公開日時: 2005年3月30日
今の若い人は「愛の讃歌」も「バラ色の人生」も知らないどころか、エディット・ピアフの名前すら知らない人が多いという。ピアフは1963年、今から42年も前に47歳の若さで生涯を閉じている。もう歴史上の存在といっていいのかもしれない。
そういう私も、若い頃はピアフはあまり好きではなかった。と言うより、あまり関心がなかった。正直、理解できなかった。それもそのはず。世間知らずのお坊ちゃんには彼女の苦悩が理解できるわけがない。世間にもまれて己の成熟を待つしかない。
ピアフは1915年、大道芸人の娘として生まれ、育児を放棄した両親に代わって、祖母に育てられ、3歳で失明し、6歳で視力を取り戻し、7歳で街頭で歌を歌い始め、17歳で娘を出産し、その娘も2歳半で脳膜炎で亡くし…、キリがないの端折るが、32歳でボクサーと激しい恋に落ち、彼はミドル級の世界チャンピオンになるが、その栄光の絶頂で飛行機事故で死亡…。人はこれらを不幸と呼ぶが、ピアフに限って、その不幸の数は枚挙に暇が無い。歌手として大成功した幸運の代償にしてはあまりにも大きすぎる。
シモーヌ・ベルトー著『愛の讃歌ーエディット・ピアフの生涯』によると、彼女は1951年から1963年にかけて、自動車事故4回、自殺未遂1回、麻薬中毒療法4回、睡眠療法1回、肝臓病の昏睡3回、狂気の発作1回、アル中の発作2回、手術7回、気管支肺炎2回、肺水腫1回を経験したという。何ですか、この有様は!
神様は、その人が耐え切れないほどの苦悩や不幸は与えないと言われるが、彼女ならずとも「これは、あんまりではありませんか」と、天を怨みたくなってしまう。
ピアフの生涯を思えば…。どんな辛いことがあっても乗り切れそうな気持ちになれる。