行動遺伝学とは何か?=橘玲、安藤寿康著「運は遺伝する」は読み応えあり 

 数日前から少しずつ橘玲、安藤寿康著「運は遺伝する 行動遺伝学が教える『成功法則』」(NHK出版新書、2023年11月10日初版)なる本を読んでいます。有楽町の三省堂書店にNHKラジオのフランス語のテキストを買いに行って、ついでに書棚を覗いていたら、偶然この本が見つかったのです。まさに、セレンディピティ(思い掛けぬ幸運)かもしれません。

 この本は、三省堂有楽町店の新書部門で第1位を獲得していたので目立つ所にありました。中をパラパラめくっていたら、こんな文章に巡り合いました。(ちなみに、この本は、「言ってはいけない」などで知られるベストセラー作家の橘氏と、「能力はどのように遺伝するのか」を今年出版した行動遺伝学者の安藤慶大名誉教授との対談で構成されています。)

 病気になったり、近しい人が亡くなったり、強盗に遭うなど、一般的に運が悪かったとされる偶然の出来事と、離婚や解雇、お金の問題など、本人にも責任があると見なされる出来事を比較したところ、偶然の出来事の26%が遺伝で説明でき、本人に依存する出来事の遺伝率30%と統計的に有意な差はなかった。(14ページ)

 えっ?どういうこと???  次にこんなことが書かれています。

 よく考えてみると、病気には遺伝が関わっているし、…強盗に遭うのは確かに運が悪かったのでしょうが、危険な場所にいたり、目立つ行動をとったりしたのが原因だとすれば、そこにも遺伝の要素がある。知人が交通事故に遭ったら、「運が悪かったね」と同情するでしょう。でもそれが信号を無視して横断歩道を渡ろうとしたり、無理な追い越しをしようとして起きたら単なる偶然とは言えない。そう考えれば、私たちの人生の全てを遺伝の長い影が覆っていて、そこから逃れることができないのではないでしょうか。(15ページ)

 この渓流斎ブログを長年お読み頂いている皆様はご承知かと存じますが、私は色んなことに好奇心を働かせております。そのうちの一つが、「人間は、遺伝で決まるのか、育った環境によって決まるのか」といった難題です。俗に言う「氏(うじ)か、育ちか」、「生まれつきか努力か」、Nature or Nurture? です。だから、これまで苦労して人類学や進化論に関する書籍を読んできたのです(苦笑)。

 でも、我思うに、もしこれが、AかBかの二者択一問題だとしたら、日本人は圧倒的に「氏」を尊重してきた民族だと言っても良いのではないでしょうか。天皇制にしろ、武家社会にしろ、現代政界にせよ、芸能の歌舞伎の世界にせよ、「世襲」を重んじてきたからです。

大興善寺(佐賀県)

 この本では、作家の橘氏が、行動遺伝学者である専門家の安藤氏に質問を投げかける形で対談が進んでおりますが、博覧強記のお二人ですから、私なんか全く知らなかった多くの文献を引用されています。例えば、行動遺伝学の大御所ロバート・プロミンは、著書「ブループリントーDNAはどのようにして、私たちが何者であるかをつくりあげるのか」を出版し、遺伝子レベルで行動遺伝学の知見が証明されたと「勝利宣言」したといいます。 

 また、行動遺伝学の大立者エリック・タークハイマーは「行動遺伝学の3原則」(原則1:人間の行動形質は全て遺伝の影響を受ける。 原則2:同じ家庭で育ったことの影響は、遺伝の影響よりも小さい。 原則3:人間の複雑な行動形質に見られる分散のうち、相当な部分が、遺伝でも家族環境でも説 明できない。)を提唱し、この3原則が今や、行動遺伝学の基本中の基本になっているようです。

 そんなことを急に言われても、何のことを言っているのか分からないと思いますので、そもそも行動遺伝学とは何かと言いますと、知能や性格を含めて、あらゆる行動や心の働きが遺伝の影響を受けるというのが原則だという学問です。おおよそですが、知能は60%ぐらい遺伝子の影響を受け、「協調性」や「外向性」や神経質」などの性格は、30~40%遺伝によるというものです。行動遺伝学は、主に、双生児(一卵性、二卵性)の方々を長年追跡して科学的知見を追究していきます。

 そこで、この本は、まさに「遺伝か環境か、どちらなのか」の議論が展開されています。1冊の本になるぐらいですから、色んな所見が出てきて面白い読み物になっていますが、なかなか結論は出てきません。色んな要素が複雑に絡み合っているからだというのです。結局、ヒトは、遺伝と環境の要素を50%ずつ受けているのが正解なのでしょうが、「30%の遺伝でも多いと言えばかなり多い」「偶然であっても、遺伝的に必然だったかもしれない」などと言われると、こちらも思わず頷いてしまいます(笑)。

大興善寺(佐賀県)

 さらに言えば、例えば、私は、電車やバスや職場などで嫌~な奴に遭遇することがあるのですが、彼ら本人だけが悪いのではなく、生まれつきの遺伝の産物なんだと思うと、あまり腹が立たなくなるんですよね(笑)。

 「病気になったのは遺伝のせい」「学力がなく、年収が低いのも全て遺伝のせい」ということにすれば、大変気が楽になりますが、この本をじっくり読めば、行動遺伝学はそこまで結論づけて断定的に言っていない、ということになっています。「じゃどっち何だ!」と思う方はこの本を読むしかないでしょう。そして、自分自身で納得する結論を引き出したらどうでしょうか。

「友愛がなければ幸福ではない」とはどういうことなのか?=「アリストテレス ニコマコス倫理学」

 昨日の「哲学によって救われたお話=『アリストテレス ニコマコス倫理学』」の続きです。こうして毎日のようにお読み頂いております皆さまには大変感謝申し上げます。

 前回と同じように、NHKのEテレの番組とテキスト「アリストテレス ニコマコス倫理学」によって救われたお話をします。それは番組最終である第4回の「友愛とは何か」です。

 アリストテレスの倫理学では、人生の究極の目的とは、賢慮、勇気、節制、正義などの「徳」を身に着けて幸福を追求することでした。そして、この徳を身に着けるには単独で、自力だけで身に着けることは難しい。「友愛」がその助けになるとアリストテレスは説きます。そして、自分の殻に閉じこもって孤独でいるよりも、「友愛がなければ幸福ではない」とまでアリストテレスは言うのです。

 その友愛こそが、私自身、個人的に、ここ何年も何年も悩み抜いてきたことだったので、この番組を見て、またテキストを読んで、目から鱗が落ちるような感覚でした。悩みが解消したとか、なくなったというわけではありませんが、その悩み=友愛とは何か、といった難問の正体が分かったのです。(以下は、テキストの用語をそのまま使うのではなく、テキストから少し離れた自分独自の解釈や見解も展開しております。)

 アリストテレスによると、友愛には3種類あり、それは①人柄の善さに基づいたもの②快いものに基づいたもの③有用性に基づいたものーだと言います。また、友情ですから、その条件として、相手に善を願ったり、暗黙の了解でもいいですから、お互い認め合う「相互性」がなければなりません。

 この伝でいきますと、あれほど仲良くしていた友人と疎遠になったり、没交渉になったりする理由がよく分かりました。一番分かりやすいのは、③の有用性に基づいたものです。分かりやすく言えば、友人とはいえ、(しょうがなく)打算的に付き合っていたに過ぎなかったということになります。具体的に言えば、仕事関係の友人が挙げられます。何でもいいのですが、仕事上の付き合いで情報交換したり、一緒にお酒を呑んだりしてかなり親密になります。しかし、仕事(や担当)が変わったり、退職したりすれば、疎遠になります。「有用性」がなくなったからです。こちらが幾ら、仕事を離れてもプライベートでも友人だと思っていても、相手が「こいつはもう使い道がない」と思えば、年賀状やメールの返事も敢えてしなくなったりして、交際を絶ち切ります。つまり、理由は、こちらの落ち度とか何か相手に不愉快なことをしたわけではなく、相手が有用性がないから断ち切ったに過ぎなかったのです。こちらが誤解していただけで、最初から打算的な付き合いだったということになります。

 ②の快いものに基づいたものも、同じようなことが言えます。一緒にいて楽しいとか、バンド演奏して楽しいとか、話をしていて面白いといった刹那的な快楽にだけ基づいた友情では長続きしないということです。そのうち、ちょっとした意見の食い違いとか、相手の冷たい態度に接したりすると、もう顔も見たくないという状況になるわけです。友愛とは壊れやすいものなのです。

磐田市香りの博物館

 そこで、アリストテレスは「完全な友愛とは、徳において互いに似ている善き人々同士の友愛である」と述べ、①の人柄の善さに基づいた友愛に最も着目します。人柄はそう簡単には変わらないので、人柄に基づく友愛には持続性がある、とまで言っています。このテキストを執筆し、番組にも出演していた山本芳久東大大学院教授によると、アリストテレスの言う人柄の善い人というのは、単なる「お人好し」ではなく、人間として充実した在り方をし、そのことに「喜び」を抱きつつ日々の生活を送っている人だといいます。そういう人同士が親しい関係を結べば、相手への信頼関係の中で心が開かれ、自ずと楽しい時間を過ごすことができるといいます。

 なるほど。快楽や有用性に基づいた友愛とは全く違うものでした。つまり、相手が困っている時は、「有用性」がなくても、打算抜きで助けてあげるとか、お互いに認め合って、慰め合って、喜びも悲しみも共有することこそが「人柄の善さに基づいた友愛」だと言えるのです。

新富町

 しかし、アリストテレスに言わせると、このような友愛は稀なものだとも言います。何故なら、様々な徳を兼ね備えている人なんてそもそも少なく、そのような友愛を形成するには長い時間と吟味が必要だからだといいます。

 ただ少なくとも、個人的には、何人かの友人が疎遠になった理由が分かったことは大変な収穫になりました。「何でだろう?」「自分は何か悪い事でもしたのだろうか?」などと、これまでその理由が分からず悩んでいたのです。結局、彼らにはそんな複雑な理由があるわけではなく、単に飽きたとか、利用価値がなくなったから、という理由だったのです。

 うーむ、これもなるほどですね。SNSで、実際に会ったこともないのに、「お友だち」なった人が友愛と言えるかといえば、これは真の友愛ではないでしょう。友人の数の多さだけを自慢するための「ネタ」に過ぎないからです。

 アリストテレスの言う「友愛は稀なものだ」という主張もよく分かりました。有難いことに、こんな私でも、いまだに付き合ってくれている何人かの友人がおります。彼ら、彼女らを大切にして、これからも幸福を追求して生きていく所存で御座います。

哲学によって救われたお話=「アリストテレス ニコマコス倫理学」

 NHKのEテレで10月に放送された「100分de 名著」の「アリストテレス ニコマコス倫理学」があまりにも面白かったので、書籍(600円)まで買ってしまいました。

 テレビでは、タレントの伊集院光さんが毎回、落語に登場する与太郎のような役回りで、講師の先生(今回は、山本芳久東大大学院教授)に基本的なことを質問したり、自分の体験談や意見を開陳したりし、それはそれで大変面白かったのでした。

 でも、映像や動画から得る知識と、活字から得る知識とではやはり違いますね。何が違うかと言いますと、脳で処理する部分が違うんじゃないかと思っています。あまり勝手なことを言うと脳科学者から怒られるでしょうけど、映像から得る知識は、話し手の動作や声色などから感情的に処理するような気がします。活字は、活版印刷のように脳に刻み込んで情報を処理する感じです。

東京国際映画祭2023(有楽町)

 まず、テキストを購入するぐらい番組で感激したことは、私自身、倫理学に関して間違って解釈していたことでした。倫理学というのは、「こうするべきだ」とか「こうしなければならない」といった「人の道」を説く学問だと思っていたのです。こちらは、18世紀のプロイセンの哲学者イマヌエル・カント(1724~1804年)が確立した哲学で「義務論的倫理学」と呼ばれます。

 しかし、紀元前4世紀の古代ギリシャのアリストテレス(紀元前384~322年)の倫理学は全然違うのです。「人生の究極の目的とは幸福になることだ」と説いているのです。ただし、幸福になるのには、他人を押しのけたり、人の道に反するなど手段を選ばないことは推奨しません。「人は徳を身につけてこそ初めて幸福を実現することができる」とアリストテレスは説きます。これを「幸福論的倫理学」、もしくは「徳倫理学」と呼ばれます。

 アリストテレスは今から2300年以上昔の人ですから、こちらの方が、本家本元だったんですね(苦笑)。私は、ここ数年、人類学や進化論や宇宙論や量子論などにはまってしまい、「人生とは何か」「人生の意味と目的は何か」などについて哲学的ではなく、科学的に考えていました。その結果、人生には意味も目的もなく、生物学の見地からは、地球46億年、いずれ人類は滅亡し、「生き永らえることだけが目的」だと実に虚無的な結論に達してしまいました。しかしながら、このアリストテレスの哲学に従えば、人生の最終目的とは幸福を追求することだというのです。肩の力がふっと抜けました。毎日が苦悩の連続だったので、「なあんだ、幸せになっていいんだ」と思いました(笑)。

東銀座「トレオン16区」ランチプレート1500円

 ただし、繰り返しになりますが、そのためには徳を積まなければなりません。アリストテレスによると、人間にはこの徳(ギリシャ語で「アレテー」=単越性、力量の意味)は生まれながらにして備わっていないので、後天的に努力して身につけなければならないというのです。その徳はたくさんありますが、アリストテレスは最も重要な徳として四つ挙げています。

 ①賢慮(判断力)

 ②勇気(困難に立ち向かう力)

 ③節制(欲望をコントロールする力)

 ④正義(他者や共同体を重んじる力)

 です。本日はこれぐらいにしておきますが、これだけ読んだだけでは恐らく理解できないと思われますので、原典に当たってみるのが一番かもしれません。全10章ありますが、何冊か翻訳が出ています。これは最初に書くべきでしたが、「ニコマコス倫理学」とはどういう意味なのかと思いましたら、ニコマコスとはアリストテレスの子息のことで、同書は、そのニコマコスがアリストテレスが自ら設立したリュケイオン学園での講義をまとめて編纂したものだといいます。原題は、ギリシャ語で「タ・エーティカ」といい、これは「エトス」(習慣)や「エートス」(性格、人柄)から派生し、「人柄に関わることなど」という意味なのだそうです。つまり、倫理学というのは後付けで、同書では、アリストテレスは単に?人間の習慣によって出来る人柄について述べていることになります。そして、人間のエートス(人柄)は1000年経っても2000年経っても変わらないので、現代でも十分通用して、こうして今でも熱心に読まれているのだと思います。

 次回はこの番組とテキストを読んで救われた「友愛」について触れたいと思います。

日本人が知らない覆面篤志家、逝く=チャールズ・フランシス・フィーニー氏92歳

 チャールズ・フランシス・フィーニーさん。日本人のほとんど誰も知らない米国人の実業家です。免税店「DFS」を共同創業し、まさに巨万の富を築いた人ですが、その全財産に等しい80億ドル(約1兆2000億円)もの大金を自ら設立した慈善団体や病院、大学などに生前に、しかも匿名で寄付した人でした。 

 10月9日に92歳でサンフランシスコの自宅で亡くなりました。それは2部屋しかないアパートで、しかも賃貸住宅でした。若き頃は贅沢三昧で、50代の時には、ニューヨーク、ロンドン、パリ、ホノルルなどに7軒もの豪邸を所有していました。60代で最初の妻と離婚した際、7軒の豪邸全てをこのフランス系の前妻に与えたといいます。

 かつては、豪華なパーティーに参加し、リムジンやヨットを乗り回していましたが、そのうち、そんな生活が嫌になり疑問さえ持つようになりました。やがて、ヨットやリムジンも売り払い、バスや電車を利用し、飛行機もエコノミークラスです。高級レストラン通いもやめました。しかも、成功した大金持ちの象徴とも言うべき腕時計は、わずか13ドル(約2000円)の日本のカシオ製だったといいます。えっ!?です。それだけの財産があれば、1億円のパテック・フィリップぐらい簡単に買えるのに…。

 その間、匿名で大学や病院(米国だけでなく、アイルランドやベトナムなどにも)に寄付を続けていましたが、1997年に免税店「DFS」の持ち株をルイ・ヴィトンーモエーヘネシーに売却した際に、彼の名前が表に出ることになりました。この時得た利益16億ドルはフィーニー氏の懐に入ったわけではなく、そのままバーミューダーに設立していた慈善団体に寄付されました。

 寄付は、あくまでも「生前」に拘り、老後の生活資金や遺産などのために200万ドル(約3億円)だけ残して、全財産を寄付してしまいました。

東京・中央区役所

 この記事は、10月9日付ニューヨークタイムズ電子版などを参照しながら書いていますが、NYTには、何が彼をそうさせたのか、については詳しく書かれていません。ただ、それとなく暗示することは書かれています。

 チャールズ・フランシス・フィーニー氏は1931年4月23日、米東部ニュージャージー州エリザベス市で、熱心なカトリック教徒であるアイランド系米国人の両親のもとで生まれました。父は保険外務員、母は看護師で、典型的な労働者階級で大学に進学できる余裕もなかったので、1948年に高校卒業後は空軍に志願し、主に、占領地日本で4年間過ごしたといいます。

 米国に帰国後、軍歴があったため奨学金を得てコーネル大学で学ぶことが出来、56年に卒業後、バルセロナに渡り、そこで大学時代の友人ロバート・ミラーと偶然、再会します。この時、2人で高級化粧品や高級酒など販売する免税店を思いつき、起業したといいます。その後、大成功したことは言うまでもありません。

 超富裕層になった彼が、ほぼ全財産を手離すことに躊躇しなかったのは、やはり貧しい労働者階級ながら信仰深く、質素で誠実な両親の下で育ったからだと思われます。「金持ちになると、ニュージャージー時代の友人と対等に気軽に付き合えないから」とフィーニー氏は振り返ったりしています。5人の子宝に恵まれましたが、5人とも父親の莫大な遺産を期待するようなハシタナイ人間ではなく、派手な生活を好まない人間に育ったことも幸いしました。

東京・新富町駅 ???本文と写真合ってないじゃないですか!

 しかも、寄付が匿名というのが、「陰徳」そのものです。「名前が出ると、付きまとわられるから」というのが匿名にした理由だそうですが、大抵、寄付をする富裕層は、寄付した建物やホールなどに自分の名前を付けて自己アピールしたがるものです。やたらと宇宙に行きたがる大金持ちもいます。誰、とは言いませんけど沢山いますねえ(笑)。そんな人たちと比べると、「覆面篤志家」フィーニー氏の行為と質素な生活は立派という他ありません。何と言っても、2000円の腕時計で満足してしまうなんて、考えられませんよ。

 私なんか、ジョン・レノンも愛用した2000万円のパテック・フィリップの腕時計が欲しくてたまらなかったので、まだまだ修行が足りませんねえ。コリャダミダ

渓流斎流 スクワットの薦め

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  • Count Start from: 2017年9月15日

 何じゃあ、こりゃあー!

 本日9月6日(水)午前9時の時点での渓流斎ブログのアクセス数を見たら、ビックリ仰天です。

 この《渓流斎日乗》ブログは、2005年から開始しましたが、今は亡きIT技術者・松長哲聖氏の尽力で新しく2017年9月15日から再スタートしました。その6年目で合計90万ページビューを突破したのです。おめでとうございます!パチパチパチ。それはそれで素晴らしいです。今度、100万ページビューを突破しましたら、お祝いでもしましょう(笑)。

 でも、一番解せないのは、本日のページビュー(Today’s Page View)です。7267アクセスもあるのです。普段なら、1日500アクセス程度ですから、いつもの10倍以上です。何かあったんでしょうか?? は、はあーん、誰がいたずらでもしているのかな? 

 だって、Today’s Access Personが167しかいないからです。誰かお一人が、操作してアクセスしているのかしら? いずれにせよ、IT技術に疎い小生としては、(嬉しいことは嬉しいのですが)、不気味です。

浮間舟渡

 私はページビューを上げたいがために、ブログを書き続けているわけではないので、本日も個人的なことを書きます(笑)。

 昨日は、朝方から元気がなく、喉の奥にほんの少し違和感があり、「やばい!風邪ひきそう。もしかしてコロナ?」と戦々恐々でしたので、夜は8時半に就寝しました。翌朝は6時半に起きたので、睡眠時間10時間です。私は、アインシュタインと同じようにロングスリーパーなのです(笑)。お蔭様で大分、体調も戻りました。熱もありません。

 でも、丸々10時間、熟睡出来たわけではなく、途中で3回もトイレで目が覚めました。ベッドではなく、お布団で寝ているので、年を取ると、起き上がるのがつらい!よっこらしょ、ではなく、ヨッ、コォラ、ショ~~~なのです。何でこんなに力が出なくなってしまったのか?普段の通勤の際も、鞄が重くて(重い書籍が入ってますからねえ)、手に持つのがつらくて、直ぐ背中に背負ってしまいます。

 スロートレーニングの権威と称される東大の石井直方名誉教授によると、筋肉は30歳を過ぎると減り始め、下肢、体幹の筋肉は80歳までの50年間で約半分にまで減るといいます。半減ですよ!道理で、布団から起き上がるのがつらくなるはずです。

 筋力が低下するとサルコペニア、さらに進行するとフレイルと呼ばれる虚弱状態になるといいます。おっとろしいですねえ。でも、そんなこと言われても、年を取れば誰でもそうなりますよ。私もはっきり言って、既に、そのサルコペニアとやらになってることでしょう。

浮間舟渡

 しかし、落ち込んでいてばかりはいられません。石井名誉教授が提唱しているスロートレーニングでは、スクワットを推奨しています。本も出ていますし、ネットで検索すればやり方も出てきます。

 そうか、スクワットか! 

 スクワットがあるではないか!

 別に自己流でも構わないのではないでしょうか。とにかく、座ってばかりいないで、毎日スクワットを続ければ、少しは筋力がついて体調も戻るはずです。

 まあ、いずれにせよ、このブログを御愛読して頂いている皆様には、少しでもお役に立てれば恐悦至極に存じまする。

光の速度は不変なので時空がゆがむ=Newton 別冊「相対性理論」

 今、Newton 別冊「相対性理論」(ニュートンプレス、2023年2月5日発行)を読んでいます。私は、典型的な文系人間のズブの素人なのに、実に大胆不敵です。

 しかし、実は、あることがあってから、私はすっかり「理系」志望になりました。文系の学問なんて実に幼稚に見えます。歴史や政治思想なんて、勝者の論理じゃないですか。何はともあれ、お家大事、周囲を洞ヶ峠から眺めて、忍びを使って、勝ち馬に乗ることしか考えない人間。インパール作戦では、10万人の兵卒を白骨街道に置き去りにして指揮官の将軍は飛行機で逃げ帰った人間。心理学なんて学問なんですか? 人間は、気まぐれでコロコロと自分の意見を変えます。朝は、「左」だと言っていた人間が、夕方には「右」だと言い張ります。自己保身のためなら、気に喰わない人間を踏み台にして、内通、変節、寝返り、裏切りなんて平気の平チャラです。所詮、人間は、生物学的にそのように出来ているわけですね。

 人間には物語が必要だ?ー要らないでしょう。新聞のお悩み相談コーナーを読んでごらんなさい。強欲あり、嫉妬あり、羨望あり、怠惰あり、卑怯あり、無関心あり、差別あり。人間は、毎日毎時、いかに醜い争いをしているのか3分間で分かりますよ。21世紀になっても戦争はなくなりません。ウクライナだけではありません。パレスチナ、シリア、スーダン、アフガン…と紛争、内戦が続き、明日の生活もままならない難民が溢れています。人間は所詮、他者を支配して楽をして過ごしたい無責任な生物なのです。弱肉強食のジャングルでの仁義なき戦いの世界です。人生に意味も目的もありません。それでお仕舞い。

 えっ? それを言っちゃあ、おしめえよ、ですか?ま、確かに、ここまで言ってしまっては身も蓋もありませんね。ただ、私も「あること」があってから、随分、醒めました。達観して冷血人間になりました。でもー。

 出来る限り、勇気と夢と希望を持ってください。人間にとって最も大切なことは慈愛であり、思いやりである、と思ってください。恵まれない他者には親切にしてください。ボランティア奉仕と寄付と布施に励んで、陰徳を積んでください。

 というのが私の本心、としておいてください。

◇物理学、万歳

 その一方で、自然科学は宇宙の真理を教えてくれます。人間なんていなくても構いません。地球46億年、宇宙138億年の歴史から見て、人間は小数点以下のページにやっと登場するに過ぎません。すっかりひねくれてしまった私としては、それが実に爽快なのです。宇宙に終わりがありますが、その前に、我々が住む天の川銀河の終末があります。いや、その前に太陽系の崩壊、消滅があります。そうなれば、人間も、その記憶も、文化遺産も何もかもなくなります。

 このように理系の学問は随分、悲観的絶望的な危険思想なのに、どういうわけか生きる勇気と希望が湧いてきます。人間が考え出した神や如来や宗教を超えた絶対真理を追究するからなのでしょう。泣こうが喚こうが人間を超えた学問とも言えます。

 ですから、「光の速度は不変なので、時間と空間が相対的に変化する。時間が遅れたり、空間がねじれたり、縮んだりして見える」(アインシュタイン特殊相対性理論)と言われても、門外漢でもすんなりと理解できるのです。いや、人間を超えた真理なので、泣こうが喚こうが、そう理解するしかないのです。

築地「わのふ」

 でも、科学は、それほど乱暴な話ではありません。発表された当初は仮説だったとしても、ちゃんと科学的実験で証明されていきます。例えば、2020年、東大、理化学研究所、島津製作所などが光格子時計という最新技術を使って、東京スカイツリーの地上階と450メートルの展望階とで時間の進み方を測定したところ、約5京分の1、展望階の方が地上階より時間が速く進んでいたことが証明されたというのです。

 えっ?本当ですか? 典型的な文系人間のズブの素人の私なのに、このNewton 別冊「相対性理論」は実に面白く読めます。

 

 

大スターは代償が大き過ぎる=草刈正雄さんの父親捜し

 毎日、ブログを書き続けることは実に大変です。ので、もしかしたら、毎日、このブログを読み続けてくださる人の方がもっと大変なのではないかと拝察致します。感謝申し上げます。

 さて。14日にNHK総合で放送された「ファミリーヒストリー=俳優・草刈正雄(70)篇」を御覧になりましたか?実に壮絶な話で、涙なしでは見られませんでしたね。恐らく、再放送されることでしょうから、見逃した方は、検索してみてください。

 草刈さんは1952年生まれで、「朝鮮戦争で死んだ」「写真は全て焼き捨てた」と母親から聞かされていた米兵の実父が、実は生きていて、2013年に83歳で亡くなっていたという衝撃な事実が明かされます。草刈さんも全く初めて知る事実だったので、司会者から感想を聞かれても、「言葉が出ませんね…」と涙を流しておられました。

Ginza

 戦後6年間、敗戦国日本は米軍に占領され、米軍兵と日本人女性との間に生まれた「混血児」の多くが親たちに見捨てられた悲しい歴史がありました。そんな混血孤児たちを養護するための施設として、岩崎弥太郎の孫に当たる澤田美喜さんが創設した「エリザベス・サンダース・ホーム」は特に有名です。

 草刈さんの場合、米兵の父親ロバート・トーラーさんは、草刈さんが生まれる前に米国に帰国してしまい、その後、空軍の仕事で西ドイツに渡り、同国で知り合った女性と結婚します。一方の福岡県人の母親は、気丈な人だったため、小倉で仕事を掛け持ちして女手一つで子どもを育てようと決心しますが、時には生活が立ち行かなくなり、何度か心中しようとしたらしいのです。当時は、学校でも「合いの子」と差別されたらしく、草刈さんも戦争の犠牲者と言えなくありません。

 番組では、スタッフが苦労の末にやっとノースカロライナ州に住む草刈さんの伯母に当たるジャネットさん(97)を探し当てます。ジャネットさんは70年前に、草刈さんの母親から米国の自宅に手紙をもらった時は、弟であるロバート・トーラーさんは西独に行っておらず、自身も若くてお金がなく、親子の無事を祈るしかなかったといいます。その事実は誰にも話せず、70年間も自分の心の内に秘めていたといいます。

 結局、番組では草刈さんとジャネットさんは、米ノースカロライナ州の彼女の自宅で再会を果たし、めでたし、めでたしで終わります。だけんども、1日経って、冷静に振り返ってみれば、父親は、日本人女性が妊娠していることを知っていたのに見捨てて帰国し、その後も養育費すら払っていなかったわけですから、それらの事実を省略して随分、美談に仕立て上げられたもんだなあ、という感想に変わりました。

銀座「羅豚」黒豚ポン酢炒め御膳1100円

 草刈さんは、その甘いマスクを生かして、モデルから俳優業にも進出して大スターになりましたが、芸能界で成功することは並大抵のことではありません。いわば、宝くじに当たるようなものなのです。私もかつて、芸能界を広く浅く取材したことがありますが、大スターに限って、その代償として、大借金を抱えるとか、家族に恵まれないとか、差別されて育ったといったような、本人が自覚しているにせよ、しないにせよ、大きな大きな「不幸」を抱えている人が多いという事実に気付かされたことがありました(非常にマイルドに書きました)。

 草刈さんも大スターながら、70年間も父親のことに関して、心の奥底でモヤモヤを抱えて生きてきたことを告白していました。その草刈さん、苦悩したのは父親のことだけでなく、2015年には長男が、23歳の若さで、渋谷区のマンションから転落死されていたことも、この記事を書くに当たって色々と調べていたら初めて知りました。

 やはり、大スターは代償が大き過ぎます。

 

ありがたや、神様、仏様、百均様

heaven

 友人の河本敏昭君(仮名)は、若い頃はかなりの亭主関白でしたが、子どもが独立し、夫婦二人だけになり、定年退職を機にその立場がすっかり逆転してしまいました。男は働かなくなれば洋ナシ、いや、用無しです。

 定年退職の翌日に令夫人から最初に言われたことは、「何をしてもいいから、昼間は週に最低3日は家にいないで」という三下り半でした。「他にもありますが、今日のところはそれぐらいにします」と言って、ピシャリとドアを閉めて自分の部屋に閉じこもりました。

 結婚して30余年。長年の令夫人の不満が爆発したのでした。

 河本君としては、若い頃はあんな穏やかだった女性がこれほど変わるとは思いも寄りませんでした。勿論、彼には身に覚えがある言動がありました。女性に手を掛けるようなことは勿論しませんでしたが、かなり命令口調で乱暴な口を効いていたことは確かです。仕事が忙しく、家事も子育てもほとんど任せっぱなしでした。でも、稼ぎがなくなると、過去の因果が弱みとなり、今ではすっかり逆転して、今度は、彼の方が罵詈雑言の機関銃で撃ちまくられる番になりました。

 先日、彼が洗い物をしている際、ついうっかりして高価なガラスのコップを割ってしまった時は散々でした。わざとやったわけではないので、黙っていると、ボケ、カス、タコ、ナス…の連射撃です。

 「ああた、これ幾らすると思ってるの!?」に始まり、「全く、反省してないわね。謝りもしない。だから、いつまでも懲りないのよ」「そう言えば、ああた、20年前もコップ割ったわね。あれ、バカラだったのよお!」…と出るわ、出るわ、すっかり忘れていた昔のことを蒸し返してきます。

 女性の記憶力には舌を巻きます。

 河本君の出身地である山陽地方だけの言い伝えだと思いますが、結婚式の際に女性は「角隠し」をしますが、その角とは7本あるそうです。昔は、5人、10人の子どもを産むのが当たり前で、7人ぐらい子どもを産めば、角が全部取れるという伝説です。あくまでも伝説ですから、現代のようなダイヴァーシティとジェンダーフリーの時代では、こんなことを書くと大炎上することは間違いありません。が、そういう伝説があったことは歴史的事実です。

 河本君は今日も猛暑の中、「週3日」の掟を守って、図書館通いが続いています。彼はパチンコも競馬も競輪もしませんから、他に行く所がありません。せいぜい、時間潰しに山手線を3周するぐらいです。

 そうそう、彼は、割ったガラスのコップの埋め合わせを百均屋さんに行って買って来たそうです。税込みで110円。前の高価なコップと大して遜色ありません。勿論、彼は幾らで購入したのかは令夫人には黙っていました。

 奥さんも「あら、いいじゃないの。いいコップね」と褒めるので、なかなか本当のことを言い出せなくなったそうです。河本君は「前のコップ幾らだったの?」と恐る恐る聞くと、令夫人は「4500円よ」と答えたので、「ああ、同じぐらいの値段だったよ」と言うしかなかったのです。

 河本君からメール添付でコップの写真を送ってもらいましたが、確かに100円には見えないコップでした。鑑定団を騙せるほどの出来に見えました。河本君にとっては、「神様、仏様、百均様」といったところでしょうか。

 はい、ところで、私はあくまでも中立の立場ですから、人間の一生って、プラスマイナスゼロだなあ、と思いましたよ。今の現状は、河本君の自業自得、因果応報、自己責任なのでしょう。それでも、同性として、友人として、河本君には同情してしまいました。はい、それだけです。これ以上のコメントは差し控えさせて頂きます。

壬申の乱と戊辰戦争ぐらいか…=十干十二支の暦について

 昨日は、四柱推命のことを書きました。と、同時に、四柱推命の基礎になっている陰陽五行説についても少し触れました。

 四柱推命も風水もそうですが、易占いをするに際して、基本になっているのが、十干十二支(じっかんじゅうにし)です。これは、中国の古代から行われた暦法の用語です。十干というのは、甲(こう)、乙(おつ・いつ、とも)、丙(へい)、丁(てい)、戊(ぼ)、己(き)、庚(こう)、辛(しん)、壬(じん)、癸(き)で、一旬 (10日) を表わしています。

 十干を、陰陽五行説の「木、火、土、金、水」と組み合わせると、甲乙が木に分類され、が木の兄(きのえ)、が木の弟(きのと)になります。同様に、丙丁は火で、は火の兄(ひのえ)、は火の弟(ひのと)。戊己は土で、は土の兄(つちのえ)、は土の弟(つちのと)。庚辛は金で、は金の兄(かのえ)、は金の弟(かのと)。壬癸は水で、は水の兄(みずのえ)、は水の弟(みずのと)となります。

 十二支は、子(鼠)、丑(牛)、寅(虎)、卯(兎)、辰(竜)、巳(蛇)、午(馬)、未(羊)、申(猿)、酉(鶏)、戌(犬)、亥(猪)のことです。今でもその年の干支(えと)として使われているので日本人にも大変馴染みがあります。中国では、すでに紀元前17世紀頃に成立した殷代に干支の組合せで暦日を表わしていたそうです。前4世紀頃には、十干が五行「木、火、土、金、水」 と組み合わされて、漢代の前2世紀頃から年月日に、十二支は時刻や方位(辰巳は巽とか)などに使われるようになったといいます。

 これらが日本に伝えられ、年号を甲子(きのえ ね)、乙丑(きのと うし)、丙寅(ひのえ とら)などと使われるようになりました。十二支は、日本語で音読みすると、子(し)、丑(ちゅう)、寅(いん)、卯(ぼう)、辰(しん)、巳(し)、午(ご)、未(び)、申(しん)、酉(ゆう)、戌(じゅつ)、亥(がい)となります。ですから、甲子(きのえ ね)は「こうし」、乙丑(きのと うし)は「いっちゅう」、丙寅(ひのえ とら)は「へいいん」と読みます。(日本語は音読みと訓読み、漢字も漢音、呉音などがあり、世界一難しいのでは? とにかく面倒臭い!)

 十干十二支の組み合わせは、全部で60通りあり(10干✖6干支=60。だから、「甲子」はあっても、「甲丑」はありません)、それを過ぎると、また1番目に戻るので還暦になるわけです。昔は日本には西暦なんかありませんから、古代から近代、明治までずっとこの暦を使ってきたわけです。ですから、歴史上の事件でかなり使われているのかと思いましたら、意外にも少ないのです。

 まずは、西暦645年の「乙巳(いっし)の変」です。中大兄皇子らが蘇我入鹿を暗殺したクーデター事件です。乙巳は「きのと み」の年ですね。次は672年の壬申(じんしん)の乱です。天智天皇亡き後の後継者争いで、大海人皇子(後の天武天皇)が大友皇子を討った事件です。壬申は「みずのえ さる」の年です。

 そして幕末の「戊辰(ぼしん)戦争」なら誰でも知っています。戊辰は「つちのえ たつ」で1868年の年です。それぐらいなのです。えっ!?です。中国では「辛亥(しんがい)革命」が有名です。革命が起きた1911年が辛亥(かのと いのしし)の年に当たるからです。

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 この他、十干十二支で知られているのは、高校野球と阪神タイガースの本拠地として有名な甲子(こうし)園球場(開場した1924年が甲子=きのえ ね=の年)と丙午(ひのえ うま=へいご)生まれの女性は気性が激しく夫を早死にさせる、という迷信ぐらいです。日本人は迷信深いので、丙午の年に生まれる赤ちゃんが異様に少ないのです。

 もう一つ、私が通った大学の近くに「庚申塚」という地名がありました。神道では、道教の影響を受けて、庚申(かのえ さる)の日や年に信仰行事が営まれていましたが、信者(庚申講員)が建てた碑塔や建てられた場所のことを庚申塚といったそうです。

 いずれにせよ、かつて日本人は、元号のほかに、庚申とか甲子といった年号を使っていたことを現代人はすっかり忘れています。

四柱推命も「いいとこどり」で良いのでは?

 あんりまあ、です。このところ、このブログのアクセス数が増加しております。《渓流斎日乗》は、2005年に開始しましたが、内容は、20年近く経ってもそれほど変わらないと思うのですが…。

 本人は、別に「承認欲求」が人一倍強いわけではなく、「出る杭は打たれる」ので、出来れば目立ちたくないというのが本音です(笑)。ですから、アクセス数が増えることは矛盾しております。

 考えられるのは、先日、占い師の古澤鳳悦氏のお導きで、筆名を「高田謹之祐」に改名したからなのでしょうか? もし、そうでしたら、恐ろしくなるぐらいよく当たりますね。

 思い当たるフシはもう一つあります。古澤師には、「四柱推命」で小生の運勢表をつくってもらったのですが、それによると、ちょうど今年5月から、10年おきの変革期に入っていたのです。私の場合、天変通は「偏官」となり、十二運は「長生」になります。(と書いても、何のことかお分かりにならないことでしょう。私もそうなので、この後、少し勉強してみました)

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 とにかく、10年おきの変革期なので、仕事運、恋愛運(笑)、金銭運、相性などが劇的な変化を遂げる、ということです。何となくですが、今年5月から潮目が変わった感じがします(笑)。特に、人間関係がそうです。ここ数年の出来事で、亡くなった親友もおりますが、過去、大変親しくお付き合いしていた友人知人の中で、こちらから連絡しても返信がなかったりして御縁が薄れて来た人が、何人も何人も出て来たのです。 えっ?何で? 「何か悪いことをしたのかしら?」ーということに関しては、思い当たるフシが全くないので説明が付きません。思い当たることと言えば、やはり、この「10年おきの変革期」しかありません。それで「人生の不可解」を納得するしかないのです。私はそこまで追い詰められました。

◇四柱推命を勉強

 そこで、自分自身でも四柱推命を少し勉強してみようと思いました。最初はネット上に溢れる無料の情報によってです。古澤師から、私の生まれた四柱(年柱、月柱、日柱、時柱)の中に「偏財」も「正財」も、つまり「財の星」が全くない、と言われ、かなりビビりましたから、まずこれらの星が何を意味するのか検索してみました。そしたら、財の星とは、やはりお金に関わる星でした。サイトでは、はっきりと書いてはいませんでしたが、財の星がない人は生まれつきお金に恵まれないということになります。財は、お金だけでなく、人財ということで、友人知人も意味する、というサイトもありました。ということは、財の星がない人は、友人知人に恵まれない運命だということになります。

 これらを克服するためには、いい方法がある、とあるサイトはのたまいます。偏財は「気遣い」の星、正財は「心遣い」の星なので、財の星がない人は、人に気遣い、心遣いをすれば、お金も増え、友人知人も増えるというのです。

 まあ、占いですから、当たるも八卦当たらぬも八卦です。でも、何となく一理あるかな、とも思いました。その一方で、「正直な自分の気持ちを折り曲げて、無理して付き合って友達を増やしても、その人の人生に意味はない」「自分の殻に閉じ籠る弊害がありますが、一人で楽しんでもいい」なんて薦めるサイトもありました。おお~、これはなかなか鋭い所を突いてますね(笑)。

 無料サイトでは限界があるので、四柱推命の基礎を学んでみようと、思い切って、恥ずかしながら、入門書を買ってみました。上の写真の本です。1430円也。

 四柱推命には色んな流派があるらしく、古澤師が使う用語と、この本で使われる用語が違っていて、ひどく戸惑うことがありました。(例えば、古澤師は「変通星」と言いますが、この本の著者は、「通変星」と言っております。そして、決定的に問題なのは、年柱で、古澤師の鑑定では私は「丙申壬」なのに、この本では「丙申庚」、日柱で、古澤師は「丙戌丁」なのに、この本は「丙戌戊」、時柱で、古澤師は「壬辰壬」なのに、この本では「壬辰戊」になっているのです。これでは全く運勢が違ってしまうので困り果てましたが、古澤師の鑑定を採用することにしました。)

 この本で、一番興味深かったのは、あの松下幸之助さんの四柱の中に、私と全く同じように「正財」「偏財」の財の星がなかったことでした。嗚呼それなのに、それなのに。松下幸之助と言えば、松下電器(現パナソニック)の創業者で、東京・浅草寺の門の大型提灯を寄付するほど、超々大金持ちです。財の星がなければ、お金に縁がない、なんて言えませんね(笑)。それに、これだけの人ですから、多くの友人知人に恵まれたことでしょう。前述したサイトによれば、気配り、心配りしたお蔭かもしれませんが…。

 もう20年も前になりますが、私が北海道の帯広に住んでいた頃、自分の運命を儚んで、運勢を知りたくて、風水教室に2年ほど通ったことがあります。四柱推命と同じ陰陽五行説の基礎を学ぶことが出来、風水とは如何わしいおまじないでも何でもないことを知りました。しかし、自分自身は、とても「見立て」が出来ないな、と思いました。筮竹(ぜいちく)を用いた易まで習いましたが(高価なキットまで購入しました!)、「これしかない」といった最終判断が自分には出来なかったからです。

 逆に言いますと、筮竹占いは、何とでも解釈して、何とでも宣誓できるのです。あるものが「白」とも言えれば、陰の部分は「黒」でもあり、「灰色」でもあります。上から見れば、円形でも、横から見れば、長方形だったりします。それと同じです。いかようにも解釈できるのです。

 四柱推命も同じことが言えます。財の星がない人は、お金や友人に恵まれない、と言えますが、松下幸之助さんの例を見れば、そんなこと言えませんよね?

 先の「四柱推命入門」によると、私の「中心星」は「印綬」で、この印綬の星は、「勉強家で知的好奇心が旺盛な人」「アカデミックで、お金よりも名誉を重んじる人」などと書かれていました。

 結局ですね、私は、四柱推命も占いも「いいとこどり」で良いと思ってます。ある程度の法則か方便だと思っても構わないと思っております。藁にも縋りたいほどの難局に追い込まれた時に、メンタルヘルス(精神的な健康)のために活用すればそれで良いと思っております。

 私も、四柱推命を活用して、今年5月からの「10年毎の変革期」を何があろうと乗り越えようかと思っております。

 【追記】2023.8.6

 やはり、気になって、古澤師に、四柱推命というものは、流派によって鑑定の基準が違うのかどうか、お尋ねしたら、明解な答えが返ってきました。 

 私信なので全てはご紹介できませんが、「月律分野蔵干表」というのがあり、これも流派によって、時間がまちまちだといいます。古澤師は、佐藤観幾氏の下で勉強し、多くの実例を見ながら3度ほど修正して今の月律分野蔵干表になったそうです。今後変更することはないといいます。

 「もっと詳しく知りたい場合は、四柱推命教室を開いておりますので勉強にいらしてください。お待ちしております。」とまで言われてしまいました(笑)。

 勿論、小生は古澤師に観て頂いた鑑定シートを最も信頼しております。