歴史教科書に「占領時代」と明記すべきでは=「米軍ヘリが都心で実践訓練か」の記事を読んで

 日本は、アジア太平洋戦争での敗戦後の1945年9月2日からサンフランシスコ講和条約締結後の1952年4月28日まで約7年間、連合国軍GHQという名の実質上米軍によって占領されていたという史実を知らない人が多いことに唖然とすることがあります。若者だけでなく、教養のありそうな中年や初老の人もそうでした。「時間切れ」で学校で教えてくれなかったことが原因でしょうが、それにしても情けない。

 3月5日付毎日新聞朝刊が社会面で、「米軍ヘリ、スカイツリーに6回接近 都心で実戦訓練か」と題して、米軍が、日本の首都東京のど真ん中で白昼堂々とヘリコプターによる実践訓練の模様を報じ、ネットでも動画を配信しておりました。米軍は、取材に対して具体的な飛行理由を明かさなかったのですが、専門家は軍事訓練ではないかと分析しています。占領国だから政府に許可なく勝手放題していいということなんでしょうか?

 1952年で終わったはずの米軍による占領が、まだ終わっていないことを証明しているのかもしれません。

 何と言っても、この事実は、毎日新聞が報じなければ、日本国民は誰も知らなったことでした。考えるだけでも恐ろしい。メディアには頑張ってもらいたいものです。

 それにしても、この「事件」に関して、日本政府が抗議したことなど、寡聞にして知りません。何で、こうも弱腰なんでしょうか。日本人は占領下民として駐留費を負担し、半永久的に占領国の言いなりにならなければならないということなんでしょうか。歴代政権も米国の顔色を窺い、少しでも反米的態度を取れば、田中角栄元首相のように、葬り去られると思っているのかしら。

銀座アスター

 昨日この渓流斎ブログで取り上げた「検閲官」(新潮新書)の著者山本武利氏も、同書の最後の方で、日本政府の弱腰を批判しておりました。

 山本氏が批判したのは、現代史研究者にとって最も重要な資料で、日本の文化遺産でもある「プランゲ文庫」のことです。同文庫は、戦勝国によって戦利品のようにabduct(拉致)されたというのに、敗戦国としての当然の権利を行使せず、日本政府は弱腰で、返還請求したことは一度もないというのです。

 プランゲ文庫の正式名称は「ゴードン・W・プランゲ文庫 ー1945~1952年日本における連合国の占領」で、ゴードン・W・プランゲ(Gordon William Prange 1910~80年)が歴史学教授を務めていた米メリーランド大学図書館に収蔵されています。プランゲは、1942年、同大教授の職を休職して海軍士官として軍務につき、1946年からGHQの参謀第2部(G-2)で戦史の編纂作業に当たった人でした。

 私自身は、以前からゾルゲ事件に関心があったので、プランゲといえば「ゾルゲ・東京を狙え』上・下(早正隆訳、原書房)の著者として知っていました。非常に面白い本で、ゾルゲ事件を映画化した篠田正浩監督もこの本を大いに参考にしたと思われます。

 昨日書いた記事(山本武利著「検閲官」)の復習になりますが、GHQ傘下のCCD(Civil Censorship Detachment、民間検閲局)は、検閲のため、当時発行されたあらゆる図書、雑誌、新聞などの資料を収集します。それがそっくりそのまま、日本に返還されることなく、プランゲがG-2の部長ウィロビー将軍に取り入って、占領期のどさくさに紛れ込んで、母校の大学に「拉致」したというのが、山本氏の見立てです。その数は、雑誌約1万3800タイトル、新聞・通信約1万8000タイトル、図書約7万3000冊、通信社写真1万枚、地図・通信640枚、ポスター90枚と言われています。

 やはり、日本の歴史教科書の年表の1945年9月2日から1952年4月28日までは「占領時代」と明記すべきですね。奈良、平安時代…江戸時代などと同格です。文部科学省が明記させないとしたら、いまだ占領状態が続いていると思っているからなのでしょうか?

 あ、あまり書くと、今も密かに生き残る検閲官の手によって翻訳され、私も消されてしまうかもしれませんね。