18歳にして心朽ちたり

山の幸もいっぱい Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

昨日は、霞ヶ関方面で、おめでたくも次官に昇任された近江屋さんの祝賀会に参加してきました。どういうわけか横浜の日本大通りにある日本新聞博物館「ニュースパーク」で視察した後、その足で横浜中華街にある「一楽」で晩餐会という一風変わった儀式でした。

参加したのは、焼津の半次と眼帯のお仙…といきたいところですが、現代なもんで、いわゆる一つの通称名として、清澄庭園のお龍、汐留のお志野、業界の為五郎、うまずいめんくい村の赤羽村長、それに、主賓の近江屋と幹事の館長さん、渓流斎という7人の面々でした。結局、通称名は焼津の半次とあまり変わりませんでしたね(笑)。

 熊さん Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

まずはあり得ませんが、館長さんの顔パスと直々の御案内で、ニュースパークを閲覧させて頂きました。

前から行きたい、行きたいとは思っておりましたが、今回が生まれて初めてでした。こういう機会がないと、遠いので、なかなか重い腰をあげられません。

「ニュースパーク」は、手短に言いますと、全国で発行されている一般紙、地方紙、スポーツ紙、業界紙が加盟している日本新聞協会のつくった博物館です。7月20日にリニューアル・オープンして全く新しく生まれ変わりました。

小中学生の「社会科見学」のコースとしてちょうどいい感じでした。勿論、大人が見ても、古い新聞や号外が展示されているので、懐かしさを感じることでしょう。

場所は、私は生まれて初めて乗りましたが、東急東横線と繋がっている「みなとみらい線」の「日本大通り駅」につながった歩いてゼロ分のところにあります。

県庁や裁判所、市役所、それに横浜スタジアムにも近い横浜の中心街の「関内」地区にありますが、最近は、横浜の中心街は「みなとみらい」に移ってしまったそうです。関内には商業施設が少ないため人通りも少なく、せっかく、「ニュースパーク」をリニューアルしたのに、入場者がそれほど伸びないのが館長さんの悩みだそうです。(しかも、市役所も近いうちに移転するとか。昔の横浜の繁華街は、伊勢佐木町が中心でしたから、繁華街というものは時代の推移で動くものなんですね。帝都の繁華街も、戦前の銀座、浅草から戦後は新宿、渋谷に移り、21世紀は、清澄公園が注目されてきるとか)

ですから、このブログを読まれた方は、横浜の中華街に行ったついででもいいですから、ちょっと、ニュースパークにも立ち寄ってみてください。業務連絡、館長からのお願いです。

個人的には、大正末か昭和初期と思われる福沢諭吉創刊の「時事新報」の看板や、徳富蘇峰創刊の「国民新聞」の法被なんかを興味深く拝見させて頂きました。
 熊さん Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

見学会が終わって、近くの中華街にある「一楽」で祝賀懇談会が開催されました。近江屋さんの次官就任をお祝いして一献傾けられますと、あとはバラバラで皆さん、言いたい放題(笑)。

一部では、ナンシーとかいう金髪さん(とは言っても日本人!)との合コンの話で大いに盛り上がっておりましたが、羨ましい限りです。

紙数が尽きましたので(笑)、為五郎さんか、館長さんかどちらだったか忘れてしまいましたが、大声で「今日のハイライトだ!」と叫んでいた話題を一つ取り上げませうか。

それは、汐留のお志野さんの旦那さんの話でした。いやお父さんの話でもあります。普段からお志野さんの御尊父は、「男はしっかり口を結んでいなければ駄目だ。ポカンと口を開けているような男にろくな奴はいない。目が泳いでいるような怪しい男も駄目だ」という家訓のような言葉を小さい頃から散々説き伏せられていたため、将来結婚する相手は、しっかりと口が締まって肝が座った人ではなければならない、と堅く信じて、お付き合いする前も、男性の口元や眼ばかり見ていたそうです。

晴れて、その理想にかなった人が見つかり、父親にお目通りしてもらい、合格と言うことで結婚されたそうです。

そのお志野さんの旦那さん。お会いしたことはないのですが、質実剛健で寡黙で、物に動じない武士のようなタイプのような人のようです。

旦那さんは、小学生の頃から高校まで、バリバリの野球部のレギュラーで鍛えられ、監督コーチからの命令や、先輩らからの理不尽なしごきやパシリなどの連続だったそうで、早くも18歳にして人類のあらゆる不条理を体験してしまったそうです。そのおかげで、「社会に出たら、こんな楽な世界があるのかと驚いた」と言ってのけた(失礼)そうですよ。

私とまるっきり逆ですね。学生の頃は、理不尽な運動部なんぞは敬遠しておりましたから、社会に出てから、苦労と理不尽と不条理の連続でした。

若い時に先に苦労した方がいい、という諺みたいな話ですかね?

18歳にして、理不尽で辛酸を舐めつくし、人生を悟ってしまえば、鬼に金棒だ、というのが昨晩の懇親会でのハイライトでした、というわけです。