「出版と権力」との関係をもっと知るべき

 魚住昭著「出版と権力 講談社と野間家の110年」(講談社、3850円)をやっと読了しました。読後感は爽快とまではいきませんでしたが、日本を代表する日本一の出版社を通して、誰も知らなかった日本の近現代の裏面史が描かれていました。

 講談社の内部に詳しい事情通から聞いた話によりますと、このような社外秘の文章を、わざわざ部外者の作家に見せて、ノンフィクションを書いてもらったのは、段々、講談社の社内も世代が変わって、昔の事情を知らなくなった若い人が増えてきたため、是非とも若い社員には、創業当時からの講談社の裏事情まで知ってもらいたいという上層幹部の信念によるものだったそうです。

 確かに、どこの大手企業にもある「社史」など、つまらなくて社員でさえ誰も読みませんからね(苦笑)。

 この本が少し勿体ぶったような書き方をするのはそのせいだったのかあ、と意地悪な言い方ですが、納得しました。

銀座「アナム」Bランチカレー980円

 渓流斎ブログでこの本を取り上げるのはこれが3回目なので、今回は後半のことに絞って書きます。後半の主人公は何と言っても、「中興の祖」と言われた四代目社長の野間省一です。この人は、もともと野間家の人間ではなく、夭折した二代目社長恒(ひさし=野間清治・左衛夫妻の息子)の妻だった登喜子(皇族出身)の婿養子として野間家に入った人でした。旧姓高木省一。子どもの頃から神童とうたわれ、旧制静岡高校から東京帝大法学部に入り、卒業後は、大蔵省か内務省に入省してもおかしくなかったのに、南満州鉄道に入社します。省一が、満鉄に入社したのは、後に「新幹線の父」と呼ばれた十河信二の影響が大きかったからだといわれます。省一が旧制静高から帝大に入学する際に、援助を受けたのが静岡を代表する物流会社「鈴与」でしたが、その六代目社長鈴木与平と鉄道省官僚の十河と親しく、その縁で省一は十河と面識があったからだといいます。

 省一の満鉄時代の活躍(哈爾浜鉄道局総務課資料係長秋山炭六らとのソ連情報分析)はスパイ映画にでもなりそうな話ですが、その辺りは長くなるので、本書を読んでください(笑)。

 とにかく、省一は野間家に入り、社長になりますが、戦中に軍部と協力した「戦犯容疑」から戦後、会社から一時追放されます。が、組合の反対を押し切って、社長に返り咲き、創業者の「忠君愛国思想」路線から脱皮して、文芸から美術全集や科学書の「ブルーバックス」に至るまで、総合出版社に育て上げます。

 講談社は、多くの関連会社を持ち、それらは、本社がある地名から「音羽グループ」と呼ばれています。その一つに光文社(カッパ・ブックスや「女性自身」「フラッシュ」などを発行)がありますが、同社は戦時中に陸軍と共同で雑誌「征旗」などを出版していた日本報道社が起源だったとはこの本で知りました。

 もう一つ、キングレコードがあります。戦前、100万部もの大発行部数を誇った大衆誌「キング」から命名されたものでしょうが、この「キング」も戦時中は、敵性用語だから不謹慎だと、当局ではなく、大衆読者からの抗議によって、雑誌名を「富士」と改名を余儀なくされます。加藤陽子著「それでも、日本人は『戦争』を選んだ」(新潮社)みたいな話ですね。

 雑誌「キング」が「富士」に改名しますから、キングレコードも「富士音盤」と改名します。この西宮工場を、さらに「富士航空」と改名して、レコードではなく、航空機部品を生産していたといいます。まさに、出版の世界だけでなく、軍需産業として講談社は戦争に協力していたことが分かります。

北西酒造「村上大介」

 この本は3850円と高めですから、残念ながら、よほどの通か、粋な人しか買わないことでしょう。今は長い「出版不況」のトンネルの中にいますからね。同書によると、雑誌の売り上げがピークだったのは1997年で、実倍額が全国で1兆5644億円でしたが、2018年は5930億円。22年間で売り上げが3分の1近く落ち込んだことになります。(書籍は、雑誌ほど落ち込みが酷くはないものの、1996年の1兆0931億円がピークで、2018年は6991億円にダウン)

 これでは、日販、トーハンといった大手取次会社が赤字を出したり、街の本屋さんが次々と消えてなくなっていくはずです(アマゾンの影響が大きい)。

 でも、通や粋な人だけではなく、本書を読んで色々知ってもらいたいことが沢山あります。戦後の占領軍GHQによる検閲は苛烈で、まさに酷いものでしたが、戦時中の軍部による検閲と顧問団名目の大目付派遣と、顧問料名義の賄賂、たかりの酷かったことです。これでは、米軍を非難すらできなくなります。前回、その陸軍の鈴木庫三中佐の戦後の変わり身の早さのことを書きましたが、日本人だけを、特別に、殊更賛美する人にはこの本を読んでもらいたいと思いました。

講談社創立者野間清治の父は上総飯野藩士だった

 本日は、ついに東京五輪開会式。やっちまうんですね。(もうソフトボールやサッカー等の予選は始まってますが)

 疫病下のオリンピアード

 後世の歴史家は、2021年の東京五輪をそう名付けることでしょう。既に、東京都内のコロナウイルス感染者が2000人近くに迫り、オリンピック大会関係者も22日現在、78人の感染者が確認されたと公式発表されていますから、今から中止してもいいぐらいなんですけどね。とにかく、歴史上始まって以来、盛り上がりに全く欠けるシラケ五輪です。

 さて、私事ながら、4連休なので、東京都内の博物館にでも行きたいところですが、緊急事態宣言が出されているので、家でじっと本を読んでいます。

浦和・「中村家」 うな重特上4800円

 今読んでいるのは、いつぞやも、このブログで、私の自宅の書斎の机の上には未読の本が「積読状態」になっていることを白状しましたが、その中の1冊です。魚住昭著「出版と権力 講談社と野間家の110年」(講談社、2021年2月15日初版)という本です。2018年から20年にかけて、講談社ウエブサイト「現代ビジネス」に連載されたものを、大幅に改稿して単行本化したもので、私自身もネット連載中の記事は拝読させて頂き、その「面白さ」は既に、痛感しておりました。

 著者の魚住氏は共同通信出身のノンフィクション作家です。私は若い駆け出し記者の頃、共同通信の人には目の敵にされ、意地悪されたり、取材妨害されたりし、また、人海戦術で他社を潰そうとする態度があからさまだったので、今でも共同は、大嫌いな会社なのですが、魚住氏とは接点がなく、著書を通してですが、その取材力には感服しております。

 「出版と権力」は、日本一の出版社、講談社を創立した野間清治の一代記ですが、サブタイトルにあるように、清治の後を継いだ二代目恒(ひさし)から六代目の佐和子社長辺りまでの110年間を総覧しているようです。講談社という一つの出版メディアを主人公に、当時の政治的社会的背景から風俗、流行に至るまで、時代の最先端の空気を他社より先んじてリードする出版人の裏の苦労話も書かれているようです。

 まあ、近現代史の裏のエピソードが満載ですから、面白くないわけないでしょう。

 何しろ、注を入れて669ページという事典のような大著です。ネットで読んだとはいえ、単行本の方は、まだ、最初の方しか読んでいませんが、一番興味を持ったのは、創業者野間清治の先祖の話です。明治11年(1878年)生まれの清治の父好雄は、上総飯野藩(現千葉県富津市)の藩士の三男だったんですね。

◇保科正之の御縁で飯野藩と会津藩は縁戚関係

 飯野藩は慶安元年(1648年)、保科正貞が立藩し、代々保科家が藩主を務めました。家康の孫に当たる正之が、保科家に養子に入ったため、保科家は一時廃嫡になりましたが、その保科正之は会津松平家を興したため、保科正貞が飯野藩を立藩できたわけです。ということは、会津藩と飯野藩は縁戚関係ということで、幕末は、飯野藩も、奥羽越列強同盟の会津藩に馳せ参じて、戊辰戦争で官軍と戦うことになるのです。

 野間清治の父好雄の長兄銀次郎は、飯野藩士19人と脱藩して遊撃隊を結成して官軍と戦いますが、官軍に蹴散らされ、その責任を問われた銀次郎は、飯野藩家老とともに切腹したといいます。

 また、野間清治の母の文(ふみ)は、飯野藩武術指南役・森要蔵の長女で、清治の父好雄は、森要蔵の内弟子だったので、妻の文は師の娘に当たります。森要蔵は、もともとは江戸詰め肥後細川藩士の六男で、北辰一刀流の千葉周作に師事し、神田お玉が池の千葉道場の四天王の一人と称されました。司馬遼太郎の「竜馬がゆく」などにも登場する剣客です。その森要蔵も三男寅雄(文の弟)ら門弟28人を連れて、会津藩の応援に駆け付けますが、壮絶な最期を遂げます。

 明治の新聞人は、福沢諭吉(「時事新報」)、成島柳北(「朝野新聞」)、栗本鋤雲(「郵便報知新聞」)らもともと幕臣や佐幕派が多かったのですが、野間清治のように雑誌、出版人も佐幕派の血を引いていたとは、感慨深い話でした。

 

ワクチン狂詩曲第108番=そして銀座・諸国民芸品店「たくみ」へ

 Covid-19ワクチン2回目を巡って、最近、私の周囲では色んな話を聞きます。勿論、「何ともなかった」という人もいますが、よくない話が多いのです。

築地「天辰」のっけ定食 1200円

 例えば、会社の同僚のA氏は、先週土曜日に2回目のモデルナを接種したのですが、その日の夜に39度近い高熱が出てダウン。日曜日も熱が引かず、月曜日も体調が良くなかったので、会社を休んだほどでした(火曜日に回復)。

 健康自慢のB氏の場合、2回目のファイザーで、それほど重くはなかったのですが、翌日は酷い倦怠感に襲われて、何もやる気が起きなかったといいます。

 Cさんもファイザー2回目で、打って4~5時間後に腕が痛くなり、12時間後の翌日には39度近い熱が出て、1日では下がらず、解熱剤カロナールを飲んで、やっと抑えたとか。「やっぱり、体内に衝撃あるワクチンなんだね」と知らせてくれました。

銀座「デリー」よくばりカレーランチ1120円

 何か、モデルナもファイザーも関係なく、副反応があるようです。私も今週土曜日の24日に2回目のモデルナを打つので、髷を切って、白装束を着て会場に向かうつもりです(笑)。

 とはいえ、私の住む地方自治体では、国家から配給されるモデルナ・ワクチンの供給が途絶え、26日以降の接種を延期するなんて言っております。私の場合もどうなるか分かりませんが、延期された人たちにとっては、「えーー、怒るでよおーー」でしょうねえ。

銀座に異様な雲?いえいえ飛行機雲でした

 さて、銀座に民芸運動の作品を販売する「たくみ」というお店が8丁目にあることを知り、昼休みに初めて足を運んで覗いてみました。

 民芸運動の中心人物、柳宗悦については、白樺派の人ぐらいで、ほとんど知らなかったのですが、昨年、彼の著作「南無阿弥陀仏」(岩波文庫)を読んで、初めて浄土思想とは何たるものかを理解することができ、人生の恩人と感じるようになり、彼の民芸運動について再度、関心を持たざるを得なくなったわけです。

 銀座には「のれん会」があって、一番有名なのは、「銀座百点」という小冊子を出している「銀座百店会」です。逆に言いますと、この小冊子ばかり読んでいると、「銀座百店会」に加盟していない銀座の名店を知らないことになります。

 民芸のお店「たくみ」を私が知ったのは、「銀座15番街」という小冊子からでした。「銀座百店会」に加盟していないか、加盟できないお店の「のれん会」だと思われます。と思って、HPを見たら、銀座15番街とは、「昭和41 年(1966年)、銀座7 丁目・8 丁目の店舗が中心となり会を発足させた」とのことでした。

銀座・民芸品店「たくみ」

 猛暑の中、早速、この「たくみ」に行って参りましたが、私も大好きな河井寛次郎先生の焼き物が一点、鍵のかかったガラスケースに入っておりまして、値段も100万円也でした。

 ムフフフフ、手が出ないことはないのですが、さすがに「即断即決」とはいかず、何も買わずにすごすごと帰って来ました。

 ただ、会津の民芸品「赤べこ」が、私がネットで買ったものより安く売っていたので、「なあんだ。ここで買えばよかった」と、地団駄も踏んできましたよ。

銀座で安くて美味いとんかつ屋さん

 銀座のど真ん中の交詢社通り。以前は北海道新聞社の東京支社、今はフランスの有名ブランド「ルイヴィトン」になっているビルの近くに空き地ぽいところがあって、通りすがりにこのとんかつ屋さんの看板をよく見ながら、一度も入ったことがありませんでした。

 今、銀座近辺でとんかつを食すとなると1300円~3000円が相場です。1000円は大丈夫かなあ?ーと敬遠しておりました。そしたら、この店「不二」は、とんかつ屋の老舗「銀座梅林」と同じく昭和2年創業だというので吃驚、あらあら、知らなかった。これならいつか行かなきゃならん、ということで本日、行ってみました。

銀座・「とんかつ不二」ヒレ定食1000円

 本当にロース定食もヒレ定食も1000円でした。実に良心的な値段です。しかも、味も良い。でも、1000円で吃驚しては駄目でした。何と、午後1時過ぎに入ると、ミックス定食が600円で食べられるというのです。ただし限定15食。

 もう一つ。メニューを見ると、午前11時半からは、これまた限定15食ながら、魚フライ定食が600円で食べられるというのです。

 こりゃあ、凄い。いつか、挑戦してみますかぁ。。。

 今はコロナ禍ですから、カウンター席に5人ぐらいとテーブル席二つの狭いお店なので、並ぶかもしれません。

銀座・ロシア料理「マトリ・キッチン」

 銀座の老舗とんかつ屋さん「梅林」は、ここ1~2年、ビルの建て替え工事で、他のところで営業しておりましたが、最近、かつての地に新ビルが完成して新規開店したようです(7月1日のようでした)。

 でも、以前、このビルの2階にあった「渋谷画廊」はもう入居していませんでした。亡くなった片岡みい子画伯がよくお仲間と一緒に個展を開き、私も顔を出しては、この梅林の名物のヒレカツサンドを頂いたものでした。

 事情通によると、とんかつ梅林のオーナーが渋谷さんというお名前で、自分の画廊をオープンしておりましたが、ビルを建て替えることを契機に撤退されたというのです。とんかつ梅林は、シンガポールやハワイなど海外にもチェーン展開して成功しているらしく、本業に専念といったところでしょうか。

 ということで、渋谷画廊の責任者だったIさんとはしばらくお会いしておりませんでしたが、お仕事の方はどうされてしまったのか気になっていました。でも、またまた事情通によると、彼女は、他の銀座の画廊のお手伝いをしたりして、細々ながら、お元気で活躍されているということでしたので一安心しました。

「天地間無用の人」の幕臣時代=成島柳北

 「われ歴世鴻恩を受けし主君に、骸骨を乞ひ、病懶(びょうらん)の極、真に天地間無用の人となれり。故に世間有用の事を為すを好まず」

 成島柳北(なるしま・りゅうほく=1837~1884年)の「濹上隠士伝」の有名な一節です。「天地間無用の人」とはあまりにも激烈な言葉です。幕末、第十三代将軍徳川家茂、十四代家茂に直に四書五経等を講じる「侍講」という重職に就く幕臣だった成島柳北は、維新後、和泉橋通りの屋敷からも逐われ、隠居の身となります。まだ朝野新聞社長として活躍する前の話です。(ちなみに朝野新聞社は、東京・銀座4丁目、今、服部時計店「和光」が建っているところにありました。)

 明治の反骨ジャーナリスト成島柳北について、今では知る人も少ないでしょう。彼の次兄(大目付森泰次郎)の孫が俳優の森繁久弥だということぐらいなら御存知かもしれません。私は、彼の幕臣時代の活動について、全く知らなかったのですが、古書店で手に入れた前田愛著「成島柳北」(朝日新聞社、1976年6月15日初版)でその概要を知ることができました。この本、漢文をそのまんま引用だけしている箇所があまりにも多いので、意味を解釈するのが困難で、難しいったらありゃしない(笑)。私も1970年代の大学生ではありましたが、当時、そんな漢籍の素養があった学生は多くはいなかったと記憶しています。訳文がないので、この本はスラスラ読めません。

中津藩中屋敷跡に建つ立教学院発祥地の碑

 でも読み進めていくうちに漢文の文語体は何とも言えない快楽になり、まさに江戸時代の日本人と会話している気分にさせてくれます。意味が分からなければ、漢和辞典で調べればいいだけの話でした。

 「天地間無用の人」は成島柳北が発明した言葉だと思っていたのですが、どうやら先人の寺門静軒(1796~1868年)が「江戸繁盛記」の冒頭で書いて自称した「無用之人」を踏襲したようです。寺門静軒は水戸藩士の庶子として生まれたため、結局、水戸藩に仕官できず、自らを「無用之人」と称して、儒学者として生涯を過ごした人です。代表作「江戸繁盛記」は評判を呼びますが、天保の改革で悪名高い鳥居耀蔵によって「風紀を乱す」との理由で、絶版にさせられ、寺門静軒自身も江戸市中から追放処分を受けます。

 時は幕末。浅薄な尊王攘夷思想にかぶれた勤王の志士たちが血生臭い闘争に明け暮れていたイメージが強かったでのすが、成島柳北ら文人墨客グループは、隅田川に舟を泛べて漢詩を詠い、楼閣に登って芸妓と戯れます(「柳橋新誌」)。そんなヤワなことをしているから、佐幕派は薩長の田舎侍に敗れたのだ、とだけは言われたくないですねえ(笑)。漢籍と芸事は武士の嗜みであり、江戸文化の華でもありました。そんな文人成島柳北も、小栗上野介(1827~68年)や栗本鋤雲(1822~97年)を中心に幕府が導入したフランス式軍隊の騎兵頭に指名されたりします。

東京・築地

 その前に、成島柳北が属した文人墨客サロンの中心人物は、代々将軍の侍医を務める桂川甫周でした。桂川甫周といえば、前野良沢、杉田玄白による「解体新書」の翻訳作業に従事した蘭方医として有名ですが、あれは18世紀後半の明和の時代ですから合わない…。こちらは四代目(1751~1809年)でした。成島柳北の友人の同姓同名の方は、七代目(1826~1881年)でした。七代目甫周も蘭学者でもあったので、江戸時代最大のオランダ語辞書「和蘭字彙」を完成させます。ちなみに、安政年間になると蘭学に代わって英学が台頭し、洋書調所から「英和対訳袖珍辞書」が文久2年に出版されますが、この辞典の訳語の60%が「和蘭字彙」からの借用だったといいます。

 漢詩人大沼枕山(1818~91年)を通して、漢学者大槻磐渓(1801~78年)、書家中沢雪城(1810~66年)、儒者春田九皐(はるた・きゅうこう、1812~62年、浜松藩士)、儒学者鷲津毅堂(1825~82年、永井荷風の外祖父)らと交遊を持っていた成島柳北は、11歳年長の桂川甫周のサロンで、語学の天才柳河春三(やながわ・しゅんさん、1832~70年、尾張藩出身の洋学者)や神田孝平(1830~98年、洋学者、長野県令)、宇都宮三郎(1834~1902年、尾張藩士、洋学者、化学者)らと知り合うことになります。もう一人、忘れてはならないのは福沢諭吉で、彼が咸臨丸の遣米使節に参加できたのは、桂川甫周の推薦だったといいます。

 もっとも、福沢諭吉の方は、舟遊びや芸妓に傾倒する成島柳北らとは一線を画していたようで、桂川甫周の次女、今泉みねは明治になって80歳を過ぎて、「福沢さんは、どうも遊び仲間とはちがふように私の頭に残っています。始終ふところは本でいっぱいにふくらんでいました」と回想しています。(「名ごりの夢」)

 さすが福沢諭吉、緒方洪庵の大坂適塾の塾頭を務めたぐらいですから、かなりの勉強家だったのですね。その福沢諭吉が幕末に大坂から江戸に出て、最初に行ったのが、中津藩上屋敷。何と今の銀座にあったのですね。汐留に近い今の銀座8丁目14~21辺りで、鰻の竹葉亭本店や近く取り壊されると言われる中銀カプセルタワービルなどがあります。何か碑でもあるかと私も歩き回って探しましたが、見つけられませんでした。

中津藩江戸中屋敷

 でも、上屋敷に着いた福沢諭吉は「中屋敷に行くように」と指示されます。中津藩の中屋敷は今の築地の聖路加国際病院がすっぽり入ってしまう広大な屋敷で、福沢諭吉はここで、最初は蘭学の塾を開きます。それが、横浜に行って異人と会話してもオランダ語がさっぱり通じないことから、英語の勉学に変えていくのです。勿論、ここが慶応義塾の発祥地となります。ここから桂川甫周の屋敷と近かったため、福沢諭吉は、本を借りるためなどで桂川邸を行き来していたわけです。

中津藩中屋敷跡に建つ立教女学院発祥地の碑

 明治から昭和にかけて活躍した作家の永井荷風(1879~1959年)は、外祖父鷲津毅堂も交際していた成島柳北(の死後)に私淑し、「柳北先史の柳橋新誌につきて」などの作品を発表し、柳北若き頃の日記「硯北日録」などを注釈復刻しようとしたりしました。荷風ほど江戸の戯作文学に憧憬の念を持った人はいないぐらいですから、江戸文学の血脈は、寺門静軒~成島柳北~永井荷風と受け継がれている気がしました。

談志が愛した銀座の中華料理店

 落語家の立川談志(1936~2011年)が亡くなって、今年でもう10年になるんですね(行年75歳。命日は11月21日)。時間の流れの速さには卒倒しそうです。

 その談志師匠が贔屓にしていた中華料理店が銀座にあるというので、ランチに行って参りました。北京料理「東生園」という店です。場所は、泰明小学校の近くで、ちょくちょく行っていた蕎麦屋「泰明庵」の斜め向かいといったところにありました。

 灯台下暗し、です。

 やっぱり、グルメは脳で食べるものなんですね。旨い、不味いは関係ない(笑)。誰それ有名人が贔屓にした店とか、ミシュランで三ッ星を取ったから、といった「情報」でヒトは、食欲を満たす動物なんですよ。

 私もそんな動物の一人ですから、秘密に仕入れた情報だけを頼りに行ってみました。

東京・銀座・北京料理「東生園」五目チャーハン・ランチ900円

 注文したのは、五目チャーハン。談志師匠がこよなく愛した五目チャーハンは1300円ですが、私が注文した五目チャーハンは、ランチでしたので900円でした。

 うわっ! うまっ!

 北京料理の看板を掲げていますが、とても上品な味でした。今まで食べた五目チャーハンの中でもベスト3には入ります。加えて、給仕してくれるお店の女性も感じが良い。900円ランチは、酢豚から中華風カレーライスまで9種類ありましたから、これから全部制覇しようかしら(笑)。

 談志師匠のグルメぶりには見直しました。

東京・銀座・北京料理「東生園」

 立川談志と言えば、一時閉園の危機から一気に全国的な人気動物園に再建した北海道の旭川動物園の元園長小菅正夫さんのことを思い出します。今から15年以上昔に帯広に赴任していた時に、講演会の講師にお招きしたことがあるのですが、小菅さんは談志の大ファンで、控室で初対面でお会いした時、最初から最後まで談志の凄さを熱っぽく語っていました。北海道で落語会があれば必ず行くと話していました。

 そう言えば、私自身は、彼のこと、テレビやラジオで接しても、寄席で生で一度も見たことありませんでしたね。亡くなった時に、翌日の某スポーツ紙が「談志がシンダ」と回文のような上手い見出しを付けていたのが今でも忘れませんが、「嗚呼、一度くらい見ておけばよかった」と後悔したものです。

◇一期一会の立川談志

 でも、立川談志師匠には一度だけ取材したことがあります。1998年頃だったか、東京・赤坂にある有名な前田病院に検査か入院かで行くという報せがあって、各社の芸能記者が取材に走ったのです。その前年にがんの手術をしたりして、一時「談志死亡説」まで流れていたからでした(その後治癒)。

 報道陣に囲まれた談志師匠は当時62歳。少しやつれて痩せた感じでしたが、口調ははっきりしていて、「皆さん、こんなに集まってくださって、どうもすいませんねえ」とあまりにも低姿勢だったので吃驚。談志と言えば、べらんめえ調で、人をどやしつけるタイプだと思っていたので拍子抜けしてしまったことを覚えています。勿論、その時は、高座に上がった立川談志ではなく、本名の松岡克由という素顔を晒していただけなのかもしれません。

人の心は移ろいやすい=50万PVまであと僅か

 昨日の閲覧数は、どういうわけか、2074ページビュー(PV)アクセスもありました。普段は、300とか500とか、そんなもんなんですが、どうしちゃったんでしょうか?ー昨日のテーマは、万人受けしそうなものではなかったのですから、どなたかが、このサイトで遊んでネットサーフィンでもしてくださったのでしょうか?

 この分ですと、今月か来月には区切りの良い50万PVアクセスに到達しそうです。御礼申し上げます、としか言いようがありません。

銀座「イタリアン グロッタ」ホエー豚肩ロースのグリルステーキ ランチ1100円

 と、感謝しておきながら、人の心は移ろいやすいものです、と、私はこの頃、しみじみ感じております。男でも女でも、関係なく、人間は心変わりするものです。それが、何か?

 心変わりをされた方が問題なのです。自分は何か悪いことをしたのではないか、と自分自身を責め続けます。これまで親しくしていれば尚更です。しかし、幾ら考えても自分の非を見つけることができません。となると、人の心は移ろいやすい、という結論に達するしかありません。人は幾ら、罵詈讒謗で強権を発動されても、心まで支配することはできません。せめて、面従腹背で、相手は嫌々付き合っているだけです。それでは面白くないでしょう?

 となると、人の心は移ろいやすい、と諦念して新たな一歩に踏み出すべきではないでしょうか。。。

築地「イタリア食堂のら」パンチェッタとズッキーニ、モッツアレラチーズのトマトスパゲティ フォカッチャ、サラダ付きランチ990円

 本日、皆さまにお伝えしたいことは、これだけなのですが、今読んでいる佐藤賢一著「日蓮」(新潮社)によると、日蓮聖人は誰に頼まれたわけでもなく、艱難辛苦と法難を何度も何度も受けながら、まさに国難とも言うべき蒙古襲来の他国侵逼(しんぴつ)を「予言」するなど、毎日毎日、天下国家と民衆の安寧のことばかり考えていたようです。

 それに比べて、渓流斎ごとき煩悩凡夫は実に小さい、小さい。何? 人の心は移ろいやすいだと?ー何を、いつも、ブログで御託と世迷言を並べているのか…我ながら、不憫に思います。

 しかし、真面目に誠実に生きたい。残された人生で、自分が出来ることは何か、この世に生まれてきて、一体、自分の使命は何なのか、を考える毎日です。

スマホ中毒者の独り言=アンデシュ・ハンセン著「スマホ脳」を読んで

 我ながら、自分自身がスマホ中毒だということは自覚しております。中毒というより、スマホ依存症かもしれません。

 まあ、どちらでも同じことですか…(笑)。

 さすがに、他人様に迷惑となる「歩きスマホ」は絶対しませんが、スクランブル交差点での長い信号待ちでは、イライラしてスマホを取り出して、メールをチェックしたり、酷い時にはこの渓流斎ブログを書いていたりしておりました。

 しかし、もうそれは過去のことにしよう、と思っています。

 今、大ベストセラーになっているアンデシュ・ハンセン著、久山葉子訳「スマホ脳」(新潮新書)を読むと、「そんなことしてられない」と冷や水を浴びせられます。(我々は1日に2600回以上スマホを触り、平均して10分に1度スマホを手に取っているとか!)本来なら、ベストセラー本は、このブログではなるべく取り上げない方針でしたが、(だって、私が紹介しなくても、売れてるんだもん)この本は、意外に面白いというか、もっと言えば、世界的ベストセラーになるだけあって、とても素晴らしい本だということを発見し、書かずにはいられなくなったのです。

 この本は、技術書でも手引書でもなく、1974年、スウェーデン生まれの精神科医から見たヒトの志向、性癖、思考の分析本でした。脳科学、人類学、進化論の書と言ってもいいかもしれません。でも、専門書のような堅苦しさはなく、訳文が良いのか大変読みやすいのです。

銀座・ロシア料理「マトリ・キッチン」日替わりランチ、サラダ、デザート付 1100円

 デジタル・デバイスに関して、人類で最も精通していると思われるアップル共同創業者のスティーブ・ジョブズは、自分の10代の子どもに対しては、iPadの使用時間を制限し、マイクロソフト共同創業者のビル・ゲイツは、子供が14歳になるまでスマホを持たせなかったといいます。これらの機器が若年層に与える弊害を知り尽くしていたからなのでしょう。

 面白いのは、ジャスティン・ローゼンスタインという30歳代の米国人です。彼は自分のフェイスブックの利用時間を制限することを決め、スナップチャットはきっぱりやめたといいます。依存症の面ではヘロインに匹敵するという理由からです。このローゼンスタインさん、単なる米国の青年とはわけが違う。何と、フェイスブックの「いいね」機能を開発した人だというのです。彼は、後にインタビューで「思ってもみないような悪影響があることは、後になって分かった」と語っているぐらいですから、デジタル機器の恐ろしさを人一倍、身に染みて痛感したことでしょう。

 ヒトは、どうしてスマホ中毒になるのかー?

 端的に言うと、脳内にドーパミンと呼ばれる報酬物質の量が増えて、やめられなくなってしまうからです。人類誕生以来、ヒトは過酷な環境の下で生き延びるために進化してきましたが、このドーパミンによる作用によることが大きいのです。生き延びるために食欲を満たすことによって、エンドルフィンと呼ばれる快楽物資が発散され、自分の子孫を残す生殖行為でもエンドルフィンが促されるといった具合です。

 生き延びるために、ライオンや虎などの捕食者に出会わないようにしたり、蛇や毒グモから避けたりしなければならず、そういった探索能力や、何処に行けば果実が成っているのか、何処に行けばマンモスがいるのかといった情報収集能力を発揮するには、このヒトに行動の動機付けを与えるドーパミンの助けが必要とされるといいます。

 ということは、スマホで情報を探索し、ニュースに接しているときに発出するドーパミンと、他人からの「いいね」といった承諾を得ることで出るエンドルフィンで、際限のない満足と欲求不満の連鎖で、中毒、もしくは依存症に陥ってしまうということなのかもしれません。

 そして、何と言っても、もしかしたら、スマホは、人類誕生以来の最も恐ろしい脳破壊兵器なのかもしれません。。。

 そんなカラクリが分かったとしても、ヒトはスマホを手放すことができるのでしょうか?ー多分、この「スマホ脳」は大ベストセラーなのに、読んでいないのか、通勤電車内では9割近くの人がスマホの画面に吸い込まれています。

 今から、貴方はフェイスブックやツイッターやLINEを辞められますか? もう禁断の果実を食べてしまったからには、無理かもしれませんね。

 私自身も利用時間を減らすことはできても、きっぱりとやめることはできないと思っています。(とは言いながら、広告宣伝媒体のフェイスブックなんかやめちゃうかも=笑)メールチェックもパソコンで1週間に1回ぐらいだった時代が懐かしい。スマホもパソコンもなかった時代に戻れるものなら戻りたいものです。

今や北欧は時計のメッカ?

 しばらく、行っていなかった東京・銀座の並木通りに久しぶり行ったら、すっかり様変わりしていて驚いてしまいました。高級腕時計店街になっていたのです。

 明治に大阪朝日新聞が東京に進出して初めて銀座・並木通りに社屋を建て、今や東京朝日ビルになっているところの1階にはスイスの高級腕時計「ロレックス」が店を構えていますが、これに影響されたのか、どんどん、この近辺に高級腕時計店が進出していたのです。「オメガ」「ゼニス」「タグ・ホイヤー」、それに「IWCシャフハウゼン」(ここは以前、風月堂の喫茶店だったのに…)…等々です。

 意外と知られていませんが、銀座は「時計の街」でもあります。

銀座・並木通り

 何と言っても、銀座4丁目のセイコー「服部時計店」ビルは、銀座というか、東京の象徴になっています。

  高級腕時計に関して、名前を知っているだけで、私はそれほど、詳しくないのですが、「オーデマ・ピゲ」「ブレゲ」「ブライトリング」「ピアジェ」「ロンジン」、それに「ウブロ」(以前は並木通りにありましたが、銀座通りに栄転)…何でもあります。犬も歩けば棒に当たるほどあります(笑)。恐らく、世界の高級腕時計ブランドで銀座に進出していないものはないと思われます。

 この中で、最高峰は「パテック・フィリップ」でしょう。銀座には専門店がないようですが、5丁目の「アワーグラス」や7丁目の「日新堂」で販売されています。私にはウインドーショッピングしかできませんが、安くても400万円ぐらい。2000万円、3000万円の時計は当たり前といった感じです。時計1個で、マンションが買えるんでなえかえ!?(と、思わず北海道弁)

 パテック・フィリップといえば、あの文豪トルストイがこよなく愛した時計だったらしいですね。19世紀末当時も、換算すれば、2000万円ぐらいしたんでしょう、きっと。

◇腕時計、忘れた!

 何で本日、腕時計の話をしたのかといいますと、今朝、腕時計をはめて会社に行くのを忘れてしまったからでした。途中で気が付きましたが、最近、認知症が入って来たのかなあ…?

 腕時計を忘れた話を会社の同僚のO君に話すと、彼は凄いデザインが良い、薄くて格好良い腕時計を嵌めているではありませんか。

 「デンマーク製のベーリングって言うんですよ。去年、駅ビルの時計店で見て、あまりにも格好良いんで、衝動買いしちゃいました」

 ブルーを基調としたシンプルなデザインで、チタン製とかで結構軽量。しかもソーラー時計ということで、電池いらずだというのです。

 「えっ?凄いねえ。それ幾らしたの?」

 「3万いくらでしたね…」(調べたら3万6300円でした)

 「えっー?そんな安いのお?僕のは、高級腕時計グランドセイコーだから25万円ぐらいしたんだよ」と私。(単なる自慢話です=笑)

銀座・並木通り

 「それがですね、今、結構、北欧時計が静かなブームらしいんですよ。何と言ってもデザインが斬新。そりゃあ、スイスの高級腕時計と比べれば性能は落ちるでしょうけど、何と言っても値段が手頃なんですよ。3万円前後で買えるんですから。僕なんかこれで十分」

 ということで、調べてみたら、「ノードグリーン」(デンマーク)が2万円前後、「ヴェアホイ」(デンマーク)が2万~3万円、「ダニエルウエリントン」(スウェーデン)が2万円前後、「アルネヤコブセン」(デンマーク)が3万~4万円、「クヌート・ガット」(スウェーデン)が2万~3万円と、舶来品なのに恐ろしいほど廉価な時計があるのです。参照:「北欧おすすめ腕時計」

 北欧には、このほか「ライネ」(フィンランド)、「ヴァンドーレン」(ノルウェー)=5万円ぐらいから=などもあるようですが、北欧、特にデンマークにこんなに沢山の時計メーカーが勃興していたとは全く知りませんでした。恐らく、誰か、時計産業奨励の「仕掛け人」がいたんでしょうね。

 北欧といえば、家具が有名で、その斬新なデザインは日本でも通の人に好まれています。ということは、案外、北欧時計も日本でヒットするかもしれません。

 あ、勿論、この記事は広告ではありませんから、宣伝費はもらっていませんよ(笑)。どうせ、今の若い人たちは、スマホを時計代わりにしているから、今の御時世、腕時計はそれほど売れないことでしょう。

 私自身、これまで見たことも聞いたこともなかった北欧腕時計、頑張れ!

 

ついに夢のポール・ボキューズ亭の門をくぐったお話=銀座ランチ

  週刊ポストによると、今年2月17日から6月4日までにワクチンを接種した約1412万人のうち、196人が死亡したそうですね。厚生労働省は「因果関係がはっきりしない」と火消しに必死ですが、ある程度、都市伝説化して、陰謀論さえ囁かれております。

 でも、こんな報道を目にすれば、誰でも構えてしまいますよね? まして、私は、清水の舞台から飛び降りる覚悟で、明後日にワクチン接種を決断した身です。もしも、のことを考え、思い切って、本日の銀座ランチは、高級フランス料理に決めました。

 なあんだ、肝っ玉がちっちゃいですね(笑)。

「ポール・ボーキューズ」 前菜の前のアミューズブーシュ テリーヌみたいな感じでしたが、抜群の美味さ

 向かったのは、ブラッスリー「ポール・ボキューズ」銀座店です。伝説の料理人(1926~2018年)。ミシュランの三ツ星レストラン。1950年代後半からのヌーヴェル・キュイジーヌ運動の先駆的開拓者…。彼に対する賛辞は耳にたこができるくらい聞かされます。

 しかし、私は、これまで、その「門」には一度もくぐったことがなかったのです。学生時代にフランス語を専攻しながら、ポール・ボキューズ(の味)を知らないとは…。ワクチンで、もしものことがあったら、死んでも死にきれない…。嗚呼、やはり大袈裟でした(笑)。

何と美味しいフランスパン

 「ポール・ボキューズ」店は、ホームページがしっかりしていますから、店に行く前にメニューを調べて最初から注文する品目を決めて出掛けました。ランチコース2750円です。何しろ、昼休みは1時間しかありませんから、ゆっくり時間を掛けて選んでいる暇もありません。

 入店した第一印象は、やはり、正直、お高く留まっている高級店でした(銀座店は、レストランひらまつとのジョイント)。でも、後で、シェフがわざわざテーブル一件、一件を回って、「お味は如何でしたか?」と御挨拶に来るなど、随分と低姿勢でした(笑)。

 本来、「ブラッスリー」を名乗っているのなら、ランチ1200円ぐらいの庶民的なビストロより格上ながら、超高級レストランより格下の居酒屋風のはずです。

 銀座の超高級フレンチといえば、やはり、資生堂にある「ロオジエ」でしょう。ランチでも1万1000円から2万5000円ぐらいのコースが御用意されています。作曲家の三枝成彰氏ご贔屓の馴染みのお店らしいですが、さすがに私クラスではお呼びじゃありませんね(苦笑)。

 ブラッスリーが背伸びして行けるギリギリの料理店です。

【前菜】 サラダ・ニソワーズ ブラッスリーポール・ボキューズ銀座スタイル (パプリカのグレック、ウフミモザ、トマト、ツナ、アンチョビ、オリーブ、いんげん豆)

 前菜は、単なる前菜ながら、「サラダ・ニソワーズ ブラッスリーポール・ボキューズ銀座スタイル (パプリカのグレック、ウフミモザ、トマト、ツナ、アンチョビ、オリーブ、いんげん豆)」という長ったらしい名前が付いておりました。

 簡単に言えば、ニース風サラダでしょうね(笑)。「何だ、これは!?」という旨さです。隠し味が二重三重四重に効いています。旨さがトグロを巻いているようです。これまで食したサラダの中でベスト3に確実に入ります。

プロバンスの香る夏鱈のロティ バジル風味のソースブールブラン アーティチョークのバリグール風

 メインディッシュは、魚にしました。

 「プロバンスの香る夏鱈のロティ バジル風味のソースブールブラン アーティチョークのバリグール風」と、これまた長ったらしいお名前です。フランス語のロティは、英語のローストですから、「タラの炙り」といったところでしょうか。

 今まで食べたことがない上品なバジル風味のスープで、病みつきになりそうな味です。昔日、イタリアンが巷で流行っていた頃、有名になったイタリア料理店のシェフOさんは「イタリアンは毎日食べても飽きないから」と発言されておりましたが、ポール・ボキューズなら毎日食べても飽きない!(笑)

 いや、ここで食べてしまっては、もう他では食べられない!

デザートは、ムッシュ ポール・ボキューズ”のクレーム・ブリュレ

 私は探訪記者ですから、お店の客の会話も聞き逃しません。100人か200人は入れそうな食堂でしたが、皆さん、一様にフォーマルなスーツ姿が多く、さすがにジーパンにTシャツにゲタ履き姿の人は見かけませんでした。

 お隣りは30代の若き青年実業家といった風情の恰幅が良いネクタイ姿の男性と、如何にも「やり手」らしい初老の女性。二人の関係は分かりませんが、青年実業家の両親は会社を経営しているらしく、自社株を59%も保有しているとか、ロンドンの高級住宅街セント・ジョンズ・ウッドに何か物件を持っているらしく、「ここはビートルズのアビイ・ロード・スタジオがあり、レコードのジャケットにもなった有名な横断歩道もあるんですよ」と自慢げに話していました。

 嗚呼、ビートルズ・フリークのおじさんも、アビイ・ロードには行ったことがあるので、「そうだよね、そうだよね」と心の中で相槌を打っておりました(笑)。

 やり手の女性は、今日の株が上がっているとか、投資がどうのこうのとか話していたので、コンサルタント関係の人かもしれません。まさか、一人で暇そうな渓流斎が、隣りで話を盗み聞きしているとは思わなかったことでしょう(笑)。

銀座「ポール・ボキューズ」 ホットコーヒー

 まあ、こういう高級店には、こういったお金だけはふんだんに持っているスノッブな連中が来るんだな、ということだけは分かりました。

 でも、ランチコース2750円はそれなりの価格で、年に何回かのハレの日の食事会なら安いぐらいだと思いました。私のような分際でも、「また行ってやろう」と心に誓い、会計の際に会員カードまで作ってしまいました(笑)。

 ところで、最近、御隠れになってしまったのか、例の釈正道老師から全く連絡が来なくなりました。皮肉屋の老師ですから、こんなことを書くと、また「どうせ、接待かタカリで行くんだろ!」と上から目線で断言することでしょう。

 「いえいえ、ちゃんと自腹で行っておりますよ」と再度強調させて頂くことに致します(笑)。