浄土宗西山派を巡る京都の旅(中)=島原から長岡京の光明寺、そして百万遍へ

島原の御門

京都の旅2日目の17日(土)。

 前夜、「明日は何処に行きましょうかねえ。世界遺産になった仁徳天皇陵に行きますか」と京洛先生は仰るので吃驚してしまいました。ここ数年、毎年のように欠かさず京都旅行をして、京洛先生のお世話になっておりますが、昨年は神戸、一昨年は大津…と、御本人は京都を飽きてしまっているのか、京都以外を巡ることが多かったのでした。

 でも、何となく気乗りがしませんでした。「安養寺の村上住職が仰っていた熊谷直実が創建したという光明寺に行ってみたいのですが…」と提案したところ、京洛先生は「そうですか。では、今回は浄土宗西山派の旅としますか」ということで、予定を変更してくださいました。

 その前に「腹ごしらえ」ということで連れて行ってくれた所が島原です。

 江戸時代に遊郭や料亭が軒を連ね、幕末の志士や新選組らが入り乱れた歓楽街です。司馬遼太郎の小説などによく登場していましたね。

島原の遊郭「角屋」

残念ながら、今ではすっかり寂れてしまい、歴史的保存建造物などになってしまいました。

ちょっと歩けば「長州藩志士 久坂玄瑞の密議の角屋」などの石碑があります。

 角屋については、上の写真の説明文をお読みになってください。

島原住吉神社

 何で、島原に来たかといいますと、ここには特別に安くて旨くて量もある和食を食べさせてくれる「魚河岸 宮武」があるからでした。以前から、京洛先生から「今度、京都にお見えになったらお連れしますよ」と聞かされていた店で、私はすっかり忘れていましたが(笑)。

 ガイドブックには載っていないような、知る人ぞ知る店で、口コミでやって来たお客さんが、大勢やって来ます。 ランチは、朝の10時半開店で、午後1時半で完売状態になります。

10時半に着いたのですが、既に満杯で、30分ほど戸外の暑い炎天下で待たされることになり、近くの島原住吉神社などをお参りして時間をつぶしました。

宮武 日替わり定食800円(税別)

 午前11時、待望の入場です。

 上の写真をご覧になればお分かりの通り、大層豪勢な料理だというのに、日替わり定食が800円(税抜き)という飛び切りの安さです。味は勿論天下一品です。近くに別のこじんまりとして和食屋さんがありましたが、同じような品数の料理で1500円の価格でした。まあ、何と、半額近い値段!これなら人が押し寄せるはずです。

 この「宮武」の近くに魚市場があり、東京でいえば、築地か豊洲といった感じでしょうが、新鮮な魚がすぐ手に入る地の利を生かして、随分良心的な商売をしているものだと感心してしまいました。この店に連れて行ってくださった京洛先生には感謝、感謝です。

 お腹が整ったところで、目指したのは浄土宗西山派の総本山光明寺です。

 京都市街から少し離れた長岡京にあり、バスと阪急電車を乗り継いで、1時間ぐらい掛かったでしょうか。阪急「長岡天神前」からバスに乗りましたが、1時間に2本ぐらいしかなく、行きも帰りも30分ぐらい待たされました。

 でも、足を運んで良かったでした。境内のあまりにもの広さに圧倒されました。

 不勉強で何も知らなかったので、前日に安養寺の村上住職から光明寺の話を聞かなかったら、お参りすることすら頭にありませんでしたからね。

 光明寺とはどんな寺なのか、私が説明するよりも、上の写真を読んでくだされば、十分です。

 光明寺の創建に尽力したのは、「平家物語」や謡曲「敦盛」などに登場する武将熊谷直実です。

 熊谷直実は、今の埼玉県の熊谷市出身かと思ったら、安養寺の村上住職によると、もともとは京都の出身で、平氏だったらしいですね。それが、坂東に下って源氏の武将になったらしいのです。

 武将の宿命とはいえ、多くの人を殺める罪の深さにおののいた熊谷直実は、出家して法然上人の弟子となります。物語は、文楽と歌舞伎「熊谷陣屋」などにも取り上げられ、人口に膾炙しています。

 熊谷蓮生法師となり、念仏一筋に暮らした「念仏三昧院」が、今の光明寺に発展したと言われています。

上の写真は、御影堂(みえどう)で宝暦3年(1753年)に再建された光明寺の中心となるお堂だそうです。御本尊は法然上人御自作の「張り子の御影」。堂内に座っておられた僧侶の方と少し話を伺ったところ、浄土宗西山派の光明寺別院が東京都町田市にもあるということでした。

かなり立派なお堂です。

ほとんど参拝者がおらず、ゆっくりと参拝することができました。

円光大師火葬跡

ここは、法然上人の死後15年経過した頃、専修念仏の広まりに危機感を持った天台宗の僧兵たちが知恩院の御廟を襲撃するという話(嘉禄の法難)を聞いた弟子たちが、密かに上人の遺体を掘り起こして、この地に運んで荼毘に付したと言われます。(遺骨は各地に分骨されたそうです)

 この話を安養寺の村上住職から伺って、是非とも光明寺をお参りしたいと思ったのでした。

 光明寺の隣りには、村上春樹さんの御尊父も通った浄土宗西山派の僧侶を養成する「西山専門学校」(現京都西山短期大学)もありました。「ここだったのかあ」と感激しました。

 炎天下だったので隈なく歩いたわけではありませんが、大学の近くには商店どころか、喫茶店すら見当たらず、これでは修行三昧するしかないかな、と思いました。

 光明寺を辞して、また京都市内に戻り、向かったところは「百万遍」。「今回は浄土宗巡りにしませう」という京洛先生の提案でした。

 百万遍知恩寺は、浄土宗八総本山の一つということで、お参りは欠かせません。

 上の説明文にある通り、百万遍というのは、文字通り、疫病退散のために百万遍も念仏を唱えたところから、付けられたんですね。

百万遍知恩寺 本堂

百万遍の辺りは、京都大学のキャンパスがあちこちにありました。そのうち、ノーベル物理学賞を受賞した湯川秀樹博士の記念館にも足を運んでみました。

京都帝国大学は、村上春樹さんの御尊父も学ばれた大学なので、いつのまにか、彼の手記「猫を捨てる」を辿る旅になりました。

村上春樹氏は、この「猫を棄てる」という父親について初めて書いた手記の中で、「こういう個人的な文章がどれだけ一般読者の関心を惹くものなのか、僕にはわからない」と疑っておりましたが、こうして、私のような一人の一般読者が、安養寺~西山専門学校~京都帝大と足を運んだわけですから、相当な影響力があったということです。ご安心ください(笑)。

 猛暑の旅を終えて、北野天満宮近くの京洛先生の邸宅に戻り、すっかりお馴染みになった近くの銭湯「西京極湯」で一風呂浴びました。

 この「西京極湯」の近くにあるのが、浄福寺です。幕末に薩摩藩の屯所となった寺です。司馬遼太郎の小説にもあります。

浄福寺と薩摩藩との御縁は、天正20年(1592年)、豊臣秀吉の朝鮮出兵に反対して自害させられた島津歳久の首が葬られたことから始まったと言われています。

 浄福寺は延暦年間に天台宗の寺として創建されましたが、火災などで色々と移転があったりして、室町時代末から浄土宗となりました。

 うーん、すごい。ここも浄土宗ですか。偶然にも浄土宗巡りとなりました。

一風呂浴びてからの楽しみは、やはり、きゅっと一杯。

 風呂上りによく立ち寄っていたお好み焼き屋さん「西出」がお盆休みだったので、千本通の串カツ屋さん「半左笑門」に初めて入ってみました。

 いけてました。

浄土宗西山派を巡る京都の旅(上)=安養寺の村上住職を訪ねて

 ほんの少しの御無沙汰でしたが、京都に行っておりました。8月16日(金)~18日(日)の2泊3日という短い期間でしたが、内容は4泊6日といった感じでした。

 すっかり京都の「常宿」となってしまった京洛先生の御邸宅に御厄介になりながらの旅でした。

 この時期、Overtourism(観光公害)を覚悟していたのですが、割と空いていました。台風一過のせいで国際線の本数が減ったせいなのかもしれません。京洛先生は「台風ですから、蒙古襲来みたいなものですよ」と仰るので大笑いしてしまいました。   

京都は、京洛先生のショバですから、全てお任せです。

今回は、左京区にある青龍山安養寺の村上純一御住職と面談することが本義でした。あ、慣れない仏教用語を使ってしまいました(笑)。

このブログで、何回か触れさせて頂きましたが、村上純一御住職は、ノーベル文学賞に最も近い作家村上春樹さんの従兄弟に当たる人で、春樹さんが今年5月発売の「月刊 文藝春秋」6月号に初めて御尊父の思い出の手記(「猫を棄てる」)を書かれたのを読み、その御紹介ついでにこのブログで取り上げたのでした。

その際、間違って、同姓同名の京都市の安養寺ながら、東山区にある慈円山安養寺の方だと思い込んで紹介してしまい、このブログを目にされた村上純一御住職、御本人から誤りを指摘されたのでした。

で、今回は、大袈裟ですが、その訂正謝罪行脚でもあったわけです。

「小宝」のオムライス、手前が(中)で1000円

繰り返しになりますが、京都に着けば、全て京洛先生お任せです。「取り敢えずランチにでも行きませう」ということで、京都駅から市バスに乗って、場所も分からぬまま、降りて炎天下を歩いた所が、岡崎の高級別荘地区でした。京都市動物園の近くにある洋食屋「小宝」に向かいました。

昼1時過ぎでしたが、長い行列。日陰のない炎天下、立ったまま30分も待ちましたが、待った甲斐がありました。

何しろ、修学旅行の生徒がタクシーで乗り付けるほどの人気店で、その量が半端じゃない。上の写真のオムライスをご覧になれば、お分かりの通り、(中)で(小)の2倍。(大)はまず一人で食べ切れないでしょう。

物識りの京洛先生によると、「小宝」は、京都の老舗洋食店「宝船」(今はない)から暖簾分けした店で大層昔から繁盛していた店だそうです。

後でお会いした安養寺の村上純一御住職も子どもの時から行っていたそうで、昔から混んでいたそうです。

山縣有朋 別邸「無鄰菴」

この後、何処に行くのかと思いましたら、明治の元勲山縣有朋の別荘「無鄰菴」でした。明治29年に完成し、現在は京都市が委託管理して一般公開してます。入園料410円。

見事な庭園は七代目小川治兵衛作。この辺りの高級別荘の庭園の殆どを小川治兵衛が手掛けたそうです。別荘地区には、老舗の野村財閥のほか、最近では、新興宗教Sやニトリの似鳥さんらも加わったそうです。

そういえば、競馬騎手の武豊さんの大豪邸も教えてもらいました。大名屋敷みたいで、半端じゃありませんでした。写真も撮りましたが、このブログにアップするのはやめておきましょう。

この後、何処に導いてくれるのかと思ったら、もう歩いて安養寺に向かっておりました。ついでに、東山区の慈円山安養寺(時宗)にも連れて行ってもらうつもりでしたが、京洛先生は大変せっかちな性格です。「遅れてしまったらねえ…」と仰りながら先に進み、寺の麓に到着した頃は、まだお約束の時間まで1時間以上ありました(笑)。

村上純一御住職からは前日、電話で「地下鉄の『蹴上』の一番出口からすぐです」とお聞きし、そのことを京洛先生にもお伝えしたのに、「すぐそこですから」とズンズン先に歩かれます。後で分かったのですが、京洛先生の仰る「すぐそこ」とは歩いて30分ぐらいの距離でした(笑)。

日向大神宮 女優羽田美智子さんがパワースポットとして信心されているようです

大変失礼ながら、安養寺は、京都市内ながら市街からも人里からも離れた山奥にありました。お買物に出掛けるのも不自由じゃないかなあと思いました。

時間が早かったので、安養寺に併設(?)している日向大神宮に登りました。安養寺の麓にある京都市浄水場辺りは東山区、安養寺は左京区、そして、日向大神宮は山科区でした。

本殿は、小山の頂上付近にあり、坂道の登り坂は息が切れるほどでした。

日向大神宮については、私がとやかく言うより、上の御由緒をお読み下さい。

この旅の最終日に昼食をとった四条高倉の京寿司「いづ源」の女将さんの話によると、この日向大神宮は、女優の羽田美智子さんがパワースポットとして度々お参りして、信心されている神宮だといいます。

青龍山安養寺 御本尊は阿弥陀如来

やっと、お約束の時間になったので、青龍山安養寺の村上純一御住職を訪ねました。春樹さんの手記にも出てきましたが、ここが、高濱虚子が「山門のぺんぺん草や安養寺」と詠んだお寺か、と感慨深いものがありました。

 この面会が仕事だったら、しっかりメモを取ったことでしょうが、遊びですから、いや、間違いました、お詫び行脚ですからメモはやめました。また、吉本興業のようにテープを取ったりもしません(笑)。どういう面を下げてお会いするべきなのか、迷いましたが、まあ、肩の力を抜いて、ざっくばらんな気持ちでお会いすることにしました。

後で「記念写真でも撮っておけばよかった」と後悔しましたが、このブログは、顔写真はあまり載せない「反フェイスブック主義」を貫いてますから、いいでしょう。ご本人は、あまり、村上春樹さんとは似ていませんでした。

色んな話をお伺いしました。法然上人が開いた浄土宗にも色んな分派があり、京都は主に知恩院の鎮西派と光明寺などの西山(せいざん)派があり、かつては(とは言っても戦国時代までは)西山派の勢いが強かったのですが、徳川家康が本能寺の変を聞いて、大坂堺から逃げる際に知恩院が援助したことから、江戸時代は鎮西派が本派の主流になったそうです。ですから、江戸の増上寺も浄土宗鎮西派というわけです。

鎮西派と西山派は、同じ浄土宗でも違いが多くあり、例えば、お経を読む際、鎮西派は呉音で読みますが、西山派は漢音で読むそうです。漢音は天台宗もそうです。

青龍山安養寺も、もともとは慈覚大師円仁(794~864)が天台宗の寺として開いたといわれております。

京都市内には数え切れないくらい多くの神社仏閣がありますが、村上住職によると、拝観料を取れるような「観光寺」はほんの僅かで、大抵の寺院は、細々と「経営」しているそうです。少子化でこれから消滅してしまう寺院もかなりあるようです。

村上住職は、あまり口には出しませんでしたが、ご自身の寺院経営もなかなか大変なようでした。「世間の多くの人は、宗教法人は税が免除されているので、『坊主丸儲け』と思ってらっしゃるかもしれませんが、サラリーマンと同じように、住職も宗教法人から給料を貰っている形にして、確定申告もあります。例えば、跡を継ぐ息子が僧侶の資格を得るために、大学に行かなければなりませんが、その教育費は宗教法人から出ません。自分の息子ですから、住職の生活費の中から教育費を出さなければ、税務署も黙っていないんですよ」と、明かしてくれました。

そうでしたか。

面白かったのは、村上住職と京洛先生が同じ京都府立鴨沂(おうき)高校出身だったことが分かったことでした。京洛先生の方が5年ほど先輩でしたが、鴨沂高校は、旧制京都府立第一高女で、森光子、山本富士子、沢田研二ら有名人も多く輩出している名門高校どす。

真言宗 泉涌寺 境内は自動車で往来してました

安養寺を辞して、向かったのが泉涌寺でした。

泉涌寺と言えば、歴代天皇の位牌をおさめる格式の高い真言宗の寺院ですが、敷地の広さには腰を抜かすほど驚きました。何故、泉涌寺に向かったのかというと、この境内にある宿坊(?)に、スペイン滞在歴半世紀の画家加藤力之輔画伯のアトリエがあり、夜は五山の送り火の鑑賞会をご一緒しましょう、という話に知らぬ間になっていたからでした(笑)。

加藤画伯の奥さんアサコさんは、依然としてマドリードにお住まいで、私も昨年7月に初めてスペイン旅行した際に、ピカソの「ゲルニカ」を見るのに美術館にお導きして頂いたり、彼女の自宅兼ゲストハウスでランチをご馳走になったりしたことは、昨年のブログに書いた通りです。

 昨年のマドリードではお会いできなかった加藤画伯の子息である大輔さんとスペイン人の美人奥さんアンヘラさん、それに3人のやんちゃな男の子と女の子がたまたま日本に遊びに来ていて、今回お会いすることができました。

泉涌寺「悲田院」から見る送り火

皆で一緒に、「送り火」を見ることにしました。ちょっと離れていたのと山影に隠れてしまっていたせいで、全部を観ることができませんでしたが、スペイン人のアンヘラさんは、初めて見るらしく、感激していました。

我々が送り火を観ている間、大輔さんが一生懸命に料理をしていたらしく、帰ってからバスク料理のマルミタコを御馳走になってしまいました。大輔さんは、お父さんと同じアーティストですから、料理の腕も確かでした。実に美味でおかわりしてしまいました。ポテトと牛肉かと思ったら、マグロのアラで、隠し味にローリエがある、と大輔さんは講釈してくれました(笑)。

 加藤画伯も大輔さんもアンヘラさんもお子さんたちも、皆、スペイン語でしたから、京都なのに、何となく異国に来たような不思議な感じがしました。

物足りない「黒幕」特集

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 やはり、私のライフワークといいますか、興味のある専門分野ですからね(笑)。つい、買ってしまいました。週刊現代 別冊「ビジュアル版 昭和の怪物 日本の『裏支配者』たち その人と歴史」(講談社、980円) です。

 その前に、私の住む自宅から歩いて7、8分ほどにあった本屋さんが、とうとう潰れてしまいました。アマゾンのせいでしょうか。駅近くにあった書店2店舗は既に数年前に閉店したので、ここは「最後の砦」でした。呆然自失。この本屋だけは失いたくなかったので、なるべく、ここで買うようにしてましたが、ついに消滅してしまいました。悲しいというほかありません。

 仕方ないので、この「週刊現代 別冊」を会社の近くのコンビニで買おうかと思ったら、週刊誌は置いていても、別冊は置いてないんですよね。そもそも本屋じゃないので、種類も少ない!帰宅時に遠回りして、駅近くの大型書店で買うことができました。

 この上の写真の表紙をご覧になって頂くだけで、内容は分かると思います。

 日本の「裏支配者」たちーとありますが、吉田茂、正力松太郎、五島慶太、後藤田正晴…みんな、「表社会」の人たちじゃありませんか。フィクサー、黒幕として登場する児玉誉士夫、山口組三代目の田岡一雄組長にしても、超々有名人で、日本人ならまず知らない人はいないぐらいです。失礼ながら、初心者向きで、野間ジャーナリズムの限界を感じました。続編を期待しましょう。

 私自身、これまでいろいろな本を読んできましたから、この別冊の中で、馴染みがなかったのは矢次一夫(1899~1983年)ぐらいでした。この人については、顔写真と略歴だけ載っていましたが、岸信介との関係などもう少し掘り下げて頂きたかったですね。

 このほか、章立てして、もっと掘り下げて、取り上げてほしかった人物として、まず、玄洋社の頭山満が筆頭でしょう。次いで、黒龍会の内田良平。この別冊で取り上げられた軍人の石原莞爾は、まあ妥当だとしても、もっと土肥原賢二や影佐禎昭ら諜報活動に従事した人も取り上げてほしかったですね。そうそう、甘粕正彦は欠かせない人物です。牟田口廉也や辻政信は少し食傷気味なので、桜会の橋本欣五郎や東京裁判で寝返った田中隆吉あたりが面白いかもしれません。

 写真がちょっと出ていただけだった大物右翼の三浦義一(1898~1971年)は「室町将軍」と言われたぐらいですから、最低、略歴ぐらい必要でしょう。以前、私は、ちょっと怖い人に引き連れられて、たまたま大津市の義仲寺にある彼のお墓参りをしたこともあります。また、三浦義一の後継者である西山広喜(1923~2005年)の内幸町・富国生命内の事務所を確認したことがあります(笑)。

共産党幹部から獄中で国粋主義に転向した田中清玄(1906~93年)は章立てして大きく取り上げるべき人物でしょう。(田中家は会津藩の筆頭家老だった名門家系。早稲田大学第17代総長の田中愛治氏は、田中清玄の子息)田中清玄=田岡組長VS児玉誉士夫=東声会=岸信介との壮絶な闘いは語り継がれるべき逸話です。

 となると、11年間の獄中生活から出所後、田中清玄が師事した静岡県三島市の龍沢寺の山本玄峰禅師もマストでしょう。山本禅師は、臨済宗妙心寺派管長も歴任し、終戦の際に、鈴木貫太郎首相に「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び」の文言を進言して、終戦を受け入れるよう説得した功労者ですから、まず欠かせませんね。(鈴木貫太郎は関宿藩士でしたね。二.二六事件の際には侍従長で、蹶起隊に襲撃されながら、奇跡的に一命を取り留めました)

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 平成から令和の時代となり、人間が小粒になったのか、ますます、黒幕やらフィクサーといった豪快な人物が出にくくなった感があります。

でも、一般大衆には分からないように、暗躍しているのかもしれませんよ。

「サピエンス異変」=座りっぱなしが死を招く

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 この本を読むと、腰の辺りがムズムズして痛くなり、腰痛解消のために、何処でもいいから、そこらへんを駆け巡りたくなります。

 ヴァイバー・クリガン=リード著、水谷淳、鍛原多恵子訳「サピエンス異変 新たな時代『人新世』の衝撃」(飛鳥新社、2018年12月31日初版)は、まさにタイトルそのものと同じで、衝撃的な本です。

 人類学、環境科学、動体力学、動物生理学…等あらゆるサイエンスを動員したノンフィクションです。結論を先に言ってしまえば、「人類は、快適さと便利さを追求したおかげで、身体を動かさなくなり、糖尿病や肥満による心臓疾患、腰痛、近視、骨粗しょう症、精神疾患などさまざまな病気や障害を自ら引き起こしている」といったことになるでしょうか。

 「座りっぱなしが死を招く」といった衝撃的な章もあります。現代の先進国のサラリーマンと官僚のほとんどが、冷房の効いたオフィスで、何時間も何時間も座ったまま、パソコンの画面に向かっていることでしょう。著者の最終的な結論は、「人類は1日1万歩歩くのが一番良い」(1日8~14.5キロ、1週間で10万歩)といった今まで多くの専門家が指摘していたことと同じでした。

 そもそも、人類は、800万年前に直立二本足歩行する生物から、30万年前に現在のヒトとなるホモ・サピエンスに進化して、1万年前に農耕定住生活が始まるまで、毎日、平均6時間も歩いて食料を確保してきたといいます。

 つまり、ヒトは動く生物として生活に適応してきた歴史があるわけです。それが、わずか100年か200年前の産業革命で機械化、モータライゼイション、そして20世紀末のIT革命で、ますますヒトは身体を動かさなくなりました。最近は、スマホなどのやり過ぎで、RSI(反復運動過多損傷)と呼ばれる病気を患って、生産性が低下したり、仕事を辞めたりする人もいるといいます。

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 私の周囲にも、ほとんど身体を動かさず、近距離でも車ばかり使っていたお蔭で、まだ若いのにほとんど歩けなくなった友人もいます。

 かつての人類は、歩けなくなれば食料を確保することができず、即、死を意味していました。ということは、人類の滅亡が始まっているということなのでしょうか。本当に衝撃的な本でした。

「特別展 三国志」と特別企画「奈良大和四寺のみほとけ」=上野の東博

蜀・劉備軍の要・関羽像(明時代15~16世紀、青銅製)

 何が哀しいのか、日曜日、気温34度の猛暑の中、東京・上野の東京国立博物館の平成館で開催中の「特別展 三国志」と、本館で開催中の特別企画「奈良大和四寺のみほとけ」を観に出掛けてきました。

魏の曹操

 猛暑の中を、外出するようなおめでたい人間は少ないだろうし、お盆休みなので、都心は地方出身者が帰省していて、館内は空いているだろうと予測したからでした。

しかし、外れました。何処にも行くあてがない富裕でもなさそうな層(単なる個人的な勘違い)や、外国からの観光客でごった返し、陳列物の前は、二重三重のとぐろを巻く人だかりでした。

蜀の劉備

 この特別展に限ってなのか、国内の展覧会にしては珍しく、展示物の撮影はフラッシュさえ止めれば自由でした。それらの写真は、「個人の使用」なら許可され、館内の係りの人に「ブログにアップしてもいいですか?」と聞いたところ、「大丈夫です」と答えてくれたので、こうしてアップしているのです。 

呉の孫権

写真をバシャバシャ撮ったおかげで、一体何を撮ったのか、分からないものまでありましたが、ご勘弁ください(笑)。

「三国志」は、御案内の通り、後漢末期の2世紀に鼎立した魏・呉・蜀の三国の興亡が描かれた歴史書です。

 どういうわけか日本でも大人気で、江戸末期の忍藩の下級武士、尾崎石城さんの蔵書の中にも「三国志演義」があり、古代からほとんどの日本の知識階級は読んでいたと思われます。

赤壁の戦い(208年、曹操対劉備・孫権連合軍 劉備の諸葛亮が曹操を退却させる)

 現代では吉川英治や柴田錬三郎らが小説化したり、横山光輝が漫画化したり、テレビの人形劇やゲームにもなったりしているので、若者たちにも親しみやすいのでしょう。若者客が目立ちました。

蜀 「揺銭樹台座」 富裕層の墓に置かれた「金のなる木」の台座。3世紀、土製。2012年、重慶市で出土。

私自身は、ゲームもやらないし、「三国志」も「三国志演義」も読んでいないという体たらくで、知っているのは、劉備が諸葛孔明をスカウトするために三度も足を運んだ「三顧の礼」などエピソードぐらいですからね。見ても、知識が薄いため、今ひとつ、力が入りませんでした(苦笑)。

曹操高陵で発掘された 一級文物「魏武王(ぎのぶおう)常所用(つねにもちいるところの)挌虎大戟(かくこだいげき)」。魏武王とは曹操のこと。この発掘で、曹操の陵だと証明された。

 特別展の最大の見どころは、上の写真の石牌(せきはい)です。2009年、河南省安陽市で発掘されたもので、この石牌には「魏武王が愛用した虎をも打ち取る大きな戟」と刻まれています。魏の武王とは曹操のことで、これにより発掘された墓が「曹操高陵」である証明になったというのです。

 2009年ということは、つい最近のことです。今後も新たな新発見が出で来るのかもしれません。

 その前に、魏の勢力は、高句麗を倒して、今の北朝鮮にまで及んでいたことを知り、驚いてしまいました。

 また、この特別展のおかげで、189年に後漢より遼東太守に任命された公孫氏が、一時期独立して、満洲、いや中国東北地方の南まで勢力を伸ばしていたことや、魏呉蜀の三国は結局、どこも全国統一できず、代わって「晋」が覇者となりますが、その晋の高官の一人が、あの書聖と言われた王義之の一族だったという新知識も得ることができました。

 猛暑の東博のもう一つの目的は、本館で開催中の特別企画「奈良大和四寺のみほとけ」を参拝することでした。「観覧料:一般620円」とありましたが、平成館の「三国志」の切符(前売り券1400円)を持っていたら、無料で観られました。何か得した気分です。

 でも、本館の第11室という狭い空間だけでしたので、ちょっと物足りなく、「岡寺」「室生寺」「長谷寺」「安倍文殊院」の奈良大和四寺を実際に訪れたくなりました。

 今の自分は、年を重ねたせいなのか、三国志の英雄よりも、仏像と対面した方がはるかに落ち着き、日本人として親和性を感じる気がしました。

 (本館の特別企画は勿論、写真撮影禁止でした。)

ケインズ「雇用・利子および貨幣の一般理論」をついに読破=漫画ですが…

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1929年の大恐慌や、ナチスの台頭につながる第1次大戦後のドイツの賠償問題などを勉強していると、どうしても外せないのが、ジョン・メイナード・ケインズの経済理論です。

 いつぞやの話、国際金融アナリストの元山氏に、ケインズの代表作「一般理論」は難しい?と聞いたところ、彼は「君には無理だね。アインシュタインの『一般相対性理論』と同じぐらい難しいんじゃないかい」と断定するので、さすがに、心の中で「ムッ」としましたが、彼の忠告には従っておりました。

 あれから半年。彼から「君にふさわしい本があったから貸してあげるよ」と貸してくれたのが、漫画でした。

 ケインズの原作を漫画化した「雇用・利子および貨幣の一般理論」(イースト・プレス)でした。

 私は、漫画は中学生の頃までは熱中しましたが、それ以降はご無沙汰です。「えっ?漫画かい?」と思いましたが、これがなかなかよく出来ていて、原作を読む前の「取っ掛かり」というか、予備知識になることは確かでした。

 私自身、経済を専門的に学んだわけではなく、大学の教養課程の単位として「経済原論」を取った程度の知識しかありませんが、この原作の漫画化の中には、「有効需要」だの「限界消費性向」「流動性選好理論」だの、昔学んだ懐かしい用語がたくさん出てきて、易しく解説してくれます。ばかにできませんね(苦笑)。大変失礼致しました。

例えば、「債券の利率が購入時より下がれば、実質価格は上がり(この時この債権を売れば得)、逆に、利率が上がれば、債券の価値が下がる」といったややこしい文章も、数式と漫画で描いてくれるので、すっと頭に入りやすい。

 また、私なんかよく間違える「ブル(牛)とベア(熊)」理論も、漫画に出てくるということは、ケインズの「一般理論」の中に出てくる話だったんですね。牛と熊を闘わせたら、熊の方が強いから、ベアが強気、ブルが弱気と私なんか勘違いしてしまうのですが、ブル(牛)は下から上に攻撃することから、債券価格が上昇するということで「強気」。ベア(熊)は、上から下に攻撃することから、債券価格が下落するということで「弱気」と命名されたことが漫画で描かれ、この箇所を読んで分かり、これからは間違えることはないだろうな、と思った次第です(笑)。

 確かに、最初から無謀にも原作に挑戦して、途中で白旗をあげるよりも、無理をしないで漫画から入ったことは大成功でした。漫画とはいっても、内容は難しいことは難しいですからね。この漫画を貸してくれた元山氏には感謝申し上げます。

したたかな人間とそうではない人間

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 先週、最も話題になった一つとして、将来の首相候補と目される若いサラブレッド議員が、日本のホワイトハウスである首相官邸で、結婚記者会見を開いたことでした。

 「政治利用ではないか」と批判されましたが、利用ではなく、政治そのものでしょう(笑)。私のようなひねくれた意地の悪い人間から言わせると、そんなめでたい話なら、ホテルオークラか、帝国ホテルで、金屏風をバックに会見を開いたらどうですか、というお節介な感想しか思い浮かびません。四代も続く世襲議員ですし、それぐらいのお金はあるでしょう。

 もう一つ、穿った見方をすれば、あの記者会見は、ちょうど、当該議員の最大票田である主婦層が熱心に見るテレビのワイドショーが生中継できる時間帯を選んで、巧妙に仕組まれたことでした。お相手の女性は、日本人なら知らない人はいないぐらい有名なタレント・アナウンサーですから、視聴率獲得には好材料ですからね。お蔭で、世襲議員は、主婦層に対して大いに株を上げることに成功しました。

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 女性タレントもかなりしたたかでした。議員より3歳年長の彼女は、すでにお腹の中に二世、いや「五世議員」を妊娠されているらしく、将来の日本のファーストレディとしてお墨付きを得たようなものです。かなり、かなり計算し尽された感があります。

 昼間の日本のホワイトハウスでの記者会見では、彼女は純真無垢の象徴である真っ白のドレスに身を包み、私は見ていませんが、夜は、議員の地元横須賀でのお披露目では、真紅のドレスに身を包んでいらっしゃたそうで、まさに「紅白」のお祝い。したたかに、実にしたたかに計算し尽くされています。

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 その一方で、昨晩電話があった高校時代からの古い友人であるK君の場合、計算し尽くされたしたたかさとは真逆の生き方です。

 K君は大学卒業後、某有名企業に就職しましたが、病を得て退職し、還暦を過ぎた今日まで無職です。彼の家庭環境はちょっと複雑でして(詳細は省略)、そこで、母親が一念発起して、大変な努力を重ねた末、49歳の時に超難関の国家試験の一つである税理士と不動産鑑定士の試験に合格。多くの顧客を獲得して、都心に事務所ビルを建て、八ヶ岳に別荘を持つほど成功しました。そのため、病気がちの彼も、無理して働かなくてもすむ境遇に甘えてしまった感があります。

 「そのうちどうにかなるだろう」という全く計算しない成り行き任せの生活です。

 しかし、母親も高齢になり、昨年は長年の重労働が重なって倒れ、介護状態になってしまいました。表向きは数億円の資産があると安心していたら、良く調べると不良物件もあり、逆に何億円かの借金があったことが判明し、彼も追い詰められてしまいました。

 しかも、彼は先月から週3回は通院しなければ生命に関わる重篤な病気になってしまい、医療費等も嵩みます。

 彼は無職ですから、退職金も資産もなく、最後には社会福祉に頼るしかありません。重篤な病気で障碍者手帳を発行してもらえることになりましたが、障碍者年金を申請しようかと思ったら、彼は、会社を辞めて以来、国民年金も払っておらず、ある基準の年度以上、国民年金を納めていなければ、障碍者年金の交付も難しいらしいのです。

 年金を繰り上げ返済する方法もありますが、「月に1万6000円も払う余裕がない」と彼は言うのです。まるで童話の「アリとキリギリス」の世界です。

 どうしたらいいのか? 昨晩は、私もよく知っているある筋の方に相談してみたところ、的確なアドバイスを頂きました。

 内容については、ここでは書きませんが、世襲議員と有名タレントのような計算づくの「したたかな人間」がいるのとは対照的に、将来設計をしない、したたかな人間とは真逆な人間も世の中に存在することを知ってほしくて、親友に許可なく、こんなことを書いてしまった次第です。

職場のトラブルは、今の日韓関係みたいだ

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やくざなマスコミ業界で働き続けて、もう40年近くになります。

入社したのが1980年で、当時の日本人男性の平均寿命は73.35歳(女性は78.76歳)。2018年の男性は81.25歳(同87.32歳)でしたから、40年近くで8年平均寿命が延びたことになります。

入社当時の定年は55歳でした。現在は60歳で、定年延長を希望すれば65歳ぐらいまで驚くほど格安の手当で雇ってくれます。

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 で、今日は何を言いたいのかといいますと、職場環境の激変です。いわゆるIT革命と男女雇用機会均等法と非正規労働者の拡大で、40年前とは似ても非なる姿になりました。

 最初に「やくざなマスコミ業界」と書きましたが、40年前は全くその通りで、大きなニュースが飛び込むと殺気立った部長、デスクと出先記者と「受け」と言われる社内待機番記者との間で、取っ組み合いの喧嘩が始まるほど怒号と罵声で社内は、それはそれは鉄火場のような大騒ぎになります。

 普段でも、ニュースの多くは現場の出先記者から、電話から「吹き込み」で原稿が送られるので、アルバイトや社内待機番記者は、それら「原稿取り」でてんてこ舞いで、新人記者があたふたしていると、現場の先輩記者から「おまえ誰だ?代われ、代われ!」とどやされます。

 「ふざけんじゃねえ」「馬鹿野郎」「ぶっ飛ばすぞ」といったスラングは日常茶飯事です。ニコヨンの日雇い飯場と変わりありません。

 そんな汗臭い野郎どもの職場に女性記者が多く入るようになり、セクハラ、パワハラ問題解決が向上され、言葉遣いも大分丁寧になりました。

 何よりも、IT革命とやらで、原稿はメール送稿となり、「電話送稿」がなくなり、デスクから出先への連絡なども急ぎでなければメールになり、音声の使用が極端に減り、社内は、仕事をしているのか、していないのか、分からないほど、めっきり静かになりました。興奮したデスクがどなったりすることも減りました。

 それに加えて、非正規雇用の拡大で、派遣やら嘱託やら色んな雇用体系で入って来る人も増えて、顔は見知っていても、部署が違うとほとんど仕事で重なることも関わることも全くないので他社の人間のようで、挨拶すらもかわしません。社内でセクハラやパワハラで訴えられたくないので、なるべくお互い関わらないようにしているのです。街中で他人同士がすれ違うようなものです。

 40年前なら他部との人間でも「おい、お前」と激論したものでしたが、今では皆、小さい蛸壺の中で仕事をしている感じです。

◇トラブル発生!

 そんな職場激変の中、先日、ちょっとしたトラブルがありました。今、我々が担当している欠かせない仕事として、官公庁の人事情報や叙位叙勲名簿づくりなどがありますが、最終チェックとして、どうしても原稿を声を出して読み上げて誤植がないか校正する作業があります。そのため、周囲にある程度の「騒音」をまき散らすことになります。

 昔の職場環境なら「電話取り」などがあり、もともと騒がしいので問題になることはなかったのです。野郎同士ですから、「うえるせえ」と言われれば、「馬鹿野郎、お互い様だ」と言い返せば済む話でした。

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しかし、時代は変わりました。我々の部署の隣り後方で、我々の仕事とは全く関係も接点もない雇用体系の違う女性から「うるさいので、後ろを向いてやってもらえますか」と、長年我慢していたのか、ついに抗議してきたのです。それまで、我々は、読み間違い、聞き間違いがないように顔を見合わせて、彼女から見れば横を向いて読み合わせをしていたのです。

 私は古いやくざな人間ですから、「そう言われても…」と最初は心の中で、あくまでも心の中だけでムカッとしました。40年前の鉄火場の飯場で育った古い人間としては、職場がうるさいのは当たり前だからです。向こうは、普段こちらが挨拶をしても応えないで無視しているのに、ほんのちょっとした我々の「騒音」を取り立てて自己の正義と権利を主張するので不条理を感じたわけです。

その数週間前に、某省でかなり大規模な人事異動があり、長い時間、読み合わせで周囲に「騒音」を撒き散らしたことは事実でした。そのため、先日、エレベーターで一緒になった際には、彼女には「いつもうるさくしてすみません」と謝ったこともありました。

だから、今回、彼女から正義を振りかざされた時、正直、「こっちだって、仕事でやってるんだから仕方がない。好きでやってるわけじゃないですよ」と言い返したかったですが、我慢して黙ってました。パワハラになりかねませんからね。「関わらないのが一番」と心に誓ったのです。

それにしても、時代が変わりました。

お互い、席を移動したくても移動できません。隣国同士です。まるで、今の炎上した日韓関係のような気がしてきました。

読売出身がスイス大使?まあ、舐められたものです

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 名古屋の篠田先生です。気温34度、名古屋も暑いですよ。

 さて、安倍さんが、駐スイス大使として、読売新聞グループ本社会長で日本新聞協会前会長の白石興二郎氏(72)を充てる人事を検討している話は御存知ですかねえ?

 えっ?何?知らない?やっぱりですか。駄目ですねえ(笑)。すっとぼけたメディアは、「実現すれば、マスコミ界からの異例の大使就任となる」なんて大騒ぎしてますが、大使ごときなのにレベルが低いですね。

 読売新聞が大使レベルなら、朝日新聞は大臣クラスですよ。朝日の主筆を務めた緒方竹虎や副社長を務めた下村宏は、戦時中に国務大臣(内閣情報局総裁)入りしてますよ。 同じ「御用マスコミ」でもここで明らかに格の差が出てます(笑)。

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 まあ、大使レベルなんぞは安売りし過ぎで、マスコミ業界も舐められたものですよ。それを、今の若い記者もデスクも部長連中も何も分かっていない!勉強していないから、下村も緒方も誰なのか、何も知らんでしょう(笑)。

 これだけマスコミが舐められたら、「読売が大使でいいなら、産経なら一等書記官、いや二等書記官、大使館の便所掃除でいいかあ」となるわけです (笑)。

以上 おしまい

檀家制度を廃止した曹洞宗・見性院

 東京の今の気温は32度。それは許せるとしても、湿度が63%。外を歩くと汗が止まらず、とろけてしまいそうです。

◇こんな暑さでオリンピック?

こんな暑さの中、ちょうど来年の今頃、東京オリムピックなんかやるんですかねえ?富裕層向けに635万円の五輪チケットが8月下旬から売り出されるそうですが、ご苦労さまのことです。

 第一、不労所得で欲太りしたIOC貴族と、チャンス到来を喜ぶアディダス、ナイキといった多国籍スポーツメーカーの殿上人は、日本がどれだけ暑くて湿気が多いのか、知る由もありません。知っているとしても、所詮、自分たちが走ったり、投げたり、蹴ったりするわけでもなく、単なる興行として商売(ビジネス)をするだけですから、高額スポンサーとして冷房の良く効いた貴賓席にいらっしゃることでしょう。古代ローマ帝国の貴族たちがコロッセオで剣闘士が闘うのを高みの見物するような気分なんでしょうか。

 日本のメディアは新聞もテレビもラジオも、みんな五輪スポンサーですから、一言も批判しません。いや、グルですね。

 ◇皆さんのクリックのおかげでドメイン代が出ました

 こんなに暑いので、ここ数日間、暑気払いが続いてます。一昨日は、この《渓流斎日乗》ブログの技術面でお世話になっているIT会社のM社長と東京・池袋の焼き鳥店「雲吉」で一献傾けました。(皆様がこのブログの宣伝バナーをクリックしてくださったおかげで、ドメイン代等は賄うことができるようでした!)

 「雲吉」は、M社長の奥さんの妹の旦那さんが経営している店で、味が良いのかもう20年以上続いているそうです。飲食業界というのは傍から見ているよりかなり厳しく、経済誌「ダイヤモンド」をいつぞや読んでいたら、新規開店した飲食店の9割が3年以内につぶれてしまうと書いてありましたね。

 場所は、池袋駅東口から歩いて10分ぐらいでしょうか(3分とか書いてましたが、人混みで歩けません)。もう40年以上も昔の話ですが、池袋をフラフラしていましたが、新栄堂書店がつぶれ、キンカ堂(地下食堂)がつぶれ、すっかり変わってしまい、全く別の街になってしまい、道に迷いました。「雲吉」の近くに西武本社が所沢から池袋に移転してきたおかげで、安定したお客さんが来るようになったようです。まあまあの価格なのですか、客層の質は高いです(Mさん、宣伝しておきましたよ=笑)。

 M社長は仕事で仏教界というか、葬儀社界というか、墓石界というか、そういった業界に通じていて、裏話もたくさんありました。

高野山奥之院 島津家供養塔

 今回、裏話ではなく、現代の仏教界の改革者として、多くのメディアにも登場している僧侶として、埼玉県熊谷市にある曹洞宗見性院の橋本英樹住職の話を初めて聞きました。

 見性院は江戸時代から400年以上続く寺ですが、何と2012年に檀家制度を廃止してしまったというのです。400軒近くあった檀家とはいったん白紙に戻して、「随縁会」という会員組織にし、名称も檀家から「信徒」に変更し、葬儀代、戒名代、布施等すべて「ガラス張り」にして「明朗会計」にしたというのです。

橋本氏は駒沢大学大学院を修了し、曹洞宗の大本山永平寺で修行し、25歳で見性院の副住職になった時の月収がわずか10万円だったといいます。それが、42歳で父の跡を継いで住職となって「改革」に乗り出したところ、今では経営規模は4倍に増えたといいます。

 もちろん、宗派や国籍等に拘らず、遺骨を郵送で受け付ける「お坊さん便」を始めるなど急激な改革から、旧檀家の中から反発する声も多く、曹洞宗総本山の総持寺に訴える旧檀家もいるそうです。

 それでも橋本住職はひるみません。M社長も「僕は闘う宗教家を応援してます。檀家とか言っても、どうせナアナアでやっていただけで、仏教なんて本当に信じてないでしょう。葬儀は金が掛かります。散骨したって、かなりの金額を取られますよ。その点、3万円でお骨を郵送パックで受け付けるなんて、現代的なあまりにも現代的なですよ」と擁護するのです。

 考えてみれば、昔はよっぽどの貴族か皇族か大名か守護地頭か武士か名主か大商人でなければ、お墓なんか持てなかったものでした。無名の庶民は野垂れ死にして、犬か鳥に食われていたことでしょう。庶民が墓を持てるようになるのは明治以降かと思ったら、M氏は「いえいえ、明治は廃仏毀釈もあったし、戦後からですよ」と言うではありませんか。

 21世紀になり、日本人の信仰心が薄れ、仏教も「葬式仏教」と批判され、そもそも、従来の「家」の観念も廃れ、女房も子どもも「お父さんの墓だけには入りたくない」と言い、結婚しない男女も増えて、墓守をしてくれる子孫もなく、そういう時代になると、宗教も変わっていかざるを得なくなりました。

 でも、自分の骨が3万円でパック郵送されて、誰とも会ったことも見たこともない縁も所縁もない人と同じ骨と交じり合って共同墓地に詰め込まれることを想像すると、何とも味気ない、背中の辺りがこそばゆい感じがしてきますね。

「ホラホラ、これが僕の骨…」(中原中也)の詩が頭にリフレインしてきました。