日仏友好160周年、パリで「ジャポニスム2018」開催へ

渓流斎がフランスに派遣しているクーリエ(農林水産通信員)「ブローニュの森の美女」さんから、最新ニュースが入ってきました。

今年は日仏友好160周年の記念の年です。(明治維新150年より10年も古いじゃんか!)

ということで、今年7月から来年2月まで、「ジャポニスム2018」と称して、パリを中心に大々的なイベントが開催されます。

まさに、今年のフランスは「日本一色」になります。

知らなかったでしょう?(笑)

主催者である外務省の天下り先、いや二次団体である国際交流基金のサイトには以下のようなことが書かれてます。

【展覧会は、日本文化の原点とも言うべき縄文、伊藤若冲、琳派から、最新のメディア・アートやアニメ・マンガ・ゲームまで、舞台公演は、歌舞伎、能・狂言、雅楽から、現代演劇、初音ミクまで、さらには食、祭り、禅、武道、茶道、華道ほか、日本人の日常生活に根ざしたいろいろな文化の側面に焦点を当てた交流事業も含め、幅広い範囲の事業を次々に行います。】

なるほど、縄文から急に江戸時代の伊藤若冲に飛んでしまうとは…上司の命令で嫌々書かされた匂いがしますね(笑)。

◇自転車レースの女王

さて、「ブローニュの森の美女」さんからのコレスポンダンス(通信)でした。

…ジャポニスム情報をありがとうございます。しかし、今、フランス国鉄(SNCF)の恐るべきストライキが始まっていて、気軽にパリに行けずに恐々としています。
毎週2日間ほどのストライキ。そんなに改革に反対するべきなのでしょうか。
日本文化会館のイベント、1月にL’aube du Japonismeという展覧会があって、小さいですがとってもよい展覧会だったんですよ。…

そう、「ブローニュの森の美女」さんは、ジャポニスムにとても関心がある方です。

…日曜日はとってもお天気で、自転車レースの女王と呼ばれる「パリ~ルべ」レースがありました。
「パリ」となっているのに、フランス北部のコンピエーニュが出発地点なんです(笑)。
 レースの名物となっている地獄の石畳満載のコースを257キロ、コンピエーニュからルベまで北上します。
朝11時頃、出発を見に行って、その後はずっとテレビで追いながらちょっとした高揚感を味わいました。
 今年の優勝者はスロベニアのピーター・サガンという人でした。
よし、自分もゴールに向かって頑張るぞ!とまた新しい一週間に気合を入れているところです。…
「ブローニュの森の美女」さん、どうも有難う御座いました。
( なお、写真の著作権は彼女に帰属しますので、無断転載はお断りします。)

京都・仁和寺では「御室桜」が今、満開です。

皆様ご存知の京洛先生です。いつもお世話になります。
今日は天気予報では、関東は気温が20度という事ですが、大気が不安定で、午後から寒冷前線が進み、冷えこむようですね。
風邪にご用心、ご自愛ください。
 恐らく、そちら帝都でも、満開の桜も散っているでしょうが、先月上旬まで、上野の東京国立博物館で開催され、貴人もご覧になってきた「仁和寺展」の、京都・仁和寺では「御室桜」が今、満開です。
 昨日、ぶらっと様子を見に写真を撮ってきました。
 「御室桜」は、2、3メートルの低木の遅咲きの桜です。仁和寺の境内でしか見られません。樹高が低いのは、同寺の土が粘土層で養分が少なく、根が広く張れないのが理由、原因だという事です。
 気温の関係で、桜の満開が全国的に早まっていますが、「御室桜」も、いつもは、4月15日前後が満開時季ですが、今年は既に、お寺の御門には「満開」の看板表示が立っていました。
 平日に関わらず、やはり、境内は、外国人を中心に観光客が大勢来ていました。拝観料500円を払って、本堂に向かう、中門の左手に「桜苑」がありますが、ここには、200本以上の「御室桜」が咲いています。
「桜苑」のトンネルをくぐって歩くのは気持ちの良いものですが、昨日は、桜苑に入るのに長蛇の列、100メートルくらい並ぶので驚きました。
それとともに、この時季、やはり、「中門」傍に、紫色の「ミツバツツジ」が咲きます。
迂生は、「御室桜」より、色鮮やかなミツバツツジにいつも目が行きます。
綺麗でしょう。
 また、此処から、右手(東側)に高さ約30メートルの五重塔が見えます。
  江戸・寛永年間に建てられましたが、この五重塔を背景に、「御室桜」を写すのが、カメラアングルとして最適のようです。
如何でしょうか?
Toutes phtotos Copyright par Kyoraque-Sensei

夜桜で有名な「平野神社」の昼間の屋台・茶店の光景と岡崎の平安神宮傍の疎水の桜、白川沿いの桜

おはようございます。京洛先生です。
本日も京都便りをお伝えします。
  その前に、金正恩さんが、大中国から無事帰国の途につかれたように、渓流斎さんも、無事、恙無く、中部地方から帰宅されたようですね。バスツアーは、安く手軽に行けますが、それだけに参加メンバーの顔ぶれなどで、当たり外れが大きいと思います。「人生は『宝くじ』だ」と思うしかありませんよ。
まあ、転落事故に遭わなかっただけで良かった、と感謝することです。好きなように、勝手気儘な旅行をするには、それなりの「おあし(御足)」が必要です。
 スーツも、注文誂えの仕立て、オーダーから、イージーオーダー、吊るしの既製服、それに生地の種類までいろいろあります。それと同じです。
 まあ、安い、バスツアーは、貴人もご承知のように、「北野天神市」で、1000円で買った古着のジャケットに、「生地が悪い!」「匂いがついている」と文句を言うのと同じです(笑)。
 文句を言うのは野暮です。世の中、どの分野も、階層社会です。最近、世の中がシビアになり、それが浮き彫りになっているだけの話です。
 帝都の桜は今は満開、花見は文字通り、大盛況だと思います。しかし、これも、桜の見方、花見の見方に、階層差、階層があると思いますね。
 豪華な仕出しの弁当を食べる人、コンビニの握り飯で桜を見る人…様々です。
 写真は夜桜で有名な「平野神社」の昼間の屋台、茶店の光景と、岡崎の平安神宮傍の疎水の桜、白川沿いの枝振りの良い桜です。
 以上 Copyright par Kyoraque-sensei

団体「城巡り」ツアー奮闘記

名古屋城🏯

2日間で、静岡、愛知、岐阜三県の中部東海地方の名城7カ所を駆け巡る弾丸ツアー。これは、とても2日間で一人じゃ廻りきれません。

ということで、今回のツアーの余話として、良かった点と悪かった点を述べておきます。

まず、利点は、費用対効果でしょうか(笑)。往復新幹線と貸切バス、高速道路代、ケーブルカー、城公園もしくは天守入場料、温泉浴場付ホテル、夜は、名古屋の「福づち」で、ひつまぶしの夕食が一回。翌朝の朝食は、ホテル内のバイキングとして付きました。

これで3万59000円はリーズナブルかと思います。一人参加でも追加料金なしが有難い。自分で予約したり、移動したりしてたら、もっと精神的にも疲れていたことでしょう。

おまけに、桜の開花シーズンに合わせた企画でしたので、日ごろ心がけが良いせいで(笑)快晴の好天に恵まれて、いい旅ができました。(城巡りツアーは、今度は秋の紅葉シーズンにあるようです)

名古屋城大広間

しかし、利点ばかりじゃありません。

団体ツアーですから、運不運がつきものです。残念ながら、今回は不運に見舞われました。熱心な城郭ファンだけが集まるかと思ったら、そうでもなさそうな人が来てしまったのです。

新種ではなく、古の昔から現存するオバアタリアンです。どうして、女性はお歳をめすと厚顔無恥になって、傍若無人に振る舞うんでしょうかね?移動中のバスという密室の中で、1分1秒たりとも休むことなく機関銃のようにおしゃべりをしまくり、止まらない、休まらないのです。

こっちは朝早かったので、移動中は転寝したかったのに、うるさくて眠れやしません。オーノー。

その唯我独尊は二組あったので、4人。ちょうど真後ろにこの二組が座って、しゃべりまくっておりましたから、右と左からのステレオ状態です。

聞きたくもないし、興味もないのに、自分たちの息子のこと、嫁と気が合わないこと、歳が73歳で、あらお若いこと、全然見えませんね、色んなアルバイトをしていて、未だに現役で、試験の面接係りをやってることなど丸聞こえでした。

わー、やめてけれえ~。

年配男性は静かにしており、騒いでいるのは年配女性だけです。恐らく、女性は脳の構造が違っていて、老いも若きも、しゃべり出すと、オキシトシンとドーパミンとアドレナリンとセロトニンが間断なく発散されて、締りがなくなり、「ダダ漏れ」状態になってしまうんでしょうね。

オバアタリアンは、罪を犯しているわけではないので、こちらから注意することさえできません。降参しました。

もし仮に次回も団体ツアーに参加するなら、「耳栓」は必需品だと悟りました。

犬山城近くの稲荷神社

旅行代理店のツアーに申し込むと、必ずと言っていいくらい、買いたくもないお土産屋さんに連れて行かれます。まあ、それが「ビジネスモデル」なんでしょう。

しかし、今回の団体ツアーには土産物店の強制はありませんでした。しかし、ご安心ください。違った角度で、ビジネスを展開していたのです。まずは、保険。「入りなさい」「入りなさい」とご丁寧にメールで何度も何度も、脅かし、すかしながら勧誘してくるのでした。

もう一つは、「弁当ビジネス」でした。昼時などにランチを取る時間が十分に取れないとか、道路渋滞で、お弁当を買う暇がなくなりますよ、ということで、事前に代理店が提携していると思われ、その中でマージンを取ると思われる提携しているお弁当屋さんのお弁当を買わされるのです。

冷えてて、からくて不味かったなあ(苦笑)。

結果的には、最終駅で、何とか、自分の好きなお弁当を買う時間的余裕があったので、申し込んだのは間違ってました。でも、注文したお弁当の殻だけは、食べ終わったら、片付けてくれるサービス付きでした。

名古屋城

団体はバス1台に46人も参加し、2号車までありましたから、100人近く参加したことになります。今、お城はブームなんでしょうか?

男性だけでなく、女性の城郭ファンも増えているらしく、行きの新幹線で隣り合った女性は、全国の主な城郭を「天空の城」まで殆どカバーしているらしく、「やはり、今まで行ったお城の中では、熊本城と姫路城がよかった」と言ってました。

2日目にバスで隣だった筋骨隆々の75歳ぐらいの男性は、「日本の100名山」を全て制覇したので、目下、「日本の100名城」に挑戦中だと言ってました。御朱印張のような「スタンプラリー帳」があって、全100城制覇すると、主催する財団法人日本城郭協会から「認定状」がもらえるというので、子どものような笑みを浮かべて話していました。宇和島城が一番、雰囲気があって印象に残っているそうです。

この方、流石に城にも詳しく、関東は、幕府が江戸城以外は立派な城は作らせなかったので、見所のある城が少ない。その中で、中世の埼玉県嵐山町にある杉山城址は必見だとか。 通でしたね。

2006年に「100名城」を制定したのは、この協会ですが、商魂もたくましく、改めて「続 100名城」もつくったそうです。

一期一会なので、団体ツアーで一緒になった皆さんのお名前も聞きませんでしたが、大変お世話になりました。皮肉も込めて(笑)。

【後記】

・「国宝5城」とは、現存する12天守のうち2015年に追加(再)指定された松江城を加えた5城。つまり、松本城、犬山城、彦根城、姫路城、松江城のこと。

・「重要文化財7城」とは、弘前城/青森県弘前市(築城者:津軽為信、津軽信枚)、丸岡城/福井県坂井市(柴田勝豊)、備中松山城/岡山県高梁市(秋葉重信)、丸亀城/香川県丸亀市(生駒親正)、松山城/愛媛県松山市(秋葉重信)、宇和島城/愛媛県宇和島市(橘遠保=藤堂高虎が改修)、高知城/高知県高知市(山内一豊)のことです。

あれっ?熊本城が出てこない!

中部東海お城巡りツアーを大決行=駿府城〜浜松城〜名古屋城編

名古屋城

ムフフフ…私は今、名古屋におります。

独り、栄(名古屋一の繁華街)で、追河君と同じような貴族の夜を存分に味わっております(笑)。

訳がありまして、「徳川家康を訪ねて三千里」。急に、家康馴染みのお城巡りを思い立って、一人で新聞広告に出ていたツアーに申し込んで、参加したのでした。

駿府城

かつて一度訪ねたことがあるお城もこのツアーの中に入ってましたが、訪ねたのがもう半世紀以上前の大昔だったり、自分では行った気ながら、初めてのお城だったりしたのもありました。

今朝は、朝5時に目覚まし時計をかけていたつもりでしたが、目覚ましが「オン」になっておらず、もう少しのところで遅刻するところでした(笑)。

団体ツアーですから、遅刻していたら、アウト!このように皆様に御報告することは、不可能でした。

今の日本の縮図を反映して、見事に老男女46人もの人が参加しました。せめて30人くらいかと思っていたのに、バスはギュウギュウ詰めです。特に、後期高齢者が大きな声を出して一番元気でした。

ホモ・サピエンスですから、雌種の皆様は、バスの中で、1秒も休まずお喋りに費やして周囲に騒音を撒き散らし、朝早くて眠い小生なんかは、非常に不快でした。

駿府城

最初に訪れたのが、静岡市の駿府城。大河ドラマ「直虎」で何度も出てきたので、とても近しく感じていたのですが、これほど広大で立派な城だとは思いませんでした。

もともとは、室町時代の守護職今川氏の城でした。今川と言えば、一番有名なのが、今川義元です。

家康は、この義元によって、人質となり、幼年時代から少年時代をこの駿府城で過ごします。

そして、今川義元が桶狭間の戦いで、織田信長軍によって敗れると、家康は、今度は城主としてこの駿府城を拠点とします。

なおも、関ヶ原の戦いを経て全国統一して江戸幕府を開いてから、家督を二代家忠に譲ってから、家康は、またまた、「隠居」と称しながら、「院政」を敷いて、駿府城を拠点にします。だから、駿府城はこれが三度目です。

家康は、余程、駿府城が好きだったんでしょうね。

現在、天守(閣)を発掘、復元中で、完成すれば、また、素晴らしい観光資源となることでしょう。

浜松城

次に、バスで向かったのが浜松城です。

普通なら、駿府城から浜松城までバスで1時間もあれば楽勝ですが、今日は、桜が満開の日曜日と重なって、駐車場を求めて、道路が大渋滞で、2時間半はかかってしまいました。

浜松城は、家康が29歳から45歳までの元気な青年、中年期を過ごした城で、ここで、武田信玄との三方原の戦いで惨敗したりしますが、一番脂の乗り切った時代でした。後に「出世城」とも言われ、江戸中期、老中にまで出世した唐津城主水野忠邦らは、志願して国替えで浜松城主になったりしました。

個人的ながら、浜松城は、昨年訪れたばかりなので、飛び抜けて感動できませんでしたが、意外に敷地が広く、城下町もかなり工夫して築き上げていたことが分かりました。

名古屋城

この後、名古屋城に行きました。

名古屋といえば、以前、仕事と遊びで何十回も行っているのに、名古屋城を訪れるのは生まれて初めてだったということが、今日分かりました。当時、名古屋球場での中日戦のナイターの取材が終わると、栄で飲み明かしていたので、二日酔いの頭で行った記憶もないのです。

「尾張名古屋は城でもつ」と昔から言われていたのに、何で、これまで行かなかったのか?若い頃は、さほど城に興味がなかったのか、お城はあまりにも当たり前過ぎて、近くにあって、いつでも行けると思っていたのか、どちらかなんでしょうけど、いやあ、今日は感動しましたねえ。

名古屋城は、大阪城、熊本城と並ぶ三大名城なんですってね。(ちなみに、全国には、城跡まで含めると、3万ぐらいの城(跡)があり、今のコンビニより多かったとか)

名古屋城は、築城名人の加藤清正が関わったから、三大名城に選ばれたらしいですが、本当に感銘しました。駿府城も凄かったし、昨年行った小田原城も素晴らしいと思いましたが、この名古屋城と比べると、美空ひばりと坂本冬美ほどの違いがあります。京洛先生の真似ですが(笑)。

それほど、名古屋城は桁違いに素晴らしかったです。

本当です。

「尾張名古屋は城でもつ」の格言は嘘ではありませんでした。

この名古屋城。400年前にできた国宝の本物は、アメリカ軍が昭和20年に焼夷弾を落として焼却したことを今の日本人は殆ど知りません。(今の名古屋城は、昭和34年に復元。しかし、今年のゴールデンウィーク明けから、再び天守は、耐震工事などが行われ、非公開になるそうです。見るなら、今でしょう)

日本は、アメリカから、バーミヤンの石仏と同じくらい貴重な歴史的文化遺産の建造物を破壊する蛮行をされながら、そして、今のトランプ政権からは、鉄鋼とアルミニウムの関税を、ヨーロッパやカナダや同じアジアの韓国まで除外しながら、「同盟国」日本はモロに標的にされながら、多くの日本人は、いまだにアメリカを敬い、尊崇し、コカコーラやマクドナルドやケンタッキーやディズニーやプレスリーやリーバイス・ジーンズを受け入れて平伏しているという、この現状。

世界的にも特別に優秀な日本の官僚が、この真実を知らないわけがない。

右翼だの、左翼だの、政治的イデオロギーの問題じゃないのです。歴史的文化遺産の話です。

※おっと、オキシトシンかセロトニンが出過ぎたようです(笑)。明日は、岐阜城、犬山城、岡崎城などを巡ります。

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他人の不幸は蜜の味なのか?

トルファン・ベゼクリク千仏洞  Copyright par Matsouoqua-sausai

今話題の中野信子著「シャーデンフロイデ   他人を引きずり下ろす快感」(幻冬舎新書、2018年1月20日初版)を読了しました。

著者は、テレビで売り出し中の「美人脳学者」で、出版広告も彼女のアップの顔写真が掲載されて、思わず手に取ってみたくなります。

それにしても、「シャーロンフロイデ」、じゃなかった、「シャーデンフロイデ」って何ですかね?

以前、これまた「美人公認会計士」として売り出された女性が著書を山のように出版して、「セレンディピティ」なる煙に巻くような言葉を流行らせましたけんど、そんな類いの言葉なんでしょうか?(今、あのマヨラーでしたっけ?美人公認会計士さんは、最近メディアに出なくなりましたね。どうしちゃったのかしら?)

いやはや、シャーデンフロイデの話でした。何やら、ドイツ語で、直訳すると「毒の喜び」となるらしく、誰かが失敗した時に、思わず湧き起こってしまう喜びの感情なんだとか。

「他人の不幸は蜜の味」と訳せばいいのかもしれません。まあ、妬みや嫉妬などの感情から来る復讐心みたいなもんかもしれませんが、彼女は、心理学者ではなく、脳学者ですから、そんな感情が何処から来るのか冷静に脳を解剖、いや分析してます。

それは、愛情ホルモンとか、幸せホルモンなどと俗に呼ばれる「オキシトシン」という物質が、毒の喜びに関係しているというのです。

話せば長くなってしまいますので、なるべく早く簡潔に書きたいのですが、(ご興味のある方はこの本を読まれればいいと思います)オキシトシンが厄介なのは、「人のため」とか、「社会正義のため」などといった感情になって、公共交通機関の中で暴行を働いたり、ネットで匿名という安全地帯にいて罵声を発したりするという複雑なものだというのです。

二律背反、絶対的自己矛盾の西田哲学みたいです。

芸能人や政治家の不倫に関しても、社会的に抹殺しかねないほどのブーイングが巻き起こるのも、それを認めてしまえば、社会秩序や倫理や道徳が保てないという危機感から来るというのです。

本人は、正義感でやっているので、糾弾や攻撃行動は終息するまで止むことはありません。

例によって、以下に備忘録として換骨奪胎で列記します。

・心理学者バリー・シュワルツは「選択肢が多いと迷ってしまい、幸福度が下がる」と主張。人間の脳は「考えたくもないけど、間違いたくもない」と虫のいい働きをする。

→皆んながやっているから、人気があるから、多くの人が選んでいるから、有名だから、などといった理由で人は簡単に物事を決めてしまうんですね。

・本当かどうか確認しようのないことでも、占い師に言われたことをそのまま実行したり、高額セミナーにはまったりするのは、「自分が進むべき方向を自分で決めたくない」という思いが根本にある。

・「神の名のもとに」ある教義に判断を任せれば、自分は考えなくて済むし、自分の行動に責任を取らなければならないという不安や恐怖を肩代わりしてもらえる。

→ 止むことないテロも宗教の名を借りる傾向が強いのはそのせい?

・長らく米作地域だった日本は、集団を尊重する志向性の高い人々が淘汰の結果、生き残った。麦作地域のように合理的で冷たい判断は、いかにそれが正しくとも集団にとっては正しくない。火山大地のため米作に適さなかったり、米作よりも海運が盛んだった薩摩や長州が、より合理的な意思決定をして大きな節目を作ったのは示唆的。

・脳内のセロトニンは、不安を感じにくくする物資で、セロトニントランスポーターの密度が高い人は、楽観的な判断を下す傾向がある。日本人の98%は、このセロトニントランスポーターの密度が低い。つまりは、セロトニンが低く、不安を抱きやすい。これは、自然災害が多い日本という環境で、心配症の方が予防対策を講じて有利で、生き延びやすかったからではないか。

・セロトニンが多い人間は、思い切った投資をしたり、遊びにも大胆にお金を使うことができる脳を持っている。しかし、セロトニンが少ない日本人は不安を抱きやすく、老後を心配したりして、大胆にできる人が少ないと考えられる。

→ このように、脳科学的に分析してくれると、毒の喜びも、社会正義心も、そして大胆な行動が取れないのも、「なあんだ、脳がそうなっているだけで、俺のせいじゃなかったのか」と安心してしまい、思考停止になりそうですね(笑)。

しーちゃんの割烹着店でランチ、そして落合陽一さんのこと

今日のお昼は、例の東京・銀座の割烹着居酒屋のランチに行ってきました。あの「しーちゃん」のお店です。(と書いても以前の記事を読んでいない方は分からないと思いますが。。。。このブログ内で「しーちゃん」と検索すると出てきます=笑)

接遇係の女性の割烹着姿は、夜だけかと思ったら、お昼もそうだったんですね。

とっても狭いお店でした。

詰めれば12人ほどが座れるカウンターと4人掛けの椅子とテーブル1組といった感じで、接遇係の割烹着の女性が2人。それでも、「主任」さんクラスの女性は、どういうわけか本日は(も?)てんぱっていて、その緊張感がこちらにも伝わってきました。

サバ塩定食910円を注文しましたが、残念ながら、魚はそれほど新鮮という感じじゃなかったですね。

それより、目の前に張ってあった夜の居酒屋のお酒ー1合か2合か知りませんが、1200円とか、2000円とか、3000円とかあって、ちょっと驚き。私のような大貧民では夜は無理だなあということが分かりました(笑)。

で、話は変わりますが、今、若者のカリスマ的存在と言われている学者落合陽一さん。30歳という若さながら、筑波大の学長補佐を務められております。

デジタルメディアがご専門のようで、最近、陸続と本を出版され、結構、ベストセラーの上位になってます。

この方、あの国際ジャーナリストで作家で、知る人ぞ知る落合信彦さんのご子息だったんですね。これには本当に、椅子から落ちるほど魂消てしまいました。

色んな噂がある方のようで、私にとっては専門外で、それほど興味が沸かない分野なので、まだ彼の本を読もうとは思いませんが、将来の日本をたって、しょうような大物なのかもしれません。

落合信彦さんに関しても色んな毀誉褒貶がありましたから、そのご子息となると当然注目され、今はメディアで引っ張りだこです。

もし、彼の本を読んだり、彼について詳しい方がいらっしゃいましたら、コメントしていただくと嬉しいですねえ。

大阪浪華の宝、折口信夫、木津勘助

おはようございます。大阪の浪華先生です。

渓流斎さん、色々、時間をつくって、東京や小田原や埼玉周辺を探索されて居られますね。健康のためにも良いことです。

ブログでは、谷川彰英著の「埼玉 地名の由来を歩く」(ベスト新書)を読んで居られるそうで、休日は、川越まで足を運ばれた、という事ですが、色々、歴史の足跡を確認されて、教養を深められて、何よりです。


迂生は、「ウマズイめんくい村通信」の赤羽村長に対抗して、廉価で美味いものを探しに、大阪周辺を歩き回っています(笑)。
以前、「めんくい村通信」で、東京・浅草の「千葉屋」という、大学芋が美味しいとの評判記事が出ていました。
迂生も「大学芋」は大好きですが、上方には、気にいった大学芋を売っている店がほとんどありません。
もっとも、焼き芋、大学芋の店は、時代の流れで、消滅寸前です。大学芋は、デパートの総菜売り場で見かける程度ですが、小奇麗な陳列棚に並んでいる芋類はどこか気取っていていけませんね。
そんな折、京阪電車「京橋」駅の京阪百貨店の催事売り場で、美味い大学芋に出くわしました。
大阪市浪速区の「大国町(だいこくちょう)」にある、「大国屋」という大学芋の専門店で、パソコンで「大阪 大国屋」で検索するとHPが出てきます。
此処の大学芋は時間が経っても、いつまでもパリッとして、口当たりがよいことです。大体、大学芋は、時間が経つと、液状になって、飴が手にねばりついたり、ねばねばして、食べるのも面倒くさくなるものです(笑)。

そこで、暇つぶしに、地下鉄御堂筋線「大国町」駅そばの、その「大国屋」にまで行ってきました。梅田から地下鉄に乘ると「難波」から一駅先が「大国町駅」です。難波からでも、歩いて行ける便利なところでした。
そこで、ついでながら、この「大国町」周辺のぶらぶら歩きをしたところ、色々、歴史探訪になりました。


一つは、彼の有名な民俗学者で国文学者、歌人の折口信夫(釋迢空)の生誕の地を見つけたことです。
さらに、それより、はるか昔、神功皇后が、「三韓征伐」の凱旋のおりに、素戔嗚尊(スサノオノミコト)を祀ったという「敷津松之宮」(大国主神社)が大国町にありました。「古代」と「現代」が入り混じった、浪華の歴史が、あちこちに散見できることです。

”歴史の玉手箱”です。


折口信夫の生誕の地は、浪速区敷津西一丁目周辺で 今は鴎町公園の中にあり、大阪市が市制70周年を記念して記念碑を建立し、昭和58年に「十日戎」の詩の一文を刻んだ文学碑も建てられました。
記念碑には「ほい駕籠を待ちこぞり居る人なかに おのづからわれも待ちごゝろなる」と刻まれてありますが、「ほい駕籠」は、渓流斎さんお分りになりますかねえ?


東京、関東の人には、なじみのない言葉でしょう。「ほい駕籠」とは駕籠かきの掛け声です。
正月、同じ浪速区にある「今宮戎神社」の「十日戎」では、芸舞妓が「寶恵駕籠」に乗ったりするので、「ほえかご」とも言ったりしますが、当時の浪華の賑わいが、この歌からも伝わってきます。


また、「敷津松之神宮」の境内にも、折口信夫の記念碑が建っています。こちらは昭和53年11月に、折口の母校である「府立天王寺高等学校同窓会(旧制府立五中)」や「近畿迢空会」、「国学院大学院友会大阪支部」、折口が一時期、教員をしていた「大阪府立今宮高校自彊会」が協賛で記念碑を建てたものです。


「敷津松之神宮」の由緒は、神功皇后の時代に遡りますが、その後、江戸時代の延享元年(1744年)になって、神託を受けて、出雲大社の摂社として「大国主神社」になったため、鳥居と神殿が二カ所あります。「大国主神社」は、今宮戎神社と並んで、大阪商人の守り神とされています。「大国主神がお父さん」、「事代主神が子供」で、両方お詣りしなければ「片詣り」とも言われるそうです。初詣や、十日戎の時は、両方に参拝するする習わしになっている、という事です。


境内には「木津勘助」の大きな銅像もあります。
またまた、渓流齋さんは「木津勘助て、一体、何者ですか?」となるでしょうね(笑)。
木津勘助は、伝説的英雄で実像は不明のようです。


通説では、本名は中村勘助。天正14年(1586年)に関東の足柄山に生まれた、と言われています。その後、大坂は木津村に住み、豊臣秀吉の配下になり、豊臣家滅亡後は、木津川の治水・堤防作りや新田開発事業に取り組んだ、と伝わっています。とくに、寛永16年(1639年)の大飢饉では、「お蔵破り」を決行して捕まり、葦島(現在の大正区三軒家付近)に流されました。その後、また、新田開発に関わり、万治3年(1660年)、75歳で亡くなったと言われています。

“大阪浪華の宝、折口信夫、木津勘助” の続きを読む

「埼玉」の由来は「人を幸せにする心」、古代は東日本の中心地だった!

川越市

谷川彰英著「埼玉 地名の由来を歩く」(ベスト新書、2017年9月15日初版第2刷)を読んでます。

凄く楽しみにして読み始めたので、大変残念でした。誤植が多いのです。

前半に、「言明天皇」が出てきますが、明らかに「元明天皇」の間違い。1回や2回の間違いならよくあることですが、これが、4回も5回も続いて「言明天皇」とあると、確信的です。「えっ?最近の歴史教科書では名前が変わったの?」と、こちらで何度も辞典や事典で調べ直したほどです。

元明天皇は、平城京に遷都し、「古事記」「風土記」を編纂した女帝として有名です。

もっと酷いのは、79ページの地図です。新座市、和光市、志木市など埼玉県南部と練馬区など東京都北部の地図なのですが、清瀬市の隣が、何と「東村山市」と明記されているのです。「東久留米市でしょ!!!」と大声で叫びたくなりました。

東久留米市は、あの渓流斎先生がご幼少の砌、野山を駆けずり回った由緒ある土地柄です。ありえなーい。

著者は、信州松本の御出身で、筑波大学教授などを歴任された学者です。この辺りの土地勘はないでしょうが、あまりにもおそ松君です。それ以上に、出版社(KKベストセラーズ)の編集者・校正者も見抜けないんでしょうかねえ?劣化を感じます。

と、最初からかなり貶してしまいましたが、この本から教えられること多とします。著者は「地名の由来を歩く」シリーズを既に、京都、奈良など5冊も刊行されており、地名の歴史の専門家でしょう。手馴れています。新聞記者のように自分の足で歩いて取材している辺りは、感心します。

誤記以外は素晴らしい労作です。以下、いつものように換骨奪胎で。

・さいたま市大宮区に鎮座する氷川神社は、武蔵国の「一宮(いちのみや)」とされている。古代の武蔵国の国府が置かれたのは、今の東京都府中市。ここにある大国魂(おおくにたま)神社は、武蔵国の「総社」なので、一宮の氷川神社の方が格上である。(「総社」とは、当該国の格式が高い神社(多くは6社)をまとめて勧請して祀った神社のこと。)

・ということで、古代、武蔵国の中心は、府中ではなく、埼玉だったのではないか。

神の御魂(みたま)には大きく「荒(あら)御魂」と「和(にぎ)御霊」の二つに分かれる。荒御魂とは、「荒く猛き神霊」、和御魂とは「柔和・情熱などの徳を備えた神霊または霊魂」のこと。この和御魂には、さらに二つの神霊があり、一つは「幸(さき)御魂」で「人に幸福を与える神の霊魂」。もう一つは「奇(くし)御魂」で、「不思議な力を持つ神霊」のこと。

埼玉は、前玉(さきたま)から転じたもので、この前玉は、幸御魂(さきみたま=人に幸福を与える)から来たものだった。

・「続日本紀」によると、元正天皇の霊亀2年(716年)、「駿河、甲斐、相模、上総、下総、常陸、下野の7カ国にいる高麗(こま)人(=高句麗からの渡来人)1799人を武蔵国に移住させ、初めて高麗郡(こまのこおり)を置いた」とある。高麗郡は、今の日高市から飯能市にかけての丘陵地。恐らく、高句麗から亡命した若光王が朝廷に願い出て許されたからではないか。

・一方、新羅からの渡来人を移住させた地域に「新羅郡(しらぎのこおり)」を置く。今の志木市、和光市、新座市辺り。志木は、新羅から転訛されたものと言われ、新座は、新羅郡から新座(にいくら=新倉とも)郡になったことから由来すると言われる。

(上田正昭著「帰化人」によると、百済系の漢氏=あやのうじ=は、軍事=鉄器や馬なども=、土木、外交などに強く、蘇我氏と結びつき朝廷内で台頭します。法隆寺「釈迦三尊像」をつくった止利仏師や蝦夷を征伐したとして知られる坂上田村麻呂らも漢氏の子孫です。

新羅系の秦氏=はたのうじ=は、大蔵官僚となり大和朝廷の財務を司ります。聖徳太子や藤原氏との結びつきが強く、国宝第1号に指定された弥勒菩薩像で有名な広隆寺は秦河勝=はたのかわかつ=が創建したもので、御本尊様は、聖徳太子から賜っています。神奈川県秦野市も、秦氏が移住した土地です。)

・和光市は、江戸時代は、「上新倉村」「下新倉村」「白子村」と言われ、白子宿は繁栄していた。新羅はかつて、志楽木(しらぎ)と書かれ、それが転じて白木となった説がある。白子も語感的に新羅をイメージさせる。恐らく、今の和光市が、古代新羅人の移住先の中心地ではなかったか。

・朝霞市は、近世以降、膝折村と言われていた。これは、応永30年(1423年)、常陸国の小栗城を攻め落とされた城主の子息小栗助重が逃げ延びて、この地に来たとき、馬が勢い余って、膝を折って死んでしまったという伝説から付けられたという。膝折村から朝霞町になったのは昭和7年のこと。東京・駒沢にあった東京ゴルフ倶楽部をこの地に移転させ。開場日に朝香宮殿下の御臨席を賜り始球式が行われた。この朝香宮の名前を頂くことにしたが、そのままでは畏れ多いので、この地に発生する朝霞(あさぎり)にちなんで朝霞町にしたというもの。

・昭和天皇の弟宮秩父宮は、従来なら「三笠宮」など畿内の山の名から命名されていたのを、あえて、武蔵国の名山である秩父から命名された。秩父の歴史に深い理解があったものとみられる。地元民は大いに喜び、秩父宮は今では秩父神社の御祭神として祀られている。

・川越は、平安末期、桓武平氏の流れを汲む秩父氏がここに進出して荘園を開き、秩父重綱の子重隆以降は河越氏と名乗る。この重隆の孫重頼の娘「郷御前(さとごぜん)」は、源義経の正室。この史実は意外と知られていない。

梅は咲ひたか、桜はまだかひなあ〜

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京洛先生@京都です。

渓流齋さん、過日「五大力さん」の写真をまだ使ってくださるのは有難いのですが、そんな古い過去の写真を使っちゃあ、権威ある《渓流斎日乗》ブログの値打ちが落ちますよ(笑)。
新聞記事と同じで、毎日、朝晩、紙面を新しく、新鮮な記事、写真を載せないと読者が逃げます。

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売れ残りの「しめ鯖」を、翌日、適当に水をかけて、一見、新鮮で作りたてのようにする偽装、改竄工作は、財務省や安倍政権に任せればよいのです。そういうのは”インチキ・利権製造政権”が、やる手口です。”スシロー”なんていう、白髪頭の政治評論家は、その露払いです。にぎり寿司を食わして、助成金という名の多少のチップを握らせば、テレビ=「電波紙芝居」で大きく持ち上げますからね(笑)。

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舞台裏を、何も知らないテレビの視聴者・大衆は「そんなものか」と、目くらましに遭うだけです。それがまた「世論調査」に影響するのですから、恐ろしい世論誘導で、「政治評論家」と言うより正確には安倍政権の宣撫工作員です。

最近は、スシロー以外にこの手の「専門家」「評論家」「ジャーナリスト」が多すぎますね。今は「スパイ」の顔を見たければ、テレビのコメンテーターを見ればよいのです(大笑)。

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まあ、それは閑話休題。今、「北野天満宮」では梅が満開です。
無実の罪で、大宰府に左遷された菅原道真公に因んだ「飛梅」は九州まで飛んで行ったという事ですが、全国の約1万2千社ある天満宮の総本社である「北野天満宮」の本殿(国宝)の前にも「紅和魂梅(べにわこんばい)」というご神木の「飛梅」が植えてあります。
伝説の飛梅と、同じ品種です。樹齢およそ300年だそうです。この紅梅は薄紅色です。

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渓流斎さんもお見えになったことのある境内の「梅苑」の梅も満開です。

今日(12日)は平日でしたが天気も良く、梅を見る人出も多く、入園料700円(茶菓代込み)の梅苑内の茶店の腰掛も満員御礼で、座る席が無いので、まごまごするお年寄りや外国人観光客の接遇に茶店のアルバイトさんも大わらわでした。

梅見物も今月末まででしょうね。
もうすぐ、洛中も桜の季節にかわります。

是非また、京の都に足をお運びください。