ノートルダム大聖堂、火災前の雄姿

 今日は、萩生田・自民党幹事長代行の「消費増税延期」発言について書こうかと思いましたが、何か、馬鹿らしくなってきました。

 萩生田さんと言えば、安倍晋三首相の側近中の側近。モリカケ問題華やかりし時に、加計学園の加計孝太郎理事長と安倍総理と3人一緒に缶ビール片手にバーベキューを楽しんでいるお姿の写真が出回り、その親密度が、日本中に強烈な印象を残しました。

 そんな最高権力者の懐刀とも言うべき政権中枢の御方が、勝手に、しかも、公に、個人的意見をわざわざ発言するわけないじゃありませんか。

 こういうのを業界では、「アドバルーン」と呼びます。つまり、観測記事です。重大な政策などを決定する際、世間の反応を様子見するために、事前に反応を確かめ、衝撃を和らげるために、周辺に語らせる手口です。与党幹部も「予定通り、増税します」と、萩生田発言を打ち消すことは、事前の打ち合わせ通り。まるで舞台劇ですよ。舞台裏が透けて見えるので、嫌になります。

 で、先ほどから御覧頂いている写真は、火災に遭う前のノートルダム大聖堂です。

 皆様御存知の松岡將氏が、小生が4月17日に書いた「嗚呼、ノートルダム大聖堂の大火災」をお読みになって、心配してたくさんの写真を送ってくださったのです。それらの写真のうち、厳選して公開させて頂くことにしました。

 ブログには「大聖堂のステンドグラスは大丈夫だったでしょうか」と書いたのですが、そしたら、松岡氏は「 大聖堂のステンドグラス。。。そう言えば、小生、確か写真を撮っていたはず、と、あちこち探したら、2007年に撮った写真が出てきました。小生一人で見るのは勿体ないので、先日のお礼を兼ねて、お裾分けします。往年の大聖堂の気分に浸って貰えば、幸甚です」と、こうして、見事なステンドグラスの写真も添付してくださったのです。

 現地からの報道によると、ステンドグラスはどうやら無事だったようですね。ただ、荘厳なパイプオルガンは、消火の際の水が被り、駄目になってしまったようです。修復には最低でも1年以上はかかることでしょう。

 マリアさまのピエタ像もかなり被害を受けました。

 ということで、大火災に遭う前の貴重な写真を送って頂きましたが、小生に送るということは、ブログで全世界に公開されるということを意味しておりました(笑)。悪しからず。。。

 今回の火災で、一番衝撃的だったのは、96メートルの尖塔が燃えて崩落してしまった場面でした。また、現地からの報道によると、この尖塔は「木製」で、19世紀にできたものだというのです。てっきり、中世からあるものと思っていました。19世紀ということは、恐らく、1830年の七月革命か、1848年の二月革命の際に、ノートルダム大聖堂が襲撃されて一部破壊された後に修復された時に造られたのでしょう。(細かい報道がなかったので、勝手な忖度ですが)

 今回は、ルイ・ヴィトンさんを始め、フランスの大金持ちさんが超多額の寄付をされ、マクロン仏大統領も5年以内での修復・復活を宣言されておりました。

 いずれにせよ、修復前の2007年の時点の貴重なノートルダム大聖堂内部の写真を送ってくださった松岡氏には感謝申し上げます。

  Tous les photos Copyright par Duc de Sousoumou Matsuoqua

 

 

嗚呼、ノートルダム大聖堂の大火災

4月15日夜から16日未明にかけて起きたパリのノートルダム大聖堂の大火災。まだ、原因が分かっておりませんが、唖然、呆然としてしまいました。

ノートルダム大聖堂は、1163年に着工され、182年間かけて建設が続けられて1354年に完成。ゴシック建築を代表するもので、世界遺産に登録されていることは皆さま御案内の通りです。

2014年3月に訪れた時のノートルダム大聖堂。この時、長蛇の列だったので、内部に入らず、惜しいことをしてしまった。ステンドグラスは無事だったのかしら?

 訪れる観光客は、何と年間1200万人だとか。私も以前に2~3回、足を運んだことがありますが、まさか、燃えちゃうなんて思いも寄りませんでしたね。正面のファサードは石造りですが、内部や屋根は複雑な木造構造だったようで、96メートルの尖塔が燃えて崩落してしまう様子をテレビで見ましたが、呆然としてしまいました。

 私がフランスに派遣している秘密特派員からの情報によると、ノートルダム大聖堂には、聖ルイ(ルイ9世)が十字軍で持ち帰った聖遺物「キリストの茨の冠」 La couronne d’épines やイエスを磔にする際使われた釘(といわれるもの)などが安置されていましたが、無事保護されたといいます。屋上の12の像も修復工事のため運良く取り外されていたようです。これらは、一時的にパリ市庁舎に避難しているようで、いずれ詳細は明らかになるでしょう。

 ただ驚くことに、フランスでは歴史建造物の修復工事中の火事は、実は多いそうです。フランス人は、日本人ほど作業が慎重でないこともあり、今回の場合も、テロや事件ではなく、作業員のミスの可能性が高いようです。(その場合は、原因究明と再発防止に努め、個人的な犯人探しはやめた方がいいと思います)

 ノートルダム大聖堂は、今年856歳ですが、よくぞ第1次、第2次の両世界大戦でも破壊されず、戦災を逃れてきたものです。しかし、実は、1789年のフランス革命や、1830年の七月革命などではかなり破壊され、荒廃してしまったといいます。

 フランス革命では、ノートルダム大聖堂だけでなく、フランス全土に及び、教会や修道院が破壊尽くされた事実は、案外知られていません。教会や司祭はアンシャンレジームの支配階級の一角だったため、革命勢力の格好の標的になったのです。日本でも明治維新で、「廃仏毀釈」というとんでもないことが起きましたが、単なる維新ではなく、薩長土肥の若者による暴力革命だったことが分かります。

 七月革命で荒廃した大聖堂を嘆いたヴィクトル・ユーゴが、不朽の名作「ノートルダム・ド・パリ」(1831年)を書くきっかけになったことは、知る人ぞ知る逸話ですね。

 ノートルダム大聖堂火災は、日本で言えば、法隆寺や東大寺、または伊勢神宮が火災に遭うようなものです。フランスだけでなく人類の世界遺産ですから、心から御見舞い申し上げます。