生年月日と運命との関係=五木寛之「孤独を越える生き方」

 ラジオ深夜便の放送を書籍化したものですが、作家の五木寛之「孤独を越える生き方」(NHK出版)を興味深く拝読いたしました。

 ・人生とは苦しみと絶望の連続だと覚悟する。

 ・孤独でいることは、人生を豊かにしてくれるボーナスのようなもの。

 ・孤独とは人間にとって必要な時間。

・「他力」とは努力を尽くした人が最後に行き着く境地。

 …等々、心に染み入る言葉が胸に突き刺さりました。

 90歳になる作家は、いまだに人生を達観したわけではなく、迷いながら一つずつ歩んでいるようにさえ思えました。仏教思想、特に親鸞、蓮如らの浄土真宗の思想に影響を受けた五木氏なので、彼の人生観、死生観は、浄土真宗の思想そのものですが、日本人として生まれると、どういうわけか、無意識に共鳴してしまいます。

 特に「人生とは苦しみと絶望の連続だと覚悟する」なんて、キリスト教やイスラム教では絶対、説いたりしませんからね。

 本文の中で、フィギュアスケートの羽生結弦選手の「努力はウソをつく。でも無駄にならない」という言葉を引用しながら、「『他力』とは努力を尽くした人が最後に行き着く境地と言えるかもしれない」と五木氏は、発言しておりました。これも、仏教思想の「諦念」に通じるところがあります。

 実は、本日は、以上のことをブログに書きたかったわけではありません(笑)。五木氏が「奇しくも石原慎太郎さんと同月同日生まれなんです」と発言したことに吃驚したからでした。二人とも1932年9月30日生まれだったのです。二人は、性格も違えば、趣味も思想も政治信条も全く違いますが、小説家という共通点があります。片や芥川賞、片や直木賞の違いがありますが、これは偶然なのかなあ、と思ってしまったのです。

 よく、「星の下に生まれる」と言いますが、やはり、生まれた生年月日で人の運命が決まるんでしょうか? 四柱推命は、まさに、生年・月・日と生まれた場所の四つの要素で運命を判断しますが、科学的に証明できなくても、何かの法則があって、だから当たるのでしょうか?

 背中がゾクゾクっとしてしまいました。

パラレルワールドもタイムマシンも出来るかもしれない?=ミチオ・カク著、斉藤隆央訳「神の方程式ー『万物の理論』を求めて」を読了して

 昨日、ミチオ・カク著、斉藤隆央訳「神の方程式ー『万物の理論』を求めて」(NHK出版)を読了しました。「嗚呼、面白かった」と言いたいところですが、理解できたのは7割ぐらいかな、というのが正直な感想です(苦笑)。

 これは以前にもこのブログに書きましたが、後半に量子論が登場してから、俄然、難しくなります。例えばー。

 ひも理論の超対称性といった要素は、無用でもなければ物理学に適用できないわけではもないことは認めなければならない。超対称性が存在する証拠はまだ見つかっていないが、量子論に潜む問題の多くを取り除くために欠かせないことは分かっている。超対称性は、ボソンをフェルミオンで相殺して量子重力理論を悩ます発散を取り除くことで、長年の課題を解決することができる。(174ページ)

 なんて言われても、日本語として辛うじて字面は読めても、うーん?どうゆうこと?と思ってしまいます。やはり、修行が足りない。

 でも、著者を批判しているわけではありません。一般の人でも、生まれて初めて相対性理論や量子論に触れる人でも分かりやすく基本的に説明してくれます。しかも、現代の最先端の理論物理学は、この相対性理論や量子論を統合した「万物の理論」を構築しようとしています。でも、いまだその理論は確立せず、そもそも相対性理論と量子論が統合できるわけがないという学者もいるようです。

 今後どうなるのか? 素人はその推移を見守るしかありませんが、少なくとも「まだ分からないことが分かった」ことは収穫ではありませんか!

銀座

 著者らが提唱する「超ひも理論」によると、我々が、縦、横、高さの三つの座標で定義される空間を動く三次元の存在だと思い込んでいるが、それは幻かもしれないといいます。本当は、我々は、ホログラムのような中で生きているかもしれないし、我々が体験している三次元の世界は、本当は十次元や十一次元である現実世界が落とす影に過ぎないかもしれないというのです。そう言われてもねえ。。。。しかも、本文では十一次元の世界とはどうゆうものなのか、素人に分かりづらいだろうと著者は思ったのかどうか知りませんが、説明がありません。

 十一次元の世界とは何か? 調べてみると、我々が実感できるのは縦、横、高さの三次元の世界で、見えたり、触ったり、匂いを感じたりすることができます。これに時間が加わると四次元の世界になります。でも、超ひも理論となると、この四次元以外に七次元の世界もあるというのです。この七次元は触ることも見ることもできず、「余剰次元」とも呼ばれますが、素粒子にぐるぐる巻かれたり折り畳まれたりして確かに存在するというのです。そう言われてもねえ。。。

銀座「割烹 きむら」

 ちなみに、この素粒子というのは、物質を分解していくと、分子や原子になり、さらに分解していくと、電子、陽子、中性子になり、またさらに分解してこれ以上のものにならないもののことですから、もともと、肉眼や普通の顕微鏡では見えないものです。これらの形状は、当初は粒と考えられていましたが、粒ではなく、実は波の性質を持って回転したり、振動するひものようなものではないかという説を唱えたのが、後にノーベル物理学賞を受賞する南部陽一郎氏らです(1970年の弦理論)。これが10次元空間の場に発展した「超ひも理論」(84年)となり、さらに11次元のM理論(95年)に引き継がれたといいます。

東銀座

 そこで、私なりに考えたことは、音楽の平均律です。ド、レ、ミ、ファ…の1オクターブを12等分した音律のことです。明治以降に教育を受けた日本人の多くは、ド、レ、ミ、ファの12平均律は極めて当たり前で常識な話です。しかし、これは西洋音楽が、オクターブを12分割しただけだったのです。トルコでは53平均律があるらしく、インドでは100とか200とかの平均律もあると聞いたことがあります。バイオリンなど弦楽器を例に取れば分かりやすいと思います。ドとレの間の半音としてド#か、レ♭の音がありますが、本来ならドとド#の間にも音があり、またその間にも音があり、音階として使えるはずなのです。それをわざわざ音階として使っているのはトルコの音楽であり、インド音楽になるわけです。

 もっと言えば、人間の耳に聞こえる周波数の範囲(可聴域)は、低い音で20ヘルツ、高い音で20キロヘルツぐらいまでの間だと言われています。それは、人間だけに当てはまることであって、例えば、イルカですと、150ヘルツから150キロヘルツの間なら聞こえると言われています。つまり、音の周波数は無限大にあり、人間が聴こえないからと言って、その周波数の音がないとは言えないわけです。

 先ほどの十一次元の世界で、七次元の世界は余剰次元と言われて、まだ実体が分かっていないのですが、まだ見つかっていないからと言って、「ない」とは言えないことも、今の例え話で共感してもらえるんじゃないかなあ、と思いました。

 何か偉そうなことを書いてしまいましたが、以前もブログに書いた通り、最先端の物理学とは結局、宇宙論です。「万物の理論」が構築されれば、ブラックホールの実体が分かり、我々の世界と同じようなパラレルワールド(並行世界)が宇宙の何処かに見つかるかもしれません。SFの絵空事だったタイムマシンだって、開発されるかもしれません。そう思うと、何かワクワクして、もっと長生きしたいと思いますよね?(笑)。

老兵は死なず、ただ消えゆくのみ=または余生の過ごし方

 これでも、小生、20年以上昔はマスコミの文化部の記者をやっておりましたから、最先端の文化芸術に触れ、多くの芸能人や作家、画家、文化人の皆様にインタビューもさせてもらいました。ですから、文化関係の分野でしたら、一応、何でも知っているつもりでした。某有名女優さんとは手紙のやり取りまでしておりました。いえいえ、別に自慢話をするつもりではありません。

 それが、急に文化部を離れ、テレビもほとんど見なくなってからは、全く何もかもワケが分からなくなりました。正直、情報過多もあるでしょうが、最新流行にはついていけなくなったのです。最も人気が高かったAKB48も、ジャニーズの嵐も、グループ名はかろうじで知っていても、そのメンバーとなるとさっぱり分からなくなりました。ま、覚えようとしなかったのでしょう(苦笑)。

 今でもそれに近い状態が続いています。テレビに出るような女優、俳優、歌手なら、昔は大抵ほとんど知っていたのに、最近では「この人、誰?」ばっかりです。文芸作家は、毎年2回の芥川賞と直木賞で量産されるので、やはり、「えっ? こんな作家さんいたの!?」です。漫画となると、何百万部、何千万部と売れているという噂は聞きますが、私は読まないので門外漢です。かろうじてタイトルだけ知っている程度です。

銀座「ひろ」1000円ランチ 前菜 「赤字覚悟でやってます」と店主。

 しかし、悲観すること勿れ。人間の頭の構造がそうなっているんでしょう。特に流行音楽なら、誰でも、10代から20代の多感な時に聴いた音楽がその人の一生の音楽になるのでは?小生が子供の頃、テレビで「懐かしのメロディー」といった番組があり、東海林太郎や三浦洸一(現在95歳!)、渡辺はま子といった往年の歌手がよく登場していました。両親は涙を流して熱心に聴き入っていましたが、少年の私はさっぱりついていけず、世代間ギャップを感じたものでした。歳をとると、今度は我々が世代間ギャップを若者たちから糾弾される番になってしまいました。

 私は洋楽派だったので、多感な時代は、ビートルズやローリング・ストーンズやレッド・ツェッペリンばかり聴いていましたが、フォークソングのブームだったので、吉田拓郎やかぐや姫なども結構聴いていました。でも、今の若者は、「四畳半フォーク」なんて、辛気臭くて絶対聴かないでしょうね(笑)。逆に言わせてもらえば、今のラップやらDJやら、我々は、とてもついていけませんが。

銀座「ひろ」1000円ランチ 銀座で一番安いのでは?

 先日、久しぶりに東京・国立劇場で中村京蔵丈の舞台「フェードル」を観て、遅く帰宅したら、たまたま、天下のNHKがMISAMO(ミサモ)という三人組のガールズグループのライブショーをやっていました。勿論、見るのも聴くのも初めてです。名前から、そして顔立ちから、韓国人か中国人かと思いましたら、どうやら、韓国の9人組の多国籍グループ、TWICEの中の日本人サブユニットだということが後で分かりました。ビールを片手に少し酔って見ていましたが、「アラビアンナイト」に出て来るような、かなり性的刺激の強いダンスグループで、天下の国営放送によく出演できたなあと思ってしまいました。若い人は平気かもしれませんが、正常な性的羞恥心を害される(猥褻の定義)と言ってもいいかもしれません。それに、出演しているのが民放ではなく、NHKですからね。時代は変わったなあ、と思いました。(否定はしませんよ。皆さんと同じように、嫌いじゃありませんから=笑)

 老兵は死なず、ただ消えゆくのみ Old soldiers never die, They just fade away

 6年8カ月間、日本を占領したGHQのダグラス・マッカーサー司令官(元帥)が退任に当たって、米議会で演説した有名なフレーズです。流行について行けなくなった今、私の頭の中で、このフレーズが再三、響き渡ります。

 でも、まあ、ええじゃないか、ええじゃないか、です。今は動画サイトがありますから、無理して背伸びして若者たちに媚を売ったりせず、1960~70年代の好きなロックやボサノヴァを見たり、1950年代の黄金時代と言われた日本の全盛期の黒澤明や溝口健二や小津安二郎や成瀬巳喜男の映画を見て余生を過ごせば、それでいいじゃん。

最先端の物理学とは宇宙論?=ミチオ・カク著、斉藤隆央訳「神の方程式ー『万物の理論』を求めて」

 ミチオ・カク著、斉藤隆央訳「神の方程式ー『万物の理論』を求めて」(NHK出版)を読んでいます。まだ途中で、3分の2ぐらい進んでいます。

 でも、登山でいうところの「難所」があり、途中で引き返したくなるほど読むのが難儀してしまう箇所もありました。特に量子論に入った頃から難しくなりました。ノーベル物理学賞を受賞したリチャード・ファインマン博士ですら「量子力学を理解している人は誰もいないと言っていいと思う」と発言するぐらいですから、まして文科系の素人をや、です。それに、学生時代は量子論なんて全く習いませんでしたからね。

 この本は2022年4月30日初版ですから、出版されて1年以上経ってますが、日本ではあまり大きな話題になりませんでしたね。「神の方程式」ですから、新興宗教の聖典と勘違いされたのでしょうか? でも、この本は、理論物理学の一般向けの好著だと思います。難しい数式は本文では避けて、註釈の中に登場させています。また、訳者の斉藤氏の翻訳がこなれていて読みやすいお蔭で、文科系の素人でも理解しようと頑張れば出来るからです。

 この本は、このブログで以前ご紹介したニュートン別冊「学びなおし 中学・高校物理」(ニュートンプレス)を読了した際にも取り上げました。繰り返しになりますが、現代の最先端の物理学は、マクロな世界を記述するアインシュタインの一般相対性理論と、ミクロな世界を記述するシュレーディンガーやハイゼンベルクらの量子力学(量子論)を融合した「究極の理論」を構築しようとしていて、未だにその統一された「万物の理論」は出来ていません。本書はそれまでに至る過程というか、偉大な科学者の業績と歴史を辿り、今後の展望を探っています。つまり、この1冊で、最先端の物理学が分かるわけです。先のブログでご紹介した通り、著者のミチオ・カク(賀来道雄)氏(76)は、日系3世の米国人で、ニューヨーク市立大学教授です。米国では、テレビの多くの科学番組やニュースの解説者として登場し、大変な有名人のようですが、不勉強な私は存じ上げませんでした。

 私は文科系の人間ですが、最先端の物理学の礎を築いたニュートンとアインシュタインの二人の科学者について、著者の見方が面白かったです。カク氏によると、ニュートンは、孤独を好み寡黙で、人間嫌いと言っていいほど。生涯の友はおらず、日常会話も満足に出来なかった、とまで言ってしまっております。一方のアインシュタインは、社交的で、人間的で気取らず、周囲の人間はその高潔さに圧倒されるものの、誰からも愛される性格だったといいます。文科系の人間は、理論よりも、こういった人間臭い話の方が好きです(笑)。

 カク氏は大学の先生ですから、説明の仕方も分かりやすいです。例えば、こんな感じです。

 アインシュタインは見事にこう見抜いた。光の速度は不変だから、光速を不変にするために、時間と空間が歪むのに違いない!

 アインシュタインは、万有引力が実は錯覚であるという見事な知見を得た。物体が動くのは、重力や遠心力で引っ張られるからではなく、周囲の空間の湾曲によって押されるからである。もう一度言おう。重力が引っ張るのではなく空間が押すのだ。

 このように、「時空は重い質量によって歪み、重力による力の錯覚をもたらす」という一般相対性理論を一般向けに易しく解説してくれます。

 さて、究極の万物の理論が構築されると何が解明されるのか? 著者は、それについても明確に答えています。著者によると、究極の理論とは、自然界の四つの力(重力、電磁力、強い核力、弱い核力)が一つの理論にまとまる考えだといいます。疑問が解明する可能性があるものの中にはー。

●ビッグバンの前に何が起きていたのか? そもそも何故ビッグバンが起きたのか?

●ブラックホールを抜けた向こう側に何があるのか?

●タイムトラベルは可能なのか?

●いくつもの並行宇宙からなるマルチバース(多宇宙)は存在するのか?

 等々ですが、あれっ?です。最先端の物理学の究極の理論というのは、宇宙論のことではありませんか!(つづく)

【追記】2023年8月24日

 ニュートンとアインシュタインという2人の天才に関して、もう一つ、人間的な側面を追加しておきます。

 ・人間嫌いで奥ゆかしいニュートンは、自分の著作の出版を考えていませんでしたが、ニュートンの業績に感嘆して、その著作の印刷費用を支払うことを申し出たのは、「ハレー彗星」で名を残した天文学者のエドモンド・ハレーだった。その著作とは、科学史に残る重要な最高傑作の一つとなる「プリンシピア 自然哲学の数学的原理」(1687年)だ。

 ・アインシュタインは、ロングスリーパーで、毎日10時間寝ていたといわれる。

 

「カフェーパウリスタ」のアメリカンクラブサンド・セットに驚き

 ブログのネタに困った時は、ランチの話題に限ります(苦笑)。そんな、無理して書かなくてもいいのに。。。常軌を逸していますねえ。ま、病気だから仕方ないかあ(笑)。

 本日は、銀座のれん会(正式には協同組合銀座百店会)が発行している「銀座百点」に載っていた銀座8丁目の「カフェーパウリスタ」のアメリカンクラブサンド・セットを食しに行きました。「コーヒーのお代わりがOKなので、とてもお得に感じます」。なーんて書いてあったので、値段も確かめずにホイホイ行ってみました。

銀座8丁目「カフェーパウリスタ」クラブサンドウイッチセット

 そしたら、ガビーンです。セットの珈琲にアイスコーヒーを注文したら、「アイスはお代わりはありませんけど、宜しいですか?」と念を押されてしまいました。恐らく、ホットコーヒーならお代わり出来たのでしょう。サンドが運ばれてきて、一緒に置かれた「請求書」を見たら、びっくり仰天です。何と、1980円もするのです。き、聞いてないよお。珈琲とサンドで2000円近くもするなんて。。。あんりまー、です。

 小誌「銀座百点」は富裕層階級向けの雑誌だったですね。

 「カフェーパウリスタ」自体は、何度か訪れたことがあります。今より少し若い頃に、おあ姐さんと一緒に、コーヒーを飲みながら雑談しました。その時、私は、「カフェーパウリスタは明治44年創業で、昔は、銀座の交詢社前にあったんですよ。交詢社には福沢諭吉が創刊した時事新報社があり、ここで菊池寛が社会部記者をやり、友人の芥川龍之介や谷崎潤一郎らも出入りしていた関係で、カフェーは大正文士の溜まり場になったんですよ。『銀ブラ』という言葉も、銀座をブラブラする、という説と、この銀座のパウリスタでブラジル珈琲を飲むという説もあるんですよ」なーんて、蘊蓄を傾けたりしたものです。気障な奴でしたね(笑)。

銀座8丁目「カフェーパウリスタ」クラブサンドウイッチセット

 でも、「カフェーパウリスタ」で食事をすることは初めてでした。値段を見て、びっくりしましたが、このアメリカンサンドとやら、実に美味い。私が今まで食べたサンドウィッチの中で、一番旨いと言ってもいいかもしれません。具材はレタスとトマトと鶏肉と卵といったもので、特別なものではないんですが、清楚で上品な味わいでした。

 今回、「カフェーパウリスタ」に行ったのは、あのジョン・レノンが気に入って、1978年の某月某日、3日連続、奥さんのオノ・ヨーコさんと一緒に通い詰めたという噂を小耳に挟んだからでした。同店には、ジョンとヨーコの二人にサインをしてもらった珈琲のカップとソーサーが「お店の宝」としてあるらしく、その写真だけが店内に飾られていました。(他のお客さんが側にいたので、写真を撮れず残念)

 このサイン入りのカップとソーサーは、テレビの「何でも鑑定団」で鑑定してもらったら、幾らかなあ、と夢想しました。まあ、100万円でも買う人はいるんじゃないですか?(笑)

かなりの知的労働作業?=中村京蔵 爽涼の會「フェードル」

 土曜日、久しぶりに、恐らく4年ぶりに舞台芸術を鑑賞しました。勿論、コロナのせいです。久しぶりだったせいか、その世界に没入するのが最初は大変でしたが、最後は終了するのが惜しいぐらいに感じました。

 舞台は、私の数少ない歌舞伎役者の友人である中村京蔵丈(京屋)の自主公演である爽涼の會です。今年の演目は、フランスのラシーヌの古典劇「フェードル」を翻案した同名作品(岩切正一郎訳)です。ラシーヌの原作は、ギリシャ悲劇を題材につくられていますが、京屋さんの舞台も、登場人物がアテネ王テゼ(池田努)もその妻で王妃のフェードル(中村京蔵)も、フェードルの義理の息子の禁断の恋の相手であるイポリット(須賀貴匡)も、そのまま、その名前で舞台に現れます。しかも、舞台衣装は、男性は、恐らく、日本の戦国時代と思われる甲冑姿で、女性は艶やかな和服姿ですから、和洋折衷といいますか、うーん、何と言いますか、日本人の武将が「フェードル!」などと叫ぶと、どう理解したらいいのか、正直、最初は頭の中が混乱してしまいました。

 まさに、歌舞伎でもない、新劇でもない、ギリシャ劇でもフランス古典劇でもない、21世紀の革新劇でした。

 それにしても、翻訳台本通りでしょうが、あまりにも長い台詞に驚きつつ、役者さんには少し同情してしまいました。演じる方も観る方もかなりの知的労働作業ではないかと思いました(笑)。私の左隣席の高齢の御婦人と中年の令夫人は、暗い客席で船を漕いでおられました。

 何で京屋さんが、「フェードル」を取り上げたのか、会場内で配布されたプログラムを読んでやっと理解できました。京屋さんがラシーヌの「フェードル」を知ったきっかけは三島由紀夫で、三島は、この作品を翻案して、「芙蓉露大内実記(ふようのつゆ おおうちじっき)という歌舞伎の義太夫狂言に仕立てていたというのです(三島は29歳か30歳ぐらいですから、やはり天才ですね)。これは、1955年11月に歌舞伎座で、六世中村歌右衛門と二世實川延二郎の主演で一度だけ上演されたといいます。三島は、舞台を戦国時代の大内氏による尼子攻めに設定し、フェードルを芙蓉の前、イポリットを大内晴時などとしました。京屋さんは、その舞台は観ていませんが、学生時代から三島の演劇台本を熟読していて、三島とは違うフェードルをつくりたいという構想を抱いていたといいます。

 今回、舞台に登場する人名も地名もそのまま翻訳台本のままにして、扮装を和様式にしたのは、京屋さんが1980年に日生劇場で観た蜷川幸雄演出の「NINAGAWA・マクベス」の影響だということもプログラムの中で明かしておられました。

 よく知られていますように、中村京蔵さんは国立劇場歌舞伎俳優養成所の御出身です。歌舞伎は江戸時代に始まった伝統芸能ですから、身分社会の残影から家筋が重視されております。幹部俳優とそれ以外では長くて深い溝があります。割り当てられた役に対して不満を抱く「役不足」は、歌舞伎から来た用語だという説もあります。それだけ、役は重要なのですが、歌舞伎の場合、主役は幹部俳優しか演じられない伝統があります。

 それだけに、中村京蔵さんは、毎年、自分のプロデュースと主演で自主公演を開催されているわけですから、大変な資本が掛かります(今回はクラウドファンディングを実施されました)。本当に頭が下がるといいますか、尊敬しております。

 1966年に開場された国立劇場は、今年10月で閉館して建て直しされるそうですね。私はあの校倉造り風の建物が大変好きで、まだまだ持つんじゃないかと思っていましたが、日本人はスクラップアンドビルドが大好きですからね。

 2029年秋に再開場されるという話ですが、6年後ですか!生きているかなあ?

 ちなみに、この国立劇場の辺り、江戸時代はあの渡辺崋山の田原藩の上屋敷があった所でした。渡辺崋山は蛮社の獄で蟄居を命じられ、自害した蘭学者であり、画家でもあり、私も偉人としてとても尊敬しています。特に、ドナルド・キーン著「渡辺崋山」を読んで、その人となりを知りました。画家としては、谷文晁に師事しただけあって、「鷹見泉石像」は国宝に指定されています。鷹見泉石は古河藩(現茨城県)の家老で、優れた蘭学者であり、大塩平八郎の乱を平定した人としても知られています。

物理学に苦手意識がなくなったことが収穫です=ニュートン別冊「学びなおし 中学・高校物理」

 むふふふ…。ニュートン別冊「学びなおし 中学・高校物理」(ニュートンプレス)を読了しました。広げたら縦27.5センチ、横42.0センチというデカイ本を小さく折り畳んで、満員電車の中で一生懸命読んでいた老師がいたとしたら、それは私です。今どき、電車の中で勉強している人間は皆無です。。。と思いきや、本日は、司法試験らしき勉強をしている若い人を一人だけ見つけましたが、彼は座ると直ぐ寝入ってしまいました(笑)。

 「学びなおし 中学・高校物理」は、看板に偽りあり、ですね。「ドップラー効果」「慣性の法則」「ボイル・シャルルの法則」といった実に懐かしい用語が出てきましたが、「キルヒホッフの法則」も「波動関数」も、それ以外はほとんど習っていないことばかりです。「学びなおし」にならず、お初に学習させて頂きましたが、お蔭様で、物理学に対する謂れも知れぬ恐怖心はなくなりました。「全て理解できた」などとおこがましいことを言うつもりはありませんが、少なくとも、物理学に対する苦手意識がなくなり、むしろ、非常に好きになりました。

 いやはや、人類が確立した学問の中で、物理学ほど面白い学問はありません、と図々しく言っても過言ではありません(笑)。

Ginza

 この本では、

・重力は距離の二乗に反比例する。

・重力の正体は時空のゆがみである。

・自然界は波(電磁波、電子の波、音波など)に支配されている。

・自然という書物は、数という言語で書かれている。(ガリレオ)

 などといった物理学のキーワードが登場し、文科系の人間でも大いに深く考えさせられました。

 結局、自然科学は、実験で得た仮説を、最終的には数式に当てはめることによって初めて万物に応用が出来る学問だと思いました。アインシュタインが自らの相対性理論らしき理論を、黒板いっぱいに数式を書いて説明講義している写真を見たことがありますが、素人にはさっぱり分かりませんでしたけど(笑)。

 しかも、物理学は象牙の塔には閉じ籠りません。ニュートンの万有引力の法則は、蒸気機関の発明に応用され、産業革命の土台になりました。ファラデーとマクスウェルによる電気と磁気の解明によって、都市に街灯が巡らされ、発電機が発明され、ラジオやテレビの通信にまで応用されました。アインシュタインの相対性理論は、核力の存在を明らかにし、残念ながら本人は関与しなくても原子爆弾の開発につながり、シュレーディンガーやハイゼンベルクらの量子力学は、レーザーを始め、インターネットからスーパーコンピューターの開発に至るハイテク革命にまで応用されました。(実は、この辺りは、ミチオ・カク著、斉藤隆央訳「神の方程式」(NHK出版)からの部分引用です。)

Ginza

 さて、現代の最先端の物理学はどうなっているのでしょうか? 同書によると、現在の物理学者たちは、マクロな世界を記述する一般相対性理論と、ミクロな世界を記述する量子論を融合した「究極の理論」を構築しようと努力しているといいます。

 それは、仮に「量子重力理論」と呼ばれているそうですが、先に引用した「神の方程式」の日系3世の米国人ミチオ・カク(賀来道雄)ニューヨーク市立大学教授(76)もその一人です。彼は、「粒子と波の二面性」を持つ素粒子は点状の粒子とは考えず、長さを持つ「ひも」として考える「超ひも理論」の提唱者です。と、言われても、中学・高校で習ったことはなく、これまた初めて聞く理論です。

 人間、何歳になっても、勉強し続けなくてはいけませんね。時代についていけなくなってしまいます。

あるものを「なかったこと」に

 中国国家統計局は15日、若者(16~24歳)の失業率の発表を突如、取りやめ、大きな話題になりました。6月は21・3%と過去最悪の水準となっていたので、7月はさらに悪化したことが容易に想像されます。

 これに対して、中国のSNS上で「失業率を発表しない、ということは問題がなかったことになりますね」といった皮肉のコメントが投稿されたようです。あれっ?中国には言論の自由があったんですね。

 中国人、特に国家中枢を占める漢民族は、どうも都合の悪いことは、「なかったこと」にすることが得意のようです。これで思い出したのは、2011年7月に中国浙江省温州市で起きた高速鉄道の列車衝突・脱線事故です。この事故で40人の死者が出たと言われていますが、当局は、問題の列車の事故調査をしないで、そのまま高架下の土中に埋めてしまったという国際社会が見ても唖然とすることが起きたことです。

 いまだに当局は、詳細な事故調査をしていない、ということは、事故は「なかったこと」にしてしまったようなものです。

Ginza

 まだあります。中国は、福島原発の処理水を海洋放出することに対して、強固な批判をし続けていますが、読売新聞によると、中国は、国内で運用する複数の原子力発電所が、福島の処理水の最大で約6・5倍の放射性物質トリチウムを放出しているというのです。

 これまた、読売新聞の報道がなければ、中国原発からの海洋放出は「なかったこと」になります。これまた漢民族の「お家芸」が発揮されたことになります。

 そこで、最近、私のブログのあるサイトに関して、色々と言い掛かりをつけてくる人がいたので、早速、この漢民族の手口を使うことにしました。

 関係者がいるので、詳細は茲では書けませんけど、要するに「なかったこと」にすることにしたのです。ややこしい人間とは関わらず、関知せず、関与しないことが常識人の基本です。なかったことにしても大勢に影響はないし、ネット上に載るべき重要なことでもありませんからね。削除は屈辱的でしたが、むしろ、余計なものがなくなってスッキリした気分ですよ。

大スターは代償が大き過ぎる=草刈正雄さんの父親捜し

 毎日、ブログを書き続けることは実に大変です。ので、もしかしたら、毎日、このブログを読み続けてくださる人の方がもっと大変なのではないかと拝察致します。感謝申し上げます。

 さて。14日にNHK総合で放送された「ファミリーヒストリー=俳優・草刈正雄(70)篇」を御覧になりましたか?実に壮絶な話で、涙なしでは見られませんでしたね。恐らく、再放送されることでしょうから、見逃した方は、検索してみてください。

 草刈さんは1952年生まれで、「朝鮮戦争で死んだ」「写真は全て焼き捨てた」と母親から聞かされていた米兵の実父が、実は生きていて、2013年に83歳で亡くなっていたという衝撃な事実が明かされます。草刈さんも全く初めて知る事実だったので、司会者から感想を聞かれても、「言葉が出ませんね…」と涙を流しておられました。

Ginza

 戦後6年間、敗戦国日本は米軍に占領され、米軍兵と日本人女性との間に生まれた「混血児」の多くが親たちに見捨てられた悲しい歴史がありました。そんな混血孤児たちを養護するための施設として、岩崎弥太郎の孫に当たる澤田美喜さんが創設した「エリザベス・サンダース・ホーム」は特に有名です。

 草刈さんの場合、米兵の父親ロバート・トーラーさんは、草刈さんが生まれる前に米国に帰国してしまい、その後、空軍の仕事で西ドイツに渡り、同国で知り合った女性と結婚します。一方の福岡県人の母親は、気丈な人だったため、小倉で仕事を掛け持ちして女手一つで子どもを育てようと決心しますが、時には生活が立ち行かなくなり、何度か心中しようとしたらしいのです。当時は、学校でも「合いの子」と差別されたらしく、草刈さんも戦争の犠牲者と言えなくありません。

 番組では、スタッフが苦労の末にやっとノースカロライナ州に住む草刈さんの伯母に当たるジャネットさん(97)を探し当てます。ジャネットさんは70年前に、草刈さんの母親から米国の自宅に手紙をもらった時は、弟であるロバート・トーラーさんは西独に行っておらず、自身も若くてお金がなく、親子の無事を祈るしかなかったといいます。その事実は誰にも話せず、70年間も自分の心の内に秘めていたといいます。

 結局、番組では草刈さんとジャネットさんは、米ノースカロライナ州の彼女の自宅で再会を果たし、めでたし、めでたしで終わります。だけんども、1日経って、冷静に振り返ってみれば、父親は、日本人女性が妊娠していることを知っていたのに見捨てて帰国し、その後も養育費すら払っていなかったわけですから、それらの事実を省略して随分、美談に仕立て上げられたもんだなあ、という感想に変わりました。

銀座「羅豚」黒豚ポン酢炒め御膳1100円

 草刈さんは、その甘いマスクを生かして、モデルから俳優業にも進出して大スターになりましたが、芸能界で成功することは並大抵のことではありません。いわば、宝くじに当たるようなものなのです。私もかつて、芸能界を広く浅く取材したことがありますが、大スターに限って、その代償として、大借金を抱えるとか、家族に恵まれないとか、差別されて育ったといったような、本人が自覚しているにせよ、しないにせよ、大きな大きな「不幸」を抱えている人が多いという事実に気付かされたことがありました(非常にマイルドに書きました)。

 草刈さんも大スターながら、70年間も父親のことに関して、心の奥底でモヤモヤを抱えて生きてきたことを告白していました。その草刈さん、苦悩したのは父親のことだけでなく、2015年には長男が、23歳の若さで、渋谷区のマンションから転落死されていたことも、この記事を書くに当たって色々と調べていたら初めて知りました。

 やはり、大スターは代償が大き過ぎます。

 

明治維新~77年目の終戦から78年

 本日8月15日は、78回目の終戦記念日です。昭和20年8月15日は、明治維新から77年目のことでしたから、それを越えてしまったわけです。

 「降る雪や明治は遠くなりにけり」と中村草田男が詠んだのは昭和6年(1931年)でしたから、昭和20年(1945年)当時の人々から振り返っても、明治維新(1868年)は遥か昔に思えたことでしょう。(江戸時代生まれの日本人も健在だったことでしょうが)

 同じように令和の現代人が、昭和の敗戦時を振り返れば、同じように遥か遠い彼方の出来事だと思うのは当然です。戦後生まれは、既に、日本の人口の8割以上占めていますから、戦争体験者も減りましたし。

Ginza

 本日、日本武道館で開催された全国戦没者追悼式(台風7号の影響で、9府県の代表者が参加出来ず)では、天皇陛下から「さきの大戦において、かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い、深い悲しみを新たにいたします。…ここに、戦後の長きにわたる平和な歳月に思いを致しつつ、過去を顧み、深い反省の上に立って、再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願い、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、全国民と共に、心から追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。」とのお言葉がありました。

 その半面、岸田首相の式辞は、昨年とほとんど同じのコピペ原稿を感情も入れずに棒読みしていただけでしたから実に情けない。東京新聞の調べでは、660字の9割が「一言一句同じ」だったといいます。岸田さんにして1957年の戦後生まれですが、さらに自分より若いスピーチライターに丸投げして、戦禍の悲惨さの想像力の欠如がおぞましい。

 世界史上初めて、日本は原爆の被爆国であり、先の大戦では、民間人、軍人、軍属ら310万人という尊い生命が奪われました。戦争で最初の犠牲になるのは無辜の市民であることは、ロシアによるウクライナ侵攻でも見せつけられました(ブチャ虐殺の悲劇)。同時に日本はアジア諸国等に対する加害者でもありました。

 私も、二度と戦争を繰り返してはいけないという強い信念がありますが、今の「戦争を知らない」為政者たち、特に、自民、公明、日本維新の会の皆様は、一刻も早く平和憲法を改正して、軍備増強に躍起になっておられます。本人や家族は絶対に戦場に行かないと思っているからでしょう。

 また、戦前と全く同じように、強大な財閥、中でも、軍需産業企業がこれらの政党を後押ししているような言動が最近、見受けられます。

 先の大戦は、政界、財界、官界のエスタブリッシュメントが立案、計画、プロデュースして、新聞と臣民が追従、追認、挙句の果てには率先して遂行したものでした。

Ginza

  もし仮にまた戦争が起きるとしたら、全く同じ轍を踏むことでしょう。何を差し置いてでも情報戦から始まります。好戦的なメディアが周囲の危機感を煽り、SNSでは流言蜚語が飛び交い、逆に世論が政府を突き動かすことでしょう。「何で、早く始めないのか」と。

政府による思想統制を端緒に隣組も復活して、裏切り、寝返り、告げ口、陥れ、濡れ衣が横行することでしょう。日本人は集団ヒステリーを起こす傾向が強いので、非国民をあぶり出し、不逞外国人を排斥し、膺懲(ようちょう)といって、集団暴行をすることでしょう。

 嗚呼、こんな悪夢が正夢にならないことを祈るばかりです。が、やはり、教育が重要です。戦争の悲惨さは何世代にも渡って伝えていかなければなりません。だからこそ、こうして終戦記念日があり、全国戦没者追悼式が挙行されるわけですから。