ウクライナ戦争は長期戦か?=ロシアの大義とは?

 2月24日に始まったウクライナ戦争は「長期戦」となるというのが目下、世界の専門家の一致した見解のようです。フランスの歴史学者エマニュエル・トッド氏のように、「第3次世界大戦」と呼ぶ人も現れました。

 ロシアとウクライナの二国間の戦争ではなく、武器を貸与している欧米諸国と、ロシアを支援する中国も含まれているからだといいます。

 何と言っても、侵略戦争を起こしたロシアのプーチン大統領による民間人殺戮などの戦争責任が問われることが先決ではありますが、米国際政治学者ジョン・ミアシャイマー氏のように「ウクライナ戦争を起こした責任はアメリカにある!」と主張する人もいます。同氏は、ウクライナ戦争をロシアと米国の代理戦争とみなし、米国はウクライナの被害をそれほど重視しておらず、むしろ、ロシアの大義の方が米国より上回るので、この戦争はロシアの勝利で終わると予測しています。

 ミアシャイマー氏(74)は、米空軍元将校で、現在、シカゴ大学教授ですが、敵国の肩を持つ発言と捉えられかねないのに、敢えて冷静に、現代史と国際情勢から分析した勇気のある発言だと言えるでしょう。米国も、湾岸戦争では、ロシアがウクライナでしているのと同じように、イラクの都市を徹底的に破壊し、太平洋戦争では、日本の都市を爆撃して、無辜の民間人を虐殺したというのです。(米国の元軍人が、日本への無差別爆撃のことを触れるとは驚きです。そんな人がいるとは!)

 そう言えば、ドローンによる撮影で、ウクライナの都市で破壊された建造物が毎日のように、テレビで映し出されますが、湾岸戦争では、ドローンもなく、イラクも国力がないので破壊された戦地はそれほど国際社会に公開されませんでした。

 ウクライナ戦争が始まって、アフリカ諸国からそれほどロシアに対する非難や批判が巻き起こらないのは不思議でした。よく考えてみれば、アフリカ諸国は18世紀から20世紀にかけて、特に英国、フランス、イタリア、ドイツ、オランダ、ベルギー、スペイン、ポルトガルなどの植民地となり、徹底的に搾取され、奴隷のように抑圧された歴史があったわけです。それなのに、ロシアは「大国」だったはずなのに、英仏等と比べるほどの植民地はありません。そのせいで、ロシアに対するアレルギーが少ないのかもしれません。

 アフリカ諸国としては、欧州列強に対して、「お前たちが過去にやったことを思い出してみろ。ロシアを非難する資格があるのか?」とでも言いたいのでしょうか。

 私は、国際法を無視して戦争犯罪をし続けるロシアを非難する側に立ちます。それでも、原因をプーチン大統領の狂気とだけ決めつけて思考停止するつもりはありません。ロシアの大義を知ったとしても、非難の度合いは変わりませんが、知ることは需要だと思っています。

 ロシア史研究の第一人者塩川伸明東大名誉教授によると、スラブ系でウクライナ正教徒の多いウクライナは一時期、カトリック教徒が多いポーランドに支配され、単一の行政区域が存在しなかったといいます。それなのに、ソ連時代に「ウクライナ共和国」が誕生したため、今のロシアの指導部には、ウクライナとはソ連が人為的に作ったという認識があるといいます。(毎日新聞6月3日付夕刊)

 つまり、ウクライナが出来たのは、ロシアのお蔭だというわけです。それなのに、NATOの東方拡大か何か知らないが、ウクライナは、西側にすり寄って、親分のロシアに歯向かとは何事だというのが、ロシアの大義なのでしょう。

 ヨーロッパの歴史は、地続きですから、戦争に明け暮れ、国境も複雑です。「21世紀にもなって、何で戦争?」と私は思いましたが、「欧州の火薬庫」とは、バルカン半島だけでなく、至る所にあるということなのでしょう。

思考停止の私と鈴木商店の話=武田晴人著「財閥の時代」

 すぐ、本や社会的事件に影響を受けてしまうのが私の職業病であり、悪い癖です(笑)。

 ロシア軍による非人道的なウクライナ戦争のおかげで、確かに悲観的になってはおりますが、長年の菩薩さまのような修行のおかげで、どういうわけか、精神的には安定しています。最大の秘訣は、若い時のように悩まないようにしたことです。考えないことにしたのです。

 「思考停止じゃん」と批判されようが、それでいいのです。かつては「内なる声を聞け」と自分に言い聞かせていたことがありました。しかし、人間は判断を間違えたり、記憶違いしたりします。それよりか、「ホモ・デウス」のハラリ氏の言う通り、人工知能やアルゴリズムに任せた方が正確で間違いないかもしれません。

 AIを使えば、もう「ランチは何しようか?」「服は何を着ようか?」なんて迷うことはありません。とは言っても、人間の自由とは、何を選ぶか、といった選択権の自由が大半を占めているので、AIに任せてしまえば、自由の放棄であり、人間性の放棄になります。そんなんで良いのか? そもそも、その人間性とは一体何なのかー?

 答えはすぐ出て来ないので、只管、勉強して知識を更新していくしかありませんね。

 ということで、今は読みかけて中断していた本を再開しています。武田晴人著「財閥の時代」(角川ソフィア文庫、2020年3月25日初版)です。この本は国際経済ジャーナリストの友人から薦められたのですが、面白いですね。

 幕末明治の財閥の歴史から筆を起こし、今は昭和初期に入ってきました。財閥といえば、「天下無敵」でプーチンのように向かう所、敵なし、といった感じかと思っていたら、結構、経営者の判断ミスで倒産した財閥もかなり多かったんですね。我々は勝ち残ったものしか見ていませんからね。

 かつては三井物産、三菱商事と並ぶ勢いのあった鈴木商店の倒産はあまりにも有名ですが、豆粕相場に手を出して失敗した古河商事や、三井、大倉組と並ぶ三大商社とも言われた機械関係の商社・高田商会、このほか、久原商事や藤田銀行、そして東京渡辺銀行、中井銀行、左右田銀行といった大手が関東大震災や金融恐慌などの煽りを受けて休業・倒産したことをこの本で知りました。

ムスカリ

 この中で、特に取り上げたいのは、やはり鈴木商店です。御存知ない方もいらっしゃるかもしませんが、この鈴木商店の流れを汲む直系、傍系の大企業が現在でも大活躍しています。安倍元首相も勤務した神戸製鋼、帝人(帝国人造絹糸)、双日(日本商業会社⇒日商岩井)、J-オイルミルズ(豊年製油)、ニップン(日本製粉)、富士フイルム(大日本セルロイド)、IHI(播磨造船所、鳥羽造船所)、サッポロビール(帝国麦酒)、出光興産(帝国石油、旭石油)、太平洋セメント(日本セメント)、東京電力(信越電力)等々です。(カッコ内は鈴木商店時代)

 鈴木商店は、明治初めに鈴木岩治郎・よね夫妻が神戸で開業した輸入砂糖を扱う小さな商店でした。岩治郎が早い時期に亡くなったため、経営は、金子直吉、柳田富士松ら番頭に任されました。日清戦争後に割譲された台湾との取引で、鈴木商店は大飛躍します。目を付けたのは台湾産の樟脳でした。樟脳といえば、私自身は防虫剤ぐらいしか思いつかなかったのですが、調べてみたら、カンフルとも呼ばれ、興奮剤にも使われます。カンフル剤とは樟脳剤のことだったんですね。ほかに、香料や防臭剤、それに火薬やセルロイドの原料にも使われます。用途抜群なので、これで鈴木商店は売上を伸ばしていたのです。

 鈴木商店はその後、製鋼、人絹、電力、オイル等業種を拡大して三井、三菱と肩を並べるほど大成長しました。それが倒産に追い込まれた原因は債務超過でした。番頭の柳田富士松も亡くなり、金子直吉に全ての権限が集中する独裁体制になり、財務管理が行き届かなくなりました。過剰な融資は、台湾銀行から受けていました。台湾銀行は政府系の植民地中央銀行です。関東大震災後、鈴木商店は、台湾銀行を経由した震災手形の割引で大量に政府資金を受けていたことから、「鈴木商店は、政府からの救援で延命している」と批判されるようになりました。

 結局、台湾銀行による新規貸し出しが停止された鈴木商店は、昭和2年4月上旬に閉店に追い込まれました。昭和2年は、片岡直温蔵相の不穏当な発言により、東京渡辺銀行の取り付け騒ぎが起こるなど、昭和金融恐慌が勃発した年でした。

 うーん、またまた衒学的(ペダンチック)な話になってしまいましたね。誰かさんからまた怒られそうです。

【関連記事】

・2022年3月10日付「政商の正体を知りたくなって=武田晴人著「財閥の時代」を読んでます」

弥勒如来はやって来ない=「眠れなくなるほど面白い宇宙の話」

 いつも渓流斎ブログをお読み頂きまして誠に有難う御座います。感謝申し上げます。

 ただし、本日は、相当暗い話になると思いますので、心臓の悪い方はこの先、お読みにならない方が良いかもしれません。

 ユヴァル・ノア・ハラリ著「サピエンス全史」「ホモ・デウス」の影響に加え、2月24日に勃発したウクライナ戦争に感化されて、私もすっかりミザントロープ(人間嫌い)に陥ってしまいました。人間は残虐で、私利私欲の塊で、傍若無人で、自己保存のためには裏切りや策略や謀略や詐欺などやりたい放題。だから、偉人がどうした、政治家が何をした、革命だ、戦争だ、などといった人間の歴史(書記された伝承)や思想を学ぶことさえ馬鹿らしくなってきたのです。

 どうせ、人間の所業だろ? その人間って、サルの一種でとりわけ残虐で獰猛なんだろ? ズル賢さだけが異様に肥大した生物じゃないか、てな感じです。

 人間の歴史や思想なんか学ぶよりも、花崗岩や安山岩など石の種類や植物の名前をもっと覚えた方が健康的でいいのではないか?

 そこで気分を換えて読み始めたのが宇宙の本です。とはいえ、私自身は根っからの文科系人間ですから、難解な本は駄目です。何か手頃な初心者向けで最先端の学術成果が書かれた本がないか探したところ、渡部潤一国立天文台副台長監修の「眠れなくなるほど面白い宇宙の話」(日本文芸社、2018年3月30日初版、2022年4月14日第14刷、748円)という本が見つかりました。

 図解で分かりやすく書かれていますが、おっとろしいことも書かれています。今から25億年後、太陽が赤色巨星化して光量、熱量が増大して地球の気温は100度以上となり、「地球上の生物は全て絶滅してしまうと考えられる」と書かれているのです。勿論、人類も生物です。

 要するに、あと25億年で人類滅亡となるわけです。(ハラリ氏は、現生人類は、あと1000年持つかどうか、と書いてましたが)「永遠」とか「永久」といった言葉はありますが、実際、永遠とは無限ではなく、25億年という有限の時間しか残されていないということです。

シバザクラ

  19世紀のフランスの詩人アルチュール・ランボーが17歳の時に書いた「永遠」という詩があります。(この詩は、後に改編されて「地獄の季節」の「錯乱Ⅱ」に収録)

 Elle est retrouvée!  Quoi ? – L’Éternité.  C’est la mer allée Avec le soleil.

  見つかった! 何が?ー永遠が 太陽といざなった海さ (拙訳)

 永遠というものは、太陽と一緒に行ってしまう、というのはまさに天才ランボーの慧眼です。ただ、その永遠の期間が25億年とまでは、いくら天才でも知らなかったことでしょう。

 25億年なんてまだまだ先の話で、俺たちはとっくに死んでいるので関係ない、という考え方もあるでしょう。でも、138億年前にビッグバンで宇宙が誕生した後、天の川銀河の片隅に太陽系ができて(銀河は全宇宙に1000億個以上あるというので吃驚です。何しろ、冥王星は惑星だと習った古い世代なもので)、地球が生成されたのは、今から46億年前と言われています。つまり、残された時間は、地球が出来て今に至るまでの時間より半分近く短いのです。

東京・新橋「奈良県物産館」柿の葉寿司定食1100円

 私は仏像が好きで、といっては語弊がありますが、仏像を前にすると心が洗われます。特に好きな仏像は、京都・広隆寺の弥勒菩薩半跏思惟像です。この弥勒菩薩(如来)は、釈迦が亡くなって56億7000万年後に兜率天から降りて、衆生を救済してくださると言われる大変有難い仏様です。しかし、25億年後に人類が滅亡してしまえば、弥勒菩薩の出番がない、というか、間に合わないということになりますね。

 「56億7000万年」という数字は、仏陀自身がお考えになったのかどうか分かりませんが、全く出鱈目な数字ではないとしたら、結局、人間は救済されない、ということなのでしょうか。となると、全く身も蓋もない話ですね。

 これは仏教の話なので、キリスト教徒やイスラム教徒なら救われる…といった話でもなさそうです。とにかく、人類滅亡が確実なら、何をしても無駄です。何も残らず、勿論、歴史書も文化財も教会も寺社仏閣も核ミサイルも溶けてなくなるわけですから。このブログも(笑)。

 それでも、人間は生き続けます。泣いたり、笑ったり、怒ったり、嘆いたりしながらも…。救済を求めて妄想ともいえる新しい宗教を生み出したり縋ったりします。

 「それでも、私はリンゴの木を植える」といった物語も生まれます。人間は物語と神話を信じて、共同幻想の中でしか生きていけないからです。

 人類滅亡となれば、権力者も有名人も富裕層も大将も会長も既得権益者も貴族も大地主も、楽をして働かないで給料を貰っている連中も同じようにいなくなります。いくら努力しても、運にもツキにも見放され、この世で奴隷状態の労働に強いられ、安賃金で、雨漏りのする風呂もない木賃宿で生活している庶民にとっては、それは「平等思想」であり、朗報なのかもしれません。

 ま、いずれにせよ、これらは人智を超えた自然科学の世界の話なので、変えようがありません。泣こうが、喚こうが、虚無主義に走ろうが、事態は全く変わらないということです。

 それでも我々は、自裁するわけにもいかず、お迎えが来るまで、毎日、泣いたり、笑ったり、怒ったり、嘆いたりしながら、生きるしかありません。

 はい、ここまで。次回は思い切りポジティブ思考の希望の物語でも書きますか?

超人類プーチンとスマホ奴隷の私

きのうの続き)

  データ至上主義が進化し、電車の車掌も、医者も弁護士も新聞記者もいらなくなり、アルゴリズムやAIが取って代わっていくという事態は、SFの世界ではなく現実味を帯びてきたという話でした。

 例えば、精神科医。患者は生身の人間の医者に診断してもらうのではなく、人間味のない機械、つまり、アルゴリズムとAIを塔載したコンピューターに診断してもらった方を好む傾向が出てきたというのです。

 それはある程度理解できます。人間は時に間違います。それよりも、何十億人の患者のデータが保存され、それらの対処法や、いかなる薬物を投与したら良いかといった事例が網羅されていたら、人間より遥かに優秀です。しかも、患者としては、こっ恥ずかしい話を生身の人間に話さなくても済みます。(ただし、重症の場合は、人間のお医者さんを個人的にはお勧めします)

 昔だったら、告解を引き受けていた教会の神父や牧師が、精神科医の役目を果たしていました。その代わり、免罪符を発行してもらうための大金を納めなくてはなりませんでした(ルターは免罪符を糾弾しましたが)。

 ユヴァル・ノア・ハラリ著「ホモ・デウス」(河出書房新社)では、シンギュラリティSingularity(人工知能AIが人類の知能を超える転換点)がいつ頃になるか、までは書いていませんでしたが、人類の仕事がAIに奪われ、一部の特権階級のみが生き残り、大半は「不要階級」(私の造語)として淘汰されるという夢物語の実現性はゼロではない、と思われます。

  また、神や仏や霊魂を信じている日本人は、寺社(寺院と神社)にお布施や初穂料等を納めますが、もし、宗教が、人類が思いついた妄想で、下等庶民を支配するツールかイデオロギーに過ぎないとしたら、寺社の存在意義すらなくなっていきます。

 生化学者に言わせれば、種としての人類の存在意義も生きる意味も目的もないということですから、これからの大半の人類は、何のために生きるべきなのでしょうか? 

銀座「とんかつ 不二」ミックス定食(13時以降、限定15食)

 ところで、2022年2月24日のロシア軍によるウクライナ侵攻で、すっかり私の人生観、世界観が変わってしまったことはこのブログで何度も書いております。

 ウクライナ戦争というより、ウクライナ大虐殺が日々繰り返されている現状を見ると、とても、映画館や博物館に行く気になれません。人間の空想や妄想がつくったフィクションも駄目です。現実が虚構を超えてしまっているからです。

 ロシアのプーチン大統領が起こした蛮行は、19世紀的、20世紀的でアナクロニズムの極致かと思っていましたが、人間、いつになっても戦争をして殺戮と強姦と略奪を好む動物(けだもの)に過ぎず、もしかして、プーチンはその最先端の人類なのかもしれません。

 彼は、夜はゆっくり眠っていることでしょう。恐らく、良心の呵責も後悔も自責の念も全くないことでしょう。むしろ、正義の使者として自分の行為に正当性があり、アレキサンドロス大王やナポレオンと並ぶ英雄だと思っていることでしょう。80%のロシア国民の支持を得ていますから。

 それこそ、ハラリ氏が思い描くような「超人」の考え方があります。知性や記憶等の分野はアルゴリズムやAIに負けても、人間には、「最後の砦」として情念や意識や感情が残っています。しかし、変わった超人類ともなると、そんな情念や同情やら、惻隠の情やら、憐憫の情やら…難しい言葉を使いましたが、要するに他人に対して、気の毒だとか、可哀想だ、などと思う気持ちが欠けているというか、超越してしまっているのでしょう。

 プーチンは、強姦されたり、後ろ手に縛られて拷問されたりして虐殺されたウクライナ首都キーウ近郊のブチャの市民を気の毒だとか可哀想だとか思わないのでしょう。もし、そう思うのだとしたら、即座に戦争をやめるはずです。むしろ、虐殺したロシア軍兵士の勇気を讃えて勲章を授与し、夜は満足そうに寝入ることでしょう。プーチンとは、憐憫の情などの思考回路がなくなった21世紀最先端の人類だとみなせば、この訳の分からない戦争の本質を理解できます。(「虐殺はなかった。フェイクニュースだ」と嘘を付き続けるラブロフ外相やロシアのネベンジャ国連大使らも同罪で同様の思考回路なのでしょう。)

 独裁者としては、人間的感情などというものは無駄で邪魔なのでしょう。そう言えば、プーチンはスマホは持たない、という未確認情報があります。彼は、KGBで鍛えられて人間を信用せず、データも信じない、まさに最先端の超人ということになりますね。

 毎分毎秒、ニュースやメールをチェックしたり、アプリを更新したりして、「スマホ奴隷」(私の造語)になりさがった旧人類の私とはえらい違いです。