翻訳家なんかになるもんじゃない?

 一昨日まで、江戸時代の仙台藩士のことを書いていたかと思えば、昨日は、フランスのマルセル・プルートの話となり、関連性もまとまりもなく、読者の皆様もこのブログに付いていくのが大変だと拝察申し上げます。

 私自身は、毎月30冊読破していた若い頃の仕事の延長線みたいな感じでブログを書き続けていますが、さすがに御老体となり、日常生活にも差し触り、「誰か止めてくれ~」と叫びたくなるほどです(笑)。

 とは言いながら、またまた、ずばぬけて面白い本を読んでしまったので、このブログで御紹介せざるを得ません。宮崎伸治著「出版翻訳家なんてなるんじゃなかった日記」(フォレスト出版、2020年12月1日初版)です。内容は、タイトルになっているそのものズバリです。出版業界の、特に翻訳家の皆さんが、これほどまでに「天国」と「地獄」を味わうものなのか、全く知らず、まさに手に汗を握る推理小説(実際は過酷なドキュメントなんですが)を読んでいる感じで、一気に読んでしまいました。

 著者の宮崎氏は、本の略歴等を引用させて頂きますと、1963年広島県生まれ。青学大卒後、英シェフィールド大学大学院で修士号を取得し、大学職員、英会話講師を経て、翻訳家になった人です。30代の10年間で50冊もの翻訳書を出版するものの、出版社と裁判訴訟になるほど数々のトラブルに見舞われます。最後は裁判で勝訴しますが、精神的トラウマや燃え尽き症候群などで2012年に出版業界から足を洗い、現在は警備員をされている方です。(ご本人は、裁判中に受ける精神的苦痛や、出版中止などのリスクを負うくらいなら、警備員の方が何倍もいいという結論になる、とあとがきで書いています)

 本書の中では、「裁判記録の非公開」を条件に和解した案件もあるので、出てくる出版社や翻訳書の書名等はイニシャルなどになっているので推測するしかありませんが、大手出版社と思われる有名出版社も、随分、えげつないことをやっているなあ、という記述が散見します。

 勿論、著者が翻訳した本がベストセラーになり、かなりの印税も入って、「天国」を見ることもありますが、ほとんどは「地獄」の話です。私も、作家の印税は10%だということは知っていましたが、翻訳者の印税について不勉強で知りませんでした。最高に近いのが8%で、宮崎氏の場合、最初は「6%」と提示されていても、「出版不況」だの何だのと色々と理由を並べられて、「4%」に大幅ダウンさせられる暴挙を突き付けられ、涙を飲んで忍ぶ場面が数々出てきます。

 翻訳家にとって、最も痛手となるのが出版中止です。7年がかりで訳した1650ページに及ぶ翻訳書が出版中止されて、「死を考えることすらあった」という翻訳家(宮崎氏ではないが、裁判所でその陳述書を読んで、「胸が張り裂けそうになった」と書いています)の話も出てきます。

 とにかく、編集者との会話や電話やメールとのやり取りを宮崎氏は本当によく覚えているものだと感心しました(恐らく日記を付けていたのでしょう)。編集者は依頼するとき、「大急ぎで、1カ月で翻訳してください」と注文し、宮崎氏は不眠不休の仕事でしっかり締め切りを守ったというのに、原稿を送っても、数週間、梨のつぶてで、1カ月待たされ、2カ月待たされ、半年、1年…と放置され、イライラのし通しです。その間は、無収入ですから、フリーの翻訳者となると生活も大変です(宮崎氏は、軌道に乗るまでアルバイトをすることを勧めていますが)

 まず、翻訳家になること自体が大変です。宮崎氏も最初は何十社もの出版社に原稿を送ったり、訪問したり、電話やメールをしたりしてアプローチしますが、最初は、翻訳者の名前すらも出て来ない「ゴースト翻訳者」扱いです。

 面白かったのは、ある翻訳書を出版する際、B書院の女性編集者から、本を売るために「監修者に渡部昇一先生の名前を出してほしい」と言われたことです。宮崎氏は「一方がビッグネームだったら、私の名前はかすんでしまう。そうなるともう、その本は実質的には渡部昇一の本になってしまう。私が何カ月もかけて翻訳したというのに、たった1日か2日だけ仕事しただけでカバーに名前を載せるんですか。それっておかしくないですか」と抵抗すると、その女性編集者は「だって、宮崎さんって、何でもない人じゃないですか」と言われたといいます。「その悔しさはその後も消え去ることはなかった」と宮崎氏は書いていますが、渡部昇一氏(ペンネーム大島淳一)に関しては、大変面白い後日談があり、それは本書をお読みください(笑)。出版界の裏が分かります。

 私もこの本を読んで、色々考えさせられました。私自身は、もう「終わった人」だからいいものの、少なくとも、「業界の実態を知らずに出版翻訳家にならなくてよかった」と胸をなでおろしています。

 

マルセル・プルーストを求めて

 日仏会館は、「近代日本資本主義の父」渋沢栄一と駐日フランス大使で詩人でもあったポール・クロデールによって1924年3月7日に設立されました。(渋沢は、幕末に徳川昭武のパリ万博視察の随行員として渡仏。フランスで会社や銀行などの制度やサン・シモン主義などに影響受けました)

 私は3年ほど前にやっと、大学と会社の先輩の推薦を得て会員になりましたが、コロナ禍で、月に数回、東京・恵比寿の同会館で開催される講演会や映画会などが中止となり、オンラインになりました。が、平日はなかなか時間が取れず、やっと今回、土日に開催されたシンポジウム「プルーストー文学と諸芸術」に参加することができました。

 プルーストと言えば、「失われた時を求めて」(1906~22年執筆、1913~27年刊行)です。全7巻16冊、3000ページに及ぶ大長編小説で、「20世紀最大の世界文学」という文芸評論家もいます。

 私自身は、もう40年以上も前の大昔の学生時代に岩崎力先生の授業で最初から原語で読みましたが、たった1ページ翻訳するのに、1週間掛かり、当然のことながら挫折。日本語も読み通すことがありませんでした。悲しいことに、知っているのは、第1巻「スワン家の方Du côté  de chez Swann」、第2巻「花咲ける乙女たちの影に À l’ombre des jeunes filles en fleurs」といった巻のタイトルと、第1巻に出てくる最も有名な「無意識的想起」の場面です。お菓子のマドレーヌを紅茶に浸して食べた瞬間、主人公が幼児に過ごしたコンブレーでの出来事や幸福感などが蘇ってくるというあの場面です。

 日仏会館が主催したシンポジウムは、日本とフランスの専門家20人以上をオンラインで繋ぎ、2日間でテーマが「プルーストと音楽」「プルーストと美術」「プルーストと教会/ 建築」など6以上で、休憩時間も入れて合計で11時間にも及ぶ長丁場でした。同時通訳の皆様には「大変お疲れ様でした」。

 正直申しまして、私自身は「失われた時を求めて」を完読していないので、さっぱり付いていけず「完敗」でした。ですから、小生が理解できたことだけ少し触れます(苦笑)。

 一つは、中野知津一橋大学教授の「プルーストと料理芸術」の講演の中で、あの有名なお菓子マドレーヌは、ホタテ貝の形をしているものとばかり思っていたら、19世紀では卵型が普通だったらしいということでした(アレクサンドル・デュマ「料理大辞典」1873年)。

 ホタテ貝は、フランス語で coquille Saint-Jacquesで、サン・ジャックは、キリストの弟子、聖ヤコブのことです。スペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラには、聖ヤコブ(スペイン語でサンティアゴ)の遺骸があるとされ、ローマ、エルサレムと並ぶキリスト教徒の三大巡礼地になっていることから、中野教授も、マドレーヌは巡礼の隠喩になっているかもしれない、といった趣旨の話もされていました。

◇ドビュッシーとランボーは会っていた?

 もう一つ、ピアニストで文筆家でもある青柳いづみこ氏の「プルーストとドビュッシー」も面白かったです。恥ずかしながら、私は、印象派の画家モネと音楽家ドビュッシーで学士論文を書いたのですが、不勉強でプルーストには全く触れませんでした。青柳氏によると、二人はあるサロンで知り合い、プルーストが自宅にドビュッシーを招いたのですが、ドビュッシーはどういうわけか、理由をつけてお断りしたというのです。

 ちなみに、ドビュッシーのピアノ教師はモーテ夫人でしたが、その娘マチルドと結婚したのが詩人ヴェルレーヌで、一緒に住んでいたそうです。ドビュッシーがピアノを習っていた時に、あの17歳のランボーがヴェルレーヌの自宅に押し掛けていたらしく、ドビュッシーはヴェルレーヌとランボーに会っていたのかもしれませんが、うっかりそこまで知らず、意外でした。まあ、この辺りの話に全く御興味がなければ、どうでもいい話かもしませんが…(笑)。

 一番興味深かったのは、作家水村美苗氏の「母語で書くということ」でした。御案内の通り、水村氏は御尊父の仕事の関係で、小さい頃から米国暮らしが長く、英語漬けの毎日でしたが、それに反発(?)するかのように、米国では日本の古典文学にのめり込み、帰国後は、夏目漱石最後の未完の小説「明暗」を、彼女が、漱石の文体を完璧に近い形で会得して「続明暗」を完成して脚光を浴びた人です。(一度、30年も昔に、私は水村氏にはインタビューしたことがあります。当時とほとんどお変わりないので吃驚)

 ですから、水村氏は母語に大変拘わった、今でも拘っている作家で、プルーストに関しても、「本人は”世界のプルースト”になるとは思わなかたとはいえ、一番、母語に拘った作家」と分析しておりました。「失われた時を求めて」は今でも、日本では、個人による翻訳が4件も同時に進んでいるといいます。プルーストが普遍的になったのも、フランス語という世界的な欧州文明の特権的な地位があったから。それに対して、プルーストと同世代の夏目漱石は、知性的には全く劣っていないのに、日本語のせいか、世界ではほとんど知られていないという分析もなるほど、と思いました。(他に水村氏は、作品が英訳されるとグローバル化を意識してしまう、といった本筋の話をされてましたが、省略)

 ◇若い仏人はプルーストが読めない?

 「失われた時を求めて」岩波文庫全14巻(2010~19年)を、1ページごとに厖大な量の注釈と絵画や建築写真を挿入して個人訳で完成させた京大名誉教授の吉川一義氏も「今の若いフランス人は、(注釈なしで)この作品を読めるかなあ」と面白いことを言うのです。フランス語の原語を読まれたことがある方は分かると思いますが、一文がとても長ったらしく、この名詞がどこに掛かるのか、外国人は大変苦労します。

 吉川氏はフランスのソルボンヌ大学に留学して、プルーストで博士号を取った学者ですが、博士号は同然ながらフランス語で書かなければなりません。本人は謙遜されますが、自信がないので、フランス人の友人に事前に添削してもらったら、引用したプルーストの原文まで直されたという逸話を紹介しておられました。

 やはり、フランス人でもプルーストは難しいんですね。これには私も大笑いしてしまいましたが。


 

見つけた!仙台藩江戸上屋敷跡

東京・汐留 日本テレビ本社 下はゼロスタ広場

 昨日も取り上げました「仙台藩士 幕末世界一周」の玉蟲左太夫にはまってしまい、昼休みを利用して東京・汐留(港区東新橋)の日本テレビ本社に行って来ました。

 な、な、何で?

 チ、チ、チ。あたしがテレビに出るわけない。ここは江戸時代は仙台伊達藩の上屋敷があった所だったのです。

 明治になってから、上屋敷は新政府に没収され、汐留は、日本で最初の鉄道である新橋停車場が建設された所でもありました。

 日本で初めての鉄道は、1872年10月14日、新橋~横浜間で開業しましたから、来年でちょうど150周年を迎えます。記念行事が予定されているようなので、来年こそは、コロナが終息してほしいものです。

 さて、仙台伊達藩の江戸上屋敷は、今では日本テレビの本社になっているということは、先ほどの玉蟲左太夫著、山本三郎解説の「仙台藩士 幕末世界一周」(荒蝦夷)で初めて知りました。

 この本によると、玉蟲左太夫は、この江戸上屋敷内にあった学問所「順造館」でも教鞭を執っていたというのです。

 ということは、玉蟲左太夫さんも、幕末にこの汐留辺りをウロチョロしていたわけですね。何か感無量です。

 でも、屋敷跡の看板を探すのに一苦労でした。銀座にある会社から昼休みを利用して行ったので、ランチを含めて1時間で戻れるかどうか冷や冷やでした(笑)。(迷わずに速足で行けば、10分ちょっとで行けますが)

 上の写真の「江戸時代の仙台藩上屋敷跡」の看板は、日本テレビ本社敷地内の1階というか地下にあるというか、ゼロスタ広場の地下通路寄りの柱にやっと見つけました。冗談じゃない、くらい分かりづらい場所にありました。

もっと分かりづらかったのが、上の看板「江戸時代の仙台藩上屋敷表門跡」です。

日本テレビ本社の1階というか地下にあるのかと思ったら、1階というか2階というか、汐留通りに面した所の、何か、工事中みたいな出っ張った所に、この看板をやっと見つけました。(面倒臭い言い回しで失敬致しました。本当に、地下なのか1階なのか2階なのか、区別が付かないのです)

 せっかく、あたしが苦労して見つけてきた看板ですから、写真を眺めるだけでなく、是非とも文字もお読みくださいね(笑)。

 仙台伊達藩の江戸屋敷は、伊達政宗が存命中の江戸初期は、江戸城に近い外桜田(現千代田区日比谷公園)や愛宕下(港区新橋)などにありましたが、寛永18年(1641年)にこの浜屋敷を幕府より与えられました。当初は下屋敷でしたが、延宝4年(1676年)以降は幕末までは上屋敷だったのです。

 元禄15年(1702年)12月15日、本所の吉良邸に討ち入りを果たした赤穂浪士が、高輪の泉岳寺に向かう途中、仙台藩士に呼び止められ、ここで粥のもてなしを受けた、と看板に書いております。

あらま、結局、看板の文字を少し書いてしまいましたね。

花の名前が瞬時に分かるアプリ=AIさんも悩みます

コデマリ Copyright par Keiryusai

 文章は難しい。

 書いた本人が全く意図しなかったことを、曲解する人がいたりして心を痛めています。

 先日は大の親友が急死し、その追悼文めいたことをこのブログに書いたのですが、ある人から「お前は自己中で、亡くなったK君のことを一つも慮っていない。思いやりがない。その性格は永遠に治らない」などと非難してきたのです。あまりにも心外で、問い質してみると、私自身が全く思いもつかない「悪行」を並べ立てられました。指摘してきた人は、匿名の知らない人ではなく、一緒に彼の追悼会をやろうと呼び掛けた親友の一人でもあったのですが、非難するだけでなく、その追悼会参加も取りやめると宣言するぐらいですから茫然自失です。

 かといえば、5月4日に書いた「花の美しさはない=雲の波間に消え去った彼」という記事の中で、「毒された欲望資本主義には異議を唱えたい。」と書くべきところを、変換ミスで、「毒された欲望資本主義には意義を唱えたい。」と書いてしまい、「ネット界の小舅」との異名を持つある人から、「超キモチイー」と鬼の首を取ったように指摘されました。こちらの間違いですから、反省しなければならないのですが、ちゃんと「間違いの御指摘有難う御座いました」と返信したにも関わらず、「誰にも知られないように、そっと訂正するとは、どこかのマスコミみたいだ」と輪をかけて批判する始末。

 文章だけでなく、人間関係も難しい。

Copyright par Keiryusai

 というわけで、すっかりミザントロープになってしまい、散歩がてら、路傍に咲いている花々を愛でて、心を癒しています。

 でも、残念ながら、花の名前が分からない! そしたら、偶然、ラジオを聴いていたら、スマホをかざすだけで、花の名前が分かるアプリがあるというので、早速試してみました。

 花の名前が分かるアプリは、どうやら何十種類もあることが分かったのですが、逆に何を選んだらいいのか分からなくなってしまいました。その中で、取り敢えず、千葉工業大学が開発した人工知能(AI)「ハナノナ」をインストールしてみました。

 それが上の写真の「ロベリア」です。まだ、使い方はよく分かりませんが、花にスマホのアプリの撮影モードでかざすと、花の名前の候補が何種類か出てきて、例えば、「ロベリア95%」などと表示されるので、撮影者は「決定」ボタンを選択して保存すると、上の写真のように花の名前まで印字されるわけです。

ジャガイモ Copyright par Keiryusai

 それが、100%と決定的に分かる花だったら良いのですが、AIさんでも迷うことがあります(笑)。

 例えば、上の写真の花は、花卉も栽培している農地で咲いていたので、何となくジャガイモの花のような気がしたのですが、このアプリをかざすと、「クリンザクラ45%」「サクラソウ属35%」「ワルナスビ50%」「サトイモ科65%」…と目まぐるしく変わり、「一体、何の花なんじゃい」とAIに声を掛けたくなりました。

カラー Copyright par Keiryusai

 こちらの上の写真もそうです。

 どっかで見たことがあるので、直ぐ答えが出てくるかと思ったら、「カラーリリー75%」「アルム65%」「サトイモ科70%」「ギボウシ40%」「ミズバショウ45%」…とこちらも目まぐるしく変わります。ちなみに、この確率の%も変化します。カラーリリーでも30%になったり、80%になったり、瞬時に変わるのです。

 でも、とっても面白いアプリなので、散歩がてら遊んでいます。皆さんも御自分に合ったアプリを見つけてインストールしてみたら如何ですか? 心優しいミザントロープさんにはお薦めです。

 嗚呼、でも、この文章を読んで、また曲解する人がいるかもしれないと思うと、夜も眠れないですねえ。。。

中世の石垣が見どころでした=日本百名城「金山城跡」ー亡くなった親友を偲ぶ傷心旅行

金山城跡 復元された大手虎口(金山城で一番有名なスポット)

 親しい友人を亡くしてしまい、ショックで寝込むわけにもいかず、傷心旅行に出かけることに致しました。

 東京では緊急事態宣言、周辺首都圏でもまん延防止等重点措置が発令され、不要不急の外出や飲食店でのお酒を含めた自粛要請がなされておりましたが、傷心旅行ですから、よゐこの仮面を取ることにしました。

目指したのは、「日本100名城」にも選出されている金山(かなやま)城です。群馬県太田市金山町にあります。

自宅の最寄り駅から、金谷城跡の最寄り駅の太田までわずか1時間26分しか掛かりませんでした。都心に行くのと変りゃあせん(苦笑)。JR宇都宮線久喜駅から東武伊勢崎線に乗り換えますが、久喜駅から太田駅まで、奮発して特急(指定780円、運賃660円)に乗りましたから意外と近かった。

総合案内板

 総合案内板に書かれている通り、金山城は、昭和9年(1934年)に群馬県で初めて城跡として「国の史跡」指定を受けています。

 ここまで、太田駅から歩くと、1時間半ぐらい掛かりますが、バスも走っていないようで、私はズルしてタクシーに乗りました。最初は「太田市立史跡金山城跡ガイダンス施設」までタクシーに乗って、そこから歩こうかと思いましたら、かなりの急こう配で、タクシーの運転手さんも「キツイですよ」と言うので、運転手さんの言うところの「城跡入り口」まで乗せてもらうことにしました。(駅から19分ぐらい。タクシー代1770円)

 コロナ禍で、「ゴールデンウイークも観光客がほとんどいなかった!」とタクシーの運転手さんもボヤいてました。

馬場下通路

金山城は、文明元年(1469年)、新田一族の岩松家純が築城した、いわゆる中世の城です。門も櫓も建物は何も残っていませんが、石垣だけでも風格が見て取れます。

物見台下虎口

 岩松氏を下克上で倒して城主となった由良氏(横瀬氏から改姓)の時代の16世紀半ばに最盛期を迎えます。上杉謙信や武田勝頼らから十数回も攻撃されますが、一度も落城しませんでした。

月ノ池

 しかし、1584年、小田原北条氏の謀略によりついに落城し、北条氏の支配下になりましたが、天正18年(1590年)の豊臣秀吉軍による小田原征伐で、北条氏の支城だったこの金山城も廃城となります。

大手虎口大手虎口
大手虎口

 この大手虎口が、金山城の写真では一番有名です。

 私もこの石垣を見たいがために、ここまで足を運んだわけです。

大手虎口

 上部の石垣は復元されたものですが、下の方には中世のままの石垣もあるそうです。

 私は石垣ファンなので、こんな石垣を見るとゾクッとしますねえ(笑)。ほんの少しだけ、西洋の中世城壁に似た感じがします。

 石垣だけで、昔の人たちの生活の営みが垣間見える気がします。

日ノ池

 これも有名な「日ノ池」で、解説パンフレットによると、戦いの勝利や雨乞いなどの儀式が行われた神聖な池だったらしい。

 こんな山城の頂上付近に池があること自体、不思議です。

新田神社

 金山山山頂の金山城本丸跡に、地元有志らが明治8年(1875年)に創建したのが、この新田神社です。鎌倉幕府を倒した郷土の英雄新田義貞を祀っています。

 ここで私は、4月27日に亡くなった親友神林康君の冥福をお祈りしました。

金山城主系図
実城(みじょう)本丸址

 金山城の本丸は、実城(みじょう)と呼ばれていました。

本丸残存石垣

 新田神社の裏手に回ると、この「本丸残存石垣」が見られます。いわゆる野面積にみえます。15~16世紀のものでしょうが、よくぞ、こんな山の頂上にまで重たい石を運んだものです。

 城主の権力の大きさには圧倒されます。

建物は隈研吾氏設計だとか

 本丸跡を見て、また、タクシーで連れてきてもらった「城跡入り口」まで同じ道を戻り、そこから車道(県道金山城址線)の端を恐る恐る歩いて「金山城跡ガイダンス施設」まで行きました。歩く人はほとんどいなく、車はブンブン飛ばしていました。どういうわけか、こんな山道をジョギングする人が何人かいました。ここまで歩いて20分。

上野国新田郡庁(復元模型)

ガイダンス施設に来てよかったことは、新田荘の歴史が模型展示で、手に取るように分かったことでした。

 新田荘は、かの清和源氏の血を引く新田氏が切り開いた土地だとばかり思っていたら、ここはもともと、古代から色んな豪族が支配していた所で、東日本最大級の天神山古墳など、古墳だらけの土地でした。今度は古墳巡りでもしようかしら(笑)。

 大和王権は、ここに、上野(こうずけ)国新田郡の郡庁まで築き、郡司を派遣して政務や儀式を行っていました。

 租税として納められた米を保管する「正倉」も多く建てられたということですから、この辺りは結構、お米が採れたことでしょう。古代は、もともと野(ずけ)という国一つだったのが、お米の収穫量が多いことから、上野(こうずけ=群馬県)と下野(しもつけ=栃木県)に分割されたという説を聞いたことがありますが、恐らくそういうことだったのでしょう。

 そして、中世になって、やっと武士化した新田氏が台頭してくるわけですね。

金龍寺

 昼時になったので、持ってきたおにぎりをガイダンス施設近くのハイキングコースのベンチで食べて、ここからまたタクシーを呼んで、駅まで戻ろうかどうか思案しましたが、結局、歩くことにしました。真っすぐ帰れば、50分ぐらい歩けば、駅に着くようでした。

 でも、歩くことにしたのは、ガイダンス施設のパネルで見たお寺が気になり、途中で寄りたかったからでした。せっかく、ここまで来たのですから、お参りしなければ、と気がせきました。

金龍寺本堂

 ガイダンス施設から歩いて10分ほどで、金龍寺(きんりゅうじ)に到着。

 ここは曹洞宗の寺院で、金山城主だった由良(横瀬)氏の菩提寺です。

 本堂では、また、亡くなった親友神林康君の冥福をお祈りしました。

金龍寺 新田義貞供養塔

 正一位左中将 新田義貞公の供養塔もあります。

 金龍寺は、天正18年(1590年)、由良氏の常陸国牛久移封で、一緒に移転しましたが、慶長年間にこの地を拝領した舘林藩榊原氏(徳川四天王の一人)によって再興されたといいます。

大光院

 金龍寺からまた歩いて15分ほどで、大光(だいこう)院に到着。

 金山城址の南曲輪に「中島知久平」の銅像が立っており、南曲輪も「中島記念公園」と命名されていました。中島知久平、って聞いたことあるし、誰だっけなあーとずっと気になっていたら、大光院境内の入り口付近で公園になっている所に、上の看板がありました。

 中島知久平氏は、あの中島飛行機をつくった人だったんですね。太田市押切町出身。つまり、地元の英雄だったのです。

 私は昭和史を少し齧ったので、中島知久平は、政友会の総裁を務め、鉄道大臣なども歴任した政治家だということでインプットしていました。もともと実業家で、政界に進出したんですね。

 中島飛行機は戦後、富士重工となり、この群馬工場で、あの懐かしいスバル360を生産していたとは知らなかった。私が子どもの頃、父親がこのスバル360を中古で買ったので、よく乗ったことを覚えています。可笑しいくらいボロボロの中古車なのに、それなりに走りました。雨が降った時、(駐車している)車の中で遊んだりしました。

大光院

 大光院は、清和源氏新田氏の子孫と称する徳川家康が、その新田氏の祖新田義重を追善するため、慶長13年(1613年)に創建した浄土宗の寺院です。寺領300石。初代住職呑龍(どんりゅう)に由来する子育て信仰で有名で、地元では、大光院のことを別名「呑龍様」と呼んでいるようです。

 勿論、ここでも、親友だった故神林康君の冥福をお祈りしました。

東武伊勢崎線太田駅北口前に建つ新田義貞像

 大光院から歩いて25分。やっと太田駅に到着。

 太田駅北口駅前に建つ新田義貞公が「お疲れ様」と声を掛けてくれました。

人生に上下も勝ち負けもない、という発想=老荘思想

所沢航空公園 大正天皇御駐輦(ちゅうれん)碑 Copyright par Keiryusai

 大型連休期間中は、「不要不急の外出は控えよ」「自粛せよ」「酒は店で呑むな」といった政府の法令に圧倒されて、結局、遠出はできませんでした。よゐこなもんで(笑)。

 不良になって、ちょっと近場のお城巡りでもしたかったんですけど、それも控えました。天気のせいもありましたが(苦笑)。ただ唯一例外として出掛けたのは、お墓参りといいますが、お墓のお掃除と草むしりでした。

 お墓は、埼玉県所沢市の航空公園駅からバスで5分ぐらいの所にあります。亡き父親が購入しましたが、結構広大です。同じ霊園に、お笑いの三波伸介さんのお墓もありますが、ウチはその3倍以上の敷地面積はありました。草むしりも大変でした(苦笑)。

 何故、九州出身の父親がここを最期の地として選んだのかといいますと、御縁があったからでした。もともと、航空公園は明治44年(1911年)、日本で最初に開設された飛行場でした。戦時中には陸軍航空整備学校なども開校し、陸軍に志願して入隊した父は、最初は飛行士を目指すものの、色覚異常のため、飛行機の整備員に回され、この所沢にも配属されたことがあったと聞きます。他に青森県の三沢基地にも配属されたらしく、生前にもっと詳しく話を聞いておけばよかったのですが、整備した飛行機の中に、確か「飛燕」があったと記憶しています。

紫蘭(Y氏から御教授賜りました) 所沢航空公園 Copyright par Keiryusai

 戦後になって、父は運輸省(現国土交通省)の航空管制官になり、長らく東京交通管制部に勤務しましたが、その本部が1963年から77年まで東京都東久留米市、77年以降に所沢市に移転したので、他にも成田や釧路など色々と転勤しましたが、東久留米と所沢での勤務が一番長かったのでした。

 そういうわけで、父と所沢とは不思議な縁でつながっていたわけです。

 私は、自宅から所沢の航空公園駅まで電車とバスで行きましたが、車内でずっと読んでいたのが、この野村総一郎著「人生に、上下も勝ち負けもありません」(文響社、2019年4月初版)という本でした。著者の野村氏は、読売新聞の「人生案内」の回答者としても有名な精神科医です。

 内容はタイトル通りで、それで終わってしまいますが、著者は、「上り坂の儒家、下り坂の老荘」という言葉を引用して、元気な時は、「論語」の孔子の思想が良いかもしれないが、いまいち元気がなく、行き詰っている時は、無為自然に任せて気楽に生きろという老子の方がいいんじゃないか、と提案しているのです。

 確かに、先日、このブログでも、今最も注目されている渋沢栄一の「論語と算盤」を御紹介しましたが、500もの企業を起業したイケイケドンドンのいつも「人生上り坂」の渋沢栄一なら、そのブレーキ役のような孔子の「論語」が必要とされるかもしれませんが、何をやってもうまくいかず、いつも劣等感に苛まれているような人(私もその典型かなあ~~)にとっては、老荘思想の方が心の薬になるかもしれません。

 45年間、延べ10万人以上の患者さんと向き合ってきたという野村氏によると、ヒトの悩みや不安の根本的な原因は、他人と比較するからだといいます。そこで、人と比較したり、判定したりするような、つまり、ジャッジすることを意識的にやめることを勧めています。

 また、精神科医野村氏によると、心の問題を抱える人の傾向には4種類あるといいます。それは、(1)自分は駄目な人間だという「劣等意識」(2)自分は損ばかりして、やられてばかりいるという「被害者意識」(3)自分は完璧でなければいけないのに、それができないとう「完璧主義」(4)自分のペースに拘る「執着主義」

 これらを乗り越えるために、どうしたらいいのかー。やはり、考え方や、思考傾向を変える必要があり、それには老荘思想が役に立ち、タイトルの通り、「人生に、上下も勝ち負けもない」ことを悟るべきだと著者は言うのです。本書では老子の言葉を易しく「意訳」ではなく「医訳」してくれます。例えば、老子の「人に勝つものは力あり。自ら勝つものは強し」は「人に勝つ人というのは力(権力、経済力、腕力)がある。しかし、本当に強いのは『自分の弱さに勝つ人』だ」と医訳しています。

散歩途中で見かける花の名前が分からず困っていたので、植物の名前が瞬時に分かるアプリを発見して導入しました。このアプリは千葉工業大学が開発したAI「ハナノナ」です

 もう一つ、私が好きな老子の言葉「恨みに報ゆるに徳をもってす」は、「酷い扱いを受けても、まるで恩を受けたように、そっと優しく返してあげるのが徳というものだ」などと医訳しています。

 どなたも、気分が落ち込んだ時、この本を読めば、少しは、気持ちが楽になるかもしれません。

花の美しさはない=雲の波間に消え去った彼

Cloud  Copyright par Keiryusai

 雲をつかむような話です。

 遠く異国に棲む旧友であり、都会の賢人でもあるT君が夢枕に立ち、「美しい花がある。花の美しさというようなものは無い」と急に言い出しました。

 急に何のことなのだろうか、と訝しがっていると、彼はこう続けました。

 一匹の猿が山桜を眺めていたとしましょう。果たしてこの猿は、山桜の美しさを愛でていたのでしょうか? 恐らくそうではあるまい。花や葉に隠れて、何か食べられる実でもなっているのかどうか、確かめていたに違いないのです。同じように、川面に立つシロサギが一心不乱に川の流れを見つめています。果たして、このシロサギは光が屈折して反射する美しい川の流れを我を忘れて眺めていたのでしょうか? そうではなく、生きる糧である小魚でも探していたに違いないのです。

 つまり、美しい山桜があるが、山桜の美しさというものはない、のです。

 美しい川はあるが、川の美しさというものはない、のです。

 翻って、ヒトは何故、桜を愛でたりするのでしょうか? 美しい桜はあるが、桜の美しさはないというのに…。

うーむ、そう言われてみると、そうなのかもしれません。

 彼はさらに続けます。

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「欲望の資本主義」が最期に行き着く所は、貧富格差の膨大な拡大と人類の破滅です。現代の経済学は、数理化、数値化し、金融工学として発展し、人間一人ひとりの感情を置いてきぼりにして、疎外していきました。

 今一番、見直さなければならないのは、宇沢弘文(1928〜2014年)が唱えた社会的共通資本です。地球環境も、医療も教育も人類が持つ社会的共通資本です。これらが、金融工学のような功利主義や儲け主義と合うわけがありません。そもそも、環境保護も医療も教育も投下資本に見合った見返りがあるわけがなく、最初から採算が合わないものなのです。

 僕も、毒された欲望資本主義には異議を唱えたい。

 冷静に考えれば、文学も美術も音楽も芸術など表象(シーニュ)に過ぎないのです。ブランドに過ぎないのです。何?ベートーヴェン? 交響曲7番? サントリーホールで、クラウディオ・アバド指揮のベルリン・フィル? そりゃあ何万円しようが、チケットは手に入れなければー。といった調子で、人々はシーニュに踊らされているだけなのです。それが貴方の人生なのですか?と言いたい。

Cloud  Copyright par Keiryusai

 僕はね、そんな毒された欲望資本主義には背を向けて、この世に生まれて来たからには、何でも自分でやろうとしてきたんだよ。ピアノとギターを独習して、何十曲も自分で作詞作曲してきたし、下手なりに油絵も水墨画にも挑戦してきた。

 料理も自分なりに工夫して作ってきた。食べられるキノコや雑草まで散々調べたし、美味い野菜を作るために土壌の勉強までしてきた。これもそれも、オーダーメードの、ありきたりの、お膳立てされたものばかりでは飽きたらなかったからなのです。味噌も作ったし、漬物もパンもお手製で作ってきた。

それが人生ってもんじゃないのかい?親や教師や上司がお膳立てした道を歩めば、そりゃ楽だろう。でも、そんな他人が決めた人生をなぞって何が面白いのだろう?

僕はもう若くないし、後戻りはできないけど、自分なりに苦労して切り開いてきた道に関しては、一点の曇りもないほど後悔はしていませんよ。功成り名遂げたわけではないけれど、少なくとも自分は強欲ではなかったし、常に謙虚であることを心掛け、他人を利用したり、踏台にしようとしたことなど一度もありませんでしたから。

そう言うと、彼は、雲の波間に吸い込まれるように消えていきました。

映画字幕で楽しく英語のお勉強

富士山 Copyright par Duc de Matsuoqua

  昨日のこのブログで「予想が裏切られた時、深い情報処理が起こる=『英語独習法』」のタイトルで、映画の字幕を活用した英語独習を紹介(というか引用)させて頂きました。

 自分では易しく、つまり分かりやすく書いたつもりだったのですが、皆さま御存知の釈正道老師から早速反応がありまして、「私には難解です。貴兄の原稿は、素人にはチンプンカンプンでした。」とのコメントを頂きました。

 あれえ~?私には大した学も教養もないので、小生のようなレベルの文章は朝飯前のはずです。しかも、釈正道老師は現役時代、誰でも知っている大手マスコミのエリート幹部としてブイブイ言わせた御仁です。難解、なんて言ったら御卒業された福沢先生が泣きますよ。

 その一方で、フェイスブックで繋がっているK氏から「我が意を得たり!」と同感して頂きました。私の嫌いなフェイスブックのサイトでこのブログをお読みの方は10人ぐらいでしょうから、敢て「本文」に再録させて頂きます(笑)。ちなみに、K氏は謙遜されておられますが、東京外国語大学英米語学科を卒業された「英語の達人」です。

(すみません、勝手ながら、引用文は少し加筆、改変してます)

築地「ふじむら」 カキフライとなかおちのハーフ定食1100円

 …「英語独習法」の著者今井むつみ氏の提唱される「映画熟見」は、まさに僕が貧弱な英語力を落とさないよう細々と続けているメソッドとよく似ており、一番効果的と感じるものの一つです❗️何たって、楽しみながら謎解き気分で熱中できるところがいいですね。コロナ禍で、NHK BS や Amazon Prime の名画を楽しむ機会も格段に増えましたが、まさに目からウロコの連続です。

 予期せぬ副産物もあります。例えば、「カサブランカ」のボギーの名セリフとされる「君の瞳に乾杯」Here’s looking at you, kid.は、続けて観た「旅情」では、キャサリン・ヘプバーンが宿屋の女主人、つまり同性から言われており、男女のロマンとは関係ないことが分かりました。(ちなみに、「君に乾杯」は、Here’s to you, とも言うらしい。おお、サイモン&ガーファンクルの「ミセス・ロビンソン」の出だしに出てきますね!=この項、渓流斎)

 また、「マイ・フェア・レディ」でオードリー・ヘプバーンが使うコックニー(英労働者階級が使うとされる英語)には、女性が普通使わない表現や、文法上おかしい表現が混じっていることを発見したりして、とてもここには書き切れません。(中略)貴兄のおかげで、英語へのアプローチで同じような楽しみ方をなさっている方がいるのがよく分かりました。…

 いやはや、勝手に引用されて、K氏も怒っておられるかもしれません。こうして、私もブログで何人もの大切な友人を失って来ました…。「日乗」と銘打っている関係上、ほぼ毎日更新しているため、どうかお許しを。

予想が裏切られた時、深い情報処理が起こる=「英語独習法」

東京・西武池袋線東久留米駅西口に建つ手塚治虫の「ブラック・ジャック」と助手のピノコ像 手塚治虫は晩年の10年間、東久留米市に住んでいました

クレマチス Copyright par Keiryusai

 今井むつみ著「英語独習法」(岩波新書)の中で、楽しみながら英語を学習する方法の一つとして、映画の「熟見」を挙げております。

 今井氏の場合は、お気に入りのダニエル・クレイグ主演の007「スペクター」(2015年)を一つの見本として取り上げています。「セリフの一言一言にまったく無駄がなく、限りなく短く端的に言う。それが本当にカッコよい。特にボンド役のダニエル・クレイグの話す英語にしびれてしまった」とべた褒めです。(彼女はDVDを購入し、全編のセリフを覚えてしまったらしい!)

 この映画の主題歌も素敵ですが、今井教授は最初、何度も聴いても、歌詞の Could you 〇〇〇〇 my fall? の〇の部分が聴き取れません。日本語字幕では「落ちる僕を支えてくれるかい?」となっている。そこで、ネットで歌詞を確認したところ、〇の部分はbreak だったといいます。勿論、break は簡単な単語で、初級者でも熟知している単語なのですが、大体「壊す」とか「断ち切る」といった意味でインプットされています。今井教授は「支える」という字幕に引っ張られて、主に「断絶する」などを意味し、「支える」とは真逆を意味のbreak だったとは予想も付かなかったと告白しております。

 このようにして、映画で英語学習する場合、今井教授は、まず、日本語字幕で何度も熟見することを勧めています。聴き取れなかった単語やフレーズは、後で英語字幕で確認していきます。大抵は予想もしなかった単語が表れて、驚きます。今井教授は「この経験が語彙の増加につながる」と力説します。「予測が裏切られたとき、最も深い情報処理が起こり、記憶に深く刻印される」と心理学者らしい発言をしています。

 ですから、先ほどの予想もつかなかったbreakは「もう忘れることはないでしょう」と今井氏は語っています。

 このほか、いっぱい「予想を裏切られた」例が出てくるのですが、あと一つだけ。日本語字幕で「質問が…」というジェームズ・ボンドのセリフが、英語では「Humor me.」となっていた驚きです。詳細は、本書を読んでもらうことにして、humor ユーモアの名詞は知っていても、動詞として使うという驚きで、このフレーズも著者の記憶として刻印されたことが書かれています。

スズラン Copyright par Keiryusai

 さて、私も映画007シリーズは大好きで、大抵の作品は見ているので、真似して勉強しようかと思っていますが、気になっていたのは最新作です。新型コロナの影響で、何度か上映延期になっていたことは報道で知っていましたが、お蔭で、「撮り直し」をしていることまで知りませんでした。

 最新作「007/ノー・タイム・トゥ・ダイ」は、もともと2019年4月に公開される予定でしたが、監督が降板したことで製作が遅れ、2020年4月公開延期を決定。それが運の尽きで、新型コロナの世界的影響で映画館が封鎖となり、興行収益が見込めなくなったことから、公開予定日が2020年11月から2021年4月へ再々延期、さらに2021年10月と延期が続いています。

 そのせいで、作品内で使われているスマートフォンや高級腕時計や服などのブランド品の型が古くなってしまい、最新モードへの撮り直しを余儀なくされてしまったというのです。IT業界の世界は日進月歩ですからね。

 これには「へー」と思ってしまいました。これらのブランド品は、「広告費」として映画製作費の中に組み込まれていることは業界人の常識です。まさか、スポンサーも古い製品を売るわけにはいきませんからね。

 

集団主義と個人主義の日仏異文化論=東京外語仏友会にオンライン参加

イチハツ 一初 Copyright par Keiryusai

 昨日は、大学の同窓会「仏友会」にオンラインZOOMで参加しました。仏友会というのは、「仏教を愛する会」というのではなく、東京外国語大学でフランス語を専攻した卒業生の親睦会です。正式には東京外語仏友会なのですが、戦前の昭和初期に作られたようです。

 私の学生時代は外国語学部だけでしたが、現在は3学部制になっていて、言語文化学部と国際社会学部の中にフランス語専攻があるようです。私の学生時代のフランス語科は60人でしたが、現在でも仏語専攻は60人ぐらいのようです。(半数の30人は必ず留学するそうです)

 東京外大のHPによると、大学の起源は幕末の1857年に開校された「蕃書調所」(西洋の書籍を解読して海外事情を調査)にまで遡ることができます。(東京・九段下に「蕃書調所跡」=竹本図書頭拝領屋敷上地=の碑がありますので、ご興味のある方は是非訪れてみてください。)

 過去の仏語出身者の中には、無政府主義者の大杉栄(1905年中退)、仏文学者でアンドレ・ジッド「狭き門」などの翻訳で知られる山内義雄(1915年卒)、無頼派作家の石川淳(1920年卒)、無頼派詩人の中原中也(1933年選科卒)、詩人でポール・ヴァレリー翻訳家の菱山修三(1909~67年)らがいます。

 私が学生時代に講義を受けた哲学のM教授(東京大学卒)は「外大フランス語の出身者というのは大杉栄とか中原中也ぐらいしかいないだろう?反逆者ばかりで主流派はいねえなあ」と言い放ったことが印象に残っています。確かにそうかもしれませんけど、主流派なんて言っても単なる体制派のことでしょう?人間生まれてきたからには「反抗精神」がなきゃつまらないじゃありませんか(笑)。

エニシダ Copyright par Keiryusai

 ということで、仏友会は変わり者の集まりと見られては困りますし、そんなこと言ったら藤倉会長から怒られますが、一癖ある個性派集団で、今でも大変優秀な人材を社会に輩出しております。上から言われたことを唯々諾々と従うことを良としない人が多いと言えるかもしれません。それなのに、仏友会は(途中戦争等で中断したこともありますが、)100年近くも続いていることは奇跡です。何故なら、同じ大学でも、英米語やロシア語専攻の出身者には同窓会がない、と聞いたことがあるからです。仏語専攻は恵まれています。個人主義ながら、結構、結束が固いのです。

 昨日の仏友会の講演会のゲスト講師は、東京外国語大学のジェローム・ルボワ准教授で、演題は「日仏文化の差異を考える」でした。非常に面白い話でしたが、時間が足りなくて、尻切れトンボのような感じだったので、もっと聴きたかったでした。まさに、今書いてきた個人主義に関する話だったからです。

 話を単純化すると、地理的に、歴史的に、文化的に、日本人は集団主義(ルボワ氏は集団性と表現していましたが)、フランス人は個人主義(同じく個人性)という大きな違いがあるというお話でした。(道理で、フランス語を専攻する日本人は個人主義になってしまうのか、もしくは、集団主義に馴染めず個人主義的傾向が強い日本人だからフランス語を専攻したのか、ということがはっきりしましたよ=笑)

 異文化論として、日本とフランスを比較すると、日本の国土は約37万平方キロメートルで、仏は約57万平方キロメートル。つまり、仏は日本の1.5倍の国土を持つ。それなのに、日本の人口は1億2800万人で、フランス(6500万人)の2倍もある。しかも、日本の国土の3分の2は人が住みにくい山地なので、仏と比べて遥かに人口密度が高い。そして、農耕時代から灌漑や農作業などで集団で「和」重んじて協働しなければならないので、地理的、歴史的、文化的に日本人は集団主義にならざるを得なくなった。一方のフランスは、早いうちから自律を求められることから、個人主義が芽生えていく。そんな話をルボワ准教授は展開していきました。

タチアオイ Copyright par Keiryusai

 ルボワ准教授は、17世紀後半にルイ14世の財務総監だったコルベールによってフランス外交の威信を高めるための外国語学校として創立された超難関校・国立東洋言語学院(INALCO=Institut national des langues et civilisations orientales)で博士号(「古代日本における皇室の女性」)を取得したということで、日本語はペラペラで、自らホワイトボードにスラスラと漢字を書きながら説明しておりました。

 日本とフランスを比較して、どちらが良くてどちらが悪いという話ではないことをルボワ准教授は強調しておりました。何しろ、個人主義のフランスには、同窓会もなければ、運動会も校内クラブ活動も、〇〇式も存在しないし、七五三もなければ、お祭りもないといいます。(ニースのカーニヴァルなどがあるが、あれは神事ではないし、日本のようなお祭りではないとか)

 「仏友会がある皆さんはうらやましい」とルボワ准教授は、しみじみと言いました。

 大変面白かったのは、講演後の質疑応答で、「仏男性と日本人女性が結婚するカップルが多いのに、日本人男性と仏女性の結婚が少ないのは何故だと思いますか」という質問でした。ルボワ准教授は「謎です」と言って、それには直接答えることはできませんでしたが、仏女性が結婚相手に最も重視するの「信頼」、二位が「気遣い」、三位が「ユーモア」。仏男性が結婚相手に最も重視するのは「見た目」(ここで会場から爆笑)、二位が「信頼」、三位「賢さ」という内訳を明らかにしてくれました。

 さらに、フランス語の la famille と日本語の「家族」というのは、別物であることを図示してくれました。日本の場合、両親と子どもがいるのが普通の家族なのですが、フランスの場合、結婚適齢期の半分は未婚で、半分の既婚者のうちその半分は離婚しているといいます。その離婚した者同士が子連れで結婚して、また、離婚したりするケースも多いので日本ほど「家族」は単純ではない、というのです。その典型的な例として、S氏が登場していましたが、このS氏とは、恐らくサルコジ元大統領のことではないか、とZOOMのチャット上で話題になりました(笑)。

【追記】

思い出しました!大学1年生の時、フランス人のデルモン先生から「何故フランス語を専攻したのですか?」と質問され、「フランス人女性と結婚するためです」と答えたことを思い出しました。

勿論、実現しませんでしたけど(笑)。