自然淘汰で《渓流斎日乗》は要らない?

 ダーウィンの「種の起源」を読んでいると、妙に「自然淘汰」という言葉が頭にこびりついて離れなくなってしまいました。

 自然淘汰は、natural selection の訳で、「自然選択」と訳してもいいのですが、今読んでいる本の訳者である渡辺政隆氏は、選択ではなく淘汰にしたことについて、「生物の変異個体を篩(ふるい)にかけるという意味を強調したいという意図がある」と説明しています。

 やはり、「淘汰」の方が、何か、目に見えない何かが、故意的に働きかけて個体を変異させたり、絶滅させたりしている雰囲気が伝わります。「目に見えない何か」となると、学問的ジャンルが全く違いますが、どうもアダム・スミスの「国富論」で出て来る「見えざる手」を連想してしまいますね。

 また、サンテグジュペリの「星の王子さま」に出て来る「いちばん大切なことは目にみえない」という言葉も浮かんで来ます。そんな目に見えないものとは、山本七平さんに言わせれば、日本人なら忖度したがる「空気」というものかもしれません。

 街を歩いていて、シャッターを下ろして閉店した何十年も歴史のある老舗店に出食わすと、大変失礼ながら、「自然淘汰かな」と思ったりしてしまいます。

新富町「TRAM ST. CAFE」ガパオライス 今どき750円です!

 20世紀の終わりにソ連邦や東欧の共産主義国が崩壊しましたが、あれも、「自然淘汰」だったのかしら? 私自身の小さな経験では、ソ連時代はモスクワ空港にトランジットで行ったことしかないのでよく分かりませんが、薄暗くて活気がなく陰気な感じがしました。他に、社会主義国は、貧乏旅行をした際、旧ユーゴスラビアの首都ベオグラード駅の売店で、まだサンドイッチなど豊富にあるのに、「もう時間だ」と言って、目の前でカウンターをバタンと閉められてしまい、空腹を抱えたまま、また列車に乗り込んだ鮮烈な想い出があります。食べ物の恨みは恐ろしい。共産主義国なんかには住みたくないと思いましたよ。

 キューバに旅行した時もそうでした。平等をうたう社会主義国のはずなのに、首都ハバナでさえ、物乞いするストリート・チルドレンに溢れ、黒人ともなると特別な許可証がない限り、自分の住む区域の外には勝手に出られないことも知りました。理想と現実は別物だということを実感しました。

 そうそう、創刊101年と日本最古の歴史を誇る「週刊朝日」が本日発売号で、休刊になるというニュースには驚きました。週刊誌というメディアが、もう時代についていけなくなって「自然淘汰」されたのでしょうか?いえいえ、週刊誌には、新聞では書けないディープな情報が某筋から垂れ込んで来るので欠かせないはずです。昨日、更迭された岸田首相の御令息のスキャンダルも、報道したのは週刊誌メディアでした。 えっ? それでも週刊誌はいらない、ネット情報で十分ですか? でも、ネット情報はどこまで信用できますかねえ? 結局、ネット情報は、ニュースソース不明の「要らない情報」に溢れ、アクセスするだけ時間の無駄遣いではないんでしょうか。

 えっ?何々? 《渓流斎日乗》もネット情報だから、要らない情報ですか? う~ん、勘弁してくださいよ。そこんとこ、どーか、ひとつ!

教養を磨く古典に挑戦しましょう=出口治明著「還暦からの底力」

 出口治明著「還暦からの底力―歴史・人・旅に学ぶ生き方 (講談社現代新書、2020年5月20日初版)を読了しました。

 1948年生まれの著者は、60歳でライフネット生命保険を創業して名を成し、70歳で別府市の立命館アジア太平洋大学(APU)の学長に就任した人で、その間、「教養は児童書で学べ」「人類5000年史」など多数のビジネス書や歴史書を出版し、週刊誌にも何本か連載していた方で、「週5~6冊は読む」という読書量も半端ではない。「よくそんな時間があって過労で倒れないかなあ」と心配していたら、今年1月から入院されていて、現在でも病気療養中とのことで、一刻も早いご回復をお祈り申し上げる次第です。

 この本は、還暦を過ぎた高齢者向けだけはなく、別に若い人が読んでも十分に通用すると思います。定年後の生き方とか趣味などの指南書になっていないからです。誰でも「今」が一番若く、人生をいかに楽しく充実したものにするか、といった哲学書に近いかもしれません。

 ただ、著者の御意見に全面的に賛同することはできませんでした。それは、歴史観の違いかもしれません。歴史観と言っても、「歴史修正主義」とか、そんな大それた問題ではなく、例えば、「西郷隆盛は詩人で夢見る人で永久革命家」「大久保利通は私財を公に投入し、借財を残して死んだので敬愛する」といった著者の断定的な語り口には「そうかなあ」と度々、首を傾げてしまいました。好き嫌いの話になってしまうかもしれませんが、人間はもっと多面的で複雑だと思ったからです。(私自身が、大久保よりも西郷の生き方に惹かれてしまうせいかもしれませんが)

東京・銀座

 勿論、著者の思想を否定するわけではなく、かなりの部分で共鳴したことは付記しておきます。「子孫に財産を残さず、自分で稼いだお金は自分で使うこと」といった助言は御尤もです。特に、賛同したいのは「教養を磨くには古典を読むに限る」という著者の主張です。出口氏がその必読の古典として取り上げていたのが、以下の6冊です。(著者の名前や出版社、価格は勝手に付け加えました)

1,ベネディクト・アンダーソン「想像の共同体」(書籍工房早山、2200円)

2,イマニュエル・ウォーラーステイン「近代世界システム」1~4(名古屋大学出版会、各5280円)

3、アダム・スミス「国富論」(講談社学術文庫、上・下 計4730円)

4,アダム・スミス「道徳感情論」 (講談社学術文庫、2321円)

5,ジョン・ロック「統治二論」(岩波文庫、1650円)

6,チャールズ・ダーウィン「種の起源」(光文社古典新訳文庫、上・下 計1848円)

 いやあ、正直、皆さまとは違って、煩悩凡夫の私自身はこの中で一冊も読んでいませんでした。3~6の古典は著者と書名は知っていましたが、1は全く知らず、2は著者名だけは知っていました。何故、この6冊なのか? 

 日本人が入っておらず、1,2は米国人、3~6は英国人で少し偏っているも気もしますが、これからチャレンジしてみましょうか。