大変失礼致しました、三浦様。ハルビン特務機関に関するご質問

ハルビン学院
 大変失礼致しました。三浦宣秀さんという方から以下のコメントを1月4日に拝受しておきながら、どう間違ったのか、「スパムコメント」の中に分類されていて、危うく消滅するところでした。
 実は、小生、このサイトの「基盤」として使わさせて頂いているWordpressのやり方が全く分かっていないのです(苦笑)。よく見てみると、「これまで65件のスパムコメントを保護しました」とあるではありませんか!
 ごめんなさい。
 「スパムコメント」コーナーをチェックしていなかったので、皆様の重要なコメントが消えてしまっていたのかもしれません。(本物のスパムだったらいいんですけど…)
 いずれにせよ、三浦様からの誠実なコメントには心を打たれました。が、生憎、小生の力では及ばないため、読者の皆様の中でご存知の方がいらっしゃいましたら、是非とも、さらに、コメントを頂きたいのです。
 今度こそ、皆様からのコメントが「消滅」しないように、気を配りますので宜しくお願い申し上げます。
三浦氏のコメントを改めて下記に「復活」させますので、御熟読ください。(色んな方がこの《渓流斎日乗》をお読みになっていただいていることを知り、改めて感謝申し上げます)

2017年10月1日の関東軍情報本部ハルビン陸軍特務機関を拝読いたしました。
私の叔母は軍属として、ハルビン特務機関情報部教育隊に所属していたようです。ハルビン特務機関長は、土居明夫特務機関長(秋草特務機関長の前任)でした。叔母は、21歳でハルビンで殉職したのだと思っています。(勲八等瑞宝章の叙勲となっていたので殉職と思いました。)
死亡年月日は、昭和19年9月20日、身分は陸軍軍属(雇員)です。
叔母の名前は、阿保 信子(あぼ のぶこ)で、私は甥の、三浦(旧姓 阿保) 宣秀(みうら たかよし)てす。父は満鉄に勤めていて、終戦で中国での強制労働後、復員してます。叔母は、私の父の影響で満洲にいき、ハルビン特務機関に採用されています。
ハルビンでの葬儀には、陸軍大臣、教育総監、参謀総長、関東軍司令官、ハルビン特務機関長の立札があります。(当時の葬儀写真あります。)
推測では、教育総監の立札から、情報部教育隊(471部隊)に所属し、日ソ開戦にそなえての諜報活動、宣撫活動において、殉職したのではと思っています。 通知された、死亡状況は戦病死、死亡場所はハルビン第1陸軍病院と記載。)
当時の状況を詳しく知りたいと思って、あらゆる方面に問い合わせいたしましたが不明とのことでした。
なにかヒントになることは、ありませんでしょうか。
よろしくお願いいたします。