人類を超越しているタモリさん

このブログ《渓流斎日乗》を始めたのは2005年のことですから、もうかれこれ13年も経ちます。

これだけ長く続けられた理由の一つとして、色んな体裁で書けたことです。時には、新聞記事のように、時にはエッセイか小説風、はたまた落語のような台本風、ソクラテスの弁明のような対話風(そんな大それた比較するなってか?)・・・てな感じです。

あまりやらなかったのは、短歌や俳句などの短詩型でした。どうも型にはまったことが嫌いなようです。その代わり、自由詩や川柳なら好きですね。

スペイン・トレド

 臨時国会も終わり、「公共水道外資売却・売国奴法」や「移民容認法」を強行採決した安倍首相は満足げな表情で閉会記者会見に臨んだようですが、今朝の朝日新聞には、辛らつな川柳が載っていました。

 数で押す窒息しそうな民主主義

 んーむ・・・。巧いこと言うもんですね。

 確かに数の論理で勝っている自民・公明与党ですから、最初から国会質問も論争もしなくても、初めから何でもかんでも法案が通ることは分かりきっているのです。野党がいくら抗議しようが、牛歩戦術を取ろうが、最初から決まっているのです。臨時国会なんか開かなくても決まっているのです。与党も野党もポーズを取っているか、演技をしているのに過ぎないのです。そんな気がしてきます。

スペイン・トレド

 民主主義の究極の定義として、英国の政治家ウィンストン・チャーチルの

It has been said that democracy is the worst form of government except all the others that have been tried.(民主主義とは最悪の政治手法と言われている。ただし、かつて試行されたすべて政治手法を除けば。)

 という名言が思い浮かびます。

 チャーチルはノーベル文学賞を獲ったほどの名文家ではありますが、アングロサクソンらしい彼の皮肉を込めた

The inherent vice of capitalism is the unequal sharing of blessings. The inherent virtue of socialism is the equal sharing of miseries.(資本主義の駄目な所は、幸運を不平等に分配してしまうことだ。社会主義の良い所は、不幸を平等に分配してしまうことだ。)

 
が好きですね。本質を突いています。

スペイン・トレド

 所詮、人間は強欲の塊ですから、大なり小なり権力闘争に明け暮れてきたのが人類の歴史ではないでしょうか。王権や帝国主義、植民地主義が蔓延り、今は、「米中貿易戦争」の形で覇権争いは続いています。

 下々の世界では、「公園デビュー」を始め、いじめや学級崩壊、男女差別大学入試、組織内での足の引っ張り合いからパワハラ、セクハラ、モアハラ・・・と、まあ数限りないプチ戦争の応酬です。

これが人類の歴史だと思うと溜息が出ますね。

46億年の地球の歴史の中で、人類の歴史など500万年。文明ができてから、たかだか1万年ぐらいしか歴史がないのに、もう滅亡に向かっているとは、暗澹たる思いがしませんか?

スペイン・トレド

 先日、NHKテレビで放送された「ブラタモリ」で、福井県勝山市にある県立恐竜博物館を取り上げていました。なぜ、ここに恐竜博物館があるのかといいますと、これまで日本の新種の恐竜7種のうち、5種もこの勝山市で発見されているからだそうです。

 そもそも、何で、福井県にそんなに沢山恐竜がいたのかといいますと、恐竜が隆盛だった1億2000万年前は、日本列島と中国大陸は陸続きだったからなんだそうです。それが、だんだん、地殻変動で動いて、2500万年ぐらい前に日本列島は大陸から離れて日本海もできて独立し、恐竜の化石もそのまま残されたというのです。

 何とも雄大、悠久な話です。

スペイン・トレド

 以前は人間のちっぽけさを知るのは宇宙や星座の勉強すればいいと思っていましたが、この番組を見て、地質学や地学にも興味を持つようになりました。

 誰が自己破産して自殺しようが知ったことはないのか、サラ金のCMにもホイホイと出て稼いでいながら、決して強欲には見せない計算高いタモリですが、地質学に関する知識は半端でなく、その博識ぶりには舌を巻きます。

どうも、地質学が好きな人は、人類が誕生する前の1億年、10億年、46億年のスパンで物事を考えているらしく、ちっぽけな人類の歴史なんか超越しているように見えます。タモリを見ていると、「所詮、人間なんて・・・」という態度が垣間見られます。

この人、ほとんどマスコミのインタビューに応じないので、お会いしたことはありませんが、本当に凄い人だと思います。

リベラリズム再考

新富町「ブロッサム」 ハンバーグ定食750円

井上達夫の法哲学入門「リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください」(毎日新聞出版)。第1部の「リベラルの危機」では、憲法九条の解釈や慰安婦問題、靖国問題など、国論を二分するようなホットイッシューについて、井上教授は火を吹くように話していましたが、第2部の「正義の行方」になると、ガラリと変わって、法哲学とは何なのか、井上教授がなぜ法哲学者の道に進むことになったのか、今、法哲学では何が問題になっているのか、分かりやすく、冷静に講義の形で述べています。

その法哲学ですが、ソクラテスやプラトンに始まり、英国経験論の父ジョン・ロックや「リヴァイアサン」のトマス・ホッブスらの哲学思想も易しく解説され、現代のリベラリズムに多大な影響を与えたジョン・ロールズによる「政治的リアリズム」に対する批判、共同体論者からリベラリストに変容した「ハーバード白熱教室」でブームになったマイケル・サンデルに対する賛意と所見などが述べられています。

◇悪法でも法は法

法哲学は難しいですが、最終的には「正義概念」に行きつくようです。

(引用)社会の政治的決定と、その産物である法が、自分の正義の構想から見たら間違っているにもかかわらず、自分たちの社会の公共的決定の産物として尊重することがいかにして可能なのか。この問いが悪法問題です。

…ここで法を自分たちの社会の公共的決定の産物として尊重するとき、法の正しさを見ている。これは正当性(ライトネス)ではなく正統性(レジティマシー)を問うている。

…「法の支配」、つまり法が「勝者の正義」であってはいけない。政治闘争で勝ったやつが、自分たちの決定を「法」として押しつける。それだけのことであれば、、その法に正統性がない。

正統性というのは、負けた方から見て間違っているけれど、自分たちは次の闘争で勝てるまでは尊重できる。そういう法には正統性があると言える。つまり、敗者の視点から見なければならない。(引用終わり)

という感じて、お話が進むわけです。

このほかに、毎年、1800万人が貧困死し、それを減らすのに年間60億ドルしかかからないのに、米国はイラク戦争で、月間50億ドルもの戦費を使っていたなどと批判したりして、大変、知的好奇心を満足させてくれる記述をあちこちで読むことができます。

ただ、惜しむらくは、159ページで「マハティールのインドネシア」と間違って語ったことをそのまま活字にしてしまっていることです。明らかにマレーシアの間違いであり、編集者も校正者も気が付くべきでした。そうでないと、著者はASEAN(東南アジア諸国連合)にほとんど関心も知識もないのではないかと勘ぐられたり、この本全体の信頼性、というか、井上先生の仰る正統性に欠けてしまう嫌いがあるからです。