チャイコフスキーはもともとチャイカさんだったとは

 東京都内のロシア料理店が、今回のプーチン大統領による蛮行で嫌がらせを受けている、というニュースに接しましたが、銀座の私がよく行く「マトリキッチン」の御主人は「大丈夫です。むしろ(お客さんが)増えたぐらいです」と仰っていました。

 でも、ニュースになるぐらいですから、何処かのロシア料理店が被害を受けているのでしょうね。私が東京都内で一番美味しいロシア料理店だと思っている高田馬場の「チャイカ」は、最近行っていないので、大丈夫かなあ、と心配しています。

 このお店は、恵雅堂出版創業(1950年)者の麻田平蔵氏が、満洲(現中国東北部)の哈爾濱学院第24期生ということで、学生時代にハルビンで食べたロシア料理が忘れられず、日本でもその味を再現しようと、1972年に開店したと聞いています。

 この渓流斎ブログで、恵雅堂出版から上梓された陶山幾朗編著「内村剛介ロングインタビュー―生き急ぎ、感じせくー私の二十世紀 」(2008年7月1日初版)の感想文を書いたことが御縁となり、同出版社のM氏と麻田社長と面識を得ることができまして、M氏らのお導きで何度か「チャイカ」で食事したことがあります。

 このことは何度もこのブログに書いたのですが、小生のミステイクで、2008年8月から2015年10月までの7年間のブログ記事が消滅してしまったので残っていません。同時に、もうあれから14年も経ってしまいましたから、ロシア文学者・評論家の内村剛介氏も、この本を編集された文芸評論家の陶山幾朗氏も、そして恵雅堂出版の麻田平蔵社長も鬼籍に入られてしまいました。

 「チャイカ」の話でした。何度もここで食事していたのに、つい最近まで、その意味を知りませんでした。駄目ですねえ(苦笑)。「かもめ」でした。アントン・チエーホフの名作「かもめ」から取ったのでしょうか。

 つい最近、知ったことは、チャイカというのはウクライナ人の苗字で多いそうです。あの有名な大作曲家ピョートル・イリイチ・チャイコフスキーも、もともとチャイカさんというお名前でしたが、彼の祖父の代にロシア風にチャイコフスキーと改名したというのです。知らなかったなあ。

 チャイコフスキーの祖先はウクライナに領地を持つコサック出身のチャイカさんだったということですから、今の惨状を見たら、大いに嘆き、「悲愴」(交響曲第六番)を超えるような名曲を作曲するかもしれません。

 ちなみに、コサックとは、軍事共同体員のことですから、チャイコフスキーの家系は軍人が多く、父は軍の中佐で鉱山技師、祖父は軍医の助手、曽祖父は初代ロシア皇帝ピョートル大帝の下で活躍した軍人だったようです。

 それにしても、プーチンさん、貴方の好きなチャイコフスキーもきっと怒っていますよ!