弥勒如来はやって来ない=「眠れなくなるほど面白い宇宙の話」

 いつも渓流斎ブログをお読み頂きまして誠に有難う御座います。感謝申し上げます。

 ただし、本日は、相当暗い話になると思いますので、心臓の悪い方はこの先、お読みにならない方が良いかもしれません。

 ユヴァル・ノア・ハラリ著「サピエンス全史」「ホモ・デウス」の影響に加え、2月24日に勃発したウクライナ戦争に感化されて、私もすっかりミザントロープ(人間嫌い)に陥ってしまいました。人間は残虐で、私利私欲の塊で、傍若無人で、自己保存のためには裏切りや策略や謀略や詐欺などやりたい放題。だから、偉人がどうした、政治家が何をした、革命だ、戦争だ、などといった人間の歴史(書記された伝承)や思想を学ぶことさえ馬鹿らしくなってきたのです。

 どうせ、人間の所業だろ? その人間って、サルの一種でとりわけ残虐で獰猛なんだろ? ズル賢さだけが異様に肥大した生物じゃないか、てな感じです。

 人間の歴史や思想なんか学ぶよりも、花崗岩や安山岩など石の種類や植物の名前をもっと覚えた方が健康的でいいのではないか?

 そこで気分を換えて読み始めたのが宇宙の本です。とはいえ、私自身は根っからの文科系人間ですから、難解な本は駄目です。何か手頃な初心者向けで最先端の学術成果が書かれた本がないか探したところ、渡部潤一国立天文台副台長監修の「眠れなくなるほど面白い宇宙の話」(日本文芸社、2018年3月30日初版、2022年4月14日第14刷、748円)という本が見つかりました。

 図解で分かりやすく書かれていますが、おっとろしいことも書かれています。今から25億年後、太陽が赤色巨星化して光量、熱量が増大して地球の気温は100度以上となり、「地球上の生物は全て絶滅してしまうと考えられる」と書かれているのです。勿論、人類も生物です。

 要するに、あと25億年で人類滅亡となるわけです。(ハラリ氏は、現生人類は、あと1000年持つかどうか、と書いてましたが)「永遠」とか「永久」といった言葉はありますが、実際、永遠とは無限ではなく、25億年という有限の時間しか残されていないということです。

シバザクラ

  19世紀のフランスの詩人アルチュール・ランボーが17歳の時に書いた「永遠」という詩があります。(この詩は、後に改編されて「地獄の季節」の「錯乱Ⅱ」に収録)

 Elle est retrouvée!  Quoi ? – L’Éternité.  C’est la mer allée Avec le soleil.

  見つかった! 何が?ー永遠が 太陽といざなった海さ (拙訳)

 永遠というものは、太陽と一緒に行ってしまう、というのはまさに天才ランボーの慧眼です。ただ、その永遠の期間が25億年とまでは、いくら天才でも知らなかったことでしょう。

 25億年なんてまだまだ先の話で、俺たちはとっくに死んでいるので関係ない、という考え方もあるでしょう。でも、138億年前にビッグバンで宇宙が誕生した後、天の川銀河の片隅に太陽系ができて(銀河は全宇宙に1000億個以上あるというので吃驚です。何しろ、冥王星は惑星だと習った古い世代なもので)、地球が生成されたのは、今から46億年前と言われています。つまり、残された時間は、地球が出来て今に至るまでの時間より半分近く短いのです。

東京・新橋「奈良県物産館」柿の葉寿司定食1100円

 私は仏像が好きで、といっては語弊がありますが、仏像を前にすると心が洗われます。特に好きな仏像は、京都・広隆寺の弥勒菩薩半跏思惟像です。この弥勒菩薩(如来)は、釈迦が亡くなって56億7000万年後に兜率天から降りて、衆生を救済してくださると言われる大変有難い仏様です。しかし、25億年後に人類が滅亡してしまえば、弥勒菩薩の出番がない、というか、間に合わないということになりますね。

 「56億7000万年」という数字は、仏陀自身がお考えになったのかどうか分かりませんが、全く出鱈目な数字ではないとしたら、結局、人間は救済されない、ということなのでしょうか。となると、全く身も蓋もない話ですね。

 これは仏教の話なので、キリスト教徒やイスラム教徒なら救われる…といった話でもなさそうです。とにかく、人類滅亡が確実なら、何をしても無駄です。何も残らず、勿論、歴史書も文化財も教会も寺社仏閣も核ミサイルも溶けてなくなるわけですから。このブログも(笑)。

 それでも、人間は生き続けます。泣いたり、笑ったり、怒ったり、嘆いたりしながらも…。救済を求めて妄想ともいえる新しい宗教を生み出したり縋ったりします。

 「それでも、私はリンゴの木を植える」といった物語も生まれます。人間は物語と神話を信じて、共同幻想の中でしか生きていけないからです。

 人類滅亡となれば、権力者も有名人も富裕層も大将も会長も既得権益者も貴族も大地主も、楽をして働かないで給料を貰っている連中も同じようにいなくなります。いくら努力しても、運にもツキにも見放され、この世で奴隷状態の労働に強いられ、安賃金で、雨漏りのする風呂もない木賃宿で生活している庶民にとっては、それは「平等思想」であり、朗報なのかもしれません。

 ま、いずれにせよ、これらは人智を超えた自然科学の世界の話なので、変えようがありません。泣こうが、喚こうが、虚無主義に走ろうが、事態は全く変わらないということです。

 それでも我々は、自裁するわけにもいかず、お迎えが来るまで、毎日、泣いたり、笑ったり、怒ったり、嘆いたりしながら、生きるしかありません。

 はい、ここまで。次回は思い切りポジティブ思考の希望の物語でも書きますか?

花の名前が瞬時に分かるアプリ=AIさんも悩みます

コデマリ Copyright par Keiryusai

 文章は難しい。

 書いた本人が全く意図しなかったことを、曲解する人がいたりして心を痛めています。

 先日は大の親友が急死し、その追悼文めいたことをこのブログに書いたのですが、ある人から「お前は自己中で、亡くなったK君のことを一つも慮っていない。思いやりがない。その性格は永遠に治らない」などと非難してきたのです。あまりにも心外で、問い質してみると、私自身が全く思いもつかない「悪行」を並べ立てられました。指摘してきた人は、匿名の知らない人ではなく、一緒に彼の追悼会をやろうと呼び掛けた親友の一人でもあったのですが、非難するだけでなく、その追悼会参加も取りやめると宣言するぐらいですから茫然自失です。

 かといえば、5月4日に書いた「花の美しさはない=雲の波間に消え去った彼」という記事の中で、「毒された欲望資本主義には異議を唱えたい。」と書くべきところを、変換ミスで、「毒された欲望資本主義には意義を唱えたい。」と書いてしまい、「ネット界の小舅」との異名を持つある人から、「超キモチイー」と鬼の首を取ったように指摘されました。こちらの間違いですから、反省しなければならないのですが、ちゃんと「間違いの御指摘有難う御座いました」と返信したにも関わらず、「誰にも知られないように、そっと訂正するとは、どこかのマスコミみたいだ」と輪をかけて批判する始末。

 文章だけでなく、人間関係も難しい。

Copyright par Keiryusai

 というわけで、すっかりミザントロープになってしまい、散歩がてら、路傍に咲いている花々を愛でて、心を癒しています。

 でも、残念ながら、花の名前が分からない! そしたら、偶然、ラジオを聴いていたら、スマホをかざすだけで、花の名前が分かるアプリがあるというので、早速試してみました。

 花の名前が分かるアプリは、どうやら何十種類もあることが分かったのですが、逆に何を選んだらいいのか分からなくなってしまいました。その中で、取り敢えず、千葉工業大学が開発した人工知能(AI)「ハナノナ」をインストールしてみました。

 それが上の写真の「ロベリア」です。まだ、使い方はよく分かりませんが、花にスマホのアプリの撮影モードでかざすと、花の名前の候補が何種類か出てきて、例えば、「ロベリア95%」などと表示されるので、撮影者は「決定」ボタンを選択して保存すると、上の写真のように花の名前まで印字されるわけです。

ジャガイモ Copyright par Keiryusai

 それが、100%と決定的に分かる花だったら良いのですが、AIさんでも迷うことがあります(笑)。

 例えば、上の写真の花は、花卉も栽培している農地で咲いていたので、何となくジャガイモの花のような気がしたのですが、このアプリをかざすと、「クリンザクラ45%」「サクラソウ属35%」「ワルナスビ50%」「サトイモ科65%」…と目まぐるしく変わり、「一体、何の花なんじゃい」とAIに声を掛けたくなりました。

カラー Copyright par Keiryusai

 こちらの上の写真もそうです。

 どっかで見たことがあるので、直ぐ答えが出てくるかと思ったら、「カラーリリー75%」「アルム65%」「サトイモ科70%」「ギボウシ40%」「ミズバショウ45%」…とこちらも目まぐるしく変わります。ちなみに、この確率の%も変化します。カラーリリーでも30%になったり、80%になったり、瞬時に変わるのです。

 でも、とっても面白いアプリなので、散歩がてら遊んでいます。皆さんも御自分に合ったアプリを見つけてインストールしてみたら如何ですか? 心優しいミザントロープさんにはお薦めです。

 嗚呼、でも、この文章を読んで、また曲解する人がいるかもしれないと思うと、夜も眠れないですねえ。。。