銀座で生まれた通信社

鳥居英晴著「国策通信社『同盟』の興亡」(花伝社・2014年7月31日初版)を読み始めました。滅法面白いのでやめられません。

著者の鳥居英晴さんは、あの「日本陸軍の通信諜報戦 北多摩通信所」を書いた人でした。元共同通信記者。このリーフレットのような薄い本を私は2257円(送料・手数料込み)で買ったことを先日のブログに書きましたが、こちらの同盟通信社の本は広辞苑のような分厚い本で800ページ以上もあります。定価は5000円プラス税ですが、ネットでは1万9524円で新本が売られていました。

鳥居氏は、この本を書くために生まれてきたのですね。こちらも、大変読み応えがあります。自分自身、今まで知らなかったことがたくさん書かれていて、色々教えられます。

しょっぱなから、「通信社は銀座で生まれた」とあります。(13ページ)

銀座なら私の庭みたいなもんですから(笑)、猛暑の中、汗を拭き拭き、この本に出てきた通信社や新聞社跡を辿って歩いてみました。ただし、全く、面影も何もなし。記念碑や看板もないので、ここに新聞社や通信社があったことさえ分かりませんでした。

御存知、銀座の象徴とも言うべき4丁目の和光。服部時計店。ここに、銀座に初めて進出した新聞「日新真事誌」の社屋がありました。1873年(明治6年)7月のこと。経営者は、英国人ジョン・レディ・ブラック。彼は1863年(幕末じゃないですか)に来日し、1867年10月(まだ幕末)に横浜で、英字紙ジャパン・ガゼットを創刊しています。

銀座5丁目、銀座中央通りにある「イグジット・メルサ」。以前は「ニューメルサ」と言ってましたが、最近名前を変えたようです。今は中国系企業に買収されたラオックスなどが入り、ほとんど中国人観光客の溜まり場になっています。

ここにあの東京日日新聞社(現毎日新聞)があったというのです!1877年(明治10年)のこと。後に主筆・社長を務めた福地桜痴(源一郎)はこの年に西南戦争を取材しています。福地は歌舞伎座を創設し、劇作するなど演劇界に名を残します。東京日日がここにあったとはねえ。

銀座1丁目1番地にある京橋三菱ビルディングで、今は三菱UFJ銀行などになってますが、ここに、東京日日新聞と同じ年の1877年(明治10年)、読売新聞社の社屋が建っていたというのです。

銀座の端っこ、道を渡ると京橋です。

読売新聞は、今のマロニエ通りにあるビルと、旧プランタン銀座にあったと聞いてましたが、最初はここだったんですか。尾崎紅葉の「金色夜叉」が連載されていた頃の明治期の読売はここにあったんでしょうか。

朝日新聞は1888年(明治21年)、京橋区滝山町4番地(現銀座6丁目の並木通り)に大阪から進出します。

星亨が、自身が発行した自由党系の「めさまし新聞」を大阪朝日の村山龍平に譲渡して、それが「東京朝日新聞」と改題されます。めさまし新聞の社屋が、同じ滝山町にあったのかどうかは不明です。

今はこのように高級ブランドショップと外資系高級ホテルになって、新聞社もすっかり不動産業となっております。写真の中の手前には当時ここで校正係として働いていた石川啄木の石碑が建っているので、ここに朝日新聞があったことが分かります。

文芸欄を創設して小説記者となった夏目漱石もここに通っていました。斜め向かいに、漱石も好きだった「空也もなか」があります。

鳥居氏の本によると、日本最初の近代的通信社とされるのは「時事通信社」(今の時事通信とはまったくの無関係)で、1888年(明治21年)1月4日、京橋区木挽町5丁目4番地で生まれた、といいます。今の銀座6丁目13ということで探しましたが、苦労しました。恐らく、上写真の今の銀座ウォールビルだと思われます。

当時は、この辺りは、三十三間堀川が流れていて、今は埋められて道路になっていますから、昔の地図と見比べて歩いていたら、本当に難儀しました。

ここは、牧久さんの書いた「特務機関長 許斐氏利」にも出てきた、戦後直ぐに東京温泉のあった所だったと思います。どちらも、看板も石碑も何もないので、この本を読んでいなかったら、さっぱり分からなかったことでしょう。

時事通信社は、三井物産初代社長益田孝(鈍翁、茶人としても有名)が出資して社主となった会社で、政府の御用機関だったと言われます。益田は、社内報だった「中外商業新報」(後の日本経済新聞)も発行してますから、ジャーナリズムの世界にかなり食い込んでいたんですね。

銀座8丁目7-3の並木通り角に喫茶店「プロント」がありますが、ここはかつて、「新聞用達会社」があった所でした。同社は、改進党系の郵便報知新聞(後に報知新聞と改題)の社長矢野文雄が1890年(明治23年)1月10日に設立しました。当時の住所は、京橋区日吉町20番地。

この新聞用達会社と先ほどの益田孝の時事通信社が1892年(明治25年)5月9日に合併して「帝国通信社」となるのです。やはり、改進党系ですが、当時は、「国際通信社」と並ぶ二大通信社でした。

この「プロント」の斜め向かい側の銀座8丁目にある、今バー「ブリック」がある辺りに、国民新聞社があったというのです。

国民新聞は、1888年(明治21年)に民友社を起こした徳富蘇峰が1890年(明治23年)に創刊。蘇峰も改進党に近い立場だったようです。

銀座6丁目の交詢社。福沢諭吉の提唱でつくられた日本最初の実業家社交クラブ。ここに福沢が創刊した時事新報社がありました。

時事新報、国民新聞、報知新聞は、戦前を代表する新聞でしたが、戦後、いずれも廃刊します。

交詢社通りを有楽町駅に向かった隣の隣のビルは、今、ヴェルサーチェなどが入居していますが、ここには、光永星郎が起こした日本電報通信社(後の電通)が1906年(明治39年)に本社を構えた所でした。

このビルの並木通りを渡った真向かいにホーン商会ビルがあったと言われます。このホーン商会ビルには、米AP通信社と英ロイター通信社などが入居していました。後に同盟通信社を設立する一人、古野伊之助は、新聞広告を見て、AP通信社の給仕としてジャーナリストとしての第一歩をここで踏み出すことになります。

何か、非常に感慨深いものがありますねえ。

国民はなめられている

 東京の調布先生です。
 ワールドカップ・サッカーの観戦で、皆さん、また寝不足のことでしょう。チャップリンが生きていたら、「サッカー狂時代」とかいうタイトルで、面白い風刺映画をつくっことでしょう。
 「渓流斎日乗」の読者の皆さんのようなインテリさんまで、「サッカー汚染」されるのですから、時の為政者安倍首相は「世の中は、チョロい。チョロいもんだよ」と一昨日は、二代目猿翁の稽古場跡の居酒屋「赤坂 うまや」で「忖度部下」と一緒にニンマリと酒を飲んでいるのです。
 そして、昨晩は、東京・赤坂のイタリア料理店「キッチャーノ」で、曽我豪(朝日新聞編集委員)、山田孝男(毎日新聞特別編集委員)、小田尚(読売新聞東京本社調査研究本部客員研究員)、石川一郎(BSジャパン社長)、島田敏男(NHK名古屋放送局長)、粕谷賢之(日本テレビ取締役報道解説委員長)、政治ジャーナリスト田崎史郎(元時事通信)と優雅にも食事しているのです。
 まさか、官房機密費から食事代が出ていないでしょうね。納税者として、曽我、山田、小田、石川、島田、粕谷、田崎の名前は覚えておくことです。特に、国営放送の島田局長は、わざわざ、名古屋から飛んできたんですか。。。国民から視聴料を簒奪している公共放送の幹部が、現場をほっぽり出したりしていいんですかねえ?誰も批判しないので、迂生が指摘しておきます。
 もう一回、まさか、と言いますが、「国民はバカだから新聞を読まない。これで、自民党も安泰、万々歳だ」「ごもっとも、ごもっとも」と茶坊主のような会話を交歓しなかったでしょうね?
 マスコミがスクランブルを組んで、時の最高権力者にこびへつらったのか、為政者が下々の生活を知りたくて昵懇のメディア関係者を呼びつけたのか、どちらか分かりませんが、さぞかし、藤原道長も催したことがないほど和気藹々とした懇親会だったことでしょう。いずれにせよ、国民はなめられているということですよ。
 そういえば、赤坂の居酒屋「うまや」には、昔、貴人と御一緒しませんでしたか? 亡くなった藤間紫さんと市川猿之助(猿翁)の稽古場を改造したお店で、迂生は何度も行きました。

でも、総理大臣が行くには、聊か不釣り合いですよ。若いミーちゃん、ハーちゃんが行って喜ぶような雰囲気です。

 

それから、「昭和シェル」との合併問題で「出光一族」が、賛否で内部対立しているようですね。数年前あった「大塚家具」の親と娘の家族対立みたいな構図です。創業者の出光佐三も、泉下で泣いていると思いますよ。それに、「村上ファンド」やインチキ弁護士、コンサルタント屋、周旋屋なども入り込み、内実は漫画みたいな展開になっていると思います。取材するには面白いと思います。

追河探訪記者がワクワクする素材です(笑)。

頑張れ、毎日新聞!

 

 

 

現在、ノーベル文学賞に一番近いと言われる作家の村上春樹氏が、毎日新聞の単独インタビューに応じていました。(5月12日付朝刊)

 

村上氏はマスコミ嫌いで知られ、テレビはおろか、滅多に新聞や雑誌などマスコミのインタビューには応じません。たとえ応じたとしても、「メールの質問に答える程度」と聞いたことがあります。

内容は、主に最近、彼が翻訳したサリンジャーの「キャッチャー・イン・ザ・ライ」やカポーティの「ティファニーで朝食を」など「世界文学」についてで、「日本語の文体は変化するので翻訳の賞味期限は50年。だから新訳を出した」などと明解に答えています。

村上氏といえば、ほかにスコット・フィッツジェラルドやレイモンド・チャンドラーなどの翻訳があり、アメリカ文学にしか興味がない人だと思ったのですが、「個人的に偉大と考える作家を一人だけ選べと言われたら、ドストエフスキー」と断言していました。作品として特に「カラマーゾフの兄弟」を挙げています。

これは、意外でしたが、私としては嬉しくなってしまいました。サリンジャーも、チャンドラーも作家として尊敬していますが、やはり、私も一人だけ選べと言われれば、ドストエフスキーと答えるでしょうから。

ただ、彼がタイトルをそのままカタカナにするのは、残念ですね。「キャッチャー・イン・ザ・ライ」は、野崎孝氏には「ライ麦畑でつかまえて」という名訳があります。

最近、洋画の邦題もそのまま意味もなくカタカナにしてしまう風潮がありますが、村上氏はその時流に乗ったのでしょうか? それにしても村上氏はなぜ、世界一の発行部数を誇る読売でも、インテリさんの好きな朝日でも、財界人御用達の日経でも、「物を言う新聞」産経でも、バランス感覚の取れた熱烈な読者がいる東京新聞ではなく、毎日新聞の単独インタビューに応じたのでしょうか?

恐らく、彼が毎日新聞の愛読者なのだからでしょうね。

その毎日に残念なニュースがありました。北海道での夕刊発行を8月末で廃止するというのです。日本ABC協会の調査では、同紙の北海道での発行部数は、朝刊6万8千部、夕刊1万4千部で、夕刊はこの一年で実に4千部も減少しているそうです。

私も北海道の帯広に住んでいましたから分かりますが、周囲に全国紙を取っている人はほとんどいませんでした。地元の十勝毎日新聞と北海道新聞でシェア90%という感じでした。全国ニュースはテレビやネットで済んでしまうのです。

なぜ、地元紙を購読するのかー。最大の理由は、地元の人たちの「訃報」が詳細に載っているからだそうです。「訃報」は直接聞きづらいし、かといって知らないと困るわけです。やはり、皆さん「世間体」を気にしながら生きているということなのですね。

あ、毎日新聞の話でした。日本は独裁国家ではないので、私は、「メディアというものは多ければ多いほどいい」というスタンスです。しかし、新聞ほど生産性が低く、金食い虫で、経営を軌道に乗せることに矛盾と戦い続けなければならない企業はありません。しっかり、淘汰されます。

ですから、毎日新聞には頑張ってほしいですね。特に日曜日の書評(日本のメディアでナンバーワンだと思います)と夕刊の文化欄の愛読者なので、宜しく御願いします。

極秘情報 新聞業界の内幕

公開日時: 2007年11月11日 @ 11:20

昨日は、おつなセミナー。ゲストは某マスコミの内幕と昭和史を描いたI氏。こんな面白い話なのに、参加者はわずか十人ちょっとというので、驚いてしまいました。セミナーのメンバーは500人くらいいるんじゃないかと思いますが、出席率の少なさには本当に驚きです。

こういう話は、どうも、色々と差し障ることが多く、著作権やら秘匿の暗黙の了解があるので、色んな事を暈して、備忘録書きにしてしまうことをお許しください。ですから、興味がない人にとってもはつまらないかもしれません。

●日本一の新聞社だった大阪毎日新聞社は、三井系など大阪財閥の資本で創刊されたもので、その後、昭和17年に財団法人毎日会を作り、「社内株」に転換した。

●日本経済新聞社の前身である中外新報も三井系の新聞だった。戦前までは、日経よりも、福沢諭吉の創刊した時事新報の方が権威があり、企業の決算報告等は時事新報に掲載されていた。大隈重信の創刊した報知新聞(今のスポーツ新聞ではない)とライバル紙で、新聞界でも早稲田vs慶応の様相が見られた。

●時事新報は、朝毎読の販売店抗争で徐々に部数が低迷する。福沢の死後、鐘紡社長の武藤山治を招聘して梃入れを諮るが、いわゆる帝人事件にからんだ番町会キャンペーンが遠因で、武藤社長は、テロ攻撃に遭い射殺され、ますます衰退。戦後、この時事新報を買収するのが、産経新聞を創刊した前田久吉。前田は、元々大阪西成区の新聞販売店主だったが、地域のニュースをフォローした南大阪新聞を作り、後に、東の「日本経済新聞」に対抗する西の「産業経済新聞」にまで発展させる。前田は後に新聞経営をやめ、関西テレビや日本電波搭の経営に残りの半生を捧げる。

●新聞販売店の収入の半分以上は折込広告で占める。(1部5円)今や少子高齢化で部数が低迷し、これに拍車をかけて若者が新聞を読まない。マンションが増え、拡張もできない。将来性がないので、新聞店主を目指すより、コンビニ経営をした方がいいという若者が増えることになる。

●新聞社の経営に二つのタイプがある。一つは社主家。(朝日の村山・上野家、読売の正力家、娘婿の小林、関根家、河北新報の一力家、中国新聞の山本家、信濃毎日の小坂家、日本海新聞の田村家)、もう一つは社団法人。(徳島新聞、名古屋タイムズ、共同通信)

●販売の神様:読売の務台光雄、朝日の永井大三

●特にスポーツ新聞と夕刊紙の部数急降下が昨今著しい。原因が、大リーグなど海外のスポーツが入ってきて、締め切りの関係で朝刊のスポーツ氏は一日前の話になってしまう。駅売りのスポーツ紙には色物のページがあるが、家に持って帰れない。オウム真理教の影響で駅にゴミ箱が減ったためだ。

●読売ランドは読売新聞の裏金庫だった。競艇の川崎オートや船橋オートも読売ランド。ゴルフ場は最近もうからなくなったので、社会老人福祉施設を作って売り出す構想。

これらの話はネットでも色々と噂が流れているので新味がないかもしれませんね。

さて、今のようなネット社会で、新聞業界より逸早く痛手を受けているのは旅行業界だそうです。旅行代理店には航空券を販売すると5~7%のマージンがあったそうですが、来年からこのマージンも廃止されるそうです。ということは、旅行代理店で、航空券は販売しなくなってしまうのかもしれません。皆、ネットで直接、航空会社からチケットを購入してしまうからなのです。

要するに「代理店」という社会的役目がだんだん、低下していくということです。アルマーニ、ヴィトン、フェラガモなど何でもいいのですが、ブランドものの輸入代理店も同じです。消費者が直接、ネットで注文してしまうので、代理店はいらなくなってしまうのです。

こうなると、世界最大の広告代理店も安閑とはしていられなくなりますね。

テレビも今までのように高給で胡坐をかいている時代は終わることでしょう。「私家版・ユダヤ文化論」を書いた内田樹氏が、先日、毎日新聞紙上に、フジテレビの株がこの7年間で293万円から23万円にまで、10分の1以上も値下がった、と呆れています。「テレビには先がない」とまで公言しておられます。そして、どうしてこういう情報は報道されないのか、と怒りながら、疑問を投げ掛けております。

色々、本当に最近、時代は目まぐるしく動いています。

いやあな感じ

 中札内村

公開日時: 2007年6月29日 @ 08:35

昨日の毎日新聞「記者の目」によると、匿名による誹謗中傷問題を取り上げた同紙社会部の岩佐淳士記者が、ネット上で、中傷やうそを交えて同記者を非難する書き込みがあふれたことを書いています。取材先に渡した名刺を元に名前や電話番号が晒され、記者の写真が載ったホームページが探され、「電凸」(電話による突撃)を受け、そのやり取りがブログに書かれたそうです。中には「岩佐記者を退職に追い込もう」なんというサイトもあるようです。

 

いやあな感じです。私も他人事ではありませんから。

 

岩佐記者も「匿名の悪意」を黙って見過ごすわけにはいかない、とはっきり書いています。

 

ただでさえ、日本人は無責任なのに、匿名という安全地帯の免罪符を獲得すれば、誰でも好き勝手に発言できます。匿名は隠れ蓑なので、正体がバレルことはないからです。

 

でも卑劣ですね。ネット先進国の韓国では、匿名による悪意な書き込み「アクプル」が横行し、それによって傷ついた人が自殺する事件が相次いでいるそうです。そこで、韓国では、実名で登録しないとネットで情報発信できない「実名登録制」が7月から始まるといいます。自由なネット社会が政府国家に統制されるわけです。

 

悪意の書き込みをする連中は発信元もばれないように、不特定多数が利用するネットカフェから発信する「確信犯」なのでしょう。同記者らに送られたメールの中で「2chをブログに否定的に書くと攻撃される」「2ちゃんねんらー(2ch利用者)から袋だたきに遭うので内容は公開しないでほしい」という意見が目立ったそうです。悪意を持って誹謗中傷する人たちは、自分では気が付かないでしょうが、いつかは、自分も同じような目に晒されます。因果応報。天に唾を吐けば、自分に降りかかってくる真理を理解していないだけなのです。

 

それでも、私はそういった連中ばかりではないことを信じています。自分の任を弁えた良識を持った人の方が遥かに多いという性善説を取りたいと思います。

 

そうでなければ、こんなブログを続けてなんかいられません。

「特命転勤 毎日新聞を救え!」

 ローマ

公開日時: 2007年5月19日 @ 20:18

毎日新聞の経済記者などを歴任した吉原勇氏の「特命転勤 毎日新聞を救え!」(文藝春秋)を読んでいます。まだ、途中なので、結末は分かりませんが、何とも、生々しい話が出てきます。

 

新聞社の本社ビルが国有地の払い下げであることが暴露されています。あの「天下の」朝日新聞も、東京都杉並区浜田山にあった払い下げの国有地を国に返還して、現社屋の築地の一等地を手に入れたことも暴露されています(49ページ)。

 

国とは政府のことです。もし、これが事実なら、マスコミは政府を批判する記事など書けるのでしょうか?

同じ毎日新聞0Bの河内孝氏の書いた「新聞社 破綻したビジネスモデル」(新潮新書)は、先日読了しました。この中で、新聞社は、大量の「押し紙」と呼ばれる、発行部数の水増しともいえる新聞を販売店に押し付け、これが、結局、無駄に捨ててしまわれる。その結果、年間220万本の森林を破壊していることになる。こんなマスコミが、環境問題を追及できるのか?ーと問題提起しています。

色々困った問題です。

2011年にテレビの地上デジタル化が完了すると、ネットとメディアが融合し、あらゆるメディアが1本化する「eプラットフォーム」時代が到来するそうです。もう、テレビだ、ラジオだ、新聞だ、雑誌だという時代ではないというのです。

あと4年。これからどんな時代になることやら。

非常に異様に奥深い話 

サン・ピエトロ聖堂

公開日時: 2007年2月25日 @ 12:0

最近、目に留まったニュース

●国際的な建築家、黒川紀章氏(72)が、東京都知事選に立候補を表明

理由は「(大親友の)石原知事は、引退する潮時だ」

対する石原慎太郎知事(74)は「ありがた迷惑な話」

ーーー都知事選が面白くなってきました。

●島原の乱(1637-38年)で、「イエズス会が反乱勢力を支援した」?

オンライン百科事典「ウィキペディア」(英語版)の間違いを米国の学生たちがそのまま引用して発覚。

ーーーネット情報がすべて正しいという認識は間違っているという、事例でした。

●米民主党のビルサック前アイオワ州知事が大統領選から撤退

理由は「カネだ。撤退の理由はカネだけだ」

大統領の指名争いに残るために、6月まで2千万ドル(約24億円)が必要だとか。

ーーー24億円!?さすがにスケールが違う。

●毎日新聞社会部の大平誠記者(41)が、東京・南青山の土地取引に関する問題で、国民新党の糸川正晃議員(32)に取材した録音データが、第三者を通して、ネット上に掲載

第三者のフリーライターのブログに掲載されたデータは、削除されたが、このデータを他のブログに転載された。

ーーーこの話は昨年から長々続いている事案で、昨年5月に実弾入りの脅迫状が糸川事務所と毎日新聞社東京本社に送りつけられ、糸川氏は福井市内のスナックに建設会社「平和奥田」相談役山元康幸容疑者(49)らから呼びつけられ、「脅迫相手に小指がなく、怖かった」と供述しています。

また、この南青山の地上げには、米国ファンド系の不動産会社も関わっているという疑惑が持たれ、日米をまたがった国際的なアンダーグラウンドの連携があるのではないかという憶測も生んでいます。

非常に異様に奥が深い話だったのです!今後、どういう展開になるのか?