確かな情報を見極める感性を多くの人と協調していきたい=新型コロナ禍で

 緊急事態宣言が25日にも全国で解除されようとしているのに、私の自宅には、いまだに一律給付金10万円もアベノマスクも届きません。安倍内閣の支持率が急降下するはずです。23日の毎日新聞の世論調査では、安倍内閣の支持率が27%と「危険水域」の30%を切りました。末期的です。

 今回の新型コロナウイルス禍は、全世界で、大量の失業者を生み、貧富の格差拡大にさらに拍車をかけることになりました。

 私は現在、かろうじて会社使用人という給与生活者を選択したお蔭で、今回ギリギリ路頭を彷徨うことなく生きていけています。会社を辞めたいと思ったことは100回ぐらいありますが(笑)、もしあの時、フリーランスの道を選んでいたら今ごろ大変だったろうなあ、と実感しています。例えば、15年ぐらい昔に通訳案内士の試験に合格し、フリーでやって行こうかと思ったら、幸か不幸か、はとバスなど既成の職場は既に古株様に独占され、潜り込む隙間もなく、15年前はそれほど外国人観光客も押し寄せることがなく需要も少なかったので、アルバイトならともかく、「職業」にできなかったので諦めたのでした。

 今でも、ある通訳団体に会費だけ払って参加していますが、会員メールでは、「持続化給付金」の話ばかりです。来日外国人が4月は昨年同月比99%以上減少したぐらいですから、通訳ガイドの仕事なんかあるわけありません。はっきり言って失業です。そこで、ある会員さんが、個人事業主として、持続化給付金を申請したら、給付まで最低2週間は覚悟していたのに、わずか10日で100万円振り込まれていた、というのです。大喜びです。

 一般市民への給付金10万円はまだなのに、へーと思いましたけんどね。

  今回のコロナ禍について、世界の識者の所見を知りたいと思い、色々と当たっています。3月末に日経に掲載された「サピエンス全史」で知られる歴史学者のユヴァル・ノア・ハラリ氏の「コロナ後の世界に警告 全体主義的監視か 市民の権利か」や4月に読売新聞に掲載された人類生態学者のジャレド・ダイアモンド氏の「危機を認める誠実さ必要」などもよかったですが、23日付朝日新聞に出ていた歴史家・人口学者のエマニュエル・トッド氏のインタビュー「『戦争』でなく『失敗』」もかなり含蓄があるものでした。

 トッド氏は「ソ連邦崩壊」を予言した学者として一躍有名になりましたが、哲学者サルトルの大親友ポール・ニザンの孫ですから、哲学的知性を受け継いでいます。(私も好きなニザンの「アデン アラビア」の冒頭「ぼくは二十歳だった。それがひとの一生でいちばん美しい年齢だなどとだれにも言わせまい」=師・篠田浩一郎先生訳=を学生時代に読んだ時、かなりショックを受けたことを今でも鮮明に覚えています)

 トッド氏のインタビューのお応えは、哲学者のようなかなり抽象的な言辞も出てくるので、私自身の誤読か、勝手な思い込みの解釈に過ぎないかもしれませんが、トッド氏は、過去に起きたペストやスペイン風邪などの疫病の流行と今回のコロナと比較するのはナンセンスだとまで言ってます。

 14世紀のペストの大流行では農奴が急減し、教会の権威が失墜し、中世から近代国家の礎ができるきっかけになりました。あのルネサンスも「ペスト後」の時代です。ペストは、歴史的大変革をもたらしたわけです。

 しかし、今回の新型コロナでは、新自由主義経済や金融グローバリズムでは人間の生命を守らないことを改めて認識できただけで、それは既に新型コロナが蔓延する前から分かったことで、大変革がもたらされたわけではない。しかも、コロナによる死者は高齢者に集中し、若者は比較的軽症だったため、社会構造を決定付ける人口動態に新しい変化をもたらすことはない(つまり、若者が大量に戦死する戦争とは比較にならない。だから第1次世界大戦は今でも語られるが、同時期のスペイン風邪は忘れ去られてしまった。スペイン風邪では全世界で数千万~1億人が亡くなり、戦死者より遥かに多かったにも関わらず…)。

 そして、犠牲者は医療に恵まれない貧困層が多く、富裕層は人口の少ない田舎の別荘に避難して感染から免れることができる(トッド氏もベストセラー作家ですから、パリを離れ、ブルターニュの別宅に避難しているとか)。医療システムをはじめ、社会保障や公衆衛生を脆弱にする政府の横暴を市民らが見て見ぬふりをしてきたツケが回ってきた。だから、新型コロナは、マクロン仏大統領が言うような「戦争」ではなく、「失敗」だ。それに、コロナ対策ではEUの存在感はなく、国ごとに事情が違うわけだから、ドイツ・メルケル首相が強烈なリーダーシップを執ったように国家単位で、国際協調をすれば良いだけだ。

 まあ、以上は私自身がトッド氏の話から了解したか、誤読したかの事項ですが、トッド氏が、今回の新型コロナと過去のペストやスペイン風邪と比較するのはナンセンスで、人口動態的にも一種の自然淘汰が激化されただけだという捉え方には新鮮な驚きがありました。私なんか、特に100年前のスペイン風邪の教訓から学ばなければならないと思っていましたからね。

 それでは、これから我々はどうしたらいいのか?

 まあ、私のような貧者は感染したら一発で終わりですから、罹らないように細心の注意を払うしかありませんね。お上に「気を緩めるな」と言われる前に、自分の身は自分で守るしかありません。マスク、うがい、手洗い、三密忌避しか、方法はありませんけど。

 緊急事態宣言が解除されても、恐らく、「第2波」「第3波」はやってくるでしょうから、覚悟しなければなりません。

 情報収集のアンテナは伸ばしますが、デマやガセネタや詐欺情報だけには気を付けたいと思っています。渓流斎ブログも、皆さまに何らかのお役に立てればと思っています。コメント大歓迎です。大いに間違いを指摘してもらい、多くの人と協調していきたいと思っています。(古い記事に関しては、その当時の時点の情報に基づいて書いただけで、後世から最新情報による御指摘は、心もとないですが…)

国家間の協調とは、個人のレベルで言えば、自律した人と人同士が助け合う、ということだと思います。

グローバリズムの弊害を見直すべき=WSJは、単なる国際金融資本家の機関紙

 先日の忘年会で久し振りにお会いしたインテリ紳士の大杉さん。かつては、リベラルなアナーキストとして進歩的意見の塊の人かと思っていたら、すっかり思想信条が変わっていたので、驚いてしまいました。

 大杉さんが利用する都心と隣県を結ぶ私鉄線。最近、各駅の案内掲示板に中国語や韓国語の併記が目立つようになり、「ほかの国はそんなことやっていないのに、おかしい。行き過ぎじゃないか」と言うのです。

スペイン・サラゴサ

 確かに、一理ありますね。私は芸術鑑賞が好きなので、よく博物館や展覧会場に行きますが、今年から急に、英語だけでなく、中国語と韓国語の併記が増えたと感じるようになりました。

東京一の高級繁華街・銀座のショップも中国語や韓国語の表示が目立つようになりました。特に、中国系のクレジットカードが使えるという告知なんか、一番目立ちます。「何だ、君たちはもう日本人は捨てて、中国人相手だけに商売やっているのかい?」と思ってしまいます。うーん、我ながら、何か、極右反動的ですね。今のマスコミ用語を使えば、差別主義でしょうか(笑)。

大杉さんは、旅行好きで、よく海外に行くそうですが、昔と違って、現地の人から最初に言われるのが、「中国人か?」なんだそうで、彼は慌てて否定するそうです。確かに国粋主義者でなくても、間違えられるのは、あまり気持ちが良い話ではないかもしれません。

スペイン・サラゴサ

こういうことを書きますと、批判の嵐が飛び交うことでしょうが、続けます。

日産のゴーン前会長の逮捕・勾留について、「グローバル・スタンダード(国際基準)に合っていない。早く保釈するべきだ」と主張する日本人のコメンテーターがいます。レバノン人か、ブラジル人か、フランス人が言うのなら、そして、特にゴーン氏との利害関係者なら分かりますが、その日本人は、自分は進歩的で、グローバル・スタンダードを遵守する上流階級の人間だから、知恵遅れの下々どもは俺の言うことを聞けとでも言いたいのでしょうか。

 片腹痛しですね。

日本は法治国家です。強欲ゴーン氏の件については、ちゃんと刑事訴訟法に則って、法的手続きを踏んで、粛々と進めています。

ゴーン氏が逮捕された時、あの有力米紙ウォール・ストリート・ジャーナルが「共産党が支配する中国の話だろうか。いや、資本主義の日本で起きたことだ」と、「異端審問」扱いする大キャンペーンを張り巡らしました。以前、お会いした著名な日本人経済アナリストが「日本の日経新聞は全く読むに値しない。やはり、ウォール・ストリート・ジャーナルを読まなくては」と強調されておりましたが、ウォール・ストリート・ジャーナルといっても、この程度の新聞なんですからね。

つまり、どこに視座があるかということです。富裕層優遇の市場原理主義、新自由主義の思想に立脚しており、国際金融資本家の機関紙であり、紙面化、デジタル化された時点では、その情報は古く、黄色人種の庶民にはそのおこぼれにも預かれないという深層と真相を、賢明なる人はそろそろ見破るべきなのです。

はっきり言いますが、ウォール・ストリート・ジャーナルは、あなた方、日本人の庶民は全く相手にしておりませんよ。せめて、10億円以上の資産(ゴーンさんと比較すると、何とみみっちいくらい少ないことか!)がある人でなければお話にならないのです。

スペイン・バルセロナ

だから、日本のメディアは、海外の反応など、金科玉条の如く、神棚に飾るが如く、垂れ流しする必要はないのです。淡々と報道すればいいのです。日本人は海外の目を気にし過ぎる民族です。ウォール・ストリート・ジャーナルは、日本人の庶民の意見など馬耳東風、全く気にしてませんから、取り上げることは皆無です。

スペイン・サラゴサ 結婚式を挙行してました

 話を少し元に戻しますと、海外で事故や災害などが遭った時、かつて著名なリベラル評論家が「日本のマスコミは、すぐ『日本人の被害者はなかった模様です』と報道しますが、遅れています。国際基準に合っていません。現地の人のことも報道すべきです」といったような趣旨で、日本のメディアを弾劾しておりましたが、どこの海外メディアが自国以外の被害状況を率先して報道しているのでしょうか?

 オリンピックだって、自国の選手がどれだけ金メダルを獲ったか、躍起になって報道するだけです。

スペイン・バルセロナ

大杉さんにしろ、最近の日本人の思想信条の軸が少しずれてきたかもしれません。これだけ、世界各国で「自国第一主義」が蔓延れば、何処の国でも影響を受けることでしょう。日本も特別ではありません。訪日外国人観光客が3000万人を突破したからといって、喜ぶのは政治家と高級官僚と商人と財界人と市場原理主義者ぐらいです。

大杉さんの結論は、そろそろ、外国のことを気遣うことだけを「進歩的」だの、「おもてなし」だのと誤解することはもうやめにしませんかねえ?グローバリズムの弊害について、日本人はもっともっと、気付くべきです、ということでした。

小生も同感ですね。何しろ、グローバリズムでこの世の春を謳歌しているのは、高給取りの国際機関職員や国際金融資本家らごくわずかですから。

「9月入学」に異議申す

 公開日時: 2007年9月18日 @ 19:02

文部科学省が、新学期の開始を各大学の学長の自由裁量に任せて、「9月入学」に拍車を掛けようとしています。ある人は「これこそが、グローバル・スタンダードだ」とか「やっと、日本も国際社会の仲間入りを果たした」と拍手喝さいするでしょうが、私なんか、「そんなんでいいんでしょうかね」と懐疑的です。

私は、「4月入学」が日本の風土に一番合っていると思います。以前、読んだ新聞記事で、どなかが書いたか忘れてしまいましたが、桜の咲く季節に始まり、不慣れな学生生活に心身ともに疲れ切ったところで、5月の大型連休がある。また、授業が始まっても、夏休みがある。…そうこうして、学園生活にも慣れ、ホップ・ステップ・ジャンプで離陸することができる。…そんなことが書いてありましたが、私も大賛成です。

 

何と言っても、「グローバル・スタンダード」とか「国際化」が何がなんでも正しくて、革新的だというマスコミから与えられた固定観念を根底から改める必要があります。

例えば、アフリカの孤島で大型船が難破して、50人も亡くなる大惨事が起きたとします。犠牲者に日本人が一人もいなかったことから、日本のマスコミは「べた記事」か、ほとんど取り上げなかっとします。すると、必ず、「日本のマスコミはなっていない。国際化に乗り遅れている」と批判する人がいます。

どんな日本と関係ない外国で起きた小さな事件でも報道しなければならないとなると、紙面も放送時間も足りるわけがありません。第一、日本と無関係な諸外国だって、日本で起きた小さいな出来事なんて興味ないし、報道するわけがありません。

グローバル・スタンダードという市場原理主義のおかげで、いくつの日本の中小企業が倒産に追い込まれたことでしょうか。国際化のおかげで、国内で、思想信条、風習、信仰の違いでどれだけトラブルが発生したことでしょう。

アフターケアもしないくせに、簡単に「国際化」なんて口に出してほしくないものですね。外国というより、アジアではなくて欧米に気を使って、「9月入学」を推進しようとする日本の国家も何を考えているのか。

横丁でも頑固親父の姿が消え、何か気持ち悪いほど物分りがいい日本人ばかり増えてきました。せめて、私ぐらいは頑固爺いで行きます。