自殺した米有名シェフ、ベトナムでも悲しみに包まれる

昨日の休み、家でたまたま米CNNテレビを見ていたら、米著名料理人アンソニー・ボーデインさん Anthony Bourdain という人が、8日にフランス・アルザス地方のケゼルスベールの高級ホテルで首吊り自殺したというニュースが報じられていました。61歳だったといいます。

私は全く知らない人でしたが、2013年に放送が始まったCNNの料理・旅番組「パーツ・アンノウン(邦題:アンソニー世界を駆ける)」に出演して、一躍人気者になり、世界中で顔が売れている超有名シェフだったとか。

2016年にはオバマ大統領(当時)がベトナムを公式訪問した際に、彼と2人でハノイ市内のブンチャー(つけ麺)食堂で、気軽に食事を取っている姿が同番組で紹介されたこともあり、ベトナムでもボーデインさんの人気が高かったといいます。

“Low plastic stool, cheap but delicious noodles, cold Hanoi beer.” This is how I’ll remember Tony. He taught us about food — but more importantly, about its ability to bring us together. To make us a little less afraid of the unknown. We’ll miss him.

↑ オバマ氏による追悼ツイッターから転載(オバマ氏の右がボーデイン氏)↑

何と言っても、ボーディンさんはその前に何度もベトナムを訪問し、ベトナム料理の魅力を世界中に伝えるテレビ番組を何本か制作していたそうです。

ボーディンさんは気取らない性格で多くの人に愛されたらしく、あの大統領のオバマ氏と食事をするというのに、豪華とは言えない狭い大衆店で、ビールを飲みながら、わずか3米ドル程度のポーク麺と春巻きを注文して食べたといいます。ボーデインさんが、この店の味を気に入っていっていたからなのでしょうね。

お蔭で、そのハノイ市のつけ麺店「フオンリエン」は、世界中から観光客が押し寄せるほどの人気店となり、店内にはオバマ大統領とボーディンさんが座った上の写真の小さなテーブルといすがショーケースの中で飾られているそうです。

ボーディンさんの死を知った多くのベトナム人がこの店に詰め掛けて、彼に哀悼の意を捧げるとともに、ベトナム料理の素晴らしさを世界中に広めてくれたことを感謝していたことが、地元の新聞に載っていました。

かつて米国はベトナムで泥沼の戦争を続け、枯葉剤などの後遺症もいまだに残り、ベトナムにとっては、憎んでも憎み切れないかつての敵国なのに、こうして、食を通して市民レベルの友情が育まれるものなのですね。

ホッとするエピソードでしたので、茲にご紹介致しました。

「亜硝酸ナトリウム」「ソルビン酸」「リン酸塩」「トランス脂肪酸」には気をつけろ!!!

先日、週刊誌をわざわざ購入したのは、薬師寺管長のスキャンダルが読みたかったみたいな感じになってしまいましたが、本当は、「食べてはいけない『国産食品』実名リスト」という記事が気になっていたからでした。

(1)亜硝酸ナトリウム(発色剤)→発がん性物質

(2)ソルビン酸(保存料)→蕁麻疹

(3)リン酸塩(決着剤)→腎臓疾患

(4)トランス脂肪酸  →冠動脈疾患、肥満、アレルギー性疾患

の表示には、これから気を配って、なるべく買わないように心掛けようかと思ってます。

記事によると、(1)亜硝酸ナトリウムと(2)ソルビン酸の両方が入っていると、相乗毒性があるといいます。(1)亜硝酸ナトリウムと(2)ソルビン酸と(3)リン酸塩の全てが含まれるもので、比較的多かったのが「丸大食品」と「プリマハム」のハム、ソーセージ、ウインナーと名指ししてます。

やばい!あたし、しょっちゅう、スーパーで安くて手頃なので買ってました!製品の裏に貼ってある「成分」や「原材料名」など熱心に見たことなんぞありませんでした。

このほか、塩分と油分の過剰摂取で問題視されているのが、インスタント麺。食べてはいけない実名リストに、日清食品の「カップヌードル・キング」と「どん兵衛 特盛てんぷらそば」、まるか食品の「ペヤング ソースやきそば 超大盛」を挙げてます。私も、かつては、よくインスタント麺を食べてましたけど、調味料のグルタミン酸などは神経に影響があるそうです。

(4)トランス脂肪酸は、意外にもチョコレート菓子に含まれているとか。森永製菓の「チョコボール(ピーナッツ)」「小枝」、明治の「フランオリジナルショコラ」、ロッテ「コアラのマーチ」などが、槍玉に上がってます。

これを暴いた週刊新潮には、当然、お菓子屋さんやハム屋さんなどからの広告は入らず、大企業を敵に回すと大変なことになることは分かってるでしょうから、大したもんです。はっきり言って、覗き見主義の週刊新潮の論調は皮相的で、嫌いですけど、「これこそジャーナリズム」と感心しました。無くしてはいけないメディアです。

しかし、これでは食べるものがなくなってしまうと心配する人たちのために、最後に同誌は、ハム、ソーセージなら「無塩せき」と表示されたもの。コンビニでおにぎりを買うのなら、「ほぐし鮭」より、元の素材に近い「塩鮭」の方が安全性が高いと勧めてます。

ま、いつも高級食材でしか食べない皆様には関係ない話でしたね(笑)。

ミシュランの三ツ星に異議あり 世界を動かす投資会社は表で繋がっている

 京都の古刹 建丹寺の住職 怒庵路慶大禅師から飛脚便で、渓流斎の下に巻物で直筆の書状が送られてきました。
…前略 一筆啓上仕ります。
「ミシュラン」か「身酒乱」か知りませんが、あんな「インチキ番付」ガイド本を今なお信じている賢くないマスコミや人間が日本にはまだまだいるのですから、本当にどうしようもない日本及び日本人です。厭になります。…
 何か穏やかではありませんね。
 …低空飛行の安倍政権が生き延びられるのはよく分かります。何はともあれ、「京都で、”ミシュラン三ツ星店”が、火災!!」の報道騒ぎのことです。
 あの店は2010年に食中毒を出し、当時、新聞にも報道された「名店」(笑)なのです。食中毒はマスコミで言えば誤報と同じで、致命的な大事故です。「美味い!」「まずい!」の以前の問題で、飲食店では致命的な事件なのです。…
 あら、そういうことでしたか。
 …ところが、ミシュラン関係者は、日本語が読めないのか、それとも、食中毒でも評価するのか、この事件が起きてからも、三ツ星か、四ツ星か知りませんが、この店をずっと表彰してきたわけです。マスコミはそれを指摘しなかったのも酷い話ですが。…
 確かに酷い話。ミシュランの評価を見て、海外からわざわざ予約して来店する観光客も多いと聞きますからね。
京都市内
 …最近、スウェーデンの「ノーベル文学賞」の権威が堕ちて、馬脚を現しましたが、「番付」「権威付け」が、如何にいかがわしいものか、よく分かる例証ではありませんか。…
なあるほど。
 …そう言えば、「類は友を呼ぶ」とはよく言ったものです。火事を出した飲食店には、「ノーベル文学賞」関係者も出没しています。この際、かの著名な笈川探訪が作っている「マスコミ人犯罪帳」と類似の「名店・食中毒多発帳」を作ってみては如何ですか。これは人気を呼ぶでしょうね。…
はい、承っておきます。
 …あ、さて、三井物産の社内誌「中外商業新報」から幾星霜を経て、福沢諭吉が創刊した時事新報の廃刊によって日本を代表する経済紙になった日経が、5月15日付朝刊で、日本を代表するヤフーが「大企業病」になって、メルカリなどといった新興台頭を許して凋落している様を報じていますね。ヤフーが落ち目になれば、ソフトバンクも駄目になる。ソフトバンクが駄目になれば、何十兆円もの貸付があるメインバンクのみずほ銀行も危うくなるという、風が吹けば桶屋が儲かる逆のパターンが起きるやもしれませんぞ。…
 えっ!? そんな話、初耳ですよ。
…日本の経済メディアは何で真実を隠して、どうしようもない観測記事ばかり垂れ流すんでしょうかね。そんな神のみぞ知る占い師も分からない将来の業績など誰が分かるというのですか。…
 御意。
…それより、世界最大の投資会社米ブラックロックのことを日本のマスコミはほとんど報じませんね。何か、隠したいという裏でもあるんでしょうか?誰がやっても同じの日本の首相の一日の動静を報道するくらいなら、世界一の投資会社のローレンス・フィンク会長兼CEOの動向を追ってもらった方が、観測記事なんかよりも余程タメになりますよ。ある日はアラブの石油王に会ったとか、ある日は、アマゾンの社長と会ったとか、それだけで、ダウもニッケイも大幅に動くというものです。…
 えっーー?世俗を離れた御住職にしては、随分とお詳しいですねえ。。。
…フィンク会長が日本法人の会長兼CEOを委託した井澤吉幸氏は元三井物産副社長からゆうちょ銀行の社長まで務めた人。日本法人社長の若き有田浩之氏は、一橋大を出て、を興銀(現みずほ銀行)ニューヨーク支店勤務から、同地のブラックロック本社に転職した叩き上げの人ですが、めったに報道されないので、誰も知らないでしょう。…
 ええ、確かに知らないことばかり。。。しかし、出てくるのは、日経、三井物産、みずほ銀行、ソフトバンク…と何か、皆さん、裏じゃなくて表社会で繋がっている感じがしますね。
…ムワハハハ…その通りじゃ。…
あれっ? 大禅師! 何で、飛脚便で巻物書状を送って来られながら、私の所感にすぐ反応できるのですか?
…当たり前じゃ、書状が届いたかどうか確認したワシの電話で今、繋がっとるんやないか。…
あちゃあ、これまた失礼しました!

京都・花街島原近くの「宮武」は旨くて安い穴場の店どす

うまいめん食い村の村長、京洛先生です。最近、横田英樹さんの教えを受けて、渓流斎日乗の乗っ取りに成功しました(笑)。
 昨日9日は、洛中でも、こんなに旨くて、安い定食を食べさせるお店があったのかあ、と感心する出来事があったので御報告させて頂きます。
 ”花の銀座”や、”東都の花街・新橋”、さらに、日本一高い高級鮮魚”を扱う築地河岸を控える所で、連日、豪勢なランチを食べている方(あたし、のことじゃん!)には信じられないでしょうが、860円で上の写真のような、旨い出汁がしみたカレイの煮つけを主肴に3、4品の小鉢がつくのですから、貴人も吃驚仰天でしょう(笑)。繁盛するのは至極当然だと思います。
 この店は、知り合いの京都府警OB氏が、「京洛先生、美味くて安い昼飯を食わせるところを案内しましょうか」と、お誘いがあり、これに素早く対応した次第です。さすが、”地回り”ですね。庶民の動静をよくご存じです(笑)。
 場所は”洛中の台所”である、京都中央卸売市場の傍でした。迂生のほかに、これまた知人の大学教授、洋画家先生も誘って、昨日朝早くからノコノコ出かけた次第です(笑)。
 「朝10時半からやっていますが、朝一番なら大丈夫ですよ」という適切な助言もあり、朝食を控え、朝・昼兼用のランチ懇談に、指定された「宮武」にまいりました。玄関は上の写真の通りです。
 同店のホームページを検索してご覧になれば分かりますが、今は歴史遺産になっており、新撰組も通い、その時、大暴れした刀傷も残る花街・島原に隣接したところで、食事後はちょっとした歴史探索も出来ます。
 10時30分からの”朝食・昼食ランチ”でしたが、出てきたおかずの多さには一堂吃驚しました。ご飯もお替り自由です。
 日替御膳の「カレイの煮付」は期待通り、甘辛く煮込んであり、玉子もたっぷりついて大満足でした。おかずも、それぞれ、下ごしらえが十分してあるのがよく分かり、味がしみて、美食家の洋画家先生は「これは、嬉しいですね、毎日、食べに来たくなりますね」。大学教授も「860円でこれだけの料理が食べられるのですから、朝からお客さんが大勢来るのは当然です。旨くて、安い店は皆さんよく知っていますね」と感心しきりでした(笑)。
 店内には、ちょとした中庭があり、夜は予約もOKで、府警OB氏は「夜は店の入口が薄暗くて、風情が漂いますよ。値段も、そんなに高くありませんから」とのアドバイスもありました。
 同店のコンセプトは、「料亭クラスに限りなく近い旬の魚料理を居酒屋としてお出しする」という事で、魚のプロとして厳選された新鮮な素材に拘り、旬の魚を使用した料理を一人でも多くのお客様に堪能してもらうのが目標なんだそうです。
 
  歴史散歩好きの渓流斎先生が次回、上洛された折は「宮武」及び、島原界隈をご案内しましよう。
 以上
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【京都の旅】西陣 今宮神社の「今宮祭」

こんにちは、皆さん。
迂生は”西陣のお祭り”と言われる、今宮神社の「今宮祭」が、5日から行われるので、一足先に、昨日、同神社に参拝に行ってきました。
 ポスターにあるように「神幸祭(しんこうさい)」は、5日、6日が「湯立祭(ゆたてさい)」、13日は「還幸祭(かんこうさい)」です。
 神幸祭は三基の神輿を中心に大勢の人が氏子区域を行列して歩き廻ります。
「湯立祭」は、同神社の境内で大釜にお湯沸かし、神楽女が笹の束を熱湯にくぐらせ、勢いよく参拝客に笹からしたたるお湯を浴びせかけます。お湯を浴びると、「無病息災」に過ごさせるという習わしです。例年、大釜の周りには、大勢の参拝の人が集まるのですが、今年も大勢の人がお湯を浴びにやってくると思いますね。
 今宮神社は正暦5年(994年)創建ですが、”玉の輿神社”の異名もあります。なぜだか分かりますか? 江戸時代、西陣の八百屋の娘の「お玉さん」が徳川家光の側室になり、お玉さんは5代将軍綱吉を生みます。
  あの有名な「桂昌院」です。女性乍ら「従一位」まで、位を昇りつめたわけですね。庶民の出身でしかも女性がここまで出世したわけで、文字通り「玉の輿」です。桂昌院は京都のいろんな神社仏閣に寄進していますが、信心深い人だった、と言えるでしょう。
  もし、皆さんに愛嬢がおられ「玉の輿」にのられる可能性があれば、一度、今宮神社に”お宮参り”されたらどうでしょうか(笑)。
 同神社の参道には、千年は続くという、あぶり餅のお店が二軒あります。「いち和」と「かざりや」です。
白味噌を使い、炭火で香ばしく焼いた、あぶり餅の味は、何とも言えません。
 「いち和」は創業1000年、「かざりや」は400年です。「いち和」は、もともとは「一文字屋和舗」が正式名称だったのですが、いまでは略して「いち和」になっています。
 昨日は「かざりや」で食べましたが、両者で、味が微妙に違うようです。「かざりや」の方が、少しだけ辛いような気がします。いずれにしろ、1000年、400年も続くというのは大変なことです。

 商売は時代によっては、浮き沈みがあり、道楽息子がいたりして、おかしくなり廃業する、と思うのですが、それだけ「商い」を続けられる、というのは凄いことですね。

昨日も、「かざりや」は、お客さんで一杯でした。時代劇のロケにも頻繁に使われていますが、新緑に囲まれて、境内周辺は、紅葉の青葉が際立っていました。

  この近所の新大宮通には「さかい」という冷やし中華の美味い店があります。今度、上洛されたらご案内しましょう。
以上 うまいめん食い村の村民第1号こと京洛先生でした。
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大阪浪華の宝、折口信夫、木津勘助

おはようございます。大阪の浪華先生です。

渓流斎さん、色々、時間をつくって、東京や小田原や埼玉周辺を探索されて居られますね。健康のためにも良いことです。

ブログでは、谷川彰英著の「埼玉 地名の由来を歩く」(ベスト新書)を読んで居られるそうで、休日は、川越まで足を運ばれた、という事ですが、色々、歴史の足跡を確認されて、教養を深められて、何よりです。


迂生は、「ウマズイめんくい村通信」の赤羽村長に対抗して、廉価で美味いものを探しに、大阪周辺を歩き回っています(笑)。
以前、「めんくい村通信」で、東京・浅草の「千葉屋」という、大学芋が美味しいとの評判記事が出ていました。
迂生も「大学芋」は大好きですが、上方には、気にいった大学芋を売っている店がほとんどありません。
もっとも、焼き芋、大学芋の店は、時代の流れで、消滅寸前です。大学芋は、デパートの総菜売り場で見かける程度ですが、小奇麗な陳列棚に並んでいる芋類はどこか気取っていていけませんね。
そんな折、京阪電車「京橋」駅の京阪百貨店の催事売り場で、美味い大学芋に出くわしました。
大阪市浪速区の「大国町(だいこくちょう)」にある、「大国屋」という大学芋の専門店で、パソコンで「大阪 大国屋」で検索するとHPが出てきます。
此処の大学芋は時間が経っても、いつまでもパリッとして、口当たりがよいことです。大体、大学芋は、時間が経つと、液状になって、飴が手にねばりついたり、ねばねばして、食べるのも面倒くさくなるものです(笑)。

そこで、暇つぶしに、地下鉄御堂筋線「大国町」駅そばの、その「大国屋」にまで行ってきました。梅田から地下鉄に乘ると「難波」から一駅先が「大国町駅」です。難波からでも、歩いて行ける便利なところでした。
そこで、ついでながら、この「大国町」周辺のぶらぶら歩きをしたところ、色々、歴史探訪になりました。


一つは、彼の有名な民俗学者で国文学者、歌人の折口信夫(釋迢空)の生誕の地を見つけたことです。
さらに、それより、はるか昔、神功皇后が、「三韓征伐」の凱旋のおりに、素戔嗚尊(スサノオノミコト)を祀ったという「敷津松之宮」(大国主神社)が大国町にありました。「古代」と「現代」が入り混じった、浪華の歴史が、あちこちに散見できることです。

”歴史の玉手箱”です。


折口信夫の生誕の地は、浪速区敷津西一丁目周辺で 今は鴎町公園の中にあり、大阪市が市制70周年を記念して記念碑を建立し、昭和58年に「十日戎」の詩の一文を刻んだ文学碑も建てられました。
記念碑には「ほい駕籠を待ちこぞり居る人なかに おのづからわれも待ちごゝろなる」と刻まれてありますが、「ほい駕籠」は、渓流斎さんお分りになりますかねえ?


東京、関東の人には、なじみのない言葉でしょう。「ほい駕籠」とは駕籠かきの掛け声です。
正月、同じ浪速区にある「今宮戎神社」の「十日戎」では、芸舞妓が「寶恵駕籠」に乗ったりするので、「ほえかご」とも言ったりしますが、当時の浪華の賑わいが、この歌からも伝わってきます。


また、「敷津松之神宮」の境内にも、折口信夫の記念碑が建っています。こちらは昭和53年11月に、折口の母校である「府立天王寺高等学校同窓会(旧制府立五中)」や「近畿迢空会」、「国学院大学院友会大阪支部」、折口が一時期、教員をしていた「大阪府立今宮高校自彊会」が協賛で記念碑を建てたものです。


「敷津松之神宮」の由緒は、神功皇后の時代に遡りますが、その後、江戸時代の延享元年(1744年)になって、神託を受けて、出雲大社の摂社として「大国主神社」になったため、鳥居と神殿が二カ所あります。「大国主神社」は、今宮戎神社と並んで、大阪商人の守り神とされています。「大国主神がお父さん」、「事代主神が子供」で、両方お詣りしなければ「片詣り」とも言われるそうです。初詣や、十日戎の時は、両方に参拝するする習わしになっている、という事です。


境内には「木津勘助」の大きな銅像もあります。
またまた、渓流齋さんは「木津勘助て、一体、何者ですか?」となるでしょうね(笑)。
木津勘助は、伝説的英雄で実像は不明のようです。


通説では、本名は中村勘助。天正14年(1586年)に関東の足柄山に生まれた、と言われています。その後、大坂は木津村に住み、豊臣秀吉の配下になり、豊臣家滅亡後は、木津川の治水・堤防作りや新田開発事業に取り組んだ、と伝わっています。とくに、寛永16年(1639年)の大飢饉では、「お蔵破り」を決行して捕まり、葦島(現在の大正区三軒家付近)に流されました。その後、また、新田開発に関わり、万治3年(1660年)、75歳で亡くなったと言われています。

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しーちゃんは流石でした

昨晩は、京都方面からホット指令が飛びまして、東京・銀座の「一枚の絵 画廊」で開催中の加藤力之輔個展を鑑賞して参りました。

何と言っても、銀座の画廊ですからね。

加藤画伯は、京洛先生の御友人で、スペインに長らくアトリエを構えて生活しておりましたが、数年前か、10年前か、京都に拠点を移されて芸術活動を続けておられます。

加藤画伯の作品

何しろ、あのフランコ時代にスペインにいらしていたそうですから、まるで歴史的人物のようでした。

この後、一緒に鑑賞に来ていたおつな寿司セミナー仲間5人で、近くの銀座バー「伽藍」に向かいました。

吾人は最近は、検非違使のように規則正しく、謹厳実直、質実剛健。髭もそらず、くしゃみもせず、酒も呑まず、博打もせず、不純行為も致さぬ誠に姿勢を糺した清く正しい生活を送っておりました。

夜の街を彷徨するなんて、もってのほかでしたので、久しぶりのネオンの灯りには頭がクラクラするほどでした。

「伽藍」特注ビール

地下2階にある「伽藍」に入ると、最近、同人誌に濃厚な「官能小説」を発表されたという噂の、あの美人ママさんが優しく迎え入れてくれましたが、ガルーダ博士の指令でお客さんとして、しーちゃんという若い美人の女性もカウンターで待ってました。ご関係はよく分かりませんが、京都でママさんと一緒に、彼女も京洛先生とお会いしたそうです(笑)。

見るからに、利発そうと言いますか、活発そうな女性ですが、個人情報保護法の関係で、世界中に読者の皆様がおられるこの《渓流斎日乗》に彼女の写真も掲載できなければ、詳しくプロフィールを書けないことが残念です。が、彼女は色んなお仕事を掛け持ちされていて、銀座にある今はやりの「割烹着居酒屋」に夜はバイトをやっているということは書けるでしょう。

割烹着?昔は、スチュワーデス(今は、舌をかみますが、フライトアテンダントとか言うんすかねえ?)の格好をした女性が注文を聞いてくれるパブとかあったようですが(あたしは知りませんけど)、今は、割烹着ですか…。

あっ、例のあの「スタップ細胞はあります!」のオボカタさんから来てるんですかねえ?

「家庭料理をお客様の目の前で作ってお出ししたりもするんですよ。知らないんですか? 割烹着は、はやってますよ。今晩も予約で満杯なんです。広尾にもう一軒あるんですよ。お客さんは、『お袋の味』を求めているんじゃないですかねえ」と、しーちゃん。

この後、会津の元祖「喜多方ラーメン」を食べに行きましたけれど、俄然興味を持ったチョイ悪、実は素敵なおじさまたちは、途中で、しーちゃんのお店を覗いてみることにしました。

そしたら、しーちゃんは、本当に割烹着を着て、忙しそうに立ち働いているのが外からもよく見えました。そしたら、我々に気付いた彼女はわざわざ外に出てきて、「あらまあ、お客様、きょうは、予約で満杯なもので、すみません…」と、分かっているのに、白々しく言うじゃありませんか。さっき、伽藍で会っていたばかりなのにねえ(笑)。

さすがだなあ、と思いました。何が流石なのか、分かりませんが、いたく感心してしまいましたよ(笑)。

うまいめんこい村通信 イタリア食堂「のら」の巻

こんにちは。うまいめんこい村の白羽村長です。

東京一の繁華街、花の都の銀座を南下しますと、東銀座、築地になります。この辺りに意外と多いのがイタリアンのお店です。全部で50軒以上、100軒近くはあると思います。

私も30軒以上は行ったことがありますが、気に入っていた中で、Dというお店がありました。格安ながら味は抜群でしたが、いつの日かを起点にして急に味が落ちてしまいました。恐らく、料理人さんが変わったのでしょう。それしか考えられません。

ですから、グルメ店の紹介というのは大変難しいものです。その時点でいくら美味しくても、板さんや、コックさんが変われば、やはり味は落ちてしまいますからね。

さて、ここ2年ほど、気に入ったイタリアンがあります。イタリアンというよりも、下町のイタリア食堂です。築地にある「のら」という内田百閒も吃驚の名前です。サラダとパンが付いたパスタランチが900円ですから、庶民的な値段です。

今日もお昼に行ってきて初めて気が付いたのが、上記写真です。

天下の読売新聞の副社長さんが、「推薦文」を書いており、それが壁に貼ってあったのです。普通、飲食店で見られる「推薦文」てゆーか、「寄せ書き」は、芸能人か、もしくは著名作家か、画家が多いものです。私も、宮崎で入った居酒屋に、壇一雄の揮毫があったので、感激したものでした。どうやら壇先生の馴染みの店だったようです。

しかし、読売という名の知れた新聞社とはいえ、マスコミの、しかし、無名の副社長さんの揮毫を飾るとはよっぽどのことです。あまり聞いたことはありません。笈河記者も知らないはずです。もしかして、店の主が、熱烈な読売巨人軍のファンなのかもしれません。

それに、ここは築地ですから、わざわざ大手町から遠征に来ているんですかね?もしかしたら、ご自宅が傍なのかもしれません。あのネベツネさんに断っているのかなあと、余計な心配にもなります(笑)。

本日のランチも美味しく頂きましたが、帰り際、小生だけ、パンが付いていなかったことに気が付きました。サラダは付いてましたけど。

勘定するときに、「パンなかったですね?」と念を押したら、お店の人は「えっ?!」と驚いてましたが、それっきりでした。

ということで、この店はもう行かないかもしれませんので、宣伝ではないので、取り上げることにしました(笑)。

それにしても不思議。

嗚呼、我が青春の巣鴨、大塚、駒込

先日、川越に行く途中、大宮駅で電車の待ち合わせ時間が30分もあったので、駅構内の本屋さんに入り、「散歩の達人」(交通新聞社)誌が、「巣鴨、大塚、駒込」を特集していたのを見つけ、思わず、久し振りに買ってしまいました。

かつて、出身大学の東京外国語大学が東京都北区西ヶ原にあったため、この辺りはよく散歩したものでした。専攻していたフランス語にかけて「ふらふら同好会」なるものを結成して、御学友の皆さんと本当に目的地も決めずに近辺をフラフラして、最後は何処かの安い居酒屋に入って談論風発の哲学論議。帰りも千鳥足でフラフラしたものでした。

大学近くの染井霊園には二葉亭四迷芥川龍之介らのお墓があり、西巣鴨の「妙行寺」には四谷怪談のお岩さんのお墓がありました。その頃から掃苔趣味があったわけです(笑)。

また、大学近くには染井銀座や霜降銀座など、長~い古い商店街があり、今から考えても、とても恵まれていました。

大学は移転したため、学生相手の麻雀屋さんやお店は残念ながらつぶれてしまいました。よくランチに通ったのはスパゲティー(パスタなんて気の利いた言葉は当時なし)の「サニー」もなくなっていました。ご夫婦がやっていたお店で、学生たちの良き相談相手でもありました。

もう一つよく通ったのが、沢山食べると胃が少しもたれますが(笑)、安くてボリュームだけは多いとんかつの「みのや」、そして、よく行ったわけではありませんが、ジャズ喫茶の「厭離庵」。検索してみたら今でも健在のようでした。

◇駒込、巣鴨は三菱村だった!

この雑誌を買ったのは、「東洋文庫」のことが掲載されていたからでした。学生時代は、フランス関係で精一杯で、中国関係にほとんど興味がありませんでしたので、行ったことはありませんでした。ということで、当時付き合っていた彼女とよく行った六義園(当時は無料公開)の隣りにあることさえも知りませんでした。

東洋文庫は、三菱財閥の三代目総帥、岩崎久弥が今の価値で70億円と言われるほどの巨費を投じて、在上海の英国人アジア研究者モリソンから購入した東アジア関係の書籍2万4000冊を誇る収蔵文庫です。収集・分類・整理に当たって活躍したのが芥川龍之介の一高時代からの友人石田幹之助でした。このことは、以前にもこの《渓流斎日乗》で書いたことがあります。

何で、東洋文庫が六義園の隣りにあるのか、この雑誌を読んで初めて分かりました。この六義園は、元禄時代の赤穂浪士事件の際に、絶大な権力を握っていた五代将軍綱吉の側用人柳沢吉保の別邸といいますか、隠居所だったことで知られ、私もそのことは知っておりました。

それが、明治維新後、新政府のものとなり、それを買い求めたのが三菱財閥だったのですね。何と、六義園内には岩崎邸も建てられていたとか。それどころか、今では都内の豪邸街として名高い駒込の大和郷(おおやまとごう)一帯も全て、岩崎様の敷地だったというのです。吃驚したなあ。

しかも、三菱岩崎様の御用邸の敷地は延々、巣鴨の方にまで続いていたというのです。そう言えば、巣鴨駅近くに「三菱養和会」があり、サッカーかホッケーのグラウンドなどもありました。学生時代、何で、ここにあるのかと不思議でしたが、昔から三菱様の敷地だったんですね。本当に魂消ましたよ。

◇大塚の予備校跡に新興宗教教団支部が

大塚は、予備校で一年通っていましたので、これまた懐かしい。今ではその予備校はつぶれて、10年ほど前にそこを訪れたら、今ではその敷地に、芸能人の信者も多い新興宗教の教団支部が建っていたことにはこれまた驚きました。

大塚は、恩師の故朝倉剛先生の行きつけで、小生も連れて行って下さった居酒屋「江戸一」(一度、劇団四季の浅利慶太氏が女優さんと一緒に飲んでいたのを遠くで拝見したことがありました。後にお二人は結婚)も懐かしいのですが、この雑誌には出てきませんでしたね。

巣鴨、大塚といえば、大塚の三業地帯を除けば、それほど高級というイメージではないのですが、どういうわけか、この雑誌で紹介されているお店は、ランチなのに1600円とか高めのものばかり。銀座より高い!

何か、裏で意図があるのではないかと勘繰ってしまいましたよ(笑)。雑誌では、紹介されている店の中に「35年も長く続く老舗」みたいな文句がありましたけど、小生が学生時代にこの辺りをフラフラしていたのは、もう40年以上も昔ですからね。その店は、当時なかったわけです。嗚呼、溜息が出ますよ。

石橋正和さんって誰?「白いばら」が閉店とは!

新聞の片隅に出ていた石橋正和さんがどんな人なのか気になりました。

田村正和に似たいい男?それとも、ブリヂストン財閥の親戚の方?

正解は、寿司職人さんのようです。

昨晩、日本の国家最高権力者で、御自身のことを「リベラル」と自称されている安倍首相が、アッキー夫人同伴で大物国会議員夫妻らとディナーに訪れたのがこの東京・銀座のお店だったのです。

「銀座通」を自称する私も知らなかったので、気になって少し調べてみました。

クリスマスイブ

所は銀座三丁目。正式名称は「鮨一 石橋正和」。あの地方別出身のホステスさんを取り揃えて、「貴方のご出身の女性を御指名下さい」と看板に書かれているグランドキャバレー「白いばら」の真向かいにあるそうです。

あたしは、東京生まれの東京育ちなもんで、この店に行ったことはありませんが、京都にお住まいの「地獄耳」の京洛先生から、「『白いばら』はもうすぐ閉店してしまいますよ」という極秘情報を先日聞かされたばかりでした。

こちらも調べてみますと、「白いばら」は何と昭和6年創業。満洲事変があった年ではありませんか!(ちなみに、同じ年に、松屋浅草店と新宿ムーランルージュが開業してます)来年1月10日に87年の歴史の幕を閉じるそうなのです。

何とまあ、歴史と伝統があるキャバレーだったんですね。昭和初期ですから、ミルクホールの流行ったモボモガの時代です。太宰治(青森)や檀一雄(福岡)、坂口安吾(新潟)ら地方出身の無頼派も通ったかもしれません。恐らく、全盛期は昭和30年代、石原裕次郎や浅丘ルリ子を気取ったナウいヤングが、ごゆるりと集ったことでせう(笑)。

あ、石橋正和さんのことでした。この鮨一という店は、ミシュランの星を取ったり、外されたりしたそうで、高いようで、そうでもないようで、美味いという人もいれば、それほどでもないという人もあり、「白いばら」の凄さと比較したら、何かどうでもよくなってしまいましたよ…(笑)。