スウイング感に痺れました=エラ・フィッツジェラルド「エラ ~ザ・ロスト・ベルリン・テープ」

 久しぶりに、本当に久しぶりにCDレコードを買いました。

 20世紀最高の女性ジャズ・ヴォーカリストの一人と言われるエラ・フィッツジェラルド(1917~96)の「エラ ~ザ・ロスト・ベルリン・テープ」(ユニバーサル)です。

 「最高の一人」という言い方も変なのですが、「女王は、ビリー・ホリデイだ」「いや、サラ・ヴォーンでしょう」という人がいるからです。あとは好みの問題でしょう。

 このアルバムは、音楽プロデューサーで、「ヴァーヴ」などのジャズレーベルを創設したノーマン・グランツ(1918~2001)がプライベート・コレクションとして保管していた未公開ライヴ・テープをCD化したものです。テープは最近になって発見されたそうです。これは1962年にベルリンで録音されたライヴ音源で、私も先日、FMラジオで初めて聴いて、すっかり魅せられてしまい、久しぶりにレコード店に足を運んだわけです。

 エラのベルリン・ライヴといえば、1960年に録音された有名な「マック・ザ・ナイフ~エラ・イン・ベルリン」があり、これはグラミー賞受賞した名盤です。

 でも、はっきり言って、同じベルリン・ライヴでも、私自身は、こっちの62年録音の「ザ・ロスト・ベルリン・テープ」の方が好きですね。

  スウイング(ノリ)感が全然違います。特に、60年盤でタイトルにもなって有名になった「マック・ザ・ナイフ」は、62年盤では脂の乗り切ったといいますか、少女のような可憐さとベテランの熟練さを合わせ持ったようなヴォーカルです。途中で、乗りに乗ってサッチモ(ルイ・アームストロング)の真似もしています。調べてみたら、この時彼女は45歳だったんですね。

山野楽器の入り口は狭くなりました

 60年盤はギターも入ってますが、62年盤は、ポール・スミスのピアノ、ウィルフレッド・ミドルブルックスのベース、スタン・リーヴィーのドラムスのトリオ。わずか3人なのに、オーケストラのような厚みのある音色を奏でるのです。特に、エラのお気に入りのスミスのピアノは、ピカ一ですね。音楽理論に詳しくないのですが、ジャズ・ヴォーカルのピアノ演奏は、クラシックともロックとも違い、独特というか、異様です。不協和音に近い独特の度数の兼ね合いで、さすがプロ、よくぞ、音程を外さないで唄えるものでした。勿論、この微妙な不協音が、聴く者に心地良い緊張感も与えてくれます。

 1962年といえば、ちょうどビートルズがデビューした年です。エラの「ザ・ロスト・ベルリン・テープ」には「ハレルヤ・アイ・ラブ・ヒム・ソー」も収録されていました。この曲は、1957年のレイ・チャールズのヒット曲ですが、デビュー前のビートルズがドイツのハンブルクで演奏していた曲だったので、「おー、あの曲だあ」と思ってしまいました。

 今はネットで情報が沢山入ってきます。調べてみると、エラの生涯も子どもの頃に孤児院に入れられたり、早く親を亡くしたり、幸せな環境で生育したとはいえませんでした。二度の離婚経験もありました。孤児などという境遇はフランス・シャンソンの女王エディット・ピアフに似ていますね。ジョン・レノンも子どもの頃に両親に「捨てられた」というトラウマが大人になってもなくなりませんでした。歴史に残る大スターに共通しているので、子どもの頃の不幸は、スーパースターになる条件にさえ思えてきてしまいました。

 このCDを買ったのは、東京・銀座の山野楽器です。半年ぐらい、ビルを改装していましたが、新装開店したこの店に入って吃驚です。2階を中心に、大手携帯電話会社のショップが入居し、CDレコードは4階に追いやられていました。

 しかも、演歌もロックもクラシックもジャズも同じフロアです。以前は、地下にDVDがあり、1階はJ-POPSや演歌、2階は確か(笑)クラシック、3階は確か(笑)ジャズと別れていたのに、凄い縮小ぶりです。

携帯電話ショップになってしまった山野楽器

 つまりは、皆、CDを買わなくなっちゃったということなんでしょうね。今、ネットでユーチューブもあれば、スポッティファイもあり、わざわざお金を出さなくてもタダで音楽は見たり聴いたりできちゃいますからね。

 それに、少子高齢化でピアノを始め、楽器を買う家庭も少なくなってしまったのかもしれません。

 小生は14年前に、この山野楽器で思い切って、目の玉が飛び出るほど高いフォークギター「マーチンD-28」を買ったことがあります。このギターは、ビートルズのプロモーションビデオの「ハローグッドバイ」でジョン・レノンが弾き、映画「レット・イット・ビー」の中では、ポール・マッカートニーがこのマーチンで「トゥ・オブ・アス」を唄っていました。

 山野楽器のギターショップも縮小されたでしょうが、何か哀しくて、そこまで行けませんでした。

ジュリー・ロンドンはお好き?

 最近のお気に入りの音楽番組は、毎週土曜日の午前9時からゴンチチがDJを務めているNHK-FMラジオの「世界の快適音楽セレクション」です。

 クラシック、フォーク、ジャズ、演歌、ワールドミュージックなど驚くほど幅広いジャンルの音楽を選曲してくれて、「音楽通」を自称する私も聴いたことがない曲ばかりですが、ゆったりとした気分にさせてくれます。

 これだけ幅広い音楽知識を持った選曲者は誰なのかなあ、と思ったら、藤川パパQ、湯浅学、渡辺亨の著名な音楽評論家3氏だそうです。

 先日(2日)、この番組を途中から聴いていたら、とても魅力的な女性ヴォーカルで、心がとても穏やかになりました。朝に聴くというより、夜、仕事から疲れて帰って来て、自宅でくつろいだ時に、癒されるような音楽でした。

ジュリー・ロンドン

 曲が終わって、タイトルは、ジュリー・ロンドンの「メランコリー・マーチ」という曲だと紹介されました。ジュリー・ロンドンは名前だけは聞いたことがありますが、彼女の歌はあまり聴いたことがありません。でも、レコード店で、彼女のジャケットを見て、容姿は知っていました。とても、肉感的なセクシーさを売り物にしている感じでした。

 若い頃は、ハードロックやメタルロックをジャンジャン聴いていましたが、年を取るとだんだんうるさくなって、ついて行けなくなってきました(苦笑)。今は、ボサノヴァが一番好きですし、ゆったりとした音楽の方が心が静まります。

 最初、「メランコリー・マーチ」というタイトルを耳だけで聞いて、「憂鬱な行進曲」とは変なタイトルだなあ、と思っていたら、「哀愁の3月」という意味だったんですね。番組では3月にちなんだ曲を特集していたわけです。

 ジュリー・ロンドン(1926~2000)も英国人かと思ったら、芸名で本名はゲイル・ペック。米カリフォルニア州出身で、もともとは女優さんだったようです。(1944年「ジャングルの妖女」でデビュー)道理でスタイルが良く、美貌に恵まれていたわけです。一度は芸能界を引退しますが、55年にアルバム「彼女の名はジュリー」を発表してジャズ歌手と女優業を再スタートして、この中の「クライ・ミー・ア・リバー」がヒットして一躍人気者になったようです。

 いずれも、私が生まれる前の出来事でしたので、知りませんでした(笑)。でも、「クライ・ミー・ア・リバー」はさすがに聴いたことがありました。彼女はセクシー路線で売り出したせいか、ジャケット写真が凄い。まるで、「プレイボーイ」誌のピンナップガールのようです。あの格好は、恐らく、当時の流行の最先端だったのでしょう。1926年生まれといえば、あのマリリン・モンローと同い年だったのですから。

 昨日の昼休みは、久しぶりに、銀座の「山野楽器」に行って、このジュリー・ロンドンの「メランコリー・マーチ」の入ったCDを買おうと思いましたが、なかなか見つからず、結局、諦めて帰って来てしまいました。

 あとで、ウチに帰って、ネットで調べてみたら、「カレンダー・ガール」というアルバムに収録されていることが分かりました。1月から、どういうわけけか、13月までをテーマにした13曲が収録されていました。

 これを読んだ諸先輩の皆々様は「何を今さら、ジュリー・ロンドンなんて言ってるんだ!」と訝しがることでしょうが、私の親の世代が全盛期だったので、私自身はよく知らなかったのです。今聴いても、とても新鮮で癒される気分になるので取り上げさせて頂きました。

 若い頃は、ジャズは、爺むさくて、敬遠していたのですが、年を重ねるとだんだん身に染みて好きになってきました。特にヴォーカルがいいですね。以前は、チェット・ベイカーのアルバム「シング」をよく聴いていましたが、これから、女性ヴォーカル代表として、ジュリー・ロンドンを聴いてみることにします。(でも、女性ヴォーカリストは、やはり、エラ・フィッツジェラルドが最高かな?)