銀座「スペイン グルメテリア イ ボデガ スペイン・クラブ」
突然、個人的なことながら、渓流斎は本名ではなく雅号であります。当然、御存知のことと思われますけど…(笑)。
実は私には、他にも雅号がたくさんありまして、これまで、「激流斎」「濁流斎」「蛇幕斎」「面読斎」「丼句斎」等々、色々使って耳目を驚かせてきたことがありました。でも、もういい年ですから、なるべく、ネガティブなことはやめよう、もっとポジティブに行こうと、あるきっかけが御座いまして、決意致しました。
ですから、上記のようなマイナスなイメージの雅号は使うのはやめることに致しました。でも、「清流斎」「渓谿堂主人」といった雅号は、少しは清廉な感じがしますので、これからも使っていこうかと存じまする。
そうでなくても、このブログでは、さんざん世迷言を書き立てて来ましたからね(苦笑)。せめて、これからは「明るく前向きに」生きていきたいものです。
とは言っても、毎日、ブログを書くことは修行僧の滝修行のように厳しいものです。書くネタに困れば、すぐ「銀座ランチ」に逃げ込みます。本日もそうなりますので、お許しをー。
「孤独のグルメ」の井之頭五郎さんのように、とにかく、あてどもなく銀座をフラフラ歩いて見つけたのが、このスペイン料理店です。「スペイン・グルメテリア・イ・ ボデガ・スペイン・クラブ」というのが正式名称のようですが、覚えられませんでした(笑)。でも、知る人ぞ知る有名店のようですね。常時300種以上のワインを用意しているといいます。調度品など見ても、スペイン辺りから取り寄せてきたようで、この店に入れば、スペイン気分に浸れます。
そういう私も、2018年9月にスペイン旅行を決行したことがあるので、3年前のことが本当に懐かしくなりました。
その3年前にこのブログで書いた同じようなことをまた茲で書いてしまいますが、このスペイン旅行を決行するまで、実は、私はスペインは好きになれませんでした。ピサロ、コルテスといったスペイン人が中南米のインカ、アステカ帝国を滅ぼし、現地の人たちを虐殺し、良いイメージがなかったからでした。
しかし、スペインに行くと、これらの考え方は少し変わりました。インカ帝国を征服したピサロも、アステカ帝国を滅ぼしたコルテスも、スペイン中央部のエストレマドゥーラ州出身で、ピサロは同州トルヒージョ生まれ、コルテスは同州メデジン生まれ。私も3年前にバスでこのエストレマドゥーラ州を通りましたが、赤土がはだけた不毛地帯で、こんなところでは、米も麦も野菜も何も育たない所であることが一目瞭然で分かりました。(何と、ここで、1960年代~70年代にジュリアーノ・ジェンマ主演などのマカロニ・ウエスタンが撮影されたそうです。ここを西部劇の荒野に見立てるにはピッタリな土地です)
つまり、ピサロもコルテスたちも肥沃な大地を求めて、やむに已まれず、海外に飛躍したことが現場を見て初めて分かりました。(理由は何であれ、現地民を虐殺して征服する正当性は全くありませんが)
◇ 「英国の常識」は「世界の常識」
もう一つ、極東に住む我々が、スペインに良くないイメージができてしまったのは、16世紀に世界の制海権を巡ってスペインと対立していた大英帝国が、殊更、スペイン人の残虐さや不当性を世界に発信し続けて来た影響もあるようです。1588年に英国がスペイン・フェリペ二世の無敵艦隊を破って、英国が世界の制海権を握ると、余計に、この「英国の常識」が「世界の常識」になったのです。北米大陸を「制服」してインディアンを虐殺した英国も、本来ならスペインを批判できないはずですが…。
スペインは16世紀で、絶頂から一気に衰退期に入ってしまいました。だから、戦国時代に「植民地化」を狙って、あれだけ日本に来ていたスペイン人も江戸時代になると、途絶えてしまい、代わって新興国のオランダが進出してくるわけです。
まあ、そんなことを一人で考えながら、ランチをしていました。スペイン料理が好きになったのも、3年前にスペイン旅行した際に、現地で本場のスペイン料理を食べたからでした。特に、軽食やおつまみになるタパスやピンチョスは、パンの上に魚介類、チーズ、肉など色んなものを載せるヴァリエーションがあり、日本人の口にも合い、気に入ってしまいました。
意外と知られていませんが、スペイン・バスク地方のサンセバスチャンにはミシュランの三ツ星レストランが何十軒もあるようです。バスクと言えば、独立運動が盛んで、紛争が続くマイナスイメージがあったのですが、グルメ都市だったとは!死ぬ前にいつか行きたいなあ~、と思ってます。