「運慶」見て来ました★★★★★

東京国立博物館平成館

東京・上野の東博で開催中の「運慶」を見て来ました。京都国立博物館の「国宝」と同じように、こちらも運慶展などと言いません(笑)。

京都のように、かなり並ばされるかなあ、と覚悟してましたが、小雨の悪天候のためか、週末なのに並ばれずに入れました。ただし、館内は二重三重の大混雑でした。

出展作品は、仏像や四天王が主ですから、本来なら荘厳なる寺院で敬虔なる面持ちで拝さなければならないのに、こうして美術作品のように鑑賞するのも何か変な感じがしました。

こちらにも「国宝」がありました(笑)。あの美術の教科書にも載っている東大寺の「重源上人像」も出品されていたので吃驚。作者名はなく、「運慶作とみられる」ということで展示されていたようです。割と小振りですが、生前の上人の性格から強い意志まで見事に表現しておりました。

運慶と言えば、誰が何と言っても、奈良・東大寺南大門の「金剛力士像(阿吽像)」でしょうが、まさか、東京まで運んで来るわけにはいきませんよね。

作品の殆どは、奈良・興福寺蔵のもので、ちょうど今、興福寺では国宝館の耐震工事や中金堂の復元などが行われているため、こうして、寺院外での展示が実現したのでしょう。

これだけ大天才の芸術家の運慶なのに、興福寺の仏師康慶の息子であること以外、生年不詳なんですよね。「風神雷神」の俵屋宗達もよく分かっておりませんが、大天才に限ってそんなもんかもしれません。

今回、私が最も気に入った展示品は、運慶の三男康弁(生没年不詳)の「天燈鬼・龍燈鬼立像」のうちの天燈鬼像でした。これも美術の教科書なんかによく載っています。

高さ約78センチ。普段は四天王に踏みつけられている邪鬼が主役です。天燈鬼は、2本の角と三つの目を持ち、燈籠を左肩に乗せて踏ん張ってます。いいですねえ。普段は、皆んなに恐れられ、汚わらしいと忌み嫌われ、差別されている鬼さんが主役です。本当は心優しい働き者なんですよ、とでも言いたげです。

この作品は、エヘン、国宝です。

東博を出て、昼時でしたので、上野名物トンカツ屋さんにでも行こうかと思いましたが、今は、哀しい哉、立ち喰い蕎麦の身分です。

しかし、わざわざ上野にまで出て来て立ち喰い蕎麦ではあまりにも味気ない。ということで、久し振りに上野警察署近くの「おきな庵」に行ってきました。知る人ぞ知る名店でいつも混雑してます。

思い切って、天麩羅蕎麦950円。やはり、邪鬼としては、身分不相応でした(笑)。

京都国立博物館の開館120周年記念「国宝展」は見逃せないなあ

京博 Copyright par Kyoraque sensei

この日乗は、小池さんの顰みに倣って、二都物語、三都物語で展開しております。

今日は、京都にお住まいの京洛先生からのお便りを御紹介致します。

…3日から京都国立博物館では開館120周年記念の特別展覧会「国宝」(NHK、毎日新聞などが主催)がスタートしました。
来月26日まで開かれますが、縄文時代から近世まで、全国の「国宝」210件が、同博物館に集結、会期中。展示替えが、4回(10月3日~15日、10月17日~29日、10月31日~11月12日、11月14日~26日)もあります。

初日の3日、恐らく、混雑しているのではないかとビクビクして覗きましたが、意外に空いていました。初日から15日までの一期目の展示は、「雪舟の国宝(6点)が一堂に並ぶ」でしたが、迂生が感嘆したのは紀元前2000~3000年の「考古」時代の展示室の土偶「縄文のビーナス」(長野県茅野市尖石縄文考古館保管)、同じく土偶「縄文の女神」(山形県立博物館保管)でした。土偶の見事なフォルムに魅入りました。

また、仏画では「赤釈迦(釈迦如来像)」(12世紀、平安期、神護寺所蔵)、「早来迎(阿弥陀二十五菩薩来迎図)」(14世紀、鎌倉期 知恩院所蔵)や「山越阿弥陀図」(13世紀、鎌倉期、京都国立博物館所蔵)、「吉祥天像」(8世紀、奈良期、薬師寺所蔵)など、どれも見ごたえがありました。釈迦や阿弥陀が別世界からやって来る、有難い姿が目に焼き付きつきました。

この後、「国宝展」では、あの有名な志賀島で出土した「金印」(福岡市立博物館所蔵、10月31日~11月12日展示)や空海直筆の国宝「聾瞽指帰(ろうこしいき)」(部分)、(8~9世紀、平安期、金剛峯寺所蔵、10月17日~29日展示)などが、続々展示、公開されます。

「絶対秘仏」と比べると、「国宝」は目にする機会は多少多いですが、これだけ一堂に展観される機会は、希少だと思います。もし、上洛されたら覗かれてはどうでしょうか。…

なるほど、京都へは近いうちにお邪魔して、国宝さまの御尊顔も拝したいと存じます。

何か、聞くところによりますと、京博開館120周年記念展なので、東京など全国巡回しないようですね。それなら尚更ですね。…

「薬師寺展」に行きました

調布先生から「これから『薬師寺展』http://yakushiji2008.jp/index.htmlを見に行きましょう」と、昼間に突然電話がありました。世の堅気の人たちは額に汗して一生懸命に働いているというのに、よっぽど暇人にみられているんですね。

しかし、私はその通りの暇人でしたから、上野の国立博物館までノコノコ足を運びました。いやあ、平日の昼間だというのに、すごい混雑でした。ちょうど花見のシーズンでもあるので、皆さん仕事を休んできたのでしょうか。

調布先生に誘われなかったら、行くつもりはなかったのですが、最近、心がささくれ立っていたものですから、「心を洗いたいなあ」と思っていたので、丁度いい機会でした。有り難かったです。

目玉の国宝「日光菩薩」「月光菩薩」立像を見るのが眼目でした。高さ3メートルくらいでしょうか。あんなに間近に見ることができて、感動しました。お陰様で心が洗われました。普段は奈良の薬師寺の金堂に鎮座されいますから、遠くからしか拝観できません。今回は、本当に触れるくらい間近で拝むことができるのです。

しかし、一家言の持ち主の調布先生は「やっぱり、奈良で見なくてはいけませんね。魂を抜いて持ってきたので、見世物になってしまっています」とおっしゃるのです。

私は凡人ですから、それでも有り難かったですね。奈良にまで行かなくても、菩薩さまが向こうからやって来て下さったのですから。

その足で、有楽町の国際フォーラムに行きました。「アートフェア東京」http://www.artfairtokyo.com/を見るためです。関係者だけの前日公開だったのですが、ここもすごい混雑でした。山口晃さんの取材でお世話になったミズマ・アートギャラリーの長田さんにお会いしてご挨拶するのが目的でしたので、ミズマのブースに行ったのですが、ここもまたものすごい人だかりで、オーナーの三潴さんが中国系のテレビ局にインタビューされたりしていました。

アートフェア東京は、画廊による即売会みたいなものです。数千円から数千万円の作品が古美術から現代アートまで展示されていますから、ご興味のある方は覗いてみてください。川端康成や吉田松陰らの「書」も150万円から300万円くらいの価格で展示されておりました。もちろん、私はとても買えませんでしたが。

この後、調布先生と軽く飲みました。その時「あなたの日記は、個人的なことを書きすぎますね」と注意されてしまいました。私は「いやあ、実は永井荷風の『断腸亭日乗』を目指しているんですよ。個人のささやかな体験も五十年後百年後の人が読んだら、面白いんじゃないかと思いまして」と申し上げたところ、「そんなに残るんですかねえ」と苦笑いしておられました。

そのうち、調布先生は「仲田さんをお呼びしましょう」と言って、急に本当にいきなり電話をしてしまうのです。調布先生は迷ったり、悩んだりしません。思い立ったらすぐに行動に移してしまいます。そこが私のような凡人とは違うところです。

会社の先輩である仲田さんとは新橋の駅前にある居酒屋「くまもと」で合流しました。そこで調布先生とは別れたのですが、そこから、仲田さんと二人で北海道料理の「炉ばた」(落語をやる日があります)とスナック「手羅須」(東京新聞の小石さんのお店)とはしごしてしまい、終電を逃してしまいました。

そこで何を話したのか…書けませんね。調布先生は「日記には個人的な本当のことは書けないもんですよ。だから、福田首相のこととか、もっと大きな天下国家のことを書きなさい」とおしゃっていましたが、悔しいけど、その通り、個人的な本当のことは書けませんね。荷風の日記でも、公開するのが目的だったので、本当のことが書いてません。私も、別に隠しているわけではないのですが、人生は生きるのに辛すぎる。

材木商を救え!

何とかは風邪をひかない、と言いますが、私はどうやらその何とかではなかったようです。

何か個人的な雑用が続いて、休む暇もなく一昨日から風邪気味です。

昨日なんぞはこんな調子です。朝6時に起床し、そのまま出勤。4時に仕事を終えて、銀座6丁目の「渋谷画廊」 へ。片岡先輩がグループ展に出展されており、作品鑑賞に出掛けたのでした。事前に何も話をしていなかったので、さっと見て、名刺だけ置いて行こうと思ったら、片岡先輩は暇なのか(怒られてしまう)いらっしゃるではありませんか!

そこで、藤田さんと小林さんという妙齢な女性を紹介され、芸術談義に花を咲かせました。

皆さん、アングルのバイオリンですね。
本職は、片岡先輩のように翻訳家だったり、編集者だったり、外科医だったりするのです。お医者さんともなると手先が器用なので、芸術活動は両立するんですね。

銀座の画廊サロンで芸術談義するなんて、まるで、昭和30年代の映画のようです。主演、佐田啓二、岸恵子といった感じです。

その足で、取手のセレモニーセンターへ。会社の後輩の吉永君のご母堂が急逝され、お通夜が開かれていたからです。

会社の掲示板で初めて知り、喪服は持っていなかったのですが、たまたま昨日は黒目の服を着ていたので、飛び込みで列席しました。

吉永君とは会社の中でも数少ない家族ぐるみの付き合いで、ご母堂は彼が小さい頃から女手ひとつで育て上げたことを知っていたので、是非とも列席したかったのです。

お清めの席で、吉永君の奥さんのお父さんと初めてお会いし、色んな話を伺うことができました。

お父さんは、福島県内で材木商をされていましたが、今は、外国の安い材木に押されて立ち入っていかず、お店は閉めてしまったそうです。国内でやっていける材木商は、もう何軒も残っていないそうなのです。

建築材といえば、檜がナンバーワンだと素人の私なんかは思っていたのですが、何と赤松や欅や杉でも高級建築材として、使われるそうなのです。

世界で最も古い木造建築と言われる法隆寺は赤松でできているそうです。
意外でした。

いずれにせよ、世界に誇る木造建築を持つ日本だけに、その伝統文化が廃れるのは忍びないと思いませんか?

流行を追うことをやめること

「平成の絵師」山口晃さんの描く世界には、鎌倉時代の人や江戸時代の人や、昭和初期の人らが同じ平面に何ら抵抗感なく一緒に登場したりします。

本人にその理由を聞くと、「自分は別に鎌倉時代や江戸時代の人を書いているつもりはない。全部、現代人として書いている。例えば、今、街中を歩いていても、昭和40年代風のお化粧をしているオバサンがいたりする。若い時の流行で終わってしまっているんですよね」と、答えてくれたことがあります。

このことは、前にもこのブログで書いたことがあるかもしれませんが、最近、山口さんの言っていることは、ありえることで、「突飛じゃないなあ」と痛感させられることを二つ経験しました。

 

まず、一つは風景です。私がよく行く散歩コースです。そこでは、新都心の超高層ビルが見え、同時に、昭和三十年代か四十年代に建てられた古い瓦葺の民家や平成の初めに建設されたマンションや2階建ても見えるのです。

これこそ、玉石混交です。鎌倉時代から昭和初期まで同席する山口さんの描く世界には及びませんが、現実でもこうして、ありえるのです。

 

もう一つは、若い多感な時代で、流行を追うことを終わってしまう、という例です。

バンド仲間の白川君のことです。音楽談義をしていたら、「アンプログド」を知らないというのです。「え?」と思いました。エリック・クラプトンがMTVで世界中にヒットさせて一世を風靡した「音楽ジャンル」です。今、CDを見たら、1992年とありました。もう16年も昔ですから、「アンプラグド」と言えば、アンプを通さず、アコースティックの演奏する音楽のことだと定着しています。

 

それを白川君は知らないというのです。

彼が今でも聴く音楽は、ビートルズの他にディープ・パープルとマウンテンだと言います。彼が流行に敏感だった高校時代に聴いた音楽です。でも、そこで終わってしまっているんですね。今でも彼のアイドルは天地真理なんですから(笑)

 

電車に乗ると、様々な世代の人と乗り合わせます。皆、現代人の格好をしていますが、心の中は、昭和初期だったり、1970年代だったりしているんだなあ、と思うと、感慨深くなってしまいました。

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昨晩は、小さな小さな美術出版社の社長と遅くまで飲んでしまい、またまた、いつ、どうやって帰宅したのか分からないほど、泥酔してしまいました。

彼とはもう二十年近い友人で、私の試験合格祝いをしてくれたのです。色んな面白い話が聞けました。

例えば、クオークとかインデザインとかモリサワとか聞いて、何のことか分かりますか?私には初めて聞く言葉で、さっぱり分かりませんでした。

いずれも印刷ソフトに関連したものです。業界の人だったら、まず知らない人はいないでしょう。でも、マスコミに勤めている人でも、編集だけしか携わらない人でしたら、知らない人がいるかもしれません。

要するに、原稿を印刷会社に出す前のデザインやレイアウトまで完成した形を作るためのソフトなのです。今は、昔のように職工が活字を拾って本を作るわけではありません。パソコンで簡単に活字だけでなく、写真やイラストを挿入することができるのです。パソコンもDTP(デスク・トップ・パブリッシング)がしっかりできるプロが使うやつは、十年前は200万円ぐらいしたそうなのですが、今では、それ以上の性能で20万円台で手に入るそうです。

以前は、印刷ソフトとして、「クオークエクスプレス」の独壇場でしたが、印刷業界最大手の大日本印刷が「インデザイン」を採用したところ、一気に、印刷業界ではインデザインが席捲したそうです。モリサワは、活字のフォント(書体)を提供する会社で、以前、写植全盛時代は、写研のフォントが圧倒的なシェアを占めていましたが、今はモリサワが完勝しているそうです。(どうやら、モリサワを作った森澤さんは、写研に勤めていましたが、上層部との意見の相違で独立して会社を作ったようです。)

イラストを挿入するソフトは「イラストレーター」、写真を挿入するソフトは「フォトショップ」が圧倒的なシェアを誇っていますが、実は、この2つのソフトと大本のページレイアウトとデザインができるソフト「インデザイン」はいずれも米国のアドビー社adobeのものだということです。何かあると思いませんか?

私なんか、何にも知らなかったですね。このDTPをマスターすれば、個人でも誰でも簡単に本や雑誌が作れてしまうのです。皆さんも挑戦してみたら如何ですか?

件の美術出版社の社長には、現代のアジアの美術マーケットの話を聞きました。4月に有楽町で「アートフェア東京」が開催されます。今年で3回目で、昨年は売り上げが10億円と2005年と比べ、5倍と飛躍的に伸びました。しかし、他のアジア諸国と比べると、情けないほど規模が小さい。北京では、年に2回もアートフェア(美術品を個人や団体が売買する)が開かれ、売り上げは60億円。韓国では年一回、ソウルで国際アートフェアが開かれ、東京の1・8倍の18億円ぐらい売り上げがあるそうです。

世界第二位の経済大国の名が笑われますね。日本人はいまだに、ゴッホやピカソの絵には何百億円も出すというのに自国のアーティストには本当に冷たい。パトロンが芸術家も育てるということもない。

経済的に急成長を遂げている中国では、金持ちになった人たちが、自国の画家の絵を買い支え、欧米のオークションでも、2億円、3億円で取引されているというのです。

張睦剛(ジャン・シャオ・ガン)、岳敏君(ユ・ミン・ジュン)、方力鈞(ファン・リー・ジュン)、王廣義(ワン・グアン・ギイ)の四人が、今「中国の四天王」と呼ばれ、かなり高額で作品が売買されているそうです。

皆さん、一人でもご存知でしたか?

画人と文人

お約束通り、谷中のアトリエまで、画家の山口晃さんに会いに行ってきました。

 

彼は、私から見ると、明らかに天才なのですが、天才にありがちな傲岸不遜な態度が全くなく、大変謙虚で腰が低く、驚くほど繊細なやさしい人でした。私はすっかり、心酔してしまいました。

画家というのは、非常に孤独な作業らしく、どうやら奥さんはいらっしゃるようなのですが、1日中、アトリエにこもって、誰とも口もきかない日もあるそうです。

山口さんは、西洋の油絵に日本の伝統的な大和絵を取り入れた創始者みたいな人です。武者絵を描いても、ちょんまげを結った戦国時代の武将が、首から頭が馬ながら胴体はハーレーダビッドソンのようなバイクというへんてこりんな乗り物に乗り、抱えている武器も、携帯用のストリンガーミサイルみたいなものを持っているのです。

「六本木昼圖」は六本木ヒルズにかけているのですが、その中には、明治の文明開花期の建物もあれば、江戸時代の建物もある。人もちょんまげを結った江戸時代の人も歩いているし、昭和初期のモガモボもいたりする、全く初めて見る方は度肝を抜かれることでしょう。

何でこういう絵が描けるか、聞いたところ、山口さんは、ちょんまげを結っていても、現代人のつもりで描いているというのです。それは、ちょうど、今、街を歩いても、もう何十年も昔の化粧スタイルをしている女性をみかけたりすることと同じこと。それは、つまり、その女性は、若い時の化粧方法で止まってしまっているからなのです。

だから、心持として、ちょんまげ時代と殆んど変わらない心因性を持っている人が現代でもいるはずだという信念で描いているようなのです。

山口さんは、そこまで、言葉では表現しませんでした。いくら天才だといっても、画人なので、言葉に詰まると、紙を取り出して、絵を描きながら一生懸命説明しようとするのです。

私は、自称「文人」を気取っていますので、言葉で表現できる術を知っています。これは、長年の読書生活と執筆生活で培われたものだと思っています。

もし、モーツァルトにインタビューできたら、彼は言葉に詰まったら、どういう表現をしたことでしょう。恐らく、その場で、ピアノを弾いてみせたり、鼻歌を歌ったりして「音」で表現したことでしょうね。

想像しただけでも、楽しくなりました。

山口晃展に行ってきました

 知床

東京の練馬区立美術館に「山口晃展 今度は武者絵だ!」を見に行ってきました。

 

私は、単なるおっさんなのですが、同世代でこれほど、美術館や博物館や映画館や劇場に行ったりしているおっさんはいない、と自負しています。

 

山口晃さんという画家は、2,3年前に「芸術新潮」という雑誌で初めて知りました。六本木ヒルズの絵なのですが、大和絵風の鳥瞰図でご丁寧に霞雲もたなびいています。目を凝らしてみると、細密画で、六本木ヒルズという現代の象徴の建物に混じって、江戸や室町時代の建物もあり、ちょんまげを結った人や昭和三十年代のファッションのサラリーマンもいて、玉石混交状態です。

 

何じゃあ、これは!

 

というのが、第一印象でした。それにしても、画家のマニアックというか、ファナティックな描写に、がツーんと頭を殴られたような衝撃を受けました。時代も空間も全く超越して、同じ平面に描かれていたのです。彼を「平成の絵師」とも「時代の旗手」とも言う人がいますが、本人は「単なるお絵かき少年」と淡々としたるものです。

 

彼は本物だ!と確信しました。

 

久々に所蔵したくなるような作品に出会いました。

 

彼は現代アートの旗手で、今や引っ張りだこです。先日、NHK教育の「トップランナー」にも出演し、人気は急上昇。練馬美術館での本人出演の「アートトーク」も立錐の余地もないほどの超満員だった、ということがネットのブログに出ていました。

 

山口晃さんのことをもっと知りたければ、今は便利な時代で、ネットで検索すれば、分かると思います。でも、本物の作品はやはりみるべきですね。彼の細部での技巧に目を瞠らされます。

 

今度、彼に会って、お話を聞いてみようかと思います。

「京都五山 禅の文化展」

 摩周湖

 

上野の国立博物館・平成館に「京都五山 禅の文化展」を見に行ってきました。

 

京都五山とは、南禅寺を上位別格とし、第一位「天龍寺」、第二位「相国寺」、第三位「建仁寺」、第四位「東福寺」、第五位「万寿寺」を指しますが、この展覧会を見て、私は、禅について、何も何も知らなかったという事実に改めて気付かされました。

 

夢窓疎石や絶海中津、無学祖元らなら何とか名前と業績について、ついていけますが、東福寺開山円爾(えんに)の弟子で東福寺第三世と南禅寺の開山となった無関普門(むかんふもん、1212-91)や同じく円爾の弟子で東福寺第九世癡兀大慧(ちこつだいえ、1228-1312)、夢窓疎石に師事し、天龍寺や相国寺の住職などをつとめた春屋妙葩(しゅんおくみょうは、1311-1388)といった禅宗界では、知らない人はいない重要なキイパーソンを今回初めて知りました。

 

何しろ、中国から臨済宗とお茶を日本に伝えた栄西(ようさい)を、学生の頃は中国人だと思っていたくらいですから、恥ずかしい限りです。東福寺は、奈良の東大寺と興福寺の二つから取ったというのも知らなかったですね。

 

足利義満をはじめ、室町幕府の庇護を受けた京都五山の僧は、中国(明)との外交使節団の一人として加わり、通訳や文書製作などの細かい事務の仕事もしていたようですね。当時、外国語ができるインテリといえば、学僧ぐらいなので、当然かもしれませんが、宗教界だけではなく、世俗の外交官として活躍していたとは、はっとさせられる史実も教えられました。

 

「悠久の美」と「マーオリ 楽園の神々」展

ヴァチカン博物館

今日は久しぶりに芸術鑑賞に行ってきました。

上野の東京国立博物館 平成館で開催中の中国国家博物館(北京)名品展「悠久の美」です。

俗に中国4千年の何だら、かんだらと言いますが、そんなものではなく、出展された作品のうち、最も古いのが新石器時代の「彩陶瓶」で、紀元前4500年頃から同4000年頃のもの。何と、6500年も前の作品です!これらを眼前に見たときは、本当に愕然としました。その頃の日本は、まだ、縄文時代の前期でしょうが、裸同然の格好で、狩猟生活を送っていたのでしょう。

まあ、中国は四大文明の発祥地ですから、敵うわけありません。二里頭文化・商時代(紀元前19世紀ー前11世紀)の頃の爵、方鼎など、お酒を注ぐ容器や食べ物をお供えする器などが多く、結構生活に密着した作品がありました。

いずれにせよ、何千年も昔の作品を見ていると、人間の生命の儚さを感じてしまいました。

「悠久の美」展の真向かいでは、「マーオリ 楽園の神々」展が開催されていました。ニュージーランドの原住民の倉庫やカヌーや釣り針やペンダントやマントや櫛や楽器などが展示されていました。どれもこれも初めて見るものばかりでした。マーオリの男たちには全身に刺青を入れる風習があったようでした。

現在、ニュージーランドには、人口の15%しか、マーオリ人は住んでいない、とありました。人口のほとんどが、ニュージーランドを植民地として征服した人たちの末裔ということでしょう。