調理師M氏と15年ぶりの再会

WST National Gallery Copyright par Duc de Matsuoqua

 昨晩は、小生が北海道の帯広に赴任していた頃に知り合ったM氏と実に15年ぶりに再会しました。M氏は、カレー屋さんの御主人でした。昭和というより明治時代に近い旧い古物商を、飲食店用に炊事場を設置するなど改築した雰囲気のある店でした。当時住んでいた自宅から近かったので、多い時には毎週のように通いました。

 仕事が終わって、夜8時ぐらいになることが多く、お客さんはほとんどいなかったので、次第に世間話をするようになり、一人暮らしだった私も彼と会話をするのが楽しみで通った感じでした。特に彼は、ブルースが大好きで、店内ではいつもブルースを掛けていました。私は、ブルースといえば、B.Bキングとマディ・ウォーターズぐらいしか知りませんでしたが、ライトニング・ホプキンスやアルバート・キングら通好みのプレーヤーを彼からたくさん教えてもらいました。

 で、15年ぶりの再会です。帯広から離れた後は、年賀状をやり取りする程度で、お互いのプライバシーまでは話すことはなかったのですが、今回は色んな話ができました。彼も随分苦労していたことが分かりました。まず、私が帯広を離れた翌年に、お店がつぶれてしまい、奥さんともうまくいかなくなり、別れてしまったというのです。でも、帯広市内のホテルの調理場での職を得て、その頃に知り合った美しい女性と再婚することができ、住まいも北海道から関東に移したというのです。

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 彼は調理師ですから、包丁一本さらしに巻いていれば、どこでも働くことができるらしく、関東に来て約10年経つ中、もう10回ぐらい転職したそうです。ほとんどホテルの調理場ですが、長くても2年、短いと数カ月といったところでしょうか。苦労したんですね。

 彼からは「調理師の世界」を色々と伺いました。彼が料理を勉強したのは、あの有名な大阪の辻調理師専門学校で、設立者の辻静雄(1933~93)は、もともと読売新聞の記者だったんですね。知る人ぞ知る話ですが、私は初めて知りました。辻は、欧米に料理修行に出かけ、特にパリの高級レストラン「ピラミッド」の経営者ポワン夫人に可愛がられたおかげで、同僚になった若き頃のあの著名なポール・ボキューズとも親交を結ぶことができたそうです。その際の逸話もありますが、ここでは書きません。まだ東洋人に対する偏見が強い中、辻静雄も相当苦労したようでした。

 最近、パリ在住の日本人シェフの小林圭さん(42)が ミシュランの三つ星を獲得して大きな話題になりましたが、M氏は「確かに立派ですが、その前に、日本人として初めてミシュランの一つ星を獲得した中村勝宏シェフのことを覚えておかなければいけませんね。彼は70歳を超えていますが、今でも飯田橋のホテルメトロポリタンエドモントで働いていると思います。北海道洞爺湖サミットの際に総料理長を務めた人です」。あ、そうか、そう言われれば、名前だけは聞いたことがありました。

 このほか、1964年の東京五輪の選手村の料理長に抜擢された帝国ホテルの村上信夫シェフには、高橋さんという有能なライバルがいたにも関わらず選ばれたといった話や、盛んにテレビなどに出て名前を売って有名になったシェフや料理人は、かなり政治力を発揮している話なども聞きました。確かに、私も、名前につられてそうしたレストランや料理店に行ったことがありますが、高いだけで大して美味いとは言えませんでしたからね。

 あと、調理師は国家資格ですが、てっきり、中華、和食、洋食と別れているかと思っていたら、「いやジャンル別はないのです。免状があれば何でもできるんです。逆に言うと、日本で最も『甘い国家資格』とも言われてます。地方の田舎の高校教師なんか、箸にも棒にも掛からぬ生徒には『自衛隊に行け、さもなくば調理師になれ』と言うぐらいですよ」と、微妙なことまで発言してました。

 M氏は現在、関東のホテルの調理場で勤務していますが、本当はカレー屋さんを続けたかったらしいのです。しかし、帯広はカレーの激戦区で、あの有名な「coco壱番屋」も数年で撤退したそうです。

 M氏が作るカレーを食べながらブルースを聴いていた、いや、ブルースを聴きながらカレーを食べていたあの頃が本当に懐かしくなりました。

ロバート・ジョンソン

公開日時: 2005年3月31日 

◎カレーにブルースはよく似合う
=ロバート・ジョンソンは渋い大人の味だ!=

帯広市東1条南5丁目にある「東印度会社」という名前のカレー屋さんは、恐らく帯広一、いや北海道で一番美味しいと思う。
ここのマスターの村井さんが、大の音楽好き。大正時代に作られた古い土蔵を改装したこの店では、色んなジャンルの音楽をかけているが、私が食事に行く夜の時間帯は決まってブルースが掛けられている。マスターの一番のお気に入りだ。ここでライトニング・ホプキンスやバディ・ガイといった数々のブルースマンの名盤を教えてもらい、聴かせてもらっている。

でも、ロバート・ジョンソンはあまりにも有名すぎて解説もいらないかもしれない。私も以前からその存在は耳にしていた。ローリング・ストーンズやエリック・クラプトンらが大変影響を受けていて、クリーム時代のクラプトンが取り上げた「クロスロード」やストーンズの名盤「レット・イット・ブリード」に収められた「ラブ・イン・ヴェイン」は彼の作品だということは知っていた。しかし、実は、オリジナルを聴くのは今回が初めてだった。

CD「コンプリート ロバート・ジョンソン」にはジョンソンが残した全29曲が収録されている。わずか?そう、彼は全盛期の27歳の時、毒殺されたのだ。女にだらしのなかったジョンソンは、旅の先々でちょっかいを出し、関係を持った女性の夫にミシシッピの酒場で毒入りのバーボンを飲まされたという。1938年のことだった。それでも、音楽面で後世に与えた影響は甚大だ。

何しろストーンズのキースが若い頃、ジョンソンの曲を初めて聴いた時、彼以外にもう一人がギターを弾いていると思っていたというし、クラプトンは全てジョンソンの曲をカバーしたアルバムを最近発表するぐらい心酔している。その超人的なギターテクニックも「悪魔に魂を売って身に着けた」という伝説の持ち主。初めは随分シンプルに聴こえるが、そのうちに、ジョンソンの魂の叫びが耳に付いて離れなくなる。カレーのように辛酸をなめた大人の味。そう、意外にもカレーにブルースはお似合いだ。(了)