攘夷と開国の成れの果て

 時は幕末。

 血気にはやる若者たちは、尊王攘夷思想を信奉して、幕府打倒に立ち上がりました。

 病気がちの将軍に代わって、忖度主義で権力を独占したのが老中の阿倍正弘でした。敵対する井伊直助を排除して、ついに開国に踏み切ります。

 不平等条約を結んだのは、ハンザ同盟から離脱したエゲレスと、奴隷解放令を成立させて異国に奴隷を探し求めていたメリケン。そして、インドシナを植民地にして勢いに乗るオフランス。こうして、開国によって、高給を求めて大勢の異人が大和に押し寄せて来ました。

 しかし、異人さんは、大和の実態を知りません。分別のある大人が、電車の遮断機の横棒をノコギリで切断したり、新幹線を止めて線路に飛び降りたり、泰国まで出稼ぎして振り込め詐欺を働くような野蛮な人間がいることさえ知らないのです。異人さんたちは、お金を稼ぐのが目的ですから、「万葉集」どころか、大和言葉に興味ありません。大和学校に登録するだけで、学校に通わず、仕事優先。茶屋四郎次郎が経営する江戸福祉学問所は、これがビジネスチャンスと便乗し、幕府から助成金をふんだんにせしめています。異人が行方不明になろうと知ったことはありません。登録料さえもらえば、後は野となれ、山となれです。

 一方、異人さんの不満解消・吸収策のため、老中の阿倍正弘は、御用瓦版を使って、「人手不足の解消」だの「大和人との同等賃金を」だの「かわいそうな異人たち」だのと、盛んに洗脳記事を書かせます。

 しかし、老中の阿倍自身が、この開国によって、将来の大和がどんな「国のかたち」になるのか、全く想像も思い描くこともできませんでした。

 大津安二郎監督が「大学は出たけれど」を撮った安政の大獄恐慌の頃と同じように、老中阿倍政権の初期に、就職超氷河期が押し寄せました。そのため、40歳になってもいまだにアルバイトか、パートか、契約、派遣に甘んじている大和人が、職安通りに溢れています。それなのに、阿倍政権は、異国人優先の開国に踏み切りました。

 さて、幕府打倒に踏み切った非正規雇用の若者たちの運動は、どうなったのか?

 それが、ぽしゃっちゃったのです。阿倍老中政権の巧みな「働き方改革」で残業がなくなり、享保の改革、寛政の改革、天保の改革に並ぶ金字塔を打ちたてたのです。御用瓦版を使って、民百姓を洗脳し、若者だけでなく、異人さんたちも懐柔し、羊の群れのように唯々諾々とお上に従う民を道徳教育で作り上げることにも成功したのです。

 若者たちは、GHQの目論見通り、国営放送を通じて、芸能人のスキャンダルとスポーツ観戦にひたすら熱中し、銀座の歩行者天国で、ええじゃないか踊りに没頭し、物見遊山の超富裕異人さんたちは、群れをなして日本橋の高級商店に押し寄せて爆買し、格安航空で来た異人集団は道端に食べ残しを捨てまくり、疲れては地べたに座り込み、飽きては大声で叫び、穏やかな大和人の通行を妨害し、開国の自由を謳歌しているのでした。

 嗚呼、まんず、めでたし、めでたし。

建築ジャーナリスト淵上正幸氏の世界

 昨日4月14日(日)は、東京・大手町のサンケイプラザで開催された仏友会総会に参加してきました。仏友会とは、東京外国語大学でフランス語を専攻した人たちの同窓会で、大正時代からある伝統的な親睦会です。一時、というか、長らく「休眠」していたのですが、25年ほど前から田島宏先生の呼び掛けで復活したそうです。

 私自身は、何も知らずに15年ぐらい前から参加していたので、同窓会というのは普通のものかと思っていたら、同じ大学でも英米語を専攻して卒業した人から、「同窓会がないので参加したことがない」という話を聞いたので、驚いてしまいました。と、同時に仏友会を復活させて頂いた諸先輩方の努力と苦労には頭が下がる思いでした。

建築ジャーナリスト淵上正幸氏

 14日は、昭和31年卒のOB(ということは84歳ぐらい) から現役3年生(ということは20歳ぐらい)まで61人も参加しました。毎回、斯界で活躍する先輩卒業生による講演会が開催されますが、今回は建築ジャーナリストの淵上正幸氏。ちょうど50年前の昭和44年卒業ということですから、とっくに古希は過ぎておられますが、非常に若々しく50代にしかみえません。

 しかも、抜群の記憶力の持ち主で、世界各国の著名な建築家の「作品」をスライドで説明しますが、全く、メモも見ず、作品の規模から価格、歴史的背景、建築家の略歴まですべて細かい数字も頭の中に入っていて説明されていたので、恐れ入ってしまいました。こんな頭の良い人は、世の中にそういません。

 大学の卒業生の中には、本当に色んな方がいらっしゃいますが、「建築ジャーナリスト」なるものは初めて聞きました。そしたら、淵上氏は「建築ジャーナリストというのは、私がつくった肩書で、初めてでしょう」と仰るので、ずっこけてしまいました。大学卒業後、紆余曲折があって、結局「新建築社」という出版社に転職し、これまで、全く、建築に興味がなかったのに、会社の書庫で、世界中の多くの「建築写真集」を見ているうちに、異様に面白くなり、世界中の建築を見て回る仕事に没頭したといいます。この新建築社という会社、私は全く知りませんでしたが、大正14年創業の老舗でした。

 それにしても、建築士でも設計士でもない方が専門家にインタビューしたり、同等に渡り合ったりして、どんなことをするんだろうか、と思っていたら、淵上氏の話を聞いて、大枠が分かりました。ここでは詳しく書けませんが、かなり凄いこともやっておられました(笑)。

 とにかく、淵上氏は、今の日本の建築ジャーナリズムの世界ではナンバーワンの方で、「ヨーロッパ建築案内1~3」「アメリカ建築案内1~2」などの著書多数あり、昨年は、日本建築学会文化賞まで受賞されてます。当然ながら、現代建築界の「世界の巨匠」と呼ばれる方とも昵懇で、建築家と施行主、自治体、もしくは大富豪との間を取り持つコーディネーターの仕事もされております。吉祥寺のハーモニカ横丁をシマにして、お酒と女性をこよなく愛す大変ユーモアに溢れた方で、世界各地の著名建築を見る旅を主宰されたり、ノミニケーションで、世界の巨匠の一人から、御自宅の門をタダで設計してもらった特権まで披露されておりましたが、これは内緒の話でした(笑)。

 個人的ながら、私も建築は好きなので、バウハウスのグロピウスやル・コルビュジエらの作品など知っているつもりでしたが、彼らのような1900年から1967年ぐらいまで活躍した人たちの作品を「近代建築」と呼び、それ以降を「現代建築」と呼ぶということでした。この現代建築家として、世界的に有名な丹下健三をはじめ、磯崎新、安藤忠雄、隈研吾といった日本人は知っていましたが、世界の巨匠となると、ほとんど知らず、淵上氏のスライド紹介で初めてその輪郭が分かりました。


オーレ・シェーレン設計のシンガポールの「インターレイス集合住宅」

 約2時間の講演会の世界各地の建築紹介の中で、一番印象に残ったのは、ドイツのオーレ・シェーレン(1971~)設計のシンガポールにある「インターレイス集合住宅」でした。傍から見ると、不安定な積み木を組み立てたような変な集合住宅で、淵上氏も「酔っ払って帰ったら、自分の部屋が分からなくなる」と冗談を飛ばしておりました。でも実体は、六角形を基準になかなか精緻で緻密な計算で作られた設計で、中庭を配したり、プールをつくったり、風通しや日射を良くするために、一部の建物を割愛したり、「あっと驚く」工夫設計でした。

 2020年東京五輪の新国立競技場会場設計をコンペで獲得しながら、後で政府により白紙撤回されたイラク出身のザハ・ハディッド(1950~2006)も淵上氏とは昵懇の仲だったようで、少し長く紹介の時間を割いていました。

 建築費の高騰を理由に撤回され、猛烈な抗議の中で、ハディッド氏は、65歳で心労も原因で急死してしまいますが、彼女の作品が紹介されたスライドを見て、本当に類稀な才能で、惜しい人を亡くしたと思いました。新国立競技場問題の最中は、政府による巧みな世論操作で、日本人は、ハディッド氏がまるで我利我利亡者のような印象を植え付けられましたが、そんなんじゃなかったんですね。何か背後に「鶴の一声」があったのかどうかも真相は不明です。

 東京・汐留の電通本社ビルを設計したのがフランスのジャン・ヌーヴェル(1945~)で、淵上氏の親友でした。酔いに任せて彼の自宅の門を設計する約束をさせたのが、この人でした(笑)。この人を調べてみたら、私自身が昨年、スペイン・マドリードでピカソの「ゲルニカ」を見たあのソフィア王妃芸術センター新館を設計した建築家がこのジャン・ヌーヴェルだったんですね。驚きでした。

 有楽町の東京国際フォーラム(1996年)を手掛けたのがウルグアイ出身のラファエル・ヴィニオリ(1944~)で、これで一躍有名になり、世界各国で引く手数多だそうです。

 このほか、世界の巨匠として、104歳で亡くなったブラジルの天才建築家オスカー・ニーマイヤー(1907~2012)やメキシコの巨匠ルイス・バラガン(1902~88)、カナダ出身のフランク・ゲーリー(1929~)らも紹介してくれましたが、実際に現地に行って、実物を見たくなってしまいましたね。

東京駅 辰野金吾

 絵画や彫刻とは違って、建築物(美術館、大学、病院、駅舎、集合住宅、オフィス、モール街など)は持ち運べず、そこに行かなければ見られません。淵上氏は、建築見学ツアーも主宰されており、「現地にタダで行って、帰れば、講演会と執筆・出版もできます。一石二鳥どころか、一石三鳥です」と最後までユーモア溢れる講演会でした。

 それにしても、建築設計の世界は素人には全く分からない世界です。世界中のコンペ情報はどうやって入手するのか?どのように審査されるのか? 設計費やマージンやコーディネート代はいくらが相場なのか?-気になることばかりでしたが、知っても、茲では書けないでしょうね(笑)。同じジャーナリストなら、人間の業(ごう)や暗闇や負の側面ばかり見せつけられて、ひねくれてしまうジャーナリストより、世界中を飛び回れる建築ジャーナリストになればよかったかなあ。。。(一部敬称略)

【補遺】「人間には3種類しかいない」「長谷川家住宅」「使うな、危険!」、そして渋沢栄一

 ■映画「バイス」を観て、後から思ったのですが、主人公のチェイニー米副大統領には、彼を支えてくれる家族が頻繁に登場しますが、本当に心を割って話せるような親友がいない感じでした。

 そこで思い出したのが、かつて外務大臣を務めた田中真紀子さんが言った言葉です。

 「人間には3種類しかいない。家族か、敵か、使用人だ」

 いやあ、これは名言ですね。勿論、皮肉ですが。

 使用人というのは、普通の人は決して使う言葉ではありませんが、恐らく彼女は父親角栄さんの会社経営を一部引き継いだことがあり、それで、会社法の役員ではない社員を指す「使用人」という言葉がすぐ出てきたのではないか、と同情してしまいました。

 映画を観終わって、チェイニーさんも、彼の頭の中には「家族」と「敵」と「使用人」しか存在しないのではないかと思ったわけです。

Copyright par Kyoraque-sensei

 ■渓流斎ブログ2019年4月7日付「 京都『長谷川家住宅』で松岡氏の『在満少国民望郷紀行』スライドショーが開催 」で触れた「長谷川家住宅」ですが、講演を終えて、京都から東京の自宅に帰宅した松岡將氏から、メールで詳しい情報を寄せて下さいました。

 まず、この長谷川家住宅は、有形文化財に登録されていますが、幕末は、何と、あの「蛤御門の変」の際に会津藩士の宿舎だったというのです。現在の当主の中川氏は、松岡氏の農林水産省時代の後輩に当たる人で、開催に当たって全面的に支援してくださったようです。

 開催案内のパンフレットも添付して送って頂きましたが、何と、後援として、農林水産省近畿農政局、京都府、 朝日新聞京都総局、京都新聞、古材文化の会と、錚々たる名前が連ねておりましたから、かなりの規模だったことが分かります。

 参加者の中には、「近畿満鉄会」の会員で、歌手の加藤登紀子さん(満洲・哈爾濱生まれ)の御令兄(元大手金属会社副社長で現在、ロシア料理店社長)や東京帝大の「新人会の研究」などの著作がある日本の近現代史専門のヘンリー・スミス・コロンビア大学名誉教授らも臨席されたそうです。

関宿城

■4月8日付では「関宿城址を巡る旅」を書きましたが、遠足だというのに、手を拭くウエットティッシュを持って行くのを忘れてしまい、難儀してしまいました。

 そしたら、昨日読んだ小岩順一著「使うな、危険!」(講談社)を読んでいたら、コンビニやドラッグストアなどで売っているウェットティッシュには、人体に影響を与える塩化ベンザルコニウムやパラベン、グルコン酸クロルヘキシジンなどが含まれているというのです。

 ウエットティッシュで拭いた手で握った寿司を口にしようものなら、食中毒になりかねないといった警告も書かれていました。

 あらまーー。それなら、ウエットティッシュを使わずにそのまま、おにぎりを食べたことは、よかったということになりますね。衛生的にどうかと思いましたが、免疫力がついたかもしれません(笑)何せ、現代人は「無菌」だの「無臭」だのと、やたらとうるさすぎます。ウエットティッシュで殺菌されたと勘違いして、もし食中毒になったりしたら、本末転倒です。これは、笑えませんよ。

 この本では、ウエットティッシュの代わりとして、20度の焼酎甲類ミニボトルを買い、ティッシュペーパーに濡らして使えばいい、と書かれていました。手の消毒になりそうですね。次回はその手を使ってみましょう。

 この本には、他にも色々書かれていますが、ご興味のある方は、古い本ですから、図書館でも借りてみてください。

Copyright 財務省のHPから引用

■昨日は新紙幣のデザインが正式発表されました。1万円が渋沢栄一、5000円が津田梅子、1000円が北里柴三郎になることは、皆さん、御案内の通り。

 でも、新紙幣の発行は5年後の2024年。5年も前に発表しますかねえ?何でこの時期? 何か政治的臭いを感じますねえ。。。

 さて、この中で一番の注目は、1万円の渋沢栄一でしょう。私も東京都北区王子の飛鳥山公園内にある記念館を訪れたことがありますが、この人、怪物みたいな偉人ですね。「日本の資本主義の父」で、500近い企業を創業したというのですからね。

 出身は、現在の埼玉県深谷市。映画「翔んで埼玉」が話題になっている今、埼玉県人は大いに喜んでいることでしょう。何しろ、映画では「埼玉県人はそこら辺の草でも喰っていろ!」と虐待された県民ですからね(笑)。

 昨晩、天下のNHKラヂオを聴いていたら、女性アナが大興奮していて、「私は埼玉県出身なんですが、小さい頃、郷土の歴史で、渋沢栄一が如何に偉い人なのか習いました。そんな郷土の英雄が選ばれるなんて感無量です」と、ずっと喋り続けていたら、隣の男性アナが「渋沢栄一は、埼玉県の英雄というより、日本の英雄ですよ」と、たしなめていたので可笑しかったですねえ。

 渋沢栄一が関係した会社として、王子製紙、みずほ銀行、キリンビール、三井物産、日本経済新聞など今でも大活躍している企業が名を連ねています。

 王子の渋沢栄一記念館に行った後、あまりにも色んな所に渋沢栄一の名前が出てきたので、その後、しばらくの間、どこに行っても渋沢栄一の名前が頭の中に出てきて、夢にまで出てきたので少し困りました。

 ここまで、彼の偉業ばかり書きましたが、ひねくれた見方も書き添えておきます。渋沢栄一は、2回結婚してますが、他にお妾さんが数多いらっしゃって、子どもが20人ぐらいいたそうです。

 当時は、普通のことだったかもしれませんが、20人とは凄い。「英雄色を好む」と言いますか、それでも、よほどの資産がないと沢山の子どもたちを養育できないでしょうから、偉人だったことは確かです。

 渋沢栄一の最初の結婚は、従妹の尾高千代でしたから、現在でも渋沢家と尾高家とは濃厚な縁戚関係になります。クラシック音楽通なら誰でも知っている「尾高賞」の作曲家・指揮者の尾高尚忠、その長男の尾高惇忠(作曲家)、次男の尾高忠明(指揮者)らも渋沢一族だったんですね。

 最後に、天保年間生まれの渋沢栄一は、現在の埼玉県深谷市の豪農出身ですから、身分は農民です。それでも、幕末は「徳川慶喜に取り立てられて幕臣になった」と何処の本にも書かれていますが、どうやって幕臣になれたのか何処にも書いていません。恐らく、豪農でしたから、お金で、武士の株券でも買ったのではないでしょうか。それに、幕末は身分制度が曖昧になり出したと言います。最も武士らしいと言われた新撰組の近藤勇も土方歳三らも、元々は、日野村の農民でしたからね。

 

京都「長谷川家住宅」で松岡氏の「在満少国民望郷紀行」スライドショーが開催

少しご無沙汰しておりますが、ご存知、京洛先生です。

桜花爛漫の時季になりましたが、昨日6日午後、貴人の畏敬する松岡將さんが京都にお見えになって、市内南区の国登録有形文化財「長谷川家住宅」で、貴人が、渓流斎ブログで再三紹介している彼の自著の一つである写真集「在満少国民望郷紀行」(同時代社刊、本体価格3千円、B5変形上製246頁、カラー頁多数)のスライドショーが開かれました。

Copyright par Kyoraque-sensei

会場の長谷川家住宅は、幕末の「鳥羽伏見の戦い」の舞台になった竹田街道のそばにあり、江戸時代は寛保2年(1742年)に建てられた農家住宅で、下の写真をご覧になればお分かりになる通り、大きな土間を使ってのスライドショーになりました。

Copyright par Kyoraque-sensei

週末の土曜日でしたが、何と50~60人の方が見えて、松岡さんは、現在と昔の満洲の風景、建物の変貌ぶり、それに絡めて、自らの満洲での実体験談を4時間近く、休憩も取らず、喋られました。

とても、その語り口は、80歳半ばとは思えないほどエネルギッシュで、戦前の満洲や、日本軍についても言及、終戦から、命からがら大陸から引き揚げ、帰国するまでの経過、様子を話されました。年齢的に、戦前の在満体験者がドンドン少なくなっているだけに、在満者の“語り部“として、これからも大いに活躍してもらいたいものです。

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 「上映会」のあと、缶ビール、サンドイッチ、シャレたオードブルでの懇親会がありましたが、参加者の中からは「今の学校の授業の歴史は明治維新まで、その後の戦争や昭和や現代の歴史はほとんど触れません。今日は、満洲でどういうことがあったのか、よく分かりました」と松岡さんにお礼を言う人もいました。

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「平成」も残りわずか、来月5月からは「令和」です。昭和20年8月の終戦後に生まれた世代が大半になり、その戦後生まれが「日清、日露戦争」をはるか遠くに感じるように、今度は平成生まれが、満洲事変、太平洋戦争などを、それと同じくらい遠い昔の話になるのは確かです。

残念がら、「語り部」がいなくなると、同じ間違いをまた繰り返すわけで、「懲りない」とはそういうことです。

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悔しいですが、人間は学習など全くしていないし、しないのです。「学習は刹那」です。

以上、京洛先生でした。

チェイニー副大統領から、話はケネディ大統領、ドレクセル商会まで飛びました

 変貌自在の「カメレオン俳優」クリスチャン・ベールが 、20キロも増量して第46代副大統領ディック・チェイニーを演じる「バイス」(アダム・マッケイ監督)が今週末の4月5日に公開されるというので楽しみにしてます。

 その予習を兼ねて、広瀬隆著「世界金融戦争」(NHK出版、2002年11月30日初版)を読み返しております。

見沼遊歩道

 チェイニー副大統領といえば、「米史上最強で最凶の副大統領」(映画のコピー)との悪名高く、能力に秀でいないブッシュ(息子)大統領に「イラクは大量破壊兵器を隠し持っている」と嘘の報告書を信じ込ませて、米国をイラク戦争に導いたと言われてます。どれもこれも、自らCEOを務め、大量の株式を保有していた石油サービス会社ハリバートン(米テキサス州ヒューストン)のためだったといわれてます。ハリバートンは、石油や天然ガスなどの採掘から、米軍の食事や洗濯サービスに至るまで幅広く事業を展開し、子会社にこれまた政府や米軍などと密接な関係を持つテクノロジー企業KBR(ケロッグ・ブラウン・ルート)まであります。

 チェイニーの妻リン(エイミー・アダムズが演じる)は、この映画の公式ホームページでは「文学博士号を持つ著述家」で、酒癖の悪い夫の尻を叩いて政界に進出させたしっかり者のように書かれています。しかし、広瀬氏の「世界金融戦争」では、リン・アン・チェイニーは、普通の主婦ではなく、「世界最大の軍需産業ロッキード・マーティンの重役で、保守系シンクタンク、アメリカン・エンタープライズ研究所の幹部を務めていた」と暴露しております。映画ではそこまで描かれているのでしょうか?


見沼遊歩道

 さて、「世界金融戦争」にはあまりにも多くの欧米を中心にした世界の人名と企業が出てきますので、一回読んだだけではとても頭に入りきれません(苦笑)。ドストエフスキーの小説を読むより大変です。

 同書では、ロスチャイルド系のゴールドマン・サックスやメリルリンチ、リーマンなどウォール街のユダヤ資本と石油企業とホワイトハウスが三位一体で利権をたらい回ししている構造を明らかにしてます。

 この本は、2001年の「9・11事件」直後に書かれたので、米国とイスラム資本との対峙も描かれて、なかなか濃密な内容です。私は、学生時代は「イスラム教の預言者マホメット(ムハンマド)は、アラブの商人だった」といった程度しか勉強しませんでしたが、同書によると、ムハンマドを生んだハーシム家は、小規模ではなく、恐らく、日本の三井、三菱、住友、安田財閥を足して数百倍にもしたような超・大財閥だったようで、著者が作成した系図からは、その子孫としてサウジアラビアやイエメン、イラン、インドネシアなどイスラム圏の国王を生んでいたことが明かされています。実に驚きです。

 でも、私自身、頭が悪いせいか、もう既に、ここに描かれている「エンロン事件」も「ワールドコム倒産」などもすっかり忘れているんですからね。情けない。ま、20年前の話ですから、日本人の多くも忘れていることでしょうが…。


見沼遊歩道

 この本が書かれた2002年当時は、現在ほどネット情報が充実していなかったので、著者はよくぞここまで「手作業」で調べたと思います。例えば、「アメリカの政党や大統領で石油利権と無関係の政権は、1870年にロックフェラーがスタンダード石油を創業してから一度も出現していない」と自信たっぷりに書き、関係者の人間関係を明らかにします。

 その内容について、色々書きたいのですが、長くなるので今日は、ジョン・F・ケネディ大統領のことだけ書いておきます。その父、ジョゼフ・ケネディは1929年のニューヨーク株式大暴落の際、事前に持ち株を売り逃げて莫大な財産をつくり、その資金でルーズヴェルトを大統領に押し上げる最大な功労者だったと言われます。

 ルーズヴェルトは、その見返りにジョゼフをウォール街の番人とも言うべき米証券取引委員会(SEC)の初代委員長に任命します。ジョゼフは息子のジョン・フィッツジェラルド(JFK)の結婚相手にジョン・ブーヴィエの娘ジャックリーンを指名します。ブーヴィエの大伯父が、米国の産業界を支配するモルガン商会のパートナー、フランシス・ドレクセルだったからだと言われています。フランシスの弟のアンソニー・ドレクセルがジョン・ピアポント・モルガンとともに、ドレクセル・モルガン商会を設立し、のちにモルガン商会、J・P・モルガン・チェースに発展します。

 また、ドレクセル商会から生まれた投資銀行がドレクセル・バーナム・ランベールです。バーナムは、証券ブローカーを経営していたアイザック・バーナムのこと。そして、残りの共同創業者の一人、ランベールは、リュシー・ロスチャイルドと結婚したベルギーの男爵レオン・ランベールの孫だったと言われてます。

 同書では、このようなユダヤ系のウォール街の金融マフィアたちが、インサイダー取引や政界工作などで巨万の富を築く話が描かれ、さらに、後に逮捕されるアイヴァン・ボウスキーやマイケル・ミルケンといった超大物投機家も登場しますが、話が複雑になるのでこの辺でやめておきます。

また、次回ということで。

永井荷風は抵抗して太宰治は屈服していたとは…

 昨日は、東京・早稲田大学で開催された第26回諜報研究会(NPO法人インテリジェンス研究所主催)に「学徒」として参加して来ました。非常に面白い、興味深い話がたくさんあり、充実した時間を過ごすことができました。

 改築された早稲田大学3号館(政経学部)は、室内もトイレも高級ホテルのような清潔感あふれた立派な会場です。「学問の自由」を掲げ、誰にでも門戸が開放され、私のような怪しい(?)人間でも自由に立ち入りできるわけですから、関係者の皆さんにはいつも感謝しています。

 さて、今回は2人が登壇されました。(話が長くなりますので、内容はかなりカットします)

 お一人は、インテリジェンス研究所特別研究員で毎日新聞オピニオングループ部長委員の岸俊光氏で、演題は「内閣調査室を巡る対日工作:序論」でした。岸氏は、現役の新聞記者ながら大学院に通って博士号まで取得されました。羨ましい限りです。

 内閣総理大臣官房調査室は1952年4月に新設されますが、その活動内容については秘密のヴェールに包まれ、「通史」はなく、現在でも情報公開法に則って、情報公開を請求しても、内閣府からは「不存在」といわれるようです。

 第2次大戦後、1945年9月2日から52年4月28日までの約7年間、日本はGHQによって占領下に置かれました。その間に、東西冷戦があり、中華人民共和国の成立(1949年)、朝鮮戦争(1950~53年)などがあり、そんな中に内調が新設されという時代背景があります。ということは、米軍による影響があったことが容易に推測できます。

 講演では、吉田茂から松本清張まで、色んな方の名前が出てきましたが、私は2人の方に注目しました。

 一人は志垣民郎という方で、内調新設の時のメンバーの一人で現在96歳。岸氏は彼にインタビューを重ね、今夏にも彼の回想録を出版するそうです。志垣氏は「告発する」というより、かなり信念を持った方で、中国の影響で日本を共産化してはいけないという反共思想の持ち主だったようです。

 もう一人は、吉原公一郎という人で、ジャーナリストで現在90歳ぐらい。「週刊スリラー」1960年5月13日号で、内調による中ソ戦略地図などを暴露し、飛鳥田一雄代議士の国会質問のネタを提供したりしたといわれます。内調関係者から極秘資料を入手し、「中央公論」1960年12月号に衝撃作「内閣調査室を調査する」という論文を発表します。岸氏はもちろん、吉原氏とも何回も面談を重ねております。

 私は、本筋よりもエピソードの方に興味を持つ人間でして(笑)、この中央公論には、あの深沢七郎の「風流夢譚」も掲載されていたといいますから、時代の空気が分かります。(「風流夢譚事件」については、こちらをクリックしてみてください)

 もう一つ、吉原氏が当時、編集記者・デスクを務めていた「週刊スリラー」は、森脇文庫から出版されていたもので、社主はあの森脇将光でした。金融業者で吹原産業事件などを起こし、石川達三の小説「金環蝕」のモデルになった人です。この小説は映画化され、モデルの森脇を宇野重吉が見事に演じてました。

 吉原氏が入手した極秘資料は段ボール箱3箱分ぐらいありますが、そのうちの1割しか活用されていないようです。今後の解明が期待されています。


次に登壇したのは、インテリジェンス研究所理事長の山本武利氏で、演題は「永井荷風のGHQへの妥協ー占領期検閲資料からの検証」でした。

 これが実に面白かったです。

 日本占領軍GHQは、1949年11月まで、新聞や出版物などに厳しい検閲をかけます。反米思想が高まり、占領に支障をきたすことを防ぐためです。ですから、堅い思想や哲学や軍国主義などを取り締まるのなら分かりますが、山本氏によると、GHQが特に神経を尖らせたのは、「フラタニゼーション(交歓)」描写だったというのです。例えば、米兵と日本人娼婦との交歓などを小説や随筆に書こうものなら、即座に「削除」「書き換え」です。(写真となると、真っ先にやられます)

 「濹東奇譚」などで知られる永井荷風は、風俗描写と権威や権力に対する批判精神こそが真骨頂で、多くの読者を獲得してきました。終戦時66歳の老作家は、当初、GHQに抵抗します。そのやり方は、「削除」された部分は、そのまま書き換えたり、加筆したりしないのです。削除された部分は、空白にするわけにはいきませんから、そのまま、文章を詰めます。そうなると、文章が飛び、繋がりがなくなり、文章にならなくなってしまいます。

 特に、荷風の決め手である最後のオチである「風刺」が削除されては、読む価値さえなくなります。そうなると、本が売れなくなります。戦後の強烈なインフレで資産価値が暴落し、次第に荷風も生活に困るようになり、妥協し、譲歩した文章を書かざるを得なくなります。が、同時に戦前のような名作は書けなくなるのです。

 これらは、山本武利氏が、「プランゲ文庫」のデータベースを事細かく渉猟して、「発見」したものでした。このほか、武者小路実篤や太宰治は逆に、検閲された箇所を丁寧に同じ行数で「書き換えて」いる箇所を見つけたそうです。

 ショックですね。特に、太宰治は、私が高校生時代に熱中して全集の作品と書簡を全て読破した作家でしたから、GHQに屈服していたなんて、知りませんでした。山本氏が発見したのは、プランゲ文庫所蔵の「薄明」(新紀元社、1946年、145ページ)でしたが、他に名作「トカトントン」なども書き直しを行っていたようです。

Alhambra, Espagne

 講演会が終わった後の、懇親会にも参加しました。

 諜報研究会に参加するような人は、大変失礼ながら得体の知れない変わった方が多い感じで、誰も名前も職業も明かしません(笑)。

 それでも、ある60歳前後と思しき男性が、コップ3杯のビールで開放的になったのか、色んな話をしてくれました。

 「米中貿易戦争なんて、茶番劇ですよ。戦争になるわけがありませんよ。第一、トランプ大統領のトランプ・タワーの1階に入居しているのが、中国最大の中国商工銀行のニューヨーク支店ですからね。入居したのは、リーマン・ショックの直後だったから、トランプは『有難う、中国、サンキュー・チャイナ』と何度も叫んだんですよ。そんな中国と貿易戦争するわけない。第一、今、中国人が投機で買ったカリフォルニア州やワシントン州の土地を売っているので、土地価格が下落している。ダウ株だって、中国人が買って支えていることは、ウォール街関係者なら皆知ってますよ」

 へー、なるほど。よくご存知ですね。

 「ファーウエイ事件だってねえ。創業者は人民解放軍出身だっていったって、3番目の妻の娘は21歳で、今、米ハーバード大学に留学しているんですよ。しかも、専攻はコンピューターサイエンス!(笑)。そして、超美人。自由気ままに世界中旅行もしています」

 へー、随分詳しいんですねえ。何でそこまでご存知なんですか?

 「彼女がインスタグラムに投稿しているからですよ。ホラ(とスマホを取り出して)、これは、どうも、プロのカメラマンが撮ったものばかりです。モデルさんか女優さんみたいでしょ?腹違いの姉(ファーウエイ副社長)が捕まったというのに、バンクーバーにも行ってるし、このパリのホテルは、エッフェル塔が見える〇〇ホテルのバルコニー付きだから、一泊30万円はくだらない。そして、これこれ、見てください。米マイクロソフトにまで行ってる写真がありますよ。本気で米中貿易戦争をするつもりなら、ファーウエイの娘をマイクロソフトなんかに招待しますかねえ。でも、何で、今の日本のメディアは上辺だけ報じて、本質を報道しないですかねえ?」

 あらまあ、私も得体の知れない変わった人間ですから、相手に名前も職業も明かしませんでしたが、そう言われてもねえ。。。今や、ネット時代では、普通の人でも、諜報に興味がある人なら、誰でも、マスコミ人以上に色んな情報に接することができる時代なんですね。

 何と言いますか、メディアにいる端くれとして、インスタグラムもやらず、不勉強でした。でも、もう「インスタ映え」するような歳じゃありませんからね(苦笑)。

孫呉からの逃避行

 先週の土曜日、「松岡二十世とその時代」「王道楽土・満洲国の『罪と罰』」「在満少国民望郷紀行ーひたむきに満洲の大地に生きて」の3部作をこのほど完成した満洲研究家の松岡將氏のお導きで、都内の氏の御自宅で、「満洲今昔物語」の試写会が開催され、私も末席に連なって参りました。

黒河から孫呉にかけて Copyright par Duc de Matsuoqua

 「戦前の満洲」と「現在の中国東北地方」を写真で比較した映写会に参加するのは、私自身、これが3回目か4回目ですが、毎回、参加メンバーの顔ぶれが変わり、回を追うごとに、BGMを入れるなど出来栄えが向上しております。人生の大先輩に向かって「やればできるんじゃないか」と心の中で頷いておりました(笑)。

 松岡氏の自邸のリビングには、氏が若き頃、「政界のプリンス」と呼ばれた現首相のご尊父と一緒に写った写真が飾ってありました。そんな偉い方なのですが、松岡氏の謦咳を接してから10年以上経ちますので、「ゲストの皆さんには粗相のないように」と冗談が言えるほどの仲になっております(笑)。

黒河から孫呉にかけてのグーグルマップ Copyright par Duc de Matsuoqua

 満洲問題に関しては、これまで「侵略国家」「傀儡政権」「偽満洲」との見方が大半でしたが、戦後50年経った頃から、満蒙開拓団の悲劇や残留孤児の問題などもクローズアップされ、次第に一方的に偏った史観だけではない見方も見直されるようになりました。

孫呉駅付近 Copyright par Duc de Matsuoqua

今回参加されたのは、中国専門のニュースサイト「レコードチャイナ」相談役の八牧浩行氏(旧満洲の中国吉林省生まれ。ご尊父が満洲電業の技術者で、現地の人に請われて戦後も大陸に居残った)、過酷な引き揚げ体験を持ち、現在「語り部」として活躍されている森彦昭氏、日系米人ポール邦昭・マルヤマ著「満洲奇跡の脱出」(NHKドラマ「どこにもない国」の原作)を翻訳した高作自子氏でした。

戦前の黒竜江対岸のブラゴヴェシチェンスク Copyright par Duc de Matsuoqua

 この中の森彦昭氏の悲惨で過酷な引き揚げ体験をご紹介致します。(御本人がまとめられた手記も参考に致します)

 森氏は昭和16年5月生まれで終戦時、わずか満4歳でした。ご尊父は南満洲鉄道(満鉄)の社員で、森氏は、ソ連国境の黒河(1858年、清国とロシア帝国が国境策定条約を締結した璦琿)に近い孫呉市の満鉄の社宅で生まれました。

現在の黒竜江対岸のブラゴヴェシチェンスク Copyright par Duc de Matsuoqua

 当初は、まがりなりにも平和な家庭生活が続き、森氏には1歳下の妹と3歳離れた弟も生まれました。そんな一家団欒生活が一変したのは、戦況の悪化です。

 昭和20年5月には、年嵩の民間人の父親も強制的に徴兵され、関東軍へ入営します。その後、終戦から2カ月も経ったというのに、同年10月に八路軍の銃撃に遭い、戦死してしまうのです。享年34。

当時、大陸では、ソ連に加え、八路軍と国民党軍の三つ巴の内戦に突入しておりました。

黒河から孫呉に向かう(直線距離70キロ) Copyright par Duc de Matsuoqua

昭和20年8月9日。ソ連軍は、スターリンも参加した英米ソによるヤルタ会談の密約から日ソ中立条約を一方的に破棄して、満洲に攻め込みます。前線部隊には、俗に「マンドリン」と呼ばれる70連発もできる短機関銃を持った、犯罪者や狼藉者、無法者あがりの兵士が多かったという説が有力で、逃げる無防備の避難民を銃殺したり、戦車でひき殺したり、婦女暴行も絶えなかったりしたと伝えられています。

そんな中、一家の大黒柱を失っていた森家は、乳児と幼児の3人を抱えた母親が、北端の孫呉から南の大連まで約1年間をかけて、逃避行を試みるのです。その距離、何と約1413キロ。

 しかし、その途中の撫順の収容所で、森氏の妹と弟の2人もが、栄養失調か飢えによって亡くなります。妹の民子ちゃんは3歳、弟の義昭ちゃんはまだ1歳でした。

孫呉市内 Copyright par Duc de Matsuoqua

 幼い我が子を2人も失い、絶望し果てた母親の美砂保さんは当時、26歳の若さ。最後の気力を振り絞って、昭和21年6月30日、葫藘島から米海軍「V-28」に乗船して、残った5歳になった森氏と一緒に念願の帰国を果たすのです。

孫呉県賓館 Copyright par Duc de Matsuoqua

 私は孫呉という地名は初めて聞く名前でしたが、ここにはあの石井細菌部隊の支部もあったようですね。映写会では、松岡氏が気を遣って、孫呉が何処にあるかなど地図を作成して紹介してくださいました。

 私は戦後生まれですから、このような悲惨な戦争体験は主に文献でしか知りませんでしたが、このように体験者の生の話を伺うと、はるか昔の歴史ではなく、つい最近の出来事だったことが分かります。

 森氏は苦難の末に、帰国できましたが、大陸に遺棄された多くの日本人は、戦死したり、殺害されたり、自死を余儀なくされたりしました。月並みですが、改めて、平和の大切さを身に染みて感じました。

素材が人類の歴史を変えるとは

人間の悩みの9割が「人間関係のトラブル」と聞いたことがあります。

 なるほど、確かに子どものいじめに始まり、子どもと教師、モンスターペアレントと教師との関係、男女のもつれ、親子、嫁姑の確執、友人関係、社内のパワハラ、セクハラ、奇人による襲撃(被害者は私)、SNSを通した殺人事件に至るまで枚挙に暇がありません。

 歴史も、人間関係中心に描かれます。何処の誰それの武将が天下を取ったとか、何処の誰それが王位継承戦争を始めたとか、偉大な天才が人類に貢献する新機軸を発明したとか、まあ、そんなところでしょうか。生徒は一生懸命に年号を覚えます。

 まさに、人間中心主義ですね。

 でも、先日、ラヂオを聴いていたら、変わった歴史本が紹介され、著者がインタビューに応えておりました。佐藤健太郎著 「世界史を変えた新素材」(新潮選書)という本です。文字通り、「素材」を通して(御本人は「材料」が正しいとおっしゃってましたが)、歴史の変遷を総覧しているのです。この本の宣伝文句は「 金、鉄、紙、絹、陶磁器、コラーゲン、ゴム、プラスチック、アルミニウム、シリコン……『材料科学』の視点から、文明に革新を起こしてきた12の新素材の物語を描く」とあります。本の帯にも「コラーゲンがモンゴル帝国を強くした?」とあるので面白そうです。

 初版が2018年10月26日とありますから、もう4カ月も前に出ていた本ですが、ラヂオを聴くまで、その存在を全然知りませんでした。いつか読んでみようと思いますが、その前に、著者がラヂオで語っていたことを茲で少しご紹介したいと思いました。

 とはいえ、メモを取っていなかったので、いい加減なものです(笑)。間違っていたらお許しください。人間中心に歴史が語られる前は、「石器時代」「青銅器時代」など、確かに素材や材料で呼ばれる時代がありました。石器などは、今のIT革命と比べて遜色がないほど、武器に使い、狩猟に使い、料理に使い、人類の偉大な発明だったかもしれません。

 本では12の素材が取り上げられているようですが、ラヂオのインタビューで、著者は五つだけ取り上げていました。それが(1)鉄(2)石灰岩(3)ゴム(4)アルミニウム(5)プラスチックーです。

(1)の鉄の代表例が、古代のヒッタイト帝国(紀元前16世紀~紀元前12世紀)です。高度な製鉄技術で最初の鉄器文化を産んだとされ、メソポタミアを征服して一大覇権帝国を築きました。

(2)の石灰岩は、古代ローマ帝国です。これを使って「ローマン・コンクリート」と呼ばれるセメントを発明し、道路を舗装し、「全ての道はローマに通じる」ように広大な帝国を築き上げていきます。劇場や闘技場、神殿まで作ってローマ文明を拡張しました。

(3)のゴムは、タイヤのことです。1888年、アイルランドの獣医師ダンロップが、10歳の息子の三輪自転車がもっと楽に走れるように、空気入りタイヤを発明したのが事の始まりです。これが自動車にも採用され、米国などのモータライゼイションに莫大な貢献をするわけです。

(4)のアルミは、ボーキサイトから生成され、鉄より軽量で、アルミ合金のジュラルミンで飛行機をつくることによって、人類の行動範囲が広がり、戦争にも影響を持つようになりました。

(5)のプラスチック(ポリエチレン)の発明により、レーダーの透過技術が飛躍的に進歩し、ドイツのUボートを探知するなど、これまた、戦争の趨勢に多大な影響を持つようになったといわれます。

 でも、やはり、新素材や材料を使うのは人間だし、世界制覇のために手段を選ばないのも人間ということで、人間が主役であることは変わりがありませんね(苦笑)。

とはいえ、この非常に博学で優秀なサイエンスライターのお話を聞いただけで、この本には俄然興味を持ってしまいました。

ジョン・レノンの靴が有名なテニス・シューズだったとは!

 皆様、御案内の通り、小生はビートルズ・フリーク、特にジョン・レノンのファンなのですが、先日の読売新聞夕刊に出ていたジョン・レノンの靴の話は、知らなかったので、とても興奮して読んでしまいました。

 ビートルズ最後の録音アルバム「アビイ・ロード」は、世界で最も有名なジャケットの一つです。英ロンドンのアビイ・ロード・EMIスタジオの前の横断歩道をビートルズの4人が歩いているカットです。あたしも若い頃、わざわざ現場に行って横断歩道を歩きました(笑)。先頭のジョンは、純白の上下スーツに白いスニーカー(運動靴)。2番目のリンゴは、黒いスーツに黒い革靴。3番目のポールは、濃紺の上下スーツに裸足。4番目のジョージは、上下紺のデニムにクリーム色の靴というイデタチです。

 「アビイ・ロード」は、日本では1969年10月21日に発売されました。確か2500円。父親に買ってもらいました。あれから50年ですか…。もう半世紀も大昔になるとは!レコードですから、針で擦り切れるほど、ソニーのインテグラという当時発売されたばかりのコンポーネント・ステレオで何度も何度も飽きずに聴いたものです。

当時、「ポール死亡説」が流れ、このアルバムのジャケットでポールが裸足で、後ろに写っている車(VWビートル)のナンバーに「26IF」とあったことから、「もしポールが生きていたら26歳だった」とこじつけられたり、先頭のジョンは牧師、リンゴは会葬者、ジョージは墓堀人の象徴と言われたりしました。

今回は、その話ではなく、ジョンの白いスニーカーの話でした。この運動靴、ただの運動靴ではなく、フランス・パリで1936年に創業されたスプリング・コートというブランドの「G2クラシック・キャンバス」というテニス・シューズだったのです。宣伝文句によると、「シンプルなデザインで、バネのように跳ねる履き心地と機能」を持つそうな。

 テニスの四大トーナメントの一つ、全仏オープン(1891年スタート)はクレイコート(赤土)ですから、そのコートに合うように開発された靴でした。

 もちろん、ジョンはその履き心地の良さと機能性を知って買ったことでしょう。何となく嬉しくなってしまいました。

 インナーに特殊クッションがあり、靴底はラバー(ゴム)。1965年に発売されたビートルズの6枚目のアルバム「ラバー・ソウル」(「ミッシェル」「ガール」など収録)は、「ゴムのようなソウル・ミュージック」rubber soulと、「ゴム底靴」rubber soleを掛けたタイトルでしたから、ジョンはもうその頃からこの靴を愛用していたかもしれない、というのは考え過ぎなんでしょうね(笑)。

 1969年1月30日のいわゆる「ルーフ・バルコニー・セッション」(映画「レット・イット・ビー」で公開)でも、ジョンは白っぽいスニーカーを履いておりますが、これもスプリング・コートだったのかどうかは不明です。

ちなみに、日本では2015年からカメイ・プロアクトが総代理店契約を結んでいるそうで、価格は1万800円ぐらいで販売されているようです。いや、別に宣伝するために書いたわけではなく、この会社をよく知っていたので驚いてしまったからです。私の親族が一昨年、この会社に入社しましたが、理由があって、1年も経たないうちに辞めてしまったのです。銀座にも直営店舗があるので見に行ったりしました。どんな会社なのか調べたりもしました。

 何か、色んな繋がりがあったので、ついつい興奮して書いてしまいました。

トラブルの予感

 これから、こういうトラブルはますます増えていくことでしょう。

 今朝のこと。通勤のため混んだバスに乗ったところ、異様な電子音が鳴り響いていました。

 状況を伺うと、優先席に土足を投げ出して座っている5歳ぐらいの男の子が、スマホで何か動画を見ているようでした。イヤホンも付けずにボリュームも最大にしていますから、キンキンと電子音が鳴り響き、アナログ世代には耐え難い拷問です。

 隣りには、その子どもの母親らしき女が、やはり優先席に我が物顔で座っています。風貌から中国系に見えます。

 前に立っていた中年の女性がたまりかねて注意しました。「もう少し音量を下げてください」。当然の要求です。その女性は、どこか公立学校の教師のような感じに見えました。今まで、周囲がずっと黙っていたのは、あまりにも日本人的謙譲さです。彼女は、普段、生徒に注意するので慣れているのかもしれません。

 でも、母親は知らん顔です。女性教師は、とうとう「貴女は日本語分からないの?」と詰問しました。すると、女は首を横に振りました。

 おかしいですね。日本語が分からなければ、首も振れないわけですから、ある程度日本語が分かっているので、分からないふりをしているようにもみえます。

 結局、女性教師は、子どもからスマホを取り上げて、音量を下げました。でも、スマホを返してもらった子どもは再び音量を上げました。

 そうこうするうちに、バスは駅に着いたので、その後どうなったのか分かりません。安倍首相は、庶民が乗るようなバスには乗らないので、こういう不快は分からないだろうなと思いました。

 もう一つ。

 昼休み。外に食事に行こうとすると、銀座ですから、外国人観光客が多く、店の前の歩道を塞いで、通れません。団体は大抵が中国系です。言葉で分かります。かつて中国人の多さは、2月の春節か、10月の国慶節ぐらいに限られていましたが、今では1年中です。しかも、小さな子どもまでいます。余計なお世話ですが、学校行ってるんでしょうか。イイ若者が平日にブラブラと観光ですか。良いご身分ですねえ。

 いやいや、世界経済大国ですから別に構いませんが、もう少し、他人様の迷惑を考えてくれないものでしょうかねえ。我々だって、外国に行けば、少しは遠慮して、歩道を塞いでいたら、地元の人が通れるよう脇にどきます。しかし、彼らは我が物顔で、平気に路肩に座り込んだりしているんですからね。それが残念ながら決まって中国系です。

 私の周囲の中国専門家の中には、どういうわけか大学で中国語を専攻しながら、中国嫌いになってしまう人が何人かおります。「中国人は自分のモノは自分のモノ。他人のモノも自分のモノにする民族なんだよ。『一帯一路』か何か知らんけど、あれだけ広大な領土を持ちながら、もっと領土を広げたい野心があり、世界は自分たちを中心に回っているという華夷思想は4000年経っても変わらないね」というわけです。

 しかしながら、「仁」(他人への思いやり)や「礼」を重んじる儒教精神を日本人に教えてくれたのは偉大なる中国だったんじゃないでしょうか。全世界に「孔子学院」を張り巡らせて、「仁・義・礼・智・信」の五常をあまねく広めてくださっているのではなかったのでしょうか。(孔子学院の役割については、色んな説がありますが)

まあ、こんな些細な話は、お抱え運転手付きの政官財界の大御所の皆々様方には関係ない話で、知ったことではないでしょう。ただ、公共道徳を守り、節度を持った日本の一般庶民も、いつかは不満を爆発させる日が来るのではないかと予感しています。