🎬「人間失格 太宰治と3人の女たち」は★★★☆

 太宰治に関しては、誰でも麻疹(はしか)のように一度は罹って、若い頃に熱中するものです。

 小生の場合は、ちょっと度が過ぎていて、高校生にして、既に、全集収録の全作品と書簡まで読破し、それでももの足りず、山岸外史「人間 太宰治」、坂口安吾「不良少年とキリスト」、檀一雄「小説 太宰治」、野原一夫「回想太宰治」…等々、評伝まで読破する始末でした。

 ということで、昨日から全国公開された蜷川実花監督作品「人間失格 太宰治と3人の女たち」は見逃せませんでした。しかし、私が映画を観る際に最も参考にする日経新聞の映画評では、★がたったの二つ!「つまらないから、観るな」と言われているようなものですから、躊躇しましたが、時、既に遅し。ネットで切符を買ってしまいました。

 で、仕方なく重い腰を上げて観に行ったのですが、やはり「★★」は酷過ぎる。とはいえ、映画史上の名作かと言えば、そこまで行かないので、「★★★☆」と中途半端な採点をしてしまいました。監督の蜷川実花さんは、あの「世界のニナガワ」演出家の蜷川幸雄の娘さんですから、斬新な映像美は確かにDNAとして受け継がれているようです。

 最初の方の真っ赤な曼殊沙華の花々の中での太宰と子どもたちとの散歩、太田静子との伊豆の満開の桜の中での密会場面などは、映像美術として見事でした。しかし、後半の太宰の雪上での喀血シーンなどは興醒めするほど長過ぎて、目をつぶってしまい、カットしたくなりました。後半を15分ぐらいカットすれば、満点に近い作品でした。

 どうせ配役は忘れてしまうので、書き記しておきますと、太宰治役が小栗旬、放縦な太宰を支える妻・津島美知子役が宮沢りえ、「斜陽」のモデル太田静子役が沢尻エリカ、入水自殺をする最後の愛人山崎富栄役が二階堂ふみでした。他に、坂口安吾が 藤原竜也、伊馬春部が瀬戸康史、三島由紀夫が高良健吾。

 太宰の文学研究者は奥野健男ら数多おりますが、人となりの研究者としては、「山崎冨栄の生涯ー太宰治・その死と真実」などの著書がある長篠康一郎氏がピカイチでしょう。この人は長年、太宰治研究会の世話役をやっていて、毎年6月19日の太宰の命日に東京・三鷹の禅林寺で行われる「桜桃忌」で、18歳だった私もお会いして、太宰の旧宅を案内してくれるなどお世話になったことがあります。(2007年に80歳で亡くなられたようですから、当時はまだ48歳だったんですね。)当時は私も若かったので、その時に出会った明治大学文学部の学生の下宿で、男性4人、女性2人が夜明けまで飲み明かしたことを覚えています。名前は忘れてしまいましたが、その時に会った若尾文子に似た1歳年上の美しい女性が今でも忘れられませんね(笑)。2人だけでそっと下宿の外に抜け出して、太宰作品について、立ち話をしたことを覚えています。翌朝、池袋駅で、彼女は赤羽線に乗るというので、連絡先も聞かずに別れてしまいました。大変懐かしい思い出です。

 蜷川実花監督は、当然、長篠康一郎さんの作品も読んで映画に参考にしていることでしょう。でも、概ね事実に沿って映画化したというのでしたら、山崎冨栄の愛称が「スタコラサッチャン」だったことや、太宰を囲んだ飲み会では「ギロチン、ギロチン、シュルシュルシュー」なんていう戯れ歌を唄っていたことは初歩的知識として知っていたはずですから、映画に反映していなかったのが残念でした。

 残念といえば、太宰の遺作は「人間失格」ではなく、未完の「グッド・バイ」なので、妻への遺書として「人間失格」の原稿を添えたことは本当かなあ、と思ってしまいました。単行本になった「人間失格」の生原稿は出版社にあったわけですから、嘘くさく感じましたが、これは、現実とは違う映画の話でしたね。

 太宰に関しては、なまじっか、知識があるものですから、「人間失格」を主に執筆したのは、三鷹ではなく、埼玉県の大宮なので、何で、大宮のシーンを出さなかったのか、とか、出てくる子どもたちで、太宰の長女園子さんは、後に婿養子を取った津島雄二元厚生相の妻で、長男正樹君は知的障がいがあり、若くして亡くなったとか、次女里子さんは作家津島祐子になる、とか、太田静子の娘も現在作家の太田治子だなあ、とか、映画を観ていても、深読みして頭の中にごちゃごちゃと出てくるので、困ったものでした。

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 でも、全く、太宰治の小説を読んだことがなく、人間関係もほとんど知らない人がこの映画を観たら、単なる、我儘な小説家が主人公のエログロナンセンス程度しか思えないかもしれません。

晩年、流行作家になり、「人間失格」や「斜陽」は、今の若い人の間でも、太宰が「敵視」した文壇大御所の志賀直哉や川端康成よりも多く読まれていると聞きます。でも、晩年の頃の作品よりも、「富嶽百景」や「お伽草紙」などの中期の作品の方が明るくて個人的には好きですね。

太宰自身はわずか38歳で亡くなってしまいましたが、彼の作品はこれからも読み継がれていくことでしょう。三島由紀夫のように反発する人もいますが、「あなただけに」内緒で語り掛けるような文体は、誰も書けないでしょう。だから、他の多くの作家は死後すぐ忘れ去られてしまうのに、太宰だけはこうして没後70年以上経っても映画化されるような作家として残っているのです。

 

 

世の中の仕組み=銀行員や商社マンだって天下りしたい

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 このブログで政治家さんのことについて書いた翌日は、どうも気分が悪く、削除したくなります。正直、あまり関わりたくないのです(苦笑)。生来、権威や権力者に対する拒絶反応が鋭敏なのか、何か、魂が穢れる思いがするのです。失礼しました。大袈裟ですね。

しかし、政治家はエリートの選民であり、国民の負託に応えてもらわなければなりません。封建主義じゃあるまいし、民主主義なら本来、2代目、3代目、4代目と世襲制になるのはおかしいのであって、常に我々は批判の精神を持って彼らの言動を見続けていく必要があります。だからこそ、彼らに対して国民の税金を投資しているのです。特に、総理大臣の年収は5000万円、国務大臣は3500万円といわれていますから、その分、仕事してもらわなければ困るのです。逆に言えば、国民は政治家に投資しているから、国民には政治家を批判する権利があるのです。

 このように、国会議員の年収が、世襲したくなるほどおいしくて、いかに高額か、卑近な例を挙げてみます。

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 還暦を過ぎて、某マスコミで定年延長の形で働いている阪元氏の年収は200万円以下です。まだ高校生と大学生の子どもを抱えているので生活はかなり苦しいです。退職金と預金を切り崩して生活しています。

 彼は先日、学生時代の友人と4人で新宿に飲みに行って、自身の生活苦を訴えつつ、友人の年収を聞いたところ、大手銀行出身のA君は、取引先への3回目の「天下り」でいまだに年収600万円は確保。大手商社で重役を務めたB君は、関連会社で週1回出勤するだけの非常勤監査役で800万円ももらっているというのです。世の中、官僚だけではなく、エリート銀行員や商社マンともなると、定年後に天下りが用意されていることが分かります。「さすがに自分の年収は言えなかったよ」と阪元氏は苦笑いしてました。

 その阪元氏は、学生時代に某大手銀行からの内定を二つも蹴って、わざわざマスコミに就職したといいますが、今や、マスコミも斜陽産業で落ち目の三度笠。私も「馬鹿だねえ。銀行に行ってたら、今ごろ、年収5000万円の頭取になっていたのに」と言うと、いつも反発する彼も返す言葉もなく、シュンとしてしまいました。

 もちろん、私も同じ穴の狢ですから、他人事ではありませんが(苦笑)。

萩生田氏の文科相御就任を寿ぐ

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 昨日(9月11日)発足した第4次安倍再改造内閣の閣僚を見ると、最も適材適所で見事に嵌っていたのが、文部科学相に就任した萩生田光一氏(56)以外有りえないことでしょう。それにしても、台風15号の影響で、千葉県内では45万軒も停電で復旧の目途が立っていない中、よくぞ性急に内閣改造なんかやったものです。

 萩生田氏は、東京都下の八王子市議から都議会議員、衆院議員と一つ一つ階段を昇って地位を築き挙げた苦労人らしいですが、世間が彼を注目したのは2016年、モリカケ問題華やかりし頃、安倍首相と加計理事長と一緒に缶ビール片手にバーベキューを楽しむ勇姿写真が拡散してからでした。

 「この人、誰?」と疑問に思う世間を尻目に、180センチ、100キロのガタイを武器に官房副長官として「消費増税を延期したらどうか」「憲法改正に消極的な衆院議長は交代したらどうか」などと発言力を増し、「安倍首相の側近中の側近」「総理の懐刀」と呼ばれるようになりました。それが如実に現れたのが2016年、加計学園獣医学部新設に際しての「官邸は絶対やると言っている」「総理は『平成30年4月開学』とおしりを切っていた」といった発言疑惑で、そう発言したとされる文書が17年になって文科省で見つかったことでした。まあ、そんなことは、世間の人はもうすっかり忘れていることでしょう。報道すらしない新聞やテレビもありますからね。

 御本人は、文科相就任記者会見で「私の名前を使って(文科)省内の調整を図った人たちがいたのだろう」と疑惑を否定していますから、真相は不明だということは付け加えておきます。しかし、こういう方が本丸の文科省の大臣になってしまうなんて、ブラックジョークとしか考えられませんよね?

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 萩生田氏は、 「日本会議」国会議員懇談会事務局長で、2013年に自民党の「教科書検定の在り方特別部会」の主査に就任した際、教科書会社の社長らを呼びつけて「自虐史観に立つなど、多くの教科書に問題となる記述がある」と追及したりしたようです。また、 彼の議員会館の事務所には「教育勅語」の大きな掛け軸が掛かっているということで、思想信条が分かりやすい人です。まさに安倍首相好みで、祖父の岸信介以来の念願だった「一丸となって力強く推進する」憲法改正に邁進する同志として、どうしても彼が必要なこともよく分かります。

 でも、NHKの最新の世論調査(9月9日)で、安倍新内閣が最も力を入れて取り組むべきだと思うことを六つの選択肢をあげて聞いたところ、「社会保障」が28%で最も多く、次いで「景気対策」が20%、「財政再建」が15%の順で、「憲法改正」は6番目の5%でした。 やはり、世間の皆様は、憲法改正よりも、年金などの社会保障や雇用問題など景気対策の方が関心があるということです。

 今日のブログは、あまりにも正攻法で我ながらつまらないですね(苦笑)。ただ、新聞を読み比べると、萩生田氏のことをほとんど書かない新聞もあったので、つい書いてしまいました。えっ?新聞に出ていなくてもネットに出ている?・・・ありま。それじゃあ、何のツッパリにもなりませんね(笑)。

真言宗の沿革、空海~観賢~叡尊~覚鑁上人のこと

「出版不況」が囁かれている中、今、一番元気を出しているのが京都市山科区に本社を構えるミネルヴァ書房かもしれません。

 その出版社が本日の朝日新聞朝刊に「ミネルヴァ日本評伝選」通巻200冊の全面広告を2面ぶち抜いて出しておりました。相当な広告費をかけてますね。卑弥呼から力道山まであります。フムフムと眺めていたら、あれっ?空海さんがない!ということが分かりました。宗教家として道元や親鸞、日蓮らは入ってましたが、法然さえ取り上げていません。あまり知られていない金沢庄三郎らは取り上げていますから、解せないなあ、と思いました。

 私は、いかなる特定の宗教団体にもカルト集団にも(笑)、入っておりませんが、日本の文学や絵画、彫刻、文化、思想には仏教は欠かせないと思っています。となると、宗派の開祖と言われる最澄、空海をはじめ、法然から隠元に至るまでは最小限必要ではないでしょうか。これから出るかもしれませんが。

高野山

何度も書くようですが、この夏に初めて高野山を参拝して真言宗や空海(774~835年)についてはさらに興味を持ちました。専門書を読めばいいのでしょうが、私は俗人ですから、経典そのものよりも、もっとジャーナリスティックな人間関係や逸話の方に興味があるので困ったものです。

 そういった種類の情報は、今では専門書よりもネット上に多く溢れているので大変助かります。ただし、気を付けないと、とんでもないフェイクニュースめいたものがあるので面食らってしまいます。例えば、「空海は男色の開祖だった」とか、「最澄と空海は弟子を奪い合って三角関係になっていた」といった類です。まあ、1200年以上も昔なので、真相は不明ですが、出典も不明なので、「ネットは何でもありの世界」だということを肝に銘じなければなりません。

 ジャーナリスティックな話ですが、真言宗を調べていて分かったことは、空海入定後、弟子たちがさまざまな分派を起こしたため、今では50以上もの宗派があることでした。その中でも「主要16派18本山」は主流になっていました。この18本山の中で、個人的に驚いたのが奈良県の西大寺です。もともと、称徳天皇が、父君の聖武天皇が創建した東大寺にあやかって創建した律宗の寺院でしたが、奈良から京都に遷都されてから荒廃して無住となってしまったというのです。その西大寺を鎌倉時代半ばに再興したのが叡尊上人(1201~1290)です。若き頃、醍醐寺で密教を修行したことから、西大寺も律宗と真言宗が混合したような独特の宗派となり、今では真言律宗といわれているそうですね。奥が深いです。

 とにかく、真言宗には50以上の分派があるそうですから、開祖の空海も驚くことでしょう。

高野山 根本伽藍

 このように、ネット上にある真言宗関係を印刷してバインダーに閉じてみたら、とうとう1冊の本になってしまいました。これで、少し分かったことは、(相変わらずジャーナリスティックな話ですが)作家高村薫氏が著書「空海」で書いてあった通り、空海入定後、70年ほどで高野山は、伽藍が落雷や火災などで消失し、国司が土地からの収益を横領するなどして荒廃し、無住になってしまったようです。

 その荒廃の無住状態から復興させたのが、空海の十大弟子の一人真雅のそのまた弟子の観賢(854~925年)です。東寺長者と金剛峰寺座主を兼ねた観賢は醍醐天皇に空海に大師号をおくって頂けるよう上表します。その願いが叶ったのが921年(延喜21年)で、空海が入定されて86年後のことでした。弘法大師です。今では大師と言えば、弘法大師のことだと思われていますが、浄土宗の開祖法然ともなると、大師号は、1697年(元禄10年)の円光大師に始まり、800回忌に当たる2011年の法爾(ほうに)大師まで8回もおくられています。ちなみに、天台宗の開祖最澄が、伝教大師の諡号を清和天皇よりおくられたのは、866年(貞観8年)、最澄入滅から44年後でした。

 弘法大師ほどの万能の天才でも跡を引き継ぐ弟子が優秀でなければ教義も寺院も絶えてしまうことが真言宗の歴史を読み込むと分かります。その断絶寸前と分裂の危機の中に現れたのが覚鑁(かくばん)上人(1095~1144年) 興教大師です。この人は宗派によって色んな書き方をされていますが、真言宗の中興の祖といって間違いないようです。(高野山では現地ガイドさんから「覚鑁上人は、高野豆腐を発明した僧侶」と説明されましたが、どうも違うようです)

 覚鑁上人は、空海が入定して約300年後に高野山の金剛峰寺の座主となり、弘法大師の遺志を復興しようとしますが、高野山の守旧派からの反発と妬みなどを買い、紛争を解決するには自分の身を引くしかないと考え、1141年頃、弟子たちとともに根来山に移ります。その2年後の1143年に49年の短い生涯を終えますが、興教大師以前の高野山や東寺を中心とする流れを古義真言宗というのに対して、興教大師以降の根来山を中心とした流れを新義真言宗(智山派、豊山派なども)といいます。

 真言宗では「南無大師遍照金剛」(遍照金剛とは、空海が恵果和尚から頂いた灌頂名)と唱えますが、新義真言宗では「南無大師遍照金剛 南無興教大師」と唱えるそうです。

 このような話は専門家から見れば当たり前過ぎて表層的ですが、自分自身、ちょっと頭の整理をしてみたかったのです。また、茲では書き込めませんでしたが、力を持った高野山や根来山は信長、秀吉らの格好の標的となったり、真言宗にはこのほか多くの名僧、智僧、怪僧がいたりしたことを付け加えておきます。

首都圏直撃の台風15号の影響で電車が動かない

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いやあ参りました、本当に。

昨晩から関東地方を縦断した台風15号の影響で電車が動かず。午前10時ごろ運転開始するというので、その時間に最寄り駅に着いたら、「ミロのヴィーナス展」でもやるかのように群集が、駅前を二重三重のとぐろを巻いていました。

どうしようか。

私自身は、歴史学者ハラリ氏言うところの「不要階級」Useless class(朝日新聞は「無用者階級」と翻訳していましたが、甘い!やはり、「不要階級」でしょう)ですから、別に会社に行かなくても、大勢に影響がないのですが、私は超真面目人間ですから、歯を食いしばって行くしかありませんでした。

そしたら、台風一過の蒸し暑い中、「改札規制」なんかやりやがって、駅の階段で1時間も待たされましたよ。まさに「不要階級」御用達です。

後姿なので失礼…

こんなの、ここ何十年もなかったと思います。関東地方に台風が上陸したのはここ最近では17年ぶり3回目らしいですが、確かに凄い台風でした。強風で一晩中窓がガタガタいってましたから。

電車内も、「順法闘争」時代の1970年代を思わせるほどの超満員。久しぶりのラッシュを味わいました。しかも、最寄り駅から都心駅まで通常なら45分掛かるところを1時間も掛かり、押され、突き飛ばされながら、満員の立ちっ放しで、15分も長く電車に乗ることができました(遊園地か!)。

 もちろん、これらは単なる個人的な不満を並べただけで、駅が改札規制したのは、安全対策として当然だったことでしょう。でも、こういう混雑極めた時に限って、平時にある「気分の悪くなった方がおられたので某駅でしばらく停車しました」とか、「お客様が線路に立ち入った」とか、「お客様が線路に落し物をされた」とかいった事案は発生しないんですね。

 皆さん、文句一つ垂れず、黙々と整然と並んで、車内でも、「あー」とか「うー」とか呻き声はしても、声を荒らげて抗議する人はなく、飼い慣らされた羊のようでした。

 恐らく若い彼らは、45年前の国鉄の順法闘争を知らなければ、満員電車もあまり経験がないことでしょう。それでも、慌てず、騒がず、デモもせず…です。

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これで、日本の将来も安泰だあぁぁ。

先行き暗いメディア業界

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仕事なので、嫌でも毎日、ニュースを見たり、聴いたり、読んだりしなければならないのですが、毎日、いつも何かしらの事件、事故があり、その度に気分がささくれ立ちます。

 最近では特に、幼児虐待殺人事件などは、見るのも聴くのもつらいですね。この事件に関しては、殺害した両親以上に児童相談所の不行き届きを批判する報道も溢れました。「児相さえしっかりしていれば、幼い女の子の生命が救われた」といった論調です。

 昨晩、ラヂオを聴いていたら、恐らく児相に勤めているらしき50代の女性から投稿があり、「ニュースを解説される方は、自分が児相で働いていれば、彼女の命を救えるとでも思っているのでしょうか。児相がどんなに大変で、皆、へとへとになって毎日仕事しているのか理解できないことでしょう。児相ばかりを悪く責めて、煽るようなことはやめてもらいたい」といった趣旨の発言をしていました。

 これに対して、ニュース解説者は「私は何度も児相を取材した経験があり、どんなに仕事が大変か、よおく分かっております…ムニャムニャ…」といった感じで応じていました。

 確かに、今に始まったわけではありませんが、報道各社、特にテレビのワイドショーなどは、やれ、韓国が悪い、やれ、社長の責任だ、などといった煽るような報道が目立ちます。

 そもそも、マスコミの原点は、ガンガンガンと銅鑼を大きく鳴らして「オオカミが来た、オオカミが来た!」と煽っているようなものですからね。そして、自分たちの責任は一切棚に上げて、高いところから人を裁くことに勤しみます。

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 今、中国の古典「荘子」を読んでいますが、良いことを言ってますね。

 人間の判断は、常に相対的なものであって、絶対的な正しさはどこにも存在しないのだ。

 国際的な紛争は、お互いの国が正義を主張することから起こります。一緒にすると怒られますが、テロリストにもテロリストの正義があるわけです。胡散臭さは別にして、ですが。

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 最近、大学生の就職先としてマスコミの人気は随分低下しているそうです。試みに某サイトを覗いてみたところ、2020年卒の大学生の就職希望ランキングは(1)伊藤忠商事(2)三菱商事(3)JTBグループ(4)三菱UFJ銀行(5)全日空ーと商社、航空、銀行が上位を占めていました。マスコミは、博報堂が17位でトップで、新聞社の首位は読売新聞で、何と75位ですからね。私の世代の1970年代後期~80年代初期は、朝日新聞が必ずベスト10に入ってましたからえらい違いです。

 マスコミが「3K職場」になったのか、やりがいがなくなったのか、理由はよく分かりませんが、こうしてネット社会になり、情報が溢れ、新聞が売れない時代になったからなのでしょう。駅構内のキオスクが次々と閉店して、新聞すら簡単に買えなくなりましたからね。車内で新聞を読む人は絶滅危惧種になりました。

 メディアの王様だったテレビだって、ネットに広告を取られて、かつてのような大名商売ができなくなりましたから、もう、そう悠長に構えていられないでしょう。

 今ですら、テレビのニュースは、視聴者からの「スクープ動画」に頼っているのですから、10年後、いや5年後のメディアがどうなってしまうのか、想像も尽きません。でも、信頼の置けないフェイクニュースが溢れ、報道にみせかけた広告記事や、お店や商品の宣伝を忍ばせたグルメ番組やショッピング番組ばかり増えるような気がします。

 悲観的ですか?

消費増税で便乗値上げはやめてもらいたいものです

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 来月10月から消費税が上がるということでアタフタしています。今のうちに高い買い物をしておくべきかどうか…。もう1カ月を切ってしまいましたからね。

 昼によく行く会社近くの寿司屋は、980円の握りランチをやってくれているのですが、顔だけ見ると意地悪そうに見える女将さんに「来月からどうなりますか?」と聞いたところ、「さあ、まだ決めてないのよぉ~。1100円にしようかしら?」とのたまうではありませんか。

 便乗値上げやんけ!

 2%増税なら、980×1.02=999円

せめて、1000円じゃないですか。

 それはともかく、軽減税率とかいう複雑なシステムで、消費税が8%になったり、10%になったり、わけが分かりません。

 そこで、松屋なんかは、店内で食べようが、持ち帰ろうが「同一料金」を打ち出してます。例えば、牛めし(並盛)は、消費増税でも現行と同じ320円(税込)。 店内で食べれは本体価格を291円にして、消費税10%=320円。持ち帰りだと、本体価格を297円にして消費税8%=320円としてます。 うまく考えたもんです。

「税金問題は国を滅ぼす」といわれてますが、大人しい日本人は香港のようにデモすることなく、お上の指図に唯々諾々と(出典「韓非子」)従っています。これで日本は安泰だあぁぁ。。。ただ、皆さん、スマホゲームに忙しくて、政治に関心がないだけなのかもしれませんが。

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 私は真面目人間ですから(笑)、いまだに一生懸命勉強しています。でも、古典派経済学の最大の理論化で完成者といわれる英国のリカードの著書「経済学および課税の原理」を読み始めたら、滅茶苦茶難しいですね。商品効用について、「労働価値説」と「稀少説」を提唱しています。

 それより、リカード(1772~1823 )は、 ユダヤ人の証券仲買人の息子で、アダム・スミスの著書の影響から経済学は独学で習得。後に公債引受人として巨万の富を得たこと。リカードの最大のライバルで論争相手だった「人口論」で知られるマルサス(1766~1834)はケンブリッジ大学を卒業したエリートで、英国教会の牧師だったことの方が興味あります。

 我ながら、ちょっと外れていますね(笑)。

来る者は拒まず、去る者は追わず

もう9月ですか…。過ぎ行く日々をつかまえたくなりまして、この夏を少し振り返ってみたくなりました。

個人的に、この夏の一番のハイライトは長年の夢だった真言宗の高野山(和歌山県)にお参りできたことでした。ちょっと高いツアーでしたが、行って本当によかったです。これまで全ての国内の聖地を訪れたわけではありませんが、滋賀県の天台宗総本山比叡山延暦寺も、福井県の曹洞宗大本山永平寺も意外にも観光地化した俗っぽさにがっかりしたことがありました。しかし、標高900メートルの山奥にある高野山は、街全体が静謐で、壇上伽藍は荘厳な雰囲気に包まれていました。

 えらく感激したのですが、皮肉屋の仏教ジャーナリストM氏は「真言宗は現在、大きく18本山に分派していますが、高野山真言宗(総本山金剛峰寺)は少数派なんですよ。むしろ、豊山派(総本山長谷寺、大本山護国寺)や智山派(総本山智積院、成田山新勝寺、川崎大師、高尾山薬王院)の方が勢力が大きいんですよ。それに、奥之院に織田信長や豊臣秀吉らの供養塔があるのは何のためにあるか御存知ですか?人を呼び寄せる観光のためですよ」と、のたまうではありませんか。

 まあ、その真偽も含めて、それはそれとして。夏の高校野球の季節となり、今年も智弁和歌山や智弁学園(奈良)の常連高が出場して、気になって調べたら、智弁が付く両校とも弁天宗という宗教団体を母体とする学校法人が運営する学校でした。そして、この弁天宗というのは、まさに高野山真言宗の流れを汲む新興宗教だったんですね。知りませんでした。

 このほか、真言宗系の新興宗教として、現在最も勢いがあって注目されているのが真如苑です。経済週刊誌に「最も集金力がある」と書かれていましたからね。真如苑は真言宗醍醐派(総本山醍醐寺)の流れを汲むそうですが、茲ではこれ以上踏み込みません。

京都・六角堂

夏の一番暑い盛りに京都にも行きました。どういうわけか浄土宗の寺院を巡る旅になりましたが、最終日に京洛先生から「京都のへそ」と言われる六角堂に連れて行ってもらいました。この六角堂の本堂北の本坊は「池坊」と呼ばれ、生け花の発祥地といわれてましたね。

 この池坊の敷地に読売新聞社の京都総局があり、「それは、読売新聞二代目社主の正力亨氏の妻峰子さんの妹が、池坊専永夫人の保子さんだったからです。その御縁なのでしょう」といったことをこのブログで書きました。

 そしたら、京都旅行から帰ってしばらくたった8月24日、この正力峰子さんの訃報に接したのです。享年83。亡くなったのが8月17日だったということで、ちょうど私が京都に滞在していた時でした。凄い偶然の一致には驚いてしまいました。

さて、先日、映画「ジョアン・ジルベルトを探して」を観ましたが、あんまり感動しなかったので、2007年8月に日本で公開され、あまりにも面白かったので、サントラ盤とDVDまで買ってしまった「ディス・イズ・ボサノヴァ」(2005年製作)をお口直しに自宅で観直してみました。

 日本ではあまり知られていませんが、ボサノヴァのスーパースター、カルロス・リラとホベルト・メネスカルの2人が、自分たちのボサノヴァの歴史を思い起こして、所縁の地を訪れるドキュメンタリーです。アントニオ・カルロス・ジョビンの息子パウロ・ジョビンもミュージシャンとして出演していました。

 これを観ると、ジョアン・ジルベルトの魅力が否が応にも分かります。その囁くような歌唱も、彼が独自に開発したといわれるギターのバチーダ奏法も、他の一流ミュージシャンと比べると、まるで月とスッポン。レベルの差が歴然としているのです。ジョアン・ジルベルトなくしてはボサノヴァは生まれなかった。彼がボサノヴァをつくった、と言われるのは納得できました。

 そのジョアン・ジルベルトはかなりの奇人変人で、晩年は隠遁生活に入り行方不明になります。映画「ジョアン・ジルベルトを探して」にも描かれていましたが、若い頃、かなり仲が良かった親友とも仲違いしたわけではないのに、何十年も会わなくなります。

 でも、私は逆に勇気付けられました。私も、学生時代にかなり仲が良かった親友と仲違いしたわけではなく疎遠になってしまったからです。こちらが色々とイベントや飲み会に誘ったりしても向こうが都合が悪かったり、メールをしても返事がなかったりしたからです。

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 最初は、こちらが何か悪いことをしたのではないか。何か気分を害することでも知らずにやってしまったのか。できれば、その誤解を解きたいと思ったものでしたが、この映画を観て、「もう誤解を解く必要もないか」と思うようになりました。「人間が恐怖(不安、嫉妬、劣等感)と欲望(出世、名誉、財産)で出来ている」のなら、もう策略することなく、無為自然、成り行きに任せて生きる(老子、列子、荘子)のが、自分にとっても、相手にとっても一番いいのではないのかと思ったのです。

 来る者は拒まず、去る者は追わずです。

 ボサノヴァの最重要人物の一人、ヴィニシウス・ヂ・モライス(「イパネマの娘」の作詞、作曲家、作家、外交官)は恋多き人で、9回も結婚・離婚を繰り返したそうですが、その話を聞いたただけでも私は「ご苦労さまです」と頭を下げたくなります。ということで、私自身、今年の夏は、モライス先生のように、浮いた話が全くなかったのですが、大変充実した夏を過ごすことができました。

 高野山といい、京都旅行といい、自分の目的を、他人に操作されることなく、自分の意志で行う「人間の尊厳」(イマヌエル・カント)を実行できたからです。

人間は恐怖と欲望で出来ている

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トランクルームを借りて、死んでも天国まで蔵書を持って行くつもりの例の遠藤君が「これを見なさい」と貸してくれたのが、テレビ番組を録音したDVDでした。

 どうやら7月にNHKで放送された「BS1スペシャル『欲望の資本主義 特別編 欲望の貨幣論2019』」という番組で、あまり面白そうではなかったので、4~5日、ほおっておいたのですが、見てみたら吃驚。こんな凄い番組を見たのは本当に久しぶりでした。遠藤君、ごめんなさい。最近のNHKは、商業主義とは無縁のはずなのに、ジャニーズやバーニング系のタレントを多用して民放と変わらない実に下らない番組が多く、見るに値しない局だと断定していたのですが、これで少しは見直しました。

 前編と後編で2時間ぐらいの番組で、内容全て紹介しきれないのですが、中心的な進行係として、「貨幣論」(1993年)などの著書がある経済学者の岩井克人氏を据えたのが大成功でした。「講義」の仕方が非常に懇切丁寧で、学生だったらこの教授に師事したいくらいでした。岩井氏の奥さんは、「続明暗」などの著書がある作家の水村美苗氏です。私は彼女に30年ぐらい昔にインタビューしたことがありますが、後で、水村氏の御主人が岩井克人氏だと知った時驚いたことを覚えています。逆に言うと岩井氏については、その程度の知識しかありませんでした。30年前は経済学には全く興味がありませんでしたから…(苦笑)。

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 前置きが長くなりましたが、どうしても番組の内容を短くまとめることが難しいので遠回りしただけでした(笑)。いや、気を取り直して始めます。

 岩井氏によると、貨幣というのは、本来、モノとモノを交換する「手段」に過ぎなかったのですが、いつの間にか、貨幣を貯めることが「目的」になってしまったというのです。貨幣が通用するのは、他人が受け取ってくれることを前提にして、それに懸けているようなもので、貨幣そのものに根拠がない。「自己循環論法」によってのみ、価値が支えられているというのです。

 貨幣自体に本質がないということで、「貨幣商品説」と「貨幣法制説」を否定し、マルクスの「価値形態論」も批判します。まあ、こう書いても番組を見ていなければさっぱり分からないことでしょうが…(苦笑)。

 この番組では、世界的に著名な色んな経済学者、哲学者、歴史学者らが登場しますが、私が一番印象に残ったのが、かつて米投資銀行で10憶ドルを運用し、今は電子決済サービス企業戦略を担当しているカビール・セガールという人の発言でした。「私たち(人間)は、恐怖と欲望で出来ている」というのです。これほど、的確な言葉ありません。

 彼によると、人間は恐怖と欲望で出来ているからこそ、不確実な未来に備えて貯蓄する。お金が多ければ多いほど、未来は安心だと感じる。それでも不安なので、「もっと、もっと」とお金を貯め込む。人間は過剰に安心を求めるというのです。

 岩井氏の説明では、ヒトが、モノよりもお金が欲しくなると、デフレになり不況になる。逆に、ヒトがお金に価値がないから早く手放そうとすると、ハイパーインフレになり貨幣の価値が下がるというのです。

 他に、アダム・スミス「見えざる手」、マルクス「労働価値説」、ケインズの「流動性選好」(世の中が不安定だとモノよりも未来の可能性を高めるために貯蓄に走る)、ハイエク「通貨自由化論」ら錚々たる経済学者の理論が登場しましたが、私としては、このセガール氏の「人間は恐怖と欲望で出来ている」という話が一番、腑に落ちました。

 現代は、富がGAFAなど一部のIT企業に集中し、世界的に膨大な格差が広がっています。企業も国家も数字が全てで、企業は利潤、国家はGDPの数字が向上することばかり腐心します。資本主義社会では、こうして数字で成功した人のみが崇められ、それ以外の人間性は全く無視されます。それでは、如何にして人間の尊厳を守るのかー?

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 最終章で、岩井氏は、何と哲学者のイマヌエル・カント(1722~1804年)の「道徳形而上学原論」を取り上げます。

 カントは同書の中でこう書きます。「すべての人間は心の迷いと欲望を抱えているものであり、(何と、既に、カントは、さっきのセガール氏と同じことを言っていたんですね!)これに関わるものはすべて市場価格を持っている。それに対して、ある者がある目的を叶えようとする時、相対的な価値である価格ではなく、内的な価値である”尊厳”を持つ。”尊厳”にすべての価格を超越した高い地位を認める。”尊厳”は価格と比べ見積もることは絶対できない」

 これはどういうことかと言いますと、岩井氏の説明を少し敷衍しますと、モノは価格を持っているので交換できる。しかし、人間の尊厳は交換できない。だから、この人間の尊厳は、他人が入り込む隙間がないほど自由であり、最後の砦みたいなものだというのです。

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 繰り返しになりますが、岩井氏は「人間は他人に評価されない自分自身の領域を持つことが重要で、それが人間の自由となる。自分で自分の目的を決定できる存在は、その中に他の人が入り込めない余地がある。そこが人間の尊厳の根源になる」と言うのです。

 つまり、今のようなGAFAが世界中を席捲しているネット社会で、フェイスブックの「いいね」や、何かを買うと「あなたのお薦め」が次々と表示されるアマゾン方式などによって、本来、目的を選ぶのに自由であるはずの人間が、こうしたAI(人工知能)によって操作され、結局は人間の尊厳が失われる可能性がある、と岩井氏は警告するのです。

 これは慧眼です。

番組では、ノーベル経済学賞を受賞したスティングリッツ氏の「アダム・スミスの”見えざる手”は、結局存在しなかったんだよ」という断定発言には驚かされました。また、古代ギリシャのアリストテレス「政治学」や、「社会契約論」のジョン・ロックらも登場させ、利潤追求の数字の世界だけでない哲学までもが引用されているので、非常に深みがあり勉強になる番組でした。

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 恐怖に駆られる人間の性(さが)のせいで、強欲な人間が増え、格差社会が拡大しています。しかし、皮肉屋のスティングリッツ氏は「資本主義がもっているのは、お金に興味がない人がいるおかげ」と発言していたので、これも非常に目から鱗が落ちる発言でした。

 確かに、人間は恐怖と欲望で出来ているのかもしれませんが、私自身は、数年前に病気になった時に、睡眠欲も食欲も性欲も全くなくなったことがありました。欲望がないので、お金に興味がないどころか、禁治産者のように、お金が目の前にあっても、勘定することさえできませんでした。それでいて、毎日、恐怖に苛まれていたので恐ろしい病気に罹ったものです。

「貨幣論」から、随分違った話になりましたが、これも人間の自由、つまり、AIに操作されることなく、書きたいことを書くという「人間の尊厳」なのかもしれませんね(笑)。

🎬「ジョアン・ジルベルトを探して」は★★★

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 ここ何年も、何十年も好んで聴いているのは、ボサノヴァです。20世紀が生んだ偉大な作曲家として当然、レノン=マッカートニーが選ばれることでしょうが、私は迷わず、アントニオ・カルロス・ジョビンを押します。

 そのボサノヴァをつくった代表人物のもう一人が、歌手兼ギタリストのジョアン・ジルベルトです。彼が先月7月6日に、リオデジャネイロの自宅で88歳で死去したというニュースが流れた時は本当にショックで、ちょっと何も手に付かないほどでした。

 そんな人間は私だけでなく、世界中いたことでしょう。そんなわけで、先週封切された映画「ジョアン・ジルベルトを探して」(ジョルジュ・ガショ監督作品)を新宿シネマカリテまで観に行って来ました。

 ドイツ人の作家マーク・フィッシャーが、日本人の友人から東京で聴かされたジョアン・ジルベルトの音楽に魅せられて、本人に会いたいという一心で、彼を求めてブラジルのリオデジャネイロなどを探し回り、結局会えずに空しく帰国したという本を出版。残念ながら、フィッシャー自身は、本が出版される1週間前に自ら命を絶ったといいます。

 この本をドイツ語の原文で読んで感銘を受けたフランス人のガショ監督が、フィッシャーが辿ったリオデジャネイロなど同じ道を辿りながら、ジョアン・ジルベルトを探し求めるという様子をドキュメンタリータッチで描いたのがこの作品です。

 映画では、フィッシャーが通訳兼アシスタントとして雇った、本の中で「ワトソン」と呼ばれた同じ女性を採用して、彼女のコーディネートで、ジョアン・ジルベルトと関係があった友人、知人らとインタビューしていくといった展開です。

 この中の最重要人物だったのが、ジルベルトの元妻で歌手のミウシャでしたが、彼女も昨年2018年12月27日に亡くなっていたんですね。(ミウシャはポルトガル語ではなくフランス語を普段使っていました!)

 ガショ監督がフィッシャーの足跡を辿るドキュメンタリーとはいっても、映画ですから、何らかの作為というか演出がありますから、ちょっとカメラワークも気になりました。

  ジョアン・ジルベルト自身は、2008年9月、生まれ故郷のバイーヤで開催されたボサノヴァ誕生50周年記念コンサートへの出演を最後に、10年以上も人前から姿を消し、ほとんど行方不明状態でした。映画で登場した、大親友だった音楽仲間のジョアン・ドナートは「45年も彼には会っていない」、ホベルト・メネスカルも「15年も会っていない」という始末でした。

 ジョアン・ジルベルトの奇人変人ぶりは徹底していて、ホテルの料理人とは何年も、1時間ぐらい電話で話をする仲なのに一度も会ったことがなく、料理を部屋まで運ぶボーイにも会おうとせず、ドアの前に食事を置いてもらうといいますし、コンサートでも「マイクの高さが気に入らない」「空調のせいで声が出ない」などという理由でキャンセルになったりする嘘か本当か分からない噂が飛び交うほどです。私は、幸運にも2003年の初来日の彼の公演(東京・国際フォーラム)を特権から(笑)、前から7番目の席で観ることができましたが、確か、その当日も、ホテルの空気清浄機の調子が悪かったとかいう理由で、公演時間が30分以上遅れたと記憶しています。でも、当時72歳とは思えない声量と、ギター1本による1時間半ぐらいのパフォーマンスはさすがプロ、圧倒されました。

新宿シネマカリテ

 さて、結局、ガショ監督は「ボサノヴァの神」ジルベルトに会えたのか?

これは映画を観てのお楽しみということで、私自身は観ていてイライラしてしまいました。元妻のミウシャとインタビューしている最中に、ジルベルト自身からミウシャに電話がかかってきたり、たまたま、ジルベルトとミウシャの間の娘であるミュージシャンのベベウがワールドツアーから1週間ほど帰国していたのに、なぜ、彼女に救いを求めなかったのか不思議でした。

また、ジルベルトのマネジャーと称する70歳代の長髪の男が、どうも詐欺師に見えてしょうがなく、それもイライラする遠因でした。

 映画を観ると、ジルベルトは長らくホテルで一人住まいが続いていたような感じでしたが、一部の訃報では、リオの自宅で家族に看取られて亡くなったという報道もありました。当然、ベベウも駆け付けたのかもしれません。

 今晩は、ジョアン・ジルベルトを聴いて過ごします。