日本レスリング史上初の五輪メダリスト内藤克俊の伝記出版へ=93歳の現役記者宮澤正幸さん

 いつも拙ブログをお読み頂き、洵に有難う御座います。ま、色々とありますけど、一番嬉しいのは、お読み頂いた皆様から反応があることです。このブログをきっかけに、小学生時代の友人と再会したり、著名作家と知り合ったり、友達のまたその友達とお会いしたり、数えきれないほどの幸運に恵まれました。続けて良かったと思える瞬間です。

 先日もありました。

 昨年2022年12月11日に「陸軍中野学校のいちばん長い日とインドネシア独立の礎をつくった柳川宗成=第48回諜報研究会」というタイトルで記事を書いたのですが、澤田次郎拓殖大学教授の講演の中で、私自身が40年以上も昔にお世話になったことがある元日刊スポーツ新聞記者の宮澤正幸さんのことに少し触れました。演題となった柳川宗成は、戦中に拓大を出て陸軍中野学校で訓練を受け、ジャワ防衛義勇軍などを創設して、オランダからインドネシア独立の礎を作ったという人物でした。宮澤さんは、拓大OBだったこともあり、その柳川と親交を持ち、柳川が出版した回顧録の元原稿を委託され、母校拓大に寄贈したということを書いたわけです。

 そしたら、たまたまこの記事が、検索していたら見つかったという宮澤正幸さんの御家族の方からコメントがあり、宮澤さんの近況などを教えて頂いたのです。宮澤さんは、1930年生まれで先日93歳を迎えたばかりですが、いまだにスポーツジャーナリストとして現役で御活躍されているというのです。ただ、最近体調を崩されて、入院されているらしいのですが、日本レスリング界で初の五輪メダルを獲得した内藤克俊という人の伝記執筆に目下、精魂を傾けているというのです。

銀座「鳥ぎん」鳥釜めしと焼鳥3本セットランチ1750円

 内藤克俊(1895~1969年)は、1923年のパリ五輪レスリング・フェザー級で銅メダルを獲得し、日本レスリング史上初の五輪メダリストになった人です。ちょうど来年2023年にパリで100年ぶりに五輪が開催されるということで、来年までに出版にこぎつけたい、というのが宮澤さんの信念のようです。

 どうしてそこまで宮澤さんがレスリング界初のメダリストに拘るのかと思いましたら、宮澤さん自身が母校拓大のレスリング部出身でした。日刊スポーツを定年退職後は日本レスリング協会の機関誌編集長や顧問まで務めておられました。記者時代は、主に相撲やレスリングなど格闘技を担当し、1962年のジャカルタでのアジア大会では、スカルノ大統領に単独インタビュー(拓大時代はインドネシア語専攻)、そして1964年の東京五輪からオリンピック取材を始め、91歳で2021年の東京五輪まで取材しておられました。まさに記者の鑑です。

 先ほどの日本レスリング史上初の五輪メダリスト内藤克俊は、鹿児島農林学校(現鹿児島大)卒業後、米ペンシルベニア州立大学に留学し、そこで初めてレスリングと出合います。当時、日本ではまだレスリングの競技はなかったのでした。内藤は柔道三段の腕前を発揮して、全米大学選手権を制します。排日運動が激しい中、同大学の主将にまで起用されたそうです。そして、23年のパリ五輪で銅メダルを獲得するのです。

 その後、結婚した内藤は、夫妻でブラジルに移住します。そこで生まれた娘ヨランダさんは、日系人と結婚し、蘭の株を見つけて、それに「ヨランダ・ナカゾネ」と命名し、1991年、東京で開催された第1回世界らん展に出品します。そしたら、それが、1322点の中から、何と最高賞の日本大賞に選ばれたのでした。

 宮澤さんは、その前にブラジルに渡って内藤克俊に会って取材し、ヨランダさんのことも聞いていたので、91年の世界らん展に足を運び、ヨランダ・ナカゾネの日本大賞受賞受賞を目の当たりにしたといいます。(2022年4月12日付読売新聞夕刊)

 奇遇と言えば奇遇ですね。

 宮澤さんの一刻も早いご回復と内藤克俊の伝記出版を祈念しております。

日本ボクシング連盟会長辞任事件について

銀座「保志乃」鯖一夜干定食1080円(赤羽村長に対抗して少し贅沢しました)

台風13号の影響で、ここ両日の都心は気温が26度程度と意外に涼しいので面食らってます。つい先日まで、39度だの40度だのと言ってましたからね。これからまたぶり返すかもしれませんが。(岐阜県美濃市は本日41.0度記録しました!)

こんな猛暑は日本だけかと思ったら、スペインとポルトガルで8月4日に何と、46度を超えたんだとか。また、お隣の韓国では8月1日、北東部の江原道洪川で同国で観測史上最高の41.0度を記録したそうですね。

消防庁によると、4月30日~8月5日の熱中症による救急搬送者数が全国で7万1266人となり、統計を取り始めた2008年以降で過去最多。死者は138人にも上ったそうです。救急搬送以外で熱中症で亡くなった方は含まれていないということで、この数字よりさらに多いことになります。

地球温暖化を否定する学者さんは、これでもまだ、否定しますかね?

◇◇◇

この1週間、日本ボクシング連盟の山根明会長のスキャンダルで、「辞めろ」「辞めない」の内紛がとうとう、今日8日の本人の辞任という形で決着しました。

山根会長の「容疑」が「助成金の不正流用」や「奈良判定」と言われる審判への圧力などでしたが、不正流用といっても、240万円を3分割して他の2選手に分け与えた話で、本人が私物化して自分のポケットに入れたわけではない。奈良判定は、エリート官僚がよくやる「忖度」みたいなもので、決定的な証拠はなし。もし、事実なら審判こそ共犯になる事件でしょう。

ということで、最初ラジオでニュースを聴いていたので、それほど、悪質な話じゃないんじゃないかな、と思っていましたら、本人がテレビ出演して、そのイデタチからして裏社会の人間と間違えるほどの強烈なキャラが立った個性の持ち主。これじゃ、テレビのディレクターや週刊誌はほっておけませんよね。連日、ワイドショーでお顔を見かけるようになりました。(会社でつけっぱなしのテレビでチラッと見ただけですが)

山根会長がテレビでかなりのバッシングに遭っている姿を見て、「何か裏があるな」と直感しましたので、今日は久しぶりに「週刊新潮」を買ってしまいました。そこには、テレビや新聞が決して報道しないことが書かれていたので、何となく構造的な裏の背景が分かりました。

山根会長は40年ほど前に韓国から日本に帰化し、その複雑な出自などにも触れていましたが、ま、一種のクーデターみたいなものなんでしょう。

片や、山根会長は若い頃に、山口組の「殺しの軍団」と恐れられた柳川組の柳川次郎組長にお世話になっていたこと。片や、告発者側の澤谷廣典・前近畿大学ボクシング部総監督は、山健組の傘下団体に出入りし、小指が欠損していることなどを、それぞれ本人も認めていました。

山根会長によると、澤谷総監督がコーチ相手に暴力事件を起こしたため、近畿大学を辞めさせたことから、それを澤谷氏が逆恨みしたのではないかといいます。(澤谷氏は、その暴力行為を認めています。)

ただ、会長職の任期が「終身」というのは、やはり問題がありましたね。

私はスポーツは純粋で、政治的影響を受けるものではない、という綺麗事をよく耳にしますが、スポーツほど政治的なものはないと思ってます。今年になって、日大アメフト部事件や、レスリング監督によるパワハラ事件など立て続けに不祥事が起きましたが、権力を握った者は必ず腐敗するといった格言が証明されたようなものです。

そう思いませんかねえ?