エリック・クラプトン その壮絶な人生

 

「エリック・クラプトン自伝」を読んでいます。

何という凄まじい、まさに壮絶な半生なのでしょう。栄光と挫折。これほど、天国と地獄を行ったり来たりしている人生を送っている人は、私は過分にして知りません。

色んな見方があるかもしれませんが、クラプトンはとんでもない人ですね。複雑な経緯でこの世に生を受けたことは以前に書きましたが、この事実がトラウマになっているのか、アダルトチルドレンになっているのか知りませんが、普通の人では考えられないジェット・コースターのような人生を自ら選んで生きています。

何しろ、若い頃は定住先さえなく、ボヘミアンのような生活で、音楽以外は、女性と関係を持っているか、薬物かアルコールに浸っているかのいずれかなんですからね。恋人、愛人、いきずりの女性は数知れず。周囲に気に入ったと思えば、女もスーパースターが相手なので、拒絶する者は一人もおらず、登場する女性も8人くらい数えていて、あまりにも多いので、途中で馬鹿らしくて数えるのをやめてしまいました。

色んな薬物に手を出して、有名なアルバム録音や公演の最中でもやっていたことを告白しています。薬物から立ち直ったと思えば、今度はアルコール中毒です。米国のミネアポリス州にある有名な更生施設に二度も入らなければ、回復できないほど問題を抱えていました。

今、読んでいるところははもう終盤ですが、イタリア人のファッションモデルの愛人が儲けた息子が、ニューヨークの高層ビルから転落死するという事故に遭遇して、意気消沈する場面です。

波乱万丈なんていう生易しい言葉では片付かない複雑怪奇な半生です。

 

ちなみに、私が一番興味をもっていた、ジョーズ・ハリスンの妻だったパティを奪う事件についてのプラプトンの当時の感慨が素直に表現されていました。

「私がパティを手に入れたかったのは、彼女が、立派な車から輝かしい経歴、美人の妻まで、欲しいものをすべて持っているように私が見える(ジョージ・ハリスンという)力のある男のものだったからでもあった。」(少し文章を変えました)

と言うのです。

クラプトンは結局、パティと結婚しますが、手に入った途端に醒めてしまい、相変わらず同時並行して複数の女性と付き合い、アルコール中毒は深刻化し、結婚生活もうまくいくわけがなく、ほどなくして破局してしまいます。(以前ゴシップ記事で、クラプトンがパティと別れたのは、クラプトンの激しいDVによるもの、と書かれていましたが、クラプトン自身は全く暴力問題については書いていませんでした。「自伝」の限界でしょう。)

「ギターの神様」「ロック界のスーパースター」という肩書きがなければ、単なるアル中か色情魔です。その辺りを包み隠さず、淡々と正直に告白しているところがすごいです。

私が、クラプトンを知ったのは、クリームのメンバーの一員として「ホワイトルーム」がヒットした頃ですから、1967年か68年の頃です。もう40年も昔のことです。その後の活躍について、ほとんど知っていますし、アルバムもかなり持っているので、あの曲を出した時にこういう精神状態だったのか、と手に取るように分かりますが、クラプトンを一曲も知らない人にはちょっと読んでも分かりずらいでしょうね。

それに、何度も言いますが訳文がひどすぎます。日本語になっていない箇所が何度もあり、これも途中で腹が立ってマークすることをやめました。

これは、単なる一人のミュージッシャンの自伝というだけではなく、当時の時代を反映した歴史的証言だと思います。それには、もう少し、訳注を増やしたり、日本語版用に中見出しをもうけたりして、クラプトンをそれ程知らない人でも、もっと読みやすくした方がいいのではないかと思いました。これは訳者というより、編集者の怠慢です。

こんな本では歴史的価値がある資料としては残らないのが、残念です。(原文は別ですが)

「随分高いなあ」と思いつつ、2940円も出して買った本なので、少しぐらい意見を言ってもいいと思い、私の真情を吐露しました。

パティの自叙伝

公開日時: 2007年10月20日

芸能ゴシップですので、興味ない方はどうぞ…

私は、自他ともに認めるビートルズ・フリークなのですが、ジョージ・ハリスンの奥さんだったパティ・ボイドが、ジョージの親友のエリック・クラプトンのところに走った芸能スキャンダルについて、あまりその経緯については、よく知りませんでした。

もちろん、その表面的なことは知っています。ジョージの奥さんに横恋慕したクラプトンが、その苦悩をもとに「レイラ」(1970年)や「ワンダフル・トゥナイト」(1976年)などの名曲を生み出したことも有名ですね。

ジョージも、「大人の振る舞い」で、まるで、谷崎潤一郎が、自分の妻を親友の佐藤春夫に「譲った」小田原事件のように、冷静に離婚に応じたと思っていました。何か、芸術家同士の一般庶民には計り知れない何かがあるのだと思っていました。

このほど、パティが自叙伝”WONDERFUL TONIGHT George Harrison, Eric Clapton, And Me”を発表し、当事者として、当時の心境を明らかにしています。きかっけは、ネット上に反乱している彼女の情報に誤りが多かったので、「自分で真相を書くしかない」と思ったからだそうです。

その抜粋を読んだのですが、面白かったのは、パティとクラプトンとの仲を知ったジョージが激怒して「分かったよ。君は奴を選ぶのか、それとも僕を選ぶのか」とパティにせまったというのです。「大人の振る舞い」ではなく、やはり人間的だったようです。

私は、男ですから、パティの気持ちがさっぱり分かりませんでした。しかし、この本の中でパティは「私はエリックの誘惑に負けたことを後悔しています。もっと自分が強かったらよかったのにと思います。私は結婚は永遠だと信じていました。だから、ジョージとの間でよくない状況になったとき、歯を食いしばって折り合いをつけるべきだった」と告白しているので、全く驚いてしまいました。

ジョージとパティは、映画「ア・ハードデイズ・ナイト」の撮影で知り合い(パティはトップモデルでした)、1966年に結婚。最初にインドの精神世界に興味を持っていたのがパティの方で、彼女はマハリシ・マヘシ・ヨギの講演にジョージを誘い、ビートルズがインドへ瞑想旅行に出かけるほどインドに心酔するきっかけを作るのです。

1970年に、クラプトンがパティに「レイラ」を捧げ、二人の公然の仲が知られるようになり、ジョージとパティは1977年に正式離婚。79年にクラプトンとパティは正式に結婚しますが、10年後の89年に破局しています。一説にはクラプトンの家庭内暴力が原因だったと言われています。

だから、同書では、クラプトンのことはあまり、よく書かれていないのかもしれません。

ジョージが亡くなって5年になります。訃報を聞いて、喪失感に襲われたパティは「私は一生、ジョージを恋しく思うでしょう」と語っています。

これも、驚いてしまいました。

彼女は御年、62歳です。