3月のふぐ料理 東久留米に温泉が出た

 春分の日の前日の20日に、シーズン最後のふぐ料理を食してきました。

 ふぐの「旬」は、「秋の彼岸から春の彼岸まで」と言われてますから、2018年度の旬は、9月23日から3月21日までだったというわけです。

 ふぐ料理は、庶民にとっては高嶺の花ですが、観念よりも「食いしん坊」が優ってしまい、中学時代(世間では無名の東久留米市立東中学校)の同級生の誘いに乗って、参加してきました。何よりもブログのネタになると思ったからでした(笑)。

 それでも、目の玉が飛び出るほど高いせいか、参加者はわずか3人でした。場所は、黒田さんが勤めていた石油会社の福利厚生施設で、何と都心の六本木にあります。

 六本木に足を踏み入れるのは10年ぶりに近いくらい久しぶりで、街の様子がすっかり変わってしまっていたのには驚きました。昔通ったディスコはなくなってました。大使館が近いせいか、昔から外国人が多い街で、以前は欧米人が多かったのですが、最近は、インド、パキスタン系、アフリカ系、イスラム系が格段に増えてました。警察官がアフリカ系の若者に職務質問しているのを見掛けました。

 騒音と雑踏は駅から徒歩圏で10分ぐらいですが、それを過ぎて、神谷町方面に向かって大通りを左折すると、閑静な高級マンション街となり、その一角に福利施設がありました。

 集合時間より30分も早く着いてしまい、何となく、「勘」で場違いな所に来てしまったような気がしましたが、それは少し当たってしまいました。

 何よりも、飲み物の持ち込みは自由だという話を聞いていたのですが、缶ビールをテーブルに置いた途端、それを見た接待してくれた和服を着た係りの女性が「瓶ビールはいいですが、缶ビールは駄目ですよ」とイチャモンを付けてくるんですからね。

 ふぐ刺しも、何か量が少ない気がしました(笑)。

 思えば、本格的なふぐ料理を食したのは、1985年3月、本場の下関でした。当時、プロ野球大洋ホエールズの担当記者をやっていて、オープン戦取材で下関球場に行った際、球団から「夜の接待」を受けて、フルコースをご馳走になったのです。癒着記者ですね(笑)。牧歌的時代でした。刺身から唐揚げから鍋しゃぶから、あらゆる料理で、それこそ、高級料亭で、目の玉が飛び出るほど高かったことでしょう。まあ、あの時を超えるふぐ料理はもう味わえないということでした。

 参加者は中学時代の同級生ですから、当然、半世紀も昔の話になりました。黒田さんは記憶力が良くて、授業中に高畠先生が話してくれた「輪廻転生」の話をまだ覚えていて、「あのお蔭で死が怖くなくなった」などと述懐していました。私の中学時代は、非行に走った不良でしたから、先生の話なんか聞かず、ほとんど覚えていません(苦笑)。

 大学卒業後、ノンキャリアで警察庁の警視にまでなり、今は某会社に天下り(?)している岡本君は、城先生によく殴られた話をしていました。(ちなみに、警視以上に出世できる警察官は全体約23万人の3%しかいません)我々の先生の世代は大正生まれで、鉄拳制裁を食らった軍隊経験の方が多く、暴力は日常茶飯事でしたね。

 中学校の隣にあった私が卒業した東久留米市立第四小学校は、児童数が減少して2012年3月に廃校になってしまいました。近くの公団や公務員住宅団地も建て替えやらで、廃墟となり、ゴーストタウンになりかかっていましたが、黒田さんの話では、何と、その近くで天然温泉が発見され、3月9日に「関東最大級」と銘打つスパがオープンして、凄い活況を呈しているというのです。彼女はもう7回も行った、と自慢していました。

 個人的ながら、東久留米市上の原周辺は、小学校1年生(当時は東京都北多摩郡久留米町)から中学、高校、大学、社会人まで21年間も住んだ私の故郷みたいな街です。子ども時代に駆け回っていた所に温泉が出たとは、驚くやら、嬉しいやら。皆さんも「話のタネ」に東京郊外に足を延ばしてみたら如何でしょうか。(上の「スパ」をクリックすると場所が出てきます)

 

名脇役があってこその主役

 昨日、ジャズ・シンガーの新倉美子のことを書いたところ、京洛先生から「ああたは、新倉美子も知らないんですか」と、早速、京都から、上から目線で電話がかかってきました(笑)。

 京洛先生は、私よりも一回り年長、という老世代ですから、よく御存知なのでしょう。それでいて、京洛先生は若作りですから、京都の街中では、2人でいると、ちょくちょく私の方が年上に、つまり老けて見られてしまい、若く見られた彼は大喜びしているのです。ずるいですね(笑)。

 「画家の東郷青児の長女のたまみ(1940~2006)だってジャズ歌手だったんですよ。朝丘雪路、水谷良重と『七光り三人娘』を組んで舞台に立ったこともあります」

 さすが、物識りの京洛先生。何でも知ってますねえ。朝丘雪路は、画家伊東深水の娘、水谷良重は、父が14世守田勘弥、母が初代水谷八重子でした。

 「水谷良重はジャズ・ドラマーの白木秀雄と結婚しました。えっ?知らない?駄目ですねえ。白木は東京芸大出身ですよ。後に離婚しますが、水谷の『愛しているから別れます』は当時の流行語になったんですよ」

 えー、知らなかった。1963年のことですか。白木さんは、晩年が悲惨で、自分のバンドも解散し、渡辺プロダクションからも解雇され、最後は、赤坂の自室で、精神安定剤の過剰摂取で亡くなったようですね。享年39。

 そう言えば、芸能プロダクションのナベプロの渡辺晋氏も、ホリプロの堀威夫氏も、もともとはジャズ・ミュージシャンでした。

Alhambra, Espagne

 「やれスマホだ、やれインターネットだの言っても、アナログの知識がなければ、言葉も知らず、検索さえできないのですよ」と言いながら、京洛先生は、不良中学生時代に毎日のように嵌って観た東映時代劇など映画の名脇役の名前をズラズラと列挙し始めました。

 「新倉美子のお父さん辰巳柳太郎は新国劇でしたね。沢田正二郎らつくった劇団です。辰巳と並ぶスターが島田正吾です。その弟子筋に緒方拳や若林豪らがいますが、他に、悪役で名を馳せた上田吉二郎石山健二郎らもいて、彼らも新国劇の出身者だということは知らないでしょう。えっ?上田吉二郎は知っているけど、石山健二郎は知らない。いや、写真を見ればすぐ分かりますよ。タコ坊主のような独特の容貌で、黒澤明監督「天国と地獄」で田口部長刑事役や山本薩夫監督「白い巨塔」では田宮二郎の義父役で独特の印象を残しました。やっぱり脇役がしっかり固めないと、主役が引き立たないんですよ」

 そういえば、悪役と言えば、私の子ども時代は、上田吉二郎でした。あの太った、独特のだみ声で「ふ、ふ、ふざけんじゃねえ」と、笑うように怒りながら、子分たちに向かって「お、おめえたち、やっちまえ」という台詞は今でも耳にこびりついております。

 京洛先生も、子どもの時分から主役に注目しないで、脇役ばかり見ていたとは変わった人だったんですね(笑)。さらに名脇役を言及します。

 「吉田義夫ね。この人は日本画家から俳優になった人ですよ。法隆寺壁画の修復にも参加した人です。テレビの「悪魔くん」でメフィスト役をやり、映画では『男はつらいよ』の常連です。チャンバラの悪役は山形勲。この人、ロンドン生まれです。『旗本退屈男』や『大菩薩峠』に出ていました。も一人は骸骨のような顔した薄田研二、家老役がぴったりでした。築地小劇場出身です。溝口健二監督の『山椒大夫』『浪華悲歌』などに出ていた「溝口組」の進藤英太郎。いかにも憎々しい役です。
 伊東四朗や財津一郎の師匠だった 石井均は、喜劇役者ですが、新宿で一座を持っていたのに解散して、大阪の曾我廼家十吾の松竹家庭劇に入った人です。この時、西川きよしがかばん持ちをやったことがあります。松竹新喜劇と言えば、高田次郎ですね。ドラマ『細うで繁盛記』や『どてらい男』でいじめ役で、実にうまい俳優です」と、キリがないほど、ポンポンと色んな役者の名前が飛び出してきます。

Alhambra, Espagne

 「脇役は、結構、裕福な家庭の出が多くて、道楽でやってるような役者も多いんですよ。それにしても今の俳優は、駄目ですねえ。目だけギョロギョロさせて下手で下手で、顔だけで演技していて見てられませんよ。迫力がない。何度でも言いますが、脇役に凄みがないと主役も目立ちません。その点、昔の役者の方がはるかに凄かったですよ」と、「芝居通」ぶりを発揮しておりました。

 確かに、昔の脇役や悪役には凄味がありました。

リキー宮川と新倉美子 ジャズこそがすべて

 インターネットは、若者向きかと思いきや、意外と中高年の皆様にも役立ちます。

 私もその一人(笑)。その理由の一つが、最新流行に付いていけなくなってしまったことがあります。特に音楽なんか、今の流行歌には全くついていけません。中でもラップなんか駄目ですねえ。しっかり、メロディーがないと心に染み渡ってくれません。

 でも、最新の流行歌についていけなくても、ネットの発達のお蔭で、以前はとてもレコードが手に入らなかったり、聴けなかったりした昔の音楽が簡単に聴けるようになり、恩恵を受けてます。昔は「音」だけしか聴けなかったのに、今では、動く姿、まさに「動画」まで見ることができますからね。ネットのお蔭です。

 最近、特に熱中しているのがジャズ・ヴォーカルです。先日も、このブログで1950年代に活躍したジュリー・ロンドンを取り上げましたが(CD買っちゃいました)、この間(3月9日)、また、NHK-FMの番組「世界の快適音楽セレクション」(毎週土曜、午前9時から放送)で初めてその存在を知ったジャズ歌手、リキー宮川(1911~49 )にはまってしまいました。
 この人の経歴について、あまり詳細に分かりませんでしたが、米シアトル生まれということから、日系2世なのでしょう。昭和8年に来日し、9年にコロムビア専属として歌手デビュー。その後、ダンサーとして知られるマヌエラこと山田妙子と結婚し、その後離婚。「ダイナ」「夢見る心」など多くのジャズを吹き込んだほか、「すみれ娘」(1935年)など多くの映画にも出演したようです。戦時中は南方戦線の暗号解読に駆り出されたといわれてます。

 あるサイトを見ていたら、彼は戦後も日劇のレビューなどで活躍しますが、「昭和24年に非業の死を遂げる」とだけ書かれていました。逆算すると、享年38か39ですから、事故か事件か何かだったのかもしれません。

 その話より、私は以前から、個人的に昭和初期に興味を持っていることは、このブログの熱心な読者の皆様も御存知だと思います。昭和初期と言えば、金融恐慌に始まり、軍部の台頭、大陸進出、テロ事件の横行と、何か、不穏で不自由な暗黒時代だとばかりを連想しておりましたが、いったん、芸能に目を向けてみると、案外庶民はしたたかで、「エロ」「グロ」「ナンセンス」が流行ったり、モボ、モガたちが銀座の並木道を闊歩したり、自由を謳歌していたんですね(ただし、戦況が悪化してからは、隣組で密告したり、「欲しがりません勝つまでは」で大変な時代だったでしょう)

 敵性言語だった英語が禁止され、野球も「セーフ」が「よし」に変えられたり、敵性音楽のジャズ演奏も禁止され、ディック・ミネも三根耕一と改名させられたり、大変な時代になりますが、それ以前の昭和初期は、かなりジャズが流行っていたことが分かります。

 リキー宮川も、軍部台頭もテロ横行も知っていたのか知らずにいたのか、大変失礼ながら、 かなり「能天気」な歌唱法です。聴いているだけでホノボノしてしまいます。「世帯を持つなら」という曲の歌詞も「箱根飽きたら熱海 熱海飽きたらまた箱根」などとどうでもいいことを照れずに歌っております。後世の人間から見ると、信じられませんね。案外、平和も戦争も紙一重だということかもしれません。

 それにしても、昭和初期は、明治に開国してまだ60年しか経っていないというのに、貪欲に西洋の文物を吸収して、ジャズ演奏もホンマモンと比較しても遜色ないほどの技術力があり、驚きです。日本人って努力家というか、器用なんですね。

 著作権の関係がよく分かりませんので、すぐ削除してしまうかもしれませんが、リキー宮川の顔が分かるように、その代表曲「世帯を持つなら」を下に引用しておきます。

リキー宮川

 リキー宮川を検索したりして遊んでいたら、偶然、新倉美子(しんくら・よしこ、1933~)というジャズ歌手を「発見」しました(笑)。

 勿論、私より一回り先輩の世代なら御存知でしょうが、私は全く知りませんでした。英語の発音はネイティブ並み。歌もうまいし、超美人。この人、どういう人なのかと思ったら、新国劇の辰巳柳太郎(1905~89)のお嬢さんだったんですね。新東宝映画「青春ジャズ娘」「娘ごころは恥づかしうれし」など30数本に出演していました。「 昭和26年にデビューし、昭和32年に結婚を機に引退」とありましたから、道理で私は知らないはずです。物心ついた頃は引退していたからです。

 当時は絶世の人気を誇ったというのに、忘れ去れてしまうんですね。儚いですね。(私だけが知らないのかもしれませんが)

 でも、ネットが発達したおかげで、今ではこうして、彼女の姿を見ることができ、そういう意味では良い時代にまで長生きできたと言えるかもしれません(笑)。

 下は、東京キューバン・ボーイズとの「マイアミビーチ・ルンバ」を引用させて頂きます。映画の一場面のようです。当時は、日本でも「マンボ」や「ルンバ」が大流行していたんですね。

新倉美子

 今の最新流行歌を聴いても、まったくつまらないのに、ルンバやマンボなどこういう昔の曲を聴くと、ウキウキしてきて、血湧き、肉が踊ってしまいます(笑)。(こちらも、「引用」ですが、著作権の関係で削除される可能性があります)

「旅の中の旅-加藤力之輔展」=東京・銀座

 京都にお住まいの京洛先生の御親友でもある加藤力之輔画伯の個展が、東京・銀座の風月堂ビル3階の「一枚の絵 olive eye gallery」で開催中ということで、覗いてきました。(Part IV:3月18日~23日、 Part V:3月25日~30日)

 京洛先生の「鶴の一声」で陸続と「関係者」も押し寄せているようで、私がお邪魔した時には、著名な経済ジャーナリストの阿部和義氏がちょうどお見えになっておりました。

 加藤画伯は、何回か、このブログでも登場させて頂いておりますが、昨年、個人的にスペインに旅行した際、マドリード在住の加藤画伯の奥方さまから、ピカソの「ゲルニカ」見学に連れて行ってもらったり、御自宅で御手製ランチ(イカスミライス)をご馳走になったり、大変お世話になってしまったのでした。

 加藤画伯は、プラド美術館で、4年間もティツィアーノの作品を模写研究された芸術家ではありますが、大変気さくな方で、大変、話好きです。多分、初対面の方でも、何の気兼ねすることなく画廊を訪れて、鑑賞したり、気に入ったら購入したりできますので、足を運ばれたらいいでしょう。


鎌倉の画廊でも展示されていた特大の人物画像も、今回出品されていて、加藤画伯にはその前に立って、写真を撮らさせて頂きました。

 「今日は取材で参りました。写真はブログに載せても大丈夫ですか?」とお伺いしたところ、「いいですよ」と快諾して頂きましたので、こうして皆様のお目にも留まることと相成りました。

「スマホなしの日」、または「断スマ」

 2017年9月に独立して、新しくこの《渓流斎日乗》ブログの専門サイトをIT専門家の松長氏の尽力によって立ち上げた時は、まだ元気いっぱいで、朝の通勤電車の中で、スマホを使ってブログ更新をしておりましたが、今ではそれが夢のようです。

 日々、仕事でパソコンを使っているため、最近は、酷い眼精疲労で、寝ても醒めても眼痛がひどくて、活字がぼやけて、更新するのも大変です。肉体的に限界になり、「スマホ休養日」を取ることにしました。先日の投稿記事「スマホを使うとバカになる」で書きましたが、川島隆太東北大学加齢医学研究所長の「LINEを止めると偏差値が10上がった スマホと学力『小中七万人調査』大公開」という論文にもモロ影響されました(笑)。

 川島氏によると、言葉も、ネット検索して調べていては、脳の器官が使われていないということでしたね。ということは、記憶として定着しないということです。私はこの10年近く、英単語も仏単語も電子辞書を使っていたのですが、これからは、なるべく紙の辞書を使うように戻しました(笑)。

 我ながら、人間が実に単純に出来ております(笑)。ということで、このブログも「毎日更新」から、眼が疲れている時は「お休み」に方針転換致します。ご理解の程、賜ります。

Alhambra, Espagne

 さて、英単語の話が出たことで、語学のお話をー。小生、老境の域に入りながら、いまだにこの年で、語学の勉強しています。哀しいかな、今や、覚えてもすぐ忘れてしまいます。もし、このブログをお読みの若い方がいらっしゃれば、語学は若いうちですよ、と御助言申し上げます。遅くても40代まででしょうね。50代になると急激に低下し、それ以降は言わずもがなです。

 先日、ラジオの「ビジネス英語」を聴いていたら、こんなフレーズが出てきました。

 Diplomacy is definitely the order of the day in a situation like that.

 単語はいずれも中学生レベルで、難しくありません。

 「外交は、そのような状況では、その日の決まった秩序になる。」という意味かと思ったら、な、な、何と「確かに、そういう状況でしたら相手にずばずば言い過ぎないことが重要です。」と訳されていました。

 Diplomacyは、外交のほかに、「婉曲にものを言う」という意味があるそうで、全く知りませんでしたね。the order of the day はイディオムで、「時代の風潮」とか「ふさわしい」「重要だ」という意味があるらしいのですが、かなりレベルが高いフレーズだと思います。

 このように、何歳になっても語学を習得するなんて夢のまた夢ですよ。

 若い頃からの「乗りかかった船」で、フランス語の勉強も続けておりますが、英語の常識とはかけ離れているので、面白い点が多々あります。

 例えば、

 ・smoking

 ・four

 ・email

 これが英語なら、上から下に「喫煙」「4」「電子メール」と答えるのが、「常識」ですが、もし、これが仏語なら、「洋服のタキシード」「かまど、オーブン」「エナメル」という意味になってしまうのです。

 つまり、何を言いたいかと言いますと、「常識を疑え」ってことですかね(笑)。

 

スマホを使うとバカになる

 《渓流斎日乗》は、ほぼ毎日書いておりますが、書き終わるたんびに「こんなこと書いても何の足しにもならない」と後悔してしまいます。自分は醒めた人間ですからね(笑)。しかも、何処からか原稿料を貰っているわけでもなく、職業として成り立っていないので、時間の無駄を感じてしまいます。

 とはいえ、最近は、ボチボチと「コメント」してくださる人も増え、当初の「世界最小の双方向性メディア」の目論見が少し達成できたようで、嬉しく感じでおります。全て皆様のお蔭です。有難うございます。

Alhambra, Espagne

 今日は、いつもと違って、凄く書きたくて書いております(笑)。大袈裟ではなく、実に衝撃的な論考を読んだからです。先週発売された月刊「文藝春秋」4月号に掲載されていた 川島隆太東北大学加齢医学研究所長による「LINEを止めると偏差値が10上がった スマホと学力『小中七万人調査』大公開」という論文です。

 乱暴に要約しますと。「スマホを使うとバカになる」と実証データで検証しているのです。(すみません。筆者の川島氏はそんな直裁的な表現はしてません。あくまでも、この論文を読んだ個人の感想です)

Espagne

 この話に入る前に他の話をします(笑)。ここ1カ月近くも読んでいた本を昨日やっとのさのことで読破できたからです。(そのため、月刊文春を読むのが遅れたのです=笑)

 今さらながらですが、船橋洋一著「通貨烈烈」(朝日新聞社)という本です。初版発行が1988年5月20日ですから、もう30年以上も昔の本です。「プラザ合意」の内幕を知りたくて参考文献を探していたら、「国際金融アナリスト」の肩書きを持つ会社の同僚が「日本の経済ジャーナリズムの頂点ともいうべき作品。たまたま2冊所有していたので、新しい経済学徒の貴兄に差し上げます」と有難いことに「謹呈」してもらったのです。

 著者の船橋氏は、御存知、まさにジャーナリストの頂点ともいうべき大手新聞社の「主筆」を務めた方で、現在、財団法人アジア・パシフィック・イニシアティブの理事長を務めておられます。(この財団は色んな噂があるようですが)お会いしたことはなく、写真を拝見し文章を読んだだけですが、「鬼に金棒」「向かう所敵なし」といった漲るほどの自信に満ち満ち溢れ、私のようなドサンピンが100人束でかかっても負けない感じです。

 で、この本を読んでみて、実際そうでした。船橋氏は1944年生まれですから、この本を出版した時、43歳ぐらいだったでしょうが、その年齢で、よくあれだけのものが書けたものです。日本の中曽根首相、ベーカー米財務長官、ボルカーFRB議長、バラデュール仏蔵相、ペール西独ブンデスバンク総裁ら錚々たる世界各国の蔵相、財務長官、首相、中銀総裁ら普通の人がとても会えない金融、財政を取り仕切る重鎮100人以上に面談する桁違いの取材力です。失礼ながら、大手新聞社という看板があったからかもしれませんが、当時の筆者は、米国の国際経済研究所(IIE)の客員研究員として「出向」し、もともと英語で執筆したというのですから魂消ました。

1985年9月22日、米ニューヨークのプラザ・ホテルで五カ国蔵相・中央銀行総裁会議(G5)が開催され、米国の巨大貿易赤字解消のために為替問題が話し合われます。これがいわゆる歴史に名高い「プラザ合意」です。会議が開催された頃、1ドル=240円だったレートは、みるみると円高になり、1987年末には1ドル=120円と、何と「半額」になってしまいます。 

 同書は、そのプラザ合意からルーブル合意(87年2月21日、パリ・ルーブル宮で開催されたG5)に至る内幕を関係者の証言をアラベスクのように集積して推測、分析、論考したもので、ハルバースタムの名著「ベスト・アンド・ブライテスト」に匹敵するノンフィクションの金字塔かもしれません。

でも、私のようなドサンピンでは理解度が中途半端で、急激な円高やDM高などについては「よく分からなかった」というのが本音ですが、むしろ、プラスの意味で、理解できなかったということは、収穫でした。恐らく、当時の金融当局の権威者たちも、「市場の推移に任せた」ため、あそこまで変動するとは思わなかったのではないかと愚考しました。(同書が書かれた当時は、まだ「ベルリンの壁」が崩壊する前で、GDPよりもGNPを経済指標として重視していた時代で、中国も台頭していないので、現在の状況とは全く違うことも痛感できました)

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 これから、やっと本題のスマホの話です(書く方は疲れるのですが、読む方は、もっと疲れることでしょう=笑)

 川島氏の論文は、東北大学と仙台市教育委員会が共同で、2010年から継続して、毎年約7万人の仙台市立小・中学校に通う児童・生徒全員を対象に行った「学習意欲の科学的研究に関するプロジェクト」の調査結果を基に導き出したものです。内閣府の調査では、2017年に全国の小学生の約30%、中学生の約58%、高校生の約96%がスマホを利用しているといいます。

 調査では、携帯・スマホの使用時間と学習時間の長さと成績の関係も調べました。結論から先に言いますと、スマホの、特にLINEなどのSNSを使えば使うほど、学習時間や睡眠時間などに関係なく成績が落ちるというのです。タイトルにある通り、偏差値が10も低くなるというのです。

 川島氏は「脳トレ」で名を馳せた脳科学者でもありますが、こんなことを書いております。

 …たとえば、「忖度」という言葉の意味を紙の国語辞典とスマホを使ってネットで調べた場合、前者では左右の大脳半球の前頭前野が活発に動く一方で、スマホを使うと全く働いていませんでした。しかも、何もしないで放心状態でいるときよりも前頭前野の働きは低下していたのです。…

 私はこんな文章を読んだので、勝手に「スマホを使うとバカになる」と表現したのでした。それにしても、衝撃的な怖ろしい結果です。

 文部科学省は最近、小中学生でもスマホの学校持込みを容認する方向を打ち出しましたが、いいんでしょうかねえ?この川島氏の論文を読めば、子どもたちが将来、どんな大人になるのか一目瞭然です。

 ま、ほとんどの人が、文科省の役人も、教育委員会の人も、この論文を読まないでしょうから、「問題提起」として《渓流斎日乗》で取り上げさせて頂きました。

 

「王子様」改名します 欧米人の愛称は難しい

 3月22日から全国公開される映画「バンブルビー」。車に変身するロボットと少女の交流を描いたSF作品です。私は観るつもりはありませんが、主人公の少女の名前がチャーリーというので、何かの間違いじゃないかと思いました。

  チャーリーCharlieは、チャールズ Charles の愛称(チャーリー・チャップリンとか)なので、男の子の間違いだと思ったのです。

 それが素人の赤坂の夜は更けて(古い!)。

 チャーリーCharlieは、 シャーロット Charlotte の愛称、略称で、女の子にも使えるというのです。知らなかったですね。

 知らなかったと言えば、ディックDick は、リチャード Richard の愛称だったことです。日本では、歌手のディック・ミネが有名です(これまた古い!)。ディックには凄い意味があり、ミネさんにはそれ相応のものがあったからという逸話がありますから、リチャード・ミネでは迫力に欠けますね。(よゐこの皆さんは、ディックの意味は調べないでくださいね)

Espagne

 また、映画ですが、4月5日に公開されるクリスチャン・ベール主演の映画「バイス」は、かのブッシュ・ジュニア米大統領の副大統領を務めた悪名高いディック・チェイニーを描いた作品です。タイトルの「バイス」には、副大統領のvice presidentと 悪徳という意味のviceを掛けた言葉らしいのですが、ディックだと、悪者らしく、サマになります(笑)。リチャードだと何か王様みたいですからね。

 ちなみに、リチャードの愛称として、ほかにリッチー Richie やリック Rick 、リッキー Rickie など沢山あります。

 ついでながら、愛称で有名なものを列挙してみましょう。

 ビルはBill は、ウィリアム William の愛称でしたね。William の短縮形Will がドイツ語読みになってBill になったのかしら。元米大統領ビル・クリントン、マイクロソフトのビル・ゲイツらウィリアムより、通称のビルの方が本名に近い感じです。元ローリング・ストーンズのベーシスト、ビル・ワイマンは芸名ですが、本名はウィリアムです。ビリーもウィリアムの愛称で、私はビリー・ジョエル、ビリー・プレストンらミュージシャンがすぐ思い浮かびます。そうそう、西部劇の「石川五右衛門」ことビリー・ザ・キッドがいましたね。これも、ウィリアムじゃ、王子様みたいで、サマにならない。

Alhambra, Espagne

 今日、こんな愛称のことを書くことになったのも、山梨県に住む18歳の高校生赤池さんが、親から名付けられたキラキラネーム「王子様」を「肇」と改名することが認められたニュースを耳にしたからでした。「王子様」では女の子に笑われたり、何かと不自由な生活を強いられたらしく、改名できて良かったと思います。手紙では赤池王子様様になっていたんでしょうか。

 欧米人の愛称、短縮形の話でしたが、ロバートRobert⇒ボブBob、エリザベスElizabeth ⇒ベス Beth 、ベティ Betty 、リズ  Liz など、今は便利な時代となり、ネットで検索すれば、いっぱいできてます。

Alhambra, Espagne

 最初にチャーリーは男女両方に愛称があった、と書きましたが、他に、クリス Chris (男の子クリストファー Christopher  と女の子クリスティン Christin /Christine )やサム Sam (男の子サミュエル Samuel と女の子サマンサ Samantha )などもあります。

 記述に間違いが多いですが、ウィッキー(ウィキペディアの短縮形=笑)にも「英語人名の短縮形」がありましたからご興味のある方はどうぞ。

 

 

中学生だった頃の自分へ

 ヒエール瀧です。

 ブログって便利ですね。世界情勢、政治批判から個人的な雑記まで、ルポでもフィクションでも何でも書くことができるんですからね。そこで、今日はあくまでもタイトル通り、些細な個人的なことを書きますので、ご興味のない方は飛ばしてください(笑)。

 渓流斎ブログで、何回か書いたことがありますが、小生、中学生の頃、グレてしまい、学業成績も学年トップから最下位とまではいきませんが、下位に急降下してしまいました。

 グレたとは言っても、かわいいもんで、親の財布からお金をくすねたり、タバコを吸ったり(やっぱり駄目ですね。しっかり、警察に補導されましたからお許しを)、本屋で立ち読みしたり、ビリヤードに入り浸ったりした程度ですが、とにかく、学業はすべてホッポリ出して遊び呆けてしまいました。

 何がきっかけかと言いますと、中学1年生の最初の家庭訪問で、担任の先生から「あなたの息子さんは学年のトップですから、このまま頑張ってください」という話を横で聞いて、すっかり、慢心してしまったのです。その日のうちに、自分の「人生計画ノート」を作ります。良い高校、良い大学に入って、ということは東京大学に入って、大蔵省に入り、作家に転身し、(この辺りは、三島由紀夫の影響でしょう=笑)、総理大臣になって、最高の立身出世をします。

 でも、その時、「一体、そんなエスカレートに乗るような人生の何処が面白いんだろう」と空しくなってしまったのです。人生計画ノートには「20○○年 総理大臣になる」の後は、「20××年 ヒヒヒーンになる」と書いてありました。「ヒヒヒーン」って何でしょうかねえ?自分でもさっぱり分かりません。馬になってどうするつもりだったのでしょうか。

 どうやら、中学生の幼い知性では言葉が見つかりませんでしたが、当時はニヒリズムに取り付かれてしまっていたようです。「どうせ、いつか死んでしまうのに、何をやっても無駄だ」という暗黒の海に突き飛ばされた感覚に陥ってしまったのです。そんなニヒリズムから逃れたいがために、もがき苦しんでいたような気がします。全く無意識でしたが。

Espagne

 このニヒリズムは大人になっても消え去ることも解決することもありませんね。人生、楽しもうが苦しもうが、何の意味もないし、何の価値もない。頭の片隅でどこか冷めています。どうせ人類も地球も太陽系もいつか必ず滅亡するのだから、人類の歴史も宗教も文化遺産も何もあったもんじゃない。人間は人を裏切るし、「自分さえ良ければよい」という自分勝手な考えの持ち主ばかりで、すぐ人を貶したり、足を引っ張ったりする。何で周囲の皆はそんな実態に気付かないフリをして、安穏として暮らしているのだろうか、と不思議でしょうがありませんでした。

 パスカルもこのようなことを言ってます。

 「人間は、本質的に、はなはだ不幸なので、何ら退屈の原因がなくても、その本来の気質によって退屈に陥ってしまう。また、人間は虚無的なので、退屈になってしまう多くの原因がありながら、玉突きや球打ちのような至ってつまらないことで気をまぎらわそうとするのだ」(「パンセ」から少し改変)

 玉突きとは、ビリヤードじゃありませんか!17世紀の仏クレルモンフェランやパリには既に玉突きがあったんでしょうね。この文章を読んだ時に、中学生だった自分に読み聞かせたくなってしまいました(笑)。

Alhambra,Espagne

 ピエール瀧さんが、コカインか何かの薬物に手を付けたのも、ニヒリズムに取り付かれたのかもしれません。とはいえ、人間は虚無に取り付かれても、大人になれば、何とか歯を食いしばって、真っ当に生きなければなりません。違法なことをするのはもってのほかです。

 私も、大した人間にはなれませんでしたが、今の自分があるのは「グレた中学生があったお蔭」として、当時の自分を許してやろうかと思っています。

家を持たない生活

 私の世代は、子ども時代がちょうど高度経済成長期で、小学校1年生の時に初めてテレビが家庭に入り、父親は中古の「スバル360cc」を買い、電機洗濯機や電気冷蔵庫も買えるようになりました。貧しいながらも一生懸命に働けば、住む家も広くなり、明日はより良い生活ができるという夢と希望に溢れていました。

 父親は国家公務員でしたが、国が貸し与えてくれた借り上げ木造住宅の官舎は、玄関と台所が土間。つまり、土でした。トイレは汲み取り式で、ガスはなく、調理場と風呂は薪でした。しかも、風呂はお隣の高橋さんと共用でした。当然、電気炊飯器などなく、お米は釜で炊いてました。洗濯物は、今の若い人は知らないでしょうが、母親が洗濯板を使って、ゴシゴシ洗ってました。水道はなく、井戸水で、夏はスイカを冷やしたりしました。

 まるで縄文弥生時代人のような生活ですが、これは昭和35年前後の話です。

 その後、高度経済成長の波に乗り、バルブ絶頂と崩壊というジェットコースターのような体験もしました。

 それで、何が言いたいかといいますと、今の10代、20代の若い世代は、生まれたときから「失われた20年」の時代で、勿論、高度経済成長もバブルも知らない不況の世代ですから、モノに対する執着がほとんどのないというのです。

 私なんか、唯一の趣味といえば、音楽を聴いたりギターを弾いたりすることでしたから、生まれて初めて買ったレコードなんかも鮮明に覚えています。今の若い世代はそもそも、曲はダウンロードするものなので、CDなんかも買わない。

 昔の世代は、子どもの時に、切手や野球選手カード、はたまた、きん肉まん消しゴムなどを集めたりしましたが、今の世代は不況でモノを買ってもらえず、コレクションの習慣も持たずに成長してしまった。

 ですから、昔のステータスシンボルだったスイス製の高級腕時計など買わない。スマホで済んでしまいますからね。車だって、今や、オープンカーでさえ3時間で3000円で借りられる時代ですから、所有しようとも思わない。

 本や雑誌も買わず、キンドルやタブレットで済まします。新聞もスマホのニュースで読んで買わないでしょうなあ。

 何よりも驚いたのが、家を持たない落語家が出現していたことです。今年1月に「その落語家、住所不定。 タンスはアマゾン、家のない生き方」 (光文社新書) という本まで出版した立川こしら (43) という立川志らくの弟子の真打です。この本を読んでいないので、詳細は分かりませんが、恐らく独身の方なのでしょう。地方巡業といいますか、地方での落語が多く、ほとんどホテル住まいのようです。でも、住民票とか住民税とかどうなっているんでしょうかねえ。

 確か、コンビニを冷蔵庫代わりに使って、家に冷蔵庫を持たない元大手新聞社の記者もいたぐらいですから、モノ離れや執着しないことは今の流行かもしれません。

 私も少しずつ「断捨離」を始めていますが、まだまだ修行が足りませんねえ(笑)。

【追記】

この記事、意外にも各方面から反応が多くてビックリです。皆様、コメント有難う御座います。

「家を持たない人」たちを「アドレスホッパー」というんですか。アメリカ人なら分かりますが、日本人も増えているとは!そして、今や装飾品までレンタルがあるとは!

定住しない生活ですから、日本人も縄文人に逆戻りしたのかしら(笑)。人生ってその人の価値観が反映されますからね。

モノを捨てられない人でも、罪悪感を抱く必要はありません。大塚宣夫著「医者が教える非まじめ老後のすすめ」がお勧めです。

子どもにとってはガラクタなら、後に彼らが処分できるように手配しておけば迷惑になりませんよ。

もっと非まじめに好き勝手に生きればいいのです。

「運び屋」は★★★

 クリント・イーストウッド(1930年5月31日、米サンフランシスコ生まれ)88歳。彼が製作・監督・主演した話題作「運び屋」を観にいって来ました。イーストウッドは芸暦60年以上。私も、子どもの頃、テレビの「ローハイド」から見てますからね。「ダーティーハリー」(シリーズ)も、渋谷駅前の東急文化会館にかつてあった映画館で観にいったら、ロケに使われた銃弾だらけのバスが広告で展示されていたのを覚えてますが、若い人は知らないでしょうねえ…。

 その後、監督業でも脚光浴びて、「ミリオン・ダラー・ベイビー」「グラン・トリノ」「硫黄島からの手紙」「ハドソン川の奇跡」と次々と話題作を発表し、「まず外れがない」ので、イーストウッド監督作品となると必ず観にいくことにしてました。

 で、この作品は?

 なかなか、よく出来た練り上げた作品ではありますが、予告編を観て、かなり期待し過ぎてしまった関係で、正直、その期待を上回らなかったですね。途中で、「長いなあ」と感じてしまい、あと20分ぐらいカットできる、と生意気ながら思ってしまいました。

 ストーリーは単純で、実際にあった90歳の老人がひょんなことからメキシコの麻薬組織のコカインを運ぶ危険な仕事を請け負う話です。その背景に彼の家庭事情やら、組織内の揉め事、麻薬捜査官の活躍などがありますが、「細部」は観てのお楽しみということで(笑)。

 原題の「The mule」は、本来ならラバとか、それに派生して頑固者という意味なのですが、ちゃんと、俗語として「麻薬の運び屋」がありました。最近の洋画はほとんど、原題をカタカナ表記するというマヌケな行動が多いのですけど、「ザ・ミュール」では訳が分かりませんからね。何か、宇宙船の話かと思ってしまいます。だから、「運び屋」とはうまいタイトルを付けたものです。

 とにかく、88歳になっても映画に対する情熱を失わないイーストウッドに脱帽するしかありません。