ブライアン・グリーン著、青木薫訳「時間の終わりまで」(ブルーバックス)をやっと読了しました。素晴らしい名著でした。うーん、でも、どう解釈したらいいのでしょうか?
人類も宇宙もいずれ消滅、死滅するので絶望的、虚無的になって残りの人生を生きていくしかないのか? それとも、宇宙の死は数十億年後のそのまた数十億年後という先の先の話だから、価値観を反転して、偶然の確率で生まれてきたこの世の生を謳歌して、学問、芸術の創作に励むべきなのか?
結論を先に言えば、著者のグリーン氏は、後者を薦めていると言って良いでしょう。
でも、著者はそのままズバリ、平易に語ってくれるわけではありません。「永遠というものはない」と比喩的な言葉を使ったりします。人類の死については、こんな書き方をします。
恒星であれブラックホールであれ、惑星であれ人間であれ、原子であれ分子であれ、物体はすべて、いずれ必ず崩壊する。…人はみな死ぬということと、人類という種はいずれ絶滅するということ、そして少なくともこの宇宙においては、生命と心はほぼ確実に死に絶えるということは、長い目で見て、物理法則からごく自然に引き出される予測なのである。宇宙の歴史の中で唯一目新しいのは、我々がそれに気づいていることだ。
うーん、そこまで言われてしまっては、何をしても無駄なことで、虚無的になるしかありませんよね。
しかし、著者のグリーン氏は、最後の最後に微かながらも光を照らしてくれます。
冷え切った不毛の宇宙に向かって突き進んでいけば、神の計画(大いなるデザイン)などというものはないのだと認めざるを得なくなる。粒子に目的が与えられているのではない。…ある特定の粒子集団が、考え、感じ、内省する力を獲得し、そうして作り出した主観的な世界の中で、目的を創造できることになったということなのだ。…我々が目を向けるべき唯一の方向は内面に向かう方向である。…それは創造的な表現の核心に向かう旅であり、心に響く物語のふるさとを訪ねる旅でもある。
うーん、難しい言葉ですが、エントロピーが増大し、宇宙も立ち行かなくなって終焉することは、特定粒子集団が編み出した理論物理学が説くところで変えようもありません。それを知ってしまったということは、人類にとって悲劇なのか、喜劇なのか? まあ、とにかく、「生きろ」「生き延びよ」という励ましの言葉として私は受け止めることにします。