パティの自叙伝

公開日時: 2007年10月20日

芸能ゴシップですので、興味ない方はどうぞ…

私は、自他ともに認めるビートルズ・フリークなのですが、ジョージ・ハリスンの奥さんだったパティ・ボイドが、ジョージの親友のエリック・クラプトンのところに走った芸能スキャンダルについて、あまりその経緯については、よく知りませんでした。

もちろん、その表面的なことは知っています。ジョージの奥さんに横恋慕したクラプトンが、その苦悩をもとに「レイラ」(1970年)や「ワンダフル・トゥナイト」(1976年)などの名曲を生み出したことも有名ですね。

ジョージも、「大人の振る舞い」で、まるで、谷崎潤一郎が、自分の妻を親友の佐藤春夫に「譲った」小田原事件のように、冷静に離婚に応じたと思っていました。何か、芸術家同士の一般庶民には計り知れない何かがあるのだと思っていました。

このほど、パティが自叙伝”WONDERFUL TONIGHT George Harrison, Eric Clapton, And Me”を発表し、当事者として、当時の心境を明らかにしています。きかっけは、ネット上に反乱している彼女の情報に誤りが多かったので、「自分で真相を書くしかない」と思ったからだそうです。

その抜粋を読んだのですが、面白かったのは、パティとクラプトンとの仲を知ったジョージが激怒して「分かったよ。君は奴を選ぶのか、それとも僕を選ぶのか」とパティにせまったというのです。「大人の振る舞い」ではなく、やはり人間的だったようです。

私は、男ですから、パティの気持ちがさっぱり分かりませんでした。しかし、この本の中でパティは「私はエリックの誘惑に負けたことを後悔しています。もっと自分が強かったらよかったのにと思います。私は結婚は永遠だと信じていました。だから、ジョージとの間でよくない状況になったとき、歯を食いしばって折り合いをつけるべきだった」と告白しているので、全く驚いてしまいました。

ジョージとパティは、映画「ア・ハードデイズ・ナイト」の撮影で知り合い(パティはトップモデルでした)、1966年に結婚。最初にインドの精神世界に興味を持っていたのがパティの方で、彼女はマハリシ・マヘシ・ヨギの講演にジョージを誘い、ビートルズがインドへ瞑想旅行に出かけるほどインドに心酔するきっかけを作るのです。

1970年に、クラプトンがパティに「レイラ」を捧げ、二人の公然の仲が知られるようになり、ジョージとパティは1977年に正式離婚。79年にクラプトンとパティは正式に結婚しますが、10年後の89年に破局しています。一説にはクラプトンの家庭内暴力が原因だったと言われています。

だから、同書では、クラプトンのことはあまり、よく書かれていないのかもしれません。

ジョージが亡くなって5年になります。訃報を聞いて、喪失感に襲われたパティは「私は一生、ジョージを恋しく思うでしょう」と語っています。

これも、驚いてしまいました。

彼女は御年、62歳です。