モネ展を見たぞい

○○中の渓流斎さんに代わってゴーストライターのミカエルが、東京・上野の「モネ展」を見に行きました。

えらい計算違いは、一番のお目当てだった「印象、日の出」が10月18日で展示が終わっていたことですね。

それを早く言ってよ!

でも、渓流斎さんは去年の3月に、実際、パリのマルモッタン美術館まで足を運び、この絵を間近で堪能するように見ているんですよね。

「日の出」については、詳しい説明はいらないでしょう。

それより、主催者による拡張販売で、タダ券を貰った人が多かったのか、平日の昼間だというのに、10分も待たされ、絵の廻りは、三重、四重の人だかりでした。

明日は「シルバーデイ」とかなんとかで、65歳以上は無料ですから、まあ、躊躇ったほうがいいでしょう。

私は、モネは、世界中の色んな所でたくさん見てきましたが、今回の内容は悪くなかったです。

晩年は、訳の分からないように絵の具をぬりたくったりして、とても具象には見えません。やはり、モネは、印象派の創始者であり、抽象画家の先駆者でもあることが分かります。

私の一番好きな凄い画家です。

モネ展から東京ミッドタウン

乃木坂にできたばかりの「新国立美術館」に行ってきました。

「モネ 大回顧展」を見たかったからです。ゴールデン・ウイークとはいえ、連休の谷間の平日を選んで行ったのですが、人、人、人…。何と、日本は、いや東京はこう人が多いのでしょうね。多いところでは、人が五重の列になって1枚の絵の前に立ちはだかっていました。

私は日本人としては背が高い方なので、後方からでも見られましたが、絵を見るにはやはり、東京以外に限りますね。モネは、私の卒論のテーマであり、外国でも数多、見る機会がありましたが、スイスのチューリッヒ美術館の「睡蓮」の連作が忘れません。これでもか、これでもかというモネの執念のような睡蓮が壁一面に広がり、殆んど観客もいなかったので、何か、独り占めする幸福を感じたものです。

モネは「睡蓮」のほか、「積み藁」「ルーアン聖堂」など連作を数々と書いています。一つのテーマを見つけると、30枚も50枚も描いている感じです。作家のYさんも言っていました。「何かテーマを決めてしまえばいいんですよ」。その言葉に意を強くしました。

ついでに、同美術館2階の「異邦人たちのパリ 1900-2005年」展も覗いてきました。こちらは、モネ展ほど人が多くはなかったです。感動したのは、藤田嗣治、ピカソ、モジリアニ…。あまりにもごちゃまぜで、あまりにも散漫で、テーマが絞りきれず、企画展としては、大失敗ではないかと思いました。

3階は、高級フランス料理の「ポール・ボーキューズ」。3000円くらいのランチに人だかりで、「満員札止め」で、幸運にも最後の列に並ぶことができた母娘がテレビのインタビューを受けていました。

馬鹿らしい!

乃木坂から歩いて10分くらいで、六本木のミッドタウンに行きました。できたばかりの話題のスポットとということで、ここも人だかり。

ブランドショップだらけで、私は、ブランドには殆んど興味もないので、ウインドーショッピングさえもしませんでした。

ただ、ここには、素晴らしい庭園がありました。区立檜町公園です。人造池もあり、それにしては、よくできた公園だなあと思っていたら、ここは元々、長州藩の下屋敷で、つまりは、歴史のある長州藩のお庭だったわけです。昨日やそこらでできた公園ではなく、やはり、昔は、庶民は決して立ち入ることができなかったわけですから、散策するだけ感動してしまいました。

ところで、六本木ミッドタウンの前身は、何だったかというと防衛庁の跡地です。その前が、東京鎮台歩兵第一~三連隊が置かれた場所。

そして、乃木坂の新国立美術館の前身は、東大生産技術研究所ですが、その前の戦時中は、何と、陸軍第一師団が置かれた所だったのです。

奇遇とはいえ、平和の重みを感じた次第。

六本木ミッドタウンを北上すると、もう赤坂です。

氷川神社にお参りしました。

ここは、備後三次藩邸があったところで、忠臣蔵の浅野内匠頭の未亡人、瑤泉院が、松の廊下事件の後に引き取られた実家だったそうです。

氷川神社は、八代将軍吉宗が現在の赤坂小学校あたりにあったものを移築したもの。

神社の裏手の本氷川坂の下に住んでいたのが、勝海舟。「氷川清話」の著作で有名ですが、最近は、「氷川の大法螺吹き」として、話していることの大半は、大嘘で、自分を偉く見せるために虚飾に満ちたものだ、という本を続けざまに読んで、多少なりとも、彼に対する評価に疑問を持つようになりました。

歴史そのものではなくて、歴史観は難しい。