Copyright par Shoko Hiraoka
自宅近くに浅井商店(仮名)という、ゆうに80歳の坂は越えていると思われる老夫婦が営む、どう見ても、小奇麗とは言えない雑然と商品が並べられている、家屋も傾いたお店が住宅街の中に一軒あります。
商品は、主に子どもの駄菓子ですが、「駄菓子屋さん」とは言い切れず、クリーニングの代理店を請け負ったり、郵便切手・葉書などもあり、雑然と並べられた物の上に置かれた古い汚い新聞紙をどければ、缶詰やラーメンやボンカレーなども見つかりそうなので、昔の田舎なら何処にでもあった「何でも屋さん」「萬屋さん」といった感じです。今は、コンビニに取って代わられ絶滅危惧種と言ってもいいでしょう。
この店の前を通ることはあまりないのですが、週末に、散歩で通りがかったします。でも、決まってお客さんは一人もいなく、「この店、大丈夫かな」と不安になったりします。とはいえ、私としては、買うものがないので仕方ありません。
年末になると、自宅近くの複数の電柱に、ミミズが走ったような汚い手書きの字で「年賀状あります。浅井商店」と書かれた紙が貼ってあることがあり、店の健在ぶりを確認します。が、私は、年賀葉書は、裏が干支のイラストで印刷されたものをまとめて都心で買ってしまうので、この店では買わず申し訳ない気持ちになります。汚いミミズの字を見る度に「頑張ってるのになあ…」と涙が出てきてしまいます。
しかも、ここ1年は、店内外で、温厚そうな旦那さんの姿が見えず、もしかして、自宅療養されているのか、他界されたのかもしれません。
そんな中、やっと浅井商店で買うものが見つかりました。往復葉書です。2月に都内で開催されるドナルド・キーンさんの御子息らの講演会(抽選70人)の申し込みが、往復葉書による応募になっていたからです。「そうか。週末に浅井商店へ往復葉書を買いに行こう」と、ある企みで出掛けて行ったのです。
ある企みとは、細かいお金がなかったので釣銭を受け取らないことにしたのです。126円の往復葉書わずか1枚しか買わないので、大した儲けにならないはずです。1000円札や1万円札ではちょっと向こうも気が引けると思い、200円を渡し、「お釣りは結構ですからね」と言ってお店を出たのです。「いやいや、駄目ですよ、駄目ですよお」という奥さんの声を振り切って。
そしたら、「お客さん、お客さん」と彼女としては精一杯の大声を出しながら、そして、彼女としては全速力で私を追い掛けてきたのです。ぜいぜい息を吸ったり、吐いたりしながら、彼女の皺くちゃの手には10円玉7枚と1円玉4枚がしっかり握られていました。よく彼女の顔を見ると、80歳どころか、90歳を越えているようにも思え、何だか申し訳ないことをしてしまった気がしました。
小商いとはいえ、彼女には、商人として長年やってきた矜持があり、誠実さと正直さと律儀さに満ち溢れていたのです。しかも、「私は、1円だろうが、間違いや誤魔化しは絶対にしたくありませんからね」とでも言いたげな、半ば憤っているような感じさえ受けたのです。
私は、「この程度のことなら大丈夫だろう」と、良かれと思ってやったのですが、さすがにこの時は、自分の行為を恥じてしまい、帰り道は感極まって涙が出て来ました。
小商いの老夫婦のことなど歴史として語られることはないでしょうが、このような誠実で真面目な庶民こそが歴史をつくっていると言ってもいいはずです。有名な戦国大名とか明治の元勲だけが歴史をつくっているという考えは大間違いです。