行動遺伝学とは何か?=橘玲、安藤寿康著「運は遺伝する」は読み応えあり 

 数日前から少しずつ橘玲、安藤寿康著「運は遺伝する 行動遺伝学が教える『成功法則』」(NHK出版新書、2023年11月10日初版)なる本を読んでいます。有楽町の三省堂書店にNHKラジオのフランス語のテキストを買いに行って、ついでに書棚を覗いていたら、偶然この本が見つかったのです。まさに、セレンディピティ(思い掛けぬ幸運)かもしれません。

 この本は、三省堂有楽町店の新書部門で第1位を獲得していたので目立つ所にありました。中をパラパラめくっていたら、こんな文章に巡り合いました。(ちなみに、この本は、「言ってはいけない」などで知られるベストセラー作家の橘氏と、「能力はどのように遺伝するのか」を今年出版した行動遺伝学者の安藤慶大名誉教授との対談で構成されています。)

 病気になったり、近しい人が亡くなったり、強盗に遭うなど、一般的に運が悪かったとされる偶然の出来事と、離婚や解雇、お金の問題など、本人にも責任があると見なされる出来事を比較したところ、偶然の出来事の26%が遺伝で説明でき、本人に依存する出来事の遺伝率30%と統計的に有意な差はなかった。(14ページ)

 えっ?どういうこと???  次にこんなことが書かれています。

 よく考えてみると、病気には遺伝が関わっているし、…強盗に遭うのは確かに運が悪かったのでしょうが、危険な場所にいたり、目立つ行動をとったりしたのが原因だとすれば、そこにも遺伝の要素がある。知人が交通事故に遭ったら、「運が悪かったね」と同情するでしょう。でもそれが信号を無視して横断歩道を渡ろうとしたり、無理な追い越しをしようとして起きたら単なる偶然とは言えない。そう考えれば、私たちの人生の全てを遺伝の長い影が覆っていて、そこから逃れることができないのではないでしょうか。(15ページ)

 この渓流斎ブログを長年お読み頂いている皆様はご承知かと存じますが、私は色んなことに好奇心を働かせております。そのうちの一つが、「人間は、遺伝で決まるのか、育った環境によって決まるのか」といった難題です。俗に言う「氏(うじ)か、育ちか」、「生まれつきか努力か」、Nature or Nurture? です。だから、これまで苦労して人類学や進化論に関する書籍を読んできたのです(苦笑)。

 でも、我思うに、もしこれが、AかBかの二者択一問題だとしたら、日本人は圧倒的に「氏」を尊重してきた民族だと言っても良いのではないでしょうか。天皇制にしろ、武家社会にしろ、現代政界にせよ、芸能の歌舞伎の世界にせよ、「世襲」を重んじてきたからです。

大興善寺(佐賀県)

 この本では、作家の橘氏が、行動遺伝学者である専門家の安藤氏に質問を投げかける形で対談が進んでおりますが、博覧強記のお二人ですから、私なんか全く知らなかった多くの文献を引用されています。例えば、行動遺伝学の大御所ロバート・プロミンは、著書「ブループリントーDNAはどのようにして、私たちが何者であるかをつくりあげるのか」を出版し、遺伝子レベルで行動遺伝学の知見が証明されたと「勝利宣言」したといいます。 

 また、行動遺伝学の大立者エリック・タークハイマーは「行動遺伝学の3原則」(原則1:人間の行動形質は全て遺伝の影響を受ける。 原則2:同じ家庭で育ったことの影響は、遺伝の影響よりも小さい。 原則3:人間の複雑な行動形質に見られる分散のうち、相当な部分が、遺伝でも家族環境でも説 明できない。)を提唱し、この3原則が今や、行動遺伝学の基本中の基本になっているようです。

 そんなことを急に言われても、何のことを言っているのか分からないと思いますので、そもそも行動遺伝学とは何かと言いますと、知能や性格を含めて、あらゆる行動や心の働きが遺伝の影響を受けるというのが原則だという学問です。おおよそですが、知能は60%ぐらい遺伝子の影響を受け、「協調性」や「外向性」や神経質」などの性格は、30~40%遺伝によるというものです。行動遺伝学は、主に、双生児(一卵性、二卵性)の方々を長年追跡して科学的知見を追究していきます。

 そこで、この本は、まさに「遺伝か環境か、どちらなのか」の議論が展開されています。1冊の本になるぐらいですから、色んな所見が出てきて面白い読み物になっていますが、なかなか結論は出てきません。色んな要素が複雑に絡み合っているからだというのです。結局、ヒトは、遺伝と環境の要素を50%ずつ受けているのが正解なのでしょうが、「30%の遺伝でも多いと言えばかなり多い」「偶然であっても、遺伝的に必然だったかもしれない」などと言われると、こちらも思わず頷いてしまいます(笑)。

大興善寺(佐賀県)

 さらに言えば、例えば、私は、電車やバスや職場などで嫌~な奴に遭遇することがあるのですが、彼ら本人だけが悪いのではなく、生まれつきの遺伝の産物なんだと思うと、あまり腹が立たなくなるんですよね(笑)。

 「病気になったのは遺伝のせい」「学力がなく、年収が低いのも全て遺伝のせい」ということにすれば、大変気が楽になりますが、この本をじっくり読めば、行動遺伝学はそこまで結論づけて断定的に言っていない、ということになっています。「じゃどっち何だ!」と思う方はこの本を読むしかないでしょう。そして、自分自身で納得する結論を引き出したらどうでしょうか。

大英帝国の最盛期を築いたヴィクトリア女王=「映像の世紀 イギリス王室の百年」

 先日放送されたNHKの「映像の世紀 バタフライエフェクト」で、「イギリス王室の百年」をやっておりました。

 120年以上昔に亡くなったヴィクトリア女王(1819~1901年)の生前の貴重な動画(フィルム)や、女王崩御後、その子孫が大英帝国やドイツ帝国などで王位を継承して、第一次世界大戦では、ヴィクトリア女王の孫たちが敵味方に分かれて「骨肉の争い」となり、第二次大戦でもまた孫と曾孫が敵味方に分かれて戦った様を「映像」で再現しておりました。そんなフィルムが残っていたとは!まさに驚くほかない番組でした。

 何で欧州諸国同士の戦争が孫や従兄弟同士の骨肉の争いになるのか? ーそれは、列強諸国同士が政略結婚で自分の王女を他国の王子に嫁がせたりしているからです。日本でも戦国時代は特に、戦略結婚が政治や外交の基本にさえなっていたと言ってもいいでしょう。美濃の斎藤道三の娘濃姫と尾張の織田信長との結婚、信長の娘五徳姫と徳川家康の嫡男信康との結婚など枚挙に暇はありません。

 第一次世界大戦とは、1914年から18年にかけて、主に同盟国(ドイツ、オーストリア、オスマン帝国など)と連合国(英、仏、露など)との間で行われた戦争でしたが、「最高指揮官」であるドイツ帝国のヴィルヘルム2世と大英帝国のジョージ5世は従兄弟で、ヴィクトリア女王の孫同士という関係でした。つまり、ヴィルヘルム2世は、ヴィクトリア女王の長女ヴィクトリアとドイツ皇帝フリードリヒ3世との間の嫡男、ジョージ5世は、ヴィクトリア女王の長男エドワード7世から継承した英国王ということになります。

  また、連合国側のロシア皇帝ニコライ二世は、ヴィクトリア女王の孫と結婚したことにより、英国王室と縁戚となります。ヴィクトリア女王の孫とは、ヴィクトリア女王の王女アリス(ヘッセン大公妃)の娘アレクサンドラです。第一次大戦の最中にロシア革命に遭遇し、ニコライ二世は英国に逃れようとしましたが、ジョージ5世から認められず、母国で家族もろとも処刑される悲劇を生みます。(ジョージ5世とニコライ2世は、風貌と体格がそっくりだったので、衣服を替えて周囲を驚かせたという逸話が残っているにも関わらず、ジョージ5世にはロシア赤軍との戦争を回避したい思惑があったようでした。)

 第一次大戦から約20年後の第二次世界大戦では、英国はジョージ5世亡き後、長男ディヴィッドが、エドワード8世として即位したものの、「シンプソン事件」でわずか325日の在位で廃位となり、弟のアルバートがジョージ6世として即位し、はとこ(また従兄弟)に当たるドイツ皇帝ヴィルヘルム2世(オランダに亡命し、客死)と対峙します。(実際は、独ヒトラーと英チャーチルとの戦いでしたが)

ジョージ6世は、映画化された「英国王のスピーチ」でも知られるように吃音を克服して、戦時中、ナチスによる空爆で損害を受けた英国民を鼓舞しました。昨年亡くなったエリザベス2世の父君に当たる人です。

エリザベス女王は、我々と同時代の人ですが、ヴィクトリア女王は歴史の教科書でしか知らない遥か大昔の人だと思っていました。でも、番組で彼女の動画を見たりすると、「つい最近の人だったのか」と思ってしまいます。不思議なものです。

クロード・ハウザー、ピエール=イヴ・ドンゼ編「駐日スイス公使が見た第二次世界大戦―カミーユ・ゴルジェの日記」を翻訳した鈴木光子氏=大学同窓会で講演

 11月19日(日)は、東京・大手町で開催された大学の同窓会「第28回サロン仏友会」にオンラインで参加しました。毎年、この時期に開催されるのは、ボージョレ・ヌーヴォーが解禁される「飲み頃」を狙ったものですが、会場参加出来なかったので、恩恵に預かれませんでした(苦笑)。

 今回のゲスト講師は、元スイス政府観光局次長で旅行作家、翻訳家の鈴木光子氏でした。御高齢ということで、彼女もオンライン参加でした。お話は、今年3月に、足かけ5年の歳月をかけて翻訳出版したクロード・ハウザー、ピエール=イヴ・ドンゼ編「駐日スイス公使が見た第二次世界大戦―カミーユ・ゴルジェの日記」(大阪大学出版会)の完訳までの苦労話が中心でした。

 日記を書いたカミーユ・ゴルジェ(1893~1978年)は、スイス・ジュラ州(フランス語圏)出身の外交官で、日本には1924年から26年にかけて、当時、国際連盟事務局次長だった新渡戸稲造の推薦を得て外務省法律顧問として初来日し、40年から45年にかけて駐日スイス公使を務めた人です(その後、ソ連やデンマークなどの公使も歴任)。最初の来日は、大正デモクラシーの自由な世界で、公使を務めた時は、軍国主義の戦時体制でしたから、あまりにもの違いに驚くことが日記に書かれています。(未読なので、そのようです)

 日記は戦後10年経って公表されましたが、今回は、スイス・フリブール大学のハウザー教授が、カミーユ・ゴルジェの子息に連絡を取って、出版の許可を得て、大阪大学のドンゼ教授と連携して編纂し、前書きと後書きを執筆したというものです。1938年生まれの鈴木光子氏は、先の大戦で空襲の体験があることから、「歴史と記憶」を大命題とし、「太平洋戦争の記憶が薄れていく現代で、何が歴史として残るかを問う著作」として綿密に翻訳作業に取り組んだといいます。

 鈴木氏によると、日記には、皇室への憧憬、大国と小国の席の序列など外交界での身分格差、戦時下の一般庶民の投げやりな日常、スイス外交団の軽井沢への疎開など、貴重な歴史的証言が描かれているといいます。邦訳は583ページにも及ぶ大作で、「持つと重さ1キロもありますが、多くの人に読んで頂きたい」と鈴木氏は話しておりました。

 ついでながら、鈴木氏はスイスの専門家なので、日本人が意外と知らない「スイス人」の著名人として、思想家のジャン・ジャック・ルソー(1712~78年、父親はジュネーブ共和国の時計職人)、建築家のル・コルビュジエ(1887~1965年、本名Charles-Édouard Jeanneret-Gris、タグ・ホイヤーなど世界的時計メーカーが本拠地を置くラショー・ド・フォン出身)、フランス6人組の一人である作曲家アルトゥール・オネゲル(1892~1955年、仏とスイスの二重国籍)らを挙げておりました。

「延安での毛沢東の日本人洗脳工作と戦後GHQの工作の関係性」=第54回諜報研究会

11月18日(土)に早大で開催された第54回諜報研究会(インテリジェンス研究所主催)に参加して来ました。共通テーマは「延安での毛沢東の日本人洗脳工作と戦後GHQの工作の関係性」でした。活発な議論が展開されて興味深い会合でした。 

 最初に登壇されたのは、インテリジェンス研究所理事長の山本武利早稲田大学・一橋大学名誉教授で演題は「捕虜洗脳には難解な本を読ませろ!」でした。先の大戦の日中戦争の最中、中国・延安で毛沢東から日本兵捕虜の洗脳を全面的に委任された野坂参三が使った教育用テキストを山本氏が古書店で「高価格で」入手し、その内容が報告されました。

 野坂参三は、毛沢東やコミンテルンなどからの支援を得て、1940年10月に延安に日本工農学校を組織し、校長に就任しました。この時、使った変名が「林哲」でした。その林校長も「時事問題」の講座を持ち、日本兵捕虜への洗脳に一翼を担ったことが分かります。

 具体的に使われたテキストとして、青年コミンテルン編「無産者政治教程ー資本主義社会の解剖」(延安日本工農学校出版部)といったオリジナルの書籍のほか、野呂栄太郎著「日本資本主義発達の歴史的諸条件」など難解な書物ばかりでした。野呂栄太郎は慶応大学の野坂参三の後輩に当たり、戦前の日本共産党の理論的支柱になった人でしたが、拷問がもとで病状が悪化し33歳の若さで亡くなっています。彼は、慶大卒業後、朝日新聞の入社試験を受けたものの、思想チェックと思われる理由で落選し、合格したのは後にゾルゲ事件で処刑された尾崎秀実でした。(もう一人受験して不合格になった人が、尾崎秀実と東大大学院同期生の松岡二十世の可能性が高いことを、松岡将氏が「松岡二十世とその時代」に書いております。)

 話が少し逸れましたが、延安で使われたテキストが難解だったという話でした。報告者の山本氏は「日本兵捕虜たちの多くは小学校卒業程度の教育レベルだったにも関わらず、難解なテキストを使ったのは、『帝国主義』とか「労働搾取』とか、ちょっとかじっただけで、自分も革命の一翼を担えると洗脳する目的があったのではないか」と分析し、「また、集団の中で各自に自己批判をさせたのは、カルト宗教がやってきた手法と同じです。毛沢東率いる共産党のやり方は非常にシステマティックで凄いという言うほかない。その点、蒋介石率いる国民党は甘かった」とまで力説していました。

 次に登壇されたのは、山下英次大阪市立大学名誉教授で、演題は「日本列島全体を『洗脳の檻』と化した GHQ:また、米軍延安ミッションは何をもたらしたか?」でした。

 山下氏が展開する持論は、日本は戦後78年間、「非独立国」であり、GHQが仕掛けた「洗脳の檻」から抜け出していない、というものでした。その証拠に、独立国の三種の神器である①自前の憲法、②国防軍、③スパイ防止法に裏付けされた統合された国家情報機関がないからだといいます。

 1944年11月、米国は中国共産党の本拠地・延安に軍事顧問団を派遣し、その場で、野坂参三による日本兵の洗脳が大きな成果を収めていることに着目し、戦後、GHQによる日本人洗脳計画の手本として利用したといいます。

 山下氏は、GHQ洗脳作戦として、①押し付けた現行憲法、②約21万人の公職追放、③7000冊以上の禁書指定、④日本の伝統的な歴史・道徳教育の全面的禁止と偏向教育、⑤徹底した検閲を伴った言論統制ーなど七つの柱を提唱して列挙しておられました。

 確かにその通り、一々、ご尤もと頷いていたのですが、「教育勅語を見直して、修身の教育を復活させた方が良い」「GHQの検閲は、戦前の日本より酷かった」といった趣旨の話になったときに、段々、違和感を覚えてしまいました。

 ただ、その場では考えがまとまらず、会場で質問さえしなかったので、これは後出しジャンケンのようになってしまいますが、確かにGHQの検閲は、問題にならないくらい極悪非道の検閲ではありましたが、日本の方がましだった、というのは違うんじゃないかな、と帰りの電車の中で考えた次第です。作家小林多喜二の拷問惨殺事件でも分かるように、特高による治安維持を盾にした言論弾圧は身の毛もよだつほどでした。戦時中は、永井荷風も谷崎潤一郎も、そして江戸川乱歩でさえも発禁処分を喰らって、断筆を強いられました。

 それに、日本は、敵国の事情を知らなければならないはずなのに「敵性語」の使用を禁止し、野球のセーフやアウトを「良し」「駄目」とか言い換えたりして噴飯物です。精神論ばかり強調し、上層部は、元寇のように神風が吹くと思っていました。「軍人勅諭」なんか、「捕虜にならず、自殺しろ」と言っているようなもので、米軍とは正反対です。米軍は兵士に対して十分な食糧とデザートまで用意して兵站の観念がしっかりしていたのに、日本軍は非常に無責任で、食糧は現地調達で片道切符しか兵士に与えず、戦死者のほとんどが餓死者だったということで米軍とは対象的です。それでいて、インパール作戦の司令官だった牟田口廉也将軍のように、エリート軍事官僚は、兵士を虫けら扱いにして遺棄して、一人白骨街道の上空を悠々と飛行機で逃げ帰った史実もあります。

 確かに、戦後GHQの洗脳作戦が酷かったとはいえ、戦前の軍国主義の方がましだったとは言えません。

 GHQがやったことは全て悪かった、と全面否定することは簡単ですが、少しはましなこともやっています。例えば、「農地改革」により小作人たちは奴隷状態から抜け出すことができたし、「華族制度」廃止により、明治新政府という名の薩長軍事クーデター政権がつくった身分制度が廃止され、多額納税者である貴族議員という特権階級の廃止と「婦人参政権」により、表向きには民主主義が成立しました。いずれも、戦前の日本の軍事政権では出来ず、外圧によってしか成し得なかったことでした。

 結局、日本は「永久敗戦国」として、「思いやり予算」で米軍と基地を受け入れ、「核の傘」の中で戦後の高度経済成長を成し遂げました。今も占領が続いているのは確かで、米国の51番目の州みたいなものだということは多くの国民が自覚しているところです。それより、ソ連のロシアに征服されるよりマシだったかもしれないし、北朝鮮のような全体主義的軍事政権がそのまま続いていたよりマシだったかもしれません。

 そんなことを考えながら夜道を帰りました。

 

フランス語は18世紀でも人口の20%しか話されていなかった!

 いい年こいて、いまだに身に付かないフランス語を勉強しています。専らNHKのラジオ講座「まいにちフランス語」ですが。

 今放送されている応用編「フランコフォニーとは何か」(講師は西山教行、ジャンフランソワ・グラヅィアニ両氏)は、知らなかったことばかりで大変勉強になります。

 フランス語を勉強した人なら誰でも知っている格言があります。

 Ce qui n’est pas clair n’est pas francais.(明晰ではないものはフランス語ではない。)

 18世紀のフランスの啓蒙主義作家アントワーヌ・ドゥ・リヴァロールの言葉ですが、確かにフランス語は文法がしっかりしていて、英語のような、どっちにでも意味が取れそうな曖昧さは微塵もありません。大袈裟な!

 そのせいか、フランス語は今より遙かに国際語として通用していました。フランス語を日常的に使っていた有名な外国人は、プロイセン(ドイツ)のフリードリッヒ2世、ロシアのエカテリーナ二世女王、米国の政治家・外交官ベンジャミン・フランクリン(仏語ではバンジャマン・フランクランと読みます)、女性遍歴で有名なイタリア・ベネツィアの作家カサノヴァらです。欧州全体でフランス語が使われていたのです。

 いや、これはさほど驚くべきことではありません。私が何よりも驚いたのは、18世紀のフランス本土で日常的にフランス語を使っていたのは、全人口のわずか20%しかいなかったという史実です。フランス語を使用していたのは、フランス王権のあるパリ近辺のイル・ド・フランス地方や北部のピカルディ地方などです。当時、83県のうち、15県しかなかったといいます。残りの80%はそれぞれの地域の言語ー例えば、バスク語やブルトン語やコルシカ語などを使っていたのです。

 そう言えば、日本だって、19世紀の江戸時代までは地域語が日常語であり、恐らく津軽藩と薩摩藩との間では言葉が通じなかったと思われます(笑)。

タコス・パーティー

 フランスではフランソワ1世(1494~1547年)が1539年、ヴィレル・コトレの勅令を発布し、行政、司法、教会等の文書をこれまでのラテン語からフランス語にするよう取り決めました。この勅令は、現代フランスでも有効といわれる最古の法とも言われますが、実質的な効力ではなく、象徴的な面が強いといいます。実際、2014年、当時のエロー首相は、閣僚が英語を多用しないようにこの勅令を参照したそうです。

 このように、16世紀にフランス語は公用語になったとはいえ、18世紀末になってもフランス語を話せるのは国民のわずか20%しかいなかったというのは、驚くほかありません。「まいにちフランス語」講師のグラヅィアニ講師によると、フランス語が仏全土に行き届くのは、19世紀の第三共和政(1875~1940年)になってからで、初等教育が義務化され、農村人口が都市に流れ込み、ラジオやテレビが普及してからだそうです。ただし、フランスとスペインに居住するバスク人の間でバスク語を使う人は300万人おり、フランスでバスク語しか出来ない人は現在でも2万人いるそうです。

 私はバスク人には大変興味があります。日本人なら誰でも知っている日本にキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエルはバスク人ですし、仏作曲家のモーリス・ラヴェルも、キューバ革命のチェ・ゲバラ(アルゼンチン人)もバスク人だと言われています。

 何と言っても、スペインのバスク地方の街サン・セバスチャンは映画祭で有名ですが、何と言っても、三つ星のミシュラン・レストランが世界的にも多いグルメの街として知られていますからね。嗚呼、一度、行ってみたい!!

芸能事務所とマスコミと財界のゴールデントライアングル=「週刊ダイヤモンド」の「ジャニーズ帝国 最強ビジネスの真実」特集

 毎週月曜日発売の「週刊ダイヤモンド」11月18日号(880円)が「ジャニーズ帝国 最強ビジネスの真実」特集を展開していたので、思わず購入してしまいました。これでも、私は、かつて芸能担当記者を務めたことがあり、仕事としてその筋とは大いに関わっていたからです。

 ジャニーズ事件に関しては、薄々噂で知っていながら、ジャニーズ所属タレントを多く起用したマスコミも批判対象になりましたが、その具体例も書かれていました。その前に財界人を代表するサントリーの新浪剛史社長(経済同友会代表幹事)が痛烈に酷評して、自社CMからジャニーズ・タレントの起用から撤退しましたが、何となく自家撞着のような気がしています。それに、財界が全く批判の対象にならないこと自体がおかしいのです。

 つまり、テレビなどのマスコミでジャニーズ・タレントの出演が多くなればなるほど、露出度が増し、それが人気となり、テレビは視聴率を稼げる。お陰で広告主(スポンサー)からの収入も増える。スポンサーはスポンサーで、視聴率が高い番組に自社製品の宣伝を繰り返して売上増の恩恵を受ける。つまりは、財界は、マスコミとジャニーズを大いに利用していることになるからです。

 今回の事件は、芸能事務所とマスコミと財界とそれに、監督官庁である政官界を含んだエスタブリッシュメントが、排他的な鉄壁の独占禁止法に触れかねないカルテルを、阿吽の呼吸と同調圧力とその場の空気で「何となく」契約書なしに結ばれていたという「不都合な真実」があったということになります。

 さて、その旧ジャニーズ事務所とマスコミとのズブズブの関係が同誌の49ページに具体的に書かれています。大河ドラマ「風林火山」や朝の連続テレビ小説「ほんまもん」などを手掛けたNHKの元理事若泉久朗氏はジャニーズ事務所に「役員待遇で迎え入れられた」。フジテレビの中野由美子プロデューサーは、看板ドラマ「月9」で、嵐の松本潤を主演に起用した「ラッキーセブン」などを手掛け、2018年に出向し、その後、事務所本体と子会社の取締役を務め、関係が深いレコード会社のソニー・ミュージックエンタテインメントの役員を務めた小俣雅充氏も本体を含めて子会社3社の取締役を務めているといいます。

 これらは、まさに大企業が、霞ヶ関の官僚を天下り先として受け入れる態勢と瓜二つです。全く同じと言っても良いでしょう。お互い、ウインウインの関係なのです。

 そうそう忘れるところでしたが、タレントのカレンダー売り上げも馬鹿にならず、大手出版社9社との利権構造も明らかにされています。第1位は、マガジンハウスでKIng&Princeのカレンダーで9億5454万円、第2位は講談社(Snow Man)で9億0133万円、第3位は小学館(なにわ男子)で5億0789万円になっています。ジャニーズ帝国批判キャンペーンを行っていた「週刊文春」の版元文藝春秋は、カレンダー利権に預かっていませんでした。その一方、あまりジャニーズ批判をしない「週刊新潮」の版元新潮社は、SixTONESのカレンダーの利権で3億5497万円の売り上げがあり、第4位に食い込んでいました。道理で、週刊新潮はジャニーズ批判の舌鋒が鈍いはず。これで理由が分かるということです。

 逆に週刊文春がジャニーズを批判できたのは、カレンダー利権に預からなかったから、とも言えます。

 実は、私は芸能記者から離れて大分経ち、「Kis-My-Ft2」が読めないどころか、メンバーも誰一人知らず、顔と名前が一致しないことを告白しなければなりませんが、同誌の「巨大帝国のビジネスモデルとカネ」を読むと、その巨額さには圧倒されるばかりでした。こんな感じです。

・2022年のコンサートの興行収入は498億円(第1位は、KIng&Princeの60億3000万円)

・ファンクラブの年会費通算200億円超(各グループに付き入会金1000円、年会費4000円)

・隠れ資産「ジャニーズ不動産」=都心13物件で530億円(東京・港区赤坂の本社ビル、渋谷区神南のParkway Square、新宿区百人町の東京グローブ座など)。賃貸収入は年間15億円超。

(数字はいずれも推定評価額)

 さすが経済誌だけあって、よく調べております。

 ジャニーズ事務所の消滅後の今後の日本の芸能界はどうなるのか? 同誌52~53ページには「芸能事務所の相関図」が描かれています。これは芸能記者にとって必須のマル秘情報です。でも、恐らく、関係者に止められていると思われますが、相関図には芸能事務所の代表者名やその大本のことまで書かれていません。私はかつてレコード大賞の審査員をやったことがあるため、裏社会との繋がりまで熟知してしまいましたが、衆人監視のこのブログなんかに書けるわけがありませんよ(苦笑)。

 ジャニーズ事件はいわゆる氷山の一角であり、芸能界はもっともっと奥が深いのです。

量子宇宙論専攻の学生になりたかったなあ=松浦壮監修「はじめてでもわかる量子論」読了

 松浦壮監修「はじめてでもわかる量子論」(ニュートン新書、2023年7月10日初版、1100円)を読了しました。この本は、Newton別冊「知識ゼロから理解できる 量子論の世界」(ニュートンプレス、2023年5月10日初版、1980円)と同じ出版社(今年10月、ニュートンプレスは朝日新聞出版に買収され傘下となりましたが)なので、内容は全く、とは言わなくても、ほぼ同じでした。でも、体よく復習することが出来ました。Newton別冊は判型も大きく、カラー図版を多用しているので、素人にはより分かりやすかったでしたが、新書は何度も読み返して教科書のように使える利点があると思いました。

 Newton別冊については、このブログで過去に二度ほど取り上げております。

 ・2023年9月13日=「量子論の世界」に挑戦しています

 ・2023年9月23日=「状態の共存」と「量子のもつれ」を利用した量子コンピューター=Newton別冊「知識ゼロから理解できる 量子論の世界」

 内容が同じということで、上と同じようなことを書いてしまってはつまらないので、何か他のことを書くことにします。例えば、「状態の共存」です。これは、「一つの物体が同じ時刻に複数の場所に存在できる」という理論でしたね。仮想の箱の中で、1000万分の1以下のミクロの素粒子(電子)が観測後に左側にあることが結果的に分かったとしても、「もともと電子が左側にあった」わけではなく、「左右両方に共存する状態」が観測によって「左側に存在する状態」に変化したと捉える、ということでしたね。

 今回、新書でこの「状態の共存」をもう一度読んだ時、前回は雲をつかむような話でほとんど理解できなかったのに、よく分かるようになりました。つまり、普段の日常生活の中でも「状態の共存」がよくあるのではないか、と思ったのでした。これは、邪道で本来の科学的見地からかけ離れていることを最初に断っておかなければなりませんが(苦笑)、例えば、「左右両方に共存する状態」というのは、Y字路で、道に迷って、左に行こうか右に行こうか、どうしようか思案している頭の中の状態ではないか、とか、同窓会に参加しようか、しまいか迷っている状態が共存しているということかもしれない、とか、もしくは、アパレルショップに行って、青い服にするか白い服にするか思いあぐねている時、そんな時こそ「状態の共存」と言えるかもしれません。多分違うと思いますが(笑)、例えばの話だとしたら、理解の範疇に収まると思っております。「生きるべきか、死ぬべきか。それが問題だ」と悩むハムレットも、「状態の共存」だとしたら、分かりやすい(笑)。

 あまり素人が印象的なことを書いてはマズいと思いますが、ともかく、量子論は今後、量子コンピューターを筆頭に、レーザー光線、超感度センサー、半導体、スマートフォンなどに応用、利用され、今後ますます研究が飛躍的に進んでいくことは間違いありません。

 前回のブログにも書きましたが、量子論は、量子力学、量子化学、量子生物学、量子宇宙論と学問分野が末広がりです。私も、もっと若ければ、全てをご破算にして、量子論を専攻する学生になりたいぐらいです。それぐらい魅力がありました。

広告というものは商品が売れないから宣伝する=東武バス「ラブリーパス」

  ムフフフフ…全く個人的でローカルな話ではありますが、シニア向けながら、格安のバス定期券を買っちゃいました。東武バスの「ラブリーパス」というものです。昨年12月から発売開始されたようですが、ほとんど宣伝をしていないので全く知りませんでした。早く言ってよお~です。

 何しろ、私が利用している東武バスは、220円区間の6カ月の一般通勤定期が5万3460円なのですが、このラブリーパス(半年で2万5000円、1年で4万5000円)を使えば、東京都と埼玉県を走る東武バス(東武スカイツリーライン、東武東上線などの駅周辺が多い)が何処でも乗り放題なのです。東武バス日光は遠距離なので、運賃の半額で利用できるようです。

 私は、このラブリーパスのチラシを、たまたまバス車内で見つけましたが、その存在すら知りませんでした。本当に、早く言ってよお~です。広告というものは商品が売れないから宣伝するのです。このような「お得情報」は絶対に派手に宣伝したりしませんからね(苦笑)。

 でも、東武バスさんは、民間企業なのに、凄い大盤振る舞いだと思います。例えば、京都市なんかは、行政が率先して、市バス等の利用に関して、市民にフリーの「老人パス」いや「敬老乗車証」を発行すると聞いたことがあります。老人になると家に引きこもりがちになり、病気になって医療費が嵩むことから、出来る限り、老人の皆さんには外出してもらって健康維持を図ってもらいたいという目論見です。つまり福祉政策です(交付開始年齢は70歳から75歳まで生年月日によります。また、負担金は0円から4万5000円まであり、所得によります)

 京都にお住まいの元気の良いAさんなんか、以前、このフリーパスを購入し、「年間15万円分ぐらいバスに乗ったから十分採算は取れた」と話していたことを思い出します。

 私も週末は、このラブリーパスを使って、隣駅まで買い物に行ったり、自宅近辺を散歩する際、少し遠くにまで出掛け、疲れたら気楽にバスに乗って帰ろうかとも思ってます(笑)。

「尾崎秀実が育った台湾の話」「ヴーケリッチの取り調べに当たった特高外事課主任警部の話」「ゾルゲのオペラの話」=第4回尾崎=ゾルゲ研究会

  11月9日(木)は会社を休んで、東京・霞ヶ関の愛知大学東京オフィスで開かれた「第4回尾崎=ゾルゲ研究会」に参加して来ました。

 ゾルゲ事件の中心人物である尾崎秀実が育った台湾の話、ヴーケリッチの取り調べに当たった当時の特高外事課主任警部の話、そしてゾルゲのオペラの話とメニューがかなり盛沢山で、正直、頭の整理が追い付かず、後で、配布して頂いた資料を読み返して何となく分かるといった感じでした(苦笑)。

第4回尾崎=ゾルゲ研究会

 最初に登壇されたのは、尾崎=ゾルゲ研究会事務局長の鈴木規夫愛知大学教授で、演題は「尾崎秀実における台湾」でした。事前に発表されたレジュメでは、「尾崎秀実は誰であったのか、その生育環境となった台湾というロケーションを巡って考える」ということで大いに期待したのですが、途中でオンラインの人からの雑音や、オンライン参加者の巨大な顔のアップや、「早口で、画面の文字が小さいのでよく読めませーん」などといった抗議がオンラインから何度も入ったりして、集中できず、内容を理解することが出来ませんでした。後から資料も読み返しましたが、同じで、やはりあまり理解できませんでした。

 講演の「むすびに」では、「尾崎たちの、この地上の『愛国』を超えた異なる次元の故郷を見出す魂は、聖ヴィクトリ・フーゴーの『故郷を甘美に思う者はまだ嘴の黄色い未熟者である。…』という精神的超越性と寛容を象徴するアフォリズムを想起させずにおかない。その出所は恐らくはさらに遡り、イブン・フィーナーの『空中人間』へも至るのであろうが、偏狭なナショナリズムからも逃れ、ディストピアへ迷い込まないためにも、尾崎たち『複雑な』コミュニストのユートピアへの道を再び探るべきなのではないか。」などと結論付けられていましたが、こちらの頭が悪いせいで、残念ながら理解できませんでした。もっと勉強して出直します。

愛知大東京霞ヶ関オフィス

 次の登壇者は、北海道新聞の大澤祥子記者で、演題は「曾祖父鈴木富来のゾルゲ事件捜査記録をみつけて」でした。道新の夏の企画に「記者がたどる戦争」があり、大澤記者は今春、埼玉県の祖父の自宅で、曾祖父の私家版の遺稿集(非売品)を見つけ、その中に「ゾルゲ事件捜査記録」が出てきて吃驚。曾祖父鈴木富来(1900~85年、85歳で死去)は戦時中、特高に在籍しゾルゲ事件に関係していることまで伝え聞いていなかったからでした。

 そこで、大澤記者は、このゾルゲ=尾崎研究会の代表でもある加藤哲郎一橋大学名誉教授に遺稿集の「鑑定」を依頼したところ、とてつもない歴史的価値がある資料だということが分かり、北海道新聞の今年8月11日から3回に渡って連載記事を出稿したのでした。

 「鈴木富来 遺稿集」は富来が亡くなった後の1986年に、富来の長男が編纂したものでした。鈴木富来は戦後、公安調査庁などで勤務していましたが、戦前は警視庁特高警察部外事課に勤務し、ゾルゲ事件では、同課欧米係の捜査主任警部として、中心人物の一人であるブランコ・ブーケリッチの捜査に当たった人でした。クロアチア出身のブーケリッチはパリ大学を卒業し、7カ国語に堪能で、ユーゴスラビアのポリティカ紙特派員として1933年に来日し、仏アヴァス通信の東京駐在記者も勤めながら諜報活動をし、41年に逮捕され、45年に網走刑務所に服役中に40歳で病死した人でした。その間、東京・水道橋の能楽堂で知り合った山崎淑子さんと再婚し、子息洋さんを授かっています。(最初の妻エディットとの間の長男ポールさんは今年10月に91歳で豪州で亡くなりました。)

 鈴木富来の曾孫に当たる大澤記者ら遺族にとって、一番気掛かりだったことは、悪名高い特高ゆえ、曾祖父がヴーケリッチを取り調べた際に拷問したのではないか、という疑惑でした。しかし、そのようなことはなかったという結論に達したことは、遺稿集を鑑定した加藤氏も断言しておりました。特高の中でも外事課は外国人被疑者を扱うため、日本人より極めて優遇し、遺稿集の20ページには「(当時の日本人留置者は1食30銭だったのに)食事は1日3食で5円の洋食。取調室にはストーブを焚かせた。上司の命令もあって自白の強要とか拷問とか行われた事実は全くなかった」という記述もあるほどです。(ただし、ブーケリッチの子息である山崎ブーケリッチ洋氏は現在、セルビアにお住まいで、大澤記者とのメールのやり取りの中で、極寒の網走で正座させられたりしたことは拷問と同じ、等と反論されたようです。)

 何よりも、遺稿集では「ゾルゲ諜報団事件発覚の端緒となったのは北林トモの検挙が事実である」とし、元日本共産党政治局員だった伊藤律が端緒になったという説は誤りで、「伊藤律は満鉄調査部で尾崎と同じ職場で働いていたことは事実だが、尾崎をスパイだと知っていた証拠はない」とまで書いています。「伊藤律ユダ説」は戦後長い間、尾崎秀実の実弟で評論家の尾崎秀樹や松本清張らによって主張されていましたが、近年になって「偽りの烙印―伊藤律・スパイ説の崩壊」(1993年)の著書がある渡部富哉氏や伊藤律の子息である伊藤淳氏らの粘り強い調査で「冤罪」であることが証明されましたが、この1986年の非売品である遺稿集が、同年に世間に公表されていたら、伊藤律(1913~89年)が存命中に名誉回復されていたかもしれません。

新橋駅前 古本市

 最後に登壇されたのは、ベルリン在住の国際的ピアニスト、原田英代さんで、演題は「オペラゾルゲをめぐって」でした。私は不勉強で、ゾルゲのオペラがあることは知りませんでしたが、この作品は原田さんの義父に当たるオスカー・ゲイルフス(1933~81年)が8年かけて作曲し(台本はカザフスタンの詩人オルシャス・スレイメノフ)、1975年に初上演されたものでした。(資料では、ゲイルフスがハイルフォスになったり、ハイルフェスになったりしてますが、一応、ゲイルフスを採用します。)

 ゲイルフスは大変複雑な生涯を送った人で、いわゆるロシア・ドイツ人と呼ばれる民族の末裔としてソ連のオデッサ近郊で生まれ、1941年の独ソ戦を機に一家は西へ逃避しますが、途中でソ連兵に捕まり、シベリアに送られます。その後、一家はカザフスタンに亡命し、オスカー少年はアルマアタ音楽院で作曲を学ぶことが出来ます。その後、三つの交響曲、二つのピアノ協奏曲などを作曲しますが、1980年に東独に移住したことで、ソ連国内での彼の作品の上演、演奏は禁止されます。81年に西独に移住しましたが、そこでどうも不可解な交通事故で亡くなりました。KGBによる暗殺ではないかという噂が絶えないそうです。

 ゲイルフスの息子であるオスカーさん(原田英代さんの夫)は、幼少の頃、父親が「戦争反対のためにこのオペラを書いた」という言葉を鮮明に覚えているといいます。

何で「タイプC」のUSBになると保存画像・動画がウインドウズで全て再現できないのでしょうか?

  最近、携帯電話のiPhoneの機種を最新のiPhone15PROに買い替えた話は以前書きました。

 旧機種(iPhoneXS)からのデータ(住所録や画像など)の移行もスムーズに出来て、「万事めでたし、めでたし」で終わるかと思いましたら、外部記憶装置であるUSBへの保存と再現がどうもうまくいかず、ここ1週間は悩み抜きました。

 結局、ITに詳しい友人の手助けで、「解決」は出来ませんでしたが、カラクリだけは知ることが出来て大いに納得することが出来ました。が、それでもどこか腑に落ちないところがあります。

銀座「和もと」 鳥雑炊 1200円

 iPhoneは、最新機種のiPhone15PROなると、これまでのアップル独自の接続端子「ライトニング」から「タイプC」になりました。パソコンなどで一般的に使われるUSBは「タイプA」と呼ばれ、「タイプC」は「タイプA」より少し小型の端子になります。そのため、iPhone15ではタイプCのUSBを買わなければなりませんが、量販店ですぐ見つかりました。写真と動画を取り込み、まあ、うまくいった、ということで、自宅のパソコン(DELLのウインドウズ10)で読み取りをしようかと思ったら、取り込んだ画像等50枚のうち、半分の25枚ぐらいしか反映しないのです。

 えっ? どういうこと?

 それは、色々理由があるようですが、どうやら考えられることは、写真の保存形式が「jpg」ではなく、アップル独自の「HEIC」(High Efficiency Image File)に、動画は「HEVC」(High Efficiency Video Coding)になっている可能性があるというのです。他にも理由が考えられますが、アップルのiPhoneで撮った写真や動画は、アップルのパソコンなら何ら問題もなく再現できますが、マイクロソフトのウインドウズ搭載のパソコンだったら、すんなり再現できないというわけです。

 ただ、旧機種の「ライトニング」端子が使えるUSBを使って保存した画像や動画は、マイクロソフトのウインドウズ10パソコンでも何ら問題なく反映できたので、何で、タイプCのUSBになったら反映できないのかよく分からなかったのです。

銀座は「問題なし」

 何か他に理由があるんでしょうけど、タイプCのUSB自体は問題なく、他のタイプCのUSBに買い替えても同じだとITに詳しい友人は言います。

 まあ、それは正しいことでしょう。ただ、くどいようですけど、ライトニング端子が使えるUSBは問題なくウインドウズ10パソコンで再現できたのに、タイプCのUSBになったら一部しか再現できなくなったのは何故なのでしょうか? もし、詳しい方がいらっしゃてコメントして頂ければ幸甚です。