ATM(明るく、楽しく、前向きに)をモットーに=2021年大晦日所感

 2021年も暮れようとしています。この時期になると、いつも頭にこだまのように聞こえてくるのが、中原中也の詩「帰郷」の中にある「ああ おまえはなにをして来たのだと…吹き来る風が私に云う」というフレーズです。

 本当に一体、自分はこの年齢(とし)まで、何をして来たんだろう、という感慨です。随分、青臭い話じゃありませんか(苦笑)。少年の頃、年を取れば、落ち着いて、物事を達観して、日向ぼっこでもして、平穏な日々が送れるものとばかり思っておりましたが、真逆ですね。自分は、生臭坊主ということなんでしょうか(本物のお坊さん、失礼!)。人間、恐らく、誰でも未完成、未熟のまんまで死んでいくことでしょうね。

焼き鳥店「もりのした」佐賀名産のみつせ鶏

 さて、師匠さんも走る「師走」ということで、私も、ここ数日、ブログ執筆はほんの少しお休みさせて頂いて、他人様と同じような日常作業を行っておりました。年末は、いつも通り、年賀状書きとお買い物の付き合いとお掃除整理に追われた、といったところでしょうか。

 年賀状は、かつて一番多い時は300枚ぐらい出しておりましたが、年々減っていき、それが200枚となり、150枚になり、ここ最近では120枚ぐらいが続いておりました。が、今年はついに100枚を切りました。先方から「70歳になり、これを節目に賀状は取りやめることに致しました」との御連絡が届くようになり、私としても、「気づかないうちに減っていった」という感じが理想的です。先方から来なくなったら、こちらからもう返信しませんから、いずれ50枚ぐらいにしたいと思っております。

 年賀状が減っていった理由は、やはり、相手様が亡くなってしまったことが大きいですね。今年も高校時代の親友を始め、会社の70歳代のまだ若い先輩(出してから、後で訃報を知った方もおられました)ら5人も亡くなってしまいました。メメントモリです。

焼き鳥店「もりのした」

 最初から暗いことばかり書いてしまいましたが、来年以降の私のモットーとして挙げたいのが、「ATM」です。いえいえ、Automatic Teller Machine(現金自動預け払い機)のことではありません。「明るく、楽しく、前向きに」の頭文字を取った造語です(笑)。

 私にとって、今年最大の出来事は高校時代からの親友の急死でしたが、それにまつわり、想像もしていなかった人間関係のこじれに巻き込まれてしまい、落ち込んでいたら、ある方から、私の性格をズバリ見抜かれてしまい、これからは「明るく、前向きに」生きることを勧められたのでした。

 この「明るく前向きに」に「楽しく」を入れたのは私の考えです(笑)。もともと「お笑い」は大好きで、「エンタツ・アチャコ」や「あきれたぼういず」はさすがに知りませんが、クレイジーキャッツやドリフターズ、「コロンビア・トップ&ライト」「Wけんじ」、漫才ブームの「横山やすし・西川きよし」らずっと見聞きしてきました。

 この中で、「ビッグスリー」と呼ばれる「たけし」「さんま」「タモリ」の三羽烏がまだ健在なことが凄いですね。ビートたけしさんの場合、ギャラが高いせいなのか、ある番組を降板させられたり、最近人気に陰りが出てきてしまいましたが、タモリは、NHKの「ブラタモリ」などでその隠れたインテリぶりを発揮していまだに絶好調です。

 でも、3人の中でいまだに現役でお笑いの第一線を張っているのは、現在66歳の明石家さんまかもしれません。バラエティー番組のレギュラーに何本出ているか知りませんけど、若手芸人を押しのけて、40年以上もいまだにトップを走っています。私は、一番最初は、この人のことを「落語も出来ないのに、何処が面白いのか」分からなかったのですが、その当意即妙な司会進行ぶりや、常人ではとても考えられないギャグの連発には、誰かの好きな言葉でもある「余人に代え替え難い」お笑いのチャンピオンだと納得するようになりました。

 「お笑い」ながら、彼が時々垣間見せてくれる「人生訓」には、鋭利な刃物のように胸に突き刺さります。彼の娘に「いまる」と命名したのは、「生きているだけで丸儲け」から取ったことは有名です。確かに、地位も名誉も人気もお金も死んでしまったら、何も必要のない霞みたいなもんです。本当に、生まれてきて、生きているだけでも、丸儲けです。この世に生まれて来られなかった人も沢山いることでしょうから…。

最近、ジャズギターにはまって、CDを買い揃えました。ケニー・バレル、タル・ファーロウなんかいいですね

 もう一つ、先日、見ていた番組で、「さんまさんに悩みはないんですか?」との質問に、彼は、25歳まで悩みはたくさんあったが、25歳以降はもう悩むのはやめようと決めた、と言うのです。「自分は悩むような大した人間ではない。反省もしない」と達観したようですが、これまた凄い。人間ですから、色々と悩みは尽きないはずですが、「悩むことをやめた」とはなかなか出来ないことです。(考えてみると、皆、一人で好きで悩んでいるのかもしれませんぜよ?)

 やはり、お笑いを仕事にしている限り、自分がハッピーでなければ、他人を笑わせることはできません。お笑いの王者は、天賦の才なのか、計算づくなのか分かりませんが、打算や計算ぐらいでは大した人気者にはなりません。やっぱり天才なんでしょうね。

 私もシニアになったことですから、これからは「明るく、楽しく、前向きに」をモットーに、無理はせず、背伸びもせず、某局の紅白はもうついていけないので、好きなタル・ファーロウ(米ジャズギタリスト、1921~98年)でも聴いて、年を越したいと思っています。

iPhone音楽しか生き残れない?=音楽プロデューサー木崎賢治氏

 21日(日)は、東京外国語大学の同窓会の懇親会(講演会)にオンラインで参加しました。大学の同窓会、もう少し細かく言いますと、「仏友会」といってフランス語を専攻した大学の同窓会は、春と秋の年2回開催されていますが、同じ大学でも他の語学科にはないようです。別に仏語科の卒業生の結束が固いわけでもないし、どちらかと言えば、仏語出身者は個人主義者が多く、特に、私と同時期にキャンパスで過ごした学友は関心がなく殆ど参加していません。昭和初期に設立されたこの会が100年近く続いているのは七大不思議の一つになっております。

 今回のゲストスピーカーは、木崎賢治(きさき・けんじ)さんという1969年に卒業された今でも現役の音楽プロデューサーです。会に参加する度に思うのですが、本当に色々な優秀で素晴らしい先輩方がいっらしゃるものだと感心します。 

 木崎氏は、大学卒業後、芸能プロ「ナベプロ」の渡辺音楽出版に入社し、最初は、洋楽の音楽著作権管理の仕事で、海外の著作権者とのやり取りや翻訳等に従事していましたが、そのうち、ピアノも弾けるので、音楽プロデューサーに向いているという社内の人からの推薦もあって転向し、沢田研二、アグネス・チャン、山下久美子、大澤誉志幸、吉川晃司らの制作を手掛け、その後、独立して槇原敬之、福山雅治らのヒット曲も手掛けた人でした。

 話がうまくて落語家の噺を聞いているようで大変面白かったのですが、逆に言うと、この面白い話を活字に起こすとなると難行中の難行になります。話が飛んだり、文語にするには言葉足らずだったり、面白いニュアンスを伝えるのが難しいので、これは私(我)があくまでも聞いた=如是我聞=ということで、色々勝手に捕捉しながら皆さんにもお伝えしたいと思います。

 木崎氏は、小学校の頃は歌謡曲を聴いていましたが、中学生になると、当時の米軍放送FEN(現AFN)から流れる「ビルボード・トップ20」に夢中になり、ニール・セダカやポール・アンカ、エルビス・プレスリーらにはまります。でも、どちらかと言うとアーティストよりもその作詞作曲者(「ハウウンド・ドッグ」をつくったリーバー&ストーラーやゴフィン&キャロル・キングなど)やプロデューサー、エンジニアら裏方の方に興味があったといいます。

 というのも、本人も中学生の頃からギターを、高校生の頃から本格的に作曲を始め、NHKの番組「あなたのメロディー」に応募したら見事合格し、ペギー葉山さんが唄ってくれたといいます。

 高校の時にカントリーやハワイアンをやり、大学ではフォークソングをやりながら、週に1,2回も新宿のディスコで、黒人中心のR&Bを聴きながら踊り、メロディーと和音だけでなくリズムも身体で覚えたといいます。そんな音楽の素養があったのです。

 ピアノは大学生の頃から始めたとはいえ、彼の特技は採譜、つまり、楽曲を譜面に書けることでした。歌手出身の作曲家平尾昌晃さんは、五線譜が書けなかったので、担当した曲は木崎氏が採譜したといいます。

◇沢田研二「許されない愛」が大ヒット

 プロデューサーになって最初の1年ほどはヒット作に恵まれませんでしたが、沢田研二の「許されない愛」(1972年)が大ヒットします。この時、まだ25歳の若さでしたが、この曲によって自分の感性に自信が持てるようになり、その後は、著名な作詞作曲家の大先生に対しても、自分の意見を言えるようになったといいます。

 普通の人は、”音楽プロデューサー”といっても何の仕事をするのか分からないでしょうが、木崎氏の裏話を聞いて、「なるほど、そういうことをする仕事か」と分かりました。

 乱暴に言えば、歌手に合った「売れる曲」を作詞作曲家につくってもらうことです。そのためには、大先生に対して「ここを直してくれ」と直接あからさまには言えませんが、「このフレーズを繰り返して欲しい」とか「とてもいいんですが、サビがもう一つ…」などと怒られながらも提案してみたり、なだめすかしたり、ご機嫌を取ったりして、自分の感性を信じて、原曲とはかなり違っても完成させていく監督のような協力者のような助言者のような、要するに、製品として売り出していく最終的な責任者であり、製作者ということになります。

◇アグネス・チャン秘話

 アグネス・チャンのデビュー作にまつわる秘話も面白かったでした。アグネス・チャンは平尾昌晃さんが香港からスカウトしてきた歌手でしたが、平尾さんがつくった曲は、小柳ルミ子調の曲で木崎氏にはどうしても気に入らない。そこで、ヒット曲の極意が分かってきた木崎氏は森田公一さんに作曲を依頼し、それが、あのデビュー曲「ひなげしの花」(1973年)だったのです。デビュー曲が大ヒットしたのは良いのですが、怒り心頭なのは平尾昌晃さんです。「自分が見つけて来たのにどういうことか」と怒られます。そこで、木崎氏はアグネス・チャンの3枚目のシングルとして平尾氏に依頼します。それが、100万枚のヒットとなった「草原の輝き」ですが、この曲が出来上がるまでに、何度も手を変え品を変えて懇願し、怒られたり、逆に奥の手を使って勝手にフレーズを繰り返したりして、編曲者から「こんなことしたら、平尾さん、怒っちゃうんじゃないの?」と言われても「自分の感性」を強行してしまったようなのです。

◇前世代がつくったものの組み合わせ

 この後、沢田研二の「危険なふたり」(安井かずみ作詞、加瀬邦彦作曲)や「勝手にしやがれ」(阿久悠作詞、大野克夫作曲=レコード大賞、作詞家の阿久悠さんとの大喧嘩の話も面白かった)など次々とヒット曲を生み出した木崎氏は、あるヒットの法則を発見したといいます。新しいものは世の中になく、前世代がつくったものを足したり、組み合わせたりしたりしているに過ぎない。それは、バッハでもベートーベンにも言えること。大リーグでMVPを獲得した大谷翔平選手も、打つ、投げるの組み合わせでやっている。周囲から「そんなもの無理だよ」と疑いの目を見られながら二刀流の実績が残せたのもよっぽど精神力がないとできない。音楽も周りにある常識的なものを見直すことしかヒット作に導かれないのではないかー、と。

 木崎氏は最近、「プロデュースの基本」(集英社インターナショナル)という本を出版しましたが、「本人に会ってお話を伺いたい」とアプローチして来た人は、音楽関係者ではなく、IT関連の人ばかりだったといいます。

 木崎氏は「今や音楽でもiPhoneでやらなければ駄目な時代になってきた。今や若者はCDも買わず、CDはもはや絶滅危惧種に近い。こうなると、iPhoneで聴ける音楽しか生き残っていけなくなる。最近、ロックバンドが流行らなくなったのも、エレキギターのひずんだ音楽がiPhoneでは聴きづらいからでしょう」などと分析していました。「なるほど、ヒットメーカーが着目することは凡人とは違うなあ」と感心した次第です。

4人が影響受けたワールド・ミュージック=北中正和著「ビートルズ」

 私は自他ともに認めるビートルズ・フリークなので、「ビートルズに関して知らないことはない」とまで自負しておりましたが、最近話題の北中正和著「ビートルズ」(新潮新書、2021年9月20日初版)を読んで、そのあまりにものマニアックぶりには脱帽してしまいました。

 著者の北中氏は、著名な音楽評論家で、御本人はこういう言い方されると困るかもしれませんが「ワールド・ミュージックの大家」です。実は、この大家さんとは、個人的によく知っている方で、取材でお世話になったり、酒席で何度も同席させて頂いたりしております。ですから、北中氏というより、普段通り、北中さんと呼ばさせて頂きます。

 著者を知っていると、この本を読むと、北中さんの声や身振りが聞こえたり、思い浮かんだりします。博覧強記とも言うべき北中さんのワールド・ミュージックに関する博学な知識をこれでもか、これでもか、といった具合で披露してくれます。(ただし、御本人は「押し」が強い性格ではなく、真逆の静かで穏やかな方です)

 ということで、この本では、ビートルズを語っているようで、ビートルズを語っていないような、ビートルズの4人が影響を受けた世界の音楽の歴史を語った本と言えるかもしれません。まさに、北中さんの真骨頂です。4人が最も影響を受けた音楽は、エルヴィス・プレスリーやリトル・リチャードらのロックン・ロールであることは確かなのですが、そんな単純なものではありません。彼らの親の世代が聴いていたジャズを始め、カントリー、ブルース、フォーク、スキッフル、彼らのルーツであるアイルランド民謡、R&B、ラテン、はたまたキューバのソンやジャマイカのスカ、そして、ラヴィ・シャンカールを通してのインド音楽やシュトックハウゼンらの現代音楽まで取り入れていたのです。

 つまり、ビートルズはロック一辺倒ではなく、例えば、「ハニーパイ」などは1930年代のジャズ風ですし、「オブラディオブラダ」はスカのリズムの影響を受けて導入しています。(今流行りのラップは、ジョン・レノンの「平和を我等に」が魁になったと私は思っています)

 私もビートルズ・フリークを自称しているので、ある程度のことは既に知っておりましたが、例えば、ビートルズがハンブルク時代にトニー・シェリダンのバックバンドとして最初にレコーディングした「マイ・ボニー」が、英国の17世紀の名誉革命後の王権争いの伝説が元になっていたことまでは、流石に知りませんでしたね。

 驚いたことは、BBCテレビ放送の「マジカル・ミステリー・ツアー」の中で、リンゴの音頭で観光バスの中で老若男女の乗客が一緒に歌ったり、ハミングしたりする場面があります。「分かる範囲でその曲名を挙げておくと『アイヴ・ガット・ア・ラヴリー・バンチ・オブ・ココナッツ』『トゥ・トゥ・トゥツィ』「アイルランド娘が微笑めば』『レッド・レッド・ロビン』『日曜日はダメよ』『地獄のギャロップ』などで、ロック系の局がひとつも含まれていないことに注目してください」(111頁)とまで北中さんは飄々と書くのです。今は、DVDなどがあるので、ゆっくり確かめることができますが、こんなところまで注目する著者のマニアックぶりには恐れをなすほどです(笑)。

 いやあ、題名を言われてもほとんど知らない曲ばかりですね。でも、今は大変恵まれた世の中になったもので、ユーチューブなどで検索すれば、「ああ、あの曲だったのかあ」と分かります。恐らく、この本では、皆さんも知らない曲が沢山出てくると思いますが、ユーチューブを参照しながら読む手があります(笑)。

「モヤモヤさまぁ~ず」が3回も訪れた東京・王子「カレーハウス じゃんご」(ロースカツカレー 950円 ルーも御飯も超極少でした)

 最近、画家の生涯やモデル、時代背景などをマニアックに解説した「名画の見方」のような本がよく売れているようです。そういった意味で、この本も一風変わった「ビートルズの聴き方」の教則本になるのかもしれません。知識があるのとないのとでは、格段の違いです。

 ビートルズは解散して半世紀以上も経つというのに、いまだに聴かれ続け、ラジオ番組でも特集が組まれたり、関連本も世界各国で出され続けています。そろそろ、もうないのではないかと思われたのに、北中さんの本はやはり異彩を放っており、逆に、半世紀経たないと書けない本だったかもしれません。

 話は飛びますが、業界と癒着する評論家が多い中、北中さんは、そんな人たちとは一線を画し、操觚者から見ても、見事にクリーンで清廉潔白な音楽評論家です。京大卒の学究肌だからかもしれません。

 ビートルズ・フリークの私が脱帽するぐらいの内容です(笑)。勝手ながら「年長の友人」と思っている北中さんの書いたこの本を多くの人に読んでもらいたいと思っております。

 あ、書き忘れました。この本を企画した新潮新書の編集者安河内雄太さんは、「年下の友人」でした(爆笑)。

価格破壊と技術革新でDVDが安く買えるように

 大学ではフランス語を専攻したこともあり、若い頃は、明治の人みたく「西洋かぶれ」でした。見るものも、聴くものも、つまり、美術も音楽も、泰西絵画やロック、クラッシック音楽一辺倒でした。年を取ると、雪舟や光琳、若冲、北斎などの方が遥かに好きになってしまったのとはえらい違いです。

 やはり、日本人は、「侘び寂び」に落ち着くものなのでしょう(笑)。

 それでも、若い頃、実現できなかったものは、いまだに尾を引いています。例えば、ズバリ、オペラ鑑賞です。泰西絵画は色んな国に旅行して、美術館で直接、見ることができましたが、オペラとなると、そう簡単にチケットも手に入らず別です。クラシック音楽なら、何とかCDを買い揃えて、バッハでもモーツァルトでもベートーヴェンでもブラームスでも、かなり聴くことができましたが、やはり、オペラの場合、CD音源だけ聴いていてもピンときません。

ドビュッシー:歌劇「ペレアスとメリザンド」(フィリップス)CD 6000円

 何と言っても、日本人にとってオペラの敷居が高く、手が届かなかったのは、その価格です。今でこそ、新国立劇場が出来て、以前より安くはなりましたが、世界最高峰のウィーン・フィルの「引っ越し公演」ともなると10万円以上は覚悟しなければなりませんからね。

 オペラは、舞台は諦めて映像を見ることにすると、かつてはビデオかレーザーディスクでした。それが、当時でもかなり高い。安くても8000円とか1万円とかでした。

ドビュッシー:歌劇「ペレアスとメリザンド」(グラモフォン)DVD 1980円

 そしたら、本当に吃驚大仰天です。今では、オペラのDVDがCDよりも安く買えるんですね。上の写真の ドビュッシー:歌劇「ペレアスとメリザンド」(グラモフォン)、ピエール・ブーレーズ(1925~2016年)指揮、ウェールズ・ナショナル・オペラ管弦楽団のDVD(1992年録画)が何と、たったの1980円 だったのです。

 このDVDは、銀座の山野楽器で購入したのですが、そのきっかけは、映画の「METライブビューング」の新聞広告でした。METとは、勿論、ニューヨークのメトロポリタン歌劇場のことです。演目に「カルメン」「椿姫」「セヴィリアの理髪師」などが並び、「いっちょ、全部、観てみるか」と思ったのです。鑑賞料金は3200円、「ワルキューレ」は4200円となっていました。私は歌舞伎も映像版で見ても抵抗はないので、早速、観に行こうと思いました。

 それと並行して、NHKラジオの「まいにちフランス語」応用編で「たずねてみよう、オペラ座の世界」を今年1~3月に放送、7~9月に再放送されて聴いておりましたが、他にも今まで鑑賞したことがない「くるみ割り人形」や「ジゼル」「ホフマン物語」なども取り上げられていて、是非とも一度観たくなり、色々と、ネットで検索していたのです。

 そしたら、このドビュッシーのオペラ「ペレアスとメリザンド」のDVDがわずか1980円で販売していることを知ったのです。 私がかつて購入していた「ペレアスとメリザンド」の「音しかない」CDが、1993年頃、初めてCD化されたフルネ指揮、コンセール・ラムール管弦楽団による名盤(1953年録音)とはいえ6000円もしましたからね。

 実は、ドビュッシーは私の学生時代の卒論のテーマの一つでしたが、「ペレアスとメリザンド」のオペラを一度も観ることができなくて、それでも偉そうに論文を書いていましたからね(苦笑)。

モーツァルト:歌劇「フィガロの結婚」(グラモフォン)2DVD 2970円

 結局、コロナ禍で映画館に足を運ぶのも面倒臭くなり、通販でオペラのDVDが、昔のCDよりも安く買えることを知って、今、少しずつ、購入し始めています(笑)。先日、今度はモーツァルトの「フィガロの結婚」を買ってしまいました。カール・ベーム(1894~1981年)指揮のウイーン・フィルで、フィガロがヘルマン・プライ(1929~98年)、スザンナがミレッラ・フレーニ(1935~2020年)、伯爵がフィッシャー・デイスカウ(1925~2012年)、伯爵夫人がキリ・テ・カナワ(1944~)という私の学生時代は雲の上の人のような存在だった歌手が演じています。(気が付いたら、今では殆ど亡くなってしまい残念です。もう映像でしか見られません)

 とにかく、デフレか何か知りませんが、価格破壊と技術革新に驚きながら、私はその恩恵を受けています。若い頃は、オペラがこんなに安く、簡単に観られるとは思ってもみませんでした。長生きはするものです。

サントロペ…嗚呼、マリー・ラフォレさん、貴女でしたかぁ…

 学生時代は1日、16時間ぐらい音楽を聴いてましたが、最近はほとんど聴かなくなりました。一番の大きな理由は、単に流行についていけなくなってしまったからです(苦笑)。

 先日、小林克也さんの「ベストヒットUSA」というテレビ番組で、ジョーズ・ハリスンを特集しているというので、本当に久しぶりに見てみたら、目下、全米ベスト20入りしている曲もミュージシャンも一人も、一曲も知らない。それ以上に、ほとんどの曲が今、大流行のラップなので、少しも心に響かない、というか、逆に、聴いていて腹が立ってきました(失礼!)

 やはり、人間、若い頃に聴いた音楽がその後の人生を支配してしまうんですね。

 今、かろうじて聴いている音楽番組は、土曜日午前9時からNHKーFMラジオで毎週放送されている「世界の快適音楽セレクション」というゴンチチが司会する番組です。藤川パパQ、湯浅学、渡辺亨という当代一の音楽評論家が選曲する番組で、ポップスだけでなく、クラシック、ジャズ、ラテン、ボサノヴァ、シャンソン、カンツォーネ、映画音楽、戦前のディック・ミネ、戦後の植木等…とジャンルに拘らず、幅広く音楽を聴かせてくれるところが素晴らしい。私なんか、学生時代みたいに、(当時はカセット、今はMDに)録音して聴いています。

 録音するのは、大変失礼ながら、自分の好みではない音楽や、実にくだらないゴンチチの長い会話(の一部)を消去するため(ごめんちゃい)と、勿論、気に入った曲を何度も聴くためです。年を取ると好き嫌いがはっきりしてくるものです。若い頃のように「何でも聴いてやろう」という気概がなくなります(笑)。私が特に嫌いな音楽は、金属的な電子テクノ系の曲とか、何度も何度も同じフレーズを繰り返す軽薄な曲などです。逆に、好きな曲は、落ち着いたムードのあるジャズ、最近ではエラ・フィツジェラルドとかフランク・シナトラとかヴォーカルにはまっています。あとは、1960年~70年代のロック(番組では、ルー・リードやフランク・ザッパなどマニアックな曲をかけてくれます)やボサノヴァなどです。

 クラシックも、私自身は「全て聴いてしまえ!」と30歳の頃に一大決心して、モーツァルトを中心に、「三大B」のバッハ、ベートーヴェン、ブラームスからショパン、チャイコフスキー、マーラー、スメタナ、ドビュッシー、ラベル、ラフマニノフ、ストランビンスキー、ショスタコーヴィチ、それに現代音楽のグバイドゥーリアやアルヴォ・ペルトに至るまで、何千枚もCDを買い、幅広く聴いてきたつもりだったのですが、この番組の音楽選者の評論家の皆さんはさらに、その上を行っていて、ラジオではまずかけないスカルラッティとか、バッハ、ヘンデルならまだしも、私自身は名前と写真だけは音楽室だけでしか知らなかったグルックまでかけてくれるのです。実に勉強になりますよ(笑)。

 さて、昨日かかった曲は本当に、本当に懐かしい曲でした。「サントロペ…サントロペ…」と繰り返すフレンチポップスです。私が子どもの頃、よくラジオでかかっていたので1960年代初めの頃の曲です。サントロペとは、カンヌやニースと並ぶ南仏のリゾート地です。子どもながら、この曲を聴いて、「いつか行きたいなあ」と憧れたものです。

 日本に入って来る海外ポップスは、戦後はアメリカと英国にほとんど駆逐されてしまい、まず、北欧や東欧やアフリカの曲はないし、ドイツの曲さえほとんど聴かれませんでした。辛うじて、1960年代は、異色にもフレンチポップスだけは頑張っていた気がします。例えば、フランス・ギャルの「夢見るシャンソン人形」(作詞作曲は、天才シャルル・ゲンズブール)とか、シルビー・ヴァルタンの「アイドルを探せ」(作詞はシャルル・アズナブール)などです。その一連の流れで「サントロペ」もラジオでよくかかっていたと思います。

 そして、この「世界の快適音楽セレクション」という番組のお蔭で、この「サントロペ」という曲の正体が、あれから60年も経って私は初めて分かったのです。唄っていたのは、何と、アラン・ドロンの「太陽がいっぱい」で共演した女優のマリー・ラフォレだったのです。しかも、この曲は、彼女が主演した映画「赤と青のブルース」の中で歌われた曲だったんですね。1961年公開の映画ですから、私は勿論、劇場で観ていないし、テレビでもやってくれなかったと思います。少なくとも見ていません。

 「何を今さら」と仰る方は多いかと存じます。「そんなことも知らなかったの?」と。

 …はい、知りませんでした。昔は、音楽を知る手段は、レコードを買うか、ラジオぐらいしかなかったでしたからね。子どもの頃は、まず、レコードなんて買えるわけないし、コンサートなんかに行けるわけありません。テープレコーダーやカセットも当時は安易に買えたわけではないので、ラジオで流れる曲を一生懸命聴いて、それでお終い。(だから、当時は、リクエスト番組が多かったんでしょうね。)

パリ・シャンソンキャバレー「オウ・ラパン・アジル」

 その点、今の人たちは本当に恵まれていますね。今、書いてきた「赤と青のブルース」も「夢見るシャンソン人形」も検索すれば、簡単に聴けるわけですから。しかも、動画が見つかれば、彼らが、演奏したり唄ったりしている姿さえ見られます。その点、昔は、歌手と曲の名前とジャケット写真だけでしたからね(笑)。後は、想像するしかありません。

 だからこそ、子どもだった私も、「サントロペ」を聴いて、声だけで想像をたくましくしたものでした。それ以上の「情報」が得られるなんて夢のまた夢。それ以上のことを知ることができるなんて、考えもつきませんでした。

 さて、そのマリー・ラフォレは、惜しくも一昨年の2019年に80歳で亡くなりました。その当時に、この「サントロペ」のことを既に知っていたなら、悲しみはもっともっと深まっていたと思います。

同時多発的音声の処理はもう無理=音楽も聴けなくなりました

 ジャーナリストは、為政者や権力者は批判するべきですが、あまり他人を批判すると顰蹙を買いそうなので(笑)、本日は、(本日も?)自分のことを書きます。まず、隗より始めよ、です。

  私の世代は、よく「ながら族」と言われ、夜などラジオを聴きながら受験勉強したものでした。よくぞ、頭に入ったものです。若かったんでしょうね。

 そう言えば、若い時は、聖徳太子ではありませんが、何人もの友人が同時に話しかけてきても理解できたし、音楽を聴きながら、英単語と理科の化学記号を同時に覚えたりしても苦にはなりませんでした。

 それが、加齢を重ねた今はとても無理です。まず、音楽を聴くと、歌詞がないジャズやクラシックでもそれだけで手いっぱいです。特にベースラインだけとか、ビオラとチェロの絡み合いだけに注意して聴いているわけでもないのに、同時に新聞さえ読めません。もう、音楽なら音楽だけ、新聞なら新聞だけしか集中できないのです。「ながら族」失格です。ですから、最近は、あまり音楽は聴かなくなりました。昔は1日16時間は聴いていたのに、今は30分もあるかどうか…。

銀座「マトリ・キッチン」ボルシチ

 そしたら、最近、聞こえているけど聞き取れない「聴覚情報処理障害」(APD=Auditory Processing Disorder)と呼ばれる病気があることを知りました。「聴力は正常であるにも関わらず、日常生活のいろいろな場面で聞き取りにくさを感じる症状」ということで、推定で日本人の240万人、全人口の約2%が該当すると言われます。

 お医者さんは、何でも病名を付けたがりますけど、APDの人は、結構多いんですね。

  深刻な病ではありませんが、要因は、聴覚の問題でなく、脳機能の障害や発達障害、心理的ストレスなどがあるというのです。ですから、相手にはっきりと、ゆっくりしゃべってもらう、とか、BGMを消して静かな環境の下で聴くとかで、ある程度、解決できるようです。ただ、深刻なのは、手術中に医師の指示を聞くのが、騒音なのか、心理的な面なのかで、聴き取りにくくなる看護師さんもいるそうなので、この場合はちょっと大変ですね。

 私の場合、恐らくAPDではないと思いますが、もはや同時に複数の音声を聞いて情報を処理する能力は劣ったという自覚はあります。

 「だから何なのよ?」と言われそうですが、まあ、それだけの話です。何か?(笑)。

銀座「マトリ・キッチン」おすすめランチ1100円 チキンでした

【追記】

 固有名詞は出せませんが、ある著名な日本人科学者が5月に亡くなっていることが分かりました。何冊も本を出しており、私も彼の著作は数冊読んでいます。

 訃報記事は、まだどこのマスコミにも出ていませんし、勿論、ネットにも出ていなく、ウイキペディアなんかはまだ存命中の状態です。

 会社の後輩に裏を取るように言ったら、ご遺族の方針で「四十九日までマスコミに公開するのは待ってほしい」とお願いされたらしいのです。

 とは言ってもねえ…。そう言えば、数日前の某紙の広告欄にこの学者さんが商品の推薦者として顔写真入りで登場されていました。勘繰れば、コマーシャル契約があるので、亡くなったことが分かると宜しくないということなのかもしれません。いえいえ、単なる憶測ですけど…。

マルセル・プルーストを求めて

 日仏会館は、「近代日本資本主義の父」渋沢栄一と駐日フランス大使で詩人でもあったポール・クロデールによって1924年3月7日に設立されました。(渋沢は、幕末に徳川昭武のパリ万博視察の随行員として渡仏。フランスで会社や銀行などの制度やサン・シモン主義などに影響受けました)

 私は3年ほど前にやっと、大学と会社の先輩の推薦を得て会員になりましたが、コロナ禍で、月に数回、東京・恵比寿の同会館で開催される講演会や映画会などが中止となり、オンラインになりました。が、平日はなかなか時間が取れず、やっと今回、土日に開催されたシンポジウム「プルーストー文学と諸芸術」に参加することができました。

 プルーストと言えば、「失われた時を求めて」(1906~22年執筆、1913~27年刊行)です。全7巻16冊、3000ページに及ぶ大長編小説で、「20世紀最大の世界文学」という文芸評論家もいます。

 私自身は、もう40年以上も前の大昔の学生時代に岩崎力先生の授業で最初から原語で読みましたが、たった1ページ翻訳するのに、1週間掛かり、当然のことながら挫折。日本語も読み通すことがありませんでした。悲しいことに、知っているのは、第1巻「スワン家の方Du côté  de chez Swann」、第2巻「花咲ける乙女たちの影に À l’ombre des jeunes filles en fleurs」といった巻のタイトルと、第1巻に出てくる最も有名な「無意識的想起」の場面です。お菓子のマドレーヌを紅茶に浸して食べた瞬間、主人公が幼児に過ごしたコンブレーでの出来事や幸福感などが蘇ってくるというあの場面です。

 日仏会館が主催したシンポジウムは、日本とフランスの専門家20人以上をオンラインで繋ぎ、2日間でテーマが「プルーストと音楽」「プルーストと美術」「プルーストと教会/ 建築」など6以上で、休憩時間も入れて合計で11時間にも及ぶ長丁場でした。同時通訳の皆様には「大変お疲れ様でした」。

 正直申しまして、私自身は「失われた時を求めて」を完読していないので、さっぱり付いていけず「完敗」でした。ですから、小生が理解できたことだけ少し触れます(苦笑)。

 一つは、中野知津一橋大学教授の「プルーストと料理芸術」の講演の中で、あの有名なお菓子マドレーヌは、ホタテ貝の形をしているものとばかり思っていたら、19世紀では卵型が普通だったらしいということでした(アレクサンドル・デュマ「料理大辞典」1873年)。

 ホタテ貝は、フランス語で coquille Saint-Jacquesで、サン・ジャックは、キリストの弟子、聖ヤコブのことです。スペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラには、聖ヤコブ(スペイン語でサンティアゴ)の遺骸があるとされ、ローマ、エルサレムと並ぶキリスト教徒の三大巡礼地になっていることから、中野教授も、マドレーヌは巡礼の隠喩になっているかもしれない、といった趣旨の話もされていました。

◇ドビュッシーとランボーは会っていた?

 もう一つ、ピアニストで文筆家でもある青柳いづみこ氏の「プルーストとドビュッシー」も面白かったです。恥ずかしながら、私は、印象派の画家モネと音楽家ドビュッシーで学士論文を書いたのですが、不勉強でプルーストには全く触れませんでした。青柳氏によると、二人はあるサロンで知り合い、プルーストが自宅にドビュッシーを招いたのですが、ドビュッシーはどういうわけか、理由をつけてお断りしたというのです。

 ちなみに、ドビュッシーのピアノ教師はモーテ夫人でしたが、その娘マチルドと結婚したのが詩人ヴェルレーヌで、一緒に住んでいたそうです。ドビュッシーがピアノを習っていた時に、あの17歳のランボーがヴェルレーヌの自宅に押し掛けていたらしく、ドビュッシーはヴェルレーヌとランボーに会っていたのかもしれませんが、うっかりそこまで知らず、意外でした。まあ、この辺りの話に全く御興味がなければ、どうでもいい話かもしませんが…(笑)。

 一番興味深かったのは、作家水村美苗氏の「母語で書くということ」でした。御案内の通り、水村氏は御尊父の仕事の関係で、小さい頃から米国暮らしが長く、英語漬けの毎日でしたが、それに反発(?)するかのように、米国では日本の古典文学にのめり込み、帰国後は、夏目漱石最後の未完の小説「明暗」を、彼女が、漱石の文体を完璧に近い形で会得して「続明暗」を完成して脚光を浴びた人です。(一度、30年も昔に、私は水村氏にはインタビューしたことがあります。当時とほとんどお変わりないので吃驚)

 ですから、水村氏は母語に大変拘わった、今でも拘っている作家で、プルーストに関しても、「本人は”世界のプルースト”になるとは思わなかたとはいえ、一番、母語に拘った作家」と分析しておりました。「失われた時を求めて」は今でも、日本では、個人による翻訳が4件も同時に進んでいるといいます。プルーストが普遍的になったのも、フランス語という世界的な欧州文明の特権的な地位があったから。それに対して、プルーストと同世代の夏目漱石は、知性的には全く劣っていないのに、日本語のせいか、世界ではほとんど知られていないという分析もなるほど、と思いました。(他に水村氏は、作品が英訳されるとグローバル化を意識してしまう、といった本筋の話をされてましたが、省略)

 ◇若い仏人はプルーストが読めない?

 「失われた時を求めて」岩波文庫全14巻(2010~19年)を、1ページごとに厖大な量の注釈と絵画や建築写真を挿入して個人訳で完成させた京大名誉教授の吉川一義氏も「今の若いフランス人は、(注釈なしで)この作品を読めるかなあ」と面白いことを言うのです。フランス語の原語を読まれたことがある方は分かると思いますが、一文がとても長ったらしく、この名詞がどこに掛かるのか、外国人は大変苦労します。

 吉川氏はフランスのソルボンヌ大学に留学して、プルーストで博士号を取った学者ですが、博士号は同然ながらフランス語で書かなければなりません。本人は謙遜されますが、自信がないので、フランス人の友人に事前に添削してもらったら、引用したプルーストの原文まで直されたという逸話を紹介しておられました。

 やはり、フランス人でもプルーストは難しいんですね。これには私も大笑いしてしまいましたが。


 

ビートルズ「ペニー・レイン」にはエッチな歌詞も?

 銀座「大海」 大分鳥てん定食 880円

◇「世界ふれあい街歩き」

 NHKの「世界ふれあい街歩き」という番組は、とっても面白い番組なので結構見ています。歩く旅人の目線になるよう特殊なカメラで撮影してくれるので、自分もその街に実際に行った気分になれます。コロナ禍で海外旅行に行けない今、ピッタリの番組ではないかと思います。

 先月は、英国のリヴァプールをやっていました。リヴァプールと言えば、ビートルズの故郷です。見逃すわけにはいきませんでした。この他、リヴァプールはサッカーの聖地でもあり、リヴァプールFCとエヴァートンFCと、二つもプレミアリーグ所属の強豪チームがあり、前者はRED(赤)、後者はBLUE(青)と、ユニフォーム・カラーの俗称で呼ばれ、街中でも”Red or Blue?” お前はどっちのファンなんだ?といった会話が交わされることもやってました。

本文と全く合っていない!(笑) ビートルズの写真にしたいのですが、他の多くの人のような著作権の違反はできませんからね(皮肉)

 そして、ビートルズでした。私が好きな彼らの曲の中でベスト5に入る曲に「ペニー・レイン」があります。リヴァプールにある通りの名前で、ジョン・レノンが少年時代に住んでいたメンローヴ・アヴェニューの家から近い所にあります。私も、リヴァプールには2度ほど訪れているので、勿論、ペニー・レインにも行ったことがあります。(ジョン・レノン自身は、労働者階級を強調していましたが、ジョンが住んだ家は中産階級が住むような住宅で、日本で言えば高級住宅街ですよ)

 番組の中でもペニー・レインは取り上げられ、そこで「出演」した市民が、「歌詞にはリヴァプール人しか分からない言葉が出てくるんだよ」と意味深なことを言っていたので、気になっていました(番組ではその答えを教えてくれませんでした)

◇奇妙な歌詞「ペニー・レイン」

 そこで、調べてみました。私も高校時代から訳してみたりしましたが、どうしても分からない単語が出てきました。例えば、Mack は、今でこそ、アップルのコンピュータか、マクドナルドかな、と想像してしまいますが、これはMackintosh のことで、Mack といえば、マッキントッシュのレインコートのことでした。当時の辞書には載っていなかったので、これが分かった時は目から鱗が落ちました。

 もう一つは、 roundabout で、これも当時の辞書にはなく、今では「ロータリー」だということがすぐ分かります。Behind the shelter in the middle of a roundabout となると、ロータリーの真ん中にある待合所ということになり、「世界ふれあい街歩き」のHPのサイトにはその写真が載っています。

 とにかく「ペニー・レイン」は奇妙な歌詞です。リヴァプール人しか分からないスラングとは、多分、 Full of fish and finger pies in summer 辺りだと思われます。ネットのサイトの中にはFour of fish and finger pies と表記して翻訳しているものがあり、このFour とは「4ペニー分の」という意味だと解説しているものもありましたが、私は一応、Full ofとします。

 直訳すると、「夏のたくさんの魚とフィンガーパイ」で、何のことかよく分かりません。それが、色んなサイトを読むと、fish とは、あの英国の定番食のフィッシュ・アンド・チップスのことであるらしい。そして、肝心なのが、finger piesで、これはリヴァプール人しか分からない俗語らしく、食べ物ではなく、女の子のprivate part を愛撫すること、または、万引きすること、なんてのもありました。これでは、米国人でも分からないでしょうね。

 でも、今はネットが発達してとても便利ですね。この曲は、メインヴォーカルのポール・マッカートニーが作詞作曲したと思われますが、ジョンも少し手伝っているかもしれません。さっきの問題個所のFull of fish and finger pies in summer ですが、Full of fish and finger piesまでは、ジョンとポール(そしてジョージも?)がコーラスでハモってますが、 in summer はジョンだけの声に私は聴こえます。「あの夏にやっちゃったんだよ」という雰囲気がよく出ています(笑)。そんな名曲を作ったポールは当時、24歳か25歳。ジョンは26歳か27歳の若さです。

◇「ノルウェーの森」は「ノルウェー製家具」

 昔はとんでもない、誤訳が多かったものです。以前にもこのブログで書いたことがありますが、例えば、ビートルズのNorwegian woodは「ノルウェーの森」と訳されてましたが、本来なら「ノルウェー製の家具」が正しい。ジョン・レノンのCold Turkey は、「冷たい七面鳥」のタイトルでシングルが発売されましたが、これは、麻薬の禁断症状のことで、今では大変な誤訳だったことが分かります。

 「ペニー・レイン」は1967年発売。私は当時小学生でしたが、ラジオで同時代で聴いてました。(その後、レコード、CDを買い、何百回聴いたことか!)でも、歌詞の意味が分かったのは、やっと54年も経ってからでした(笑)。

テーマ曲が懐かしい「ゴッドファーザー」と「ドクトル・ジバゴ」を観る

 新型コロナで映画館に行きづらくなり、今掛かっている映画も一食抜いてでも是非観てみたい作品が少ないので、最近、映画館に足を運んでいません。

◇多感な十代は尾を引く

 その代わり、DVDや録画なんかで結構観ています。それも古い映画です。人間、多感な十代の頃に接した音楽や美術や建築や映画や小説などが、その後の人生の尾を引くと言われてますが、その通りですね。

 私が十代の頃は、1960年代後半から70年代半ばにかけてでしたが、その頃に聴いた音楽や観た映画は、骨身に染みていて懐かしさでいっぱいになります。

 最近観て感動した古い映画は、フランシス・F・コッポラ監督の「ゴッドファーザー」3部作です。第1作が1972年、第2作が1974年ですが、第3作は1990年公開です。もう全く説明する必要がないマフィアの映画で、私も何度か弐番館やテレビなどで観ているのですが、細かい所はほとんど忘れていて、新作を観る感じでした(笑)。それに、十代の頃に観るのと、家族を持って年を取ってから観るのでは、印象は全く変わります。

 第1部の主人公ヴィトー・コルネオーレ役のマーロン・ブランド(1924~2004年)は、70歳ぐらいに見えましたが、当時はまだ47歳ぐらいだったんですね。それにしても凄い迫力と風格でした。口の中に綿を入れて頬を膨らませたりしたらしい。アカデミー賞主演男優賞を受賞(拒否)したのに、第2作に出演しなかったのは、第1作の時のパラマウント映画社側からのオファーに不満だったブランドが、第2作の出演ギャラで折り合わなかったかららしいですね。

 第2作と第3作の主人公は、ヴィトーの跡目を継いだ息子マイケル役のアル・パチーノ(1940~)でしたが、これまた見事な老け役ぶりでした。若きヴィトー・コルネオーレ役を演じたロバート・デニーロは当時全く無名だったとか。それにしても若い。第2作で、ヴィトーの養子でファミリーの顧問弁護士トム・ヘイゲン役のロバート・デュバルも準主役級だったのに、これまた出演料の問題などで第3作に出演していません。今は、直ぐ「裏話」が分かるので、便利な世の中になったものです。(すべて、今さら…という話でしたが)

 「ゴッドファーザー」と言えば、直ぐにニーノ・ロータのテーマ曲とアンディ・ウイリアムスの「愛のテーマ」が思い浮かび、これらの曲を聴くと本当に懐かしくなります。

◇生まれて初めて観る「ドクトル・ジバゴ」

 もう一つ、先日、あの有名な映画「ドクトル・ジバゴ」(デヴィッド・リーン監督作品)を初めて観たのです。日本公開は1966年6月。ビートルズが来日した頃ですね。この映画は、テレビなどで何度も放送されたので何度も観る機会があったのに、逃していました。54年間も。

 原作者のパステルナークが、ノーベル文学賞を受賞しながら辞退せざるを得なかった経緯を詳細した陶山幾朗著「パステルナーク事件と戦後日本」(恵雅堂出版)について、以前、このブログで書いたことがあります。( 「陶山幾朗著『パステルナーク事件と戦後日本』は名著としてお薦めします」

 ロシア革命前後の混沌とした社会が描かれているのは皆さんご案内の通りです。まさに内戦ですから、目を背けたくなる場面も出てきます。

 この映画は54年間も観ていませんでしたが、モーリス・ジャールの挿入曲「ラーラのテーマ」は、ほぼ同時代にラジオなどで聴いていました。名曲です。この曲を聴くと少年時代を思い出し、本当に懐かしくなります。(映画も観ていないのに!)映画音楽の中では、「エデンの東」「太陽がいっぱい」「避暑地の出来事」の「夏の日の恋」と並び大好きです。と、書くと年代が分かってしまいますね(笑)。

◇ジュリー・クリスティ

 この「ラーラのテーマ」はどういうわけか、「タラのテーマ」だとずっと間違って覚えていました(苦笑)。ラーラはドクトル・ジバゴの愛人にもなった美しき女性で、映画に出ていた女優さんは誰かなと思ったら、ジュリー・クリスティという人でした。1940年生まれですから、ジョン・レノンと同い年で、撮影当時25歳ぐらいでしたか。英国の女優さんで、1965年の「ダーリング」で米アカデミー主演女優賞を受賞しています。

 彼女は、写真で何度も拝見したことがありますが、名前まで知らなかったことを正直に告白します。これも「今さら何を…?」といった話です。何でこんな古い映画の話しか書けなかったかと言えば、今の流行についていけなくなったからでしょう。でも、それでいいんです。

凄過ぎる木下グループ=PCR検査までやるとは

  東京・新橋駅前に来店型の「新型コロナPCR検査センター」が12月4日から開業したことをニュースで知りました。完全予約制(ウエブなど)で、店舗で唾液を採取(所要時間3分前後)し、翌日には結果が本人に通知されるそうです。検査価格は2900円(税別)。それは良いとして、驚いたことに、この「新型コロナ検査センター」という会社は、木下グループの一員だということです。

 木下グループは、木下工務店を中心にした建設会社グループだと思いきや、映画「関ケ原」などの製作や、ハリウッド映画「ミッドウエイ」など海外映画の配給をやっているキノフィルムズ、東京や福岡にある映画館キノシネマ、俳優の小林稔侍、光石研、オダギリジョーらが所属する芸能プロダクションの鈍牛倶楽部、それにラジオのインターFMの100%株主といった芸能、報道関係、それに木下スケートアカデミーや水谷隼、張本智和ら卓球選手のスポンサーなどスポーツ関係の会社を運営しています。

 そこまでは、私も何となく知っておりました。仕事で調べたことがあったからです。でも、この木下グループが医療、福祉、教育関係にまで「進出」していたとは知りませんでしたね。木下グループのホームページを見ると、「木下の介護」「木下の保育」「木下福祉アカデミー」「木下未来学園」…何でもござれです。「新型コロナ検査センター」はグループ100%子会社で、グループ内の医療法人和光会が監修しているとのこと。意外でしたね。知らなかった人も多いと思います。

 建設会社から芸能、病院まで、どこか節操がないほど広範囲にカバーしている木下グループは凄過ぎますね。これだけ節操がないことで思い出すのは、このブログでどういうわけかアクセス数が多い、2017年2月23日に書いた「凄過ぎる滋慶学園」ぐらいです。

Luca Two-year old birthday

 つい、「節操がない」などと言ってしまいましたが、建設会社として出発して、芸能も医療も福祉も必要だったから、段々、拡大していったのかもしれません。

 木下グループは、株式を上場していないせいか、「会社概要」情報は「四季報」にも掲載されておらず、ネットでも正式に公開していないみたいですが、非公認のネット情報によると、現在のグループCEO木下直哉氏(1965年生まれ、福岡県出身)が2004年 に1000億円の債務超過に陥っていた木下工務店を買収して代表取締役に就任されたようです。木下氏は、同姓ながら木下工務店の創業者と関係がないようですが、キノフィルムズなど拡大戦略はこの人の経営手腕によるものだったんですね。かなりのやり手です。

 ラジオのインターFMを聴くと、盛んに「木下抗菌サービス」などのCMを流しています。メディアを広告媒体として相乗効果を狙っているのでしょう。

 コロナ禍の中、日本では縦割り行政の弊害でPCR検査が遅々として進んでいません。その間隙を縫って、営利事業としてPCR検査までやってしまうとは、木下グループ、凄過ぎる。

 12月5日午前11時の時点で、木下グループのPCR検査の予約サーバーが込み合っていて繋がらず。「12月8日まで予約は埋まっているので、9日以降のご予約を受け付けます」との告知がありました。