6月23日(金)は、東京・恵比寿の日仏会館で開催された黒木英充氏による講演会「フランスとシリア・レバノンー幾重にもアンビバレントな関係」を聴きに遠路遥々、わざわざ会場にまで足を運びました。(参加者は、定員の3分の1の50人ほど)
そしたら、怖い顔をした司会者が「写真を撮るな」「録音、録画は絶対するな」とうるさく上から目線で高飛車に言ってきたので、不愉快になり、ブログに書くのはやめようかと思いました。(ちなみに、おらあ、写真も撮らず、録音も録画もしてねえだ)
しかし、ロシアのプリゴジンによる勇気ある反乱を見聞してからは、「何をビビってるんだ? 老い先短いくせに、格好付けるんじゃないよ!」という反骨精神が頭をもたげてきたので、前言を撤回して書くことにしました。
「書く」とは言っても、話の内容が複雑過ぎて、ほとんど持論ばかり展開すると思います。講師の黒木氏は、東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所(私が学生の頃はAA研と呼ばれていました)教授などを務め、シリア・レバノンに関しては「日本の第一人者」との紹介がありました。何しろ、彼が今年3月にレバノンに行った際、パスポートを確認したら、これが「108回目」のレバノン渡航だと分かったといいます。私は、シリアもレバノンも中東もアフリカも一度も行ったことがないので、ぶっ魂げました。
今でもあちこちで紛争が続く中東ですから、根底には宗教問題と民族対立があり、一筋縄ではいきません。同じイスラム教でもほとんど敵対しているスンニー派(サウジ、エジプトなど)とシーア派(イランなど)があり、キリスト教でも、カトリック(ローマ)と東方正教会(ロシア、ギリシャ、シリアなど)が対立しながら存続しています。いくら日本の第一人者といっても、わずか1時間半超で、この複雑な宗教・民族紛争を素人にも分かりやすく指南することは、まさに指南、いや至難の業です。
恐らく、日本人の多くはシリアにもレバノンにも行ったこともなく、ということは一生に一度もシリア人やレバノン人に会ったことはなく、区別もつかないと思います。私もそうです。が、私自身の管見によれば、第一次大戦で負けたオスマン・トルコ帝国の中東アラビアの領土を、英国が南半分、フランスが北半分を分捕って、植民地化、正確に言えば、委任統治した結果が現代の姿だと言えると思います。つまり、大国同士で、勝手に線引きして国境を決めたということです。地中海沿岸の中東の「フランス領」だけに話を絞ると、民族的には同じアラブ人でしたが、フランスの統治者は、特にキリスト教徒が多く住んでいる所(鳥取県ぐらいの広さ)を切り取ってレバノン国とし、残りの大半をシリア国にしたと思われます。
ですから、シリアもレバノンもアラブ系で、公用語も同じアラビア語を使いますから、区別がつかないと思われます。ただし、シリアではイスラム教徒(スンニー派74%、シーア派13%)が87%を占め、レバノンではキリスト教マロン派が大半を占めているので、服装や食習慣の違いはあり、それで区別がつくかもしれません。
今、私は「レバノンではキリスト教マロン派が大半を占めている」と具体的な数字を書きませんでしたが、それには理由があります。黒木教授によると、仏委任統治時代の1932年のレバノンには、キリスト教徒が50.0%、イスラム教徒(スンニー派22.4%、シーア派19.6%)が48.8%を占めていましたが、それ以降、90年間も国勢調査をしていないといいます。もし、調査を実施したら必ず政治問題化して紛争が起きるからだといいます。そこで、今のレバノンは、大統領がキリスト教マロン派、首相がイスラム教スンニー派、国会議長がイスラム教シーア派のそれぞれ出身者に取り決めているといいます。
私は先に、シリア、レバノンの建国は、第一次世界大戦でのオスマン帝国敗退の混乱に乗じたもの、といったことを書きましたが、実は欧州人が中東を襲ったのは、20世紀が初めてじゃなかったのです。中世の十字軍があったのです。これは、11世紀末から13世紀末にかけて、キリスト教徒が特にイスラム教徒に占拠されたエルサレムの聖地回復を目指して、7回に渡って(8回という説も)軍隊を組織して遠征したことです。最終的にはイスラム勢力の反撃によって遠征は失敗しますが、その間に欧州側は中東にエデッサ伯国やエルサレム王国やアンティオキア公国など「十字軍国家」を建国していたのです。特に、エデッサ伯国を建国したボードワン1世は、十字軍の指揮官だったフランドル伯ボードワンでフランス人でした。その家臣や遠征軍の多くはそのまま土着した者も多く、地元民と混血したりして、中東にはトルコ人、アラブ人、ユダヤ人、アルメニア人だけでなく、欧州人の血も入っているということになります。
そう言えば、レバノン系で日本人にとって、最も有名な人物はあのカルロス・ゴーンで決まりでしょうが、ハリウッド映画スターのキアヌ・リーブスもそうでした。(レバノンの首都ベイルートは、内戦前までは「中東のパリ」と呼ばれていました)
シリアの面積は日本の面積の半分ほどの18万5000平方キロメートルですが、人口(2130万人)は地中海沿岸に集中し、内陸部は砂漠というか土漠で作物が育たず、ほとんど人が住んでいないことを黒木教授から教えられました。同じようにシナイ半島もほとんど人が住んでいない(というより住めない?)と聞いて、「へ~」と思ってしまいました。
講演会では司会者が怖かったので、質問も出来ませんでしたが、後から、「そう言えば、シリア内戦は、アサド大統領側にはロシアがテコ入れしていたはず。ウクライナ戦争の影響でロシアによる支援が止まり、シリア内戦は今どのような状況なのか、質問すればよかった」と思いました。後の祭りでした。