祖父のこと=新曲”Going back to Rome”も公開します

 私の父方の祖父高田正喜は小学校の音楽の先生でした。明治36年(1903年)10月に佐賀県浜崎町(現唐津市)に生まれ、昭和19年(1944年)9月に亡くなっておりますのでまだ40歳でした。父浩が18歳の時に亡くなっておりますから、当然私は会ったことがありません。序ながら、小松製作所の社員だった母方の祖父岡本五八も明治30年(1897年)5月に生まれ、昭和17年(1942年)12月に45歳で病死しているので会ったことがありません。お爺ちゃんは二人とも知らないわけです。

 父方の祖父高田正喜ですが、父親から伝え聞いた話では、佐賀師範学校(現佐賀大学教育学部)を首席で卒業して銀時計をもらったそうですが、卒業後、地元の渕上(ふちのうえ)小学校などで音楽教師を務めた後、昭和6年(1931年)に上京して横浜に出てきて、鶴見の下野谷小学校などに勤めたといいます。よく分かりませんが、当時は、師範学校卒だけでは中学などの上級の教師になれないので、資格検定試験を受けたそうです。祖父は、声が悪かったので、いつも声楽の試験で落とされたそうです。そこで、声を良くしたいと、本当かどうか知りませんが、ナメクジを飲んでいたそうです。

 祖父は小学校の生徒を引き連れて、日本放送協会での子ども合唱会のラヂオ番組に出演したことがあったと聞き、昔、私がNHK記者クラブに勤務していた時、資料室に行って確かめてみましたが、見つからず、裏が取れませんでした。

 当時、ピアノが家庭にある家はお金持ちでしたが、久留米藩士の末裔で維新後、焼き物店などを開いたものの、「武士の商法」で家計は火の車だったと聞いたことがある高田家にピアノを買う余裕があるはずもなく、祖父が何処でピアノを習ったのかも不明です。同じ佐賀県出身で、小澤征爾のピアノの師だった豊増昇(1912~75年)にも習ったことがあったか、知り合いだったのか、薄っすら父親から聞いたことがありますが、詳しく聞かないうちに父も亡くなってしまいました。

 いずれにせよ、音楽教師ともなれば、ピアノは必需品ですから、父親の記憶では、祖父は家に居る時は、朝から晩までピアノばかり弾いていたようです。祖母が「ご飯ですよ」と呼びに行くと、「うるさい!」と言って怒鳴っていたそうです。特に、ベートーベンのピアノ・ソナタが多かったと聞きました。私は特にモーツァルトとバッハ、ブラームスが好きなのですが、クラッシック好きは祖父の遺伝なのかと思っています。

 また、クラシックに限らず、私は、ビートルズやジャズ、ボサノヴァなどの音楽が好きで、作詞作曲したりするのも、これまた祖父の血かな、と思っています。

 ということで、昨日つくったばかりの新曲”Going back to Rome” も公開することにしました。

“Going back to Rome” composed by Kin-no-souke TAKATA

1,Hey, You run away from home.

I swear it, I’m coming back from Rome.

2,You look so bad,. You’re buried, never to be found.

I’m feeling down. I’m feeling like going outbound.

※ You seem to me how long life to be

But you should remember how short it could be

ちょっと暗い曲なのですが、最近の私のメンタル状況を反映していると思われます(苦笑)。次はもっと明るい曲をつくります(笑)。

新曲「バタフライ効果~言葉にならない」を公開します

 学生時代に音楽ユニット「エトランジェ」を結成して、学園祭などで演奏して楽しんでおりました。

 別に誰かに頼まれたわけではありませんが、あくまでも自分たちで作詞作曲したオリジナル曲に拘りました。「好いた、惚れた」だの、「恨み、つらみ」だのと日本語で唄うとどうも恥ずかしいので歌詞は英語にしました。30曲以上作りました。

 知る人ぞ知る存在なので、内輪だけに受けておりました(多分=笑)。社会人になって仕事が忙しくなったこともあり、活動は休止しましたが、昨年、また学生時代の音楽クラブのOB会で実に45年ぶりにステージ立ちました。

 そしたら、やはり、また、音楽活動がしたくなり、オリジナル曲づくりも再開しました。しかし、相方の刀根君は遠く名古屋に住んでおり、しかも、最近は病気がちで、こちらがメールを出しても返信すら出来なくなってしまいました。

 以前でしたら、こちらが作った曲で、途中で嫌になって投げ出した曲などに彼は2番の歌詞を作ってくれたり、バックにチェロの伴奏を重ねるアレンジをしてくれたり、コーラスも付けたりしてくれたのですが、最近は「身体がしんどい」と言って、寝込んでいるようです。

 とても心配なのですが、早く回復してくれて、また一緒に活動を再開してもらいたいと願っております。

 本日は、まだ途中のラフの状態ではありますが、独りで作った曲を公開させて頂くことにしました。人類学者の山際寿一氏の「言葉が人類に暴力性を生んだのではないか」という発言に触発されて作りました。

 タイトルは「バラフライ効果~言葉にならない」です。1本目は、マーチンDー28、2本目はオベイションのセレブリティで演奏しています。刀根君が元気なら歌詞をつくってもらい、アレンジしてもらいたいと思っているのですが。。。

  アインシュタインは「私はしばしば音楽で考える。私はめったに言葉では考えない」と発言したことがあるそうです。ムフフフフ、私も最近、真似しているのです(笑)。

”Ça ne fait rien” Parole et Musique de Kîn-no-souké TAKATA

先日、小生が作詞作曲した”Ça ne fait rien”という曲を、この渓流斎ブログにアップしました。唄もギターも下手くそなのに、どういうわけか、お二人の方から反響が御座いまして、嬉し恥ずかしで本人は気を良くしております。そこで、前回は日本語の歌詞でしたので、今回はフランス語の歌詞でアップしたいと存じます。

 勿論、強制でも何でもありませんから、「怖いもの聴きたさ」を感じている方だけ、肝試しでもしてみてください(笑)。今回は歌詞も掲載します。

”Ça ne fait rien” 

                     Parole et Musique de Kîn-no-souké TAKATA

1, Ah oui, je voudrais te dire.

Ça ne fait rien. Ça ne fait rien. Ça ne fait rien.

2, Mais non, tu dois me dire.

Ça m’est égal. Ça m’est égal. Ça m’est égal.

※ Ne t’inquiète pas. Quoi qu’il arrive. Ne t’inquiète pas. Quoi qu’il arrive.

3, Eh bien, elle doit me dire.

Ça y est, bien sûr. Ça y est, bien sûr. Ça y est, bien sûr.

※ répétition

4, Tu m’a donné le meilleur amour

surtout pour moi surtout pour toi-même surtout pour tous

Ça ne fait rien. Ça ne fait rien. Ça ne fait rien.

【大意】

 そうそう、君には言っておかなきゃ

 そんなこと大したことじゃないんだよって

 でも、君は僕に言うはずだ

 そんなことどっちでもいい、と。

 ※心配すんな 何があっても 心配すんな 何があっても 

 ところで、彼女は言うのさ

 勿論、やったわ、と。

 ※ 繰り返し

 君は最高の愛をもたらしたね

 特に僕に 特に君自身に 特に皆に

 まあ、大したことないけどね 大したことないさ

Midnight Scat Parole et Musique de Kîn-no-souké TAKATA

今からもう半世紀近い大昔、私がまだ20歳の時に作詞作曲した「Midnight Scat」という曲があります。

 亡友神林康君がギターのフレーズを手伝ってくれましたので、彼との最初で最後の共作でもあります。

 「Midnight Scat」ですから、真夜中にお一人で気が向いたときにお聴きくだされ。

 

Midnight Scat

1, Don’t make me haste.

Please don’t let me go.

Because I don’t like its taste.

2, Don’t make me sad.

Please do let me know.

Because I don’t wanna be mad.

※ Isn’t it in a hurry to decide?

I wish you’re here by my side.

Isn’t it worry to suicide?

I hope you’re there by inside.

”repetition”

指揮者という才能の凄さ=小澤征爾さん逝去

 昨日は「ブログ廃業を考えています」と書いてしまいましたが、目下、「Googleアドセンス」の設定で大変お世話になっているMさんからの御支援と励ましもあり、もう少し頑張ろうという気になりました。それに、この渓流斎ブログがなくなれば、飛び上がって喜ぶ人間が、約5人この世に存在しておりますから、盗み見してる彼らがいる限り負けられません!(苦笑)。

 さて、世界的指揮者の小澤征爾さんが亡くなられました。行年88歳。夜の7時のニュースで速報が流れ、新聞各紙を全部読んだわけではありませんが、一面と社会面展開の超VIP扱いです。彼の音楽的業績は散々書かれていますから、私は、小澤征爾という人は「近現代史の申し子」だと思っていることを先に書きます。(個人的ながら、私は記者会見ですが、小澤征爾さんにお会いしたことが何度かあります。)

 よく知られていますように、彼の父は、満洲国協和会の設立者の一人、王仁澤こと小澤開策です。小澤開策は、満洲事変の際の関東軍高級参謀で、後に関東軍参謀長、参謀副長等を務めた板垣征四郎と石原莞爾から1字ずつ取って、奉天(現瀋陽)で生まれた子息に「征爾」と命名しました。(松岡將著「松岡二十世とその時代」)

 満洲国協和会というのは、多民族国家だった満洲国における五族協和の実現を目的とした官民一体の団体でした。官というのは主に関東軍のことで、小澤開策は民間人で歯科医でした。

 満洲事変が1931年(昭和6年)、五・一五事件が翌年の32年(昭和7年)、小澤征爾が生まれたのが35年(昭和10年)です(同年、満洲生まれに漫画家の赤塚不二夫らがいます)。二・二六事件が36年(昭和11年)、真珠湾攻撃が41年(昭和16年)、ソ連による満洲侵攻(シベリア抑留)と日本の敗戦が45年(昭和20年)という日本の歴史上最大の激動期でした。

 小澤征爾さんは、敗戦時10歳で、敗戦で何もなくなった日本の復興期に、日本を飛び出して世界に飛躍し、1959年にブザンソン国際指揮者コンクールに第1位に輝いて、世界的指揮者の地位を築き挙げた人でした。当初、「日本人に西洋音楽が分かるわけがない」と観客から冷ややかな目で見られていましたが、次第にその実力が評価され、ボストン交響楽団やウィーン国立歌劇場などの音楽監督を歴任しました。

 私のお気に入りは、写真に掲げましたが、ボストン響によるマーラーの「交響曲第4番」と、サイトウ・キネン・オーケストラによるブラームスの「交響曲第1番」です。

◇指揮者の凄さ

 若い頃の私は、指揮者というのが何が凄いのかさっぱり分かっていませんでした。自分で何も楽器を演奏せず、ただ棒を振っていて、指図しているだけで、何がそんなに偉いのか(笑)、分かりませんでした。でも、色んな指揮者による演奏を聴いて、同じ音楽なのに、全く違うことが分かるようになりました。下世話な書き方しか書けませんけど、カール・ベームはゆっくりと大らかな演奏なので、通好み。カラヤンは驚くほど疾走した演奏で、クラシックファン以外にも魅了できる大衆好み、といった感じです。

 指揮者の何が凄いかと言いますと、これは私の管見に過ぎませんが、ソシュールの言語学に、通時的(ディアクロニック)と共時的(サンクロニック)という専門用語が出て来ます。これはどういう意味なのか、御自分で勉強して頂きまして(笑)、ここでは、乱暴に、通時的=横の流れ、共時的=縦の関係としておきます。例えば、クラッシック音楽の楽譜のスコアを思い浮かべてみてください。そこには、上から第1バイオリン、第2バイオリン、ビオラ…コントラバス、…フルートなど縦に楽器ごとに音符が並んでいます。それぞれの演奏者はその音符を横の流れ(通時的)で演奏することによって、音が奏でられていきます。しかし、指揮者は、通時的だけではいけません。各パートの演奏が縦の関係(共時的)に合っているかどうか、瞬時に確認しなければ、作曲家の音楽を再現できないということになります。

 ティンパニーが0.1秒でも遅れては駄目なのです。指揮者という化け物のような(比喩が悪くて済みません)音感の才能を持った一人の人間が、通時的、共時的に一瞬、一瞬の音の整合性を判断しながら、「時間芸術」を組み立てていくという作業を行うということですから、並大抵のことではありません。

 私が指揮者が凄いと初めて思い知ったのは、このような自分自身で勝手に作り上げた観念によるものでした。

 

映像は古びてしまうが、音楽は古びない

 えっ!? 昨日のこの渓流斎ブログのアクセス(閲覧)数が、わずか「167」だったとは驚きました。一時期、一日当たり2000近いアクセスがあったというのにどうしたことでしょうか?

 皆さま、お気づきのこととは存知ますが、この渓流斎ブログの広告がなくなっております。実は、これは一時的なお話で、今、悪戦苦闘しています「Googleアドセンス」の設定問題が解決すれば、そのうちまた広告がくっついてくると思います。というのも、このブログは一応、プロとして記事を配信しておりますので、どうしても広告収入に頼らざるを得ないからです。もし、有料会員制にしたとしても、こんなアクセス数が167ぽっちでは、存続できないことでしょう(苦笑)。

 ビジネスとして成り立たなければ、ブログ廃業するしかないかなあ、とも考えております。

銀座「Hooters」フーターズ・バーガー1200円

 さて、昨日は凄いことを発見しました(笑)。

 1968年にフランソワーズ・アルディの唄で世界的にヒットした「さよならを教えて」”Comment te dire adieu”(歌詞はセルジュ・ゲンズブール)という曲があります。私はこの曲が大好きなので、この曲がタイトルにもなっているCDアルバムをたまに聴きます。

 でも、今の時代は、何でもYouTubeを始めとした「動画」の時代です。先日、この曲を検索して見てみました。白黒のせいかもしれませんが、かなり古色蒼然としてしまっていました。ファッションも1960年~70年代に大流行したラッパのパンタロンですから、尚更です。仕方ないですよね。今から半世紀以上昔なのですから。古びてしまったと感じても本当に仕方ないことでしょう。

 しかしです。昨晩、久しぶりに、このフランソワーズ・アルディの「さよならを教えて」をCDで聴いてみたのです。そしたら、吃驚です。実に新鮮な音楽に聞こえてきたのです。さすが、ラップ全盛の現代ポップスの流行歌には入りませんけど、少なくとも、「古びた」とは全然感じられないのです。斬新に感じたのです。

 そこで発見しました。目から情報が入ってくる映像や舞台芸術やファッションやお化粧や髪型などは、古びてしまいますが、耳から入ってくる音声や音楽は古びないのではないか、ということです。

 何かの本に、「人間が最後に残る記憶は、耳に残った音だ」と書いてあったことを覚えています。その著者もタイトルも忘れてしまいましたが、確かに、私もそう思います。

 私が若かった頃は、インターネットも動画もありませんでしたから、音楽はほとんどラジオか、レコードでした。レコードのジャケット写真などを見てアーティストの名前と担当楽器を知って、唄って演奏する姿は想像するしかありませんでした。

 でも、それだけ音楽にはパワー(力強さ)がありました。今の若い世代は、音楽は動画で楽しむのが当たり前なのでしょうが、旧い世代の私は、「音」だけでも十分です。余計なものがそぎ落とされていますから、音に集中することも出来ます。だからこそ、映像がない「さよならを教えて」を久しぶりにCDで聴いた時、新鮮さを感じたのではないかと思っています。

Ça ne fait rien Parole et musique de Kin-no-suke Takada 「大したことではありません」 作詞作曲:高田謹之佑

ここ数週間、Googleアドセンスの件で、ドタバタしております。でも、「公開投稿」の場をお借りして、救世主の方から援助を受けて、一つ、一つ、問題を乗り越えております。

皆さまにはご迷惑をお掛け致しておりますが、そんな苦悩の中、1曲仕上げましたので、お時間のある時に、お聴きください。

下の Ça ne fait rien をクリックするか、ダウンロードをクリックすれば、何とか聴くことが出来ると思います。

 

そんなに有名になりたい?=無名という名の恍惚我にあり

 個人的な身辺雑記が続いております。

 私の旧い友人のA君は、幼少から習っていたピアノの腕前を発揮して自分で作曲もし、仲間と一緒に音楽会を毎月、都内で開催しています(クラッシックをベースにしたピアノ曲)。多い時は月に3~4回です。その度に、「参加してほしい」と連絡が来るのですが、こう見えても私は、週末は、老親介護やセミナー参加や展覧会や映画やマンション理事会やら色々とありまして、まず行けません。その度に、何度も何度もお断りするので、先方も「その気はないな」とそろそろ諦めてくれるかなと期待していました。それでも、彼はしつこく連絡してきます。

 こりゃあ、いつか、はっきり、断った方がいいかもしれないな。ーと思いつつ、その断りの文面がなかなか思い浮かびません。機微に触れる問題なので、相手を傷つけたくないし、最初から喧嘩別れするなら話が早いのですが、別に彼とは絶交したいわけではなく、たまに会って一緒に酒でも飲みたい相手でもあるからです。

Higashi-Kurume

 実は、私自身も中学生からギターを始め、高校生ぐらいから自分でデタラメな曲を作り始め、大学では軽音楽クラブに入って、学園祭で自作を演奏したりしていました。何を言いたいのかと言いますと、音楽に関する趣味や好みや拘りが普通の人より強いということです。何しろ、自分で曲を作ってしまうぐらいですからね。

 毎年のように、音楽の好みは変わっていきますが、ロックなら1960年代のビートルズから80年代のポリスまで。今のヒップホップは付いていけません。ジャズは、ビル・エヴァンスとウエス・モンゴメリーに始まり、マイルス、コルトレーン、ヴォーカルならエラ・フィッツジェラルドとシナトラはやはりピカイチ。

 クラシックならモーツァルト。そして、バッハ、ベートーヴェン、ブラームスの「3大B」の正統派。卒論でドビュッシー、他にシューベルト、ショパン、チャイコフスキー、ストラビンスキー、マーラーはかなり聴いた方。

 それ以外なら、ボサノヴァのA・C・ジョビンとシャンソンのゲンズブールはレノン=マッカートニーと並ぶ20世紀の偉大なコンポーザーだと思っていますし、バート・バカラックもフランシス・レイもニーノ・ロータも同時代人として生まれた幸せを感じています。

 自分の好きな音楽の100分の1も此処ではご紹介出来ませんでしたが、まあ、ざっと、好きな曲ばかり聴いて来ましたので、わざわざ時間と電車賃を掛けて、いくら「素晴らしい音楽です」と説得されても、彼の音楽は、以前に何度か生で聴いたことはありますが、自分の好みにピタリと合って万難を排してでも、といった最優先事項にならないのです。申し訳ないのですが。

 そこで、今回は、はっきりと断ることにしました。特に、彼は、私がマスコミ人であることを知っているので、「都庁の記者クラブで会見を開いて音楽会を取り上げてほしいので、手続きの仕方を教えて下さい」と聞きに来たからです。

 都庁の記者クラブは行政が中心ですから、コンサートはまず取り上げません。その辺りを含めて、彼には色々と説明し、嫌われるのを覚悟で最後にこんな文面を付け足しました。

 「貴兄はそんなに有名になりたいのですか?そんなに名声を得たいのですか? そこまでしたいのなら、プロになって大手音楽事務所と契約したら良いと思います。興行面で裏社会とつながっていることが多いですが、かなり売り込んでくれますよ」

 これに対して、彼は、

「目的は、より多くの人にじっくり聴いてもらって、心の財産にしてほしいと思っているだけですよ。ですから、音楽を聴いてもらえる新たな仕組みを作る必要性を感じてます。足下をしっかりさせないといけないので、宗教団体と同じかもしれません」云々の答えでした。

 まあ、あまり話がかみ合っていませんが(笑)、顧客開発は独自でやってくれそうで、私は大いに期待したい。

 それにしても、ヒトはそんなに有名になりたいものですかねえ? 私は長年、取材記者として有名人と会ってきましたが、彼らがうらやましいなんて一度も思ったことがありません。むしろ気の毒になるくらいです。プライバシーもないし、自由に街を歩けないし、公共トイレなんかにも入れないでしょう。

 そんな私でさえ、正直、自分のブログを読んでいただける読者数が増えてほしいとは思いますけど、有名になりたいとか、名声を勝ち取りたいとか思いませんね。分かって頂ける皆さまの心に伝われば、それで十分です。

 ですから、自分が無名であるということの恍惚を感じています。

大谷ウクレレサウンズによる「小さな竹の橋」の演奏です

 昨日、この渓流斎ブログに音楽の話題を掲載しましたところ、皆様ご存じの宮さんからメールを頂きました。

 

渓流斎高田謹之祐様

 お久しぶりです。
 記事としては久しぶりの音楽ネタ、待ってました。
 バンド演奏中のミュージシャンとしてのお姿も拝見することができよかったです。
 カッコいい!
 どんな演奏なのかな? 動画が見たいです。または音源が聴けると良いですね。
(LINEだと何でも送れますね)

 さて私も、12月23日(土)、近くの介護施設のデイサービスセンターでバンド演奏してきました。
 公民館のウクレレサークルがあっという間に18年目を迎え、これが101回目の演奏会です。
 サークル名は「大谷(おおや)ウクレレサウンズ」です。
 創立当初からの会員はもう私を含めて4名しかいませんが、指導してくれる講師の先生が86歳で最高齢、会員数は12名で私が会員で最年長の83歳、女性も含めて80代が4名、平均年齢75歳のサークルです。
 演奏曲は
 ジングルベル
 小さな竹の橋
 浜千鳥
 高校三年生
 東京ブギウギ
 昴
 里の秋
 パ-フィデア
 オ-シャンゼリゼ
 どうにも止まらない
 いい日旅立ち
 聖夜

 夢一夜
 ある恋の物語
という内容で、ウクレレで色々なジャンルを弾いています。

朝の銀座

 渓流斎さんのハイレベルな大学バンド「エトランジェ」とは違い、はっきり言って下手バンドです。が、施設の方々も一緒に歌って楽しいひと時を過ごしていただいています。
 動画を送りたいのですが、データ量が私のメールの送信容量を超えてしまうので、動画からの静止画(ボケてます)と動画から音データのみを取り込んだ音源を添付します。暇な時にご笑聴下さい。
 悩んだ末! ブログに掲載自由です(笑)

◇◇◇◇◇

 ということで、思いもかけない「朗報」が届きました。この記事の最初と最後に掲載した「音声」(両方とも同じです)が、大谷ウクレレサウンズによる「小さな竹の橋」の演奏です。ヴォーカルも宮さんのようです。頑張ってますねえ。負けました!エトランジェよりうまい!これまで101回も演奏されてきただけあります。音楽は素晴らしいですね。

 皆さまもお楽しみください。

 

45年ぶりの演奏会でした=東京外語大音楽クラブGMC忘年会

 皆々様方にはちょっと内緒にしておきましたが、12月23日(土)、東京・中目黒のライブハウスで大学時代の音楽クラブGMCの忘年会がありまして、そこで、学生時代以来45年ぶりにステージに立って(実は座って)演奏して来ました。

 まあ、無事終了し、自己採点でも合格点をあげてもいいくらいでしたが、実は、ここまで来る道程が半端ではないくらい難行苦行の世界でした(苦笑)。参加を決めてからのこの3カ月間、3回ぐらい参加の断念を考えたぐらいでしたからね。

 まず、今年10月某日、学生時代に、50曲ぐらい英語でオリジナル曲を作って演奏するバンド「エトランジェ」を組んでいた相方の刀根君から急にメールで、「12月にGMCの忘年会が(コロナ禍を経て)4年ぶりに開催されるので、一緒に参加しよう」との連絡がありました。小生はOB会のメールリストから漏れていたので、初耳でした。ですから、彼から連絡がなければ参加しなかったことでしょう。

 それにしても、卒業して以来一度も演奏会に参加したことがないので、実に45年ぶりの共演です。ま、何とかなるか、と始めましたが、直ぐに難所に突き当たりました。私は関東地方に住み、相方の刀根君は東海地方に住んでいるので、そう直々顔を合わせられません。そこで、オンラインで「せーの」と始めてみましたが、通信には「時間差」があって、とてもうまくいきません。お互いに録音したものを合わせることにしましたが、音のやり取りですから限界がありました。

新富町

 次に、障害が出てきました。11月になって、小生の拙宅で練習することにしたのですが、前日になって、彼の持病が発症して入院するはめになりました。即退院は出来たのですが、彼の体調の面で参加は無理かなあ、と思った次第です。

 もう一つは、12月になって、「不自信過剰」で、精神的に不安定な私が、公私ともに、どうも「心のわだかまり」が出てきて音を楽しめなくなり、「やっぱり参加はやめようか」という気になってしまったのです。

 他にも沢山の難局がありましたが、昨日参加出来たということは、結局、切り抜けることができたということになります。他人事みたいですが(笑)。

 23日当日は、午後2時集合でしたので、午前9時から午後1時まで秋葉原で借りたスタジオ(4時間で5400円)で2人で最初で最後の音合わせをしました。演奏制限時間が20分で、わずか6曲でしたので、何とかうまくいきました。

 会場に行くと、80人ぐらい集まっていたと思いますが、90%以上知らない後輩の皆さんばかりでした。それでも、学園祭の演奏会で、我々のバンドのバックでベースとして参加してくれた久島君やキーボードで参加してくれた上阪君やドラムスで参加してくれた、我々が3年生の時に部長を務めた小林先輩と45年ぶりにお会いしました。他に、会場には、我々が2年生の時に部長だった巌野さんや玉井先輩もいらっしゃっていて、ビックリしました。皆さん、昔の面影はなく、全く風貌は変貌していたので、街中ですれ違っても絶対分からないことでしょう(苦笑)。はっきり言って、もう別人です。

 忘れてはいけない人は、国木さん(旧姓)です。彼女がいなかったら、参加していなかったことでしょう。温かい助言を沢山頂きました。彼女は、フランス科の先輩でもある山室さんのバンド「ファウンダーズ」のボーカリストとして松原先輩と一緒に参加しておりましたが、私が見た範囲のバンドの中でナンバーワンでした。このバンドには同期の荒城君がベース、キーボードが上阪君、ドラムスが小林先輩が参加していて息がぴったり合っていました。後から、同期で部長も務めた梶原君もやって来て旧交を改めました。

築地本願寺

 GMCというのは、「外語ミュージック・サークル(またはクラブという説も)」の略で、私が入会した最初の頃は「フォークソング・クラブ」と名乗っておりました。ここには刀根君から誘われて入ったわけです。その前は「軽音楽クラブ」とも言っていたようですが、詳しくは知りません。ただ、その頃、後にゴダイゴのメンバーになって大成功したタケカワユキヒデさん(英米語科)もクラブ員でした。

 もう一人、私の同期の人見君はロックバンド「バウワウ」のヴォーカリストとして、世界的に一世風靡した人でした。彼については、あるネット情報では、早大軽音楽サークル「ロッククライミング」出身としか書いていませんが、実は東京外語大GMC出身で、「ポーの一族」というバンドで、荒城君のギター、久島君のベース、梶原君のドラムスで当時からプロ顔負けのヘヴィーなヴォーカルを披露しておりました。

 何を言いたいのかと言いますと、GMCはそれだけレベルが高かったということです(笑)。今回、全く知らなかった後輩の皆さんの演奏を聴きましたが、やはりレベルは非常に高かったでした。彼ら、彼女らも、若くて40代、ほとんど還暦を過ぎているように見受けられましたが、若い、若い。

 (演奏風景は、主催者の幹事さんから動画が送られてきました。小生、動画編集が出来ませんが、もし、奇跡的に動画編集が出来ましたら、いつか、このブログにアップする予定です。)

 【追記】2024年1月1日

 昨年末、宮さんが大変御親切にも動画を編集してくださり、LINE用とメールから開封できる動画編集を添付して送ってくださいました。受け取る側の私も色々、試行錯誤して、やっと、ブログに貼り付けられる状態まで持って行くことが出来ましたが、結局、いずれもデータ量が多過ぎて、ブログに添付することは出来ませんでした。

 いずれにせよ、大変な労力と時間を掛けて動画を編集してくださったジョン・レノンと同い年の宮さんには大変感謝申し上げます。