マツタケも人類も絶滅危惧種?

 今朝の朝刊各紙で、「マツタケが絶滅危惧種として初めて指定された」という記事を読み、何か、「偶然の一致」の既視感を味わいました。

 私自身、高級食材マツタケとは、「縁なき衆生」(誤用)ではありますが、絶滅してしまう、というニュアンスにビクッと反応してしまったのです。

 というのも、昨日の日経夕刊の記事で、生物学者の池田清彦氏が人類の滅亡を予想していたからです。池田氏によると、これまで地球上に存在した生物の99%は絶滅したといいます。実に99%ですよ!! ほとんど全部じゃないですか。絶滅種といえば、すぐアンモナイトとか恐竜とか思い浮かびます。人類も700万年前に誕生し多くの種類がいましたが、ほとんど絶滅し、我々ホモサピエンスは人類最後の一種だといいます。記事には書いていませんでしたが、絶滅した人類とは北京原人とかネアンデルタール人とかのことでしょう。いずれにせよ、池田氏は「我々ホモサピエンスが遠からず絶滅するのは自明だと思います」と発言しています。

 マツタケどころの話ではありませんね。

 人類が滅亡したらどうなるんでしょうか?

 人類が生み出したあらゆるものー理性も知性も、科学も、歴史も、文明も芸術もなくなるということでしょうか?なくなることはないでしょうね。せめて化石として残るでしょう。書物やDVDとして残っても、それを理解する人類がいなくなったらどうなるか?といった方が問題です。池田氏は、一部の金持ちが自分の脳のシステムをAIにコピーして、不老不死のAI人間が取って代わると「予言」していますが、それって、人類なんでしょうか?

 遠からず、人類滅亡の日、その時は、老若男女、富裕層も貧困層も区別なく、権力者も弱者も分け隔てなく一様に滅びて、財産も名誉も勲章も、そして名声も全く意味がなくなると私なんか思っています。それじゃあ、生きている意味あるの? と皆さんは訝しがることでしょう。

 人生は無意味と言えば無意味だし、宗教や哲学で意味付けしようとすれば、それもできる、としか言いようがありません。

 不安や恐怖に駆られるのも人間だし、死亡率100%と「達観」できるのも人間です。

 でも、絶滅ともなると、それすら越えてしまいますね。はっきり言って、人類もマツタケと同じように、「絶滅危惧種」に指定してもおかしくないでしょう。これだけパンデミックが蔓延り、地球環境が悪化すれば。(40億年以上前から生存しているウイルスは、コウモリでもハクビシンでも生物に取りつくわけですから、絶滅することなく不滅なんでしょうか?)

 別に皆さんを不安や恐怖に陥れる目的で、こんな一文を書いたわけではありません。これだけ壮大な話になると、小さな、細々(こまごま)とした日々の悩みなんか吹き飛びませんか?

 人智を遥かに超え、私なんか、微苦笑さえ浮かびます。厭世観や不条理観に浸っていても、意味もないし、報われることもないからです。

 「だけども問題は今日の雨 傘がない」(井上陽水)

必要でないのかもしれない=コロナ後を見つめてーマイナンバーカードが怪しい

 昨日、大型書店に行ったところ、会計の際に「袋は有料ですが…」と言われてしまいました。えっ!?です。7月1日からスーパーやコンビニで、レジ袋が有料になるという話は聞いてましたが、本屋さんまで有料ですか…。3冊、締めて5000円以上もの「お買い上げ」でしたのに…。

 でも、考えてみれば、袋なんて必要なかったのかもしれません。欧米の書店なんか、丁寧に包装してくれたり、袋に入れたりしてくれるところは滅多にありませんでした。日本だけがバカ丁寧だったのかもしれません。

 昨日はこのブログで、経路依存性(偶然に起こったことについて、因果関係を見い出して必然だと思い込んでしまう人間の性)のことを書きましたが、考えてみれば、何でも習慣的に必要だと思い込んでいただけで、本来は必要でなかったのかもしれません。

 特にコロナ禍で自粛を余儀なくされたりすると、今まで絶対に必要だと思っていたことは、大して必要ではなく、単なる商業資本主義に洗脳されていただけだったことに気付かされます。

銀座のスペイン料理店

 例えば、こんなことを書けば、アパレル業界やファッション業界や出版業界の人に怒られ、「商売妨害」と訴えられるかもしれませんが、流行などいうものは、業界人が「今年のトレンドは紫」とか「今年はセシルカット(古い!)が流行の兆し」などと、作為的につくるもので、「流行に遅れたら大変だ」と焦る若者には必要かもしれませんが、それ以外の人には全く必要ではありません。(例えが悪くてすみません。コロナ禍で、リモートになり、たまたま、リンカーン大統領も愛用したブルックス・ブラザーズ破綻のニュースを聞いたもので)

 そう言えば、先日、「マイナンバーカード」の更新のお知らせが届きました。5年経過したから、カードは使い物にならなくなるぞ、というのです。更新するには、市役所、区役所の担当窓口に会社を休んで平日に行かなければならないというのです。「マイナンバー」は、会社から半ば強制的に登録させられましたが、カードとなると現在、全国の普及率はわずか16%だというのです。

 私の周囲に聞いても、カードまで申請している人はほとんどいなく、「カードは下請けの下請けに作らせて、中国の子会社で製作したりしているから、個人情報が中国当局に筒抜け。お前みたい奴は、中国に入国できなくなるだろう」なぞと脅す奴までいました。もちろん、その人はマイナンバー登録してもカードまで作っていません。

 今、マイナンバーカードを作れば、「5000円ポイント還元」のキャンペーンをやっているようですが、そこまでやるとは! 実に怪しいですねえ。個人情報を根こそぎ採取して、他人の財産を監視するのにこんな簡単な手段はありませんからね。カードのメリットはパスポートを取る際の本人証明になる、とか書いてますが、そんなもんなくたって、自動車免許証や保険証があれば取れますからね。だから16%しか普及しないんですよ。しかも、「隗より始めよ」であるはずの国家公務員のカード取得率でさえ25%(2019年10月末時点)なんですからね!国家公務員は日本で一番賢い人たちですから、彼らが取得しない、ということは、何か裏があるということなのでしょう。

 マイナンバーカードも必要ないのかもしれません。

ランチ1250円

 経路依存性を突き詰めていくと、本当に、衣食住の最低限と病院と薬局さえあれば、他のものは必要ではないのかもしれません。それだけでなく、これまでの人生経験も教養も今後、何ら役に立たず、必要でないのかもしれません。

 さらには、家族も友人も必要でないのかもしれません。宗教も科学も経済学も必要ではないかもしれません。当然、SNSもブログも必要ないということになります。うーん、いやこの辺で止めておきましょう。このままでは、地獄への恐れも、極楽への願いまでも捨てた「捨聖」の一遍上人になってしまいそうですからね。

 ただ、コロナ禍で自粛を余儀なくされた芸術もスポーツもギャンブルも酒も、本来なければないで済んでしまうものかもしれません。でも、必要ないからこそ、逆に、人々は熱狂したり熱中したり、アイドルに貴重な時間やお金を捧げたりするのでしょう。ーということだけは付け加えておきます。

セレンディピティは経路依存性なのかなあ?

 先日、このブログで、お医者さんは、色んな症状や病気に名前を付ける名人だ、という話を書きましたが、お医者さんだけでなく、経済学者もそうですね。

 過日、テレビのドキュメント番組「シリーズ コロナ危機『グローバル経済 回復力の攻防戦』」を見ていたら、「経路依存性」なる用語が出てきました。ネットのウイキペディアでは、

 経路依存性(けいろいぞんせい)path dependenceとは、人々が任意の状況で直面する決定の集合が、過去の状況がもう関係なくなっているとしても、人々が過去にした決定や経験した出来事にどのように制限されているかについての説明である。

 ーなぞと小難しく書かれていますが、番組では「偶然に起こったことについて、因果関係を見い出して必然だと思い込んでしまう人間の性(さが)のこと」と説明してくれて、非常に納得しました。

 この用語が、どんな話の流れで出てきたかと言いますと、新型コロナの世界的蔓延で、不況となり、失業者が増大(米国では4000万人だとか)しているというのに、株価が値を取り戻し、わずか2カ月で昨年並みに回復し、今でも値上がりを続けている。それは、何故なのか?といった話の中で出てきたのです。

 結論的には、株価は実体経済を反映していない、といったものでしたが、新型コロナで需要が落ち込み、人々も消費を控えることになったことから、余ったお金は、将来の不安に備える意味でも貯蓄に回ることになった。米国では、FRBの政策で金利はゼロになり、銀行に預けても利子が付かないのなら、株でも買うか、といった動きが、株価上昇の原因の一つではないか、といった見方でした。(番組に出演していたノーベル経済賞受賞の米スティングリッツ氏も「私もゼロ金利なら、株に投資するね」と発言していました。また、独経済ジャーナリストのヘルマン氏は「実体経済で得られない利益を株に投資した」と発言していました。)

 人々が株に投資すれば、株価が上がる。上がれば、もっと株を買っておこうか、という心理が働く…。しかし、実体経済が伴わない株価上昇であることから、米大手投資銀行日本人初の部門トップである居松秀浩氏の口から「経路依存性」という言葉が飛び出してきたのです。つまり、今の株価は、偶然の重なりで値上がっているのに、そこに因果関係を見つけて、必然だと思い込んでいるという意味なのでしょう。

 なるほど。ケインズが言った「株価は美人投票みたいなものだ」といった言葉を思い出しました。(番組では、「経済学とは道徳学であり、自然科学ではない」というケインズの言葉も紹介していました)

 経路依存性の話を聞いて、10年以上前に日本でも一時期、爆破的に流行ったセレンディピティという言葉を思い出しました。「予測もしていなかった偶然によってもたらされた幸運」とか「幸運な偶然を手に入れる力」などという意味があるようですが、私の場合、「偶然によってもたらされた小さな幸せ」はあったかもしれませんが、どでかい幸運に恵まれることはありませんでしたね(笑)。

 セレンディピティも経路依存性なのかしら?

【お断り】

 記憶で書いたので、テレビ番組の内容を正確に反映したものではありません。悪しからず。番組では、トマス・セドラチェクさんという髭を生やしたチェコの銀行家が登場し、「考えてみれば、仕事なんて人為的につくられているんですよ」「あなたが生きていくためには私なんか必要がないでしょう」といった皮肉を込めた発言が、一番脳髄に残りました。

 このブログの読者の皆様も、生きていくためには、私なんか必要ないのです(笑)。

仏像とお経で仏教思想に触れる

高徳院阿弥陀如来坐像

 残りの人生、お城とともに、寺社仏閣巡りをすることを楽しみにして生きています。足腰がしっかりしているうちにあちこち回りたいのですが、段々しっかりしなくなってきたのが残念です(苦笑)。

 ところで、仏像を鑑賞すると仏さまの思想がよく分かりますーというのは、誰もが間違いやすいパラドックスです。

 その逆で、お経に書かれた仏さまの教えを忠実に再現したのが仏像だというのが正しいのです。とはいえ、我々は、仏像を通して、仏教を知り、救いを求めてお参りすれば、自然と頭(こうべ)が下がり、心が洗われます。これは、理知的ではなく、どちらかと言えば不可知的です。

 いずれにせよ、仏像は仏典を忠実に再現したものですから、「お決まり」があることを知っておかなければなりません。それさえ会得すれば、鑑賞の際に深みが増します。

 仏像には、大きく分けて4種類あります。

(1)如来=真理を得て悟りを開いた存在(釈迦如来など)

(2)菩薩=悟りを求めて修行の身(観音菩薩など)

(3)明王=如来の教えに従わない者を救済(不動明王など)

(4)=仏教に帰依した神々、守護神(梵天、四天王など)

また、仏教寺院に安置される「三尊像」にもお決まりがあります。三尊像とは、中央に如来を配置し、左右に脇侍と呼ばれる菩薩で固めます。

 釈迦如来像の場合、「陀羅尼集経(だらにじっきょう)」に従って、脇侍として、左に文殊菩薩(騎獅)像、右に普賢菩薩(騎象)像を配置します。そして、眷属(けんぞく=主尊に従って教えを広める手助けをする)として、阿修羅などの八部衆が控えます。

 「華厳経」最終章「入法界品」にはこの文殊と普賢が登場します。善財童子が、「智慧第一」の文殊菩薩の勧めに従って、延べ53人、全53カ所の善知識(仏道へと導いてくれる指導者)を訪ね歩き、最後に出会った普賢菩薩によってようやく悟りを得る話です。江戸時代の東海道は、この物語に因んで「五十三次」つくられたといいます。

 薬師如来像は、左に日光菩薩、右に月光(がっこう)菩薩を脇侍として配します。眷属は、伐折羅(ばさら)などの十二神将です。

 浄土教の阿弥陀如来像は、左に観音菩薩、右に勢至菩薩が脇侍です。日本人に最も馴染みが深い観音さまは、阿弥陀如来の脇侍だったんですね。来迎図でも描かれます。観音さまは、六道にも対応して、如意輪観音菩薩=天道、准胝(じゅんでい)観音菩薩、もしくは不空羂索観音菩薩=人間道、十一面観音菩薩=修羅道、馬頭観音菩薩=畜生道、千手観音菩薩=餓鬼道、聖観音菩薩=地獄道に当たります。

 華厳思想から生まれた毘盧遮那如来像には、左に虚空蔵菩薩、右に如意輪観音菩薩が脇侍として控えています。東大寺大仏殿もそういう配置になっていますが、私は、そこまで知らずにお参りしていました。

 と、ここまで読まれても、字面だけではよく分からないでしょう。私の場合、たまたま本屋さんで、釈徹宗監修「お経と仏像でわかる仏教入門」(宝島新書、2020年6月24日初版)を見つけて購入し、大変重宝しています。仏像などカラー写真が豊富に掲載され、色々と勉強になります。例えばー。

 極楽浄土と言えば、西方にあることは知っていましたが、それは阿弥陀さまの世界で、東方には浄瑠璃浄土があり、ここには病を癒してくれる薬師如来がおわします。人形浄瑠璃の浄瑠璃は、この浄瑠璃浄土からとったのでしょうか?

 56億7000万年後の未来に現れる弥勒如来は、兜率天浄土におられ、智慧を具現化し、物事に動じず迷いに打ち勝つ強い心を授けるといわれる阿閦(あしゅく)如来妙喜浄土におられるということです。浄土とは清浄国土、または清浄仏土の略で、ほかに、霊山浄土や十方浄土、天竺浄土、そして観音菩薩が降臨する補陀落(ふだらく)浄土などもありますが、浄土といえば、だんだん阿弥陀如来の西方浄土のことを指すようになったといいます。

 さて、私自身は、恐らく特定の教団の信徒や門徒や信者にはならないと思いますが、実は、寺社仏閣巡りをしながら、どの教団宗派が自分と阿吽の呼吸が合うか調べることも楽しみにしているのです。そのせいか、仏像や仏画を鑑賞するのも大好きです。西洋美術を鑑賞する際も、キリスト教の知識がないとさっぱり分からなかったので、そのために聖書をよく読んだものでした。

 仏教は何も、特定の信者のためだけにあるわけではなく、万人に開かれているはずです。私自身も煩悩具足の凡夫ですから、個人として、今後も寺院を参拝したり、仏教書に目を通すことは続けていきたいと思っています。

HSPとは何ぞや?神経過敏症?=そのうち和らぎますよ

ラファエロ WST National Gallery Copyright par Duc de Matsuoqua

 新聞や雑誌で、医療関係の記事を読んでいると、本当に色んな病名が出てきます。日常のわずかな刺激がきっかけで、顔面に激痛が生じる「三叉(さんさ)神経痛」、加齢により食事でむせたり食べこぼしたり、滑舌が悪くなったりする「オーラルフレイル」…等々。そんな時、「医者はちょっとしたことでも名前を付けることが好きだなあ」と傲慢にも思ってしまいます。

 しかし、病名が付くことによって、患者のモヤモヤが解決することがあります。原因不明の腰痛や腹痛、肩こり、眼痛、手足のしびれに襲われ、検査しても何も分からない時、医者から「それは、フレイルですよ」と言われれば、分かったような分からないような気分ですが、「嗚呼、俺はフレイルなんだ」と病名が分かっただけでも安心します。実際、「もう年なので、治しようがありませんよ」という意味なのかもしれませんけどね(笑)。

 そんな中、最近、「へー」と思ったのが、HSPという病気です。いや、病気や障害ではありません。HSPとは、Highly Sensitive Person(過度に繊細な人)の略でそういう体質、気質の人のことです。精神病理用語ではなく、心理学用語で、1990年代に米国のエレイン・アーロン博士が提唱したもので、人口の20%、つまり5人に1人の割合で見られるといいます。こういう人たちは、生まれつきストレスを処理する「扁桃体」が普通の人より活発で、不安や恐怖を感じ取りやすい性質を持ちます。

 つまり、異様に感受性が鋭く敏感な気質を持った人ということになります。昔言っていた神経質とか神経過敏症に近いかもしれません。

ヤブカンゾウ

 アーロン博士によると、HSPには四つの特性があります。

(1)行動処理の深さ Depth of processing=その場限りの快楽よりも真面目な生き方や哲学的ものに惹かれる、など。

(2)刺激に敏感で疲れやすい Overstimulation=人の些細な態度や言葉に傷つき忘れられない、など。

(3)人の気持ちに振り回されやすく共感しやすい Empathy and emotional responsiveness=人のちょっとした仕草や声音などに敏感で相手の機嫌が分かる、など。

(4)あらゆることに敏感 sensitivity to subtleties=寝る時、時計の音が気になり、強い光が苦手など。

 いやはや、確かにこういう人たちは、単に生きているだけでつらいし、疲れますよね。HSPは病気ではありませんが、こういう気質の人は、鬱病や双極性障害、統合失調症などの精神障害になりやすいと言われます。

 可哀そうですね。と言っても我が身にはね返ってきます。

 特に若い頃の私は、これら四つの特性に全て当てはまりました。(1)→とにかく、誠実に正直に生きたいという願望がありました。(2)→相手を気遣うのですぐ「人疲れ」してしまい、家に帰るとどっと疲れが出てきました。(3)→人の気持ちに作用されやすい。(4)→感受性が鋭く、ゴッホの「アイリス」を見ては感情が高ぶって涙がでてきて、ワグナーの「ニュンルンベルクのマイスタージンガー」を聴いただけで感動でむせび泣いたりしました。あまりにも繊細で感受性が激しいので、「自分の神経はピアノ線より細い!」と絶叫したことがあります。

 こんなんでは、行きつく先は、知れたものです。事実、私もそうなりました。

 でも、加齢のおかげで神経も摩耗し、大分穏やかになりました(笑)。歳を取るのも悪くはないですね。ちょっとしたことがきっかけで、神経が壊れてしまうことが分かったので、落ち込まなくなりました。気にしてもキリがないので、物事に執着しなくなりました。

 何と言っても症状が和らぎ、薬なしで夜、眠ることができるようになったことは、本当に有難いことでした。

 HSPの確率は5人に1人の20%だということは、残りの80%、つまりほとんどの人はHSPではないということになります。人の気持ちに振り回されることはなく、些細な言葉に傷つくこともなく、うるさくてもぐっすり眠られるということでしょうか?羨ましいですねえ。そう言えば、暴露本で叩かれても馬耳東風で、週刊誌に悪口を書かれても全く気にすることなく堂々とメディアに出続ける人も世の中にはいます。神経が図太くみえますが、単に「偏桃体」が正常だということなのでしょう。医学的に割り切れば何でもない話です。

 HSPだからと言っても、特別でも何でもない。歳を取れば、神経も少しは和らぎますよ、と若い人には伝えておきたいと思い、こんなことを書きました。

松岡將写真・文「ワシントン・ナショナル・ギャラリー 参百景ー美の殿堂へのいざない」(同時代社)

 「有言実行の人」です。

 まさかこんなに早く企画が実現するとは思ってもみませんでした。

 私のブログが本になりました。いや、間違いました。言葉足らずでした。屡々、私のブログに掲載させて頂いている写真(WST National Gallery Copyright par Duc de Matsuoqua)が本になりました、というのが正確です。

 7月7日に同時代社から刊行される「ワシントン・ナショナル・ギャラリー 参百景ー美の殿堂へのいざない」(4800円+税)という美術書のことです。

 写真と文は、近現代史・満洲研究家の松岡將氏です。1970年代初頭といいますから、もう今から半世紀近い昔。30歳代後半の農水省のエリート官僚だった松岡氏は在ワシントン日本国大使館勤務を命じられました。丸4年間の滞米生活を送った折、まさに公私ともに通い詰めた所がワシントン・ナショナル・ギャラリーでした。自宅から車でわずか20分という近距離だったこともあり、週末のプライベートの時だけでなく、日米農産物貿易交渉に関わる日本の国会議員や政府関係者、米国の上下両院議員、米農務省高官らとの接遇場所や空いた時間に案内するなど訪問回数は、幾何学級数的(多いという意味です)。ついでに撮った写真も何百枚、何千枚だったようです。詳しくは分かりませんが、そのカメラ装備も、ライカのようなプロ仕様だったと思われます。欧米の美術館のほとんどでは写真撮影は問題はないのですが、フラッシュ撮影は禁止でしょう。恐らくプロカメラマンのように照明まで配備できなかったかもしれませんが、驚くほど画像が鮮明で、画素数もかなり高感度です。

 実は、この有り余るほどのギャラリーの写真を松岡氏は最初、持て余していたようです。彼は、有難いことに、このブログの愛読者でして、私が適当に選んだ写真とブログの記事とのあまりにもの乖離(つまり合っていないこと)を嘆かわしく思われたらしく、ある日、「この写真をブログに御自由に使ってください」と、小生に添付メールで送ってくださったのです。

 そのうち、「ギャラリーの写真をまとめた本をいつか出したい」という話を伺ったのが、1年半ほど前でしたか。それが、「ある出版社に企画を持ちかけています」と聞いたのが、昨年の今ごろ。「著作権は大丈夫かなあ」と心配しつつ、その後、コロナ禍もあり、「企画の実現は随分先のこと」とこちらで勝手に思っていたところ、予告もなく、この本が「贈呈」として送られてきたのです。もう吃驚です。

 表紙の写真は、レオナルド・ダビンチ作「ジネヴラ・デ・ベンチの肖像」(1474~78)です。ダビンチの作品が欧州の美術館以外で所蔵されているのは、ここしかないそうです。この名作は、ワシントン・ナショナル・ギャラリーの創設者アンドリュー・メロンの長女エルサ・メロン・ブルースAilsa Mellon Bruce (1901~1969)が1967年に購入したといいます。長い美術史から見れば、つい最近のことではありませんか。

 ワシントン・ナショナル・ギャラリーは、世界の有名美術館の中でもごく新しい美術館で、実業家・銀行家で米財務長官などを歴任したアンドリュー・メロン(カーネギー・メロン大学に名を遺す)が1931年に個人でエルミタージュ美術館などから取得した収集品を米国民に寄贈する形で、当時のルーズベルト大統領と米議会の同意で1937年にワシントンDCの地で着工し、1941年に開館した美術館だったのです。近現代史、昭和史のど真ん中じゃありませんか。

 松岡氏はさすが近現代史研究家ですから、「あとがき」の中で、1931(昭和6)年は満洲事変が勃発した年、1937(昭和12)年は支那事変(日中戦争)が開始した年、ギャラリー開館2カ月前の1941(昭和16)年1月は、陸相東条英機大将が「生キテ虜囚ノ辱メヲ受クルナカレ」とする「戦陣訓」を全軍に示達した、などと書いておられます。

 そして、「ナショナル・ギャラリーは全長238メートル、戦艦大和は全長256メートルで、大きさはほぼ同じだった」などと過去の御自身の著作からも引用しています。日本が軍国主義に邁進している時に、米国は着々と文化を育成していたのです。

 本書では、肝心の美術作品については13世紀末の宗教画辺りから、ルネサンスを経て、近世、近代の写実主義、印象派辺りまで網羅しています。ダビンチ、ラファエロ、レンブラント、モネ、ゴッホら巨匠の名前は、表紙写真の帯に出ている通りです。

オランダの聖ルチア伝説のマスター「天上の聖母マリア」(1485/1500年)WST National Gallery Copyright par Duc de Matsuoqua

 私はかなりの面倒臭がり屋ですから、松岡氏からお借りした写真をブログに掲載する際、わざと(笑)キャプションを掲載しませんでしたが、この本ではしっかりと、作品名、年代、作者まで明記されていますので、長年、渓流斎ブログを見て「この写真の作品は何だっけ?」と悩んでおられた方々は、一気に解消されます。(松岡氏は、特別に思い入れのある作品については、個人的なコメントを添えています。例えば、上の写真の「天上の聖母マリア」については「ワシントン駐在となる数年前に母を失ったばかりの私の心を、仏画にも似て癒してくれるものだった」などと…)

 かつては王侯貴族ぐらいしかこのような美術作品に触れることができなかった時代と比べれば現代人は本当に恵まれています。しかも、ワシントン・ナショナル・ギャラリーは、米国民のために設立された美術館なのに、「文化は人類共通の財産」として、異邦人(しかも設立当時は敵性国人!)にも自由に開放しているところが本当に素晴らしい。松岡氏もあとがきで、「(写真を)このまま自分一人のものとしておくのは、いかにも勿体ない。出来れば何とかこれを多くの人々と共有することができないか、と思うようになった」ことが、出版の動機だったことを明かしています。

 この「世界初」の書評(?)を読まれて御興味を持たれた方は、是非手に取って御覧になって頂ければ私も嬉しいです。

【お問い合わせ】高瀬照雄 様

前略

6月30日、このブログの記事に登場した「群馬県在住の88歳の作詞作曲家」についてお問い合わせして下さった高瀬照雄様。

こちらから何度か返信致しましたが、メールアドレスが間違われているようで、戻ってきてしまいます。

「ドメイン khaki.plapa.or.jp が見つからない」との理由でした。

改めて、正しいメールアドレスを御教授頂ければ幸いです。

また折り返し関係者からご連絡申し上げます。

恐惶謹言

渓流斎

鎌倉大仏さま~鎌倉長谷観音 誓願記

 7月2日、鎌倉・ジタン館での「加藤力之輔展」を辞してから、梅雨の晴れ間に恵まれていたので、久しぶりに鎌倉大仏さまを拝顔することに致しました。

 10年ぶりぐらいですが、もう何度目でしょうか…。10回ぐらいはお参りしていると思います。(拝観料300円)

小学校5年生 秋の遠足 小生は前から3列目にいます。前列に吟さんもいますね。

 初めて行ったのが、もう半世紀以上昔の小学校5年生の10月の遠足の時でした。子どもですから、ここが高徳院(大異山高徳院清浄泉寺)という名前の寺院だということを知らず。長じてからも、この高徳院が法然上人(1133 ~ 1212 年)を開祖とする浄土宗の寺院だということも知らずに過ごしてきました。

国宝です

 そして、肝心の鎌倉大仏とは、阿弥陀如来坐像だったということも、恥ずかしながら、つい先年になって知りました。大仏は、大仏という大きな枠組みでしか意識していなかったのです。ですから、当然のことながら、毘盧遮那如来も釈迦如来も阿弥陀如来も阿閦如来も薬師如来も、区別がついておらず、意識もしていませんでした。

 それでは駄目ですから、仏像の見方やお経の基本などを俄か勉強し、しっかりと実体を意識して、鎌倉大仏さまを改めてお参りしたかったのです。

 鎌倉大仏は、阿弥陀如来に特徴的な両手の印相が、瞑想を示す禅定印(ぜんじょういん)になっています。

 しかも、九品往生印の中でも「上品上生」にみえます。

 写真をご覧になればお分かりのように、平日のコロナ禍ということもあって、観光客の数がめっきり減り、本当に少なかったでした。(それでも、日本人より外国人の方が多い気がしました)

 説明文にあるように、この鎌倉大仏は、源頼朝の侍女だったといわれる稲多野局が発起し、僧浄光が勧進して造った、とあります。しかも、「零細な民間の金銭を集積して成ったもので、国家や王侯が資金を出して作ったものではない」とわざわざ断り書きまで添えています。

 そうでしたか。貧困の中、なけなしのお金を寄付する人も多かったことでしょう。当時の庶民の人々の信仰の深さが思い寄せられます。

 自分では絵葉書にしたいぐらい良い写真が撮れた、と勝手に思ってます(笑)。

 以前は大仏さまの胎内に入ることができましたが、またまたコロナ禍で閉鎖されていました。

 鎌倉時代の創建当初は、奈良の大仏さまと同じように寺院の建物内に安置されていたそうですが、台風で何度か吹き飛ばされ、以後、建物は再建されていません。

 吹きさらしで、しかも、海の潮風で大仏さまが傷まないか心配です。あと、1000年、2000年と持つでしょうか?

長谷寺

 鎌倉大仏には、江ノ電の長谷駅で降りて行ったのですが、何度も行っていたはずなのに、道が分からず少し困ってしまいました。多くの人が歩いているので、付いて行った感じです(笑)。方向音痴で地図の読めない男ですから、困ったものです。

 長谷駅から高徳院へ行く途中、長谷観音で有名な長谷寺があったので、帰りに立ち寄りました。生まれて初めての参拝です。400円。

この寺も浄土宗でした。御本尊さまは十一面観音菩薩です。像高9.18メートルで、国内最大級の木造観音だということです。

 観音堂の隣りが「観音ミュージアム」になっていて、そのまま入ろうとしたら、「そちらは入館券が必要です」と係の人に怒られてしまいました。失礼致しました。300円。

 私以外、誰一人も入館する人はいませんでしたが、ここの「観音三十三応現身立像」は圧巻でした。法華経の第二十五章「観世音菩薩普門品(ふもんぼん)」(「観音経」)によると、観音菩薩はさまざまな人々を救うために、三十三身に化身するといいます。聖者の仏身、天界の梵王身、八部身の迦楼羅身などです。ヒンドゥー教と習合したバラエティーに富んだ化身が見られます。(こうして、事前に勉強しておけば、参拝し甲斐があるというものです)

 観音三十三応現身立像は、室町時代につくられたようですが、長谷寺によると、三十三身が全てそろった立像は全国でも珍しい、ということですから、機会が御座いましたら、皆さんもお参りされたらいいと思います。

時宗総本山遊行寺(藤澤山清浄光寺)お参り記

 柳宗悦著「南無阿弥陀仏」(岩波文庫)に巡り合って以来、日本の仏教、中でも浄土思想にかなり興味を持つようになりました。(日蓮は「真言亡国」「禅天魔」「念仏無間」「律国賊」と痛烈に批判しましたが…)

 若い頃に表面的に触れていた仏教は、かなり理解が浅く、それどころか、誤解している面が多々ありました。曰く、「浄土教は単に極楽浄土への往生を願い、来世だけが大事で、現世はどうでもいい…」、曰く、「浄土思想も踊り念仏も、いたって前近代的で、現在ではもはや通用しない…」云々。

 そんな誤解を吹き飛ばしてくれたのが、柳宗悦著「南無阿弥陀仏」でした。特に、法然(浄土宗)~親鸞(浄土真宗)~一遍(時宗)に至る一連の浄土教の変遷、発展、止揚、変容には目を見張るものがありました。

 著者の柳宗悦は、中でも、当時(終戦後間もない頃)軽視され過ぎていた一遍上人(1239~89年)に焦点を当て、再評価し、名誉を復活させたい意気込みを感じました。一遍は「捨聖(すてひじり)」の異名を持ち、臨終間際には、所持していた全ての経典を寺僧に譲るか、焼き捨ててしまいました。上人は「多くの学僧が色々と立ておかれた教えがございますが、全て色んな疑念に対する仮初めの教えである。念仏行者はこのような教えも捨ててしまって念仏すべきである」とまで言ってます。(ですから、本人は教団を設立する意思はなく、時衆→時宗教団をつくったのは二祖真教上人=1237~1319年=でした)

 私の古い友人に、財産を捨て、家族を捨て、友人を捨て、名誉を捨て、全てを捨てて「捨聖」のような生活を送っている人がいるので、個人的に尚更、一遍上人に惹かれます。

 本を読んで、いつか、一遍上人が開いた(ことになっている)時宗の総本山遊行寺に行ってみたいと思っていました。遊行寺のある神奈川県の藤沢市は、自宅から遠方なので、いつになることやら、と思っていましたが、先日、意外と早く、その夢を実現することができました。

遊行寺本堂

総本山だけになかなか立派な寺院でした。

本堂内にはかろうじで靴を脱いで中に入れました。無人でしたが、監視カメラが見張っていたと思います。御本尊は、金色に輝く立派な阿弥陀如来さまでした。写真を撮りたかったのですが、もちろん、控えました。

一遍上人像

 本堂前に一遍上人像があります。時宗の宗祖ではありますが、この寺を創建したわけではないことは先に書いた通りです。

 一遍上人は、全国各地を遊行し、出会った人々に「南無阿弥陀佛」と書いた念仏札を配り歩いて定住していなかったからです。(その活動は、算(ふだ)を賦(くば)り、結縁することから賦算(ふさん)と呼ばれました)

 ということで、この総本山遊行寺は、正式名称は藤澤山(とうたくざん)清浄光寺(しょうじょうこうじ)といいます。創建したのは、1325年、四祖の呑海上人でした。

 上の写真の説明文にある通り、この呑海上人の実兄が地頭の俣野景平で、この広大な敷地を寄進したとあります。景平は死後、俣野大権現として境内で祀られています。

 藤沢は、東海道五十三次の宿場町としても栄え、歌川広重の浮世絵などに描かれています。ですから、藤沢は近世の宿場町から名前を取ったものとばかり思っていましたら、既に中世鎌倉時代から遊行寺の門前町として大いに栄え、藤沢山から取って、藤沢の地名になったというのです。

 勉強になりました。

 本堂の裏手の長生院に「小栗判官の墓」があるというので足を運んでみました。

 小栗判官は、歌舞伎の演目「當世流小栗判官」にもなった実在の人物で、私も20年近く昔に、先代市川猿之助主演で舞台を見たことがあるので、馴染み深かったからです。

 小栗判官と照手姫伝説の「史実」に関しては、上の写真の看板に書かれていますので、お読みください。

上の写真の「中雀門」はなかなか風格がありました。

 説明では、幕末に紀伊大納言の徳川治宝による寄進とありますが、徳川家の葵の御紋ではなく、菊の御紋の方が目立ちますね。

 ◇「国宝 一遍上人聖絵」買えず、非常に残念

 今回、時宗総本山遊行寺をお参りしたもう一つの目的は、境内で販売している「国宝 一遍上人聖絵」の図録(2000円)を購入することでした。しかしながら、残念。この中雀門の奥にある寺務所にも行きましたが、「新型コロナの感染防止」を理由に閉まっておりました。「お守り札も御朱印もお手渡ししません」と掲示されていたので、大声を出して呼んでも無理なのでしょう。残念でした。

 この寺務所だけでなく、境内にある「遊行寺宝物館」も新型コロナのため、まだ依然として休館でした。「新型コロナを世界で一番怖がっているのはお坊さんですよ」と言う人がおりましたが、その通りですね。広い境内では、たったのお一人も僧侶に遭遇することはありませんでした。

【追記】

一遍上人語録に以下のものがあります。

 念仏の行者は智恵をも愚痴をも捨て、善悪の境界をもすて、貴賤高下の道理をもすて、地獄をおそるる心をもすて、極楽を願ふ心をもすて、又諸宗の悟りをもすて、一切の事をすてて申す念仏こそ、弥陀超世の本願に尤もかなひ候へ。(消息法語5)

 地獄を怖れる心を捨て、極楽浄土を願う心も捨て、仏教の悟りも捨て、とにかく智慧も愚痴も一切の事を捨てろ、とまで言ってます。超過激な究極の思想ではないでしょうか。

鎌倉のジタン館で「加藤力之輔展 時の足跡」

Daisuke Kato et Angela Cuadra ミクストメディア

 かけた情けは水に流せ

 受けた恩は石に刻め

 2年前のスペイン旅行で、ピカソの「ゲルニカ」を見る際に奥方様に大変お世話になり、昨年は京都での「送り火」で再会した加藤力之輔画伯が鎌倉で個展を開催されているということで、ちょっと足を延ばしてきました。

昨年は、加藤画伯の御子息Daisuke氏と御令室のAngelaさん、それに可愛い盛りの腕白のお孫さんたちにもお会いしましたが、二代にわたる芸術一家でDaisuke氏とAngelaさんの作品も展示されていました。

新型コロナで甚大な被害を受けたスペイン・マドリード在住の加藤画伯の奥方と御子息夫妻、お孫さんたちは、どうにか息災で元気にしているということで、少し安心しました。

東京では2日、ついにコロナ感染者が100人を越えました。

そこで、観光地鎌倉の人混みを避けて、平日に有休を取って伺ったのですが、交際範囲が広い加藤画伯のことですから、結構、訪れる方がいらっしゃいました。

ジタン館は、画廊のオーナーの御尊父が、自宅を改造して画廊に仕立てたようですが、戦前は若い無名画家のパトロンでもあり、仲が良かった藤田嗣治の若い頃の全く見たことがない後年の画風とは全然違う作品も所蔵されておりました。それを内緒で見せてもらいました(笑)。

この画廊は、鈴木清順監督なら涎を垂らしてでもロケに使いたいような雰囲気があります。私も何年かぶりに訪れたのですが、方向音痴で地図を読めない男ですから、ちょっと迷ってしまいました(笑)。

加藤力之輔展は、7月6日(月)まで開催中です。

そう言えば、帰り際、小生が「これから鎌倉近辺の寺社仏閣巡りをするつもりです」と話したところ、加藤画伯は「2022年のNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の主人公北条義時が建てた覚園寺(かくおんじ)に行かれると良いですよ。あそこはまだあまりよく知られていませんが、素晴らしいお寺ですよ。鎌倉駅からバスが出てます」などと色々と教えてくれました。

 加藤画伯は地元鎌倉出身なので色々と詳しいのです。生憎、この日は別の寺社仏閣に行く予定をしていたので今回は覚園寺には行きませんでした。でも、再来年にブームになる前に一度訪れたいなあ、と思ってます。