必要でないのかもしれない=コロナ後を見つめてーマイナンバーカードが怪しい

 昨日、大型書店に行ったところ、会計の際に「袋は有料ですが…」と言われてしまいました。えっ!?です。7月1日からスーパーやコンビニで、レジ袋が有料になるという話は聞いてましたが、本屋さんまで有料ですか…。3冊、締めて5000円以上もの「お買い上げ」でしたのに…。

 でも、考えてみれば、袋なんて必要なかったのかもしれません。欧米の書店なんか、丁寧に包装してくれたり、袋に入れたりしてくれるところは滅多にありませんでした。日本だけがバカ丁寧だったのかもしれません。

 昨日はこのブログで、経路依存性(偶然に起こったことについて、因果関係を見い出して必然だと思い込んでしまう人間の性)のことを書きましたが、考えてみれば、何でも習慣的に必要だと思い込んでいただけで、本来は必要でなかったのかもしれません。

 特にコロナ禍で自粛を余儀なくされたりすると、今まで絶対に必要だと思っていたことは、大して必要ではなく、単なる商業資本主義に洗脳されていただけだったことに気付かされます。

銀座のスペイン料理店

 例えば、こんなことを書けば、アパレル業界やファッション業界や出版業界の人に怒られ、「商売妨害」と訴えられるかもしれませんが、流行などいうものは、業界人が「今年のトレンドは紫」とか「今年はセシルカット(古い!)が流行の兆し」などと、作為的につくるもので、「流行に遅れたら大変だ」と焦る若者には必要かもしれませんが、それ以外の人には全く必要ではありません。(例えが悪くてすみません。コロナ禍で、リモートになり、たまたま、リンカーン大統領も愛用したブルックス・ブラザーズ破綻のニュースを聞いたもので)

 そう言えば、先日、「マイナンバーカード」の更新のお知らせが届きました。5年経過したから、カードは使い物にならなくなるぞ、というのです。更新するには、市役所、区役所の担当窓口に会社を休んで平日に行かなければならないというのです。「マイナンバー」は、会社から半ば強制的に登録させられましたが、カードとなると現在、全国の普及率はわずか16%だというのです。

 私の周囲に聞いても、カードまで申請している人はほとんどいなく、「カードは下請けの下請けに作らせて、中国の子会社で製作したりしているから、個人情報が中国当局に筒抜け。お前みたい奴は、中国に入国できなくなるだろう」なぞと脅す奴までいました。もちろん、その人はマイナンバー登録してもカードまで作っていません。

 今、マイナンバーカードを作れば、「5000円ポイント還元」のキャンペーンをやっているようですが、そこまでやるとは! 実に怪しいですねえ。個人情報を根こそぎ採取して、他人の財産を監視するのにこんな簡単な手段はありませんからね。カードのメリットはパスポートを取る際の本人証明になる、とか書いてますが、そんなもんなくたって、自動車免許証や保険証があれば取れますからね。だから16%しか普及しないんですよ。しかも、「隗より始めよ」であるはずの国家公務員のカード取得率でさえ25%(2019年10月末時点)なんですからね!国家公務員は日本で一番賢い人たちですから、彼らが取得しない、ということは、何か裏があるということなのでしょう。

 マイナンバーカードも必要ないのかもしれません。

ランチ1250円

 経路依存性を突き詰めていくと、本当に、衣食住の最低限と病院と薬局さえあれば、他のものは必要ではないのかもしれません。それだけでなく、これまでの人生経験も教養も今後、何ら役に立たず、必要でないのかもしれません。

 さらには、家族も友人も必要でないのかもしれません。宗教も科学も経済学も必要ではないかもしれません。当然、SNSもブログも必要ないということになります。うーん、いやこの辺で止めておきましょう。このままでは、地獄への恐れも、極楽への願いまでも捨てた「捨聖」の一遍上人になってしまいそうですからね。

 ただ、コロナ禍で自粛を余儀なくされた芸術もスポーツもギャンブルも酒も、本来なければないで済んでしまうものかもしれません。でも、必要ないからこそ、逆に、人々は熱狂したり熱中したり、アイドルに貴重な時間やお金を捧げたりするのでしょう。ーということだけは付け加えておきます。

文芸評論家雨宮さんのこと

先月23日(月)に東京・帝国ホテルで開催された歴史小説家の「加藤廣さんお別れ会」のことを書きましたが、その時、会場でスピーチされた文芸評論家の雨宮由希夫さんが、何と吃驚、かの著名なロシア文学者内村剛介(1920~2009)の甥っ子さんだっということが、関係者への取材で明らかになりました。

おっと、どこか、国営放送のニュース風の口調になってしまいましたね(笑)。

いやあ、これは本当の話です。

当日、かなり多くの方々のスピーチがありましたが、雨宮さんのお話はとても印象的でしたので、よく覚えております。

2005年、加藤さんの本格デビュー作「信長の棺」が発表されたとき、 同氏は東京の三省堂書店に勤務されており、同書店のメール・マガジン「ブック・クーリエ」に「書評」を連載されておりました。

そこに、「本来歴史学者がやらなければならない事件の解明を物書きの罪業を背負った新人作家が代わってやってのけた。驚異の新人の旅立ちと、新たな『信長もの』の傑作の誕生に心より拍手喝采したい」と書いた記事を、加藤さんが目にして感動し、本能寺3部作の「明智左馬助の恋」の「あとがき」の中で、「雨宮氏の温かい言葉には、あやうく涙腺まで切れそうになったことを告白しておきたい」と書いてくださったというのです。

雨宮さんは、スピーチの中で「『あやうく涙腺まで切れそうになった』のは私の方です。駆け出しの書評家で、実績らしい実績のなかった私にはこれ以上の光栄なことはないと感涙にむせばずにはおられませんでした」と応じておられました。このくだりが、とても印象的だったのです。

銀座「保志乃」いわし定食 980円

その後、関係者への取材で、雨宮さんは「参列者が懇談している中でスピーチなどふつうは誰も聞いていないものですが、しわぶき一つなく、雑談もなく、皆様が聞き入ってくれたことには恐れ入りました」と感想を述べられていたそうです。

雨宮さんの本名は敢えて秘しますが、内村剛介の甥っ子ということで、シンポジウムや哈爾濱学院の同窓記念式典にも必ず出席されていたようです。