史上最高気温

  摩周湖

 

昨日の8月16日、猛暑日を書いた途端、最高気温が74年ぶりに更新しましたね。埼玉県の熊谷市と岐阜県の多治見市で、何と40.9度を記録したということです。(従来の記録は1933年7月、山形市の40.8度)

 

さすがに暑いので、昨日は市民プールに行ってきました。入場料420円、ロッカー50円。実に4年ぶりぐらいだったと思います。どこにでもあるような田舎の市民プールで、昨今のプール事故を鑑みて、高校生らしきアルバイト救助隊が絶えず目を光らせていて、一時間に一回、10分間の強制休憩があって、来ている人も、小さなお子さんと親御さん、お爺ちゃん、元気盛りの中学生、あとは、私のような得体の知れない怪しいおじさんぐらい。若くて、綺麗なお姉ちゃんは皆無でした。まさに、芋を洗う状態で、一時間ほどで出てきてしまいました。

 

それにしても、この暑さは異常です。北極の氷も溶けているらしく、海氷面積は530.7平方キロと史上最小記録を更新した、という記事も出ていました。

 

昨日は熱中症で亡くなった方が全国で11人もいました。いわゆる、鬼の霍乱というのは、熱中症のことだったのですね。2003年に記録的な猛暑に襲われたフランスでは、実に1万5千人もの人が熱中症で亡くなったそうですから、本当に馬鹿にでできません。

 

世界的同時株安も始まり、世界経済もおかしくなってきました。「我々はどこから来て、どこへ行こうとしているのか」。ゴーギャンのような心の叫びが聞こえてきますが、世間の危機意識は薄く、相変わらず、くだらないテレビを見てガハハと笑いながら一生を終えてしまう人間ばかり多い気がします。

 

いつも、こんな暗い終わり方をしているので、偶には思い出で締めくくりたいと思います。プールと言えば、「外人プール」を思い出します。外人プールというのはもちろん俗称で正式名称は知りません。そこに、米軍の防諜アンテナ施設があって、普段は治外法権なのですが、どういうわけか、夏のシーズンだけ、日本人にもプールだけ開放してくれたのです。私も、父親の仕事の関係で、入場券を入手できました。子供だったので、一日50円くらいだったのではないでしょうか?小学生から中学生にかけての元気盛りで毎日のように行っていました。まだ、当時、身長が150センチくらいしかなく、外人プールは2メートルくらいの深さがあったので、そこで、何度も水を飲みながら泳ぎを覚えました。だから今でも泳ぎには自信があります。

 

外人プールでは、米軍向けのラジオ「FEN」がBGMとしてかかっていました。ベトナム戦争華やかりし頃です。よく聴いたのは、マンゴージェリーの「サマータイム」、ジェファーソンエアプレインの「キープ・ミー・ハンギン・オン」、デイヴデイ・グループの「キサナ・ドゥーの伝説」、1910フルーツガム・カンパニーの「トレイン」、オーティス・レディングの「ドック・オブ・ザ・ベイ」、クリームの「ホワイトルーム」、ジミ・ヘンドリックスの「パープル・ヘイズ」などです。(これで年がばれてしまいますね)

 

そこで、生まれて初めて、シャワーを見たのです。女の子(もちろん外人)が、シャワーでシャンプーを付けて頭を洗っているのでびっくりした思い出があります。

 

プールサイドでは、サングラスをかけて、カクテルを飲みながら、長椅子で日光浴をしている人もいました。まるで、007の映画のワンシーンのような感じでした。そこで、マイクという男の人と顔見知りになりました。相当大人に見えたのですが、まだ、高校生だったのかもしれません。彼は、少し、足りないところがあって、僕たち日本人の子供が近づくと、浮き輪につかまりながら、笑いながら”Breast! Breast”と大声で叫ぶのです。

 

もう二度と再現できない夏の思い出です。