危うし、身延山に参拝できず?甲府城に予定変更

 9月24日(土)~26日(月)、2泊3日の小旅行に行って参りました。主目的は、日蓮宗総本山「身延山久遠寺」参拝です。

 そしたら、ぎゃびーんですよ。JR中央本線、特急あずさ9号で甲府駅に向かう途中、車内アナウンスで、台風15号の影響で、身延線が「終日運休」だというのです。えっ?24日は、身延山久遠寺の宿坊「覚林坊」に宿泊する予定で、1カ月以上前から予約していました。

 どうしよう?

 覚悟を決めました。キャンセルしかない。だって、身延まで行けないのですから。当日キャンセルなので、100%キャンセル料が戻って来ないことが分かっていましたが、仕方ありません。このまま自宅に戻ろうか、迷いましたが、そうだ、甲府の何処かで一泊して、翌日に再チャレンジすることにしました。だって、甲府の山梨県はカンカン晴れで、翌日の予報も晴天だからです。

 そこで、車内で、代わりのホテルのネット予約をスマホで検索しました。1軒目、満員。2軒目、満員…。そりゃそうでしょう。当日になって、空いている方がおかしい。そして、6軒目でやっと駅前北口1分のビジネスホテルが見つかりました。「残り1室」!プチ! ジャニ―喜多川さんの「ユー、やっちまいな」の声が聞こえてきました。

甲府駅に展示された案内板

 甲府駅の改札で駅員さんに確認すると、「終日運休」は確かでした。しかし、何処となく無責任というか、他人行儀でした。被害者の親身になってくれません。

 後で分かったのですが、甲府駅の東京~松本を通る中央本線はJR東日本ですが、甲府~静岡を走る身延線はJR東海と会社が違っていたのです。もしかして、駅員はJR東日本の社員だったので、他社のことだから、という気持ちが態度に出たのかもしれません。

 今回、台風15号が静岡で1日に1カ月分の大雨を降らせる大被害を齎したので、身延線が止まってしまったわけですが、身延線は「すぐ運休する」ことで地元では有名だったようです。

 駅構内で、覚林坊に電話して、事情を話して、当日キャンセルしてもらいました。

 そしたら、吃驚です。

甲府駅北口にある武田信虎像

 もう一度、先方から折り返し電話があり、今回は不可抗力でお越し頂けなかったわけですから、宿泊料は頂くことが出来ませんというのです。次回、機会がありましたら、御願いしますということで、キャンセル料(事前予約、クレジット決済)を返還してくれるというのです。

 随分、良心的です。500年の歴史があるという身延山久遠寺の覚林坊。皆さんも覚えておいてください。

甲府・武田氏館跡

 さて、甲府駅に午前10時半頃到着し、ホテルのチェックイン(15時)まで随分時間があるので、武田神社に行くことにしました。ここは勿論、武田信虎、信玄、勝頼と三代に渡って屋敷を構えた、別名「躑躅が崎館」跡です。

 時間があれば、最終日に行く予定でしたが、逆転した格好です。

 甲府駅北口のロータリーからバスで10分ほどで着きました。(バス停を探すのに苦労しましたが)

 武田神社の拝殿前の階段を登り切ったところに、「太宰治の愛でた桜」の看板がありました。

 あ、忘れていました。太宰治は新婚時代、妻美知子さんの実家のある甲府で約8カ月間過ごし、「富嶽百景」や「女生徒」「新樹の言葉」などの名作を生んでいました。

 太宰の甲府時代は、小説を執筆した御坂峠の天下茶屋が有名ですが、当然、武田神社も訪れていたんですね。

甲府・武田神社

本殿にて、ウクライナ戦争の一刻も早い終結と人類の平和と皆さんのご健康もお祈りしました。

躑躅が崎館跡
武田神社

 神社内には能舞台までありました。

躑躅が崎館跡

 旧大手門の外に出ると、躑躅ヶ崎館跡の石垣が見られました。

躑躅ヶ崎館跡
躑躅ヶ崎館跡 あの石垣らしきものは何?

 いまだ調査、発掘、整備の途中のような感じがしました。

 遥か先にも石垣が見えましたが、年を重ねたせいか、ちょっと、体力と気力がなく、近くまで行きませんでした。恐らく、気温30度ぐらい。汗が出てしょうがありません。

 昼時だったので、日蔭のベンチで、昼食用に持って来たお握りを頂き、取り敢えず、バスの時刻に合わせて、甲府駅に戻ることにしました。(独り徒歩旅行は、電車やバスの時刻を絶えず気にして手配しなければならないので、心がいつもざわついて落ち着きません。神経が疲れます)

甲府城(舞鶴城)公園

 甲府駅に着いて、反対の南口にある甲府城跡を目指しました。

 甲府城は、武田氏滅亡後、豊臣秀吉の命により築城されました。徳川体制になってからも西側への防衛として改築したり、増築したりして、重要性を保持したといわれています。

 甲府城の最も有名な城主は、五代将軍綱吉の側用人になった柳沢吉保でしょう。(東京・駒込の六義園は、柳沢吉保の別邸だった)

 私自身は、甲府城と言えば、幕末、最後の起死回生を図って甲府城を攻めた新選組の近藤勇を思い浮かびます。

甲府城(舞鶴城)公園

 でも、実際、足を運んで見て、その広さと堅固さに驚きです。

 これは、本や文字では全然分からなかったことでした。

甲府城(舞鶴城)公園 天守台

 近藤勇が甲府城を落とせなかったのがよく分かりました。

甲府城(舞鶴城)公園

 まるで要塞です。いや、要塞そのものです。

甲府城(舞鶴城)公園 天守台から臨む

 天守から見下ろせば、敵の動静が丸見えです。

甲府城(舞鶴城)公園

 とにかく、急峻で、鎧兜で登るとなると息も絶え絶えです。

 それに広い、広い。それなのに、これでも、敷地は、旧跡の3分の1しか残っていないというのです。

甲府城跡

 甲府駅の北口にもこうして山手門が復元されています。

甲府駅と甲府城櫓

つまり、甲府城郭のど真ん中にJR中央本線が走っていたのです。

甲府城跡

 だから、甲府駅の南口だけでなく、北口にも城郭跡が残っているのです。

甲府城天守台

 甲府駅北口側に戻ると、こうして、線路を挟んで南口にある天守台が見えるわけです。

甲府駅南口

 甲府城と武田氏とは関係がありませんが、甲府というか、山梨というか、甲斐の国・甲州が産んだ最大の英雄は武田信玄でしょう。(雨宮敬次郎、根津嘉一郎や小佐野賢治といった「甲州財閥」も有名ですが)

 甲府駅の北口には信玄が追放した父親の信虎像が、2019年に建立されましたが、南口の武田信玄像は結構古いと思います。もう40年ぐらい昔、友人の今村君と急に昇仙峡で釣りをしようということで出掛け、この武田信玄像も拝謁したことを覚えています。当日、何処に泊まったのか、全然覚えていませんが、この信玄像だけは如実に覚えています。(調べたら、信玄像は1969年に完成。当初は駅前噴水の南側にありましたが、1985年、駅前広場の整備で現在地に移設されたそうです。)

甲州ほうとう「小作」(甲州駅北口)

 ホテルニューステーションにチェックインした後、夕食は、このホテルの隣の隣の隣にある「甲州ほうとう 小作」にしました。

 甲州の名産といえば、ほうとうでしょう。小作は結構有名店のようで、店内には有名人のサイン色紙が結構貼ってありました。

甲州ほうとう「小作」豚肉ほうとう1500円

 選んだのは、豚肉ほうとうです。

 甲州は山岳地帯が多く、平野が少なく、お米が取れません。それで、お米が取れる領地獲得のため、武田信玄は、上杉謙信や北条氏、織田信長らとの戦いを余儀なくされたという説があります。

 ほうとうは、信玄が陣中食として考えたという説が有力です。まあ、太いうどんと野菜や肉を煮込んだ鍋と言っても間違いなさそうです。戦うための栄養満点といったところでしょうか。

甲州ほうとう「小作」ワイン500円 チリ産だった!

 甲州に来たからには、「甲州ワイン」は欠かせません。今や世界的ブランドです。この店の小作ワインを注文して、ラベルを詳しくみたら、何と「チリ産」と書いてありました。

 ありゃあまあ、てな感じでした。

(つづく)

仏教に救いはない? 一神教と多神教の違いは?

 何か、誰かから追い立てられているような感じがしますが、パスカルの「パンセ」(中公文庫)を読破し、橋爪大三郎+大澤真幸「ゆかいな仏教」(三笠書房)を読了し、今、同じ二人による対談「ふしぎなキリスト教」(講談社現代新書)を読んでいるところです。

 乾いた土が勢いよく水を吸収するように、私の乾いた脳に知識のシャワーを浴びせられているような気分で、お蔭さまで平常心を取り戻しつつあります。

 それでは、これまで平常心ではなかったのか、と聞かれますと、その通りです。ここ数カ月、生きている畏れと不安と虚無感に襲われていて落ち着けませんでした。ただし、軽症で、夜も眠れないほど、といった重症ではありませんが、毎日、張り合いがないといいますか、砂を噛むような味気ないといった感傷と言えば当たらずとも遠からずです。

 仏教の基本思想である「因果応報」を持ち出して、原因について考えてみると何個か複数思い当たるフシがありました。その一つに、友人知人にメールを出しても返信が来ない、といった子供染みたものがありました。「何か悪いことでもしたのか?」「向こうは自分など何とも思わず、メール自体が迷惑だと思っているのかしら?」などと余計な勘繰りばかり先立ってしまい、心を不安定にさせていたのです。

 でも、時間が経てば少しずつ解決されていきます。例えば、昨日の渓流斎ブログで書きましたが、このブログのサイトの技術面で大変お世話になっていた松長哲聖氏に何度も連絡を取っても繋がらず、反応もなく、落ち込んでいたら、何と、彼は既に7月に亡くなっていたことを知ることになったわけです。語弊を恐れずに言えば、これで何か区切りが付いた気がしたのでした。

 悲しくも若くして亡くなった松長氏ですが、逆に、生き残った我々に勇気を与えてくれました。例えば、「メメン・トモリ(いつか死ぬことを忘れるな)」、そして、明石家さんまさんが口癖のように言う「生きているだけで丸儲け」…。「せっかく生命があるのだから、もっと一生懸命に生きてください」と叱咤激励されている感じがしたのです。

 不安と畏れに駆られていた時に手に取ったのが、先述したパスカルの「パンセ」と橋爪大三郎+大澤真幸の対談「ゆかいな仏教」と「ふしぎなキリスト教」でしたが、心の癒しになったことは確かです。こんな精神的なお薬はありませんでした。特に、後者の「ゆかいな仏教」と「ふしぎなキリスト教」の二冊から学び取ったことは、結局、「人生とは心の持ちよう次第」だということです。

ロンドンではなく東銀座

 「ゆかいな仏教」の中で、「仏教に『救い』という考え方がない」という橋爪氏の発言には本当に吃驚しました。そもそも、仏教という宗教は、釈迦が覚りを開いたということを(言葉で言い表せないが)信じ、衆生も努力次第で、本人がいつか仏陀になれる、ということを信じること。だから、仏陀になった釈迦も、他者を覚らせる(救済)ことは出来ない、と説明されれば、少し分かった気がします。(原始仏教では、出家者はビジネスをしてはいけない。お金を触ってもいけないので在家の布施によってしか生き延びるしかない。また、本来、仏教は葬式を営まなかった。仏教は、アンチ・カースト制から始まったというのは納得。)

 そもそも、人生とは自分の思い通りにはいかない⇒人生は苦である⇒しかし、人生はなるようにしかならないだけ⇒甘い期待や幻想を抱かずにあるがままに受け入れる⇒全てがプラスになる⇒苦は実体がないので、苦は苦だと思わなければよい、といった「思考法」=「心の持ちよう」が、たとえ「仏教に救いはない」と言われても、私自身には救いになりました。

◇◇◇

 「ふしぎなキリスト教」では、「ユダヤ教とキリスト教はほとんど同じで、イエス・キリストがいるかいないかの違い」とか「ユダヤ教には原罪という考え方はない」「罪とは『唯一神ヤハウェに背く』こと」「原罪とは、しょっちゅう罪を犯すしかない人間は、その存在そのもが間違っているという考え方⇒キリストによる贖罪」「サタンとは本来、『反対者』『妨害者』という意味で、中世キリスト教でおどろおどろしく描かれた悪魔ではない」といった私自身が認識不足だったことが、明解に説明されて、妙に心に残りました。

 また、一神教(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教)と多神教の宗教の違いで、こうも考え方が違うのか、といった好例がありました。

 人生には理不尽なことが起きる。何故、自分の家族だけが重い病や障害や事故に襲われるのか?何故、自分の努力が報われないのだろうか? 世の中、悪がはびこり、裏切り、寝返り、詐欺、迫害が続く…。仏教や神道のような多神教だったら、それは運が悪かったとか、悪い神様のせいだと考えれば済むことがある。しかし、一神教の場合、そういうわけにはいかない。全ての出来事は神の意思によって起こるからだ。そこで、「祈り」という神との不断の対話が繰り返されることになる。

 嗚呼、そういうことだったんですか。…これで少し、違いが分かったような気になりました。

 そこで、究極的には、宗教の信者や信徒や門徒になるということは開祖の奇跡を信じることができるかどうかの違いだと思いました。キリスト教なら、イエスの復活や最後の審判などです。仏教なら、陰徳を積めば極楽に行けるといったような因果律を信じることができるかどうか、といった問題です。私の場合、いずれも懐疑的ですから、キリスト教徒にも仏教徒にもなれないでしょう(苦笑)。ですから、宗教に救いを求めようとしたこと自体が間違っていたのかもしれません。

 それでも、私は寺社仏閣や教会にはお参りします。人生とは心の持ちよう次第です。私自身、「メメント・モリ」「生きているだけで丸儲け」だけでも信じられるからです。

サイトのIT技術者松長哲聖氏が急逝=渓流斎ブログは今後どうなるのか?…

  ちょっとショックなことがあり、口もきけないような状態です。

 この《渓流斎日乗》ブログのサイトの立ち上げから技術トラブル処理に至るまで、何から何までお世話になっていたIT企業社長の松長哲聖氏に、何度メールや電話で連絡しても通じなかったことから、入院でもしているのかと思い、昨晩、湯島にある酒房に直接行って主人の坂元氏に事情を聞いたところ、7月に亡くなっていたことを聞かされたのです。

 何と言っても、松長さんは、私の高校の後輩で、私より一回りも若い。亡くなったのも53歳という若さでした。前日、夜遅くまで呑んでいて、翌日、自宅近くで散歩途中で倒れて、帰らぬ人となったといいます。普段からお酒の飲み過ぎで、私もよく注意したものでした。そして、彼には「俺より先に死ぬなよ。12歳も違うから死ぬわけないか。でも、お酒は控えた方が良い」と約束していたので、悔しくて涙も出ないほどです。本人も自分自身がこんなに早く身まかるとは思ってもいなかったと思います。

 彼とは、2016年頃、海城高校の同窓会で知り合いました。名刺交換して、IT企業「プラニクス」という会社を自分で創設した社長さんだということは分かりましたが、具体的にどんなことをしているのかは知りませんでした。でも、プラニクスは、立派なホームページがあるので、事業内容が「ホームページ作成」や「インターネット広告・広告代理」などであることは、今では分かりますが。

 それが、ひょんなことで、彼と親密になるきっかけがありました。皆様御案内の通り、私はお城や寺社仏閣巡りが趣味です。ある日、家の近くを散歩中に、見知らぬお寺があったので、スマホを片手にそのお寺を検索してみました。すると、「猫の足あと」という首都圏を中心にした寺社情報のサイトがあり、それに概要から由緒に至るまで非常に詳しく掲載されていたのです。しかも、「新編武蔵風土記」などの文献も引用し、学術的価値もあって信頼できそうです。

 でも、「猫の足あと」? どっかで聞いたことあるなあ、と思い、彼からもらった名刺を再度見てみたら、吃驚。業務の一つとして、しっかり、「猫の足あと」も記載されていたのです。何だ、彼がやっていたサイトだったのか!です。(サイトに掲載されている寺社の写真は、全て、松長さんが足を運んで参拝して自ら撮影したものでした。どれだけ時間とお金を掛けたサイトだったことでしょう。彼は、首都圏だけでも全ての寺社は回り切れないと話していました。)

 それから、彼と連絡を取り、神保町にあった彼の会社というか事務所にも何度もお邪魔し、近くの居酒屋や、高校のラグビー部の後輩が経営する湯島の純酒肴「吟」や、彼の親戚筋の経営する池袋の焼鳥屋さん「雲吉」で飲むようになりました。それで、2017年9月から私のブログのサイトも独自に製作してもらうことになったのです。

 ブログに広告を付けて広告料が入るようになったのも彼のおかげです。そのため、そのブログの広告収入は個人事業主を申請して確定申告するようになったのでした。もっとも、その収入も微々たるものですから、一晩の呑み代で消えてしまいますが(苦笑)。

 彼とは、このブログに書けないような色んな話をしました。彼は、名門都立日比谷高校を蹴って、海城に入り、某国立大学に合格しながらそれも蹴って、「高卒」で起業した人でした。かなり苦労した話も聞きました。それでも、大変な勉強家で、ほぼ独学でITをマスターしたようなのでした。

 頭の良い彼は、酔うと自信満々になるところがありましたが、普段は気立てが良いというか、気前が良いヤツでした。こうして書きながらも、あの若い彼がこの世から去ってしまったとは今でも信じられません。

 彼の急死で、この渓流斎ブログがこの先どうなってしまうのか分かりません。でも、やっと、奥さんと連絡を取ることが出来まして、今後、会社の継承者を模索中だということまでお伺いしました。

 いずれにせよ、畏れていた最悪の事態が起きてしまった感じで、茫然自失です。

仏陀の教えの本質が分かる本=「ゆかいな仏教」(三笠書房)

 実家に行く途中にある西武池袋線「秋津」駅近くにある本屋さんに立ち寄ったら、偶然、ある本を見つけて、すっかりハマってしまいました。こんなこと、ネットでは味わえないことです。

 だから、私は、出来るだけ本屋さんがアマゾンの影響でつぶれないように、暇さえあれば、何処でも本屋さんに行くことにしています。

 偶然見つけた本は「ゆかいな仏教」(三笠書房)という文庫本です。2022年10月5日が「第一刷」となっているので、随分さばを読んでいます(購入したのは9月17日=笑)。10年程前に出た単行本の文庫化らしいので、既にお読みになった方も多いかもしれません。

 でも、これが、めっちゃ面白い。社会学者の橋爪大三郎さんと大澤真幸さんとの対談をまとめたものなので、とても分かりやすい。お二人とも、仏教徒でもキリスト教徒でもない第三者のような感じで、宗教学が専門でもないので、社会学者として純粋に学問的、哲学思想的にアプローチしているように見受けられます。特に橋爪氏はほぼ断定的に語っているので、関連書籍は数百冊どころか数千冊、いや数万冊は読破している感じです。

 とにかく、私自身が何十年も疑問に思っていた「仏教とヒンドゥー教との関係」「仏教とキリスト教とユダヤ教との違い」「何故、仏教はインドで下火になったのか?」「カーストとは何か?」「そもそも仏教は何を目指しているのか?」といったことを明解に答えてくれるので、まさに目から鱗が落ちるといいますが、目が見開かされます。

 まず、仏教とは何か? 紀元前5世紀ごろ、実在したゴータマ・シッダールタ(釈尊)という王子が29歳で出家し、艱難辛苦の修行を経て、6年後の35歳で覚りを開いたことを端に発する運動のことで、釈迦が何を覚って仏陀になったのか、お釈迦様にしか分からない。言葉では言い表せない。でも、誰でも覚りを開いて涅槃(ニルヴァーナ)の境地に入ることが出来る(一切衆生悉有仏性=いっさいしゅじょうしつうぶっしょう=生きとし生けるものはすべて生まれながらにして仏となりうる素質を持つ)。たとえ覚りを開くことができる人は、何十億年に一人の確率であっても、それを信じるというのが、大雑把に言って仏教という宗教だといいます。

 橋爪氏は言います。

 「仏陀というのは人間なんです。あくまでも。人間が、人間のまま、仏になる。これを成仏という。…このことに集中している仏教は、神に関心がない。神なんかなくてもいいと思っている。人間は、神の力を借りず、自分の力で完璧になれると思っている。こういう信念なんです。」(47ページ)

 へー、そうでしたか。…橋爪氏はこんなことも言います。

 「仏教の場合、…覚るのは自己努力(世界をどう認識するかという問題)だから、覚っていない人間に第三者が覚らせることはできない。原理的にできない。」(205ページ)「仏教にもよく探せば、『阿弥陀仏が来迎して救ってくれる』という考え方がありますけれど、これは浄土系のかなり特別な考え方で、仏教には、仏が主体的に人間を救うという考え方は、もともとないのです」(207ページ)「仏教には救済という考え方はないが、(キリスト教など)一神教には、救いというものがある。一神教では、神が救済する主体。人間が救済される存在。救うか救わないかは、神の一存で決まる。」(209ページ)

 あらまあ、仏教に救済という考え方がもともとなかったというのはショックですね。浄土系が特殊というのも衝撃的です。日本(の仏教)では、浄土系の観音様信仰が根強く、救い求めるから仏教が宗教だと思っておりましたから。

 私自身、仏教について、嫌だなあ、と言いますか、とても付いていけないなあと思ったことは、仏教が「人生とは苦なり」ということを見つけたことです。生老病死、愛別離苦、怨憎会苦といった四苦八苦のことです。身も蓋もないではありませんか。しかし、橋爪氏の手にかかるとこうなります。

 「仏教にいう苦は、自分の人生が思い通りにならない、ということに等しい」(88ページ)「自分の人生が思い通りにならないのは何故なのか。一つの結論は、人生についてあらかじめこうであると考えているから、そうなるわけです。むしろ、人生は、客観的な法則によって、なるようになっているだけ。だとすれば、あらかじめこうであるべきだというふうな甘い期待というか、幻想というか、そんなものを端的に持たないようにすれば、百%掛け値なしに、人生をあるがままに享受できる。全てをプラスと受け取ることができる。こういうことを言っているだけ。だからむしろ、ポジティブな考えだと思うんです。」(89ページ)

 橋爪氏はこの考えをさらに進め、仏教の言う「苦」についても一刀両断です。

「苦の場合、人間はそれを自分で取り除くことがきる。取り除くというか、問題はものの見方なのです。苦には実体がない。苦を苦と思わなければいい。ともかく、苦を自分で取り除くことが出来る。苦から自由になれる、と認識しているのが正しい」(94ページ)

 どうですか?この本を読むと勇気が湧くのは私だけではないと思います。

 登場する橋爪氏は1948年生まれ、大澤氏は1958年生まれ。10歳年下の大澤氏が橋爪氏に質問する形で対談は進みますが、大澤氏は、プラトンやカントやマックス・ウエーバーまで導入して比較し、先輩の橋爪氏よりさらに深い教養があるように見え、橋爪氏が一言しか答えないのに、何十倍もの量で質問するところが面白いです。いずれにせよ、当然のことながら、学者さまの学識の深さには圧倒されるばかりです。

【追記】

 二人が2012年に対談して出版した「ふしぎなキリスト教」(講談社現代新書)も昨日、慌てて、家の近くの本屋さん(とは言ってもバスで15分)に走って買いに行きました。

 

「鎌倉殿の13人」NHK大河ドラマ館、鎌倉国宝館、鎌倉歴史文化交流館へ小旅行

 いざ、鎌倉へ。

鎌倉・鶴岡八幡宮 二の鳥居

 月刊「歴史人」の読者プレゼントで、「鎌倉殿の13人」大河ドラマ館の入場券が当選したので、平日に有休を取って、行って参りました。

 平日にしたのは、鎌倉は一大観光地であり、今年のNHK大河ドラマで鎌倉が舞台になっており、週末は相当混むと予想したからでした。

鎌倉・鶴岡八幡宮

 案の定、「鎌倉の原宿」のような小町通りを始め、平日だというのに人混みでいっぱいでした。特に、中学生か高校生らしき少年少女が、秋の遠足か修学旅行で、団体でいっぱい押し寄せておりました。

鎌倉・鶴岡八幡宮

 それに輪をかけたのは、9月14日(水)~16日(金)は鶴岡八幡宮の例大祭に当たっていたことです。一般の参拝者も多数詰めかけておりました。

 例大祭ということで、こうして、一の鳥居付近で、「鎌倉囃子」が演奏されていました。

「鎌倉殿の13人」大河ドラマ館

 取り敢えず、「鎌倉殿の13人」大河ドラマ館に向かいました。場所は、一の鳥居を入った八幡宮内の「鎌倉文華館 鶴岡ミュージアム」にありました。

 入場は日時指定だったため、ネットで事前に申し込んでおきました。そのため、超満員ということはなく、ゆったりと落ち着いて見学できました。

「鎌倉殿の13人」大河ドラマ館

 個人的に、最近、大河ドラマ館によく足を運んでおりまして、2017年の「おんな城主 直虎」(井伊直虎=浜松市)、2020年の「麒麟がくる」(明智光秀=岐阜県)、2021年の「青天を衝け」(渋沢栄一=東京都北区飛鳥山)以来4度目です。

「鎌倉殿の13人」大河ドラマ館

 これまた、個人的な話ですが、私がNHKの大河ドラマにハマったのはつい最近のことです。子どもの頃見ていたのは、「源義経」(1966年)と「天と地と」(1969年)と「樅ノ木は残った」(1970年)ぐらいでした。

 あとは、長じで、仕事として見ることになった「太平記」(1991年)だけです。後は、タイトルを知っていても、中身はほとんど見ていませんでした。

「鎌倉殿の13人」大河ドラマ館

 それが、どういうわけか、大河ドラマにハマって見るようになったのは、2016年の「真田丸」からです。それ以降の「おんな城主 直虎」「西郷どん」「いだてん~東京オリムピック噺~」「麒麟がくる」「青天を衝け」「鎌倉殿の13人」と、7年連続、大体見ています。

 こうして振り返ると、月日の経つ速さには唖然としてしまいます。

「鎌倉殿の13人」大河ドラマ館

 その、今年の「鎌倉殿の13人」ですが、正直、あまり、面白くありませんね。分析すれば、スタジオ撮影が多く、野外での合戦シーンがほとんどないせいだと思います。

 本来、源平合戦と内部抗争の話で、おまけに平泉での源義経追討の合戦も見どころだったはずなのに、弁慶の立ち往生もないのですから、拍子抜けしました。

鎌倉・鶴岡八幡宮

 大河ドラマ館は30分ほどで引き揚げて、鶴岡八幡宮に久しぶりにお参りすることにしました。

 鶴岡八幡宮は1063年、河内源氏2代目の源頼義が、前九年の役での戦勝を祈願した京都の石清水八幡宮を鎌倉の由比郷鶴岡に鶴岡若宮として勧請したのが始まりと言われています。

鎌倉・鶴岡八幡宮

 それを現在にも残っているような若宮大路を整備し、鶴岡八幡宮を移して拡張したのが、1185年に鎌倉幕府を開いた源頼朝でした。若宮大路は、妻政子の安産祈願も兼ねていたようです。

 八幡宮ですから、武運の神をまつっています。

 鶴岡八幡宮では、「応神天皇」「神功皇后」「比売神」の三柱の神様を御祭神としてお祀りしています。

 八幡宮内では、流鏑馬や相撲や放生会などの「神事」が行われ、鎌倉の精神的、文化的支柱になっていたようです。

 私も、普段より多めのお賽銭を奮発し、ウクライナ戦争が早く終わるよう世界平和と万人の健康をお祈りし、またまた健康長寿のお守り(800円)を買い求めました。

鎌倉国宝館

 大河ドラマ館は、想像していた通りでしたが、大いに期待したのは、大河ドラマ館の入場パンフレットを提示すると、鎌倉国宝館(大人300円)と鎌倉歴史文化交流館(同)に無料で入場できることでした。そのため、事前にホームページで、両館の休館日をチェックして、日曜日と月曜日を避けることにしたのでした。

 この中で、鎌倉国宝館は大正解でした。館内での写真撮影は出来ませんでしたが、国宝、重要文化財の仏像(如来、菩薩、明王、天)や高僧像などがズラリです。私が特に感動したのは、本などの写真ではよく拝見していた「北条時頼坐像」(重文)を目の前で見ることができたことです。思わず、「えっ? これ本物?」と声をあげそうになりました。

 北条時頼は第五代執権で、三浦泰村一族を滅ぼすなど得宗独裁政権を確立した人でもあります。一方で、仏教、特に禅宗に信仰が篤く、蘭渓道隆を招いて鎌倉五山第一位の建長寺を建立しています。

 晩年は出家して、最明寺の入道とも呼ばれ、日蓮が「立正安国論」を献本したのがこの最明寺の入道であり、能の「鉢の木」や「徒然草」などでも登場します。

鎌倉歴史文化交流館

 次に向かったのが、「鎌倉歴史文化交流館」です。地図で見ると、若宮大路の二の鳥居辺りで、西に進み、小町通りを突っ切り、東海道線の踏切も渡り、くねくねした軽い坂道を登ったところ(扇が谷)にあるようでした。

 9月半ばだというのに、30度の暑さで、辿り着くだけでふうふうでした。

鎌倉歴史文化交流館

 館内では、「吾妻鏡」の原本(写本)らしきものが展示されていたり、大佛次郎、川端康成ら「鎌倉文士」の足跡を辿るビデオが流れたりしていました。

鎌倉「カフェ ミルクホール」

さて、昼時になったので、一度行きたかった鎌倉「カフェ ミルクホール」を目指しました。

今は便利な時代になり、スマホのグーグルマップで検索して、「徒歩」を押すと、自動車のナビゲーターみたいに、「次を右折して」とか「次を左折して」とか言ってくれるのです(笑)。

 いやはや、本当に便利な時代になったもんです。

鎌倉「カフェ ミルクホール」オペラライス・セット 1300円

 鎌倉「カフェ ミルクホール」のお目当ては、白クリームのオムライスであるこの店の名物「オペラライス」です。随分昔に、何かの雑誌か、テレビで知ったもので、いつか一度、チャレンジしたいと思っていたのです。

鎌倉「カフェ ミルクホール」オペラライス・セットの珈琲とデザート 1300円

 オペラライスは上品な味でしたが、量はそれほど多くないので、若い男性諸君では物足りないかもしれません。

 が、私のような年配者なら大丈夫です。昭和初期のミルクホールというより、大正ロマンを感じさせる店の雰囲気は何物にも代えがたく、ゆっくり落ち着けました。

伊藤野枝、辻潤、大杉栄…ドラマ「風よあらしよ」

 国際労働機関(ILO)などが5年ごとに調査して公表している報告書「現代奴隷制の世界推計」というものがありますが、先日(9月12日)、マスコミ向けに発表され、2021年の時点で世界で5000万人が「現代奴隷」として生活していることが分かりました。

 この5000万人の内訳は、2800万人が強制労働を課せられ、2200万人が強制結婚の状態にあるといいます。前回2017年9月に発表された世界推計(2016年時点)と比べ、今回、現代奴隷の状態にある人が1000万人以上も増えたといいます。

 現代日本も例外ではなく、研修生、実習生の名目で途上国から来日した外国人を狭い部屋に押し込んで、奴隷のように長時間働かせている企業主がいて問題になっていることが度々、ニュースになっています。これも現代奴隷でしょう。

 古代日本では、奴隷は「奴婢」とか「生口」とか呼ばれ、大陸に献上されたりしましたが、現代21世紀になってもあまり変わらないということです。ロシアによるウクライナ侵攻のように、21世紀になっても戦争がなくならないのと一緒です。

 我々は一体、何が出来るでしょうか?

北海道 青い池 Copyright par Tamano Y

 さて、話はがらりと変わりますが、9月18日に最終回(第3回)を迎えるドラマ「風よあらしよ」(NHKBS)を面白く拝見しております。伊藤野枝が主人公で、村山由佳の同名小説を原作にしています。何しろ、日本史上でも桁違いな人物ばかり登場します。

 主役の伊藤野枝を演じるのは吉高由里子ですが、彼女の最初の夫がダダイストの辻潤(稲垣吾郎)、二人の間の子、辻まこと(後の詩人、画家)が赤ちゃんで登場します。伊藤野枝に影響を与えたのが「青鞜社」の平塚らいてう(松下奈緒)。そして、伊藤野枝が辻潤を棄てて出奔する相手が無政府主義者の大杉栄(永山瑛太)。ここで、大杉栄の妻堀保子(山田真歩)と東京日日新聞記者の神近市子(美波)との間で「四角関係」が生じ、有名な葉山の「日蔭茶屋事件」が起きます。

 第3回では、大杉栄と伊藤野枝、大杉の甥橘宗一少年の殺害現場に立ち合った甘粕正彦(音尾琢真)も登場するようで、まさに役者が揃った感じです。

 個人的には大杉栄と甘粕正彦との関係はさることながら、辻潤、辻まことに大変興味があります。辻潤はダダイストを自称したらしいのですが、まさに風来坊で、尺八を教えて生計をたてたりした奇人です。48歳ころから「俺は天狗だぞ」と言って、二階から飛び降りたりして、精神科病院に入院。放浪生活を繰り返し、最後は1944年、上落合のアパートで餓死していることが発見されます。行年60歳。

 辻潤の周囲の人たちは振り回され、迷惑を掛けられたことでしょう。私自身も辻潤に似た親友がいますから、気持ちはよく分かります。でも、歴史上、辻潤ほど自由、気ままに生きた男はいないことでしょう。後世の人間として、勇気をもらえた感じです。

 息子の辻まことは詩人、画家で知られ、私の学生時代にみすず書房から出た「辻まことの世界」がベストセラーになったことを覚えています。華麗な女性遍歴でも有名ですが、不勉強で、1975年に自死されていたことまでは知りませんでした。行年62歳。何しろ、辻潤と伊藤野枝の二人の血を引き、有り余るほとの才能があった人ですから惜しまれます。

渓流斎ブログ、70万アクセス到達に感謝感激

 あれっ? いつの間にか、渓流斎ブログのアクセス数が70万を超えていました! これもこれも、皆様のお蔭です。有難う御座います。

 御案内の通り、《渓流斎日乗》は2005年3月に開始しました。最初は「gooブログ」でしたが、紆余曲折を経て、松長哲聖氏のお力添えで独立したのが、2017年9月15日のこと。それから5年ほどで70万アクセス到達ですから、我ながら大したもんです。こんな毒にはなっても薬にもならないブログを熱心にお読み頂いている皆さんには感謝に堪えません。

 今後ともどうぞ宜しくお願い申し上げます。

手前がランチ寿司5万円~の「とも樹」、向こうがカケ蕎麦500円前後の「歌舞伎そば」(東銀座)

 さて、自分でも感じているのですが、最近の渓流斎ブログは元気ありませんね。天下国家を論じるわけでもなく、政治家とカルト教団との結びつきや、社会問題、経済格差を声高に糾弾するわけでもなく、ミニマリズムと言いますか、極めて、個人的な話題に終始しているように見受けられます。

 でも、ドメスティックなテーマが国際的になるように、個人的な話題でも、全人類に共通する話題になったりするものです。例えば、こんな話ー。

 我が家は2人暮らしなのですが、先日、電気料金の通知の案内がメールで来て、吃驚しました。先月、つまり、2022年8月の電気料金が1万3000円を超えていたのです。普段は5000円前後ですから2倍以上、どうしたものやら?

 恐らく、この夏は殺人的な暑さでしたから、冷房代が嵩んだということなのでしょう。普段(春・秋)は月の使用料は150kwh前後なのですが、夏は300Kwhを超えるので、その理由が分かりました。でも、昨年8月の電気料金を見たら、ほぼ同じくらいの使用料で8700円程度。1万円を超えていません。

 今年になって、電気代が高騰したことがこれで分かります。考えられるのは、今年2月からのウクライナ戦争の影響でしょう。天然ガスが不足し、高騰していると盛んにニュースでやっていました。国際問題が、小さな極東の庶民の家庭にまで影響を及ぼすという典型的な例ということです。

 それにしても、今秋は電気、ガス、ガソリンといったエネルギーだけでなく、食品、飲料、衣料に至るまで生活用品の値上げラッシュです。それでいて給料が上がらない。

 岸田首相を越えて、独裁者プーチン大統領を恨みたくなりますよ。

鉄道博物館で鉄ちゃん気分

  日曜日は、鉄ちゃん、鉄子の聖地「鉄道博物館」(埼玉県大宮)に3歳のgrandchild を連れて初めて行って来ました。

 grandchildは6月に新幹線に乗って、初めて京都に行き、それ以来、口癖にように、「シンカンセン、シンカンセン」と言っていたので、喜ぶと思ったからでした。

鉄道博物館

 大宮駅って凄いですね。新幹線が東北新幹線、上越新幹線、北陸新幹線など6線、JRの在来線が宇都宮線、高崎線、京浜東北線、埼京線など5線、このほかに、東武野田線(東武アーバンパークライン)と埼玉新都市交通伊奈線(ニューシャトル)の私鉄2線、合計13路線もあり、乗り入れ路線数は東京駅に次いで全国2位なんだそうです。

 最近、「住みたい街ランキング2022」(リクルート・スーモ)の首都圏で、大宮がベスト3位になって驚きましたが、これだけ便利が良いとそのはずです。納得しました。

 個人的には北陸新幹線などを除き、大体、乗ったことがあるのですが、鉄道博物館駅を走るニューシャトルは生まれて初めて乗りました。

鉄道博物館

 今のコロナの御時世ですから、行く前にネットで調べたら、チケットは窓口で発売せず、事前にコンビニの「据え置き機」で購入しなければならないというのです。(最寄り駅近くのファミリーマートに行ったら販売していなくて、セブンイレブンとローソンとミニストップだけでした)時間制になっていて、満員になっていたら、入場できません。しかも、せこい話ですが、大人1330円はいいとして、3歳から入場料(310円)を取るというのです。3歳で覚えているのかなあ?(笑)せめて5歳でしょ?

鉄道博物館

 恐らく、かつて実際に使われた本物の車輛が展示されていましたから、鉄ちゃん、鉄子にはたまらないでしょう。

 車中に入れる車輛もあり、軽く座って休むこともできました。

鉄道博物館

 個人的に感動したのは寝台車特急でした。確か、高校の修学旅行の時、北海道に行きましたが、青森まで東京から寝台車で行ったと思います(この後、青函連絡船で函館に上陸。)寝台車の中には入れませんでしたが、とても狭そうで、直立不動の姿勢でなければ、寝られないようなスペースでした。

鉄道博物館 「日本食堂」牛オムライス1680円

 残念だったのは、確か、国鉄の食堂車の食事を仕切っていた日本食堂が博物館の2階に出店しておりましたが、値段のわりには、あまり美味しくなかったことでした。

 冷凍食品をチンしたような感じで、grandchild はキッズプレートを注文しましたが、ほとんど残してしまいました。

 お店を出ると、外では大行列ができていましたが。

 帰りがけ、お土産店に寄り、grandchild が欲しがった新幹線のジグソーパズルを買ってあげました。grandpa は、grandchild には甘い(笑)。

人間とはいったい何という怪物だろう=パスカル「パンセ」を読む

 ブレーズ・パスカル(1623~62年)の「パンセ」を再読しています。とは言っても、学生時代以来ですから、何十年かぶりです。

 哲学書ですから、難解です。年を取ったので、学生時代と比べ、読解力は上達したのではないかという妄想は誤解でした。今でも理解しづらい文章に多々、突き当たります。もっとも、パスカルは、ジャンセニウス(オランダの神学者ヤンセン)の教えを奉じる厳格なポール・ロワイヤル派の擁護に熱心だったキリスト教徒でした。そのポール・ロワイヤル派を弾圧し、教権と王権を笠に着ていたイエズス会(ジェズイット)に対する反駁の意味を込めて書き留めたのが「パンセ」でした。ということは、「パンセ」は哲学書というより、キリスト教弁証論であり、神学論争の最たるものです。極東に住む異教徒にとっては、道理で難解でした。

 パスカルは、39歳の若さで亡くなっているので、「パンセ」は、生前に出版されたわけではなく、バラバラの遺稿集でした。パスカルの死後、何種類もの版が発行されましたが、現在は、ユダヤ系フランス人哲学者のレオン・ブランシュヴィック(1869~1944年)がテーマごとに14章に編集した断章924から成る「ブランシュヴィック版」が最も読まれているというので、その翻訳書(前田陽一、由木康訳、中公文庫)を東京・神保町の東京堂で購入して来ました。

 1623年生まれのパスカルは、来年でちょうど生誕400年です。デカルトやガリレオらと同時代人で、日本で言えば江戸初期の人に当たります。同年に、後に老中になる小田原藩主の稲葉正則らが生まれています。また、この年に戦国武将の上杉景勝(米沢藩主)と黒田長政(福岡藩主)が亡くなっています。こう書くと、パスカルさんも身近な人に思えなくもないのですが、仏中部クレルモン(現クレルモン=フェラン市)の租税院副院長だった父エティエンヌらから直接英才教育を受けて、学校にも行かずに、「円錐曲線論」や「確率論」などの数学理論や、流体や圧力に関する物理学の「パスカルの原理」などを発表し、その超天才ぶりは、凡人からかけ離れた雲の上の人です。

 とはいえ、「パンセ」の中には凡人の胸にも突き刺さるような鋭い警句が散りばめられています。

 人間とはいったい何という怪物だろう。何という新奇なもの、何という妖怪、何という混沌、何という矛盾の主体、何という驚異であろう。あらゆるものの審判者であり、愚かなみみず。真理の保管者であり、不確実と誤謬との掃きだめ。宇宙の栄光であり、屑。誰がこのもつれを解いてくれるのだろう。(断章434)

 まさに、最近、私は個人的に、このような怪物のような常軌を逸した人間に会い、大変不愉快な思いをさせられたので、この警句は、私の経験を代弁してくれるような感覚になりました。嬉しい限りです。

 人間は、もし気が違っていないとしたら、別の違い方で気が違っていることになりかねないほどに、必然的に気が違っているものである。(断章414)

 パスカルの鋭い洞察力は、人間をここまで見極めてしまっています。

 400年も昔の人間でもこのような感慨に耽ってしまうんですね。

新富島「ウオゼン」日替わり定食950円

 「パンセ」と言えば、「人間は考える葦である」や「クレオパトラの鼻がもう少し低かったら世界の歴史は変わっていただろう」といった文言があまりにも有名ですが、私が再読して、最も度肝を抜かれたのは以下の警句でした。

 好奇心は、虚栄に過ぎない。大抵の場合、人が知ろうとするのは、それを話すためでしかない。(断章152)

 かつてこの渓流斎ブログについて、友人から「衒学的だ」と批判されたことがあります。私自身は無知蒙昧を自覚し、単に知らなったことをブログに書き続けてきたつもりでしたが、パスカル氏からは「知的好奇心というものは虚栄心に過ぎず、他人に話したいだけなのだ」と喝破されてしまったようです。ブログなんかやらなければ良いということです。

 もう一つ、感服した警句は次の文章です。

 時は、苦しみや争いを癒す。何故なら人は変わるからである。もはや同じ人間ではない。侮辱した人も、侮辱された人も、もはや彼ら自身ではないのである。(断章122)

 これも個人的体験ですが、最近、長年親しくしていた友人から侮辱され、袂を分かたざるを得なくなってしまいました。パスカル先生に言わせれば、「彼は昔の彼ならず」ですか…。太宰治に同名タイトルの小説がありましたね。「人は変わり、もはや同じ人間ではない」という数学のような定理を発見した400年前の偉人は本当に凄いですね。まるで預言者です!

 いずれにせよ、「パンセ」には、「この世で生きる時間は一瞬に過ぎず、死の状態は永遠である(断章195)」、「我々の惨めなことを慰めてくれるただ一つのものは、気を紛らわすことである(断章171)」という思想が通奏低音のように鳴り響き、私も学生時代から随分影響を受けてきました。

本当に懐かしいサン=サーンスと「アルルの女」

 本日の読売新聞を読んでいたら、空木慈園著「サン=サーンスをもう一度」という本の広告が目に入って来ました。大変失礼ながら、この本に興味を持ったわけではなく、「サン=サーンス」の名前です。本当に懐かしい。

 今でこそ、ほとんど聴かなくなりましたが、もう半世紀以上も昔の私が小学生時代、毎日のように聴いたものです。東京郊外の小学6年生。当時、私は、代表児童委員会委員長兼放送部の部長で、お昼に2、3人と一緒にレコードを掛ける「係り」を仰せつかっていました。この時、曲を紹介するDJ役もです。放送室に給食を運んで、曲の合間に食事しますが、当時は「特権」のような感じで嬉々として楽しんだものでした。

 曲は、演歌や流行歌やジャズやロックは御法度でした(笑)。やはり、子どもの情操教育に相応しいクラシックです。その中でも、ベートーヴェンやマーラーやシュトックハウゼンのようなちょっと肩肘を張って聴くような曲ではなく、レストランのBGMのような小品です。その代表が、サン=サーンスだったのです。

 「初めにお聞かせするレコードは、サン=サーンスの『白鳥』です」

 サン=サーンスと言えば、「白鳥」。この曲を何度掛けたことでしょうか。

 他に、覚えているのは、レハールのワルツ「金と銀」、そしてエルガーの「愛のあいさつ」(チェロ演奏)、ヨハン・シュトラウス「美しき青きドナウ」、グリーク「ペールギュント」組曲「朝」…。これらも毎日のように掛けていました。今では、YouTubeで検索すれば、簡単に聴くことができますね。今の小学生諸君は、どうしているのでしょうか? やはり、ダウンロードした曲をそのまま流したりしているのかなあ?

東京・一ツ橋

  そう言えば、思い出しました。下校時刻になると、放送部員は、ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」のラルゴ(家路)を掛けるのも仕事でした。

 「下校時刻になりました。用のない生徒は早く家に帰りましょう」

 それでも、帰らない生徒に対しては、

 「運動場の鉄棒近くでおしゃべりしている生徒、早く家に帰りましょう」

 などと、偉そうに注意したものです。

 私の通った小学校は廃校となり、今では影も形もありません。こうして、思い出だけが残っています。

東京・一ツ橋

【追記】

 あんりまー。下校時に掛けた音楽を「ドヴォルザークの交響曲第9番『新世界より』のラルゴ(家路)」と書きましたが、大間違いでした。これは、中学校の時の下校音楽でした!

 では、小学校の時の下校音楽は何だったのか?思い出したら、メロディーが浮かんで来ました。でも、曲名が分かりません。そこで、小学校時代の同級生Gさんに聞いてみました。私が下手なピアノでメロディーを演奏して聴いてもらいました。しかしながら、彼女も思い出せません。

 最後の手段。スマホで「クラシック、フルート、名曲」で検索してみました。その通り、フルートの名曲だったからです。そしたら、何曲か候補が出てきましたが、そのリストの中で直ぐピンと来て、やっと思い出しました。

 ビゼーの「アルルの女」組曲の「メヌエット」でした。

 サン=サーンスよりもこっちの方が胸に沁み渡り、涙が出るほど懐かしくなりました。

 音楽は童心にかえらせてくれます。