【映画コラム】「トランボ」

カルガモかも

【映画コラム】
赤狩り旋風時代の米映画界の内幕を描く
=「トランボ ハリウッドに最も嫌われた男」=

◇赤狩りって何?

「レッド・パージ? マッカーシズム? 何ですか、それ?」―。東京・南青山のしゃれたカフェバーで、若い女性らと飲んでいた際、たまたま映画「トランボ ハリウッドに最も嫌われた男」の話になり、筆者が「赤狩り旋風」の話をしたところ、そう聞かれて、逆に驚いてしまった。

その女性は、英会話がネイティブ並みで、ある国際機関に勤めるキャリアウーマン。そんなインテリ女性が、レッド・パージもマッカーシズムも知らないとは…、思わず耳を疑ってしまったわけだ。

言うまでもなく、レッド・パージとは、第2次世界大戦で戦勝国となった米国とソ連が覇権争いを巡って「東西冷戦」状態となり、その米ソ二大国による代理戦争とも言うべき朝鮮戦争を控えた1940年代後半に、米国で、ソ連に通じているという疑惑のあった共産党員らを公職から追放した運動を指す。GHQ(連合国総司令部)による占領下にあった日本も例外ではなく、レッド・パージ=赤狩り旋風が、政財官の広範囲で巻き起こった。

マッカーシズムとは、米国で赤狩り運動の先頭に立ったマッカーシー上院議員から来ていることも言うまでもないだろう。

◇「ローマの休日」の原案者

映画「トランボ」は、その赤狩り旋風の最中に起きたハリウッド映画界の内幕を描いた作品だ。非米活動委員会によって告発された映画人の中で、最も有名な人物は、監督兼俳優兼脚本家兼音楽家でもあったチャールズ・チャップリンかもしれないが、この映画の主人公ダルトン・トランボ(ブライアン・クランストン)は、ハリウッドで最初に告発されてブラックリストに掲載された「ハリウッド・テン」と呼ばれる10人のうちの1人だ。日本ではあまり有名ではないが、オードリー・ヘップバーンを世界的に有名にした出世作「ローマの休日」の原案者だと言えば、その大物ぶりは分かるかもしれない。

トランボは、議会での証言を拒否したため議会侮辱罪で投獄され、出獄後も仲間からの裏切りなどで映画界から追放されるが、生活のために偽名、変名を使って、大量の脚本を量産する。この中で、友人の脚本家イアン・マクレラン・ハンター名で書いたのが「ローマの休日」(53年)であり、ロバート・リッチの偽名で書いたのが「黒い牡牛」(56年)であり、両作は何と、米アカデミー賞原案賞まで受賞してしまう。

その間、トランボは生活のために、内容は二の次のB級映画専門の独立プロのボス、フランク・キング(ジョン・グッドマン)と契約し、バスタブに漬かりながら、酒と煙草で原稿を量産する姿が痛ましい。思春期の子供を抱える家庭内不和や、赤狩り追放に命を懸けているコラムニストのヘッダ・ホッパー(ヘレン・ミレン)や、米国を代表するハリウッドの大スタージョン・ウエインらとの確執にも悩まされるが、作品全体が告発調になっていないところがいい。

◇名作「ジョニーは戦場に行った」も

監督は、コメディー「オースティン・パワーズ」シリーズで知られるジェイ・ローチ。酷い獄中生活や信頼していた俳優からの裏切りなども描かれるが、史実を淡々と描写し、わざとらしくなく、重々しくないところが、かえって見どころになっている。

その後、トランボは、俳優カーク・ダクラスらからの要請で、ローマ帝国時代の奴隷剣闘士を描いた「スパルタカス」(60年)を実名で発表して、映画界復帰を果たす。実は、「ローマの休日」の原題の「Roman Holiday」は、ローマ帝国の貴族たちが、休日に剣闘士らの殺し合いを見て楽しんだことから、「人の犠牲の上で味わう楽しみ」というのが本来の意味だが、トランボが「スパルタカス」で、名誉回復するとは、偶然の一致にしては出来過ぎた話かもしれない。

その後、トランボは76年に70歳で亡くなるまで、仕事を続けるが、晩年の作品として1本挙げるとしたら「ジョニーは戦場に行った」(71年)だろう。この作品は、第一次大戦で手足を失う重傷を受けた志願兵ジョニーを描いた名作で、トランボが39年、33歳の時に書いた「ジョニーは銃を取った」が原作。第2次大戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争と戦争が起きるたびに「反戦作品」だとの脅迫を受けて絶版になったという。トランボ65歳にして自らメガホンを取って映画化したこの作品は、カンヌ国際映画祭特別審査員特別グランプリなどを受賞するが、その事実を後から知った筆者も驚いたものだ。

映画の中で、赤狩りに遭う前のトランボの大邸宅の敷地内に湖があり、馬も飼う優雅なブルジョア生活が描かれる半面、平等に賃金が分配されない労働者たちへのトランボの憤り、同情心、社会への不満なども描かれる。かなり矛盾している。

とはいえ、名作「ジョニーは戦場に行った」を世に送り出した背景には、こうした常に権力に屈せず、弱者に対する温かい目を失わないトランボの信念があったことを、この映画で教えられた。(了)

「トランボ」は★★★★★ ダイアン・レインは良かった

哈爾濱の朝食はトウモロコシと牛乳 Copyright par Admiral Matsuocha

7月17日付の渓流斎ブログ「『父・伊藤律』と映画『トランボ ハリウッドに最も嫌われた男』」でも少し触れましたが、その話題の映画「トランボ」を観てきました。

いやあ、なかなか良かったです。最後の方で、こちらは少しウルルと来てしまっているのに、出口付近で、「ぴあ」と称する人たちに囲まれて、「『トランボ』の感想を聞いています!」と迫ってくるではありませんか。

私は、帽子を深く被って一人で感動に浸っていましたので、すぐにその場から逃れたかったのですが、「せめて、点数だけでも」と、まるで、テレビリポーター(死語)のように縋ってくるので、「ひ、ひ、ひゃくてんです」と答えておきました(笑)。

 中国最北観光地五大連池 アヒルも元気な朝 Copyright par Admiral Matsuocha

まあ、それだけ、いい映画だったということです。

私が「手引き」として信頼している日本経済新聞金曜日夕刊最終面の映画評欄では、「トランボ」は星が四つでしたので、「そこまで名作じゃないのかな?」とあまり期待しないで観たのですが、逆に、期待しなかったおかげで、なかなか感動的な映画でした。

同じ時間帯に近現代史関係のセミナーが、中野であったので、どちらに行こうか、悩むほど迷ったのですが、結局映画にしたのが正解でした。

映画館はまた、私の大嫌いな狭過ぎる東京・日比谷のシャンテシネマズでしかやっておらず、仕方がないので、また、ネットでチケットで予約しようとしたところ「残席わずか」と表示されていたので、大慌てで、購入して行きました。映画館に着くとやはり、長蛇の列で、満員御礼でした。
ロバは良き友 Copyright par Admiral Matsuocha

素晴らしい映画だったので、内容や感想や批評めいたことは、他で書くことにしました。ボツになったら、という条件で、いつか渓流斎ブログに掲載しませう(笑)。

ですから、他では書けないことを一つだけ、ここに書くことにします。

1940年代後半からの赤狩り旋風で、ハリウッドから追放された実在の映画関係者を描いた作品です。

主人公は、「ローマの休日」を匿名で脚本を執筆して、アカデミー賞原案賞を受賞するダルトン・トランボ(ブライアン・クランストン)です。

このトランボを陰日向で支える奥さんクレオ役の女優さん、「何処かで見たことあるなあ。いい女優さんだなあ」と思いましたが、名前が思い出せません。

そこで、後で、帰りの電車の中で、スマホで映画のHPを見て調べたところ、何とダイアン・レインだったのですね。私はかつて、横浜で、今村君と観たコッポラ監督の「コットン・クラブ」で、18~19歳の彼女が主演していたことを鮮明に覚えています。若い頃の彼女は、日本でも大人気で、何本かCMに引っ張りだこでした。

でも、そのことは置いといて、最近読んだ「日活不良監督伝 だんびら一代 藤浦敦」(洋泉社)の最初の方に、このダイアン・レインが出てくるのです。彼女は、コメントにも頂いた”伴野朗監督作品”映画「落陽」の主演女優だったのです。

「不良監督」といいますか、この映画の総合プロデューサーだった藤浦敦さんは、「落陽」に主演したダイアン・レインのエージェントに100万ドル支払ったのに、ダイアン個人に直接聞いたら、ギャラは35万ドル(当時のレートで5000万円)しかなかったことを暴露していたのです。これで、エージェントが65%も手数料と称して抜く映画界の実態が分かりますねえ。

この話を読んでいたので、トランボの奥さんクレオ役がダイアン・レインだと分かって、何という「偶然の一致」だと思いました。もっとも、本当は、そんなものは存在せず、全て「必然」なのだと確信していますが。

「トランボ」に出演したダイアン・レインはこの時、50歳。とても、いい年の取り方をしていると思いました。「落陽」に主演した後の彼女の人生は知る由もありませんし、あまりそこまで興味もありませんが、映画界の荒波にもまれて、内面で知性と教養を磨いたという感じでした。