銀座ランチと焼酎晩酌のために生きている私

 私の住んでいる所は不便な所で、銀座の都心の会社までバスと電車を乗り継いで往復3時間近く掛かります。本当です。それなのに、通勤・通学時はバスも電車も超満員で、バスなんか停車場をすっ飛ばすぐらい混んでいます。小中学校も近くにあるので、子どもの姿も多く、日本が少子高齢化の人口減社会とはとても想像すらできません。

 たまたま移り住んだ土地なので愛郷心は全くありませんが、何でこんなに人が多いのか不思議でした。住宅街ばかりで、しかも、商店街がほとんど壊滅状態で個人商店はつぶれる一方です。残っている個人商店は、飲食店以外は、クリーニング店と美容院、理容店ぐらいで、肉屋さんも八百屋さんも消えてゆきました。

東銀座「トレオン16区」海老と小柱のトマトクリームソースの前菜

 こんなに人口密度が多いのに、商店街もなく、ここの地元の人たちはどうやって暮らしているんだろう? と思ったら、やたらと近辺にスーパーマーケットが多いことに今さらながら気が付きました(苦笑)。私の自宅から半径2キロ以内(自転車で15分ぐらい)を勘定しみるとー。順不同ながら、

・オーケースーパー

・ロピア

・ヤオハン

・イイダ

・生協スーパー

・ミートミート

・マルエツ

・クイーンズ伊勢丹

・マミーマート

・イオン

 と10軒もありました。これは、全国的にも多い方じゃないでしょうか。これだけスーパーがあって、つぶれないということは、それだけ人口が多いということなのでしょう。通勤時の人混みもお分かり頂けたでしょうか。

隣りの駅に行けば、成城石井もイトーヨーカドーも西友もオリンピックもライフもあります。

 この中で、「ロピア」は全国チェーンではないので、あまり知られていませんが、若社長さんが、あの有名女子アナのカトパンこと加藤綾子さんと結婚して一躍全国的にも有名になりました。

 実は、私は、このロピアのファンなのです(笑)。例えば、ビールや飲料水などでも全て冷蔵せず、1ダースとか箱詰めでまとめ買いするようになっているので他店と比べて格安なのです。私は自家用車を持っていないのでまとめ買いは出来ませんけど、安さの恩恵は受けていると思っています。ドン・キホーテみたいに、狭い空間での商品展示がちょっと大胆というのは気になりますが。

東銀座「トレオン16区」海老と小柱のトマトクリームソース1300円

 何よりも、ここでしか買えない焼酎があるのです。奄美大島の黒糖焼酎「里の曙」(3年貯蔵、アルコール分25度)です。10軒ある自宅近くのスーパーを覗いてみましたが、ロピアにしか売っていませんでした。私は、自分の誕生日に奮発して、橋本屋で、高い「里の曙」ゴールド(アルコール分43度)を買ってちびちび呑みましたけど、個人的には、この25度の3年貯蔵で十分だということが分かりました。

 往復3時間かけて、会社に行くのは銀座のランチを食べる楽しみのため。夜、帰宅するのは、焼酎「里の曙」のソーダ割りで晩酌する楽しみのためです。

 何か、問題でもありますかねえ?

【追記】

 この記事執筆後、ロピアのことをエゴサーチしたら、神奈川県藤沢市の精肉店から出発し、現在、本社は川崎市。近畿圏、福岡、宮城県など13都府県に店舗があるそうですから、知る人ぞ知るスーパーでした。2023年2月期の売上高は3401億円。ロピアという名称も、「ロープライスユートピア」から由来するということで、意訳すれば「格安夢物語」。道理で、安売りに苦心しているのかあ~

「カフェーパウリスタ」のアメリカンクラブサンド・セットに驚き

 ブログのネタに困った時は、ランチの話題に限ります(苦笑)。そんな、無理して書かなくてもいいのに。。。常軌を逸していますねえ。ま、病気だから仕方ないかあ(笑)。

 本日は、銀座のれん会(正式には協同組合銀座百店会)が発行している「銀座百点」に載っていた銀座8丁目の「カフェーパウリスタ」のアメリカンクラブサンド・セットを食しに行きました。「コーヒーのお代わりがOKなので、とてもお得に感じます」。なーんて書いてあったので、値段も確かめずにホイホイ行ってみました。

銀座8丁目「カフェーパウリスタ」クラブサンドウイッチセット

 そしたら、ガビーンです。セットの珈琲にアイスコーヒーを注文したら、「アイスはお代わりはありませんけど、宜しいですか?」と念を押されてしまいました。恐らく、ホットコーヒーならお代わり出来たのでしょう。サンドが運ばれてきて、一緒に置かれた「請求書」を見たら、びっくり仰天です。何と、1980円もするのです。き、聞いてないよお。珈琲とサンドで2000円近くもするなんて。。。あんりまー、です。

 小誌「銀座百点」は富裕層階級向けの雑誌だったですね。

 「カフェーパウリスタ」自体は、何度か訪れたことがあります。今より少し若い頃に、おあ姐さんと一緒に、コーヒーを飲みながら雑談しました。その時、私は、「カフェーパウリスタは明治44年創業で、昔は、銀座の交詢社前にあったんですよ。交詢社には福沢諭吉が創刊した時事新報社があり、ここで菊池寛が社会部記者をやり、友人の芥川龍之介や谷崎潤一郎らも出入りしていた関係で、カフェーは大正文士の溜まり場になったんですよ。『銀ブラ』という言葉も、銀座をブラブラする、という説と、この銀座のパウリスタでブラジル珈琲を飲むという説もあるんですよ」なーんて、蘊蓄を傾けたりしたものです。気障な奴でしたね(笑)。

銀座8丁目「カフェーパウリスタ」クラブサンドウイッチセット

 でも、「カフェーパウリスタ」で食事をすることは初めてでした。値段を見て、びっくりしましたが、このアメリカンサンドとやら、実に美味い。私が今まで食べたサンドウィッチの中で、一番旨いと言ってもいいかもしれません。具材はレタスとトマトと鶏肉と卵といったもので、特別なものではないんですが、清楚で上品な味わいでした。

 今回、「カフェーパウリスタ」に行ったのは、あのジョン・レノンが気に入って、1978年の某月某日、3日連続、奥さんのオノ・ヨーコさんと一緒に通い詰めたという噂を小耳に挟んだからでした。同店には、ジョンとヨーコの二人にサインをしてもらった珈琲のカップとソーサーが「お店の宝」としてあるらしく、その写真だけが店内に飾られていました。(他のお客さんが側にいたので、写真を撮れず残念)

 このサイン入りのカップとソーサーは、テレビの「何でも鑑定団」で鑑定してもらったら、幾らかなあ、と夢想しました。まあ、100万円でも買う人はいるんじゃないですか?(笑)

またまたお土産をいただいてしまいました

  カナダにお住まいの辻下さんが一時帰国され、久しぶりに銀座の何処かでお会いして食事を伴にしましょう、という話になりましたが、結局、日程の都合がつかず、食事会は中止になってしまいました。

 と思ったら、本日、銀座にある弊社にわざわざ訪ねてくださり、「お土産」ということで、世界に名だたる台湾コーヒーの高級ブランド「世界冠軍珈琲」を持って来てくださったのです。1階の受付で、数分間程度の立ち話で終わってしまいましたが、数年ぶりの再会でした。

台湾コーヒーの高級ブランド「世界冠軍珈琲」

 辻下さんは、おつな寿司セミナーの会員だった片岡みい子さんの御主人の正垣さんと成城学園時代の親友で、片岡さんが6年前の2017年に亡くなった時に、この渓流斎ブログにそのことを書いたところ、たまたま、カナダの自宅パソコンで御覧になった辻下さんが、小生に連絡してくださったのでした。調べてみたら、片岡さんが亡くなった翌2018年5月に一時帰国した辻下さんと、私もお会いして、銀座で食事をしましたから、それ以来5年ぶりの再会でした。

 前回は、ドイツ製のワイン「聖母」を「手土産」に頂き、今回は台湾の「世界冠軍珈琲」です。何か、戴いてばかりですねえ。私が好きな言葉が、綾小路きみまろと同じ「もらう」「いただく」「ただ」ということを御存知だったからでしょうか(苦笑)。

 今回、日程が合わなくなった理由の一つに、辻下さん御夫妻が一時帰国して、京都旅行された際、彼が某有名神社の急勾配の参道でつまずいて、足を捻挫してしまったことがありました。駅や空港で車椅子を借りるほど重傷だったようです。(1カ月近く経ち、やっと平地なら少しずつ歩けるようになったといいますが、移動はタクシーでしょう。)

 今回ゆっくりお話しする時間が取れず残念でしたが、不思議なことは、何でこれほどまで彼が私に御親切にしてくださるのか、ということです。

【証拠写真】築地「魚月」ランチ握り1500円 何か足りない? あっ!ガリがない! でも箸を付けて後で気が付いたから、「遅かりし由良之助」。店員さんは50メートルぐらい遠く離れてますし、そのまま、黙って食べましたよ。

 帰り際に、辻下さんは「いつも色々と情報を教えて頂き感謝してます」と仰ってくださったので、恐らく、いつも渓流斎ブログを御愛読して頂き、その御礼だったのではないか、と勝手に解釈してしまいました。間違ったらごめんなさい。

 こちらこそ、いつもお読み頂き、そして、お土産まで頂き、感謝申し上げます。有難う御座いました。

現場から実況見分します=銀座・高級腕時計店強盗事件

 昨日5月8日、私がシマにしている東京・銀座の高級腕時計店で強盗があり、NHKの7時のニュースでトップになるなど大きな話題になりました。

 銀座は私のシマですから(しつこい!)、本日昼休みに現場検証、いや単に見に行って参りました。そしたら、結構な人だかりです。店前の歩道にはテレビカメラ数台があり、リポーターさんたちもおりましたが、何の用もない野次馬も集っておりました。

 現場は、高級ブランドショップなどが並ぶ銀座の中でも超一等地の銀座通り(裏道ではなく、メーンストリート)の瀟洒な繁華街にあり、日本を代表する街とあって、治安は全く悪くありません。当日も多くの通行人が行き通っていたはずです。(そのせいか、通行人がスマホで映した写真や動画が拡散しました)

銀座8丁目

 事件は、アノニマスの仮面を被った3人組が店員を脅して、バールのようなものでガラスケースなどを壊して、100点以上の高級腕時計を強奪して白いワンボックスカーで逃走したというものでしたが、容疑者たちは、運転手役も含めて数時間後に赤坂で「確保」されました。蓋を開けたら、横浜の高校生を含む16~19歳の少年(18歳以上は成人ですが)だったというから驚きです。「お互い知らない」と言いますから、恐らく、ネットの闇アルバイトか何かで集合し、何の計画性もなく、誰か大きな広域犯罪組織の上からの指示で動いていただけでしょうが、何ともお粗末な事件です。

 冷静に考えれば逃げ場はなく、120%捕まることが分かるはずですから、何とも幼稚で浅はかな事件であり、もしそれを知りながら実行したとしたら、若者たちがそこまで追い込まれていることになり戦慄します。

 今年1月には東京都狛江市の住宅でそこに住む90歳の女性が殺害されて現金や高級腕時計などが盗まれる事件が発生するなど、最近はどうも、世の中不景気なのか、全国あちこちで強盗事件が多発しています。しかも、実行犯は10代や20代の若者が多く、見ず知らずの者がネットの闇バイトで集まったといわれていることも共通しています。

 それにしても分からん。人類学的に見て、人間が劣化したのか、前後見境なく善悪の判断が出来なくなったのか、楽をして金儲けをしようとしたのか、それとも自暴自棄になるほど追い込まれたのか、指南役が余程強権的だったのか、人を殺めなければ、数カ月でムショから出られると思ったのか(実は強盗罪は懲役5年以上)、そのいずれか、もしくは全部含まれるのかもしれません。

 昔の人は、よく「人を見たら泥棒と思え」と言ってましたが、現実的にそう考えざるを得なくなってしまいました。

◇◇◇◇◇

 5月8日から新型コロナが5類に移行したというのに、庶民の皆さんは、お上の言うことを信用していないのか、無視しているのか、いまだに街中や電車等ではマスクを着用しています。銀座では、日本人の75%ぐらいはマスクをしてます(電車内は9割以上)。5類になったとはいえ、ウイルスが消えたわけではないので、感染したら「自己責任」、治療費・薬剤費は「自己負担」に変わっただけ、ということになりますから余計に警戒してしまいますよね?

 そういう私も、防衛費が倍増したことだし、「自己防衛」でマスクをしております。

昭和の情緒が消えていく東京=銀座も普請中

 この期に及んで、目下、世界に名だたる東京は、あちらこちらで「再開発」中です。

 例えば、東京駅前の八重洲エリア。オフィスビルとして日本一の390メートルの高さを誇る「Torch Tower(トーチタワー)」が2027年度竣工予定で、また、都内3番目となるミッドタウン「東京ミッドタウン八重洲」が出来るようです。

 日比谷公園の東側の内幸町・日比谷エリアでも大規模再開発が予定され、高さ約230メートルのノースタワー、セントラルタワー、サウスタワー、高さ約145メートルの帝国ホテルの新本館の建設などが計画されています。最終的な工事完了は2037年度以降らしいので果たして生きているかなあ?

銀座ソニービル

 私が縄張りにしている銀座もその御多分に漏れません。

 有楽町に近い銀座ソニービルは1966年に建てられたというのに、あっけなくも解体され、2018年から公園になっていましたが、それも壊されて、何やら2024年にGinza Sony Parkなるものが出来るらしいですね。新ビルの詳細は公表されていませんが、条例で許される高さ56メートルの3分の2に満たない34メートルのビル(地上5階、地下4階)になるといいます。

 銀座4丁目交差点の「銀座のシンボル」的ビルでもある「三愛ドリームセンター」も解体工事が始まっています。このリコーの新ビルは、前のビルを継承する形で設計され、2027年竣工を目指しています。となると、同じような円錐形ビルになるかもしれません。

 このビルの最上階にある「RICHO」の広告塔は、かつては「三菱電機」だったことを覚えています。私が子どもだった昭和30年代か40年代頃です。昭和50年代までもそうだったかもしれません。

 この晴海通り沿いを日比谷方面に行った3軒ぐらい先のビルの屋上に地球儀のデッカイ広告塔があり、「森永チョコレート」とあり、夜はネオンサインで輝いていました。これも昭和40年代ぐらいまであったかどうか…。このビルは洋書のイエナなどが入っていた建物だったのでしょうか? 駄目ですね、ちゃんと調べないと(苦笑)。もし、そうなら、現在は、「ジョルジュ・アルマーニ」ビルになっているところでしょうか。

 いや、銀座も含めて、東京は変わり過ぎるのですよ。まだ建物は使えるというのに、どんどん解体して建て替えしています。建物を500年も600年も優に持たせようとする欧州のパリやローマやロンドンやバーゼルなどとは大違いです。

 日本人はせっかちだなあ。

 私の通勤路でもある「みゆき通り」の5丁目、6丁目辺りでも工事中の現場をよく目にします。

 上の工事中は、銀座通りに面した銀座6丁目で、以前のビルの1階にはドコモ・ショップが入居していて、地下にイタリアンのレストランなどがありました。

 また、雑居ビルが建てられるのでしょうが、よくこんな狭い空間で、しかも銀座のど真ん中の繁華街で、新しいビルが建設されものだ、と感心してしまいます。(狭くても地価は、何十億円かは軽くするでしょう)

 この上の写真は、みゆき通り沿いの銀座5丁目で、以前は、1~2階はみずぼ銀行が入居していました。ビルの名称についても、次に建設されるビルについても何も分かりませんけど、また斬新な50メートル近いビルが建つことでしょう。

 みゆき通りの5丁目は、他に2カ所もビル建て替え工事中で、現場の歩道が半分削られて狭くなり、観光客も増えて、歩くのに詰まって不便でしょうがありません。(この不満を書きたくてブログにしたようなもんです=笑)

 銀座では、この他にも、いっぱい、いっぱい再開発が計画されているようです。このままでは、昔の面影がどんどん無くなっていきますよね。

 永井荷風は、関東大震災と米軍の空襲を体験し、東京にはすっかり江戸の情緒が無くなってしまった、と嘆いておりましたが、そんな災害や人災がなくても、昔の東京がどんどん破壊されていっております。戦争がない平和な時代が続いたというのに、昭和の情緒が消えてなくなってしまっているのです。

  私のような古い世代は「こんなんでいいのかなあ」と寂しくなります。

【追記】2023年4月5日

 重大なことを書き忘れていました。先日亡くなった世界的な音楽家坂本龍一氏は、少なくとも3000本の樹木が伐採される神宮外苑の再開発に反対する手紙を先月、闘病中にも関わらず、小池都知事らに送付しました。そしたら、小池都知事は「さまざまな思いをお伝えいただいたが、事業者でもある明治神宮にも送られた方がいいのではないか」と発言したらしいですね。(「日刊ゲンダイ」3月18日付など)

 再開発の許認可権を持つのは、都知事ではなかったでしたっけ?

【追記】2023年4月6日

 銀座だけかと思ったら、そのお隣りの築地でも、あちこちでビルが解体されて、再開発が始まっています。特に、電通の旧本社ビルがあった辺りは、住友不動産が再開発するようです。日本人は50年に一度の頻度でビルを建て替えるつもりなんですかね?またまた、都市の風貌が変貌していきます。

銀座、ちょっと気になるスポット(3)=木挽町界隈

  「銀座、気になるスポット」と題しながら、前回は有楽町でした。今回も銀座のど真ん中とは言えない、ちょっと外れた東銀座の木挽町界隈を取り上げます。ここは、結構、意外と知られていない史跡があるからです。

 有楽町から南下して晴海方面に向かうと東西を走る大きな幹線道路に当たります。昭和通りです。港区新橋交差点から台東区の三ノ輪駅前までの8キロの道路です。大正12年(1923年)9月の関東大震災で帝都東京は壊滅的な被害を受けたため、当時、内務相兼帝都復興院総裁だった後藤新平の提唱で、幅108メートルの大道路が計画されました。しかし、財界等からの反対もあり、最終的には昭和3年(1928年)(張作霖爆殺事件があった年)に幅44メートルの道路が完成したわけです。

 銀座からこの昭和通りを横切ると、歌舞伎座などがある東銀座になります。そして、この辺りは、江戸時代は木挽町と呼ばれていました。歌舞伎通の方なら御存知でしょうが、木挽町と言えば、芝居小屋の町で、山村座(絵島生島事件で廃座)、河原崎座(後に森田座に吸収合併される)、森田座(休座するも、守田座と改め猿若町から新富町に移転)と三座もありました。

 もっとも、木挽町は、江戸初期に江戸城建設のために多くの木挽き(のこぎり)職人を住まわせたことからその名が由来します。ただ、江戸城の天守は、徳川家康、秀忠、家光の三代将軍がつくりましたが、明暦の大火(1657年)で焼失して以来、天守はつくられませんでした。城の修繕だけになってしまえば、かなりの木挽き職人も失職したのではないかと思われます。

ホテルグランバッハ東京銀座 2021年11月30日開業

 と、ここまでは全部「前触れ」でして、ご紹介したかったスポットは、江戸中後期の老中だった田沼意次邸跡です。今は、「ホテルグランバッハ東京銀座」(2021年11月30日開業)というホテルが聳えだっています。

 このホテルの敷地内に中央区教育委員会による「案内板」がありますが、タイトルは「田沼意次邸跡」ではなく、「狩野画塾跡」となっています。江戸幕府御用絵師である狩野派は四派ありまして、そのうちの木挽町狩野家六代目典信(みちのぶ)が、田沼意次の知遇を得て、ここ田沼邸の西南角に画塾を開いたといいます。つまり、田沼意次は芸術家のパトロンだったということになります。

 田沼意次と言えば、賄賂政治の親玉で悪の権化みたいに歴史の教科書に描かれていますが、幕府の財政改革に踏み切り、株仲間を育成して商工業者から初めて税を徴収するなどの功績もありました。また、前野良沢、杉田玄白らによって「解体新書」が翻訳されたり、エレキテルの平賀源内が活躍したりした時代でもありました。

 田沼は、後に寛政の改革を進めた松平定信らを中心とした反田沼派の保守層によって失脚させられます。老中として改革の先頭に立っていた頃は、神田の上屋敷に住んでおりましたが、天明6年(1786年)、彼が68歳で失脚した以降に蟄居したところがこの木挽町の下屋敷でした。

1852年

 田沼意次が晩年を送った下屋敷と狩野画塾があった所から66年後の幕末、今のみゆき通りを挟んだ真向かいに信州松代の真田藩士で兵法学者の佐久間象山の塾がありました。

中央区役所 (新富町)

 中央区教育委員会の案内板によると、塾は20坪程度の規模で、常時30~40人が学んでいたといいます。門下生には、勝海舟、吉田松陰、橋本佐内、河井継之助、坂本龍馬ら錚々たる顔ぶれです。

土佐藩築地邸跡(現中央区役所)

 ちなみに、龍馬は当時、土佐藩中屋敷を拠点としていました。土佐藩中屋敷は現在、東京都中央区役所になっていますから、距離にして800メートル。佐久間象山塾まで歩いても10分という近い場所にあったわけです。

J-POWER電源開発 

 この佐久間象山塾は現在、何になっているかといいますと、「J-POWER 電源開発」の敷地の一部でした。

 電源開発は知る人ぞ知る会社です。昭和40年(1965年)の九頭竜川ダム汚職事件の舞台になった会社で、石川達三が、この汚職事件や吹原産業事件をモデルにして「金環触」という小説を発表しました。

 この小説は、1975年に山本薩夫監督によって映画化されました。金融王・森脇将光がモデルの石原参吉役が宇野重吉、代議士田中彰治がモデルの神谷直吉役が三國連太郎、藤井崇治・電源開発総裁がモデルの電力開発総裁・財部賢三役が永井智雄、官房長官の黒金泰美がモデルの星野康雄役が仲代達矢、とまさに役者がそろった名作でした。 (お見逃しの方は是非とも御覧ください)

 勿論、あの「金環蝕」の舞台になった電源開発の本社がここにあったとは、つい最近まで気が付きませんでした。佐久間象山先生も吃驚です。

銀座、ちょっと気になるスポット(1)=ジョン・レノンの「樹の花」

 《渓流斎日乗》のブログは2005年3月に始めたので、今年でもう17年になります…中途半端ですね(笑)。この17年間、どういうわけか、このブログが原因でかつては親しかった友人たちが、疎遠になってしまう事案が複数回、起きています。このままブログを続けて良いものか迷い道にはまり、正直、かなり落ち込んでおります。

 ある友人の非難の理由は、このブログが「衒学的過ぎる」ということでした。ま、小難しいことばかり書いていて、気取っている、ということなのでしょう。生意気だ、気に喰わないということなんでしょう。本人は全くペダンチックだとは思ってはおりませんが、預言者というものは、お里が知れた故郷では受け入れられないものです。

 「賢い読者からの指摘があれば、問題になりそうな箇所はすぐ削除する。まるで自民党の手口だね。男気がない」などという批判もありました。

 「どうしようもない三流のマスコミに何十年もしがみついてきた三流のジャーナリストの書くものは、読むに値しない」と直球を投げて来る友人もおりました。

 読みたくなければ、読まなければいいのですよ。わざわざ、アクセスする必要もないでしょう。と、言わなくても友人たちはとっくに離れて、このブログはもう読んでいないと思いますが(笑)。

 それにしても、世間に影響も与えないこんな小さな無名のブログが、何でそこまで、見ず知らずの赤の他人からではなく、親しかった友人たちから非難されなければいけないのか、理解に苦しみます。欧米では食事中に政治や贔屓チームの話をすることはタブー視されていますが、私自身もなるべく現在の世論を二分にするような政治的イッシューを取り上げることはわざと避けて来ました。炎上してもその場限りです。実にくだらない。わざとらしいし、恥ずかしい。わざわざ火中の栗を拾うこともないでしょう。

 もう、生身の現代人を扱うことは嫌になったので、最近のブログでは、なるべく歴史上の人物を取り上げるようにしていたのですが、それでも、やはり、衒学的ですかねえ?

 まあ、好きにしてくださいな。嫌ならアクセスしなければ良いだけの話です。こちらは、お読み頂ける読者の皆様がいらっしゃる限り続けていくだけです。勿論、感謝を込めて。

 さて、そんな中で、考えた企画は「銀座、ちょっと気になるスポット」シリーズです。飲食店だけでなく、気になった史跡なども取り上げて、お茶を濁そうかと思ったわけです。実は、これまでこのブログに登場したサイトも重ねて取り上げるかもしれませんが、その点はどうか御勘弁ください。

 記念すべき第1回は「樹の花」という喫茶店を取り上げることに致しました。失礼ながら、ランチにカレーライスを出すような何の変哲もない喫茶店ですが、あのジョン・レノンとオノ・ヨーコが利用したお店でした。

 1979年夏のことです。何とこの店が開店して4日目だったそうです。東銀座の歌舞伎座の「横」にありますから、てっきり、ジョンとヨーコが歌舞伎を見た帰り、たまたま立ち寄った喫茶店かと思っていたら、お店にしっかり説明書きがありました。

 ジョンとヨーコはハイヤーで築地の映画館に来ると、子どもたちだけを降ろして「スーパーマン」が終わる時間までどこかゆっくり過ごせる場所を探して銀座4丁目の方へ歩き始めた。…少し歩いた所で、偶然、樹の花という看板を見つけた。…二人は入り口に近い窓際のテーブルに向かい合って座った。コロンビアコーヒーとダージリンティーを注文すると互いの目を見つめながら静かに語り合う。…

 築地の映画館とは恐らく「東劇」のことでしょう。このビル(松竹本社)は改修(建て替え)されることが決まっており、間もなく閉館されます。

 「樹の花」は、ビートルズ・フリークの私ですから、一度、ジョンとヨーコが座った同じ席に座ったことがあります。今はどうなっているのか知りませんが、10年ぐらい昔、私が利用した時は、席の壁に二人の写真が飾られていました。

上野・洋食「黒船亭」1979年8月 ジョン・レノン(前列右から2人目)とオノ・ヨーコ ※お店の人に許可を得て撮影しております

 そう言えば、今年2月28日に行った上野の老舗高級洋食店「黒船亭」にも、訪れたジョンとヨーコの写真が店内に飾られていました。撮影日が1979年8月とありますから、ちょうど銀座の「樹の花」を訪れた時と同じような頃です。偶然の一致に少し驚いてしまいました。

 それにしても、「樹の花」が開店して4日目にジョンとヨーコが偶然、訪れ、この店は、それ以来今日まで43年間も続いているとは…。残念ながら、ジョン・レノンはそれから1年半後の1980年12月8日にニューヨークの自宅前で暗殺されてしまいます。行年40歳。

PCR検査に初めて挑戦=果たしてその結果は?

  東京・銀座のど真ん中、ということは銀座4丁目交差点近くのビル1階で、臨時に無料の「PCR検査所」が設けられていたので、初めて挑戦してみました。

 実は、そんな会場があるとは知らず、たまたま朝の通勤の際に通り掛かって発見したのでした。私は会社にはいつも早めに(30分前とか1時間前とか)に到着しているので、時間的に余裕があったのです。外で立っていた若い係りの人に「時間はどれくらいかかりますか?」と聞いたところ、「10分か15分ぐらいです」と応えてくれたので、思い切ってやってみることにしました。

 まあ、早起きは三文の得、といったところでしょうか。

東京・銀座4丁目交差点付近のビルで、臨時のPCR無料検査を実施

 でも、「無料検査」ということで、少し、不安になりました。主催者が「東京都」になっているのがチラッと見えたからでした。私は都民ではないので、都民税を支払っていませんからね(でも、地元ではしっかりと納税しておりまする)。しかし、もう一つの主催者は「内閣府」であり、私は日本国民であり、都心の銀座の職場に通勤しているわけですから、通用するのではないか、と開き直りました。

 それでも、受付の人から、色々と細かく聞かれ、何で検査したいのか理由まで聞かれ(後で記入)、「会社の同じフロアで感染者が何人も出たからです」と答えると、先方はやっと納得して、了承してくれました。

◇さて結果は?

 やり方は、細いプラスチックの容器に唾液を入れるだけですが、なかなか一定量が貯まりません。最初に係の人に「これでいいですか?」と見せたら、「まだ、足りませんよ」と言われ、再挑戦してやっと認めてもらいました。やはり、15分は掛かったでしょうか。

 で、どうなったのか? 実は検査を受けたのは昨日の朝9時ごろのことでした。もし結果が悪かったらどうしよう、と内心怖れていたのです。こんなことブログなんかに書かなければよかった、と後悔したかもしれません。いずれにせよ、検査を受けて陽性だった人は必ず保健所に届けることが義務付けられ、署名もさせられました。

 で、結果はどうだったのか?

 うーん、いやにタメますねえ(笑)。

 実は、たった今、主催者から、メールで返答があったのです。

 結果は「陰性」! 特に熱もないし、咳も出ないので、大船に乗った気持ちではありましたが、実は内心、ビクビクしていたのです。

 これで一安心ですが、これからも早寝早起き、うがい手洗い、消毒、三密回避、栄養のある食事摂取、適度な運動等は続けていこうと思ってます。

 他人様に御迷惑をお掛けしたくありませんからね。

いざ「竹葉亭」へ=ポイント乞食、老舗鰻屋に走る

 本日は、通勤途中、朝っぱらから原付バイクに乗った若いおまりさんから追い駆けられて叱られました。詳細は省きますが、嫌なことがあったので、通勤定期を買ったりして溜まっていたJRのスイカのビューカードに付いたポイントを今朝、駅にある「ビューアルッテ」で交換してきました。数千ポイント溜まっていたので、そのまま数千円分使えることができます。

 さて、どうしようか。差し当たって、今欲しいものは特にありません。いや、あるんですけど、それは、ジョン・レノンがはめていたパテック・フィリップの高級腕時計で、それは数千円ではなく、数千万円もするので、買えるわけありません(笑)。

 そこで、本日は高級ランチに行くことにしました。今、喉から手が出そうで出ない高級ランチと言えば、ここしばらく御無沙汰の鰻です。そして、鰻といえば、銀座界隈で食すとなると築地の「竹葉亭」に決まってます。竹葉亭は銀座5丁目にもありますが、やはり、本店の築地の方が落ち着いて食すことができます。

築地「竹葉亭」鰻お丼B 3520円

 このコロナ禍による不景気のご時世だというのに、店内はほぼ満杯で、少し待たされました。

 こっちはポイントで稼いだ余剰金があるので、大船に乗ったつもりで、「 鰻お丼」のAではなく、少し高いBを注文しました。

 さすが、幕末創業の竹葉亭。文句なしのお味でした。

 さて、お隣の席は、初老の紳士と三十路そこそこの若い女性で、何となく怪しい関係に見えるカップルでした。耳を塞ぐわけにはいかず、二人の会話は丸聞こえでした。

 どうやら初老の紳士は、スパイ映画007の大ファンらしく、全部観ているとか。何故なら、第1作「007 /ドクター・ノオ」が公開された年(1962年)に生まれているからだ、と紳士は若い女性に呟いていました。隣に諜報員がいるというのに、そんなことまで喋っていいんですかねえ。59歳か…これで、彼の年齢が分かってしまった(笑)。

 そして、007の大ファンのため、彼の愛用腕時計は、スイスの「オメガ」だと言いつつ、若い女性に自分の腕時計を見せびらかしていました。「まあ、凄い!」と女性が黄色い金切り声をあげたことは言うまでもありません。

 紳士のお仕事はどうもファッション関係のようで、青山にある高級ブランドB店の店長に今度紹介するよ、電話しとくよ、と何度も言ってました。恐らく、店長の口利きで割安で商品が買えるんでしょう。再び、若い女性は黄色い金切り声でした。

築地「吉兆」工事中?

 また、さて、ですが、以前にもこのブログで書いたことがあるのですが、新橋、築地界隈は、明治時代から高級料亭が林立しています。「吉兆」、「松山」、「米村」、「金田中」(新橋演舞場)、「新喜楽」(芥川・直木賞の選考委員会が開かれますが、実はここは「築地梁山泊」の異名を取った大隈重信邸でした)、「ふぐ料亭わのふ」(かつての料亭「石蕗(つわ)」)、「花蝶」(1968年の日通事件の舞台になった)等々です。

 この中でも代表的な高級料亭は「東京 吉兆」ですが、久しぶりに近くを通ったら、何と今、工事中でした。しかし、「建築計画」の看板をチラッと見たのですが、吉兆の「き」の字も書かれていませんでした。

 「おかしいなあ」と思いつつ、会社に戻ってパソコンで調べたところ、どうも、あの「吉兆」がコロナ禍のあおりを受けて、今年1月で「休業」してしまったらしいのです。どうも事実上の「閉店」らしいのです。よく分かりませんが。

 世知辛い世の中になって、政治家さんたちが料亭で密室政治をやってくれなくなったからでしょうか…。残念といいますか、良きにつけ悪しきにつけ、日本の伝統文化がなくなったようで、何か哀しいものがあります。

 

ルソーの一族は時計職人だった=銀座・高級腕時計店巡り

 このブログでは、これまで、「銀座ランチ」とか、「銀座・明治新聞街」とか、「銀座・地方物産店巡り」など色々と「銀座企画」をやって来ましたが、少し、飽きてきたので(笑)、他のものをやろうと考えてみました。

 代替案はすぐ見つかりました。「銀座・高級腕時計店巡り」です。銀座を歩いていると、やたらと高級腕時計の販売店が目立つのです。もしかして、飲食店に次ぐぐらい多いかもしれません。

 何と言っても、銀座のシンボルは、4丁目の服部時計店=セイコーですからね。世界各国から、特にスイスの高級腕時計店が銀座に集まって来るのも頷けます。何しろ、高級腕時計は安くても数十万円、パテック・フィリップともなると数千万円もする代物ですから、「信用」が肝心です。消費者は、銀座に出店しているから安心して買うのです。その点、銀座に画廊が集中しているのと同じ論理です。やはり、偽物はつかませられたらたまりませんからね。

銀座SIX「シチズン」

 最初に取り上げるのは、日本に敬意を表してシチズンです。銀座SIXにあります。

 1918年創業。関東大震災の翌24年にシチズンの前身・尚工舎時計研究所によって懐中時計が販売され、30年にシチズン時計株式会社が創立されたとのこと。シチズンの命名者は、当時、東京市長だった後藤新平です。この人、色んなところで登場しますね。本社が、今でも、私も土地勘がある西東京市田無町にあるというのがいいですねえ。

銀座SIX「アーノルド&サン」1764年創業

 このシチズンの隣りにあるのが「アーノルド&サン 1764」です。恐らく、シチズンと販売契約を提携していると思われます。英国の時計職人ジョン・アーノルド(1736~99年)に敬意を表して、その名前を冠していますが、スイスの時計店です。1764年とは、アーノルドが国王ジョージ三世に小さな2度打ち時計を塔載した指輪を献上した年なんだそうです。

銀座6丁目「IWCシャフハウゼン」1868年

 私の得意な「みゆき通り」を歩いても、何軒か、高級腕時計店を見かけます。

 上の写真の 「IWCシャフハウゼン」 は、確か、以前はここに風月堂の喫茶店があったと思います。風月堂ビルのままですし、よく、取材でも使ったので間違いありません。

 今や、スイスの高級腕時計店にリースしているということなのでしょう。IWCとは「インターナショナル・ウォッチ・カンパニー」とのこと。スイスでもドイツ語圏のシャフハウゼンが本拠地に1868年創業。パイロット・ウオッチが世界的にも有名で売れ筋のようです。安くても50万円ちょっとなので、あたしには関係ないですが。

銀座5丁目 ブランド時計販売店「エバンス」1987年創業

 みゆき通り、銀座5丁目でよく見かける「エバンス」はブランド名かと思ったら、販売店の名前のようでした。ロレックスやウブロなど高級腕時計を扱っているので、勿論、お店の中には入りずらいのです(笑)。

銀座5丁目 総代理店「シェルマン」フィリップ・デュフォー、ハブリング・ツー、クドケなど個性豊かなと時計を販売

 この 「シェルマン」 も時計のブランド名かと思っていたら、高級腕時計の総代理店名でした。(水曜日は休みのようでした)

 この店の前は、通勤でしょっちゅう通るので、馴染みになっていますが、店に入ったことはありません(笑)。日本ではあまり知られていない 「フィリップ・デュフォー」「ハブリング・ツー」「クドケ」など個性豊かなスイスの高級腕時計を販売しているようです。

銀座5丁目「センチュリー」1966年創業

 本日最後は「センチュリー」です。 1966年に創業されたサファイアを使った高級時計ブランドですが、恐らく、日本人でも知る人ぞ知るブランドだと思います。(この店も水曜日は休みでした。契約が水で流れると禁忌している日本の不動産屋さんが、水曜日を定休日にするみたいですね)

 このビルが建つ前の、取り壊された古いビルから知っていましたが、銀座にこんな立派なビルを建ててしまうことができる高級腕時計会社というものは、「儲け率」が高いのではないかと下衆の勘繰りをしてしまいました。

 「だから、何なのだ」と言われそうですが、スイスの時計というのは、草創期の17~18世紀では、今で言う超ハイテク機器だったことでしょう。世界中の王侯貴族が買い求めたと言われ、それは今でもあまり変わりありませんね。

 あの自由思想主義者のジャン・ジャック・ルソーはスイスの仏語圏のジュネーブ生まれで、ルソーの父イザークを始め、ルソー家は代々、時計職人だったことは有名です。ルソー家は、いわばエリートだったのです。

「銀座で最も評価が高い」とネットで評判のとんかつ屋さん(あえて名前は秘す)。目立たない地下にあり、やっと探し当てて、少し並んで、ロースかつランチ定食(1200円)を食しましたが、ちょっと脂身が多くて、小生の口にはちょっと…。大いに期待していたので、ネットの評判も当てにならないなあ(笑)

 このルソーの話もまた、「それがどうした」と言われそうですね。

 「いいじゃないか。だって、ブログだもん」と言い返すしかありません(笑)。

(本当は、「ベル&ロス」という1992年、パリで、カルロス・A・ロシロとブルーノ・ベラミッシュにより共同創業された異様に格好良い高級腕時計(銀座4丁目に今年5月に旗艦店がオープン)を御紹介しようと思って、今日行ってみたら、お店は改装中でした。残念)