静岡県で最高の鰻重を食す

「しまごん」のうな重上 2800円

サッカーJ1のジュビロ磐田で有名な静岡県磐田市は、浜名湖に近いこともありまして、美味い鰻料理店が沢山あります。

そこで、観光客には知られていない地元の人のみに口コミで知られておりますが、いつも満員御礼、売り切れ続出の鰻店に連れて行ってもらいました。

活鰻「しまごん」

確かに、農道めいた脇道に看板が一つあるだけで、行き止まりのような寂しい細い道を行くと、このような店があります。

何か、小さな工場のようで、とても鰻屋さんには見えない!しかも、名前も変。店舗の裏は釣り堀になっているそうな。

生意気にも「うな重の上」を注文しました。待つこと30分。何という美味。外はカリッとして中がふわふわ。関東風の焼き方は、中も外も柔らかいので、全く違います。

秘伝のたれの旨いこと。お酒も進みます。

しかも、東京と比べるとかなり安い。何か、世界最高の贅沢をしたような気分でした。

女城主直虎館~浜松城の旅

気賀駅

8月26日は、女城主直虎さまの御命日ということで、静岡県浜松市の気賀に設営された「大河ドラマ館」を視察してきました。

ドラマでは、気賀は大型船が乗り入れることができる大きな港街のイメージでしたか、実際行ってみると、何の変哲もない田舎町(失礼!)で、恐らく、500年前ならもっと活気があったことでしょうが、すっかり寂れておりました。

気賀関所

そんな寂れた街に、巡業公演の見世物小屋風のものを突如出現させ、地元自治体が一生懸命に観光資源としてアピールしようと努力されてました。

全国津々浦々、どこの地方自治体も「大河ドラマ」をやってほしい、とNHKに嘆願に行くそうですが、なるほど、よく分かりました。地域活性化と景気対策なんでしょうね。

浜松市は、このドラマ館の横に、かつてあった「気賀関所」まで「復元」するなど涙ぐましい努力をされておりました。

しかし、意外にも、地元の人で、大河ドラマ「女城主直虎」を見ていない人が多いので、気が抜けてしまいましたが…。

入り鉄砲に出女

となると、当然、彦根城主の井伊家がこの浜松市郊外の井伊谷の出身だという史実さえ知らなかった人もいて、私なんかも「そういうもんかなあ」と少々驚いてしまいました。

浜松城

御案内の通り、井伊家が世に出るきっかけとなったのが、女城主直虎の後継の虎松こと井伊直政が徳川家康に仕え、関ケ原の戦いで、「徳川四天王」の名に連ねるほどの戦功を挙げたからでした。

これにより、直政は、西軍大将石田三成の領地だった近江国18万石を与えられ、直政は戦の傷が元で亡くなってしまいますが、その子直継の代に直政の遺志として彦根城が築かれるわけです。

江戸時代、井伊家は、譜代大名として多くの大老を輩出していくのは御存知の通りです。

徳川家康像

浜松市には「出世城」の異名を持つ浜松城で知られています。

家康が29歳から45歳まで居城したと言われてます。当時は、三方原の戦いで武田信玄に敗れたものの、今川家を滅亡させて、三河の小国から遠江一国を支配する大名に出世し、豊臣秀吉に仕え、「天下取り」まであと一歩の所まで登り詰めておりました。

私は、昔は、「狸爺い」と揶揄された権謀術策の塊の家康が大嫌いでしたが、彼が子供の頃に今川家の人質になって散々苦労していた話や、江戸幕府を開いた彼の業績を知れば知るほど、やはり、戦国大名の中ではずば抜けて凄い、尊敬できる人物だったと考え方も変わりました。

寺社仏閣巡りの「猫の足あと」はお薦めです

東京・目黒不動尊

IT関係で言えば、私が初めてワープロを買ったのは1985年。エプソンの「ワードバンク」という機種で、ディスプレイにはわずか数行の文字しか掲示されませんでした。

生まれて初めてパソコンを買ったのは1995年。アップルの「マックブック」という機種でした。初めてインターネットに接続しましたが、当時はまだダイヤル回線で遅く、画像が出ると驚きました。ブラウザはネットスケープナビゲーターという「N」のマークが印象的でしたが、今はとんと噂は聞きません。どうなったのでしょうか?

そして、ブログを始めたのが2005年で、10年起きに新しいことに挑戦してます。2015年は、特になく、黄泉の国に行ってましたけど(笑)。

まあ、IT関係は、比較的早い時期に挑戦していることを自慢したかっただけですが、実は、技術的なことは恥ずかしくも全く何も分かっておりません。

それが先日、海城学園の同窓会に参加して、若い後輩の皆さんの中には、結構IT関係の仕事をしている人が多く、「へー」と思っただけででした。

そしたら昨日、何気なく名刺を整理していて、海原メディア会の事務局長でIT会社の社長でもある松長氏の名刺の裏を見たところ、そこには「猫の足あと」と書いてあったので吃驚!知ってるぞ!と思い、彼に連絡して問い糾したところ、彼はあっさりと「へい、あっしがやりやんした」と、かつ丼をペロリと平らげたのです(笑)。

いやはや、少し脱線しました(笑)。

猫の足あと」とは、今のところ、東京、神奈川、千葉、埼玉など関東圏内にある寺院、神社の沿革、観光名所などが網羅されたサイトです。

私の趣味(と言っては怒られますが)に「寺社仏閣巡り」がありまして、たまたま自宅近くに全く知らなかった豪勢な神社を発見して、検索したところ、この「猫の足あと」に巡り合い、それ以降は、分からない時は、このサイトに頼るようになっていたのです。

まさか、世代が少し違いますが、高校の後輩が開設していたとは!灯台下暗しでした。

しかも、これらの寺社仏閣は、松長氏が全て自分の脚を使って廻り、自ら写真も撮ってきたといいますから、二重の驚きです。

「サイトの寺社仏閣は、貴兄が(全て・ほとんど・大体)取材、執筆したのですか?」との小生の質問に彼はこう答えました。

…江戸時代は自転車もない中、日本橋を出発したら初日の宿泊は、保土ヶ谷又は戸塚でしょうから、舗道をウオーキングシューズで歩くのは当時よりかなり楽でしょうね。
朝から夕方まで散歩を続けると4万歩、約30km、参詣寺社30~50くらいになります。

御朱印画像をくれる方、汚い画像を綺麗な画像に差し替えるように画像を送ってくる寺社様などの場合は、「画像は◯◯さんからの寄贈」と注記しております。
従って画像の全てが小生の撮影と言ってもいいでしょう。…

ひょっえー!ぶったまげました。

寺社仏閣巡りは、週末と祝日のみらしいですが、1日4万歩、50カ所とは大した魂消たです。

「江戸五色不動尊」や「秩父三十四カ所霊場」なども掲載されていますが、まだ、関東圏内に限られていたのは、1人で廻っているせいだったんですね。

ということで、お忙しい方もこの「猫の足あと」(←こちらをクリック)を覗いてみて下さい。

今度、IT関係に異様に詳しい松長氏から渓流斎ブログのホームページ化について、相談に行こうかと思っております。

「彩翔亭」は知られざる穴場かもしれません

航空発祥の地

大型連休最終日の昨日は、埼玉県所沢市にあるご先祖様のお墓参りに行って来ました。

もともと、掃台趣味がありますが、歴史に残る有名人とはいえ、所詮、赤の他人(笑)。やはり、自分をこの世に在らしめてくださったご先祖様には感謝を込めて、お参りしなければなりません。

航空発祥の地

まさに、掃台趣味とはよく言ったもので、私のお参りは、お彼岸の時に飾られたお花等の処分やお掃除が目的でした。

霊園は私鉄会社西武が沿線に開拓した広大な敷地を分譲したものです。特定の宗教には限定されていないので、仏教にも色んな宗派があり、キリスト教団のお墓もかなり散見されます。

ウチのお墓の敷地は、かなり広い方だと思われますから掃除が大変です。新緑の季節になり、雑草も生え出して、草むしりも大変でした。

彩翔亭

で、お参りが終わって、霊園の近くの駅に隣接するところに、航空公園があるので陽気に誘われて散策しました。

ここは日本の航空の発祥の地です。詳細はお調べ下さい(笑)。

亡父も志願して陸軍に入隊すると、どういうわけか、航空隊に配属され、この所沢に配属されたことがあるというので、縁が深いところです。

父は、昔は「色盲」と言われた「先天色覚異常」だったため、即、パイロット試験に不合格でした。もし、父が色盲でなかったら、終戦間近でしたから、恐らく、特攻隊にでも採用され、私もこの世に存在しなかったんだろうなあ、と感慨深くなります。

この先天色覚異常は日本人の男性の5%、女性の0.2%いらっしゃるそうですね。遺伝性と言われていますが、私を含む子供である兄弟は誰も遺伝していません。

彩翔亭

父は長じて、運輸省の航空管制官になり、ここ所沢にある航空管制本部で勤務したことがあるので、あらゆる意味で縁が深い土地だったわけです。

私も、この航空公園には、何度も何度も行ったことがあります。週末は大混雑で、駐車場が満杯になりますが、私は既に自家用車は手放してしまいましたので、いつでも行けるのが有難い(笑)。

彩翔亭

昨日は散策し、普段行ったことがない道を通っていたら、見たことがないお茶屋があったので思い切って覗いてみることにしました。

そしたら、あら、ビックリ。

京都と見紛うばかりの立派な雰囲気のある小さな滝も流れる日本庭園まであるではありませんか!看板を見たら「彩翔亭」とありました。

彩翔亭

ただ、看板には何の説明がないので、庭で草むしりをしていた係の人に「こんにちは」と声を掛けて、「この屋敷は、どなたか有名な方の別荘か、所沢市の所有なのですか?」と聞いてみました。

そしたら、「いいえ、(埼玉)県の所有ですなんですよ」と教えてくれました。

へー、知らなかった。こんなところに、こんな落ち着ける茶室と日本庭園があるなんて、わたしとしては大発見です。

彩翔亭

この彩翔亭について、スマホで検索してみましたが、結局、詳しい経緯は不明でした。ただ、ここは日本の航空発祥の地であり、国有地で、埼玉県が無償で借り受けていることが分かりました。

都心から離れていますが、西武新宿線航空公園駅から歩いて程なくしてこの彩翔亭がありますので、皆さんも機会があれば是非。

稲荷山古墳の国宝鉄剣と相見ゆ

さきたま古墳群

どなた様か分かりませんが、コメント有難う御座います。地方から東京に出てきた多くの若い人は、雑誌かネット情報で、世田谷とか目黒とか吉祥寺辺りに憧れて住みたがりますが、都内には意外と知られていない穴場があるわけです。

昨日は体育の日で、渓流斎の出所記念日に当たりましたので、遠足会を実施しました。

目的は、さきたま古墳群の稲荷山古墳で1978年に出土した115文字の金色の銘が刻まれた国宝の鉄剣の拝観です。

この企画に宇都宮氏の末裔で、古代豪族の流れをくむとも噂される栗林氏が賛同して下さり、十返舎一九さながらの弥次喜多道中で楽しくお参りができました。

まずは、埼玉県行田市の皆様には感謝申し上げます。JR行田駅東口に「行田市観光案内所」がありまして、そこで無料のレンタル自転車を拝借させて頂いたのです。

JR行田駅周辺には、驚くべきことに殆ど商店がなく、はっきり申し上げれば、かなり寂れており、道路の横断歩道の改修も何年もやっていない感じで、表示が薄れていました。市の予算がないのでしょう。

それなのに、無料で自転車を貸し出してくれるのですから、頭が下がります。

さきたま古墳群には、10基ぐらいの古墳がありまして、全てを回りきれませんでした。史料館の入場料は、200円という安さです。

お目当ての鉄剣は、本物は、東博か宮内庁で保管されて、レプリカが展示されているかと思いましたら、当時の埼玉県知事の畑和(はた・やわら=加須市出身。旧制浦和高校~東京帝大~弁護士)氏が「国宝鉄剣は、埼玉県の宝だから、県が責任を持って保管しよう」と提案して、茲、さきたま古墳群史料館で展示されるようになったそうです。これ以上錆びないように、つまり、酸化しないように、窒素ガスで、保存されておりました。

よく知られているように、この古代のさきたまの地名が、入間郡と争って県名になりました。もし、さきたまが敗れていたら、今頃、入間県になっていた可能性があるわけです。

史料館では、運良くボランティアの80歳前後のガイドさんと巡り会い、鉄剣の由来をじっくり説明して頂きました。やはり、第21代雄略天皇の時代のものらしく、鉄剣の銘には、この剣の持ち主の祖先は代々天皇の親衛隊長を務めていたと書かれているそうです。

この埼玉の豪族が、大和の天皇族との交流があった確かな証拠ですが、この埼玉の豪族がもともと大和の豪族で、埼玉に移住したのか、埼玉の豪族が大和に行ってまた戻ってきたのか、不明で、まだ解明されていないそうです。

しかも、これだけ広大な古墳をつくる豪族ですがら、邸宅跡や統治した民の住居跡があるはずなのに、古墳近辺では未だに発見されていないそうです。(周辺の火山噴火による埋没説もあるそうです)

これだけ権力を振るった埼玉の豪族の名前も不明。まさに、謎だらけです。

古墳と言えば、関西や九州にあるとばかり思っていましたが、関東にもかなり多く発掘され、今の千葉県や茨城県にはかなりあることが史料館の地図に描かれていて、私は知らなかったので、大変勉強になりました。

さきたま古墳群は綺麗に整備されて公園のようになっており、家族連れが目立ちました。

天下のNHKでは、今、古墳がブームで、沢山の古墳女子が溢れていると放送してましたけれど、一人も見かけなかったなあ…

忍城

古墳近くの小汚いお店で、名物のゼリーフライ(お好み焼き)を食してから、マイカー(レンタル自転車)で、忍城に行きました。

あの石田三成も落とせなかった「のぼうの城」として、小説化、映画化されて一躍全国区的に有名になりました。

城内は史料館になっていまして(入場料200円)、江戸時代、この忍城は徳川家康の四男が城主になったことから、譜代大名として多くの老中を輩出した雄藩だったということも初めて知りました。

いやあ、今回は、かなり収穫のある遠足会でした。

スッピンマスク

ミラノ

先日、テレビで、「イタリア人は、マスクをしない」といったバラエティー番組をやってましたが、イタリア人は、マスクをしないどころか、マスクそのものを知らないといった風情でした。「暑苦しい」と、イタリア人は、すぐマスクを外してしまうのです。

で、そんな中で、この間のイタリア旅行の 帰国のミラノ国際空港で、ツアーで一緒だった日本人の若い女性の殆ど全員がマスクをかけていたので、それはそれは異様な光景でした。

これは、後から聞いたら、「スッピンマスク」と言うらしいですね。詳しい事情は、以下の通り。

今回のイタリア旅行のツアーには33人が参加しました。親子3人、初老の熟年アベック(死語)、女友達同士、新婚のハネムーンカップルなどでした。

その中で一番目立っていたのが、たった一人で参加した若い女性でした。お人形さんのように可愛らしく、二十歳そこそこの学生さんに見えました。

「こんな若い女性が一人で参加して大丈夫かな?相手は世界一腰が軽いイタリア男だからなあ」と内心心配しておりました(笑)。

そのうち顔見知りになり、少し話をしたところ、見掛けとは全く違って、かなり男っぽくて、物怖じしない性格だということが分かりました。また、美大を卒業してキャラクターデザインの会社で働くデザイナーさんであることも分かりました。

で、そのお人形さんのような清楚な彼女が、帰国のミラノ空港にいないのです。添乗員さんの点呼でやっと分かったのですが、彼女はお化粧をすっかり落として、コンタクトからぶ厚い眼鏡を掛け、顔全体をマスクで覆っていたので、近くにいても分からなかったのでした。

日本とイタリアは、13時間の長期フライトです。その間、若い女性は、お肌のために化粧しっぱなしでいるわけにはいかず、スッピンになるそうですが、その顔を隠すためにマスクをしていたわけです。

こんな奥床しいことをするのは、世界は広しと言えど、大和撫子だけでしょうねえ。

でも、清楚なお人形さんの風貌が全く分からなくなってしまったことには、参った、参った。見てはいけなものを見てしまった感じです(苦笑)。

イタリア余話もうええわ

ミラノ大聖堂ドゥオモ

イタリアでは、800枚以上写真を撮ってきましたので、頭の中でも整理がつかず、カオス状態です(苦笑)。

実のところ、帰国して3日も経つのに、時差ボケです。日本とイタリアの時差は7時間で、昼夜が逆転してますから、しょうがないでしょう。一昨日はまだ、緊張していたのか、時差ボケはなかったのですが、昨晩辺りから夜寝づらく、朝からボーとしている状態です。

ですから、渓流斎ではなく、渓流亭木瓜作にでも改名しようかなあ、と愚考している次第。

◇イタリア人気質

まだ、イタリア旅行の話が続きますが、お世話になった添乗員Kさんのイタリア人気質の話が面白かったので、ご紹介します。

??イタリア人の血液型は、B型でマイペースな人が多く(B型の人は失礼!)、何よりも仕事よりバカンスの方が大事。

お金がなくても、借金をして休暇を取って、遊興費に使うそうな。そして、その借金を返すために仕事をするという人生パターンだそうです。

A型で真面目勤勉な人が多い日本人とは対極です(笑)。ちなみに、どうでもいいですが、小生はO型。

??ローマ市民は自転車に乗らない。事故が多く、すぐ盗まれてしまうからだそうです。自宅マンションの敷地に置いておいても盗まれるので、エレベーターで部屋の中にまで運ばなければならないそうです。

たまたま、ローマ市内で自転車に乗っている人を見かけたら、その人は、ローマ市民ではなく、観光客。

ヴェニスでは、自転車走行は禁止されているそうです。確かに見かけなかった。

一方、ボローニャあたりでは自転車が多く、事故も多いそうな。

ローマ市内では、歩道信号が少なく、歩行者が渡る意思表示を明確にして歩道を渡ります。優柔不断だと運転手は突っ込んできます。多少、命懸けです。

(ドトールで、アイスコーヒーとミラノサンドを注文して、イタリアを懐かしんでいます)

【追記】
そう言えば、(とはいっても、たった今、京洛先生からのメールで啓示を受けたのですが)イタリアには、ビットリオ・デ・シーカ監督の名作「自転車泥棒」がありましたね。伝統だったとは…?

イタリア余話

ラオコーン ヴァチカン

困りましたなあ。
天下のyahooが、ハッカーによって情報漏洩したらしく、小生のところにも、旅行中にメールで連絡がありました。

笑ってしまいますが、深い謝罪の文面なし!とにかく、情報漏洩の事実経過と、「早くお前のパスワードを変更しろ。さもないと痛い目に遭うぞ」と、事務的な文句を並べるだけ。いかにもアメリカらしい(笑)。

そう、いつのことか忘れましたが、私も一度、日本のヤフーではなく本家アメリカのyahooに登録していたのです。しかし、アドレスもパスワードも忘れてしまい、変更どころではありません。

何しろ、登録していたこと自体すっかり忘れていたので、どこまで個人情報を登録していたのかさえ覚えていません。住所氏名はともかく、まさか、銀行口座まで登録していないことを願うばかりです。

◇ヴェローナにはコロッセオまであった!

イタリア旅行の余話ですが、今回初めて訪れたヴェローナという街は、意外にも大きな街だったので驚いてしまいました。

シェークスピアの「ロミオとジュリエット」の舞台になった街で、戯曲の世界なのに、ちゃんとロミオやジュリエットが住んでいた館があり、特にジュリエットの館にはジュリエットの像がありました。

そのジュリエットの像の胸を触ると幸福になるという言い伝えがあるらしく、観光客は列をなして、公序良俗に反する行為を白昼堂々と行って、あろうことか、男も女も写真まで撮って歓呼の雄叫びをあげておりました(笑)。

このヴェローナの街は、自然のアディジェ川と高さ5メートルぐらいの要塞に囲まれて、敵からの浸入を防ぐようになっていました。

そして、驚いたことに、ローマと同じようなローマ帝国時代のコロッセオがあり、その日は、何かの音楽公演で使われていました。2000年以上前に建てられたのに、いまだ現役とは!

「ロミオとジュリエット」は、確かにシェークスピア作ですが、10年程前に、ポーツマス大学のブレンダ・ジェームズ講師らによって、一連の作品の作者は、外交官で国会議員だったヘンリー・ネビル(1562~1615)ではないかという説が提起されました。

10年も経っても、定説が覆っていないので、シェークスピアとは今でもグローブ座の座付作家兼俳優ということになっていますが、このシェークスピアは、庶民階級で一度も英国外に出たことがないというのが、長年、疑惑の一つになっています。

シェークスピア作品の中で、「ロミオとジュリエット」と「ヴェニスの商人」「ジュリアス・シーザー」などはイタリアの話ですし、「ハムレット」もデンマークが舞台です。

ネビルは、オックスフォード大学を出て外交官になり、フランス大使にまでなった人で、海外経験は豊富です。貴族出身なので、宮廷や貴族マナーに精通しています。シェークスピアより2歳年長で、ネビルのいとこがシェークスピアの友人であったことから、いとこを通じて二人は知り合ったのではないかといわれています。

ネビルは、作品を通して政治的メッセージを伝えるのに、シェークスピアのゴーストライターになる必要があったというのがジェームズ氏らの説です。

(中途半端ですが、一旦ここまで)

イタリア、Itali、いたりあ

 ミラノの大聖堂ドゥオモ(初めて中に入りました)

1週間ぶりのご無沙汰でした。

9月15日(木)から22日(木)まで、7泊8日でイタリア旅行を敢行しておりました。人にはそれぞれ、諸般の事情と人生の区切りというものがありますからね。

この渓流斎ブログは、「安否確認情報」も兼ねておりますので(笑)、渓流斎は、天候にも大変恵まれ、無事、怪我も事故も盗難もなく、元気に帰国できましたことをご報告申し上げます。大袈裟な…(笑)。

 ヴェローナ(「ロミオとジュリエット」の舞台)は世界中からの観光客でいっぱい

実は、イタリア渡航は、これで4度目でした。今回は、北部ミラノからヴェローナ~ヴェネチア~フィレンツェ~サンジミニャーノと南下しまして、最後はローマ、ヴァチカン市国といったコースでした。

「ロミオとジュリエット」の舞台になったヴェローナと、中世に皇帝派と法王派との間で血生臭い争いが繰り返され、70もの塔が建てられたサンジミニャーノが今回初めて行く所でした。

旅行中は、新聞も読まず、イタリア語が分からず現地のテレビを見てもあまりよく分からず。ホテルのWi-Fiを使ってスマホでちょっとネットニュースを確認した程度ですから、今は、「ここは何処? 私は誰?」の浦島太郎さん状態です。

まあ、たまには「情報過多」からの避難・脱出も、精神衛生にはいいことでしょう。

安心安全なツアーに参加したため、朝早くから夜中遅くまで、引き回されまして、大変疲れましたが、1週間、ただただ旅行漬けで、他のことを全く考えなくて済みました。

 ヴェニス(「水の都」はまた水浸しでした)

本も一切読まず、イタリアの空気を吸い、イタリアの料理を食べ、イタリアのベッドで寝るという肌で体感する毎日でした。

生まれて初めてイタリアに行ったのは、もう37年も大昔なのですが、当時はそれほど観光客でごった返していなかったような気がします。

しかし、今回は、どうやら、噂では、テロの襲撃に見舞われたフランスやドイツやベルギー等への旅行が控えられ、世界中の観光客がイタリアに押し寄せたらしいのです。だから、大混雑。

とにかく、文豪ゲーテにしろ、音楽家メンデルスゾーンやドビュッシーにしろ、芸術家たちが引き寄せられる、あまりある魅力がイタリアにあることは間違いありません。

 フィレンツェ(ウフィツィ美術館のボティチェリ「春」は人気ナンバーワン)

イタリア旅行については、また、これから、追々書いていくと思いますが、今日は、帰国早々の感想を並べてみたいと思います。添乗員・ガイドさんらに聞いた話、街を歩いて感じたことなどです。

・イタリアといえば、何と言っても古代帝国の首都ローマがナンバーワンだと思っておりましたが、今回見直したのはフィレンツェでした。フィレンツェは、イタリアの古都として知られ、日本の京都と姉妹都市を結んでいるそうな。

・皆さんご存知の通り、イタリアは、1861年に全国統一(Risorgimento=リソルギメント)される前まで、諸国に分かれておりました。トスカーナ、ヴェネチア、ナポリ、サルデーニャ(ヴィットリーリオ・エマヌエーレ2世)、ローマ教皇領などです。ということで、各地域の言葉が通じないほど、違っていて、現在もかなり「なまり」があるそうです。

・この中で、一番綺麗なイタリア語は、ローマではなく、フィレンツェなんだそうです。(1865~70年は、イタリア王国の首都だった)。フィレンツェは、何と言っても、盛期ルネサンスの中心地で、レオナルド・ダヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロの三大巨匠が活躍した都市です。

 サンジミニャーノ(中世の塔の街。13~14世紀、皇帝派と法王派が血と血で争って70もの塔が建てられたとか。現地特産の白ワイン「ヴェルナーチャ・ディ・サンジミニャーノ」は、お買い得。コープで4・90ユーロ。ミラノ空港免税店では、1本13・50ユーロと3倍近く跳ね上がっていました)

・これら、三代巨匠芸術家らを保護していたのが、市の君主だったメディチ(Medici)家でした。メディチ家は、金融業で莫大な財産を築いて政界に進出して、実権を握りますが、もともと、医者の家系だったらしく、英語のmedicine(医学、薬)は、このメディチ家からきたらしい。

・また、このメディチ家から、フランスのアンリ2世妃カトリーヌとアンリ4世妃マリの二人の王妃を輩出します。(他に、クレメンス2世とレオ10世の二人の教皇も)。フランス王家に嫁いだこの二人の王妃は、メディチ家から料理人を何百人もフランスに連れて行ったそうです。当時のフランスは遅れた国で、ナイフとフォークさえなし。4本に分かれたフォークはメディチ家が伝えたそうです。もちろん、後に、隆盛を誇るフランス(宮廷)料理も、もともとはイタリア料理だったというわけです。

・フィレンツェ共和国出身のミケランジェロは、ローマ市庁舎の階段と庭園設計や、サン・ピエトロ寺院の「ピエタ」、ヴァチカンのシスティーナ礼拝堂の天井壁画(「最後の審判」など)を製作して、ローマで大活躍しますが、お墓はフィレンツェのサンタ・クローチェ教会にありました。

・このあまりにも有名なシスティーナ礼拝堂の壁画ですが、ローマ教皇ユリウス2世から依頼されて渋々応じたそうです。なぜなら、ミケランジェロの本職は彫刻家で、フレスコ画を描いたことがなかったからです。しかし、4年の歳月をかけて、艱難辛苦を跳ね除けて堂々と完成させるのですが、色んなエピードもありますので、ご興味のある方は、参考書を手に取ってみては如何でしょうか。

 ローマ・コロッセオ(ローマといえば、コロッセオかな?今でも、猛獣と人間が剣闘していると思っている人がいました。とはいえ、2000年以上昔の建物なのに現在も公演などに使われています)

・とにかく、何処に行っても、人、人、人でした。この時期、日本のような「シルバーウイーク」ではあるまいし、皆さんお仕事していないんでしょうかねえ?ま、小生と同じように、休暇を取ってらっしゃった、と解釈しましょう。

・観光客は圧倒的に白人が多かったです。でも、何処の国の人か分かりません。言葉を聞けば少しは分かりますが、外見ではさっぱり分かりません。イタリア在住20年のガイドさんが面白いことを言っていました。「私には、何人(なにじん)か分かりますよ。服装を見れば分かります。イタリア人とフランス人は、ファッションの国ですから、まあ、ファッショナブルな格好をしています。それに比べて、スペイン人は、少しダサい(笑)。ドイツ人の服装は、機能重視という感じです」。

・そう言えば、イタリアは先進国とはいえ、失業率も高く(ナポリは30%だとか。ひえー)、日本以上に貧富の格差は大きいようです。それに、民族差別といえば、言い過ぎかもしれませんが、どうしても、ルーマニアなど旧東欧系は低くみられる傾向があるようです。街で、物乞いをしている人は、その顔だちから、ほとんどがロマーノ(ジプシー)系。犯罪スリ集団もロマーノ系が多いようです。ローマのテルミナ駅周辺で、手持無沙汰で屯していたのは、中東系、インド、アジア系とアフリカ系。道路の「中央分離帯」で掃除や植栽しているのは、イタリア人ではなく、ほとんどアフリカ系でした。道路で、観光客相手に、スマホの「自撮り棒」などを売っているのは、圧倒的に、アフリカ系か、インド系の人でした。イタリア人はいなかった。

・道で物売りしているアフリカ系のお兄さんからは、よく「ニイハオ」と我々のツアーは声を掛けられた。これも、30年前にはなかった現象。「俺たちゃ、日本人だあぁぁ」。

 ヴァチカン市国サン・ピエトロ寺院(エレベーターで中2階まで登った後、恐怖の閉所300階段。しかし、昇った人しか見られない光景が!)

・イタリアは4度目と書きましたが、今回初めて、ミラノの大聖堂ドゥオモの中に入りました。入場料2ユーロ。

・何と言っても、ハイライトだったのは、ヴァチカン市国サン・ピエトロ寺院のドームに登ったことです。入場料8ユーロ。途中までエレベーターで行けますが、そこからは、人間一人が登れるスペースしかない階段を300段以上も昇るのです。膝が笑いました。

・しかし、ドームの屋上からの眺めは絶景。エヴェレストでは大袈裟なので、高尾山の頂上に登った気分でした(笑)。

・前回行ったときもそうでしたが、ヴェネチアのサンマルコ広場は、最初はよかったのですが、帰りの集合時間の14時までに戻ろうとしたら、またもや広場は水浸し。歩くのが大変で、集合時刻に間に合うか、冷や冷やでした。

・旅行中、添乗員さんが気をきかして、プッチーニの歌劇「トゥーランドット」の「誰も寝てはならぬ」をパヴァロッティの歌唱で聴かせてくれましたが、イタリアで聴くと何とも感動が倍増し、涙が出てきました。その土地の乾燥した風土といいますか、気候といいますか、そんなもんが音楽に作用されることに初めて気がつかされました。

・イタリアは、やはり、ロックは似合わないでしょうね。やっぱり、カンツォーネ。そして、何と言ってもオペラです。

・帰国して、無性にイタリア映画を観たくなりました。フェデリコ・フェリーニもいいですし、あらかた観てしまったヴィスコンティでもいいですし、「ニューシネマ・パラダイス」「鑑定士と顔のない依頼人」のジュゼッペ・トルナトーレでもいいです。最新作「ある天文学者の恋文」もいいかな?

仏ニースでテロ事件があり昔を思い出す

Paris C’est a moi.
Oh! Mon Dieu !

7月14日のフランス革命記念日の祝賀祭を狙ったと思われる仏南部ニースで起きたテロ事件には非常な衝撃を受けました。

84人が死亡、100人以上が重軽傷と伝えられています。犯人は、チュニジア生まれで仏との二重国籍を持つ31歳の運転手と言われ、トラックで花火を見物していた群衆に突っ込み、銃を乱射した無差別殺戮と言われています。

まだ、動機や背景については捜査中ですが、現場となったプロムナード・デ・ザングレ(「英国人の遊歩道」という意味)というコート・ダジュール(紺碧海岸)沿いの通りは、国際観光都市ニースのメイン・ストリートで、有名な夏祭りやカーニバルのパレードもそこで行われます。

私が大変なショックを受けたのは、遥か遠くの大昔、渓流斎がまだ学生時代だった頃、ここを訪れたことがあったからです。大学のフランス語の恩師マリ=フランス・デルモン先生のお兄さんが、このプロムナード・デ・ザングレに面したマンションに住んでおられ、ちょうど我々と年恰好が近かったデルモン先生の姪っ子に当たる美女二人とそこでお会いしたことがあったからです。

城壁を歩く Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

デルモン先生のお兄さんは、ニース大学の医学部の教授でした。旅先で知り合った日本人今村君と他に誰かいたか忘れてしまいましたが、突然訪れたのにも関わらず、一家は歓待して出迎えてくれて、奥さんの手料理を振る舞われたことをよく覚えています。

今のように、インターネットも何もない時代ですから、牧歌的で、デルモン先生には図々しくもニースに行く予定だということはお伝えしていましたが、いつ、何時に行くのか未定で、住所と電話番号をお伺いしたことだけは覚えています。

先ほど、今はアメリカに住んでいる今村君にメールしたところ、自分は、姪っ子さんの名前を間違って彼に伝えていたことに気がつきました。彼の方がよく覚えていました。

何しろ、彼は、いつ何処から用意したのか、盗んだのか(そんなわけないか=笑)、旅行途中のノミの市で買ったのか、分かりませんが、今村君はネクタイを着用して、ちゃっかり、紳士ぶってフランス人の美人さんと一緒に写真に収まったぐらいですからね(笑)。

そして獅子に見送られ Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

私が勘違いしていた姪っ子さんの名前はイザベラさんで、愛称はザザでした。一度、彼女が日本に遊びに来た時、二回ほど会ったことがありました。私がニースに行ったとき、ザザは確か、米国に留学中で、彼女はその後、ジョディー・フォスターが映画「羊たちの沈黙」で演じたようなFBI訓練生になったと思いましたが、その後どうなったか、音信不通になってしまい、分かりません。何しろ、フランス人が、アメリカのFBI捜査官になれるかどうかも不明で、記憶違いかもしれません。

その頃、ニースにいたのは、確かザザの妹のマニュエラさんで、これまた不確かですが、ザザとマニュエラの従妹に当たる16歳のクリスチーナちゃんもいました。16歳といっても、フランス人のおなごはませていますから(笑)、20歳過ぎに見えましたが。

家族が住んでいたのは10階建てぐらいの高級マンションの確か最上階で、鍵が二つぐらい開けないと入れないほどセキュリティがしっかりしていて、当時そんなマンションは日本では見たことがなかったので、驚いた印象があります。

そのバルコニーからは、ちょうど、プロムナード・デ・ザングレでのお祭りのパレードが見え、多くの観光客でごったがえしていました。バルコニーは、まさに特等席でした。

あの時の御礼をしなくてはならないのに、先生一家とは音信不通となってしまい、そのまま月日が流れてしまいました。

そしたら、このテロ事件です。

教授夫妻も、マニュエラさんもクリスチーナさんも、まさか事件に巻き込まれていないでしょうが、妙に心配です。

パレードを観た後、マニュエラさんの提案で、若いもん同士だけで、近くのカフェバーに行き、未成年のクリスチーナちゃんだけはお酒を頼めないので、ふくれっつらをしていたことを思い出しました。

翌日は、今村君と二人で、コートダジュールで泳いでいたら、日本人の若松さんと、あと誰だったか…3人娘とばったり会ったことも思い出しました。

残忍なテロ事件の話から、全く関係ない青春時代の思い出を披露してしまいましたが、テロ事件とは、そんな他愛のない日常生活を不条理にも断ち切るということで、どんな大義も何もない、本当に許しがたい卑劣な行為だということは強調したかったのです。

【追記】
来週は、渓流斎の記念すべき区切りの誕生日ですので、京都は老舗「鼓月」の桃山の中でも天下一品「華」を取り寄せてお祝いに贈りました。楽しみだぎゃがな。