具材はレタスとトマトと鶏肉と卵といったもので、特別なものではないんですが、清楚で上品な味わいでした。

 今回、「カフェーパウリスタ」に行ったのは、あのジョン・レノンが気に入って、1978年の某月某日、3日連続、奥さんのオノ・ヨーコさんと一緒に通い詰めたという噂を小耳に挟んだからでした。同店には、ジョンとヨーコの二人にサインをしてもらった珈琲のカップとソーサーが「お店の宝」としてあるらしく、その写真だけが店内に飾られていました。(他のお客さんが側にいたので、写真を撮れず残念)

 このサイン入りのカップとソーサーは、テレビの「何でも鑑定団」で鑑定してもらったら、幾らかなあ、と夢想しました。まあ、100万円でも買う人はいるんじゃないですか?(笑)