みすず書房を創った人、小尾俊人

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 岩波書店の岩波茂雄、筑摩書房の古田晃、三笠書房の押鐘富士雄、青春出版社の小澤和一、大和書房の大和岩雄…と、どういうわけか、出版社の創業者には長野県人が多いのです。長野県は、熱心な教育県で、真面目で忍耐強い人が多く、悪く言えば(笑)頭でっかちの教条主義者を多く輩出し、「日本のドイツ」の異名を取るぐらいですからね。

 忘れてはならない長野県出版人には、他にみずず書房を創業した小尾俊人がいました。私も学生時代から大変お世話になりました。当時の学生の間でよく読まれたバートランド・ラッセル、レヴィ=ストロース、メルロー=ポンティ、ロラン・バルトなど高くて買えず、背表紙を眺める怠惰な学生ではありましたが、図書館で借りて読んだものでした。

 また、長じでからは、ゾルゲ事件にはまり、みすず書房から出ている「現代史資料」は必需品でした。その編集・解説者として小尾俊人(1922~2011)の名前は自然と覚えましたが、この方の経歴にまで興味が及ぶことはありませんでした。

 それが、最近、この方の評伝が出て、「渓流斎はんや、この本、読まなきゃいかんぜよ」という土佐方面からのお薦めがあったものですから、早速手に取ることにしました。

 宮田昇著「小尾俊人の戦後 みすず書房出発の頃」(みすず書房、2016年4月25日初版)という本です。著者の宮田氏(1928〜2019)は早川書房などを経て、版権などを扱う日本ユニ・エージェンシーを創立し、翻訳関係の本を多く出版している方でした。生前から小尾俊人と長期に渡って接点があった人です。

 それでも、小尾俊人の人となりについてはわずかしか知らず、彼の生涯はどういうものだったのか、小尾俊人の生地である長野県諏訪郡豊平村上古田(かみふった)などを何度も訪れて、辿っていくのがこの本です。

 正直、大変失礼ながら、個人的に、著者の宮田氏の文章は、読みにくくて、すっと頭の中に入って来ず、難儀しています。悪文ではなく、私との相性が悪いというべきか(笑)、こちらの理解力が足りず、スラスラ読めないというのが真相でしょう。というわけで、まだ400超ページ中200ページぐらいしか読んでいないのに、拙速にも、この本を取り上げることをお許し頂きたい。何しろ、意外と知られていない「真実」が、この本では掘り起こされているからです。

 まず、取り上げなければならないことは、小尾俊人は、昭和15年に岡谷工業高校卒業後、18歳で上京し、同郷の岩波書店入社を希望したものの叶わず、創業者の岩波茂雄から紹介された羽田書店に入社したことです。

 この羽田書店とは、元首相の羽田孜(1935~2017)の父親の羽田武嗣郎(はた・ぶしろう、1903~79)が岩波茂雄の薦めで起こした出版社でした。この羽田武嗣郎という人は面白い人で、師範学校の校長を定年で辞めた後、バス会社「和田嶺自動車」を創業した貞義を父に長野県和田村で生まれ、東北帝大では漱石門下の阿部次郎に師事し、卒業後は東京朝日新聞の政治記者になり、その後、政治家に転身した人でした。

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小尾俊人の父栄は、島木赤彦に師事した歌人で、南信日日新聞や信陽新聞の歌壇の選者でした。

 こんな感じで、色んな著名人や関係者が出てきます。

 ロマン・ロラン全集などを世に出した創業当初は、みすず書房ではなく、信濃にかかる枕詞「美篶(みすず)刈る」から取った美篶書房だったことも初めて知りました。

 小尾俊人は、経営者というより、根っからの編集者で、日々の勉強を怠らず、あの丸山眞男からも一目置かれていたようです。小尾の目利きで、ロングセラーになったフランクルの「夜と霧」を出したことは知ってましたが、芥川賞を受賞した小島信夫「アメリカ・スクール」と庄野潤三「プールサイド小景」まで、みすず書房だったことをこの本で知りました。

 先に書いた通り、みすず書房=小尾俊人が海外から日本に紹介した学者、作家は、ロマン・ロラン、バートランド・ラッセル、レヴィ=ストロース、メルロー=ポンティ、ロラン・バルト、ミシェル・フーコー、ユング…と数知れず。今や死語になった教養主義の金字塔を打ち立てた人だったことは間違いありません。

 しかも、お金も学閥もない、長野県の田舎から出てきた一介の無名の青年が、「志」一つで、ここまで大きな仕事を成し遂げたことは、まさに奇跡に近い感じがしました。

今や、学生でさえ本を読まなくなり、金融工学が世界を支配してカネだけが全てになり、教養主義が蔑ろにされる時代になったことから、今後、採算を度外視し、志だけを信念に仕事をする小尾俊人のような人間が出ることはないでしょう。

明智光秀は謀反人か?忠義の人か?

倉敷

 今年の HKの大河ドラマは「麒麟がくる」 。1月19日の初回の視聴率は、19.1%(関東地区、ビデオリサーチ調べ)とかで、「テレビ離れ」が声高に叫ばれる昨今にしては、まあまあの出だしではないでしょうか。

 主人公は、あの本能寺で主君織田信長を討った謀反人(裏切者)の明智光秀ですからね。 以前の大河ドラマでは、戦前に「逆賊」と呼ばれた足利尊氏を主人公にした「太平記」はありましたが、裏切者を主役にすることなどとても考えられませんでした。

 とはいえ、裏切者といっても、信長側から見てのことで、人間の性(さが)などそんな単純なものではありません。まして、戦国時代ですから、親子兄弟でも謀反やら裏切りが公然とあったわけですから、後世の人間が、安全地帯から断罪するのも如何なものか、というべきです。ドラマは、これから明智光秀から見た戦国時代が展開されることでしょうが、楽しみです。

 特に、明智光秀の資料は極端に少なく、40歳以降しか分からないそうですね。私もよく知りませんでしたが、この明智光秀のおかげで、歴史ドキュメントの番組や光秀を特集した雑誌が増え、色々と勉強になります。今から500年近くもの昔の人間なのに、当時の手紙や資料が発見され、歴史が塗り替えられたりする様は、確かに見ていてワクワクします。明智光秀は若き頃、越前朝倉家に仕えていて、医者か薬師ではなかったか、という説には大いに驚かされました。

 先ほどの「裏切者」の話ですが、1600年の関ヶ原の戦いで、東軍に寝返った小早川秀秋があまりにも有名ですが、歴史ドキュメント番組を見ていたら、結構たくさんいることを知りました。

 例えば、細川藤孝・忠興親子です。本能寺の変後、 備中高松城の攻城戦から急きょ引き返してきた(中国大返し)羽柴秀吉軍と、信長を討った明智光秀の軍勢が激突して天下分け目の戦いとなります(山崎の戦い)が、光秀の親戚に当たる細川親子は「喪に服す」と称して、明智軍に加勢しなかったのです。細川忠興の正室は、有名な光秀の三女細川ガラシャですからね。 まあ、この行動は、明智軍に勝ち目はないと見て、機を見て敏な細川一族が、その後、生き残り、平成の世になって子孫に総理大臣を輩出することになりますから、「裏切り」ではなく、「大功績」と言えるかもしれませんがね。

 もう一人は前田利家です。信長の最後の跡目争いとも言うべき賤ヶ岳の戦いで、利家は、最初は信長軍団最強と言われた柴田勝家軍に付きますが、合戦の途中で戦線を離脱して、羽柴秀吉を勝利に導いてしまうんですね。これを「裏切り」と見るか、後に「加賀百万石」の礎となる「功績」と見るべきか、見方を変えると180度違ってしまいます。これだから、歴史は面白いのです。

姫路城

【後記】

 今、山本祐司著「東京地検特捜部」(角川文庫)を読んでいますが、この中に出てくる平沼騏一郎には俄然と興味が湧きました。司法畑のトップである検事総長、大審院長などを歴任し、司法大臣、枢密院議長、総理大臣まで務めた近現代史の最重要人物の一人です。国粋主義団体「国本社」を創設し、戦後はA級戦犯となり、終身刑で獄死した人ですが、もともとは、津山藩士としてこの世に生を受けます。この津山藩は、関ヶ原の戦いで「功績」があった小早川秀秋が移封された藩(宇喜多秀家領の岡山55万石)だったんですね。

 また、津山は、昭和13年に30人もの大量の村人が殺害された「津山事件」が起きたところで、後に横溝正史がこの事件をモデルに「八つ墓村」を書き、何度もドラマ化、映画化されています。

 さらに、津山は美作(みまさか)国です。この美作国宮本村は、剣豪宮本武蔵の出身地だという説があり、地元では生誕地として碑を立てているそうです。

 まあ、色々と話に繋がりが出てきて、書いていても楽しいです(笑)。

引用と著作権で悩む今日この頃

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 先日、作家の溝口敦氏の公式ホームページを見ていたら、同氏は「ノンフィクションの『巨人』佐野眞一が殺したジャーナリズム  大手出版社が沈黙しつづける盗用・剽窃問題の真相」(宝島社、2013年) という本を出版されていることを初めて知りました。内容は「本書では、出版界内部からの自浄作用を促すことを目的に、佐野作品に発覚した140件以上の盗用・剽窃箇所(ネットメディアではまだ指摘されていない盗用を多数発掘)および、その疑惑をすべて公開するとともに、佐野氏の釈明がいかに欺瞞に満ちたものなのか、徹頭徹尾、指弾する。… 全出版人、マスコミ関係者、取次ぎ、書店関係者、そして何よりも『佐野文学ファン』必読の書!  」などと書かれていました。

 私は、溝口氏とは会ったことはありませんが、佐野氏とは一度だけお会いしたことがあります。彼の「巨怪伝」「阿片王」「甘粕正彦 乱心の曠野」などその濃密な取材力には圧倒され、大変お世話になった作家です。私も「佐野文学ファン」なので、ショックでしたね。

 この溝口氏の本を読まず、また両者の話も聞かずにあれこれ言うのは、フェアではないので、この辺でやめておきますが、「盗作」と「引用」の問題については深く考えさせられました。(人気作家だった故・立松和平氏の盗作問題も思い出しましたが、佐野氏の盗作問題は、裁判で既に和解が成立しているようでした)

 まず、引用についてですが、文化庁のホームページにある「著作物が自由に使える場合」の「引用」の定義としてこう書かれています。

  公正な慣行に合致すること,引用の目的上,正当な範囲内で行われることを条件とし,自分の著作物に他人の著作物を引用して利用することができる。同様の目的であれば,翻訳もできる。

 そりゃそうでしょうね。引用が許されなければ、学術論文さえ書けないでしょう。ただ、この「正当な範囲内」というのが微妙ですね。

 盗作は、英語で plagiarism と言いますが、どなたが言ったことか忘れてしまいましたが、「他人の書いたものを10行書けば『引用』になるが、100行書けば『盗作』になる」といった迷言がありました。うまいことを言ったものです。

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 さて、現在のようなネット全盛時代、SNSではニュースが拡散されてますが、これも厳密に言えば、著作権侵害に当たりますよね?

 著作権問題は、私のようなブログ書きにとっても、深刻な問題です。私の場合は、しょっちゅう、出典を明記して「引用」しているつもりなのですが、「著作権者に許諾を得ていない。盗作だ」と言われて訴えられれば、グウの音も出ません。

 ということで、こんな問題に頭が悩まされると、正直、ブログを書くのが馬鹿らしくなってきます。

 先ほどの「迷言」ではありませんが、「出典を明記すれば、10行以内ならオッケー」とでも不文律でも良いから言ってくれれば楽になれるんですが…。写真も頭が痛い。なるべく自撮りや確かなソースから拝借しておりますが、「自撮りでも、本の表紙なら駄目」という説を聞いたことがあり、「じゃあ、撮影者の著作権はどうしてくるんじゃ!」と突っ込みたくなります。

 ところで、この《渓流斎日乗》の著作権はどうなのか、と御下問があれば、著作物ですから勿論、著作権は主張します。とはいえ、ちゃんと、問い合わせて頂き、悪用ではなく、出典を明記さえしてくだされば、オッケーです。

 でも、面倒臭いんですよね、恐らく…。私も気持ちは分かりますから(笑)。また、どうも、紙の著作権とネット上の著作権も違うような気がします。詳しい方、御教授くだされば幸甚です。

日本の闇を牛耳った昭和の怪物120人=児玉誉士夫、笹川良一、小佐野賢治、田中角栄ら

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東京の調布先生に久しぶりにお会いしたら、「貴方も好きですねえ。真面目に仏教思想を勉強していたかと思ったら、最近またアンダーグラウンド関係に熱中していますね」と言われてしまいました。調布先生もしっかりと渓流斎ブログをお読みになっているんですね(笑)。

 アンダーグラウンド関係にのめり込むきっかけの一つが、何を隠そう、調布先生の影響でした。もう時効ですから明かしますが、もう四半世紀以上も昔のこと。当時会社があった東京・内幸町界隈にどでかい東武財閥系の富国生命ビルがあり、その地下は飲食街になっていて、よくランチに行っておりました。ある日、調布先生が、わざわざ弊社にお見えになり、昼時なので、その富国生命ビルにランチに行くことになりました。

 そこの1階には、入居しているテナントの会社のプレートがあり、調布先生は「この方を御存知ですか?」とニヤニヤしながら御下問するではありませんか。そこには「日本政治文化研究所 西山広喜」と書かれていました。当時の私はまだ紅顔の美青年ですから、世間のことは何も知りません。後で、その方は、その筋では知らない人はいない右翼活動家で総会屋の大物だということを知りました。

 その後、調布先生から、いきなり「滋賀県の大津に行きましょう」と言われ、連れて行かれたのが、義仲寺です。名前から分かる通り、源平時代の武将・木曽義仲の墓所でした。しかし、昭和初期には荒廃して壊滅寸前だったといいます。戦後、この寺の復興整備に尽力した著名人の墓もありました。一人は、「日本浪漫派」の文芸評論家保田与重郎(1910~81)。この人は私も知っています。しかし、調布先生が私に教えたかったのがもう一人の方でした。三浦義一(1898~1971)。大分県出身。戦前は虎屋事件、益田男爵事件などを起こし、戦後直後は、政財界の最大の黒幕と恐れられ、日本橋室町の三井ビルに事務所を構え、大物政治家や財界人が足繁く通ったことから、「室町将軍」の異名を取った人だというのです。

 私もナイーブでしたから、知るわけありませんよね。当時は、インターネット情報も充実していませんし、「知る人ぞ知る」人物に関する人名事典すら書籍として発行されていなかったので、その筋の情報は、一部の関係者の間で口コミで広がるぐらいでした。

 しかし、今は違います。ガセネタも多いですが、ネット情報があふれ、本もいっぱい出ています。前置きが随分長くなりましたが、21世紀の令和時代となり、昭和時代も歴史となった今、いい本が出ました。これもまた、調布先生が教えてくれた、というおまけ付きです(笑)。

 別冊宝島編集部編「昭和の怪物 日本の闇を牛耳った120人の生きざま」(宝島社、2019年12月25日初版)です。恐らく、色んなライターが別々に書いているようで、それぞれに出来不出来があり、明らかな間違いや校正ミスもありますが、全体的によくまとまっています。見開きページに一人、顔写真と経歴付きですから、小事典としても使えます。

 裏世界を何も知らなかった頃から30年近く経ち、あれから、普通の人よりもかなり多くのその筋の本を読み(笑)、重要人物からもお話を聴くなどかなりの情報を獲得しましたから、私もさすがにその方面には異様に詳しくなり、情報の目利きができるようになりました。

  この本の「日本の闇を牛耳った昭和の怪物120人 」をどういう基準で編集部が選んだのか、よく分かりませんが、欠かせない人物なのに落ちている人がいることが散見されます。例えば、フィクサー田中清玄(1906~93)、北星会会長岡村吾一(1907~2000)、 情報誌「現代産業情報」発行人石原俊介(1942~2013) はマストでしょう。山段芳春(1930~99)を取り上げるなら、「京都三山」の高山登久太郎(1928~2003)らも取り上げなければいけませんね。バブル期のリゾート王・高橋治則(1945~2005)や末野謙一氏、北浜の天才相場師・尾上縫(1930~2014)らも欲しいですが、彼らは別に黒幕でも何でもないですけどね(苦笑)。

 この本には、先程の三浦義一と西山広喜(1923~2005)はもちろんのこと、児玉誉士夫(1911~84)、笹川良一(1899~1995)、小佐野賢治(1917~86)、岸信介(1896~1987)、田中角栄(1918~93)ら、この手の本では必ず出てくる人物は漏れなく登場しますが、番外編として、玄洋社の頭山満(1855~1944)と杉山茂丸(1864~1935)や黒龍会の内田良平(1874~1937)らも取り上げているのが良い点です。また、私自身が取材経験のない弱点でである(笑)総会屋系の木島力也(1926~93)、芳賀龍臥(1929~2004)、小川薫(1937~2009)、正木龍樹(1941~2016)、小池隆一氏(1943~)らの略歴で、彼らの師弟関係も分かり勉強になりました。

 【後記】

 「昭和の120人」のせいなのか、1926年(大正15年、昭和元年)生まれが異様に多かったですね。安藤昇、渡辺恒雄、氏家斎一郎、木島力也、五味武、根本陸夫といった面々です。ちなみに、同年生まれには、梶山静六、森英恵、多胡輝、菅井きん、山岡久乃、佐田啓二、マリリン・モンロー、仏のジスカールデスタン、キューバのカストロ、中国の江沢民、米コルトレーン、チャック・ベリーら多彩な人を輩出しております。

大手メディア報道は政府情報と政府情報を足した情報?=「教養としてのヤクザ」

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 溝口敦/鈴木智彦「教養としてのヤクザ」(小学館新書、2019年10月8日初版)という大学の講義のような本を書店で見つけ購入しました。

 溝口氏は、日本の組織犯罪問題の第一人者と言われる著名なノンフィクション作家ですが、若い頃、あの「アサヒ芸能」(徳間書店)の記者だったことは自身のプロフィルには書かれていませんね。 私も「食肉の帝王」「暴力団」など多くの著書でお世話になっております。鈴木氏は「ヤクザと原発」「サカナとヤクザ」(安倍首相夫人がこの本に感動し、著者は『ご進講』をお願いされたことを本人が語っています)などで話題になったジャーナリストで、若い頃、その筋の「実話時代」などで腕を磨いた人です。

 この巨匠ともいうべき筋金入りの2人の対談集ですが、2人の記憶力には恐れ入るばかりです。「ヤクザと食品」「ヤクザと五輪」「ヤクザと選挙」など実に多岐にわたって発言されておりますが、私が一番興味深く読んだのは「ヤクザとメディア」です。鈴木氏は「新聞やテレビの暴力団担当記者は、実際には暴力団を取り締まる警察の担当で、その警察から暴力団の情報をもらって書いている。記者の大半は、警察発表と検察発表を整合させて、これを『裏を取る』と言っているわけです。当該暴力団にアテるわけじゃないんです。彼らの裏取りは政府情報と政府情報を足して、それで合わせるから暴力団に接触なんかしない。そもそも『接触するな』って言われているから」と発言しています。

 その通りでしょうね。大手メディアは、戦場の最前線にしろ、危ない所には行きませんからね。世間では暴力団存在そのものに対する疑義があり、それは当然です。しかし、何でもそうですが、メディアが政府情報のみの一方的な報道だけでは、官報と変わりがなく、情報の受け手である市民の方もバイアスをかけて見る必要がありますね。

 鈴木氏は、こんな逸話も紹介していました。抗争事件があって、テレビ局が現場取材にいくと、組員が掃除をしていたので、「撮らせてください」と頼むと、組員は「オッケー」と言いながらも、「ただし、こっちも体面があるから、俺が怒っているところを撮れ」と言って、「オリャア、コリャア」という場面を撮ったらしいのです(笑)。漫画の世界ですね。

  何しろ、「教養本」ですから、この本を読めば社会の仕組みから、政治の裏世界までよく分かります。原発の汚染水処理も、東京オリンピックも、かなり暴力団が関わっていることも明かしています。

 このほか、今、タピオカがブームになって、かなり儲かっていますが、暴力団がこれに目を付けてかなり進出していることもこの本で初めて知りました。何しろ、原価は30~40円なのに、売値は500円ぐらい。都心の超一等地でも5坪ぐらいあれば簡単に開業でき、1店舗に付き月80万~100万円の利益が出るそうです。

 ほかにも、たくさんありますが、「裏社会を知らずにジャーナリズムを語ること勿れ」ですね。

「諸悪莫作、諸善奉行」「世間虚仮、唯仏是真」=聖徳太子

 このブログは、ほぼ毎日更新しているため、恐らく、付いていけず脱落された方も多いと思います。私も脱落する自信があります(笑)。ただ、日々の知的好奇心が読書量に追い付いていない気がします。いや、その逆かもしれません。日々の読書量が知的好奇心に追い付いていない気がします。知りたいことがまだ沢山あります。

 今も2冊を平行して読んでいます。読み終わると1カ月も経てば忘れてしまうので、備忘録としてこのブログに書いているだけなのかもしれません。

 先週は、松濤弘道著「日本の仏様を知る事典」を読了したので、羅列したいと思います。

如意輪観音の「如意」とは、如意宝珠のことで、どんな願いでも叶えてくれる珠のこと。「輪」とは、法輪のことで、仏の教えを指し、この仏に祈るとすべての願いが叶う。右手の第1手は頬につけて思惟をしている姿で、地獄道の人々を救う。右手の第2手は如意宝珠を持ち、餓鬼道から人々を救う。右手の第3手は、立膝の上で数珠を持ち、畜生道から人々を救う。また、左手の第1手は蓮弁に触れて修羅道から人々を救い、第2手は脇の下から蓮華を持ち、人道から人々を救い、第3手は、肩の上に法輪を持ち上げて、天道から人々を救うという。

・観音菩薩は、仏弟子の舎利弗、勢至菩薩は、目連のそれぞれ神話化されたものという。

・華厳経によると、善財童子(菩薩)は、仏の教えてを求めて、文殊菩薩の薦めで、53人のあらゆる職業の師に教えを乞う旅に出て、最後に勢至菩薩と巡り会って、所期の目的を果たす。この故事から、東海道五十三次などが生まれた。

・「明王」は、インドの原住民ドラヴィダ族の神の化身で、外来のアーリア人からの支配を受けた関係で、奴婢や奴隷の姿をしている。不動明王大日如来が変身し、降三世(ごうさんぜ)明王は、阿閦如来が変身したものといわれる。また、軍荼利明王は、宝生如来の変身、大威徳明王は阿弥陀如来の変身と言われる。さらに、金剛夜叉明王は不空成就如来(釈迦)の変身、愛染明王は、金剛愛菩薩の化身といわれる。

・世界の中心に須弥山(しゅみせん)がそびえ、その周囲に九重の山脈と八つの海がめぐらされている。その海の東西南北に四つの島が浮かび、南のしまの閻浮提(えんぶだい)が我々の住む世界。

・須弥山世界の下から十層目にある天界(有頂天)に梵天(ヒンズー教の最高神ブラフマンが仏教化)が住み、須弥山の頂上の忉利天(とうりてん)の喜見城(きけんじょう)には、帝釈天(原名インドラ)が住む。梵天と帝釈天を釈迦の脇侍とする三尊像が、ガンダーラでつくられた。帝釈天は、音楽神の乾闥婆(けんだつば)の娘をめぐって、阿修羅(八部衆)と争い、その闘いは熾烈を極めたことから、修羅場という言葉が生まれた。

・東の持国天、南の増長天、西の広目天(シヴァ神の化身)、北の多聞天(ヴィシュヌ神の化身⇒単独では毘沙門天)は「四天王」と呼ばれ、帝釈天の家来に当たる。

吉祥天は、鬼子母神(訶梨帝母=日蓮宗に多くまつられている)の娘で、毘沙門天の妻。弁財天は、梵天の妃。

大黒天は、シヴァ神の化身で、梵天の子。また、毘盧遮那仏の化身。

荼吉尼(だきに)天は、インドの魔女ダーキニーの音訳。平安時代の頃に、稲荷と習合する。稲荷は、イネナリから稲の実りを意味する農耕の神。宇迦之御霊(うかのみたま)、保食神(うけもちのかみ)といわれる。伏見の稲荷大社は、真言宗東寺の鎮守神として崇められ、荼吉尼天を本地とする神仏混淆の神。

・七福神=毘沙門天は、災いから身を守る神、大黒天は食欲を、弁財天は性欲を、寿老人は長生きを、福禄寿は権力欲を、布袋は笑いを、恵比寿は金欲を満たす神。

聖徳太子は死に臨み、周囲には「諸悪莫作(しょあくまくさ)、諸善奉行」(もろもろの悪しきことはなさず、もろもろの善きことを行え)と告げ、妻には「世間虚仮(せけんこけ)、唯仏是真(ゆいぶつぜしん)」(世の中のものは全てむなし、ただ仏の真実なり)と語ったという。

🎬「リチャード・ジュエル」は★★★★★

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名古屋にお住まいの篠田先生から電話があり、「ああたが、ブログで批判していた韓国映画『パラサイト』、観に行きましたが、よかったじゃありませんか。今度のアカデミー賞も獲るかもしれませんよ」と仰るので、気は確かなのかと思いましたよ。

 週刊文春でも、映画評論家と称する人たちが全員、「満点」を付けていたのを発見して唖然、呆然としましたが、あんな残酷で後味が悪い、血みどろの不愉快な映画、ないじゃありませんか。今年のアカデミー賞候補には、殺害場面の多すぎるあのハリウッド映画「ジョーカー」までなっているというのですから、映画産業界に対する不信感さえ抱きました。そしたら、篠田先生は「それは、ああたの限界ですね。映画なんて作り物だと割り切って観なければならないんですよ。『パラサイト』の後半のとんでもない展開なんて、日本人なんかとても作れませんよ。『万引家族』の是枝監督なんて、とても及びもつきません。今の時代を反映しているわけだし、『パラサイト』のようなとんでもない世界の方が、現実世界を如実に反映しているわけですよ」と悪びれた様子もなく、かつ丼をペロリと平らげる有様です。

 まあ、好みや趣味は人それぞれですから、とやかく言えませんけど、私は、嫌ですね。断固としてあんな映画は二度と見たくない。限界を指摘されようが、批判されようが、 日本人ですから、箱庭的な墨絵のような映画の方を好みますよ。勿論、是枝監督に軍配をあげます。

 かくして、映画産業に関して、かなりの不信感を抱いてしまったので、「これではいけない」ということで、お口直しの意味で、小雪のちらつく中、またまた映画館に足を運びましたよ。1996年のアトランタ五輪の最中に起きた爆破テロ事件で、第1発見者の英雄から、一転して容疑者になった警備員の実話を扱った「リチャード・ジュエル」です。クリント・イーストウッド監督なら、大丈夫だろうという安心感と期待感で観たのでしたが、正解でした。私の採点は満点です。この映画こそ、アカデミー賞候補になってもいいのに、カスリもしません。きっと、米FBIやメディアを痛烈に批判している映画だからなのでしょうね。

アトランタ爆破テロ事件とは、五輪大会7日目の 7月27日午前 1時20分頃、市内センテニアル公園の屋外コンサート会場で、パイプ爆弾による爆破事件が発生し、死者2人、負傷者111人を出した事件です。日本人はほとんど忘れているし、第1発見者の警備員が、国民的ヒーローから一転して犯人扱いされる悲劇など、覚えている人は少ないでしょう。

 この事件の裏、というか表でどんなことが起きたのか、といったことをノンフィクション・スタイルで再現したのがこの映画です。この手のスタイルは、イーストウッド監督は、2016年の「ハドソン川の奇跡」と18年の「15時17分、パリ行き」で成功させていますから、同監督のお手の物といった感じかもしれません。

 実に良い映画でした。俳優全員が本物のように見え、全く演じているように見えなかったところが凄い映画でした。

 私は一番面白かったのは、野心に燃えるアトランタ・ジャーナル紙の女性記者キャッシー(オリビア・ワイルド)が、かなり露骨な色仕掛けでFBIのトム・ショウ捜査官(ジョン・ハム)からトップシークレットの情報を取って、スクープする場面でした。バーのカウンターでのやり取りなどは、事実かどうか分かりませんが、美男と美女なので、キツネとタヌキの化かし合いは、実にサマになっていて、いかにもあり得そうな場面で、イーストウッド監督しか描けませんね。身に覚えがあるメディアの人間が観たらたまらないと思います。私もずっと、ニヤニヤして観ていました(笑)。

 結局、警備員のリチャード・ジュエル(ポール・ウォルター・ハウザー)は無実で、キャッシー記者が書いた記事はフェイクニュースになりますが、それまでは、メディアスクラムによってリチャードとその母親ボビ(キャシー・ベイツ)の2人は、天国から地獄に突き落とされ、私生活が台無しにされてしまいます。

 FBIという強大な国家権力とメディアに対抗するために、この2人を助けたのが、弁護士のワトソン・ブライアント(サム・ロックウェル)でした。この映画は、リチャードと弁護士ワトソンとの出会いの場面から始まるので、何で、そこまでして、ワトソンが、リチャードのために親身になれるのかよく分かります。ワトソン役の俳優は、何処かで観たことある、と思ったら、2018年の「バイス」(チェイニー米副大統領の映画)のブッシュ大統領役でしたね。

 とにかく、この映画のおかげで、映画産業界に対する不信感が、ほんの少し和らぎました。(ということは、なくなったわけではない!)

若者言葉は「分かりみが深い」

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 私は乱読家ですから(笑)、出典は全く忘れましたが、大昔に読んだ中野重治のエッセイの中で、若者言葉の乱れを批判する文章がありました。それは、「電話を掛ける」が普通なのに、最近の若い人は「電話を入れる」などと言う。いかがなものか、といった内容でした。

 「電話を入れる」が、そんなに明治生まれの人間には気になるものなのか、妙に印象に残ったので、半世紀ぐらい経った今でも、よく覚えているのです。

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 しかし、21世紀にもなると、それどころの話じゃありませんね。もう「若者言葉の乱れ」なぞとは、誰も批判したりしません。特に、SNSとやらで、中高年にとっては、やたらと難解な想像もつかない言葉を若者たちは生み出してくれてます。

 了解を「りょ」ではなく、今や「り」だけ(笑)。「お疲れさまでした」と書けばいいのに、「おつ」だけです。でも、「ディスる」(悪く言う)は、もう中高年でも使われるようになりましたが…。

 最近驚いたのは、「分かりみが深い」という表現です。若者たちの間では、もう4、5年前から使われていて、今頃になって気付くのは遅すぎると思いますが、婉曲表現に近いようです。分かるようで、分からないような、微妙な響きです。

 若者言葉が世間で定着するかどうかは、使われる頻度で決まることでしょうね。もう10年ぐらい前に流行った「チョベリグ」や「チョベリバ」なんてもう誰も使わないでしょうね。えっ?流行ったのは、1990年代で、もう30年前の話?あたし、まだ生まれてない?…嗚呼、もう勘弁してください。

 若者言葉が注目されるのは、そこに商品価値があるからだ、と中高年の天邪鬼は分析しています。ずばり、カネになるからです。資本主義の性(さが)ですなあ。

 私も若い頃、「ナウいヤングが集うゴーゴー喫茶」なという宣伝文句に惹かれて、繁華街を彷徨したものでした。でも、若者言葉は、手垢がつくとすぐ廃れてしまいます。今や「アヴェック」なんて死語ですからね。

WST National Gallery Copyright par Duc de Matsuoqua

 それにしても、日本語は「外来語」が多いせいか、英語やフランス語などと比べても驚くほど語彙も多く(フランス語には「安い」という単語さえないんですよ!)、変化も激しいですね。これまた随分前に、ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」などを新訳した亀山郁夫氏(当時東京外国大学学長)にインタビューした時に、彼から「ロシア語はほとんど変わらず、ドストエフスキー時代の19世紀の言葉が今でも使われている」といった話を聞いて本当に吃驚したことがあります。

 日本語とはえらい違いですね。大した魂げた。

真理に目覚めた仏陀=仏像の世界は大変奥が深い話

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一昨日から松濤弘道著「日本の仏様を知る事典」(日本文芸社、1988年4月30日初版)を読んでおりますが、教えられることが多く、大変勉強になります。

 ちょっと古い本ですが、会社の資料室にあったのを見つけ、自分用として読みたかったので、ネットで購入したのでした。「自分用」というのは、著者には大変申し訳ないのですが、本文に赤線を引いたり、書き込みしたりしてしまうことです。それほど格闘しながら読ませて頂いている、ということでお許し願いたいところです。

 著者の松濤弘道(まつなみ・こうどう)氏は1933年、栃木県生まれで、大正大学から米ハーバード大学大学院で修士号を取得され、栃木市の浄土宗近龍寺の住職などを務めておられましたが、2010年に77歳でお浄土へ往生されたようです。

近龍寺のHPによると、松濤氏には、日本語で55冊、英語で30冊、他にも中国語、フランス語、ポルトガル語等、多数の著作があったそうです。また、近龍寺には、栃木出身の作家山本有三のお墓があるらしく、私も昔、「路傍の石」や「真実一路」など愛読させて頂きましたので、いつか、この寺を訪れたいと思います。

  「日本の仏様を知る事典」は、特に、「如来」「菩薩」「明王」「天」など階級別に仏像について詳しく書かれていますが、仏教とは何か、といった基本的なことにも折に触れて解説してくれます。

 多くの人が誤解しているようですが、仏教とは、キリスト教などと違って、絶対的な神を信仰する宗教ではなく、修行によって自分自身も、真理に目覚める仏陀(覚者)になることを目指すことでした。松濤氏によると、仏陀とは、宇宙を創造した神でもなく、人間を裁く審判神でもなく、超越的な権力や力を備えた至上神ではない、といいます。

 仏教とは、釈迦という一人の人間が、説いた教えです。(王子の身分でありながら、妻子も捨てて29歳で出家し、6年間の修行の末、仏陀となり、80歳で入滅)釈迦が悟ったことは、すべての生物は自己の存在や自我意識に執着し、無明(執着の根源)から他者を差別し、他者の犠牲のもとに生き延びている、ということでした。そこで、釈迦は、他人を害することなしに生存するには、各自の特異性を認め、生命の同一存在(一如=いちにょ)を追体験することだと考えたといいます。もし、一如の生活に則れば、他者と喜びを分かち合い、他者の苦しみはわが苦しみとして受け入れ、人の幸せも自分の幸せとして感じ、気づくことができるだろう、といいます。

 このように、釈迦が悟ったことを簡略して、大きく二つだとすると、「智慧」と「慈悲」がそれに当たります。それゆえに、仏像にこの二者の概念が付きまといます。例えば、釈迦三尊像の場合、真ん中に釈迦如来を据え、脇侍(わきじ)として文殊菩薩と普賢菩薩を配し、それぞれ、智慧と慈悲を象徴しています。阿弥陀三尊の場合、中央の阿弥陀如来の脇侍には観音菩薩(慈悲)と勢至菩薩(智慧)を配します。密教の大日如来の場合、金剛界が智慧、胎蔵界が慈悲を表します。

 仏を分かりやすく整理すると、世界の真実そのものを人格化した毘盧遮那如来(奈良の大仏など)や大日如来を「宇宙仏」、釈迦如来のように世の真実を体得したものを「人間仏」、仏の徳性の働きを象徴する阿弥陀如来や弥勒如来を「理想仏」と分ける考え方もあるそうです。また、鎌倉時代には「過去仏」として釈迦、「現代仏」として阿弥陀、「未来仏」として弥勒の三世仏が盛んにつくられたといいます。弥勒如来は、釈迦の死後、56億7000万年後の未来に現れて、衆生を救済してくれる仏で、天理教や大本教に影響を与えました。(その弥勒如来が現れるまでに、地獄に堕ちた人でも救済してくれるのが地蔵菩薩です)

自宅の御本尊である36年前に鎌倉の仏具店で購入した仏様。当時20万円ぐらい。てっきり釈迦如来像かと思ったら、阿弥陀如来像でした。(本文参照)

 この本では色々と教えられましたが、釈迦如来像と阿弥陀如来像の区別の仕方が初めて分かりました(苦笑)。右手を上げて、中指を曲げているのが釈迦で、両手で印を結んでいるのが阿弥陀だといいます。東南アジアに広がった小乗仏教は仏像といえば、ほとんど釈迦如来像ですが、大乗仏教となると、さまざまになります。特に日本では、本地垂迹説で、色々な仏像がつくられ、釈迦如来像は天平期の頃がピークで、それ以降は、浄土教の影響からか阿弥陀如来像が主に占めたそうです。

 この本については、またいつか取り上げたいと思いますが、今日最後に特記したいのが阿閦如来です。「あしゅくにょらい」と読みます。 阿閦とは無瞋恚(むしんい)と同じ意味で、すべての誘惑に打ち勝ち、永遠に怒りや恨みを抱かないと誓って、東方世界に妙喜浄土をたてた仏だといいます。以前、このブログでも書きましたが、瞋恚とは、仏教用語の十悪(殺生・偸盗・邪婬・妄語・綺語・両舌・悪口・貪欲・瞋恚・邪見)の一つでしたね。私自身、最近、この瞋恚(自分の心に逆らうものを怒り恨むこと)に取りつかれていたので、この阿閦如来さまに縋るしかありません。奈良の西大寺にも鎮座されているそうなので、西大寺先生に写真を送ってもらいたいものです。

奈良・春日大社「国宝殿」で「最古の日本刀の世界 安綱・古伯耆展」

Copyright par Siadaiji-sensei

ご無沙汰しております。奈良に居ります、御存知「西大寺先生」です。

 奈良通信員として拝命していますが、本業が多忙で渓流斎ブログに出稿せず誠に申し訳ありません。令和二年の新年になり、第一弾の出稿です。

 奈良の美術展と言えば、国立奈良博物館の「正倉院展」があまりにも有名ですが、県内にはあまりにも多くの国宝、文化財があり、しかも、お寺、神社そのものが歴史遺産であり、美術展を見に行くというより、歴史遺産自体が自然体の「美術展」でもあります。ですから、奈良では東京のように博物館、美術館に「美術展」を見に出かける必要もそれほどないわけですね。

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そんな奈良ですが、新年3月1日まで春日大社「国宝殿」で開かれている「最古の日本刀の世界 安綱・古伯耆展」は見ごたえがありますよ。

 平安時代に伯耆(ほうき)の国(今の鳥取県中・西部)にいた安綱(やすな)の一門の刀は武家社会は勿論、神にも捧げられましたが、その後、この刀匠の流れは途絶え、作品もほんのわずかしか残っていません。現存の安綱の作品はほとんどが「国宝」「重要文化財」になっています。

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 今回はその国宝に指定された春日大社所蔵の「金地螺鈿毛抜形太刀」や、あの源頼綱が酒呑童子を斬った刀と言われる、やはり安綱作の国宝「童子切」(国立東京博物館所蔵)、重要文化財で「大平記」にも記されていて渡辺綱が鬼退治に使ったと言われる「鬼切丸」(髭切)(北野天満宮所蔵)が並び、日本の刀の歴史がよく分かります。

 会場はそれほど広くなく、展示数も厳選され、ゆったり、時間をかけて展示品が見られるのは好いですね。特に伯耆の国が、たたら、砂鉄がとれることから古代から刀作りが盛んで、この展覧会でも、安綱の作品だけでなく古伯耆の太刀も展示されています。

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 また、お城巡りを趣味にされている渓流斎山人ですが、徳川家を中心にした全国の諸大名が「家宝」にしていた太刀、名刀はいずれも、平安期から時の権力者のもとを迂余転変してきたことも分かりやすく説明がされていました。「へえ!足利、信長、秀吉、各大名家にこうして伝わったのか」「名刀には歴史の逸話がある!」と、貴人もご覧になれば関心、興味が倍加するでしょう。

 刀は歴史好きには堪えられない面白さがあると思いますよ。茶器とは別の奥深さが秘められています。単なる「武器」だけでなく「祭事や儀礼用」の意味、価値も持っているということです。春日大社「国宝殿」は同大社の本殿傍にあり、上の写真のように、境内の鹿も入口付近にやって来て、都心の美術館では味わえない雰囲気が漂います。

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この展覧会も館内の写真撮影は禁止でしたが、ただ、一点だけ国宝のレプリカは撮影OKでした。あまり上手く撮れませんでしたが、悪しからずご了承ください。

 3月1日まで開催しているので、奈良に行かれる機会があれば覗かれると良いでしょう。入場料は800円ですが事前に金券ショップのガラスケースを覗けばさらに格安のチケットが売られていると思いますよ(笑)。

 西大寺先生より

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 いやあ、有難いですね。いつもながら、ネタ切れになりますと、特派員リポートが送稿されます。紙面を埋めなければならない新聞社や雑誌社のデスクの気持ちがよく分かります(笑)。

 お城と並んで、今、刀剣もブームです。特に若い女性が全国の品評会にまで回っており、「刀剣女子」と呼ばれているとか。

 日本刀は武器ですが、美術工芸品でもありますね。戦場では、刀の威力はそれほど発揮せず、殺傷力では(1)弓矢(後に鉄砲)(2)薙刀(後に槍)(3)投石(4)刀ーの順らしいですね。何故、刀より投石による戦死者の方が多かったのか、というと、農民が合戦に駆り出されて、高価な刀剣は買うことができないか、刀の使い方ができなかったというのが有力な説です。刀狩りで、農民は刀剣を奪われていましたしね。