重力とは空間の曲がりが引き起こす現象=Newton別冊「相対性理論」

 ほぼ毎日のようにブログを書き続けているのですが、それほど反応はありませんし、一体、どんな方がお読みになっているのか想像すらできません。まるで「暖簾に腕押し」です。でも、FacebookなどのSNSに投稿すると、信じられないくらいの速さと量とコメントで反応がありました。

 私自身、Facebookはやめたはずでした。しかし、9月1日に書いた「100年前の関東大震災直後に起きた不都合な真実」は、地味な記事とはいえ、我ながら重要だと思ったので、なるべく多くの人に読んで頂きたいという願いで投稿してしまいました。ただ、何となく、多くの意思のある方がお読みになって頂いていることを確認できましたので、Facebookへの投稿は、これで味を占めることなく(笑)、また、控えることに致します。出来ましたら、直接ブログにアクセスして頂きますれば、主宰者として恐悦至極に存じまする。

 さて、残りの人生、「理系人間」に転向したことを以前、このブログに書きました。私はゴリゴリの文系人間で、正確には、理系人間にはなれませんので、今後はなるべく、理科系の学問も勉強して、理数系の思考に頭を切り替えることを目指すということです。

 ということで、Newton別冊「相対性理論」(ニュートンプレス)を読了しました。実に、面白かった、と言わせてください。「お前に相対性理論が分かるのか?」という声が聞こえそうですが、「はい。ある程度分かりました。人間として生まれて、この理論に触れることが出来て最高の幸せです」と答えておきます。

 正直、私がこの本によって相対性理論が「理解」できたのは、本来ならあるべき複雑な数理式が極力、最低限しか採用されていなかったからではないか、と後から思いました。つまり、ゴリゴリの文系人間でも分かるように易しく書かれていると言っても良いでしょう。

浮間舟渡

 前回、この本を取り上げた時、時間が伸びちぢみする話(例えば、東京スカイツリーの地上階と高さ450メートルの展望階では、時間の進み方が約5京分の1ほど違う)などを書きましたが、この本の後半では、空間が歪んだり、曲がったりすることが主に紹介されていました。こんな感じですー。

 ・質量が空間を曲げ、空間の曲がりが重力を引き起こす。つまり、重力とは空間の曲がりが引き起こす現象なのだ。(70ページ)

 ・「質量」とは、物体の「動かしにくさ」を表す量です。一方の「重さ」とは物体に掛かる「重力の大きさ」を表す量です。(104ページ)

 ・天体が時空をゆがめ、物質をとらえ、光を曲げるブラックホールは、1916年の一般相対性理論で証明されていたが、実際に、ブラックホールの画像をとらえたのは、その100年後の2019年4月だった。(楕円銀河「M87」の中心に存在する超巨大ブラックホール)

 ・アインシュタインは一般相対性理論を構築後、電磁気力と重力を統一する「統一場理論」を目指したが、未完に終わった。現在でもまた完成されておらず、世界中の理論物理学者が、量子論と一般相対性理論の融合という夢の実現に邁進している。(目下、最有力な理論として、素粒子を「点」ではなく、「ひも(弦)」だという「超ひも理論」が期待されている)

 ・一般相対性理論は、重力を受けた物体は、最も歳を取る道筋を通ると主張する。それが放物線だ。

 ・ゼロ以上光速(秒速30万キロ)未満の速度でしか進めない粒子を「タージオン」(地球や銀河なども)、常に光速でしか進めない粒子を「ルクシオン」、常に光速より速く進む粒子を「タキオン」と呼ぶが、もし、超光速タキオンを使って通信を行うことが出来れば、理論的には、過去への通信が可能になる。

 ・光速の60%という猛スピードで進むことが出来る宇宙船が開発され、地球を旅立つとして、地球で10年経ったのに、宇宙船内では8年しか経っていないという理論が成り立つ。

・・・まあ、こんな感じの理論を私はこの本で学びました。

 嫌な人間関係や、思い通りにならない人生にウジウジしているより、「理系の学問は何と潔いものなのか!」と悟る方が健康的(メンタルヘルス)に良いかもしれませんぜよ。

🎬「福田村事件」は★★★★★

 昨日書いた渓流斎ブログ「100年前の関東大震災直後に起きた不都合な真実」の最後の方で、映画「福田村事件」(森達也監督)のことを書いたので、本日早速、観に行って参りました。言い出しっぺが、観なければ話になりませんからね。この映画は色んなことが複雑に絡んでいて、後からボディーブローのように効いてくる作品でした。今年一番の名作と言っておきます。

 その前に、実は、当初は、観るつもりはなかったのです。生意気ですが、最優先事項ではなかったのでした。特に、今年はつまらないハリウッド映画に遭遇して、劇場に足を運ぶのが億劫になっておりました。それが昨日、たまたまブログを書いた後、友人のY君からメールが来て、「僕は明日『福田村事件』を観に行くつもり」とあったのです。私もブログで朝鮮人虐殺事件のことを書いたばかりだったので、「これも何かの啓示かな」と思ったのでした。

 そして、何よりも、昨日書いたことは、小池都知事を始め、国粋主義者の皆さんの逆鱗に触れる話かもしれませんが、大手マスコミである読売、産経、日経が、大震災後の不穏な空気の中で、朝鮮人虐殺がまるでなかったかのように「報道しなかった事実」には愕然としてしまいました。そこで、この事実を多くの人に読んでもらいたいと思い、やめていたFacebookに昨日の記事だけを何年かぶりに投稿したのでした。そしたら、即、反応がありまして、色んな副産物を得ることが出来ました。それは後で書きます。

映画がはねて、今話題沸騰の池袋「フォー・ティエン」へ。店前は長い行列で22分待ちました。

 映画は、関東大震災が起きて5日後の1923年9月6日、千葉県東葛飾郡福田村(現野田市)で実際に起きた自警団による、朝鮮人だと誤認した日本人虐殺事件を題材にしています。殺害されたのは、讃岐(香川県)から来た薬売りの行商団15人のうち、幼児や妊婦を含む9人です。行商団の人たちは、被差別部落出身で、二重に差別されているような感じでした。この史実は、100年近くも闇に葬られていましたが、1979年から遺族らによる現地調査が始まり、1980年代から徐々に新聞等で報道されるようになったといいます。

 それでも、多くの人には知られず、そういう私もこの映画を観るまで、この事件について全く知りませんでした。

池袋「フォー・ティエン」牛肉のフォー950円 非常に期待していたのですが、小生の馴染みの銀座のフォーの方が美味しいかな?

 先述した「副産物」というのは、Facebookで投稿したところ、色々な方からコメントまで頂いたことでした。その中で、読売新聞出身のSさん(著名な方なので敢えて名前は秘します)から驚きべき内容のコメントを頂いたのです。以下、御本人に事前承諾の上、掲載しますとー。

 映画は、封印されてきた事実をベースにしています。福田村は今の千葉県野田市で、私が住んでいる柏市を含めた東葛地域に当たります。映画が依拠した「福田村事件 関東大震災・知られざる悲劇」の著書である辻野弥生さん(82)は、私も参加している「東葛出版懇話会」の仲間です。懇話会は6月、森達也監督を定例会の講師に招き、映画『福田村事件』の話をしてもらいました。もちろん辻野さんもスピーチしました。

 福田村事件の加害者として検挙されたのは、福田村の自警団員4人と、隣村の田中村の自警団員4人で、その後、恩赦で全員釈放されたといいます。この田中村は現在の柏市ですから、同市にお住まいになっているSさんとは大いに関りがあったわけです。

 Sさんは、読売新聞文化部の放送担当記者出身で、現在放送評論家です。昨日のブログで私が読売新聞の悪口めいたことを書いたので、低姿勢でお詫びしたところー。

 「悪口」ではなく、事実を指摘されたわけですよね。 Y紙についていえば、きのうの夕刊の映画評欄で女性記者が絶賛していました。新聞記者時代も今もそうですが、私は「文化(部)は政治(部)の風下に立たない」と自分に言い聞かせています。

 との返事を頂きました。同じ読売社内でも、違う考え方をする「抵抗勢力」がいらっしゃるということで安心しました。

 あれっ? 映画の話でしたよね? まあ、とにかく御覧になってください。ドキュメンタリー作家の森達也がメガホンを採りましたが、フィクションも取り入れてます。荒井晴彦、佐伯俊道、井上淳一の3人ものベテラン脚本家が恐らく侃侃諤諤と協議して練り上げた台詞と、正確な衣装考証で色鮮やかな大正時代のファッションまで蘇らせ、100年前にタイムスリップしたようです。

 主演は井浦新、田中麗奈、永山瑛太の3人ですが、過去のスキャンダルで謹慎処分が続いていたピエール瀧や東出昌大、昨年、参院選に当選しながら病気で辞職した水道橋博士も出演していて、いい味を出しておりました。特に、ピエール瀧は、地元紙「千葉日日」の編集部長の役で、若い女性記者(木竜麻生)が真実を書くことを主張しても、「不逞鮮人の仕業だと書き直せ」などと当局の意向に沿った発言しかしないので、まさに「はまり役」でした(苦笑)。

 そう、当時は、ネットどころか、テレビもラジオもなく、メディアと言えば新聞だけ。その報道が大衆に与えた影響はかなり大きかったはずです。その新聞が、内務省の発表通り「朝鮮人が暴動を起こそうとしているので、自警団をつくって守るように」との通達をそのまま掲載すれば、民衆はその通り、実行するはずです。加害者も、むしろ正義感に駆られて自分たちの村を守るべきだと立ち上がったのかもしれません。

 これらは100年前の大昔に起きたことなので、現代に起きるわけがない、と考えるのは間違いです。今は、むしろ、SNSなどでフェイクニュースや偽情報が横行しています。

 私も映画の帰り、某駅前で、某政党の政治家が、外国人排斥のアジ演説をしているのに遭遇しました。不安と恐怖に駆られると何をしでかすか分からない群集心理に洗脳される日本人のエートス(心因性)は、100年前とちっとも変っていないのです。

【追記】

 差別用語は当時のまま表記しました。

 

100年前の関東大震災直後に起きた不都合な真実

 9月1日は、関東大震災から100年の節目の年です。100年は、長いと言えば長いですが、「人生100年時代」ではあっという間です。

 本日付の新聞各紙はどんな紙面展開するのか? 興味津々で都内最終版の6紙を眺めてみました。そしたら、「扱い方」が、どえりゃあ~違うのです。

 扱い方というのは、大震災のどさくさの中、「朝鮮人が井戸に毒を流した」などといった流言蜚語が飛び交い、自警団らによって朝鮮人・中国人が虐殺された事件をどういう風に紙面展開するのか、といったことでした。毎日新聞は、社説、記者の目、社会面を使ってかなり濃厚に反映していました。朝日新聞も負けじと、社説、特集面、社会面で積極的に報道しています。東京新聞も、「売り」の「こちら特報部」で朝鮮人虐殺正当化の「ヘイト団体」まで取り上げています。ネットで確認したところ、時事通信もかなり報道していました。

 その一方で、うっすらと予想はされましたが、産経新聞と読売新聞は全く触れていません。産経と読売の幹部は「朝鮮人虐殺はなかったこと」にしているかのようです。日本経済新聞も、ほとんど触れていません。と、思ったら、辛うじて、社説で、虐殺があったことを、震災直後に発行された「震災画報」の記事を引用して取り上げております。何故、論説委員が直接書かないのか不思議です。

 劇団俳優座を創設した一人である千田是也(本名伊藤圀夫、1904~94年)は、大震災後、千駄ヶ谷で朝鮮人と間違われて暴行された経験があり、芸名を、「千駄ヶ谷のコリアン」から付けた逸話は有名です。千田是也のような実体験をした人が亡くなると、歴史は風化して「なかったことに」なるのでしょうか。

スーパーブルームーン

 松野博一官房長官は8月30日の会見で、朝鮮人虐殺について問われ、「政府内において事実関係を把握する記録が見つからない」と宣言したようです。しかし、震災直後の内務省警保局の電信文には、朝鮮人殺害や日本人誤殺、流言の拡散などが記され、震災から2年後に警視庁が発行した「大正大震火災誌」にも掲載されています。また、政府の中央防災会議の2009年の報告書では、震災の死者・行方不明者約10万5000人のうち「1~数%」(つまり、1000人~数千人)が虐殺犠牲者と推計しています(東京新聞「こちら特報部」)。ということなので、岸田政権が事実関係を把握しようとしないのか、もしくは「なかったこと」にしようとする強い意思が伺えます。小池百合子都知事が犠牲者追悼式典に追悼文を送付しないのも、同じような理由なのでしょう。

 大震災のどさくさに紛れて、朝鮮人だけでなく、「主義者」と呼ばれた反国家主義者も虐殺されました。その一番の例が無政府主義者の大杉栄と妻の伊藤野枝、そして6歳の甥橘宗一が憲兵隊によって虐殺された「甘粕事件」です。さすがに本日、そこまで取り上げるメディアはありませんでしたね。(甘粕正彦憲兵大尉はその後、満洲に渡り、満洲映画協会の理事長になり、ソ連侵攻で、「大ばくち 身ぐるみ脱いで すってんてん」という辞世の句を残して服毒自殺しました。)

スーパーブルームーン

 産経、読売、日経も岸田政権も小池知事も「もう自虐史観はやめて、前向きな新しい歴史をつくろう」という積極的な意図が見えますが、読者には100年前の史実が伝わっていません。

 昨日は、西武池袋百貨店が、大手百貨店としては1962年の阪神百貨店以来61年ぶりにストライキを行いました。テレビで、ある若い男性がインタビューを受けていましたが、彼は「ストライキなんて教科書に載っているのを知っているぐらいで初めてです」などと発言していました。彼よりちょっと年を取った世代である私からすれば、「えー!!??」です。特に、我々は国鉄のストで学生時代はさんざん悩まされた世代ですからね。会社でも30年前まで頻繁に時限ストを行ったいました。

 30年前ぐらいにストライキが頻発した出来事を(当然のことですが)若い世代は知らないのですから、100年前の虐殺事件ともなると、知るわけがありません。特に、産経と読売の読者でしたら、知り得ません。でも、あれっ?そっかあ~。今の若い人は新聞読まないかあ~。

 奇しくも、本日から関東大震災直後の虐殺事件を扱った映画「福田村事件」(森達也監督)が公開されたので、御覧になったら如何でしょうか?

【追記】2023年9月2日

 関東大震災後の朝鮮人虐殺事件に関して、「国営放送」のNHKでさえかなり積極的に報道していました。予算審議を政府に握られているNHKが出来るのに、何で政府の意向に従わなくても済む読売、産経、日経が政府の顔色を窺って報道を避けるのか、全くもって不思議です。

北海道新聞の夕刊がなくなるとは大変な危機です

 ちょっとショックなニュースがありました。地方紙の中でも部数、経営とも磐石と言われていた北海道新聞(道新)が9月30日をもって夕刊の発行を休止するというのです。私は昨日(8月30日)の読売新聞夕刊(都内版)で知ったのですが、地元北海道では、既に今年6月に業界紙誌やネットで噂が広がっていたようでした。経営陣が今秋で夕刊を休刊することを販売店や組合に打診していたことが漏れたようです。

 私はもう20年前になりますが、北海道の帯広で仕事をしていたので、このニュースには大層衝撃的でした。「道新よ、お前もか」といった感じです。20年前は、販売部数は朝夕刊セットで100万部超と言われ、天下の朝日も読売も毎日も「道新王国」には全く歯が立たず、まさに独擅場でしたから、こんな時代が来るなどとは想像もつきませんでした。甘いですね。

 道新の夕刊は、1992年の約78万部がピークだったそうで、今年7月時点で約23万部と3分の1以下に落ち込んだといいます。紙代高騰と配送コスト増もあるようですが、こうなってしまったのも、何と言っても、インターネットで「タダ」でニュースが読めることが、最大の原因でしょう。若い人は、もう新聞を読まないですからね。

 夕刊休止で、道新経営陣は、大口取引先の共同通信に対して、加盟費の引き下げを要求していることでしょう。あの天下無敵の共同通信も、毎日新聞が加盟したとはいえ、安穏としておれず、頭を抱えていることでしょう。

東銀座「寿司周」海鮮丼ランチ 1100円

 北海道民でなければ、関係ないと思われている読者の方も多いと思いますが、これは本当は他人事ではないのです。大袈裟ですが、メディアはその国の民意の力が反映されます。ロシアや中国や北朝鮮の例を見れば分かるように、国家に統制されたメディアでは真実が全く報道されません。目下、中国人が、福島の処理水排水で、嫌がらせの電話を日本に対して、国番号「86」で掛けまくっているのは、中国当局が「核汚染水」と報道し、民衆を煽っているからです。民衆は悪いことをしていると思わず、正義心に駆られているから余計に厄介です。

 中国では、自国の原発の処理水を日本海や東シナ海に放出している事実を絶対に報道しませんから、中国人が日本人を一方的に悪と決めつけるのも無理もない話かもしれません。

 日本の新聞やテレビも、政府や霞ケ関官僚や桜田門の警察発表ばかりを言いなりになって報道していれば、官報と同じです。中国や北朝鮮やロシアを笑うことはできませんよ。発表ものばかりで紙面を埋めていたら、政治家の汚職や大企業が隠したがる不正や陰湿な差別やいじめ問題は、永遠に闇に葬り去られるばかりです。

 調査報道は、大変な時間とお金がかかり、人材育成にも大変な労力が必要とされ、また、無駄になることも多いので、採算に合わないのが普通です。それをタダで見られてはジャーナリストもたまったものではなく、報道機関も斜陽産業となり、優秀な人材が集まらない悪循環が既に始まっています。

 このブログでよく取り上げさせて頂いている杉田敏氏の「現代ビジネス英語」のレッスン7「広がる『ニュース砂漠』」で、主人公の井出恭平は「日本の日刊紙の総発行部数は、1990年代後半に約5400万部とピークに達しましたが、今は3000万部に落ち込んでいます。このまま毎年200万部ずつ減り続けば、15年後は1紙も残っていないでしょう」と発言しています。

 それは、それは実に怖ろしい、ビッグブラザーが支配するオーウェル的世界になるのかもしれませんよ。(ジョージ・オーウェル「1984」)

 

「神田みますや」は「東京で最古の居酒屋」なのか?

 ちょっと先の話になりますが、来月9月下旬に、「東京で最古の居酒屋」といわれる「神田みますや」に行くことになりました。旧い友人のA君に声を掛けたら、有難いことに応じてくれたのです。すっごい楽しみです。そのワケは後で縷々述べることにします(笑)。

 コロナのパンデミック以来、個人的にほとんど外で飲み歩かなくなりました。「家呑み」になりましたが、随分酒量も減って、缶ビールの小(350ミリリットル)で満足してしまう今日この頃です(笑)。

 昔は、飲み友達が20人も30人もおりましたが、亡くなった親友もおり、1人減り、2人減りで、気が付いたら、A君の他に2人ぐらいしかいなくなってしまいました。中にはメールをしても返事がなく、電話すると、留守電にしてしまう飲み友達もいました。何か悪いことでもしたのかなあ? と、一瞬、人間不信に陥ってしまいました。でも、もしかして、長期入院しているのかもしれません。最近、名古屋にお住まいの親友も長期入院からめでたく退院したばかりでしたし。

 ま、それはともかく、A君がみますやに付き合ってくれることは嬉しい限りです。彼は、既に、みますやには何度が行ったことがあるらしく、「お酒も料理も美味しいよ」と言うではありませんか。彼は日本酒の品評会の審査員もやったことがあるほどの「通」ですから、間違いありません。余計に楽しみが増し、今からワクワクしてしまったのです。

 「東京で最古の居酒屋」といわれる「神田みますや」は明治38年(1905年)創業です。あれっ? 私も以前、よく通い詰めた根岸の「鍵屋」は、安政3年(1856年)創業ですから、「最古」とは違うんじゃないかな、と思いましたら、同じ場所でずっとやり続けて来た居酒屋は「みますや」が一番古いようです。「鍵屋」は、もともと酒問屋で、その一角で呑み屋を始め、創業場所は現在地の根岸からちょっと離れた所だったらしいですしね。

 みますや創業の明治38年は、色んなことがありました。まず、前年から始まった日露戦争で、日本海大戦もあり、終結した年です。この年に製造された鉄砲が「三八式歩兵銃」です。何と、40年後の第2次世界大戦でも使われたといいますから、驚き以外何でもありません。お金と技術がふんだんにある米軍は自動小銃を開発してバリバリ撃ちまくっていたのですから、日本は負けるはずですよ。

 そして、今たまたま「相対性理論」の本を読んでいるので、熟知したのですが、1905年は、26歳のアインシュタインが特殊相対性理論を発表した年でした。さらには、私が最も尊敬する夏目漱石が「吾輩は猫である」を発表した年でもありました。もしかしたら、漱石先生も「みますや」に行ったことがあるのかしら?(漱石が通った神田の洋食店「松栄亭」は、私もよく行ったことがあります。勿論、漱石のために考案したという「洋風かきあげ」を食べに)

 1905年生まれの著名人には、哲学者サルトル、画家片岡球子、三岸節子、作家石川達三、伊藤整、俳優志村喬、女優グレタ・ガルボ、映画監督成瀬巳喜男、元首相福田赳夫らがおります。

 これだけ書き連ねると、みますやに行く楽しみがいや増します。多くの人は、飲食とは舌で味わうものだと誤解していますが、実際は脳で味わっているのです。脳で味わうということは、情報や蘊蓄が多ければ多いほどいいのです。「えっ?夏目漱石が通った店だったの!?」ー。それだけで、お味の評価も倍増するはずです。何も知らないで、ただパクパク食べるだけならピテカントロプスでもできます(笑)。

光の速度は不変なので時空がゆがむ=Newton 別冊「相対性理論」

 今、Newton 別冊「相対性理論」(ニュートンプレス、2023年2月5日発行)を読んでいます。私は、典型的な文系人間のズブの素人なのに、実に大胆不敵です。

 しかし、実は、あることがあってから、私はすっかり「理系」志望になりました。文系の学問なんて実に幼稚に見えます。歴史や政治思想なんて、勝者の論理じゃないですか。何はともあれ、お家大事、周囲を洞ヶ峠から眺めて、忍びを使って、勝ち馬に乗ることしか考えない人間。インパール作戦では、10万人の兵卒を白骨街道に置き去りにして指揮官の将軍は飛行機で逃げ帰った人間。心理学なんて学問なんですか? 人間は、気まぐれでコロコロと自分の意見を変えます。朝は、「左」だと言っていた人間が、夕方には「右」だと言い張ります。自己保身のためなら、気に喰わない人間を踏み台にして、内通、変節、寝返り、裏切りなんて平気の平チャラです。所詮、人間は、生物学的にそのように出来ているわけですね。

 人間には物語が必要だ?ー要らないでしょう。新聞のお悩み相談コーナーを読んでごらんなさい。強欲あり、嫉妬あり、羨望あり、怠惰あり、卑怯あり、無関心あり、差別あり。人間は、毎日毎時、いかに醜い争いをしているのか3分間で分かりますよ。21世紀になっても戦争はなくなりません。ウクライナだけではありません。パレスチナ、シリア、スーダン、アフガン…と紛争、内戦が続き、明日の生活もままならない難民が溢れています。人間は所詮、他者を支配して楽をして過ごしたい無責任な生物なのです。弱肉強食のジャングルでの仁義なき戦いの世界です。人生に意味も目的もありません。それでお仕舞い。

 えっ? それを言っちゃあ、おしめえよ、ですか?ま、確かに、ここまで言ってしまっては身も蓋もありませんね。ただ、私も「あること」があってから、随分、醒めました。達観して冷血人間になりました。でもー。

 出来る限り、勇気と夢と希望を持ってください。人間にとって最も大切なことは慈愛であり、思いやりである、と思ってください。恵まれない他者には親切にしてください。ボランティア奉仕と寄付と布施に励んで、陰徳を積んでください。

 というのが私の本心、としておいてください。

◇物理学、万歳

 その一方で、自然科学は宇宙の真理を教えてくれます。人間なんていなくても構いません。地球46億年、宇宙138億年の歴史から見て、人間は小数点以下のページにやっと登場するに過ぎません。すっかりひねくれてしまった私としては、それが実に爽快なのです。宇宙に終わりがありますが、その前に、我々が住む天の川銀河の終末があります。いや、その前に太陽系の崩壊、消滅があります。そうなれば、人間も、その記憶も、文化遺産も何もかもなくなります。

 このように理系の学問は随分、悲観的絶望的な危険思想なのに、どういうわけか生きる勇気と希望が湧いてきます。人間が考え出した神や如来や宗教を超えた絶対真理を追究するからなのでしょう。泣こうが喚こうが人間を超えた学問とも言えます。

 ですから、「光の速度は不変なので、時間と空間が相対的に変化する。時間が遅れたり、空間がねじれたり、縮んだりして見える」(アインシュタイン特殊相対性理論)と言われても、門外漢でもすんなりと理解できるのです。いや、人間を超えた真理なので、泣こうが喚こうが、そう理解するしかないのです。

築地「わのふ」

 でも、科学は、それほど乱暴な話ではありません。発表された当初は仮説だったとしても、ちゃんと科学的実験で証明されていきます。例えば、2020年、東大、理化学研究所、島津製作所などが光格子時計という最新技術を使って、東京スカイツリーの地上階と450メートルの展望階とで時間の進み方を測定したところ、約5京分の1、展望階の方が地上階より時間が速く進んでいたことが証明されたというのです。

 えっ?本当ですか? 典型的な文系人間のズブの素人の私なのに、このNewton 別冊「相対性理論」は実に面白く読めます。

 

 

生年月日と運命との関係=五木寛之「孤独を越える生き方」

 ラジオ深夜便の放送を書籍化したものですが、作家の五木寛之「孤独を越える生き方」(NHK出版)を興味深く拝読いたしました。

 ・人生とは苦しみと絶望の連続だと覚悟する。

 ・孤独でいることは、人生を豊かにしてくれるボーナスのようなもの。

 ・孤独とは人間にとって必要な時間。

・「他力」とは努力を尽くした人が最後に行き着く境地。

 …等々、心に染み入る言葉が胸に突き刺さりました。

 90歳になる作家は、いまだに人生を達観したわけではなく、迷いながら一つずつ歩んでいるようにさえ思えました。仏教思想、特に親鸞、蓮如らの浄土真宗の思想に影響を受けた五木氏なので、彼の人生観、死生観は、浄土真宗の思想そのものですが、日本人として生まれると、どういうわけか、無意識に共鳴してしまいます。

 特に「人生とは苦しみと絶望の連続だと覚悟する」なんて、キリスト教やイスラム教では絶対、説いたりしませんからね。

 本文の中で、フィギュアスケートの羽生結弦選手の「努力はウソをつく。でも無駄にならない」という言葉を引用しながら、「『他力』とは努力を尽くした人が最後に行き着く境地と言えるかもしれない」と五木氏は、発言しておりました。これも、仏教思想の「諦念」に通じるところがあります。

 実は、本日は、以上のことをブログに書きたかったわけではありません(笑)。五木氏が「奇しくも石原慎太郎さんと同月同日生まれなんです」と発言したことに吃驚したからでした。二人とも1932年9月30日生まれだったのです。二人は、性格も違えば、趣味も思想も政治信条も全く違いますが、小説家という共通点があります。片や芥川賞、片や直木賞の違いがありますが、これは偶然なのかなあ、と思ってしまったのです。

 よく、「星の下に生まれる」と言いますが、やはり、生まれた生年月日で人の運命が決まるんでしょうか? 四柱推命は、まさに、生年・月・日と生まれた場所の四つの要素で運命を判断しますが、科学的に証明できなくても、何かの法則があって、だから当たるのでしょうか?

 背中がゾクゾクっとしてしまいました。

パラレルワールドもタイムマシンも出来るかもしれない?=ミチオ・カク著、斉藤隆央訳「神の方程式ー『万物の理論』を求めて」を読了して

 昨日、ミチオ・カク著、斉藤隆央訳「神の方程式ー『万物の理論』を求めて」(NHK出版)を読了しました。「嗚呼、面白かった」と言いたいところですが、理解できたのは7割ぐらいかな、というのが正直な感想です(苦笑)。

 これは以前にもこのブログに書きましたが、後半に量子論が登場してから、俄然、難しくなります。例えばー。

 ひも理論の超対称性といった要素は、無用でもなければ物理学に適用できないわけではもないことは認めなければならない。超対称性が存在する証拠はまだ見つかっていないが、量子論に潜む問題の多くを取り除くために欠かせないことは分かっている。超対称性は、ボソンをフェルミオンで相殺して量子重力理論を悩ます発散を取り除くことで、長年の課題を解決することができる。(174ページ)

 なんて言われても、日本語として辛うじて字面は読めても、うーん?どうゆうこと?と思ってしまいます。やはり、修行が足りない。

 でも、著者を批判しているわけではありません。一般の人でも、生まれて初めて相対性理論や量子論に触れる人でも分かりやすく基本的に説明してくれます。しかも、現代の最先端の理論物理学は、この相対性理論や量子論を統合した「万物の理論」を構築しようとしています。でも、いまだその理論は確立せず、そもそも相対性理論と量子論が統合できるわけがないという学者もいるようです。

 今後どうなるのか? 素人はその推移を見守るしかありませんが、少なくとも「まだ分からないことが分かった」ことは収穫ではありませんか!

銀座

 著者らが提唱する「超ひも理論」によると、我々が、縦、横、高さの三つの座標で定義される空間を動く三次元の存在だと思い込んでいるが、それは幻かもしれないといいます。本当は、我々は、ホログラムのような中で生きているかもしれないし、我々が体験している三次元の世界は、本当は十次元や十一次元である現実世界が落とす影に過ぎないかもしれないというのです。そう言われてもねえ。。。。しかも、本文では十一次元の世界とはどうゆうものなのか、素人に分かりづらいだろうと著者は思ったのかどうか知りませんが、説明がありません。

 十一次元の世界とは何か? 調べてみると、我々が実感できるのは縦、横、高さの三次元の世界で、見えたり、触ったり、匂いを感じたりすることができます。これに時間が加わると四次元の世界になります。でも、超ひも理論となると、この四次元以外に七次元の世界もあるというのです。この七次元は触ることも見ることもできず、「余剰次元」とも呼ばれますが、素粒子にぐるぐる巻かれたり折り畳まれたりして確かに存在するというのです。そう言われてもねえ。。。

銀座「割烹 きむら」

 ちなみに、この素粒子というのは、物質を分解していくと、分子や原子になり、さらに分解していくと、電子、陽子、中性子になり、またさらに分解してこれ以上のものにならないもののことですから、もともと、肉眼や普通の顕微鏡では見えないものです。これらの形状は、当初は粒と考えられていましたが、粒ではなく、実は波の性質を持って回転したり、振動するひものようなものではないかという説を唱えたのが、後にノーベル物理学賞を受賞する南部陽一郎氏らです(1970年の弦理論)。これが10次元空間の場に発展した「超ひも理論」(84年)となり、さらに11次元のM理論(95年)に引き継がれたといいます。

東銀座

 そこで、私なりに考えたことは、音楽の平均律です。ド、レ、ミ、ファ…の1オクターブを12等分した音律のことです。明治以降に教育を受けた日本人の多くは、ド、レ、ミ、ファの12平均律は極めて当たり前で常識な話です。しかし、これは西洋音楽が、オクターブを12分割しただけだったのです。トルコでは53平均律があるらしく、インドでは100とか200とかの平均律もあると聞いたことがあります。バイオリンなど弦楽器を例に取れば分かりやすいと思います。ドとレの間の半音としてド#か、レ♭の音がありますが、本来ならドとド#の間にも音があり、またその間にも音があり、音階として使えるはずなのです。それをわざわざ音階として使っているのはトルコの音楽であり、インド音楽になるわけです。

 もっと言えば、人間の耳に聞こえる周波数の範囲(可聴域)は、低い音で20ヘルツ、高い音で20キロヘルツぐらいまでの間だと言われています。それは、人間だけに当てはまることであって、例えば、イルカですと、150ヘルツから150キロヘルツの間なら聞こえると言われています。つまり、音の周波数は無限大にあり、人間が聴こえないからと言って、その周波数の音がないとは言えないわけです。

 先ほどの十一次元の世界で、七次元の世界は余剰次元と言われて、まだ実体が分かっていないのですが、まだ見つかっていないからと言って、「ない」とは言えないことも、今の例え話で共感してもらえるんじゃないかなあ、と思いました。

 何か偉そうなことを書いてしまいましたが、以前もブログに書いた通り、最先端の物理学とは結局、宇宙論です。「万物の理論」が構築されれば、ブラックホールの実体が分かり、我々の世界と同じようなパラレルワールド(並行世界)が宇宙の何処かに見つかるかもしれません。SFの絵空事だったタイムマシンだって、開発されるかもしれません。そう思うと、何かワクワクして、もっと長生きしたいと思いますよね?(笑)。

老兵は死なず、ただ消えゆくのみ=または余生の過ごし方

 これでも、小生、20年以上昔はマスコミの文化部の記者をやっておりましたから、最先端の文化芸術に触れ、多くの芸能人や作家、画家、文化人の皆様にインタビューもさせてもらいました。ですから、文化関係の分野でしたら、一応、何でも知っているつもりでした。某有名女優さんとは手紙のやり取りまでしておりました。いえいえ、別に自慢話をするつもりではありません。

 それが、急に文化部を離れ、テレビもほとんど見なくなってからは、全く何もかもワケが分からなくなりました。正直、情報過多もあるでしょうが、最新流行にはついていけなくなったのです。最も人気が高かったAKB48も、ジャニーズの嵐も、グループ名はかろうじで知っていても、そのメンバーとなるとさっぱり分からなくなりました。ま、覚えようとしなかったのでしょう(苦笑)。

 今でもそれに近い状態が続いています。テレビに出るような女優、俳優、歌手なら、昔は大抵ほとんど知っていたのに、最近では「この人、誰?」ばっかりです。文芸作家は、毎年2回の芥川賞と直木賞で量産されるので、やはり、「えっ? こんな作家さんいたの!?」です。漫画となると、何百万部、何千万部と売れているという噂は聞きますが、私は読まないので門外漢です。かろうじてタイトルだけ知っている程度です。

銀座「ひろ」1000円ランチ 前菜 「赤字覚悟でやってます」と店主。

 しかし、悲観すること勿れ。人間の頭の構造がそうなっているんでしょう。特に流行音楽なら、誰でも、10代から20代の多感な時に聴いた音楽がその人の一生の音楽になるのでは?小生が子供の頃、テレビで「懐かしのメロディー」といった番組があり、東海林太郎や三浦洸一(現在95歳!)、渡辺はま子といった往年の歌手がよく登場していました。両親は涙を流して熱心に聴き入っていましたが、少年の私はさっぱりついていけず、世代間ギャップを感じたものでした。歳をとると、今度は我々が世代間ギャップを若者たちから糾弾される番になってしまいました。

 私は洋楽派だったので、多感な時代は、ビートルズやローリング・ストーンズやレッド・ツェッペリンばかり聴いていましたが、フォークソングのブームだったので、吉田拓郎やかぐや姫なども結構聴いていました。でも、今の若者は、「四畳半フォーク」なんて、辛気臭くて絶対聴かないでしょうね(笑)。逆に言わせてもらえば、今のラップやらDJやら、我々は、とてもついていけませんが。

銀座「ひろ」1000円ランチ 銀座で一番安いのでは?

 先日、久しぶりに東京・国立劇場で中村京蔵丈の舞台「フェードル」を観て、遅く帰宅したら、たまたま、天下のNHKがMISAMO(ミサモ)という三人組のガールズグループのライブショーをやっていました。勿論、見るのも聴くのも初めてです。名前から、そして顔立ちから、韓国人か中国人かと思いましたら、どうやら、韓国の9人組の多国籍グループ、TWICEの中の日本人サブユニットだということが後で分かりました。ビールを片手に少し酔って見ていましたが、「アラビアンナイト」に出て来るような、かなり性的刺激の強いダンスグループで、天下の国営放送によく出演できたなあと思ってしまいました。若い人は平気かもしれませんが、正常な性的羞恥心を害される(猥褻の定義)と言ってもいいかもしれません。それに、出演しているのが民放ではなく、NHKですからね。時代は変わったなあ、と思いました。(否定はしませんよ。皆さんと同じように、嫌いじゃありませんから=笑)

 老兵は死なず、ただ消えゆくのみ Old soldiers never die, They just fade away

 6年8カ月間、日本を占領したGHQのダグラス・マッカーサー司令官(元帥)が退任に当たって、米議会で演説した有名なフレーズです。流行について行けなくなった今、私の頭の中で、このフレーズが再三、響き渡ります。

 でも、まあ、ええじゃないか、ええじゃないか、です。今は動画サイトがありますから、無理して背伸びして若者たちに媚を売ったりせず、1960~70年代の好きなロックやボサノヴァを見たり、1950年代の黄金時代と言われた日本の全盛期の黒澤明や溝口健二や小津安二郎や成瀬巳喜男の映画を見て余生を過ごせば、それでいいじゃん。

「カフェーパウリスタ」のアメリカンクラブサンド・セットに驚き

 ブログのネタに困った時は、ランチの話題に限ります(苦笑)。そんな、無理して書かなくてもいいのに。。。常軌を逸していますねえ。ま、病気だから仕方ないかあ(笑)。

 本日は、銀座のれん会(正式には協同組合銀座百店会)が発行している「銀座百点」に載っていた銀座8丁目の「カフェーパウリスタ」のアメリカンクラブサンド・セットを食しに行きました。「コーヒーのお代わりがOKなので、とてもお得に感じます」。なーんて書いてあったので、値段も確かめずにホイホイ行ってみました。

銀座8丁目「カフェーパウリスタ」クラブサンドウイッチセット

 そしたら、ガビーンです。セットの珈琲にアイスコーヒーを注文したら、「アイスはお代わりはありませんけど、宜しいですか?」と念を押されてしまいました。恐らく、ホットコーヒーならお代わり出来たのでしょう。サンドが運ばれてきて、一緒に置かれた「請求書」を見たら、びっくり仰天です。何と、1980円もするのです。き、聞いてないよお。珈琲とサンドで2000円近くもするなんて。。。あんりまー、です。

 小誌「銀座百点」は富裕層階級向けの雑誌だったですね。

 「カフェーパウリスタ」自体は、何度か訪れたことがあります。今より少し若い頃に、おあ姐さんと一緒に、コーヒーを飲みながら雑談しました。その時、私は、「カフェーパウリスタは明治44年創業で、昔は、銀座の交詢社前にあったんですよ。交詢社には福沢諭吉が創刊した時事新報社があり、ここで菊池寛が社会部記者をやり、友人の芥川龍之介や谷崎潤一郎らも出入りしていた関係で、カフェーは大正文士の溜まり場になったんですよ。『銀ブラ』という言葉も、銀座をブラブラする、という説と、この銀座のパウリスタでブラジル珈琲を飲むという説もあるんですよ」なーんて、蘊蓄を傾けたりしたものです。気障な奴でしたね(笑)。

銀座8丁目「カフェーパウリスタ」クラブサンドウイッチセット

 でも、「カフェーパウリスタ」で食事をすることは初めてでした。値段を見て、びっくりしましたが、このアメリカンサンドとやら、実に美味い。私が今まで食べたサンドウィッチの中で、一番旨いと言ってもいいかもしれません。具材はレタスとトマトと鶏肉と卵といったもので、特別なものではないんですが、清楚で上品な味わいでした。

 今回、「カフェーパウリスタ」に行ったのは、あのジョン・レノンが気に入って、1978年の某月某日、3日連続、奥さんのオノ・ヨーコさんと一緒に通い詰めたという噂を小耳に挟んだからでした。同店には、ジョンとヨーコの二人にサインをしてもらった珈琲のカップとソーサーが「お店の宝」としてあるらしく、その写真だけが店内に飾られていました。(他のお客さんが側にいたので、写真を撮れず残念)

 このサイン入りのカップとソーサーは、テレビの「何でも鑑定団」で鑑定してもらったら、幾らかなあ、と夢想しました。まあ、100万円でも買う人はいるんじゃないですか?(笑)