「自己肯定感が上がる人と付き合う」べきです

「歴史道」(朝日新聞出版)の最新号、第22巻「第二次世界大戦の真実」特集を読んでいます。

 第二次世界大戦は、1939年9月1日、ドイツ軍がポーランドに侵攻したことで開始された、と歴史の教科書で習います。しかし、どうもそれだけでは「真実」は解明されないようです。

 同誌を読んでいると、この独軍がポーランド侵攻する1週間前の8月23日に締結された「独ソ不可侵条約」が戦争の元だということが分かってきます。これは、ドイツとソ連が結託して、ポーランドを分割しようという秘密条約だったからです。案の定、ソ連は、ドイツ侵攻の約2週間後の9月17日にポーランドに侵攻し、ドイツと協定した分割線までハゲタカのように獲物を食い尽くしています。(独ソ不可侵条約は1941年6月22日にドイツが一方的に破棄し、独ソ戦が開始されます。)

 ということは、第二次世界大戦を始めた張本人はドイツのヒトラー一人だけというのは、大間違いで、ソ連のスターリンも一枚絡んでいた、というのが史実になります。日本では戦後民主主義教育によって、ソ連や社会主義が美化されて理想の国家のような幻想を抱かされた時期がありましたが、シベリア抑留の例を見ても、ソ連・ロシアはとんでもない国だと認識するべきだというのが普通の日本人の感覚です。21世紀になって、ロシアはウクライナに侵攻し、相も変らぬ蛮行を行ったので、すっかり「理想国家」の化けの皮が剥げてしまいましたから、今やロシアを擁護・美化する日本人は少なくなったと言えます。

北海道十勝 Copyright par Tamano Y

 世界史上、最大最悪のヒールを一人挙げろ、と言われれば、恐らく多くの人はナチスのヒトラーを挙げることでしょう。この本でも多くのことがヒトラーのことでページが割かれています。でも、自分自身が年を取ってみると、意外にもヒトラーは随分若かったことに気付き、驚かされます。1945年5月のベルリン陥落でヒトラーが自決したのは56歳。まだ、56歳と言いたいぐらい若かったんですね。何しろ、1933年1月、ヒトラーが首相の指名を受けたのは43歳の時でした。日本の岸田文雄首相が総理大臣に指名されたのが64歳ですから、如何に若いか分かります。ヒトラー絶頂期のベルリン五輪が開催された1936年8月の時点で、まだ47歳だったんですか…。レニ・リーフェンシュタールが残した映像を見ても60歳ぐらいに見えます。

 そう言えば、第二次世界大戦の米国の英雄ルーズベルト大統領はかなり高齢に見えましたが、病死したのは63歳だったんですね。日本を見ると、自決した近衛文麿は54歳、処刑された山下奉文は60歳、東条英機さえ63歳の「若さ」でした。

 高齢者になって見ると、こんな若者が戦争を指導してきたのか、という驚きの感慨です。

北海道 白髪の滝 Copyright par Tamano Y

 何が言いたいのかと言いますと、善悪の話は置いといて、子どもの頃にお爺さんに見えた歴史上の人物の年齢を超えると、どうも無力感というか自己嫌悪と自己否定に襲われてしまうのです。中原中也のように「お前は一体何をしてきたのだ」という思いに駆られてしまうのです。

 そんな時、新聞(日経 8月23日付朝刊)を読んでいたら、加藤俊徳著「脳の名医が教えるすごい自己肯定感」(クロスメディア・パブリッシング、1628円)という本の広告が目に飛び込んで来ました。この広告を読むと、「自尊感情」を高める脳の習慣として、

・1日「ほめ言葉」でしめる

・「朝散歩」を毎日する

・自己肯定感が上がる人と付き合う

 …などということが書かれていました。

 あれっ?この広告を読んだだけで、この本全部を読んでしまった気になってしまいました(笑)。そう言えば、私は、ほんの1人か2人ですが、私のことを否定するような人でも付き合ってきました。いけない、いけない。駄目ですねえ。しっかり、そんな交友関係は清算して、これからは「自己肯定感が上がる人と付き合う」べきですね(笑)。

 これは私だけではなく、皆さんにも同じことが言えるんじゃないでしょうか?

スペイン堪能記ー余話

ピカソ「ゲルニカ」

まだスペインから帰って早々ですので、いまだに「スペイン病」を引きずっております(笑)。

今日なんかは、東京・銀座の有名スペイン料理店「エスペロ」にランチしに行ってしまいました。

ランチ1200円と、小生としては、ほんの少し割高でしたが(10ユーロと考えると断然安い!スペインでは、ランチでも17~30ユーロが相場で結構高い)、上写真右のガスパッチョ(冷製野菜スープ)なんかは美味で、本場とさほど変わらない味でした。

この店は、パエリアの国際大会で優勝したことがあるらしく、店頭に誇らしげに表彰状を飾っておりました。

店内を見渡すと、闘牛のポスターばかりでした。

今回のスペイン旅行で残念ながら、闘牛を見ることができませんでしたが、本場スペインではどうやら「下火」になっているようです。2日目のミハスでランチしたレストランは、元闘牛場で、食堂に改装したものでした。

バルセロナでは、ガイドさんが「ここの闘牛場は先週、閉鎖されました」と仰るではありませんか!

色々、聴いてみると、どうやら、入場料がかなり割高で、地元の人があまり行かなくなり、主に観光客相手になってしまったとのこと。「残虐」ということで、動物愛護団体などから闘牛を中止するよう様々な形で要望があったらしい、ということでした。

私自身は20代の若き頃、ヘミングウエイの「日はまた昇る」を読んで、感動して、「いつか、闘牛を見てみたい」と思っておりましたが、恐らく、もう見ることはできないでしょうね。

今回のスペイン旅行の一つが、ピカソの「ゲルニカ」を見ることでしたから、実現したときは、「かぶりつきの席」で、10分間ぐらいジーと見詰めていました。そして、見れば見るほど、よく分からなくなる不思議な絵でした。

私の記憶が確かなら、1937年のスペイン内戦の際、バスク地方ゲルニカが、ナチスドイツ軍による無差別都市爆撃を受けたことから、当時パリにいたピカソは、新聞報道や写真などを参考に一気に描き上げたものでした。ヒトラーは、フランコによる要請で他国のスペインを爆撃しましたが、その2年後に開始される第2次世界大戦を見据えて、空爆の演習を兼ねていたとも言われます。(フランコは、これを取引に、スペインは第2次大戦に参戦しないことをヒトラーに約束させたという説もあります)

「ゲルニカ」は、一気に描き上げたといっても、縦3.49メートル、横7.77メートルというかなりの大きさですから、ピカソはその前に45枚の習作デッサンを描きました。それら習作も会場の国立ソフィア王妃芸術センター(マドリード)で展示されておりました。

ピカソが何故、この絵を白と黒だけで描いたのか、色んな説がありますが、白黒でも凝視すると、真っ赤な太陽や血の色などの色彩が網膜に浮かぶようでした。ついでに阿鼻叫喚の悲鳴や泣き声まで聞こえるようでした。

天下の「ゲルニカ」ですから、写真撮影は禁止でした。左右に屈強のガードマン2人が配置されておりましたが、かなりの至近距離まで近づいて見ることができ、感激しました。

バルセロナ ガウディ作「グエル公園」

今回のスペイン旅行で、「スペイン語不足」を痛感しました。

トイレに行くと「caballero(カバジェーロ)」と書かれた入り口は、「紳士」用だということが後になってようやく分かりました(苦笑)。(senora=セニョーラ、淑女は、すぐ分かりました)

ビールは、Cerveza(セルベッサ)、赤ワインは Vino tinto(ビーノ・ティント)、グラスで注文するならCopa(コパ)、ボトルなら、Bottella(ボテージャ)。

うーん、フランス語とも単語がじぇんじぇん違いますね。ポルトガル語とはほとんど似ているでしょうが。。。

何しろ、taberna(タベルナ=居酒屋)は、「食べるな」と言われてるようで、吃驚しますよね。

昨日書いたスペイン語のバカ=牛は、正確にはVaca(バカ)=雌牛でしたね。アホ=ニンニクは、ajoで、アッホとも発音するらしいですね。

加藤画伯の御令室によると、首都マドリードの Madrid は、本当は「マドリー」と言うのが正確なんだそうですね。最後の「d」は発音しないとか。

あと、スペイン語の疑問文は、最初に「?」の真っ逆さまを書きますよね?書き言葉は、読者に最初から、次に書かれているのは疑問文ですよ、と注意喚起するためなんでしょうか?

スペイン語に詳しい方は、どうか、コメントで御教授願います。

「ドレスデン、運命の日」★★★★

(続き)
「東京タワー」に続いて、日比谷シャンテ・シネで「ドレスデン、運命の日」(ローランド・リヒター監督作品)を見ました。戦争映画ですから、やはり目を背けたくなる場面もありましたが、評価としては「まあまあ」でした。
イギリス人の爆撃パイロットとドイツ人の看護婦が恋に陥るという話ですが、まず、そこからして「ありえない」と心の中で叫んでしまう自分がいました。何しろ、ドイツ人の看護婦アンナには、医者の婚約者アレクサンダーがいます。それなのに、病院のベッドで、敵国の人間(ロバート)と不貞を働いてしまうのですから、それだけでも「ありえない」と思ってしまうのです。

看護婦の父親は病院長で、ナチスの幹部と結託してモルヒネをしこたま隠し持って、スイスのバーゼルに家族で逃避しようとします。
そして、そのまさに逃避する当日の2月13日に、彼の歴史的に有名な悲劇「ドレスデン空襲」が始まるのです。この空爆で、街の85%が破壊され、3万人とも15万人ともいわれる市民が亡くなりました。
この作品は、アメリカ映画ではなく、ドイツ映画なので、台詞もドイツ語で、ドイツ側からの視点で描かれています。戦争映画の多くはアメリカ製で、いつも正義の味方のアメリカが悪いドイツ人をやっつけるシーンばかり見せ付けられて辟易していたので、新鮮な気持ちになりました。
とはいえ、この映画では、殊更に、「悪いアメリカ人やイギリス人」を描いているわけではありません。何しろ、主人公は、ドイツ人の看護婦ですが、相手は「不正を糾弾する」イギリス人なのですから。

とにもかくにも、この映画で初めて見ましたが、アンナ役のフェリシスタ・ヴォールが美しかったこと!