若者言葉は「分かりみが深い」

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 私は乱読家ですから(笑)、出典は全く忘れましたが、大昔に読んだ中野重治のエッセイの中で、若者言葉の乱れを批判する文章がありました。それは、「電話を掛ける」が普通なのに、最近の若い人は「電話を入れる」などと言う。いかがなものか、といった内容でした。

 「電話を入れる」が、そんなに明治生まれの人間には気になるものなのか、妙に印象に残ったので、半世紀ぐらい経った今でも、よく覚えているのです。

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 しかし、21世紀にもなると、それどころの話じゃありませんね。もう「若者言葉の乱れ」なぞとは、誰も批判したりしません。特に、SNSとやらで、中高年にとっては、やたらと難解な想像もつかない言葉を若者たちは生み出してくれてます。

 了解を「りょ」ではなく、今や「り」だけ(笑)。「お疲れさまでした」と書けばいいのに、「おつ」だけです。でも、「ディスる」(悪く言う)は、もう中高年でも使われるようになりましたが…。

 最近驚いたのは、「分かりみが深い」という表現です。若者たちの間では、もう4、5年前から使われていて、今頃になって気付くのは遅すぎると思いますが、婉曲表現に近いようです。分かるようで、分からないような、微妙な響きです。

 若者言葉が世間で定着するかどうかは、使われる頻度で決まることでしょうね。もう10年ぐらい前に流行った「チョベリグ」や「チョベリバ」なんてもう誰も使わないでしょうね。えっ?流行ったのは、1990年代で、もう30年前の話?あたし、まだ生まれてない?…嗚呼、もう勘弁してください。

 若者言葉が注目されるのは、そこに商品価値があるからだ、と中高年の天邪鬼は分析しています。ずばり、カネになるからです。資本主義の性(さが)ですなあ。

 私も若い頃、「ナウいヤングが集うゴーゴー喫茶」なという宣伝文句に惹かれて、繁華街を彷徨したものでした。でも、若者言葉は、手垢がつくとすぐ廃れてしまいます。今や「アヴェック」なんて死語ですからね。

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 それにしても、日本語は「外来語」が多いせいか、英語やフランス語などと比べても驚くほど語彙も多く(フランス語には「安い」という単語さえないんですよ!)、変化も激しいですね。これまた随分前に、ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」などを新訳した亀山郁夫氏(当時東京外国大学学長)にインタビューした時に、彼から「ロシア語はほとんど変わらず、ドストエフスキー時代の19世紀の言葉が今でも使われている」といった話を聞いて本当に吃驚したことがあります。

 日本語とはえらい違いですね。大した魂げた。

真理に目覚めた仏陀=仏像の世界は大変奥が深い話

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一昨日から松濤弘道著「日本の仏様を知る事典」(日本文芸社、1988年4月30日初版)を読んでおりますが、教えられることが多く、大変勉強になります。

 ちょっと古い本ですが、会社の資料室にあったのを見つけ、自分用として読みたかったので、ネットで購入したのでした。「自分用」というのは、著者には大変申し訳ないのですが、本文に赤線を引いたり、書き込みしたりしてしまうことです。それほど格闘しながら読ませて頂いている、ということでお許し願いたいところです。

 著者の松濤弘道(まつなみ・こうどう)氏は1933年、栃木県生まれで、大正大学から米ハーバード大学大学院で修士号を取得され、栃木市の浄土宗近龍寺の住職などを務めておられましたが、2010年に77歳でお浄土へ往生されたようです。

近龍寺のHPによると、松濤氏には、日本語で55冊、英語で30冊、他にも中国語、フランス語、ポルトガル語等、多数の著作があったそうです。また、近龍寺には、栃木出身の作家山本有三のお墓があるらしく、私も昔、「路傍の石」や「真実一路」など愛読させて頂きましたので、いつか、この寺を訪れたいと思います。

  「日本の仏様を知る事典」は、特に、「如来」「菩薩」「明王」「天」など階級別に仏像について詳しく書かれていますが、仏教とは何か、といった基本的なことにも折に触れて解説してくれます。

 多くの人が誤解しているようですが、仏教とは、キリスト教などと違って、絶対的な神を信仰する宗教ではなく、修行によって自分自身も、真理に目覚める仏陀(覚者)になることを目指すことでした。松濤氏によると、仏陀とは、宇宙を創造した神でもなく、人間を裁く審判神でもなく、超越的な権力や力を備えた至上神ではない、といいます。

 仏教とは、釈迦という一人の人間が、説いた教えです。(王子の身分でありながら、妻子も捨てて29歳で出家し、6年間の修行の末、仏陀となり、80歳で入滅)釈迦が悟ったことは、すべての生物は自己の存在や自我意識に執着し、無明(執着の根源)から他者を差別し、他者の犠牲のもとに生き延びている、ということでした。そこで、釈迦は、他人を害することなしに生存するには、各自の特異性を認め、生命の同一存在(一如=いちにょ)を追体験することだと考えたといいます。もし、一如の生活に則れば、他者と喜びを分かち合い、他者の苦しみはわが苦しみとして受け入れ、人の幸せも自分の幸せとして感じ、気づくことができるだろう、といいます。

 このように、釈迦が悟ったことを簡略して、大きく二つだとすると、「智慧」と「慈悲」がそれに当たります。それゆえに、仏像にこの二者の概念が付きまといます。例えば、釈迦三尊像の場合、真ん中に釈迦如来を据え、脇侍(わきじ)として文殊菩薩と普賢菩薩を配し、それぞれ、智慧と慈悲を象徴しています。阿弥陀三尊の場合、中央の阿弥陀如来の脇侍には観音菩薩(慈悲)と勢至菩薩(智慧)を配します。密教の大日如来の場合、金剛界が智慧、胎蔵界が慈悲を表します。

 仏を分かりやすく整理すると、世界の真実そのものを人格化した毘盧遮那如来(奈良の大仏など)や大日如来を「宇宙仏」、釈迦如来のように世の真実を体得したものを「人間仏」、仏の徳性の働きを象徴する阿弥陀如来や弥勒如来を「理想仏」と分ける考え方もあるそうです。また、鎌倉時代には「過去仏」として釈迦、「現代仏」として阿弥陀、「未来仏」として弥勒の三世仏が盛んにつくられたといいます。弥勒如来は、釈迦の死後、56億7000万年後の未来に現れて、衆生を救済してくれる仏で、天理教や大本教に影響を与えました。(その弥勒如来が現れるまでに、地獄に堕ちた人でも救済してくれるのが地蔵菩薩です)

自宅の御本尊である36年前に鎌倉の仏具店で購入した仏様。当時20万円ぐらい。てっきり釈迦如来像かと思ったら、阿弥陀如来像でした。(本文参照)

 この本では色々と教えられましたが、釈迦如来像と阿弥陀如来像の区別の仕方が初めて分かりました(苦笑)。右手を上げて、中指を曲げているのが釈迦で、両手で印を結んでいるのが阿弥陀だといいます。東南アジアに広がった小乗仏教は仏像といえば、ほとんど釈迦如来像ですが、大乗仏教となると、さまざまになります。特に日本では、本地垂迹説で、色々な仏像がつくられ、釈迦如来像は天平期の頃がピークで、それ以降は、浄土教の影響からか阿弥陀如来像が主に占めたそうです。

 この本については、またいつか取り上げたいと思いますが、今日最後に特記したいのが阿閦如来です。「あしゅくにょらい」と読みます。 阿閦とは無瞋恚(むしんい)と同じ意味で、すべての誘惑に打ち勝ち、永遠に怒りや恨みを抱かないと誓って、東方世界に妙喜浄土をたてた仏だといいます。以前、このブログでも書きましたが、瞋恚とは、仏教用語の十悪(殺生・偸盗・邪婬・妄語・綺語・両舌・悪口・貪欲・瞋恚・邪見)の一つでしたね。私自身、最近、この瞋恚(自分の心に逆らうものを怒り恨むこと)に取りつかれていたので、この阿閦如来さまに縋るしかありません。奈良の西大寺にも鎮座されているそうなので、西大寺先生に写真を送ってもらいたいものです。

奈良・春日大社「国宝殿」で「最古の日本刀の世界 安綱・古伯耆展」

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ご無沙汰しております。奈良に居ります、御存知「西大寺先生」です。

 奈良通信員として拝命していますが、本業が多忙で渓流斎ブログに出稿せず誠に申し訳ありません。令和二年の新年になり、第一弾の出稿です。

 奈良の美術展と言えば、国立奈良博物館の「正倉院展」があまりにも有名ですが、県内にはあまりにも多くの国宝、文化財があり、しかも、お寺、神社そのものが歴史遺産であり、美術展を見に行くというより、歴史遺産自体が自然体の「美術展」でもあります。ですから、奈良では東京のように博物館、美術館に「美術展」を見に出かける必要もそれほどないわけですね。

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そんな奈良ですが、新年3月1日まで春日大社「国宝殿」で開かれている「最古の日本刀の世界 安綱・古伯耆展」は見ごたえがありますよ。

 平安時代に伯耆(ほうき)の国(今の鳥取県中・西部)にいた安綱(やすな)の一門の刀は武家社会は勿論、神にも捧げられましたが、その後、この刀匠の流れは途絶え、作品もほんのわずかしか残っていません。現存の安綱の作品はほとんどが「国宝」「重要文化財」になっています。

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 今回はその国宝に指定された春日大社所蔵の「金地螺鈿毛抜形太刀」や、あの源頼綱が酒呑童子を斬った刀と言われる、やはり安綱作の国宝「童子切」(国立東京博物館所蔵)、重要文化財で「大平記」にも記されていて渡辺綱が鬼退治に使ったと言われる「鬼切丸」(髭切)(北野天満宮所蔵)が並び、日本の刀の歴史がよく分かります。

 会場はそれほど広くなく、展示数も厳選され、ゆったり、時間をかけて展示品が見られるのは好いですね。特に伯耆の国が、たたら、砂鉄がとれることから古代から刀作りが盛んで、この展覧会でも、安綱の作品だけでなく古伯耆の太刀も展示されています。

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 また、お城巡りを趣味にされている渓流斎山人ですが、徳川家を中心にした全国の諸大名が「家宝」にしていた太刀、名刀はいずれも、平安期から時の権力者のもとを迂余転変してきたことも分かりやすく説明がされていました。「へえ!足利、信長、秀吉、各大名家にこうして伝わったのか」「名刀には歴史の逸話がある!」と、貴人もご覧になれば関心、興味が倍加するでしょう。

 刀は歴史好きには堪えられない面白さがあると思いますよ。茶器とは別の奥深さが秘められています。単なる「武器」だけでなく「祭事や儀礼用」の意味、価値も持っているということです。春日大社「国宝殿」は同大社の本殿傍にあり、上の写真のように、境内の鹿も入口付近にやって来て、都心の美術館では味わえない雰囲気が漂います。

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この展覧会も館内の写真撮影は禁止でしたが、ただ、一点だけ国宝のレプリカは撮影OKでした。あまり上手く撮れませんでしたが、悪しからずご了承ください。

 3月1日まで開催しているので、奈良に行かれる機会があれば覗かれると良いでしょう。入場料は800円ですが事前に金券ショップのガラスケースを覗けばさらに格安のチケットが売られていると思いますよ(笑)。

 西大寺先生より

◇◇◇◇◇

 いやあ、有難いですね。いつもながら、ネタ切れになりますと、特派員リポートが送稿されます。紙面を埋めなければならない新聞社や雑誌社のデスクの気持ちがよく分かります(笑)。

 お城と並んで、今、刀剣もブームです。特に若い女性が全国の品評会にまで回っており、「刀剣女子」と呼ばれているとか。

 日本刀は武器ですが、美術工芸品でもありますね。戦場では、刀の威力はそれほど発揮せず、殺傷力では(1)弓矢(後に鉄砲)(2)薙刀(後に槍)(3)投石(4)刀ーの順らしいですね。何故、刀より投石による戦死者の方が多かったのか、というと、農民が合戦に駆り出されて、高価な刀剣は買うことができないか、刀の使い方ができなかったというのが有力な説です。刀狩りで、農民は刀剣を奪われていましたしね。

究極の文化財、美術品を公開へ=京都・東寺で真言宗の最高の儀式「後七日御修法」

京都・東寺 Copyright par Kyoraque-sensei

 ブログを書き続けて幾星霜か。ちょっと、書くネタに尽きて困ったときに、いつも天から救いの手が伸びてきます。

 今回も、京都にお住まいの京洛先生から特派員リポートが送られてきました。

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おはようございます。京洛先生です。

 七草粥も終わり、渓流斎さんも、正月休みから、帝都のオフイスに精勤されていると思います。8日(水)は、渓流斎さんもご存知の、御社とも関わりの深い大手代理店OBで長老のNさんが上洛されました。

 いつも正月休み明けの観光客が少ないこの時期に奥様とこちらにみえますが、今回は今週末まで滞在されています。そこで「何処に御案内しようか」と考えた末、今回は、いつも渓流斎ブログに紹介、写真掲載してもらっている「東寺」での真言宗の最高の儀式「後七日御修法(ごひちにちみしほ)」にお連れすることに致しました。

8日は、その最初の日に当たり、儀式が行われる東寺境内の国宝「灌頂院」の前までご一緒しました。

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 渓流斎さんは、昨年、高野山の「金剛峯寺」に出かけられ、念願の宿坊に泊まられ、大感激され、以後、ますます、仏教の関連書籍などを読破されていますね(笑)。

 後七日御修法はこのブログでは何度も紹介されておりますが、その高野山の金剛峰寺をはじめ、「真言宗」各派、十八本山の山主、高僧が集まり、8日から来週14日(火)まで7日間、灌頂院で五穀豊穣、国家安泰、世界平和の祈願法要をするわけです。

 弘法大師空海が平安時代の835年から京都の御所で始めたもので、明治初期、数年、途絶えましたが、その後は、御所から東寺に場所を移して行われてきています。

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 初日の8日は、宮内庁から勅使が天皇陛下の「御衣(ぎょい)」が届けられました。

  いつもながら、お坊さんの頭が綺麗でしょう(笑)

 

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法要では、御衣を前に7日間にわたり、護摩を焚いて大法要が行われますが、8日は、今年の大阿闍梨(おおあじゃり、導師)である「仁和寺」の瀬川大秀門跡をはじめ、真言宗の長老、門跡らが朱傘をかざされ、上の写真のような行列が続きました。いつもながら全国の真言宗の僧侶、檀信徒の方がこの様子を見ようと、大勢来ておられました。

 Nさんは「いやあ、凄いものですね。京都、奈良など大伽藍の高僧が一堂に集まるのですからね。こういう希少な機会に出くわせるとはワタシも感激です。軽薄な観光客もいませんし、数珠を持って、『南無大師遍照金剛』と念仏を唱えて、手を合わされている檀信徒のご婦人方の着物も、いずれも高価な立派なもの、とお見受けしました。やはり、お金が出来ても、最後は精神世界に惹かれるのですね」と、日ごろお目にかかれない光景、様子をじっくり眺めておられました。

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  「後七日御修法」は14日(火)に終わり、同日午後12時頃から、2時間に限って、「法要」後の灌頂院(通常は非公開)内が公開されます。法要後の堂内には香がたかれた匂いが漂い、重要文化財の曼荼羅もまだ架けられていて、”究極の文化財、美術品公開”とも言える機会です。ご興味のある方は見に行かれることですね。

 以上

煩悩に取りつかれたカルロス・ゴーン被告

 日本時間の8日午後10時のカルロス・ゴーン被告の記者会見は予想通りでしたね。自分の言いたい放題で、肝心なことは秘匿して、自己正当化と自己保身と自己主張に終始しました。弁護士でもある日本政府の森雅子法相が夜中の1時近くに臨時記者会見して「(ゴーン被告の)出国は犯罪行為に該当し得る。それを正当化するために、国内外に向けてわが国の法制度について誤った事実を喧伝するのは到底看過できない」と批判したことは大いに賛同します。日頃、日本政府に対して、厳しい批判を書き連ねている渓流斎も、諸手を挙げて賛同致します。

 記者会見場には、ゴーン被告の「お気に入り」のメディアしか入場できず、日本のマスコミはほとんどシャットアウト。唯一許されたのが、朝日新聞と小学館とテレビ東京だったらしいですが、その選別の仕方には思わず笑ってしまいました。選ばれなかった読売新聞は、「米CNNの中継映像などによると」といった報道の仕方で、聊か格好悪かったですねえ。

 それにしても、ゴーン被告が、映画まがいの犯罪的逃避行をしながら、全く悪びれることなく、世界中が注目する公の席に登場できた自信の根拠は焉んぞあらんや、と感嘆してしまいました。

 たまたまですが、先程、阿満利麿・現代語訳の法然「選択本願念仏集」(角川ソフィア文庫、平成19年5月25日初版)をやっと読破することができました。途中で難解な仏教用語を調べながら読んでいたので、1カ月以上掛かりました。最初は、無謀にも、法然房源空上人の原文をそのまま読んでみましたが、理解できずに挫折。現代語訳に辿り着き、やっと少しは理解できました。

色んな専門家が現代語訳を出版されていますが、最初にこの阿満氏の訳文にしてよかったでした。初心者でも大変分かりやすかったからです。阿満氏は巻末に他の雑誌に寄稿したエッセイ「なぜ他力なのか」も収録しています。その中で、煩悩について書かれた箇所があり、法然と親鸞は、煩悩を以下の3種類として捉えていたといいます。

(1)欲が深いこと(従って怒りやすく、妬み、嫉むこともしばしば)

(2)生への執着心(生きたい、死にたくないという拘り)

(3)自己正当化に熱心な精神(自己と他人を区別し、自己の優越を誇る)

 もちろん、これら3者を全否定してしまっては、生への原動力もなくなり、資本主義社会は成り立っていかなくなります。とはいえ、煩悩にとらわれた存在が凡夫であるということを自覚し、そんな凡夫でも、精励刻苦、修行し、智慧と慈悲の心を身に着け、菩提心を起こせば、煩悩から解脱した浄土の世界に行くことができるという宗教が浄土教思想であり、仏教だというのです。

 ゴーン被告は、(3)の自己正当化の煩悩に取りつかれていますが、仏教徒ではないので、聞く耳を持たず、逃亡を続けることでしょう。まさに、資本主義社会の権化ですからね。しかし、彼はまだ65歳。果たして、このまま、心の平穏(peace of mind)を得て往生できるのでしょうか。老婆心ながら御同情申し上げます。

金持ちは逃げるは恥だが役に立つ、では駄目でしょう

 新年2020年はどんな年になるかと思ったら、米軍が1月3日に、バグダッド国際空港近くでドローンを使ってイラン革命防衛隊クドゥス(アラビア語でエルサレム) 部隊のカセム・ソレイマニ司令官らを殺害するというとんでもないニュースが飛び込んできたことは、ご案内の通りです。

 どんな大義名分があるか知りませんが、断じて戴けない行為です。トランプ大統領は、保安官気取りなのでしょうか。いや、失礼、気取りではなく、世界最高権力者そのものである米国の大統領でした。日本の政府は一言も非難しませんが、日本への影響は計り知れず。

 これで、中東は一触即発の気が漲り、報復を誓うイランは、イラクやシリアにいるイスラム教シーア派 、それにレバノンのヒズボラ、イエメンのフーシー派などと連携を深め、米国との間で全面戦争が始まるのではないかという緊張に包まれています。原油先物価格も急上昇しています。早速、株式市場が反応して、3日(金)のダウ平均は一時350ドル超も暴落したというのに、6日(月)は小幅反発して68ドル高でした。日本も日経平均は、6日(月)に一時500円超も下落したというのに、7日(火)は反発して370.86円高です。

 あれっ? ですよ。

 識者によると、軍事力では圧倒的に劣るイランが、全面戦争に踏み込みたくても、実際無理なので、報復といっても小競り合い程度に長期にわたって続く可能性が高い、といった分析が、株高につながったものとみられます。

 もう一つ、防衛産業大手のロッキード・マーチン社の株が過去最高値を更新したそうじゃありませんか。そうだったのか!何か読めた気がしますね。(とはいえ、8日になってイランによる米軍駐留基地攻撃が開始されると、日経平均は、またまた370円以上値を下げました)

 暗殺されたソレイマニ司令官(62)は、日本でいえば、山本五十六大将に匹敵するぐらいの英雄でしょう。ペルシャ帝国の流れを汲み、1979年の革命で国王を追放してイスラム統治国家になったイランは、殉教者は最高の地位になるといわれ、ソレイマニ氏は、まさに軍神として祭り上げられることでしょう。軍需産業に唆され、再選しか頭にないトランプさんは、権力の魔力に取りつかれたとしか言いようがありません。

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ゴーン被告の場合

 今回のイラン司令官殺害事件のニュース関連で、久しぶりにレバノンの国際テロ組織ヒズボラの名前を聞きましたが、国外逃亡したカルロス・ゴーン被告(65)は、レバノンで悠々自適な生活を送れるのでしょうか?やはり、難しいでしょうね。日本脱出するのに22億円もかかったという週刊新潮の報道もありましたが、レバノン入りの際、手ぶらで入国できるわけがなく、政府高官に多額の資金が贈与したのではないかと言われています。賢いゴーン被告のことですから、ヒズボラのハッサン・ナスララ書記長にも手を回したかもしれません。

 レバノンという国は、シリアを委任統治していたフランスが1920年代にキリスト教徒が多かった地域を独立させたのが始まりです。かつて、首都ベイルートは「中東のパリ」なんて呼ばれていましたが、1975年から宗教上の理由から内戦が始まり、90年に停戦になったとはいえ、今でも政情は不安定です。35歳以下の失業率が37%とも言われています。現在、国会ではイスラム教徒とキリスト教徒が50%ずつ議席を持つことが決まっており、ゴーン被告も信者であるキリスト教マロン派から大統領が、イスラム教スンニー派から首相が、イスラム教シーア派から国会議長が選出されているそうです。だから、ゴーン被告は、同じキリスト教マロン派のミシェル・アウン大統領を頼ったわけですね。同大統領は関与を全面的に否定しても、現政権がゴーン被告を日本に強制送還しないことから何らかの取引があったのではないかと忖度されます。

 日本人社員の首を散々切って合理化した功績で、私腹を肥やしたゴーン被告の総資産は200億円ともはるかそれ以上とも言われていますから、日本政府が没収した保釈金15億円なんて、庶民換算すれば、本人にとって15万円程度なんでしょう。でも、その15億円は何に使うんでしょうか?偽証の疑いで国際手配されたゴーン被告の妻キャロル容疑者も含めて、2人を捕縛して日本に送還した人への報奨金とすれば、元グリーンベレーの連中とか、次々と手を挙げてくるんじゃないでしょうか。皮肉ですけどね。

 8日の午後10時(日本時間)に、本人は記者会見するそうですが、自己弁護と自己保身と自己正当化に終始することでしょう。宣撫活動として利用したいがために会見をすることは目に見えています。金持ちは「逃げれば恥だが役に立つ」という先例をつくっては駄目でしょう。

 それにしても、ブログとはいえ、現在進行形の事件を書くことは疲れます。この先、どうなるのか予想もつきませんからね。でも、ゴーン被告逃亡の遠因をつくったのは、富裕層専門の弁護士弘中惇一郎氏にもあるという記事に接し、思わず相槌を打ちました。

古着は着てても心は錦=非正規労働者と年金生活者のための強い味方

どうも人混みが嫌いなもんで、正月休みは、初詣も買い物もほとんど近場で済ましてしまいました。

 たった1日だけ行った都心は、日暮里でした。なあんだ、そんな所か、と仰らず、まあ、先を聞いてくださいな。

 日暮里駅前に建つ太田道灌像

 日暮里に行ったのも訳がありました。

 冬の寒い日用に、新しいセーターを買おうか、と思ったわけです。ちょっと気になったのが、英国製のフィッシャーマンズセーター。チャンネル・ジャンパー社のオルダニーセーターが2万0350円でした。また、英国王室御用達で、あのスティーブ・ジョブズも愛着したというジョン・スメドレー。そのケーブル編みセーターが4万5980円もしました。うーん、ちょっと高いなあ…と二の足を踏んでいたところ、思わぬ噂が耳に飛び込んできました。

 「日暮里に行けば、2~3万円のセーターでも、4~5千円で買えますよ。ただし、古着ですけど」

 古着?いいじゃないですか。自慢じゃないですが、私は、京都・北野天満宮の「終い天神」の市場で、高級英国製ジャケットの古着を格別の安さで購入したことがあるのです。

黒岩一郎商店

 で、紹介されたのは、日暮里中央通りの布専門店街の北の端にある「黒岩一郎商店」でした。JR山手線・京浜東北線の日暮里駅か鶯谷駅、または常磐線の三河島駅が一番近いようです。

 古着専門店ですが、商店の看板もなく、店構えも一見、大正か昭和時代のレトロです。畳10畳あるかないか、といった程度の敷地でした。上の写真のように、ガラスが割れても修理する余裕がないようです。でも、お宝がザックザックでした。店内全てを見なかったのですが、紳士専門店でした。

 70歳代後半と思われる店主に、「セーターありますか?」と尋ねたところ、店先に無造作にセーターが山積みになっていました。25着ぐらいあったでしょうか。直ぐ、良さそうなものが見つかりました。5000円以内ならすぐ買おうと思って、店主に値段を聞いたところ、「みんな600円ですよ」と言うではありませんか。一桁、間違っているかと思いました。

 ということで、適当に見繕って、自分が着ることができる大きさと柄だけをみて、3着も買ってしまいました。

 これで、合計、たったの1800円。

 えっ!?ですよ。まさに、クリーニング代で3着も買えてしまったのです。これなら、非正規労働者でも、2000万円の貯金がない年金生活者でも、凍死することなく冬を越せそうです。

 セーターを買うために、この店に寄ったのですが、ほかに、ダウンジャケット風のジャンパーなどがあり、これらはどれも1200円で販売されていました。原価はどう見ても1万円、いや2〜3万円しそうな代物でした。

 好きな彼氏のためのプレゼントでもいいじゃありませんか。まさか、本命の彼氏も破格の値段に気が付くわけありませんよ(笑)。私もまた、いつか日を改めて、ダウンジャケットでも買いに行こうかと思っています。

 人聞きの悪い言い方ですが、この店は、あまり儲かっていそうに見えなかったので、宣伝も込めてこの店を紹介することにしました。御主人にお金を払う際に、「採算取れているんですか?」と念を押したら、御本人は苦笑いしてましたけどね。

 

孤独は伝染する負の連鎖

今朝の朝日新聞日曜版別刷りの「グローブ」で「これから百年の『孤独』」を特集していました。

 この中の記事で、孤独感というものは「友人の友人の友人」まで伝染する、という故ジョン・カシオッポ・シカゴ大教授の説には本当に納得、実感してしまいました。同氏によると、元々孤独感を抱いている人ほど、人間に対する不信感が強くて、数少ない友人との関係も断ち切ってしまうといいます。その断ち切られた友人も孤独感に苛まられてしまい、同じようなことを真似てしまい、このようにして、負の連鎖が続くという説です。

 確かに確かに、私自身にも身に覚えがあります。大して友人が多くいそうに思えない友人が最近、メールを出しても返事がなく、疎遠になってしまい、「何かあったのかな?」と自責の念に駆られておりましたが、どうやら、ちょっとした行き違いか、私自身には身に覚えがありませんが、不信感が原因だったのかもしれません。

 それならそれで、しつこく付き纏うことなく、本人の方針に委ねるしかありませんが、先程の「グローブ」紙の別の記事で、昆虫のアリでさえ、孤立すると、死期が早まるという結果を導き出した科学者の実験も紹介していました。

 産業技術総合研究所の古藤主任研究員の実験で、オオアリの働きアリを(1)1匹だけの「孤立アリ」(2)幼虫と一緒の「同居アリ」(3)10匹の「グループアリ」-の3パターンに分けて飼育したところ、生存日数の中央値のトップが(3)のグループアリで66日、次が(2)の同居アリで22日、(3)の孤立アリはわずか6.5日しか生きられなかった結果が出たというのです。

 へー、と思ってしまいました。

 人間も社会的な動物ですから、虚勢を張るのはやめ、何と言っても、人間不信ばかりに陥ることなく、ほどほどのところで妥協すれば、短命に終わらずに済むかもしれません。

 私が、今年頂いた年賀状の中で、「今年限りで、年賀状を取りやめにすることに致しました」と書かれた方が、3人もおりました。私自身も、先方から返事が来なければ、黙って翌年は出さないというデクレッシェンド方式を始めておりますが、どうも、すっぱりと断ち切ることは躊躇っておりました。先方も何かと色んな事情があるのでしょうが、受け取った方は、たとえ1年に1度の御挨拶に過ぎないとはいえ、絶交されたようで、ドキッとしますよね。日本人はどうも「こちらに落ち度があったのか」と考えてしまいます。

 でも、こういうネガティブ思考は考えものです。負の連鎖は自分の所で止めて、自然体でいくのが賢明でしょう。ということで、このブログの愛読者の皆様方に対しては、こちらから断ち切ったりしませんから(笑)、本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。

戦争の抑止力にならなかった新聞社出身の国会議員=佐藤卓己、河崎吉紀編著「近代日本のメディア議員」

 大阪にお住まいの滝本先生のお薦めで、佐藤卓己、河崎吉紀編著「近代日本のメディア議員」(創元社、2018年11月10日初版、4950円)を読んでいます。1960年から86年にかけて生まれた「比較的」若い中堅の学者10人が共著でまとめた学術研究書です。かつてはかなり多くのマスコミ出身の国会議員や首相にまで上り詰めた人がいたことが分かります。

 滝本先生が何故、この本を薦めてくださったかというと、先日、大阪市内で、この本の編著者である佐藤卓己・京大教授の講演会を聴いたからでした。会場には、現役時代にブイブイ言わせていた朝日新聞や毎日新聞など大手新聞社のOBの方々も見えていたそうです。

 新聞メディアの歴史を大雑把に、やや乱暴に要約しますと、明治の勃興期は、薩長を中心にした藩閥政府に対する批判と独自の政論を展開する大新聞が主流でした。柳河春三の「中外新聞」、福地源一郎の「江湖新聞」、栗本鋤雲の「郵便報知新聞」、成島柳北の「朝野新聞」などです。彼らは全員、幕臣でした。その後、政府による新聞紙条例や讒謗律などで反政府系の大新聞は廃刊に追い込まれ、代わって台頭したのが、大阪朝日新聞や、大阪毎日新聞、読売新聞などの小新聞と呼ばれる大衆紙でした。政論主流が薄れたとはいえ、新聞社出身の国会議員を多く輩出します。まるで新聞記者が国会議員の登竜門の様相ですが、政治家志望の政治記者が多かったという証左にもなります。

でも、「白虹事件」で大阪朝日新聞を退社したジャーナリストの長谷川如是閑は「大正八年版新聞総覧」で、以下のような面白いことを書いています。

 …新聞記者は、主観的生活に於いては、同時に政治家であり、思索家であり、改革家であり、学者であり、文士であり得るが、客観的生活に於いては、ただのプロレタリアに毛が生えたものであり得るのみである。…

 大手新聞出身のOBの皆さんは、新聞社出身の議員の活躍を聴きたいがために、佐藤卓己教授の講演会に参加したようでしたが、見事に裏切られることになります。

佐藤教授によると、満洲事変から2・26事件などを経て、日本が軍国主義化していく昭和12年(1937年)、マスコミ出身の国会議員が占める割合は、実に34%の高率だったそうですが、その直後に支那事変(日中戦争)が起こり、皮肉にも、マスコミ出身議員は、何ら戦争の抑止にもならなかった、というのです。


 この本の巻末には、「メディア関連議員一覧」が資料として掲載されているので、これだけ読んでも、興味がそそられます。

 例えば、現首相の父君に当たる安倍晋太郎は、毎日新聞政治部記者だったことはよく知られていますが、二番目に登録されています。全部で984人も掲載されているので、キリがないので、首相まで経験した有名人を取り上げると、まずは5.15事件で暗殺された犬養毅が挙げられます。岡山出身の犬養は、慶應義塾の学生の時、郵便報知新聞の主筆藤田茂吉の食客となり、明治10年の西南戦争の際には、「戦地探偵人」となり、「戦地直報」を報知新聞に連載するなどして記者生活をスタートしています。

 平民宰相として有名な盛岡藩出身の原敬は明治12年、フランス語翻訳係として栗本鋤雲の推薦で郵便報知新聞社に入社しています。「憲政の神様」尾崎行雄も、慶應義塾で学び、新潟新聞や郵便報知新聞などで記者としての経歴があります。

 明治14年の政変で大隈重信とともに下野して、立憲改進党を結成した矢野文雄は、郵便報知新聞の社長や大阪毎日新聞の副社長などを務めています。この本では、佐藤教授は、矢野文雄としか書いていませんでしたが、政治小説「経国美談」の作者矢野龍渓(雅号)のことでした。日清戦争の前後に、清国特命全権公使を務めています。

 佐藤教授は、このほかメディア関連の首相として、郵便報知新聞を買収して実質上の社主だった大隈重信、東洋自由新聞の社主だった西園寺公望、東京日日新聞で外国新聞を翻訳して収入を得ていた高橋是清、東京日日新聞の第4代社長を務めた加藤高明、戦後では、産経新聞記者だった森喜朗や朝日新聞記者を務めた細川護熙らを挙げていました。

 また、最近のメディア関連の国会議員の中の自民党系として、大島理森(毎日新聞広告局)、額賀福志郎(産経記者)、松島みどり(朝日記者)、茂木敏充(読売政治部)、竹下亘(NHK記者)、鈴木貴子(NHK)、小渕優子(TBS)らを挙げていて、私も知らなかったことも多々あり、これまた興味深かったでした。

 この本は、まだ読み始めたばかりなので、また取り上げるかもしれません。

(同書に合わせて敬称を略しました)

藤堂高虎はとてつもない築城名人

国宝姫路城

昨晩、お城関係の本を読んでいたら、三重県の津城は、正式には安濃津城ということを初めて知り、自分の不勉強を恥じるとともに、本当に驚いてしまいました。

 以前、沖浦和光著「天皇の国・賤民の国」を読んでいたら、中世になって差別をされた人々が浄土宗系の仏教に縋り、多くの寺院が建てられるようになったという話が出てきました。その中で、三重県の津市のことも出てきたので、たまたま、津市出身で、浄土系の名門中学校を出ている学生時代の友人がいるので、メールで聞いてみたところ、「私が育った安濃津(あのつ)あたりは、差別された人たちが多く住んでいて、私が通った小学校は、全国でも同和教育のモデル校として表彰されたこともあります。中学は浄土真宗の学校でした」といった答えが返ってきました。

 いきなり、初めて聞く「安濃津」という地名が出てきましたが、特に調べることはなく、津市の郊外にある地名なのかなあ、と思っていたら、どうやら、津城が安濃津城(津市丸之内)と呼ばれるぐらいですから、津市の中央部もかつては安濃津と呼ばれていたのかもしれません。

 となると、古代に征服されて、差別された人たちは、中世になって浄土系の宗教に救いを求めるようになり、その領地には寺院が建てられ、戦国時代になって、城郭が建てられたという仮説が成り立つのではないかと思ったわけです。よく知られている史実として、蓮如の建てた石山本願寺の跡地に大坂城がつくられ、このほか、 加賀前田藩の金沢城は、それ以前は、加賀一向一揆の拠点だった浄土真宗の尾山御坊という寺院だったといいます。

  私の晩年の趣味は、どういうわけか、いつの間にか、お城と寺社仏閣巡りになりましたが、城郭と寺社とは、水と油(戦闘と慰霊)で全く関係がないと考えていたら、意外にも密接な関係があったのですね。本当に驚きました。

 日本の歴史や文学、美術を知るには、仏教思想が欠かせませんが、当然ながら、寺社仏閣や城巡りの際にも、仏教思想はこうして役に立つわけです。

唐沢山城(伝藤原秀郷の築城、日本の100名城)

 先程の安濃津城は、浅はかにも、藤堂高虎の築城かと思っていたら、永禄年間(1558~70年)に、伊勢の有力国人・長野一族の細野藤光が築城したものでした。しかし、織田信長が伊勢を征服し、その弟の信包が城主となります。関ケ原の戦いの後になって、藤堂高虎が入城し、全面改修し、城下町も整え、明治維新まで藤堂家が続きます。

 藤堂高虎は、築城の名人と言われ、調べば調べるほど、とてつもない偉人だったことが分かります。伊勢の人ではなく、もともと、近江の甲良荘(滋賀県犬上郡)出身で、甲良大工という築城集団がいたようです。藤堂高虎もその影響で、伊予の今治城(海城)と宇和島城(重要文化財)、それに伊勢の安濃津城と伊賀上野城などを作り、江戸城、大坂城、二条城、丹波亀山城などを改修、篠山城、名古屋城などの縄張りを任されています。徳川家康も一目置いて、江戸の屋敷は、寛永寺そばの上野の領地を与えます。上野は、勿論、伊賀上野から取って付けられた地名です。

 明智光秀もいいですが、藤堂高虎も大河ドラマの主人公にしてほしいものです。